はてなキーワード: バレーボール部とは
質問文は原意をくんで変更してある。
そうおっしゃっていただけると大変ありがたい。
これだけでブルマー増田として記事を書いてきた甲斐があったというものだ。
前述のエロマンガソムリエの友人も実は評論島に足を運ぶらしく、全国のエスカレーターの機器の分析だとか、その土地ならではの文物を記録した優れた同人の存在を教えてくれた。また、先行研究としてはこちらがある。
ブルマーの歴史・改訂版 [オペレーション・ボックス(しづみつるぎ)] オリジナル - 同人誌のとらのあな全年齢向け通販
ウィキペディアに載っていないような、英語圏・共産圏のショーツ型のブルマーの分布について論じているのも、自分だけだという自負はある。
単純にブルマー増田の素顔・正体を見られたくないというのもあるのだが、そもそも売り物にするだけの水準に達していないと考えている。確かに書き溜めてきた量はそれなりになるが、例えば事実確認がいい加減だ。
また、出版するならば引用元のサイトに画像の転載の許可を願わねばならないが、これも膨大な量になる。
もっとも、はてなという企業に万一のことがあれば、この研究というか随筆を誰も読めなくなってしまうのは損失かもしれないという、迷いはゼロではない。
(韓国のブルマーについて扱った記事で)アフリカの文化を紹介すると称して、トップレスで釣っているyoutubeチャンネルを批判しているが、タイトルに「おっぱい」を引用し、そのくせ対して議論を深めていない貴君も同罪ではないか?
雑談のつもりだったのでそういう意図はなかったが、言われてみればその通りだ。
やりかたが不適切だったかもしれない。異国の文化なのでもっと敬意を持って扱うべきだった。謝罪したい。
トップレスについてはいずれ真面目に考えてみたいと考えている。
自分は海外で何度かヌーディストビーチや混浴サウナの経験があり、性的でない裸体を実践してきた。その点でも大変興味がある。隠せば隠すほど性的視線を向けたくなる一方、全裸でも堂々としていれば爽やかだというのが実体験である。
ところで、次項にまとめた表や、過去のブルマー増田まとめを見ていただくと、実はブルマーだけについて議論した記事よりも、ブルマー以外のものについて語っている記事のほうがブクマは伸びている。
露出度が増えれば増えるほど伸びているのだ。
特に100以上のブクマを稼いだのは、デビュー作のインパクトがあったイギリスのブルマーを除けば、手塚ブッダのおっぱい、陸上ブルマー(ビキニタイプ)、それからビーチバレーのビキニの記事である。
投稿日 | 記事名 | ブクマ数 |
---|---|---|
2023/5/23 | ソ連のノーパンブルマー少女 | 3 |
2023/6/29 | 体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより | 14 |
2023/7/10 | エアロビのレオタードとタイツ、60年代から90年代まで | 12 |
2023/8/28 | anond:20230828074847(無題) | 1 |
2023/12/28 | スイスのブルマーと各国のブルマーの呼称、VtuberとパンチラMV | 18 |
2024/1/4 | 韓国のブルマーについての短信、あとアフリカのトップレス | 92 |
2024/1/8 | ブルガリアのブルマー、台湾とルーマニア、手塚漫画と少女漫画 | 39 |
2024/1/11 | チェコのサマーキャンプ、ドイツのブルマ再び、バルト三国のブルマ(男の子のブルマーについて書いた) | 2 |
一旦ここでまとめておこうと思ったのは、たとえば旧ユーゴスラビアのブルマーを調べても、画像があまりヒットしなかったので段々面倒くさくなり、ここで区切ろうかという気持ちになったからだ。
はじめのうちは、旧ユーゴスラビアのブルマーについてまとめて書こうと思っていたのだが、独立した七か国について並行して調べているうちに目移りしてしまい、調査が体系的に進まなかった。
また、前回はバルト三国をまとめて記載してしまったが、本来は各国の体操着の変遷については一か国ごとにまとめて記事を書くべきだろう。以前はポーランドやチェコ、ドイツのブルマーについては記事を独立して記載している。歴史はそれだけの深みがあるはずだ。
しかも、考えてみれば、旧ユーゴスラビアやコーカサス地方の国々については、そもそも地理や歴史をほとんど知らない。バルト三国や東欧諸国は二十世紀の歴史を扱った書物で多少聞きかじっているし、その国ごとのイメージや著名な出身者を思い浮かべることをできるが、前述の国々についてはそうではない。旧ユーゴスラビアと聞いて最初に出てくるのがチトーとミロシェビッチだ。あとはドブロブニクくらい。
その国のブルマー事情について調べる前に、まずは当該地域の基礎知識を身に着けるべきではないか。それが礼儀ではないのか。
あと、コーカサス地方では文字がラテンアルファベットもキリル文字でもない。自動翻訳に書けるので困らないのだが、キリル文字はギリシア文字を知っていると読みが推測できる一方、アルメニアやジョージアの文字は全く推測できないので心理的な壁を感じる。
調べていない国もまだたくさんあると気づいた。
ベネルクス三国やデンマークもまだだ。オーストリアについてもドイツの陰に隠れてしまっている。
これくらいの数で区切ったもう一つの理由が、記事なら見返すときに便利だからだ。
あと、最初のうちはanond:でリンクを貼れば、http:のようにリンク数制限に引っかからないと気づかず、8~9個でまとめていたのだけど、その名残り。
https://www.youtube.com/watch?v=31MQBXy2g3w&ab_channel=MilanDubek
https://www.youtube.com/watch?v=q7ktb56-Y-4&ab_channel=AMASLOU
https://www.redbull.com/hr-hr/stvari-koje-moras-znati-o-odbojci
はっきり言ってわからないことだらけだ。
そもそも各国のブルマーがどんな素材でできているのかはあまりわかってない。
また、色合いについてもあいまいだ。意外と白黒写真が多いため、例えばドイツのブルマーが黒だったことは文章からわかった。画像が荒く、提灯ブルマーかショーツ型ブルマーかはっきりしないことも多々ある。
国によっていつからいつまでブルマーだったのかも、正確な数字はわからない。
日本国内でさえ地域差があったのだからはっきりしないのは当たり前かもしれないが、日本ほど体操服の変遷を記録しているのは英語圏くらいしかない。
ブルマフェチがいるかどうかという問題だけでなく、その国の歴史をどれくらいアーカイブ化しているか、また、その国のネット利用者数や総人口という問題ともかかわっていそうだ。実際、人口が数百万規模の国だと検索してもヒット率が格段に落ちる。数千万規模の国とは格段の違いがある印象だ。
あとは、以前にちらりと新聞や広告、SNSなどで調べたいとも書いたのだけれど、それ以外にアーカイブ資料を使いたいと感じている。
実際、韓国のブルマー写真は「Korea Democracy Foundation」というNPOの画像だし、ポーランドの場合はポーランドのポズナンのデジタルアーカイブだ。
もしかしたら各国のデジタルアーカイブが、ブルマーについて調べる良い資料となるかもしれない。
あとはdeviantartのフェチの人のつぶやき。
各国のブルマー事情を考えると、アメリカだとバスケットボールのときにブルマーだったという証言があるし、バレーボール部もブルマーだったようだ。つまり、同じ体育の授業でも内容によって服装が違っていた可能性がある。
実際、国内でも創作ダンスの授業でレオタードだったという例もあるようだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14254151119
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12227793622
つまり、例えばバレーボールではブルマーが広く使われていたが、それが体育の授業一般ではどうだったかははっきりしない。バレー部がブルマーでも授業は短パンってこともあるだろう。
個人的には、バレーボールだけの画像を積極的に探さなかった理由がそれだ。自分が知りたかったのは、ブルマーが体育の授業の制服として使用されていたかどうかだった。バレーボールで検索すると、プロの選手の画像がヒットし、学校教育での実態がわからなくなる。
最初の調査理由がそれだった。ときどき、何のために調べていたのかがぶれてしまうので、そのあたりは気を付けたい。
一旦ブルマーを休んで、へそ出しやトップレス、ヌーディズムについて調べてもいいだろう。
というか、いい加減にネットだけの調査だけでなく、書籍で調べるべきなのだろうが、積んである本が多すぎる。
それにしても、ブルマーに対する執着の根っこにあるのが、小学生時代に憧れていたお姉さんの、パンツのようなハイカットブルマーだとしたら、初恋? をこじらせ過ぎである。
今気づいた。
ブルガリア語のキーワードについてかなり突っ込んで考察してくださっている。
やはり熱意のある方の増田は読んでいて嬉しくなる。
時間を見つけて精読させていただく。
トップレスの民族はフツーに現存するやんけ anond:20201102080505
以上。
初めてここに文章を残してみる。
改行がどうだとか、段落の後は1マス空けるとか、そういう文章上のルールは一旦無視する。
俺はもう30になる。
人並みの一軒家を購入した。
クセのない、みんなが頭の中で思い描くような。
仕事についてもなんだかんだで
しかし、俺は満たされているのかと問われれば
素直にYESと言えなかった。
少し生い立ちを振り返る。
自分で言うのも憚られるが、
俺はきっと優秀な子だったはずだ。
進学して部活を始めた。
バレーボール部に入部した。
バレー部に入ったのは、
やることになったからだ。
サッカー部には入らない子が多かった。
籍がクラブチームにある子は
全国ベスト8まで行ったし
それと同時に、片手間のバレー部では
ジュニアオリンピックの県選抜に選ばれた。
それは当然驕りであり、
でも、そんなことが15歳の中学3年生に
出来るわけがなかった。
スカウトが来ていた。
当時は漠然と思っていた。
そうはならなかった。
怪我でも何でもなく、
チームとしてではなく、個人として。
アニメオタクとして3年間を過ごした。
器用貧乏だった。
器用貧乏というには、少し器用すぎた。
まともにできないレベルだったら?
もっと早くに諦めがついて、新しい道を探せていたんじゃないのか。
先にも述べた通り、俺は今それなりの生活を送っている。
それでも、後悔や過去への想いが絶えない。
ここまで読んでくれた人たちが言いたいことはわかる。
きっと俺は何者にもなれない凡人だ。
何回繰り返してもそれは同じなんだ。
俺と同じような思いをしてる人もいるだろう。
これから俺と同じような思いをする人もいるだろう。
それは、「お前たちは凡人だ。早めに見切りをつけて、優れた凡人になれ。」ということじゃない。
お前たちが仮に凡人だったとしても、
やれるところまで突き詰めて、
本気で何者かを目指してくれ。
そうじゃないと過去に思いを馳せるだけの凡人になる。
何者にもなれない。
ということだ。
俺は幸せな凡人を目指していく。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/198925
【ニューヨーク共同】米デューク大(ノースカロライナ州)女子バレーボール部の黒人選手は29日までに、ユタ州でのブリガムヤング大(BYU)との試合で、同大ファンの白人男性から黒人差別の言葉や脅迫を受けたと明らかにした。対応を怠ったと批判されたBYUは謝罪し、白人男性を出入り禁止にした。
しかし、アメリカでは一滴でも有色人種の血が混じった人は白人扱いされないと聞いた。
見た目が白ければルーツを聞くこともなく一発出禁で良いのだろうか?
ジェンダーもこれほど多様化する中で、見た目が男性のようでも心の性別が女性であったり、自分が男性であることに確信が持てなかったりする人もいる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef997a7742aac12bf144ae245c9bcc99c531bea7
2018年に岩手県立不来方高校のバレーボール部に所属する男子生徒が自殺した問題で、県教育委員会は24日、複数の部員に不適切な言動をしたとして、当時の顧問で45歳の男性を懲戒免職処分としました。
略
県教委によりますと、男性は顧問を務めていた2015年度から2018年度にかけて複数の部員に対し「使えない」、「バカ、アホ」などの発言をしたということです。
その間も元顧問によって自殺までは行かずとも追いつめられた生徒が出るかもしれないのに。
また、仮に元教師や元生徒の両親が処分を不服として裁判を起こそうとした場合、証言や証拠なんてもう残ってないだろうから泥沼必至である。
卒業生とかに「当時の〇〇先生の指導はどうでした?」と聞いたところで、嫌な記憶として曖昧な証言しか出てこないだろう。
それで思うのだが、税金やら会計処理は年度ごとにきちんと方を付けるのに、こういった事件の処分を何で数年「調査中」でスルー出来るのか、その正当な理屈が分からない。
そりゃ、調査のために1回くらい年度をまたぐくらいは仕方ないと思うよ。例えば3月29日に起きた事件の責任問題を残り数日のうちに片付けろってそれは無理だろうから。
それとも逆に実は会計とかも年度をまたいでいいの?
「税務署さん、ごめーん。忙しくって帳簿まとめられないわー。来年度まとめて納税するから今年は待って💛」とか
素人だから分からんけど多分、税務署ブチ切れ案件では?何かしらの追徴課税なり行政処分あるでしょ?
だからこそみんな必死になって、確定申告やら会計処理やら行うわけでしょ?
だったら、容疑者が逃走中だとかそういう話でもないこういう事件も年度で区切って処理するべき。
現状、命より金の方が優先度が高くなってる。これはおかしい。
1980~1982年頃の話だけど、ここのスポーツ少年団は宗教カルト組織勧誘の場として暗躍していた。
まず、剣道部はコーチに中島みゆきでおなじみ天理教の信者がいて、「こどもおぢばがえり」のパンフレットが部室に散乱してたし、
卓球部はコーチに天理教から分裂したカルト組織(宗教法人で無い実質宗教組織)公益財団法人モラロジー研究所の構成員(食料品店店主)で、
休日に「勉強会」と称して卓球部員やその両親達達に対して組織の勧誘やモラ研繋がりの自民党議員による実質的な選挙活動が行われていた。
ついでにバレーボール部のコーチには、戦前治安維持法で弾圧を受けた「ひとのみち教団」から生まれた倫理研究所(後に実践倫理宏正会に引継ぎw、もう一つは高校野球で一世を風靡したパーフェクトリバティー教団)メンバーがいたという噂もあって、その人は追放されたみたい。
ちなみに、卓球部の「勉強会」は流石に校内でも問題になって、部は崩壊寸前になったようだけど、この騒ぎ以降どうなったかは知らん。
ホント、小学生ながら「大人の欲望」に振り回されて腐敗した所には関わりたくないと思ったね。
このことがトラウマになったのか、中学高校と部活には絶対関わりたくないと誓った。中学は部活参加を強制されたけど、見事な幽霊部員を決めていたw
単純な話、当時自分が興味を持っていたことは、乱数放送を聴いて北朝鮮工作員の動向を知りたい、といったことなどの社会問題一般だったので、スポーツ文化問わずどの部も行きたくなんか無かった。
提供:
埼玉県内で有数の進学校である女子中高一貫校の淑徳与野中学・高等学校。同校では18年度から電子黒板を導入するとともに、一部クラスで一人一台端末の授業での活用に乗り出すなど、ICT教育を積極的に推進してきました。そして2020年に新型コロナウイルス感染症拡大により登校自粛が迫られたことを踏まえ、同校はICT教育のあり方を再検討。学内利用だけでなく、質の高いオンライン授業も実施可能とするために、2021年度からSurface Go 2のLTE Advancedモデルを導入、Microsoft 365と組み合わせてクラス別の教材管理と授業の仕組みを整備し、運用を開始しています。ICT教育を進化させて授業の幅を広げ、生徒一人ひとりに最適化された学びを実現するための取り組みが続けられています。
1892年、淑徳(深い知性と情緒に富んだ人間性)を備えた自立した女性の養成を目指して設立された淑徳女学校は、仏教の精神を背骨として幼稚園から大学までを擁する総合学園に発展してきました。その中にあって、1946年に開校された与野分校を前身とする中高一貫教育の女子校が、埼玉県・さいたま市の淑徳与野中学・高等学校です。海外の姉妹校などへの短期語学研修などを通じて、国際舞台で活躍できる人材の育成に力を入れる同校は、インターハイ常連の剣道部や、バレーボール部、バトン部、吹奏楽部など、文武両道の学校としても知られています。
そんな同校は、「コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段を活用するために必要な環境を整え、これらを適切に活用した学習活動の充実を図る」との国の方針が示される中、その対応をいち早く推進してきました。2018年度には動画などを利用した分かりやすい授業のための電子黒板を導入するともに、一部クラスで試験的に一人一台のタブレット端末を導入。そして2021年度入学の中学1年生・高校1年生からは、全生徒を対象にした2-in-1デバイスのSurface Go 2(LTE Advancedモデル)とMicrosoft 365の活用を前提とする授業にも乗り出しています。
学校教育は今、大きな転換期を迎えています。新学習指導領により、生徒の思考力や判断力の養成がより強く求められることとなり、教育現場では従来の講義中心の学びから、主体的な学習へ生徒をどういざなうかが課題となっています。ICT活用は、そこで鍵を握る策の1つに位置付けられます。淑徳与野中学校 学年主任 英語科教諭の山﨑貴志氏は、「ICTを使えば、講義型の"覚える"学習から"考える"学習につなげられます。また、視覚・聴覚に訴えるデジタル教材は、生徒の自発的な学習を促す効果も期待できます」とICT教育の可能性を生徒・保護者に説明しています。
もっとも、淑徳与野中学・高等学校がMicrosoft 365を導入したのは、今から3年ほど前にさかのぼります。
淑徳与野中学・高等学校で進路指導部長を務める小嶋恵子氏は、「学内では各種分科会などで大量の校務文書が作成され、それは授業用の各種資料や保護者向け文書でも同様で、だれもが消化不良を起こしていました。そこで情報を精選し、管理を効率化し、さらにペーパーレス化によってコストを削減するためにも、Microsoft 365による文書管理・教材管理に乗り出しました」(小嶋氏)
そこでの文書管理の扱いやすさの体験が、タブレット端末を組み合わせた生徒向け教材提供のアイデアにつながります。以来、同校ではデジタル教材の拡充を推進。ただし、そうした中で直面したのが、2020年に入って拡大した新型コロナウイルス感染症です。
「緊急事態宣言を受けての登校制限により、当校は多様な対応に迫られました。生徒が在宅で学習を進めるための授業動画配信や教材準備はもちろん、自宅での規則正しい生活のために、Teamsを活用したホームルームの仕組みも整備しました。特に後者は、生徒が友人と会えない不安を防ぐとともに、学習状況に対する保護者の不安を解消するためにも重要な活動と位置付けられました」(小嶋氏)
その後、登校は再開されましたが、新型コロナの収束の見込みが明確には立たない状況にありました。この状況を鑑み、2020 年秋に固まった方針が、再度の登校制限に見舞われた場合でも、子どもたちの学びを止めないために生徒全員に一人一台Surfaceを持たせ、同時にTeamsなどを活用したオンライン授業の仕組みを整備するというものでした。具体的にはTeamsの「チャネル機能」を用いて、クラス別の動画配信と文書管理の仕組みを作るとともに、2021年度入学生から全員にSurfaceを所有してもらう決断を下したのだと言います。
「Teamsがあればクラスごとにいくつもの教材を管理でき、同時にSurfaceのカメラを通して生徒の顔を見ながら配信授業も行えます。対面授業の場合でもデジタル教材による、従来より深い理解を可能にする授業が行えます。さらに、Teamsによる課題配信を活用すると、生徒一人ひとりの習熟度に応じた自立学習も促進できます」(小嶋氏)
"ネットワーク障害"と"相性問題"への備えとしてSurface Go 2 LTEモデルを選択
淑徳与野中学・高等学校が生徒用端末に採用したのが、Surface Go 2の「LTE Advanced」モデルです。タブレットとしても利用できる汎用性の高さと、持ち運びで負担にならない800gを切る軽さ、そして高い処理能力が特徴です。今回、Surface Go 2のLTE Advancedモデルを選定した狙いは、授業での確実な活用だと言います。
同校ではICT活用に着手して以来、校内ネットワークの整備を推し進め、 2021年度の開始時には無線LANのカバーエリアも全教室にまで拡大していました。とはいえ、全生徒のPC利用による通信量の急増により、従来では考えられなかったネットワーク障害も危惧されました。
また、2年前から一部クラスで試験的に利用してきた他社OS製のタブレット端末では、OSとアプリケーションの操作性の違いからか、Microsoft 365のOfficeアプリなどが使いづらいと感じることが間々あったと言います。
こうした2つの課題を解決するために導入したのが、Surface Go 2 LTE Advancedモデルです。淑徳与野高等学校 進路指導主任の粕谷俊介氏は、「無線LAN頼りでは、ネットワーク障害時に端末が使えなくなり、授業に影響が出てしまいます。しかしLTEモデルであればモバイル回線をバックアップとして使うことで授業を進められます」と話します。
また、今回の生徒端末導入を支援したKDDIまとめてオフィス株式会社 北関東支社 法人営業2部 営業2グループの八島圭氏は、「相性問題は、OSとアプリケーション、ハードウェアが絡む厄介な問題です。Surface Go 2はWindows OS、Microsoft 365と同じマイクロソフト製ですから、相性問題への懸念を払拭するには、この組み合わせに勝るものはありません」と強調します。
今回、モバイル回線は無線LANに障害が発生したときのバックアップという位置づけですが、いざモバイル回線に切り替えたときに通信が不安定では困ります。その点について八島氏は「学校などへのLTE端末の導入時にはユーザーが一気に増えます。そこで当社では、机上での調査を行うとともに現地を確認して、通信品質の対策を行うなど、確実につながる環境づくりに力を入れています」と、通信品質の維持・向上への取り組みを説明します。
機種選定に関しては、教員の間でも様々な意見が出たと言います。その中にあって他OSのタブレットではなく、Windows搭載の2-in-1デバイスを選んだ理由について山﨑氏は、「スマートフォンやタブレットは急速に普及しましたが、社会に出て仕事で使うとなるとWindows PCがほとんど。早い時期からWindowsに慣れておくことはメリットになることはあっても、決してデメリットにはなりません」と語ります。
そして、軽量化やコスト的な制約からキーボードが犠牲になりがちな2-in-1デバイスにあって、Surface Go 2には標準的な配列で、タッチ感の良好なキーボードが用意されていることも高く評価されました。
「生徒の卒業後を見据えたICT教育という考えもありました。午後の授業前の10 分間、英単語力の向上を目的にクイズ形式のタイピング練習を行っていますが、これにはタブレットやスマホでは経験できないキーボード操作に慣れ親しんでもらうという意味もあります。本校の探求学習では4000字以上の小論文を書くこともあります。長文をストレスなく入力するうえで、キーボードの品質は重要だと考えました」(山﨑氏)
最終的に導入したのは、最上位のSurface Go 2 LTE Advancedモデル(Core m3/メモリ8GB/SSD128GB)。ハイスペック・モデルにしたのは、デバイスのパフォーマンスが使える教材や授業内容の制約にならないようにするためだと言います。
TeamsとSurfaceを教科の特性に合わせて多面的に活用
2021年度の授業開始から約3か月を経て、Microsoft 365とSurface Go 2による授業は着実に軌道に乗っています。例えば数学の授業では、Teamsで共有したテストの答案を生徒端末や電子黒板に表示しながら間違えやすいポイントを解説する、デジタル教材を使って視覚に訴えて理解を促す、といった取り組みが行われています。
「数学では図形を頭でイメージすることが苦手な生徒も少なくありません。しかし、デジタル教材であれば、立体図形を3次元で動かし、断面図がどうなるかまで分かりやすく示せます。同様に二次関数の各係数を変えることでグラフがどう変化するのかなども理解しやすくなります」(粕谷氏)
総合活動の時間における、生徒間の意見共有も格段に容易になり、深い議論につながっていると言います。映像の活用も始まりつつあり、授業映像に生徒同士でコメントを付け合うといった取り組みも試行中です。生活指導の一環として、従来、紙ベースで行ってきた生徒のスケジュール管理やPDCAもTeams上に移行。手作業による回収や配布の手間も一掃されました。
PCは汎用性が高く、学習以外にも幅広く利用できます。その点を考慮し、淑徳与野中学・高等学校ではホワイトリスト型でのアクセス制限を実施していますが、それも最低限にとどめていると言います。
「動画サイトに入り浸ることがないよう制限をかけていますが、学習目的であれば柔軟にアクセス可能なサイトを追加しています。ルールを破ると制限が厳しくなることを認識してもらいつつ、生徒の自主性を尊重して使ってもらおうというのが現在の方針です」(小嶋
氏)
淑徳与野中学・高等学校では授業でのPC活用の高度化に向け、すでに運用改善を視野に入れています。今後は生徒にアンケートを実施したうえで、教員同士の話し合いを通じ、さらに新たな活用方針を固める計画です。
そこで温めているアイデアの1つが、生徒の思考を発表につなげるためのMicrosoft 365の活用です。考えを自身の内にとどめていては、それ以上の発展にはつながりません。ICTを活用すれば、生徒の表現活動を格段に増やすことができます。
「論文作成ではWordを、情報の授業ではExcelをと、すでにMicrosoft 365を授業で活用していますが、中でも総合学習におけるPowerPointを使った授業は、どう表現すれば分かりやすく伝えられるかを試行錯誤することで、思考を整理する効果も期待しています。さらにTeamsを活用すれば、グループワークやグループ内発表も容易です。授業ごとに生徒からフィードバックをもらうことも簡単にできます」(小嶋氏)
このほか、部活動の試合をSurface Go 2で撮影し、動画を共有して振り返りに活用するなど、授業以外でも自主的に活用する生徒の姿が見られると言います。
無線LAN環境がなくてもネットワークを使えるLTEモデルの採用は、野外授業でフィールドワーク中に気になったことをその場で調べたり、課外活動で生徒の自主的な活用を促進したりするうえで必ずやプラスに働くことでしょう。
導入・運用からわずか3か月。Surface Go 2は淑徳与野中学・高等学校でのICT教育と生徒の学園生活に欠かせない存在になっていると言えるでしょう。
娘の通ってた中学の女子バレーボール部には、部員は全員短髪にしないといけないルールがあって、それもお洒落な雰囲気のショートヘアは全部駄目で皆モンチッチみたいなベリーショートにしていた。
娘の話ではどうやら昔の先輩が作ったルールが綿々と受け継がれている様子だった。何かの折に顧問の先生と話した時は「僕がこの学校に来た時にはもうあったルールだったので、ここではそれが伝統なんだと思いました。運動部には良くある事ですよ」と仰っていて自身は部員の髪型はあまり気にしていないように見えた。
娘は当時テレビに出てくる芸能人を見て「髪伸ばしたい」と言う事もあったけど「学校で、髪長い子を羨ましがったり伸ばしたいという発言は真剣に取り組んでいないと言って先輩に叱責されるから、家じゃないと言えない」とも言っていた。
「私は自分が既に髪伸ばしたいと思ってるから、同じ事言ってる1年生を見ても何も言えない。これは先輩として問題だと思うか」という質問をされた際、バレーボール部なんだからバレーボールの事を正しく教えていたら十分立派な先輩では?と答えたら「競技だけでなく取り組む態度や精神面の指導もするのが先輩だと3年の先輩に教わったから」と言われ、中学生がたかが1〜2年遅く生まれた子供同士に精神面の何を説くのかと夫と一緒に笑ってしまった事すらある。
私も学生時代バレーボールをしていたけど長髪の部員は普通に居たし、髪の長さがなんであれ上手い子は上手かったし真面目に取り組む子はちゃんとやっていた。私も当時は肩上ぐらいの長さのボブにしていて部活に行く日はゴムで2つに括っていた記憶がある。なので娘の部活のルールは正直「バカだなあ」と思っていた。
娘に聞いた中で特にアホ臭くて印象的なエピソードが2つあって、ひとつは体験入部に来た1年生の中にセンスのいい子がいたんだけど、部活のルールで髪は短髪じゃないといけない話を聞くと髪切りたくないから入部しない、と言って入ってくれなかったという話。さらに、他の部員がそれを後で「本気でやる気持ちがない奴は来んなよ」「髪ぐらいで入部やめるとか中途半端な奴はこっちも要らないんだよ」みたいな事を延々愚痴っていたとか。
もうひとつは、同じようにうるさく後輩を締め付けてきたんだろうに時々指導に来ていたOGが結構な確率で「進学先の高校のバレーボール部でOKだから」って髪を伸ばしているという話。髪なんか伸ばしてチャラつく奴は本気で取り組んでないんじゃなかったの?浮ついた態度でやってたら上の大会行けない設定は何処に行ったんだろう?部員達は誰も疑問に思わなかったのかな。
娘はもう大学生になって今はバレーボールをやっていないから私も忘れつつあったけど、今朝ちょうどテレビ番組で髪型の校則の話をやっていたのを見て色々と思い出した。
今もあのアホルールは健在なんだろうか。
新海誠の作風が童貞臭いとか、童貞力が持ち味みたいな意見を度々目にしてきたが、
実際に新海監督のプロフィールを見てみると、小学校時代はスピードスケートをやっており、
中学時代はバレーボール部で部長を務め、高校では弓道部に所属していたそうだ。
大学時代に童話サークルに入ったのが謎だが、その後は美人で高学歴な女優と結婚している。
こんなの童貞どころか、むしろリア充そのものの人生を歩んでいるように見えるのだが。
『君の名は』を新海らしくない一般受けの作品だという人がいるが、それはむしろ逆で、
新海監督は『君の名は』で、ようやく自分らしいキャラクターや世界を描くことができたのではないか。
『言の葉の庭』以前は、いかにも村上春樹や岩井俊二の影響を受けている感じの、
恋愛やセックスに普通にありつけるようなリア充が憂鬱ごっこ、孤独ごっこにふける軽薄な作品ばかりだった。
これが間違いの始まりだった。
練習できるのは3年生だけだった。
1~2年は球拾い専門。
コートをぐるりと囲んで、飛んでくる球を回収するだけの雑用係。
拾うボールは飛び交っているのだが、球拾い要員の人数が多く(30人近く)、手持ち無沙汰。
明らかな過剰スペック。
ほぼ棒立ちの状態。
たまに飛んできたボールを、トスして回していたら「真面目にやれ!」と一喝された。
練習の最後は決まって、アタックを拾うレシーブの練習が行われる。
球拾いが最も忙しくなる時間でもある。
「早く終わってくれ・・・・」これが1,2年の共通した願いだった。
練習の末期が近づいたと安堵を感じる。
しかし顧問は力任せに思いっきりアタックするため、誰も取れない。
そんなこんなで、「ラスト」は永遠と思えるくらいに伸びに延び、他部活の生徒が完全に帰り、外が真っ暗になった頃に終焉を迎えるのが日常だった。
これが毎日続いた。
月火水木金土日。
平日は16時~19時までの3時間。
土日は弁当持参で丸一日。
問答無用で球拾いだった。
朝6時に起きてランニングして球拾い。
昼ご飯を食べて球拾い。
夜は9時まで球拾い。
1年の秋。
3年生は泣いていた。
でもボレは何とも思わなかった。
感情移入できなかった。
「早く帰りたい」と言う思いしかなかった。
しかし「来年は絶対に勝つぞぉ!!!」という顧問の一言で、その日は夜遅くまで球拾いさせられた。。
3年生が引退し。
2年生が練習できるようになった。
長きにわたり耐え抜いた彼らの顔は、とても生き生きしていた・・・
しかも球拾い要員の数が少なくなったこともあり、ボーっとしていると目立つようになった。
気の抜けた顔で突っ立っていると「やる気だせやぁぁぁああ!!!」、と横からボールを顔面に投げつけられた。
鼓膜が破れたかと思った。
それでも行く気になれなかった。
2年になるころには、全く行かなくなった。
同じような脱落者が何人もいた。
そしてボレ達は3年生になり。
2年間球拾いに耐え続けた英雄達(同期)は、試合で1度も勝つことなく、部活動を終えたと聞いた。
思い返せば。
ボレの人生は、あのバレーボール部の入部で歯車が狂いだしたように思う。
そして2020年。
家賃も払えず、来月末には退去を迫られている。
それでもボレは、文句も言わずただ粛々と生き続けようと思っている。
そう。
2年前に会社を辞めたのは、男になりきれなかったから。学生時代は男子バレーボール部のマネージャーをやっていて、男のノリには慣れていたので男ばかりのメーカーに入った。事業部始まって以来初めての女の営業だった。思った以上に皆協力的で上司も優しく、すぐに仕事に慣れることができた。同期の男の営業はあまり馴染めていないようで、周囲は彼の悪口ばかり言っていた。お客さんともうまくやっていけてると思っていた。
半年くらい経った頃、たまたま昔の友人と職場近くで飲んでいた。すると少し離れた席に私の先輩社員、上司、私の同期が座っていることに気づいた。同期の彼は会社では見せないような和やかな表情で周りを笑わせていた。何を話しているかは聞こえなかったけどとても盛り上がっているようだった。
私は数回しか飲みに誘われたことがなく、かつ彼らみたいに盛り上がることは一度として無かった。
多分私は男社会に表面的にしか馴染めておらず、お客様扱いをされていたんだと思う。思えば失敗をしても同期みたいに怒られたことはないし、2軒目3軒目に引っ張られたこともない。定時で帰っても笑顔で送り出されたし、仕事の負荷も同期より明らかに軽い。
そのことに気づいてからは仕事に対する情熱はすっかり消えてしまい、数ヶ月後に仕事を辞めた。けれど周りは最後まで気を遣ってくれて、その優しがほんとうに辛かった。良くも悪くも、この世界は男向けにできている。
正社員で入ったのにお客さん扱いされたら誰でも嫌な気分にならない?
高校の教員をしてる。管理職でない限り、全員が何かしらの部活動を受け持たないといけない。私は男子バレーボール部だ。
バレーボールは体育の授業くらいでしか触ったことがない。指導は、別に専門の先生がしてくださってる。だから私は見てるだけ。
でも、楽しい。
弱小だけど、みんな一生懸命で、中には練習をサボる子もいるけど、みんなバレーが大好きで……。
6時半に練習が終わっても、そのまま体育館に残ってボールを触っているから、私はそれをぼんやり眺めて、7時半になったら、まだ物足りなさそうな部員たちを追い出して、体育館を施錠するのが日課になっている。
自分のよく知らないものでも、誰かが夢中になって頑張っているところを見るのはとても楽しい。
と同時に、不思議でもある。
どうしてこんなに一生懸命になれるんだろう。
どうしてこんなに、こんなに…。
11月24日(土)
を観た。
好きな俳優さんのTwitterから、この公演のことを知って、劇団のHPであらすじを読んだ瞬間、絶対に観に行こうと決めた。
――――――――――――
<あらすじ>
そのコートで、失った熱量を懐かしんでいると先生に会ってしまいます。
促された松坂はシュートを打ちます。打って、それから、謝ります。
バスケット辞めてごめんなさい。
誰も知らないまま、辞めたのです。
ただ、バスケットを辞めたのです。
――――――――――――
何がそこまで私を惹き付けたのかわからない。
だから、観に行った。
客席に入って、まず目に入ったのは中央のバスケットゴール。そして床に描かれたバスケットコートライン。
フラットな舞台の両脇には階段があって、まるで体育館のギャラリーみたいだな、と思った。
下手側の階段の踊り場にはギターを抱えた人がいた。「間もなく開演です」のアナウンスのバックで、静かにギターを弾き始める。音が重なって、重なって、そして静かに反響しながら消えた瞬間。
そしてそれを少しずつ切り裂くように、そこにある、松坂の肉体。
先生がやって来て、松坂がシュートを打つように促される。高校時代が蘇る。
部活前の男子部員の空気が、本当にリアルで驚いた。シューズの紐を結びながら、他愛ない話をするあの感じが、私が普段目の当たりにしているものと同じ温度でそこにあった。
物語が進むに連れて、少しずついろいろなことがわかってくる。
ずば抜けて上手いのはキャプテンの吉住だけ。彼は素行が悪くてバスケが強い学校には行けなかったから、この学校で一からバスケ部を作った。ちょっとやんちゃで、先生に口答えすることもあるけど、それは結局のところ本人が甘えたなんだと思う。
主人公の松坂は、もともと野球部だったが、部員と折り合いが悪くて部活を辞めた。バスケ部に入ったのは、クラスメイトに「楽だし、初心者でも大丈夫」と言われたから。
部員の個性が見えてくるに従って、私は自分の部活の生徒の顔が重なるような気がしてならなかった。一人一人は全然違うのに、「ああ、いるよな」「ああ、あるよな」が積み重なって、まるで自分の話のように思えてくる。
中でも胸に来たのは、顧問の沖先生が授業準備が忙しくて部活に来れなくなるシーンだ。代わりに来た外部コーチに、吉住は激しく反発する。
「俺らのバスケ知らないやつに練習メニュー指図されたくねえ!」「お前、顧問じゃねえのかよ!何で来ねえんだよ!授業が増えたとか知るかよ!部活の時間は部活に来いよ!俺の言うこと聞けば勝てるって言ったよな?じゃあ命令しに来いよ!」
私も、授業準備や他の生徒の対応で部活になかなか行けない日がある。やっと体育館に行くと、もう終了の挨拶…なんてことも、何度もある。
生徒は部活に休まず来てるのに、顧問は部活に来ない…なんて、不満に思っても仕方ないよな、と思うけど、授業準備も部活動指導も、教員にとっては両方とも「仕事」だ。私自身はかなり部活が好きな方で、沖先生もかなり部活が好きな方で、でも部活よりも優先しなきゃいけないことがある状況は、すごくよくわかる。
でも、それは部員には「わかってくれ」と言ってもわかるもんじゃないよな、というのも、すごくよくわかる。
コーチが来て、彼らの練習風景はがらりと変わる。活気が出る。それまでだらだら惰性でやっていた練習が、意味付けされて、みんなが「勝つために」練習をやり始める。
新入生が入ってきて、二年生になった松坂たちは少しずつ「自分の武器」を身につけていて、チームは確実に強くなったことが肌で感じられる。
そして迎えたIH予選。
負けたら、三年生の吉住と當座は引退だ。
IH予選1回戦は、勝った。でも、ミスが多くて先生に叱られる。
そして當座が、「辞める」と言い出す。
「大学受験マジでヤバいから、バスケで大学推薦がもらえる吉住と違って、俺はバスケ頑張っても何にもならないから、勉強しないとマジでヤバいから」
當座は序盤から、勉強と部活の両立に悩んでいるような描写が繰り返されていた。だからいつかはこうなる予感があった。でも、それは今なのか。三年生の、IH予選で、1回戦は弱い相手にギリギリ勝って、2回戦は相手も強いからこうはいかないかもしれないけど、でもとにかく負けたらそれで引退の、三年生の、今なのか。
そんな當座に、吉住は噛みつく。「何でだよ!」と詰め寄る。
そして溢れる當座の本音。「俺がいなくても、俺より上手い後輩がいるから大丈夫だよ。俺が試合に出るよりも、後輩が出た方がいいよ」
「下手でもお前出ろ!俺のパス受けろ!」吉住の激昂。二人きりの三年生。吉住と當座と、顧問の沖先生の三人だけでやって来た一年間。少しずつ後輩も育って、やっと勝てるようになった三年生の、IH予選。
でも、頑張ってどうなるんだろう。将来どうするんだろう。部活を頑張った、その先は?
私も、自分の高校時代、勉強を理由に部活を辞めようとしていた同級生を必死で引き留めたことがある。結局、彼女は三年生の夏まで部活を続け、一緒に引退したけれど、今でもあのときの私は正しかったのかとたまに思い出す。もしかしたら、あそこで私が引き留めずに彼女が部活を辞めて勉強だけに打ち込んでいたとしたら、彼女はもっと上の大学に行けたかもしれないと、考える。まあ、最終的に決断したのは彼女自身なのだから、そこに私がとやかく言うことに何の意味もないのだけれど、私は最後まで彼女と部活ができて、とても楽しかったのだけれど……。
教員になってからも、勉強と両立できないから部活を辞めようかと悩んでいるという相談を受けたことは何度もある。そのたびに、私は止めてきた。それが正しいかはわからないけど。
今でも、必死に練習する部員たちを見ながら考えることがある。バレーを頑張ったからといって、進路の保証があるわけでもない。この時間を、補習やアルバイトに費やす方が有意義な生徒もいるかもしれない。でも、この経験はきっと、いつかどこかで、何かの役に立つんじゃないか…。
「これが将来にどう活きていくか」なんて、考え出したらキリがない。とくに教員の仕事なんて、どんな指導をしたとしても、本当にそれが生徒にとって良かったかわかるのは、5年後が10年後か、何年先になるかわからないし、もしかしたら一生わからないままかもしれない。
それでも、今一番良いと思えることをやるしかない。
IH予選2回戦。
格上の相手に、チームは苦戦する。でも、全く勝てない相手ではない。今、自分たちにできる、最高のプレーを。
残り時間あと6分。点差はわずか。負けたら、ここで終了。勝ったら、もう少しだけバスケができる。
今年のIH予選。地区大会は勝ち抜いたけど、県大会は1回戦から格上の学校が相手で、良いプレーはしたけど、負けてしまった。
バレーボールに制限時間はない。先に25点取った方が勝ちだ。じわじわと、相手の点数が25点に近づいていく。
「ああ、このまま、このまま終わってしまうのか。もっと見ていたかった……もっと見ていたい……いや、まだ終わってない、希望はある……うちがここから○点取れば…………」
そんなことを考えながら祈るように試合を見ていたことを思い出した。
そのときの、バレーコートの中の選手の気持ちはわからない。でも、今、目の前の、バスケットコートの中の選手の気持ちは、客席まで伝わってくる。きっと、同じだ。彼らも、彼らも。そう思うと涙が出た。
舞台上の試合のシーンでは、本当にバスケの試合が行われていた。
もちろん、ある程度の段取りはあるだろうが、シュートが決まるかは打ってみないとわからないところは、試合と同じだ。シュートが決まればこう、外れたらこう、みたいなパターンはあるのだろうが、それも、試合と同じだ。
何のスポーツでもチームで行う競技すべてに言えることだろうが、上手いチームは「いるべき時に、いるべきところに、いるべき人が、いる」と感じる。
それは、演劇も同じだと思う。
何をやるのが良くて、自分は何がやりたくて、それがどう自分のこの先に繋がっていくかは誰にもわからない。
何かをやるにしても、何かをやめるにしても、自分が「良かった」と言えなきゃいけない。
いろいろなものが重なって、なんだかもうわけがわからなくなって、最後の方はほとんど泣いていた。
泣きすぎて拍手ができなくて、それだけが心残りなくらい、泣いていた。
だからいつも感想はTwitterで呟いたりするのだけれど、今回はあまりにも自分のプライベートな事象とリンクしすぎてしまったから、匿名ブログに託すことにする。
観に行って良かった。
砂浜からでも川砂でも何でもいいので余所から砂を持ってきて敷きつめるという発想は出来ないものなのか。オリンピックでもそうやってたやん?
オリンピック競技にもなって久しい筈なのに「ビーチバレーは海でするもの」という固定観念から脱却できない人の何と多い事か。
ちなみに実際のビーチで開催するときでも競技時に怪我しないように小石や貝殻その他きれいに取り除いておく事は当たり前です。
http://www.kyt-shigakushinkoukai.jp/award/winner/award_11th/view15.html
“2000年に完成したビーチバレーコートがある、全国的に見ても珍しい高校としても知られ、2011年、バレーボール部から特化して発足。”
バレーボール部だった俺。「文化系運動部」と名高かった。その名の通り、体育館半面をバスケ部と分け合ってはいたものの、ネットも張らずにガラケーでゲームするか、エロサイト見るかの毎日。そんな二択の生活にも飽きたのか、編み出したのが「あんしんホットラインゲーム」だった。
説明しよう!あんしんホットラインゲームとは、よく学校で親や先生に言えない悩みがある…ならば私たちに電話してください!みたいなプリントが配られたのを覚えているだろうか?あれにいたずらの電話をして、一番おもしろかった奴が優勝!というゲームだ!ひどい!
さて、その中でも覚えているものを紹介する。
①
ホットライン「お電話ありがとう。あんしんホットラインです。この電話で話したことは絶対に誰にも話さないから、なんでも相談してね?」
俺「ほんとに誰にもいいませんか?」
ホ「うん、話さないよ〜」
俺「あの、じゃあ、その…なぞなぞを作ったので解いて欲しくて…」
俺「ですよね!こんな歳でなぞなぞなんて変ですよね、幼稚ですよね!」
ホ「ううん!ううん!そんなことない!お姉さんなぞなぞ大好きだから!」←ホント優しい
俺「ほ、ほんとですか…じゃあ、問題。森の中でクリさんとリスさんが出会いました!さて、これなーに?」
ホ「えーと、うーん、ちょっと難しいな」
俺「そのままです!そのまま答えてもらったら!」
ホ「う、うーん……クリリス。」
ホ「え、えへへ…」
ブチッ
②
ホ「お電話ありがとう。あんしんホットラインです。この電話で話したことは絶対に誰にも話さないから、なんでも相談してね?」
俺「あの、俺、怖いんです…」
ホ「あら、どうしたの…大丈夫?」
俺「はい…僕、ずっと病気で…明日手術で…どうしても怖くて…」
ホ「そうなんだね…怖いよね手術。私は受けたことないけど、私のお母さんも怖いって言ってた。でもすぐ終わるって言ってたよ!」
俺「そうなんですか…?でも、夜も眠れなくて…グスン」
俺「…包茎です。」
ホ「ほ、ほっ…ブハッ…ほ、包茎かぁ」
ホ「ブフッ…」
ブチッ
バレーボール部だった中学時代、私は初心者でヒーヒー言いながら練習していたけど、あとから入ってきた後輩があろうことか全員小学生時代からやっていた経験者で、あっという間に、というかとっくに実力で抜かされていた。屈辱感はなかった。結局私は最上級生になっても玉拾いに勤しんでいたのだった。
玉拾いだからもちろんレギュラーメンバーになることはなく、練習試合でもウォーミングアップ以外は参加させてもらえなかった。ずっと立って見学をしているだけだった。また、審判をやるときも主審と副審は経験不足のため仕事を与えられず、永遠にラインズマンだった。練習試合中にすることといえば、ラインズマンか得点付けか見学くらいのものだった。見学するときは顧問の横に一列に並んで立ったままだが、私はいつも友達とたわいもないおしゃべりをして叱られていた。叱られてもしゃべっていた。たまに「ナイスキー」とか言うくらいで、それ以外にすることがなかった。
練習中の唯一の楽しみが、仲のいい友人や後輩とのおしゃべりだった。ほとんどがくだらないテレビやゲームの話だったが、たった一人不思議な後輩がいた。仮に杉浦としよう。杉浦は私とよく話をしていた。知識が豊富でどこか達観していた奴だった。今思えばただのRADWIMPS好きの厨二病なのだが。杉浦は私を「先輩」と呼ぶ以外には、私にだけ敬語を使わなかった。どこか私を下に見ていたようだった。ちなみにバレーボールに関しては奴も例に漏れず経験者で、私より実力は上であった。そのためか、私に対して啓蒙的な口調で話しかけていた。しかし、その話が私はとても好きだった。
私はとにかく練習が嫌いだった。毎日の部活動が憂鬱だった。たった1時間や2時間がとても厭だった。動きたくもなかった。準備運動をしてサーブ練習だかレシーブ練習だかやって、そのあとは玉拾いする毎日だった。とても退屈だった。今思えば大した運動もしていないが、それでもつらかった。ある時杉浦は私に言った。「君は一つの視点から物事を捉えすぎているんだ。もっと客観的に、多角的に物事を見られるようになれ。」正確には思い出せないが、その言葉を私は忘れることができない。なぜなら、それが私が体感した「啓蒙」の瞬間だったからだ。あの言葉にハッとさせられたのだ。
またある時言われた。「『万物の集約に返り咲きしは王の影』この言葉の意味がわかるかい?」私は練習中にぼーっと考えていた。考えども考えども答えは出なかった。それを見かねて杉浦は答えを私に教えてくれた。しかし私はその答えを覚えていない。その答えを理解することができなかったからだろう。「何かを忘れたとき いつも君がそばにいたけど 今回ばかりはそうじゃない これってまだ忘れてないってことなのかな 今、僕が覚えている全てのことと 僕と君にまつわる全てのこととの差は ゼロにはならないのかな」これもアイツが言ったことだが、これが自作なのか、引用なのかがわからない……
「生きていくことが罪になるなら、死んでいくことが罰になる。死んでいくことが罪になるなら、生きていくことが罰になる。さて、僕の罪名と刑法はどうなることやら。」これも。出典がどこなのかわからない。
まあそういう後輩がいて、今でも私の心に残っているということだ。ちょうど中2という多感な時期の出来事であったから、印象が強いのだろう。今どこで何をしているのかが気になるな。会って話でもしてみたい。
さて、中学時代の部活に話を戻そう。後輩よりも下手で要領の悪い私でも、一度だけ本番の試合に出させてもらったことがあった。それは、私のところに比べてとても弱いチームだったので、私のような2軍補欠を出させても勝てると監督が考えたのだった。
それは中3の夏、要するに最後の夏で、監督は記念のために私をコートに立たせてくれたのだ。試合の途中で交代して、サーブを数本打って、それで終わった。私が中学3年間嫌々バレーボールをやってきたすべてが、それだけだった。それを考えると、私が必死に耐えてきた3年間ってなんだったんだろうな。
数ある運動部の中でもなぜ私がバレーボール部を選んだかって、ただ仲の良かった友達が1人そこに行ったから。私はホイホイついていっただけ。あと、なんとなくラクそうだと思っていた。それだけだ。まあ中学卒業後にその友達はウェイになって地元のヤンキーとつるむようになったのだが。私と正反対で。
安易な気持ちで部活を選んでしまって、とても後悔した。実は、私は小1からずっといじめられていて、そんな私が中学の運動部に行くもんだからいじめの標的になるのは当然だった。いじめを受けて部活をやめようとは思ったことはあったが、踏ん切りがつかずそのままズルズルと最後まで続けてしまった。なんの成果も残せずに部活を引退した私を、両親は「部活は続けることに意義がある」と慰めてくれた。それはうれしかった。自分でもよく耐えたなと思う。私の我慢強さってここにも表れているのかもしれない。ただ、それ以上のものは得られなかった。
例えば、中学高校とバレーボール部でセッターをしていたのだけど、
その時の経験を兄や親に話すと、
と言われたことがある。
そう言われてみると、バレー部の記憶ではっきりとおぼえているものは
「わたしではなく兄がバレー部だったんだ……。」と思うようになってきた。
とはいえ、わたしは楽譜も読めないし、吹奏楽でなにか楽器をやっていたとも思えない。
そんなことが日に日に増えてきた。
昨日も、
「兄が中学1年生の夏休みに、風邪をひいて寝込んだ時、兄に隠れてみんなで食べたケーキ、ほんと美味しかったね。」
と母にいうと、真顔で
「ケーキなんて食べてないよ、しかも隠れてだなんて、嫌だねぇ」
ととぼけられた。
納得出来ないので父に言っても同じような回答をされた。
でも、これは確かにケーキを食べたという自信があるし、味もまだ記憶に残っている。
最近では両親と兄が結託して、私の記憶を上書きしているようにしか思えなくなりました。
<追記>
卒アルを見ればと思って、探したら無くなっていました。
バレーボール部だったけど背が低く。むっちりしていた体型のせいで、
男子からいつもおっぱいを揉まれては、あんあんとあえいでいた。
みんなはそんなだいちゃんが好きでいっそう強く揉むようになった。
そんなある日、だいちゃんが4Fのトイレの窓から飛び降り未遂をした。
みんなは驚いた。
本当に嫌かどうかというのは難しいもんだなと思った中学生のあの頃の話でした。
久しぶりに同窓会で再会しただいちゃんは高専へ行き、造船会社へ就職していた。
なんとなく飛び降り未遂の時の話になった。
「あの時はいぢめが辛いといったけど、本当は気持ちよくなってくる自分が怖くて死のうと思った」
と教えてくれた。
強制退去前に娘を殺した千葉県銚子市の母親について。私はやはり同情できません。
夫の借金を負い、シングルマザーで苦労し、行政からの助けは得られなかった。その点では確かに彼女自身も被害者でしょう。だけどそれを子供という、より弱い相手に向けていいのか?娘を手にかけたのはあくまで彼女自身の決断。殺す以外に他に方法はあった筈だと思うので同情はできない。
かっとなってつい手を出してしまったというのではなく、明らかに故意で首を絞めたようですし。
法的にはもちろん、心情的にも同情できない。
これがもし老老介護の果てに認知症の配偶者を殺してしまったとか、高齢ニートの子供を親が殺したとかなら、法的にはともかく心情的には同情できたでしょう。状況の改善が見込みにくい事例だから。だけど13歳の中学生ならどう考えてもこれから先いくらでも未来はある。親子二人で慎ましい生活をしても何とかなったと思いますし、親がいなくても施設に入って生きていけたかもしれない。未成年の子供を持つ母子家庭ならおそらく手を差し伸べる支援団体は沢山あったと思う。
子供に重度の障碍や病気があったならまだ分からなくもないけれど、情報を聞く限りではバレーボール部に入りアイドルのファン活動もしていたらしい。身体的にも精神的にも健康な子だったとしか思えない。そういう子の未来を勝手に悲観して奪ってしまった母親には同情できない。
娘に対して随分お金を使っていたようだけど、そこをもっと切りつめていれば家賃滞納による強制退去も避けられたのでは?愛情を履き違えているように思えてならない。
少なくとも娘の趣味にお金を使ってあげられるくらいの余裕があった訳で、何の情報も入らないくらいの貧困のさなかにいた訳ではないのではないでしょうか。ネットを使って支援団体をみつけて助けを訴えるなどの手段は本当にとれなかったのか?
母親自身も社会の犠牲者であったとしても、それと子殺しは別の話では。怒りは別の相手に向けるべきであり、子供に罪は有りませんよ。
日本社会全体の特徴として、親による子殺しに甘すぎる点があげられると思っている。世間様に迷惑はかけていないからいいという事なのでしょうか。
静岡・浜松市にある高校のバレーボール部顧問の男性教諭が、平手で男子生徒の顔を何度もたたく映像がネットに投稿され、学校側が体罰を認めた。
動画投稿サイトに投稿された、体罰の一部始終をとらえた映像には、体育館とみられる場所で、1人の男性が、若い男性を続けざまに何度も平手打ちする様子が撮影されていた。
この映像は、15日、静岡・浜松市東区の浜松日体高校男子バレーボール部の41歳の顧問の教諭が、2年生の男子部員に平手打ちをした時のものであることが、学校側への取材でわかった。
浜松日体高校の教頭は「それ(平手打ちをしたこと)は間違いないです。本人(顧問教諭)も言ってます。気合を入れるために行ったと」と話した。
大阪市立桜宮高校の体罰事件が毎日伝えられている。生徒はキャプテンになってから毎日しかられ、体罰を受けて参っていたという。教師は体罰を辞めます、といった数日後の練習試合でまた生徒を殴り、キャプテンを辞めるならBチーム、やめないなら殴ってもええんやな、といったという。
ネットでは頭がおかしい、とか、クズだとかさんざん言われている。
でも、それは違うんじゃないか、という気が私にはする。あんまり整理できてなくてちょっとわかりづらいかもしれないけど、私の体験を書いてみる。参考になるかもしれないので。
*
私は中高6年間バレーボール部にいた。
今でも小さいがそのときも小さかったので中学ではずっと補欠だった。
最後の試合に出してもらったが、ミスをして交代となった。そのとき顧問の先生が何を思ったのか「出すのはおまえでなくてもよかったんだ」とつぶやいた。今でもどういう意味かわからないが、そんなこというなら高校でがっつりレギュラーになってやる、と高校でバレー部に入ることにした。
バレーはそこそこ好きだったが、そんなに上昇志向もなかった。体格も素質もなかったし、全国大会に行きたいとか、ましてやプロになりたいとかは全く思ってなかった。ただ中学の先生にいわれたことが悔しかったので見返したい。すごく単純な動機だった。
高校で入ったバレー部は体育大卒の若い先生が顧問で、熱心に指導していた。都立高校にしてはかなり厳しい練習をしていたし、実際わりといいとこまでいっていた。
都立は今でもそうだと思うけど、運動部の顧問は誰もがいやがった。ただでさえ大変な教職のほかの事務仕事をやらねばならず、その上に時間、体力、気力を使う運動部の顧問なんてみんなヤッテランナカッタのだった。
その先生は指導の最中にアキレス腱を切ったことがあるという。それも2回も。それを押してやってくれてるのだから感謝しないといけないよね、みたいな空気が生徒の中にはあった。
同時にそれはそこまでしてくれてるのだから、言うこと聞かないと悪いよね、期待に応えないと申し訳ないよね、みたいなものでもあった。
練習は厳しかったし、時々平手打ちもされた。
夜の7時、8時までやっていた。家に帰ると疲れて何もできない。食事をしながら寝てしまったこともある。
いやだったしきつかったのだが、「その辺のお遊びの運動部と私らはひと味ちがうのよフフフ」みたいな訳の分からないプライドみたいなものが部の中にはあって、苦しいのを耐えれば耐えるほど偉いのだ、みたいなところはあった。(でないとヤッテラレナイところはあった)
私には変な癖があったらしくて(自分ではわからない)、それを矯正するためにやらされたのだがなかなかうまくできなかった。
「手を下から出すように」
自分ではその通りやってるつもりだったが何回やっても違うといわれる。先輩後輩あわせチーム中が注目してるし、自分が練習を中断しているというプレッシャーもあった。違う違うといわれ続け、もうなんにもわからなくなってアンダーサーブをした。
「俺はおまえに手を下から出せとはいったがアンダーサーブをしろなんて言ってないぞ」
じゃあどうしろっつうんだよ、と思ったがさすがにそれは言えなかった。
厳しい練習はぜんぜん私の精神を鍛えることにはならなかった。先生に本音で質問することさえ出来なかったのだった。かといって自分で考えろ、というのは、その状態ではなおさら無理だった。それ以来、前から苦手だったサーブはまったく嫌いになった。
こう書くとがちがちの管理教育だったように見えるかもしれない。がしかし、先生としては自主性を持った選手になってほしかったようだった。
生徒がやる気がない態度を見せると、先生はたびたびボールを投げ出して帰っていくという振りをした。
「俺がやりたくてやってるわけじゃない。おまえたちがやりたいって言うからやってるんだ。おまえたちがやる気がないならやめる」というポーズだった。
それを追っていって、
「お願いします!」
と生徒全員で頭を下げるのがいつもの習慣だった。
「楽しくやりたいだけならそれでいいんだ。それならそういう風にやるから。でも本気でやりたいならそういう風にする」ともよく言われた。
生徒が望むなら、やりたいという気持ちがあるなら一緒にやりたい。そういう選手になってほしい、という気持ちの先生だった。
追っていったのは「先生がいなくなると困る」という気持ちだったし、見捨てられるのが怖い、とも思っていた。先生に見捨てられればその時点でダメダメなやる気のない私たち、という烙印を押されてしまうからだ。
そういう状態になりたくないという気持ちだけで「お願いします!」と毎日言いに言った。こうなるともはや意味のないお約束、儀式のようである。
そもそも、本当に自主性のある生徒であれば、先生が帰ってしまっても自分たちで練習すりゃよかったのである。でも自分たちで、これをやりたい!というものが私たちにはあんまりなかった。ただ日々の練習を修行のようにこなしていく。先のことは考えられなかった。ただ今の苦しさを耐え抜くことだけだった。ぶっちゃけ、自主性もへったくれもなかった。受け身で、受け身で、過ごしてきた。まじめでミスをしなければ、ボールが飛んでくることも、たたかれることもなかったから。
*
今回のことがあって、「私、バレーって好きだったかなあ」と思い返した。確かに好きではあった。レシーブがきれいにあがるとうれしい。難しいボールを拾えるとうれしい。トスをきれいに上げられればうれしい。アタックを気持ちよく打てるとうれしい。
で、ここまで考えてはたと気づいた。
全部個人技だったのだ。
バレーという団体競技をやってながら、私はチームプレイを楽しいと思った記憶がない。
団体競技をずっとやってきたのだから自分では協調性がある、他人と一緒にプレイするのが好きなのだと思いこんでいたがいやいや完全なヲタクじゃないか。自分で呆れて笑った。
でも。
コンビネーションプレイをうまくこなしたり相手と競う楽しさ、ゲームを運ぶ楽しさ、みたいなものは、たぶんバレーという競技にはあるのだと思う。
私にはそう感じる余裕はなかった。
日々の練習をこなすだけで精一杯だった。
日々の練習が修行のようになり、それをクリアすること自体が目的となってしまっていて、ほかのことは考えられなかった。もっとこういうことをしたいとか、こうなると楽しいとか、そんなことは全く頭になかった。
私に関して言えば、試合に勝つことさえどうでもよかった。試合は義務であり「ミスをしない」ことが第一目的であって、結果はあとでついてくるという感覚があった。
もったいなかったな、と自分でも思う。
*
が。もし私の先生であれば、たぶんこういう意味の発言だったかと思う。
「キャプテンを辞めるということは第一線で活動するのは無理です、ということなので、楽しくやりたいだけならBチームでやればいい。でももし、第一線で活動する意志があるなら厳しい指導もするし、体罰もある。自主性をもって立ち向かってほしい。覚悟がほしい」
先生はよく「意地を見せろ」と言っていた。
苦しくてもやりたいことならやりぬけ、ということだったのだと思う。
でも。
人間って、そんなに強くないのだ。
いくら好きであっても苦しい練習を続けさせられればそれ自体が目的となって、自分のスキルを伸ばすとか、何かに挑戦するとか言う余裕はなくなってくる。「好き」と言う気持ちはしぼむ。ただ「早く終わってくれればいい」になる。
まじめにやっていれば、受け身でもそれなりのスキルや体力は身に付くから、やる気がなくても勝ててしまう。
そういうのもありかもしれない。
でも、そういうのって、長く続かないのだ。
負荷が強くなっていけば、「義務」だけではきつくなる。「やらされてる」感が強くなり、「何で自分だけ」という気持ちが大きくなっていく。
ぱあんと破裂する。
悪いことに、「我慢」にたけた人間は限界点を越えても我慢するので、傷はより深くなる。
「我慢」はいらない。「やりたい」が一番。それがないと頑張れない。力が出ない。
試合で役に立ったことは皆無だった。もちろん「訓練」として体に染み着いてるので体は無意識のうちに動く。だから勝てる。でもそれがうれしいとはあんまり思えなかった。苦しいときにそれを思い出して頑張れる、ということもなかった。
うまくなってうれしい、自分の力を出し切った、というよりは、3年間耐え抜いた、という方が実感として正しい。
*
最後の試合、私は初めて結果を出した。苦手だったサーブでなぜか連続ポイントを上げたのだった。ストレートと、対角線上に打てばポイントをとりやすいというセオリーを単純に実行したら相手がミスってくれた。不思議なことに、そこに私の中学の先生が来賓として招かれていた。その場で結果を出せた。
それで気がすんでしまった。
まだ引退までには期間があったが、3年でもあったし、さっさと部をやめてしまった。
今思うと、「先生を見返したい」という意地だけでやっていたのだと思う。だからそれが達せられたらもういいのだった。
それはそれで初志貫徹といえるかもしれないけど、我ながら矮小な目的のために時間とエネルギーを使ってしまったなあ、と今は思う。
一応一つのことをやりきったのだし、「辞め癖」がつかなくてよかったんじゃないの、という人もいるかもしれない。でも、ポジティブな意味での達成感はなかった。やっと終われる!という解放感だけだった。
私は3年間を無駄にした。今思い返して、素直にそう思う。
*
今回の事件、生徒は義務とか責任感とか期待とかでぐるぐるになって「好き」という気持ち、自分がこうなりたい、という気持ちはもうぜんぜんなくなっていたのではないかと思う。
そういう状態になると人間は惨めだ。そういう身に暴力は堪える。
悪意とか、支配欲とか、そういうことは教師にはなかったとは思う。葬儀の席で親御さんに指摘されてすぐさま謝ったことを見ても悪人ではない。普通の人だ。
ほかの生徒も先生をかばっている。道を教えるのでも、ちゃんとついていってあげないとだめだぞ、と、普段の振る舞いを教えてくれた、と感謝する子供もいる。礼儀を教えてくれた、という子供もいる。かといって、べったり先生の側に立って、生徒の死を悼んでいないわけではない。校門に「キャプテンに捧ぐ」と幼い字で書かれたメモを添えた花束があった。
進路とか戦績とか、お互い保身はあったかもしれないが、生徒への愛情はあったと思う。でなければほとんど毎日、家庭まで巻き込んできつい指導はできない。
が。だからこそ逆らえない。情で縛られるところはある、と思う。
*
好きだった勉強を一生懸命できた。それについての専門書を読む時間もできた。その延長で大学に行って好きな研究もできた。早くやめてりゃよかったと今でも思う。
部活の影響は、今でも残っている。
負荷を耐えることは得意だ。が、ぎりぎりまで我慢するから限界を超えるとその負荷の影響を二倍三倍にも受けてしまう。
好きなことをしていてもなぜか途中からつらくなる。義務になる。理由はよくわからないが、たぶん何か「厳しくなくてはホンモノではない」という意識があって、「楽しむ」ということをどこかで軽蔑していたり、その結果思い切り楽しむことができなくなったりするんじゃないかと思う。あるいは自分のやることに自信が持ちきれなくて、先生のような絶対者の評価がほしくなったり、反対に他人の評価で自信を失ったり。
先生については、慕っていたかと言われれば、うーん、お世話になったので大変大変申し訳ないのだけど、ちょっと苦手だったような気がする。
先生はいつも「スポーツマンらしく」、礼儀正しくしろと言っていた。
「力」や「技術」に偏りがちなスポーツで、礼儀とか人のことを考えるとかは、重要なことだ。人としてたいせつなことを教えていただいたと思う。
が、それはなんというか、自主的にやる、と言うより、訓練のようなものだった。やらなければ怒られるし、手が飛んでくるような気がしていた。
私は先生の前でかなり礼儀正しく振舞っていたが、それはかなりの部分「演技」だったような気がする。「それが(先生に言われた)正しい振舞だから」やっていたのであって、「やりたいから」やっていたわけではない、と思う。
そういう「型」ではめられた振舞を厳しく求められたので、本音で接することはできなかった。本音で話せないので、自分の克服すべき問題を一緒に考えてもらうとかは考えられなかった。
いま先生について思うことは、「なんかうまくいかなかったね」「お互い失敗しちゃったね」という感じだ。
自分の意志で動く選手になってもらいたい、という先生の意図は分かっていたけど、少なくとも私に関してはもう疲れちゃっていた。自分の能力を伸ばすという気力はとうにつきていた。ただ自分の目的があったし、期待を裏切るのも悪いので3年間続けてしまった。
一回休んでいれば気力が回復することはあったのかな、と思うが、狭い学校生活の中で、一回レールをはずれるというのはなかなかできないことでもあった。
こういうの、「罪悪感を持たせて逆らえないようにする」「カルトだ」という人もいるかもしれないけど、それは日々の人間関係のすごく曖昧な線上にある。その渦中にいるとなかなかわからない。善意と、思いやりと、慕わしさと、依存心と、打算と、不満と、夢と、絶望と、責任感と、プレッシャーと、見栄と、もういろんなものがある。
単純じゃないし、それを理解せずに顧問をアクマ扱いしても問題は現場の教師にずっと残されると思う。
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部活やその中での体罰を体験した人のことばがあんまりなかったので書いてみた。体罰がなされて、愛情ある指導がされて、生徒たちも先生を受容している環境で、それでもどうして体罰よくないかっていうのを、説明してみたかった。増田に書いたのは、何となく増田っぽかったので。
ひとつ。今顧問の先生をたたく人はすごく多いけど、今たたいても無駄だと思う。
葬儀の席で土下座したとあったけど、彼の頭の中はどうしよう、どうしよう、すみません、すみません、で、意味なく(そう、意味なく)ぐるぐるしてて、冷静に反省するどころじゃないと思うから。
責め殺したいならそれでもいいけど、たぶんそれじゃ自分のしたことが過不足なく理解されることはないと思う。そんな中じゃ何が問題かわからない。
該当する項目が多いほどゲイの可能性が高いよ☆(オレ調べ)
これらはすべて架空の物語なのですが、表現的に問題があるものってありますか?
あと、性器を書かない形で非18禁で出しても問題ないでしょうか?