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はてなキーワード: バレーボール部とは

2024-01-15

ブルマー増田まとめ、その5。それから少しだけ返信。

返信

質問文は原意をくんで変更してある。

記事面白かったので令和6年能登半島地震さらに1万円募金した。

そうおっしゃっていただけると大変ありがたい。

これだけでブルマー増田として記事を書いてきた甲斐があったというものだ。

コミケ評論系の同人誌として出せば手堅いのでは?

実はコミックマーケットには行ったことが無い。

前述のエロマンガソムリエの友人も実は評論島に足を運ぶらしく、全国のエスカレーター機器分析だとか、その土地ならではの文物を記録した優れた同人存在を教えてくれた。また、先行研究としてはこちらがある。

ブルマーの歴史・改訂版 [オペレーション・ボックス(しづみつるぎ)] オリジナル - 同人誌のとらのあな全年齢向け通販

ウィキペディアに載っていないような、英語圏共産圏ショーツ型のブルマー分布について論じているのも、自分だけだという自負はある。

ただ、自分コミケで出店することはあまり考えていない。

単純にブルマー増田の素顔・正体を見られたくないというのもあるのだが、そもそも売り物にするだけの水準に達していないと考えている。確かに書き溜めてきた量はそれなりになるが、例えば事実確認がいい加減だ。

また、出版するならば引用元サイト画像転載許可を願わねばならないが、これも膨大な量になる。

それを考えると、無料で公開している現状がいいのではないか

もっとも、はてなという企業に万一のことがあれば、この研究というか随筆を誰も読めなくなってしまうのは損失かもしれないという、迷いはゼロではない

韓国ブルマーについて扱った記事で)アフリカ文化を紹介すると称して、トップレスで釣っているyoutubeチャンネル批判しているが、タイトルに「おっぱい」を引用し、そのくせ対して議論を深めていない貴君も同罪ではないか

雑談のつもりだったのでそういう意図はなかったが、言われてみればその通りだ。

やりかたが不適切だったかもしれない。異国の文化なのでもっと敬意を持って扱うべきだった。謝罪したい。

トップレスについてはいずれ真面目に考えてみたいと考えている。

自分海外で何度かヌーディストビーチ混浴サウナ経験があり、性的でない裸体を実践してきた。その点でも大変興味がある。隠せば隠すほど性的視線を向けたくなる一方、全裸でも堂々としていれば爽やかだというのが実体である

ところで、次項にまとめた表や、過去ブルマー増田まとめを見ていただくと、実はブルマーだけについて議論した記事よりも、ブルマー以外のものについて語っている記事のほうがブクマは伸びている。

露出度が増えれば増えるほど伸びているのだ。

特に100以上のブクマを稼いだのは、デビュー作のインパクトがあったイギリスのブルマーを除けば、手塚ブッダのおっぱい陸上ブルマー(ビキニタイプ)それからビーチバレーのビキニ記事である

まとめ

投稿記事ブクマ
2023/5/23ソ連のノーパンブルマー少女3
2023/6/29体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより14
2023/7/10エアロビのレオタードとタイツ、60年代から90年代まで12
2023/8/28anond:20230828074847(無題)1
2023/12/28スイスのブルマーと各国のブルマーの呼称、VtuberとパンチラMV18
2024/1/4韓国のブルマーについての短信、あとアフリカのトップレス92
2024/1/8ブルガリアのブルマー、台湾とルーマニア、手塚漫画と少女漫画39
2024/1/11チェコのサマーキャンプ、ドイツのブルマ再び、バルト三国のブルマ男の子ブルマーについて書いた)2


一旦ここでまとめておこうと思ったのは、たとえば旧ユーゴスラビアブルマーを調べても、画像があまりヒットしなかったので段々面倒くさくなり、ここで区切ろうかという気持ちになったからだ。

はじめのうちは、旧ユーゴスラビアブルマーについてまとめて書こうと思っていたのだが、独立した七か国について並行して調べているうちに目移りしてしまい、調査が体系的に進まなかった。

また、前回はバルト三国をまとめて記載してしまったが、本来は各国の体操着の変遷については一か国ごとにまとめて記事を書くべきだろう。以前はポーランドチェコドイツブルマーについては記事独立して記載している。歴史はそれだけの深みがあるはずだ。

しかも、考えてみれば、旧ユーゴスラビアコーカサス地方の国々については、そもそも地理歴史ほとんど知らない。バルト三国東欧諸国二十世紀歴史を扱った書物で多少聞きかじっているし、その国ごとのイメージや著名な出身者を思い浮かべることをできるが、前述の国々についてはそうではない。旧ユーゴスラビアと聞いて最初に出てくるのがチトーミロシェビッチだ。あとはドブロブニクくらい。

その国のブルマー事情について調べる前に、まずは当該地域の基礎知識を身に着けるべきではないか。それが礼儀ではないのか。

あと、コーカサス地方では文字ラテンアルファベットキリル文字でもない。自動翻訳に書けるので困らないのだが、キリル文字ギリシア文字を知っていると読みが推測できる一方、アルメニアジョージア文字は全く推測できないので心理的な壁を感じる。

調べていない国もまだたくさんあると気づいた。

ベネルクス三国デンマークもまだだ。オーストリアについてもドイツの陰に隠れてしまっている。

しかし、膨大になるのでいったんここで一休みだ。

これくらいの数で区切ったもう一つの理由が、記事なら見返すときに便利だからだ。

あと、最初のうちはanond:でリンクを貼れば、http:のようにリンク制限に引っかからないと気づかず、8~9個でまとめていたのだけど、その名残り。

検索に使ったキーワード

途中経過のもの

スロバキアスパルタキアダ

https://www.youtube.com/watch?v=31MQBXy2g3w&ab_channel=MilanDubek

旧ソ連ブルマー動画ベラルーシブルマーを探していたら見つかった動画

https://www.youtube.com/watch?v=q7ktb56-Y-4&ab_channel=AMASLOU

クロアチアブルマー(ただしバレーボールなので学校体育とは違う)

https://www.redbull.com/hr-hr/stvari-koje-moras-znati-o-odbojci

今後の展望について

はっきり言ってわからないことだらけだ。

そもそも各国のブルマーがどんな素材でできているのかはあまりわかってない。

また、色合いについてもあいまいだ。意外と白黒写真が多いため、例えばドイツブルマーが黒だったことは文章からわかった。画像が荒く、提灯ブルマーショーツブルマーかはっきりしないことも多々ある。

国によっていつからいつまでブルマーだったのかも、正確な数字はわからない。

日本国内でさえ地域差があったのだからはっきりしないのは当たり前かもしれないが、日本ほど体操服の変遷を記録しているのは英語圏くらいしかない。

ブルマフェチいるかどうかという問題だけでなく、その国の歴史をどれくらいアーカイブ化しているか、また、その国のネット利用者数や総人口という問題ともかかわっていそうだ。実際、人口が数百万規模の国だと検索してもヒット率が格段に落ちる。数千万規模の国とは格段の違いがある印象だ。

あとは、以前にちらりと新聞広告SNSなどで調べたいとも書いたのだけれど、それ以外にアーカイブ資料を使いたいと感じている。

実際、韓国のブルマー写真は「Korea Democracy Foundation」というNPO画像だし、ポーランドの場合ポーランドポズナンデジタルアーカイブだ。

しかしたら各国のデジタルアーカイブが、ブルマーについて調べる良い資料となるかもしれない。

あとはdeviantartフェチの人のつぶやき

各国のブルマー事情を考えると、アメリカだとバスケットボールときブルマーだったという証言があるし、バレーボール部もブルマーだったようだ。つまり、同じ体育の授業でも内容によって服装が違っていた可能性がある。

実際、国内でも創作ダンスの授業でレオタードだったという例もあるようだ。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14254151119

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12227793622

まり、例えばバレーボールではブルマーが広く使われていたが、それが体育の授業一般ではどうだったかははっきりしない。バレー部がブルマーでも授業は短パンってこともあるだろう。

個人的には、バレーボールだけの画像積極的に探さなかった理由がそれだ。自分が知りたかったのは、ブルマーが体育の授業の制服として使用されていたかどうかだった。バレーボールで検索すると、プロ選手画像がヒットし、学校教育での実態がわからなくなる。

最初調査理由がそれだった。ときどき、何のために調べていたのかがぶれてしまうので、そのあたりは気を付けたい。

一旦ブルマーを休んで、へそ出しやトップレスヌーディズムについて調べてもいいだろう。

というか、いい加減にネットだけの調査だけでなく、書籍で調べるべきなのだろうが、積んである本が多すぎる。

それにしても、ブルマーに対する執着の根っこにあるのが、小学生時代に憧れていたお姉さんの、パンツのようなハイカットブルマーだとしたら、初恋? をこじらせ過ぎである

過去ブルマー増田まとめ

バズる増田の書き方と、ブルマー増田のまとめ

ブルマー増田のまとめその2、noteでやらない理由

ブルマー増田まとめ、その3

ブルマー増田まとめ、その4

スペシャルサンクス

anond:20240108080849

今気づいた。

ブルガリア語のキーワードについてかなり突っ込んで考察してくださっている。

やはり熱意のある方の増田は読んでいて嬉しくなる。

それに、過去投稿にも言及していただいている。

時間を見つけて精読させていただく。

深く感謝申し上げます

トップレスの民族はフツーに現存するやんけ anond:20201102080505

こちらも。感謝感謝

以上。

2023-09-07

本当に俺はただの凡人なのか

初めてここに文章を残してみる。

こういう場所文章を書くのは初めてのことだから

改行がどうだとか、段落の後は1マス空けるとか、そういう文章上のルールは一旦無視する。

ダイアリーとあるからには自分語りも許されるだろう。

俺はもう30になる。

23歳で結婚して、26歳で1人目、

28歳で2人目の子に恵まれた。

27歳のとき田舎ではあるものの、

人並みの一軒家を購入した。

理想的人生だと思う。

クセのない、みんなが頭の中で思い描くような。

仕事についてもなんだかんだで

IT系会社で勤務していて、

それなりに出世できそうなポジションにいる。

要は「無難」と言える様な人生を歩んでいる。

しかし、俺は満たされているのかと問われれば

素直にYESと言えなかった。

これは安いプライドなのだと思う。


少し生い立ちを振り返る。

自分で言うのも憚られるが、

俺はきっと優秀な子だったはずだ。

小学生の頃に関してはあまり記憶が明確じゃない。

さな体でサッカーをして、

友達ケイドロをして、

ロックマンエグゼポケモンをしていた気がする。

中学生になったとき、俺は地元公立中に

進学して部活を始めた。

小学生のころからやっていたサッカーではなく、

バレーボール部に入部した。

バレー部に入ったのは、

サッカーJリーグジュニアユースチームで

やることになったからだ。

当時、俺の中学強制的

部活に入らなくてはいけない決まりで、

サッカークラブチームに入っている子は

サッカー部には入らない子が多かった。

理由は単純で、大会において

籍がクラブチームにある子は

中学のチームで試合に出れないからだ。

結論から言うと、俺はジュニアユース

全国ベスト8まで行ったし

u15日本代表合宿にも呼ばれた。

それと同時に、片手間のバレー部では

ジュニアオリンピックの県選抜に選ばれた。

俺は自分のことを天才だと思った。

それは当然驕りであり、

もっと自分を戒めるべきだとったはずだ。

でも、そんなことが15歳の中学3年生に

出来るわけがなかった。

ユースチームからの昇格内定も出ていたし、

バレーボールでも県内、県外の強豪から

スカウトが来ていた。

俺は将来、サッカープロになるだろうなと

当時は漠然と思っていた。

そうはならなかった。

怪我でも何でもなく、

俺は自分より年下の子にあっさりと負けた。

チームとしてではなく、個人として。

挫折を知らない自称天才は、

このとき簡単に折れてしまった。

俺はサッカーを辞めて、バレーも辞めた。

地元偏差値60程度の高校に進学して、

アニメオタクとして3年間を過ごした。

大学も同じようなものだ。


器用貧乏だった。

器用貧乏というには、少し器用すぎた。

俺のサッカー万年1回戦負けの学校でも

レギュラーになれないレベルだったら?

俺のバレーボールサーブカット

まともにできないレベルだったら?

俺の偏差値が40で地元工業高校に進学していたら?

もっと早くに諦めがついて、新しい道を探せていたんじゃないのか。

先にも述べた通り、俺は今それなりの生活を送っている。

それでも、後悔や過去への想いが絶えない。

俺は特別な誰かになれたはずじゃないか?と。

ここまで読んでくれた人たちが言いたいことはわかる。

俺もうっすらと、しか確信めいている。

きっと俺は何者にもなれない凡人だ。

何回繰り返してもそれは同じなんだ。

俺と同じような思いをしてる人もいるだろう。

これから俺と同じような思いをする人もいるだろう。

俺が自分人生を通して、言いたいことがある。

それは、「お前たちは凡人だ。早めに見切りをつけて、優れた凡人になれ。」ということじゃない。


お前たちが仮に凡人だったとしても、

お前たちが凡人である証明を時の成り行きに任せるな。

やれるところまで突き詰めて、

本気で何者かを目指してくれ。

そうじゃないと過去に思いを馳せるだけの凡人になる。

何者にもなれない。

ということだ。


俺は幸せな凡人を目指していく。

2023-07-09

anond:20230709095921

そう言ってるんだよ

少なくとも吹奏楽部やチームプレーで行うスポーツでは絶対迷惑をかけて足を引っ張るから

吹奏楽サッカー部バスケ部バレーボール部などに陽キャが多くてガチ陰キャ割合が少ないのは多くの陰キャが苦手なコミュニケーションやチームワークを特に必要とする部活からだよ

数少ない陰キャ部員も、最低限それらが問題なく円滑に行えるコミュニケーションスキルや集団行動を乱さな対応は心得ているはず

それすらできない奴は元増田の妹みたいにいるだけで皆の士気を下げる癌のような存在になるだけだから入っちゃいけないんだよ

2022-09-17

出禁対象者は見た目で判断するんだろうか

大学女子バレー黒人差別 白人男性ファン出入り禁止

https://www.tokyo-np.co.jp/article/198925

ニューヨーク共同】米デューク大(ノースカロライナ州女子バレーボール部の黒人選手は29日までに、ユタ州でのブリガムヤング大(BYU)との試合で、同大ファン白人男性から黒人差別言葉脅迫を受けたと明らかにした。対応を怠ったと批判されたBYUは謝罪し、白人男性を出入り禁止にした。

差別再発防止策として、白人男性出禁にするのは分かる。

しかし、アメリカでは一滴でも有色人種の血が混じった人は白人扱いされないと聞いた。

見た目が白ければルーツを聞くこともなく一発出禁で良いのだろうか?

ジェンダーもこれほど多様化する中で、見た目が男性のようでも心の性別女性であったり、自分男性であることに確信が持てなかったりする人もいる。

逆に見た目が女性であっても心が男性場合もある。

一律に男性らしい見た目という基準出禁にするのか?

入場時に人種性別の自認を一人ずつ申告させて、自認が白人かつ男性だった人のみ入場を断るというやり方では駄目か?

2022-06-25

処理が遅いなあ。税金会計処理は年度単位が基本なのに、命に関わることを数年放置かよ

不来方バレー部自殺問題 当時の顧問懲戒免職岩手

https://news.yahoo.co.jp/articles/ef997a7742aac12bf144ae245c9bcc99c531bea7

2018年岩手県立不来方高校のバレーボール部所属する男子生徒が自殺した問題で、県教育委員会24日、複数部員不適切言動をしたとして、当時の顧問で45歳の男性懲戒免職処分しました。

県教委によりますと、男性顧問を務めていた2015年から2018年度にかけて複数部員に対し「使えない」、「バカ、アホ」などの発言をしたということです。

4~6年前の暴言を今更処分とか遅いだろ。

その間も元顧問によって自殺までは行かずとも追いつめられた生徒が出るかもしれないのに。

また、仮に元教師や元生徒の両親が処分を不服として裁判を起こそうとした場合証言証拠なんてもう残ってないだろうから泥沼必至である

卒業生かに「当時の〇〇先生指導はどうでした?」と聞いたところで、嫌な記憶として曖昧証言しか出てこないだろう。

それで思うのだが、税金やら会計処理は年度ごとにきちんと方を付けるのに、こういった事件処分を何で数年「調査中」でスルー出来るのか、その正当な理屈が分からない。

そりゃ、調査のために1回くらい年度をまたぐくらいは仕方ないと思うよ。例えば3月29日に起きた事件責任問題を残り数日のうちに片付けろってそれは無理だろうから

でも一年以上期間があって処分できないのはおかしいだろうが。

それとも逆に実は会計とかも年度をまたいでいいの?

税務署さん、ごめーん。忙しくって帳簿まとめられないわー来年度まとめて納税するから今年は待って💛」とか

素人から分からんけど多分、税務署ブチ切れ案件では?何かしらの追徴課税なり行政処分あるでしょ?

からこそみんな必死になって、確定申告やら会計処理やら行うわけでしょ?

だったら、容疑者逃走中だとかそういう話でもないこういう事件も年度で区切って処理するべき。

現状、命より金の方が優先度が高くなってる。これはおかしい。

2022-06-05

1980年小学校スポーツ少年団宗教カルト勧誘場であった?w

たつの市南部にあるど田舎の市立小学校

1980~1982年頃の話だけど、ここのスポーツ少年団宗教カルト組織勧誘の場として暗躍していた。

まず、剣道部コーチ中島みゆきでおなじみ天理教信者がいて、「こどもおぢばがえり」のパンフレットが部室に散乱してたし、

卓球部コーチ天理教から分裂したカルト組織宗教法人で無い実質宗教組織公益財団法人モラロジー研究所構成員食料品店店主)で、

休日に「勉強会」と称して卓球部員やその両親達達に対して組織勧誘やモラ研繋がりの自民党議員による実質的選挙活動が行われていた。

  

当然、剣道部(員)と卓球部(員)の仲は悪かったw

  

ついでにバレーボール部コーチには、戦前治安維持法弾圧を受けた「ひとのみち教団からまれ倫理研究所(後に実践倫理宏正会に引継ぎw、もう一つは高校野球一世を風靡したパーフェクトリバティー教団メンバーがいたという噂もあって、その人は追放されたみたい。

ちなみに、卓球部の「勉強会」は流石に校内でも問題になって、部は崩壊寸前になったようだけど、この騒ぎ以降どうなったかは知らん。

ホント小学生ながら「大人欲望」に振り回されて腐敗した所には関わりたくないと思ったね。

このことがトラウマになったのか、中学高校部活には絶対関わりたくないと誓った。中学部活参加を強制されたけど、見事な幽霊部員を決めていたw

  

単純な話、当時自分が興味を持っていたことは、乱数放送を聴いて北朝鮮工作員の動向を知りたい、といったことなどの社会問題一般だったので、スポーツ文化わずどの部も行きたくなんか無かった。

また宗教勧誘をされるのでは無いか不安になったしね。

  

あと倫理軍団とインモラロジーは今や立派な日本会議グループというのが笑える。

2022-03-13

ゲイかどうか見破る方法

該当する項目が多いほどゲイ可能性が高いよ☆(オレ調べ)

  1. 学生時代陸上部水泳部バレーボール部テニス部帰宅部のいずれか所属していた。
  2. 三大都市圏に住んでいる(大都市圏に住みたがる)。
  3. 海外旅行が好きらしく、海外になんらかの憧れを抱いているようだ。
  4. 身なりには気をつかっており、人並み以上にオシャレである下着もオシャレである
  5. 指先(爪)がいつ見ても綺麗な状態を保っている。
  6. ジャージスウェットサンダル姿で気軽に外を出歩かない。
  7. 冗談でも決して「死ね」とは口にしない。
  8. 「メシ」とは言わずに「ご飯」と言う。同様に、「ウンコ」「ションベン」とは言わずに「トイレ」と言う。
  9. 携帯電話他人に触らせない。
  10. 自宅に友人を誘わない。
  11. パチンコスロット競馬麻雀などのギャンブルに興味がないようだ。
  12. 風俗には行きたがらず、下ネタには参加しない。好きなAV女優をすぐに答えられない。
  13. 邦楽にはあまり興味がないようだ。
  14. タバコは吸わない。
  15. ご飯の食べ方がとても丁寧だ。
  16. 大きなペットボトルでラッパ飲みをしない。
  17. 酒の席では酔いつぶれない程度にとどめている。
  18. 友人に対して肩を組むなどの気軽なボディタッチを全くしたがらない。
  19. ブサイクな女に対してもやさしく接する。
  20. 地元行事祭りなどの地域コミュニティに関心がないようだ。

2021-11-28

タブレット端末からSurfaceに移行し、授業の質の更なる向上へ。 LTE対応


提供

日本マイクロソフト株式会社

2021年11月15日 09:00

 埼玉県内で有数の進学校である女子中高一貫校淑徳与野中学高等学校。同校では18年度から電子黒板を導入するとともに、一部クラスで一人一台端末の授業での活用に乗り出すなど、ICT教育積極的に推進してきました。そして2020年新型コロナウイルス感染症拡大により登校自粛が迫られたことを踏まえ、同校はICT教育のあり方を再検討学内利用だけでなく、質の高いオンライン授業も実施可能とするために、2021年からSurface Go 2のLTE Advancedモデルを導入、Microsoft 365と組み合わせてクラス別の教材管理と授業の仕組みを整備し、運用を開始していますICT教育進化させて授業の幅を広げ、生徒一人ひとりに最適化された学びを実現するための取り組みが続けられています

学びの"質"を変えるためICT活用した学習先進的に着手

 1892年、淑徳(深い知性と情緒に富んだ人間性)を備えた自立した女性養成を目指して設立された淑徳女学校は、仏教精神背骨として幼稚園から大学までを擁する総合学園に発展してきました。その中にあって、1946年に開校された与野分校を前身とする中高一貫教育女子校が、埼玉県さいたま市淑徳与野中学高等学校です。海外姉妹校などへの短期語学研修などを通じて、国際舞台活躍できる人材の育成に力を入れる同校は、インターハイ常連剣道部や、バレーボール部バトン部、吹奏楽部など、文武両道学校としても知られています

 そんな同校は、「コンピュータ情報通信ネットワークなどの情報手段活用するために必要環境を整え、これらを適切に活用した学習活動の充実を図る」との国の方針が示される中、その対応をいち早く推進してきました。2018年度には動画などを利用した分かりやすい授業のための電子黒板を導入するともに、一部クラス試験的に一人一台のタブレット端末を導入。そして2021年入学中学1年生・高校1年生からは、全生徒を対象にした2-in-1デバイスSurface Go 2(LTE Advancedモデル)とMicrosoft 365の活用を前提とする授業にも乗り出しています

 学校教育は今、大きな転換期を迎えています。新学習指導領により、生徒の思考力や判断力養成がより強く求められることとなり、教育現場では従来の講義中心の学びから主体的学習へ生徒をどういざなうかが課題となっていますICT活用は、そこで鍵を握る策の1つに位置付けられます淑徳与野中学学年主任 英語教諭の山﨑貴志氏は、「ICTを使えば、講義型の"覚える"学習から"考える"学習につなげられます。また、視覚聴覚に訴えるデジタル教材は、生徒の自発的学習を促す効果も期待できます」とICT教育可能性を生徒・保護者説明しています

オンラインでも対面授業と変わらぬ学習効果を維持するために

 もっとも、淑徳与野中学高等学校Microsoft 365を導入したのは、今から3年ほど前にさかのぼます

 淑徳与野中学高等学校進路指導部長を務める小嶋恵子氏は、「学内では各種分科会などで大量の校務文書作成され、それは授業用の各種資料保護者向け文書でも同様で、だれもが消化不良を起こしていました。そこで情報を精選し、管理効率化し、さらにペーパーレス化によってコストを削減するためにもMicrosoft 365による文書管理・教材管理に乗り出しました」(小嶋氏)

 そこでの文書管理の扱いやすさの体験が、タブレット端末を組み合わせた生徒向け教材提供アイデアにつながります。以来、同校ではデジタル教材の拡充を推進。ただし、そうした中で直面したのが、2020年に入って拡大した新型コロナウイルス感染症です。

 「緊急事態宣言を受けての登校制限により、当校は多様な対応に迫られました。生徒が在宅で学習を進めるための授業動画配信や教材準備はもちろん、自宅での規則正しい生活のために、Teamsを活用したホームルームの仕組みも整備しました。特に後者は、生徒が友人と会えない不安を防ぐとともに、学習状況に対する保護者不安を解消するためにも重要活動位置付けられました」(小嶋氏)

 その後、登校は再開されましたが、新型コロナ収束の見込みが明確には立たない状況にありました。この状況を鑑み、2020 年秋に固まった方針が、再度の登校制限に見舞われた場合でも、子どもたちの学びを止めないために生徒全員に一人一台Surfaceを持たせ、同時にTeamsなどを活用したオンライン授業の仕組みを整備するというものでした。具体的にはTeamsの「チャネル機能」を用いて、クラス別の動画配信文書管理の仕組みを作るとともに、2021年入学から全員にSurfaceを所有してもらう決断を下したのだと言います

 「Teamsがあればクラスごとにいくつもの教材を管理でき、同時にSurfaceカメラを通して生徒の顔を見ながら配信授業も行えます。対面授業の場合でもデジタル教材による、従来より深い理解可能にする授業が行えますさらに、Teamsによる課題配信活用すると、生徒一人ひとりの習熟度に応じた自立学習も促進できます」(小嶋氏)

"ネットワーク障害"と"相性問題"への備えとしてSurface Go 2 LTEモデル選択

 淑徳与野中学高等学校が生徒用端末に採用したのが、Surface Go 2の「LTE Advanced」モデルです。タブレットとしても利用できる汎用性の高さと、持ち運びで負担にならない800gを切る軽さ、そして高い処理能力が特徴です。今回、Surface Go 2のLTE Advancedモデルを選定した狙いは、授業での確実な活用だと言います

 同校ではICT活用に着手して以来、校内ネットワークの整備を推し進め、 2021年度の開始時には無線LANカバーエリア全教室にまで拡大していました。とはいえ、全生徒のPC利用による通信量の急増により、従来では考えられなかったネットワーク障害危惧されました。

 また、2年前から一部クラス試験的に利用してきた他社OS製のタブレット端末では、OSアプリケーション操作性の違いからか、Microsoft 365のOfficeアプリなどが使いづらいと感じることが間々あったと言います

 こうした2つの課題解決するために導入したのが、Surface Go 2 LTE Advancedモデルです。淑徳与野高等学校 進路指導主任粕谷俊介氏は、「無線LAN頼りでは、ネットワーク障害時に端末が使えなくなり、授業に影響が出てしまますしかLTEモデルであればモバイル回線バックアップとして使うことで授業を進められます」と話します。

 また、今回の生徒端末導入を支援したKDDIまとめてオフィス株式会社 北関東支社 法人営業2部 営業2グループ八島圭氏は、「相性問題は、OSアプリケーションハードウェアが絡む厄介な問題です。Surface Go 2はWindows OSMicrosoft 365と同じマイクロソフト製ですから、相性問題への懸念払拭するには、この組み合わせに勝るものはありません」と強調します。

 今回、モバイル回線無線LAN障害が発生したときバックアップという位置づけですが、いざモバイル回線に切り替えたとき通信不安定では困ります。その点について八島氏は「学校などへのLTE端末の導入時にはユーザーが一気に増えます。そこで当社では、机上での調査を行うとともに現地を確認して、通信品質対策を行うなど、確実につながる環境づくりに力を入れています」と、通信品質の維持・向上への取り組みを説明します。

 機種選定に関しては、教員の間でも様々な意見が出たと言います。その中にあって他OSタブレットではなく、Windows搭載の2-in-1デバイスを選んだ理由について山﨑氏は、「スマートフォンタブレットは急速に普及しましたが、社会に出て仕事で使うとなるとWindows PCほとんど。早い時期からWindowsに慣れておくことはメリットになることはあっても、決してデメリットにはなりません」と語ります

 そして、軽量化コスト的な制約からキーボード犠牲になりがちな2-in-1デバイスにあって、Surface Go 2には標準的配列で、タッチ感の良好なキーボードが用意されていることも高く評価されました。

 「生徒の卒業後を見据えたICT教育という考えもありました。午後の授業前の10 分間、英単語力の向上を目的クイズ形式タイピング練習を行っていますが、これにはタブレットスマホでは経験できないキーボード操作に慣れ親しんでもらうという意味もあります。本校の探求学習では4000字以上の小論文を書くこともあります。長文をストレスなく入力するうえで、キーボード品質重要だと考えました」(山﨑氏)

 最終的に導入したのは、最上位のSurface Go 2 LTE AdvancedモデルCore m3/メモリ8GB/SSD128GB)。ハイスペックモデルにしたのは、デバイスパフォーマンスが使える教材や授業内容の制約にならないようにするためだと言います

TeamsとSurfaceを教科の特性に合わせて多面的活用

 2021年度の授業開始から約3か月を経て、Microsoft 365とSurface Go 2による授業は着実に軌道に乗っています。例えば数学の授業では、Teamsで共有したテストの答案を生徒端末や電子黒板に表示しながら間違えやすポイント解説する、デジタル教材を使って視覚に訴えて理解を促す、といった取り組みが行われています

 「数学では図形を頭でイメージすることが苦手な生徒も少なくありません。しかし、デジタル教材であれば、立体図形を3次元で動かし、断面図がどうなるかまで分かりやすく示せます。同様に二次関数の各係数を変えることでグラフがどう変化するのかなども理解やすくなります」(粕谷氏)

 総合活動時間における、生徒間の意見共有も格段に容易になり、深い議論につながっていると言います映像活用も始まりつつあり、授業映像に生徒同士でコメントを付け合うといった取り組みも試行中です。生活指導の一環として、従来、紙ベースで行ってきた生徒のスケジュール管理PDCAもTeams上に移行。手作業による回収や配布の手間も一掃されました。

どこでもつながるLTEモデルが授業と課外活動の幅を広げる

 PC汎用性が高く、学習以外にも幅広く利用できます。その点を考慮し、淑徳与野中学高等学校ではホワイトリスト型でのアクセス制限実施していますが、それも最低限にとどめていると言います

 「動画サイトに入り浸ることがないよう制限をかけていますが、学習目的であれば柔軟にアクセス可能サイトを追加していますルールを破ると制限が厳しくなることを認識してもらいつつ、生徒の自主性を尊重して使ってもらおうというのが現在方針です」(小嶋

氏)

 淑徳与野中学高等学校では授業でのPC活用の高度化に向け、すでに運用改善を視野に入れています。今後は生徒にアンケート実施したうえで、教員同士の話し合いを通じ、さらに新たな活用方針を固める計画です。

 そこで温めているアイデアの1つが、生徒の思考を発表につなげるためのMicrosoft 365の活用です。考えを自身の内にとどめていては、それ以上の発展にはつながりません。ICT活用すれば、生徒の表現活動を格段に増やすことができます

 「論文作成ではWordを、情報の授業ではExcelをと、すでにMicrosoft 365を授業で活用していますが、中でも総合学習におけるPowerPointを使った授業は、どう表現すれば分かりやすく伝えられるかを試行錯誤することで、思考を整理する効果も期待していますさらにTeamsを活用すれば、グループワークやグループ内発表も容易です。授業ごとに生徒からフィードバックをもらうことも簡単にできます」(小嶋氏)

 このほか、部活動試合Surface Go 2で撮影し、動画を共有して振り返りに活用するなど、授業以外でも自主的に活用する生徒の姿が見られると言います

 無線LAN環境がなくてもネットワークを使えるLTEモデル採用は、野外授業でフィールドワーク中に気になったことをその場で調べたり、課外活動で生徒の自主的な活用を促進したりするうえで必ずやプラスに働くことでしょう。

 導入・運用からわずか3か月。Surface Go 2は淑徳与野中学高等学校でのICT教育と生徒の学園生活に欠かせない存在になっていると言えるでしょう。

2021-11-22

娘が通ってた中学部活ルールがアホだった

娘の通ってた中学女子バレーボール部には、部員は全員短髪にしないといけないルールがあって、それもお洒落雰囲気ショートヘアは全部駄目で皆モンチッチみたいなベリーショートにしていた。

娘の話ではどうやら昔の先輩が作ったルール綿々と受け継がれている様子だった。何かの折に顧問先生と話した時は「僕がこの学校に来た時にはもうあったルールだったので、ここではそれが伝統なんだと思いました。運動部には良くある事ですよ」と仰っていて自身部員髪型はあまり気にしていないように見えた。

娘は当時テレビに出てくる芸能人を見て「髪伸ばしたい」と言う事もあったけど「学校で、髪長い子を羨ましがったり伸ばしたいという発言真剣に取り組んでいないと言って先輩に叱責されるから、家じゃないと言えない」とも言っていた。

「私は自分が既に髪伸ばしたいと思ってるから、同じ事言ってる1年生を見ても何も言えない。これは先輩として問題だと思うか」という質問をされた際、バレーボール部なんだからバレーボールの事を正しく教えていたら十分立派な先輩では?と答えたら「競技だけでなく取り組む態度や精神面の指導もするのが先輩だと3年の先輩に教わったから」と言われ、中学生がたかが1〜2年遅く生まれ子供同士に精神面の何を説くのかと夫と一緒に笑ってしまった事すらある。

私も学生時代バレーボールをしていたけど長髪の部員普通に居たし、髪の長さがなんであれ上手い子は上手かったし真面目に取り組む子はちゃんとやっていた。私も当時は肩上ぐらいの長さのボブにしていて部活に行く日はゴムで2つに括っていた記憶がある。なので娘の部活ルールは正直「バカだなあ」と思っていた。

娘に聞いた中で特にアホ臭くて印象的なエピソードが2つあって、ひとつ体験入部に来た1年生の中にセンスのいい子がいたんだけど、部活ルールで髪は短髪じゃないといけない話を聞くと髪切りたくないから入部しない、と言って入ってくれなかったという話。さらに、他の部員がそれを後で「本気でやる気持ちがない奴は来んなよ」「髪ぐらいで入部やめるとか中途半端な奴はこっちも要らないんだよ」みたいな事を延々愚痴っていたとか。

もうひとつは、同じようにうるさく後輩を締め付けてきたんだろうに時々指導に来ていたOG結構確率で「進学先の高校バレーボール部OKから」って髪を伸ばしているという話。髪なんか伸ばしてチャラつく奴は本気で取り組んでないんじゃなかったの?浮ついた態度でやってたら上の大会行けない設定は何処に行ったんだろう?部員達は誰も疑問に思わなかったのかな。

娘はもう大学生になって今はバレーボールをやっていないから私も忘れつつあったけど、今朝ちょうどテレビ番組で髪型校則の話をやっていたのを見て色々と思い出した。

今もあのアホルールは健在なんだろうか。

2020-08-29

もしかして新海誠は誤解されているのでは

新海誠作風童貞臭いとか、童貞力が持ち味みたいな意見を度々目にしてきたが、

実際に新海監督のプロフィールを見てみると、小学校時代スピードスケートをやっており、

中学時代バレーボール部部長を務め、高校では弓道部所属していたそうだ。

大学時代童話サークルに入ったのが謎だが、その後は美人高学歴女優結婚している。

こんなの童貞どころか、むしろリア充のもの人生を歩んでいるように見えるのだが。

 

君の名は』を新海らしくない一般受け作品だという人がいるが、それはむしろ逆で、

海監督は『君の名は』で、ようやく自分らしいキャラクター世界を描くことができたのではないか

言の葉の庭』以前は、いかにも村上春樹岩井俊二の影響を受けている感じの、

恋愛セックス普通にありつけるようなリア充憂鬱ごっこ孤独ごっこにふける軽薄な作品ばかりだった。

海監督は自分を偽っていたのだ。新海監督は自分リア充であることを認めてリア充アニメ君の名は』を作り、

村上春樹岩井俊二のようなファッション孤独と決別したのだ。

2020-08-16

30年ほど前の中学バレーボール部の思い出【ロスジェネ世代

当時の中学部活動に参加必須だった。

その中でバレーボールを選んでしまった。

なんとなく楽そう、友達も入ると言っていたから。

これが間違いの始まりだった。

練習できるのは3年生だけだった。

1~2年は球拾い専門。

コートをぐるりと囲んで、飛んでくる球を回収するだけの雑用係。

拾うボールは飛び交っているのだが、球拾い要員の人数が多く(30人近く)、手持ち無沙汰。

明らかな過剰スペック

ほぼ棒立ちの状態

でもみんな練習がしたかった。

たまに飛んできたボールを、トスして回していたら「真面目にやれ!」と一喝された。

無心で数時間を過ごすのは苦痛しかなかった。


練習最後は決まって、アタックを拾うレシーブの練習が行われる。

球拾いが最も忙しくなる時間でもある。


「早く終わってくれ・・・・」これが1,2年の共通した願いだった。



ラストォォォーーー!!!!!」顧問の怒号が飛ぶ。

練習の末期が近づいたと安堵を感じる。


しか顧問は力任せに思いっきアタックするため、誰も取れない。

そもそも球がコート外に行くことも多い。

そんなこんなで、「ラスト」は永遠と思えるくらいに伸びに延び、他部活の生徒が完全に帰り、外が真っ暗になった頃に終焉を迎えるのが日常だった。



これが毎日続いた。

月火水木金土日。

休みもなく毎日

平日は16時~19時までの3時間

土日は弁当持参で丸一日。


夏休みもこうした毎日が続いた。

お盆の時期、2泊3日の合宿があった。

問答無用で球拾いだった。

朝6時に起きてランニングして球拾い。

ご飯を食べて球拾い。

夜は9時まで球拾い。

合宿中は学校体育館で寝泊りした。

家まで自転車10分。

泊まる意味が分からなかった。

1年の秋。

3年生が最後大会でボロ負けした。

3年生は泣いていた。

でもボレは何とも思わなかった。

感情移入できなかった。

「早く帰りたい」と言う思いしかなかった。

しかし「来年絶対に勝つぞぉ!!!」という顧問一言で、その日は夜遅くまで球拾いさせられた。。

3年生が引退し。

2年生が練習できるようになった。

長きにわたり耐え抜いた彼らの顔は、とても生き生きしていた・・・

しかし1年生は相変わらず球拾いの毎日だった。

しかも球拾い要員の数が少なくなったこともあり、ボーっとしていると目立つようになった。

気の抜けた顔で突っ立っていると「やる気だせやぁぁぁああ!!!」、と横からボール顔面に投げつけられた。

鼓膜が破れたかと思った。

ボレは、部活サボりだした。

職員室に呼び出され説教された。

それでも行く気になれなかった。

2年になるころには、全く行かなくなった。

同じような脱落者が何人もいた。


そしてボレ達は3年生になり。

2年間球拾いに耐え続けた英雄達(同期)は、試合で1度も勝つことなく、部活動を終えたと聞いた。

・・・

これがボレの中学部活の思い出である

今こんな部活があれば、親御さんからクレームは相当だろう。

でも当時はこんな部活結構あった。

テニス部ハンドボール部も球拾い専門だと言っていた。

・・・

思い返せば。

ボレの人生は、あのバレーボール部の入部で歯車が狂いだしたように思う。

40歳を超えても、日雇い非正規雇用である


そして2020年

コロナショックである・・・・。

夢も仕事未来もない。

家賃も払えず、来月末には退去を迫られている。



それでもボレは、文句も言わずただ粛々と生き続けようと思っている。


そう。

あの顧問は立派な奴隷を育て上げたのだ。

ロスジェネ世代が生まれたのは、こうした時代背景があったからだと、ボレは強く思っている。

2019-12-13

世界は男向けにできている

2年前に会社を辞めたのは、男になりきれなかったから。学生時代男子バレーボール部マネージャーをやっていて、男のノリには慣れていたので男ばかりのメーカーに入った。事業部始まって以来初めての女の営業だった。思った以上に皆協力的で上司も優しく、すぐに仕事に慣れることができた。同期の男の営業はあまり馴染めていないようで、周囲は彼の悪口ばかり言っていた。お客さんともうまくやっていけてると思っていた。

半年くらい経った頃、たまたま昔の友人と職場近くで飲んでいた。すると少し離れた席に私の先輩社員上司、私の同期が座っていることに気づいた。同期の彼は会社では見せないような和やかな表情で周りを笑わせていた。何を話しているかは聞こえなかったけどとても盛り上がっているようだった。

私は数回しか飲みに誘われたことがなく、かつ彼らみたいに盛り上がることは一度として無かった。

多分私は男社会に表面的にしか馴染めておらず、お客様扱いをされていたんだと思う。思えば失敗をしても同期みたいに怒られたことはないし、2軒目3軒目に引っ張られたこともない。定時で帰っても笑顔で送り出されたし、仕事の負荷も同期より明らかに軽い。

そのことに気づいてから仕事に対する情熱はすっかり消えてしまい、数ヶ月後に仕事を辞めた。けれど周りは最後まで気を遣ってくれて、その優しがほんとうに辛かった。良くも悪くも、この世界は男向けにできている。

追記

正社員で入ったのにお客さん扱いされたら誰でも嫌な気分にならない?

2019-04-09

岩手県不来方高校バレーボール部所属する3年の男子生徒が自殺した問題で、県警が生徒への暴行容疑で顧問男性教諭書類送検していたことが8日、関係者への取材で分かった。

 生徒は昨年7月、「ミスをしたら一番怒られる」などとメモを残し自宅で自殺した。生徒の両親は顧問の行き過ぎた指導自殺につながったと指摘。バレーボールを顔などに投げつけたなどの暴行容疑で告訴し、県警が捜査していた。 

2018-11-24

劇団た組。第17回目公演『貴方なら生き残れるわ』を観た

高校教員をしてる。管理職でない限り、全員が何かしらの部活動を受け持たないといけない。私は男子バレーボール部だ。


バレーボールは体育の授業くらいでしか触ったことがない。指導は、別に専門の先生がしてくださってる。だから私は見てるだけ。

でも、楽しい

弱小だけど、みんな一生懸命で、中には練習サボる子もいるけど、みんなバレーが大好きで……。

6時半に練習が終わっても、そのまま体育館に残ってボールを触っているから、私はそれをぼんやり眺めて、7時半になったら、まだ物足りなさそうな部員たちを追い出して、体育館を施錠するのが日課になっている。

自分のよく知らないものでも、誰かが夢中になって頑張っているところを見るのはとても楽しい

と同時に、不思議でもある。

どうしてこんなに一生懸命になれるんだろう。

どうしてこんなに、こんなに…。



11月24日(土)

劇団た組。第17回目公演 『貴方なら生き残れるわ』

作・演出加藤拓也/音楽演奏谷川正憲(UNCHAIN

を観た。


好きな俳優さんのTwitterから、この公演のことを知って、劇団HPであらすじを読んだ瞬間、絶対に観に行こうと決めた。

――――――――――――

<あらすじ>

松坂は母校の体育館にやってきます

そのコートで、失った熱量を懐かしんでいると先生に会ってしまます

先生は言います。元気か。

松坂は言います。まあまあです。

そして松坂シュートを打ってみなと促されます

促された松坂シュートを打ちます。打って、それから、謝ります

バスケット辞めてごめんなさい。

松坂バスケットを何も言わずに辞めたのです。

誰も知らないまま、辞めたのです。

ただ、バスケットを辞めたのです。

たかだかバスケットを辞めたのです。

――――――――――――


何がそこまで私を惹き付けたのかわからない。

でも、心臓素手で鷲掴みにされたような衝撃があった。

から、観に行った。


客席に入って、まず目に入ったのは中央バスケットゴール。そして床に描かれたバスケットコートライン

フラット舞台の両脇には階段があって、まるで体育館ギャラリーみたいだな、と思った。

下手側の階段の踊り場にはギターを抱えた人がいた。「間もなく開演です」のアナウンスのバックで、静かにギターを弾き始める。音が重なって、重なって、そして静かに反響しながら消えた瞬間。



松坂が母校の体育館にやって来た。



自分の呼吸が邪魔に思えるほどの静寂と緊張感。

そしてそれを少しずつ切り裂くように、そこにある、松坂の肉体。


先生がやって来て、松坂シュートを打つように促される。高校時代が蘇る。


部活前の男子部員空気が、本当にリアルで驚いた。シューズの紐を結びながら、他愛ない話をするあの感じが、私が普段目の当たりにしているものと同じ温度でそこにあった。


物語が進むに連れて、少しずついろいろなことがわかってくる。

ずば抜けて上手いのはキャプテンの吉住だけ。彼は素行が悪くてバスケが強い学校には行けなかったから、この学校で一からバスケ部を作った。ちょっとやんちゃで、先生に口答えすることもあるけど、それは結局のところ本人が甘えたなんだと思う。

他の部員高校からバスケを始めたか、少しかじった程度。

主人公松坂は、もともと野球部だったが、部員と折り合いが悪くて部活を辞めた。バスケ部に入ったのは、クラスメイトに「楽だし、初心者でも大丈夫」と言われたから。


部員個性が見えてくるに従って、私は自分部活の生徒の顔が重なるような気がしてならなかった。一人一人は全然違うのに、「ああ、いるよな」「ああ、あるよな」が積み重なって、まるで自分の話のように思えてくる。


中でも胸に来たのは、顧問の沖先生が授業準備が忙しくて部活に来れなくなるシーンだ。代わりに来た外部コーチに、吉住は激しく反発する。

「俺らのバスケ知らないやつに練習メニュー指図されたくねえ!」「お前、顧問じゃねえのかよ!何で来ねえんだよ!授業が増えたとか知るかよ!部活時間部活に来いよ!俺の言うこと聞けば勝てるって言ったよな?じゃあ命令しに来いよ!」

私も、授業準備や他の生徒の対応部活になかなか行けない日がある。やっと体育館に行くと、もう終了の挨拶…なんてことも、何度もある。

生徒は部活に休まず来てるのに、顧問部活に来ない…なんて、不満に思っても仕方ないよな、と思うけど、授業準備も部活動指導も、教員にとっては両方とも「仕事」だ。私自身はかなり部活が好きな方で、沖先生もかなり部活が好きな方で、でも部活よりも優先しなきゃいけないことがある状況は、すごくよくわかる。

でも、それは部員には「わかってくれ」と言ってもわかるもんじゃないよな、というのも、すごくよくわかる。


コーチが来て、彼らの練習風景はがらりと変わる。活気が出る。それまでだらだら惰性でやっていた練習が、意味付けされて、みんなが「勝つために」練習をやり始める。


新入生が入ってきて、二年生になった松坂たちは少しずつ「自分武器」を身につけていて、チームは確実に強くなったことが肌で感じられる。


そして迎えたIH予選。

負けたら、三年生の吉住と當座は引退だ。


IH予選1回戦は、勝った。でも、ミスが多くて先生に叱られる。

そして當座が、「辞める」と言い出す。

大学受験マジでヤバいからバスケ大学推薦がもらえる吉住と違って、俺はバスケ頑張っても何にもならないから、勉強しないとマジでヤバいから

當座は序盤から勉強部活の両立に悩んでいるような描写が繰り返されていた。だからいつかはこうなる予感があった。でも、それは今なのか。三年生の、IH予選で、1回戦は弱い相手ギリギリ勝って、2回戦は相手も強いからこうはいかないかもしれないけど、でもとにかく負けたらそれで引退の、三年生の、今なのか。

そんな當座に、吉住は噛みつく。「何でだよ!」と詰め寄る。

そして溢れる當座の本音。「俺がいなくても、俺より上手い後輩がいるか大丈夫だよ。俺が試合に出るよりも、後輩が出た方がいいよ」

「下手でもお前出ろ!俺のパス受けろ!」吉住の激昂。二人きりの三年生。吉住と當座と、顧問の沖先生の三人だけでやって来た一年間。少しずつ後輩も育って、やっと勝てるようになった三年生の、IH予選。

でも、頑張ってどうなるんだろう。将来どうするんだろう。部活を頑張った、その先は?


私も、自分高校時代勉強理由部活を辞めようとしていた同級生必死で引き留めたことがある。結局、彼女は三年生の夏まで部活を続け、一緒に引退したけれど、今でもあのときの私は正しかったのかとたまに思い出す。もしかしたら、あそこで私が引き留めずに彼女部活を辞めて勉強だけに打ち込んでいたとしたら、彼女もっと上の大学に行けたかもしれないと、考える。まあ、最終的に決断したのは彼女自身なのだから、そこに私がとやかく言うことに何の意味もないのだけれど、私は最後まで彼女部活ができて、とても楽しかったのだけれど……。

教員になってからも、勉強と両立できないか部活を辞めようかと悩んでいるという相談を受けたことは何度もある。そのたびに、私は止めてきた。それが正しいかはわからないけど。

今でも、必死練習する部員たちを見ながら考えることがある。バレーを頑張ったからといって、進路の保証があるわけでもない。この時間を、補習やアルバイトに費やす方が有意義な生徒もいるかもしれない。でも、この経験はきっと、いつかどこかで、何かの役に立つんじゃないか…。

「これが将来にどう活きていくか」なんて、考え出したらキリがない。とくに教員仕事なんて、どんな指導をしたとしても、本当にそれが生徒にとって良かったかわかるのは、5年後が10年後か、何年先になるかわからないし、もしかしたら一生わからないままかもしれない。

それでも、今一番良いと思えることをやるしかない。


IH予選2回戦。

格上の相手に、チームは苦戦する。でも、全く勝てない相手ではない。今、自分たちにできる、最高のプレーを。

残り時間あと6分。点差はわずか。負けたら、ここで終了。勝ったら、もう少しだけバスケができる。


私はここでも、自分部活を彼らに重ねていた。

今年のIH予選。地区大会は勝ち抜いたけど、県大会は1回戦から格上の学校相手で、良いプレーはしたけど、負けてしまった。

バレーボール制限時間はない。先に25点取った方が勝ちだ。じわじわと、相手の点数が25点に近づいていく。

「ああ、このまま、このまま終わってしまうのか。もっと見ていたかった……もっと見ていたい……いや、まだ終わってない、希望はある……うちがここから○点取れば…………」

そんなことを考えながら祈るように試合を見ていたことを思い出した。

そのときの、バレーコートの中の選手気持ちはわからない。でも、今、目の前の、バスケットコートの中の選手気持ちは、客席まで伝わってくる。きっと、同じだ。彼らも、彼らも。そう思うと涙が出た。


舞台上の試合のシーンでは、本当にバスケ試合が行われていた。

もちろん、ある程度の段取りはあるだろうが、シュートが決まるかは打ってみないとわからないところは、試合と同じだ。シュートが決まればこう、外れたらこう、みたいなパターンはあるのだろうが、それも、試合と同じだ。


何のスポーツでもチームで行う競技すべてに言えることだろうが、上手いチームは「いるべき時に、いるべきところに、いるべき人が、いる」と感じる。

それは、演劇も同じだと思う。



舞台は、何が起こるかわからないライブ感が魅力だ。

でも、人生は何が起こるかわからいから、こわい。

何をやるのが良くて、自分は何がやりたくて、それがどう自分のこの先に繋がっていくかは誰にもわからない。

何かをやるにしても、何かをやめるにしても、自分が「良かった」と言えなきゃいけない。


いろいろなものが重なって、なんだかもうわけがからなくなって、最後の方はほとんど泣いていた。

泣きすぎて拍手ができなくて、それだけが心残りなくらい、泣いていた。


かに感想を伝えたいけど、あいにく私は友達が少ない。

からいつも感想Twitterで呟いたりするのだけれど、今回はあまりにも自分プライベート事象リンクしすぎてしまたから、匿名ブログに託すことにする。


観に行って良かった。

ありがとうございました。お疲れ様でした。

2018-07-09

ビーチバレー競技に「ビーチで実施しなければならない」という規定は無い

砂浜からでも川砂でも何でもいいので余所から砂を持ってきて敷きつめるという発想は出来ないものなのか。オリンピックでもそうやってたやん?

オリンピック競技にもなって久しい筈なのに「ビーチバレーは海でするもの」という固定観念から脱却できない人の何と多い事か。

ちなみに実際のビーチで開催するときでも競技時に怪我しないように小石や貝殻その他きれいに取り除いておく事は当たり前です。

http://www.kyt-shigakushinkoukai.jp/award/winner/award_11th/view15.html

2000年に完成したビーチバレーコートがある、全国的に見ても珍しい高校としても知られ、2011年バレーボール部から特化して発足。”



anond:20180709012200

2018-01-05

中学時代

ふと思い出した中学時代の思い出。

バレーボール部だった俺。「文化系運動部」と名高かった。その名の通り、体育館半面をバスケ部と分け合ってはいものの、ネットも張らずにガラケーゲームするか、エロサイト見るかの毎日。そんな二択の生活にも飽きたのか、編み出したのが「あんしんホットラインゲーム」だった。

説明しよう!あんしんホットラインゲームとは、よく学校で親や先生に言えない悩みがある…ならば私たち電話してください!みたいなプリントが配られたのを覚えているだろうか?あれにいたずらの電話をして、一番おもしろかった奴が優勝!というゲームだ!ひどい!

さて、その中でも覚えているものを紹介する。

ホットライン「お電話ありがとうあんしんホットラインです。この電話で話したことは絶対に誰にも話さないから、なんでも相談してね?」

俺「ほんとに誰にもいいませんか?」

ホ「うん、話さないよ〜」

俺「あの、じゃあ、その…なぞなぞを作ったので解いて欲しくて…」

ホ「な、なぞなぞ!?

俺「ですよね!こんな歳でなぞなぞなんて変ですよね、幼稚ですよね!」

ホ「ううん!ううん!そんなことない!お姉さんなぞなぞ大好きだから!」←ホント優しい

俺「ほ、ほんとですか…じゃあ、問題。森の中でクリさんとリスさんが出会いました!さて、これなーに?」

ホ「えーと、うーん、ちょっと難しいな」

俺「そのままです!そのまま答えてもらったら!」

ホ「う、うーん……クリリス。」

俺「残念!!クリトリスでした!!!!」

ホ「え、えへへ…」

ブチッ

ホ「お電話ありがとうあんしんホットラインです。この電話で話したことは絶対に誰にも話さないから、なんでも相談してね?」

俺「あの、俺、怖いんです…」

ホ「あら、どうしたの…大丈夫?」

俺「はい…僕、ずっと病気で…明日手術で…どうしても怖くて…」

ホ「そうなんだね…怖いよね手術。私は受けたことないけど、私のお母さんも怖いって言ってた。でもすぐ終わるって言ってたよ!」

俺「そうなんですか…?でも、夜も眠れなくて…グスン」

ホ「大丈夫大丈夫。ちなみに、何の手術なの?難しい病気…?」

俺「…包茎です。」

ホ「ほ、ほっ…ブハッ…ほ、包茎かぁ」

俺「そうです…しかも…カントン包茎…」

ホ「ブフッ…」

ブチッ

ホットラインさん、ごめんなさい。二度としません。

2017-11-15

バレーボール部だった中学時代、私は初心者でヒーヒー言いながら練習していたけど、あとから入ってきた後輩があろうことか全員小学生時代からやっていた経験者で、あっという間に、というかとっくに実力で抜かされていた。屈辱感はなかった。結局私は最上級生になっても玉拾いに勤しんでいたのだった。

玉拾いだからもちろんレギュラーメンバーになることはなく、練習試合でもウォーミングアップ以外は参加させてもらえなかった。ずっと立って見学をしているだけだった。また、審判をやるとき主審副審経験不足のため仕事を与えられず、永遠にラインズマンだった。練習試合中にすることといえば、ラインズマン得点付けか見学くらいのものだった。見学するとき顧問の横に一列に並んで立ったままだが、私はいつも友達とたわいもないおしゃべりをして叱られていた。叱られてもしゃべっていた。たまに「ナイスキー」とか言うくらいで、それ以外にすることがなかった。

練習中の唯一の楽しみが、仲のいい友人や後輩とのおしゃべりだった。ほとんどがくだらないテレビゲームの話だったが、たった一人不思議な後輩がいた。仮に杉浦としよう。杉浦は私とよく話をしていた。知識豊富でどこか達観していた奴だった。今思えばただのRADWIMPS好きの厨二病なのだが。杉浦は私を「先輩」と呼ぶ以外には、私にだけ敬語を使わなかった。どこか私を下に見ていたようだった。ちなみにバレーボールに関しては奴も例に漏れ経験者で、私より実力は上であった。そのためか、私に対して啓蒙的な口調で話しかけていた。しかし、その話が私はとても好きだった。

私はとにかく練習が嫌いだった。毎日部活動憂鬱だった。たった1時間や2時間がとても厭だった。動きたくもなかった。準備運動をしてサーブ練習だかレシーブ練習だかやって、そのあとは玉拾いする毎日だった。とても退屈だった。今思えば大した運動もしていないが、それでもつらかった。ある時杉浦は私に言った。「君は一つの視点から物事を捉えすぎているんだ。もっと客観的に、多角的物事を見られるようになれ。」正確には思い出せないが、その言葉を私は忘れることができない。なぜなら、それが私が体感した「啓蒙」の瞬間だったからだ。あの言葉にハッとさせられたのだ。

またある時言われた。「『万物の集約に返り咲きしは王の影』この言葉意味がわかるかい?」私は練習中にぼーっと考えていた。考えども考えども答えは出なかった。それを見かねて杉浦は答えを私に教えてくれた。しかし私はその答えを覚えていない。その答えを理解することができなかったからだろう。「何かを忘れたとき いつも君がそばにいたけど 今回ばかりはそうじゃない これってまだ忘れてないってことなのかな 今、僕が覚えている全てのことと 僕と君にまつわる全てのこととの差は ゼロにはならないのかな」これもアイツが言ったことだが、これが自作なのか、引用なのかがわからない……

「生きていくことが罪になるなら、死んでいくことが罰になる。死んでいくことが罪になるなら、生きていくことが罰になる。さて、僕の罪名と刑法はどうなることやら。」これも。出典がどこなのかわからない。

話が脱線してしまった。いや、線路なんて最初からないのだが。

まあそういう後輩がいて、今でも私の心に残っているということだ。ちょうど中2という多感な時期の出来事であったから、印象が強いのだろう。今どこで何をしているのかが気になるな。会って話でもしてみたい。

さて、中学時代部活に話を戻そう。後輩よりも下手で要領の悪い私でも、一度だけ本番の試合に出させてもらったことがあった。それは、私のところに比べてとても弱いチームだったので、私のような2軍補欠を出させても勝てると監督が考えたのだった。

それは中3の夏、要するに最後の夏で、監督は記念のために私をコートに立たせてくれたのだ。試合の途中で交代して、サーブを数本打って、それで終わった。私が中学3年間嫌々バレーボールをやってきたすべてが、それだけだった。それを考えると、私が必死に耐えてきた3年間ってなんだったんだろうな。

数ある運動部の中でもなぜ私がバレーボール部を選んだかって、ただ仲の良かった友達が1人そこに行ったから。私はホイホイついていっただけ。あと、なんとなくラクそうだと思っていた。それだけだ。まあ中学卒業後にその友達はウェイになって地元ヤンキーとつるむようになったのだが。私と正反対で。

安易気持ち部活を選んでしまって、とても後悔した。実は、私は小1からずっといじめられていて、そんな私が中学運動部に行くもんだからいじめの標的になるのは当然だった。いじめを受けて部活をやめようとは思ったことはあったが、踏ん切りがつかずそのままズルズルと最後まで続けてしまった。なんの成果も残せずに部活引退した私を、両親は「部活は続けることに意義がある」と慰めてくれた。それはうれしかった。自分でもよく耐えたなと思う。私の我慢強さってここにも表れているのかもしれない。ただ、それ以上のものは得られなかった。

2017-04-24

高校時代好きだった彼女の家をGoogleマップで調べた

まぁなくなってたんだけどね。

高校三年間を彼女に費やしてしまったよ。彼女バレーボール部で僕はバスケ部だった。

ずーと、部活中、土日練習休みの日も僕はわざわざ見に行ってね。大会も見に行ったよ。

もちろん彼女オフの日は、女友達に何処に行くか聞いて僕も後をつけてね。

そうこうしてるうちにその子は転校しちゃって。親の仕事の都合とかなんとか。

家がずーと建ってて、毎晩見に行ってたよ。

あはは

2016-07-05

記憶が奪われる

最近記憶を奪われることが多い。

例えば、中学高校バレーボール部セッターをしていたのだけど、

その時の経験を兄や親に話すと、

バレーボール部は兄で、お前は吹奏楽だったじゃないか。」

と言われたことがある。

そう言われてみると、バレー部記憶ではっきりとおぼえているもの

あんまりないような気もしてきて、言われるたびに

わたしではなく兄がバレー部だったんだ……。」と思うようになってきた。

はいえ、わたし楽譜も読めないし、吹奏楽でなにか楽器をやっていたとも思えない。

何か違和感を感じています

そんなことが日に日に増えてきた。

昨日も、

「兄が中学1年生の夏休みに、風邪をひいて寝込んだ時、兄に隠れてみんなで食べたケーキ、ほんと美味しかったね。」

と母にいうと、真顔で

ケーキなんて食べてないよ、しかも隠れてだなんて、嫌だねぇ」

とぼけられた。

納得出来ないので父に言っても同じような回答をされた。

でも、これは確かにケーキを食べたという自信があるし、味もまだ記憶に残っている。

最近では両親と兄が結託して、私の記憶を上書きしているようにしか思えなくなりました。

わたし記憶を奪って何がしたいのか。

<追記>

コメントありがとうございます

卒アルを見ればと思って、探したら無くなっていました。

たぶん、兄か母のしわざだと思います

2015-09-18

だいちゃん

中学生の時にだいちゃんという同級生がいた。

バレーボール部だったけど背が低く。むっちりしていた体型のせいで、

男子からいつもおっぱいを揉まれては、あんあんとあえいでいた。

みんなはそんなだいちゃんが好きでいっそう強く揉むようになった。

そんなある日、だいちゃんが4Fのトイレの窓から飛び降り未遂をした。

聞くと毎日のいぢめが辛かったとのことである

みんなは驚いた。

だってお前、あんあんとあえでいたじゃないかと。

本当に嫌かどうかというのは難しいもんだなと思った中学生のあの頃の話でした。

時は流れ、卒業してから10年が経った。

久しぶりに同窓会で再会しただいちゃん高専へ行き、造船会社就職していた。

なんとなく飛び降り未遂の時の話になった。

「あの時はいぢめが辛いといったけど、本当は気持ちよくなってくる自分が怖くて死のうと思った」

と教えてくれた。

やはり本当の気持ちって簡単には分からないものだなと10年越しに気付かされた。

ちなみに今では実社会で揉まれて、たくましい胸になっていた。

2015-06-27

こういう時には『子供に罪はない』という声が聴こえて来ない

強制退去前に娘を殺した千葉県銚子市母親について。私はやはり同情できません。

夫の借金を負い、シングルマザーで苦労し、行政からの助けは得られなかった。その点では確かに彼女自身被害者でしょう。だけどそれを子供という、より弱い相手に向けていいのか?娘を手にかけたのはあくま彼女自身決断。殺す以外に他に方法はあった筈だと思うので同情はできない。

かっとなってつい手を出してしまったというのではなく、明らかに故意で首を絞めたようですし。

法的にはもちろん、心情的にも同情できない。

これがもし老老介護の果てに認知症配偶者を殺してしまったとか、高齢ニートの子供を親が殺したとかなら、法的にはともかく心情的には同情できたでしょう。状況の改善が見込みにくい事例だから。だけど13歳の中学生ならどう考えてもこれから先いくらでも未来はある。親子二人で慎ましい生活をしても何とかなったと思いますし、親がいなくても施設に入って生きていけたかもしれない。未成年の子供を持つ母子家庭ならおそらく手を差し伸べる支援団体は沢山あったと思う。

子供に重度の障碍や病気があったならまだ分からなくもないけれど、情報を聞く限りではバレーボール部に入りアイドルのファン活動もしていたらしい。身体的にも精神的にも健康な子だったとしか思えない。そういう子の未来勝手に悲観して奪ってしまった母親には同情できない。

娘に対して随分お金を使っていたようだけど、そこをもっと切りつめていれば家賃滞納による強制退去も避けられたのでは?愛情を履き違えているように思えてならない。

少なくとも娘の趣味お金を使ってあげられるくらいの余裕があった訳で、何の情報も入らないくらいの貧困さなかにいた訳ではないのではないでしょうか。ネットを使って支援団体をみつけて助けを訴えるなどの手段は本当にとれなかったのか?

母親自身社会犠牲者であったとしても、それと子殺しは別の話では。怒りは別の相手に向けるべきであり、子供に罪は有りませんよ。

日本社会全体の特徴として、親による子殺しに甘すぎる点があげられると思っている。世間様に迷惑はかけていないからいいという事なのでしょうか。

2013-09-18

体罰で話題の学校

浜松日体罰高等学校についてニュースをお知らせします。

静岡浜松市にある高校バレーボール部顧問男性教諭が、平手で男子生徒の顔を何度もたたく映像ネット投稿され、学校側が体罰を認めた。

動画投稿サイト投稿された、体罰の一部始終をとらえた映像には、体育館とみられる場所で、1人の男性が、若い男性を続けざまに何度も平手打ちする様子が撮影されていた。

この映像は、15日、静岡浜松市東区浜松日体高校男子バレーボール部の41歳の顧問教諭が、2年生の男子部員に平手打ちをした時のものであることが、学校側への取材でわかった。

浜松日体高校教頭は「それ(平手打ちをしたこと)は間違いないです。本人(顧問教諭)も言ってます気合を入れるために行ったと」と話した。

浜松日体高バレー部顧問、生徒を13回平手打ち 学校が体罰認める

浜松日体罰高校とかカッコいいね

2013-01-22

桜宮高校体罰事件となんで体罰いけないかとか自主性とか

大阪市桜宮高校体罰事件が毎日伝えられている。生徒はキャプテンになってから毎日しかられ、体罰を受けて参っていたという。教師は体罰を辞めます、といった数日後の練習試合でまた生徒を殴り、キャプテンを辞めるならBチーム、やめないなら殴ってもええんやな、といったという。

ネットでは頭がおかしい、とか、クズだとかさんざん言われている。

でも、それは違うんじゃないか、という気が私にはする。あんまり整理できてなくてちょっとわかりづらいかもしれないけど、私の体験を書いてみる。参考になるかもしれないので。



私は中高6年間バレーボール部にいた。

今でも小さいがそのときも小さかったので中学ではずっと補欠だった。

最後試合に出してもらったが、ミスをして交代となった。そのとき顧問先生が何を思ったのか「出すのはおまえでなくてもよかったんだ」とつぶやいた。今でもどういう意味かわからないが、そんなこというなら高校でがっつりレギュラーになってやる、と高校でバレー部に入ることにした。

バレーはそこそこ好きだったが、そんなに上昇志向もなかった。体格も素質もなかったし、全国大会に行きたいとか、ましてやプロになりたいとかは全く思ってなかった。ただ中学先生にいわれたことが悔しかったので見返したい。すごく単純な動機だった。

高校で入ったバレー部は体育大卒若い先生顧問で、熱心に指導していた。都立高校にしてはかなり厳しい練習をしていたし、実際わりといいとこまでいっていた。

都立は今でもそうだと思うけど、運動部顧問は誰もがいやがった。ただでさえ大変な教職のほかの事務仕事をやらねばならず、その上に時間、体力、気力を使う運動部顧問なんてみんなヤッテランナカッタのだった。

その先生指導最中アキレス腱を切ったことがあるという。それも2回も。それを押してやってくれてるのだから感謝しないといけないよね、みたいな空気が生徒の中にはあった。

同時にそれはそこまでしてくれてるのだから、言うこと聞かないと悪いよね、期待に応えないと申し訳ないよね、みたいなものでもあった。

練習は厳しかったし、時々平手打ちもされた。

夜の7時、8時までやっていた。家に帰ると疲れて何もできない。食事をしながら寝てしまったこともある。

いやだったしきつかったのだが、「その辺のお遊びの運動部と私らはひと味ちがうのよフフフ」みたいな訳の分からないプライドみたいなものが部の中にはあって、苦しいのを耐えれば耐えるほど偉いのだ、みたいなところはあった。(でないとヤッテラレナイところはあった)

ある日私に集中してサーブ指導をされた日があった。

私には変な癖があったらしくて(自分ではわからない)、それを矯正するためにやらされたのだがなかなかうまくできなかった。

「手を下から出すように」

自分ではその通りやってるつもりだったが何回やっても違うといわれる。先輩後輩あわせチーム中が注目してるし、自分が練習を中断しているというプレッシャーもあった。違う違うといわれ続け、もうなんにもわからなくなってアンダーサーブをした。

「俺はおまえに手を下から出せとはいったがアンダーサーブしろなんて言ってないぞ」

じゃあどうしろっつうんだよ、と思ったがさすがにそれは言えなかった。

厳しい練習はぜんぜん私の精神を鍛えることにはならなかった。先生に本音で質問することさえ出来なかったのだった。かといって自分で考えろ、というのは、その状態ではなおさら無理だった。それ以来、前から苦手だったサーブはまったく嫌いになった。


こう書くとがちがちの管理教育だったように見えるかもしれない。がしかし、先生としては自主性を持った選手になってほしかったようだった。

生徒がやる気がない態度を見せると、先生はたびたびボールを投げ出して帰っていくという振りをした。

「俺がやりたくてやってるわけじゃない。おまえたちがやりたいって言うからやってるんだ。おまえたちがやる気がないならやめる」というポーズだった。

それを追っていって、

「お願いします!」

と生徒全員で頭を下げるのがいつもの習慣だった。

「楽しくやりたいだけならそれでいいんだ。それならそういう風にやるから。でも本気でやりたいならそういう風にする」ともよく言われた。

生徒が望むなら、やりたいという気持ちがあるなら一緒にやりたい。そういう選手になってほしい、という気持ちの先生だった。

しか私たちはそれほど大人ではなかった。

追っていったのは「先生がいなくなると困る」という気持ちだったし、見捨てられるのが怖い、とも思っていた。先生に見捨てられればその時点でダメダメなやる気のない私たち、という烙印を押されてしまうからだ。

そういう状態になりたくないという気持ちだけで「お願いします!」と毎日言いに言った。こうなるともはや意味のないお約束儀式のようである

そもそも、本当に自主性のある生徒であれば、先生が帰ってしまっても自分たちで練習すりゃよかったのである。でも自分たちで、これをやりたい!というもの私たちにはあんまりなかった。ただ日々の練習を修行のようにこなしていく。先のことは考えられなかった。ただ今の苦しさを耐え抜くことだけだった。ぶっちゃけ、自主性もへったくれもなかった。受け身で、受け身で、過ごしてきた。まじめでミスをしなければ、ボールが飛んでくることも、たたかれることもなかったから。



今回のことがあって、「私、バレーって好きだったかなあ」と思い返した。確かに好きではあった。レシーブがきれいにあがるとうれしい。難しいボールを拾えるとうれしい。トスをきれいに上げられればうれしい。アタックを気持ちよく打てるとうれしい。

で、ここまで考えてはたと気づいた。

全部個人技だったのだ。

バレーという団体競技をやってながら、私はチームプレイ楽しいと思った記憶がない。

団体競技をずっとやってきたのだから自分では協調性がある、他人と一緒にプレイするのが好きなのだと思いこんでいたがいやいや完全なヲタクじゃないか自分で呆れて笑った。

でも。

コンビネーションプレイをうまくこなしたり相手と競う楽しさ、ゲームを運ぶ楽しさ、みたいなものは、たぶんバレーという競技にはあるのだと思う。

私にはそう感じる余裕はなかった。

日々の練習をこなすだけで精一杯だった。

日々の練習が修行のようになり、それをクリアすること自体が目的となってしまっていて、ほかのことは考えられなかった。もっとこういうことをしたいとか、こうなると楽しいとか、そんなことは全く頭になかった。

私に関して言えば、試合に勝つことさえどうでもよかった。試合は義務であり「ミスをしない」ことが第一目的であって、結果はあとでついてくるという感覚があった。

もったいなかったな、と自分でも思う。



今回の事件、まだ情報があまり公開されていない。

顧問との関係チームメイトとの関係もわかっていない。

体罰がどの程度だったかも証言が食い違う。

が。もし私の先生であれば、たぶんこういう意味の発言だったかと思う。

キャプテンを辞めるということは第一線で活動するのは無理です、ということなので、楽しくやりたいだけならBチームでやればいい。でももし、第一線で活動する意志があるなら厳しい指導もするし、体罰もある。自主性をもって立ち向かってほしい。覚悟がほしい」

先生はよく「意地を見せろ」と言っていた。

苦しくてもやりたいことならやりぬけ、ということだったのだと思う。

でも。

人間って、そんなに強くないのだ。

いくら好きであっても苦しい練習を続けさせられればそれ自体が目的となって、自分スキルを伸ばすとか、何かに挑戦するとか言う余裕はなくなってくる。「好き」と言う気持ちはしぼむ。ただ「早く終わってくれればいい」になる。

まじめにやっていれば、受け身でもそれなりのスキルや体力は身に付くから、やる気がなくても勝ててしまう。

そういうのもありかもしれない。

でも、そういうのって、長く続かないのだ。

負荷が強くなっていけば、「義務」だけではきつくなる。「やらされてる」感が強くなり、「何で自分だけ」という気持ちが大きくなっていく。

そこが限界であって、そこを越えると、つぶれる

ぱあんと破裂する。

悪いことに、「我慢」にたけた人間限界点を越えても我慢するので、傷はより深くなる。

「我慢」はいらない。「やりたい」が一番。それがないと頑張れない。力が出ない。

体罰は、私にはあんまり意味がなかった。

試合で役に立ったことは皆無だった。もちろん「訓練」として体に染み着いてるので体は無意識のうちに動く。だから勝てる。でもそれがうれしいとはあんまり思えなかった。苦しいときにそれを思い出して頑張れる、ということもなかった。

うまくなってうれしい、自分の力を出し切った、というよりは、3年間耐え抜いた、という方が実感として正しい。



最後試合、私は初めて結果を出した。苦手だったサーブでなぜか連続ポイントを上げたのだった。ストレートと、対角線上に打てばポイントをとりやすいというセオリーを単純に実行したら相手がミスってくれた。不思議なことに、そこに私の中学先生来賓として招かれていた。その場で結果を出せた。

それで気がすんでしまった。

まだ引退までには期間があったが、3年でもあったし、さっさと部をやめてしまった。

今思うと、「先生を見返したい」という意地だけでやっていたのだと思う。だからそれが達せられたらもういいのだった。

それはそれで初志貫徹といえるかもしれないけど、我ながら矮小目的のために時間エネルギーを使ってしまったなあ、と今は思う。

一応一つのことをやりきったのだし、「辞め癖」がつかなくてよかったんじゃないの、という人もいるかもしれない。でも、ポジティブ意味での達成感はなかった。やっと終われる!という解放感だけだった。

私は3年間を無駄にした。今思い返して、素直にそう思う。



今回の事件、生徒は義務とか責任感とか期待とかでぐるぐるになって「好き」という気持ち、自分がこうなりたい、という気持ちはもうぜんぜんなくなっていたのではないかと思う。

そういう状態になると人間は惨めだ。そういう身に暴力は堪える。

悪意とか、支配欲とか、そういうことは教師にはなかったとは思う。葬儀の席で親御さんに指摘されてすぐさま謝ったことを見ても悪人ではない。普通の人だ。

ほかの生徒も先生かばっている。道を教えるのでも、ちゃんとついていってあげないとだめだぞ、と、普段の振る舞いを教えてくれた、と感謝する子供もいる。礼儀を教えてくれた、という子供もいる。かといって、べったり先生の側に立って、生徒の死を悼んでいないわけではない。校門に「キャプテンに捧ぐ」と幼い字で書かれたメモを添えた花束があった。

進路とか戦績とか、お互い保身はあったかもしれないが、生徒への愛情はあったと思う。でなければほとんど毎日、家庭まで巻き込んできつい指導はできない。

が。だからこそ逆らえない。情で縛られるところはある、と思う。



部活を辞めてから高校生活は、それはそれは楽しかった。

好きだった勉強一生懸命できた。それについての専門書を読む時間もできた。その延長で大学に行って好きな研究もできた。早くやめてりゃよかったと今でも思う。

部活の影響は、今でも残っている。

負荷を耐えることは得意だ。が、ぎりぎりまで我慢するから限界を超えるとその負荷の影響を二倍三倍にも受けてしまう。

好きなことをしていてもなぜか途中からつらくなる。義務になる。理由はよくわからないが、たぶん何か「厳しくなくてはホンモノではない」という意識があって、「楽しむ」ということをどこかで軽蔑していたり、その結果思い切り楽しむことができなくなったりするんじゃないかと思う。あるいは自分のやることに自信が持ちきれなくて、先生のような絶対者の評価がほしくなったり、反対に他人の評価で自信を失ったり。

先生については、慕っていたかと言われれば、うーん、お世話になったので大変大変申し訳ないのだけど、ちょっと苦手だったような気がする。

先生はいつも「スポーツマンらしく」、礼儀正しくしろと言っていた。

「力」や「技術」に偏りがちなスポーツで、礼儀とか人のことを考えるとかは、重要なことだ。人としてたいせつなことを教えていただいたと思う。

が、それはなんというか、自主的にやる、と言うより、訓練のようなものだった。やらなければ怒られるし、手が飛んでくるような気がしていた。

私は先生の前でかなり礼儀正しく振舞っていたが、それはかなりの部分「演技」だったような気がする。「それが(先生に言われた)正しい振舞だから」やっていたのであって、「やりたいから」やっていたわけではない、と思う。

そういう「型」ではめられた振舞を厳しく求められたので、本音で接することはできなかった。本音で話せないので、自分の克服すべき問題を一緒に考えてもらうとかは考えられなかった。

いま先生について思うことは、「なんかうまくいかなかったね」「お互い失敗しちゃったね」という感じだ。

自分意志で動く選手になってもらいたい、という先生意図は分かっていたけど、少なくとも私に関してはもう疲れちゃっていた。自分能力を伸ばすという気力はとうにつきていた。ただ自分目的があったし、期待を裏切るのも悪いので3年間続けてしまった。

一回休んでいれば気力が回復することはあったのかな、と思うが、狭い学校生活の中で、一回レールをはずれるというのはなかなかできないことでもあった。

こういうの、「罪悪感を持たせて逆らえないようにする」「カルトだ」という人もいるかもしれないけど、それは日々の人間関係のすごく曖昧な線上にある。その渦中にいるとなかなかわからない。善意と、思いやりと、慕わしさと、依存心と、打算と、不満と、夢と、絶望と、責任感と、プレッシャーと、見栄と、もういろんなものがある。

単純じゃないし、それを理解せずに顧問をアクマ扱いしても問題は現場の教師にずっと残されると思う。



部活やその中での体罰を体験した人のことばがあんまりなかったので書いてみた。体罰がなされて、愛情ある指導がされて、生徒たちも先生を受容している環境で、それでもどうして体罰よくないかっていうのを、説明してみたかった。増田に書いたのは、何となく増田っぽかったので。

ひとつ。今顧問先生をたたく人はすごく多いけど、今たたいても無駄だと思う。

葬儀の席で土下座したとあったけど、彼の頭の中はどうしよう、どうしよう、すみませんすみません、で、意味なく(そう、意味なく)ぐるぐるしてて、冷静に反省するどころじゃないと思うから

責め殺したいならそれでもいいけど、たぶんそれじゃ自分のしたことが過不足なく理解されることはないと思う。そんな中じゃ何が問題かわからない。

同じことを経験させないとわからんだろ、ということもあるだろうけど、同じ経験だったら自殺まで行ってしまうだろと。

そんなのは見たくないし、なんの意味もない。

2010-11-10

ゲイかどうか見破る方法

該当する項目が多いほどゲイの可能性が高いよ☆(オレ調べ)

  1. 学生時代陸上部水泳部バレーボール部テニス部帰宅部のいずれか所属していた。
  2. 三大都市圏に住んでいる(大都市圏に住みたがる)。
  3. 海外旅行が好きらしく、海外になんらかの憧れを抱いているようだ。
  4. 身なりには気をつかっており、人並み以上にオシャレである。下着もオシャレである。
  5. 指先(爪)がいつ見ても綺麗な状態を保っている。
  6. ジャージやスウェット、サンダル姿で気軽に外を出歩かない。
  7. 冗談でも決して「死ね」とは口にしない。
  8. 「メシ」とは言わずに「ご飯」と言う。同様に、「ウンコ」「ションベン」とは言わずに「トイレ」と言う。
  9. 携帯電話を他人に触らせない。
  10. 自宅に友人を誘わない。
  11. パチンコスロット競馬麻雀などのギャンブルに興味がないようだ。
  12. 風俗には行きたがらず、下ネタには参加しない。好きなAV女優をすぐに答えられない。
  13. 邦楽にはあまり興味がないようだ。
  14. タバコは吸わない。
  15. ご飯の食べ方がとても丁寧だ。
  16. 大きなペットボトルでラッパ飲みをしない。
  17. 酒の席では酔いつぶれない程度にとどめている。
  18. 友人に対して肩を組むなどの気軽なボディタッチを全くしたがらない。
  19. ブサイクな女に対してもやさしく接する。
  20. 地元行事祭りなどの地域コミュニティに関心がないようだ。

2010-03-18

レイプ漫画表現について

これらはすべて架空物語なのですが、表現的に問題があるものってありますか?

あと、性器を書かない形で非18禁で出しても問題ないでしょうか?

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