はてなキーワード: 地方自治体とは
本題に入る前にid:iteさんがブコメで、「中立を装うこともやめた」とのたまってて腹抱えて笑ったんですが、おもろいからどんどんやってよw
しかも私が中立じゃない旨を示してると突っ込まれてなお自分で確認もしてないのめっちゃうけるんですけど、あなたがやるべきことは、私が中立だっていつ宣言したのか示すことだと思うけどね。いちおう私は結構親切なので、おしえてあげますけど、4/13日の記事で不偏不党ではない旨の宣言はさせていただきました。大体増田に中立性とか求めている人は、自分はなにか政治的な意見を述べるときに、中立に言えるんですかね。単純な疑問ですが。
あと内閣委員会が、有村治子議員、和田正宗議員と逸材の活躍が目立ちすぎて聞くのがつらい。どんだけヒマなんだあなたがたは。山本太郎が常識人にみえてしまうぞ。
衆院本会議で地方公務員法・地方自治法の改正案が成立しましたが、共産党だけが反対。田村貴昭議員の質疑は大事な話ですが、やはり共産党は時間が短いので駆け足になってしまうのが残念。田村貴昭議員は今週だけでも、国家戦略特区の外国人労働者の人権問題について問題点を質疑されていました。こういう票に繋がらないどころか、農業関係者からの票は失いそうなこともバシバシ切り込めるのは共産党の強みでしょう。
現在、非正規公務員の職は、特別職、臨時職、一般職にわかれています。この割り振りが、自治体間で大きく異なり、保育士、図書館職員等の、熟練が求められる職員が、特別職であったり、臨時職であったりばらついていたものを、会計年度任用職員に基本的に統一する、という制度です。これによって、これまで適用対象外であった地方公務員法の特別職は、審議会の委員等の極めて限定された職種になり、ほとんどの地方自治体の特別職員そして、フルタイムの会計年度任用職員には、諸手当・一時金支給をし、パートタイムの会計年度任用職員には、一時金支給を「可能とする」という改正案です。基本的には一歩前進、といっていいのかもしれませんが、これも結局財政的手当てがないと、絵に描いたもちになるのではないか、というのが共産党の指摘。ちなみにもともとの案では、フルタイム、パートタイムの区別はなかったんですってよ。成案が出た段階で修正されたということ。共産党はこういう、一歩前進かもしれないけど不十分というときには大体反対する。何でも反対という批判もあるかもしれないけど、共産党としては、彼らが審議を通じてした批判が改善されていない、という証左として反対の記録を残しているのであって、これは議会にとって意味のあることだと思います。
10年以上、正規職員と同様の仕事している非正規公務員がいる団体の割合が、職種ごとに、3割から4割と非常に多くなっていることを指摘し、正規職員と同等の仕事をしていると認められるのであれば、任期付や常用職員として雇用するべきとする方針が形骸化しているのではないかと問題提起しています。その中で、フルタイムにしないために、15分だけ勤務時間を短くし、15分超過勤務手当てを出すことでパートタイマーとして雇うといった事例や、転勤してしまう正規職員に代わって、継続性を担うのは転勤しない非正規が担っているという図書館の事例などを紹介。結局地方財政措置を行わないといけないと思うが、どうかと高市早苗大臣に質問、高市大臣としては、当然なんとも言えないので、ちゃんと調査して、もしそういう事例が明らかになれば指摘するという答弁を行います(実効性はどうなんだという話はまぁおいておくけど、高市さんは無難な答弁はうまいよね)
「以前の答弁で、職務の内容や責任の程度は、任期の異なる職員とは異なる設定をすべきと答弁されました。どのような、あるいはどの程度の違いがあると想定されていますか」
「個別具体に申し上げにくいところはあるのですが、最終的には地方公共団体に決定していただくわけですが、国家公務員法制における常勤非常勤の概念整理とあわせて、常時勤務を要する職員というのは、相当の期間、勤務すべき業務であって、なおかつフルタイムであると整理をさせていただいた」
そして、現在の臨時職員の再任用に際して、空白期間が出ていることに関して、会計年度任用職員ではどうなるのか、という質問し、継続性がある場合は、空白期間を設けないよう、適切な任期設定をする(最長一年だけど)という答弁を得て、問題があった場合どのような対応を取るのかときき、部長が問題があったら(自治体に)働きかけをしていく、と答弁した後、すぐ高市大臣に質問(共産党の質疑はそこもうちょっと踏み込めよ、という不満が結構歩けど、時間が短いから仕方ないかなとは思う。森ゆうこさんとかも時間短いけど、彼女は問題をかなり絞って質疑するからしつこい感じがして好印象がある。)
「高市大臣に質問、いわゆる研究会報告書、地方公務員のの臨時・非常勤職員および任期付職員の任用のあり方に関する研究会報告書、この中では、常勤の職員が行うべき業務である、本格的業務という言葉がある。組織の管理運営事態に関する業務や財産の差し押さえや許認可などの権力的業務が想定される、とされているが、総務省の想定はこれと同じか。具体的にどのような業務を本格的業務と想定されているか」
「報告書におきましては、任用職員の任用根拠の適正化におきましては、常勤職員と同様の職が存在が明らかとなった場合には、常勤職員やに任期付職員の活用を検討する必要があるとしております。これにあわせて、常勤職員と同様の業務について、わかりやすく例示するために、あくまで、個々具体的に判断されることを前提としつつ、ご指摘のような業務が挙げられております。しかし、これらはあくまで典型的な例示で、常勤職員が行うべき業務はこれらに限定されるものではなく、これまでの取り扱いを変更するものではありません。その上で、地方公共団体の運営においては、公務の中立性の確保や職員の長期育成を基礎として、職務の精励することを確保し、能率性を追求し、職員の質を確保するために、会計年度任用職員を導入後においても任期の定めのない職員の確保は維持するべきものと考えております(でも予算措置はしない、自治体が努力せよ、というたてつけ)」
「副大臣、私の次の質問にも答えていただきました。今回、新たに「本格的業務」という言葉が導入された。私はですね、常勤職員の業務が、どんどん集約されていくのではないか、その代わりに、臨時・非常勤、いわゆる会計年度任用職員、あるいはアウトソーシングがもっと広がっていくんじゃないか、こういう懸念をもたれる自治体関係者はたくさんおられる、ということを指摘しておきたい」
これは要はフルタイムである、というところが用件になっているので、現状でも都合よくパートタイムを使っているのだから結局予算措置しないと、フルタイムからパートタイムに流れてしまうだけになってしまうのではないかという心配があるよね、という指摘ができればなおよかったなぁと思います。非正規職員のもっとも大事な要求は、賃金アップと、雇用の安定だと思うのですが、雇用期間に関しては、「原則1年以内」から「最長1年」に後退していますし、やはりパートタイム雇用には給与(報酬じゃなくてね)支払い義務、諸手当の支払いが不要という抜け道を、わざわざ成案で用意したということは、どうぞ使ってね、ということなんだろうなぁと疑わざるを得ないのが、残念ですが、各自治体の裁量に任せられたというのは事実なので、ぜひぜひここは、各地方自治体が、非正規公務員の処遇をどうしようとしているのかということにはこれから注目して言って欲しいと思います。維新が幅利かせてるところはあきらめてくださいね。残念。
だからこそなし崩し的にズルズル規制されて今のタバコ状態になるぐらいなら最初にきっちり規制してほしい
アレのせいで不味い酒を飲まされるし学生のクソみたいな飲み会が開かれて
禁止にしても安いメニューが並ぶだけ(1杯100円とか)だろうけど
それなりに効果があると思う
手軽に飲めるのがホント良くない
バイトしてた経験上コンビニでワンカップ酒買ってく奴はほぼ間違いなくアル中
コンビニとも連動するけど夜間に酒買えるようにする必要性を全く感じない
飲みたりないと思ったら寝ろ
地方政令指定都市に住んでも、大きな買い物をするとき、最新電化製品なんかを買うときは必ず街に行く
そこで提案したいのが、地方自治体による、都会宿泊格安プランの創設だ
例えば静岡東京なら1時間15分、岡山大阪なら45分、熊本福岡なら40分程度なので、実はめちゃくちゃ気軽に都会に行ける
お得な切符を使えば片道3000円代で行けたり、高速バスを使うと往復で4500円とかだったりする
正直、無理して高い住居費を払って都会に住むより、地方都市に住んで年数回都会に行く方が安い
都会は刺激的で面白いけど、別に都会に住んでたって毎週渋谷や心斎橋に行くわけじゃない
月一回行くか行かないかだと思う
それなら都会の隣県に住んだってそうは変わらない
QOLを考えると、隣県に住んで、気軽に行きたいときに都会に行く方が断然いいとも言える
家も広いし食べ物も安くておいしい
都会は、高いものはうまいが安いものはまずい、家は金持ちはすごいが庶民は豚小屋だ
で、都会の隣県から気軽に都会に行くとき、一番気になるのが宿泊費だ
実家が都会の人は帰省がてら街に行けばいいだけだけど、そういうのない人は日帰りが前提になる
ちょっとせわしい
それで思った
プレミアム旅行券みたいな感じで、都会宿泊費一泊無料券のようなものを年に一枚移住者に配る
これって、都会に人口吸い取られてる半端地方都市にとって、人口増加を狙える案にならないだろうか?
新幹線通勤定期代補助とかやってる自治体もあるくらいなんだからさ、大牟田市とかね
できればちょい田舎がいいと思っている都会人は多いと思う
誰かやってみて
たーくさん星が付いてるブコメ上位2つがこちら
id:wackunnpapa 注意喚起の記事すら全文が読めない朝日新聞。
id:kogumaneko335 注意喚起の記事くらい全文で読めるようにしてほしい
そりゃ新聞ってのは広く社会に対して呼びかける意義みたいなもんを持ってるんだろうし
食中毒の注意喚起って意味じゃ詳しい内容が多くの人に届いたほうがいいのは分かるんだけどさ
さらには校閲して図表入れてネット用に修正してとかアップするまでに色んな人が働いてるんだろうよ
そうして作られた記事に対して「注意喚起なんだから全文読ませろ」ってのはちょっと勝手なんじゃねーの
無料登録すりゃ読めますよ、でも無料分超えちゃったらお金払ってねってのはそんなに否定されるものかね?
国や地方自治体のサイトなら怒られるだろうけど新聞社だって民間企業なんだから当たり前の話だと思うんだが
「イラストレーターが安い金でイラスト描かされてる」とかいう話題だと「タダ働きさせるな」って怒るし
漫画や映画の違法アップロードに対しては「コンテンツには正当な対価払うのが当然」って正論言う人達が
経産省が作った大阪万博誘致のための資料の「大阪弁バージョン」。批判されて取り下げられたとニュースになってたから、今さっき「はてなブックマーク」のリンクを辿って該当ページにいったら、報道通りに削除されていた。
http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/shoryu/hakurankai/pdf/003_s02_00.pdf
ただし、関西弁資料の跡地のURLには「お探しのページが国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(Web Archiving Project:WARP)」ホームページに保存されている場合がありますのでご利用下さい」という親切な案内が書かれており、さっそくリンクされていたURLから国立国会図書館のWARPのページへ飛んだ。この保存事業は、日々削除されていく国や地方自治体のWebページを国民や地域住民が後で確認や検証ができるように保存しておこうという目的で開設されたものだ。関西弁バージョンももちろん収集されているはずと思っていた。
なかった。
一日で取り下げられた資料としても、政府職員が税金をかけて作成した資料には違いない。国会図書館に保存されるべき資料だが収集はされていなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20170226130630
この主張に異論はないが・・
本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。
こういう紹介の仕方は、同時なにがベタでなにがネタだったのか誤解を招くのでは。
REV 「思想を立ち上げ時代を変えた人(極めて稀)」と、「変わっていく時代を感じて(たまたまかもしれないが)、表現したり、論評したり、上手い名前を作った人」と、区別がつきにくかったりする
kotobukitaisha 今から10年前くらいって、「オタク」というワードは、蔑まれながらも一定の地位が出来つつあって、人に何かを語らせたくなる言葉だった。地方自治体が地域振興に萌えキャラを作る今は、そういう熱はないけど。
t714431169 この人とか非モテ論壇とか、イヤな時代でしたねえ。「純粋さ」「潔癖さ」は持ち上げるもんじゃない。ジャンル違いだけど佐々木俊尚と同じ箱かなー。/ 時代と寝た人として、賞味期限の短さはむしろ勲章では。
本田透は喪男を自称していたが、当時の喪男板とその周辺は今の2chと違って紛争が絶えなかった。独身男性板から分裂し、さらにモテたい男性板、孤独な男性板などに細分化しているのも内紛の結果である。
はァ?…根っからの反フェミだけど本田透は死ぬほど嫌いですが何か?(苛)
あの男の本質は所詮「極左のフェミニスト」に過ぎん。単にそのフェミにすらミサンドリー喰らっていじ
人大杉な時代の喪男板の内紛とはおおまかに言えば「宅間守はネ申」「女ども死ね」「俺を愛さぬ世界は滅びろ」みたいな喪男道覚悟系、はてな風にいうなら非モテロリストと、「二次元があれば幸福」「モテないものはしょうがない」みたいなオタク系とのdisり合いである。テロ派の勢力はまだまだ強く、またテロ派を生み出すような世間のモテ派的空気(「恋愛しなければならない、できない者は人格破綻者。」「努力すればモテるはず」「孤独な者は一生不幸」等)もまだまだ強かった。オタク系の喪男としてはどちらも大変うっとうしかった。テロ派もモテ派も同じような批判(「お前らは世捨て人」、「人間やめてる」、「やせがまんしてるだけだろ」等)をしてくるので、両者はコインの裏表だろうと思っていた。実際テロ派は世間を批判していたがルサンチマンがあるのは世間の価値観にどっぷりつかっていたからなのだ。そうこうしているうちに、本田透のサイト「しろはた」が立ち上がり、オタク系の主張を集めたような本、電波男が出版されたのである。そこで形勢はオタク系に一気に傾いた。これはこれで電波男の売り上げが~とか世間様的評価を利用している感があるのだが。
要するに、本田透が教祖で多くの信者がいたわけではない。喪男板住民にとってポジティブに言えば「本田透はわしらが育てた」のであり、ネガティブに言えば「パクられた」のである。
『電波男』を真に受けたのって、現在アラサーの世代だけだという話をされたが、たしかにそうなりそうな感じはある。『電波男』のあとにきたのは、オタク恋愛マニュアル本ブームだったしなあ
でんぱおとこに、まじになっちゃって、どうするの /「かつて、ネタ・メタ扱いされていたものが後発世代にはマジになる」を地で行くような捉え方だと言いたいが、当時もマジになっちゃってる人は結構いたなぁ。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/835815900590686208
電波男以降、明らかにオタク系が優勢になったので鞍替えや新参もあっただろうと思うが、しろはたと喪板についての私の記憶は上記の通りであり、間に受けるもまじもない。むしろテロ派やモテ派の恋愛原理主義に対する相対化、ネタ化の機能を果たし、且つ喪男における安全な適応作法を提示したのがオタク系であり電波男である。
なので、電波男やら喪男を指してパラノイックなるものを言われても正直困る。脱オタとか言ってた人(id:p_shirokuma)のほうが全然ベタだったのでないか。当時については。
『電波男』を書いた本人は、もはや『電波男』の話などしなくなっているが、ここにきて『電波男』の主張を本気でする人が出てくるのは、昔の人が適当に書いた本を元に宗教が立ち上がったりするようなものなのだろうか
tukanpo-kazuki 若い男性がしれっと自然に何の気負いもなく恋愛から離れていってる現代において、暑苦しく「脱恋愛!」とか「解脱!」とか叫ぶ本田徹は時代遅れになった。生まれるのが早すぎたのかもね。
二次元もいらないという現在にあって電波男をガチで受け止められてもそれはそれで正直困る。ありもしないものについて「脱!」と叫ぶことは逆効果にもなりそうだ(とはいえいまだにベタな恋愛至上主義者もいるにはいるようなので仕方ない気もするが)。
suna_kago 実のところよく知らないけれど、10年前と比べて情報技術などが進歩した現在、彼が唱えたユートピア思想(二次元主義)は当時よりも現実味があるのかもしれない。
反電波男勢の方々は、二次元もいらないという風潮をもって電波男の主張の失効を唱えるかもしれないが、電波男の主張がはるかに追い抜かれた今となっては(なったからこそ)カウンターとしてでも脱~のためでもなくより一層純粋に二次元に没入できる、ベタに電波男的な時代になったとも言えるのではないか。
年間5~6回は結婚式に参加するのを何年も繰り返していると、感心するものと見ないものがよくわかる。
自分でもムービーを作っているが、その時に気をつけていることを含めて
ちなみにこれを書いたのはそんなムービーに参加させられようとしているから。
いや、いいんだ。仲の良い友達の余興なんだし、思い出話もあるだろう。
でも「君たちにしかわからない」ネタを延々流されると見てる方はうんざりだ。
せいぜいエピソードの1つにとどめて、他の列席者が見ていることを忘れないようにしてくれ。
しこたま内輪ネタを放り込みたいなら、それは後日食事会でもなんでも開けばいい。
「せっかく作ったからたくさんの人に見てほしい」なんてのはエゴだ。
その時間があるなら高砂で新郎新婦と喋りたいし写真撮りたいんだ。
多いよね。各自デジカメとかでメッセージ撮って送ってください系。
ただ、かぶるんだよ。というか、同じことしか言わないでしょみんな。
二人仲良く幸せな家庭を築いてください」
みたいな、テンプレになるんだ、どうしても。
気が利く人は、そういうのを避けてくれるけど
「大勢の中の1人」であることを理解して送ってくれる人はそんないない。
「2人は内緒で!」みたいなのも多いよね。
でも、何かしらあることぐらいわかるんだって。
「驚き」を持って迎えて初めてサプライズなんだ。
本当にびっくりさせることはとても難しい。
ちなみに、本当にサプライズがうまくいった時は、
当人たちでない列席者から感嘆の声や笑い声、拍手が自然と起こる。
起きなかったらそれは、予定調和だと思ったほうがいい。
相応に技術がある人がやってこそ成立する。
例外は(ネタとしては枯れたが)「恋するフォーチュンクッキー」だな。
「とりあえず踊ってさえいればそれを継ぎ接ぎして成立する」という
同じノリで他のものでも成立するかというとそうでもない。
そう「恋ダンス」を同じようにつなげても失敗するだけだぞ。
あれは同じセット、ライティングで違う人(または合成)で、
という話になると思うので要点だけ。
ムービーを見るのは、ムービーに関わっている人よりも、関わってない人の方が多いんだ。
・ここはどこなのか
・何をしているのか
・何の話をしているのか
というような5W1Hに見ながら気づけるか、気が付かないならテロップで補足するなど
新郎や新婦の片方しか知らなかったり、自分たちを知らない人であっても
パッと見でわかるような作りを心がけてほしい。
自由にメッセージをください、って言うから何も言うことがなくて、
・どんなお嫁さんになって欲しい?
・初めて会った時の印象は?
というようなテーマをいくつか決めて、それについて喋ってもらえ。
「(新郎の名前)さん」「ご結婚おめでとうございます」みたいな部分はもちろんカットだ、
新郎に言ってることぐらいわかるし、めでたい気持ちもここで言わなくていい。
画用紙にテーマを書いて喋ってもらうか、テロップで何について話しているのか出せば、
視覚でテーマを理解しながら聴覚でメッセージを確認できるのでおすすめ。
メッセージでも触れたけど、同じようなのが続くと飽きるんだ。
カット割や画角を変える、喋ってる最中に写真を差し込む(音声はメッセージ)、
というようなアクセントをつけるだけでダラダラ感はなくなる。
自分で作ってみると「視聴者を意識する」「自分のエゴを出さない」
っていうのが難しいことがわかる。
主役はあくまで新郎新婦であり、列席者の時間を取っていることを忘れないでほしい。
せっかくのお祝いの言葉を切ったりするのは悪い、と思うかもしれないが、
喋ってない時の間や、同じこと言ったりしている部分はバッサリ切れ。
喋りのプロじゃないんだからノーカットで見せれる人なんて少数だ。
ひどいときにはデジカメのスイッチON/OFFとかも本編に入ってたりする。手抜きか。
可能な限り素材は短くするように心がけて、
素材同士の音量差、BGMとの音量差に気をつけるだけでも随分と変わる。
こんなところだろうか。
http://news.yahoo.co.jp/feature/517
で、いともアッサリと詐欺的なセミナーに引っ掛かっている事例がいくつも出ていたので、そういう人が読むかどうか激しく怪しいが、予防法を書いておきたい。
身も蓋もないが、これが一番確実ではある。
第三者の目を通している分、セミナー主催者とセミナー講師が同一である場合より安全度が高いです。
本を出しているなら買うか借りるか立ち読みかで読んでみる。
というわけで、日本人の喫煙者は割とマナーが良いんだよね。別に法的に禁止されていなくとも、迷惑を考えて路上での喫煙は控える人が多い。なお歩きタバコ禁止条例がある地方自治体でも、健康増進法25条と同様に罰則はない場合が多い。あってもせいぜい過料(行政罰)2000円とか。
誤解があるようだが、日本国内において、路上喫煙を禁止する法律は存在しない。すなわち、「路上喫煙は基本禁止」であるとは言えない。
地方自治体の条例によって、特に大都市や県庁所在地などの大型市町村においては、エリアを指定して限定的に禁煙としていることはある。例えばバス停や駅の出入り口付近など。しかしこの場合においても、条例によって指定された一部エリアが禁煙とされるだけであって、大半の場所は喫煙可となる。
ただし条例において、歩きタバコを包括的に禁止しているケースはしばしば見かける。この場合、その条例がある市町村内に限って、歩きながらのタバコだけが場所を問わず禁止となる。
ところで飲食店については、健康増進法により分煙※1が義務付けられている(法25条)。なお、この義務は施設管理者に対する義務であって、飲食店等の利用者に対する義務ではない。
しかし同法25条は罰則を伴わないことから、ザル法となっていることは周知の通りである。すなわち、現行法においても飲食店は禁煙/分煙しなければならない法的義務を負っているのだが、飲食店経営者の順法精神が余りにも乏しいため、特に居酒屋などにおいて分煙すらしていない店が多数なのが現状である。(そこで、オリンピックを契機として飲食店等における受動喫煙防止の不遵守について、罰則を設けることが検討されているのが今改正法案。)
要するに、現在の日本国内でも法的には「屋外原則喫煙可・飲食店内禁煙(最低分煙)」となっている。
※1
同法25条が直接義務付けているのは「受動喫煙の防止」である。受動喫煙防止の具体的方法としては、全面禁煙を原則としながらも、喫煙場所から非喫煙場所にたばこの煙が流れ出ない形での分煙が認められていると解される(厚生労働省局長通知 平成24年10月29日発等参照)
3月に卒業する予定なのですが、4年間で感じてきたことを身バレ無しで書きたいと思い、投稿してます。
何を感じたかというと、常に話題になりつづけている「格差」です。
ここでいう格差とはピラミッド上位層の中に限定した中での格差(つまり上の上と上の下の格差)かもしれませんし、もっと広義での格差かもしれませんが、私の中でも曖昧です。文章を読むにつれて伝わっていけばいいなと思っています。
私は地方出身で、首都圏に身寄りもないので一人暮らしをしています。家賃は5万円台です。
もちろん高卒で働かなければ家庭が維持できないほどの貧困家庭ではなかったということです。
母子家庭なので国や地方自治体からの援助があり、そのため働くことなく上京できた可能性がありますが、このあたりは母親にまかせっきりなので詳しくはわかりません。
学費をバイト代から払ってしまうと生活がままならないので、学生支援機構の奨学金を学費に充てています。いわゆる一種と二種の両方を全額借り、学費を払い、余剰分は実家の母親に預けています。
上京するまでは月々8万円ほど稼げば十分に暮らしていけると思っていました。
食費3万円、光熱費や携帯など固定費2万円~3万円、自由に使えるお金として2万円~3万円。
高校生の頃は月5000円のお小遣いだったので、自由なお金が約2万円というのはとても魅力的に感じていました。
しかし実際は全く8万円では足りず、毎月15万円ほどは必要でした。
試算との差額の多くは交友費です。
私は貧乏ということを周りに印象つけられたくなかったので、誘われた飲み会や旅行にはなるべく参加しようとしました。
それだけで月5万円以上は必要となったわけです。
周りの友達の多く(体感では8割ほど)は両親からの仕送りや小遣いで飲み会や旅行に参加します。
比較的お金のない友達でも、アルバイト代が全額小遣いになり、生活費全般はすべて仕送りや奨学金で賄っていることがほとんどです。
「貧乏というレッテルを貼られたくない」というプライドだけで、毎月約70時間、年間800時間以上をアルバイトに費やしてしまいました。
アルバイトの時間が多い分だけ失ったものがあると考えると、とてもつらいです。
4年間で約3000時間以上です。もし全くアルバイトが必要なければ6000時間を超えるでしょう。
難易度の高い資格試験に挑戦できたでしょうし、プログラミングにも手を出せたかもしれません。
何百冊もの本を読むこともできました。
4年間多額の交友費を使っていたことでサークルやゼミなどの友達とたくさんの思い出ができましたし、それが無意味だったとか無駄だったとか言いたいわけではありません。
楽しかったですし、実際遊んでいるときに「このお金(時間)があれば…」と考えることもありません。
私は文系で、大学の研究室でいわゆる日本の格差問題について議論することがあります。
正直私以外は格差問題について基本的に上からの視点でしか話しません。
両親の収入によって子供に文化資本的な格差がある、教育格差がある、なども問題は存在を認めながらも他人事でしかないようです。
解決しなければいけない問題ではありますが、本人が直面している問題ではありません。
この、格差問題との距離感の違いが必ず浮き彫りとなり、つらかった。
私が母子家庭に生まれなければ、この大学での一般的な家庭に生まれていれば、見栄やプライドがなければ、地元の大学に入学していれば、と卒業を前にした今どうしても考えてしまいます。
母親に話せるわけもなく、同じ大学の友達に話せるわけもなく、高校の友達と頻繁に会うこともできず、つらいです。
かなり昔の話になるが、僕が出た首都圏の某私立高校はやばかった。
高校受験の偏差値一覧表を見ると60は一応超えて進学校に見える。
だけど実態はひどかった。
具体的に言うと異常な行動をする生徒がちらほらと居たからだ。
まあ、今からかなり前なので多少の改善はしているかもしれない?が
何が異常かと言うと、風俗狂い、校外で当時合法だった脱法ドラッグで乱行パーティーしてる輩、学校内での盗難の多さ。
もちろんそれはほぼ全員でなく一部生徒がそのような逸脱した行為を行なっているから目立つのであるが。
授業に関しても超底辺、中下位クラスでもほとんど成立してない。
動物園だ。
ちなみになぜそこまで酷かったのか答えは簡単だ、スポーツ推薦や中学版指定校推薦、事実上の一科目入試、書類だけで入れる推薦入試などの入試を経て入る人の比率が圧倒的に多く、
一般的な入学試験を受けて入るが全体の20パーセント未満であったからだ。
あと特質すべき点は、スポーツ推薦で入る面子が尋常でなくレベルが低いことだ。
一般的にスポーツ推薦で入る人はマナーがいいだとか挨拶をしっかりとするとかっていうイメージがあると思うが、そんな聖人君子みたいなのはいなかった。
そんな生徒は監督や一部の教師の前では借りてきた猫のような態度を示し、そうでないときは尋常でなく横柄な態度をとる生徒が多かったし、授業は全部寝ていた(威厳のある先生の前でも堂々と寝ていたので、授業は寝ることを指示していたのかと思うくらい)、それにテストではカンニングは横行していた。
また学年によってはそう言った生徒によるおごりの強要や恐喝じみた行為も蔓延していたらしい。
しかもあれだけ豪華な施設を持っているのに関わらず、野球などは大会に出るとほぼ必ず地方予選の二回戦三回戦で負けて、弱小校としか言えない悲惨な状況であったそうだ。
ではどうしてスポーツ推薦で入った生徒のレベルが低いのか、理由は二つある。
まず、首都圏には早慶、マーチ、日東駒専などまともな大学の付属の学校がたくさんあり、
本当にスポーツができる、または、スポーツはまあまあだが勉強ができる生徒は大抵、まともな大学に進める高校に行くからである。
2つ目の理由は学校の施設が余分に豪華で、一日の維持費が200万かかる(噂)の施設やサッカーコート、野球場、ラグビー場、バスケットコート、柔道場、剣道場、水泳場とそれぞれ2つずつあったり。
さらにトレーニングセンター、野球の室内練習場、さらには豪華博物館もどきの施設、図書館が6つ、さらには語学研修センター的なもの(一般生徒は使えない)などありそこら辺の大学よりも豪華なので(一応大学も同じ敷地にあるがそれらの施設はほとんど大学生が使えないらしい)維持費は相当かかる。
だから生徒のレベルが低かろうと大量の生徒を受け入れないと維持できないという理由からだ。
また国や地方自治体からの補助金は生徒の人数に応じて額が決まると言うのも要因であるからであろう。
以上の理由で質の悪い生徒を相当受け入れざるを得ない状況にあるのだ。
そのほかにも、僕の経験した中でインパクトに残っていたことをいくつかあげると、不良の生徒10名前後が学校を終えたら騒音撒き散らしベンツやBMWに乗って暴走行為を始めたり、改造バイクに乗って騒音を発するなどの行為をしていたことだ。
だが、授業中はほぼ100%寝ていたのでほとんど無害であることが救いであった。
ちなみにその生徒は皆町田の中学から推薦で上がってきたそうだ。
あとは薬物乱行パーティーの件だがこれもやはり町田の中学から推薦できたやつが中学の時の女やその仲間を連れて、サッカー部のスタメン落ちやよく分からない運動部の生徒と一緒に
脱法ドラッグ使用し乱行騒動を行なっていたという公然の秘密があった。
しかも高校生なのにも関わらず、風俗パチンコ狂いもかなりいたし、女子生徒は金髪が当たり前(校則では禁止されていたが)で結婚している生徒もうじゃうじゃいた。
で、進学校を自称しているのにも関わらず、普通科で大学に行く連中は大抵は推薦でニッコマレベルの大学、一般入試組は大東亜帝国、実力でマーチに行けば内部で頭がとてもいいと大絶賛される、それに専門学校への進学者もそこそこ居た。(一時期話題になった典型的な自称進学校?)
ちなみに早慶へ行く人たちは大抵が帰国子女だったりでAO入試での合格者だそうだ。
業界の程よく中心から距離のある関係者視点で、電子書籍を取り巻く日本の事情について書いてみます。
ここ数日話題になってる「全部電子書籍でだせっていってんだろ」「くそ業界滅びろよ」っていう読者の声と、それに対する業界のいいわけじみたコメントに対するメモですね。
スタンスとしては、業界側の視点ではあるんですが、業界を擁護するつもりはありません。すべての業界や消費物と同じように、必要とされなければ声を荒げなくても滅びると思っているので(そして出版業界が斜陽であるのはもう周知の事実ですので)、ことさら擁護の必要もなければ罵声を浴びせる必要もない、というのが個人的な気持ちです。
読者側にも業界側にも各論はそれぞれあるとおもうのですが、今回述べたいのは、総論として「日本の出版業界は、日本の書籍市場に過剰適応してしまった」という点です。
この場合「日本の書籍市場」っていうのは、取次ぎのシステムであるとか、再販規制であるとか、書籍の値段分布であるとか、日本人の読書傾向であるとか、まあ、そういうもろもろです。
さらに誤解を恐れずにいうのならば、「日本の書籍読者の皆さんと、日本の出版業界は、共依存の状況にあります」というのも加えたい視点です。
「日本の書籍読者の皆さん」というとなんだかすごい人数いるような感じがしますけれど、統計から見ても、「年間一冊以上、字ばかりの書籍を買う人」なんてものは、日本の人口の20%もいません。もっと頻繁に本を買う人、書籍を買うというのが日常行動になってる人の数の統計は見たことがありませんが、体感で言えばその20%の数分の1ではないでしょうか? 「書籍のヘビーな読者」というのは、もはや不特定多数ではなく、特定多数なのです。
そういう非常に熱心な読者の方の存在を前提に、どっぷり浸かって過剰適応したのが日本の出版業界です。
世界的に見て、日本の出版業界は、出版物の値段、出版物のバラエティ、出版物の点数、印刷のクオリティ、全国配送網、書籍へのアクセサビリティなどの点で、類を見ないほど高いレベルにあります。個人的には、変態的で気味が悪いほどレベルが高いと思っています。こういった点は、日本の読書文化とさきほどの「熱心な読者の皆さん」に支えられて、長年かけて進化してきた成果でしょう。
出版という視点から離れてただのビジネス的な話として判断してほしいのですが、つまりそれは高度成長期を何度も経験して人口も増えて、中間層が発達して、娯楽に可処分所得を投入可能になった国が、「親にしかられない文化の王様」として書籍を愛して、業界側もせっせと面白楽しい本を矢継ぎ早に出した結果です。そういう設備投資、そういう人材発掘、そういうスキーム作りをしたのです。再販規制も、広い意味で言えば「そういうスキーム」の一種でしかありません。
現在の出版不況は(個人的にはそんなに不況だと思っていないのですが)、このシステムそのものがが、時代の流れに置いてけぼりになってしまったというだけのことです。少子化であるとか住宅事情の変化であるとか、読書文化の変遷(ここに電子書籍は含まれます)についていけなくなっているのが、現在業界を取り巻く現状です。
では、そういう仕組みを変えればいいじゃないか! と皆さん思うでしょう。
もっともです。時代に合わない企業は淘汰されるのが自然の仕組みです。
しかしながら前述したとおり、出版業界は適応を超えて、過剰適応の段階にあります。出版業界が今の時代に合わせる難易度は非常に高いです(それはみなさんも、出版業界の動きからうすうす察していますよね?)。イノベーションを起こす人的な余裕も経済的な余裕もほぼありません。大手がのろのろ動いていますが、この速度は何も出し渋っているとか、一部の読者の皆さんが言っているような嫌がらせなどという陰謀論ではありません。過剰適応して余裕がないだけです。
個人的な見解でいえば、大手出版社が華麗にイノベーションを起こしてパラダイムシフトを達成するよりも、非出版業界の会社が新しいスキームで参入するとか(Amazonはこれにあたります)新規出版社になるというほうが、実現速度はずっと早いと思っています。
まあ、とにかくイノベーションですから、壊して作るしかないのです。が、過剰適応しているので壊しづらい。それだけです。
この辺の話は、ビジネス書を読めばいくらでも出てくると思いますが、今回指摘しておきたいのはその先の「過剰適応」と「共依存」についてです。
電子書籍への移行を求める読者の皆さんはおそらく書籍愛好家ですし、今まで出版業界を支えてくれた皆さんだと思います。
これを書くと炎上してしまう気もするのですが、出版物の値段、出版物のバラエティ、出版物の点数、印刷のクオリティ、全国配送網などの利益を得てきたのも、皆さんなのです。あえて言いますが、読書家の皆さんはそれを「既得権益」だと思ってはいませんか? 共依存と指摘したのはこの点で、読者の皆さんはそういう環境を当たり前だとは思っているように感じるのです。自分も日本人で子供のころから日本の豊かな出版文化に首までどっぷり浸かっていましたので、それが当たり前の光景だという感覚はよくわかります。が、世界のすべてがこのように豊かなわけではないということを、ビジネスを通して学びました。
こういう書き方をすると、「出版業界の脅迫」というコメントがつく気もするのですが、考えてもください。「脅迫だと感じる」ことこそ「あって当然の権利だと私は思っている」という告白なのです。
重ねて言いますが脅迫でもないし出版業界の擁護でもありません。不要と判断されれば業界が消えるだけだと思っています。
イノベーションを起こして業界を変革するというのはよいことで、最終的にはユーザーの利益になるような調整が行われるのが市場原理ですし、最終的にはそうなると思いますが、当然「破壊」するからには失われるものもあります。たとえば電子書籍なので物理書籍より安くなるのが当然だと皆さんは考えていると思いますが、それが未来にわたって保障されるとは限りません(そもそも安くならなければいけない理由もありません)。出版点数についても、このようなバラエティが保障されるとは限りません。
過剰適応というのは、安定した市場に向けてサービスをフォーカスしすぎて余裕がなくなった状態ともいえます。うつりゆく市場になったからには、投資においてリスクヘッジをしなければならなくなるでしょう。
読書人口というのは限られていると指摘したとおり、それはたとえて言えば、地方自治体のようなものです。電子書籍サービスをすぐしろ! いや無理だ! というのとは関係なく、斜陽の業界なのですから物理書籍も含めて、もはや「今までと同じようなサービスは望めなくなるのが当然」なのです。
もちろん、業界側(出版も印刷も書店も)利益を上げるためにやっているので、今までより低コストによいサービスを目指してやっています。スタッフを少なくしても同じ仕事ができるように効率かも進めます。しかし、それでも吸収できないときがくれば、当然ですけれど、価格への転嫁やライン(出版点数)の絞込み、地方配本の削除などが行われるでしょう。これは、どんな業種でも同じことであって、出版業界は聖域ではないのです。
一連の応酬を読むと、どうももやもやするのがこの部分で、新刊が出るのもそれが配本されるのも面白い本がでるのも、全部ただの商行為であって、信仰とか正義とか哲学とか、そういうのとは何の関係もありません。出版業界人は自分たちに文化人な変なプライド持ち過ぎだと思いますし、読者側は出版や自分の読書ライフを絶対視し過ぎではないでしょうか? ただひたすらに、その取引の瞬間、やり取りが成立しただけで、永遠も持続もその取引には含まれていません。「続刊を必ず購入してもらえる保障」も「続刊が出る保障」もその取引に含まれていないのです。
ビジネス的な観点で言うのならば、大規模な投資をしてイノベーションを起こすのであれば、「熱心ではあるけれど人口の少ない旧来の読者」などは相手にせずに、「今まであんまり書籍を買わなかったけれど、イノベーションによって買うようになった新しい読者」をターゲットにすべきでしょう。
「早いところ業界をぶっ壊せ、イノベーション起こせ!」というのは非常にわかるのですが、業界の歩みが遅いのは「熱心な読者」に執着しているからなのです(なにせ過去から現在に渡るメインのお客様ですからね)。これが、業界側から熱心な読者に対する「依存」です。
ぶっ壊せと叫んだ結果、「自分の好きな出版物や出版文化がなくなる」というのは、当然のリスクとして織り込むべきだと思います。
教員免許が国家資格なのは、子供を預かり教育することがどれだけ重要なのかというのことを表している。
それなのに国や各自治体は何食わぬ顔で教育現場未経験の新卒を担任にする。
昨日まで学生だった22、3歳の彼らは突然30数人の子供を預かることになる。思春期反抗期に入った子供は実の親ですら分からなくなる時がある。それなのに国はそんな子供達をまだ何も知らない若者に放り投げる。若者は若者なりに考えてやるものの、ベテランと同じ仕事をできるわけがない。普通の会社ならここで「すぐにベテランみたいになれるわけがないんだから失敗しながら頑張れ」と自分を慰めることができるかもしれない。しかし教育現場ではそうはいかない。学校というのは子供にとって大きな影響を与える場所である。大人になっても学校での良い経験、嫌な経験を覚えているように感受性が豊かな子供の頃は、学校ひいては教員の存在は大きいのだ。つまり大人にとってはただの失敗でも子供にとっては数十年経っても忘れないトラウマになることだってありえるのだ。
そんな大事な仕事する新卒のために、多くの自治体では事前研修などをしない。
4月1日になると現場に放り出され、6月7月になってからやっとクラス経営や指導方法といった研修が行われる。おせーよ。
周りの教員も忙しい年度始めにきた新人など相手にしている暇がない。嫌がらせではなくそこまで心の余裕が持てない。孤立する新人、思春期の子供、忙しさで苛立つ同僚、おなざりになるプライベート。そりゃ死ぬわ。
国や地方自治体の人が見てるならどうか分かってほしい。研修は事前にやらなければ意味がないということ。土日の部活をすると週7勤務になること。新卒は副担任から始めるように義務づけること。
同じく海外赴任したことのある身から想像するけど、海外赴任できるチャンスを得られたということはそれ自体が恵まれている。
もしかしたら貧しい中で必死にバイトして留学資金を貯めたのかもしれない。家族から見放され家を飛び出したのかもしれないが、それでもなお。
ただ、海外に出て世界の広さを感じると別の部分が鈍感になる傾向がある。よく陥るのが「自分が努力してできたんだから他の人だってできるはず」という思い込みである。
そしてあなたは日本だけでなく多くの国で問題になっている「閉塞感」というものが理解できていない。
国がどれだけ恵まれていようがその恩恵に預かれない人がいる。そして自身の生活を打開できるだけの精神力を持つことを許されなかった人がいる。
この人たちは「恵まれない」環境にいるのだ。物理的に恵まれない人へは同情が寄せられるが、精神的に恵まれない人はあなたが敵意を向けるように理解を得られないことが多い。
物質的に「日々の食べるものにも困り、生きてくるだけで精一杯だった」人がいるのと同様に「精神的にぎりぎりで、ここまで生きてくるだけでも精一杯だった」という人たちがいる。
その人たちとあなたは90度くらい違う。私も英語とプログラミングができるので、別に何をしたってどこの国だって生きていけるという安心感がある。これだけで世の中がどれだけ悪かろうが夢を持て、生きていくエネルギーを得られる。
しかしそれもこれも基本的には努力できる恵まれた環境を用意してもらえたからだ。恵まれた環境を与えられずエネルギーが尽きかけてる人に、エネルギー源のある人の方法論を唱えても使えるものじゃないんだよ。
世の中に届かない方法論は国を良くしない。
「原発立地自治体はいままで散々おいしい思いをしてきたのに反対するとは何事か。俺が政治家ならすぐに再稼働するのに」という意味合いの発言を聞いた。
最悪である。
こいつは今までに政治家が地方にどれだけ頭を下げようやく原発を建てさせてもらったかをまったく分かっていない。事故は起こさないという約束を守れずどれだけ信頼を失ったかを理解していない。仮にこんな奴が政治家になったら失言の上、地方自治体から総スカンくらって即更迭である。国のために何の役にも立たない。足を引っ張るだけ。
最初から最後まで、皆うんうんと頷いて聞くだろう。そうだね、その通りだよ。今までの人生で1000回くらい聞いたよ。そして半年後には別の誰かの1100回目のお話で上書きされ誰もあなたのことは覚えていない。
あなたの意見が間違っているわけではない。個人の幸福の追求方法としては正しいが、多数の幸福を求める場合、思いが届く範囲が狭すぎるのだ。国を良くしたいならその方法は効果が薄い。
あなたのような意見が聞けるのはいいことだ。きっと日本をよくできる、個人でも頑張ろうという人が少なからずいるということは日本にとって明るい材料だ。
しかし閉塞感の蔓延した世の中には届かない。ここ20年間以上、無力感を蓄積させられた人たちに必要なのは「頑張れば日本は良くなる」ではなく「良い日本にするから頑張れ」だ。閉塞感→不景気→少子化の悪循環を止める現実的な少子化対策だ。
今回の「保育園落ちた日本死ね!」は結果として「お!?きっかけはともかく、実際に対策が打たれたぞ!?こいつは明るいニュースだ」と今保育園に入れられない現実に直面している人たちの背中を押しただろう。子供が一人増えれば、何世代か後にはGDP数億円分に貢献したことになる。
理想とは言い難いが「伝わる」物言いが世の中を変える。(途中で気づいたが、トランプ大統領誕生も一種のそれだな。私はトランプを支持してないので書いてて自分の胸に刺さったわ……)
なんと、仮想増田だったとのこと……『種明かし』http://anond.hatelabo.jp/20161205182802
NATM工法に関して妙な誤解が流れている様なので書いておく。
開削は既設管を移設する必要以外にも覆工、かさ上げと開削部の周辺を大量に占有しないといけないので、
都市部で採用するのが本当に大変な工法。「ここからここまで開く」なら平地でも排水が難しい都市部なら「ここからここまで開削の為にかさ上げ工事して、ここからここまで距離とる(道路なら工事期間利用停止)」となってしまう。昔は都市部だからって距離取らないでやって水流れ込んだり踏み抜いたりで事故が発生したりした。
シールドでも本坑から大空間への拡幅工事を行うとき、同じ工事を行うために、先進抗となる部分の違いでしかない。先進抗での分割掘削ならば補助工法によって安定的に地山形成しながら進めるため、むしろ危険性は少ないとも見積もれる。
(もちろん海底下の浅いところに沈下が使えずシールド通さないといけないみたいな特殊な条件なら別だが。そんなところはそもそも大空間を施工しない)
しかし事故が起きた。二度も前あったじゃないか!というのはさすがにどうかと思う。
14年立坑の工事での横からの土砂流入による陥没はプロセスが違うし対策も違う。おそらく周辺地盤の改良ミスだろうが、埋め戻しを優先してしまったので確認が難しい。
(この点においてJVに現場周辺の調査より先に埋め戻しをJVに指示した市の対応は拙速かつ問題ではある。国交省から警告書を部長名でだされる理由がある)
いずれにしろこれは監督者としての市の問題ではあるが、工法の選択レベルの問題ではない。というかこれは工法の様々なパラメーターの問題の可能性の方がはるかに高い。
日刊建設工業新聞に載った記事は公開期限を過ぎているようなので、日経コンストラクションの方を引くが、
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/cntnews/15/111600596/
かぶり2mも、傾斜を下げた先受け鋼管によるAGF工法も、先進抗も、通常の対策としては特におかしくはない。
ただ記事中にもあるように、初期設計時より先受け鋼管の長さを切って上部長が減っていたのは、改良地盤の連続性が減っていた(波打っていた)可能性があり、そこで上部層にたまりの様にあった可能性がある火山灰層で構成された帯水部が岩盤上部にスパイクのように風化により切り込んでいて、そこから抜けてきたというのはシナリオの一つとしては考えられる。
その場合は過圧密な地層が主体だったのが逆に災いしたのかもしれない。
*AGF工法というのは前方にある程度の間隔で傾斜をつけて挿入した先受け鋼管を通して改良材を加圧注入し、鋼管が重複する部分をつくることで連続的な地山改良効果を得るものなので、長さを減らすと硬化が及ぶ厚さも同時に減る。しかし抗の安定性自体は側面ロックボルトの変更で対応できるので地盤が急に傾斜していなければ問題ないし、傾斜してるだけならば挿入時にリークがあって変位計測にも出るのでそこからの支保工の変更などで対応可能なため、変更した設計自体は通常なら問題があるとは言えない。今回は先受け鋼管の一部にSAAという傾斜計のチェインを入れた変位計測システム(TN-Monitor)を運用していた様なので、その場合ならわかったはず。
いずれにせよ、地中工事は現代でも、どの工法であってもどの区間であっても、適切と思われていたガイドラインによって施工しても、未だにミス以外のカバーできない問題が出現する世界であって、それは都市部では更に顕著であるということは言える。コスト的に現実的なラインに収めつつ確実性をあげるには、施工場所の工事履歴を完全に活用できるようなデータ基盤が必要となるだろう。浅地下の埋設管からの影響も、そこでの工事状況から推定できることもたくさんあるので、調査費用の削減の為にも路盤情報システムの整備が進むことを期待している。
今まで、city.市名.都道府県名.jpというドメインで市のウェブサイトを公開していたとある市が、
LGWANと庁内ネットワークを分けなくてはならないと言うことで、我が部署にもネットワークの分離に関するお知らせを送ってきました。
簡潔に述べると、今までは庁内のグループウェアにおいて、部署毎にメールアドレスが設定されており、
そのアドレスには庁内ネットワークからも、インターネットからも送受信が可能でした。
今回、そのアドレスに変更があるというお知らせです。
今まで user@city.cityname.hogeken.jp
だったものが、
になるというのです。
要するに、LGWAN内で使うドメインとして、lg.jpを設定するようです。
lg.jpと言うトップレベルドメインは、庁内ネットワークで消化されるべきドメインなのでしょうか。
私としては、外部に地方自治体であることを明らかにするためにも、lg.jpは外部に向けて使う物だと思っていたのですが…。
どうなんでしょう。
・自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地の代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府が地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民の利益に繋がる」と考える、以下理由
直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史も現在置かれている状況も違う
那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍を意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。
南西諸島などの離島は沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島の政権からの差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。
そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力の川内原発についての福岡や奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。
ケンカになるから、ほとんどの場合自分と在日米軍・国防関係で自分と違う意見や明らかに間違っている知識(沖縄県が負担している米軍基地の割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。
しかし中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係のワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民は親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカの覇権は絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客がお金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。
・そんなわけで、『沖縄県民の意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う
基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人・軍属相手の商売で生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去に事件事故で家族が被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見は統一できない思想は自由なので当然だ
・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう
手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う
(米軍基地はどうするべきか)
・普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府、米軍、沖縄県民、宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在の問題だと考えている
・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外(グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地の建設が進められているが、要するに日本政府の意向と失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。
・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。
・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県の位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯のジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う
・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県の基地負担は未来永劫、永遠に続くことになる
この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済、暴力に向かわせる力がある。
まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。
・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。
・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設を絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後、沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。
・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民の意思を無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設に同意してしまうと今度は『沖縄県、地元住民は新しい基地を建設することに同意した』という新しい現状が生まれてしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき新基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。
・政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄だ
前世紀に普天間基地の代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザの脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。
(余談)
みんな『次の戦争』に備えるとき、記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。
第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか
みんな『次の戦争』を考えるとき、太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本が宣戦布告されたり、するときは
ガルパンおじさんの聖地大洗町が財政難のために救急車が買えないらしい。
http://mainichi.jp/articles/20160929/k00/00e/040/146000c
ネットでは今こそガルパンおじさんの出番!なんて記事が乱立している。
私もひとりのガルパンおじさんとして、また大洗町へ訪れる観光客として
この状況には胸が痛い。なんとか力になれないかと思う。
※参照先リンクを見ると、町長さんは寄付をしてほしいとは言っていない。
また、ネット上でのガルパンおじさんの出番!はネタ的に言われていることも承知している。ただガルパンおじさん兼地方民として感じたことを書かせて頂く。
寄付でたまたま救急車が買えたとして、今後もう一度同じことができるか、難しいと思う。
その時どうするのか。また、新調できたとして、維持費用はどうするのか。
税収が少ない地方自治体が資金を調達する方法として自主的に寄付を選んだのなら、それはそれでひとつの方法だと思う。
ただ、棚ぼた的なラッキーを期待するのは間違っている。
ひとのうちのことに頼まれてもいないクソリプを飛ばして申し訳ないどう思う。
しかしせっかく寄付をするなら、そういった問題に町はどう対応するんだい?ってことを知りたいと思う。
もし寄付が始まったら早速入金しにいくよ。
B.中央の対義語(中央政府に対する地方自治体、国管轄対象に対する自治体管轄対象)
D.東京以外
おまいらの言う地方って具体的にどこだよ
よく地方語りや地方叩きの文章が見受けられるが、文脈から判断しようにもA・C・Dどれか分からないケースや
混在してるケースもあって事実誤認を大量生産してるぞ。いいかげんにしろハゲ。
おまいらの言う都内って具体的にどこだよ?
A.23区内
B・23区内のうち下町ではないエリア、畑や田んぼがないエリア
都内は不動産が高いとかさも当たり前のように言う人は多いが、お前の言う都内ってどこだよ
青梅とかあきる野とか完全に田舎価格だろ。その場合の都内はAかBなのか?
しかし「都内は不動産が高い」に便乗して「首都圏は不動産が高い」や「関東は不動産が高い」とか言う奴まで出てくるのはどうなのよ