はてなキーワード: 新郎とは
筆者は、結婚において親への報告が必要だと考えていたが、世間的には親の承諾(賛成)が必要だった。
筆者は、親が賛成しようが反対しようが、報告が終了していれば問題ないと勘違いしていたため、
報告が終了した段階で(承諾を得ることなく)次のステップに進んでしまった。
顔合わせなどのステップを都度報告しても、同じように反対されるだけだと考え、一切報告しなかった。
親は半狂乱になった。会社にもいづらくなり、転職先が見つかった時点で退職した。
どうすればよかったか
:合意を形成してから結婚する(時間はかかった可能性があるが、絶縁せずに済んだ可能性が高い。また、転職の必要もなかった可能性がある)説得に要する時間が推測できないため、現時点でも判断できないが、時間がかかった場合いつまでも結婚できない可能性があった。
説得に要する時間が推測できないため、現時点でも判断できないが、時間がかかった場合いつまでも結婚できない可能性があった。
備考
結婚に反対することで「かまってほしい」という親の意思を汲み取ることができず、時間を効率的に使うために一切の報告なしにプロセス進めた点に問題があった。結婚式では、親族席に義実家の親戚に多めに来てもらい、
空席を回避することができたが、新郎側親族0人という奇妙な状況になった。
新郎の謝辞の中で「結婚することを親に報告したところ、『相手には会わない』と言われてしまったので、
招待することは叶いませんでした。今後は新婦と二人、力を合わせて幸せな家庭を築けるよう、一生懸命がんばります」と発言したところ、
「結婚に反対する親」というモチーフは漫画やドラマ、映画の中でも頻繁に登場するため、よくあることだと思っていた。
筆者は、地理的な問題もあり友人の結婚式に参列したことがなく、親が不在の結婚式というものがどれだけやばいものかを知らなかった。
後日、会社の上司に「一生に一度のイベントから親を排除することの残酷さ」を説かれたが
「「会いたくない」と言っている親を無理やり参列させるほうが残酷だと思います」と主張したところ、
上司とも折り合いが悪くなり、結局その会社を退職した。上司には、折り合いがあまり良くない結婚適齢期の娘がいたらしいことを、あとから聞いた。
一時的に給与は下がったが、二人の通勤時間の合計は短くなったため、悪い選択ではなかったが、当時は転職に要するストレスで心身が疲弊した。
馬鹿な女共が、猫も杓子も年収1000万円を超える男と結婚したいと言いだして久しいが、そろそろ男サイドもキレなあかん段階まで来てるような気がするからわいが説教したる。そもそも、東京と北海道の町とか村みたいなド田舎においては年収1000万円を達成する難易度が大きく異なるから、目安を示す。
地方都市、とりあえず市 :350万
このラインをクリアしてるなら何も考えずに結婚を決めろ。20代後半でこの年収をクリアしてんなら、彼氏は優秀だから手放すんじゃねぇ。ソースは宮廷大学のどっかを卒業して、地元や地方に帰ってっていった既婚・未婚の友達を見て統計取った転職コンサルやっとるワイの肌感覚。もちろん、年収については飲みに行ったときにぽろっと漏らしたものや、「この仕事でこの年齢ならこんなもんやろ」って統計を元に判断した既婚・独身の友達の傾向だけどな。既婚者や結婚式に出席した友達、ないし奥さんの新郎サイドの友達枠で出席した式を鑑みるに、このラインを超えてりゃ結婚につながってそうだし今も幸せな結婚生活を営んでるやつらが多い。
自分がない馬鹿な女ほど友達に「この人と結婚してもいいだろうか?」みたいな悩みをSNSやリアルでお伺いを立てがちだが、そんなもんはやめちまえ。お前の友達はお前の鏡だ。馬鹿なお前の周りには馬鹿な友達が集まってるから、正確な判断は下せない。むしろ、幸せになりそうなお前の足を引っ張るやつすらいるかも知らん。自分の幸せだけを考えろ。経済的にそこそこでありゃ、精神的には安定するしそれなりの結婚生活は保障される。
もちろん、男の価値は年収だけでは決まらん。いい男だと思ったなら、金以外の判断基準で結婚に踏み切ってもいい。金だけあっても結婚できないおっさんなんて山ほどいるんだ。逆に、このラインをクリアしてなくても結婚してるおっさんなんて山ほどおる。この人だと思ったら結婚に踏み切るのも一つの選択だよ。ネットの恩恵でアラフォー独身未婚おばさんが可視化されて悲惨な末路を辿ってるのが分かったから、そうなりたくなきゃそこそこの結婚生活を甘んじて受け入れろ。
あとは、「アイドルと結婚したい」と言い出す不細工なおっさんを鼻で笑ってるかもしらんが、「高収入な男と結婚したい」と言ってるブスなお前が、男から鼻で笑われない理由なんてないんやで。現実を見て自分の頭で考えて、幸せな結婚生活を送れるように祈ってる。
こんど結婚式で友人代表スピーチをすることになったのだけど、この挨拶のスタンスがわからない。
新婦とは面識がなく、私に挨拶を頼んだ新郎もゆるく長い付き合いなのであまり情緒的なことは言えない。
なので、はじめは新婦側の関係者に新郎のことを紹介するようなつもりで内容を考えていたのだが、ネットで例文を探るとそういう体裁のものはあまりなく、友人として新郎/新婦に直接語りかけるようなものが多いようだ。
自分が列席者の立場だとすると、友達どうしの内輪な内容で盛り上がられるよりも新郎や新婦の人柄を知れた方が有益で聞き甲斐があると思うが、
自分自身は結婚式をしたい気持ちが1ミリもわからないクチなので、結婚式そのものに価値を見出している人たちがその演出の一部としての"友人代表スピーチ"にどんな形のものを所望しているのかが全く想像もできない。
元先輩の結婚式に行ったら何だか惨めで死にたくなったので思いの丈を書き殴りたい。本当はこんな文章を書くこと自体、時間の無駄なことは分かっている。でも他のどんなことを考えても、どうしても忘れられない惨めさなのだ。今回ばかりは、気持ちの整理が全く付けられなくて、はてな匿名ダイアリーに頼りたいと思う。
登場人物は2人。
私(25)既婚
Aさん(28)既婚、職場の元同僚。私より先に結婚し、婚姻届けを出してから1年後(私の後)に式を挙げた人。
Aさんは結婚と同時に退職した。私はその頃、結婚式の準備を進めつつ、結婚に向けて動いていた。私が婚姻届を出していなかったのは『挙式日を結婚記念日にしたい』という思いからだった。やがて私が式を挙げ、2週間後にAさんからLINEがきた。
『私もあの式場で結婚式することにしたよ♥ 招待するね(ぴえんの絵文字)』
え?なんで?
結婚式場の数は限られていることは分かっている。でも、職場の元後輩である私と同じ式場で数ヶ月後に式を挙げること、そして私を招待できる神経が物凄く図太いなと思った。(私は絶対にできない)「パクられた」とかそんな生易しい感情じゃなくて、『私の思い出を上書きされる』という、強烈な拒絶の意思が沸々とわいた。しかも、その日はちょうど私の誕生日当日で、誕生日に合わせて新婚旅行のスケジュールを組み始めていたので、その点も狂った。その時は「まだ航空券を取っていなくてよかった」と思ったが、今となっては新婚旅行を理由にご祝儀だけ渡して欠席すればよかったと強く思っている。最初に感じる心の違和感と自分の感情を軽んじたらいけないなと思った。
それはさておき、そんな人の結婚式に参列してとても惨めになった話が今回の本題。あくまでも私を成仏させるために書く文章なので、分かりづらかったらすいません。というかこんな記事誰も見てないだろ。
私はウェディングドレスの形状上、「腕を大きく上に上げたり、お姫様だっこはしないでください」と事前に注意されていた。(オフショル部分のレースに伸縮性がなく、繊細なため)これは私が特別ではなく、皆さんにお願いしていることだとも。(私の名誉のために言いますが、Aさんは私より一回りほど太ましい体型をされている)
Aさんも私と同じブランドのドレスということは聞いていたが、オフショルやレースのデザインまで丸被り。それなのに、堂々とお姫様抱っこをされていた。
私だってお姫様だっこで写真を撮りたかったのに、私と夫が真面目すぎたの?と悲しくなり、その場で泣いた。いたく感動している人に見えたようで、新婦のお母さんからは「ありがとうねえ」と言われたが違う。さらに会場も盛り上がっていて、悔しくて惨めな気持ちになった。一生に一回のことだからって何でも自分たちの好きなようにしていいの?
②ゲストがウェイ系
大学生を呼んだのか?とでも言いたくなるようなノリで、ゲストの層が私とは真逆だった。バルーンアートを作って知らないゲストの頭に被せたり、そのバルーンを割ったり、テーブルに置いてあったペッパーミルを持って、他のテーブルのゲストのお肉にかけて回るとか…もっとインパクトの強いこともしていたが、特定されそうなので控えたいと思う。
③私よりゲストが多い
④会費が高くて演出が豪華
私より3000円会費が高いことも腑に落ちていなかった。が、私がやらなかった演出(フラッシュモブ、ジャズの生演奏 等)を入れていてまあ引いた。
私は、結婚式は完全に新郎新婦の自己満足のものだと考えている。参列側にとっては金銭的な負担が重く、丸一日かけて他人の結婚を強制的に祝わされるという、時間の負担も重いものだから。だからこそ、演出は必要最低限にして、なるべく会費は安くしようとしたし、その上でゲスト1人につき1000円だけだけど、私たちで負担した部分はあった。演出の分、料理に予算をかけた。
でも、私より3000円高いくせに料理は最低ランク、ドリンクもオプション付けていない、でもやたら演出が入るという矛盾を私は料金表を見て知っているから、すごいむかついた。ここまで承認欲求に素直になれることが逆にすごい。
⑤白々しいサプライズが多い
3回(フラッシュモブ含む)サプライズがあったけどくどくない?特殊なサプライズだったので詳細は伏せるけど、最後は新郎がサプライズでプロポーズして終了、新婦号泣。なにこれ?インスタ映えの詰め合わせみたいな結婚式でめちゃめちゃむかついた。
新婦がピアスを付ける、グローブを付ける、頭にティアラを載せる、靴を履く、ブーケ越しの笑顔。ファーストミートで手紙を読みながら泣く新婦。ゲストと写真を撮る新婦。間に申し訳程度にゲストの姿が差し込まれ、最後は新婦の笑顔(ドアップ)で終了。なにこれ?
こういう指定をしていないと出来上がってこないような、新婦feat.新郎with親族、時々ゲスト みたいな仕上がり。なんなん?
プチギフトだろこんなもん
私の会費と綺麗な思い出返せ。
帰り夫が車で迎えに来てくれて号泣。撮った写真と動画は早々に送り付けて全て消したし、席次表も席札も式次第も全部捨てた。もう一生関わることはないし、記憶から抹消したくてLINEアカウントを消して仮想的に自殺した。
元先輩の結婚式に行ったら何だか惨めで死にたくなったので思いの丈を書き殴りたい。本当はこんな文章を書くこと自体、時間の無駄なことは分かっている。でも他のどんなことを考えても、どうしても忘れられない惨めさなのだ。今回ばかりは、気持ちの整理が全く付けられなくて、はてな匿名ダイアリーに頼りたいと思う。
登場人物は2人。
私(25)既婚
Aさん(28)既婚、職場の元同僚。私より先に結婚し、婚姻届けを出してから1年後(私の後)に式を挙げた人。
Aさんは結婚と同時に退職した。私はその頃、結婚式の準備を進めつつ、結婚に向けて動いていた。私が婚姻届を出していなかったのは『挙式日を結婚記念日にしたい』という思いからだった。やがて私が式を挙げ、2週間後にAさんからLINEがきた。
『私もあの式場で結婚式することにしたよ♥ 招待するね(ぴえんの絵文字)』
え?なんで?
結婚式場の数は限られていることは分かっている。でも、職場の元後輩である私と同じ式場で数ヶ月後に式を挙げること、そして私を招待できる神経が物凄く図太いなと思った。(私は絶対にできない)「パクられた」とかそんな生易しい感情じゃなくて、『私の思い出を上書きされる』という、強烈な拒絶の意思が沸々とわいた。しかも、その日はちょうど私の誕生日当日で、誕生日に合わせて新婚旅行のスケジュールを組み始めていたので、その点も狂った。その時は「まだ航空券を取っていなくてよかった」と思ったが、今となっては新婚旅行を理由にご祝儀だけ渡して欠席すればよかったと強く思っている。最初に感じる心の違和感と自分の感情を軽んじたらいけないなと思った。
それはさておき、そんな人の結婚式に参列してとても惨めになった話が今回の本題。あくまでも私を成仏させるために書く文章なので、分かりづらかったらすいません。というかこんな記事誰も見てないだろ。
私はウェディングドレスの形状上、「腕を大きく上に上げたり、お姫様だっこはしないでください」と事前に注意されていた。(オフショル部分のレースに伸縮性がなく、繊細なため)これは私が特別ではなく、皆さんにお願いしていることだとも。(私の名誉のために言いますが、Aさんは私より一回りほど太ましい体型をされている)
Aさんも私と同じブランドのドレスということは聞いていたが、オフショルやレースのデザインまで丸被り。それなのに、堂々とお姫様抱っこをされていた。
私だってお姫様だっこで写真を撮りたかったのに、私と夫が真面目すぎたの?と悲しくなり、その場で泣いた。いたく感動している人に見えたようで、新婦のお母さんからは「ありがとうねえ」と言われたが違う。さらに会場も盛り上がっていて、悔しくて惨めな気持ちになった。一生に一回のことだからって何でも自分たちの好きなようにしていいの?
②ゲストがウェイ系
大学生を呼んだのか?とでも言いたくなるようなノリで、ゲストの層が私とは真逆だった。バルーンアートを作って知らないゲストの頭に被せたり、そのバルーンを割ったり、テーブルに置いてあったペッパーミルを持って、他のテーブルのゲストのお肉にかけて回るとか…もっとインパクトの強いこともしていたが、特定されそうなので控えたいと思う。
③私よりゲストが多い
④会費が高くて演出が豪華
私より3000円会費が高いことも腑に落ちていなかった。が、私がやらなかった演出(フラッシュモブ、ジャズの生演奏 等)を入れていてまあ引いた。
私は、結婚式は完全に新郎新婦の自己満足のものだと考えている。参列側にとっては金銭的な負担が重く、丸一日かけて他人の結婚を強制的に祝わされるという、時間の負担も重いものだから。だからこそ、演出は必要最低限にして、なるべく会費は安くしようとしたし、その上でゲスト1人につき1000円だけだけど、私たちで負担した部分はあった。演出の分、料理に予算をかけた。
でも、私より3000円高いくせに料理は最低ランク、ドリンクもオプション付けていない、でもやたら演出が入るという矛盾を私は料金表を見て知っているから、すごいむかついた。ここまで承認欲求に素直になれることが逆にすごい。
⑤白々しいサプライズが多い
3回(フラッシュモブ含む)サプライズがあったけどくどくない?特殊なサプライズだったので詳細は伏せるけど、最後は新郎がサプライズでプロポーズして終了、新婦号泣。なにこれ?インスタ映えの詰め合わせみたいな結婚式でめちゃめちゃむかついた。
新婦がピアスを付ける、グローブを付ける、頭にティアラを載せる、靴を履く、ブーケ越しの笑顔。ファーストミートで手紙を読みながら泣く新婦。ゲストと写真を撮る新婦。間に申し訳程度にゲストの姿が差し込まれ、最後は新婦の笑顔(ドアップ)で終了。なにこれ?
こういう指定をしていないと出来上がってこないような、新婦feat.新郎with親族、時々ゲスト みたいな仕上がり。なんなん?
プチギフトだろこんなもん
私の会費と綺麗な思い出返せ。
帰り夫が車で迎えに来てくれて号泣。撮った写真と動画は早々に送り付けて全て消したし、席次表も席札も式次第も全部捨てた。もう一生関わることはないし、記憶から抹消したくてLINEアカウントを消して仮想的に自殺した。
新郎の事なんか誰も見とらん
彼女は若い頃に、妻子ある男と付き合っていた。つまり不倫だ。「すぐに妻とは離婚するから、一緒になろうね」などと吹き込まれながら甘い時間を過ごしていたようだが、そんな計画は永遠に実行されなかった。
そして、10年くらいの月日が経ってようやく結婚した。相手は会社の同僚。親族、友人みんな泣いていたが、俺はこの女は一つの家庭を破滅させようとしてたんだよなと考えるとどうしても乗れなかった。
彼女に説教するつもりは毛頭ないが、ただただ不思議なのだ。なぜ、そんな純真無垢な顔をし続けられるのか。俺が知らないだけでそれ相応のペナルティを払って清算が完了したからなのか、生まれ持っての厚顔なのか。ちなみに彼女は外見や友人に向ける態度からは不倫をしたことがあるようには見えないため、我々サイドの誰かが密告しない限り新郎側の人間は絶対に気づかない。
新夫妻子 を姓名判断することは今からでも簡単にできるじゃん?
んで、どっちがより運勢のよい姓名になるかで決めればいんじゃね? 伝統的で公平な判断方法wwww
一つ言いたいことは、こんなことでつまづいてたら
もう別世帯になる親やら
社会で出会う人々をうまくコントロールしていけないけどそっちのほうが結婚して大丈夫なのか?ということです
ここで甘やかしたら味を占めてまた増田にきて妻が子供にキラキラネームを~とかコロナで学校が~とか不妊治療が~とか投稿するんだろうし
ま、「オレはこうしたい」という目的がまずあって、じゃあいい言い訳だの抜け道だのを探すってんならまだいいよ、だから今回は適当な言い訳つくってやった
でもさ、動機がどうでもよすぎ。親の涙程度で動揺してたら奥さんの涙で死にそうになるんじゃないか?
あー、まずはこの様な晴れの日にご招待いただきましてありがとうございます。
ご両家ならびにご親族の皆様におかれましても、心よりお祝い申し上げます。
これからお二人が夫婦として歩んでいくにあたっては、幸せはもちろん、困難なことも待ち受けているでしょう。
諸先輩方を前に誠に僭越ではございますが、私も人生の先輩として、お二人にアドバイスをさせてください。
まず一つ目は、父親の金玉袋。理由は簡単ですね。これが無ければ生まれては来れません。
しかし生まれてしまえば、こんなに無駄にぶら下げてるものはない。
一生にせいぜい数回使う機会があるだけで、後は役立たずに成り下がってしまう。
思い返してみてください。子供時代、青春時代、付き合ってから。
二人ともその間に大事だと思ったもの、熱中したものはたくさんあるはずです。
その中で今も使い続けているものがあれば結構。ですが、一方でいろんな理由で捨ててきたものもあるでしょう。
今この瞬間から見れば、それらは無駄なものばかりかもしれません。
ですが、そういったものに熱中して、経験してきたからこそ、今のあなたがあるんです。
色んなものに触れて、出会ってきた過去のこと、たまには振り返って、大事にしてあげてください。
私も結婚してから随分と長いこと経ちましたけれど、その中でもやっぱりね、
これをちゃんと掴んでおくことが夫婦円満の秘訣というか、一番の近道だと思うんです。
男ってのはね、普段は芯があって頼りになるけれど、それでもどうしても。
そう言った時にギュッ!と押さえつけてあげる。これが大事なんですよ。
もちろん普段から話し合いだったり、支え合って生きていくことが多いでしょうけど、
彼も変なところで優しいからね、肝心なところでしっかり手綱を握ってやってください。
最後に三つ目。これが一番大事かもしれません。子供の金玉袋です。
……女の子が生まれた場合は関係ないだろう、って思った方。会場にいらっしゃるでしょう。
まずはそこの説明からしましょうか。金玉という言葉、実は中国語にも同じ単語があります。
意味は日本語と違っていてですね。「金」と「玉」に分ければ分かりやすいかな。そう、「宝」という意味なんです。
日本でも昔から言うでしょう、「子は宝」と。ではそれを守るための「袋」は?……もうお分かりですね。両親です。
御二人もそのうち、親になる時が来るでしょう。次世代の育成は、人として生物として、重要な役割です。
もっとも、口では簡単に言えますが、これが中々に難しい。何せ正解なんてものはありませんからね。
ひねくれてしまうこともあるかもしれません。途中で衝突して、飛び出してしまうなんてこともあるかもしれません。
しかし、弛まず、根気よく付き合って、見守る。それこそが親として、保護者として精一杯出来ること、なんだと思います。
二人とも、是非とも立派な「子供の金玉袋」になれる様、頑張ってください。
えー、長くなりましたが、この三つの金玉袋を胸に、今後とも幸福な家庭を築いて下さい。
楽しいときはもちろん、困難があったときにも、この言葉をふっと思い出していただけると幸いです。
常に二人の会話を大切にし、共に支えあって乗り越えていける。そんな金玉の様な夫婦になって下さい。
【元増田】
30~40人くらい(うち新郎側参列者10人いかないくらいの想定)で、職場の人は呼ばない想定
そうなんだよな…新婦側両親には結婚式の相談先出しできたけど、ぼくの母には話すタイミングを逃したんだよなあ反省しまくってる(夏風邪で1敗)
【元増田】
新婦側のご両親には2年前に会っていて、こっちの事情は伝えてあるんだ。
だから顔合わせで新郎側は2人参加でも「???」とはならないはず。
頼れる先は多いに越したことはないってアドバイスありがとうございます!🤝
【元増田】
より苛烈な家庭もこの世には存在するの知っているので、自分の父親はやや気性が荒いくらいか?とも思ってたから意見ありがたい
大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェかサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋に普通に並んでる様な文化人の解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。
さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。
ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨の投稿をしている人は何人もいた。
果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。
特にメモをとってわけでもないので、ディテールに齟齬がある部分は勘弁いただきたい。
↓
その後、母親の妹が新しい母親となり、母親の実家に疎開(?)をする
↓
亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親に真人は心を開けない
↓
金持ち仕草に抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMAの能力があったため圧倒する
↓
帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う
↓
亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2
↓
ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。
いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。
今回は後者の説をとらせて貰いたい。
真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。
この原著は小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので
あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤とかに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙書である。
うっすら覚えている内容も、格差によるキャズムと父親の金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。
聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由な言論活動が抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学に見出したようだ。
吉野源三郎とニーチェの対比については東洋哲学的視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。
そういった意味では吉野源三郎を日本のニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和の小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。
なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。
庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事なものだから」と新しい建築物で囲った。
「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。
と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。
さておき。この大叔父の言っている「これは大事なものだから」は絶対的な価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したものが戦前、戦中に世に溢れていた「常識」なのだろう。
この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観を真人少年に届けることに成功する。
✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは、絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンのマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合にはいくつかの齟齬が生まれる。
本作でトリックスターとして描かれるアオサギは古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。
混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話の創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。
全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!
という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。
見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在は相対的価値観の象徴としてこの上ない。
ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスをソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。
アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者やキリストとしても解釈をされている。相対的価値観の象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。
嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるもののスタンスでその答えが変わるだろうアオサギをトリックスターに据えたのは、アオサギが不死鳥=火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?
わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。
出雲大社をはじめ、神道の結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎と新婦は螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。
この「螺旋」という存在は、永劫回帰にもつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのものは平等に無価値で、それぞれが相対的な価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。
下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。
ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的な価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人である聖アウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿のフラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルなメタファーではないだろうか。
ペリカンは第二次世界大戦でも輸送機や爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である。
インコの軍団の描かれかたは、当時の日本の軍部の急進派やポピュリズムに扇動された国民をイメージとさせる。
ところが、インコはアオサギやペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。
あえて言えば、ポピュリズムに扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。
これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。
1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。
本作は極めてシンプルな構成で少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本のバックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。
ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会に実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやすく理解が困難であるところが極めてわかりやすい。
現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカで宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的な宮崎駿評である。
なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である。時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念でしかないだろう。
よっぽど忙しい人や、ジブリや宮崎駿が嫌いな人も最初の10分で良いから見てほしい。
昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。
宮崎駿は引退するまでに一回で良いから柏葉幸子作品の監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。