はてなキーワード: 専権事項とは
としてみると今のやり取りは面白い。
既に兵庫県民連合は9/19の定例議会で不信任決議を行う方向で進んでおり、解散によって議席を失いたくないが世論を考えると反対も出来ない自民、維新は踏み絵を迫られることになる。よって彼らはなんとしても定例議会までに斎藤知事に辞職を決断させる必要がある。
一方の斎藤知事は、出直し選挙はもとより政治家としてあるいは勤め人としても今後のキャリアが難しい事には当然気付いているだろう。よって最適な戦略は可能な限り知事の座に居座り給与を受け取ることで、最大の関心は12月1日のボーナス基準日を迎えられるかどうかにあると推察される。
なお9月の定例議会で最速で不信任決議が可決すると解散まで10日、選挙が40日以内のため11月上旬ごろに選挙となるが、議会の招集は知事の専権事項でありまた次回の定例も12月に予定されている。
恐らく選挙後も議会の招集をめぐって攻防が続くだろうから非常に楽しみだ。(議員の1/4から要求があれば招集しなければいけないという決まりはあるが、全国的に守られていない自治体がある)
【2月29日提出予定です!】
イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃について、広島市と広島市議会の見解を問う公開質問状を出した「広島パレスチナともしび連帯共同体」に対し、広島市は「外交、安全保障に関することは国の専権事項」などとして声明文を出さないと回答した。グループは「行動する意思がないことが明確に示された」とし、市と市議会に声明や決議を求めるインターネット署名活動を21日、始めた。(毎日新聞、2024年2月22日)
市民の呼びかけに注目が集まっています。田所さんもこちらのオンライン署名に賛同しませんか?
広島市と広島市議会はパレスチナのために行動して下さい:今こそ「国際平和文化都市」が行動すべき時です!
5,915人が広島パレスチナともしび連帯共同体 Hiroshima Palestine Vigil Communityさんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数7,500を一緒に目指しましょう!
広島は、核兵器によるジェノサイド(集団殺戮)を経験した地として、1970年以来、国際平和文化都市という至高の目標を掲げて来ました。広島には、独自の歴史と責任があり、そして平和をつくりだす〈力〉があるはずです!
2022年2月24日にウクライナ侵攻がはじまってからわずか1週間後、広島市議会は戦争を非難する決議を採択しました。それなのに広島市は、パレスチナでのジェノサイドについては4カ月以上も沈黙を守ったままです! 日本全体ではすでに227の市議会や県議会で、停戦や平和的解決、事態の鎮静化を求める決議や意見書が出されています。なぜ広島市議会がこのリストに含まれていないのでしょうか?
私たちは2月13日に、平和首長会議の会長でもある松井一實広島市長と母谷龍典広島市議会議長あてに、公開質問状を提出しました。平和首長会議には、世界で約8200の平和都市が加盟しており、ガザを含むパレスチナやイスラエルの自治体が含まれています。
私たちは、現在の危機的状況に対する広島市と広島市議会の対応について5つの質問をしました。広島市からの回答にも、市議会からの回答にも、残念ながら行動の意思は示されていませんでした。ガザで現在進行中の事象は「国際平和文化都市」の「平和」とは直接的関連はないとの認識のようです。広島市民および世界市民として、パレスチナの事態を傍観する「国際平和文化都市」を私たちは支持できません。この瞬間にも、ガザでは多くの命が失われています。広島市は、今すぐ行動をして下さい!
「広島パレスチナともしび連帯共同体」は、広島や日本、そして世界中のコミュニティに対し、広島市と広島市議会に対し早急な行動を促すための署名を呼びかけます。パレスチナにおけるジェノサイドが進行しているという緊急事態において、私たちは今すぐに行動を起こさなければなりません!
これがラ( ˙▿˙ )今日送られてきた
メールです
新しい例というけど「それってパクリじゃないですか?」の土偶はにわダンスの回もこれだったろ>訴えるどころか独占権取得しようとしただけで風評被害
おまえのいってるゆっくり茶番劇もニコニコが「防衛商標」とろうとしてたじゃん
他社のふんどしであるタグに独占権取得しようとした商標出願者もあほだけど、
区分みてだだっぴろいものが該当するはずなのに適当な審査しかしてない特許庁もわるかったよね(たしか取り消しだっけ?)
で説明してもらいたいんだけどさ、コナミ特許って、あれどこが「自然法則を利用して」るんだとおもう? 人為的とりきめちゃうの?
なんでカタンなどの新しめのボードゲームのルールや知恵の輪は日本国で特許とれないのにそれ電子化しますって一言つけただけで特許とれちゃうんだろうね?
あとこういうときだけ知財関係者がぞろぞろでてくるけど著作権のときだんまりなのどうして?
専権事項w
ブルームバーグが1月に実施した調査では、黒田東彦総裁の後任に、雨宮正佳副総裁のほか、黒田体制の最初の5年間に副総裁を務めた中曽宏大和総研理事長と、白川方明前総裁当時に副総裁だった山口広秀日興リサーチセンター理事長も有力候補として挙がっている。日本経済新聞は6日、政府が雨宮氏に就任を打診したと報じた。
ある自民党議員は、安倍晋三元首相が金融緩和に消極的とみていた白川氏を支えた山口氏を岸田文雄首相が指名した場合は、アベノミクスの継続を基本としている党内最大派閥の安倍派などから反発を招き、党内がまとまらないとみている。
一方で、市場関係者は、山口氏が選ばれれば、政府が金融政策の正常化への明確な政策転換を求めているというシグナルを送ることになると予想している。その場合、金融市場が大きく変動する可能性があるとみる。
2012年末にデフレ脱却を掲げて衆院選に勝利した自民党の安倍総裁(当時)は、白川日銀の金融緩和策を消極的と批判していた。首相就任後もアベノミクスの第一の矢として日銀に大胆な金融緩和を迫り、翌年1月に白川氏は2%の物価安定目標を導入し、政府との共同声明にも合意した。3月には安倍氏の指名を受けた黒田総裁が就任し、大規模な量的・質的金融緩和政策を打ち出した。
政府は来週にも次期正副総裁の人事案を国会に提示する見通しで、就任には衆参それぞれの同意が必要となる。人事は岸田首相の専権事項であり、山口氏起用の可能性が完全になくなったわけではない。しかし、4月の統一地方選や衆院補選も控え、党内基盤が脆弱(ぜいじゃく)な首相にとって、日銀総裁人事を巡って混乱を招くことは避けたいところだ。
岸田首相は8日の衆院予算委員会で、次期日銀総裁の資質を問われ、主要国中央銀行トップとの緊密な連携や内外の市場関係者に対する「質の高い発信力」が格段に重要になってきているとし、国際連携と市場安定を重視する姿勢を示した。有力候補者3人の金融政策運営のスタンスでは、山口氏が最もタカ派と市場でみられている。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-02-09/RPSH87T0G1L101
何回同じことをとか、田嶋やめろとか色々見るけど、同じじゃないし、田嶋氏が自分から身を引くならともかく、周りから身を引けと言われるのは全く腑に落ちない。
今回のチームは30年来、氏が手がけてきたソフト面、ハード面での育成強化策における集大成的なチームに期せずしてなったと思う。そういう視点で見れば足りないものはまだあれども、一つのメルクマールだったし、方向性を示したチームだったと思う。
過去2回のベスト16に入った時とは違いそういう評価ができる大会だったと思う。
期せずしてというのは監督解任のこと。選手とうまくコミュニケーションがいかなくなったと判断したなら、監督を解任しても仕方ないと考える。人事権を持つものの専権事項だ。
スペインを除外して大会直前に監督を解任するなんてありえない。けど、それをやった。大博打ではあるが、信頼関係が壊れたからこその大博打だったのだろう。もう一つは日本のこれまでの育成強化策と前監督の意向がマッチしなかったとも考えられる。今回のチームを見てそう感じる。
ずっと育成強化に携わってきた田嶋氏だから決断できた解任劇であったと考える。
博打はいけないとか、検証できないとかいう話もあるが、勝負ごとだ。ギャンブルの要素があるのは当たり前ではなかろうか?ランキング60位のチームと3位のチームでもやって見なけりゃわからない。それがスポーツ。現に大会を通じてランキングが自分たちよりはるかに上のチームを脅かし続けたではないか。そして、グループリーグを突破してる。結果オーライではないが、結果は出てる。ホームアドバンテージ(02)もなく、守備的なやり方(10)でもなくである。様々な要素を考慮した挙句の博打はありだと思う。
しかし、世界のトップにはこの舞台ではまだ勝てない。それだけのこと。これを田嶋氏個人の責任にするのはお門違いだ。世界基準の強化策が始まってたかだか30年程度の極東の小国なんだから。
解任の部分だけを見て氏を評価するのはあまりにも片手落ちだし、今回の結果に彼の功績はあると評価すべきだと考える。
彼の退任を求める方々は、小学生段階からの育成策や強化策、そして指導者養成策が彼が協会に携わるようになってから徐々に、どのように変わってきたのか、そして現場がどう変わったのか検証してから叫んで欲しい。
悩み相談というのはそれを相談という形にまとめている時点でもう答えは出てしまっているという場合が往々にしてあります。
本人の中で意識されていなかった混迷が、言語化される過程で一本芯が通ってしまい、その解法はもはや誰の目にも自明になってしまっているというケースです。
まさにそんな感じで、きっと元増田様はこのエントリを書きあげた時点で何が問題なのかは解っておられるだろうと思います。
ですから別に元増田さんにはもう何を言う必要も全くなく余計なことなのかもしれないですが、一応第三者の意見というのを書いてみようと思います。
偽善が過ぎたかもしれない、などとご本人は謙遜しておられますが、全くそのようには感じられないので安心していただいていいでしょう。
このエントリを読んだ大多数の人間が感じるのは増田さんの冷え切った気持ちだけです。
"結婚前は自分も仕事が忙しくて夫の愚痴についてあまり深くは考えていなかった"
"結婚してからやっと夫に仕事が出来ない疎いところがあるということに気付いた"
"さっさと転職すりゃいいのにしない言い訳に自分との結婚生活のことを使われたら巻き込まれるみたいで嫌だ"
"その様な夫の人間的欠陥が家庭で発揮される分にはお互いさまと我慢できる"
"夫がノイローゼになろうがなんだろうが決断するのは本人の専権事項でありあれこれと指図したくはない(恐らく失敗するであろう夫の決断に対して責任を負いたくない)"
"もはや夫を愛していないということを認めてしまうと夫の中で自分まで加害者の仲間入りになり、恨みを持たれるので勘弁願いたい"
簡便にまとめるとこのようなことが主張されているのだと読みました。
別に元増田さんの性格的欠陥をどうのこうのと言うつもりはありません、普通人の感覚でしょう。
ただ、自分が結婚というものをしてお互いを人生のパートナーとしていくという点についての思慮が浅かったという指摘は免れないでしょう、あなたはあまりにも相手の内面について興味がなさ過ぎた。
そういう訳ですから、ご面倒に思っておられるのは文章全体から重々伝わってきてまいりますが、何分思慮が浅かったとはいえあなたの旦那なわけで、
貴方にもその旦那の人生に対する道義的な責任というものはあろうと私なんかは思います。
と言っても、妻の愛でなんとか支えてやれよなんて話では一切ありません。貴女の愛が冷え切っているのは氷を見るよりも明らかです。
明らかなのですが、一度は愛を誓った相手ではないですか、ここはひとつ責任感をもって以下の二つの選択肢からどちらかを選ぶべきだと思います。
1.旦那を愛していないことを認めてきちんとその理由を告げ、相手に恨まれても加害者となっても関係を終わらせる。
2.旦那を愛していないことは認めるが、なんとか愛せそうなところを再発見して現状の問題にも出来る限り一緒になって答えを探してあげる。
どちらについても貴方にとって面倒くさすぎる、貴方の思い描いていた結婚像とはかけ離れた事柄であろうことはわかりますが、ここはひとつ面倒臭いことでもやらないとならない状況だと思いますよ。
また、どちらを選ぶにしてもその体験を通して貴方の淡泊すぎるところ、他人のことを浅く考え過ぎてしまっているところが多少なりと是正される契機になるんじゃないかなと思います。
このままグダグダと時を重ねているうちになんとなくで(例えば旦那が浮気していることが発覚したとかそういうラッキーが起こって)離婚にこぎつけたりしたら、
なんだか同じことを繰り返しそうな気もしますしね、改めて自分が結婚しようと思えた一人の異性に対してコミュニケーションというものを取ろうとしてみてはいかがでしょうか、今までサボっていた分。
なんか全体的にマニアックになってしまった。ウザかったらすまん。ごちゃごちゃ書いたけどよくできてると思う。
第1
2.
これでもちろんOK。
ただもうちょい具体的に言うと、①自白をすると要証不要効が生じる⇒②相手方がこれを信頼して証拠散逸してしまう⇒③自由に撤回されると証拠が無いので負けてしまって困る、という流れになる。なので「証拠散逸」ってキーワードを出すとより理解をアピールできる。
3.
「権利自白は権利法律関係についての自白であるところ、権利法律関係の適用は裁判所の専権事項であることから、権利自白は認められないとも思える。しかし~」で、しかし以下が厳密に言うと前文の反論になっていない。
一文目は要するに、裁判官から見てあり得ないような法の解釈適用を強要されることになって、裁判官の心理的抵抗が大きいということを意味する(と思う)。なので相手方の信頼保護うんぬんを言っても噛み合わない議論になってしまう。
仮に、確かに~しかし~で書くとすれば、「確かに信頼保護のために撤回制限効を広く認めるべきとも思える、しかし法的判断を誤っていた場合にまで撤回できなくなるのは困る」という流れにすると、日常法律概念説にも繋げやすくなってオススメ。
4.
日常法律概念説(兼子説)は確かに所有権も日常法律概念としているのだけど、よくよく考えてみると所有権の帰属って司法試験レベルの超高度な法律判断のはず。
*採点実感も参照。
なので、そこまで不可撤回効を認めるのはおかしくない?と思うのだけど、実は兼子先生は論文で、「日常法律概念については自白は成立するが、不可撤回効は認めない」みたいな書き方をしていて、受験生を翻弄してくる。
日常法律概念説はほかにもいろいろ落とし穴があってちょっと怖いので、三ヶ月説か新堂説の方が良いと思う(ただ学説を試験で書かすなっちゅう話なんだが・・・)。
第2
1.
2.
Fに判決効(反射効)が及ぶ理屈は学説も良く分かっていないのでこれでいいっす。
第3
1.
問題提起が丁寧で良いと思う。
2.3.
あてはめが丁寧で良いと思う。
4.
40条を引くべきところが41条になってる。
(もうブコメ書いてしまったので追記へのコメントをこちらに。ブコメだと字数制限がきつくて書ききれないのもある。)
(以下長いので,面倒な人は まとめ まで読み飛ばしてもらってもかまわない)
元増田は「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではないのに、あたかもそれを改善すれば問題が解決するかのように」と書いているが,元増田や,今回の電通事件に関するの他の記事のブコメを見てもそういう論調は主流ではない。
セクハラやパワハラがあったことも問題視されているし,その他さまざまな問題も指摘されている。「長時間労働さえ解決すれば全て解決」というようなブコメはほとんどない。
もっとも,長時間労働は今回の事件に関連する問題の主要な一部であるし,日本の労働環境が抱えている大きな問題の一つでもあることに変わりはない。
長時間労働は,元増田ですら認めているように,心身を疲弊させ,場合によっては人を死に追いやる原因になる。
だからブコメの論調は「長時間労働 だけ を解決すればOK」ではなく,「長時間労働 も 解決しないとダメだ」というのが主流だろう。
1. 「度が過ぎた過労や心労がいけないのは当たり前」と書いて長時間労働にも問題があることを認めておきながら,一方で「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではない」と矛盾する主張をした
2. 「問題の核心」であろうとなかろうと,問題の一部であれば解決する必要があるのに,「核心ではない」=長時間労働を解決する必要はない,という論理の飛躍を行った
先ほど挙げた欺瞞は,まだ論理展開の瑕疵に過ぎず,たいして大きな問題ではない。もっと大きな問題は,これから書く問題である。
元増田では,「長時間労働」という言葉は何度も出てくるが,それが不払時間外労働(いわゆる「サービス残業」)か否かについては一切触れていない。
話を始める前に,まず大前提として,日本の法律では労働時間は週40時間までと決められており,それを超える場合はいわゆるサブロク協定を結んだ上で,超過勤務手当を支払わなければならない。さらに勤務時間が深夜(午後10時〜午前5時)にかかる場合は,深夜勤務手当の支払いも必要である。
元増田は「長時間労働」と書いている以上,それは週40時間を超える労働を指しているのは明白であり,従ってそれらの労働には当然超過勤務手当や深夜勤務手当を含む,いわゆる残業代が支払われていなくてはいけない訳だが,今回の電通事件でも明らかになったように,残業しているのに残業代を支払わない,いわゆるサービス残業が後を絶たない。
従って「長時間労働」を論じるときは当然それも論点になるが普通なのだが,元増田はなぜか全くその点に触れていない。
そこで,元増田に代わって,その点に触れながら「長時間労働」問題について論じてみよう。
今回の電通事件もそうだったが,もうこれは論じるまでもなく「悪」である。
法律違反だからというだけでなく,労働のダンピング=他人の労働の価値の毀損という意味で,やってはいけないことなのだ。
だから,「長時間労働(不払時間外労働を含む)」の場合, 「おれは(給料もらえないなら)がんばらないからオマエも(給料もらえないなら)がんばるな」 (言うまでもないが,カッコ内は自分が追加)という論理は,元増田が何を言おうと正しいのである。
この場合,被雇用者の観点からは,あまり問題がないように見える。
ただし,あくまで 自発的な 長時間労働の場合のみであり,強制される場合は,やはり問題になるだろう。ただ元増田が論じているのは自発的な長時間労働と思われるので,そうするとやはり問題がないように見える。
しかし,経営的な観点からは, 自発的な 長時間労働には問題がある。
まず,先ほども述べた通り,時間外労働には割増賃金を払う必要がある。つまり,コストが増えるのだ。
「3日間徹夜」を例に考えてみよう。
ちょうどまる3日とすると72時間。ただし8時間ごとに最低1時間の休憩時間を与えなければいけないと法律で定められているので,9時間を1単位として割り算すると8になり,72時間中8時間は休憩時間になる(最後1時間が休憩なので,厳密には71時間連勤と考えるべきかもしれないが,その辺は適当に)。従って実稼働は64時間。
1日の通常勤務時間を8時間とすると3日分の通常勤務時間は24時間。残り40時間に対し,1.25倍の時給を支払う必要がある。
そのうち午後10時から午前5時の7時間にかかる部分についてはさらにその1.25倍の時給を支払わなければならない。面倒なので,その午後10時から午前5時の間に必ず1時間の休憩が入っていたと考えることにすると,(7 - 1) * 3 = 18時間が深夜勤務時間となる。
つまり,3日間64時間の勤務の内訳は,通常24+超過22+深夜18 となる。
仮に通常勤務の時給を2000円(相当安いが)とすると, 2000 * 24 + (2000 * 1.25) * 22 + (2000 * 1.25 * 1.25) * 18 = 159250 となる。
一方,これを通常勤務のみでこなすとすると,64時間で, 2000 * 64 = 128000 となる。差し引きは31250円である。
もちろん完成までには徹夜するより時間がかかり,3日間徹夜の場合月曜の朝9時に始めれば木曜の朝9時には「すげーもん」ができているが,通常勤務のみだと64時間=8日間で,土日休むとして,月曜朝9時に始めると翌週水曜の午後6時に「すげーもん」ができることになる。 ちなみにどちらも「すげーもん」ができることに違いはない。
こうなると問題は,「約6日間早い完成」に「31250円」の価値があるかどうかになる。
「31250円? 意外と安いね」と思うかもしれないが,率にすれば約24%増し。約6日待てばその31250円=24%の追加費用を支払わずに,同じ「すげーもん」が手に入るのだ。
したがって,何らかの理由,例えば納期が迫っているとか,ライバル企業の新製品発表に先んじる必要がある(これとて本当にそれに価値があるのかどうか疑わしい)とかがないと「31250円」の支払いに妥当性はなく,株主に対する責任の観点からは厳密に言うと背任にさえなる。そもそも「納期が迫っている」というのが3日間徹夜の理由だとしたら,それが働く側の「自発的」な労働であるかどうかは極めて疑わしい。
そもそも上の話では1人で3日間徹夜する作業を想定しているが,複数人で3日間徹夜しないと「すげーもん」ができないのなら,上積み費用は 31250円 * 人数分 になる。あるいは本当にそれが1人で3日間の徹夜でできるものなら,3人アサインして3日間通常勤務すれば,上積み費用を払うことなく,しかもより早く(月曜朝9時に始めて水曜日の午後5時には)同じ「すげーもん」を手に入れられることになる。
(上の話にはもっと無理な仮定もある。それは「徹夜で働き続けても睡眠含む休息を十分に取った場合と同じ生産性が維持できる」という仮定だ。しかしそれはまた別の話なのでここでは敢えて触れない)
長々と書いてきたが,要するに何が言いたいかというと,被雇用者には「自発的」に長時間労働をする権利などない,ということだ。何にいくらコストをかけるかは経営側の専権事項である。
8営業日の通常勤務で作れるものを3日間徹夜して作るのは良く言って「被雇用者の自己満足」であり,普通に考えると「ただコストを増やしているだけの愚行」に過ぎないのだ。
いや「納期に間に合わせる」とかあるだろう,と言う反論が出てくるかもしれないので再度書くが,それはもはや「自発的」とは言えない。
元増田は抜け穴を探そうとするだろうからついでに書いておくが,「納期までに少しでもいいものにする」ために「自発的に」3日間徹夜をし,経営側もその分の採算の悪化を妥当とみなすケースはあり得る。
しかしそれが採算を少しでも悪化させるなら,株主に対する背任になりうることに留意すべきだろう。極論すると,株式会社においては,たとえ鉛筆1本でも,それが無意味なコストであれば,原則的には「背任」になる(もちろん可罰性があるかどうかは別問題)。
(だいたいその「納期までに少しでもいいものにする」努力自体 http://monthly-shota.hatenablog.com/entry/2016/10/20/214026 にある通り「もっとくだらなくて、どうでもいい仕事」であることが多いのだが,これもまた別の話になるので,これ以上は触れない)
結論としては,元増田がどうしても「3日間徹夜してがんばったらすげーもんができた!」という自由を欲するのならば,自分が経営者になるしかない。ブコメに「経営者になれ」とか「事業主になれ」とか「フリーになれ」とあるのはそういう意味。
ただ経営者になったとしても,他人に「3日間徹夜」を強制する権利はないよ。
こんなの書いても元増田は考えを変えないだろうとは思う。
・自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地の代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府が地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民の利益に繋がる」と考える、以下理由
直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史も現在置かれている状況も違う
那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍を意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。
南西諸島などの離島は沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島の政権からの差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。
そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力の川内原発についての福岡や奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。
ケンカになるから、ほとんどの場合自分と在日米軍・国防関係で自分と違う意見や明らかに間違っている知識(沖縄県が負担している米軍基地の割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。
しかし中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係のワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民は親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカの覇権は絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客がお金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。
・そんなわけで、『沖縄県民の意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う
基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人・軍属相手の商売で生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去に事件事故で家族が被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見は統一できない思想は自由なので当然だ
・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう
手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う
(米軍基地はどうするべきか)
・普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府、米軍、沖縄県民、宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在の問題だと考えている
・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外(グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地の建設が進められているが、要するに日本政府の意向と失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。
・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。
・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県の位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯のジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う
・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県の基地負担は未来永劫、永遠に続くことになる
この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済、暴力に向かわせる力がある。
まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。
・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。
・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設を絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後、沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。
・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民の意思を無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設に同意してしまうと今度は『沖縄県、地元住民は新しい基地を建設することに同意した』という新しい現状が生まれてしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき新基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。
・政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄だ
前世紀に普天間基地の代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザの脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。
(余談)
みんな『次の戦争』に備えるとき、記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。
第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか
みんな『次の戦争』を考えるとき、太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本が宣戦布告されたり、するときは