はてなキーワード: 学校生活とは
「面食いです」っていう人の方がよっぽど信じられる。今でも友人として数少ない仲がいい女友達がこのタイプだ。浮気性のクズだが、プラトニックな飲み友達である。
俺の髪質は悪い意味で特殊で、太くて縮れていて量が多い。小学生のころから強い癖毛で、中学時代のあだ名は「ちんげ」「スチールウール」「陰毛」「アフロ」「チリ」「かたやきそば」散々だった。他人に容姿を侮辱されるのは屈辱だったが、何よりも自分が、この扱いにくい髪質をとても嫌っていた。好きでこんな髪質で生まれたわけじゃないのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのか。ネットのヘアカタログにある「くせ毛におすすめのヘアスタイル」みたいな写真は1mmも参考にならなかった。見るたびに「こんなのほぼ直毛じゃねえか」と悪態をついていた。
学年TOP3のキモいランキングに入ると、もう学校生活で人権はない。汚物のような扱い、何をしてもいい扱いになる。同級生からは「あいつは髪が終わってる」と嘲笑されて、容姿偏重主義の社会の車輪の下敷きになってメンタルは大分荒んだ。今でも心が屈折しているのはこの当時の原体験の影響かもしれない。
中学卒業を機に縮毛矯正をかけた。感動した。みんなこんな世界で生きているのか。風で髪が靡く感覚に感動した。ドライアーで髪がすぐに乾いた。とても快適だった。地元から離れた高校に入学してからは縮毛矯正を欠かさなかった。そうしたら面白い事が起きた。俺が「イケメン」として扱われるようになったのだ。中学時代に汚物のように扱われてた俺が、キモメン三銃士の俺が。イケメン扱いされたのだ。たかが髪型1つでだ。俺に媚を売ってくる女が、何をしなくても寄ってくる女が、いるのだ。中学時代の汚物扱いされてた俺がだ。
俺はそこで人間不信を深める事になった。そして思春期の持て余した性欲を寄ってきた女達にぶつけるようになった。
周りを傷つけないように振舞っていた中学時代の俺は髪質だけで男女から汚物扱いを受けていたが、女を物のように扱うクズな仮初の直毛の俺を女はより求めるようになった。高校時代はセックスに明け暮れながら、くせ毛の陰におびえた。1か月半に一度はリタッチをしていた。周りにくせ毛だとバレるのが酷く怖かったからだ。第一に髪の事、第二にセックスの事。そんなことしか頭になかった。
クラスメイトで、癖毛で小太りの男子生徒がいた。おとなしくて引っ込み思案だが、別のクラスメイトがドミノ倒しに倒した自転車を一緒に起こすのを手伝ってる姿も見た。器量は良くないが性格はとても良い奴だった。共通趣味が無くて会話したことはあまりなかったが、俺は彼が人として好きだった。そんな彼に俺の事を好きだという女が言う。「あいつキモくない?」「きしょい」俺はそれを聞いて肯定も否定もしなかった。ただ茫然自失としていた。そんな彼女の同じ口から「私は見た目で人を判断しない」「中身重視」こんな言葉が出てくる。彼女みたいな人間が気持ち悪かった、怖かった、たくさんいた。俺は人が目の前で自転車を倒しても素通りするし、縮毛矯正がなければ小太りの彼より酷い癖毛だし、君の事もおまんことしか考えてない。少なくとも彼は君からどんな仕打ちを受けても君を人として扱うだろうし、俺より彼の方が中身はよっぽど優れている。俺は君にそんな事を言われたら孫の代まで恨む。俺が彼に勝ってる要素なんか何一つないんだよ。君は一体俺の何が好きなんだろう。
見た目でしか好かれる方法を知らなかった俺が好かれるのは、こういう女ばかりだった。清楚系で可愛い献身的な子もいたが、数年後経った今は風俗で働いてるらしい。
三十路手前の今でも俺は縮毛矯正のリタッチを続けている。かれこれ15年選手になる。未だに人にキモがられるのが怖いし、人に好かれるのも怖い。
前の職場の先輩に「その頭、縮毛?」と言われたことがあった。冷や汗をかきながら「そうです。くせ強いんで」と答えた。「へぇ」とだけ帰ってきた。その後も普通に接してくれたが、縮毛矯正をかけてなかったら普通に接してくれなかった気がする。
人間は中身が全てというがあれは嘘だ。人間が「中身」を見てもらう為には、見てもらう為の土俵に立たなくちゃいけなくて、その土俵には不細工は上がれないのだ。だからどんなに性格が良い不細工でも「キモい」「生理的に無理」で一蹴される。
俺は今でも車輪の下敷きになったままなんだろう。
もうそういう時期だしいっぱいいんだろ。
くすぶってる奴が。
元々推薦や現役で、第一志望として日東駒専とかその他の大学へ進学するみんなには用はない。
俺が語りたいのはそういうキラキラした子じゃない。
現役でも浪人でも、少なくとも1年以上「大学受験」と向き合って結果的にMARCH以上に受からなかったお前らに対してだ。
今どんな気分?
晴れ晴れした気分のやつは…まあ中にはいるかな。
そんなの人それぞれだし。
真っ暗で何も見えなくて「ああ、俺の人生これで終わりだな」みたいなやついる?
元々、ネットにはそういうの多かったんだよ。
情報過多で周りが見えなくなって、自分は絶対一流大学受かるぞ!MARCH以上に行かないと負け組だ!とか言っちゃってな。
分かるよ。
君の気持ち分かる。
悔しいし、情けないし、真っ暗だよな。
どうせ受かった大学行ってもレベル低いんだろうなぁとか思っちゃってな。
ずっとずっと引きずっちゃうよな。
もう受験終わったのに本屋さんの学参コーナー何度も行って、意味もなく偏差値表何回も何回も見返してな。
とりあえず、沈むだけ沈んだらいい。
自分と向き合えるまではどんな事やっても次のスタートラインには立てないから、泣いても怒ってもみっともなくてダサくていいよ。
そして自分と向き合う覚悟が出来たらもう一度、受験を振り返ってみよう。
恐らく、そんな気分になった君は「もっと頑張ればよかった」と思う過去が絶対あったはずだ。
本来ならもっと机にかじりついて勉強に向かうはずだったのに、スマホをいじり友達の誘惑に負け睡眠を優先してしまった過去があるはずだ。
それを後悔しろなんて言わない。
ただそれで上手くいなかったという現実は現実として受け止めよう。
次はそうするな。
そしたらさ、今度は具体的な目標を持て。
大学受験にコンプレックス持ってる連中なんてのは大抵同じで、これくらいの大学に行けばこれくらいの人生が待ってるだろうという非常に大雑把な願望しか持ってない。
実はこれはまあまああってるんだけど、その中身はピンからキリまであるのよ。
いい大学に行っても具体的な願望を見つけて自分がそれを実現するまでは、結局いい大学に受からなかったお前らとたどる過程は同じなの。
一流企業には一流大学の卒業生しかいないとかそんなレベルの低い話じゃないよ。
サラリーマンになりたいのだったら、さっさと受かった大学に行って一刻も早く卒業してサラリーマンになった方がいい。
生涯賃金の1億や2億の差なんか都心のタワーマンションの一部屋分にも満たない。
大企業も零細企業も勤続何十年も勤めているのは同じくらいすごい事なんだ。
そして大半の人はその1億や2億の差も関係なく、お金に関しては学歴なんかより生まれでついた差には勝てなかったりする。
「なんとなくいい大学へ行きたい」
「なんとなくいいとこに就職したい」
「なんとなくお金持ちになりたい」
結局一流大学という場所は「しっかり大学受験をやり切った感」のある奴が多いから、そのステップへの切り替えが上手くいってる奴が多いってだけだよ。
やりたい事がないならやりたい事を見つけろ。
そしてダメで元々やってみろ。
何度も何度もトライを繰り返すと自分の気持ち良い事と自分の得意な事が見えてくる。
正直運もある。
お前らにはもっともっと先の景色が見える30歳、40歳、50歳になってほしいから。
駆け抜けろよ。
高校の定員の総和と高校入学希望者数はほぼ同じなので全体的に見れば入試を行う必要性はゼロなのです。
またこれから高校生の数は減少していくので高校の定員は余っていくでしょう。
また高校入試は中学生の子ども達に大きなプレッシャーを与えています。
内申書に悪いことを書かれないよう中学生は教師の目を常に気にして学校生活を送っています。
中学生3年生になると毎日何時間も受験勉強をさせられることになります。
これは間違いなく高校入試のせいです。
塾の月謝は中学生の子供を抱える家庭の大きな負担となっています。
端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。
穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。
新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生。同級生はみんな、自分の居場所がリセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。
一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。
それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係の階層構造が強まった。
勉強のできる学校、地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識の豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった
当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。
ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。
プライドが高かったのだと思う。
階層トップの不良グループはクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。
イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。
お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。
昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループに所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。
そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。
カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。
こんな感じで、安心できる場所は学校には一切なかった。毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。
その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器でおしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。
学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。
年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。
うちの中学校では、この県大会の大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。
僕はどの競技の選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。
小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。
知らないメンバーのために、部活だからとサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事な大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。
陸上そのものを楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所を自分から閉じてしまった。
部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCでインターネットを利用した。
Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。
オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド(所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。
ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームにお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。
それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに居場所を求めた。
ここまでがだいたい中学1年生。
2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。
小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。
修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子を暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。
僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子からも男子からも人気のあったイケてるグループのメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。
事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。
そして、ちゃんと好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。
好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。
ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。
この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。
小学6年生の遠足の時、移動までのバスでカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。
歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。
小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。
中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。
そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有の自意識過剰から、まともに話すことができなかった。
そしてそのまま、拒否された。
一方的に彼女に好意を伝え、呼び出した複数人の男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。
個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。
自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループに嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと、自分のことが嫌になった。
体育の授業で複数人でグループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。
ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族でゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。
結果、見事にハマった。
戦闘シーンやメカニクスの描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳のシンジや他のキャラの内面の描写に、自分を重ね合わせて見ていた。
中でも人類補完計画やセカンドインパクトは、思春期の想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。
意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループや階層といった構造になると、途端に他人に攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしまう意識があることを知った。
何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。
他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。
人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。
でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァの世界から抜け出さないようにした。
繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジは人間がひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカは気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?
これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。
その後、県内では進学校だった高校に入学し、校内の暴力的な上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。
大学は第一志望には落ちたけれど、都内の学校に進学でき、希望していた地元からの脱出は叶った。
だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。
大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。
また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。
いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。
それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。
この時に身に付けた自信から、就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。
今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。
誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。
できることが増えて、自分の人生も俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。
日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。
そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。
なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去に集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失をちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァと対峙することで、確認したかったのだと思う。
僕はとても救われた気持ちになった。
今回の物語では、シンジ、ミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。
第3村のトウジとヒカリ、レイの田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。
劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。
本当に良かった。ああ、これでいいんだね。
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
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影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。
4月に小学生になる息子は凄まじいADHD+陽キャASDで、支援級在籍になる。
支援専門の先生の提案により、お試し小学校訪問が提案され、昨日がその初日だった。
当日、児童には、今度支援級に入学する子が見学に来るが、普通に授業や活動をして欲しいことを、集会で校長先生が言ってくれたらしい。
学校に行くと。支援の先生は私に、初日は彼がどんな行動をするかを後ろからついていき、手を出さず見てみましょう、となった。
息子はます、体育倉庫の扉の南京錠を開けたがり、何を思いついたかピッキングの真似までしだした。
なんだなんだ?というように、校長と教師、児童ら計5人でそれを眺めてはいるものの
「やっちゃだめ」
という人は誰もいなかった。
校長は
「これ、ちゃんと閉まってるよね?」
そこなの?!
その後、放課後校庭で遊ぶ10才くらいの男児と息子とで追っかけっこが始まる。
だから、おいかけた児童を捕まえた時、息子児童をガブリと噛んでうわっ!またやった!!と本当に冷や汗が額から噴き出た。しかし当の児童は
「せんせー、かまれたー」
と先生は笑っていた。
世間ではそれを他害って呼ぶんだけど、これで済むの?
他にも、高学年女子に抱きついたら嬉しいっ!とバグし返される、金魚を持った低学年に興奮しても、こちらを少し見ただけで何ともなく目の前を通り過ぎて行った。
「ここは通常の公立校とは全く違う軸と制度、価値観で運営してるわ…」
と驚きっぱなしだった。
むしろ保護者にこれについていけない人がいるんじゃないかなとも思いはする。
「迷惑」や「いつもと違うこと」を勘定や落とし込みではなく、発生した時点で排除する、って価値観の地域や学校だとこの運営方法は難しいのは理解している。
だから息子は、今のとこはこの地域のこの学校で良かったなと思った。
帰る間際に、増田さん、勉強はどうしましょうか?彼は学校生活のルールを中心に学ぶと、授業が絶対遅れるけど、と、支援の先生に聞かれたので
「……文科省に謝りましょうかね」
最近BSでやっていた遠野物語の世界~アニメでいざなう不思議紀行~がとても面白かったけど次の放送はいつなんだ。
昔古本屋で遠野物語を買った時、新品未使かというぐらい綺麗なのに100円ぐらいでうわー嬉しいと思って買って読んでたら
表紙の折り込みに、○○ちゃん小学校入学おめでとう。この本は知らない世界を想像するととても面白いよ。想像力をもって学校生活がんばってね。おじいちゃん
的なメッセージが書いてあった。
その当時妖怪ウォッチが流行ってたからなのか、孫に遠野物語を送るおじいちゃん渋いしうらやましいと思ったね。
メッセージ付きって貰った時は押しつけがましいと思うかもしれないけど、のちのちジーンとするときあるから大事にしてほしいと思うけど
友人から久々に連絡があり、相談したいことがあると言ってきた。
ほいほいなんだね?と聞くと、友人の子どもが発達障害のケがあるという。だから発達障害の子を持ってる君にこの先親がどうしたら良いか教えて欲しいと。
ふむわかったと、まず医療や福祉へのアプローチに動くことや、もし子が就学する前、後になって学校生活に困難さや行き渋りを見たら、支援学級というのもあるよなど、子どもが滑らかに子どもとして生きる環境を整えるヒントをざっくり話した。
それについては彼は飲み込みがとても早かった。
次に親の心のことを話そうとして、彼の妻は子どもさんのそのような兆候にどんな反応をしているのか?ネガティブになっていたら、親子セットでのアプローチが必要になってくるが、と訊ねたら
は?虐待じゃんそれ、もしもし児相メンじゃん、とこちらが慌てたら
「冷凍食品で済ませてる。子どもは元々食が細いのだけれど、ある時特に食欲がなかったのか、ぼくはいつまで食べてればいいの?って嫁に聞いたらキれて、以来子どもに手作りのものを食べさせてない」
嫁さんが息子さんの行動が他の子と違うことや、嫁さん自身が耐えられそうにないと思うんなら、その後どうするかはおいといて、彼女を実家に帰して落ち着かせた方がいいよ、とアドバイスしたら
「それができないんだ。彼女の父がガンだってことがわかって、今入院してすぐの時期だから」
だったら嫁さん、娘としてなおさら実家に帰って親の看病をしてもいい立場だし、育児も嫌だ、看病も嫌とか幼児か?とムカついてきたし、事実これを感情剥き出しで言ったら
「まあ、そう思うのが普通だろうな。でも俺としては、子どもが世界で一番好きだって言って甘えてる相手と子どもを引き離したくないんだよ」
5才相手にキレて食事を冷食だけにするような母親が、発達障害児を心身ともに傷つけずに育てられるとはからきし思えないんだが…と内心思っていたら
「後出しになるけれど、嫁は食事以外のことでは子どもに対して変な接し方や冷たい態度は取っていない」
そういう問題じゃない。
何を言ったらいいのかわからない。友人は今家族、特に母子関係が張り詰めた糸が切れかけてる状態に気づいていないし、友人は友人で、自分の家に、子どもの発達障害という問題が降りかかってきて、それが家族全体がこれから先を見据えて考えるべきことだと全くわかっていない。
話を聞いていて辛くなってきたから
「お前と嫁さんの間にいるその子が気の毒でしょうがなくて、でも何もできないのが腹立たしいから話すのやめていいか?」
と言ったら、わかった、と承知され、話は終わった。
嫁さんがキレたという
「ぼくはいつまで食べてればいいの?」
セックスレスだからパパ活したいとか、こっそり家計に手を出してジムに行ったら嫁さんが激怒して実家帰ったやら、家族のリングフィット・嫁さんの稲作ゲーム・子どものぶつ森でswitchの容量が足らないから、ゼルダのために4台目を買おうかなと考えてるとか聞いた上でこれだと、この一家の未来が良い方向に行くとは思えんのだ。
でも面白い人間であるってことを証明しないと誰も口を利いてくれないから必死にそれを証明しようとしてきた。
たとえば学校生活やSNSにおいて、つまらない人間だと思われれば友達やフォロワーが減っていき社会に居場所がなくなる。
このお友達文化は企業で働こうがフリーランスになろうがどこまでも続いてきて「あいつは会話する価値がある程度には面白い」と思ってもらえないと交渉や頼み事すら難航するように今の社会は出来ている。
コミュニケーション至上主義、なんて名前を造語症の人間ならでっち上げるんだろうか?
とにかく今の社会では自分が面白い人間であることを証明し続けることが発言権や人権を確保するための必須事項となってしまっている。
生まれつき面白い人間であるなら悩むことなど無かったのだろう。
息を吸ってそれを言葉として吐き出すだけで面白い人間として社会に居場所が出来る。
そうでない人間は大変だ。
流行りの情報をチェックして情報通であることをアピールしたり、昨日見たドラマやニュースの話題が一緒にできる人間であり続けようとしたり、ある種の定型文じみたテンプレワードの投げあいに対応できるように日々脳内シミュレートをしたり、涙ぐましい面白さ確保の日々がどこまでも続く。
もう疲れた。
学生時代の友情を維持し続けるのにまず疲れて、身内の連絡先を一斉に消した。
次にSNSのアカウントを一度消して、それからやっぱり人恋しくなって今は大幅に活動を縮小したアカウントをやっている。
そこまでしても会社や親戚との付き合いの中で面白さアピールはひたすら続けなくてはいけない。
会話する価値がある相手であることを維持しつけるゲームから早く完全に降りたい。
終わらずに続くレースのようなもので、故障したままでどこまでも走らされるせいで壊れる人間が続出する。
ママ友の付き合いを断りきれなくて借金地獄に落ちたなんてウシジマくんみたいな話も、世の中に本当に実在している。
人気があることがメリットになってしまうということは、他人の人気に対して嫉妬心が生まれる機会の多さを意味する。
単なる友人関係の中ですら、お前っらてアイツらと比べてつまらないからお前らの友達やめてあっちのグループに行くね。
そういうことが起きてしまうと、相互関しだったり抜け駆けの防止だったり、そして嫉妬心からの暴走が起きて人間は日々壊れ続けることになる。
本当にもう辞めたい。
相手と話ていてつまらないから離婚したなんて話がなんで世の中にはたくさんある?
もう沢山だ!
こんな嫉妬心に溢れた世界に居られるか!俺はこのレースを降りるぞ!!!
なんて言えるはずもないので、後方集団になんとか離されないようにしているが本当にもう限界だ。
助けてくれ。
存在価値の証明をしなくても生きていける社会はまだかなあ……。
ベーシックインカムとかでなんとかならんか。
前編:https://anond.hatelabo.jp/20210221113739
・障害者職業能力開発校に通った
・ハローワーク求人ではなく、就職エージェントへ登録して就活した
・履歴書の添削を就職エージェントにしてもらって書き直しをした
・面接の練習の為に、カメラに自分の喋りを録画して見直し、改善した
この4点だ。
あと、俺は元々資格だけは様々なものを持っていたから新たに取得したりはしなかったが、資格を持っていない人は資格取得の勉強もした方が良い。
障害者職業能力開発校では資格の勉強もするから、そこでしっかりと取得しよう。
障害者の職業訓練校、障害者職業能力開発校へはハローワークの障害者窓口で相談して通うことが出来るぞ。
普通の職業訓練校と違って、国立県営だし生徒は障害者だけしかいないから通いやすいし、講師の当たり外れも民間に比べたら少ないぞ。
入学の為には筆記試験なんかがあるが、中学校卒業レベルの知識があれば解ける。
障害者職業能力開発校には様々な科があって、自分の興味のある分野の勉強が出来る。
リモートワークで就職をしたいなら、OAビジネス科に入ってWord、Excel、簿記を取得するのが一番良いだろうな。
若いなら、プログラム設計科でプログラマーを目指すのもありだろう。
ただ、住んでいる地域の学校によって設置している科が違うから、その科があるか分からないけどな。
就職エージェントは、障害者枠で働きたいなら障害者専門のエージェントを使うのが良い。
ネットで検索したら色々と出てくるから、片っ端から登録して就職活動を行うのが良いだろう。
障害者がリモートワークで働きたいなら、障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェントがあるから、そこに登録したらいい。(俺はそういうエージェントに登録した。)
就職エージェントには面接マニュアルもあるし、お願いしたら面接の練習なども付き合ってくれる。活用しよう。
ちなみに、俺が使用した就職エージェントは就職後も企業との間に入ってサポートをしてくれている。
そういうサポートの充実した就職エージェントを選んだ方が良いだろう。就職してもすぐに離職したら意味ないからな。
俺は会社の会議というものに出たことも無いし、会社内メールなども出した経験が無い。
30代半ばにして、初めての経験ばかりだ。
大変ではあるけれど、毎日が新鮮だ。
普通の人にとっては当たり前のこと。サラリーマンやOLなら当然のことを俺はやったことが無い。だから、時々失敗をするけれど、それでも毎日が新鮮で楽しい。
収入も安定しているし、「社会保険証」というものも初めて手に入れた。
ちなみに、俺は九州の田舎に住んでいるが会社は東京だ。会社へは一度も行ったことが無いままの入社となった。
九州に支店があるが、感染症の関係で今は行くことが出来ない。いつか、自分の働いている会社を見てみたいから行くけどな。
俺は今、事務員だがプログラミングを学んでいたことを生かして、会社内のITヘルプデスクのようなことをしている。
毎日やり取りしている、仕事を教えてくれている先輩達は俺より一回りくらい年下だ。
年上の後輩に仕事を教えるのは何かと面倒だとは思うが、それでも懸命に仕事を教えてくれる先輩達には感謝してもしきれない。
本当に毎日が新鮮だ。
この会社で一生働いていくのかは、今の段階ではなんとも言えない。個人事業主が恋しく無いといえば嘘になるからな。
でも、今のところは会社に不満も無いし、社会不適業者がせっかく就職出来たのだから、まずは社会人としてのマナーをこの会社で身に着けようと思う。
ここまで読んでくれてありがとな。
俺は今や、立派かどうかは分からないが、サラリーマンとして次の人生を歩んでいる。
もし、障害者職業能力開発校に興味があって、通ってみたいなら下記のリンクを参考に、自分の住んでいる地域から探してみてくれ。
残念ながら自分の住んでいる場所から近いところに学校があるとは限らないが、学校には寮もあるから、そういうのに抵抗が無い場合は寮に入るのもありだろう。
専門の相談員さんなんかもいるし、担任の先生もいるから、そういう職員さん達と相談しながら学校生活を送ってくれ。
2月になったにも関わらず埼玉の「滑り止めの星」についての情報をご覧の方には、他の中学とご縁がなかった際に進学する価値のある学校か、という点がひとつ気になるところと思います。私共は入学して過ごしてきたものの、これはちょっと・・・と判断し高校から外に出る親子です。ありがたいことに次のステップに目途が立ち、子ども本人からもこれを共有してほしいということで書いてみました。2月に志望中学の合格を確保された方、おめでとうございます。こちらに上位の志望で合格された方、以下は読む必要のない文章です。在校生の皆さん、人間の評価軸は試験の点数だけではありません。どうかうまく生き延びて。
強調しておきたいのは、今在籍している多くの生徒さんたちは本当に賢い、良い子たちで、ここの大学受験勉強至上主義の教育にさらしておくのはもったいない子たちです。もう少し良質な教育を与えてあげればきっと様々な面でもっと伸びるはずだった子たちだと感じます。おそらく、宣伝が上手ということに加えて、首都圏の中学受験が過熱し受験者数がかなり増えた結果こちらにまで比較的質の高いお子さんが回ってくるようになったのかもしれません。
「学業以外も充実した時間を過ごして」「大学進学実績も悪くない」というのがその最大公約数でしょうか。これらを満たすかのように外部向けにアピールされている内容と、実際の状況とは実感として乖離している印象です。
中高一貫校に対して一般的に想起されるイメージとは異なります。
・ 教師の中には生徒を点数でしか評価しない方が少なくありません(婉曲表現です)。
・ 部活についても本当は推奨していないことを生徒に対して明言する方もいらっしゃいます。
・ 文化祭等の学校行事についても準備はミニマムで、時間をかけることは歓迎されません。
・ 学校生活全般の余裕が、1日の生活でも、年間のスケジュールでも、かなり少ないです。また、試験の結果が悪い子は、質が微妙な補習・追試の繰り返し(追追試もあります)で、気がついたら次の定期試験が始まってしまい準備が追い付かない、ということもあるようで低学年からとにかく試験に追われます。中高一貫の、高校入試がないメリットを生かしていない印象です。
これほど試験対策的な勉強ばかりさせられているのにこの程度の進学実績なのか、と感じます。また、(いろいろなところで他の方も書いてらっしゃいますが)東大クラスのさらにごく一部の進学実績がその数字のメインで、それ以外は実質「ベット」扱いです。平均的な進学先はMARCH未満です。そもそも東大や国公立の医学部に行きたいならもっと効率の良い王道の学習法があります。
・ 与えられる宿題・課題が精選されておらず量ばかり膨大で、生徒たちは悪い意味で「慣れて」しまって解答を写したり、アプリで数学の問題を解いたりしています。また、提出した課題の教師側のチェックがザルです。正誤や意味の理解は無視してとにかくこなす、埋める、という悪習が身に付いてしまいます。
・ 教師にはトップ校のリタイヤ教員もいるにはいますが、モチベーションが低いのか、微妙です。先生方は朝の駅からの誘導(ガードマンがわりに使われています)や、膨大な補習授業で疲弊しており、本務のはずの授業の創意工夫の質やパフォーマンスは高いものではありません。また、教師間のいじめに似たことも生じているようです。
・ 定期試験や模試のクラス平均が芳しくない場合、クラスの連帯責任としてクラス全体に非常に厳しい言葉・指導がかけられます。これは本当によくないことで、平均を超えている子供たちのやる気をそぎ落とします。なお、中学での成績が悪いと高校進学時に「野球の強いグループ校」への転出を強く薦められるとのことですが実態は不明です。
・ アルファベット3文字の略称の、夜遅くまでやる校内の予備校的なシステムがありますが、質は高くなく、受講はお勧めできません。せめて良質な教育を、と中高一貫校向けの都内の塾まで通おうにも開始時間に間に合わないのが実情で、大宮あたりのマスプロ系の大学受験予備校に通うのがせいぜいです。それでも根性で都内の塾に通っている子もいますが。
ちなみに、見切って高校から転出する際もバトルしなくてはいけないのが実情です(内申も期待できません)。それでも敢えて出る方が少なくないのは他の中高一貫校とは一線を画すのではないでしょうか。東大クラス以外はあっさり放流されるという話も聞きましたが分かりません。
ただ、たまたま私自身も中等教育に深く関わり、他校の最新の状況も知る立場であり、かつ縁があって同学年・他学年の生徒さんや親御さんたちの話をたくさん聴取した実感からも、ある程度の方が同じように抱く感想では、とも思います。また、学校側はかなりかたくなで、インターエデュで学校側への改善提言のスレッドを立てた方が、結局高校から外部に出た気持ち、今ならとてもよく分かります。
私共もまさかそれはないだろう、学校の宣伝するような良い点もしっかりあるのでは、せっかく合格した学校なわけだし、と思って我が子を進学させたのですが実際に子供と共に実情を体験して、教材や指導内容、授業の実際を精査してきて非常に身に沁みました。
通学時間がdoor-to-doorで1時間未満で(駅から重い重いリュックをしょって歩くと晴れた日でも15分はかかります)、かつ6年間受験勉強至上主義で質より量のスパルタ式教育を好まれる親御さん、お子さんでしたら合うはずです。類似のスタイルの学校は関西に一部ありますが、都内近辺ではこちらだけのスタイルと思います。それ以外であれば落ち着いた地域の公立中学から高受する方が心身の発達には良いと感じます。麻布蹴りでこちらに来た子がいる、と学校はおっしゃってましたがその子のメンタルが本当に心配です。与える教育が真逆も真逆です。また、都内どころか神奈川や千葉から通っている方もいらっしゃいますが、そこまですると長時間拘束されるこちらの学校では通学で1日が終わってしまいます。もちろん各ご家庭の価値観によるとは思いますが。
なお、1時間未満、と書いたのは授業時間がルーズな傾向があり、例えばホームルームを終えた土曜の下校も13時過ぎということはざらで、14時ごろになることもあるためです。また、前出の「校内の予備校的なシステム」を利用するためにも遠すぎるのは厳しいです。学校から駅までで寄り道が禁止されているために、地元からみると単なる「駅と歩道の混雑の原因」扱いで、地元住民の方や商店から敵視されているのは生徒の皆さんがちょっとかわいそうです。
学校最寄り駅から「教室まで」は20分から25分だそうです。なお、今春から快速が最寄り駅に停まることをポジティブにとっているのは学校側だけで(宣伝材料になるからでしょうか)、生徒からすると電車が来る間隔が広がるのでかえって迷惑、だそうです。試験の点数を基軸に教師先導で東大クラスv.s.その他のクラス、教師v.s.生徒、といちいち分断をあおる仕掛けが組み込まれているわりに、ほとんどの生徒は肩を寄せ合うモルカ―のように健気に頑張っていますが、中にはその仕掛けを真に受けてガチで見下す生徒が出てしまっているのは残念なことでした。極端な例ですが、卒業生による職業紹介の際にその卒業生が某旧帝出身と聞いて素で「ザコじゃん」と卒業生本人に言ってしまった子がいたそうです。毎朝唱和させられる内容(Wikipedia学校紹介ページ参照)には意味が無いようです。
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。
俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。
その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。
彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリントを職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。
当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生にアクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。
それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手が彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女と漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から「安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。
中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制の高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制の高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女は大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生に志望校を聞かれたとき、通信制の高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から「第一志望を通信制の高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通の高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校を休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかわからない」と言っていた。あの時俺の気質を理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校を受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。
俺は第一志望の通信制の高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験で第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々とメールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯にペアのストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女が学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。
俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習から始まったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。
高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動で就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験の対策で過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。
就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学を卒業してから「高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強の邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金でご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生おわっちゃったね。この間ね、安野モヨコのエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。
翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口で売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステを転々として寝泊りしてるよー。増田は大学行くの?頭良かったもんねえ」
ビックリした。
口から晋三が出るかと思った。
中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女だけが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女は高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女は風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?
俺は彼女とご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。
久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。
「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。
ファミレスで軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。
彼女は高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学の勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安と違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害とうつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校が県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブーストで学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神が限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイトを転々としていた当時高2の彼女が自分一人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐がストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステでチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘルに転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeでジャルジャルの漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女の面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。
しかし俺は彼女に「普通の生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問は残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女が彼女の世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。
「中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISHを批判してたの覚えてる?」
「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」
「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」
「だから?」
「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドがもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」
「増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達だから』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」
「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコの漫画ネタ)」
「馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。
俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女の生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員に内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗を咎めず、性風俗に従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。
俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。
それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホが監視されてて。確認したかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネットに本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼になっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。
心配した俺は、ひょっとしたら彼女が実家で療養しているのかと思って、中学の同級生から彼女の実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女の苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民が対応してくれた。どうやら今の住民は中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯の電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。
インド太平洋地域において、台湾の占める地政学上の戦略的重要性については、多言を要しないだろう。中国はよく「第一列島線(日本列島、台湾、フィリピン、インドネシア等を結ぶ線)」によって海洋への出口を阻まれている、という。仮にもし中国が、台湾東部の港湾を自由に使用することが出来るようになれば、事前に察知されることなく、中国の核搭載潜水艦は太平洋を遊弋できるようになるだろう。切り立った断崖の続く台湾東部海岸は太平洋の深海につながっており、これら港湾を使用すれば、察知されることなく「第一列島線」を容易に突破できる。
中国共産党にとって、台湾問題は「核心的利益」の筆頭と彼らが呼ぶように、中台統一は習近平政権の最大課題の一つであることに変わりはない。これまで、中国は台湾との経済的・技術的つながりを深めることによって台湾を併呑しようと努めてきたが、台湾の人々の意識は逆に中国から離れ、蔡英文政権下で、その傾向はますます強まっている。その結果、中国としては台湾を軍事的に攻撃するという選択肢を選びつつある
これを見ると、ジャイアンとスネ夫がまだ出会ってまもないころ、
いきなりジャイアニズムを発揮すると縁を切られるので、
まずはジャイアンと一緒に行動することでさまざまな学校生活上の恩恵があることを覚えさせ、
徐々にスネ夫のおもちゃや遊び部屋を自由に使えるように策を弄したものの、
元々私は保育士志望なので初めから教員には全く興味がないが、卒業条件なので取らざるを得なかった。
おもんない。
そういえば小学校時分ではそんなんやったな~とか、そういう意味合いがあったんだなと懐かしさもあって随分気楽に受けていた。
四年になって急に「副免」なるもののおかげさまで小学校へ実習。
おもんない。
元々こういう閉鎖的な空間や押し付けられる価値観と考え方の風潮が合わない。
小中高とロクに学校生活を送れている気がしない。
しかも今年はコロナの関係で児童たちとのかかわりも最低限で、実習生は横で突っ立って授業を見るだけ。
果てには後期に教員養成な講義があり、「教員とはかくあるべき」といったご立派な教師像を突き付けられる。
リフレクションには不祥事を絶対起こさないという決意を書けなどどいう。
何を言ってるのだろう。この方たちは。
どうやって言葉を尽くし、教材研究を行い、児童・生徒たちを導くのか。
このこと自体は非常に面白いと思うが、学級経営の基本的な指針が腐っている。
子どもたちの能力ややる気を伸ばすだとか思考力がどうだとか言っているが。
俺はそう思えん。
早いでしょその方が。
一対多でどれだけ効率よく子供たちを六年ないし三年いなすか、そんなことしか考えてないように感じる。
加えて、教師像が精練な聖人かを作るべきだとでも思ってんだろうか。
「宿題?やってきたのえらい!」
「宿題忘れたの、じゃあ成績は下がるだけだねえ」
これでええやん、もうはっきりと言えばええねん。
無論そんなことが分からんような子どもに行ったって無駄だからそれをしろと言ってるんじゃない。
「○○のため」
「みんながそうしてる」
この文句が本当に嫌い。
その言葉の裏に見える「俺はめんどくさいことしたくない」という言葉が見え隠れして嫌い。
本心で話せや。
言い方で何とでもなるでしょう?こんなものは。
言わせたい言葉を引き出すような言い方止めろ。
はっきりと、何を主張したいか、言え!!!!!!!!
あーダル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/42509
そして「こんなのリンチじゃないか、本当かどうかも分からないのに」というブコメもついている
おそらく、ここで「いじめ許さない」と言っているブクマカは別に
「小室さんが虐めをした、許せない」とは言ってない
「小室さんが虐めをしたなら、許せない」と言っている
途中でめんどくさくなったのでやめるが、この手のブクマカの書き込みがちらほら見ていて思うのが、てめーら幸せな人生だったんだな、と。
虐め加害者は基本的になんの罰も受けずにのうのうと生活しているから
なのだ。
別に人を殴ったり殺したりしたら普通は捕まって罪を償う。だがいじめは人の人生をぼろぼろにして精神を破壊するくせに、なんの罪にもならない
いじめていたからといってリンチが許されるか、というならば、人をいじめてもなんの罪も償わず、人の人生壊して平和に生きていくのが許されるのか?
他人を傷つけたことがあるだろう、っていじめって傷つけるなんてレベルじゃないよ、あれは破壊だよ虐殺だよ
学生時代のいじめの悪辣なところは、逃げ場がない学校生活で行われることだ。仕事してたら転職という手もある。余りに酷いことをしたらパワハラになったり会社も味方になってくれる事もある
だが虐めで被害者が取れる対策はだいたい家で引きこもるだけだ。
勉強は遅れるし学生生活はできないし、ただでさえ被害者なのになんのメリットもない。なぜか加害者は学校に来るので加害者だけが普通に教育を受け、友達と遊び普通に卒業する
性悪な過去をずーっと引きずった人は幸せになっちゃだめ、じゃないんだよ、性悪な過去を何一つ償わずにいるから幸せになるなっていじめ被害者は思ってるんだよ
お気楽に「リンチは~」とか言ってるブクマカ達は、そういう正論やご立派な性善説が通用するレベルを通り越して、いじめられっ子は憎悪を持っていると考えた方がいい
ブクマカの正論はいじめられっ子には全く届かない。そんなレベルの憎悪じゃない。憎しみで人が殺せるならいじめっ子はみな爆発霧散している
自分は子供の頃比較的早期に親や教師から叱られることを避ける術を獲得していた所謂大人しく行儀の良い子だったが、それは単に危機に対する反射的行動をしているだけの動物にすぎなかった。
社会的な意味を理解して対応できるようになったのはボンクラだったので遅く、高校2年くらいになってからだと思う。子供は言うこと聞いてテストが出来れば親も教師も安心なわけで、社会ひいては世界についてまるで関心がなく自分の興味の赴くままに生きていられる環境にいたのは幸いであった。
個人的感想だが小学生は動物で良いと思うし、社会性に見えるのは自分のように反射的行動かもしれない。中学に入ったばかりならもちろん動物であろう。社会的動物に少し踏み出して行くのは中学校での学校生活からではなかろうか。もちろん根拠はない。
私立がいいか、公立がいいか?みたいな話をするときに、「公立は私立より多様性があって、そこは私立が敵わないところ」というのは、自明のこととされ、話の前提となっている。
でもそれは間違っている。
正確には、公立の方が高い多様性と、私立の方が高い多様性がある。
・家庭環境
・家庭の財力
・学力
・性格
・趣味
・人間関係
オレ自身は私立出身だが、公立のやつの話を聞くと、独特の息苦しさにげんなりする。「オマエは公立だったら絶対いじめられただろう」とよく言われる。よく言われるように公立には日本独特の同調圧力がある。
というか公立だけでなく、ほとんどの企業や役所など、日本組織には同調圧力がある。同調圧力って「多様性を許容しない圧力」のことだから当然、性格、趣味、人間関係の多様性は失われる。
例えばこないだTVで「高校のときにモデルとして雑誌に出たら悪目立ちしてイジメが始まった」というエピソードが出ていた。「悪目立ち」こそ、同調圧力。
だが芸能活動が許容され、普通に級友からも応援されるような私立はたくさんある。
ここからは私立というよりもトップ進学校の話だが、こういう学校って「級友が他人と同じかどうか?」に全く関心がない。そういう世界、想像できる?
ある程度賢い、大人びた生徒しかいないので、「あいつはあいつ」というクールな態度が普通というのもある。あと良くも悪くも「賢い」「勉強ができる」ということを多少意識するので、「勉強ができるが性格が変わってるヤツ」には一定の敬意が払われる。
例えば級友に、漫画「ぼのぼの」みたいなやつがいた。小太りで運動神経はゼロ。話し方も子供っぽくて、母親が重度の過保護という噂があった。普通ならめちゃいじめられそう。
でも幸いなことにそいつはめちゃくちゃ勉強ができた。そのためかどうか分からんが、「ちょっと変わったやつ」ぐらいで、普通に学校生活を送っていた。オレもそいつとまあまあ仲が良くて、家まで遊びに行ったりしていた。
結局そいつは東大に行き、今では研究者になっている。こういうやつは本当に私立進学校に行ってよかったよね。その方が人類のためでもある。田舎の公立とかに行っていたら、どんな人生になっていたか。
で、最初のお題に戻る。
私立(特に進学校)は、もちろん家庭環境の多様性はない。オレの級友の母親はほぼ100%専業主婦だったし、父親は医者、経営者、大企業の管理職だった。
だが性格ということになると、多様だった。勉強さえやっとけば、あとは好きに生きることが、許されていたからだ。学校からも親からも級友からも。
普通にスポーツが好きなやつもいるし、城とか天文とかゲームとかのおたくもゴロゴロいた。異様に我が強いやつとか、暗いやつ、今で言うパリピーっぽいやつとか、人間の幅は広かった。
特に大事なのは、パリピーの方が暗いやつより人間として上位、というカースト的な意識が全くなかったことだ。「あいつらはあいつら、オレらはオレら」単に違うだけであって、上下ではない。スクールカーストって最悪な言葉だよな。
まあ、「公立は私立に比べて色々不利なあげくに同調圧力のせいで人間としての多様性もない」という論調は絶望的すぎて世の中には受け入れられないだろうけども。
この件に限らないけど、はてなのボリューム層であるアラフォーくらいの連中が体験を一般化して語りがちなの良くないよな。
「氷河期世代は就職が大変だった」くらいに限定されていればまだいいのだが、20年、30年経っても同じ前提で語ってしまう。
オタク差別がマシになったという知識はあるだろうに、そこからそういう連中の学校生活もマシになったというところまで考えが及ばないっていうね。
ガタイだけはいいけど、知能が小学低学年レベルの人達と一緒の教室で中学レベル同じ授業受けるの、普通に嫌でしょ。
なんか急に暴力ふるってくるし。差別じゃなくてこれはエスケープです。ほんとは高い金払って私立の学校に通わせるのは正直しんどいので、むしろこっちは被害者だと思ってます。
自分は神奈川県の小中公立、バカ私立高校、Fラン大卒という絵に描いたような量産型の落ちこぼれなんだけど
Twitterやはてなで言われるような「動物園」だった記憶がない。みんなそんなにひどい学校生活だった?
80年代ならいざ知らず今の時代でそこまでひどい公立の学校あるのか疑問すぎるんだけど。
確かに不良や貧乏もいたし、イジメもある時点ではあった。悪いことして絵に描いたようなマッチョ体育教師に頭叩かれたこともあった。
公立の学校は教師が価値観を押しつける?そんなことある?悪いことは悪いぐらいしか言われなかったと思うよ。
大学以降の人脈についてはよくわからん。たまにマンモス大学は共通の話題があって羨ましいなと思うことはある。
卒業後の仕事や給料は自分の同僚として高学歴な人がいるぐらいだから学歴はほぼ無関係だと思われる。