2021-03-22

スクールカースト後遺症と、エヴァンゲリオン

エヴァを初めて見たのは中学校2年生のころだった。

端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。

穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。

新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生同級生はみんな、自分の居場所リセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。

一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。

それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係階層構造が強まった。

勉強のできる学校地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった

当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。

ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。

プライドが高かったのだと思う。

階層トップの不良グループクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。

イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。

お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。

昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループ所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。

そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。

カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。

こんな感じで、安心できる場所学校には一切なかった毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。

その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器おしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。

学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。

小学校からやっていた陸上部を、中学校に入っても続けていた。

年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。

うちの中学校では、この県大会大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。

僕はどの競技選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。

小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。

知らないメンバーのために、部活からサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。

陸上のもの楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所自分から閉じてしまった。

部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCインターネットを利用した。

Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。

オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。

ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。

それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに場所を求めた。

ここまでがだいたい中学1年生。

2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。

小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。

修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。

僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子から男子からも人気のあったイケてるグループメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。

事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。

そして、ちゃん好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。

好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。

ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。

この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。

小学6年生の遠足の時、移動までのバスカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。

歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。

小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。

中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。

そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有自意識過剰から、まともに話すことができなかった。

そしてそのまま、拒否された。

一方的彼女好意を伝え、呼び出した複数人男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。

個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。

自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループ嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと自分のことが嫌になった。

体育の授業で複数人グループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。

ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族ゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。

結果、見事にハマった。

戦闘シーンやメカニクス描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳シンジや他のキャラ内面描写に、自分を重ね合わせて見ていた。

中でも人類補完計画セカンドインパクトは、思春期想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。

意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループ階層といった構造になると、途端に他人攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしま意識があることを知った。

何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。

他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。

人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。

でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァ世界から抜け出さないようにした。

繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジ人間ひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカ気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?

これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。

その後、県内では進学校だった高校入学し、校内の暴力的上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。

大学第一志望には落ちたけれど、都内学校に進学でき、希望していた地元から脱出は叶った。

だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。

人がいる男子トイレでのおしっこも、出ないままだった。

大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。

また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。

いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。

それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。

この時に身に付けた自信から就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。

今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。

誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。

できることが増えて、自分人生俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。

日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。

そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。

なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失ちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァ対峙することで、確認たかったのだと思う。

今日映画館に見に行くことができた。

僕はとても救われた気持ちになった。

今回の物語では、シンジミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。

第3村のトウジとヒカリレイ田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。

劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。

本当に良かった。ああ、これでいいんだね。

ありがとうさようならエヴァンゲリオン。

  • 映画の感想を述べるのに映画と関係ない自己語りをする理由を言語化してください

    • 横だが、映画に限らずコンテンツとの向き合いは自己との向き合いでは

      • 箸が転がっても唐揚げ食っても同じこと言ってる高尚な方であれば大変失礼しましただが違うだろ? なんで流行りにいっちょがみして関係ないこと話したいん?

        • 流行っているってことは見た人が多いからで、言及する人も多くて目につくんじゃないか

          • そうじゃなくて、自分語りは単独で出来る、映画語りは単独で出来る、流行りの話は単独で出来る けど、どれもこれも、映画1割の自分語り9割じゃん、観ないでも書ける つけるべきタグ...

  • 映画の感想というなの自己憐憫に浸るのは勘弁してください

  • 中二の時も今現在も、エヴァが提示する価値観と自分を重ね合わせて「自分はこれで正しいんだ」と思いたがるというのは全く変わってないわけだな。 今回のエヴァ映画でおっさんにな...

  • おめでとう

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