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はてなキーワード: 併呑とは

2023-09-04

anond:20230829135907

日本人が「これでもう中国台湾侵略を諦めたはず。めでたしめでたし」と勝手に安堵する行為のものが、中国政府には「よし、台湾侵略しても日本は動かないな」というメッセージになりかねないんだがな

というのも、在日中国公館の連中は習近平の機嫌を損ねない報告のネタ探しに今も血眼になってるから

閣下日本世論台湾への関心を失いつつあります。もはや日本政府はアメリカとの連携には動きますまい。統一の悲願を達成するならば今しかありません」と、習近平をニンマリさせる報告をどうやって作るか、連中の頭の中はそれしかないよ

実際、ロシアプーチンウクライナ侵略を決意したのも、クリミア半島一方的併合国際社会が思ったほど反発しなかったのと、当時のゼレンスキー政権比較的親露派だったという要因が大きかった

欧米が「クリミア半島を手に入れたのだからロシアはもうこれ以上手を出してこないはず」と勝手に納得して勝手に安堵してしまった

プーチンはそれを「ウクライナ併呑しても反発はさほどのものでもない」と勘違いしてしまった

2023-05-15

anond:20230515211117

外国併合されると外国語を覚えなきゃいけないからなぁ

日本の一部が独立して日本国を併呑するんなら日本語使えるからOK

2023-02-08

さまざまな桶狭間

桶狭間の戦い

桶狭間度:★★★★★

海道一の弓取りと謳われた今川義元大軍を、小勢の織田信長が打ち破った戦い。「桶狭間は谷だった」「いや山だった」「奇襲だった」「いや正面攻撃だった」など、その実態については今なお盛んに議論される。また、勝利した織田信長がこれをきっかけに勢力を拡大し、のちには天下人となっていったこから、「小大名が敵の大軍を破り、その後の飛躍に繋げた戦い」のことを「〇〇の桶狭間」と言うようになった。

奥州桶狭間人取橋の戦い

桶狭間度:★☆☆☆☆

父親を殺された伊達政宗が、その弔い合戦として畠山氏の二本松城を攻めたところ、相手方の救援として駆けつけた佐竹氏・蘆名氏などの連合軍と戦いになった。兵力差四倍以上の相手に正面決戦を強いられることとなった伊達方はほぼ敗勢だったが、勝利目前の佐竹軍が急に撤退したため尻すぼみに合戦終結した。壊滅必至だった伊達軍がそれを免れたという点では「勝ちに等しい引き分け」と見ることもできる。その後、巻き返した伊達政宗二本松城を落とし、蘆名氏を滅ぼして南奥州覇を唱えることとなる。

関東桶狭間河越夜戦

桶狭間度:★★★★☆

泥沼の争いを繰り広げていた古河公方山内上杉・扇谷上杉らの関東勢が、勢力を急伸させた北条氏を恐れて連合し、北条方の要所・河越城大軍で包囲した。それに呼応した今川義元も西から挙兵して挟撃の形となり、家督を継いだばかりの北条氏康は早くも絶体絶命の危機を迎えた。しかし手早く今川と和睦した氏康は、大軍に驕った連合軍に夜襲を仕掛けて撃破した。この戦いで古河公方山内上杉・扇谷上はいずれも滅亡・没落し、関東北条氏を中心として動くようになった。

甲斐桶狭間飯田河原の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

甲斐に侵攻した今川大軍を、武田信玄の父・武田信虎が迎え撃った戦い。荒川沿いの飯田河原戦場に選んだ信虎は、数で上回る今川軍を地の利を活かして撃退、ひと月後に上条河原で再戦したがそれも打ち破り、敵の大将を討ち取った。一連の戦いにより武威を示した武田信虎は、敵対していた穴山氏などを服属させ、甲斐統一を成し遂げた。

近江桶狭間野良田の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

北近江浅井氏は、越前朝倉氏と南近江六角氏という大勢力に挟まれ、当時は六角氏に従属する立場だった。父親隠居させて浅井家の若き当主となった浅井長政は、すぐさま六角からの離反を表明した。それに対し、六角氏は当主六角承禎自らが大軍を率いて攻め寄せたが、浅井長政は半数以下の兵力で迎え撃って勝利した。弱い立場だった浅井氏はこの勝利により戦国大名としての地位を固め、敗れた六角氏はお家騒動などもあり衰退していくことになる。

備前桶狭間」明善寺合戦

桶狭間度:★☆☆☆☆

備前大名浦上氏の家臣として頭角を現しつつあった宇喜多直家は、毛利氏従属しながら備前進出しようとした備中三村氏の当主三村家親を、日本史上初となる火縄銃狙撃により暗殺した。怒れる三村氏は、弔い合戦とばかりに宇喜多方の明善寺城を攻め取ったが、宇喜多直家は素早く奪回し、逆にその救援にやってきた三村氏の大軍を待ち構えて打ち破った。この戦いにより影響力を増した宇喜多直家は、のちに主君反旗を翻し、戦国大名として独立することになる。

西国桶狭間有田中井手の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

かの毛利元就の初陣。源氏の名門・武田氏一族で猛将と謳われた武田元繁と、味方の城の救援に向かった毛利吉川連合軍の戦い。寡兵連合軍は劣勢を強いられたが、初戦で運良く敵方武将を討ち取り、それに激怒して自ら前線へ打って出た武田元繁をも討ち死にさせた。この戦いにより、大内氏から独立して勢力を拡大していた武田氏は一転して衰退し、代わって毛利元就歴史の表舞台に躍り出ることとなった。

「海の桶狭間厳島の戦い

桶狭間度:★★★★☆

毛利元就の戦いとしてはこちらのほうが有名だろう。主君大内義隆に謀反し、大内家内を牛耳った陶晴賢だったが、その隙に離反した毛利元就によって安芸を奪われてしまう。大軍を率いる陶晴賢要衝厳島拠点安芸奪回を狙うが、毛利元就は嵐に乗じた奇襲でそれを打ち破り、陶晴賢自害に追い込んだ。この勝利により、毛利元就は逆に大内氏を滅ぼしてその領土併呑し、中国地方覇者となっていくのである

肥前桶狭間今山の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

肥前勢力を拡大していた龍造寺隆信に対し、脅威を覚えた北九州覇者大友宗麟大軍を率いて侵攻、数ヶ月に渡って佐賀城を包囲した。援軍の見込みもないなかで龍造寺軍はよく持ちこたえたものの、ついに大友宗麟は弟の大友親貞に総攻撃を命じる。大友親貞は総攻撃前夜に士気を高めるため酒宴を開いたが、それを見た龍造寺家臣の鍋島直茂わずかな手勢を率いて夜襲を仕掛けた。油断していた大友軍は総崩れとなり、大友親貞も討ち取られてしまった。その後、和睦に持ちこんだ龍造寺隆信は、大友氏に従属しながら勢力を拡大し、のちに九州三強の一角に名を連ねることになる。

九州桶狭間木崎原の戦い

桶狭間度:★★★★☆

島津当主島津貴久が亡くなった直後、その隙を突いて隣国伊東氏島津領に侵攻した。伊東方が数千の軍であったのに対し、島津軍勢はその十分の一ほどしかなかったという。だがそれを率いていたのは名将・島津義弘だった。島津軍の頑強な抵抗により、伊東はいったん退却して陣を立て直すことになった。しかし、島津義弘から指示を受けていた農民たちが太鼓を鳴らして伏兵を装うと、伊東軍は慌てて陣から飛び出し、そこで待ち伏せていた島津軍に四方から攻められて壊滅、総大将も討ち取られてしまった。窮地を脱した島津氏は、島津兄弟のもと勢力を拡大し、九州を制覇していくのである

2023-01-30

anond:20230130111551

一水会は親露派で有名な政治団体だぞ

ロシア併呑された直後のクリミア半島ルーピーと同行したのが当時の一水会の当時の代表だったし、鈴木邦男自身も「バイデンが煽ったウクライナ危機」なんてゴミみたいな文を発表したりしてた

鈴木曰わく、ゼレンスキーアメリカ軍需産業とズブズブなんだってよw

とにもかくにもロシアに肩入れする時点でこの国の論壇には何の価値もない存在だったのは確か

2022-03-16

anond:20220316182628

ロシア共和国が仮になくなったとして、中国EU併呑していくイメージになるの?

想像つかないけど・・・

かい共和国化するのかな?

2021-03-12

anond:20210308234216

国内全体でも0.85あるかないかなので、北との統合は確実視されるだろう。

それだけは絶対にない。

北朝鮮支配階級の関心は自らの贅沢な生活この一点のみ。

韓国という緩衝地帯がなくなれば北朝鮮アメリカ(在日米軍)と直接対峙しなければならなくなるし、情報統制が取れていない韓国併呑したら北朝鮮独裁体制破壊しかねない。

まり統一しても何のうま味もない。

2021-01-31

anond:20210131080018

日刊併呑というのがあって、沖縄は取り返したんだけど、北方領土がまだで、その先に、昔領土だったんだけど、とられちゃった地域が合ってね

あのねそこにまだ日本人がのこっているので、支援をしなきゃいけなくて、現地に帰化したとはいえ日本人の血はながれている戦争で生き別れになった子どもたちの子供にね、なにもできないけど、日本の知恵をおしえておかないと、そろそろ忘れられてしまうから日本の伝統技術だけでもつたえておかないt

2021-01-17

なぜ中国台湾経済的併合できなかったのか

インド太平洋地域において、台湾の占める地政学上の戦略的重要性については、多言を要しないだろう。中国はよく「第一列島線日本列島台湾フィリピンインドネシア等を結ぶ線)」によって海洋への出口を阻まれている、という。仮にもし中国が、台湾東部の港湾自由使用することが出来るようになれば、事前に察知されることなく、中国の核搭載潜水艦太平洋遊弋できるようになるだろう。切り立った断崖の続く台湾東部海岸太平洋深海につながっており、これら港湾使用すれば、察知されることなく「第一列島線」を容易に突破できる。

 中国共産党にとって、台湾問題は「核心的利益」の筆頭と彼らが呼ぶように、中台統一習近平政権の最大課題の一つであることに変わりはない。これまで、中国台湾との経済的技術的つながりを深めることによって台湾併呑しようと努めてきたが、台湾の人々の意識は逆に中国から離れ、蔡英文政権下で、その傾向はますます強まっている。その結果、中国としては台湾軍事的攻撃するという選択肢を選びつつある

これを見ると、ジャイアンスネ夫がまだ出会ってまもないころ、

スネ夫おもちゃや遊び部屋の魅力に気づいたが、

いきなりジャイアニズムを発揮すると縁を切られるので、

まずはジャイアンと一緒に行動することでさまざまな学校生活上の恩恵があることを覚えさせ、

徐々にスネ夫おもちゃや遊び部屋を自由に使えるように策を弄したものの、

逆にスネ夫からは嫌われる羽目になり、

暴力に訴える方針に切り替えた、ということのようである

問題なのは、なぜ嫌われたのかということであろう。

ジャイアンはそれに気づいていない。いや、いずれかのタイミングで気づいたのかもしれないが、

まれつきの性格を変更できないので、スネ夫を殴って支配しようとしたのである

2020-09-16

anond:20200916172049

まぁ、いちおう俺たちの呼び名

韓流アイドルであって韓国アイドルではないけど

日韓併呑イベント以来の国で歴史的にいろいろあるから韓流

いいんじゃん。仲良く出来ている分には

クレーム個別にいわれないかぎり、しらん。

2020-07-12

anond:20200712191217

最近日本史のことはよく思い出せない。 日刊併呑のことか?

2019-11-27

anond:20191127134114

過去に「亡びた国」の状況を考えてみればよい。

「国」とは? 住民領土主権及び外交能力他国から承認)を備えた地球上の地域のこと。

日本列島沈没して、日本人離散。ちょっと物理的に難しい。全土を核で焼き尽くすとかならできるか。

日本列島という領土から日本人がいなくなる。某国併呑した地域でやろうとしてるね。

日本という主権国家が消滅する。土地住民存在する。植民地とかやね。

古代ローマ人とか古代エジプト人ってどうなっちゃった?

中国でも異民族王朝をたてると、漢民族の国は亡びてるな。古代中国人は亡びてるのかも。

日本国内だと、北方異民族は少数生き残ってるけど亡びてますな。出雲隼人大和に飲み込まれてる。

2019-08-26

anond:20190826193734

北朝鮮核武装は、潜在的には、中国による吸収併呑を防ぐ意図もある

もし本当に仲がよければとっくに北朝鮮中国の省の1つになっているか連邦になってる

朝鮮戦争とその直後は北朝鮮中国と強固な軍事同盟関係だったけど

その後の中ソ対立の時期は中ソどっちつかずの二股外交だな

1969年には中ソ国境紛争が起きたし1970年代末には中越戦争も起きたか

社会主義国間同士の戦争もあり得るわけで

北朝鮮がそれを意識してなかったわけがない

現にベトナムも同じ社会主義国だけど国境を接する中国とは今も仲が悪い

逆に考えるんだ

日本韓国だってアメリカ側の自由主義陣営同士だけど仲悪いやんw

2019-01-22

anond:20190122231128

そもそも皇室大陸から渡来した農耕・騎馬民族の子孫で、日本全土が侵略で得た征服地。

征服民は、やがて皇室に連なる『天孫民族』と同化農耕民族となり、同化拒否した一部被征服民が被差別部落民となった。

中世以降も南北に着々と侵略を進めていき、明治になってアイヌ琉球王国併呑し、内地における侵略完了させた。

このように、日本国の歴史はまさに侵略搾取歴史に他ならない。

このような侵略伝統があるからこそ、日本によるアジア世界侵略が起こったのであり、日本民衆所詮は「犯罪国家日本」の構成員にすぎず、アイヌ琉球民族犠牲の上に生活が成り立っている。

からまずこの邪悪日本民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志たちが滅ぼし、反日闘争に協力しない全ての日本人を殺すことによって悪の歴史を捨て去るべきだ。そう思わないかい?

2019-01-03

anond:20190103052356

なるほど、素朴な疑問なんだけど併呑してもらえなかったらどうすんの?経済困窮してもほっときゃいいっかみたいな。

2016-06-03

[]5:増田の鬼謀

 周辺諸国がそれぞれ領土を拡大する中、気がつけば増田家(三)は他家よりも増田らしく他人の足引っ張りに終止していた。

 伸び悩む隣国を次の標的に定めたのは増田家(二)を併呑したばかりの増田家(一)である

増田家を北と東から包囲する形勢になっている増田家はさら陰謀で有利な状況をつくろうとした。

 すなわち「伍徐海の計」により、敵の戦力を西と南に引きつけようとしたのだ。

 増田家(三)を訪れる回船に増田家は手を回し、南の増田家(四)が侵攻の機会を伺っているとの噂をバラ撒かせた。

また、領土を失った増田家(十)の船団が大挙押し寄せてくるなどの如何わしい噂も積極的助長させた。

 複数情報源から得られることで信頼性が高いと判断した情報が、実は同じ勢力の意図のもとに流されていたわけだ。

 このような情報操作のことを最初に使った大陸武将「伍徐海」の名を取って、「伍徐海の計」と呼ぶ。

 サバ好きの父をもつ増田家の当主戦略状況から北や東も危険だとは思っていたが、上記の計略によって本拠兵力を集中する以上の行動を取れずにいた。

 敵に二倍する領土を誇る増田家(一)はダメ押しに北から陽動攻撃をおこない、主力を密かに東の国境に集結させた。

敵の増田軍が迎撃のため本拠の増浜から出撃したと聞き、増田当主は勝利を確信した。

 だが、それは早計だった。

 突然だがサバは足が早い。増田家の先代はそんなサバ滞在することのある内陸の拠点に高速で運ぶため、

そのためだけに領内の道路網を異常に発達させていたのである

増田軍は、子音四文字しか名前を知られていない神の教えを広めるために海の果てからやってきたという

「カラトラヴァ騎士団」に北の抑えを任せると、残りの全軍をあげて東へ向かった。

 その行軍速度は「本邦には手のひら返しが多い」と嘯いて、メタブからid観察するを常とする某はてなーですら見逃すほど。

 後の軍記物で伝説となる「超高速サバ返し」によって中入り策での奇襲を狙っていた増田軍は逆に奇襲を受けた。

峠道の出口を押さえられ、扇状に展開した増田軍によって先鋒を叩き潰される。

 山道にあった本隊も前衛の敗走に巻き込まれて混乱してしまい、ついに増田家侵攻軍は当主が討ち取られる事態となった。

 快勝をおさめた防衛軍であったが、行軍の疲れや北の敵陽動部隊存在もあって、一挙に敵国を滅ぼすには至らない。

 それでも鯖街道の力でサバイバル成功した増田家は年内に、旧増田(二)領をほとんど平らげてしまうのである

前回

http://anond.hatelabo.jp/20160602123323

次回

http://anond.hatelabo.jp/20160604230711

 
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