はてなキーワード: 学校生活とは
日本全国に中学校がいくつあると思う?だいたい10,270校だ。そのうちどのくらい私立校があるかと言うと大体7%だ。当たり前だが中学校で私立に通う奴の方が圧倒的にマイノリティなのである。その上で、公立中学校の全部が動物園だと思うか?んなわけないだろ。
普段学生時代の話なんかをしていて、俺の中学校は動物園だったなんて言う奴は殆ど見かけない。大半の人間が、ごく普通に公立中学校に進学して、ごく普通の学校生活を送ってきただろう。彼らに中学校は動物園だったか?と聞いてうなづく人間がどれほどいるだろうか?
公立中学校を卒業したことは何も、何も特別なことではないし、公立だからと動物園出身を名乗るのは馬鹿馬鹿しい。
たとえあなたの通った中学校が動物園のようだったとしても、それはあなたの通った時代の、あなたが住んでいた地域の、1学校の例に過ぎない。
件の増田は、『私立には多様性はない、公立には多様性がある。』などと言う割には9.5kある公立中学校を動物園と括る馬鹿だ。
わたしは現在大学1年生の女です。高3から今に至るまでの恋愛の話を少しだけしようと思います。
同級生で、集会の時に学年代表でスピーチをしたり、所属している部活で部長を務めたり、かなり優秀な人だったけど、他人にあまり関心がなかったわたしは、彼の存在を高3でクラスが一緒になるまで知らなかった。
遅すぎる出会いだったと思う。が、それより早く彼の存在を知っていたとしてもどうこう出来たとは思えないのも事実だ。
好きかも、と意識し始めたのは夏前で、夏休みに入る直前の席替えで席が前後になった。
受験勉強に明け暮れた夏休みが終わり、登校を再開し始めると、学校生活は天国のようになった。彼はあまり喋らない人だったけど、わたしと成績が近かったこともあって、定期テストや模試の話なんかはよくした。
それからほどなくしてまた席替えがあり、彼とは喋ることも少なくなった。受験勉強が本格化したこともあり、互いに自分のことで精一杯だった。
卒業式を迎えても、彼とは一言も喋れなかったし、ましてや「写真を撮ろう」とも言えなかった。
彼もわたしも、進路は別だが地元に残って大学生になった。半年くらいは新生活が忙しく、彼への感情は忘れていた。
しかし、ある秋の日に友人と出かけていたところ、彼に似た人を街で見かけた。ほんの一瞬しか見れなかったので、本当に彼か確証がつかめず、それで久しぶりに彼に連絡した。
結果としては他人だったけれど、いいきっかけになった。今どきめずらしくインスタグラムのアカウントを持っていなかった彼に、話の流れでアカウントを開設させることもできた(投稿もストーリーもいいねもせず、フォロバしかしてくれないけど)。それで、今日までに3回ほどわたしから連絡を取った。
正直なところわたしはもう片想いの感情を持つのがつらくなってきている。本当は告白したい。けれど自分に自信が持てずわたしは彼と釣り合ってないんじゃないかと思ったり、またしばらく会ってないのに突然「付き合ってほしい」などと言われても相手も困るだろう。その前のステップとして、「来月どこか空いてますか?久しぶりに会いたい」と言うことさえわたしにはとても出来そうにない。わたしの彼への好意が彼に剥き出しになることが怖いし、この誘いをたとえやんわり断られたとしてもわたしの心には人生最大の傷が残るだろう。それにもし本当に会えることになったとして、死ぬほど好きな人と1対1になって正気を保っていられるとも思えない。かといって彼はとても素敵な人なので、わたしがうじうじしている間に大学で出会った女の子と付き合い始めてしまうかもしれない。
何を見ても、何をしていても彼の事が思い浮かぶほどわたしは彼に恋をしているけど、どうすることも出来ない。前回連絡したときから3週間が経つ。そろそろ彼不足で死にそうだ。
高校のとき少しだけ話しただけのクラスメイトから月一ペースで連絡が来たら、嫌ですか?突然誘われたら驚きますか?わたしは、どうすればいいですか?助けてください。
90年代前半。自社さ政権のもと、日教組が文部省と和解する直前で、日教組にまだ力があった時代。
(今の日教組にはほとんど政治的な力は残っていない。徹底的に弱体化された)
毎月のように、活動家の講演を聴いて、映画橋のない川を見たり、ビデオを見たりして。
しかし、人権の尊さを説きながら、実際の公立中学では人権は制限されていた。
入学した時は丸刈り校則が残っていたし、校則や校則に書いてない指導は、学校外も含めた生活に隅々にまでわたり、管理教育そのものだった。
教師は生徒の人権を認めていないのに、人権の尊さを説いていた。
だから、数年後、小林よしのりの『ゴー宣』が右展開し、「サヨクの欺瞞」を主張したとき、理屈ではなく実感として理解することができた。
しかし、現在の主権者教育は、地域という言葉は使っても、学校の民主化については問わない。
そんなもの、みんな学校生活で気づくものだと思ってたけど、最近はどうも違うらしい。
だって大人は口を酸っぱくして「勉強しなきゃ立派になれない」って言ってたじゃん。何故勉強が出来るやつが上に行って、そうじゃないやつは差別されるということに気づけないのか。
普通に生活していれば、自分が買って貰えないものを買って貰っている同級生がいるのに気づくだろう。世の中生まれでアドバンテージが変わるなんて、普通にわかる。
運動が出来るやつは体育の授業で評価されるし、美術や音楽だって一緒だろう。
「出来る人間」は評価されて、「出来ない人間」は評価されない。
そして、ピアノ教室に通ってる人間、運動系のクラブに通っている人間がいて、そんなやつと自分が同じ土俵で評価されるのに、小学校で普通は気づく。
能力と結果が全てなのであって、同じ環境、同じ努力でどれだけ結果を出せるか、なんてのは問われないんだ。わかるだろ普通。
結局、世の中は「良いもの」が評価されるように出来てる。それは、間違いなく差別である。
例を出す。
「鬼滅の刃」の映画を金を払って観て、同時期にやっている別の映画を観ない事は、差別だ。
良いもの、マーケティングに成功したものは評価され、金を得る。資本主義社会では当たり前のことだ。
逆に、鬼滅がどれだけの苦労で作られているだとか、そんなことは消費者にとっては関係ない。
人も同じだ。どれだけ努力したとか、恵まれない環境で頑張ったとか、そんなものは他人にとってどうだっていいんだ。
生まれがどうだとか、環境がどうだとか、見苦しい言い訳でしかないし、
「頑張った人間が報われる社会を作ろう!」なんてカスみたいなことを言う暇があったら、自分を磨くべきなんだ。
その前提となる環境がない?知らないよ。
いわゆる2Eってやつ。
多分普通級になる。
来年度は、手のかかる子が多く入ってくる予定らしく、
まぁ、その代わりというわけではないけど、この一年、しつこいくらいに見学はさせてもらう約束をした。
公立だけど、「小学校は来れたら満点なんですよ」というところらしく、
本当に行くたびに、めっちゃほめてくれるので、本人は小学校への恐怖感が大分薄れてきている。
それはとてもありがたい。
「苦手なこともあるでしょうけど、得意なことに着目して伸ばしていきましょう!
せっかくの才能をつぶしては勿体ないです!」ってやつ。
聞くたびにすごく不安になる。
具体的に何をするつもりなんだろう?
他の小学校だけど、1個上の学年の子が、算数の時間にずっとサポートの先生とお絵描きしてて、
静かに着席できていましたって報告が来るよって話を聞くと、
それはうちの子には悪手だ!て血の気が引く。
まだ半年もあるけど、すごい勢いで要望書とか作った方が良いのかな。
たしかにIQは高い子だけど、図鑑の動物を「一度見たし」で書き出す子だけど、
板書とか長時間着席は絶対にできないから、どうやってお願いしたらいいんだろう。
授業の内容については全く心配してない。
授業の参加が出来るかを心配している。
本人も親も、究極的に望むのは穏やかな学校生活で、
本人の生活の助けになるなら、才能を伸ばしてほしいと思ってますって。
書いても、「そんなん分かってますよ!」って教育のプロには言われてしまうかな。
やっぱり要点だけ書いた方が、先生は行動が制限されなくて楽なのかな。
□追記□
自分のこういう振る舞いが、傍からどう見えるか良く分かったし、
親と先生の前で態度が違うというところに、そういえばそうだった!と思い出しました。
家では絵にかいたようなジャイアンだけど、幼稚園ではパニックを起こした時以外は、
そこそこ馴染んでいるという話なので、そう言うところなのでしょう。
とても心強かったです。
小学校の均一さになじませなくてはと、焦っていましたが、
変な子なら出来そう、と肩の荷が軽くなった気分です。
子供が本を読んでいる時間、ずっと教頭先生が付き添ってくださっているので、
その時に深刻にならないように少しずつお話しできればと思います。
考えたら、それだけしてくださっているのだから、先生方を信じても良いのですね。
子供の先生がそうだとは限らないのだと、ようやく理解しました。
今できることは全てやってみて、先生方と良い形を探していけたらと思います。
今回、目から鱗が山ほど落ちました。
ここに書いてよかった。本当にありがとう。
そうだよ。そうしてみんなジャンプしてんだよ。
あいつは健康だから、毒親じゃないから、ジャンプしてない!学校生活の挫折程度ジャンプじゃない!と、
そうして周りはイージーモードでジャンプしてないのに何で自分はジャンプしなくちゃいけないんだ、と
書かれてないぞ?
↓
そんな連中はジャンプしてない!って思っちゃうのが問題って話よ。 みんなジャンプはしてんだよ。他人を羨んでイージー言う前に自分がジャンプしなよ。
↓
いやいや具体的に言ってみるのだ 日本に生まれ毒親でもなく健康と回復力に恵まれた増田のジャンプとは?
↓
お前の中でそういう人たちは受験も就活も 学校生活の中で挫折も何もなく生きてると思ってるの???
↓
というかそんなのをジャンプになんでカウントしてんのとは思う 健康や回復力に困難を抱えているの?
↓
↓
↓
何度も書いたぞ。読み直してきな
↓
書かれてないぞ?
生まれる国も選べないし、生まれる親も選べないし、生まれる身体も選べない
しかし、受験も就活も学校もすべて自分自身で選べるし、他ならぬ自分自身が望んでやったことだ
ワイ的にはなんでこんなのジャンプにカウントしてんの?(驚愕)だけど
草 どこにもないようなのだが?
↓
そんな連中はジャンプしてない!って思っちゃうのが問題って話よ。 みんなジャンプはしてんだよ。他人を羨んでイージー言う前に自分がジャンプしなよ。
↓
いやいや具体的に言ってみるのだ 日本に生まれ毒親でもなく健康と回復力に恵まれた増田のジャンプとは?
↓
お前の中でそういう人たちは受験も就活も 学校生活の中で挫折も何もなく生きてると思ってるの???
↓
というかそんなのをジャンプになんでカウントしてんのとは思う 健康や回復力に困難を抱えているの?
↓
↓
何度も書いたぞ。読み直してきな
↓
書かれてないぞ?
生まれる国も選べないし、生まれる親も選べないし、生まれる身体も選べない
しかし、受験も就活も学校もすべて自分自身で選べるし、他ならぬ自分自身が望んでやったことだ
ワイ的にはなんでこんなのジャンプにカウントしてんの?(驚愕)だけど
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
新卒就活の時の希望は「結婚しても出産しても長く働ける会社」だった。
民間企業だと難しい条件だと思ったので、1年かけて公務員試験の勉強をして、公務員ではないけどそれに近い団体の職員になった。
カレンダー通り休めて、有給消化もばっちりで、子持ちの女性もたくさん働いている希望通りの会社だ。
「あがり」だ。私はそう思った。でもそこはある種の地獄だった。
結婚出産がキャリアに影響しずらい分、女性に対する結婚出産圧力がすごい。しかも男性からではなく、女性からの圧力がすごい。上から横から下から、私はまるで男と番って子供を産むために存在するかのようだ。職場結婚も多いので、男性の職員と雑談してるのを目撃されただけで「付き合ってるのでは?」と噂が立つ。
子供を産めば産んだで、旦那や子供に対する詮索が始まる。どこに勤めてるの、どこの学校に行ってるの、兄弟構成は、子供の恋人は(!)、などなど。しかし詮索する方もされる方も「旦那と子供のスペック=女の価値」と思ってるので、旦那の愚痴と「子供をどうすれば”まとも”に育てることができるか」への執心がすごくて「まともじゃない子なら自分の手で殺したい」という人を見かけた時は戦慄した。
あと家族主義がすごい。すぐ実家に帰るし、実家に帰る頻度を聞かれるし、結婚出産の圧力も結局は「ご両親を喜ばせるため」だ。人の親である人が多いので、私に自分の娘息子を重ねてるのかもしれない。やめてほしい。
「女性が働きやすい職場」の現実を見て、あまりの気持ち悪さに転職を考えた。それにあたって、なぜ自分が新卒時にこんな職場を目指したのかを考えた。
私は子供の頃から鈍くさくて不器用な子で、人間関係でつまずいて小学校のとき不登校になった。「まともじゃない子」だ。
「大人は仕事をするのが義務、子供は学校へ行くのが義務。義務を果たさない人間に居場所はないんだよ」と両親は言った。唯一勉強が得意だった私は、「学校には行ってないけど、学校に行った子より成績が良いよ」と返した。実際そうだった。
その後学校に行けるようにはなったけど、何度も学校生活につまづいた。頑張っていた甲斐もあって成績は良かったけれど、両親の望むような快活な優等生ではないという自覚があり、彼らの胸先三寸で私の「居場所」はどうにかされるのだといつも思っていた。私に出資する価値はありますよ、不登校にはなったけどあなたたちの求める「まともな子」になれるんですよ、というアピールとして「たくさん勉強して良い大学に入って、女性でも長く働ける職業に就きたい」と主張して、大学に入って就職した。仕事・結婚・出産・介護、娘という存在に可能な価値の最大化をしてみせないと進学させてもらえないと思ったからだ。
結局私は、サーカスの象がエサのために芸をするように、勉強や就職をしていただけにすぎず、それのヴァリエーションとして結婚や出産があっただけなのだ。
それに気づいたとき、私はなんて荒涼とした価値観で人生を歩んできたのだろうと思った。ここまで頑張ったけど、私は両親のことも、勉強していた学問のことも、仕事も、男性も、まったく好きではない。ただ義務感しかない。そしてもう義務感だけで何かを成せるとは思わない。
ということで、私は自分の人生から、結婚と出産と、ついでに両親を外すことにした。
転職先は拘束時間が長いこともあって、家庭を持って働いてる人は非常に少ないし、子持ちの母親はいない。申し訳ないけど、この環境にすごく心の安らぎを感じてしまっている。
もしかしたらこの先、本当に他人を愛せて、家庭を作りたいと思う時が来るかもしれない。その時は結婚と出産のことを考えたい。もう子供を望めない年齢になってるかもしれないけど、昔の自分のような虚無を生み出すよりははるかにましだと、私はそう思う。
友だちなんて、本当に一人もいない。
前期はずっとオンライン。
高校の友だちの中には、zoomを使って授業をしてるところもあるみたいだが、わたしの大学は一方的に動画を聞いて終わるだけ。最初の頃は、意気込んで聞いていたが、最近はそれも苦痛になってきた。ただ60分以上の動画をひたすら見るだけ。
授業で分からないところがあっても、先生にすぐに確認することができなければ、友だちと相談することもできない。
授業をしてる人の顔がわからない状態で授業を聴いている状況が、もうわけわからない。
どの先生も、家で授業を受けているんだから課題を出しても大丈夫でしょ、と思っているのか、科目ごとにある課題がえげつない。普通の大学生活を送ったことがないから、普通の課題の量を知らないが、
もし、今の課題の量のまま、毎日登校して授業受けて、サークルして、バイトして帰宅…をやっていたら、確実に終わらないだろう。
それでも、課題をこなさなきゃ単位をもらえない。他に頼る術もないからやるしかない。
そして、理系科目はだんだんとオンライン(動画)でやるのは無理があるのではないかと思い始めた。
本来、グループディスカッションでやる授業も、一方的に動画を見て終わり。実験も、実験をしてる動画を見て終わり。これになんの意味があるの?
去年の秋、冬。
この大学の授業のココがいいんだよな、このカリキュラムが楽しみだな。
なのに今。
送ってみたかったキャンパスライフ、受けてみたかった授業や実験、参加してみたかったサークル、通ってみたかった大学…
それがぜーーーんぶなくなって、
ただのパソコンの画面越しになって、
なんだか大学に裏切られた気分になった。
もちろん、大学が何かをしたわけじゃない。
悪いのはコロナだ。だけど、
私には、高校生の妹と小学生の弟がいる。二人ともコロナ前と同じように登校し始めていた。
最近二人は口をそろえて、「お姉ちゃんはいいよな。毎日家にいられて。」と言う。
それでも。
好きで家にいるわけじゃない。
わたしは、毎日学校に行って直接授業を受けて、友だちと会って笑って話して…そんなあんたらが羨ましいよ。
…これがないものねだりってやつか。
わたしのターンになると母は、
「まだ一回も大学に行ってないのよ。あんなにバカ高い学費を払っているのに…。一度も行ってないのはなんだかね。おまけに、もうそろそろ後期の学費の請求が来るのよ。」
母と歩いていた時、バッタリと近所に住む叔母と会った。その時も母は、
「まだ一度も大学に行ってないのよね。バカ高い学費払ってるのに…。」
友人の母と会った時も、
「施設費くらい割り引いてくれるとかないのかしらね…。バカ高い学費払ってるのに一度も行ってないんだから。」
どれだけ学費が高いかも知っているし、奨学金も利用しているし、何より、学費を払ってくれているのは仕事をしてくれている父と母だ。だから学費がどれだけ家計の負担になっているかも知っている。「バカ高い学費を払っているのに一度も行っていない」というのは事実だ。
でも、
必ず、
それをいう時に、
母は、わたしの方をチラリと見ながら言う。
わたしが一体何をしたっていうの?
学費を払ってくれているのはお母さんたちだが、わたしは別に一回も行かなくなるようなことはしていない。
なのになんで毎回、そんなふうにわたしを見ながら言うの?
一度も登校してないくせに、高すぎる学費を払わなきゃいけない、それに納得できない気持ちはわかる。
それが学費を払ってくれている側なら尚更だ。
でも、
わたしは何もしていない。
でも、
お母さんがそう言うたび、
わたしは肩身の狭い思いというか、
なにもしてないのに。
なにかしたいのに。
即答で行きたいと答える。
でも、
と言われたら渋ってしまう。
大学が始まることで、
コロナが増えてしまうのではないかという心配があるのは分かっているし、
今までの小、中、高とは違い、
大学は様々なところから本当にたくさんの人が集まる特殊なところだ。
だから、
この状況でどうして旅行OKなのかいくら考えてもわからないことなのだが。
ただ、こんな中でも不幸中の幸いだったこともある。
わたしの周りには、とりあえず何かあったら助けを求められる家族がいて、バイトのおかげでどうにかわたしの経済は停滞していない。
しかし、上京してきた人や、一人暮らしを始めた人ならどうだろうか。
同い年なら確実に、オンライン授業を受けて、
だから、
大学に登校させてほしい、とかそうじゃなくて、
とにかく、
わたしは、この状況をどうにかして欲しい。
鬱になっている人もいる、というニュースを見たが決してそれは他人事ではないと思う。
この生活は想像以上に辛い。何のために受験を乗り越えたのか…。そりゃ希望も失うわ。やる気なくすわ。だって先が見えないんだもん、全く。
一周回ってもう開き直った。
大学がオンラインで授業を展開する気なら、こっちだってとことん家授業を満喫してやる!!!
寝起きのまんま、パジャマのまま授業を聞いてやる!
(カメラを使わない授業のため)
アイスを食べながら授業を聞いてやる!
夜中に課題提出してやる!!
サーバーダウンしたらその日は授業聞くのやめてやる!(結局週末に授業が溜まることになる)
夜中まで夜更かししてやる!!
自己紹介がしっかりあるまで、教授の名前を覚えることをやめてやる!!!
来年の新入生と一緒に、オリエンテーションやガイダンス受けてやる!!
これくらいの受け身でいかないと、動画を見てる最中に無になってしまい、気がついたら動画が終わってる、ということがあった。
正直、いつまでこれが続くか不安だ。資格を取るための大学なので、こんな動画で学びが身についているのだろうか、とか、自分一人だけだから学びが広げられないんじゃないかとか。
まあ、もう考えても仕方ないことをこの5ヶ月で知った。
そんなこんなで、わたしが入学してから5ヶ月目が来ようとしている。
一度も大学に足を踏み入れたことがない大学一年生がどう思っているのかを書いてみた。
登校してる人もいるかもだし、全く違う考えの人もいるかも知れない。なので、あくまでこれはわたしの思い。
私は都内の高校に通っている高校3年生です。正直大学受験がしんどすぎて死にそうです。私は日本人学校の帰国子女なのでAO入試で大学を受験しようと考えているのですが、いかんせん難しい!!ただただ学校の勉強をして、ちょこっと課外活動をしてきた人間が、急にAO入試で問題意識や高校生活でどんな取り組みをしたかを問われる。えっっこれ普段からいろんな活動できる金持ち有利すぎない!?私の脳みそがピーマンすぎるのか、学校生活を過ごしている中で社会問題について色々思うことはあるけど取り組んだりはしてない。そもそも授業は事実ベースだから問題を発見してもどういう活動をしろとか教えてくれない。
AOの塾に通ってるけどまじみんなレベル高すぎる。本当に高校生か??どんな素晴らしい先生に出会えたらそうなれるんだろうと心底羨ましくなる。多分AO入試も成績関係なく熱意を見るよ!!っていうのが売りだけど、結局はお金を持って塾に行ける人が勝つと思う。所詮金かこの世の中。受験に課金した者が勝つのね。でもAOで入った人って考えしっかりしてそうだから大学に入ってから戦力にはなりそう。大学からしたらばんばんざいだね。
てかAOやってたら普通にMARCHも難しい。てか一般でも絶対難しい。なんで日本MARCHばかにされてんの??十分すごいと思う。てか日本の56%しか大学行かないんだから私も大学行きたくない。けど周りはみんないってるし、いかないと給料も良くないからできるかぎり高い大学にいきたい…。なんかもう社会の大学に行く=すばらしい・当たり前みたいなところ嫌すぎる。てか学歴社会がむり。文明今のままで縄文時代もどりません??
駄々っ子みたいになってるけど、AO入試の対策普通の学校でもやってほしい。ていうかもっと学生にタメになること教えてくれ。嫌いな人との関わり方とか。
そうできるくらい、世の中に犯罪に対する処罰の公平さがある程度保たれてるならいいんだろうけどな。
世の中のある程度以上の常識と倫理観の中の位置付けとして基本的に殺人は悪いことで、殺人を犯したら世の中の人は殺人者を忌み、警察は力を入れて捜査して捕まえるよな。
ところが性犯罪は加害者の属性や被害者の属性で常識も倫理観でも良い悪いの線引きが動きまくる。警察の対応もあまりに触れ幅が大きすぎる。いまだ(立場の強い)男性の性欲に忖度しすぎて(その特権に焦がれすぎ否定しきれないで)いる。
例えば1980年代から90年代まではストレス解消に痴漢指南が雑誌で特集されるような世の中で、被害を訴える女性が疎まれ、被害を訴えたら加害者である男性が気の毒だから我慢しろと諭されたり、被害を訴えることで笑い者にされたりが珍しくなかった。一方では被害者の証言のみで証拠集めをろくにせずに裁判にしたりのおざなりな捜査があったり。
それは30年経った現在でも、地域や家庭によりまだ生き残っている感性で、警察の対応にも現れ被害者を未だに苦しめる原因のひとつであり続けている。
そういうグレー扱いされている犯罪を面白おかしく消費することを無邪気に肯定するには、まだ時代が早いのではないか?
いじめっ子がいじめをエンジョイして楽しく学校生活を送ったあと、社会人として自由闊達にパワサラして順調に出世し、折に触れいじめやパワハラした日々を楽しく回想したりしていじめやパワハラに対して加害者の立場から肯定的な扱いのエンタメ作品が続々出回ってるのを表現の自由で涼しい顔で見ていられるものか?
いじめほど裁かれない犯罪もないのは、よく知られていることだろう?
そういうエンタメが広く受け入れられることには反発する人はかなり多いのではないか?
で、あるのに性犯罪に対しては面白おかしく消費する「権利」を臆面もなく振りかざし過ぎではないのか。
どうだろう
中1のときにできたイツメンはクラス替えをしたらほとんど関わらなくなってしまったし、2年のイツメンは私以外の2人は同じ部活なので、放課後も昼休みも土日も切磋琢磨してるその友情には勝てず放課後の遊びもほとんど誘われなかった。一緒にいれる学校行事とかでは二人と間を感じた。
中学3年生でできた趣味が合って本当に仲良くなれたと思った友達は卒業後も連絡を取り合う程仲良くなれたと思ったが、私から連絡をしなければ何もないことに気づいた。
高校はあまり気の合う子がいなくてとりあえず学校生活送る上での友達はできたけど、もちろん放課後に遊ぶとかはなかった
一度でいいから私といえば〇〇ちゃん、〇〇ちゃんと言えば私、と周りから言われるような、何かあれば1番に私を誘ってくれるような、本当の友達が1人くらいはほしかったなぁ