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2023-02-23

上野千鶴子にブチ切れてる奴らってアイドル熱愛報道発狂してるオタクと一緒じゃね?

と思ったので、bing AI比較してもらった。

項目上野千鶴子入籍報道にキレている人岡田奈々熱愛報道にキレているオタク
理由結婚という制度がイヤ」と公言してきたフェミニストが密かに入籍していたことで、信頼や権威を失墜させたと感じるアイドルグループAKB48メンバー2.5次元俳優交際であることで、恋愛禁止ルールファンへの裏切り行為だと感じる
対象者社会学者フェミニストおひとりさまビジネス関係者などAKB48ファンアイドルオタク2.5次元俳優ファンなど
表現方法SNSメディア批判失望コメント投稿するSNSメディア批判罵倒コメント投稿する
影響度上野千鶴子氏本人や色川大吉氏の遺族に精神的なダメージを与える可能性がある。また、フェミニズム女性学研究の分野にもマイナスイメージを与える可能性がある。岡田奈々さんや猪野広樹さんに精神的なダメージを与える可能性がある。また、AKB48グループや2.5次元俳優界にもマイナスイメージを与える可能性がある。
反論上野千鶴子氏は結婚制度のものではなく、その中で女性が抑圧されたり不利益を被ったりすることに反対してきた。また、彼女自身私生活については公表しない方針だった。したがって、彼女自分の主張と行動に矛盾していないし、誰かに説明責任を負う必要もない。岡田奈々さんはAKB48グループ内では恋愛禁止ルール存在しないことを明言しており、また彼女は成人済みであり自分恋愛自由だ。したがって、彼女ルール違反裏切り行為をしていないし、誰かに謝罪する必要もない。
対処上野千鶴子氏の主張や業績を客観的評価し、彼女私生活とは切り離して考える。また、彼女人権プライバシー尊重し、ネット上での誹謗中傷個人攻撃を控える。岡田奈々さんの活動や実力を客観的評価し、彼女恋愛とは切り離して考える。また、彼女人権プライバシー尊重し、ネット上での誹謗中傷個人攻撃を控える。
代替上野千鶴子氏以外にもフェミニズム女性学研究に貢献してきた多くの学者活動家がいる。彼らの著作発言にも目を向けてみると、より多様な視点知識が得られるかもしれない。岡田奈々さん以外にもAKB48グループ内には多くの魅力的なメンバーがいる。彼らのパフォーマンス発言にも目を向けてみると、より多様な楽しみ方ができるかもしれない。
予防策上野千鶴子氏が入籍したこと彼女自身選択であり、それがフェミニズム運動にどう影響するかはまだ分からない。そのため、先走って批判することは不公平である。また、メディアが報じた内容だけで判断せず、より信頼できる情報源から確認することが大切である岡田奈々さんが交際していることは彼女自身幸せであり、それがAKB48グループにどう影響するかはまだ分からない。そのため、先走って批判することは不公平である。また、メディアが報じた内容だけで判断せず、より信頼できる情報源から確認することが大切である
共感上野千鶴子氏の入籍報道にキレている人も、岡田奈々さんの熱愛報道にキレているオタクも、自分尊敬したり応援したりしてきた人物自分の期待とは違う行動をとったことでショックを受けたり、裏切られたりしたと感じている。その気持ちは誰にでもある普通感情であり、否定することはできない。
相違点上野千鶴子氏の入籍報道にキレている人は、彼女社会的な影響力や権威を持つ学者であり、フェミニズム運動リーダー存在だったこから彼女の行動が社会歴史に与える影響を考えている。一方、岡田奈々さんの熱愛報道にキレているオタクは、彼女自分の好きなアイドルであり、恋愛禁止ルールファンサービスを重視するアイドル文化の一員だったこから彼女の行動が自分や他のファンに与える影響を考えている。
改善上野千鶴子氏の入籍報道にキレている人は、彼女結婚制度のものではなくその中で起こる不平等や抑圧に反対してきたことを理解しようとする努力をする。また、彼女自身私生活公表しない方針だったことを尊重しようとする姿勢を示す。岡田奈々さんの熱愛報道にキレているオタクは、彼女恋愛禁止ルール存在しなかったことを認めようとする努力をする。また、彼女が成人済みであり自分恋愛自由だったことを尊重しようとする姿勢を示す。

結論:やっぱり一緒だった

大騒ぎしてる人たちは所詮その程度の話題しかないってこと、自覚した方がいいよ。

他人様の生き方にあーだこーだいうのはみっともない。

2023-02-22

anond:20230221200348

上野千鶴子若い金持ちのIT長者か歯医者結婚してたら「地に足がついてない」っていえるだろうけど

結婚した時点で80歳ちかい老人(後期高齢者)だろ、著作何作もあって一人でがんばってた千鶴子の、ようやく余裕がでてから下方婚する選択ってえらいじゃん

下方婚おめでとう!というべきなのにな

結局増田自称弱者男子って全員「女性がすでに下方婚してる事実」を一切みとめられないんだよな

一生自称フェミと仲良く喧嘩してろよ

本物のフェミちゃん自分自分人生勝ち取ってるから

2023-02-10

anond:20230210120011

ヒポクラテスの誓い」

医の神アポロンアスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。

の子孫を自身兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。

著作講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

自身能力判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。

依頼されても人を殺す薬を与えない。

同様に婦人流産させる道具を与えない。

生涯を純粋神聖を貫き、医術を行う。

どんな家を訪れる時もそこの自由人奴隷の相違を問わず不正を犯すことなく、医術を行う。

医に関するか否かに関わらず、他人生活についての秘密を遵守する。

この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!

しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。

2023-01-28

例の件で前Q氏が山形浩生氏に反撃されてフルボッコ ()

ttps://twitter.com/kanose/status/1618677563953672194に始まった山形氏叩きの尻馬に載った前Q氏

ttps://twitter.com/maeQ/status/1618801420391809025

"私はいろいろ問題あると思いつつも(特にジェンダー問題が絡むと酷い)、やはり山形氏の仕事には敬意を払うべきものもあるとは思っているんだけど、三浦瑠麗氏に対する高評価ばっかりはホント謎。デビュー作の刊行直後からずっと、一貫して高いんだよね。"

"もうひとつ高橋洋一氏に対する評価の高さも不思議ではあるんだけど、まあ、こっちはいちおう、不思議ではあってもわかりはする。リフレ派ってことで。"

本人からリプライ

ttps://twitter.com/hiyori13/status/1619019616008962050

"「ずっと、一貫して」というからには、最初言及した2012年以来3ヶ月に一度くらいは大拍手し、あらゆる本を誉め称えているくらいの実績があると思うんですが、どこにあるんでしょうか?"

第三者参入

ttps://twitter.com/nbkbfc/status/1618842849256300544

"デビュー作も手放しでは評価していませんし、近年の活動についてははっきりと批判的ですよ。"

ttps://twitter.com/maeQ/status/1618862045335805952

"お、そうなんですか? 不勉強ながら見たことがないのですが、それは何より。

しかしそれはそれとして、この書評ttps://book.asahi.com/article/11637125は「手放しで評価」じゃないですかね。「していません」とおっしゃる読み筋がちょっとからないです。"

ttps://twitter.com/nbkbfc/status/1618889885804531712

"近年の評価について〈不勉強ながら見たことがない〉にもかかわらず、どうして〈デビュー作の刊行直後からずっと、一貫して高い〉とわかるのだろう?

何よりこちらが山形さんの著作ならびにブログを読んでいないものと決めてかかるのも不可解だな。何も知らないで意見するわけないじゃん。"

ttps://twitter.com/maeQ/status/1618891987134066688

"いや、それなら具体的に「これです」って、確たる証拠を出してくださいよ。出てくるものと期待したから反応したんです。「読んでないものと決めてかか」ってなんていませんよ。あと、あなた匿名アカウントだし、なんでそんなに自分物言いが無条件に信用されると思ってるんですか。何様ですか。"

ttps://twitter.com/nbkbfc/status/1618898222923276289

"自分ツイート矛盾点にはガン無視を決め込んで相手方には証拠せとか意味がわからないw"

ttps://twitter.com/maeQ/status/1618892622709526528

"あと、「一貫して」は、その後も別の著作書評で取り上げ、2020年末までイベントで共演してるので、「一貫して」と考えても(雑は雑ですが)そこまで不当だとは思いませんね。"

ttps://twitter.com/nbkbfc/status/1618893182166786048

"そもそもがノー・エビデンス批判ツイートをしたのはあなたですよね?”

ttps://twitter.com/maeQ/status/1618893588607401989

"フツーに「ここでこういうふうに書いてるんで、最近意見も違うみたいですよ」と教えてくれれば、「へー、そうなんだ! ありがとうございます」で終わる話にしちめんどくさい絡み方してくんなぁ。自分で調べたほうが早そうなんで終わりますわ。さようなら。"

2023-01-27

うーん

2023-01-24

秘○DM事件に関して、特に自分から追っているわけではないが、関係者ツイートリツイートおすすめツイートとして流れてくるのでなんとなく把握している

今回真○氏がnoteに何かの記事を書いたらしいというのも、それを読んだ○氏の支持者のツイートが流れてきたことでわかった

常々思っていて、また今回それらのツイートを読んで改めて思ったことだけど、○氏や○氏の支持者の考え方は本当に謎だ

○氏vs秘○の件で後者かばうようなツイートをした真○氏が炎上した それが彼女自殺未遂の一因になった 一連の経緯を彼女自分著作に書いた……ということが○氏への加害に当たる、という考え方がまずよくわからない

真○氏は○氏に関連した炎上騒ぎで自殺未遂してその経緯を本に書いたことをなぜ○氏に申し訳なく思わなければいけないんだろうか? それは○氏の「被害者」としての無謬性を傷つけるからか?

○氏の支持者の残酷さにも驚いてしま

自分は真○氏のファンでも何でもないし著作ひとつも読んだことはないが、仮にも自殺未遂するほど精神的に追い込まれている人によくそんな酷いことが言えるな……と思うようなツイートをたくさん目にした

○氏も○氏の支持者も自らの人権意識の高さを誇らしく思っている人ばかりのように見えるが、倫理観ゼロだと思う

自分被害者から/被害者の味方だから敵と認定した人はどんな残酷言葉を使っても徹底的に攻撃していいというような考え方は、彼女らが嫌っているような差別主義者のそれと大して変わらないということに気づかないのだろうか?

本人たちは自分たちを絶対的正義だと思っているのだろうが、外野から見ると○氏と○氏の支持者の残忍さは異常だ

2023-01-22

高くて薄い本の話をする

https://togetter.com/li/2055463 を読んだ同人日記さんだよ

   

はい高くて薄い本かいてる本人だよ(ただし名前詐欺はやってないのと人気CPではないよ)

女子高生けふわかわはここにはない よそを探してくれ

いままで出した中で一番字数が多いのは20万字、2段組み8ptで200pに詰め込んだよ

そして本題。あれはさほど「高く」はない。

いままで出した中で一番字数が少ないのは初期のコピー本(数千字)だが、比較にならんのでとりあえず印刷所に頼んだ中で薄いやつはっていうと

・B5版口絵つき二段組1万字全年齢16ページ30冊

早期割引価格8980円+税金送料1000円(直接+自家通販用)で9980円だよ イベント価格400円にしたけど案の定売れたのは20冊以下なので完全に赤字です

他は

・B5無線綴じ32ページ20冊 早期割引で商品代金:¥6,110+送料1000円

一冊原価は350円だがとらだとたぶん600円くらいになってるはず

もっと昔になるとオンデマは安かった

・2014年A5無線とじ60ページ20冊8236円 (送料不明

このころが一番安くつくれたけど400円は超えるよ。今はこんな安いとこはない。

さらに昔はオンデマがなくてオフセットしかなくて最低発注冊数が100以上とくそ高かった

・2008年新書無線とじ108p110冊55902円

最初から気がくるって原価一冊500円におさえて自分を納得させたかったんだね。売れたのはたぶん30冊くらい。つまりリアル原価では2000円近いんだ。

===

とらが少部数小説審査の結果うけつけないという時期だったので2008年のは既刊のまま廃れジャンル在庫としてずっと家にあるよ。

今はとらが少部数でもなんでも受け入れてくれるようになったんだ。そのかわり手数料は一律35%とる。

印刷代も安くなったけど特殊製本があたりまえとおもわないでくれ。版分けどころかタイトル写植にさえ苦労するんだ

小説かきなんてクリスタSaiアズぺアルパカあたりの画像加工ソフトすら一切もってないことがある。その分ATOKかWORD官能表現辞典あたりに課金したい生き物なんだよ)

1500円の本がとらで売ってて買ったら本を出した人のもとには1000円(マイナス振込手数料1月あたり300円)が入る。その1000円×nから印刷代を払うとたいていは赤字だ。赤字で買えることを当たり前とおもわないでくれ。なら買わなくていい。

  

===

からといって、ペンネーム詐欺までは擁護する気がない。

でも、同じペンネームコミケっとカタログの目次をみればわかるように常に発生しているのも事実

「おおこれは気の利いたダジャレだ!」とおもっても歴代コミケっとカタログをみれば3万サークル×100回のうち1~3人くらいはいるんだ。

からピクシブなどの作者リンクを踏んで探してくれ。

あとurl1字違いってのはどこのurlことなのか。とらなら同時期登録とかならそうなるんじゃないか自分でつけられるものじゃないからな。

先にやってて売れているほうの作者さんがとらに「ペンネーム勝手に利用され著作人格権侵害されている」と申請するしかないんじゃないかな。

あと、とらの売り上げはたぶんサークル別月別なのでその意味でも他人ペンネームを大量に借りてそういうことをするのは不利なんだが

初回から110冊印刷したバカとしては、いろいろな人に自分文章を知ってほしくてやらかしたんじゃないかという気はする。

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「なんか買えた」までやっちゃうほどの小説ほしがりさんが今でもいてくれてうれしいよ。

上客なので面と向かって文句は言いづらいけどな。

どのジャンルでも婦女子は「なんか買えた」は公式ショップ以外ではやらない(迷惑から)。やるな。

転売の餌食にもならない、ってのは最低限のマナーでしょ。

おちつけ。よくみてかえ。そして予約再販を待て。

そこまで文句いうなら中古同人書店メルカリなんぞに絶対流すなよな。

ネットで燃やすより紙本を燃やして世界一高いコーヒーでも湧かせばいいだろ。

(うちの本は読み飽きたら燃やさず表紙はがして古紙回収にしてくれるとありがたい。SDGsに興味あるので)

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https://twitter.com/chiboustju/status/1616725205350772738

ありがたいです

https://twitter.com/covermkrinfo/status/1617124886908145664

そのとおりだとおもう

2023-01-20

anond:20230119232607

一神教では善なる存在はだいたい一つでその預言者マホメットキリスト含めて何人かいるだけだろ

サイババもそれだとおもえばええんちゃう

しらんけど

 

ただ、著作人格権問題根深いしデリケートで、

それと真っ向対立しているクリエイティブコモンズや24時間まてば無料で読めます、みたいな挙動

AI化されていく社会でまだまだつづいていくやろな

2023-01-16

博士課程を中退したい

すりゃいいじゃん、って話なんだけど。そうするために必要な行動をする気力もなくなってて、もう呼吸だけして1日が終わるだけで疲れる。

老人か?

疲れたよ、もう。いろいろと。



まず、なんで中退したいのかというと「研究がまったく進まない」からだ。まっさら白紙のほうが価値がある気がする。おそらくそうだろう。だって綺麗だもん。


(寸劇 はじめ)

来年度で修了するはずなんですよ。ああ、論文数ですか?

一応、1報は。

え、足りなくない?

終了。制作著作……

(寸劇 おわり)


という状態だ。もうやだ、泣きたい、泣いてる。

ぼかして書くけど、学際的なことしてたんだ、修士で。例えば情報科学生物科学とか、これはバイオインフォマティクスっていわれてる。こんな感じで複数学問分野をまたいだような研究をね、やってたの。

それで博士課程では修士までとは専門が違う大学院研究科に進学した。さっきの例を使うと修士(情報科学)→博士(生物科学)となる。軸足を移そうと考えての行動だった。


結果的にいうと、これが大失敗。


もうね、無理。やれると思った、あの自信はどこからきてたんだろう。

最大の原因は能力不足だと認識してるけど、それだけじゃなかった。



1つめ、新型コロナウイルス感染症。(計算したらズレてない? ってなると思うけど、テキトーに補完して)


博士課程へ進学した年に、コロナ。COVID-19.

大学への入構禁止学部生はリモート授業。院生は?

放置

そして何もできないまま2ヶ月経った。何もしてねぇ。でも大学へは行けるようになった。とりあえず机を手に入れて、片付けて、PC等の設置や設定などなどして。

始まった新しい大学院での生活。この年は、そんなに順調ではないにしても酷くはなかった。順調ではなかった、主に人間関係が。

授業はリモートがメインになったので人間研究室に来ない。会話、ほぼなし。たまに学部生とかくるけど、顔も名前もわかんない。あっちもそうだったと思うけど。会話がないと人間って関係が構築されないんだなって思った。


あと指導教員が想定より神経質だった。これが合わなかった。

研究とは関係ない部分での衝突があった。細かく書くと愚痴が長くなるから控える(=この件に関しては、相手が悪いと心の中で結論が出ているので議論しない)。

が、これでメンタルの大部分がすり減った。ガラスより脆い。いや、豆腐より脆かったのかもしれない。大学のカウセリング室へ数回ほど通った。その後カウンセラーとも合わず自力で復帰した。この間も、とくに研究の手が止まることはなかった(なお成果は……)。

これが1年目、2年目と続いた。

コロナの影響は大きかった。修士まではセミナーに参加するのが好きだったが、学内では開催されないこともあり孤立を深めていった。そもそも自分研究と近いとはいえ別分野に飛び込んだ時点で孤立していた。孤独だった。

誰にも相談できなかった。今もだけど。話す相手がいない。話していると解決できることって何故か多いのだけれど、話す相手もいない。ぬいぐるみでも、用意するべきだったのかもしれない。

とにかく、1人ということに耐えられなくなった。

にもかかわらず精神を摩耗してきた結果、コミュニケーションにたいする積極性を、さらに失った。



2つめ、精神ストレス


もう出てきてるんだけど、ストレスマッハ。こいつは加速することしか知らないらしい。帰ってくれないか、頼むから

このストレスってやつは研究が進行しないということだけが起因ではなかった。

家庭環境ってやつもよくない。

うちは父親がアレでアレなもんだから、家には安らぎってもんは少ししかない。アレがいないときは安らぐ。永遠であれ。

こいつが2つの問題を持って帰ってきた、最低。

しか自分問題のくせに、こちらに解決法を考えろ、弁護士とやりとりしろと言ってくる。消えてくれ。

こうしてストレスはとどまることをしらず、重く蓄積していく。



さて。ここまでくれば、中退するのは妥当じゃないか? となるわけである。進捗ないし、精神疲労が酷いし。じゃあ何故、中退しないのか。

アレが関わってくる。

とにかくうるさい生き物なんだけど、やることなすこと文句を言ってくる傾向にある。中退なんぞすればもうゴジラのほうが静かかもしれない。どっか暖かいところにでも行ってパヤパヤしたいなぁ(現実逃避)。


以上ことから与えられるストレスの大きさを不等式で表すと、

進捗ないです<「うるせぇ生き物」の鳴き声()

となる。


もう気力がない。呼吸しかしたくない。

いや本当は遊びに出かけたいしゲームしたいし、楽しく生きたい。

どうしよ。

2023-01-05

新書とは書籍の大きさを示す言葉になります。大きさは、およそ縦18cm×横11cm新書判、B40判と呼ばれることもあります

新書とは、大きさを示す言葉です。:【 FAX DM、FAX送信の日本著者販促センター 】

新書歴史1938年創刊の岩波新書に始まる。ドゥガルド・クリスティー著作である奉天三十年』の上下巻で創刊した。

1938年当時、文庫はまだ判型が定まらず、小型の叢書という程度の意味であり、現在新書に近い判型のものも含んでいた。そんな中、すでに岩波文庫を発行していた岩波書店が、判型・内容ともに岩波文庫とは違うものとして創刊したのが岩波新書である

新書 - Wikipedia

古典を中心とした岩波文庫に対し、書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価で提供することを目的として、1938年昭和13年11月20日に創刊され、新書と呼ばれる出版形態の創始となった。

岩波新書 - Wikipedia

新書って何が「新」なんだ?とググった結果のメモ

その答えは「新書」は1938年時点で新しいレーベルとして刊行されたから。

80年以上「新」と銘打たれたままのレーベルなのだなあ。

食パンの「新食感宣言」が1997年に発売されて以降、いつまでたっても「新食感」と銘打たれているのと同じ現象ということがわかった。

2023-01-03

二次元性的コンテンツを『消費』するって感覚がよく分からない

面倒臭い腐女子何だけど、未だに20年前の薄い本読んだりするので、食べ物の『消費』のように消えたという認識がない。

消費って言いはしても、こういう『記録して配る』という形式のものは記録された時点で書籍類相当の扱いじゃない? 見たり使ったりしたら消えるものでもなければ、同じものを何回も見たらいけないものでもない。

それに比べたらミステリートリックお笑いネタの方が余程『消費』の感覚が強い。一度使ったら(他の誰かが使ってたら)但し書きなしに同じものを使ってはいけないし、そのトリックだけで何作も作れない。

あと卒論ネタ卒論いたことないから知らないけど、あれも他の人と同じネタ使ったらいけないと聞くので『消費』の感覚が強い。ただ人間が知らないことはまだ膨大にあるイメージなので、枯渇は遠いのかなとも思う。

それに比べて二次元エロの使い回しの多さよ。何が消費か。「どっかで見た」が「だから何」だ。BLの設定どんだけテンプレなのか知ってるか。男性向けに至っては同じものでまとめができるほど絵師違いの同じ絵と差分が大量にある。いくらでも再生産して良い。

からバニ絵ポスター見て『性的消費』って言ってるのが分からん性的扱いは分かる。抜き絵を公示すんなも分かる。需要があるから供給されるのも分かる。良し悪しは一旦置いとくとして、でも『性的消費するのが悪い』というのが分からない。次から次へ生産消費せず、出たもの全て保管するならいいのか。でも基本、次から次へと作った全てを企業側で保管してあるよね。後でグッズ作ったりイラスト集にして販売したりするだろうし。それでなくとも著作保護はしてるだろう。

そら購入者はおしなべて消費者という括りだけど、二次元エロコンテンツは消費してなくないかだって消えなくない? どっかの誰かのハードディスクに、部屋に、倉庫に残ってるよ。

「このエロ絵はもう見たからいいです」と言うのだってマジで個人差あると思う、バニ絵ポスターも刺さる人は写メ撮って保存して何度もお世話になってるだろうし。

二次元エロでの『消費』ってどういうことなんだろ。「性的消費すんな」って「消費じゃない行動ってどういうことか」を誰か教えて欲しい。

2023-01-01

検索

面識はないけど勝手著作を読んだりして師匠と仰いでいる、みたいな感じの言葉があったよなあ

でも、まったく思い出せないなあ

というわけで、なんとかネット検索してやろうとして、うろ覚え知識試行錯誤した結果

孟子 書物 弟子 故事成語」で答えが出てきた

2022-12-10

デビッドライスと白饅頭和解しろ

デビッドライス氏と白饅頭氏が互いを批判する文章ブログSNS上に投稿している。しかし,以前からこの両者の発信する文章を読んできた私としては,両者の主張は根本的なところで対立はしておらずむしろ同じ方向を見据えて書かれているように見えた。

 ではなぜ,ライス氏と白饅氏は対立するに至ったのだろうか。結論から書けば,両者は主張の内容は近しいものだが,その主張をどのようにして一般に発信するべきかという点において大きな価値観の相違があった。その相違にばかりに注目し批判を繰り返した結果,現在の不必要対立を生じさせたと私は考える。

 両者は互にレッテルを張り合い,主張をよく確かめずに感情的言葉を投げ合っているように見える。しかし,ライス氏と白饅頭氏は現代言論界において重要役割を担っており,こんなところで格を落とし合っている場合ではない。

 本文は両者の誤りを指摘し,反省対話を促す内容となる。

 実際に両者がブログSNS投稿した文章から,なぜ不毛対立が生じたのかを見ていこう。

 ライス氏は2022年11月2日自身ブログ道徳的動物日記」に,『「女性差別的な文化を脱するために」オープンレターについての雑感』というタイトル記事投稿した。その中で,氏は白饅頭氏の言説について

弱者男性論者たちはアカデミシャンではなく、コンプレックス差別を煽ったうえでnoteYouTube言動を売って稼ぐ「商人」だ」”

批判した。

 弱者男性論者である饅頭氏がアカデミシャンではないというのは事実だ。彼は学部卒で,大学等には属さず個人で発信を行っている。「商人」というのもやや悪意のある表現ではあるが,note書籍販売しているとい点では間違った表現ではない。

 だが,アカデミシャンでないことも「商人であることも,白饅頭氏の論を誤りだとする根拠にはならないはずだ。ここでライス氏が批判しているのは言説ではなく,白饅頭氏の立場手法だ。氏の言説が誤りだと主張するならば,具体的に彼の文章引用するなりして,どこがどう誤りなのかを論理的説明するべきだろう。

 また,ライス氏は2021年4月3日現代ビジネスに『「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由』という記事寄稿した。その中で,

弱者男性論でおこなわれているのは、「女性」(または「フェミニスト」「リベラル」)という属性仮想敵にして、自分たちのつらさの原因はすべて彼女たちに責任があると主張することで、弱者男性である読者たちの溜飲を下げさせるための議論だ”

と書いた。ここで批判されているのは“溜飲を下げさせるための議論だ”とあるように,弱者男性論の主張する内容ではなくそ目的だ。もちろん,その弱者男性論によって留飲を下げている男性も少なからずいるだろう。

 しかし,それが決定的に弱者男性論を否定する根拠になるだろうか。卑小な目的で立てられた論であろうと,それが誤りだと証明するには論を構成する根拠理論についての誤りを指摘するべきだ。

 上記のように,ライス氏は弱者男性論を批判しながらも,その批判内容は専ら論者や読者の問題を指摘することに終始し,弱者男性論を構成する根拠理屈についての矛盾殆ど指摘していない。

 ライス氏は上記記事の中で,弱者男性論がある程度は妥当であることを認めてすらいる。しかし彼はその妥当性を認めながら,それが社会に与える悪影響のみを強調し,弱者男性論をこき下ろしている。これはややバランス感覚に欠けた主張だと言える。

 なぜ彼はこのような一方的な主張をしたのか。それは,彼がネット論客と呼ぶ者たちによる弱者男性論が盛り上がりを見せていたからだ。ライス氏は先ほど引用したように,ネット上で学位を持たない者が政治的な主張をし注目を集めることに対し強い拒否感を持っている。彼からすれば,学位を持たず大学にも属さない者の発信する政治的主張はSNS上でフォロワーに対してアピールするだけのものにすぎず,学術的な裏付けのない稚拙な主張に過ぎないようだ。

 たしかに,ネット上で政治的発言をするアカウントの発信する内容は仲間内に向けてのアピールに終始しがちな傾向があることは否めない。

 しかし,白饅頭氏の発言ほとんどは客観的妥当性を意識しているものだ。彼のどの主張にしても,必ず明確な根拠を示しながら筋道を立てた発言を行っている。弱者男性論にしてもそうだ。

 SNS上には白饅頭氏と同様にアンチリベラル的な主張をするアカウントが数多く存在し,数万のフォロワーを獲得しているものもいるが,彼ほどの存在感と影響力を有している者は他にいない。それは,白饅頭氏の発言する内容がアンチリベラル層だけでなく,中立一般層にたいしても説得力を持っていることの証左と言えなくもない。

 ライス氏は白饅頭氏のTwitternote上での発言批判している。ライス氏によっては,SNSのような誰でも発言可能空間では論理的に正しい意見よりも大衆感情を煽る意見の方が支持を得やすい。だから饅頭の主張は誤りであるにも関わらず支持されるのだという。

 しかし,白饅頭氏が発言を行っているのはTwitternoteのような誰もが発言できるメディアに留まっていない。現代ビジネスプレジデントオンラインBLOGOSといった,中立性を保ったある程度格式のあるWEBメディアにおいてもその主張が掲載されている。これは,彼が一般メディアからもある程度の評価を獲得している根拠であり,仲間内に向けて偏った発信ばかりをしているというライス氏の主張を否定するものになる。ちなみに,現代ビジネスにはライス氏も寄稿している。

 ライス氏は学術的な背景のある言説を至上のものとし,ネット上での言説を程度の低い物と見なす価値観を持っているようだが,これは偏った価値観だろう。

 ネット上では素人発言可能だが,それに対して専門家批判を加えることも可能なのだ。生半可な言説では,素人ネット上で自らの論が正しいと広く認めさせることは,実際のところかなり困難だ。ネット上で政治的主張をするアカウントのほとんどは仲間内価値観確認し合うことしかできないのが現実だ。

 そんな中で,広い層からの支持を集め,書籍出版するまでに至った白饅頭氏の言説は,一考に値するものである判断されるべきだろう。たとえ学位がなくとも。

 それに,学術分野での肩書を持つ者の発言が必ずしも正しいとは言い難くなってきているのはライス氏も理解しているはずだ。実際に,彼のブログでは大学に属する研究者の著書や発言の誤りを指摘する記事が多く書かれている。

 ライス氏は,ネット論客の主張は仲間内へのアピールばかりで発展性も新規性もないと言うが,学術世界ではそうでなはいと言えるだろうか。学術界でも,特定コードに反する内容の主張が正当な理由なしに発表を拒否されるという事例が少なからずあったはずだ。

 ライス氏は学術であることを重要視しているが,それだけを至上のものとし,そうでないものを見下すような態度はそれこそ閉鎖的で彼の指摘するネット論客の悪い特徴と同じだ。

 ここからは,白饅頭氏の発言とその問題点を挙げていく。

 2022年12月20日,白饅頭氏はライス氏のツイート引用リツイートしこのように書いた。

社会正義総本山アカデミ屋を称揚する奴がいうのマッチポンプ感があって草”

 たしかに,社会正義定義しがちなアカデミア出身ライス氏が,社会正義に疑問を呈する内容の本を紹介するというのはやや疑問を生じさせるものかもしれない。

 しかしながら,ライス氏は普段からアカデミアの主張する社会正義について無批判だったわけではない。彼のブログを読めばわかることだが,学術的な地位のある人物の著書についても内容に疑問を感じる点があればしっかりと指摘をしている。

 ライス氏はアカデミアを重要視こそしているが,かといって盲目的に信奉しているわけでも無い。

  同日に白饅頭氏はTwitterで次のように書いた。

“いやだから、君のような人文アカデミア礼賛ネット論客が「露悪的なおもしろさ」とか語るのダブスタもいいとこでしょ。”

 白饅頭氏はライス氏を“人文アカデミア礼賛ネット論客”と呼んで揶揄している。これは,ライス氏が人文アカデミアについて批判的な視点を持ち合わせていることを無視した発言だ。

 白饅頭氏は12月9日にこのような発言もしている。

インテリの本って普通に読みにくくて面白くないという根本問題があるんだよな。

おもんなくてわかりにくい文章を書いているだけの分際で「高尚なことをやっている」とのぼせ上がっている奴らの商売破綻するなんて当たり前でしょ。

「本当に頭のいい人は一般の人でもわかりやす説明する」みたいな論調には与しないまでも、かといって「複雑なものを複雑なまま理解するのが知性だ」みたいなのも、インテリの自惚れが含まれていないわけではないだろう。“

これは名指しこそしていないが,ライス氏の著書に絡めた発言ととることができる。たしかに,ライス氏の著書は硬い文体でやや学術寄りの内容でもあるため,読むために労力を要する。

 だが,ライス氏の著書はより厳密な内容で社会について論じたものであるという点から,白饅頭氏の著作よりも優れていると言える。本自体の売り上げで言えば白饅頭氏のほうが圧倒的ではあるが,それは彼の知名度と,内容の易しさによるところが大きいだろう。ライス氏の著書は本人の知名度も低く,厳密で硬い内容であるために気軽に手に取れる本ではないものの,より厳しい視点を持つ読者にとってはライス氏の方が優れたものとなるはずだ。

 白饅頭氏は難解な内容について“インテリの自惚れ”と言っているが,これはただの暴言だ。ライス氏の著書が難しい内容となっているのは,学術的な視点からより厳密に理論を展開しようとしているからであり,アカデミア出身としての自負心と責任感によるものだろう。アカデミアを腐したいあまり不適切言動をしてしまっている。

 12月10日には,このような発言もしている。

“  世間知らずのインテリくずれがパソコンタカタで俺に勝つなんて甘い。フォークリフト乗ってから出直せ。”

 “世間知らずのインテリくずれ”とは,おそらくライス氏のことだろう。しかし,ライス氏は大学院を卒業した後企業勤めやフリーターをしながらブログ執筆していたため,白饅頭氏の言う世間知らずは根拠のないレッテル張りだ。インテリという言葉には明確な定義がないためはっきりとしたことは言えないが,少なくともライス氏は修士課程卒業しているという点で学部卒の白饅頭氏よりも学術的な視点でのアドバンテージがあることは確かだろう。インテリくずれという揶揄も,適切な発言とは言い難い。

 白饅頭氏はライス氏を頭でっかち世間知らずな,大衆の苦労など知らない嫌味なインテリなのだと思い込んでいる節があるように見える。

 しかし,ライス氏のブログを読めばわかることだが,彼は社会に出て様々な苦労や葛藤出会い,しっかりと現実を見据えたうえでその経験を活かしながら発言をしている。決して白饅頭氏が言うような,苦労知らずや頭でっかちではない。

 白饅頭氏はライス氏のブログや著書に関して,“つまらない”や“わかりづらい”,“売れない”と評している。たしかに,ライス氏の硬い文体は読む人によってはつまらないと感じるかもしれない。だが,社会について論じる以上は厳密かつ真剣な文のほうが望ましいというのも,一般的な考え方ではある。ライス氏の文章ライトな読者層にとってはつまらなく感じるかもしれないが,言説に対してより高い基準を求める読者にとっては大いに満足のいくものであるはずだ。

 白饅頭氏はより広く読まれることを目的としだ文章を書くため,その内容を可能な限り平易なものにしている。彼からすれば,ライス氏の文章はわかりづらく自己満足的なものに見えるのかもしれないが,分かり易さを求めることで論理的な強度が低くなることも事実だ。ライス氏の文章批判的な視点を持った読者に対しても説得力を持つように書かれているため,どうしても文章が複雑化することは避けられないだろう。それをわかりづらいの一言で済ませるのは不当な評価だと言わざるを得ない。

 白饅頭氏の著書がライス氏の著書よりも売れているのは確かだが,市場での評価が必ずしも言説の正しさを格付けするものではないはずだ。先程も書いたように,白饅頭氏の本が売れているのは知名度と平易さによるものが大きく,世間で売れる本の殆どがそうだ。

 白饅頭氏は読みやすさを重視するあまり学術的な厳密性を軽視しすぎている。たしかに厳密性を求めた文章は難解で読みにくくなるが,一定レベル以上の読者はそう言って文章を求めるようになるにも確かだ。白饅頭氏の文章新規の読者を獲得すことには適しているが,高い基準を求める読者からは不満を覚えられる内容だろう。

 また,白饅頭氏はアカデミアに対して偏見を抱いているようにも見える。彼の発言を見ると,アカデミアとその出身者はアカデミア内でのコンセンサスに沿った発言しかできないと思っているようだ。

 しかし実際には,アカデミアとその出身者には多様な背景と思想をもった人々がおり,時には学会での権威に背くような意見発表されているということは彼が知るべき事実だ。

 

 これまで書いてきたこからわかるように,ライス氏が重視しているのは学術的な姿勢と厳密性だ。一方で白饅頭氏が重視しているのが人気と分かり易さだ。両者が重視しているものは両立が困難であり,それゆえに互いが敵対的姿勢を取るようになってしまったのだろう。

 くだけた表現をするなら,ライス氏は「ガチ」であり白饅頭氏は「エンタメ」だ。どんなコンテンツであっても,ガチエンタメ対立しがちであると同時に両方が必要とされるものだ。

 ここで,格闘技興行想像してみよう。コアな格闘技ファンを満足させるためには,当然実力のある選手同士の対戦を見せなければならない。しかし,実力があっても知名度は低いという選手が多い。知名度の低い選手では,新規ファンライトファンを呼び込むことができない。そこで,実力はともかく知名度のある選手試合も組まなければならない。

 実力のあるガチ選手知名度のあるエンタメ選手,共に興行を成り立たせるために必要存在だ。白饅頭朝倉未来なら,デビッドライスはヴガール・ケラモフだ。

 ライス氏のような,学術的な背景から厳密な文章を書ける作家も,白饅頭のような分かり易くて売れる文章を書ける作家も,言論世界を成り立たせるために必要存在のはずだ。

 両者は現在リベラルネット世論に対して同様の疑問を呈することもあり,思想的な共通点もあるように見える。冷静な対話を重ねれば,互いの考えについて理解を示し合うことも可能なはずだ。

 ライス氏と白饅頭氏はこれから日本言論界リードする存在になり得る作家であり,こんなところで小競り合いをして格を落とし合って欲しくない。

2022-12-07

anond:20221206210542

なげーよ

家捨てて車中泊生活しろ

 

       終

     制作著作

     ━━━━━

      ⓃⒽⓀ

2022-12-02

anond:20221202113229

それはそうなんだよな。

人を悪く言い続けた奴が刺された話としか思えない。

いや、刺すのは悪いことと、人を悪く言ったか著作価値が下がるとかではないことも、同時にあるんだけどさ。

2022-11-28

anond:20221128183352

意義のない表現、無価値表現問題のある表現表現であるとして、何故公人はそれを批判してはいけないの?

言論著作パフォーマンス広告などあらゆる表現物は、その内容が無意味でも猥褻でも差別的でも、批判してはいけないとか無茶苦茶じゃない

弁護士こそ言論弾圧者では?

2022-11-12

id:baikoku_senseiだがすずめの戸締まり見ました。感動!君も泣け(ネタバレ感想)

ネタバレは避けてたんだけど、震災被害者PTSDに注意みたいなまとめタイトル見ちゃってショックでPTSDになった

でも映画館行ったら同様の注意喚起があったのでゆるす。



ネタバレ

後ろ戸が開くとミミズが出る

感想

クソ猫やんけ…

クソ猫がよ…

オアアアァ!!クソ猫オァァァ!!!

あれ、クソ猫…?

クソ猫はクソ猫じゃなかった…いや呪い押し付けてたしやっぱクソ猫だわ

まとめ

今更3.11テーマにしたのが偉い

その上でエンタメとして傑作

善人しか出てこないこの世界の綺麗な所の煮凝り


こっから長文垂れ流し

映画館行ったら中高生グループだらけでチビ

オッサンになると中学生高校生は無条件で怖い。不良が怖いんじゃなくて集団に対する根源的恐怖っつーか…小学生大学生大丈夫なんですけど…

で、ネタバレも昔は大丈夫だったんだけど年取ったらダメになった。真っ白な状態で見て不意打ち食らいたいんだよね。呪術死滅回游が好きなんだけど、週刊で読んでてそうきたかー!って気持ちよさがあるから私鉄純愛列車とか相撲だぁー!刀ぁー!とか最高で…まぁ、二週目の面白さもあるけど、初見面白さは一回切りだし大事にしたい。

で、3.11ね。震災後5年だか7年後だかに立入禁止区域の近くまで行こうとした事があるんだけど、道路脇に土を集めたり草刈りしてる作業員大勢いて、いわゆる汚染土がコンテナか何かにまれて(結構記憶曖昧)、互いに見て見ぬふりしながら、この人達はどこに住んでるんだろう?と考えていたことを思いだした。立入禁止区域は当然バリケードされて近付けず、それより帰りのバスで乗り合わせる女学生美人揃いだったことが印象に残っている。

まぁ、当時ですら震災は終わった扱いで、PTSDネタバレ食らった時も、数年振りに震災を思いだしたくらいだった

そう考えると、神戸に行ったことで阪神淡路大震災も思い出したりして。関東大震災もな~。はよ南海トラフ起きて都民全員死ね!とかあんま言わないようにします(浄化)

懐メロについて、吉幾三流れてたっけ?と思いながら、シンエヴァ吉田拓郎を思いだしたりとか。しかし考えると芹沢って俺より若いのに年上として見てたな…俺は幼稚なジジイなんやなって…

左大臣から道真かと思ったけど関係ないんかな

エンドロールのKOUSHIROUさんは不意打ちだった。考えると突然興奮する患者なんだよな…すずめの戸締まりナイフ行方後日談だった…?

結局東京行くのはいいんだけど面白い。君の名を見た時、新海は地方出身者に違いない、と何となく確信したんだけど、地方の(元)若者にとって東京ってのは一種聖地で、一方地元への愛憎はすさまじく、進撃の地ならしとかチェンソーマンの銃の悪魔みたいな虐殺地方への復讐なのでは…みたいな、まぁ、これも「作者の意図」とやらを勝手に読みとってる訳で、

そういう当て嵌めで正しい読みとやらを考察するバカ嘲笑してたりもしたんだけど、ワイはそのアンチテーゼ(この言い方も…)としてロランバルトテクスト論を持ち出したりする。ただ、実は大学講義で聞き齧ったことを断片で吐いてるだけで、実はバルト著作なんて読んだことも無いんだもんね~。結局

ロランバルト」知ってる?知らない?というマウンティングをしたいだけなんだよな~。エセインテリとしてのコンプレックスだよな~


あと、天気の子世界より一人が大事ってテーマ、半水没くらいなら大丈夫じゃね?みたいに、ポジティブな所と相殺されちゃってた感じもあったが、いざどっちか選べってなると無理だよねそら…

でもまぁハッピーエンドで終わるわけで、珍しくストレートセリフで語ったりもする。個人的な事を言えば、盲目的な楽観論は好きじゃない。感染増加中のピークアウトするはずとか、景気は緩やかに回復基調とか、精神の安定のためにネガティブ情報から目を逸らしてる感じがどうも…だからって黙らせたところでしょうがないんだけども。

シンエヴァもだけど、人との繋がりがテーマになってる感じっすね。社会に出ろ、みたいにネガティブに受けとる人もいたりするけど、コミュニケーション大事って話ですよね結局。

2022-11-09

anond:20221108125732

ストレートパソコン教室(今だとスマホ教室もあるのかな?)に通って苦手意識払拭するのがいいのでは…?ネット使えないってだけであれもダメこれもダメってなって、こんな窮屈になるとは思わなくてビックリしてる。

さら怖いって思うかもしれないけど、80代でプログラミングを覚えてスマホアプリを作った若宮正子さんの記事とか紹介してあげたらどうだろ。著作も「老いてこそデジタルを」とか数冊あるみたい。

2022-11-05

anond:20221105003419

とある作家著作目録

戦後カストリ雑誌かに書きまくってて、本人も研究者もどこに何を書いたか完全に把握できなくなったか

古い雑誌確認してその作家著作を見つけるたびに自分リストに書き加えてる

2022-10-24

先生演奏著作料を支払わないための防衛

先生も生徒として登録する。(先生も生徒としてレッスンに通うのは普通である)

生徒どうしの「教え合い」をカリキュラムにとりこむ。

生徒からの料金は変わらず。先生への給与支払い名目雑務とする。(これにより雑務をやらされる先生も出そうだね)

クソみたいな判決により三店方式ミュージック版ができてしまった。

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

―――――――――――――――――――――――――――――

 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

anond:20221022102005

一式陸攻渾名として「ワンショットライター」(一発着火ライター)または「フライングジッポー」(空飛ぶジッポー)が有名である。これは翼内の燃料タンク容積が大きく、加えて防弾タンク採用が進まなかった関係で、被弾に弱く、一掃射で炎上したという意味で使われた。

このニックネームについて、日本著作では、1952年昭和27年初版堀越二郎奥宮正武零戦 日本海軍航空小史』ですでに言及されている[3]。その他、1942年2月空母レキシントンを中心とする米機動部隊ラバウルへの空襲を行った際に迎撃に出てきた一式陸攻17機中13機を撃墜したレキシントンのF4F隊のパイロットが使い始めたと言う説もある[4]。一方、航空評論家ウィリアムグリーンが自著中で“日本人のかげ口”として引用しているということに過ぎず、真偽の程は疑わしいとする意見もある[5]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E9%99%B8%E4%B8%8A%E6%94%BB%E6%92%83%E6%A9%9F

2022-10-22

艦これ舞鶴市知財市長選挙のまあまあヤバい話(中編)

前編からのの続きです。

https://anond.hatelabo.jp/20221022145133

舞鶴の「舞鶴クリエイティブアソシエーションMCA)」というNPO法人が 「艦隊これくしょん -艦これ-」のIP勝手に使って商売していて、KADOKAWAから警告書が届いたら市長候補森本さんが怒ったというお話です。


その他のまずそうな事象

協賛金の話

MCAと言えば、地元事業者に声をかけて「砲雷撃戦!よーい!」への協賛を集めていたというネタもありました。

もともとMCAと「砲雷撃戦!よーい!」の関係が既にアウトなので付加的な話ではあるのですが、二次創作同人イベント企業の協賛を集めるという「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な行動力は目を見張るものがありますね。

協賛した銀行信金に関しては法務仕事しろと言いたくなります

もしKADOKAWA訴訟を起こしていたら影響範囲は図り知れず、商店街焼け野原になっていたことは想像に難くありません。

移動、宿泊飲食お土産と、艦これIP勝手に使って、8年の間に何億くらい舞鶴市内の経済を動かしたんでしょうね(参加者のべ1万人の市内での平均消費額が1万円なら、それだけで1億円です)。

「砲雷撃戦!よーい!」が廃止になった途端に舞鶴市と艦これコラボが始まったのは偶然ではないのだろうなと思います廃止2021年9月コラボ発表が同年12月)。

舞鶴からオファーだったそうなので、これは想像ですが、商店街を守るため訴訟を思いとどまらせる代わりに公式コラボ提案するというバーターだったのではないかなと。

せめてそのくらいはないと、何年にも渡ってフリーライドを続けてきたMCAに対してKADOKAWAは優し過ぎませんかね。

展開している場所が赤れんがパークなのも、MCAの関わる同人イベントへの牽制にも見えてきます(もちろん海軍ゆかり場所というのが表向きの理由しょうが)。

当のMCAは「舞鎮駆逐隊」で一発逆転を狙い、森本さんは市役所KADOKAWAとズブズブの関係だとか、市がアニメ提携するなんて論外だとか仰っているのですが、皮肉ものだなあと思います

森本さんの著作権侵害の話

その森本さんですが、動画では散々「著作権侵害はだめですよ」と仰っていたのですが、実は自身著作権侵害を行っていました。

正確には、著作権侵害イラストを利用していました。

2014年7月の「砲雷撃戦!よーい!」で森本さんは屋台を出しており、「提督」というワード名称に含めた艦これと直接関係のないアイテム販売していました。

そこで使われたポップに、艦これ二次創作イラストが使われていたんですね。

そのイラストの出処がMCAです。

屋台写真が残っているのですが、ご本人は認めていません(ノーコメントを貫いていました)。

ただし、MCAと言います地元事業者が「砲雷撃戦!よーい!」の運営で使っていたイラスト勝手転用したという話がちらほらあるため、そのイラストを描いた人が当時どのような意図で描かれたのかは分かりません。

また、同じ出処のイラスト森本さんの会社通販サイトに使われていたという事案がありました。

そのページに登録されていた製品上記の「提督」グッズ等で、値段までバッチリ入ったものでしたが、森本さんは「打ち合わせ用の仮デザインネット販売には使用していません」と仰っていました。

普通に考えて、イベント販売したアイテム販売ページを5製品分も作って売っていないとは考えにくいわけですが、残念ながら外部から確認できません。

イラストの詳細については、「おそらくネット上でアップされている絵師さんのご自由にお使いください的なイラストを使わせてもらった」と嘘をついています

動画へのコメントMCA提供ですよと教えたのですが、頑なにノーコメントを貫き訂正もしてもらえませんでした。

許諾に関しては「艦これ運営に許諾は取ってないです(8年前当時には許諾が必要認識が無かった)絵師さんを差し置いてこちらが独自に許諾を得ることはそれはそれで別の問題になります」とツイートしており、ご自身でアウト判定であることを証言しています

最高裁まで争った「キャンディキャンディ事件」で、二次著作物(いわゆる二次創作物)の著作権原著者と二次著作作者の双方に権利が発生し、利用の際には両方の承諾が必要という判決が出ています

森本さんは少なくとも原著者の承諾は得ていないわけですから著作権侵害にあたります

森本さんがツイートしたような「8年前の社内のコンポアライアンス的には問題は無いです」では済まないんですよね。

今になって法的に問題化できるかと言えば難しいような気もしますが、動画で「著作権侵害はだめですよ」と繰り返し仰っていて自分のことは「8年前だからセーフ」とは…。

海軍御用達おみやげ館」の話

舞鶴での著作権侵害と言えば、「海軍御用達おみやげ館」も外せません。

これはMCA運営している店舗なのですが、日常的に艦これ同人誌や同人グッズが販売されていたようです。

「舞鎮駆逐隊」の運営が「海軍御用達おみやげ館」にグッズ販売委託する旨のツイートをしていたなど、ここでも親密さが伺えます

同人誌や同人グッズの店売りは個人法人の線引きが難しくなるものではありますが、同人ショップ以外の店売りは相当高リスクだろうと思います

同人アイテム販路販売機会が限られているからこそ営利目的ではないという建前が成り立っている部分があります

常設の店舗で売っており、売り切れたら補充します、次の製品企画していますという話になれば営利目的と判定されるリスクは高くならざるを得ません。

同人ショップはどうなのかというのは難しいですが、あれだけ堂々と店舗を構えて公式とのコラボもやっていたりするので、関係者間でコンセンサスが取れているのであれば特に言うことはないかなとも思います

大手同人ショップコンテンツ業界にいれば知らない人はいないでしょうし、問題行為があればちゃん問題になります

海軍御用達おみやげ館」のスタンディングの話

あと、ここ2、3年は外していたようですが、「海軍御用達おみやげ館」は艦これキャラクターのスタンディング(キャラクターの大型立て看板)があったことでも有名ですね。

もちろんイラスト二次創作でした。

Googleストリートビュー写真が残っていると少し話題になりました。

「はまっこ夜の市」でのコスプレの話

今年(2022年7月に「はまっこ夜の市」という夏祭りのようなイベント商店街でありました。

そこでドールコスプレと言うのでしょうか、顔に被り物をしたコスプレの人がいまして、それが艦これキャラクターでした。

お祭りなので多少は多目に見られても良いだろうと思うのですが、今年の話なので、「砲雷撃戦!よーい!」がなくなった後にこんなことしてていいんですかね…、とは思いました。

森本さんと「Aさん」とMCA

さて、MCAの話ばかりしてしまいましたが、森本さんの話に戻ります

森本さんは、「砲雷撃戦!よーい!」の近くで展開された屋台村でモヒートボルシチ販売し、人気を博した名物おやじでした。

多分人柄は良い人です。

本業は建材屋の社長で、2023年2月に行われる予定の市長選に出馬するそうです。

この話の発端は、「Aさん」のもとに角川アーキテクチャ弁護士から警告書が届いたことです。

いわく、「ルールを逸脱したイベントの開催の誘致や貴店その他における無許諾グッズの販売等本件作品著作権商標権等を侵害する行為や本件作品やその登場キャラクター世界観等にフリーライドした不正競争行為等及びにこれらに加担する行為を行わないように本書を持って警告します」。

ここまで読んで頂けたのであれば、この警告書が何を表しているかは明白であろうと思います

しかし、これに森本さんが怒りました。

森本さんは商店街オリジナルキャラクターを持ち出し、「世界観等にフリーライドした不正競争行為等及びにこれらに加担する行為」のくだりをこれらのキャラクターの展開を阻害するためのSLAPP的な警告だと主張しました。

それどころか、艦これモチーフである海軍文化舞鶴ゆかりのある地元のものであり、艦これはそれにフリーライドし、文化盗用をしているのだと持論を展開したのです。

しかし、そもそも現在商店街オリジナルキャラクターの源流にある「軍艦通り擬人化キャラクター」群は、艦これをヒントにして生み出されたとMCA公表しています

他のもっとヤバそうな部分は無視して、自分たちのキャラクター元ネタに対して文化盗用とか言うんですか、そうですか…。

後編に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20221022145357

2022-10-19

魔力を有する性器、その他の話

女性が陰部を見せることで魔を祓う」という伝承に関する、本しゃぶり(honeshabri)さんのエントリ拝読したので、それに便乗して、思い出した雑多なことを書き残す。先に断っておくが、かなりくだらない話が多い。

中田雅喜(なかた・あき)という女性漫画家がいるのだが、彼女代表作の一つで、80年代に成年向け雑誌漫画ブリッコ』に発表した連載作品を一冊にまとめた『空は女の子でいっぱい』というタイトル単行本がある。作品のものの別名は『真・ダ○ボ』シリーズとも言う。伏せ字にしても意味が無いような気もするが、とりあえず○ィズニーが怖いので、形式的に伏せ字にしておく。

○ンボと言えば、耳が普通の象よりも大きくて、それで羽ばたいて飛行することが出来る、子象が主人公物語である

この『空は―』の主人公である少女も、身体の一部が通常の人間女性よりも大きく、それによって羽ばたいて空を飛ぶことが出来る。ただし『空は―』の主人公の巨大な身体パーツは、耳ではなく陰唇である

念のために再度言っておくが、作者の中田雅喜女性である

ある日突然、X-MENミュータントのように陰唇が○ンボ状態になってしまった主人公女性に悪さを働く暴漢を巨大な陰唇で退治したり、人類から差別迫害に立ち向かったり、同じダ○ボ族たちと巡り会ったり、ダ○ボ族と人類戦争が起きて巻き込まれたり和睦したりと、奮戦する主人公の姿と、普通少年との淡い恋の行方。これら全てを描き切った一大ファンタジックSFエロチックコメディ絵巻である。念のために言うが、嘘は言っていない。ろくでなし子以前に、ここまでポップに女性器を強調したキャラクター創造したクリエイター存在したことは、日本アート史上に記録しておいてよいであろう。

この最高に馬鹿げた漫画執筆した切っ掛けが果たしてどのようなものであったのか。それは、同じ作者によるエッセイ漫画『純情ももいろ日記』に経緯が描かれている。

この『ももいろ―』についても説明すると、現在でこそ、女性漫画家性愛などについて赤裸々に語るエッセイ漫画自伝漫画のような作品は、決して珍しくもないが、中田による『ももいろ―』は、そのようなジャンルの先駆的作品である日本漫画史上、もっと高い評価を受けて然るべき作品であると、個人的には考えている。

ももいろ―』の内容も少し紹介する。例えば、成年向け作品執筆に関して、誌面では最終的にボカシで消されるとはいえ、生原稿では性器を描かざるを得ない。他にモデルもいないし仕方が無いので、作者である中田雅喜は、自身彼氏性器の実物を見ながらスケッチしたという。そういったユーモラスなエピソードの数々が『ももいろ―』では、ポップで可愛らしい絵柄で描かれている。ちなみに、性器スケッチモデルにもなった彼氏は、後に中田雅喜結婚して夫婦になるのだが、漫画で描かれている外見的な特徴を見れば、彼氏の人の自画像そのままなので、誰なのかは一目瞭然である。よく本人がオーケーしたな……。器が大きすぎる……。ダ○ボだけに。

それで『ももいろ―』によれば、若き日の中田雅喜は、隙間風が吹く風呂無しアパート暮らしており、冬の寒さに難儀していたため、ガス湯沸かし器を購入する資金が欲しかった。ちょうどそんな時に、知り合いの編集者が成年向け雑誌仕事を持ってきた。その依頼を受けたことが切っ掛けで、中田は成年向け作品執筆するようになった。そうして傑作『真・ダ○ボ』シリーズが生まれた。なお、中田雅喜は、無事にガス湯沸かし器を手に入れたそうである

成年向け雑誌仕事中田雅喜のところに持ってきた、その編集者とは、何を隠そう「オーツカ某」である。この呼称を覚えている人がいたら、その人は若くない。これは、現在大塚英志である大塚英志といえば、千葉徳爾宮田登の教え子であり、その学問的な素養を活かして『北神伝綺』『木島日記』『黒鷺死体宅配便』など数々の傑作を生み出した人物でもある。当時オーツカ某だった大塚英志が、漫画『真・○ンボ』の内容にどれほど寄与していたのかは定かではないのだが、もしかしたら民俗学神話伝承などについて学んだ経験を活かして、アイデア中田雅喜提供したりしたのかもしれない。何か情報を知っている人は、教えて下さい。

かなり前置きが長くなったが、ようやく神話伝承話題に繋がった。中田雅喜の『真・ダ○ボ』では、物語の終盤において「牙が生えている性器を持つ、女性の姿をした怪物伝承」「自らの手で牙の生えた性器を広げる女性の姿を描いた石像」について言及される。そして「この恐ろしい怪物に関する人類伝承は、遠い未来に遭遇する運命にあるダ○ボという異種族に対する、未来記憶による恐怖の産物だった!」という話になる。分かる人には分かると思うが、これは勿論、アーサー C. クラークSF小説『幼年期の終わり』が元ネタパロディである

さて、牙の生えた性器を持つ女性神話伝承については、金関丈夫が「Vagina Dentata」と題した論文(岩波文庫木馬と石牛』に収録)で、台湾東南アジアなどに分布するもの特に詳しく紹介している。この神話は、日本列島にも存在する。

この神話群は、おおむね次のような内容である。「昔、とても魅力的な女性がいて、大勢の男たちから求婚された。しか結婚しても、初夜に夫が死んだり逃げ出したりして、夫婦生活は長続きしなかった。その原因を調べてみたところ、彼女性器に牙が生えていて、夫の性器を食い千切って死に至らしめることが判明した。その牙を抜いたり砕いたりすることで、彼女普通女性となり、新たに夫を迎えて幸せに暮らすことが出来るようになった(バリエーションとしては、単なる怪物として退治されて死んだといったもの存在するようである)」

この物語典型の一つが、江戸時代奉行根岸鎮衛(ねぎやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収録されている「金精神(こんせいじん)の事」と題する一篇である。これは、津軽で「カナマラ大明神」と称して祀られていた、黒銅(黒鉄)で作られた男性器型の御神体について、その由来を聞き書きしたものである

この由来物語でも、やはり、牙が生えた女性器を持ち、それが夜の夫婦の営みの際に夫の性器を食い千切って死に至らしめるために、結婚しても夫婦生活が続かないという女性が登場する。その悩みを聞きつけた或る男が、この女性結婚を申し込んだ。そして迎えた初夜、新しい夫は、自らのものを初めて挿入する代わりに、まず黒銅で作った男性器を妻の性器に挿入した。すると牙の生えた女性器は、黒銅の男性器に噛み付いたために、牙が砕けて全て抜け落ちた。それ以後、女性普通女性となり、つつがなく夫婦生活を送った。その時に夫が用いた黒鉄作りの男性器が、後に神として祀られ、今のように崇敬されるようになったとの由。

古今東西神話呪術において、男女のいずれの性器も、生命力呪術的な力の源泉として神聖視される事例が数多い。その中で特に女性器は、妊娠出産による人間誕生という重要役割を担うことから生命象徴のものであった。しかし、それとは対照的に、Vagina Dentata神話で描かれている女性器は、牙を生やしていて、生命を生む存在ではなく、むしろ奪う存在である。これは、陰唇と口唇の形態的な類似と、性行為時に男性器を受け入れるという機能から男性器を喰らう女性器という発想に至ったと考えるのが自然なことであろう。けれども、それだけではないように思われる。

Vagina Dentata神話根底には「生命を生み出す魔力を持つ女性には、それと表裏一体のものとして、生命を奪う魔力もまた備わっているのが当然である」とする、呪術的な発想もあったのではないだろうか。ニギミタマ、アラミタマという言葉が示すように、聖なる力は、好ましい側面だけでなく、同時に好ましくない側面や荒ぶる側面を併せ持つとされることも多い。聖なる力が人間の役に立つ時には「カミの力」とされるし、人間に害を及ぼす時には「妖怪の力」とされる。こういった「カミと妖怪の間を振り子のように行き来し、変貌する超自然的な存在」という妖怪の有様は、京極夏彦作品に多大な影響を与えたことでも知られる妖怪学者小松和彦著作で、詳しく論じられている。女性器の神聖性に対して人類が抱いた、善悪判断を超越した畏怖の感情。それがVagina Dentata神話には残されているのであろう。

もう一つ。生命力の源泉という呪術役割を巡る主導権争い、すなわち、女性原理男性原理との間に生じた闘争対立記憶を、Vagina Dentata神話は今に残して伝えているのではないだろうか。『耳嚢』の金精神(こんせいじん)についての伝承は、生命を生むための呪術的な過程において、vaginaを重要視する女性原理から、phallusを重要視する男性原理が、地位や主導権を奪ったこと、男性原理の側から見た勝利記憶を留めているのではないか。牙を失い、呪われた存在ではなくなった女性器は、その代償として呪術的・超越的な力を失って馴致されたとも読める。

しかしまた、こうも考えられる。生命力の源泉としての呪術的な力は、女性原理場合女性器の妊娠出産の力として発揮されるが、男性原理場合男性器の種付けの力として発揮される。その一例として、田植え神事において、男性器を模した御神体田圃の泥土に突き刺し、稲の豊穣を祈願するという儀礼存在するという事例が挙げられる。金精神(こんせいじん)の由来物語も、新たな生命創造する過程である男女の営みの中において、生命の根源に係る呪術的な部分で、男性原理の種付けの役割にも"平等に"重きが置かれるようになったことを示しているとも考えられる。そう考えるならば、つまり精神(こんせいじん)の由来物語とは、男女双方の原理二人三脚でなければ、人間生命を生み出す呪術的な力を得ることは出来ない、女性原理だけ或いは男性原理だけでは決して呪術は成り立たないのだという「男女の共存和合を説く物語」だと解釈することも可能である対立征服物語として捉えるよりは、そのように考えた方が、建設的で平和的なのではないだろうか。

ところで、魔を祓うのとは少し違うが、男性器もまた、困難時に着衣を脱いで曝け出すことで窮地を脱するための呪術的な行為とするという事例がある。例えば、猟師が山で迷った時に、勃起した陰茎を山に向けて見せれば、山の神(女神)が喜び、その男性を助けて無事に下山させてくれるという伝承がある。

また一方で、女性器にも似たような発想の伝承がある。田植えをする時に女性和装下着を着けていないと、丸見えの女性器を田の神(男神)が見て喜び、田植え作業が早く進んで終わるように手伝ってくれるという伝承がある(そういったエロ話をしながら、田植え作業に勤しむ農村女性たちの活き活きとした姿を、宮本常一が記録に残している)。

このように性器を曝け出して超自然的な存在に祈願する人間の姿は、文明化した我々現代人の目から見れば、大らかではあるが、馬鹿馬鹿しく滑稽に映る。しかし、自らの肉体の恥ずかしくて重要な部分を曝け出すことができるというのは、相手が神(カミ)であろうと人間であろうと、それを捧げる対象に全幅の信頼や愛を抱いていなければ出来ないことであり、ある種の真摯さや敬虔さの証となる行為でもある。そう考えると、男女間の異性愛だけに限らず、全ての性愛行為根本において、信頼や愛が何よりも大切であるとされることの原点が、これらの呪術行為図像には秘められているとも言えるであろう。

そう考えれば、魔力を持つ性器を曝け出すという古来の伝承図像、それらの子孫として現れるポップカルチャー的な表現は、単にこれらを面白がるだけでも全く構わないとは思うが、改めて見つめ直してみれば、案外と我々現代人が真面目に学べる何かをも多く含むのかもしれない。

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2022-10-17

有田芳生

@aritayoshifu

国際テロ魔女重信房子受刑者が28日出所 動向に注目 https://sankei.com/article/20220526-4WK2BINQSBP5XLD2MDKTTLDHLY/ @Sankei_newsより▼この記事もふくめ、これまで報じられてきた重信房子像は虚像だと思う著作に驚きました。どこにでもいた正義感ある女性です。

https://twitter.com/aritayoshifu/status/1529816821339398145

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