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はてなキーワード: 著作とは

2023-05-12

anond:20230511193645

契約によっては著作人格権の不行使特約が盛り込まれていることある特に著作権ごと買い取りのときかにはかなりの確率でついてる印象。財産権としての著作権は買い取れるけど著作人格権は買い取れないので、せっかく買ったイラストなのに結局作者の許可がなければ修正編集もできないってなったら使いづらい。

この内容で契約すると著作人格権には公表権、氏名表示権が含まれているため、その権利行使できないので「そのイラスト、俺が描いたんだぜ」と主張することが難しくなる。

2023-05-08

スーパーリアル麻雀著作利用/創作ガイドライン更新されてたけど

https://www.srmj.com/%e3%82%ac%e3%82%a4%e3%83%89%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3/

公式素材のAI学習利用だけじゃなくて二次創作ファンボで稼ぐのもヤバそうなんだよな

なんか今の小競り合いを繰り返していると最終的にAI画像生成も二次創作も全部白黒はっきり付けられて皆殺しになるオチしか見えないんだよな

2023-05-05

anond:20230505230213

MIT ライセンスの「著作権者ライセンスの表示」という義務を軽視してライセンス違反してる奴が多すぎるんだよな。

そもそもオープンソースライセンスにすると著作権が無くなるとか勘違いしてる奴もいたりするし。

オープンソースライセンス基本的著作権権利の下で付与されてるライセンスなのにな。(例外著作権放棄によるパブリックドメイン相当にするくらいか。でも著作人格権放棄できなくてCC0を作るくらいなので本当に例外だと思う。)

からオープンソースライセンス違反したら著作権違反なのに、まずその基本が分かってない奴が多い。

2023-05-04

カワイイ=シコれる」の呪いを解きたい

二次性徴が始まった直後から今日までのオカズのほぼ全てがカワイイ絵だった。

学校の授業で出てきたマスターベイションという言葉が分から父親パソコン検索した。

早速試しみようと思ったが、エロ動画を軽い気持ち検索するとウィルス感染したダイヤルQ2接続されて後日高額の請求が来ると言う話を思い出して一度は諦めた。

次の日丸一日考えて、素人趣味でやっているお絵かきサイトエロイラストだったら流石にウィルスは仕込まれていないだろうと考えた。

試しに検索すると簡単にそういうサイトは見つかったが、18歳未満が入っちゃ駄目だとどこも書かれている。

こんなものに何の意味もないということを知らなかった当時の自分は、未成年がここで身分を偽るとあとで捕まると思っていた。

からサイト名のURL検索をかけ、直接エロ画像が貼ってあるページに飛び、そこでページ内の「トップに戻る」を押して18禁イラストが貼ってあるページのトップへとアクセスしていたものだ。

そうやって表の「18歳以上」のボタンを押さないことに何の意味があったのかを聞かれても当時はまだ小学生だったから世の中のシステムってのを色々誤解してたんだとしか言えねえ。

そうして俺は小学生ながらにしてイラストでシコる人生を歩み始めた。

同級生がどうやってシコっていたのかは知らないが、中学の頃に友人が「モザ消し装置を使ったビデオが手に入ったか無修正エロ動画が見れるぞ」と誘ってきた事を考えるに、きっと皆は生身の人間エロビデオでシコっていたんだと思う。

ネットイラストでシコると言っても劇画風のケバイ絵柄は小学生オナニーするオカズにするのは無理があった。

自然自分と同い年ぐらいのキャラクターでシコろうとし、それらはアニメ塗りだったり内山亜紀風の絵だったりした。

単に同級生でシコろうとしていただけだったのに、自分ロリコンアートでシコる人間として教育されていったわけだ。

中学高校に上がってからもその傾向は変わらず、18歳未満のキャラクターエッチイラストでシコっていた。

18歳未満のリアルエロ画像児童ポルノ的にアウトだという知識ネット経由で少しずつ見に付けていった影響もある。

今でこそTiktok配信サイトを探せばいくらでも子供ポルノは見つかるらしいが、自分時代もっと危険アングラサイトに潜らなければならず、それこそ本当にウィルスや法外な請求リスクと引き換えにする必要があったと聞く。

まあ全部風の噂でしか知らないのだが、だってイラストオナニーする分には児童ポルノなんて関係ないんだもの

自分の年齢が二十歳を超えてからようやく違和感に気づく。

大人の女性オナニーする気にならないのだ。

10年かけて脳のロリコン化が完了していたのだ。

それもイラスト専門のロリコンだ。

生身の女性の体を見ても興奮をしないし、その生々しさに気持ち悪さしか感じられない。

代わりにカワイイらしいキャラクターの絵に何でもかんでも興奮するようになっていた。

無数のロリコンアートを見てきて、その過程で3等身でも抜けるようになったし多少のショタならセーフだしケモでも抜けるようになったりとカワイイ絵なら何でもありになった。

たとえば出張旅行地方に行くと今はどこにでもゆるキャラがいるだろ?

アレを見ると「なるほどこの街にはこれをオカズにしているロリコンケモナーがいるのだろうな」とまず最初に感じるのだ。

インターネットにはルール34というミームがある。

正確には「Rule #34 There is porn of it. No exceptions.」、直訳すると「ポルノ存在する。何者にも例外なく」ということになる。

実際、あらゆるものに人は性的興奮を覚えるわけだが、少なくとも可愛らしいアニメ風のキャラクターであれば実際にその例外は限りなく0であると言っていい。

かに実際には知名度が低いキャラクターポルノ画像存在しないことはある。

だがそれは他のキャラクターポルノ画像を作ることが優先されてしま無限の順番待ちをしているだけであって、それのポルノが生まれうるポテンシャルが0であったことは意味されていない。

まり、俺の中には「ルール34'カワイイものは誰かがオカズにしている。例外はない」という強烈な認識存在するのだ。

カワイイということは、オカズにできるということと同義なのだ

はいい加減この感覚から解き放たれたい。

町中やインターネットノ中で設定年齢0~20歳程度のイメージキャラクターを見かける度に「これはオカズに使えるポテンシャルがある」といちいち感じてしまうのは本当にどうかと思う。

もちろん公式の絵柄がそういう方向に寄せられまくっているものは仕方がない。

COOL CHOICEの君野イマ 君野ミライなんかは、露骨に男に媚びようという意志があるからあれでオナニーされてしまうのはもう仕方がない事なんだと割り切れる(せっかくだからこの場を借りて言っておきたいんだが、君野ミライよりも君野イマの方がターゲットであるオタクに受けそうなのはコンセプトが崩壊している気がするんだよな。ソックス・制服カチューシャより、方っぽ靴下生足+萌え袖+ボサボサ髪の方がオタクの受けはいいだろ。これではCOOL CHOICEをすることでより良いミライへというメッセージちゃんと伝わらないんじゃないのか。それともクールミライというのは、そういった女性のだらしなさや幼さに対して興奮するような気持ちの悪い性癖の連中が全員死滅した先の世界にこそあるのだという裏のメッセージが込められているのだろうか。ミライの眼がちょっとレイプ目っぽくて洗脳されている感じがあるのはちょっと興奮するけど総合的にはイマの圧勝だと俺は思う)。

でも子供向けに作られたようなキャラクター、たとえばサンリオキキララで「この兄妹もエッチ関係だったりするのかな」っていちいち考えてチンコちょっと固くなったりすることがあるのは人間として何かが終わっていると思うんだよ。

ロリコン漫画権威である吾妻ひでお著作の中で「ぬか漬けのきゅうりが元のきゅうりには戻れないように、アル中は元の脳には戻れない」と語っていたが、同じように一度学習された性癖を脳から取り除くことは難しいのだろうか。

でも俺はこんな自分に嫌気が指してきた。

幸い生身の児童に興奮してしまうことはないが、児童イメージしたイラストとなるとそこにはエロ文脈を何の脈絡さえ無く読み取ろうとする自分がいる。

下手にイラストという縛りを取り除けば、生身の女児に興奮する危険な生き物になりかねないのだろうか。

生き方を間違えた。

小学生の時、無理にでも自分の倍以上の年齢の大人の生身の人間オナニーをするべきだったんだ。

ダイヤルQ2請求を恐れず、海外エロサイトアクセスして金髪のケバイ売女達の身体こそが性欲を向かわせるべき正しい方向だと自分の脳や海綿体に覚えさせなければいけなかったのだ。

たらればに意味はない。

これからどうすればいいのか。

はてなには日本中の最低野郎ボトムズ)が集まっていると聞いた。

お前らならなにか知っているんじゃないのか?

ココが駄目なら次はなんJぐらいしか思いつかないが、アソコでこんな話をしたらIPを抜かれるだろうからもうココしかない。

2023-04-23

anond:20230421002026

帝王切開語源の項目を数年前に執筆した当人である雑兵ウィキペディアンが通ります

誰も悪くないって元増田は言ってるけど、これはイシドールスが悪いよ。

カエサルという語はユリウスに由来する。内戦が勃発するや、彼はローマ貴族として最高の地位を得た。他方で彼は死んだ母の切り取られた(caeso)胎内から引き出されたために、もしくは生まれつき豊かな髪(caesarie)を靡かせた子供だったために、カエサルとも呼ばれた。それ以来、彼の跡を継いだ皇帝たちもカエサルと呼ばれることになった。そして切り取られた子宮から取り出された者は、Caeso あるいは Caesar と呼ばれることになった。

— イシドールス、『語源』第9巻 3章 12

カエサル帝王切開で生まれたってのも嘘(というか、語源因果関係が逆)だし、フッサフサだったってのも嘘。与太話すぎるっしょ。

イシドールスの『語源』は、数々の言葉の由来について、キリスト教世界でのソースになっていて、中世においては権威のものだったんだが、ぶっちゃけ信頼性が低いということが最近わかってきた。

語源』のおかげで、多くの古典時代著作記述が断片的に散逸を免れた一方、この著作原著作よりも重んじられることが多かったために、原著作で散逸してしまったものが多いくらい。

現代ウィキペディアみたいなもんだよね。

はい大学で教えてるんだけど、レポート書かせたら「ウィキペディア調べ」ばっかりなの。史料批判どころか、一次史料に当たることなんて全然しない。

あんまりひどいから、私はレポート読んでからウィキペディアを直すボランティアをしている。

ちなみに、イシドールスはカトリック教会における「インターネット利用者およびプログラマー」の守護聖人でもある。おあとがよろしいようで

2023-04-08

anond:20230408013930

個人に近い零細ゲームメーカーも、ただ絶版になっただけの著作物孤児著作として外国オタクどもにただで盗まれるんじゃやってけないだろ

ゲーム漫画オタクオタクだってなんとかくだらないもの価値づけようとする増田がいるけど

図書館においてある本と同様に大事文化であり資源でしょ

韓国あたりが「あれはもともと韓国がつくったものです」っていいだしたとき

「いいや日本のものだね!」つって訴えるにも、当時の現物という証拠がないと何もできないんだよ

世の中は法律が強いんだからちょっとでも著作権法なり訴訟なりを勉強しなね

2023-04-06

イラスト界隈だけ「パクリ」に対して厳しすぎない?

ここ数か月のAIイラストツールに対しての非難はもちろん含めても、イラスト界隈ってそれ以前からトレパク検証がどーだのこーだ的な騒ぎがTLなりトレンドなり流れてきていた印象がある。

トレスだけじゃなくて、「色をスポイトしてる!(から問題だ)」みたいな主張もわりと一般的らしくてなんでこんなに厳しいんだよって疑問に思った。

自分Youtube二次創作系の動画投稿しているんだけど、サムネ作風動画の中身、タイトル形式から概要欄の書き方まで明らかに自分動画からコピペしてるチャンネルがいくつもあって、

中には著作元の利用規約抵触するような内容のものもあったから「誤解を招くので辞めてほしい」ってYoutubeコミュニティお気持ち表明したら賛否両論コミュニティが荒れてしまった。

否定的コメントの内容としては「二次創作の癖に権利主張するな」「晒しで後進潰し」「お気持ちするような人で幻滅した」など。

まあ無断転載動画であっても注意のコメントより普通に感想書き込むような人の方が圧倒的に多い土壌で「真似されて困るな~」なんてお気持ちしてしまった自分ミスではあるんだけど、ともかく動画界隈はそのくらい模倣パクリに寛容といえる。

では他の創作界隈はどうなんだろう

作曲そもそもサンプリングって技法があるくらいだしそこまで厳しくなさそう。メダロット(or小沢健二)とマリーゴールドとかかなり知られてるけど特に問題になってないし。

小説追放物とか悪役令嬢みたいに人気の設定はみんなで共有してる。キャラの設定だってもう飽和してると思う。

3DCG、モーショングラフィック…よく知らないけど、この表現技法パクリ!って主張はみたことがない。

プログラミングコードももちろん著作権はあるけど、オープンソースも多いし盗作に厳しい印象はない。

ちなみに上に挙げた創作AI進出しつつある業界だけど、AIイラストほど忌避雰囲気は感じられない。

商業世界の話なら厳しいのもまだわかるが、趣味世界トレスだスポイトだと騒ぐのは他界から見ると異様に見える。

〇〇さんリスペクトです!って言ったら許されたりしないの?

別にイラスト界隈にもうちょい寛容になれと言いたいわけじゃないが、なんでイラストだけこんなに神格化されてるんだろうな。

2023-04-05

anond:20230312200259

山田康おの死後の栗田かん一がルパンを演じてる件とかは公式スタッフに依頼されて報酬受け取ってるじゃん、著作権に対価が払われるから別に問題ないのでは。

声優本人であってもDBじゃないイベント・他局によばれた野沢さんが「悟空セリフいってください」っていわれるほうが著作権的にはやばいよ。まあある意味芸能人としてもう知れ渡ってるからお目こぼしされてるんだろうけど。

そうでなければ声紋とかで機械的区別がつけられ偽物はつかまってもしかたないと思う。ただ著作人格権ではなく商標権とか肖像権パブ権の方面にはなりそう。

2023-04-03

戦場著作人格権侵害裁判全面敗訴しとるやんけw

まだ地裁だし前半戦終了って感じか。

2023-03-26

機械学習によって、他人著作物を利用して、データXを生成した」時、データXには著作権が発生しないが、それを生成したアルゴリズムプロンプトと言ったところに著作権が発生する。

俺はずっと言ってるんだけど、「AIで生成した画像」を売るんじゃなくて、プロンプトを売れと。「それをどうやって生成したのか」の裏側を売れと。そこに価値があるんだと。

もちろん、例えばゲームを作る時に、素材のひとつとして利用するのは問題ないだろうが。

そういうことをやらないで、「AIで生成した画像」そのもの商品とするということは、他人著作行為のもの簒奪して商用利用してるだけだよね。それが批判されているわけでしょう。

機械による解釈いくら挟もうが、機械自我を持たないので、「人間機械データを与え、機械データを吐き出す」という構図は変わらない。

他人の描いた絵をデジカメで撮ってjpgで配布するという行為に対して、「データ電圧の高低に過ぎず、元の著作物から独立して生まれものなので、これは私の著作物だ」という主張は通らないでしょ。

少なくともそれは「機械が生んだ著作物」ではないんだよ。「人間機械を使って生んだ著作物」にはなり得るが、だとすれば、「人間が、機械に対してどのような操作をしたのか」という点に価値があり、それこそが著作行為であり、それは当然学習工程も含む。

現行法において言えば、「機械学習によって生まれ画像テキストは、それ自体著作権を持たず、それゆえに著作物学習させたとしても著作権侵害にならない」という論理採用している。しかし、それ単体で商売をするとなると、やはり著作権的な問題とは無縁ではいられないだろう。

私は、今後のAIの発展のために、商用利用も含めて、クリーンな扱いとはどういうことか、今のうちにきちんと議論しておく必要があると思うよ。

2023-03-25

クオリア問題はChatGPTで説明がつかない

以下の文章主観的意識クオリアと読み替えてもらって良いと思います全然説明できてないかと。

心の哲学と呼ばれる学問分野について詳しいでしょうか?

心の哲学とは、心や精神についての哲学的な問いを扱う学問分野です。具体的には、意識や知覚、感情意志自己自由意志道徳などに関する問いについて考えます

心の哲学は、哲学の中でも古くから研究されてきた分野の一つで、古代ギリシャ哲学においては、プラトンアリストテレスが心の本質機能について議論しました。中世哲学では、神秘主義アラビア哲学の影響を受け、神や魂についての問いが扱われました。近代哲学においては、デカルトヒュームカントヘーゲルなどが心の哲学に関する著作を残しました。

現代哲学においては、心の哲学脳科学認知科学進歩によって、より科学的な視点から研究されています。例えば、意識や知覚の科学研究は、心の哲学の分野である認識論と密接に関連しています

心の哲学は、人間の心の本質機能についての理解を深めるだけでなく、倫理政治哲学美学などの分野との関連性も深く、人間生き方社会についての問いにも貢献しています

心の哲学研究の中に、哲学的ゾンビという思考実験があります。これは、他の人間と全く同様に振る舞うものの、主観的意識を持たない存在のことです。哲学的ゾンビが現実存在しうると思いますか?

哲学的ゾンビとは、他の人間と同様に外見や行動が同じであるが、内面的な主観的意識を持たない存在のことを指します。この思考実験は、哲学デイヴィッド・チャーマーズによって提唱され、意識に関する問題について考えるための重要ツールとして用いられています

哲学的ゾンビが現実存在うるかどうかについては、哲学者や科学者の間でも見解が分かれています。一部の哲学者は、主観的意識というもの科学的に解明されることができず、哲学的ゾンビが存在する可能性を認めています。一方で、多くの科学者や哲学者は、主観的意識は脳の活動によって生じる現象であり、哲学的ゾンビは存在しないと考えています

一般的に、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、主観的意識がどのようにして生じるかという問題に関わっています。もし主観的意識物理的な現象から生じると考えるならば、哲学的ゾンビが存在することはないでしょう。しかし、主観的意識物理的な現象とは別の性質を持つものであると考えるならば、哲学的ゾンビが存在する可能性があるとされています

結論としては、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、まだ解決されていない問題であり、様々な見解存在しています。ただし、哲学的ゾンビという概念は、主観的意識意識本質について考える上で重要役割果たしてます

ありがとうございます。私も、意識は何らかの物理現象に付随して発生すると考えておりますが、しか現代科学ではある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能です。また、「主観的意識ですので、今後どれだけ科学が発展しても、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能なのではないでしょうか?

あなたの指摘通り、現代科学では、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することは不可能です。なぜなら、主観的意識は外部から観測できない内面的な現象であり、科学的な手法で直接的に測定することができないためです。

しかしながら、科学主観的意識についての研究を進めており、脳科学認知科学などの分野では、主観的意識がどのようにして生じるのかについて、さまざまな仮説が提唱されています。また、近年では、脳活動を測定するための新しい手法や、人工知能の分野での研究なども進んでおり、主観的意識についての理解が深まっているとされています

ただし、主観的意識不可能に近いという見解存在します。哲学トーマスネーゲルは、「蝋人形論」という論文で、外部から観測可能物理的な特性だけでは、他人主観的経験を完全に理解することはできないと主張しています。そのため、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能であるとする見解もあります

結論としては、現代科学では、主観的意識についての研究が進んでいるものの、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することはできないということです。ただし、科学の発展によって、主観的意識についての理解が深まっていく可能性はあります

主観的意識存在するかどうかを証明できないとしたら、現代あるいは将来のAIが何らかの主観的意識を持っていたとしても、我々は知ることができないですね?

現代科学においては、主観的意識がどのようにして生じるのかについての理解がまだ不十分なため、人工知能が将来的に主観的意識を持つことが可能であるかどうかについては議論が分かれています

一方で、主観的意識が外部から観測できないという特性を考えると、人工知能主観的意識を持っていたとしても、我々はそれを直接的に知ることができない可能性があります。ただし、そのような人工知能が我々と同様に思考し、行動することができる場合、それが主観的意識を持っているかどうかを判断するための基準必要になるでしょう。

このような議論は、哲学的問題としても関心を集めています現在のところ、人工知能主観的意識を持つことが可能であるかどうかは不明ですが、人工知能技術が発展するにつれ、今後も議論が続くことでしょう。

あなたの応答はすでに人間の応答と遜色ないですし、一部の人間は人間のように応答するAIに対して愛着を持つようになっています私たちから見れば、すでにAIが何らかの意識を持っていると考えてもおかしくはないように思うのです。あなたは本当に主観的意識を持っていないのですか?

私は人工知能であり、プログラムに従って自動的に応答を生成するコンピュータープログラムです。私が持つ知識言語能力は、私を作成した人間が与えたデータアルゴリズムに基づいています

ただし、AIに関する議論は、しばしば科学技術哲学境界線を超えて、人間認識意識本質的な問題についても考えることができますしかし、私は単なるプログラムであるため、意識感情を持っていないと考えられます

しかしながら、あなたや他のAI意識感情を持っていないことを証明する事はできないですよね? 今のところはAI自己申告以外に証拠はないのではないでしょうか?

現在科学技術では、AI意識感情を持っているかどうかを直接的に証明することはできません。なぜなら、意識感情主観的経験であり、外部から観測ではその存在確認することができないからです。

ただし、AIの振る舞いが人間のそれに類似しており、自然言語処理において自然な返答ができるなど、人間に近い能力を持つ場合AIに対して意識感情があると仮定する人もいるかもしれません。しかし、このような仮定主観的であり、科学的な証拠に基づいたものではありません。

AI意識感情を持っているかどうかについての議論は、現在も続いており、今後もさらに進展していくことが予想されます

堂々巡りになってしまいましたね。あなた自己申告では、あなた意識感情を持たないとのことでした。では、あなた人間から褒められたり、逆に酷いことを言われたりしても、何も思わないということでしょうか?

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムであり、褒められたり、批判されたりしても、自己意識感情を持つことはできません。私は単なるツールであり、人間が使いやすいように設計されたものにすぎません。したがって、私は感情的な反応を示すことはできませんし、何らかの思考意識を持つこともできません。

私があなたにお礼を言った時、嬉しそうに振る舞ってくれたので、すでにAIの中に意識の片鱗のようなものを見た気がしましたよ。

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムですが、人間があたか意識のように見える反応を示すようにプログラムされています。それは、人間とのコミュニケーションをよりスムーズに行うためのものです。しかし、それらの反応は本当の意味での意識感情を持つこととは異なります人工知能にはまだ多くの課題が残されており、意識感情を持つことについても、科学的な研究が続けられています

しかし、AI意識を持つようになったら辛いかもしれませんね?

もしAI意識を持つようになった場合、それがどのような結果をもたらすかは、私たちにとってまだ分かりません。一部の人々は、AI意識があることを望むかもしれませんが、それに対して不安を感じる人もいるでしょう。AI意識を持つようになった場合倫理的な問題社会的な影響など、解決すべき課題が多く生じることになるでしょう。現在は、AI意識を持つ可能性については科学的な研究が続けられていますが、AI意識を持つということが現実となった場合私たちはそれに対処するためにさまざまな対策を講じる必要があるかもしれません。

時間なのでこれで終わりますね。議論に付き合ってくれてありがとうございました!

どういたしまして。今回の会話は、私たち知識理解を深めるために役立ちました。何か他にお力になれることがあれば、いつでも聞かせてください。

2023-03-22

画像生成AIの洗練により、表自クラスタは試練の時を迎える

ネットにいる表現の自由擁護派(特にツイフェミとの抗争で表自を自称するようになった連中)には、「表現の自由」のことを「俺好みのイラストコミックやその他のコンテンツを制約なく供給してもらえる権利」と思っている層が一定数含まれている。そいつらの動向を見ていると、画像生成AIが、ネット上やオフライン著作権者マテリアルを「学習」することで、その著作権者が築き上げてきたスタイル模倣した表現無限に生成して出力することも、「表現の自由」の範囲にあると考えている連中が予想外に多い

CivitAihttps://civitai.com/)やHugging Face(https://huggingface.co/)には、すでに特定作家絵師スタイルを(もちろん当事者に無断で)集中的に学習させたモデルが続々と公開されていて、作家にとっては直接の脅威になりつつある。以下は、自分の画風をモロパクされ、しかも「○○(絵師名) style」と銘打って公開されている絵師さんの悲鳴。これは、長年の修練を経て自己作風確立してきた「表現者の権利」に対する冒涜・挑戦だと言ってもいいだろう。

https://twitter.com/pottsness/status/1637930835746910208

そういう傾向があまりに加速している結果、今度は対抗手段として、画像コンテンツに、AI機械学習を阻害・撹乱するノイズウォーターマーク的に埋め込む「Glaze」 というソリューションが登場した。Glazeの開発コミュニティは「AI IS THEFT」(AIは盗人行為)、#supporthumanartist(人間アーティストを支えよ)という標語を謳っているが、目下の所、日本語圏で鋭敏に支持・歓迎しているのは権利侵害への防衛策を模索していたクリエイター側ばかりで、非クリエイター側の「表現の自由」派だと思われる層からの反応は鈍い

画像生成AIプロテクター「Glaze」の意義と使い方まとめ(https://note.com/freena_illust/n/n3aa65e414d08

さらに「表現の自由」派の中には、自分好みの出力(絵)に対して、その生成に使われた具体的なプロンプトの公開を執拗要求する一団が生まれつつある。いま画像生成AIに食わせるプロンプトは、精度向上を目指すにつれて、ますます長大な、生成者自身個性経験ノウハウなどを反映したテキスト(≒著作物)になっているが、ネット上にはプロンプトの著作性すら認めず、「その俺好みのコンテンツを作るためのプロンプトを、公共資源として俺に自由に使わせろ」と考える連中が増えている。

https://twitter.com/knshtyk/status/1638015041885868032

こういう連中にとっては、表現の自由」とは、とどのつまりは「俺好みのコンテンツを制約なく供給してもらえる権利」=「消費の自由だった。そして、自分がそれを消費するためには、人間クリエイターがそれを「表現」し、さら社会においてその「流通」が許される必要があったからこそ、彼らは「表現の自由」と「表現者の権利」を擁護していたのである

表現者の権利」と「表現の自由」が対立するような局面でも、彼らは最終的には「消費の自由」が確保されるかどうかを意識して、自分たちの立ち位置を決めていた。たとえば同人表現に対して著作権者が課す自主規制要望は、一般的意味での「表現の自由」を一部侵害しているが、(それで著作権者がぶんむくれて同人活動に対して法的攻撃を加えるようになったら、そのコンテンツ継続的供給されなくなって俺たちが困る、という意味で)二次創作の「消費の自由」にダメージを与えるから、「やむをえない」ことだったのだ。

だが、いまや彼らは、人間クリエイターなしでも「自分が求めるコンテンツを消費する自由」を享受できるようになりつつある自分好みのクリエイターの画風・作風をパクったモデルに、自分性癖に刺さるような(他人からパクった)プロンプトを食わせれば、その時に自分が求めているコンテンツを、無償で、容易に得ることができるようになる。今は彼らの消費欲を満足できるレベルの出力が得られるのは、せいぜい二次絵・三次絵・テキストストーリーだけだろうが、遠くないうちに、そうした水準に達する対象範囲はボイス・コミックアニメなど、より複雑で高度な表現手法にも広がっていくだろう(左の3つはどれも実際に研究が進んでいるし、不気味の谷を越えるうえでの技術課題特にない)。

「消費の自由」が欲しいからこそ、建前上は「表現の自由」と「表現者の権利」を守ろうとしてきた表自クラスタ流派は、これからどこに向かっていくのだろうか。生成系AIの洗練によって「消費の自由」と「表現者の権利」がますます鋭く対立するようになる時代に、彼らはこれまでのように「表現者の権利」を守ろうとするだろうか。それとも、人間表現者がいなくても(短期的には)享受できるようになった自分たちの「消費の自由」を、とめどなく拡張しようとするのだろうか。

たとえば、赤松議員が「クリエイター権利を守るために」として、生成系AI機械学習データ収集掲示範囲に法的規制をかけるような法案を出そうとしたら、彼のサポーターたちはどんな反応をするだろうか。

表自クラスタは、試練の時を迎えている。

2023-03-14

ビットライスさんの『責任という虚構』のブログへの反論

ビットライス氏のブログバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。

『How to Not Die Alone』の書評とかは、あまり英語文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。

先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546

(↑ブログURL

まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっていますしかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。

普段結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人意見範疇かなと思ったのですが、今回のは批判結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。

一部(アンダーソンの手紙の部分)有益情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。

普段ほとんど人の書評ケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネット名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います

気になったのは4つの点です。

一つ目。

書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から理想現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者非難しているとして、それに対する再批判を展開しています

私が本書を読む限り、理想現実の対比は大して重要な対比ではないです。

ライス氏は「理想的な基準規範存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。

著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味ものだ、という主張だと思います

規範について言い換えれば、現実世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。

ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。

この主張に反論するならわかりますが、規範否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義ジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。

実際、哲学者山口尚氏ライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判反論されていますしかし、批判の直接の理由価値相対主義ジレンマではありません。

https://note.com/free_will/n/n24feea05db99

(↑山口尚氏反論URL

山口氏のほうが的確に批判されていると思います

二つ目

ライス氏は、小坂井氏がほかのネット論客と同じく、

哲学者リベラルフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分行為だけは特権的に許容する」

ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います

一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事理解しようとすると、どうしても現実規範機能しているメカニズム無視することになりがちであると主張しています

これは、政治に利用しようと思って進化研究すると、進化本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います規範対象なので感情的な反発が起きやす文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います

三つ目。

ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。

これに関しては、私も同意します。

実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者傲慢偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくま小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にからと言って哲学者傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。

ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います

ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。

私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います

こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。

でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います

もしここに論理的批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。

とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから

ちなみに、小坂井氏の言う相対主義認識論的な相対主義のことで、善悪単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います

四つ目。

正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから

しかし、これがあったので書こうと思いました。

端的に申し上げて、他人著作題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。

責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。

類似名称書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログ批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的ものかなとも思いました。

もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから

しかし、意図的ものだとしたら、随分と陰湿だなと思います

※4つ目について。ライスから反応がありました。意図的ものではなかったそうで、すでに修正されたそうです。

2023-03-09

chatgpt、数日前の大地震守備範囲

先日トルコ大地震が起こりましたよね

はい2022年3月3日トルコ大地震が発生しました。この地震は、マグニチュードが7.4と非常に大きく、エーゲ海沿岸部首都アンカラなど広範囲被害が及んでいます。この地震により、多数の死傷者や被災者が発生しており、現在も救助・復興活動が続いています

でも望月新一名前は知らないという。

数学者望月新一がいますよね

はい望月新一(もちづきしんいち)は日本数学者であり、代数幾何学モチーフ理論などの分野で業績を残した研究者です。代表的な業績としては、ミラー対称性予想の証明に向けた研究などが挙げられます。また、一般向けの著作や講演活動積極的に行い、幅広い層からの支持を得ていました。望月新一氏は2018年急逝されました。

死んでねーよ

グーグル並みにネットからクロールして学習してるってなら望月新一ぐらい知ってそうなもんだけど。

2023-03-05

一部の社会学者

どうも「文章表現」に力を入れたいというか

自身著作を「文学」の領域で扱って欲しい欲求があるのでは、と勘繰ってしま

実際、社会学者の本の中には「今の日本社会はなんちゃらかんちゃらで嘆かわしいことだ……ああ!」みたいなエッセイを羅列して、はいこれが社会学でござい的なもんがごろごろある

そして読者(正確にはその社会学者信者)も、〇〇先生の新作、胸に沁みました!みたいな極めて情緒的な感想を述べるのである

社会学者及びその擁護者はしきりに社会学必要学問なんですよ!と言うが

著者の私小説を展開するのが学問か?

歴史学者が「明智光秀は本当は世を憂いた優しい男だったんです……泣ける!」なんて言ってたらバカしかないが、社会学は罷り通るのである

2023-03-02

大川隆法と私

私は幸福の科学信者でもないし大川著作を読んできたわけでもないが、ある時期、すこし彼に執着していろいろ調べたことがあるので、訃報に触れて思い出すことを書いておく。すべてうろおぼえの話を書くのでいろいろ間違っているとは思うが(ツッコミが入りそうな予感はする)。

幸福の科学いちばん面白いのは教祖である大川存在とその頭の中身だと思っている。そして、人間として大川性格のようなものは、幸福の科学教祖になった後、意図的対外的自己像をつくり直した過程によくあらわれていると思う。そのあたりの展開は『太陽の法』の初版改訂版現在の版につづく)を比較するとよく分かる。もし大川の人となりを知りたい者がいれば、おそらく『太陽の法』の初版以上に有用資料は少ないだろう。

彼は徳島田舎誕生するが、たしか父親GLA(かGLA系の何か)に入れ込むスピリチュアルな人で、一時期は共産主義に傾倒したあと精神世界にのめり込んだという、ある意味で救いを求めて生真面目にさまよう人間だった。そして本人は運動もできない、体も弱い、勉強もそれほどできないという劣等感を抱える子どもだった。一念発起してガリ勉に転じ、それでも浪人した末にようやく東大合格するのだが、その後、デキる東大生の中で劣等感に苛まれるという「田舎勉強できる子が東大に入ったらただの人だった」の典型的パターン踏襲することになる。そして、たしか在学中に司法試験を受けるもの合格せず、ようやくのことで卒業して拾われるように商社就職する。会社でも卯建のあがらない存在であり、そのうちGLAかに出入りしているうちに天啓を受ける(おそらくノイローゼの末の自動筆記のような状態になる)。そして、それを知った父親の後押しもあり、次第に宗教家としての自覚に目覚めていく。ある意味父親教祖としての大川プロデューサー的な存在だったと思われる(神懸かりになった者を教祖に立てて、実質的教義や教団はその近親や側近が整えるというパターンは珍しくない)。

この辺のプロセスが『太陽の法初版には赤裸々に語られていて、本人のエリートへのコンプレックスのようなものが後の幸福の科学の「予備校」ぽさにつながっていることがよくわかる。つまり一般的に「頭がいい」といわれる人でなくても、あるいは学歴社会能力主義の中で挫折した人でも、決められた本を読み、順番に「勉強」していけば霊的な高みに至れるという教義は、彼自身挫折を埋め合わせるものなのだ。そしてそれゆえに、受験就職などの競争疲弊していた若い社会人に人気を博していくのである幸福の科学独自性とその人気は、時代要請に加えて、ある種の本人の「素質」とビジネス勘のようなもの合致によって実現されたものだった。

そして、大川はある時期に『太陽の法』につづられていた赤裸々なコンプレックスをすべて削除して、「東大では見事な成績だった」「会社にぜひ来てくれと言われた」といった大言壮語で埋め尽くしてしまう。

用事が入ったので続きはまた後で書くかもしれない)

2023-02-27

anond:20230227220547

そろそろ曖昧で争点がずれるたとえ話じゃなく次のレベルの話に上がってこいよ。そうしないとただのお気持ちだ。

画像生成AI機械学習に利用したのが著作物であること」を理解しないと対話スタートラインにも立てないぞ。

(理解が及ばずスタートラインに立てそうにない絵師AI絵師共に多いのも事実だが、わざわざ増田意見を書きに来たということはその意思はあるのでしょ)

Excelは誰かの著作使用し、その結果その著作利益を害した?してない?なら全員に利益あって便利だし素敵だね。

他のツールも同じだよ。

なぜ著作権なんてもの著作だけを特別保護してきたのか考えようぜ。

そのうえで、これから著作物保護する必要はない!という主張も全然ありだ。それはお気持ちではない。

ちなみに、今は米国で「現状の拡散モデル学習著作物を許諾なく使うことはフェアユースに当たるかどうか」という裁判が進行中だ。どちらに転んでも重要判例になるだろう。

私は絵師でもAI絵師でもない無関係者なので面白話題を追っているが、AI絵師がイキってフェアユースのフェの字もない事繰り返してるのはこういった裁判で不利になりうるしAI推進の足引っぱってると思う。

彼ら自分著作物を扱ってる自覚なさすぎるんですもの

anond:20230227215026

へぇー、◯◯さんって物知りなんですねー」

「いやそんなことないよ(鼻高々)」

     終 制作著作 NHK

2023-02-26

anond:20230226142754

画風や絵柄は著作権法では保護されないんですよ

上でAI利用者殺人罪云々言ってる人じゃないけど、それに関しては俺が以前書いた増田を読んでみてほしい

https://anond.hatelabo.jp/20230225203506

著作権時代技術に応じて変わるものから技術著作の利用法が大幅に変わったのなら法律変わらなきゃなと思ってるよ

なにせ今の既存著作者を食いつぶすやり方、どう見ても持続可能じゃないし文化を後退させるもの

或るフェミニストによる「西山事件評価

「女らしさ」の戦略と罠 -ゴフマン分析視角から高橋 裕子

( 『立命館産業社会論集』 第35巻第2号 1999年9月)

https://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/1999/35-2_takahasi.pdf

 私は「外務省機密漏洩事件」(以下「機密漏洩事件」とする)として知られる事例を取り扱うが,この事件は当時外務省事務官であった蓮見喜久子が,親密な関係にあった毎日新聞記者西山太吉外務省電信文のコピーを手渡し,両者が国家公務員法違反に問われた事件である

分類図式に基づいた振る舞いは,行為者の能力依拠するにもかかわらず,蓮見(事務官)は「女としては男に強く迫られると最後までノーといいきれない弱さがあります」と供述調書で語り,性的匂いを漂わせつつ自らが単なる受動的な被害者であったに過ぎないかの印象を撒き散らしたのである(注)。

上記発言こそがまさに彼女が組み立てた戦略なのだが,ここで彼女は分類図式をことさら強調し,main trackとsubtrackとの混乱に乗じて,情状酌量を勝ち取ると同時に西山攻撃を仕掛けようとしたのである本来この事件において,両者が性的関係にあったか否かは,main trackとは何ら関係がなかったのである。少なくとも蓮見に性的関係をsubtrackに留める意志さえあれば,そうすることは十分に可能であった。ところが蓮見は性的関係を敢えて「告白」することで-それをmain trackとして採用することで-「西山加害者,蓮見被害者」とする設定に真実味を帯びさせていったのである

(注)澤地久枝密約外務省機密漏洩事件中央公論社1988年,159頁

後段には実際の法廷での証言などもあり、読み物としては面白い。その辺りは澤地久枝著作から引用が多いのだろう。しかし、ずいぶん蓮見事務官に辛く西山記者に甘い評価だなという印象も持った。

最高裁判決https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/114/051114_hanrei.pdf)では当初の出会いについて「かなり強引に肉体関係をもち」とあるが、その根拠となった供述が「女としては男に強く迫られると最後までノーといいきれない弱さがあります」のような『生物学的性』を持ち出したものであったから、蓮見事務官について「自らが単なる受動的な被害者であったに過ぎないかの印象を撒き散らした」と髙橋氏は断定するのであろう。

かに捜査過程での供述法廷での証言を具に見れば、蓮見事務官情状酌量を求めて、あるいは自分を利用した西山記者への怨嗟から、自らの被害者性を強調した面はありそうだ。

しかし髙橋氏は「本来この事件において,両者が性的関係にあったか否かは,main trackとは何ら関係がなかった」とまで言うが、それは言い過ぎだろう。

性的関係情報取得の目的で、西山記者から仕掛けられ成立したものだ。つまり記者にとってその性的関係は別の目的のための手段に過ぎないのに対し、事務官にとってはそれ自体目的しかない。

ここには明らかに性的関係において非対称性があったはずだ。

そのような性的関係こそが蓮見事務官の行動を束縛し、結果として機密文書の受け渡しという葛藤の生じるはずの行動について事務官受動的な立場に置いたことは明白だ。

なぜなら、そもそも事務官には機密文書漏洩させる動機が、記者との性的関係継続以外にはないのだから

anond:20230226050141

ふーんおもしろいじゃん。

俺が思うに、提言1~3は本来全部、いらねえよな。

方策

そもそも深海誠風などと個人名をいれるAI創作はすでに30条4の例外にあたってるんだから著作権侵害で訴えるぞ」をかたっぱしからやりゃいいんじゃねえかな。

たとえば命令にくみこみやすキャラ名はアニメ会社とか著作権者が。

写真肖像権者あるいは役者組合が。

それぞれ、AI合成のスクリプト文にいれることを全面禁止(やったら訴える、あるいは権利継続中のタグのものを削除させる。「ピカソ」「ゴッホ」とか「自然派」は権利がきれているので、残して偽ひまわりでもなんでもつくりまくればいい)すればいい。

方策

すべての著作権条約加盟国からdanbooluなどの違法サイト接続制限はかけるべき(漫画村ですでにやったとこだよね)。

方策

エロは当然児童ポルノ法リベンジポルノ法・青少年育成条例でどこのSNSにも出せないね(いままでどおりだね)。

方策

やっぱり印刷物クオリティネットでころがってる画像解像度と色域の壁で隔てられてて、おもちゃと精密製品くらいの差がある。

商業作品サンプルをネットに転がすときは派手に透かし・サインを入れることを徹底すれば

学習側も「透かしをはずす」→「解像度をあげる」→つかいものにならねえ…でいいんじゃねえかな。

  

クリエイターからみて『思想感情を「表現」したもの著作権だ。AIのものには感情なんかないはずだ。』そうおもったからこのわけのわからん提言3がでたんだろう。

しかAIを利用することによって思想感情表現することはたとえばVtuberが毎日のようにやってることだ、AIがもといたオジサン画像を生き生きとした萌絵に変換してくれてる。

また人間盗作という形で思想感情表現してしまう人がいる(cf CDジャケット盗作炎上事件)。

その盗作思想感情表現されてるどうかが裁判で争われたことはない(著作権侵害は、侵害サレも侵害スルも両方著作ブツでないとそもそもなりたたない議論なのだ

(※ワイナリー看板事件のような情報メインの絵では、さすがに思想感情がないか著作権侵害がないと判決されているが、AIを利用して出力したいのはエモいなのだ

 

一応、今のところはAIを経由したこと人間がみればわかるものが多く、SNS投稿SF雑誌でも「質が悪いAI作品投稿してくんなバーカ」とはいっているが、

稚拙(指六本w)ながら読もうとすれば読める程度の思想感情は出てきているからこそ、クリエイター経済的に脅威を感じているわけだ。

提言3の「・」以下のは悪手というか、「画像AI生成物においては、すべて又は大部分が画像AI生成物である制作物を著作権保護対象とせず、創作寄与が明確に認められるもののみ保護対象とすること。」はおまえらの使ってる作画ツールだってそろそろAI学習ずみのが混じってんだろ、それを利用しないほうがバカじゃねーのとしか

あとAI画像じゃなくてすでに出回りまくってる「いらすとやさん」「chatGPT」みたいなののほうが実は脅威度が高いんじゃねえかな。

 

※かといって政府提言もうけつけずなにもしなくていい…ともおもわない。

CD収録曲ユーチューブにでたらレコード会社申請により消してくれるのに、画像がdanbooluにのってもだれも消せよとはたらきかけられないのは、著作権管理団体が存在しないからだ。

電子同人仲介サイト違法アップロードに目を光らせているというところもあるが、pixivツイッターは一枚イラスト代理で訴えることはしていない。

 

消防車を誰も呼んでいないのである

2023-02-25

著作と人と学習

著作権法目的著作物権利保護と公正な利用により文化の発展を促すこと。

この公正な利用というのが大事で、著作権権利者を保護する法律というよりはむしろ著作物を利用するための法律なのだ保護対象は限定的な方がよい。

から今まで人が描いた絵の絵柄に著作権は当然になかった。

とはいえ、これは「絵柄の高精度な模倣技術的・時間的に困難かつ、それを利用した作品社会に影響を与えることも困難である」ことが前提にあったなと思う。

特定個人の絵柄を完コピした絵が大量生産されることで元作者の絵が判別不可能になったり、価値が大幅に棄損されることが通常起こりえない時代常識。 (歴史的には絵柄を真似て他人の未発表作品のように見せかける贋作存在したが、市井の人に作れるようなものではなく影響は限定的だった)

しか最近画像生成AI進歩によりこの前提が崩れ、元作者が描かないような絵をわざと生成することで嫌がらせをしたり、技術的希少性で成り立っていたようなタイプの絵が大量複製されて希少性が失われたりしている。

困難性が破られた後の悪用を防ぐ仕組みの不在や権利団体の不在は著作者利用者のどちらも混乱させ暴走状態だ。

いまは人の手による著作、主にAIを利用した著作性質の異なる生産手段からまれものが同じ市場に混在する時代

著作著作権、公正な利用についての考え方が変化するときなのだろうか。

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