はてなキーワード: 立身出世とは
あらすじ:
1920年、インドの民はイギリスの植民地として圧政に苦しんでいた。
森で生活するゴーンド族の少女マッリは幼いながら卓越した芸術センスの持ち主で、村を訪れたイギリスの総督一向をもてなしていた。
しかしそれが仇となり、総督の妻に気に入られ無理やりデリーに連れ去られてしまう。
ゴーンド族は温和な民であったが仲間に危機が訪れた時、虎にも屈せずに仲間を助けると噂される羊飼いという存在があった。
羊飼いの青年ビームはマッリを救うため、仲間と共にデリーへと向かう。
そして時を同じくして、インド人でありながらイギリス政府の警察官として内なる炎を秘めて立身出世を目指すラーマの姿があった。
ビームとラーマはひょんな事から強い絆で結ばれ、互いを兄弟同然に呼び合うほどの親友となる。
はたしてビームはマッリを救い出すことができるのか?
イギリス政府に忠誠を誓い職務を遂行するラーマの本当の目的とは?
総評:
そもそもだが、異世界転生ものの主人公はどちらかといえば学者、研究者気質な人物が多いと思うのだけど。
地球なめんなファンタジー系…とはちょっと違うかもだが、現実世界での知識の持ち込みで立身出世が王道パターンだろ?
で、大体の場合、「その知識ってたまたま知ってるか?」という専門的なものもまま出てくる。知識だけならまだしも、知識を披露した後は現地のありもんで実用可能レベルの何かを作成する事が基本なわけで。
これをたまたま巻き込まれた人間がやるという点についてフィクションだからで片付けるとしても、必然性があるかで言えば元々学者の方が納得できる。基本、みんな理屈っぽいし(それこそ読者をついてこさせる為に仕方ないのだが)。
日本人にとって間違った欧米人の価値観であるセクハラなるものが導入されたあたりで完全に日本女性の性欲は拗れてしまったのだ。
本来女性の性欲は痴漢や職場でのお触り行為で適度に発散されていたものである。
昭和時代に作成されたドラマ・映画を見てもらえばわかると思うが、
部長課長役の男性がお茶くみの女性のお尻にタッチしてそのことを女性が喜びながら怒るというのは定番のシーンである。
女性というのは性欲があることや性欲を満たされることに対する喜びを素直に表現できないものである。
これは様々な要因によるものがあるが基本的には金銭に換算できるような対価を要求できることを無料で男性側に提供することに対する不条理に対するものである。
という矛盾により発生する不条理に対する無意識の不満によるものが
その間には女性も普通の生活の中で性欲を発散することが出来平和であった。
しかしながら1990年代前後に米国からセクシャルハラスメントなる概念が導入されることになる。
その原動力になったのはフェミニストと呼ばれるようなある種の主義に凝り固まった人々が社会運動化することにより自らの立身出世に役立てようとする活動によるものである。
わかりやすくいうと
セクハラをバズらせて
ある価値観を提供されると、本来的な自分の気持ちを差し置いても、その価値観そのものに自分の意志を委ねるということをする。
セクハラ、という概念が紹介されたときに一様に昭和の人々は困惑した。
あまりに日本人には馴染みの薄いバター臭い欧米人の極端に個人主義を発展させた上での屁理屈のようなその理論と、
その主張を声高にする人々の本音のようなものが薄ら見えて気味悪く感じられたのだ。
しかし、人はひとつの目新しい価値観を提供されるとその正否は別にして、ただ新しいと言うだけで魅了されるものでもある。
とくに若い人々、当時の自らの性欲の発散のさせ方をよく理解できていない女性にとってはそうであった。
本来、適切なタイミングで行われる痴漢やお触りは喜ぶべきスキンシップであった。
大人たちはそのことをよく理解していたし、だから社会的に黙認されていたことであったのだ。
この場合女性の適度な性欲発散を社会的に容認するというやや風俗的に如何なものか?
と問われる部分においても柔軟に解釈して女性の喜びを保持するべきであるという社会的なやさしさがあったのだ、昭和には。
しかし、そのことを理解する前に新しい概念を吹き込まれた女性たちは、
自らの欲望と、ある種の屁理屈のような主義主張にとの間で葛藤することになる。
それが警官のコスプレをしながら、痴漢待ちをする、というような第三者から見れば摩訶不思議な行為によく現れている。
本質的に痴漢待ちをしたいという強い願望を持つのが女性であるが、
拗らせたきった間違った価値観を後天的に学習してしまったことと、
まるで痴漢をされるのが「損」であるなどという自らの首を締めるような考え、
自分で自分を鎖で縛るような考え方に染まりきってしまって最早身動きがとれなくなっている。
年齢
顔認証と年齢確認のためにマイナカードをかざすようにすればよいのである。
本質的に自分たちの行動が間違っていると気づく端緒にもなるというのに
今の運用方式では、ただ単に一般車両よりも空いているから、という理由で使われており
それがゆえに廃止すべき女性専用車両の廃止すべき理由が意識されないのである。
ここまで書いても理解できない人は多数いることはわかる。
人々の価値観をコントロールするというのはそういうことなのだ。
子供の頃はなんでも新鮮で、どんなことにも人生や価値観を動かされてたし、体力も集中力も執着も今では考えられないくらい強かったから、そりゃもう毎日、毎時間、刺激的だった
でもまあ、そんなのは二十歳くらいまでだ
二十歳になると色々わかってきてしまうし、そんなに毎日ワクワクして生きることは出来ない
そのかわり二十歳からは、夢を叶える的な、自分が立身出世して、世の中から一目置かれる存在になりたい、歴史に名を残したいみたいな使命感?で、色々と頑張れたし、それが楽しかった
ところが、結婚したら、自分のブランディングのためにだけ時間を使えるわけではなくなり、人類のためよりも妻や子供のために時間を使うべき立場になってしまった
そして、もうそろそろ40歳が見えてきているこの頃、自分の能力で叶うもの、叶わないものはもうわかってしまったし、もし死ぬほどがむしゃらに頑張れば殻を破れたとしても、もうそんなに命を削って頑張る気力も体力もない
そうなると、全てが虚しくて、全てが楽しくなくて、もはや惰性というか余生というか、そんな人生になりつつある
そんな状況になってようやく、ああ、結局は人の人生で1番価値のあることって、セックスなのかなという境地に達した
生殖するために生のバトンを今たまたま自分が持っているだけなのか、と
まあ3か月に1度くらいしかできないのだけどね
■序文
本稿は戦前の天皇のインナー・サークルとしての宮中グループに焦点をあてながら、昭和平成史を読み解くことを目的としている。宮中グループは宮中側近グループなどとも呼ばれ、これまで定義としてあいまいさを残してきた。本稿では宮中グループを宮中側近にいた政・官・軍を含めたエリート集団と位置付け、これまで一括りに論じられることが多かったこのグループを牧野伸顕中心の「薩摩系宮中グループ」と木戸幸一中心の「長州系宮中グループ」に切り離し、対比している点を特徴としている。薩摩系宮中グループは皇室との関係においては貞明皇后、秩父宮夫妻、高松宮との結びつきが強く、昭和天皇の母君である貞明皇后のインナー・サークルとも言える。また、彼らは英米のエスタブリッシュメントと戦前から深く結び付き、親英米派として国際協調を重視した自由主義者であり、英米から穏健派と呼ばれた勢力である。このため皇室と英米有力者との仲介者として宮中外交を支えた。英米との接触の中で宗教的感化を受けてクリスチャン人脈を多く抱えていたことも特徴としてあげられる。その歴史的な背景はザビエル来航450周年を記念して建立された「ザビエルと薩摩人の像」(鹿児島市ザビエル公園)が象徴している。これに対して長州系宮中グループは昭和天皇のインナー・サークルとして昭和の戦争を主導した勢力である。岸信介や松岡洋右を仲介者に陸軍統制派と手を握りながら戦時体制を築いた。単独主導主義的な強硬派と見なされることも多いが、アジアの開放を掲げた理想主義者としての側面もある。戦前から靖国神社が彼らの拠り所となってきたことは、靖国神社にある長州出身の近代日本陸軍の創設者・大村益次郎の銅像が見事に物語っている。かつては「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあった。地政学的に見れば前者は海洋勢力、後者は大陸勢力となるだろう、また、明治期に医学を教えたドイツ人医師・エルヴィン・ベルツは、日本人を薩摩型と長州型に分類し、それらが異なる二系統の先住民に由来するとしながら、薩摩型はマレーなどの東南アジアから、長州型は「満州」や朝鮮半島などの東アジア北部から移住した先住民の血を色濃く残していると考えていたことも興味深い(『DNAから見た日本人 』斉藤成也・筑摩書房)。前者は縄文人、後者は弥生人の特徴を残しているのだろうか。大陸からの渡来人によって縄文人が日本列島の南北周縁に分散したと考えることもできるだろう。本稿では明治維新の内乱の過程で賊軍の汚名を着せられた武士階級の出身者やその子孫が数多く登場する。薩長藩閥によって立身出世が阻まれながらも、佐幕派は賊軍の汚名を晴らすべく、ある者は語学力を身につける過程でクリスチャンとなって薩摩系宮中グループに接近し、ある者は軍部を率いて長州系宮中グループと手を握り、またある者は共産主義に傾斜していった。特に陸軍の悲劇は、勝てば官軍の東京裁判で再び汚名を着せられたことだろう。しかし、勝てば官軍は世の常であり、その最たる例が靖国神社の原点にあることを再びここで取り上げる。日本の敗北は長州系宮中グループの敗北も意味した。薩摩系宮中グループは戦時下において悲しいほどに非力であったが、戦後、英米から選ばれし穏健派エリート集団として勝ち残ることになる。薩長の明暗を分けたのは情報力の差である。これは未来永劫語り継ぐべき重要な教訓である。戦後、薩摩系宮中グループの流れを受け継いだ吉田茂は、元祖「反ソ・反共」として、「経済優先、日米安保重視、軽武装、改憲先延ばし」の吉田ドクトリンを掲げて保守本流を築いていった。この吉田はカトリックとして本流らしい最期を迎えた。この吉田一派をポツダム体制派と見なし、反吉田旋風を巻き起こしながら、見事に復活したのが長州系宮中グループを受け継いだ岸信介である。岸も賊軍の汚名を晴らすかのように国際政治の舞台に復帰する。元祖「反ソ・反共」に対抗して、統一教会などと「勝共」を掲げたが、所詮保守傍流に追いやられた。平成の時代になって「政治優先、対米自立、再軍備、自主憲法制定」を柱とする岸ドクトリンのたすき掛けリレーが小泉純一郎によって再スタートする。そして今、第一走者の小泉純一郎から第二走者の安倍晋三へと受け継がれた。安倍の背後にはさらに強力な第三の男も控えている。この3名すべてが岸及び岸の同志につながる家系である。
立身出世してサラリーマンになって故郷に錦を飾るというのが当時の日本社会の夢でした
だから、当時の資料をまとめた本を読むと、根本的には日本人ってあんまり変わってないというか
少なくとも知の探求って感じでは全然ないw
田舎から汽車に乗って上京して帝国大学へ入って出世する、これが夢の時代でした
「偉くなる」というのが目標なんだよね
勉強する内容は寧ろどうでもよくて…
問題があるとするなら、試験内容がどんどん試験のための試験みたいになり、
受験勉強に特化したテクニックみたいになっていった面があるとは思う
ほぼ全員が高校進学するなら、それに合わせて問題をいじらないと、それに合わせて教科書をいじらないと、みたいに自然となっていってしまう
結局、三角関数はクソ知識、みたいな意見の背景にはコンプレックスとか感じられて、
それを醸成したのは学校教育とか日本の企業、日本社会の常識とかシステムの問題だと思う
中身の話じゃなくて、世間が悪い
おカネにならない知識を排除しよう、みたいな考え方になるぐらい貧しくなったんだとも思う
沖縄でやんちゃな少年たちの一般社会への再接続をサポートをする仕事をしているのだけれど、沖縄の若者文化というか何と言うか、端的に言えば不良少年たちは沖縄の独立を望んでいない場合が大半だ。
現在沖縄の若者は米軍基地が非常に身近なためかファッションから音楽までアメリカ由来のHIPHOPスタイルを非常に好み、沖縄の米軍関係者を親に持つアメリカ籍少年たちとコミュニケーションを取って生活をしている(ここで言うコミュニケーションは血を伴うものも含む)。
つまり、アメリカのバッドボーイズ/バッドガールズスタイルを日本の不良スタイルへと集合させた本土とはちょっと違う不良スタイルへと昇華させている。
アメリカのスクールカーストが稀に話題となるけれども、バッド少年たちはスクールカーストへ組み込まれていない例外層であり、何故かと言えばバッド少年層と喧嘩になれば拳銃が出てきたりして子供同士の喧嘩とはまったく言えなくなってしまうからである。
だから最上位であるジョッグやクイーンであってもバッド少年層とは距離を起く。ジョッグやクイーンが最終的に求め憧れるパワーとはヒーローのパワーであり、バッド少年が求める文字通り何にも縛られない自由になるためのパワーなので求めるパワーの質が違うのだ。
そうアメリカ籍の少年から聞いた。
はてなで話題になる沖縄の話と言えば、米軍基地と沖縄独立を絡めたものであるが、はてなで取り上げられスターが付くブコメにはかなりの偏りがあるし、おそらく・・・というよりはほぼ確信的に沖縄の大部分の若者から支持が得られないものだったりする。
少なくとも沖縄の若者からすると米軍基地へ直接雇用されれば安定職だし、出入り業者へ就職してもそこそこ良い待遇を得られることが確定する。
それ以外の就職口の大半が沖縄は3次産業ばかりが発展してしまった土地柄なので観光のための施設店舗を作り整備する土建業か、観光飲食そのものを扱うサービス業なので低賃金なのだ。
つまり、沖縄の若者からすると割の良い就職口である米軍関係を沖縄の外へ出すなんてのは害悪以外なにものでもなく、口々にその手の話にはほぼ間違いなく一笑に付してしまう。
はてなの一部の人には微妙な感情を持つことになるだろうが現代の沖縄で「少年から大人になる≒就職口として米軍関係を検討する」ということを意味する。
それでも米軍関係者による暴力事件がという考えが巡ってしまう人も居るだろうけど忘れないで欲しい。沖縄のやんちゃな少年たちの存在を。
今さら沖縄在住の人に説明するまでもないことだが、知らない人へ説明するならば「不良というものへどういうイメージを持っているか?」をまず考えて頂きたい。
私は不良のイメージの一部に「不良は大人に迷惑を掛けるもの」というのがあるし、多くの人もそうだろう。そして「沖縄では迷惑を掛ける大人の対象に米軍関係者すら含まれている」としたら察しはじめる人も出てくるのではないか。
沖縄発の犯罪事件の報道には偏りがあるのはご存知だと思うし、米軍関係者による無意識なアジアへの差別思想ももちろんあるだろうが、あれだけ成人式で騒ぐ沖縄のやんちゃな少年たちがなぜ普段から報道されず、警察により行き過ぎた取り締まりなどセンセーショナルなことがないと取り上げられないのは不自然だと思わないだろうか?そう偏っているのである。
一部の沖縄県警や一部の米軍関係者が沖縄の若者へ当たりが強いのは、そういったやんちゃな少年たちの存在が少なからず関係していると言って良いし、米軍関係者が暴力事件を起こしたとき何故か喧嘩相手の詳細がわからないのはその喧嘩相手は実はそういうことなのだ(少年法の絡みや報道慣習・自主規制もあるだろうけど)。
ほかにも米軍の治外法権の絡みから、何らかの事件を沖縄内で米軍関係者が起こしたとき捜査権は事実上早い者勝ちになっちゃってるというのもある。
本土の人からすると意味がわからないだろうが、米軍関係車両が交通事故を起こしたとき捜査するのは先に事故現場へ到着した警察もしくは米軍関係者がするという運用が事実上されているのだ。
まぁだからこそ責任割合で1:9みたいな感じで米軍関係車両が悪いとなってしまっても米軍関係者が先に事故現場へ到着してしまうと責任割合の概念が吹き飛んでしまい損してしまった経験のある沖縄県民が少なからず居るのだ。
逆パターンももちろんあるわけで米軍関係者からすると治外法権はなんとしてでも手放すわけにはいかないってのが現状だろう。
そんな様な状態であっても沖縄の若者、特にやんちゃな少年たちにとって米軍基地は大事な存在だ。
やんちゃな少年たちの沖縄流HIPHOP文化の根拠は米軍基地にあるわけで彼らの青春そのものだし、何よりも大人になると大事なパートナーとなるからである。
そして、その文脈と同じ様に沖縄独立は沖縄の若者、やんちゃな少年たちにとってありえないのだ。
HIPHOPと言えばやはり立身出世なストーリーだ。地元の多くの人たちからそのスタイルが独自のものと認められ評価され人気になって行き、都会で全世界で成功者として大金を稼ぐ。
沖縄のやんちゃな若者にとってのニューヨークとは本土の東京であり、決して那覇市ではない。
本土で沖縄芸能人が過去に人気となったことがあるけれども、沖縄の若者からすると沖縄芸能人はシイジャア(先輩)である。
その当時のスタイルはHIPHOPではなかったけれども、沖縄の若者、特にやんちゃな少年たちはシイジャアに憧れて東京を目指している。自分のリリック・フロウが世の中を席巻することを夢見ている。
それをすることが難しくなる沖縄独立を沖縄の若者が支持するか?と言えば支持するわけがない。
なので沖縄の若者は「沖縄独立は老害の世迷いごと」「アイツら中国から金貰ってる」「共産主義はダサい」と口々に言って意見がほぼ一致している。
ちなみに沖縄の多くの若者は学術的に沖縄独立や共産主義を理解していないがスタイルとして沖縄独立や共産主義をダサいと言っている。
生活へ密着する文化がアメリカ志向、大人になっての就職もアメリカ志向なのが今の沖縄の若者であり、そんな沖縄の若者の事情を無視して今の大人たちの思想信条や都合によって沖縄独立論を語ると、今の大人が引退した数十年後は逆に取り返しの付かないことになっているだろうと私は予測している。
補足情報として今の日本の音楽シーンでは徐々にHIPHOPが興隆しているけれども、本場アメリカの影響を強く受けた沖縄流HIPHOPの東京進出志向もあると思っている。
それがどういうことかと言えばHIPHOPの派生系「TRAPスタイル」の流入も東京で起きているということを意味している。
TRAPスタイルについては「TRAP 歴史」などでググって貰えればわかるだろうけど、ググるのが面倒な人へ端的にイメージだけ伝えると「違法薬物がかなり強く影響しているHIPHOP」だ。
このように端的なイメージだけ伝えると悪い印象しか与えないだろうが実際に悪い。どれくらい悪いかと言えばトランスやサイケデリックなどと肩を並べられる、もしかしたらそれよりも悪いほど悪い。
このような音楽を聴くなと言っているわけではないが、その文化へ濃密に自身の子供たちが浸かっているような気配があれば親は警戒したほうが良いとは思う。
違法薬物がなくともトランスやサイケデリックのスタイルは踏めるようにトラップもまた踏めるはずなのでトラップやドリルに傾倒する若い子たちは今すぐに違法薬物が伴っているコミュニティと縁を切るように強く言おう。
キミのスタイルは魂の選りすぐりのスタイル キミの魂よりクスリ クスリのスタイル 騙しのスタイル クスリより魂 楽しいスタイル キミのスタイル 騙しのクスリより楽しい選りすぐりの魂のスタイル
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
(年収270万で)プログラマーを引退して、医学部にきた俺が真面目に考えてやろう。
真面目に読んでいて、ちょっと気になる箇所がある。たとえば PostgreSQL を postgre とか書くヤツは現場では嫌われるぞ。少なくとも postgres と書いてくれ。お里が知れるぞ。
消えていくエンジニアの特徴だけど、叱責されたり馬鹿にされるのが嫌で VCS にコミットしないヤツ、または貪欲にコードレビューをされるのが嫌がるやつは、成長しない。
この業界は数年前には『デジタル土方』と揶揄される業界でした。ちなみに、アメリカでも「テック系はハードだから避ける」という雰囲気でした。つまり何をいいたいのかというと、ソフトウェアの開発者っていうのは「泥臭い領域」なんだよ。エリートとは程遠い場所にあるというね。
いやぁ、是非とも楽天で働くべきだよ。どうせ野村総合研究所とか NTT DATA なんて無理だと思うから。
うん、ココはまずい。基本的にフロントエンドなんて給料が安いのよ。だって、誰にやらせてもデータベースにクソなDCLを飛ばせないから。逆に、データベースを触れることができるプログラマーはリスクと責任が大きいから、給料が高いのだよ。B4 になってもそれが理解できていないようだと、この先くらいよ。
君はソフトウェア・エンジニアになりたいのだろ?世の中は分業で成り立っているのだから、全部やろうとするやつはアホだよ。
インターン生はお客さんなの。君のスキルが通用したのはすごいと思うけど、同じ感覚で仕事はできないから注意しときなよ。
なに言ってるの?そんなことは言い訳にならんよ。プログラマーになりたいのだろ?勉強をしろよ。
逆にいうと、あなたがインターンとして週3で20万円貰えていたのは、参入障壁が少ないからでしょ?強強エンジニアが生き残っているのは、それだけすごいということだよ。
いやぁ、違うと思うよ。その問題が「難しい」なら切り分けて、上に「ココが自分の能力では解決できないです」と持っていくだけなんだからさ。CS じゃないのだったら、仕事をするまで「扱わないまま」なんだよ?しかも、土日に勉強する気もないとなったらいつするのさ?
諦めなよ。ソフトウェアというものが「変化できることに価値がある」ものだから。変化する業界はストレスフルだけど、立身出世する可能性が高いでしょ?安寧なばしょではないの。
いやー、CSでない博士課程に行って、雇ってくれる企業があるかね?無いと思うけどな。
この時点で、君はコピペしかやってきてないことが理解できる。おそらく QUIC か MQTT あたりだろ?逆にいえば、それが実装できたら他社と差のつけられるプロダクトだったはずだ。つまり会社の利益の源泉であった部分をみすみす実装できないようでは、そこらへんの専門卒以下だぞ。
ムカつくというか、虫酸が走る書き方だ。箇条書きにすると、
プログラミングに年齢はないから。自分は9歳ではじめたけどね。
あー、俺も天才が高校のときにいて、マーチの情報工学と旧帝の院の学費を会社持ちという驚異的なやつがいたよ。今もブログ見てると、Android と iPhone のアプリを書いているみたいで、元気そう。
それを上手にコントロールできるプログラマは世界中にもほとんどいねぇ。むしろ、月20万でやるもんならギルドから苦情が来るぞ。オレもアビームの人に給料を答えたら、「こんなヤクザな会社はやめろ」と耳うちされたよ。
人より良い経験をしたいという願望はあるのは素晴らしいと思うよ。しかしながら、君が到達したノウハウは他人にもできることだからね。ワン・オブ・ゼムになりたくないなら、努力し続けることだな。勉強をするのをやめたら、数年で中卒に負ける世界だからな。覚悟しとけよ。
P.S. 医学部に来たのは家庭の都合だよ。それに、自己顕示しないと「場末のコーダー」で読んでもくれないだろ?年収については、自分も低いと思うよ。なぜ低かったかというと、都内私立大学多浪中退の自分にはベンチャーの皮を被った助成金搾取がメインの反社会的勢力のフロント(ベンチャー)企業ぐらいしか相手にしてくれなかったからだよ。そこの会社は外国帰りの MDMA をキメて、未成年の子女に手を出しては警察沙汰スレスレのことをしているキチガイが社長をやっていて、人工知能を作ろうと学生インターンを酷使している会社だったのだけど、「サイバーエージェントに紹介する」という嘘にひっかかって、特定派遣事業の免許がないのに客先常駐させられ、土曜は帰社日、日曜は社長の Python の勉強会に参加させられる、というブラック会社にいてピンはね率(60%)となると、まともに考えることもできず働くアリになってしまってたからだよ。
P.S. ② 年収については、初日から派遣先の会社に引き抜きのオファーをもらって、2ヶ月後に新しい会社に移動したけど、300万だったので CodeIQ というサイトで転職をする準備をしていたよ。たしか、DMM とかサイバーエージェントの面接にいこうとしてたような記憶。その後で家庭の都合で、医学部に来たけど。
P.S. ③ 医学部医学科の6年生だよー。みんなが嫌いな私立医学部だけどね。ちなみに、俺もこの大学が嫌いだ。
P.S. ④「GraphQLをわざわざ書くのは理解できるけどな。」そうだとすると、REST や SOAP も書かないとまずくない?書くのだったら「Rails と Next のデータ受け渡しにGraphQLを使った経験が」という感じだと良いと思うけど。
P.S. ⑤「野村総研とデータを挙げるあたりSI寄りの仕事してたのかな。 」ちゃうねん。オレっちは多浪したからさ、そこのエントリーシートをかけなかったのよね。まぁまぁ大学が名門でさぁ、OB が誘ってくれるけど、年齢で弾かれて辛かったねん。
P.S. ⑥「ダウト。学費をどうやって稼いだんや 」えぇ、親の金です。だから家庭の都合でと書いてるじゃろ。
P.S. ⑦「本当に医学生ならここ数年の技術についてこの指摘ができる程詳しいわけないし少なくとも10年位は業界にいないとこういう感覚は身に付かない。 」たしかにおかしいよな。Kubernetes や Terraform を弄って、CI は GitHub Actions、CD には AWS CodeDeploy を使って、ブログは Jekyll で静的サイトジェネレータを使いつつ、自前のサービスを立ち上げるために Rails, Next, React, PostgreSQL, Redis, Kafka, Elasticsearch, S3 の勉強をしつつ、スマホ環境のために Kotlin と Swift を触れているなんて変だよな。そういえば、Docker が来るまでは Vagrant で環境をつくっていたのも忘れてたよ。あと Rust を今年に学ぶ言語にするなんて、受験生にあるまじき行為だよな。うん。
P.S. ⑧ 年収については、基本給が 22万で、残業が200時間超えたらプラスだった気がする。あと、反社ベンチャーは「ポートフォリオの作成にまる一ヶ月間で拘束された、しかも無給で」という時点でヤバいのだけど、その会社にコミットしたのは「サイバーエージェントに紹介する」ということだけであって、同時期に DMM も面接に行けそうだったのよね。馬鹿なことをした。
P.S. ⑨「特にフロントエンドを見下す感じとか」オレ自身はフロントエンド出なんだよ。何を隠そう、Adobe Flash のゲームをつくっていたから。それでもって言うよ、バックエンドが一番大切だと。
P.S. ⑪「5~10年前に人売りに捕まった話とするなら、年収270万も現実味を帯びる。」特定派遣は消えてくれてよかったよ。俺のところは特定派遣すら未登録だったけど。
P.S. ⑫「いい医者になるのだよ 」うん、頑張る。「オッサン」「社会不適合者」「あるき方がキモい」「プログラミングwww」「同じ班になりたくない」「親も頭が悪い」「生きてて恥ずかしくないの?」とか言われてるけど、頑張る!
P.S. ⑬ 「フロントエンド別に給与低くないよ。」えっ、そうなの?WebDesigning を読む限りだと、400万もいかないイメージだけど。
P.S「医学部6年でまだプログラムに興味あるの不思議。」好きなんだよ、言わせるな///
P.S. 「フルタイムじゃないのでしょ?」いいえ、東京都内でフルタイム(ひどいときで、朝7から夜24)でしたよ。入った会社が「法律よりも、派遣先の評価」という会社だったからね。
P.S. サイバーエージェントさん、ときどき御社の社名を使って「弊社に恩を売ると、サイバーエージェントに紹介する」というベンチャーが跋扈しているので、どうにかしてください。わたくし、1ヶ月間もその嘘で jQuery と Django を回収させられた挙げ句、月給 2000円だったのですけど。本当に千円札2枚だったのですけど。ついでに、Android(Java) と iPhone(Objective-C)と jQuery を使ったフロントエンドシステムに、バックエンドに Rails + Postgresql のシステムで、AWS を介したサービスを作らされたのも「サイバーエージェントに紹介する」と言われたからなんですけど。いったい、何なんですか?お前ん所は、コンプライアンスどうなってんじゃ。
P.S. 「好きそうだし医学部卒業してシレッとgoogle行ったれ 」無理っすよ。オレのスキルじゃ。
P.S. 「病院は」親がクリニックを持っていたけど、潰したよ。クリニックは人に患者がついていて、アルバイトを充てがっても患者さんが不幸になっていくのをみちゃったからね。自分は責任を持って患者さんを見たいから、バイトなんて使わないよ。
P.S. 自分はコードを書きたいタイプだったから、SIer みたいな UML とか書いて下請けにコードさせるみたいなのは絶対に嫌だったのよね。だから SIer にはならなかったよ。やっぱり、現実にある計算機が解決できる問題を、より直接的に触れて解決したいと思っているから。仕事がハードでも全く問題なし。
P.S. FPGA すごいよね。ザイリンクスとアルテラが Intel と AMD に買収されて、すごいと思ったよ。2010年頃だっけ?、CPU の限界を FPGA で突破しようという話があったけど。手を出そうと思ったけど、高性能なチップが 100万ぐらいして挫折した記憶があるよ。
P.S. 「東海大の医学部・学士」は自分は大学を卒業してないから無理でした。あと、それ以上の詮索はやめてくれ...
P.S. 「MySQLそんなに嫌いなのか。」そんなこと書いたつもりはないが、あれ?確かに MySQL は PostgreSQL より嫌いたけど、それは Oracle が親元だったり、Unicode の扱いがファッキンだったり、ストレージエンジンが切り替わるときにカオスな目にあったけどさ、MySQL は好きだよ。お世話になったし。
P.S. 給料については契約後に言われたのよ。というか、もともとは「サイバーエージェントに紹介」するという理由で、ポートフォリオの作成や Django の改修を手伝ったつもりで、入社とかする気は全く無かったのよ。それが、いきなり他所の会社に面接を受けさせられて「君は明日からXXで働くから、履歴書を書いてね」と言われて、抗議したら「俺に恥ずかしい思いをさせるのか!業界に入れなくするぞ!」と大声でシャウトされて、気がついたらあっちが用意した履歴書に拇印してしまったのよね。有料職業紹介と派遣登録をしてない会社だったから、そんなかとはできないはずなんだけどね。ホームページには「年収550万」と書いてあったけど、実際はまったく違ったのだけどね。
P.S.「うーん、いらないかな。IT土方としての仕事しかないと思う。」だよな。おとなしく医者になるよ。ありがとう。
P.S. Elasticsearch は全文検索機能がほしいからやってるよ。Redis はインメモリなセッションストアとして使いたいのよ。Kafka はさ、twitter のファボをじっそうしたいけど、RDB の書き込み速度が上がらないから利用したいの。TensorFlow は全く理解できてないよ。それは、指摘されたとおり。
逆に聞くけど、以下の知識があったらどれぐらいもらえるわけ?東京23区で。
それも含まれる、程度だと思う
人間味を欠いたグリフィスの人間的な弱さによる崩壊と、いつまでも正気を保ち続け、いつまでも人間だったガッツの対比がある
だから描きたかったのはあるときは欠け、あるときは野心に燃え、しかし中心は人間でしかなかった人たちの群像劇だと思う
全体のテーマ性で言えば上の通り
グリフィスが人間を捨て、まさに非人間的な存在になったことで、(ある意味では気が狂ってしまった)グリフィスの頬を張るためにガッツがいつまでも食い下がってゆく、という古典的な熱さはなぜにあったか
それはガッツが欠けてしまったグリフィス自身を信じていたからこそいつまでも食い下がったのだ、と言ってもそれほど間違ってないと思う
ガッツの妄執はゴッドハンドに鷹の団と自分の青春をめちゃくちゃにされたゆえの怨念もあろうが、グリフィスへの郷愁というか、望郷というか、そのような懐かしむ念も強くあったと思う
そしてスキあらばはっ倒したいと、目を覚まさせたいと思っていた
自分の彼女をレイプした親友に正面から向き合ってはっ倒したいだとか
これはすごい話だと思う
人間性の対比で言えば、グリフィスは進歩主義者で常に自分自身を別のものへと変化させようとした過去を持つ。これは彼自身が下賤の出自を持つからで、いつでも逆境にあって自分自身で有り続けたガッツと、自分から逃げ続けて涼しい顔をしていたグリフィスという対比なんだ。つまりその根底にはやはり人間回帰へのテーマ性が見え隠れする。
グリフィスはどこかで深く傷ついているので、フェムトになった際にも嫉妬や憎悪などが渦巻いて素晴らしい云々と他のゴッドハンドの蛇女に評されている。グリフィスはガッツという人間が羨ましかったのに、その羨ましさをガッツを保持する、という手段で止めようとした。しかしガッツは決闘のち彼の手から離れる。これはガッツにとっていつまでも自分であり続ける旅の始まりであったと同時に、グリフィスの自分でない何かになるための焦りを加速させてしまった。同じ人間としてもがいていた二人のベクトルが真逆に向いた決定的瞬間がスムーズに描かれている。
この筆力は漫画家としても、あるいは文章として書き直しても色褪せないまとまり方だ。
よく分からんが、
なにかの現状に対してx2、x3という数字はあんまり現実的には思えないことの方が多い気がするんだけど、どうなんだろう
こういう話って、x1.1、x1.2みたいな感じで生産台数を増やすとかだったら理解できるんだけど、
自動車であれ戦闘機であれ、二倍!三倍!みたいなことを偉い人に言われると、
どこまでちゃんと考えているのか疑問というか、フレーズとしてカッコイイから言ってるだけなんちゃうか、とか思ってしまうわけで、
まあ、燃えよペンとか逆境ナインは面白いんだけど、スガが同じこと言っても響かないんだよなあ
もうちょっと国民につまらんと言われても地に足ついたことを言った方が、後々のためでもあると思うんだよね
責任だのなにかと面倒なのは凡人だろうが偉い人だろうが変わらないだろうし
ただ、スガ氏が一枚上手?で、最初から責任を負われて辞任に追い込まれるのを込みでやってるのだとしたら、
悪質ではあるけど、戦略として間違ってないとも考えることはできる
そもそも、コロナでオリンピックは1年後に延長だのを決定したのはアベ氏であって、
吐血を理由にしているけど、あんまりにも元気すぎて仮病を疑うレベルだし、
前々から官邸内でアベ氏とスガ氏の仲が嫌悪になっているというのは報じられてきたわけで、
アベ「なんかコロナとか面倒くさいことになったし、コロナとか戦争みたいな国難の対応とか難しいからやりたくないし、スガさんは立身出世で田舎から出てきて首相の椅子に座るのが人生の目標なんだろうから、椅子を譲りたいんだけど…」
スガ「自分は首相の椅子に座るのが人生の最終目標だから喜んで承諾する。歴代総理に名を残したいだけなんだよねw」
アベ「俺もパパやママに言われたように改憲した総理という名前を歴史に刻みたいだけで、ぶっちゃけると改憲の内容とかどうでもいいw」
スガ「いやー、奇遇ですなあw」
男は自殺率が女より高いという話から「男はコミュ障の強がりでストレスを溜め込むからね。でもワタクシはママじゃないし男のストレスは男で解消してね♡」というクソみてえな主張が最近目立って来たので書く。
男性の自殺率が有意に高いのはコミュニケーションが下手とかそんな話ではなく(だいたい下手なんじゃなくてプロトコルが違うだけだろ)、受けているストレスの量が多い≒背負っている責任が重いせいだ。男性自殺の原因トップは経済的な困窮であり、それは友達と話をしたところでそいつが連帯保証人のサインをしてくれない限りストレッサーから逃れる術はない。
日本社会は未だにジェンダーの縛りが非常に重い。扶養控除なんて制度もそうだし、親権が母親に無条件に寄るのもそうだし、医学部の女子に対する入試差別、職場での男女雇用の不均等…あらゆる場所で昔からある「男は仕事、女は家庭」が幅を効かせている。
社会の主役は男性であり、女性は家庭や私的空間を守るためのもの、というのは建前としては消滅したが、未だにあちこちに実在している。
この点については男性も女性も概ね合意が取れると思う。男女差別が存在しないなどと思っている奴はほとんど居るまい。
さて、そうした男性特権の向こう側には特権に比例した責任が発生する。中世の貴族であれば権威を継承する者として、共産主義国ではブルジョアを打倒する模範的同志として、そして資本主義国としては経済の主体としての責務を自動的に背負う。資本主義国で生まれた男子は、程度の差こそあれ「自分が今日の糧を食いつなぐ」という理由と並行して「国家構成員の責務」として金を稼ぐことを求められる。女子は、差別によってこの社会の責任から排除されているのでこれを背負うことはない(多少解消されつつある現代的に言えば「少しは背負っている」が)。
ここで「男ってバカね、意地なんて張らずにそんなの捨てちゃえばいいのに」なんて思った人間も居るかも知れないが、国家がそのイデオロギーを維持しているのはどこかのハンコついた文書に書いてあるからではなく、常に社会の構成員の大多数がそのイデオロギーを実践しているからであり、それが維持されない、誰もが気軽に社会的責任をポイしちゃう国家はその国体が維持できない(ナウルみたいになっちゃうぞ)。気軽に捨てちゃえばいいなどと言ってのけるのは、それこそ責任を持たない者の発言である。
つまり資本主義イデオロギーからの圧があり、男子は絶えずその圧に晒されている。そしてイデオロギーそのものを否定することは不可能(本当は可能ではあるが…今の所資本主義よりうまく行ったイデオロギーがない)で、プレッシャーから逃れる術はない。立身出世しなければならない。大人になったのに親に食わせてもらうことは恥だ。子供部屋おじさん。勝ち組、負け組…そんな言葉が未だに現代に漂うのはこうした圧力が実在することの証左である。
翻って女子の方は、差別によって権限を剥奪されているので社会的な責任が薄い。出世しなくても馬鹿にされないし(させないのだから当然である)、本人が無職を望んでも多方面からごちゃごちゃ言われない(ごちゃごちゃ言われるのは逆のバリキャリとして生きるときだ)。親に扶養されてて情けないと言われることもないし子供部屋おばさんなんて言葉もない。逆に家庭に対しては男子より多くの責任を負わされ、子供の面倒(母乳信仰など最たるものだろう)や地域コミュニティの行事など多くを強制させられるのだが。
この権限と責任の差によって男子は敗北が許されず、弱音を吐くことが認められにくい。責任を果たすために特権を得たのだから負けてはならないし、負けたら資本主義イデオロギーの実践者としてはもう後がない。実際には福祉がありそこに落ち着くが、資本主義イデオロギーの強いアメリカが福祉をアカ扱いする性質があるように、福祉の世話になることはほぼイコール資本主義社会の責任から降りる事を指すので、圧を受け続けた人間ほどここで死を選んでしまう可能性がグンと上がるのは想像に難くない。こうして経済的困窮による自殺が男性に寄る。
フェミニズムの運動とはこうした性差別を排除し、社会へ進出し、女性に強制させらた役割にNoを突きつけ、男性だけが得られた特権を女性にも等しく分配させるための闘争である。
よって、男性から回収した権利には当然責任が伴う。男と同じく、資本主義の無限の競争へと身を置く責務である。社会進出とはつまりはこういうことであるし、少なくとも初期のフェミニズム、ウーマン・リブ運動においては責任ごと請け負う気で女性たちは動いていたと思われる。
少し前に「フェミニストだけど彼氏に養ってもらいたい」といった大学生の記事が出ていたが、とんでもないことである。それは「5000兆円欲しい!!」とかと同義で、お前今まで大学で何勉強しとったんや、教授もうんうん言ってる場合じゃねーぞ、と思ったものだ。
遡って表題の話をするが、こうした権限移譲によって男が抱えて離さないもの…そして背負わされているものを女も手にするということは、奪われたものを取り返す事であると同時に、一つのものを両者で分け合って背負うということでもある。つまり男性の自殺率が高いという話に対してフェミニズム的にすべき話は「こっちも働いてやるから権限をよこせ」であり「男性のことはアテクシは知りませんわよ」などという態度を取るということは、結局のところ未だに自分は社会の中央でなく、主たる責任はどこかの誰かの男性がやってくれるという態度そのものであり、フェミニズムから最も遠いあり方である。
余談であるが、自殺数の男女差でなくそもそも絶対数が他国より多く、過労死がそのまま英語になっている不名誉な現状については上記のジェンダー論ではなく労働問題のレイヤーである。ジェンダーは受ける責任というベクトルを決定付けるもので、その方向に従って加圧されるパワーは純粋な労働量に依存する。そもそも我が国の働きすぎ問題がマシになっていれば、比率はともかく絶対数として死んでいる人間の数は減っていたであろうことは自明である。個人的には、女性が男と同じく過労死するほど働くよりは、男女がそれぞれほどほどに働く未来を夢見たい。
学習指導要領が変わると学ぶ内容ややり方が変わるゆとり教育ぐらい変わる
最近では文春も週刊誌も黙って眺めているがかなり大きな変革である
今回の主題は「主体的・対話的で深い学び」。お分かりになるだろうか?
対話的というのは他の人との意見交換を経て自分の力にするということ。コミュ力
深い学び。よーわからんが、知識のネットワークかをしてエウレーカ!自分で様々なことから学びとること。
この改訂は30年前の受験戦争・学力偏重社会とは大きく離れて、
何が受けるかわからない時代。何がこの先生き残れるかわからない時代を生きていく力という点に重点を置かれている。
そんな時代に出身大学で出世が決まるなんてナンセンス。無論学閥は残っているので、学閥出身者の引き受けはありあえる。
入試も変わる。これからは共通テストの点数のみならず口頭試問やグループワークも入試に加わる。
どんどん大学の入社試験が降りてきている感じだが、そんな感じになるんだろう。
立身出世が自分の頑張りである学力だけでなく、地域の文化力、家庭の文化資本、学友の知的レベルにまで波及する恐ろしい時代なのである。
この場合に、階層の固定化というのはどう作用するのか?進学塾に行ける家庭は確かに強い。
はたまた、地域総ぐるみで教育にあたる文教都市が受験に強くなる「地域圏学力差」が生まれ、やはり東京のあたりが強くなるのか?
それはわからない。
私としては社会の人材育成の観点から行って、社会人になった人間が改めて自分の専門に近いユニバーシティやカレッジに通いやすいリカレントがしやすい社会であって、再挑戦・リベンジを後押ししてくれる社会になれば、日本社会としての強度も保たれるものと思う。以上、論考終わり。