はてなキーワード: ザビエルとは
macはiphoneをwebカメラとして伝えることが分かったんで色々試してたんだけど、なんとなく後頭部を映してみたんだわ。
こう頭頂周辺が、毛があるといえばあると持ち主としては主張したくなるが、頭皮も見えて反射しているし、周囲の毛との対比で無い判定受けざるを得ないって感じだわ。
やれたかも委員会みたいなノリでハゲたかも委員会を開いたら、満場一致で「ハゲた」の札が並ぶ程度の進行度やな。
結構でかいディスプレイで映してたからその分インパクトが強くてな。
「これって...ハゲてるってコト!?」と俺の中のちいかわが騒ぎ出したわ。
まあ元々自覚はあって、数年前大分気にしてミノキシジルとか飲んだんだけど、動悸がしたりして身体に合わなかったので諦めたんだわ。
多分これに抗う術はそういう薬飲む以外ないんだろうから運命を受け入れるしかないのか。
前もM字ハゲなんで攻守共に隙がないわ。
どういうコト!?
これを読んでるお前らがまだ若いならその辺確認して、対策練っておけよ。
野菜とか食っとけ。なるべくストレスを受け流せ。毎日夜風呂入れ。たくさん寝ろ。朝はシャンプーするな。湯シャンならまだ許す。
・一様に髪が減るわけでは無く、U字だったりM字だったりO字(いわゆるザビエル)に髪がなくなるので坊主にしたからって一休さんにはなれない ハゲてる見苦しい一休さんになる
・半日経つと毛根が生きてるところから髪が生えてくる。ハゲ部位の毛根は潔く死んでいったのに、一部生き残った毛根たちなんでそんなに主張するの…??
・カミソリで完璧に剃り上げても、毛根が残ってると青い部分が残る よってハゲスキンかオシャレスキンかは一目瞭然
・髪の毛がないと抜け毛もないし清潔だが、人と会う気力は無くなる 特に昔の友人と会うのが億劫で疎遠になる なんか怖いとか言われる
・スキンヘッドと坊主頭の区別がついてない人が多くて辟易する 1mmの差は大きい
少しくらい髪を伸ばしたらいいのにとか気軽に言ってくる人が多くてその都度ダメージを負っている オシャレ坊主はハゲてない人しかできんのよ??
■序文
本稿は戦前の天皇のインナー・サークルとしての宮中グループに焦点をあてながら、昭和平成史を読み解くことを目的としている。宮中グループは宮中側近グループなどとも呼ばれ、これまで定義としてあいまいさを残してきた。本稿では宮中グループを宮中側近にいた政・官・軍を含めたエリート集団と位置付け、これまで一括りに論じられることが多かったこのグループを牧野伸顕中心の「薩摩系宮中グループ」と木戸幸一中心の「長州系宮中グループ」に切り離し、対比している点を特徴としている。薩摩系宮中グループは皇室との関係においては貞明皇后、秩父宮夫妻、高松宮との結びつきが強く、昭和天皇の母君である貞明皇后のインナー・サークルとも言える。また、彼らは英米のエスタブリッシュメントと戦前から深く結び付き、親英米派として国際協調を重視した自由主義者であり、英米から穏健派と呼ばれた勢力である。このため皇室と英米有力者との仲介者として宮中外交を支えた。英米との接触の中で宗教的感化を受けてクリスチャン人脈を多く抱えていたことも特徴としてあげられる。その歴史的な背景はザビエル来航450周年を記念して建立された「ザビエルと薩摩人の像」(鹿児島市ザビエル公園)が象徴している。これに対して長州系宮中グループは昭和天皇のインナー・サークルとして昭和の戦争を主導した勢力である。岸信介や松岡洋右を仲介者に陸軍統制派と手を握りながら戦時体制を築いた。単独主導主義的な強硬派と見なされることも多いが、アジアの開放を掲げた理想主義者としての側面もある。戦前から靖国神社が彼らの拠り所となってきたことは、靖国神社にある長州出身の近代日本陸軍の創設者・大村益次郎の銅像が見事に物語っている。かつては「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあった。地政学的に見れば前者は海洋勢力、後者は大陸勢力となるだろう、また、明治期に医学を教えたドイツ人医師・エルヴィン・ベルツは、日本人を薩摩型と長州型に分類し、それらが異なる二系統の先住民に由来するとしながら、薩摩型はマレーなどの東南アジアから、長州型は「満州」や朝鮮半島などの東アジア北部から移住した先住民の血を色濃く残していると考えていたことも興味深い(『DNAから見た日本人 』斉藤成也・筑摩書房)。前者は縄文人、後者は弥生人の特徴を残しているのだろうか。大陸からの渡来人によって縄文人が日本列島の南北周縁に分散したと考えることもできるだろう。本稿では明治維新の内乱の過程で賊軍の汚名を着せられた武士階級の出身者やその子孫が数多く登場する。薩長藩閥によって立身出世が阻まれながらも、佐幕派は賊軍の汚名を晴らすべく、ある者は語学力を身につける過程でクリスチャンとなって薩摩系宮中グループに接近し、ある者は軍部を率いて長州系宮中グループと手を握り、またある者は共産主義に傾斜していった。特に陸軍の悲劇は、勝てば官軍の東京裁判で再び汚名を着せられたことだろう。しかし、勝てば官軍は世の常であり、その最たる例が靖国神社の原点にあることを再びここで取り上げる。日本の敗北は長州系宮中グループの敗北も意味した。薩摩系宮中グループは戦時下において悲しいほどに非力であったが、戦後、英米から選ばれし穏健派エリート集団として勝ち残ることになる。薩長の明暗を分けたのは情報力の差である。これは未来永劫語り継ぐべき重要な教訓である。戦後、薩摩系宮中グループの流れを受け継いだ吉田茂は、元祖「反ソ・反共」として、「経済優先、日米安保重視、軽武装、改憲先延ばし」の吉田ドクトリンを掲げて保守本流を築いていった。この吉田はカトリックとして本流らしい最期を迎えた。この吉田一派をポツダム体制派と見なし、反吉田旋風を巻き起こしながら、見事に復活したのが長州系宮中グループを受け継いだ岸信介である。岸も賊軍の汚名を晴らすかのように国際政治の舞台に復帰する。元祖「反ソ・反共」に対抗して、統一教会などと「勝共」を掲げたが、所詮保守傍流に追いやられた。平成の時代になって「政治優先、対米自立、再軍備、自主憲法制定」を柱とする岸ドクトリンのたすき掛けリレーが小泉純一郎によって再スタートする。そして今、第一走者の小泉純一郎から第二走者の安倍晋三へと受け継がれた。安倍の背後にはさらに強力な第三の男も控えている。この3名すべてが岸及び岸の同志につながる家系である。