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はてなキーワード: 立身出世とは

2020-10-18

anond:20201018133354

戦国武将に憧れているサラリーマンの「憧れている」行為は「立身出世」なんだから犯罪じゃないでしょ

戦国武将になって村焼いたり人殺したり女殺したりしたいっていうんなら当然非難されるべきだけど

2020-09-25

草彅剛フォームの悪さ

いいひと。」ってドラマが昔あった。

陸上競技出身の朴訥としたほんわか営業マン立身出世する話。それの主演を草彅剛がやっていた。

劇中で走るシーンが何度か出てくるのだが、フォームがとてもバタバタとして原作を知らない視聴者なら「ホンマに陸上競技出身の設定なん?」と疑うであろうほどひどい不安定さだった。

ジャニーズマルチタレントとしてドラマバラエティ演劇音楽にと多方面で使われるけど、芸のない芸能人は見ていられず痛々しい。演技の勉強も歌の訓練もお笑いの基礎もやり過ぎないように制限でもされてるんだろうか。そんなバカな。社として専門タレントを舐めてるとも取れる采配は慎まれた方がよろしいかと。努努、心していただきたい。

2020-07-07

女帝 小池百合子 」の感想

削除されたamazonレビューの供養として140字制限のあるSNSで以下を画像投稿したら、思わぬ反響とともにテキストにしてほしいとの要望も一部頂いたので、増田の使い方として正しいのかよく分からないが、とりあえず貼り付ける。

投稿した画像文章(=amazon投稿した内容)からタイポ1か所とamazon規約に引っかかったのではないかと思われる1か所の2点のみ修正してある。

ちなみに星は最初4をつけて、追記時点で3に落とした。

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女帝 小池百合子 (文春e-book)』

レビュータイトル:逆に小池百合子凄くないか

本文:

まだ半分ほどしか読んでいないので追ってこのレビュー修正する必要があるが,小池百合子の虚飾を良く暴いたという絶賛レビューしかないことに違和感を感じる。この本の記述をそのまま受け取っていいものだろうか。

この本の記述が確かなら,小池百合子芦屋とは名ばかり(とまではいかないかもしれないが)の中流より少し上の家に生まれ,周囲のお嬢様との格差才色兼備のいとこと何かと比較されることにコンプレックスを抱え,ほら吹きで政治に散財する控えめにいってもクズ父親趣味1970年代カイロに19歳の少女の身空で体一つで放り込まれたことになる。

そこから(著者によれば)アラビア語も全くできない中で,自分の外見と若さだけで周囲の駐在日本人を誑し込んで人脈を作り,カイロ大学首席卒業という大法螺ひとつ日本社会自分を売り込み,首脳夫人通訳番組アシスタントワールドビジネスサテライトキャスター政治家への転身を決め,閣僚都知事まで上り詰めた。小池には何ら専門知識がなく,頼みの学歴すら嘘であるというなら,むしろまれているとは言えないスタート地点から自分の強烈な上昇志向だけでここまで上り詰める才覚は凄まじすぎる。よって立つものがないから法螺で戦ったのであれば,そのクソ度胸は同じ人類とは思えない。

小沢一郎からゲッベルスになれる」と称賛?された小池PR能力について著者は所詮お飾りといったような評価で冷淡だが,クールビズは実際定着したし,最近では「密」など,天然ボケ的なセンスかと思われたPRが,〇〇〇〇〇である彼女の冷静な計算に基づいていたものだったのであれば驚嘆するしかない。著者はこれをテレビセンスと片付けるが,テレビ界で数年アシスタントキャスターを務めただけの小池一人で電通博報堂と肩を並べる力がある。

田島陽子などの声を取り上げて,小池は他の女性政治家と違う名誉男性であるかのような言い振りをするのもフェアではない。そういう同調圧力女性進出を阻む最たるものなんではないだろうか。この本では,(少なくとも自分が読み進めた半分くらいのところまでは)小池がチャンスをつかむたびに,その理由は周囲の男性を誑し込んだから,ということで片づけているし,それ本当かなーという気がしてくる。

また,震災被災者陳情マニキュアを塗りながら聞き,塗り終わったらから帰れ,自分はもう選挙区変えたと言い放つ場面は,その是非はともかく,事実なら小池が並みの政治家とは一線を画す存在であることを浮き彫りにする。こんなの表に出た瞬間政治生命が終了する話であって,そういった態度を政治家が本当にとれるものなんだろうか。地盤のない小池にとっては評判が命だと思うのだが。

正直,著者の描写する小池が凄すぎて,著者の描写も一面だけを捉えた虚像なのではないかという気がしてくる。こうした悪評をすべて小池権力で抑え込んでいるというなら,小池権力総理大臣はるかに超えているんではないだろうか。証言者もナミレイの朝堂院とか,小池に劣らず胡散臭かったりする点も気になる(これはそもそも小池家が胡散臭いことをやっていたことにも起因するんだろうが)。

また,もしこれが小池実像であれば,むしろ僕は小池が凄すぎてその評価上方向に改めなければならないし,その立身出世物語は痛快な小説を読んでいるかのよう。小池豊洲無駄にした120億円を使ってこれを本人主演の映画にすれば,日本映画史に残る名作になると思うので,ぜひ小池にはスクリーンで注目を浴びてもらって,政治世界から永遠に離れて頂きたい。

6月9日追記-----------------------------------------------------------

最後まで読了したが,途中まで読んだ違和感は強まるばかりだった。著者は小池なすことすべてにケチをつけずにはいられないようで,例えば著者は核兵器使用違法性についての小池の答えを自分意見がないと批判的に述べつつ,テロ特措法の延長を努力すると述べたことについては「国内で審議も経ていないのに防衛大臣が早々に自分の考えを明かしてしまう」などと批判する。結局自分の考えを言えばいいのか言っちゃだめなのか。当然ながら防衛大臣核兵器合法性について突飛な持論を展開したら大問題だし,逆に担当閣僚法案の成立に努力することを述べるのは普通のこと。もはや小池憎けりゃ何とやらの世界おかしいのここだけではなく,後半に入るにつれてこうした強引な記述が各所に目立つようになる。多すぎてここには書けないが,終盤は一事が万事この調子。また,丸川珠代の主張はともかく,「日本人で良かった」というキャッチコピーだけで「人種差別的」と断じてしまう著者の姿勢客観的とは言えないだろう。

本書を書くことで著者は身の危険すら感じているようだが,小池裏社会のつながりが明かされるわけでもなく,小池秘書の怪しげな不動産取引を指摘するだけ(その内容は新潮が報じたものの枠をでるわけでもない)。日本ODAが入っているかエジプト小池の言いなりのような主張もエジプト舐めすぎ。日本より多くのODAエジプトに出してるドイツフランスもっとやりたい放題なんだろうか。

こう考えていくと,著者のインタビュー相手が一様に口が重いのも,小池理由なのかも怪しくなってくる。いずれにせよ,小池という一級の面白材料調理するのには著者の力量が足りてないのは間違いない。

anond:20200707134401

そういうことよな

男も底辺に生まれて両親ともバカだったら、その時点で立身出世を諦めるべきなんだよね

親や親戚がちゃんとそういったぶぶんを理解させないと、夢を持って都会に行って、広義でのホームレスになって周辺労働力として消費される人生なっちゃ

そうすると増田呪詛を撒き散らす下方婚おじとかKKOおじになっちゃ

2020-06-27

プログラミングは一生安泰のスキルではない

プログラミングという言葉アフィブロガー御用達になって、SNSプログラマーを名乗るのが憚られる感じの昨今。

プログラミング勉強すればフリーランスで一生困らないみたいなこと書いてあるけど、そんな夢のスキルじゃないよ。

それなりにベテラン()を見てきたけど、結局はマネジメント層になれなければ会社にしがみつくことになる人が多い。

なぜなら概念レベルでの流行というものがあるから

これはvueかReactか、javaRubyかみたいな話じゃなくて、もう少し基本的な部分。

例えば大きいのはオブジェクト指向クラス/インスタンス概念

他には、ガベージコレクタ例外処理マルチスレッドデリゲートラムダ式、非同期処理、バインディングとビューモデルイテレータ、null安全

プログラミングを学んでる人には当たり前かもしれないけど、これらは十数年かけて徐々に当たり前になっていった。

ITバブルブイブイ言わせていたけど、これらをうまく扱えないベテラン結構いる。

固定長メモリポインタとmemsetで全てをまかなってきた層や、静的なモジュールで全部の画面を作ってたVB屋とか。

若いころは勉強すればいいと思うだろうが、理解はできてもそれを流暢に使いこなし適合するのは意外と難しい。

プログラムの中でその人の担当箇所だけいまいち読みにくくて、取り回しの悪いものになってしまう。いわゆるstaticおじさんというやつ。

これはベテランイラストレータシナリオライターが、デッサン構成力はあっても、なんか古臭いものが出来上がってしまうのに似ている。

こうなると若いチームメイトや新しいプロジェクトから敬遠される。

もちろん、COBOL案件が未だにあるように、レガシー資産を利用した仕事で腕を振るえる場所結構ある。

ただそういった環境既存人材企業にがっちり掴まれてることが多く、後から見つけて入り込むのは簡単ではない。

なので今いる場所仕事があるならば、それを失わないようにしがみ付くことになる。会社員であろうと個人事業主であろうと。

立身出世できなければ社畜。結局ほかの会社員と一緒だよ。

2020-02-23

[]anond:20200223192527

上月城主となっていた寺元生死之助は、陸路から進軍してきた松永軍を相手に防戦していたが、

そこに海から尼子勝久軍勢が到着したので、生死之助はさっと搦手の門を開いて迎え入れた。

生死之助は、鹿之助に対して何事か策を献じたあと、逃げ帰ったていで富田城に戻り、

松永弾正と尼子勝久とで一万余りに攻められては太刀打ちできず」と申せば、

九郎左衛門毛利を頼るしかあるまいと五千の援軍を借り受けた。

元気づいた九郎左衛門は手勢の八千人も連れて城外に陣を構え、そこに尼子勝久の軍が攻めかかった。

九郎左衛門の兵は、先鋒の鹿之助を取り囲んだが、あっというまに蹴散らされ、城門の内に退がるよりない。

城に籠もられると、さしもの鹿之助も攻めあぐねて、その日は退却となった。

翌朝、尼子勝久軍勢を率いて富田城に攻めかかり、

「悪逆無道の尼子九郎左衛門、はやく馬より下りて首を渡せい」と呼ばわると、

九郎左衛門も「小倅ごときに討たれる九郎左衛門にあらず」と前に出てきて采配を振るう

さらに鹿之助が「こののち三声と叫ばぬうちにその方の生命は寂滅する」と挑発すれば、

九郎左衛門さらに怒り「三声は愚か千声万声でも発してみせるわ、我を生け捕る者があるか」と叫んだ。

その声が終わらぬうち、傍に立っていた寺元生死之助が「汝を生け捕るものはこれにあり」と応えるや、

九郎左衛門を馬上より引きずり下ろしてあっというまに縛り上げてしまった。

鹿之助が下知をかけると、八勇士はいさんで敵陣に突進し、

その隙に生死之助は九郎左衛門を抱えて尼子勝久の陣中に転がり込む。

毛利家の河野四郎は薮中茨之助と戦って斬られ、同じく毛利家の来島太郎は荒波錨之助に首を引き抜かれた。

九郎左衛門配下赤星軍八は皐月早苗之助と、田原兵次は秋宅庵之助と戦っていたが、やがて討ち取られた。

その他の勇士たちも各々活躍し、ついに大勝利と相成ったのである

尼子勝久が城内に乗り込むと、生死之助が縛り上げた九郎左衛門を引っ立ててきた。

勝久は「いまぞ天罰の蒙る時節到来」と自らその首を打ち落とした。

兵たちは勝鬨を上げ、民百姓も多いに喜び、尼子家の再興を祝したのだった。

一方で、勝久の父・尼子義久は毛利領内に囚われていたが、

ちょうど正親町天皇即位があり、毛利元就も上洛して献納品を奉ったところ、

義輝公の母君から尼子と和睦して義久を返してやってくれ」と頼まれた。

やむなく元就は頷き、これで尼子毛利は和睦して、義久は丁重に送り返された。

義久と勝久はついに親子の再会となり、また忠臣義士らを集めて労い、

とりわけ功のあった十名、

山中鹿之助

大谷古猪之助

寺元生死之助

横道兵庫之助

早川鮎之助

皐月早苗之助

高橋渡之助

秋宅庵之助

薮中茨之助

荒波錨之助

ここに彼らは「尼子勇士」とされた。

その後、尼子家は万代に渡って栄え続け、尼子のために働いた者はみな立身出世を遂げて幸せ暮らしたのであった。

[]anond:20200223190101

森之助と更科姫は諏訪ヶ原をよく治めていた。

あるとき夫婦山中で道に迷い、たまたま村上家の武芸指南役・井上九郎と再会した。

村上家を出奔したのち隠居していたとのことで、喜んだ森之助は、鹿之助を鍛えてもらえるよう頼みこんだ。

井上九郎のもとで五年ほど鍛えられ、鹿之助は武芸百般に通ずる立派な若武者となった。

その頃、信玄はすでにこの世を去り、武田勝頼が後を継いでいた。

馬場美濃守は己の死を覚悟し、もはや武田家の滅びは避けがたいので城を退去せよと森之助に伝えた。

まさに長篠の戦いにおいて武田大敗を喫し、馬場美濃守が討ち死にするに至り、北条家の軍勢諏訪原城に押し寄せた。

森之助は馬場美濃守の言うとおりに城から去ることにした。

城にはただ更科姫と鹿之助だけが残り、母子北条軍勢をさんざんに打ち破ったあと、二人は落ち延びていった。

ところがその途上、更科姫と鹿之助の夢枕に、承久の乱で亡くなった中御門宗行という貴族の霊が立ち、

鹿之助は見どころがあるので、自分の子である中御門宗教を頼っていけば立身出世は間違いなしである、と告げた。

更科姫は、これぞ霊夢であろうと鹿之助を励まし、鹿之助は惜しみつつも母と別れてひとり京へ向かうこととなった。

東海道を進む鹿之助は、その途中の村にて、盗みをして焼き殺されるところの大谷猪之助という怪力の若者を助けた。

猪之助によると、いまは落ちぶれ、母のために盗みに手を出してしまったのものの、元は武士の息子であると言うので、

鹿之助はいずれ身を立てたのちには家臣として迎えると約して、二人は主従の契りを結んだ。

その猪之助が、鹿之助へ料理を振る舞おうと、大きな古猪と格闘してこれを退治したので、

鹿之助は激賞して、彼に「大谷古猪之助」と改名するよう言ったのであった。

2019-12-03

売れて

先輩たちがまとめてヘッドハントされて、それこそマスコミにも取り上げられるような勢いで

立身出世

ひとりとりのこされて、たぶんあいつは他の奴といくんだろうと全部のチームに思われて

最後の一人になってそっと消える

そんな転職の時、一緒に転職先を探してくれる人間が欲しい

何社でもまわる。言われたところを回る。なんかさ、機械でぽっちがいいのかな?

どうおもう?

 

じゃぁ、レジセルフがいいかい?

おれはレジ人間嫌だなって思う事も多いよ、でも人のいるレジに100円でも並んで迷惑がられるほうを選んだ

 

いままでセルフだったのも 100円200円高くなることも数千円高くなることもあるけど、人のいるほうにたまにはならんでみないか

のこってるか?有人サービス

無人駅になってないか

 

逆にちょっと前にあったけど、駅の改札、警備、大丈夫だよ、人がいることを知ってる。

この券売機の向こうにお前がいる。

2019-12-02

冤罪懲役60年が40年ででてきた。

本当の犯人は代わりに遺産を受け取って立身出世してこの世の春を謳歌して沢山の愛人子供がいるらしい

そいつらが死んで詫びても、あいつの人生は何一つ戻らない

サツがそいつがどんな犯罪を犯しても見て見ぬふりをすると約束してもあいつの人生は何一つ戻らない

原因は同姓同名だそうだ

2019-11-02

身の丈に合わない身分

我が国総理副総理が図らずも代表しているような「生まれ血統だけは良いバカ」は、自分無能であることを暗に自覚していて、広く開かれた競争が始まってしまうと、自分がその地位から追い落とされることを良く分かってる。一度手放したらそれで終わりなのだ。だから今持っている権力を「何が何でも」維持し続ける必要がある。こういう人間がそのために何をするか。もうお分かりだろう。身分制度を固めるのが一番いい。絶対自身と不可分の属性「生まれ血統」によって全てが決定されて覆せない。これなら安心だ。両親ともに高卒だけど、たまたま能力に恵まれ苦学生みたいなもんが、地方からはるばる上京してくるなんてことはあってはならない、そんなやつに生まれも育ちも申し分ない(ただ能力けがちょっと低い)自分が追い落とされるだなんて悪夢もいいとこだ、というわけ。

世襲政治家みたいなもんが、優秀な人材立身出世・登用を歓迎しないのはマジもマジ、大マジ。心の底から本心だよ。身分の固定した揺らぎのない社会ガチガチに硬直した社会理想なんだよ。

2019-07-31

男尊女卑社会って

男性にとっても、不利なのではと思う。

自分バイなんだけど。

女の人と付き合うなら、無職だろうがフリーターだろうが一般職だろうが全然気にならない(自分が養ってあげなきゃと思うとおもう)。

でも、男の人と付き合うなら、無職とか無理だし、夢とかあって努力してるならいいけど、特にそういうのもないのに低収入だったら嫌だなー、とおもう。

なんでそんな風におもうのかなー、って考えてみたんだけど。

思うに、実は女の子には人生における選択肢が多いから、どういうステータスでも、それが、親交を深める際の入り口のところで、マイナス点になることが少ないからじゃないかな?

現代になって共働きが当たり前という感じになっているけども、私の幼いころは(田舎住まいだったからかもしれないけれど)女の子の憧れはお嫁さん!みたいな価値観ってすごく根強かったし、「女の子勉強しなくていい」と言われて進学出来ない子もいたし、だから、そういう社会のなかでは、正社員でない女性仕事に熱心でない女性って当然の存在、「恥ずかしくない存在」として受容されてる気がする。

一方男性といえば「仕事立身出世せよ」みたいな価値観押し付けられて生きてきてるわけでしょ?

たぶん、仕事ができない男性とは付き合いたくない、と思ってしまうのって、そういう社会の中の雰囲気に「うまく乗り切れなかった人」なのかなという印象が、人間的魅力のマイナス点として引きずられてしまうからだと思う。

別に仕事できなくても魅力的な人はたくさんいるって頭ではわかっていてもさ。

でも、やっぱりね、どこかおかしいとこあるんじゃないの?って思ってしまう。

でも、ちょっと話それちゃうんだけど、男性だって経済的労働に向いてない人っていっぱいいると思うんだよね。

信じられないくら仕事できないのに給料だけは高いおっさんとか本当にいっぱいいる。(総合職などのキャリア路線だと、露骨仕事ができない女性ほとんどみたことないが、男はかなりいる。母数の違いもあるけど)

年功序列によって、あるいは男性が履くことのできる下駄によって、そのような生き方でも食い扶持には困らなかったのかもしれないけど、社内でも明らかに邪険にされていたりと、本人的にもつらそうだなぁと思うことはある。

でも、出世は男の本懐だと言い聞かされて生きてきたら、もうどうしようもないよね、そこから動けないよね、とも思う。

そう思えば、もし、男性にとっても主夫みたいな選択肢が、当たり前のようにあって、それを社会が当たり前のように受容していて、性差ではなくて、本質的能力の向き不向きでどんな風に生きていくか選べたら、男性にとっても、生きやすさにつながるんじゃないかなあ?

そういう社会だったら、どんな収入男性だってストライクゾーン入ってくるかな!って思ったのでした。

そう考えると、自分差別的価値観をめちゃくちゃ内在化してるんだよなぁ。でもそうでなくいられる人なんて、いないと思うの。

この話でいくと、平均以上に仕事ができる男性にとっては、やはり男尊女卑社会のほうが有利なのではないかという話になってしまうけど、社会の枠組みが変われば、そもそも彼らがそうとは意識しないで独占してる権益も、やっぱり彼らが意識しないうちに消滅してしまうから、彼らが被害を被ることもないと思う。

しろ社会全体の生産性があがって、その利益を彼らも享受できるって考え方もあるじゃない?

でもここでいう救われる男性は「これからまれてくる男性」の話であり、このような社会を実現する過程では、いま生きている男性が「我慢」しなきゃならないことは明白だから、なかなか実現しないですね?

2019-06-21

anond:20140211190853

ジャンプとは関係なく、「ボーイミーツガール」という構造がもうここ30年は流行ってない。

 

ボーイミーツガーツってのは、なんだかんだガールを助けたらガールに惚れられる話だ。結局のところ性欲が絡んだから大部分が受け入れるのだ。

だけど、もう随分前からガールを助けたからってガールに惚れられる時代ではない。リアリティがない。

リアリティがないから「僕勉」みたいなギャグとしてしかボーイミーツガール存在できない。

 

かつてならボーイミーツガーツに流れたはずの層の多くは、今は淫紋とか読んでるじゃないかとすら思う。

あとは、やっぱ「ブラクロ」とかね。暴力立身出世も欲しいから。でもこの系列で話にヒロインを絡ませても、もう邪魔なだけだな。ヒロインじゃなくて、女サブ主人公なら居ても面白いけど。

2019-04-11

anond:20190411232849

うちの娘は801には全く染まらなかった。

うちには○○泉関だの「弟の夫」以前に書かれた本だの

濃ゆ~いコレクションがあるが

これを18までに読んだら大変に性癖がゆがみそうだから

蔵書から敢えて遠ざけてた。

けどソフトもの

たとえばGWとかをみせても興味がなさそう。

わりあい普通少女漫画好き。

(といっても妖怪人外系、あとマフィアや893で絵が華奢なのが好きらしい

ハーレム後宮に買われてきて立身出世するのも多いっすな)

ブースも利用してゲームジャンル推し単体本もいくらかは買ってるけど

商業本のほうがずっと多い。

 

男子が生まれたらもっと厳密に隠そうとおもってたけどうちは娘だったからまだ幸運

仲間の801大好きAさんのおうちには男子が3人もうまれしま

新刊は電書で売ってあげることになった。

あと倉庫がわりにあずかるよって申し出て2箱あずかってる。

Aさんが発行した本ふくめて愛蔵本だそうだ。

たまにこっそり物心つくまえの息子に推しコスプレさせたとは聞いているが

小学生になるとそれも不可能だろう。ただの人間の子供だからな。

 

仲間の801読めるBさんも小説好きなのに

子供全然本読まないし

こちらもフォモは存在さえダメなのでわるいけど電書でといわれ

そのように売ってさしあげて大変よろこばれた。

(でも子育てで忙しいのに表紙絵は書いてくれたありがとう

 

というわけで増田クローン後継者絶対につくれないが

人間の子どもをあずかるのは魔女ネタみたいで楽しいから育てればいいよ。

社会から出産手当金などの援助もでるし医療費補助のある自治体も多い。

いずれ育った状態人間社会に返すつもりでしっかりやろうと思うのたのしいよ。

2019-03-31

ネットにおけるアンチ豊臣秀吉の出現

から書く話は一切のエビデンスがない。主観である

2000年台初頭までは豊臣秀吉ネット上でも人気のある歴史上の人物だった。

立身出世太閤はん、天下統一

これは90年台半ばにあった大河ドラマの影響も大きいだろう。とにかく人気が高かった。

しかし、ネット上の空気がある時期を境に一変する。

日韓ワールドカップだ。

この時期に2chをはじめとして、ネット上では韓国人と思われるおかし書き込みが多発するようになった。

豊臣秀吉蛮行を声高らかに歌い上げる人も多発した。

朝鮮出兵で酷いことをした、国内でもこれだけの失策を重ねた…と。

しかし、他のロクに相手されなかった過去きこみと違い、秀吉アンチによる書き込みは多数の日本人の心を動かした。

なぜならば、秀吉晩年に残虐な行為したこと、耄碌したことは明らかに事実であり、

朝鮮出兵失策だったこと、秀次や秀秋への仕打ち後継者秀頼の首を絞めることになったのは明らかなのだ

その結果、秀吉人気は落ちるどころか多数のアンチを生むことになった。

歴史上に失策を重ねたとされる人物は多数いるが、アンチがこれだけいる人はそういまい。

英雄でありながら失策も多そうな足利尊氏天智天皇平清盛西郷隆盛木戸孝允坂本龍馬…彼らにこれほどのアンチがいるだろうか。

皆気付かなかったのかな

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-01-24

幼い頃から勉強のできた女は、比較依存心が低い説

いや逆かも。

勉強ができなかった女は早々に勉強による立身出世放棄して、男に依存して選ばれるための努力を始める。

あくま観測範囲の印象論だが、やはり難関国立大、有名私立出てる女は自活が前提だ。それゆえか、女は顔という意識比較的弱い人が多い。愛想が悪かったり、化粧がおかしい女も、勉強のできなかった女群に比べて多い気がする。

逆に勉強のできなかった女たちは「女は顔」という意識が非常に強い。まあ当然か。

2019-01-21

anond:20190121115739

↑おやおや、反論させないためにわざわざレスを消すとは手が込んでるね。おそらく藤田賛同者なんだろうが、悪いことは言わないかあいつに着いていくのはやめた方がいい。あいつには派遣を守るための戦略なんてない。俺が立身出世のためだと言ってるのはそれが理由

anond:20190120210836

同意見。藤田は「反貧困」を貧しい者のためではなく、自身立身出世のために利用してるのだと理解してる。

2019-01-04

anond:20190104115857

いい説明

スポーツをとるか、勉強勝負するか

立身出世を目指すか、そこそこの幸せ家族の中に見出すか

どっちもない人が聞いたらブチ切れそうなAとBを無理矢理比べる世間話のなんと多いことか

2018-04-30

思考実験陛下庶民になる。

2XXX年、国体破壊を望む海外勢力陰謀により日本天皇制を廃し陛下庶民となった。

陛下は荒れた。荒んだ陛下は卑しい身分に相応しい趣味を求め、また庶民の娯楽として前々から興味のあったパチンコ屋に足を踏み入れた。

陛下は勝った。1万円が10万円となった。陛下の心は踊った。今までに得たことのない高揚感。高い射幸性陛下パチンコにハマった。

パチンコを打っているとき陛下の心は幸福で満たされた。しかし、それは長くは続かなかった。

陛下は多大な借金を抱え、パチンコはおろか日々の生活を送ることもままならなくなったのである。そして陛下行方を知るものは誰もいなくなった。

こうして海外勢力の野望は達成された...かのように思えたがここは思考実験、3XXX年の科学者によってタイムマシンは完成され、過去干渉することが可能となった。

天皇制廃止することを防ぐことは出来なかったがパチンコ規制することに成功した。

こうして一般庶民パチンコに足を踏み入れることは容易ではなくなり、陛下パチンコにハマる過去回避された。

ちなみにパチンコ廃止ではなく規制にとどまったのは政治家たちの次のような主張が国民に支持されたからだ。

韓国では国民民度が低いのでパチンコ禁止することになったが、我々日本人は謙虚世界で一番賢い民族なのでそんなもの不要なのです。

我々は新しい伝統としてパチンコ文化を守ろうではありませんか。韓国には文化はないが、我々には文化がある。」

この政治家にはパチンコ業界から多大な献金が支払われていたが誰も問題にはしなかった。

心が荒むことな人間だれしも一度はある。そこから転び落ちることなどただの運のツキに過ぎず、

若いころは道を踏み外しやすものだ。そう陛下は若かった。陛下はまだ学生なのだ

陛下は思った。「平民の身になったとはいえ、そこから立身出世していけばよいではないか

学生に相応しく学問を修め、ゆくゆくは海外勢力を打ち払い皇室を再興すればよいではないか

陛下は新しい道を定め、前向きに生きていくことを決めたが一つ問題があった。

陛下学費を納めなくてはならなかった。陛下には学費を頼れるものはなく、

また奨学金自己破産する学生を知っていたのでアルバイトをして自分で稼ぐことに決めた。

陛下庶民生き方に触れるべく、日本人の王道バイト飲食店、それも全国的にチェーン展開されている居酒屋店で働くことに決めた。

陛下毎日は輝いた。バイト仲間と共に夢を語り合い、労働に勤しむ日々。

ありがとうをたくさん集めよう。お客様へのおもてなしの心で日本を元気にする。」

この企業理念陛下の心は熱くなった。営業開始前の朝礼では人一倍大きな声でこの企業理念を叫んだ。

陛下の心は幸福で満たされた。しかし、それは長くは続かなかった。

長時間労働強制出勤、いつしか学業はおろそかになり、遂には大学を辞めた。

明るく元気に振舞っていた陛下もいつしか目に輝きは失われ、仕事でのミスも増えた。

ミスで発生した費用は全て陛下バイトから引かれた。そしてある日を境に居酒屋にも現れなくなった。

そして陛下行方を知るものは誰もいなくなった。

こうして海外勢力の野望は達成された...かのように思えたがここは思考実験、以下省略。

ブラック企業経営者逮捕され、懲役刑を受けるようになった。教育費は全て無料となり、学生には幾ばくかの生活費も支給されるようになった。

陛下は優秀な成績で大学卒業し、日本代表する大手家電メーカー就職が決まった。

陛下は思った。「観光立国など、所詮海外勢力によるまやかし、真の日本の強みは技術立国にある。観光立国技術力衰退から国民の目を欺く誠に亡国の道なり」

陛下は働いた。伝統日本企業の硬直的な組織に苦しみながらも、日本人の心を打つヒット商品を産み出した。それは機能の少ない、使いやすいおしゃれな家電である

陛下は次は世界市場に打ち勝つ企画を通すため、これをきっかけに出世することを望んだ。

「待っておれ、朝敵〇ップル、サムス〇、日本人の心をたぶらかす不届き者め、討つべし」

しかし、陛下出世することはなかった。同期が順調に出世する中、若くして功績を挙げた陛下は疎まれ総務部に移動となり、いつしか陛下会社に出社しなくなった。

そして陛下行方を知るものは誰もいなくなった。

陛下海外移住することを決めたのである。こればかりは未来科学者によっても変えることができなかった。

海外に旅立つ飛行機の中で陛下は思った。「もはや国に縛られる時代ではない、自分の生きる社会自分意志で決めていいのである

伝統ある美しい我が国を離れるのは寂しいが、我が国と同様に大学までの教育費が無料で、ブラック企業経営者逮捕される国で働こう。

の子供は意志が強いとも限らないのでギャンブル規制され、再チャレンジのしやすい、社会保障の手厚い国で生きよう。

そして、なにより女性社会進出が許された社会皇室の復活を果たすのである

ギャンブルで身を壊すのも大学に通えないのもそれらは全て個人責任でしょうか?

陛下がもし何の後ろ盾のない一般庶民として生きることになった場合、この国は陛下安心して生きることのできる社会でしょうか?

もし社会制度について変えることができるとしたら、あなたは何を変えたいと望むでしょうか。また、それはいくつありますか?

社会について考えるきっかけになれば幸いです。万歳

2018-03-21

貧困連鎖を断ち切るとか言って、

立身出世目標に据えてネオリベになってたら意味なさすぎる。

貧困を断ち切れるのは財政政策だけ。

2018-02-11

フェミニストって、なぜ出産禁止しないの?

今日では女が出産をしなければ、いくらでも働くことができる。

なので、出産をやらない、やらせないことが男女平等への道だと思う。

  

そもそも現代日本では、女が大学に行けるし、立身出世もできる。

出産育児をしない生き方だって、どんどんやればいい。

誰もあなたを止めませんから、せいぜい自己責任で頑張ってほしい。

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