それも含まれる、程度だと思う
人間味を欠いたグリフィスの人間的な弱さによる崩壊と、いつまでも正気を保ち続け、いつまでも人間だったガッツの対比がある
だから描きたかったのはあるときは欠け、あるときは野心に燃え、しかし中心は人間でしかなかった人たちの群像劇だと思う
全体のテーマ性で言えば上の通り
グリフィスが人間を捨て、まさに非人間的な存在になったことで、(ある意味では気が狂ってしまった)グリフィスの頬を張るためにガッツがいつまでも食い下がってゆく、という古典的な熱さはなぜにあったか
それはガッツが欠けてしまったグリフィス自身を信じていたからこそいつまでも食い下がったのだ、と言ってもそれほど間違ってないと思う
ガッツの妄執はゴッドハンドに鷹の団と自分の青春をめちゃくちゃにされたゆえの怨念もあろうが、グリフィスへの郷愁というか、望郷というか、そのような懐かしむ念も強くあったと思う
そしてスキあらばはっ倒したいと、目を覚まさせたいと思っていた
自分の彼女をレイプした親友に正面から向き合ってはっ倒したいだとか
これはすごい話だと思う
人間性の対比で言えば、グリフィスは進歩主義者で常に自分自身を別のものへと変化させようとした過去を持つ。これは彼自身が下賤の出自を持つからで、いつでも逆境にあって自分自身で有り続けたガッツと、自分から逃げ続けて涼しい顔をしていたグリフィスという対比なんだ。つまりその根底にはやはり人間回帰へのテーマ性が見え隠れする。
グリフィスはどこかで深く傷ついているので、フェムトになった際にも嫉妬や憎悪などが渦巻いて素晴らしい云々と他のゴッドハンドの蛇女に評されている。グリフィスはガッツという人間が羨ましかったのに、その羨ましさをガッツを保持する、という手段で止めようとした。しかしガッツは決闘のち彼の手から離れる。これはガッツにとっていつまでも自分であり続ける旅の始まりであったと同時に、グリフィスの自分でない何かになるための焦りを加速させてしまった。同じ人間としてもがいていた二人のベクトルが真逆に向いた決定的瞬間がスムーズに描かれている。
この筆力は漫画家としても、あるいは文章として書き直しても色褪せないまとまり方だ。
ベルセルクは主役二人が両方とも男性からの性的虐待の経験ありっていうのが珍しいと思った こういうのってどっちか片方が、っていうのはあっても両方っていうのはありそうでない気...
女達というよりそれぞれの復讐と野望と立身出世の話なので それも含まれる、程度だと思う もちろん背後に描かれるのは人間そのものの姿 人間味を欠いたグリフィスの人間的な弱さに...
性的虐待されてたのはアンシーだけでウテナは合意だろ