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2022-06-20

薩長因縁昭和平成史(1)

序文

本稿は戦前天皇インナーサークルとしての宮中グループに焦点をあてながら、昭和平成史を読み解くことを目的としている。宮中グループ宮中側近グループなどとも呼ばれ、これまで定義としてあいまいさを残してきた。本稿では宮中グループ宮中側近にいた政・官・軍を含めたエリート集団位置付け、これまで一括りに論じられることが多かったこグループ牧野伸顕中心の「薩摩宮中グループ」と木戸幸一中心の「長州宮中グループ」に切り離し、対比している点を特徴としている。薩摩宮中グループ皇室との関係においては貞明皇后秩父宮夫妻、高松宮との結びつきが強く、昭和天皇の母君である貞明皇后インナーサークルとも言える。また、彼らは英米エスタブリッシュメント戦前から深く結び付き、親英米派として国際協調を重視した自由主義者であり、英米から穏健派と呼ばれた勢力である。このため皇室英米有力者との仲介者として宮中外交を支えた。英米との接触の中で宗教的感化を受けてクリスチャン人脈を多く抱えていたことも特徴としてあげられる。その歴史的な背景はザビエル来航450周年を記念して建立された「ザビエル薩摩人の像」(鹿児島市ザビエル公園)が象徴している。これに対して長州宮中グループ昭和天皇インナーサークルとして昭和戦争を主導した勢力である岸信介松岡洋右仲介者に陸軍統制派と手を握りながら戦時体制を築いた。単独主導主義的な強硬派と見なされることも多いが、アジアの開放を掲げた理想主義者としての側面もある。戦前から靖国神社が彼らの拠り所となってきたことは、靖国神社にある長州出身近代日本陸軍創設者大村益次郎銅像が見事に物語っている。かつては「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあった。地政学的に見れば前者は海洋勢力後者大陸勢力となるだろう、また、明治期に医学を教えたドイツ人医師・エルヴィン・ベルツは、日本人薩摩型と長州型に分類し、それらが異なる二系統先住民に由来するとしながら、薩摩型はマレーなどの東南アジアから長州型は「満州」や朝鮮半島などの東アジア北部から移住した先住民の血を色濃く残していると考えていたことも興味深い(『DNAから見た日本人斉藤成也・筑摩書房)。前者は縄文人後者弥生人の特徴を残しているのだろうか。大陸から渡来人によって縄文人日本列島南北周縁に分散したと考えることもできるだろう。本稿では明治維新の内乱過程賊軍汚名を着せられた武士階級出身者やその子孫が数多く登場する。薩長藩閥によって立身出世が阻まれながらも、佐幕派賊軍汚名を晴らすべく、ある者は語学力を身につける過程クリスチャンとなって薩摩宮中グループに接近し、ある者は軍部を率いて長州宮中グループと手を握り、またある者は共産主義に傾斜していった。特に陸軍悲劇は、勝てば官軍東京裁判で再び汚名を着せられたことだろう。しかし、勝てば官軍は世の常であり、その最たる例が靖国神社の原点にあることを再びここで取り上げる。日本の敗北は長州宮中グループの敗北も意味した。薩摩宮中グループ戦時下において悲しいほどに非力であったが、戦後英米から選ばれし穏健派エリート集団として勝ち残ることになる。薩長明暗を分けたのは情報力の差である。これは未来永劫語り継ぐべき重要な教訓である戦後薩摩宮中グループの流れを受け継いだ吉田茂は、元祖「反ソ・反共」として、「経済優先、日米安保重視、軽武装改憲先延ばし」の吉田ドクトリンを掲げて保守本流を築いていった。この吉田カトリックとして本流らしい最期を迎えた。この吉田一派をポツダム体制派と見なし、反吉田旋風を巻き起こしながら、見事に復活したのが長州宮中グループを受け継いだ岸信介である。岸も賊軍汚名を晴らすかのように国際政治舞台に復帰する。元祖「反ソ・反共」に対抗して、統一教会などと「勝共」を掲げたが、所詮保守傍流に追いやられた。平成時代になって「政治優先、対米自立、再軍備自主憲法制定」を柱とする岸ドクトリンたすき掛けリレー小泉純一郎によって再スタートする。そして今、第一走者の小泉純一郎から第二走者の安倍晋三へと受け継がれた。安倍の背後にはさらに強力な第三の男も控えている。この3名すべてが岸及び岸の同志につながる家系である

岸の血を引き継ぐ長州8人目の安倍晋三首相からこの物語を始めたい。

2014-01-05

海洋勢力側の傀儡として米が作らせたのが韓国

なんじゃろか、そもそも米vsソ中の朝鮮戦争後に、海洋勢力側の傀儡として米が作らせたのが韓国で、大陸勢力側の傀儡として産まれたのが北・・・みたいな基本ベースすら、分かってない愛国保守国士様大杉じゃまいか、正直ツッコミきれんよ。。。

 
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