はてなキーワード: Tsutayaとは
タイトルの通り。現在実家に帰省しているのだが、珍しく母が「なんか良いアニメとかない?」って聞いてきた。しかし俺は母が好みそうなアニメをあんまり知らなくて困っている。
母は韓流ドラマが好きだ。
うちの実家は四国の山中の田舎町にある。母は昔よく車で往復1時間くらいかけて、山のふもとの町にあるTSUTAYAで韓流ドラマのDVDを片っ端から借りてきて、休みの日にずっと見ていた。
そんな母を見て、俺は4、5年くらい前にAmazonのFire Stickを買ってきて、家のテレビでネトフリとアマプラを見られるようにした。もうわざわざ遠くのTSUTAYAに行く必要もなくなったから、母にとって革命だったらしい。
しかし最近、そこにある韓流ドラマはほぼ全て鑑賞し終わり、見たい韓流ドラマが枯渇してしまったという。本当に見るものがなくなって、最近はスマホでYouTubeやTikTokの動物動画ばかり見てる。ネトフリは特にアニメ作品がホーム画面に表示されることも多いが、ウチの母にはあんまりハマらないらしい。俺はアニメはその年の有名どころを1、2本かいつまんで見るだけだから、あんまり詳しくない。
母からは「面白いアニメはないか?」と聞かれているが、実際はドラマでも良いと思う。とにかく、ネトフリやアマプラで観られる、母がハマりそうな作品を探している。ここなら有識者(?)が多いだろうから、もし詳しい人が見ているなら教えてもらえるとありがたい。
少し長くなるけど、ウチの母の好みをざっと書いておく。
ウチの母は田舎の病院に勤める看護師だ。普段から、大けがして血だらけで運ばれてくる人の手当とか、終末期になってもだれも看取りにこない老人の世話とかしてる。だからアニメといっても、残酷な描写が多いやつはNGだ。流行りの進撃の巨人や鬼滅がネトフリのトップに上がってても、母は「見ててつらい」って言ってる。
当たり前だが、看護師のシフトは交代制で夜勤もある。夜勤明けの母はヘロヘロになって帰ってくる。だからストーリーが難解だったり、特殊な教養が必要な作品は「何言ってるか分からん」って言って視聴をすぐに止める。少し疲れてる脳みそで見ても分かりやすいストーリーだとありがたい。
母は趣味嗜好はいたって普通の50代後半の女性だから、女の子よりイケメンを頼む。
これはなぜかは分からない。例えば、実家でBig Bang Theoryを観ていて、父や弟たちはゲラゲラ笑っていたものの、母は「ノリについていけない」と言って視聴拒否していた。
母は冬ソナで韓流にハマった人なので、最近流行りのイカゲームとかじゃなくて、時代劇の純愛モノがとにかく好き。トンイとか太陽を抱く月とか。
なぜだか分からないが、母が好きなアニメは犬夜叉。これは俺が小学生の時に家族で一緒に見ていたからだと思う。そして最近母がネトフリで唯一ハマったアニメはうしおととら。「なんか犬夜叉っぽい」と言いながら、最終回まで完走した。
増田に投稿するのは初めてだけど、普段離れて暮らす母にしてあげられることは少ないし、こういうときくらいちょっとは役に立つ息子でありたいから、もし何か良い作品を知ってたら教えてくれないだろうか。
追記:
たった一日でこれだけ反応があってちょっとびびった。みんな本当にありがとう。とりあえず母には爽やかスポーツ系(ハイキュー!!、弱虫ペダルとか)と少女マンガ系(夏目友人帳、ちはやふるとか)から2、3選んで薦めておきます。半妖の夜叉姫のことすっかり忘れてたから、それは激推ししておくわ。ネトフリでこういう作品をいくつか見たら、あとは母の好みに合う作品をネトフリが勝手にオススメしてくれるから、それに任せようと思う。
あと俺自身は酒飲みながら電脳コイルを見て号泣した人間だから、地球外少年少女には結構期待してる。みんながオススメしてくれた中にも気になったものがいくつかあるからちゃんと見ておくよ。
ワイヤレスイヤホンが主流になった今となってはもう無くなった文化かもしれないが、ふと思い出したことがあった。わかる人はいるだろうか、セーターの袖からイヤホンを出して音楽を聴くあれ。
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音楽もサブスクなんてもんはなかったからCDを買うかTSUTAYAに行ってレンタルをして、PCにインポートして自分のプレイリストを作っていた。
男子中高一貫の自称進学校(笑)に通っていた僕はひたすらオタク道を進み続けていた。当時のオタクコンテンツを思い出すと、けいおんやら超電磁砲やらその辺になるだろうか。
そんな中僕のiPodにはひたすら当時流行ったアニメのキャラソンが詰め込まれていたし、自分でも引いてしまうが当時ニコニコ動画でやたら流行っていた「ヤンデレCD」シリーズも入っていた。
話題を元に戻そう。とにかく男子中高生なんてものは基本的に馬鹿でくだらないことが大好きだ。僕達はいかに授業をやり過ごすかを考えていた。そして学校は携帯所持禁止。見つかれば即没収の罰点累積の厳重指導という厳しい校則だった。
そんな中でも僕達は授業から逃げたかった。そこで考えたことが「授業中に音楽を聴くこと」だった。しかしイヤホンは有線。そこで誰が考えついたのか、始めたのか分からないがセーターの袖からイヤホンを出すというテクニックだ。窓際で頬ずえをついてつまらなそうな顔をしている分には自然だ。それがカースト上位勢の中でとても流行っていたのを覚えている。授業が終わるとわざとらしい大声で「マジでRADいいわぁ」やら「今どきはエミネムだべ」(当時僕はエミネムを知らなくてアメリカのチョコレートのことだと思っていた)やら音楽への感想を述べていた。
あの頃彼らが聞きたかったのは音楽じゃなかったんだと思う。いや、何も聞きたくなかったのかもしれない。
(学校生活に支障が出ない程度に)悪いことをしたい。つまらない授業をやり過ごしたい。友人から尊敬されたい。そんなちっぽけな物を求めていたんだろうと思う。
今の高校生ってワイヤレスイヤホンだからそのまま耳に入れて授業とか受けられそうで便利そうだなと思いつつ、簡単に出来るようになったのは風情がないなと思ってしまう自分がいる。アラサーになったらもう世間の中心ではないなぁと思った。ポケットに入れてたiPod nanoに思いを馳せつつもうおっさんだということを自覚した。
これはよく言われる「オタクが差別されるのはオタク自身の態度が非常識で顰蹙買ってるからだ!」みたいな話ではなく、階級闘争の戦略の話
そもそも温泉むすめが批判されているのは「公共機関後援のもと」「未成年の」「女性を性的に描写・女性に対する性加害を矮小化した」点だ
LOFTや宇崎ちゃん、禁書房の炎上も基本的には「公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで」「女性を性的に描写」が問題になっている
例えばまんだらけ店内やTSUTAYAの暖簾の向こう側で、LO誌内でどんなに女体がご開帳されていようが基本的には炎上しない
それはまんだらけ店内やTSUTAYAの暖簾の向こう側、LOは公共機関に殆ど絡みがない(企業間で取引はあるだろうが、公共機関が全面バックアップはしていない)し、男女偏りなく集まる公共スペースでもなんでもないからだ。フェミ側はそう認識しているからだ
そのため「公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで」なされた時点で、「女性を性的に描写」がイラストだろうが実写だろうが、批判の対象となっている
しかし、アンチフェミオタクはこの批判を「萌え絵・オタクを批判している!」と曲解し、そうした言説を広げている
なぜこうしたミスリードが行われるのか?それは、アンチフェミオタクは、オタクの権利を向上させる階級闘争を行っているからだ
かつてオタクが差別され、そのオタクが好むものとしていわゆる萌え絵も差別的に捉えられる時代があった
こうした時代を経て、男性向け美少女コンテンツを好むオタクの一部は「萌え文化を『みんなが認める』ことこそがオタク階級闘争のゴールである」と考えるようになった
(男性向け美少女=オタク文化の全てではないが、彼らは萌えがオタク文化の象徴であると考えている)
(そのため、彼らはオタク階級闘争を行いながらも、電車オタクに対しては差別的態度を隠さない)
(階級闘争が始まったのは、某議員の票集めの活動や、従前から存在するネット上での女性差別の影響もあるだろう(だからこそ、彼らは萌えをオタク文化の象徴としている))
具体的には、「全ての萌え文化を公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで展示することが、オタク権獲得の象徴である」という考えだ
「全ての萌え文化」とは、CCさくらから関谷あさみまで、CERO AからCERO Zまでレーティングの如何を超越した「全ての萌え文化」である
こうした階級闘争に臨むオタクからすれば、当然温泉むすめの批判者は「萌え文化を排除するオタク差別主義者」に映るだろう
批判者が「趣味はスカートめくり」「夜這いにワクワク」設定が削除されて満足する(=萌えキャラデザ自体は変わらない)レベルでも、階級闘争オタクにとっては「全ての萌え文化の公認を妨害したオタク差別主義者」になる
そして種々の炎上案件を経て、階級闘争オタクはフェミ全体を「萌え・オタク差別主義者」と認識するようになる
実際は2次だろうが3次だろうが関係なくフェミは批判しているのだが、オタクにそんなことは関係ない。そこまで見てないし
禁書房の炎上はアンチフェミオタクが階級闘争に臨んでいることを如実に示した例だ
禁書房は「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える」状態をフェミに批判されていた
しかしフェミ=オタク差別主義者の信念を持つアンチフェミオタクは、フェミによる批判を「オタク批判」と認識し、そうした言説を拡散した
実際は禁書房の品揃えの中心は往年のアダルトビデオであって、決して萌え文化と親和性が高いとは言い難い
それどころか、往年のアダルトビデオは出演強要が横行しており、ハッキリ言えば反社的な業界である
まんだらけは非常にオタク的ではあるが、階級闘争オタクの考える「オタク文化=萌え文化」的側面は、取扱商材の一部分にしか過ぎない
つまり、禁書房それ自体は「萌え文化の象徴」とは言い難いのである
しかしアンチフェミオタクは、禁書房を批判するフェミを「オタク批判をしている」と判断した
ここに、アンチフェミ(表現の自由戦士)オタクがフェミを敵対階級と認定し、階級闘争を行なっている一端が見えるだろう
アンチフェミ(表現の自由戦士)オタクは最早「萌え絵を擁護している」訳ではなく、「フェミと闘っている」のだ
しかし、「フェミとの階級闘争」を一義としてしまうと、「オタク階級闘争のゴール」からは遠ざかってしまうという矛盾が生じる
階級闘争のゴールから遠ざかるとは、つまり「萌え・オタク文化=全て差別的なものだとする誤解が広まる」ということである
アンチフェミオタクは闘争する中で、例えば禁書房の件では、「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」を「オタク的である」と認定し、そうした言説を拡散してしまった
(「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」への批判を「オタク批判」だとすると、「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」は「オタク的である」と捉えることができる)
温泉むすめの件でも、「公共機関後援のもと」「未成年の」「女性を性的に描写・女性に対する性加害を矮小化する」を「萌え文化・オタク的である」とする主張を流布してしまった
そう、アンチフェミは(敵対階級認定した)フェミの論点を無視した階級闘争を行うことで、こうした「差別的で、不適切である」案件を「萌え文化・オタク的である」とする「オタクマイナスイメージ戦略」を行なってしまっているのである
フェミの反応も様々で、萌え文化を愛好するフェミや理解をもつフェミは「フェミは萌え絵批判をしている訳ではない」とご丁寧に反論している一方、萌え文化に興味がなかったりむしろ嫌いなフェミは「萌え=女性差別的だ」とアンチフェミの立てた論調に乗っかってきている
オタクマイナスイメージ戦略の影響がフェミ内で止まればオタクにとっては大した問題はないが、現実はそうもいかない
直近の某共産党員の「萌えは性的客体化が入ってる」という発言も、アンチフェミによるオタクマイナスイメージ戦略による影響があるだろう
でじこのような「萌えだけど性的客体化されていない」キャラがいる時点で、萌え=性的客体化とはならないからだ
AVショップの炎上に「オタク差別だ!」と声をあげるオタクを目にする→ポルノ(3次元含む)=オタクというイメージが付く→階級闘争オタクは、萌え=オタク文化の象徴という前提で活動している→ポルノ=萌え、萌え=ポルノという誤解が生まれる
このように、アンチフェミオタクは階級闘争に熱中するあまりに、かえって萌え絵・オタク差別を広げてしまっていることにいい加減気付いた方が良いと思う
隙自語
おじさんになっても昔のことを思い出して「ウガーッ」ってなるよって話。
今よりももっとストレスの多い思春期を過ごしていた頃、自分の趣味は映画を見ることと音楽を聴くことで、暇があればTSUTAYAで新作棚を睨んでいた。
その当時から口癖というか、口には出さないけど頭の中で考えていたのが、「面白い映画ないかなー」という文言で、自分の中ではただの癖のようなものだと考えてたんだけど、少し前に「あ、これセルフコーピングなんか」と気づいた。(セルフコーピングという言葉自体は少し前から知っていた。)
大抵何か嫌なことがあったり、辛いことを思い出したりするとそれを頭から掻き消すためにやってるっぽい。
別のVer.としては、「月、火、水、木……」と、今日が何曜日か確認するというものもある。
適応障害と診断され、回復するまでに取った行動や参考になった本、動画などを紹介していく。
周囲との接し方なども書いていくので、自分自身が今病気で悩んでいる人、身近な人が病気になってしまった場合の参考になると嬉しい。
あくまで個人の体験、感想であり、全ての人に効果を保証するものではない。
とにかく無理をすること、やりたくないことをやることは徹底的に避けて、療養に専念するのが良いと思う。
身近な人が適応障害になってしまった時の言動についてまとめる。
じゃあどうすればいいんだと思われると思うので、自分がしてもらって嬉しかったことをまとめる。
長々書いてしまったが以上。
気持ちの浮き沈みのある日々が続いている。
今日はすごく元気だなぁ、もう薬もいらないかもなぁと思って活動的にしていると次の日疲れて起き上がれなくなる。朝起きた時に「あぁ、今日はだめな日だな」というのがわかるようになってきてそんな日は無理して起き上がることはせずそのままベッドで横になっている。もう二度と起き上がれないんじゃないかと不安が襲ってきてシクシクと泣くこともあった。
かと思いきや朝シャッキリ目が覚め、部屋の掃除やストレッチを済ませて散歩へ出かけ、家に帰ってもまだお昼前だということに気づき「無職最高ーーーー!」とバンザイするような日もあった。
ただ、そんな時でも外を歩いていると5秒に1回は「しにたい、生きるの辛い」と頭の中で呟きながら歩いていた。橋の上など高いところに立っているとスーッと吸い寄せられるような感覚があった。電車も怖くてしばらく乗っていなかった。
よせばいいのに会社のメールを見て、自分が残した仕事を後輩がつつがなく完了させているのを見て落ち込み、自分なんてやっぱりいないほうがよかったんだとまたシクシク泣いた。この頃には声をあげて泣き叫ぶことは無くなっていたが、暴力的な衝動は突発的に現れて、壁を殴ったり、カフェで窓際の席に座っていた時に、目の前のガラスを叩き割りたい衝動に駆られた(流石に行動に移してはない)。
小説やドラマなどは見れるようになったが、ニュースやバラエティなど喋っている声がキンキン響くものは相変わらず見れなかった。YouTubeでは焚き火の映像などを見ていた。勉強を頑張っている社会人のvlogが好きで、いつもそれを見てモチベーションを上げていたのだが、病気になってからは見ると動悸、頭痛がして視聴することができなかった。この人たちはこんなに頑張っているのに自分は…という罪悪感で心がやられてしまったのだと思う。
本屋に行ってうつ関連の本を立ち読みしたりした。以前は本屋で時間を潰すのが好きで、自分の仕事関連の専門書のコーナーに行きワクワクしながら本を物色していたのだが、この頃はそのコーナーに近づくと頭痛と動悸がし、涙が出そうになっていた。
適応障害についての本を買って読んだが、頭がぼんやりして内容が入ってこなかった。
全然眠れないと思ったらものすごい眠気に襲われる日もあり、風呂も入らずに眠る日も度々あった。
活動できるときはとにかく歩いていた。2駅隣のTSUTAYAまで歩いて漫画を30冊借りて、また歩いて帰るというようなことをしていた。
病院では「元気な時とダメな時がある」と伝えると、「そうやって波を繰り返して徐々に良くなっていきますからね。元気な時に無理しすぎないようにね」と言われた。なんかそのくらいなら自分でも言えそうだな、などと思った。特にカウンセリングなどをされるでもなく、5分くらいの診察の後処方箋をもらって帰るという繰り返しだった。
この頃、友人の結婚式があり久しぶりに大人数のいる場に出かけていった。電車に乗ることもできてほっとした。
長い間会っていなかった友人たちばかりだが、お互いの近況を話したりするのは楽しかった。自分の病気のことも話したが、全く平気そうに振る舞った。友人の目にどのように映ったかはわからないがみんな気遣ってくれた。
久しぶりに会えて楽しかったが、やはりひどく疲れてしまい家に帰ってすぐに寝た。翌日も疲れは残っていた。コロナのおかげで二次会とかもなくサクッと終わったのでまだ良かった。
薬の服用量も減った。2種類の薬を服薬していたが、1つは不安になった時だけ飲めばいいとなった。
この頃から少しずつ自炊もするようになり、なかやまきんに君のYouTubeで紹介されていた野菜スープなんかを元気な時に作り置きしていた。ただ野菜を切って煮るだけだが、キッチンはぐちゃぐちゃになり、効率的な動きもできなかった。料理はものすごく難しい作業なのだと知った。
転職活動を始めた。休職した瞬間から、もう前の職場には戻らないと決めていたので、とりあえず職務経歴書や履歴書を準備し始めた。ただ、そのテンプレートを埋めるのも一苦労で、リモートワークに使っていた机に座るだけで具合が悪くなった。仕事関連の本を見えないところにしまい、机の位置を変えた。できるだけカフェなどの外で作業するようにした。1日に30分~1時間ほどしか作業することができず職務経歴書を完成させるのに二週間ほどかかった。
転職サイトに登録するとありがたいことに色々な会社やエージェントから声がかかり、面接の予定がどんどん埋まっていった。
転職活動はオンラインでできるので助かった。ただ、1日にいくつもやると流石に疲れるので、午前中に1件やるのみとしていた。転職の選考のスピード感についていけず、働いている体で「現職の都合が…」とスケジュールをできるだけ引き延ばした。
今思うと、こんなに早く転職活動する必要はなかったが、当時はとにかく不安で、焦りがどうしてもあり、早めに始めてしまっていた。傷病手当金がもらえるギリギリまでのんびり休んでいれば良かったと思う。
仕事を始めた時に備え、資格の勉強などを始めた。面接のない日はカフェで参考書を開いて勉強していたが、この頃勉強したことは全く頭に残っていないのでやる必要はないと思う。それよりもゆっくり休んだほうがいい。
この頃は寝られない日が2日続き、翌日はぐっすり眠れるというようなサイクルになっていた。昼寝は相変わらずしていた。
人の多い店などにも行けるようになり、ジムに行くこともできて、回復しているのを感じた。
寝られない日は日中に筋トレやHIITトレーニングをして体を疲れさせるようにした。
だんだん見られるものも増えてきて、アドラー心理学の本なども読んでみた。あとはスマホでゲームなんかも始めてみた。久しぶりにやるとめちゃくちゃ面白くて、没頭できた。ゲームをしている間は他のことを考えずに済むのが良かった。
ついに内定をもらい、入社条件の交渉になった。正直こんなに早く決まると思っていなかったので、もっと休みたい気持ちがあり、現職の都合で~とか、まだ他社の選考が~とか色々言って提示された入社日から1ヶ月延ばそうとしたが受け入れてもらえず、やむなく病気のことを話した。内定取り消しになってもしょうがないと思ったが、意外にもそうはならず(法律上のしばりとかもあるのだろうが)、提示した条件で入社するかを決めて欲しいと言ってもらえた。
とにかく前職を直ちに辞めたかったので、体力的に不安ではあったが(あと、もう少し無職でフラフラしていたかった)内定を受けることにした。
病気がひどかったときは早く働かなくてはと焦っていたので、働きたくない、無職でいたいという欲求が出てくるのはむしろ健康になったのかもなぁなどと考えていた。
次の職が決まったので上司に退職の連絡をした。先日休職延長の連絡をしたばかりなので少し気まずかったが特に何を言われるでもなく、たった9分の電話で退職連絡が完了してしまった。
その後、各種手続き書類が自宅に郵送され、粛々と退職手続きが進められていった。
頭痛も睡眠障害もまだ治っていなかったが、医者に内定をもらったことを告げると「良かったですね、まあ新しい職場でも無理しすぎないようにね。最初は頑張っちゃいますからね」と言われただけで、復帰なんてまず無理、とは言ってくれなかった。
働きたくない働きたくないとひたすらごねていたが、自分でもわかるくらいに体調は回復していた。朝起きてジョギングをしたりもできるようになっていた。昼寝もしなくても大丈夫な日も増えてきていた。
つづく→適応障害と診断されてからの記録⑤
https://anond.hatelabo.jp/20211004080408
注意。自分語りです。
上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。
結論から言っちゃうと、上の26歳増田はオタクではないと感じている。
俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。
当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。
小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、
子供の性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である。
小学生の自分は爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョのスレ、エロ関係のスレを食い入るように見ていた。
確か11歳か12歳のころ、ジャンプ・サンデー・マガジンを購読するようになる。
2ちゃん的価値観を刷り込まれた俺は「ドラマやバラエティは下らない」という結論に至り、
高校生くらいまでSMAPのメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。
ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。
映画になるまでフレディってクロマティ高校のキャラという認識しかなかった。
ちなみに当時好きだった漫画は日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。
だが、オカズはドラゴンボールのブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~やこち亀のエロシーンであったことが記録されている。死にたい。
本屋の立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌、クリムゾン先生の存在を知り、自分の性癖がソフト陵辱であることに気がつく。
だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。
早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。
また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、
同時期にハヤテのごとく!のSSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントでボコボコにされたらしい。
今となっては恥ずかしいが、アニメはほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋(TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。
日記の落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースターの武器にやたら憧れていたらしい。
とにかくそんなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。
情報の授業の時間にFLASHを見て喜んでいる層に「やれやれ…もっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分もFLASHにハマっていた。
オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板で長門×キョンのSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァとナデシコとGS美神にSS経由でハマった)
だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。
中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSSを乱造して、
パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。
ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。
あと『スクールランブル』の八雲と播磨、『Dグレイマン』のリナリーとアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったか、おにぎり派だったか。記憶が定かでなくなってしまったが。
というか、日記を見るにリア友の情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
「ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨は死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。
大体この世代のネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。
AKBやジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたかえ応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。
ボカロは何か合わなかった。
同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分を演出したかったからで、エロゲはシコるためである。
帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリアか乱菊の同人誌をレジまで持って行ったのだが、
「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。
だが、その後、代引きでAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。
俺が人生で初めてセックスというものを理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンのエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックスを理解していなかったのだなあ)
そこから2ちゃんのエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレに毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。
名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。
また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。
古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版全シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。
「やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプのゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。
また、無駄にガンダムSEEDを叩き、無印のガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、
ひぐらしとスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書が日記に残されており、今、ダメージを受けている。
小~中の時代にこじらせすぎて、Mステも人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。
ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。
一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。
パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手なものである。
(デレマスと呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)
200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?
まどマギやSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。
だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものだから、
「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、
やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。
そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞に投稿した。
『文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFate丸パクリの会心のネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。
「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。
この頃には、同世代でそれこそボカロで成功したり、ラノベ作家にデビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。
その後、なんだかんだあって、大学を卒業し、今はアニメ業界にいる。
有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲームや出版関係の人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。
ネット上の文字列、雑誌の写真のインクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。
仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。
周りでも海外への配信権を売るビジネスが好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。
以上が、大体の俺の人生である。オタクの人生であると言っていいんじゃないだろうか。
引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。
君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。
そして、結論を書こう。
この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。
アニメは間違いだった。
漫画も間違いだった。
ゲームは間違いだった。
ラノベは間違いだった。
この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。
オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。
オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。
Kindleに溜め込んだ商業BLのコレクションたち。最もお気に入りの作品たちについては前に書いてしまったので、今回は書かない。今回は「しゅみじゃない」~「けっこう好き」までのレベルが入り乱れる。せっかくの増田だし、辛辣なレビュー書いても消されたりしないので、素直に思ったことをぶちまけよう。
初めて買った商業BL。上下巻ある。表紙が綺麗だけど、中身はというと、そこまで絵が上手という訳でも……。特別下手でもないが。綺麗めの少女漫画といった感じ。ストーリーは、白泉社の匂いがする。と思ったら、作者は白泉社の、雑誌で少女漫画家としてデビューした人だった。
主人公(攻め)がドクズなので、受けの粘り勝ちなラストだけど、それでいいのかお前(受け)は? ともやもやした。あと、BLで性格の悪い脇役の女を見せつけられるのは、あまり気分のいいものではない。少女漫画でも性格の悪い脇役の女の登場はあまりいい気分ではないけど、まあ、必要悪だから仕方ないなと思う。
男だらけの登場人物の中で紅一点の女キャラが性悪って……。と思ったけど、初読み商業BLだったので、まあそういうもんなのかなと思ったし、実際、BLワールドでは女が悪役はそんなに珍しいものではないと後に知る。(悪役で出てくるくらいなら女一切出て来なくてよし!勢もBL読みには多いようだと、更に後に知る)
既刊三巻まで。一時期Rentaの広告でやたら出てきたので、興味本位で購入。もともと「メス堕ちBL」という企画のために作られた短編を長編化したものらしい。メス堕ちBLて。商業BL、たまに男性向けエロも真っ青なえげつない企画があるよな……。
そんな訳で、一巻は果てしなくセックスしてる(というか受けが攻めにレイプされている)感じなのだが、徐々にエロの頻度は減っていき、三巻では遂にエロはご褒美(巻末描き下ろしだけ)となる。
物語はタイトル通り嫁入り譚。だが主人公はララの双子の兄ラムダン(受け)で、彼が妹の代わりに政略結婚相手に嫁ぐというもの。どう見てもちんちんあるのに旦那(攻め)を騙し切れてるとけっこう長いこと信じている受け(濡れ場で紐パンぜったい脱がない)がすごい。んなわけあるかい!
パンツ脱がなければ大丈夫と思ってる受けとか、飛んでくる弓矢がどう見ても矢印とか、突っ込み処が色々ありつつ、ストーリーは少女漫画を通り越して昼ドラの泥つき具合で進んでいく。途中から登場した攻めの第二夫人がすごくいい子で自分から身を引いて退場となる辺りは清々し少女漫画のよう。
BL読んでる感がどんどんなくなってきたので、三巻でストーリーに一段落着いたことだし、これ以降は読まなくてもいいかなと思った。いやまあ、少女漫画が好きではない人間には商業BLの7割くらいはノットフォーミーなんだけれども。
ところで、登場人物の装束や村や街の風景がどう見てもチベット。しかし、チベットって一夫多妻というより一妻多夫のイメージがあったのだが? 幼い頃に許嫁が決まっていて、許嫁同士で遊んでいたとかいう描写は、中国のどこだかの幼児婚的なものに見える。
アサリがBLする。ミル貝もBLする。たしかアサリが攻めだったと思う(人間が受け)。ミル貝は立派なものをお持ちながら受けである。アサリに詳しくなれるかもしれない。西洋画パロディが素敵。
誤タップにより購入してしまい、購入した途端にページが開かれてしまったので、返品できなかった。悲しい。
サンプル1ページ目を読んで合わないと思った作品はほんとうに合わないと思い知る。悪くはないと思うけど、私には合わない。
作者のペンネームが中二病拗らせている感あるけど、作風は中二病が炸裂し爆発している。サンプル1ページ目の主人公(受け)のビアズリー的な美に惹かれて購入したが、なかなか良かった。BL世間的評価がどうであれ自分にはヒットした。
あれ、これBL? BLでない? よくわからない。商業BLも読むんならこれ読んでみれと強くおすすめされた1冊。特に私の推しジャンルの二次創作クラスタにはたいそうウケるらしい。が、私には全く面白さがわからなかった。ここまで何が面白いのかわからないという作品に当たったのはじめて。まあ、同クラスタの人ほど案外趣味合わないというのは、よくあることかな。『地獄楽』(これは少年漫画だが)とかも、正直わからんと思ったし。推しに似てると言われても……。
表紙の銃口を向けられている方が攻め。銃を向けている方が受け。仕事でヘマをして逃亡の身になったヤクザ(攻め)とその舎弟(受け)が海沿いの街を転々とするロードムービー。オールドファッションなヤクザスタイルだけど、時代は現代。平成前期くらいで時代に取り残されてしまったような懐かしい旅風景。
おすすめかというと微妙だけど、個人的にはかなり好き。最寄りのTSUTAYAのBL本棚では、イチオシ作品として飾られていたので、人気はあるのだろう。
そういえば、同作者の非BL作品が町田啓太主演でドラマになったかこれからドラマになるかだったような。
うん、思ってたんと違った!
私が持ってる商業BL漫画のなかで唯一の、18禁作品。これ以外はどんなにエロがあっても18禁にはならないのだった。前述の『ララの結婚』など、そうとうエロいはずなんだけどなー。
だがKindleにかかればVOIDも白抜き修正祭りさ! 18禁というレーティングで描かれた漫画であるので、同作者の他の作品とは違い、体位で局部を見えなくする技を使わずに描かれているせいで、よりいっそう白抜き修正祭りになってしまっている。あと、ほかに何が18禁なのかというと、アブノーマルなプレイがある。道具使用とか、プレイを超えた言葉や身体的な暴力とか。受けをただ虐待するSMのようなやつ。
エロがメインの作品なので、座裏屋先生らしくハイクオリティーの映画的な画面構成だけど、ストーリーの面白さとか辻褄とかは今一つ。受けが可哀想過ぎるし無理やりハピエンにまとめているのが却って理不尽に思えてしまうので、私はあまり好きではない。
本物の18禁(修正無し)だったらしい紙の方は受注販売だったために、現在は新品での入手は不可能。中古本がとんでもないプレミア価格で売りに出されていることがある。
商業BL入門時代に、とりあえず一人の作家さんにしぼって単行本を集めてみるかと思って買った。そしてここで挫折した。(他にも初期短編集も買ったけど。)『カッコウの夢』『ララの結婚』ほどは少女漫画的ではない。あまり記憶に残らない作品だった。
主人公二人が粕谷と葛谷という名前からしてろくでもなさそう(実在の粕谷さんと葛谷さんにはすみませんが)な二人の織り成すリバーシブルなギャグBL。
ひとしきり笑う。時々可哀想。
続きはまた後で。
すごい疑問に思ったんだけど
ゴリゴリのアダルトショップ(実店舗)ってそんなに需要あんの?
俺はAVがダウンロードで手軽に買えるようになってからそれでしか買ってないし
できない時でもとても実店舗でなんか買えないしTSUTAYAでレンタルも恥ずかしくて無理だからDVDを通販で買ってた
馬鹿にしてるとかでは全くなく、アダルトショップに入るって「俺は今からオカズを探しに行ってしこります」って宣言してるみたいなもんじゃん
入れるやつすごくね?俺には無理
というかDVDって別に実際に見て買わなきゃいけないもんじゃないじゃん。 服とかならわかるけどさ
まんだらけが出店を決めたってことはもちろん利益が得られると思ったらからだよな
謎だわ
漫画とか買う時に書店特典とかなければ極力そこで買ってあげてる街の本屋さんがある
少し前までは商業施設の中のテナントで入ってたから行きやすかったんけど、今はそこから撤退して昔からある駐車場の無い商店街の本店でしか営業していない
応援したい気持ちはあるけど行くのにめちゃくちゃハードルが上がってしまった
少し歩いたところに銀行とか郵便局があるから記帳だけして、そこに車とめたまま歩けばいいんだけど「めんどくさいな~~~」ってなってしまう
しかも商店街の本店はかなり小さくて本の種類自体がかなり少なくなっちゃったから私の欲しい漫画なんかは取り寄せしないと絶対無くて……ハードルが……ハードルが……
TSUTAYAなら駐車場付きだしほぼ間違いなく置いてあるし……みたいな気持ちになっちゃう
図書カードが腐るほど余ってるからネットショップじゃなくて実店舗で買い物したい
ならTSUTAYAとかのチェーン店で買わずに、せっかくなんだし街のお店で買ってお店を応援したい
でもハードルが高すぎる
駐車場が無いのは最悪少し歩けばいいから目を瞑れても、取り寄せの電話をしなくちゃいけないのが……
電話して、タイトルと作者名と出版社と巻数と発売日を伝えて、入荷するか聞いて、無ければ取り寄せできるか聞いて、入荷日を聞いて、電話を切る
しかも漫画のタイトルが声に出すには結構恥ずかしい系(オタク臭い感じ)でそれを伝えるのが恥ずかしい
別に私はオタクだからオタク臭い漫画買うのはそこまで恥ずかしくないけど、わざわざ取り寄せまでするのはやっぱ結構恥ずかしい
TSUTAYAだったら置いてある本をレジに持っていくだけで済むのに……しかもセルフレジ導入してるから店員に見られることすらなくなったのに……
でもこういう数百円の売り上げの積み重ねで街の本屋さんは生きているのかな……もしこの本屋さん無くなったら結構悲しいな……
って感じで悩んでいる
もうず~~~っとうじうじ悩んでる
優柔不断なので……
小売り店でアルバイト初日に初めて「お店の店員さんも人間だったんだ!」という大発見をしたのがもう何年前か?
その時に感じた衝撃と、店員さんも人間なんだったら優しく親切にしてあげないと・・・という感情を最近忘れかけてしまっている。
最近コロナの影響もあって洋服を買っても着てくところがないので適当に通販で買って済ませたり、さらに東京にも遊びに行けないので通販で買い物したりするので日常生活で接する「お店の店員さん」がコンビニかスーパー、あとはドラッグストアの店員さんくらいしかいなくなってしまった。
スーパー、コンビニ、ドラッグストアの店員さんは忙しいのでいちいち客と雑談なんかしてる暇ないから、人間であることを忘れかけている。
いらっしゃいませ~ポイントカードお持ちですか。
袋はご入用ですか、ありがとうございました。
TSUTAYAとかファミマは完全にセルフレジで店員さんと一言も口を利かずにお会計できるし、セブンもスーパーも最近お金を自分で入れる半分セルフみたいになってるので店員さんがさらにロボットになっていく。
金曜日、久しぶりにTVを付けたらテレ玉で涼宮ハルヒの憂鬱が放送されてた。エンドレスエイト、それもみんなが夏休みをループしているのに気づく回でこれぞハルヒ!と言えるような回だった。
自分の中でオタクという人格形成を手伝った直接的な作品であるアニメでもあるので、やはり見るべきだろうと視聴していたが、なにかしっくり来なかった。
画質が良すぎた。
自分がハルヒに初めて触れたのは中学生の夏休み、コンビニが町に一軒しか無いような東北のクソ田舎で暮らしている自分がほぼ初めて見た深夜アニメがハルヒだった。クソ田舎は無論深夜アニメなんかは放映されているわけはない。父親のお下がりでもらった、XPも動かすのがやっとのようなノートPC。スクエア型の草原からまだリッチデザインだったchromeを立ち上げて、隣町のTSUTAYAで購入した雑誌に乗っていたURLを数分かけて手打ちして入った動画配信サイト。そこでハルヒを見た。
画質は480pのガビガビ、画面の下には中国語かフランス語の怪しげな字幕、イヤホンから流れてくる麗かな平野綾と面倒くさそうな中村悠一の声。
周りの奴らは遊び回っている一方で、部活から帰ってはすぐにPCにかじりつき、穴が空くまでアニメを見た。あの画質、あのフォーマットの動画。
セリフを諳んじるほどまで見たハルヒやけいおん。自分の中のハルヒは480pのハルヒだった。
何気なく見たハルヒは綺麗だった。1080pで写っていた、字幕も何も無かったし途中で広告も挟まれなかった。泣きながら止マレ!を口ずさみ最後まできちんと見た。
あのプールがあんなにもきれいだとは知らなかった。ハルヒが年下になっていた。
10年で自分は社会人になった。primeやdアニメでハルヒをいつでも合法的に見ることができるようになった。
しかしあの10年前、480pのハルヒを見た自分のときめきは返ってこない。鳥肌を立たせながら谷川流を調べた自分の感情は返ってこない。
そんなことを考えていたら寝られなくなった。
何も問題ではない。
藤井風 @FujiiKaze
サブスクでたくさん再生してくれる人、それを呼びかけてくれる人たち真面目にありがたいな。。
https://twitter.com/FujiiKaze/status/1419585810819547141?s=20
大人気のシンガーソングライターである藤井風が投稿した1つのツイートに対し一部ファンが騒いだことに端を発する。
藤井風がサブスクリプションサービスで自身の音楽を聞いてくれること、さらに周囲への”サブスク視聴”を呼びかけるファンに感謝の意を表した。
ところが、一部のファンがこのツイートに「サブスクじゃなくてごめんなさい」などと本人のコメント意図を汲めない返信をしたり、
曲解して「寝ている間にサブスクで無音再生して、再生数を増やします!」というキャンペーンを呼びかけるファンまで現れた。
リプ欄見ていて意外とサブスクって知名度低いのか?と思ったのでサブスクについて書くぞ。
藤井風ファンだけでなく、最近の音楽の媒体とか何もわかんねーという人に伝えたい。
サブスクリプションサービス 略してサブスクとはそもそも何か。いわゆる「月額○○円で○○やり放題」的なサービスのこと。つまりバイキング、90分食べ放題。
藤井風の言っているサブスクってのは音楽バイキングのことである。
サブスクの代表的なサービスはApple MusicやSpotify、LINE MUSIC、Amazon Prime Musicなど。テレビCMでも紹介されるので聞いたことある人も多いのではないか。
大体月額1000円で、世界中の音楽が聴き放題。どれくらい聴き放題かって、あなたが頭に思い浮かべている音楽のほぼ全て聴ける。たぶんメジャー音楽で聴けないのはジャニーズと山下達郎と中島みゆきとブルーハーツハイロウズクロマニヨンズくらい。それ以外なら聴けると思っていい。嘘、言いすぎました。でも大体聴ける。
大体どのサービスでも聴ける音楽は変わらないのだけど、各サービスごとに特色があったりする。独自のラジオやテレビを配信していたり、プレイリストが充実していたり。配信してる音楽で差別化を図っているサービスもあり、極端な例を言うと「アニソン特化サブスク」とかね。
藤井風の音源のほとんどは配信限定でリリースされており、「ダウンロード購入」と「サブスク」の2種類で聴くことができる。この2つの違いがよくわかんね〜という人もいるかもしれない。
「ダウンロード購入」は1曲やアルバム1枚単位で「音楽データ」を購入し、パソコンやスマホで聴くことができる。
一方「サブスク」は月額料金を支払って聴き放題だが、「データ」として手元に残しておくことはできない。サービスを解約した時点で聴けなくなってしまう。
サブスクは「買う」のではなく「借りる」行為に近いかもしれない。イメージは「レンタルし放題のTSUTAYA」みたいなもんですね。
もちろんデメリットもある。「購入」してるわけじゃないから、もしもその「レンタルし放題TSUTAYA」が閉店したり、品揃えを変更したら聴けなくなる。
例えば、数年前ピエール瀧が薬物所持で逮捕されたため彼の所属する電気グルーヴの音源が配信停止になった。ダウンロード購入してる人やCDを持ってる人は引き続き彼らの音楽を聴けたけど、サブスクユーザーは電気グルーヴの音楽を聴くことができなくなった。サブスクではそんな事案がちらほら発生している。
ただ知っておいて欲しいのは、いまCDで儲ける時代は終焉に向かいつつあることだ。
世界規模で見ればフィジカル(CDやDVDのような"モノ")よりストリーミング(ここではサブスクのことだと思ってください)が3倍近く売り上げている。
https://www.musicman.co.jp/column/314188]
とはいえ日本はまだフィジカルの方が売り上げが強い。その理由はCDに握手券やライブの参加券をつけてオリコンチャートを独占するアイドルを見れば瞭然だろう。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ104XI0Q1A310C2000000/]
アメリカで生まれたタワーレコードがアメリカから撤退したという話は有名だ。アイドルに感謝。
そんな状況だから、サブスクに力を入れるミュージシャンもどんどん増えている。今までサブスクで配信していなかった大物アーティストが全音源の配信を開始することも増えた(最近だとB'zが話題になりましたね)。
アーティスト側のサブスクのメリットは音源を作ったらすぐにリリースできることにある。
サブスクはCDを作る手間が必要ないため、CDプレスの時間もお金もかからない。
藤井風がそうしているように、今はシングルは配信だけ、というアーティストもかなり多い。
かつてはシングルカットされたドラマ主題歌を1000円で買い、その後アルバムを3000円で買い、そうでもないCDは1枚数百円でレンタルして
たものだけど。だって今じゃ1000円払えば2曲+カラオケ2曲だけじゃなくて世界中の音楽が聴き放題なのだ。誰だってそうするでしょ。俺もそうする。
何よりサブスクが素晴らしいのは「聴けば聴くだけアーティストに還元される」のだ。
還元率は1再生につき約1円と言われている。とはいえCD1枚の印税と比べたらめちゃくちゃ安いのだけれど。
だってCDは1万回聴いても、最初に払った3000円の印税以上はアーティストに還元されないでしょ?
さらに、あなたがサブスクで聴けば聴くほど「この曲は人気があるのだ」と公式のプレイリスト(おすすめ曲リスト的なやつです)に選ばれる。ラジオで言うヘビープレイ的なね。
また、各サービスは利用者が聴いている視聴履歴のデータを集約する。そのデータを使って、あなたにおすすめの音楽を教えてくれたり、同じような音楽の趣味を持つサービス利用者にあなたの好きなアルバムがおすすめされる。
つまりあなたが好きな音楽をサブスクで聴くことで、ファンが増える機会を作ることになる。
CDがオリコンチャートTOP10入りするよりも、リアルタイムでダイレクトな「購買運動」を行うことができる。買ってないけど。
余談だが、サブスクはメジャーアーティストもインディーズアーティストも同じように評価される。
インターネット発の若いミュージシャンが最近人気になっているのもこれが一因だったりするし、あいみょんもサブスクのおかげでスターまでのし上がったとまで言われている。
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00173/00010/]
クレジットカードがなくてもケータイ料金とまとめて支払いもできるし、コンビニで利用カードを買えば現金も使えたりする。
みんなが思ってるよりハードル低いし、大体最初の1ヶ月無料キャンペーンもやってるのでお試しでやるのもおすすめ。
つまり、もしあなたが藤井風、ないし自分の好きなアーティストを世に広めたいのであればCDを買ってアーティストに印税を還元し、その上でサブスクで聴くことで再生数を伸ばして聴いた分の利益を還元するのが良い。
だから最初の話に戻るけど、音消して再生数だけ回そうという考え方もダメじゃないけど、フェアじゃないよね。
実際Vulfpeckというアメリカのファンクバンドがサブスクで無音のアルバムをリリースした。ファンの寝てる間にアルバムを再生させてツアー費用を稼いだのだけど、結局ズルかったので約1ヶ月後にアルバムが削除された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Sleepify]
これは「無音のアルバム」だけど、本来音がついてるアルバムをボリューム0にして再生数稼ぎました報告をアーティストは見て嬉しいか〜?という疑問は常に持ってようね。
あとたまに見る「サブスクはアーティストへの利益が少ないからやらない」という意見もわかるけど、それ言うならCDの利益も大概なんだからライブ行ってたくさんグッズ買うのが一番良いと思うよ。
たぶん一番良いファンはCD買ってレコード買ってDVD買ってサブスクで聴いてライブ行ってグッズ買ってクソリプしない人だ!!!!!!
1人で飯が食えないタイプだ。誰かと同じことをしていないと不安になってしまう人間だ。
当時、全く面白くもない『ダウンタウン』のお笑い番組だとか『エンタの神様』だとか、興味もない『ミュージック・ステーション』を見て、クラスメイトと話を合わせていた世代だ。
トレンドで言うなら、何が楽しいのかわからないけどオリンピックで金メダルすごいね!と語るタイプのつまらない人間が俺だ。
現代風に言うと、陰キャ。でも、人と話を合わせることで、なんとか立ち位置を獲得していた。
当時はハルヒやコードギアスが流行っていた。あとはスクールデイズだとか、ひぐらしだとか。とにかくそういうものが好きだった。今より少し、深夜アニメを見ていると公言するには恥ずかしかった時代だ。
名前を仮にNとしよう。
Nは学活というものを極端に嫌うやつだった。合唱祭の練習だとか、文化祭の手伝いだとか。
「みんな積極的に出ようね」という空気はとにかく読まず、自由参加と銘打たれた活動に一切姿を現したことがなかった。
でも、頭はよかった。5教科の総合成績で、いつも1番か2番になっていた。特定を避けるために詳細は書かないが、とある学問分野で全国的に表彰されたりもしていた。
だからものすごく嫌われていたと思う。そして、多分Nも俺達のことが嫌いだった。給食の時間だとかに、Nが口を開いているのを見たことがなかった。
Nはバラエティ番組の話を一切しなかった。オリンピックの話を一切しなかった。
大衆娯楽というやつを、Nはとにかく見下していたのだと思う。やつは二次元狂いだった。昼休みは常に図書室に籠って漫画やラノベを読んでいた。
なんでそんなことを知っているのかというと、一時期、俺も昼休み、中二病にかかって、図書室でラノベを読みに通っていた時期があるからだ。
その行きと帰りの道で、必然一緒になって、Nと話す機会が何度かあった。教室に戻ると、Nはとにかくこちらから話しかけてもほとんど空返事しかしない男だったので、その道中で話すしかなかった。
Nは話してみると面白い人間で、オールラウンダーなヲタクだった。
少しハルヒの話を振ると、Nは「ハルヒは嫌いだ」と前置きをした上で、元ネタのSF小説の話を初心者にもわかりやすく、ジョークを交えて教えてくれたし、歴史系の話をすれば、聞いたこともない武将や各時代のエピソードを色々と語ってくれた。
アニメや特撮についても勿論詳しくて、押井守の批判だとか出﨑統のすばらしさを語って(今思うと彼も中二病だったのかも)、まんだらけに行って原画や資料を眺めるのが楽しいと嬉しそうに話していた。
映画も大量にTSUTAYAで借りて見て、聞いたこともないような芸術雑誌や文芸雑誌、科学雑誌を何冊も買っているようなやつだった。(Nは俺がそれらのジャンルを知らないとわかると、一切その話をしなくなった)
ただ、Nにバラエティやオリンピックの話をすると、途端にやつは不機嫌になった。俺は慌てて話題を変えたものだ。
その時に、Nは言っていた。「パチンコだとか競馬だとAKBだとか、ああいう趣味にハマっている大人はダメだ。嫌いだ」と。
俺はなんとなく、鼻が高くなったのを覚えている。多分、俺はNの存在に救われていたのだと思う。
きっと、キョロ充である俺が到達するのは、そのような「つまらない大人」に違いないと諦めていたからだ。そして多分、俺もまた人とのコミュニケーションにうんざりしていたからだ。
人と同調して中身のない会話をして、なにやら冗談を言って笑わせて。自分のためではなく他人のためのコミュニケーションが、俺は嫌いだった。
俺は無能だったし、人から孤立するのが怖かったから、キョロ充をしていた。でも嫌だった。N以外のクラスの人間と話したり遊んだりするのが苦痛でしかなかった。
でも、Nは違った。自分の能力で他人を黙らせて、好きな物だけ摂取して、自由に、生きたいように生きているように見えた。
他人に流されない、気高い孤高の男で、俺はいつかNみたいになりたいと思った。
ヲタクとして、Nはきっとクリエイターや評論家になって、多くの人を唸らせるような、美しいものを表現するに違いないとすら当時の俺は確信していた。学生時代にコイツと時間を共有したことをいつか誇ろうと算段していたのを覚えている。
前置きが長くなった。
卒業と同時に離れ離れになったNと、先日、俺達は東京で再会したのだ。偶然のことで、たまたま映画館で『閃光のハサウェイ』を観た時、横で限定版のBlu-rayと『夏への扉』のパンフレットを買っていたのが、Nだった。
Nに話しかけ、俺のことを覚えていると知った時、嬉しくなって、うっかり「飯でも食わないか?」と誘った。
「しまった」と思った。
Nは、これからハサウェイのBlu-rayとパンフレットを自宅に帰って観るのを何より大切にするような人物だと覚えていたからだ。
だが、Nは、「いいよ」とアッサリ快諾してくれた。
俺もまた、ウマ娘をやっていたので、「推しはタキオンなんだよ~」とか、中身のない会話を続けた。
Nは、俺とアイドルライブの話をした。BTSの話をした。オリンピックの話もした。
俺は勝手に失望していた。Nは、きっとあの幼き日に、彼が嫌っていた大人そのものになっているように見えた。
酒の話、サウナの話、競馬や野球の話をする。全てNは自分の体験談も交えて応じてくれた。
試しにパチンコの話をすると、ミリオンゴッドとかいうよくわからない機体の話をペラペラと話していた。
Nは、大衆に呑まれていた。低学歴のオッサンが好むような、侮蔑するべき酒だのサウナだのパチンコだのアイドルだのの話をしていた。
一番やつが嫌いそうな、バラエティ番組にも、随分と詳しくなっているようだった。
どうしたのだと聞きたくなった。
お前は、俺とは違うんじゃなかったのか。
他人なんて気にせずに、自分の道に邁進して、人の顔色を伺うようなつまらないコミュニケーションは決してしない、そういう男ではなかったのか。
学生時代にお前が探求していたに違いない、美しいものは何処に行ってしまったんだ。キョロ充の俺とは違うんじゃなかったのかと。
孤高のヲタクは、どこにいってしまったのだ。俺は辛かった。そして、その辛ささえもあまり感じなくなっていた俺自身が、何よりも辛かった。
若い日の憧れも、時間と社会経験によって、すっかりと洗い流されてしまっていたのだ。だから、きっとNもそうに違いないと思った。
社会は独りで生きていけるようにはできていない。今は特にそうだ。
1億総オタク社会だとか、1億総陰キャ時代だとか揶揄するやつがいるが、それは違う。
今は、『1億総キョロ充時代』なのだ。SNSは、下らないキョロ充を量産するための装置に違いなかった。常にみんなが、人の顔色を伺ってコミュニケーションを取っている。
キョロ充だけれど、きっと充実しているのだろう。だからいいじゃないか、としたり顔の大人達の声が聞こえてくるような時代だ。
だから仕方のないことだと思った。Nも、「上手く他人と生きる」つまらない人間、否、正しい人間に進化したのだと、自分を納得させた。
他人が見たい仮面を必死に作るのが、正しい生き方でありコミュニケーションの本質である。そして低学歴趣味とは、その本質にとって最高に都合のいい道具なのだから。
でも、それでも俺はNに、お前、どうしたんだよと聞きたくなった。
聞きたくなったので、聞いた。正直に、「パチンコとか競馬とかバラエティとか、あと流行りのウマ娘とか、そういうの嫌いだと思ってた」と。
Nは、俺の顔を見て、笑って言った。
「当たり前じゃん。今言ったやつ、全部大嫌いだよ!」
Nの目はドス黒くて、世の中全てを見下していて、それでいて、とても楽しそうだった。
俺は、最高に嬉しかった。その後のことは、あまり覚えていない。とにかく、Nの職業が何なのかは、あえて聞かないで別れた。
何故なら、確信したからだ。やつはきっと、多くの人を唸らせるような、何かを創り上げているに違いないと。
勿論その日、NとLINEの交換はしなかった。