2021-09-11

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

適応障害と診断されて4ヶ月ほど休職した。


発症してから良くなっていくまでのことを記録しておく。

(今は回復して、通院も服薬もしていない。仕事にも復帰している)

同じような病気で今辛い思いをしている人や、身近な人が発症してどう接すればいいか悩んでいる人たちの参考になればいいと思う。が、基本的には自分語りなのでさらっと読み流してほしい。


発症してから体調、精神的にどんな変化があったか、どんなことをして過ごしたかを中心に書いていく。

前兆発症

自他共に認める意識高い系で、朝は5:55起き(落合陽一の影響)、ストレッチヨガ休日カフェに行って勉強スマホゲーム地上波テレビなどは見ない。YouTubeもタメになる系の動画しか見ない(それも倍速)ような人間だった。働く上で将来的に達成したい目標があって、その実現のためにいつも努力していた。

ホワイト企業ランキングに乗るような大企業に勤めていて、職場の人たちもいい人ばかりだった。

ただ、コロナで完全在宅勤務になり、そのタイミング部署異動もあって対面で会ったことのある人はほとんどいない状態だった。上司も新しい人になり、一から信頼関係を構築しなければならなかった。

新しい部署での自分パフォーマンスは正直言って良くなかった。周りは優秀な人ばかりだったので、早く追いつかなければとかなり自分を追い込んだ。睡眠時間プライベート時間も削って勉強した。緊急事態宣言中なこともあって、年末年始帰省もせずに家から出ない生活をしていた。

そんな風に追い込んでいるのに、何をやってもうまくいかなく、それでいて自分目標実現に近づいているとも思えず、他にも色々な要因があり段々とストレスが溜まっていった。

一番最初に出た変化は起床時間だった。

朝はちゃんと目が覚めるものの、布団から出られなかった。体がずっしり重くて、起き上がるのをずるずると先延ばしにした。普段ならシャキッと起きて、YouTubeを見ながら運動を始めていたり、早朝からやっているジムに行っているところが、なんとなくSNSを開いてぼんやりと1時間も2時間も眺めるようになっていた。もういいかげん起きないとという時間に無理矢理起き上がり、朝食を食べる時間もなくPCの電源を入れるといった日が増えた。

休日も、予定があってもギリギリに家を出るか遅刻、予定のない日はいつもなら午前中に活動を始めていたのに、どこかに出かける気力が湧かなくなった。

次に、涙が出るようになった。

仕事をしながらポロポロと涙が流れるが、在宅勤務なので誰かに気付かれるわけもなく、電話Web会議の時は無理に明るい声を出してなんでもないように振る舞っていた。仕事後はぐったりとし、まだ夕方の6時だというのにベッドに横になった。資格勉強をしないといけないので、本当はここからカフェにでも勉強に行きたいのだが、外に出る気になれなかった。資格試験用の本を買っても、3万円を払って試験予約してもやる気は起こらなかった。

あとは、胃痛が起こるようになった。

Web会議をしているとき、胃がキリキリと痛み、押さえながら無理して喋ることが度々あった。

泣きながら胃を押さえて喋っていて、会議に全く集中できなかった。

仕事の進捗も遅くなり、自分で立てた計画を度々やぶってしまっていた。

周りはいい人なので責められはせず、どうして遅れてしまうのか、無理があるなら他の人と分担しようかとか一緒に考えてくれた。仕事をサボってごめんなさいという罪悪感でいっぱいだった。進捗会議をなんとなしに誤魔化して、来週までに無理すればなんとかなるとまた机に向かうのだが、入り組んだ仕事はできなくて、ただただ単純作業の部分だけこなしてなんとか進捗を誤魔化していた。英語論文など読み込む必要がある仕事だったのだが、そんな精神状態でできるはずもなく、何度も同じ箇所を読み返して理解できない自分が情けなくて泣いていた。

自分やばいのかもと思ったのは、無理してジムに行った時のことだった。グループトレーニングトレーナー音楽にノってぶち上げてくれるタイプ)中にぼろぼろと泣いていた。体が悲鳴を上げているようで、仕事のこと、上司言葉などが頭の中で反芻されて、叫びながら泣いていた。幸いにも、ガンガン音楽が鳴っているので声はかき消されていた。帰り道も、涙は止まることなく、子供のようにわあわあ泣きながら帰った。緊急事態宣言中で人はほとんどいないとはいえ、人前で声を上げて泣くことを、もう30も超えたいい大人なのに、理性で止める事ができなかった。

食事だんだん適当になっていって、自炊はできなくなっていた。買い置きしていた食材賞味期限が切れていくのに気づいていたが料理することができなかった。

何かを食べて美味しいとか、何かをして楽しいとか、仕事終わったらあれしようとか、週末どこ行こうとか、そういう些細な楽しみさえ感じられなくなっていた。

部屋は荒れ、脱ぎ捨てられた服や、本などが床に散らばっていた。掃除をしたり、洗濯をするのもしんどかった。

ただ、ちゃんと夜眠らないと明日仕事に支障をきたすから仕事が終わったらすぐに横になる日が続いた。

から知ったが、うつ気味の社員を見極めるにはまず勤務態度を見よというのがあるらしい。遅刻や欠勤を繰り返す社員は要注意ということだ。

例に漏れ自分も勤怠が悪くなっていって、9時始業だが5分とか10分の遅刻をするようになった。(一応会社の勤務ルール的にはフレックスなので問題はない)ある日、どうしても起き上がる事ができず、10時の会議ギリギリに勤務開始した事があった。

その日即座に上司から電話がかかってきて、勤務開始時間について咎められた。フレックスとはいえ、連絡なしに遅く出勤されるのは困ると(当然だ)。

電話を切った後、また泣き叫んだ。壁を殴り、意味をなさない声で叫んだ。

ひとしきり泣いた後、もう限界だと思い会社カウンセリングを予約した。

コロナ禍でカウンセリングオンラインになっており、家にいながら受けられるので助かった。

メール簡単な症状を書いて、当日Web会議に繋いだ。優しそうなカウンセラーの人に、新しい部署に異動してから何があって、今自分がどんな症状なのかを話した。号泣しながらだったが、慣れているのか驚くこともなく聞いてくれた。会社所属カウンセラーなので、会社制度など細かい背景を理解してくれているのが助かった。

自分ちゃんとした人間じゃなくて周りに申し訳ない、もっとちゃんとしないと、と訴えると「あなた充分ちゃんとしてますよ。本当はもっと色々とできる能力がある人なのに、今少し疲れてしまっているんですね。」と言ってくれて、少し救われた思いになった。

あとは休みを取ることはできないのか、とか、カウンセラーでは病気の診断をすることはできないので、一度心療内科に行ったほうが良いと勧められ、今まで社員受診した実績のある、自宅付近心療内科リストを送ってくれた。

しかし、心療内科に行くのはやはりハードルが高く(なんか高そうだし)、ちょっと考えますと答え、二週間後に次回のカウンセリングの予約を取ってその日は終了した。

なんか長くなってしまったので今回はこの辺で。続きはまた書く。

続き→適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

記事への反応 -
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