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2013-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20130912002952

21世紀始まって10年以上経ったのに試験管ベイビーひとつ達成できてないなんてほんと科学は使えねーな。

2013-09-10

ceroLIQUIDROOM Ebisu

2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人否が応でも7年後の日本想像せざるを得なかったわけだが、日本未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。

今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカル高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクト表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。

満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現演奏が始まる。

アコーディオンバイオリン一曲目のみ)、アコースティックギターウッドベースの4人組からなる表現ceroと関わりの深いバンドだ。ギター古川高城高校の頃からの知人であり、その後もcero表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城舞台袖で涙を流していたそうだ。

さて、表現演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞メンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようであるスキャットハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器演奏も素晴らしく、アンプラグド楽器アンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroコンテンポラリーエキゾチックロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。

ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。

いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。

盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城cero表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。

つの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコート羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫びフロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。

二度目のMCサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスタンバリン担当したあだち麗三郎表現での演奏とは変わってパーカッション古川麦ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。

ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルート音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城一人二役セリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞VJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。

新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生つぶやきや、ceroメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。

再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブ表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバム表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。

短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスからまり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。

最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭最後の盛り上がりを演出した。

しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後最後演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。

実は、最後MCおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京風景、そして変わりゆく日本音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代目撃者となったのかもしれない。

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130831232631

お返事ありがとう。おおむねこちらの書き込みの趣旨を取っていただいたようで、特に追加はない。南京事件に関しては、その前からずっと中国が「戦争」をしていたこと、その延長線上で日本軍南京市を早期に攻略する必要があったこと、そして、軍として必要兵站が不十分で軍規統制が取りにくくなっていたこと、さらに、よく言われる「中国便衣兵民間人に紛れ込む兵士)」の問題など、様々な不幸な条件があったことから普通以上に「(無抵抗の)民間人に対する攻撃」が過剰になった面があったことを考慮する必要があると思うし、そういった意味からも、あなたの論の例としては適切ではないと思う。

ただ、歴史を見れば、「軍による無辜市民虐殺」というのは、他にもいくらでもあるからあなたが「非武装でも殺戮は止まらない」と考えるのがおかしいとは思わない。ただ、どちらが被害が少ないのか、という議論になると、それはやはり分からいね。たとえばあなたは今の日本で「武装した強盗に殺される危険を考えれば市民は武装すべき」という意見は適切だと思う? あるいは「各自が武装したら、相手ももっと武装するわけだから、そんな物騒な競争はじめるより、銃自体を不保持に(取り締まれ)」という意見は、楽天的現実的?

これ、考え方の正しい/間違い、じゃないと思うんだよ。あくまで実際の場や状況下での適切さの問題であって。

自分が言いたかったことは、「武器を取るもの武器により滅ぶ」という、古くから格言趣旨と同じです。武器戦闘の手段であって、停戦のための手段としては使えても平和の手段にはなりえない。(そこは同意して貰えるのではないだろうか。あなた別に好んで戦争したいという風には見えないので。)平和を実現したければ、武器に依らずそれを構築するための努力をする必要がある。そうでなければ、今後も人類永遠に血みどろの争いを続けるか、もしくは破滅するか、いずれかを選ぶしかない。武器の急速な進歩を考えれば、おそらく後者の可能性が高い。それが、二度の世界大戦を経た現在世界外交における、だいたいの前提となっているのではないか

それを踏まえて、一点。

非武装や無抵抗について国家としてそれがとれないのは、自己否定といった国体にかかわる側面から国家が主体となってとれないのではなく、リスクの面からとり得ないということだと思います

うーん。ある国家が「非武装。無抵抗」を標榜したら、それはもう近代現代的な意味で「国家」とはなり得ないと思うんだけど、どうでしょう領土侵犯されても、自国民誘拐され殺されても、我々は特に何もしません、という近代国家政府が、果たして成立し得るのか、という。「単にリスク(すなわち未来)の問題であって、リスクさえ適切に解消できれば政策として取り得る」のか?と考えてみると、やはりそれは疑問です。

から、現状では「国家」は「軍」を手放せない。だが、それこそが、人類にとっては大きなリスクなのではないか? 「国家」による安全保障には限界が…というのが、25年前のマンガ沈黙の艦隊」(かわぐちかいじ講談社)のテーマで、一種21世紀テロ時代を先取りしたマンガだったわけなんだけど、まあそういう考え方というのはあるよね、という話。

参考:松岡正剛の千夜千冊「沈黙の艦隊http://1000ya.isis.ne.jp/1485.html

私は、とりあえずあなたの言う「サヨク」な人たちが唱える非武装論というのは、現実の政策論ではなく一つの理想的なものの考え方・視点と考えれば理解できると思うんだけど、どうだろう。だとすれば、今の現実政治がそうなっていなくても、いつかはそこにたどり着こうという目標として、飾っておく必要はあるんじゃないかな。遠い未来目標がなければ、「今」を生き抜くときにも方向性が決まらないでしょう?

2013-08-20

エベレスト遺体って本当に回収できないの?

確かに登山中の挑戦者が8000m以降にあるデスゾーンで回収作業をするのは現実的ではないと思う。

でも遺族や然るべき誰かが望めば、多額の費用は掛かるだろうけど航空機を導入したり生命維持装置を装備して回収できるはずだと思う。

遺体だけではなく、登山者が投棄していった酸素ボンベ等のゴミなども同様に。

不可能じゃないんでしょ?21世紀なんでしょ?

2013-08-18

21世紀という時代は基本的にモノをなんでも作ることができる時代だ。

21世紀という時代は基本的にモノをなんでも作ることができる時代だ。

たとえば、

誰が着ても格好よくなる服とか

みんながいいと思える音楽とか

プロダクトの視点でいえば、本当に基本的にモノがつくれる時代だと思っている。

からこそ

果たしてつくるべきか?という点が重要になってくる。

プロダクトの伝え方であったり

ストーリーであったり、パッケージであったり。

それはさておき

お金必要だが、時間的なものも含め、コストは大きく下がった。

人は見つけられる、質の高いものを少数人数で時間お金もかけずにプロダクトを生み出すことができる。

そんな「空想」がほとんど実現可能な世界であるはずなのに

大きく1つ疑問が残る。

まりにもイノベーションが起こるスピードが遅すぎないか

突如として時代が大きく動く

そんなタイムパラドックスをとても楽しみにしている。


" 家は大きくなったが、家族は減った。


 どんどん便利になったが、余暇は減った。


 学位は取ったが、感性は鈍った。


 知識は増えたが、判断ができなくなった。


 専門家が増えた分だけ、問題も増えた。


 薬は増えたが、健康だと思う人は減った。


 月まで行って帰ってくるが、向かいの人に会いに行くのに、

 道を横断するのも大変になった。


 量は増えたが、質は下がった。


 背は高くなったが、気は短くなった。


 大儲けはできたが、人間関係は疎遠になった。


 窓にはたくさんのものが飾ってある時代だが、冷蔵庫空っぽだ "


21世紀型のイノベーションは、21世紀育ちの僕たちにしかできない。

やろうね。

2013-07-28

文系へっぽこ東大生なんだけど将来が見えない

俺は有名私立中高一貫校出身で、周りのブルジョワジーたちに揉まれつつエリート街道らしきものをここまで登ってきて、

なんとなくで文系にして、そのまま文科一類に入って、今一年生なんだけど、



将来のヴィジョンが全く見えない。



考えてみれば自分には21世紀前半を生きるための付加価値(具体的に言えば英語IT、その他資格?)が全くない。

もちろん学歴と、そのバックグラウンドと、大したことをしなくても得られる人脈がある、っていうのはそれなりに長所なんだろうけど、

これからそれだけでやっていけるのか正直わかんなくて不安だ。


不安なら何か努力してるかって言われると何もしてなくて、ひたすらダラダラしてる。

周りには官庁志望の奴とか、弁護士になる!とか決めてる奴もそれなりにいて、

他にも理系だと自分の専門分野たくさん勉強したりして、

そいつらはヴィジョンがはっきり見えてるから、やるべきこと分かって努力も出来るんだろうけど、

そいつら傍目に、夢も目標もない俺は何もしてない。

少なくとも「お前何やった?具体的に」って問いに全く答えられない。


もちろん周りには学生団体とか頑張ってる奴らもいるんだけど、

一回片足突っ込んでみて「あ、自分には合ってないな」って思った(はてなにはそういう人多いかもしれない)。




それで、結局何もしてない。

なんちゃって自己分析ちゃうと、下手に高学歴歩んできたから無根拠に全能感抱いちゃってんじゃねーの、俺、って思う。




不安不安で仕方ないので、夏休みに何個かインターンとか入れてみたけど、迷走してる気しかしない。

ていうかとりあえず留学みたいな、とりあえずインターン感がハンパじゃない。





いろいろやってる内に将来の夢とか、人生を賭す価値とか見つかるだろうと大学入る前は思ってたけど、本当に見つかるんだろうか。


それともこのまま何もせずニートになるんだろうか。不安だ。


p.s.どうでもいいけど「ディスチミア親和型うつ病」ってニュースかなんかで見て「あ、俺じゃん」って思った。思っただけ

2013-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20130624202208

自称モンキー・D・ルフィブラック教授

旧帝大の若手教授連中と話をする機会があった。

生物系、化学系が多かったか。まだまだこれから、という人達

総じて生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じというか

独特の雰囲気を持つ人達だった。

後日、それぞれのラボHPなどをチェックしてみると

成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワードがちりばめられ、

顔をクシャクシャにした笑顔ポスドク院生画像と、自信に満ちあふれた教授画像

(勿論、立って腕組みor座って机に肘をついて両手を前にのポーズ

予想通りだった。流行なんだろう。

話をしていると、色々なタイプが居た(当然だが)。

昔はやんちゃしてましたタイプアメリカ修行をして独立したタイプ

学生時代はダラダラしてたけど○○に出会って生まれ変わりました!タイプ

この最後タイプが表題の「自称モンキー・D・ルフィ」の教授達だ。

○○は大きく分けて二通り。本と人物。しかし結局は同じ事だ。

ビッグラボにした人を知って、俺もそうなりたいと思った」という事。

人達は「人生はCNSじゃない」と揃って言う。

おそらく自分学生に対しても「CNSを目標にするな」と言ってるのだろう。

しかし、「マザーテレサの本を読んで教授をめざした」って人は居ない。

一人残らず全員が、「CNSを連発して成長させた人」に感化されている。

その時点で「CNSが欲しい」って欲を刺激されたのは間違いないのだ。

この教授達を刺激した本・人物が問題で、口では「CNSでは幸せになれない」などと言うし、書いてある。

教授達も「そうだ、CNSじゃないんだ」と心から信じ切っている。アホだから

そして部下にも「CNSを夢にするな」と説いているはずだ。

それでいて、自分目標を達成する意欲は揺るがないので「CNSを出せ」と口を酸っぱくする。

「CNSじゃないんでしょ?」と聞けば「ラボを続けるのに必要でしょ」と言い、

「CNSを目標にした方がシンプルじゃん」と聞けば「感動とか、幸せを共有する仲間を増やしたいだけだ」と言う。

挙げ句の果てに、「こいつ勉強してないな」「考えが浅い」「意識ステージが低い」という視線を向けて来る。

埒が明かないとはこの事だと思いながら、この理不尽さはどこかで見た事が有ると思っていたら

いた。

ジャンプの人気漫画ワンピース」の主人公モンキー・D・ルフィだ。

感動、仲間、夢、理不尽、見事に一致()

そう考えたら全てがシックリきた。

ルールとか、批判する人がいるとか、仲間が傷ついたとか、この人達は気にならないんだ。

精神的に病んで鬱になって学校にこれなくなった学生がいても、

ラボに戻りたいんなら、あっちが頭を下げるべきだ(ウソップのように)」って思ってるんだ。

半年ラボに泊まり込むなんて生物系だと普通だよな」なんて言いながら笑ってるこの人達は、

おそらくグランドラインの荒波を駆け抜けるワクワク感の中に居るんだ。

ブラック研究室」と批判する世間の声を「ワンピースなんて無い」って言う村人Aの台詞だと思ってるんだ。

俺は、ひとつカマを掛けてみた。

そこに居ない若手教授名前を出して、「あの人ってワンピースルフィみたいですよねー」

瞬時に周りの教授連中の表情を確認する。

居た居たw 「ルフィは俺だろ」と言いたげな表情で一瞬固まるヤツw

その一瞬の静寂の後、「おーなるほどー、どのへんがですかー?」と器がデカいふりをする台詞はいたが

あの一瞬で俺は確信を得た。

こいつら、自称モンキー・D・ルフィなんだと。

そこへいくと、ロンダ教授達は判りやすい。「CNSだしたい」この一心から

現代科学王道だ。幸せだの感動だのはラボには関係ない、と割り切ってる。

CNSを持ってるヤツが偉い。CNSを稼いだヤツの勝ち。winner takes all精神

からポスドクに「CNSを出せ」と言っても矛盾は生じない。

「CNSを出したらコネが増える」という事実も筋が通る。

21世紀現在教養主義限界が見えて来ている。

「生かさず殺さず」の年収で働くポスドクいるか教授グラント持ちになれるという事実

研究生で働くのが当たり前のラボがあるから旧帝のラボが成り立っているという事実

ピペドピペドのまま」「バカはバカのまま」「地国は地国のまま」にしておくことで既得権益を守ろうとする人が居るという事実

これらの手法限界を迎えつつあると思われる。

2013-06-24

自称モンキー・D・ルフィブラック社長

飲食業社長連中と話をする機会があった。

居酒屋ラーメン屋が多かったか。まだまだこれから、という人達

総じて生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じというか

独特の雰囲気を持つ人達だった。

後日、それぞれのHPなどをチェックしてみると

成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワードがちりばめられ、

顔をクシャクシャにした笑顔社員バイト画像と、自信に満ちあふれた社長画像

(勿論、立って腕組みor座って机に肘をついて両手を前にのポーズ

予想通りだった。流行なんだろう。

話をしていると、色々なタイプが居た(当然だが)。

昔はやんちゃしてましたタイプ飲食業修行をして独立したタイプ

学生時代はダラダラしてたけど○○に出会って生まれ変わりました!タイプ

この最後タイプが表題の「自称モンキー・D・ルフィ」の社長達だ。

○○は大きく分けて二通り。本と人物。しかし結局は同じ事だ。

金持ちになった人を知って、俺もそうなりたいと思った」という事。

人達は「人生お金じゃない」と揃って言う。

おそらく自分の部下に対しても「お金目標にするな」と言ってるのだろう。

しかし、「マザーテレサの本を読んで起業した」って人は居ない。

一人残らず全員が、「会社を興して成長させた人」に感化されている。

その時点で「お金が欲しい」って欲を刺激されたのは間違いないのだ。

この社長達を刺激した本・人物が問題で、口では「金では幸せになれない」などと言うし、書いてある。

社長達も「そうだ、金じゃないんだ」と心から信じ切っている。アホだから

そして部下にも「金を儲けることを夢にするな」と説いているはずだ。

それでいて、自分目標を達成する意欲は揺るがないので「利益を出せ」と口を酸っぱくする。

お金じゃないんでしょ?」と聞けば「会社を続けるのに必要でしょ」と言い、

お金目標にした方がシンプルじゃん」と聞けば「感動とか、幸せを共有する仲間を増やしたいだけだ」と言う。

挙げ句の果てに、「こいつ勉強してないな」「考えが浅い」「意識ステージが低い」という視線を向けて来る。

埒が明かないとはこの事だと思いながら、この理不尽さはどこかで見た事が有ると思っていたら

いた。

ジャンプの人気漫画ワンピース」の主人公モンキー・D・ルフィだ。

感動、仲間、夢、理不尽、見事に一致()

そう考えたら全てがシックリきた。

ルールとか、批判する人がいるとか、仲間が傷ついたとか、この人達は気にならないんだ。

精神的に病んで鬱になって出社できなくなった社員がいても、

「仲間に戻りたいんなら、あっちが頭を下げるべきだ(ウソップのように)」って思ってるんだ。

半年間店に泊まり込むなんて飲食だと普通だよな」なんて言いながら笑ってるこの人達は、

おそらくグランドラインの荒波を駆け抜けるワクワク感の中に居るんだ。

ブラック企業」と批判する世間の声を「ワンピースなんて無い」って言う村人Aの台詞だと思ってるんだ。

俺は、ひとつカマを掛けてみた。

そこに居ない人の名前を出して、「あの人ってワンピースルフィみたいですよねー」

瞬時に周りの社長連中の表情を確認する。

居た居たw 「ルフィは俺だろ」と言いたげな表情で一瞬固まるヤツw

その一瞬の静寂の後、「おーなるほどー、どのへんがですかー?」と器がデカいふりをする台詞はいたが

あの一瞬で俺は確信を得た。

こいつら、自称モンキー・D・ルフィなんだと。

そこへいくと、元ヤンキー社長達は判りやすい。「儲けたい」この一心から

資本主義王道だ。幸せだの感動だのは会社には関係ない、と割り切ってる。

金を持ってるヤツが偉い。金を稼いだヤツの勝ち。winner takes all精神

から、部下に「利益を出せ」と言っても矛盾は生じない。

利益を出したらボーナスが増える」という事実も筋が通る。

21世紀現在資本主義限界が見えて来ている。

「生かさず殺さず」の月給で働く社員いるか社長金持ちになれるという事実

月給1万円で働くのが当たり前の国があるから先進国生活が成り立っているという事実

貧乏人を貧乏人のまま」「バカはバカのまま」「後進国後進国のまま」にしておくことで既得権益を守ろうとする人が居るという事実

これらの手法限界を迎えつつあると思われる。


しかすると、この時代においては

自称モンキー・D・ルフィ達が活躍するのかも知れない。

現実社会の中のワンピースは、資本主義に変わるニューワールドオーダーなのだ

http://anond.hatelabo.jp/20130624030108

例えばアジアアフリカから子供を攫ってきて人体実験をしている製薬会社があったとしよう。

「悪質な企業が嫌ならやめればいい、よい企業がなければ自分で作ればいい」

そういう問題か?

例えとブラック企業では異なる部分は大きいが、要するに人道に反することをしているのを、個人の好みの問題として処理していいのか?ということが言いたいのだ。

程度に差こそあれ現実常態化しているとしても、ブラック企業というのは許されない存在だ。

ブラック企業というのは笑い話ではない。この21世紀先進国過労死などと馬鹿げた死に方をする人が一人二人ではないのだ。

また増田のように能力主義の弊害とのように捉えるのも勘違い甚だしい。

これは現代社会奴隷制とでも言うべき由々しき問題なのだ

極端な事例を想定して話している自覚はあるが、増田ホリエモンのように「ブラック企業といえど大体こんな感じだろう」みたいな甘えた考えの下に論ずるよりはマシだと思う。

多くの人が死んでいるし、苦しんでいるのだ。もう少し考えて喋れ。

2013-06-12

21世紀の襟の役割

21世紀の襟の役割は入館証のネックストラップを受け止めるためだと思う。

クールビズ定義拡張し続けた結果、

ポロシャツとかそういう"襟付き"の服という文言が今年、とうとう自社の服務規程から消えて、

Tシャツジーンズ、シューズはアディダススニーカーという学生ルックを満喫してるんだが、

最近室温高めのせいか、ネックストラップが首に張り付いてすごくうっとうしい。

うざったいので外してたら、忘れたままコーヒー買いに部屋を出て締め出された。

テーリングはほんとは駄目ですよ、しょうがないなぁ、

なんて甘言を小耳に挟みつつ、先輩に入れてもらったが、

普段ネックストラップ意識せずに身につけていられたのは襟のおかげだと悟った。

あのいらないように見える襟も結構役割果たしてたんだな。

Tシャツのような開放的な袖と襟がついたポロシャツが欲しいです。

2013-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20130608230732

>かつてIBMが作った「PC」の21世紀版になるのだろうか。  うまいこと言うね〜。

Amazon Web Serviceは21世紀IBM PC

わかっている人には今さらなことなんだろうけど。

AWS最近調べていて、すげーなーと感心するのだけど、これって、かつてIBMが作った「PC」の21世紀版になるのだろうか。

ご存じのようにIBM80年代パソコン事業を手掛けて、その際に独禁法などの絡みで仕様を公開する。そのために周辺機器文化が生まれるが、その仕様に合わせた互換機ブームが起き、これに乗じてMSIntelが躍進、動きの遅かったIBMは、コンパックなどの新興事業者に出し抜かれ、一転大赤字を生む。ここで作られた標準は今のパソコンの原型となって今に続き、世界中に普及することになりましたとさ。

しかすると、AWSもこれと同じように、「クラウド」という分野でのデファクトになって、Amazonが作った仕様が後々までコンピュータの標準として利用されていくのではないかな、と。実際に、AmazonAPIに合わせて他社がクラウド事業を行っている。IBMと違うのは、Amazonスピードを失うことなくサービスの開発や料金の改定を行い、他社が追いつけない速さで成長しているというところか。もしくは、Intel CPUなどの必須のパーツがなく、「庇を貸して母屋を取られる」みたいなことが起きにくいところとか。

スマホタブレットがメインのデバイスになり、ネットワーク指向ソフトウェア開発が必須となる現在クラウドで開発を行うことが標準となっており、ますますインフラからアプリケーションまでインターネット上に置くことが普通になっていく。ここで、Amazonは、かつてのIBMのように、始祖としての立場をとることができるようになるのだろうか。

2013-06-05

ブラック企業推進政策をどうにかしないと

http://anond.hatelabo.jp/20130605071026

終身雇用に変えてもブラック企業は減らせないと思いますよ。

同業他社ルールを守らずダンピング労働者に払うべき分を削ってでも安く仕事を受注)してるから自分とこもダンピング(もちろん労働者に払うべき分を削って受注)しないと競争にならない、だから奴隷労働必要悪という企業側の考えを根本的に変えないと無くならない。

そのためには労働者に労基に駆け込まれたら割りに合わないように制度を変えないと。

でも今、現実には解雇の自由化や準正規とかブラック企業を推進しようとしてますね。

ワタミ会長参院選候補者にするとか、まったく意味不明

まぁ確かに工場なんかは実際の競争相手が人件費くそ安い外国だったりするから理解できないこともないですよね。

から僕個人としては国内を守るためにはある程度ブロック化していく必要があると思うのですが、合衆国外圧によってTPPを推進するより他ない状況です。

で、企業も可哀想だと好意的に解釈できるのですが、現状国内需要は長期的には見込めない(実体経済の回復が無い限りアベノミクスみたいなのも所詮カンフル剤)し、フロンティアと呼べるアフリカ中国にそうとう出遅れて先日慌てて阿部首相が「アフリカ投資は今!」とか言ってるわけですよ。

大企業でも多くのとこは利益を出すためには、実体経済(実際に物を売る)ではなく金融マジックにすがるしかないのが実情です。

そうなると多くの労働者コストに過ぎない。

もちろんそんな考えでは、長期的には衰退するに決まってると思いますけどね。

でも、判っちゃいるけど目の前をどうにかしなきゃって状況なんでしょうね。



さら心配なのは衆院を通過した生活保護改悪です。

内容についての正否はそれぞれの意見があるでしょうが、新規受給しづらくするという意図はこれから困窮する人が激増することが絶対だと明確に判っているのでしょう。

から考えると、全体に占める率1.8%額にして128億7425万円(全体に占める率は0.38%)の不正受給に対する世論の盛り上がりは不自然で巧妙でしたね。

だって、完成しても環八道路渋滞をたった5分短縮できるか微妙な外郭環状道路の総予算は1兆円超える勢いですよ。

もちろん、これからケイケの高度経済成長があるなら、経済効果として何十倍にも跳ね返ってくるでしょうが

自動車交通量って21世紀になってからずっと減少してるんですぜ。

はい公共事業経済効果もよく判ります

でも、同じお金を配るなら広く薄くしても効果は同じというかむしろ市場に出回るお金は増えると思うんですが、どうして自民党のセンセイ達はあんなにゼネコンお金を配りたがるんでしょうね?

これもブラック企業推進政策ですよね。

いざというとき生活保護を受けられないとなれば、ブラック企業でもクビにされないように奴隷になるしか道がない。



結局政策として、絶対に餓死者を出さないか、少しは餓死者が出ても仕方ないから平均を上げるか、という二つの選択肢のどちらを国民が選ぶかです。

政権に命を委ねてやっても構わないが、候補者と各党は選挙ウソだけはついて欲しくない。

2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2013-05-24

http://d.hatena.ne.jp/totopon114689/20120111/1326266304

事情で眠れない。

1) 仕様あいまい場合適当コーディング

仕様曖昧からこうしておくね、よろしく」という一方的な通知をメールでぶん投げて終わり。

曖昧な箇所とは、どうでもいいと思われている箇所なので、たいていの場合実際にどうでもいい。

「ケース自体は洗い出せているが、具体的にどのようなエラーメッセージを表示すべきか?」お前は小姑か。どうでもいいに決まってんだろそんなもん。

このようなコーディングは作った本人以外にはよく分からない、いわゆるブラックボックス化され

コメントを書けよ糞馬鹿野郎。見られたくないならコミットコメントチケットにひっそり隠すという裏技もある。

2) 進捗報告

進捗などというもの存在しない。0%か100%かだ。中間報告が必要タスク粒度が荒すぎる。

こんなもんは21世紀ITエンジニアにとって基礎スキルすぎるので割愛する。

3) 面倒な繰り返し作業やテスト

自動しろよ糞が。以上。

その程度の事もできない低脳だから、周りに迷惑をかけないように刺身タンポポワークに回されているのだろうが。次は机の上に内線電話しかない部屋で一日中座ってる仕事かな。

4) 他人の担当箇所だからいいや

俺ならチームのいるチャット問題点だけ書いて終了。

担当者を探すことすら放棄する。直らなくても気にしない。それらはリーダー担当者自身の仕事であり、俺の仕事じゃない。

無視してもいいが、指摘と無視では、大体無視の方が総コストが高く付く。

5) 後から気づく

自分自身がサーバ管理者になっていれば、夜中に誰にもバレないようにコッソリ修正してしまう事もできるかもしれないが

越権行為をする、つまり自分キャリア危険晒してまで修正するほど仕事熱心な奴は勝手にやればいいが、俺は死んでもやらない。

「ここにこういう不具合が残っている、どうしよう」とリーダーに丸投げするだけでいい。システムを止めて入れ替えとかそういう事はリーダー勝手に考える。勿論「軽微な不具合なので放置する」という判断もあり得る(大規模なシステムには大抵「既知の不具合リストがある物だ)。「面倒なので客には黙っておこう」というのも、夜中にコッソリ修正するのと同じく、ハイリスクな判断であり、そんなもんは自分でやらずにリーダーに丸投げすべきだ。

6) 誰も知らないかもしれない仕様

ユニットテストを書けよ糞が。こんなもんは21世紀ITエンジニアにとって基礎スキルすぎるので以下略

番外) 極端に有能なプログラマー

人間は、能力限界まで能力を行使していないと劣化する。優秀な人間はそれを知っているので、「自分仕事を減らすための嘘」は、自分を守るために必要最小限しかつかない。糞みたいな仕事で一杯になったら?黙って転職するんだよ。

あるいは、時間仕事の精度を上げる方に費やすテストの充実、ドキュメントの充実、開発用ツールの整備、リファクタリング時間の都合でオミットされがちな要素などいくらでもあるし、優秀な人間ほどそうした要素が沢山見えている。

総じて、ブログ執筆者が無能すぎるだけだな。つうか、なんで2012年の記事がホット入りしてるんだろ。

2013-05-15

はしもとのあれ

追記:

先に書いておきますが、前半部分の数字がついてるのは「はしもとのあれ」です。

で、その周りに書いてあることは、みなさんから反応をもらう前に私が思っていたことです。

色々反応を頂いて、自分なりに理解できたつもりにはなったので、そのまま残しておきます

#いや〜自分ブログでやらなくてよかった...(笑

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よくわかんないので整理

まず、従軍慰安婦に関する見解

1-1, 個人の意思に反して従軍させられた慰安婦がいたとしたら、周辺諸国に謝罪すべき

1-2, しかし、2007年閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。

1-3, 閣議決定は、政府の公式見解政府の公式見解は、日本の公式見解

1-4, にもかかわらず、諸外国から従軍慰安婦の件で、過去反省しないレイプ国家との謗りを受けている状況は国益に適わない。

これ、自分認識ではただの正論だと思うんだ。

特に1-2が閣議で決定されているわけで。外野がわやわや言おうと、閣議で再決定なり覆したりしない限り、日本見解は変わらないよね。

もし、間違いなのだとしたら、閣議なり国会なりで信頼できる証拠、少なくとも国内では確実なものだと言える証拠を提出して議論すべきだよね。

で、件の風俗発言だけど

2-1, 昔は、強制でない買春はどの国にでもあった

2-2, ここでいう買春は国が管理しているものではなく、民間業者や個人

2-3, 買春は当時の感覚では、今ほど拒絶されているものではなかった

2-4, それを戦勝国からと言って、敗戦国で当時行われていた買春だけを責めるのはアンフェア

そして、アメリカの話

3-0, 米軍による性犯罪関係する問題

3-0-1, 古くはGHQ時代から買春が個人によって行われていた

3-0-2, 沖縄米軍基地の周辺でレイプ暴行事件が後を絶たない。つい最近もあった

3-0-3, ベトナム戦争でのアメラジアン問題

3-0-4, グァンタナモ収容所問題

3-0-5, 米軍女性兵士レイプ経験があるのは30%に達するとの報告があり、問題解決に取り組みはじめたところ

3-1, アメリカは軍の性犯罪問題に真正から取り組むべきだ

3-2, 例えば日本風俗産業を利用するとか(提案)

3-3, 日本法律で認められた風俗産業では買春は認められていない

まとめると、

1, いま、諸外国から責められている、国が管理する従軍慰安婦問題は、少なくとも日本の公式見解として存在しない。

2, 昔は一般的だった問題で日本けが責められるのはアンフェア

3, アメリカは今までに色々問題起こしてるよね。日本を責める前に問題に真正から取り組んだら?

ということで。うん、至極真っ当な気がする。

タダの正論だと思うんだ。

で批判だけど、

1, 女性人権ガー

1-1, 人権云々が「管理売春」の話であれば、大戦時も今もない(ことになってる)ので的外れ

1-2, 性風俗に従事する人たちの人権が、というのなら自由意志でやっていることなので的外れ

1-3, そもそも性風俗に従事している人の人権が、というのならそれは別の問題

2, 風俗産業必要悪必要悪は悪

2-1, 主張としては正しいと思うけど、じゃあ対案は?3-0-5とかひどいもんじゃない

3, 国益を損なう

3-1, うん、安い挑発過ぎるね

4, 維新の会への印象が悪くなる

4-1, うん、そうだね

5, タブーに触れるのはよくない

5-1, なぜ?

6, 政治家の発言として軽率過ぎる

6-1, 3に関わる話なら分かる

7, メディアつまみ食いするの分かってるんだから、もう少し要点をはっきり話せ

というところで。正直、国益を損なう発言であるという以外に問題が見当たらない。

その他の批判はポジショントークだったり、メディア勝手に切り取った話をつまみ食いしてるだけで。

7が一番の問題な気がするんだけど、それはメディアの問題で。

で、何が、本質的な問題なの?

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id:what_a_dude

1-3から明確な誤りですね。07年3月閣議決定は辻元氏への答弁で、「いわゆる強制連行」を示す根拠がなかったとはしているが、93年8月の「いわゆる従軍慰安婦問題について」を踏襲することが明言されているもの

「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦がいたこと」は政府が公式に認定しているところというのが2007年閣議決定の内容ですよ。

調査結果中には「業者らが或いは甘言によって、或いは畏怖させる等の形で本人の意向に反して集められるケースが数多く、更に、官憲等がこれに直接加担する等のケース(白馬事件)も見られた

発言では

証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定たから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦拉致したという証拠が出てくる可能性があると

と言っているので、明らかな間違いがあるってことですね。ありがとうございます

で、まぁ

「当時は必要だった、お前らもやってただろ」と「俺たちが悪かった、でもお前らもやってただろ」の前者を選んだ時点で価値観が露呈。

だし、

http://anond.hatelabo.jp/20130515145914

下市長はこの問題に全く関係ない。 別に大阪市長として何らかの政治判断を求められてるわけでもない。 だったら別に答えなくても良かったのに。

が結論かな。

あざっした。

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id:ncc1701

後半の雑さが全体の説得力を著しく下げている。両論併記もっと真面目にやるもの

途中で飽きました。すみません...

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id:yoko-hirom

正論』か。論理ばかりで,倫理の無い人が増えているのだな。倫理観の無い人間は参加する資格のない議論だよ。 」

それはわかるんだけど、きれいごとで世の中が変わるのなら世話ないというのもありますよね…

当事者倫理観がないかレイプが発生するのだから、というのは論点のすり替えか。

うーん。

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http://anond.hatelabo.jp/20130515154352 が紹介してくれた、

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/01/post-514.php

って記事、

日本での慰安婦問題に関する論調にある「狭義の強制連行はなかった」という主張は、裏を返せば「当時の法制や慣行に則した広義の強要はあった」ということであり、要するに「やっていたと堂々と認める」という話に他なりません。これは大変に異様なことです。20世紀に起きた「交戦地帯における兵士相手の管理売春強要」を21世紀国連加盟国の政府が「狭義の強要よりは反道徳的ではない」と主張する、それも「大っぴらに主張する」というのであれば、理解される可能性は限りなくゼロに近いと考えるべきでしょう

がかなり腑に落ちた。

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id:cnmkn

BBCの記事では「慰安婦必要だった」という歴史認識と「慰安婦への配慮は言葉でいい」という部分が問題視されてたと思うけど。このまとめは的はずれじゃないかな。

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-22519384

Japan WWII 'comfort women' were 'necessary' - Hashimoto

...

Some 200,000 women in territories occupied by Japan during WWII are estimated to have been forced to become sex slaves for troops.

...

He acknowledged that the women had been acting "against their will". He also claimed that Japan was not the only country to use the system, though it was responsible for its actions.

...

"It is a result of the tragedy of the war that they became comfort women against their will. The responsibility for the war also lies with Japan. We have to politely offer kind words to [former] comfort women."

訳されて、中国の反応を付記してるだけで、かなり中立的な気がするけど。

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id:tokoroten999

「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と「個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」は全然意味が違うんですがそこは大丈夫なんですかね…

安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書

質問辻元清美http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm

答弁(安倍晋三http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm

これって国会答弁だけど、閣議決定ってどれなんだろう。

なお、「いわゆる従軍慰安婦問題について」は以下

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf

従軍慰安婦についての本当の話」

http://www.geocities.jp/ianfu99/

によると、

新聞雑誌を読むと激しい論争があるように思いますが、では研究者はどう見ているのでしょう?実は慰安婦研究している人で慰安婦職業的な売春行為だとしている人はほとんどいません。最初に資料を発見した代表的な研究者である吉見義明と異なる立場をとる研究者は、実際上秦郁彦1人だけです。研究者の間では慰安婦旧日本軍による犯罪誘拐監禁強姦による性暴力であることに異論はありません。

とある

この文章の信憑性がどうとかいう声があるけど、

今日(2013/5/15)の段階で(どうせリンク切れになるのでタイトルのみ)

っていうことになったので、

1-3「しかし、2007年閣議決定で個人の意思に反して従軍することを強制された慰安婦が「いたという証拠はない」ということになっている。」

ってありえない発言(要約が正しいとすれば)だな。と理解。

談話は以下。

戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

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はしもとのあれに関しては、もう飽きたのでいいとして、あずまさんのTweetみててあーこれだなと思った。

性風俗ポルノさえ撲滅できない世界で、なぜ慰安婦すなわち兵士対象の売春行為が撲滅できるのかぼくにはよくわからないので、そんなら最初からその前提のうえで話したほうがいいんじゃないですか、ってのがぼくの言いたいことです。慰安婦日本政府が絡んだかどうかってのはぼく話題にしませんよ。

@hazuma 5月13日

小学生でもわかるように書くけど、個人が性欲をコントロールすることと、集団が性欲をコントロールすることはまったく別。そりゃ個人では禁欲する男もいくらでもいるし、一般市民普通コントロールしてるさ。でも集団になると必ず一定確率コントトールできないやつが出てくるんだよ。

それで、戦争とかで若い男性たくさん一箇所に集めたら、そりゃ性処理問題は出るでしょうという話で、それは基本的に通勤電車があると一定確率痴漢でるとかと同じ。これがどうして「野獣としての男を肯定するマッチョな話」になるのかさっぱりわからん

要は、若い(中高年も?)健康男性を多数管理しようとすれば、現実問題として彼らが抱く性欲は考慮しなければならず(会社だって同じでしょ)、そこで各人の禁欲なんかに頼っても暴発は不可避なので精神主義に頼っても意味がないという話なのに、なんでこんな炎上するのかね。よくわからんよ。

@hazuma 5月14日

(1)軍には男性が多い、(2)交戦中の軍は構成員に異常な心理状態を強いる、(3)その結果はしばしば性欲の昂進として現れる、(4)それを目的売春行為を扱う業者も出現する、(5)以上の(3)および(4)を非倫理的で阻止するべきだと思うのであれば戦争をやらないほうがいい。以上。

@hazuma 5月14日

あと従軍慰安婦問題だけど、これは調べれば調べるほど込み入っている問題でして、ぼくはぶっちゃけ不可知論というか「専門家でもないしよくわからん」という立場です。それは無責任と思われるかもしれないけど、ぼくからすればよくまあみなさん断言できるなという感じ。

そういう認識のうえで、ぼくは、「従軍慰安婦性奴隷でもなければ招集に政府も関与しないと橋下氏が信じているのであれば、軍と性の必然的な関係について述べた彼の発言自体は問題とするに価しない」と言っているにすぎない。

@hazuma 5月14日

もはや事態は「本当のことでも言っちゃいけないことがある」的なかなりくだらないレベルに落ち着いたようだな。

@hazuma 5月14日

か。うん。納得。しか実名でやるんだもんなぁ。マッチョだなぁ。

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id:temtex

別に議論したいわけじゃなくて、はしもとの問題って「ただしい」ってのがどれだか分かんなくて。

なんか書いたらみんながレス付けてくれて、理解できるかなって思ったのでまとめました。

これを実名でやるほど肝が太くないんです

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おそらく理解してくれないと思いますが、いちおうちゃんと書きます。ぼくが最初高橋哲哉名前を出したのは、ぼくのこの歴史認識についての「いいかげん」な不可知論的立場デリダについてのぼくの研究(と高橋氏の研究の差異)と理論的に繋がっていることを示唆するためです。

20世紀半ばの哲学者たちはおしなべて、世界真実はない、ものごとは解釈でいくらでも自由になる、と主張してきました。それが行きすぎてソーカル事件が起きたのはご存じのとおり。1990年代からは一気に風向きが変わり、「確かな真実は疑い得ない」がトレンドになります

デリダといえば脱構築ですが、そんな彼も90年代には新しい方向で再解釈されました。けれどもぼくはその流行に抗して、むしろテキストだけではなにも決定できない」という古い主張を擁護した。それがぼくの博士論文ですが、その立場歴史認識問題へのぼくの立場は密接に関わっているのです。

ぼくは別に真実が複数あると言っているわけではありません。真実ひとつです。しかし、真実に近づく方法が文書資料しかない場合、そこにはつねに複数の解釈可能性があって、その差異は合理的討議では決して回収できない。これは理論的問題であり感情的問題ではない。

そしてこの問題はネットの出現で深刻になっている。なぜならネットとはなによりも文書の場だからです。ある事件について資料が公開される。そこまではいい。しかしその解釈は、資料が多ければ多いほど拡散し複雑化して、結局肝心の真実は闇に包まれる。歴史認識問題で起きているのはそういうことです。

@hazuma 5月15日

というわけで、お腹いっぱいなので、もう追記をやめます

反応をくださったみなさんありがとうございました!

2013-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20130509000642

21世紀に入って十数年たつというのに、LateXを使うかどうか、などという話題が出てくること自体が人間の知性の敗北を意味している。

そもそもLaTeX使うメリットって何?数式エディタとか?eps貼り付けとか?文章構造意識するようになるとか????

ナンセンスだよね。問題とするべきは、ワープロソフトの使いにくさであって、LaTeXを推奨することで問題解決を狙うのは邪道

2013-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20130430215137

ネトウヨだけど、戦場売春婦はいたし、軍部の関与もあったし、多かれ少なかれ強制的要素もあったと思うよ。兵士による民間人レイプも当然あった。

古今東西見回して、どこの国の軍隊もそんなもんだろ。戦前に限らず今でも。アブグレイブとか見てごらんよ。

皇軍けが清く正しい例外だったはずはない。現代日本人だってDQN層ひどいじゃん。

ただし、21世紀現在日韓基本条約にもかかわらず、謝罪と賠償必要なのかは別問題。

2013-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20130416162309

ジンケンくびきからいい加減21世紀人間は脱しないといけないだろ

いつまでも貧乏人に教育をとかやってるからいけないんだよ

そういう「夢」みたいなのを早くあきらめられるような社会にならないといけない いちいち生まれてくる全ての人間ジンケンとやらがバンドルされてなくてもいい

皮肉で言ってるわけじゃなくて  ナマポもらってるような人達見てるとああやって生ける屍のようにされて社会にも白眼視されて、とても幸せには見えないんだよね

2013-04-04

吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた命を笑えば笑え

あのー、そのー、あれなんですよ!東條ルアとかはすっげー残念!どんだけ身長が高かろうが、あんな醜い体型の女優ってだけで!

あのな、そもそもな、なんで絡む相手が子汚いチビ男なんだと、イズムさんは何度言ったら!何度言ったらわかるのかと!

なあああんでさあ、中居玲奈みたいな、まあ確かにブスだけど、身長133センチとか、それぐらいの、女優レズ共演させろって俺は何年も、何年も前から

あのな、体格差、体格差ってーのはあれだ、身長差+体重差なわけだよ、それが大きければ大きいほど、俺は興奮すんの!

二次元じゃあいくらだって作り放題だけど、そうじゃない!そうじゃないんだよ! 現実存在する人間でなおかつ成人の年齢で!

顔とかはもうブスでいいの!そんな極端に大きいor小さい女なんてブスに決まってるんだから、それでいいの!

なんで??なんで??AVには出れてるのにさ、なんで共演は無いの??21世紀でしょ??不可能は無い筈じゃない!!

そもそもさー、インターネットなんかが普及する前はだよ、まあお前らみたいな「ただ可愛い女」で当たり前のような顔をして抜いてる奴らにはわからないだろうけどさ、

特殊なモノでしか抜けない奴らに対するエロ供給がどれだけ貧しかったことか!!!!今、この、インターネットでちゃちゃっと検索してさ、

ある程度のレベルマニアックものにかーーんたんに見つかるこのご時世!!そりゃあ素晴らしいでしょ、ありがたいもんですよ、この21世紀に生きててよかった!って

マジで思ってますよ、ええ、・・・だけどね、人間ってのは欲が深い生き物なんだね、最初のうちはただデブ専やら長身女優だけで俺のピーニスはエレクトしてたけど、

今や「矢口真里を安っぽくしたような小柄な女がリング上でグンダレンコ・スベトラーナにボロ雑巾のように扱われるAV」だの

「133cmの中居玲奈が、女子相撲大会で170cm158kgの天宮真咲希に軽々と土俵際まで寄り立てられ、顔は157cmの巨大バストに完全に埋まりながらも、

それでも爪先立ちになって小さい体を必死に天宮真咲希の巨大な腹に擦りつけるようにがぶり寄りながら堪えている動画」だの、そういうのが欲しくなるのね!

そんなの、いくら探しても、どこを探しても、この広大極まりないインターネット空間をもってしてもさ、出てこない!!!全然出てこないですよ!!

毎日毎日、どんな言葉検索バーに打ち込んでも一向に!いっっっこうに!出てこない!!

どうすれば!どうすればいいんですか!ああ、もちろん財力があったら、ハンディカム買って、自分キャスティングして、できることなら!撮りたいですよ!!

営利目的とかじゃなく!!純粋に!!だってこんあ映像撮っても、絶対売れないんでしょ?営利目的撮影してもそうじゃなくても、俺だけの、俺だけのためになっちゃうんでしょ!!!

嗚呼誰か!誰か!私の夢を、具現化して下さらんか!!財力があれば!!否、うん百万くらいあれば!!風俗とか関係ねえんだよ!俺は、俺の性癖を圧倒的に満たす!!そんな映像が見たいだけなんだ!!

たとえ「世界ひとつだけの性癖」だとしても!!この!!いきり立った男根様を鎮める術は無いんだ!誰か!!

他力本願になるつもりはない!!俺が、自らの手で、この性癖昇華させる術を!!教えて下さらんか!!

あとな!!「他のモノで欲情できるようにせいぜい頑張れよ」とか思ってる奴!!その言葉は何の役にも立たんぞ!!

それができていたら!!とっくにそうしとるわ!!そうなったら!!どれだけ楽か!!ああどうせお前らにはわかんねだろうなあ!!わかんねーよ!!一生!!

http://anond.hatelabo.jp/20130402223854

そんな「女は皆総じて馬鹿で間抜け」を男女逆にしたようなこと言われても。それじゃあまりにも男性に失礼だ。

インターネット普及以前の男女関係は陰惨きわまるものだったという説には首を傾げざるを得ない。少なくとも戦国時代の時点で、書物に「女性がその気になってない時にセックスしちゃダメですよ」なんて記述があり、江戸時代には「女をイかせるテクニック」的な本がわんさと出てたじゃん。

ただ、21世紀現代でさえ「性的なことについて意見を述べる女は性的魅力のないゴミ」的な風潮があるのは確かだけどね。

2013-03-01

ニコニコ動画の罪

ニコニコ動画には 「芸能人気取り」を多く生み出した罪があると思う。

生放送 で視聴者を獲得するために過激な行動にでるバカ

他人の作った動画アニメを加工するだけでクリエイター気取るバカ

ゲーム実況 なんてのも本当にアホくさい。ゲームを作った人のほうがよっぽどあがめられるべきだし

他人が作ったものを楽しむだけで人気を集めるなんて正直  卑怯だと思う。

素材に頼ることなくイチから作品を生み出すことがクリエイターだろうと俺は思っている。

から21世紀でもクリエイターと呼べるのは 音楽家作曲家)だけなのではないかと思う。

それにはいくつかの理由がある。

音楽 の場合バンドコピーをする奴がアーティスト気取りするのがいたり

アニメキャラクターを加工して それが「うまい」とか言われるだけで著作権が云々とか言い始めるバカ

(もともと著作権あるのは漫画家のほうだろってのw) そういうのがいるかである

とくに「絵師」と呼ばれる奴らの暴走は酷い。調子に乗るとすぐキャラクター同士の恋愛に持っていったりする。

たいてい書いているのは女だ。「腐女子」なんて言葉ごまかしているようだが

要は性欲がたまっている女たちなだけだろう?ちがうだろうか?

ニコニコ動画は、このような「勘違い」を多く生み出す温床と成り果てている。

しかしながら、良くも悪くも多くの人が文化勘違い)に触れるきっかけともなっている。

2013-02-02

SFC理念学部創立当時のもの、一部略)

現実世界を個別科学立場から切りとるのではなく社会の期待と要請に応えて既 存の学問領域を超えて新しい学の創造をはかり未知の地平を切り拓く…(中略)…この5つの理念にもとづき革新的な研究教育を行い創造実践を通して“知の 再構成”を試みます

人間環境」の重視

 「環境」は、白然環境社会環境、人工環境など、さまざ まな人間生活の場を含む、現代社会の基本概念の1つです。 「環境」の中心となるのは、あくまでも自分自身です。みず からの決定と行為が「環境」に影響し、結果として自分に戻 ってくる原理を理解し、その上でいか行為すべきかを考え る、これが環境間題を問う根底にある発想です。傍観者では なく、あくまでも当事者としての立場から問題を立て、み ずから行為を通じて解決していく実践能力が要求されています

情報」と情報処理能力の重視

 「情報」は、20世紀が生みだした最も重要概念だと言わ れています21世紀は、あらゆる事象を、物質エネルギー に替わる「情報」という概念に基づい見直すことによって、 世界観の転換が期待される時代です。人間は道具をつくり、 使いこなすことによって、独自の進化をとげてきました。今 日では、コンピュータをはじめ、多くの情報機器を使いこな すことによって、われわれはイメージ世界を大きく広げよ うとしています人間を、物質エネルギー系として捉える のではなく、信号記号を生成・処理する存在として理解することによって、はじめて人間の全体像を描きだすことができるのです。

総合視点と判断の重視

 現実の選択や決定は、それがいかなるものであれ、諸科学 横断的な総合視点と判断を必要します。とくに、政策の立案検討、実行にあたっては、物事を多面的に解釈し、総合的に評価する能力が問われます意見の対立を解消し、利害を調整するためには、一方において、同意を得るためのミ ニマムな共通項を見いだすとともに、他方、構成メンバーの要求に見合った、柔軟で多様なメニューをつくりだし、異質 性をむしろ積極的にとり込んでいくことが不可欠となります

グローバルな発想と視野の重視

 交通・通信技術の発展にともなう地球規模での相互依存関 係が一段と深化するなかで、国家間の相互理解、異文化間の交流は、21世紀にむけての最大の課題となっています。とりわけ世界のさまざまな大学研究機関・個人を結ぶネットワーク化がすすむなかでは、多様な文化についての知識と言語運 用能力を基礎とするコミュニケーション能力が一段と要求さ れることになりますグローバルな発想と視野を身につけた 受信・発信の能力を養うことが何よりも必要となります

創造性の重視

 従来の教育では、知識の伝達、継承、与えられ問題の解決技法の習得に重点がおかれていました。これから社会では、みずから問題を発見し、解決する能力、さまざまな情報ひとつの知識へと体系化する能力をもつ、創造型の人間が期侍されています。そのため、あらゆる研究に共通な知的基 本動作の習熟、自然言語人工言語運用能力を前提として、 多様な発想と討論の場をつくることが必要です。既成概念の束縛から解きはなされた自由な発想と知的好奇心にもとづい た“創造の愉しみ”、それがSFC教育の基本姿勢です。

2013-02-01

栗原彬「21世紀の「やさしさのゆくえ」」『〈若者現在政治

東京秋葉原という同じ場所で、コミュニケーションヘの過剰適応の同じ沸点から、一方は身体性を破壊し、人間を「削除」する方へ、他方は身体性を回復し、生を励まし合う方へ分岐していくできごとがあった。一方は二〇〇八年六月八日秋葉原路上で起こった二五歳の若者による無差別殺傷事件であり、他方は○五年から秋葉原の専用劇場に拠って活動を開始したAKB48である

若者は一九八二年青森市に生まれた。教育熱心で上昇志向の強い両親の期待に応えて成績優秀な「いい子」に成長した。しかし高校時代から成績が下降し、同級生が多く四年制大学に進学するなかで波は短大自動車整備工の訓練を受けた。卒業後は派遣社員として職を転々とした。自分が「派遣切り」にあうという思い込みで工場づとめをやめ、「勝ち組はみんな死んでしまえ。そしたら、日本には俺しか残らないかあはは」といった荒涼とした書き込みをされて、唯一の居場所を失った感覚も犯行へと彼の背中を押した。

AKB48は、ネットを通して人気が広がり、テレビブレークしたが、更にその先に、ファンと共につくる身体性を伴う共同体が、当初から目指されていた。プロデューサー秋元康デザインに沿って、歌も踊りも人並ていど、可愛さもほどほどの普通女の子一所懸命練習して成長していく姿がファンの目近に可視化されたから、ファンは感動して見守りながら俺もがんばるという一緒意識が生まれた。ファンの身体性を伴う参加感覚は、新曲を歌うメンバーを選出する「総選挙」で投票したり、選出のための「じゃんけん大会」の場に居合わせた力、全国で聞かれた「マラソン握手会」にかけつけることで高められた。「会いに行けるアイドル」の身体性を伴う自己提示と、ファンの側の身体性を伴う参加とが協働して、身内感覚にあふれるローカル共同体が構築されたと言える。

http://www.nihontosho.co.jp/2011/05/post-195.html

2012-12-19

ものの値段が安すぎる!」のは当然の帰結、とマルクス先生は仰った

(2012.12/19 17時頃、ブクマコメントへの返信などを末尾に追記致しました)

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/19/112633

↑こちらのエントリを拝見しまして、なるほど現場の危機感はリアルに伝わってくるなと感じる半面、「そこはカール・マルクス先生が150年前に通過した場所ですよ」と思わずにいられなかったので、ここで簡単に解説してみようと思います

まず、「どうして商品の値段が下がるのか?」ですが、これは資本主義社会において工業化が進めば不可避の現象である、とマルクス先生は言います

理屈としては単純で、かつては作るのが難しかった製品でも、大量生産が可能になればそれだけで安価提供されるようになりますし、やがて生産技術陳腐化して他社も似たような製品を作り始めれば、さら価格は下がっていくわけです。これは恐らく、多くの方が直感的に理解できると思いますし、今の日本ですと家電業界が、正にこの値下げ競争世界レベルで直面し、息も絶え絶えになっているわけです。

マルクス先生が偉かったのは、ここまでで話を終えず、「じゃあ工場で働く労働者はどうなるのよ?」という問いを立てたところです。

先生は、普通労働者を、「自らの労働力を〝商品〟として市場提供しているのだ」と考えます。これは工場労働者に限らずホワイトカラーでも同じですが、

「自らの体力・時間を勤め先に〝切り売り〟して、対価として賃金を得ている」

と考えれば理解しやすいでしょう。

で、「資本主義社会においては、商品の価格は下がっていくのが当然だ」ということは既に触れた通りですが、これは「労働力」という〝商品〟についても同じ現象が起こります。要するに、放っておくと(←ここが重要)、労働者賃金労働条件も下がっていきます。分かりやすく言えば、「本当は嫌なんだけど、低い時給でも我慢して働かなくちゃ」という状態です。実際に日本でも、「サービス残業」「ワーキングプア」という形で、賃金の低落傾向の長期化は頭の痛い問題であり続けています(※以下に注釈)。

さて、これで話が済めばいいのですが、ここで問題になるのは、「労働者もまた人間である」ということです。

人間人間らしく生きるためには、家に帰って飯を食って寝るだけでは不十分です。例えば旨い酒を呑むとかエロゲを楽しむとか嫁さん子供を連れて遊びに行くとか、それぞれのやり方で活力を取り戻すことが必要になりますしかし、賃金が際限なく下がっていくと、こういった「労働力再生産」に充てられるお金も減らさざるを得ない。こうなると人心が荒んでいきますし、資本家との経済格差も広がる一方ですから、「放っておくと暴力革命危険も出てきますよ」とマルクス先生は指摘しました。

まあ、ここから一気に飛躍して「どうせ暴力革命が不可避なら自分たちでやってやるぜ、共産主義ばんざい」等と言い出した人々がいたのも事実ですし、私としても「それはどうなのよ」と思います。が、だからといって何もしないと、「失う物の無い人」が暴発してえらい事態が起こることも、我々は既に経験しています秋葉原加藤さんとか電車人身事故とか、頻発すると困ったことになりますね。

ではどうするか?ですが、有効方策は、ある程度はっきりしています

一つは、あくまで経済成長を追求することです。そのためには基幹産業へのテコ入れ必要になりますしかし、ここで日本特有の「急速な少子高齢化」という問題に直面します。産業を拡大させようにも、労働人口が減っていくのですから、どうにもなりません。しか高齢化が進みますから、将来的には医療介護部門に労働力を割かねばならなくなるのですが。これらの部門は当然ながら高成長は望めません。

もっとも、この解決策は簡単で、「積極的に移民を導入する」という手がありますOECDなんかからも、しきりに焚きつけられていますしかし、日本では移民導入政策がスムーズに進んでこなかったのは皆様もご存じの通り。特に安倍氏に代表される自民党の路線では、「日本を取り戻す」のだそうですから、政策としての食い合わせが悪い。そもそも戦時中朝鮮中国から連れてきた労働者に対し、戦後しかるべき対応を怠ったため今なお続く禍根を招いている、という件を蒸し返される可能性もあります

他には、北欧型の社会民主主義という路線もありそうです。但し、「社会民主主義」というのは、語弊を恐れず言えば「ソフト社会主義」です。「働かざる者食うべからず」というスローガンは有名ですが、主婦だろうが老人だろうが働ける人はみんな労働力市場に出てもらう、税金ガッツリ納めて頂く、その代わり「働いてくれるなら」各種の社会保障でしっかり面倒は見るよ、と。何だかかなり厳しそうな世の中ですが、しか北欧などではこの路線でまずまず上手くやっているわけで、政策として真面目に検討する余地は十分にあるのでは、と私は思います

但し、こうした路線を代表してくれるかも、と淡く期待していた民主党ドジョウ野郎の「純化路線」とやらでさっくり御破算と相成りましたので、当分は巻き返しも難しいでしょうね。

まあ、やっぱり民意ですよ民意、ってことで。

(※)なお、ここまでで説明した「商品価格労働賃金の低落傾向」を「デフレ」と称する方々も散見されます。繰り返しになりますが、この低落傾向は資本主義社会なら不可避の事態であり、国全体の財政がどうとかいう話とは本質的には無関係です。「世の中全体としてはインフレだし商品価格賃金も見かけ上は上がっているが、相対的には伸びてない」という事態も十分に起こり得るわけです(というか、マルクスが生きていた頃のヨーロッパはそんな感じでした)。ですので、この文章では「デフレ」という単語はなるべく使用を避けました。

率直に言えば、お腹の緩さは薬でマシになったらしいけどおつむの緩さがマシになったかひとつ信用ならない安倍ちゃんの「リフレ政策」とやらに私が全く期待していない理由も、ここにあります。そもそも、十数年にわたって量的緩和をやっても現状程度の成果しか得られていないのに、「逐次投入だからダメだった」と今更になって宣える神経が分かりません。景気が上向かなかったのは、「新たな産業セクター確立に失敗した」ことや「賃金水準が上向かないので内需が活発になってこない」ことも理由としては大きいはずで、ここを放置したままでは、せいぜい一時的な景気テコ入れに終わるのではという危惧もあります

(以下、12/19追記)

ちなみに「ハード社会主義」がどんなものかというと、例えばソヴィエト連邦場合、「働かざる者食うべからず」と同時に「失業者存在しない」という大前提がありましたので、労働が可能な状態なら「働かない」という選択は許されず、検挙の対象となりました。それでも労働を忌避するなら、刑務所ラーゲリ(=強制労働キャンプ)か精神病院に送り込まれるわけです。なお現在では、ラーゲリでの強制労働があったからこそ、特に戦後復興期のソ連経済は維持できたのだという見解が主流です。

id:yubnyuさん

前半では労働力大量生産による価値低下が問題、後半では労働者不足が問題と言ってて矛盾してる

労働力を「大量生産する」という言語感覚は私には理解できかねますが、別に労働者の総数が増えなくても、例えば労働者それぞれの技量平準化すれば〝商品〟としての価値は下落します。例えば、昔はWordExcelを使えたり英語が喋れたりできれば給料に色を付けてもらえたものですが、今ではそうでもありませんね。それは「誰でも使えて当たり前」になったから、即ち技術陳腐化したからです。

当然ながら、移民の導入etc.労働者が大量供給されるようになれば、やはり賃金は下がります

id:humidさん

先生仕事してください。誰かしらんけど。

過分なお褒めを頂き光栄ですっ!

実は仕事小説を書いてたんですけど編集者ケンカして切られちゃいまして(・ω<)

いい人紹介して下さいよー(`・ω・´)ノ ヨロシクー

id:angmarさん

途中からそれまでの論旨と関係ない「ぼくの考えた社会改革」の宣伝になっていて全然解決策になってない。

いやいや、私の妄想などではなく、社会政策としては既に実例があります。例えば「あくまで経済成長路線」の代表は米国ですし、それを踏まえてこそ「とにかく規制緩和」のシカゴ学派などが登場したわけでしょう?

だいたい、「ぼくのかんがえたしゃかいかいかく」というのは、原始共産制に基づいた太陽光無農薬コミューンを形成して云々」みたいなヤマギシ会も裸足で逃げ出すようなことを宣ってる方にこそ相応しいと愚考しますが。

id:Yagokoroさん

マルクス本当に読んだのか疑わしいレベル

いくら初めての増田からって、「命がけの跳躍」とか大事キーワードを省いちゃったのはダメダメですね……

やっぱりセンパイからしたら、大月書店版なんかじゃ物足りないですよね? この際だからセンパイみたいな凄くできる人に、原書の講読を手取り足取りお願いできればなー、なんて……(チラッチラッ

id:raituさん

その議論自体、テイラー科学生産管理で爆発的に生産性をあげて以来、陳腐化して久しいよねと。

さはさりながら、生産管理技術のものも、いずれ陳腐化は避けられません。おおもとのブログエントリにあった「効率化はもう限界」という叫びは、謙虚に受け止めねばならないでしょう。

id:blueboy

完全な間違い。機械化で商品価格低下なら、買い手には有益。商品価格の低下の量が、賃下げの量よりも大きいので、機械化は善。

21世紀になれば単純労働は全部ロボットにお任せ、人間様は時々ボタン押すだけでラクラクウマー、そんなふうに考えてた時期が俺にもありました……

それはさておき、実際には「新たな機械を開発・導入するよりも、労働者を使い倒す方がコスト面で勝るので機械化のインセンティブが働かない」職場というのも珍しくありません。

また、仮に単純労働をどんどん機械化していったとしても、その後に残るのは接客や介護など「機械化できない」仕事であり、それは人間が引き受けざるを得ません。「労働力も〝商品〟である」という前提は変わりませんから、いずれ労働賃金の低落化に直面することは避けられないのです。この点においては今の所、「移民労働力の活用」あるいは「高負担・高福祉社会の実現」以外に、有効方策は描かれていないように思われます

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