「宇宙論」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 宇宙論とは

2017-12-05

anond:20171204230752

じゃぁ読まねぇよ、ったって誰が読めって言ったのかが分からんからなんとも…。^^;

つか理由のが大事じゃね? なんで古い本が読みたいのかさ。

それも分かんないのに価値あるかどうか聞かれても困る。ラノベって読む価値あるの? ってもっと若い子に増田が聞かれたら勧めるべきかどうか迷うでしょ?

読めるかどうかは、何を読むかだと思う。

ハッキリ言えばラノベの方が読解するのに遥かに知識必要場合もある(電子兵器物理化学心理統計宇宙論等)し、短くて読み易い古典だって幾らでもある。

逆に古語文法なんかが違えばそれを調べ、史実を前提に当時の生活まで想像しつつ読む、なんてのは読解力ってより周辺知識だよね。歴史とか文化とかの。

 とりあえず青空文庫からじゃね?

青空文庫オススメ検索して出てきた数十サイトを「ええーいダメダメだぁ! おまえもっ!オマエもお前も御前も分かってねぇっっ!!」と朝っぱらから一人で呟きながら厳選(笑)したページを二つだけ貼っときますね。

http://kaoschronicle.com/post-1110

https://kaumo.jp/topic/36588

 最後に因みに俺の読書観だけど、

「本を読むって行為意味なんてない」

かな。webページだって見ること自体には意味なんかないよね?

2017-09-25

anond:20170925113650

別に止まるとは言ってないだろ

この世界を作った知性存在因果律はまた上位の因果律支配されているって話じゃ納得できないの?

どこかに因果律の終着駅があると定義従ってるのはお前の勝手思い込みでしょ

まだ人間観測できる範囲はこの宇宙だけだけど

宇宙以前にあるカオス世界とか多元宇宙論に基づいた別宇宙観測もせずに

この宇宙創造主=全て(カオス世界マルチバース含めた)の支配者ってのは早計すぎる

人間支配構造みたいに神はもっと偉い神の下僕かもしれん

大体の話、宇宙以前のカオス世界にしたって、

それが在ることが誰得だって話だよ

2017-09-17

ここが駄目だったよRe:CREATORS

最終話

築城院真鍳ちゃん野放しだけどいいのか国外逃亡したしもうどうでもいいのか

官僚天下りしてハッピーエンドっぽい感じでいいのか

・被造物を安易に元の世界に戻していいのか

・多元宇宙論がどうこう言ってるが多分誰もちゃんと理解してないけど本当に大丈夫なのか

メテオラずっと残るらしいけどこれは世界の歪み的にはセーフな範囲なのか

適当に話でっち上げて終わらせたぜってセリフスタッフ本音漏れてないか

チャンバーフェス

・ソノウソホント奇跡を起こして解決物語的にどうなんだ

・真鍳ちゃん>アルタイル>>その他作中の全て みたいになってないか大丈夫なのかマジで

クリエイター雁首揃えて考えた攻略法アルタイルを倒すためにアルタイル下位互換を用意したましたは流石にショボくね

・セレジアの恋人カロンハゲにかました皮肉を見事にスルーするハゲ創作者としてどうなんだろうかお前の話ワンパすぎんぞって言われてるぞ

・トレパク疑惑のある絵師自分創作キャライチャイチャしてるのを真剣に見守る統率の取れた観客

承認力作中最強クラス 電車

そもそも承認力って何だったんだろうね

アルタイルベース二次創作から何でもありだぞというギミックに追加の説明は無かったですね

承認力で全部説明つくならステマしてバズらせさえすりゃスーパーシンジやU1みたいな感じで他のキャラチートし放題じゃねえか

・だが最強なのはからチートの真鍳ちゃんなのだ

デウスエクスマキナクラスキャラを都合よく使ってはいはい辻褄合わせましたよは本当よくないよ創作者の怠慢だよ盛り上がれないよ

ソレ以前編

・もう疲れたので一言だけ

あじゃらかもくれんきゅうらいすは台詞がダサすぎて何でバズったのか不思議でならない

・というか承認力による設定改変をもっと積極的にやれよそれがこの作品の肝だろ

・どうせ設定の雑さなんて浮き彫りになりすぎてこれ以上どうしようもないんだからもっと派手に動くべきだったんだよ

チャンバーフェスネタを取っておこうとしたんだろうがそれならもう1クールでまとめろよ

・22話って中途半端だな本当に


下駄

いやーとりあえず最終話終わりましたね。

ラストを見るまでは分からないという事で今まで色んな事言うのは我慢してきましたが流石にもう言います

ひどかったね今のアニメ

最終回で大逆転することはなくて、やっぱ駄目だったかとため息がでるような話でした。

とりあえあず個人的評価を100点満点で言えば40点ぐらいの作品でしょう。

そのうち大部分がネットでわいわい語り草にするのが楽しかった事による点数ですので、人に薦める場合の点数は100点満点で10点ぐらいです。

嫌いな奴に時間無駄に使わせようって時か、糞アニメ好きな人アニメ紹介する時ぐらいしか名前を出すことはないでしょう。

放送前の期待値は70点ぐらいだったのでそこからかなり下がってます

自分もまだまだ見る目無いなぁ。

1話の段階で「ん~~~~???これって伸びない可能性のほうが高いのでは~~~????」と思うには思ったのですが、それを放送前に感じ取れないと駄目ですね。

伸びないにしてももう少し低空飛行しそうに予想してたのですが、気づけば地中を潜っていたレベルになったのは予想外。

全体的な造りも荒いし細部の枝葉も荒かったですからねー。

たまーに細かい話を掘り下げようと頑張っていたのは見かけたんですが、世界観の造りが荒いせいかいまいちピンと来ない話ばかりになってた印象です。

そんな中でも作画音楽は頑張ってた事が多いと思います

「落とした?」としか思えない放送スケジュールもちょくちょくありましたけどねー。

内容の割にはリッチな絵作りしようとしてましたからねー。

そこまで頑張らんでいいのにと思って見てました。

あいいやこの辺で話終わりにします。

どこまでもやり続けるとヘボット放送時間なっちゃう。

2017-09-06

anond:20170906142429

昨日夜に病院に行った

症状も紙に書いた

時間について

いつもの宇宙論機械論

ビッグブラザーAIについて考えていた

ビッグブラザー的な妄想だった

誰がビッグブラザーなんだろうって妄想した

AI設計者がビッグブラザーなのかなって

2017-08-28

数ある宇宙論の中で多元宇宙論が一番しっくりきた

地球誕生する確率なんて奇跡しか言いようがない

サイコロを振りまくって毎回1が出るのを信じられない回数繰り返した結果みたいなもんだ

そんな確率数学的には0として扱われる

でも実際はある

 

これが宇宙が1つしかないと考えた時の場合

でもマルチバース論では宇宙は無数にあるという

無数の宇宙で無数のサイコロを振るんだから、そりゃ1個くらい地球誕生する宇宙ができるわな

こういう考え方だとあらゆる事象が起きても納得ができる

2017-01-23

ティアマ彗星整合性を考える(ネタバレ

確かに整合性おかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙隕石が1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。

http://anond.hatelabo.jp/20170122101332

彗星の名は

ティアマ彗星の名は、シュメールの龍神ティアマからとって新海監督が命名した。

ティアマトは神話では天地に引き裂かれて世界創造の元となった、また20世紀のヴェリコフスキー宇宙論ではティアマトも彗星として解釈されるのだという。

神話宇宙論における役割は公開後まで新海監督は知らなかったそうだが、ふつう人名彗星名前ティアマトとしたのは

監督アカシックレコード接続してこれら関連情報から無意識的に適切な命名をしたのだと、ムー1月号での新海監インタビュー記事にて明かされた。

そしてムーではもう一点、作中で描かれているが気が付きにくい事が新海監から発表されている。

テッシームー読者であり三葉の入れ替わりに並行世界やエヴェレット解釈アカシックレコードを持ち出したのはセリフにもあるから皆さん覚えておいでだろう。

終盤、避難のために奔走する時にもテッシームーを持っていて、その表紙には「ティアマ彗星は人工天体」との見出しが書いてあるんだそうだ。

全然気づかなかった。

部分軌道爆撃系人工彗星ティアマ

糸守には過去隕石落下でできたと思しき場所がある。糸守湖と宮水神社御神体のあるクレーターだ。

そして劇中では3度目の落下が描かれている。

1200年周期で巡ってくるティアマ彗星が毎度来るたびに地球付近で分裂して落ちてくる。偶然にしては出来過ぎ。

それも地球上にどこかへ落下、ではない。精確に糸守を狙っての着弾。大気圏燃え尽きることなく地上に爪痕を残す龍。

ティアマ彗星は何者かの作った人工天体であり、天文学的スケールと精密さで糸守を狙撃していると考えるのが妥当だろう。

この彗星製造者仮定体Aと呼称する。

(つづきは明日書きます

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127005540

ビッグバン宇宙論、私も学生の頃ハマって色々想像を楽しみました。

その詳しい理論的内容があんまりにも難解で匙投げましたけど。

ただ、ビッグバン宇宙論がかつてそうであったように、どうやって理論観測事実の辻褄あわせが出来る様に仮説を組み立てていくっていう歴史面白いですよね。

アインシュタインが「宇宙は定常に決まってんだろ」と思い込んでたので意味不明宇宙項を入れざるを得なかった話とか、それが観測却下されて、「宇宙は膨張してんのが事実なんだよ、アホが」と言われてアインシュタインが一生の過ちと後悔したり。

なので、今後も宇宙論てどうなるのか予断は許さないと思いますね。

 

でもま、あの世紀の大天才といわれるアインシュタインですらも過ちを犯すんですから思い込みは禁物かな、と。

一切は実体がない、ってそういう戒めの意味でもあるみたいですよ。

宇宙歴史なんて150億年前とかそういうスケールの話らしいので、雲を掴むような話ですからね。

全く違う宇宙論が今後出ないとも限らないですし。

2016-11-18

多元宇宙論が気になって仕方ない

どうにも疑問がつきない。

毎日考えてしまう。

T字路に差し掛かった俺が「左に行くか・右に行くか・それとも戻るか?」の選択肢があったときの俺は紛れもなく1人である

左に行ったという事実の俺が今の俺だとする。

しかし、右と後ろに戻った俺も平行宇宙存在する。

そして全員は俺の選択だと信じて俺が基準だと思っている。

そのうちの1人が左に行った俺にすぎない、ここまでは分かる。

じゃあ連続しているような意識を持って左を行って今まで選択の結果を繰り返してきている

今の俺の自意識っていうのは何なのっていう。

いや違うか、分岐したとしても記憶が続いてるわけだから

この自意識のもの分岐してクローンされているわけか。

から「今」の自分は常に数秒前の体感すら引継ぎ続けているか違和感を覚えるわけか。

酷い話だな。

うん、酷い話だぞこれは。

自分だと思っていた存在分岐させ続けられている上に全員その瞬間の自分を今の自分だと思い続けているわけだ。

ロボットを大量に生産して自分こそがオリジナルだと思うインプットをされ続けているに等しい。

自分自分であって自分でないような感覚ってもしかしてこれに気付いた瞬間なんじゃないの?

とにかく自分選択でころころと世界分岐するわけだけど、

生物である無機物でさえ量子論的に世界分岐させる選択をし続けてるのに生物みたいに任意性の持つ選択をする物体がいたら

爆発的に世界分岐が加速すると思うんだけどそれが目的なんだろうか。

2016-11-17

多元宇宙論量子論で確定するまではどこにでもいる状態って分子すべてに言えるわけだよな

から

俺A・俺B・俺C

って分岐されて無限に多元宇宙存在するとしても

お前からも同時に

お前A・お前B・お前Cって分岐されてるよな。

※A同士は同じ観測条件の結果とする。

 

んで俺ゴーストとお前ゴースト存在したとする。

俺Aに俺ゴーストがあって今の俺だったとして、

お前Aにはお前のゴースト入ってんの?

いや入ってるっていうか、俺のゴースト無限の数だけあって無限にそれぞれの世界で俺は俺だって言ってるのか。

 

クローンじゃないの?って話をしたかったんだけど

無限世界無限ゴーストがいてそれぞれの世界にいるんだったら何がオリジナルとかないよな。

なんか俺を無限に分割されてるのは理不尽なんだけど統合できないのか?

1つにできないんだろうか?

いや俺だと思ってるゴーストでも1人1人既に別の存在になってるから俺ではないのか。

じゃあ俺は俺だと思ってるゴーストはやっぱり固有存在なんだろうけど、

波に乗ってそれを体験し続けている俺ってやっぱり何なの?って話になる。

2016-11-15

元増田なんだけどトラバの内容が難しくて追いきれない

http://anond.hatelabo.jp/20161115114204

確率的に0に限りなく近い事象であっても起こった以上は何の不思議もないというのはそうかもしれないんだけど

数学的には確か限りなく可能性が低い場合確率0と同等の扱いをしてもいいという話を聞いたんだけど

地球誕生の扱いは数学的にどういう扱いなのか、

その解消のために量子論を元にしたパラレルワールド・多元宇宙論は支持されるのか、

またはそこまで関連付けて考える必要ないのか

地球発生の確率自体は非常に低いもので、確率が低いことをトライ&エラーできるかというとそういうわけではなく

発生まで一回こっきりのワンチャンしかなかった、それが今現実として起こっている

10の15乗分の1?

この低い確率が1度のトライで達成されている現実は何なのだろうか。

主観客観

http://anond.hatelabo.jp/20161113003515

主観客観

文章を見ると子供のころは主観大人になってから客観でモノを見るようになったというように見えます

限りなく客観性を高めて見ると、宇宙は930億光年の大きさで年齢は137億歳で、

世界もしくは地球は、宇宙からすればチリほどの大きさもありません。

時間的にみても、地球はいずれは崩壊するし、人類移住を繰り返しても、いずれかの年月で消滅します。

最先端宇宙論では宇宙自体も収縮して崩壊する可能性も半々くらい。遠い未来ではあるけれど。

何が言いたいかというと、限りなく客観性を高めていけば、地球もしくは人の意味なんて、怖くなるほど無に等しいという事です。

客観的世界を見たとき世界にも人にも意味はない。

意味を探す場所問題

"我思う、ゆえに我あり"

一切を疑って、「自分は本当は存在しないのではないか?」とまで疑っても、そう疑っている自分自身存在否定できない。

"意味"の話とはちょっと違うけど、共通する部分があると思います

客観的視点重要ですが、意味に関していえば、そこに意味はないと思います

意味はおそらくは客観ではなく、主観しかないと思います

自らの主観意味を問いかけてみてはどうでしょうか?

灯台下暗しです。

2016-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20160218103818

ブレーンワールド(膜宇宙、braneworld)またはブレーン宇宙論とは、『我々の認識している4次元時空(3次元空間+時間)の宇宙は、さらに高次元の時空に埋め込まれた膜(ブレーン)のような時空なのではないか』と考える宇宙モデルである

ログラフィック原理 (holographic principle) は(中略)、全宇宙宇宙の地平面上に「描かれた」2次元情報構造と見なすことができ、我々が観測する3次元は巨視的スケールおよび低エネルギー領域での有効記述にすぎないことを示唆する。

意味わからん

2015-08-06

[] 逆ソーカル事件

1996年物理学者アラン・ソーカル人文科学誌 Social Textデタラメ論文投稿

掲載された後でジョーク論文だった事を明かし、物理専門用語言葉遊びをしていた一部の「ポストモダニズム研究者皮肉った。

実はこの事件にはちょっとした後日談がある。

ソーカル事件から6年後、Annals of Physics と Classical and Quantum Gravity に掲載されていたある物理論文話題になる。

それらは「位相的場理論」、「宇宙論」、「量子重力理論」などの複数分野にまたがる難解な論文で、

正しい専門用語を正しい文脈で用いていたが、論文全体では何も言っていないという代物であった。

悪質ないたずらが疑われ、ソーカル事件の逆襲ではないかと話題を集めたが真相は意外な方向へ。

論文投稿したのはボグダノフ兄弟

兄弟ブルゴーニュ大学で学び、グリシュカは数学イゴール理論物理学博士号を得ている。

二人はいたずらである事を否定し、論文正当性を訴えた。

ボグダノフ兄弟サイエンス番組の人気司会者であったことからメディアをも巻き込んで騒ぎは大きくなっていった。

2人はネット上の議論に偽名で参加し、多重アカウントによる自作自演を繰り返した。

偽名には実在物理学者数学者名前勝手に使い、また、時には非実在物理学者を名乗った。

兄弟真意が何であったにしろ、全うな議論を捨てネット印象操作を始めた時点で もはやまともな研究者とは呼べないであろう。

結果的ソーカル事件とは関係なかったものの、論文査読精度や博士号授与の基準見直し議論きっかけとなった事件である

2015-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20150608004436

最近数学科生は、驚くほどプログラミング科学に興味を持ってい無い。

40過ぎの者は、マイコンブームMSX利根川博士から生物学ブームホーキングから宇宙論ブームなどなど熱狂していたものだが。

(にも関わらず現状の衰退があるのだけども)

2015-05-09

現在」の秩序と近い将来の秩序の可能性

それ以外考える意味ないんだよ,知らなかったの?

そんでもって存在するのはその中の自分だけ。

そのことだけ考えてればいいんだよ。

ほかの事は考えても無意味

宇宙論についても空間はただの箱だという3次元ユークリッド空間

局所的で一般的には物質関係時間空間を歪めていくという相対性

理論による4次元リーマン空間標準化されているし,社会も同様。

2014-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20140726195712

概ね同意だが、

立法倫理哲学歴史金融システム簿記、もゴミ糞なの?

研究費を出してもらえて理系人間研究できるのは、

金融社会経済システムなどが整備されているから。

理系が偉いという優位意識はどこから来るんだろうね?

文系は、自分らが偉い!みたいな発言はしないけど・・・

物理学ブラックホールとか宇宙論とかになると、

経済活動に役立たないし、一歩間違えると趣味領域

あと、学問は全てが全て言葉表現して体系出来るものではない。

感覚的な言葉に表せない技術人間の心理を扱うジャンルもある。

それが分からないというのは、理系ってあんまり賢くないんじゃないの?と。

世界は、言葉論理だけで全てが構成されてるものではない。

2013-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20131104021226

本気で宇宙論やると量子の世界を避けては通れないから、量子の世界のことばっかり考えてると、逆に「地球デケー」ってなる。

2013-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20130821105811

小さな火の玉が突然爆発してでっかくなって…って、意味わかんねーよ!ってその論文聞いていた人思わなかったの?

その火の玉はどっから来たんだよ。

どこに何故存在していたんだよ。

そりゃ当然思われた。

そもそも、ビッグバンという単語はまさにその「意味わかんねーよ!」という側の人が言い始めた言葉で、

火の玉が爆発して宇宙になるわけねーだろ馬鹿か、みたいな意味が込められている。

 

火の玉宇宙論が受け入れられる前は、宇宙無限過去から無限未来までずっと存在し続けるという定常宇宙論

主流だったので、宇宙は膨張しているという説が出たときはそんなわけねーだろという人も多かった。

宇宙が膨張しているなら、過去宇宙もっと狭くてさらに言えば過去のある時点で宇宙は1点になってしまって、

そこから爆発的に生まれたことになるじゃないか意味わかんねーよ!……というわけだ。

 

 

ちなみにシュレーディンガーの猫も経緯が似てる。これは、シュレーディンガーさんが

量子の重ねあわせ状態なんて解釈を認めたら猫が半分生きていて半分死んでるみたいなことになるだろ、意味わかんねーよ!

という主張を行ったことから生まれた言葉だ。

2013-06-04

まねして新書の紹介

http://yuma-z.com/blog/2013/06/shinsho-10/ のまねをして、今度は新書の紹介をしてみる。(それにしても新書の紹介なのに、女性が手に持っているのが新書でないのが納得いかない)いままで紹介した本の紹介は以下のリンクからどうぞ。以下のリンクはいままでに自分が読んで面白かった本の紹介です。

自分が紹介する新書リストは以下の5冊。10冊並べようかと思ったけど、数学入門や理科系の作文技術日本人英語あたりは元のブログに取り上げられているし、それらを除くと以下の4冊が残ったので。

翻訳家仕事

英語日本語に限らず、様々な言語翻訳家の人たちのエッセイ集。「なぜ翻訳家になったか」というテーマエッセイが多い。翻訳家といっても文芸翻訳の話で、技術翻訳の人は登場していないはず。だいたいが学者系の人たちで、日本に紹介したい本があるからやっているという人が多い。(逆に外国日本の本を紹介したいという人もいる)

日本文学海外に紹介する人の話が楽しかった。日本に限らず、世界各地にはその地に根ざした習慣や文化があるわけだが、そういう習慣や文化をどうやって翻訳するのか。知らない人にわかるように説明すると、地の文よりも訳注が長くなってしまうとか、そういう問題点がある。そういったことを配慮しつつ翻訳するのは並大抵のことではないようだ。

加えて、英語日本語翻訳する人と、日本語英語翻訳する人では、前者が日本人ならば圧倒的に楽なのだそうだ。該当する言葉イメージ母語の中から探すというのはできるけれど、逆はとても難しいそうだ。

翻訳というとどちらもできそうな感じがあるけれど、他の人が読むに耐えるレベル翻訳はどうやらそうではないらしい。

本へのとびら

宮崎駿さんが著者。前半は岩波少年文庫の中で自分が読んだ本を挙げつつ、その本を紹介するという内容。後半は宮崎さんの思い出話だ。本の紹介が上手で、読んでみたくなる。

紹介する本は岩波少年文庫のものに限られるので、ほかの書店の本は一切載っていないのが残念だ。しかし後半は宮崎さんがなぜ児童書を読み始めたのかということや、映画作りに与えている影響にも話が及んでいて、とりたてて宮崎さんのファンではない自分のような人にも楽しめる。最近ジブリ映画はつまらない、と感じている人は、この本を読んで興味を持った児童書を読むと楽しい時間を過ごせると思う。

宇宙は本当にひとつなのか

村山斉さんが著者。最新の研究成果を元にして、宇宙はどうなっているかについて説明した本。最新の宇宙論を大まかに説明する本だ。なので、「どうしてそうなっているのか」ということよりも「今こんなことがわかり始めている」という説明が多い。

村山斉さんは最近多くの本を出していて、ほかの本と似た内容になっている(=かぶっている)という指摘がAmazonにある。自分はほかの村山斉の本を読んだことがないので、判断できないが、最新の宇宙論に興味のある人が手に取ってみると楽しい一冊であると思う。

もともとこの本は村山斉さんの講演が元になっているようで、各章の終わりには講演での質問が載っていて、それに対して村山斉さんが答えるというところがある。この質問に対して答えるところが良い。質問の内容をくみ取って的確に答えるのは難しいことだが、村山斉さんはしっかり答えているし、まだよくわかっていないところはよくわかっていないと曖昧にしないで答えている。質問も基礎的な話から宇宙論のかなり専門的な質問もあって、それぞれに解答している。

脳が冴える15の習慣

築山節さんが著者。生活習慣を改善することで、なんとなく調子がでない状態から脱却する方法を説明する。タイトルはありきたりだし、書いてある内容もそんなに真新しいものはないのだが、読むと納得する。

大事なことは寝る時間を削らないとか、運動する時間を設ける、などだ。大変なときにはこういう基礎的な習慣が崩れやすく、そういう点を疎かにすると、短期的にはうまくいく。かもしれないが、それが長引いて長期にわたるとだんだんいまいち調子が出ない…という状態にはまりがちだ。その状態になったり、ならないようにするためには習慣を見直すことが第一で、習慣を改善するだけでうまくいくことも多いというような話が載っている。

ときどきこの本を見直して、うまくいっているときタイムスケジュール生活習慣と今の状態を比べてみるということをすることが良いだろう。その具体的なチェックポイントを挙げてある点が本書の良いところ。

新書とは何か(自分にとって新書イメージ

ここからは余談。

新書というカテゴリーは、文庫でもないしハードカバーでもないというちょっと特殊なジャンルだと思っている。

昔読んだ高村薫さんのインタビューにこんなことが書いてあった。かなり昔には、

というすみ分けがあった。しかしこれは何十年も前から崩壊してしまったようだ。文庫ハードカバー出版された書籍が何年か経った後に、再び出版社が同じ書籍を売り出したいがための「文庫化」される本が多数を占めるようになったためだ。(そうではない本もあるが、全体の傾向としてそうなってきた)

くわえて、

  • 新聞は世の中の新しい出来事を総花的に紹介する
  • 雑誌はある分野ごとに、新聞よりももう少し掘り下げて説明する

というような区分けがあったように思う。新書は、上の新聞雑誌の間を縫うような「新聞のような時事的な問題を、雑誌と同じくらい詳しく、かつできるだけわかりやすく」というニーズがあって発展してきたものだと思う。要するに、今の池上彰さん的な立場新書は担っていた。

新書には、もう一方で「学問の初歩を紹介する」という役割もある。これらは新書が出はじめた当時は多かったが、最近はそんなに多くない。(元のブログでは数学入門はこの手の新書だ)○○学と呼べるような大きな学問領域を一手に扱えるほど権威のある書き手が少なくなってきて、各学問領域内でも細分化された結果、一概に「こうだ」と言えるようなことが難しくなりつつあるからだと思う。加えてそれらを説明しようとすると、新書では紙面が足りないからだと思う。

そのためなのかどうかは知らないが、最近特に、何か一つのテーマをなんとなく紹介する新書が多くなってきた。こういう新書は読むとそのとき何となくわかったような気がするけれど、時が経つと忘れてしまったり、素人目にはその紹介にはつじつまが合わないような時事問題が現れたりする。で、その結果として、その時々で「今」をなんとなくわかりたいときには役に立つ。けれども、全体としてみると、(特に経済問題や時事的な社会問題系は)役に立たないものが多い。陳腐化する。

まとめると、新書は以下のようなジャンルがある。

理科系の作文技術」について思うこと

個人的には、「理科系の作文技術」よりも、同じ著者の

の方が良い気がする。というか普通大学生ならば、新入生の手引きとかにレポートの書き方の説明や参考文献が載っているのではないか?大学講義にそういうものがあるはずだ。なので、「理科系の作文技術」は名著だけれど講義に出て練習を積めばいいように思う。もちろん一気に上手くなるわけではないけれど、ノウハウ本を一冊読むよりも、一度学んだも講義資料を読む方がはるかにわかやすいと思うのだが。講義教授木下是雄氏で、「理科系の作文技術」が指定教科書ならばともかく。

2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2012-10-15

土着音楽フォークロア)と紙粘土

古代いにしえよりの文明におけるコスモロジー全体論(holistic)であり神学(theology)であった、なんていかめしくニューサイエンス的な前口上を言い立てるまでもなく、

明らかに昔のほうが物事を全体として捉えてたんだよな?そのことを如実にあらわしてるのが土着音楽について振り返ってみようか。原始のリズムを食らえ。

しかしよくよく考えてみると音楽における霊性なんてイマドキ流行らないし流行らせない。ほらやよい時代って祭儀と祭祀で回ってたから。古代ギリシャ神託政治(ポリ)してた。politics語源だしなウソだけど。

基本リズムから全て派生していく様は完全に宇宙観をあらわしてる。けど現代人にはピンときづらいか紙粘土に喩えたらどうだ?

紙粘土ってなんでも作れる。だからこの世界は全部紙粘土で出来た世界として捉えてみることも可能である。箱庭宇宙。んだらば、それは素粒子論とは全く異質のモナドロジーではないのか?いやコスモロジー

絶対なんて絶対ないなんて今様ポップス音楽はこぞって歌うけれど恥知らずに要素還元主義つきすすむのも悪くはない。ペンロー図で有名な先生は怒るけど。

あとホフスタッターとかそういうのに啓蒙されたジョブズ世代でしょ。音楽時代精神(シュトゥットガルト)のみならず宇宙論コスモロジー)も表わしてる。マクロ意味でね。

理論化って常に近似なんだよね。理論の上に乗っかっていびきかいてると分からないけど。そりゃ眠ったら本質が見えなくなります

でも近似なのが分かってたらじゃあ実際どうなのよってなるじゃん?それはすぐれた近似なのかでたらめな近似なのか、そこを見極めないといけない。宇宙論()も見極めないと。

ところが見極める段になってまた見極めるためのメタ理論が要る。堂堂巡りじゃないか。そこで紙粘土音楽は元から発想をひっくり返す。見極めるとか見極めないとかそんなチャチなもんじゃねえ。

恐ろしいものの片鱗を味わうのよ。つまり「これ」という指差しや「ほにゃらら」という名指しや「ほにゃらか」という言い表しは全部無意味ってこと。

「この音楽いいよ」であるとか「この部分って何を表現してるんじゃ?」であるとか。そういう発想ではない。われわれはマントラ宇宙の原始の創造であると聞いたら幻惑してしまうだろう。

創造というか何というか、素粒子論とはまったく違った紙粘土の発想でのアレだからな。「これ」と指を使うとその時点で制限がかかるから指さずに「アレ」と要ったほうがよかろうもん。

その上であえて「ほげ」と呼ぶならば、その「ほげ」なる言葉としての意味はないが存在として意義のある呪文というか真言は、何に対しても使うことのできる万能のおまじないのようなものである

嫌なことがあっても「ほげ」。嬉しいことがあっても「ほげ」。「そうだハロウィンだ」と思っても「ほげ」。全部「ほげ」。全部紙粘土なの。

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.1

オウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年大学生へ向けて書いた手紙忠告)をまとめました。

目次はこちら

【vol.1「カルトに係わる契機」】

【vol.2「宗教的経験(前半)」】

【vol.3「宗教的経験(後半)」】

【vol.4「恐怖心の喚起」】

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】

【vol.6「まとめ」】

初めに

Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET

上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして

若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教ナウい教化法

が挙げられていましたね。同様に

若者宗教志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。

と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしま人間側の“信仰生成過程不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまます

では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者宗教志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?

この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。

ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉TVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災TVニュースの方が記憶に残っていますしかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネット検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分カルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教人間信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。

『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています

この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウム無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教ナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近オセロ中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳マインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルト存在洗脳信仰に対する認知を深めてもらいたいです。

そしてできるなら、FacebookTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルト存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)

最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています

学生の皆様へ

 「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。

 この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。

 オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方からカルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。

 私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います

カルトに係わる契機

 前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトメンバーとしては、私はオウム真理教信徒経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります

カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。

 しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。

 ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウム世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族学校会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。

 このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。

 私自身は、高校三年生とき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。

 このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。

 スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています

 一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るもの存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るもの存在しないかどうかを探求してみようと。

スピノザ『知性改善論』畠中尚志 訳 岩波文庫

 トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています

 何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。

 この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。

 「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。

 自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。

トルストイ『懺悔』原久一朗 訳 岩波文庫

 以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います特に自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。

 その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。

 哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。

 こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。

 結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想なのは半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。

 このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。

 次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。

 思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない

 人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”

引用英語で分からず。)

 また、心理学者ウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教哲学に向かうことを指摘していますウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫

 「生きる意味」に対する問いが純粋知的ものならば、それは当人に健全精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。

 それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。

 ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います


【vol.2「宗教的経験(前半)」】へ続く。

2011-09-29

大学物理学科について急に語りたくなったので語る。

なんか、誰の役に立つの分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。

さて、大学理学部物理学科に入学するとしよう。基本的に物理学科は、専門が進んでいくと、

この2系統x2分野で、4カテゴリだけに全てが収められる。意外に思われるかもしれないが、私も当時(学部3年頃)びっくりした。本当にこの4つしかない。

理論実験

まず理論系と実験系だが、その名の通り。理論系に進むと実験はやらずに、ひたすら理論だけ。本当に紙と鉛筆だけで物理モデルと数式を弄るだけのツワモノもまだいるけど、最近は、第一原理計算などのコンピュータシミュレーションも多い。

一方実験系に進むと、元旦液体窒素を汲んで延々と真空ポンプのお守りをしたり、「吸い込むと死ぬ」「空気に触れると爆発する」とかナチュラル危険すぎるガスをぶぉんぶぉん基板に吹き付けたり、TEM(透過型電子顕微鏡)の試料作成と軸合わせに12時間かけたあとに休憩も取らず深夜3時から測定開始したりする。要するに不死身であるしか給料ももらわずに学費を払ってこれをやるのだから真性マゾである。……話がそれた。

大学院進学の際、実験系には希望すれば誰でも進めるが、理論系へは相当の能力(とりあえずはテストの成績と言って良い)が無いと進むことはできない。まぁ学部3年くらいになれば、物理ができるヤツと物理ができないヤツの本質的な差が自他ともに見えてくるので、みんな自分がどっちに進むべきかはおのずから悟って判断する。そのため、「理論系に進みたかったけど成績が足りずに不本意ながら実験系に行った」って人は、実はほとんどいない((が、一部の実験系の人はやはり理論系の人にコンプレックスを持っており、理論の人を揶揄する実験系の人も時々いる。そういう人は学生時代はあまりそれは出ず、准教授教授クラスになってそうなる人が多い))。私の周りでも、理論系に行った人たちはやはり「天才」と呼べるだけの圧倒的物理センスを持っている人ばかりだった。

なお、実験から理論系へ、または理論から実験系へ移る人も、滅多にいないがいる。そういう人はものすごい変人か、ものすごい優秀かである。もちろん、変人かつ優秀の場合も多い。

物性と素粒子

先ほど言ったように、物理学科ではこの2つの分野しかない。意外だろうけどそうなのである

物性物理学は、モノの性質を「なぜだろう」と問う学問である(と思う)。例えば物性理論の第一原理計算では、「なぜ銅は銅としての性質を持つのか」を、原子番号の29という数字だけ入れて作り上げようとする。一方、物性実験系だった私は、毎日毎日ひたすら真空ポンプのお守りをしながら、ナノ微細構造作成とその電気特性を測定していた((今日作成温度500度、明日は550度、明後日は600度……お、550度が一番いいな。みたいな))。その他、金属半導体、光デバイス、磁性や超伝導電磁気的性質、まぁそのへん全部物性系である。応用例も広く、就職比較マッチングしやすいので、物性実験系が物理学科のもっともスタンダードな専門となる。

一方、素粒子は毛色が違う。「素粒子」と「原子核」で分ける人もいるけど、面倒なので一緒にする。有名なところでは加速器をやってる人たち。高エネルギーと呼んでいる大学もある。要するにモノの性質を問うのではなく、モノを作っている原子の中身とその構造を追っていく学問だ。クォークニュートリノグルーオンなどSF好みな題材が多い。素粒子は物性と違い、その経験を活かして就職しようとしても口が少ないため、アカポス狙いになってなかなか難しい。ただ、学部卒や修士卒で就職するつもりで専門に拘らないなら、分野なんて全然関係ないので気にしなくていい。素粒子から普通にリクルート電通化学企業なんかに行った人はいっぱいいる。しか博士課程に行くと……ポスドク地獄まっしぐらが待っている、気をつけよう。

宇宙論は?

みんな大好き宇宙論は、宇宙地球科学科が無い大学だと物理学科の素粒子に繰り込まれてしまう。高エネルギーとか場の理論とかになると、どうしてもそちらなので。

なお、物理学科に入る人で「宇宙論やりたい」って人はたくさんいるけど、講義が進んで悪魔テンソル計算が山のように出てくると、多くの人が挫折してむしろ宇宙論が嫌いになってしまう。足の上げ下げ、共変・反変、今思い出しても夢に見そうだ。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん