はてなキーワード: 環状道路とは
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
はてなでは東京(首都近郊)ではクルマはいらないとする言動が多くみられる。
実際のところ「無くでも済む」のは確かではあるが、時に殊更に不要であるとする論調が目に付く事もあるので、ここで地方出身首都圏歴20年の自分がn=1の印象論を書いてみようと思う。
属性: 40代男性 東北出身 20代後半から都心勤務首都圏(多摩地区)在住。小梨事実婚。
絶対速度としてはその通りだが、電車との比較では案外そこまでの差にはならない。
自宅→目的地が徒歩+鉄道で1時間だとすると、そこに15分程プラスすればクルマでも到達が可能だ。目的地によるが、現地に隣接の駐車場がある場合この差はもう少し小さくなる。比較する鉄道が各駅停車であれば尚更だ。
ちなみに都内のクルマ移動の平均速度は25km/h程度と考えるのが妥当である。
従って、時間当たりの移動距離という観点で言えば時速60~80kmでビュンビュン走る事のできる地方とは比較にならない。とは言え、比較対象は駅ごとにStop&Goを繰り返す鉄道となるため、移動距離での比較は妥当性に欠ける。
実はそうでもない。特に休日の新宿以東については思いのほか快適だ。混雑度で言えば都心より「車移動前提だが人の多い」首都圏外縁部、具体的に言うと国道16号線沿いの地域の方が圧倒的に劣悪な印象だ。都心でも同様の環状道路である
環7や環8は混雑する傾向にあるが、多くは接続された高速道路の流入/流出によるものなので時間帯を見誤らなければ特に大きなストレスなく移動可能だ。
ちなみにそのような状況であるが故、都心を走行するより町田や相模原の市中を走行する方が燃費が悪い傾向にある。
料金については各々の感覚による部分も大きいが、山手線沿線の繁華街で600円/hくらいからと考えるのが妥当か。銀座や六本木、渋谷道玄坂などにはビックリするような金額のコインパーキングも数多くあるが、六本木はともかく、銀座などは
妥当な金額で駐車できるパーキングの方が大勢だ。例えば多摩地区から都心4区へ鉄道が往復一人1000円だとして、3時間程度のショッピングであれば2名乗車のクルマの駐車料金と同程度だ。勿論ガソリン代は余計にかかるが、昨今の低燃費車を前提とすれば、それは荷物を自分で持たずに済む料金と考えて差し支えない程度ではないか(往復70kmを4.5Lで走ったとして700円弱)。
駐車場探しについても、周囲探して停められない、という場面にはそうそう当たらないように思う。流石に地方のショッピングセンターの駐車場のようにクルマを無料で無尽蔵に飲み込むような施設は望めないが、大抵の繁華街は必要充分な数の駐車場があると感じる。
はてなにおける都内のクルマ不要論は一定の希望願望妄想が含まれる故加速しがちだが、実際問題としては皆それなりに利用をしているし、言われているほど都心の交通事情が酷いという事はないと思って良いので安心してくれ。
http://www.kisho.co.jp/page/120.html
旧ソ連のフルシチョフの時代に計画された、小麦農業の集散基地としての都市アクモラ(人口約27万人)を歴史的都市として保全しつつ、その南側(イシム川左岸)に新都市をつくり共生させる構想。 イシム川の両岸を新しい住宅地として開発し、川(自然)と共生する都市をつくる。冬季、南西部より秒速平均7mの風が吹くため、それを防ぐためにイシム川の南西部に人口森林をつくる。既存都市の鉄道駅から南へ伸びる都心軸は、イシム川を越えて南へ延伸される。 政府の建物、大統領官邸大統領府、国会議事堂等を配置するためのガバメントシティーは、南側へ伸びる都心軸と直交する形で区域を形成する。 道路は既存都市の放射状のパターンを改良するため、都心環状、中央環状、外管状の各環状道路が計画される。 リニアな都心軸と、細胞型の住宅地のクラスターは、2010年、2020年、2030年と生長する(メタボリズム)都市として機能するよう計画されている。 公園計画は、これまでの近隣住区計画とは異なり、主として河川を中心にリニアなネットワークを形成するよう計画し、それが生態回廊として種の多様性を保全し、人と自然(他の生物)の共生を可能とする。
に書いてあるよ。
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】
もはや試すまでもなく「都内は電車で行くもの」という認識になってしまう。
なので、車の移動で北関東から中部・関西方面へ行こうとすると一大事だ。
何しろちょっと前までは、クソ混んでいる都心の首都高を経由するのが当たり前だったのだから。
もちろん今は横のつながり、即ち各種環状道路・横断道路がようやく整備されてきて、それらの活用次第となっている。
具体的には首都高中央環状線(C2)、外環、圏央道、北関東道など。
しかし、予算やら工事難易度の都合やら交通需要やらで先送りにされている区間があるわけで。
それだけでなく、常磐~東北なんて2車線しか予定されていない(他区間は3車線)。
まあでも仕方ないかも、とも思う。
実際問題、つくばから久喜や鶴ヶ島に行くとして、圏央でも外環経由でも所要時間に大した違いはないと思われる。
というのも、常磐道が大きく東に向かって伸びているからで、恐らく30分も違わないのでは?という感じ。
それから常磐~東北の区間は、元恋人と遊ぶ関係でよく工事予定区間の地域に行ってたけど、あんな田んぼとススキ野原しかない場所に高速道路を通した所で、典型的な田舎高速になるのが目に浮かぶ。
そして北関東北部在住者なら北関東道が第一選択だろうし、東北・常磐~東名・中央はC2使えって話だろう。北に行くなら磐越も候補かな。
あとは東北~関越だけど、上越新幹線に国道17号に高崎線と、日本の動脈にカテゴライズされるルートと、それを取り囲む住宅密集地域を横断する工事が予定通りに捗る筈もなく。
ただこの区間(久喜~鶴ヶ島)に限れば、常磐と違って東北・関越の両路線がほぼ平行に走っていることもあって、所要時間に有意な差が出ると思う。
まあでも東名・中央方面からの車はともかく、常磐・東関東からだと茨城県区間が開通するまで使う機会ないんだけどね。
つーわけで外環でいいだろと言われればその通り。
でもねえ、関越の埼玉区間って交通量が多い上に無駄に起伏があって、常磐とかに比べてえらい走りにくいのだ。
それこそ冬の週末や夏の帰省ラッシュで、渋滞や事故が起きまくるのは当たり前だろって思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130605071026
同業他社がルールを守らずダンピング(労働者に払うべき分を削ってでも安く仕事を受注)してるから自分とこもダンピング(もちろん労働者に払うべき分を削って受注)しないと競争にならない、だから奴隷労働は必要悪という企業側の考えを根本的に変えないと無くならない。
そのためには労働者に労基に駆け込まれたら割りに合わないように制度を変えないと。
でも今、現実には解雇の自由化や準正規とかブラック企業を推進しようとしてますね。
まぁ確かに工場なんかは実際の競争相手が人件費がくそ安い外国だったりするから理解できないこともないですよね。
だから僕個人としては国内を守るためにはある程度ブロック化していく必要があると思うのですが、合衆国の外圧によってTPPを推進するより他ない状況です。
で、企業も可哀想だと好意的に解釈できるのですが、現状国内需要は長期的には見込めない(実体経済の回復が無い限りアベノミクスみたいなのも所詮はカンフル剤)し、フロンティアと呼べるアフリカも中国にそうとう出遅れて先日慌てて阿部首相が「アフリカに投資は今!」とか言ってるわけですよ。
大企業でも多くのとこは利益を出すためには、実体経済(実際に物を売る)ではなく金融マジックにすがるしかないのが実情です。
もちろんそんな考えでは、長期的には衰退するに決まってると思いますけどね。
でも、判っちゃいるけど目の前をどうにかしなきゃって状況なんでしょうね。
内容についての正否はそれぞれの意見があるでしょうが、新規受給しづらくするという意図はこれから困窮する人が激増することが絶対だと明確に判っているのでしょう。
今から考えると、全体に占める率1.8%額にして128億7425万円(全体に占める率は0.38%)の不正受給に対する世論の盛り上がりは不自然で巧妙でしたね。
だって、完成しても環八道路の渋滞をたった5分短縮できるか微妙な外郭環状道路の総予算は1兆円超える勢いですよ。
もちろん、これからイケイケの高度経済成長があるなら、経済効果として何十倍にも跳ね返ってくるでしょうが…
自動車の交通量って21世紀になってからずっと減少してるんですぜ。
でも、同じお金を配るなら広く薄くしても効果は同じというかむしろ市場に出回るお金は増えると思うんですが、どうして自民党のセンセイ達はあんなにゼネコンにお金を配りたがるんでしょうね?
これもブラック企業推進政策ですよね。
いざというとき生活保護を受けられないとなれば、ブラック企業でもクビにされないように奴隷になるしか道がない。
結局政策として、絶対に餓死者を出さないか、少しは餓死者が出ても仕方ないから平均を上げるか、という二つの選択肢のどちらを国民が選ぶかです。