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はてなキーワード: 環状道路とは

2024-06-27

環状道路沿いに住むメリットデメリット

実際は環状道路の1本内側だけど、メリットデメリットを挙げてみる。

メリット

・あらゆる店が徒歩圏内にある(24時間営業スーパーコンビニファミレス電機店ドラッグストアホームセンター

バス停が家のすぐ近くにあるし、鉄道の駅もそこそこ近い


デメリット

・深夜の道路工事しょっちゅうあって安眠できない

消防車救急車しょっちゅう通る

バルコニーに土埃が溜まりやす

環状道路に出ようと焦る車が多いのか時々衝突事故が起こる


メリットの中では、特に電機店が一番便利だった。在宅勤務中にマウスキーボードが壊れたらすぐに買い換えられたし。

ただ、デメリットのほうがどうにも耐えられないので引っ越すことにした。

次は多少不便でも住宅街の中にある静かなマンションに住みたい…。

2024-03-18

イオンモール立地規制した青森県八戸市20年後どうなったのか

anond:20240313123638

青森県八戸市(はちのへし)。

県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路工業港を有し、東北新幹線八戸駅東北自動車道八戸線三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。

しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドー2024年の夏に閉店する。

八戸市映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。

2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長イオンモール反対を表明するも次の選挙市民の支持を得られず落選

イオンモールを待望した市民は、官僚出身新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端イオン開店した。

さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センター建設土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。

その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。

車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。

街の顔である中心市街地は、税金補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。

かつて市民デパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。

古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。

市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。

中心街仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルマンションはいくつか建設された。

市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーユニバース本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパードラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターサンデー、ヤマダ、ケーズデンキユニクロGUしまむら、西松屋ワークマンもある。日常の買い物には困らない。

しかし、市民は屋内一体型モールイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターボーリング場や、未来書店や、東京アパレルテナント東京話題のある飲食店フードコートが欲しかった。

前置きが長くなったが、この街歴史をみるとする。

明治大正

鉄道忌諱と中心街の大火

明治時代日本鉄道東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。

当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念軍部要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅現在本八戸駅を開設する。

そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまり市街地から離れすぎた立地のため、郊外地方空港様相であるかのように、22万人都市玄関口としてはお察しくださいの状態である

大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。

昭和

中心市街地の復興産業の発展と栄華

太平洋戦争では基幹産業日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害ほとんどなかった。

市の北側位置する旧日本軍飛行場基地米軍接収され、3,200人の米兵により飛行場拡張基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。

八戸中心市街地は、戦後しばらくして、東映東宝、テアトルなどの7つの映画館開店し、地元百貨店開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー地元資本ファッションビル開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。

八戸昭和30年代に新産業都市指定され臨海都市建設工事が始まり八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場八戸火力発電所、非鉄金属精錬所、鉄工所、造船所が建設された。

漁業栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑区画整理が次々と進み新興戸住宅地住宅団地郊外市街地は拡大し、市営バス路線網を拡大し小中高校増設を続けた。

一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。

青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。

平成

大店法改正の波、産業構造転換と商業施設郊外

1991年長崎屋郊外移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋開店

1994年 年末三陸はるか地震震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害

1995年 隣町にイオンモール下田開店現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。

1996年 中心市街地のニチイが閉店

1997年 中心市街地の市民病院郊外移転し、いよいよ中心市街地の危機地元紙で叫ばれるようになる

1999年 八戸臨海部神戸製鋼敷地ピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントイトーヨーカドーホームセンター、のちにヤマダ電機スーパー銭湯開店

2000年 人口過去最高の24万9000人になる

2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める

2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン市民映画館開店

2009年 臨海部八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店

イオンモール立地攻防

2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる

当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼ区画整理し、中心街から八戸市病院移転した付近に立地計画

市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。

しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。

地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街シャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り八戸三社大祭という由緒ある山車祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶

かに市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。

その後、市長は1期で落選し、新市長が当選立地規制条例を制定

2012年 郊外イオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)

中心市街地活性化施策

新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設

2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店

2016年 ガーデンテラス竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビル拠点開設

2018年 市営の八戸まちなか広場 マチニワ屋内広場が開設

令和期

少子高齢化人口減少時代水産業斜陽化、縮小する経済

2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園建設

2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町竣工 13階建で2階以上はマンション

2021年 中心街に新八戸市美術館竣工

2022年 地元百貨店三春屋コロナ経営不信でで閉店

2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定

2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)

2024年夏 イトーヨーカドー八戸沼館店が閉店予定

2025年 青森銀行とみちのく銀行合併青森みちのく銀行設立予定

おわりに

東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーホームセンターがあちこちにできた。

中心市街地は市営の観光施設や屋内広場箱物と、市営書店ができて大変モダン空間になった。

地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンファミマが合計6店舗できた。モスドトールしかなかった街中にタリーズができた。

しかし、市経済の低迷も相まって中心街商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルマンションへ建て替えが進む。

商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモール建設してもよかってのではないか

結果、GMSは衰退し臨海部ヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部シンフォニープラザ2012年開店イオン田向(リテール)のみになる。

よく巨大郊外モール撤退したあと社会問題になるため開発抑制必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベル規制誘導しない限り、一自治体規制をかけても無意味だった。

結局、市民1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。

中心市街地の地権者コンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化施設建設資金が投入され続けている。

2050年までに、八戸市人口社会保障人口問題研究所推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)

人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住コンパクトシティ形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからイオンモール下田に通うことにになる。

せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離イオンモールに遊びに行けただろう。

2022-12-22

首都近郊(一都三県特に東京都下~多摩地区)のクルマ事情(実感として)

はてなでは東京(首都近郊)ではクルマはいらないとする言動が多くみられる。

実際のところ「無くでも済む」のは確かではあるが、時に殊更に不要であるとする論調が目に付く事もあるので、ここで地方出身首都圏歴20年の自分がn=1の印象論を書いてみようと思う。

属性: 40代男性 東北出身 20代後半から都心勤務首都圏(多摩地区)在住。小梨事実婚

都心クルマだと時間がかかる】

絶対速度としてはその通りだが、電車との比較では案外そこまでの差にはならない。

自宅→目的地が徒歩+鉄道で1時間だとすると、そこに15分程プラスすればクルマでも到達が可能だ。目的地によるが、現地に隣接の駐車場がある場合この差はもう少し小さくなる。比較する鉄道各駅停車であれば尚更だ。

ちなみに都内クルマ移動の平均速度は25km/h程度と考えるのが妥当である

従って、時間当たりの移動距離という観点で言えば時速60~80kmでビュンビュン走る事のできる地方とは比較にならない。とは言え、比較対象は駅ごとにStop&Goを繰り返す鉄道となるため、移動距離での比較妥当性に欠ける。

都心は混雑しているのでストレスが溜まる】

実はそうでもない。特に休日新宿以東については思いのほか快適だ。混雑度で言えば都心より「車移動前提だが人の多い」首都圏外縁部、具体的に言うと国道16号線沿いの地域の方が圧倒的に劣悪な印象だ。都心でも同様の環状道路である

環7や環8は混雑する傾向にあるが、多くは接続された高速道路流入/流出によるものなので時間帯を見誤らなければ特に大きなストレスなく移動可能だ。

ちなみにそのような状況であるが故、都心走行するより町田相模原の市中を走行する方が燃費が悪い傾向にある。

都心駐車場を探すのが大変でかつ料金が高い】

料金については各々の感覚による部分も大きいが、山手線沿線繁華街で600円/hくらいからと考えるのが妥当か。銀座六本木渋谷道玄坂などにはビックリするような金額コインパーキングも数多くあるが、六本木はともかく、銀座などは

妥当金額で駐車できるパーキングの方が大勢だ。例えば多摩地区から都心4区へ鉄道が往復一人1000円だとして、3時間程度のショッピングであれば2名乗車のクルマの駐車料金と同程度だ。勿論ガソリン代は余計にかかるが、昨今の低燃費車を前提とすれば、それは荷物自分で持たずに済む料金と考えて差し支えない程度ではないか(往復70kmを4.5Lで走ったとして700円弱)。

駐車場探しについても、周囲探して停められない、という場面にはそうそう当たらないように思う。流石に地方ショッピングセンターの駐車場のようにクルマ無料無尽蔵に飲み込むような施設は望めないが、大抵の繁華街必要充分な数の駐車場があると感じる。

**********

はてなにおける都内クルマ不要論は一定希望願望妄想が含まれる故加速しがちだが、実際問題としては皆それなりに利用をしているし、言われているほど都心交通事情が酷いという事はないと思って良いので安心してくれ。

2018-03-13

anond:20180313142425

カザフスタン首都アスタナ計画

http://www.kisho.co.jp/page/120.html

 旧ソ連フルシチョフ時代計画された、小麦農業の集散基地としての都市クモラ(人口約27万人)を歴史的都市として保全しつつ、その南側(イシム川左岸)に新都市をつくり共生させる構想。  イシム川の両岸を新しい住宅地として開発し、川(自然)と共生する都市をつくる。冬季南西部より秒速平均7mの風が吹くため、それを防ぐためにイシム川の南西部人口森林をつくる。既存都市鉄道駅から南へ伸びる都心軸は、イシム川を越えて南へ延伸される。  政府建物大統領官邸大統領府、国会議事堂等を配置するためのガバメントティーは、南側へ伸びる都心軸と直交する形で区域形成する。  道路既存都市の放射状のパターンを改良するため、都心環状、中央環状、外管状の各環状道路計画される。  リニア都心軸と、細胞型の住宅地クラスターは、2010年2020年2030年と生長する(メタボリズム)都市として機能するよう計画されている。  公園計画は、これまでの近隣住区計画とは異なり、主として河川を中心にリニアネットワーク形成するよう計画し、それが生態回廊として種の多様性保全し、人と自然(他の生物)の共生可能とする。



に書いてあるよ。

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2013-08-09

東京迂回ルート

関東人ならほとんど誰でも肌で体感している、東京交通渋滞

もはや試すまでもなく「都内は電車で行くもの」という認識になってしまう。

なので、車の移動で北関東から中部関西方面へ行こうとすると一大事だ。

しろちょっと前までは、クソ混んでいる都心首都高を経由するのが当たり前だったのだから


もちろん今は横のつながり、即ち各種環状道路・横断道路がようやく整備されてきて、それらの活用次第となっている。

具体的には首都高中央環状線(C2)、外環圏央道北関東道など。

しかし、予算やら工事難易度の都合やら交通需要やらで先送りにされている区間があるわけで。

その中でも気になるのが圏央道常磐~関越の区間。

未完成の区間は最近、完成年度が先送りになったばっかりだ。

それだけでなく、常磐東北なんて2車線しか予定されていない(他区間は3車線)。


まあでも仕方ないかも、とも思う。

実際問題、つくばから久喜鶴ヶ島に行くとして、圏央でも外環経由でも所要時間に大した違いはないと思われる。

というのも、常磐道が大きく東に向かって伸びているからで、恐らく30分も違わないのでは?という感じ。

それから常磐東北の区間は、元恋人と遊ぶ関係でよく工事予定区間の地域に行ってたけど、あんな田んぼススキ野原しかない場所高速道路を通した所で、典型的田舎高速になるのが目に浮かぶ。

何よりあの地域国道も整備されていて、おまけにタダだし。

そして北関東北部在住者なら北関東道が第一選択だろうし、東北常磐東名中央はC2使えって話だろう。北に行くなら磐越も候補かな。

あとは東北~関越だけど、上越新幹線国道17号高崎線と、日本動脈カテゴライズされるルートと、それを取り囲む住宅密集地域を横断する工事が予定通りに捗る筈もなく。

ただこの区間(久喜鶴ヶ島)に限れば、常磐と違って東北・関越の両路線がほぼ平行に走っていることもあって、所要時間有意な差が出ると思う。

まあでも東名中央方面からの車はともかく、常磐東関東からだと茨城県区間が開通するまで使う機会ないんだけどね。

つーわけで外環でいいだろと言われればその通り。


でもねえ、関越の埼玉区間って交通量が多い上に無駄に起伏があって、常磐とかに比べてえらい走りにくいのだ。

それこそ冬の週末や夏の帰省ラッシュで、渋滞事故が起きまくるのは当たり前だろって思う。

これは贅沢かもしれないけど、あのタルい路線をあまり走らずに済むというだけでも、圏央道茨城埼玉区間はよって感じなのだ

それだけで長野北陸方面がより近くなるかも。

2013-06-05

ブラック企業推進政策をどうにかしないと

http://anond.hatelabo.jp/20130605071026

終身雇用に変えてもブラック企業は減らせないと思いますよ。

同業他社ルールを守らずダンピング労働者に払うべき分を削ってでも安く仕事を受注)してるから自分とこもダンピング(もちろん労働者に払うべき分を削って受注)しないと競争にならない、だから奴隷労働必要悪という企業側の考えを根本的に変えないと無くならない。

そのためには労働者に労基に駆け込まれたら割りに合わないように制度を変えないと。

でも今、現実には解雇の自由化や準正規とかブラック企業を推進しようとしてますね。

ワタミ会長参院選候補者にするとか、まったく意味不明

まぁ確かに工場なんかは実際の競争相手が人件費くそ安い外国だったりするから理解できないこともないですよね。

から僕個人としては国内を守るためにはある程度ブロック化していく必要があると思うのですが、合衆国外圧によってTPPを推進するより他ない状況です。

で、企業も可哀想だと好意的に解釈できるのですが、現状国内需要は長期的には見込めない(実体経済の回復が無い限りアベノミクスみたいなのも所詮カンフル剤)し、フロンティアと呼べるアフリカ中国にそうとう出遅れて先日慌てて阿部首相が「アフリカ投資は今!」とか言ってるわけですよ。

大企業でも多くのとこは利益を出すためには、実体経済(実際に物を売る)ではなく金融マジックにすがるしかないのが実情です。

そうなると多くの労働者コストに過ぎない。

もちろんそんな考えでは、長期的には衰退するに決まってると思いますけどね。

でも、判っちゃいるけど目の前をどうにかしなきゃって状況なんでしょうね。



さら心配なのは衆院を通過した生活保護改悪です。

内容についての正否はそれぞれの意見があるでしょうが、新規受給しづらくするという意図はこれから困窮する人が激増することが絶対だと明確に判っているのでしょう。

から考えると、全体に占める率1.8%額にして128億7425万円(全体に占める率は0.38%)の不正受給に対する世論の盛り上がりは不自然で巧妙でしたね。

だって、完成しても環八道路渋滞をたった5分短縮できるか微妙な外郭環状道路の総予算は1兆円超える勢いですよ。

もちろん、これからケイケの高度経済成長があるなら、経済効果として何十倍にも跳ね返ってくるでしょうが

自動車交通量って21世紀になってからずっと減少してるんですぜ。

はい公共事業経済効果もよく判ります

でも、同じお金を配るなら広く薄くしても効果は同じというかむしろ市場に出回るお金は増えると思うんですが、どうして自民党のセンセイ達はあんなにゼネコンお金を配りたがるんでしょうね?

これもブラック企業推進政策ですよね。

いざというとき生活保護を受けられないとなれば、ブラック企業でもクビにされないように奴隷になるしか道がない。



結局政策として、絶対に餓死者を出さないか、少しは餓死者が出ても仕方ないから平均を上げるか、という二つの選択肢のどちらを国民が選ぶかです。

政権に命を委ねてやっても構わないが、候補者と各党は選挙ウソだけはついて欲しくない。

 
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