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2018-03-13

anond:20180313142425

カザフスタン首都アスタナ計画

http://www.kisho.co.jp/page/120.html

 旧ソ連フルシチョフ時代計画された、小麦農業の集散基地としての都市クモラ(人口約27万人)を歴史的都市として保全しつつ、その南側(イシム川左岸)に新都市をつくり共生させる構想。  イシム川の両岸を新しい住宅地として開発し、川(自然)と共生する都市をつくる。冬季南西部より秒速平均7mの風が吹くため、それを防ぐためにイシム川の南西部人口森林をつくる。既存都市鉄道駅から南へ伸びる都心軸は、イシム川を越えて南へ延伸される。  政府建物大統領官邸大統領府、国会議事堂等を配置するためのガバメントティーは、南側へ伸びる都心軸と直交する形で区域形成する。  道路既存都市の放射状のパターンを改良するため、都心環状、中央環状、外管状の各環状道路計画される。  リニア都心軸と、細胞型の住宅地クラスターは、2010年2020年2030年と生長する(メタボリズム)都市として機能するよう計画されている。  公園計画は、これまでの近隣住区計画とは異なり、主として河川を中心にリニアネットワーク形成するよう計画し、それが生態回廊として種の多様性保全し、人と自然(他の生物)の共生可能とする。



に書いてあるよ。

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2013-08-09

東京迂回ルート

関東人ならほとんど誰でも肌で体感している、東京交通渋滞

もはや試すまでもなく「都内は電車で行くもの」という認識になってしまう。

なので、車の移動で北関東から中部関西方面へ行こうとすると一大事だ。

しろちょっと前までは、クソ混んでいる都心首都高を経由するのが当たり前だったのだから


もちろん今は横のつながり、即ち各種環状道路・横断道路がようやく整備されてきて、それらの活用次第となっている。

具体的には首都高中央環状線(C2)、外環圏央道北関東道など。

しかし、予算やら工事難易度の都合やら交通需要やらで先送りにされている区間があるわけで。

その中でも気になるのが圏央道常磐~関越の区間。

未完成の区間は最近、完成年度が先送りになったばっかりだ。

それだけでなく、常磐東北なんて2車線しか予定されていない(他区間は3車線)。


まあでも仕方ないかも、とも思う。

実際問題、つくばから久喜鶴ヶ島に行くとして、圏央でも外環経由でも所要時間に大した違いはないと思われる。

というのも、常磐道が大きく東に向かって伸びているからで、恐らく30分も違わないのでは?という感じ。

それから常磐東北の区間は、元恋人と遊ぶ関係でよく工事予定区間の地域に行ってたけど、あんな田んぼススキ野原しかない場所高速道路を通した所で、典型的田舎高速になるのが目に浮かぶ。

何よりあの地域国道も整備されていて、おまけにタダだし。

そして北関東北部在住者なら北関東道が第一選択だろうし、東北常磐東名中央はC2使えって話だろう。北に行くなら磐越も候補かな。

あとは東北~関越だけど、上越新幹線国道17号高崎線と、日本動脈カテゴライズされるルートと、それを取り囲む住宅密集地域を横断する工事が予定通りに捗る筈もなく。

ただこの区間(久喜鶴ヶ島)に限れば、常磐と違って東北・関越の両路線がほぼ平行に走っていることもあって、所要時間有意な差が出ると思う。

まあでも東名中央方面からの車はともかく、常磐東関東からだと茨城県区間が開通するまで使う機会ないんだけどね。

つーわけで外環でいいだろと言われればその通り。


でもねえ、関越の埼玉区間って交通量が多い上に無駄に起伏があって、常磐とかに比べてえらい走りにくいのだ。

それこそ冬の週末や夏の帰省ラッシュで、渋滞事故が起きまくるのは当たり前だろって思う。

これは贅沢かもしれないけど、あのタルい路線をあまり走らずに済むというだけでも、圏央道茨城埼玉区間はよって感じなのだ

それだけで長野北陸方面がより近くなるかも。

2013-06-05

ブラック企業推進政策をどうにかしないと

http://anond.hatelabo.jp/20130605071026

終身雇用に変えてもブラック企業は減らせないと思いますよ。

同業他社ルールを守らずダンピング労働者に払うべき分を削ってでも安く仕事を受注)してるから自分とこもダンピング(もちろん労働者に払うべき分を削って受注)しないと競争にならない、だから奴隷労働必要悪という企業側の考えを根本的に変えないと無くならない。

そのためには労働者に労基に駆け込まれたら割りに合わないように制度を変えないと。

でも今、現実には解雇の自由化や準正規とかブラック企業を推進しようとしてますね。

ワタミ会長参院選候補者にするとか、まったく意味不明

まぁ確かに工場なんかは実際の競争相手が人件費くそ安い外国だったりするから理解できないこともないですよね。

から僕個人としては国内を守るためにはある程度ブロック化していく必要があると思うのですが、合衆国外圧によってTPPを推進するより他ない状況です。

で、企業も可哀想だと好意的に解釈できるのですが、現状国内需要は長期的には見込めない(実体経済の回復が無い限りアベノミクスみたいなのも所詮カンフル剤)し、フロンティアと呼べるアフリカ中国にそうとう出遅れて先日慌てて阿部首相が「アフリカ投資は今!」とか言ってるわけですよ。

大企業でも多くのとこは利益を出すためには、実体経済(実際に物を売る)ではなく金融マジックにすがるしかないのが実情です。

そうなると多くの労働者コストに過ぎない。

もちろんそんな考えでは、長期的には衰退するに決まってると思いますけどね。

でも、判っちゃいるけど目の前をどうにかしなきゃって状況なんでしょうね。



さら心配なのは衆院を通過した生活保護改悪です。

内容についての正否はそれぞれの意見があるでしょうが、新規受給しづらくするという意図はこれから困窮する人が激増することが絶対だと明確に判っているのでしょう。

から考えると、全体に占める率1.8%額にして128億7425万円(全体に占める率は0.38%)の不正受給に対する世論の盛り上がりは不自然で巧妙でしたね。

だって、完成しても環八道路渋滞をたった5分短縮できるか微妙な外郭環状道路の総予算は1兆円超える勢いですよ。

もちろん、これからケイケの高度経済成長があるなら、経済効果として何十倍にも跳ね返ってくるでしょうが

自動車交通量って21世紀になってからずっと減少してるんですぜ。

はい公共事業経済効果もよく判ります

でも、同じお金を配るなら広く薄くしても効果は同じというかむしろ市場に出回るお金は増えると思うんですが、どうして自民党のセンセイ達はあんなにゼネコンお金を配りたがるんでしょうね?

これもブラック企業推進政策ですよね。

いざというとき生活保護を受けられないとなれば、ブラック企業でもクビにされないように奴隷になるしか道がない。



結局政策として、絶対に餓死者を出さないか、少しは餓死者が出ても仕方ないから平均を上げるか、という二つの選択肢のどちらを国民が選ぶかです。

政権に命を委ねてやっても構わないが、候補者と各党は選挙ウソだけはついて欲しくない。

 
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