はてなキーワード: 21世紀とは
たぶん厳しくしてもやさしくしても、それだけじゃあうまくいかない気がしてる。
なぜかというと、欧米の子育て中の社員にやさしい風潮を、これはよいことだ、21世紀だ、って日本にそのまま輸入しちゃったから。
あちらはそういうシステムに終着するだけの地盤があるんだよなあ。
男も家事育児して当たりまえだし、ベビーシッターが高額ではないし、終身雇用制度じゃないし、能力制だし、残業するのは要領悪いとかそういう空気だし。
終身雇用じゃないってはでかいよね。会社側は必要な分を提供してくれたら雇うし、できないなら雇わない。労働者側も出来る分以上はアプライしないし、やらなくていい。
一方の日本のシステムは、長時間労働で成功した国だよな。で、それゆえにできない家事育児を夫婦の片方が負担、でまわしてきた。
そっから、まったく変わってない。
つまり労働のシステムが、夫婦どっちかが長時間働いて、どっちかが家のことやれってことを要求してきている。
それを、グローバル基準守らなくちゃ、で基本システムにそぐわないことをしても、具体的には表面的に女性登用とか子育て支援とかしても、そりゃあうまくいかないんよなあと思う。
このOSではそういうことはサポートしませんみたいなかんじ。やっても動かないことはないかもしれませんが、不具合が出ると思います。みたいな。
まあでも、終身雇用なくして能力制にすりゃあいいかというと、何度もチャレンジすることが許されないとか同調圧力MAXっていう日本みたいな価値観だと、いますぐは無理だろう。
第一、優秀な移民や外国人がどんどん来てくれる欧米とは違いすぎる。
優秀な外国人招致もできないし、目下来てくれそうなアジア系外国人に厳しいこの国だから、日本人だけでやってくなら、終身雇用で育て上げるのもひとつの手段だとは思う。
まあでもこのままじゃ沈みゆく船だよね。
東京から鹿児島までの距離は在来線だと1500kmで、大阪から札幌までの距離に等しい。
これはもう運賃その他諸々の金銭的コスト以前の問題として、鉄道で東京から九州は遠すぎるという話になる。
しかも東京から九州までひとっ飛びで行く需要は、北海道行きに比べたら全然小さそうだし。
実際、羽田-新千歳の航空路線は航空各社にとってドル箱みたいだけど、九州方面の路線でそんな話は聞いたことがない。
そう考えると、九州ブルトレが上述の距離の問題に加え、あの高い料金としょぼいサービスで21世紀まで生き永らえていたことは、ほとんど奇跡だと思ってしまう。
個人的にはサンライズのような寝台電車かつトワイライトみたいな臨時列車でもいいから復活して欲しいけど、かなり無理があるかも。
基本的に賢い奴は反応しないわけ。政治研究家でもない限りな。利害からんでないのに反応する奴は負け組。糞の役に立たないこと考えるより自分のことやれ。まず考えるべきは自分のことだろ。
それは自己中って意味じゃなく。地震にしてもそう、何でもそうだけど。大震災起きてから大騒ぎ。騒ぐからメディアも取りあげる。それにまた過剰反応する民衆たち。悪循環な。いじめ問題もそう。賢い奴ならスルー安定なの。
そんなものイジメなんていつの時代もあるわ。地震もあるわ。分かってるの。ワーストシナリオって専門的には言うんだ。そんなの当たり前なんだけどな。最悪のシナリオも描けない奴に仕事任せられない。
リスク管理なんてできて当たり前。当たり前の感覚あったら地震だろうが中国だろうが驚かないの。ああそういうこともあるよねの世界であって「そう」の一言で終了なの。
ちゃんと自分のやるべきことに集中してるから。それは自己中なんじゃなくて。むしろそういう奴こそ夜のため人のためになるもんだ。ニュースに反応する奴おおすぎんだよ。騒ぐな。囀るな。もっと自分のこと頑張らないといけないだろ。
人のこと世の中のことギャーギャー言い立てるな。まず自分だろが。自分のこと見えてなさ過ぎるだろが。まずそこからだろ?
いま人類はそこに気付くべきステップに差し掛かっている。日本人は特にそうだ。21世紀の人類がワンステップ高みに昇れるか地の底に堕ちてしまうか。いま分水嶺に差し掛かっている。
土曜日に品川であったコワーキングカンファレンスってのに行ってきた。
会社づとめしながら自分のサービスをやりたくて自宅で夜と休みにコツコツ開発続けてるんだけど、
コワーキングスペースでそういう仲間が見つかってサービスインしました、みたいな話を聞いて、ちょっと期待して行ってみた。
結論から言うと、行ってみてがっかりした。休日を無駄にした。その時間を開発に使ってたほうがどれだけ良かったか。
カンファレンスだっていうから行ってみたら人多すぎで全然整理されてない。なんか酒飲んで酔っ払ってるやつもいる。
トイレの場所をスタッフに聞いても的を得ない答えが帰ってくるし、スタッフによって答えがてんでバラバラ。
ちょっと喉乾いたなと思って持ってたペットボトルのお茶飲んでたら飲食禁止だっていうし。おいおいちょっと待てよ、おまえら酒飲んでるやろ。
最後にはなんかコワーキング最高!とかみんなで叫んでる。あの、俺今日初めてきて、最高かどうかなんてわかんないんすけど。
見てて、すごく内輪で盛り上がっている人たちと、そうじゃない人たちに分かれていた。当然俺は後者ね。
結局、コワーキングで仲間見つけて何かやりたいってなったら、その内輪に入っていかなきゃならないのかな。
だとしたら俺は嫌だわ。何が21世紀の働き方だよ嘘くせえ。過去に退行しきったムラ社会じゃねーか。
やっぱり俺はぼっちでシコシコ開発続けるわ。
皆既日食は昔はガラス板をろうそくの炎などで燻して見たものです。今回専用のメガネ以外は駄目だとか言っているのは多分専用メガネの売り上げを伸ばすためでしょうね。今はデフレなので何でも商売に結びついているのです。
@toshio_tamogami 自分もそう思います。報道されてるほど危険なのであれば、普段から太陽自体を危険なものと教えなくてはなりませんよね。
最近は太陽を直視するのは危険であるとさんざん言われまくっている気がするが違うのか?
このへん。
何となくチェスタートンの小説で太陽を直視することの害について触れられていたことを思い出しました。
社会の前提は持続性。21世紀の展望がない今、老人は若者について考慮せず、若者は刹那主義に走る。年金未納率は40%超であり、それなりの規模でこの思想は信奉されている。
ドイツがギリシャに抱いてる気持ちと大体同じ。イエスの寓話ですらブドウ園に来なかったものに1デナリを渡そうとしたわけじゃあない。いやリアルでパンが分けてもなくならないのならいいですけどもw・・
働けないことが問題?
実のところ最適な答えはパンでなく、仕事を分け合うことだと思っている。労働の再分配はやりがいの再分配。QOLや「文化的」と突き詰めた時の答えが生保や年金だとは思わない。もしそうなら孤独死とはなんなのか。ある意味、安楽死の方がマシかもわからない。
「労働」のハードルが上がりすぎ。9時~6時で働けるやつは聖人君子かと思うわ。年金制度ってようは肉体労働がメインだった頃にできた制度っしょ?知的労働はいくつになってもできる気がするが。本当にどうしようもない人は相当少ないんでは?
むしろ老人ホームの害悪はボケになりやすいことだったりする。慰問とか行っていたが、入居したころは普通でも、1,2、年たつとすごいぼけてしまう人がいる。(つか慰問って言葉がすごく嫌いなんだけど)
あと小学生の時にショックだったのは別れ際に握手して回ったときに手を離さないおじいちゃんがいたこと。屋根や食事があっても想像を絶するさみしさがあるわけじゃない?それでブンカ的生活とか笑わせるなと。
国家による保障はどうしても機械的にならざるをえない。あくまで最後の砦であって、その前にやるべきことがあるんじゃないの?自助・共助・公助というと月並みかもしれないが、特に共助が弱いと思っている。
なんでこんなに税金はらわにゃならんのだっていうのももっともだし、逆に払ってるからそれでいいでしょというもんでもないと思う。
~権という考えは大事だとは思うけど、それでスパッ、スパッと物事を切り分けて解決する問題でもないっしょ。もうちょっと見方を変えてみたい。
「お金」って何だろう?生活するために絶対必要なもの。そうだね。
でも、お金ってものは本当は「リアルじゃない」ものなんだよ。あくまでイメージ。
リアルなのは「信用」とか「信頼」って言われるものの方なんだ。
だから、恐慌や天変地異が起きて、貨幣への信頼がなくなったときにはお金は単なる紙切れにしかならない。
僕は昭和55年生まれで、戦後間もないころの新円切り替えを知識としては知っていても、現実味のあるものとしては受け取れていない。
でも、日本においてはこの新円切り替えがここ最近で一番貨幣への信頼がなくなったときだよね。
多分、みんな薄々感じてると思うけれど、21世紀の「新円切り替え」は刻一刻と近づいてきている。20年以内には高い確率で起きるよね。
そう考えたら、20年以上先の年金の事なんか考えても仕方ないし、もっと別のことを考えるべきだよね。
「お金は信用の代わりでしかない。リアルではないもの。みんなが信じているもの。」という話しをしました。
そのお金を稼ぐために一生懸命がんばっているわけだけど、みんな大切な事を見落としているんじゃないだろうか。
「お金は信用の代わり」ということは「信用」のほうが本当は大切なモノなんだよね。
この「信用」というのがやっかい。目にみえない。
信用があるっていう状態はどういう状態かというと、僕の定義では
「お金は払えないけど衣食住の面倒を見てください」ってお願いして
まず快諾してもらえること。
そして「信用を積み重ねられる人」というのは
だから、なんらかの過去のしがらみで元々「信用がある」状態でも
面倒を見てもらっている間に何もしなければ、どんどん信用は世話人の中で消費されていく。
信用を積み重ねられる人というのは、消費される信用以上に世話人に対して信用を上乗せ出来る人のこと。
一人前になるっていうのは、この信用を上乗せ出来る人になることを言うのだと思う。
逃げグセがついたら、いつまでたっても逃げまわることになる。
言い換えれば、相手の言うことに対して、いちいち突っかからないこと。
自分に言われていないセリフであれば冷静に考えられるのに、自分に言われたときは冷静でいられないというのは相手と自分を同一視してしまっている。
もちろん自分に向かって言われているのだけれど、それを自分を肯定・否定したセリフだと受け取らないこと。
そうすれば毎回自分を守らなくて済むし、「何で?」と思ったことは素直に「何で?」と聞くことが出来る。
約束を守らないような人間は、例え大金持ちでも「幻想としてのお金」を持っているだけであって、いざというときに周りの人は支えてくれない。
約束を律儀に守ることによって、少しずつでも信用は蓄えられていく。
逆に約束を破った瞬間に信用はガタ落ちになる。最近で言えばオリンパスショックがまさにその典型だよね。
会話というのはキャッチボールに例えられるけれど、相手の求めているボールを投げてあげて
自分の求めているボールが投げられてきたら、そのキャッチボールはとても楽しいものになる。
信用というのは、こういう小さなたわいのないところでも形成されていく。
21世紀の人類の課題、なんて大きく出たけど、僕らの叡智はこの1点に集中すべきと思う、とぼんやり考えている。
縮んでいく世界でどう楽しく生きるか。
ホント、これだけ。市場がどんどん拡大して、どんどん儲かる時代はもう終わった。
(ついでにタイの洪水でサプライヤさんが止まってしまってモノが作れない)
やる気なくなっちゃうよなあ。
実家に帰省するたびに過疎化が進んでいるなあと寂しい思いになる。
バスや電車の本数はどんどん減って、駅前には老人ホームが新設され、パチンコ屋くらいしか賑わっていない。
今、住んでいるのは両親と祖父の3人だ。きっと寂しい思いをしていると思う。
祖母は自殺をした。
体の不調を感じ、(または過度に思い込んでしまって)自分の介護をさせるくらいならと死を選んだ。
自分が介護に苦労したから、母にはそんな思いをさせたくなかったし、そんな姿を見せたくなかっただろう。
でもなんで……
遊びに来るときはケーキを持ってきてくれて、年末年始の親戚の集いでもよく参加する元気の良い人だった。
老体にむちうって、鉄道にメンテナンスをやっているといっていた。
「やっぱり俺は農家の人間だった。商売人には、なれなかったなあ」
親戚の集いでふと僕に言った言葉を思い出す。おじさんは営業畑で生きてきた人だった。
何を思ってこの言葉を言ったのだろうか……
社会や家族や共同体が小さくなって、吸収しきれない絶望だけが個人の中に膨らみ積もっていく。
家も古くなっていく。手入れされない田畑が増える。
自分の身体は老いて、頭もはっきりしなくなっていく。
僕らはどう楽しく生きるか。
局所的に拡大しているサークルに身をおくのか? でも外側の老いていく両親はどうするの?
悩ましい。
悩ましいけど、どんなところであれ明るく楽しく生きていくのは人の義務だと思う。
全く新しい考え方が求められている気がしてならない。
http://blog.livedoor.jp/honkinohonyomi/archives/52529848.html
余力のある社会は強い//『働かないアリに意義がある』長谷川英祐 « 本気の本読み―グループで書評・本のまとめブログ
http://news.nicovideo.jp/watch/nw127033
ブラック企業の“大手”社員が激白「すでに社畜化してますね」 | 日刊SPA!
最近良く聞かれるようになった「働きアリの中にも怠けた蟻がいて、それは集団のためになっている。これは人間における労働者とニートの関係と同じだ。だから働かない人がいることは悪いことではない」という主張。これはまこと見るべきものを見ない唾棄すべき愚論である。
単純に言えば、アリ社会は
それにひきかえ日本人は、
端的に言えば一番最後こそが両者を分かつもっとも重要なファクターなのだが、こういった還元主義的発想は共通項ばかりを論って差異に無頓着である。
ましてや仮にこの言説が一定以上の信頼性を持ち得たとしても、この手の大局的主張は個を幸せにすることはない。幸せになるためには物質的、精神的な満足こそが大事なのであり、それは様々な方法こそあれ、多くは労働によって達成されるのだ。
資産家の御曹司で余生も安泰だという若年層にとっては、それでもいいだろうが、多くはそうではない。そしてこの主張はそうでない「溜めも役割もない」人々に向けているのだから、どのみち的はずれである。
ちなみに、「アリとキリギリス」などを引き合いに出して現代の「労働者とニート」問題に置き換える言説はこれより以前から見られたが、これはそれ以上に愚論である。そもそもキリギリスはまともに働こうが最初の冬には死ぬのだから、ニートをキリギリスに当てはめるという事自体が残念な考えである。もちろん、この話が成立した時代においては仕方がない事情もあろうが、21世紀にもなってこのような話をしたり顔で振りかざしていては恥知らずとしかいいようがない。
われら人類のニートの問題はこれら以上に複雑なのだから、このようなバカでも知った気になれるような矮小化に振り回されてはいけない。
他会社の株式を保有することによりその会社を独占的に支配する会社を持株会社と呼ぶ。支配するほうを親会社,されるほうを子会社という。自ら事業を行う方を事業持ち株会社、自ら事業を行わず,他社を支配することを目的とする会社を純粋持株会社という。資本主義の発展に伴って登場する独占体の一種で,証券代位とピラミッド型支配によって支配資本の節約が可能である。戦前の三井,三菱等の財閥本社はその典型。戦後は財閥解体、独占禁止法によってその設立は禁止され,これに反する純粋持ち株会社の設立は無効とされた。
しかし、戦後50年を経た1997年、独占禁止法改正により条件付きながら解禁。他会社の株を買占めることで他会社の支配を主たる事業とするこの純粋持ち株会社を活用することで、欧米では事業の組み替え、大型合併・吸収を企業集団という枠組みで積極的に推進してきた。これに対して日本では、純粋持ち株会社という司令塔を持たない企業集団であったため、戦略的な単位として行動することはできず、日本の企業集団の戦略性の欠如、国際競争力の衰退は明らかであった。こうしたことを背景に、純粋持ち株会社の解禁が図られた。しかし金融ビッグバンの影響もあり、日本では、銀行や証券会社によって再編のために設立された金融持ち株会社が先行している。
現在懲役刑執行中の堀江氏がテレビ局の株を買占め支配を試みた事件は、戦後50年ではありえなかったわけです。以前の反省から純粋持株会社の設立を廃止していたからですね。それが1997年に解禁されてしまい、丁度よくITバブルで現れた成金達が喜びの声を上げました。それ以後、なりふり構わず世界中でカネカネ大戦争を繰り広げているのが21世紀というわけです。簡単にまとめればこのようになります。20世紀は比較的そうでもなかったが、21世紀になってからどうも「カネカネ」五月蠅いなあと感じる人が多いようなので、その種明かしをしてみました。あなたの会社は「純粋持株会社」ですか?そうでない場合はこれから恐ろしい事に出くわすかもしれませんよ。一般に言われる「子会社に入ると苦労する」という話はこういう内事情があるわけです。あの人が何であんなことを言ったのか、じわじわ分かってきますね。
★財閥
本社を中核に,持株,融資,重役派遣などによって多数の子会社群を支配する独占企業集団で,コンツェルンの一形態。世界的には米国のモルガン財閥,中国の四大家族,インドのターター財閥その他多くの財閥がある。日本の戦前の財閥は同族支配,番頭経営,政府との密接な関係を著しい特徴とした。明治以降,産業の発達とともに,三井,三菱,住友,安田の四大財閥,古河,浅野,川崎などの財閥が形成され,昭和になると日産,日窒,日曹などの新興コンツェルンが登場した。第2次大戦までの日本経済は,財閥によって動かされていたといえる。戦後,財閥解体が行われたが,1950年代から旧財閥系企業の再結集が進められ新たな企業集団が形成されている。しかし,戦前の財閥とは性格を異にし,同族支配がなく,持株支配が弱く,金融機関の融資を中心とした金融コンツェルンの性格が強い。
★政商
明治前半期に政府の手厚い保護・育成を受け,政府との相互依存関係の中で伸張した特権的商人。三井・岩崎・住友・安田・大倉・浅野・渋沢等がそれで,政府事業を独占的に受注し,特に官業払下げを受けて産業資本家に転じ,同系列資本を集中し,その多くが財閥に発展した。
★金権政治
富者がその財力を駆使して権力をほしいままにする政治。日本では明治以降,政商の活動が時の政府に大きく影響したことがあり,多くの疑獄事件を生んだ。現代的には,第2次大戦後,一党による長期政権のもとで〈政界・官僚・財界〉の権力と利権の癒着構造が形成されて,構造的汚職を生みだす金権腐敗政治を指すことが多い。
最後に、宇野は「〈いま・ここ〉だけが無限に広がるこのリトル・ピープルの時代の新しい世界においては、私たちは〈いま・ここ〉に「潜る」こと、徹底して内在的であることが逆説的に超越に接近してしまう」と語るけど、このレトリックって、大澤真幸が麻原彰晃に対して指摘した、
徹底した俗物性、過剰なまでの〈内在性〉が、逆に、麻原の〈超越性〉の根拠になっているのではないか。(大澤真幸『虚構時代の果て』)
とまったく同じなのだけど、これは本人的には大丈夫なのかしら。
ttp://blog.livedoor.jp/toshihirock_n_roll/archives/51653048.html
たとえば『完全自殺マニュアル』の鶴見済氏やオウム真理教の麻原彰晃は、「革命」を失った今、世界を変えるのではなく自分を変えようとしたわけですよね。ドラッグや「修行」によって。麻原は鶴見さんほど徹底できなかったヘタレだから革命のでき損ないに走っちゃったわけです。しかし、彼らのやったことはまさに「内在」的なアプローチだったと思う。だって、世界変革を「諦めて」自分をチューニングするんだから。
でも、ぼくがこの本で書いた「拡張現実の時代」においては、先ほどのゲームの例が代表するようにネットワーク的なものに支援されて超越―内在といった図式自体が崩壊していて、徹底的に内在することが超越に近づくというモチーフが頻出する。「ここではない、どこか」ではなく「いま、ここ」に留まったままゲームのルールを書き換えるための想像力の行使に焦点を合わせているわけ。それはそのまま「虚構の時代」(鶴見・麻原)と「拡張現実の時代」の違いでもある。ここもポイントで、「外部」を断念するというとすぐに鶴見・麻原的なものを年長世代自体は想像しちゃうけれど、それは90年代で時間が止まっている思考ですね。21世紀的な現実は「徹底して内在することによる超越」が、自意識のチューニングではなく現実のコミュニケーションとして創作物の生成や社会変革の可能性の方向に向かっている。これがまさに「仮想現実から拡張現実へ」ということ。
いやいやいや。。。ちょっとウノさん、何言ってるんですか・・・・。「内在」っていうこれまで批評用語としては、「超越-内在」っていう二項対立の一項として使われてきた用語を、かなり強引に自分タームの「内在」(これってむしろ「組織のインサイダー=内在者」っていう意味に近いと思うんだけど)に引きつけて使ってて、不要に名前空間のコンフリクトを起こしてる気がする。まさに、
人文系の評論はすぐに一般名詞を専門用語化する傾向がある。しかも、その本だけでしか通用しない専門用語をすぐにつくっちゃうのだ。”壁_temp”とか、”想像力_temp”とかいう名前にしてくれればわかりやすいのだが、我慢して慣れてみよう。
っていう奴。今まで現代思想界にはCritique.naizaiっていう広く使われてる変数なり関数なりがあったのに、そこにまた紛らわしいUno.naizaiっていう変数なり関数なりを持ってきてて、そこでCritique.naizaiをUno.naizaiと間違えてコンパイルした人に、「お前はUnoパッケージをインポートしてないから俺の本が読めてない」って文句言うのはちょっと無理筋過ぎないか。
まあ、用語の問題を脇に置けば宇野常寛の言いたいことも分からなくはない。現代思想や社会理論がこれまで、超越(トップダウンの理想主義的な社会モデル)か、内在(個々人の内面=インナースペースからの改革)か、という二項対立に拘泥したきたのに対して、組織の内在者=インサイダーが、組織へのハッキング的なコミュニケーションによるアプローチをかけることによって、ゆるやかに社会を変えていきましょう、ってのが彼の言いたいことなんだろうなあ、と思う。だけどそこで、現代思想のこれまで数十年の歴史のある用語体系に土足で踏み込んで、「内在」なんていう一般名詞を無理やり自分タームで使うのは無理筋だし、これまでその用語体系を使ってきた人の名前空間を不必要に混乱させる振る舞いだと思う。せめて「内在者(インサイダー)的アプローチ」くらいの用語にしておいてくれれば分かりやすいのにねえ・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0
長いけど引用。
人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティックな工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルやケータイ小説、アニメやゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」
しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。
この鋭さはやはりすごい。
これについこの前の内田樹の話がかぶってくる。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php
こちらは引用しないけど、ネット上の言論が暴力的になってきているという彼の印象と、それについての言説。
で、
サブ・カルチャーが社会において力を持つということは社会の教養レヴェルが(全体的に)落ちたということではないのか?
教養の不足、というのは、他者との距離感を錯誤する。わたし、と、あなた、の違いが曖昧にしか感じられなくなってくる。
総理大臣に『バカッ!』ということが、冗談でなくて本気で彼に伝わる、そんな感覚さえもつようになるのでは?
そして政治家もまたひとしく教養を欠き、彼らの十八番であった言葉遊びができなくなって、記者会見で泣き出す?
政治家でない私が政治家と違うのは、互いの囲まれた環境(circumstance)が違うのだから当然で、彼の言葉を理解できないから『理解しようとする』。
今そういうことを皆できなくなってきてるのではないか。
『おマエ氏ね』と書き込むひとは、案外以前より一層、本気で書くようになってきたのではないか。
二人のコトを読んでそんなことをぐるぐる、もやもや、考えた。
「昭和のクソ」というものがあるのなら、この増田はさしずめ「平成のクソ」だな。
ていうか、「自分と違う価値観をクソだ何だと否定しまくり」って、モロに増田言うところの「昭和的時代遅れ行動パターン」じゃん。
増田の言う「古さ」ってつまりは、自分らの価値観にとらわれまくって他者を否定する行動パターンの事なんだろ。
だとしたら平成の価値観にとらわれまくって昭和を肯定しようとしない増田は存在そのものが「古い」よな。
誰かに勝利したいのが本懐で、本当は差別とかどうでもいいんでしょ?
見事な自己紹介、乙。
「その前のお前」と「その後のお前」も、当然地続きだ。
部外者ヅラはできねーよ。
(CV: 小山力也)
よう、全国2000万の非コミュども。今日も今日とて、カスみたいな増田で傷の舐めあいと罵り合いか。
タイトルの通り、最近自分の周りの非コミュたちを見ていて、なんとなく共通して当てはまるものが見えてきた。
信頼を失うような立ち振る舞いが多い。メールの返事返さないとか、電話にでない、とか。
基本的にこちらの事情や行動を平気で踏み潰すヤツが多いことに気づいた。
信用は金で買えるが、信頼は金で買えない。
コミュニケーションというのは信頼が前提にあるものだから、これを失うと、どんどん人間が離れていく。
最初から信頼を獲得するスキルを持ちあわせていなければ、最初から人間は近づいてこない。
つまり、信頼とは本来時間と手間をかけて積み上げていくもので、
それが最初から足りてないから、非コミュは非コミュのままなのだ。
本来は付け焼刃で人間関係スキルだけを磨こうとしても信頼は勝ち取れないのだが、
右も左も分からない非コミュたちには最初のワンステップは必要だろう。
10の具体的なテクニックとしてまとめておいた。
これらは基本的に、小さな信頼を獲得し、コミュニケーションを維持するためのテクニックだ。
これをすれば相手との会話やメールを維持することにつながる。そしてそれがコミュ力だ。
どれも社会人として基本的なことだが、これをすべてやり続けると、
遅刻をするってことは、待ってくれている人の時間を盗むこと。
時間は金で買えないし、返すこともできない。
相手のその日の貴重な1分1秒を奪ってしまったと考えろ。
誰も泥棒を信頼しないし、君も信頼しないだろ?
忙しかったり、小さなことだったら忘れることもあるだろう。
ところが、相手からしたら小さなことではなく、とても重要なことだったりする。
そういうことで相手や周囲から信頼は簡単に失う。
忘れそうだったらメモるとか、タスク管理するとか忘れない方法を考えろ。
仕事だと必然的に納期というものがあるが、プライベートでもいつまでにそれをしたらいいのか確認する
「いつでもいいよ」と言われても「こっちの都合で決めていい? 1週間後でどう?」と決めておく。
「いつでもいい」と言っても半年や1年待ってくれるヤツは、ほとんど居ない。
「あれ、いつやってくれるの?」「いつでもいいんじゃなかったの?」「そうだけどさっ!(怒」
このやりとりをしてしまうと、最悪のパターンだ。
「いつでもいい」は「やってもやらなくてもいい」ではないことも肝に銘じろ。
秒速で返せ、っていうわけじゃない。でも24時間以内には返せ。仕事だったら翌営業日まで。
24時間以内で答えが出せない返事は、返事するのに待って欲しい、という返事を書く。
いつまでには返事できる、というのも書き添える。
いつまでに返事できるかわからなかったとしたら、それも正直に書く。
真っ当な教育を受けて来た人間なら、今までの人生の必ずどこかで教わっているはずだ。
そして、真っ当な人間なら「ありがとう」と言ってもらえると嬉しい。
部下の仕事ぶりにもこれは使う。仕事だから当たり前、自分の部下だから当たり前、と思っていると
最低限の仕事はこなしてくれても上司としての信頼は勝ち取れないし、チームとしての能率も下がる。
例えば起業することになり、友達でデザイン事務所やっているヤツが名刺を作ってくれたとする
「おまえとは友達だし、そこまで手間かかるものでもないから、今回はタダでいいよ」
と言ってくれても、その言葉は額面通りに捉えるな。
その友達はそのスキルで商売をしていて、その商売の時間を短時間とはいえ割いてでも作ってくれたのだ。
金はいらないというのなら、せめて飲み会開いて一晩の飲み代ぐらいは奢れ。
恋人や伴侶、家族、大切な友人には必須イベントだが、友人、ちょっとした知人にもあげたほうがいい。
ただし、友人レベルには大した額でないプレゼントを考えろ。あまり額が大きいと相手は引く。
普段あまり顔をあわせない相手にはおめでとうメールを送れ。疎遠だった人と関係を復活させるチャンスにもなる。
その人の趣味や仕事に直結するような情報を仕入れたらすぐに教える。
例えばビール好きの人が知り合いにいて、自分の地元でビール祭りが開かれる、なんて話があったらすぐにメール。
自分の趣味趣向を知った上でプラスになる情報を教えてくれた、ということが喜ばれるのだ。
若いヤツには効果的だ。年長者からは「若いのにしっかりしてる」という印象を持ってもらえる。
きちんと躾された人間には当然のことだが、最近これが出来ない人、すごく多い。
祝い事やお見舞いにはしかるべき熨斗(のし)をつける。わからなかったらググれ。店の人に聞くのもいい。
別段の要件のない、ただ遊びに行ったり訪問するだけの場合でも手土産は忘れるな。特に初訪問には必須。
相手の時間をこちらの都合で割くのだから、それに見合う返礼は持って行け。
とりあえずの10項目だ。
1〜5までは社会人として信頼を維持するための必須条件だ。これを外すと信頼は減点される。
6〜10は相手に+αの信頼と心象の良さをアピールするものだ。
つまり、信頼の加点要素。ただし1〜5までがしっかり出来ているという前提だ。
どれも、マメさや多少の金銭、手間暇が求められる。
でも、そういうことに金や時間といった人生のリソースを費やすことが
社会の中で良好な人間関係を築くってことだ。
社会でちゃんと生きてるヤツは、こういうことがちゃんと出来てるってことだよ。
騙されたと思って1年間これやり続けてみな
とはいえ、こんなに釣れるとは思ってなかった。
読み返せばちょっと分かりにくいところもあったので、てにおはを付け加えたり、言葉を前後したりしてるが、
基本的に意味は改変してないので、後から読む人は安心してほしい。
「恋人が出来ない。いつも一人」とか「一緒に遊んでくれる友達いないんでぼっちなんすよ」
とか言っているヤツは、挙げた1〜10は概ね出来ていない。
こういう状態を非コミュだと考えている人は、オレ以外にもいるだろう。
そこから脱したいのであれば、上記10個を実践すればいいし、
非コミュのままでいいというヤツは、それでいいと思う。
ただ読めばわかるが、人間関係≠0のヤツが前提だ。
本当に0のヤツは… そんなヤツいるのか? だとしたら現代の仙人だな。
何にせよ「これは非コミュじゃない!!!!」と思うのなら、そう思っててくれ。
非コミュの定義を社会学のお偉いセンセにでも定義してもらうまで、この論争はお預けだ。
特に後半を人をたぶらかすテクニックだとか、見返りを要求しているように感じる人たち。
そう思う思考回路は卑屈そのものだから、早めに改めたほうがいい。
卑屈でいることは、何の得にもならない。むしろ鬱になる傾向があるといっていい。
卑屈が過ぎて、鬱になり職を追われた人間を何人も知っている。
公私ともに必要なテクニックだ。特に贈答が関わるものは、女性のほうが敏感だぞ。
よく母親や嫁さんが「お返ししなきゃ」とか言ってるだろ?
こちらと相手の格を考えて、額や品を考えなきゃいけないんだよ、本来は。
ただまあ、そこは高度な人間関係のテクニックだから、そういうのは母親や嫁さんに任せとけ。
モノ知らないヤツが横から首突っ込んでああだこうだ言うような次元じゃないんだよ。
id:REV こういう行為は、おそらく、たぶん、コストパフォーマンスが良い。で、こういうのを安く考えるから非コミュになっているというw
仰るとおりだ。若い人こそ先が長いんだから、こういうこと大事にしておかないと、後の人生で面倒や恥をかくことになるな。
id:kussun 人間関係 お世話になった人からの答えにくいメールを無視という最悪の形で返してしまった愚か者がここに。 4)が心に刺さる。
年賀状やお中元の類は年長者にはメリットあるが、むしろ若年層はメールのほうが敏感なもんだ。
メールであれなんであれ、便りの返事が遅いと、出したほうはやきもきするものだ。
事情は知らないが、早めにお詫びと、答えられないんなら答えられない理由正直に書いて送ったほうがいいと思うぞ。
id:rag_en 増田 4以外の前半はまぁいいとしても。後半は、結婚式とか葬式とかあの手のイベントに通じる気持ち悪さ満載だなー、と思った。コミュ・非コミュっていうか、昭和の残滓って言ったほうがしっくりくる。
昭和の残滓とは素晴らしい表現だとは思うが、時候や儀礼は大切にしたほうがいい。
例えば年賀状なんて明治から始まった作られた文化だと言うヤツがいるが、
お世話になった人たちに年始の挨拶を訪ねてまわるってのは、もっと昔からあったんだよ。
今の年賀メールといっしょで「なんだ、挨拶にも来ず紙キレ一枚で挨拶したつもりか、無礼な」
って当時の老人たちは思ったかもしれないな。
大切なのは、その媒体の形にこだわらず、その背景を大切に、ってことだと思うぞ。
id:triggerhappysundaymorning こうゆうウザい諸々から逃れるために非コミュを目指してるんじゃないの?
id:Blue-Period 非コミュ 人数分×2個のお土産を持参して渡す勇気が出ずに最後まで残業してこっそり持ち帰ってる俺の気苦労をなんだと思ってるの? バカなの?
素敵な写真を撮れる人は、そういう立ち振る舞いもソツなくこなせると思っていたのはオレの思い込みだったな。
それは仕事上のことなのか? だとしたら最悪じゃないか? バカなのは君だ。
自分の上司からは「あいつちゃんと手土産持って行ってる」と思われ
相手先からは「(あの人、手ぶらで来たの? エー? ヒソヒソ)」って言われてるかもしれない。
まあ、手ぶらで来たことに根を持つような会社や人間はロクなもんじゃないが、
会社同士の付き合いの上で、それはちょっとヤバいんじゃないか?
id:aozora21 はてな匿名ダイアリー 1から5までは当たり前、ただし仕事上で。手土産もプレゼントも策略なら面倒くさいのでやめてほしいです。
君のようなのが卑屈人間の典型だ。
相手が本当に君が喜んでくれるなら、という思いだけでプレゼントくれたのだとしたらどう思う?
それは相手に対して失礼だとは思わないのか?
id:jassmaz 六以降はTwitterなどソーシャルネットワーク以後の社会においてはさして重要ではないような。昔は誕生メールなんか来たけど、今じゃ、twitterやmixiを介して祝うからなあ。
仰るとおりだ。
オレも無根拠にこだわれ、と言ってるわけじゃない。twitterやmixiでメッセージ伝えられるのなら十分だ。
最近はAmazonのギフトカードをネット経由で送ることも良くしてる。
もちろんその人がAmazonでよく買い物をしてる、という情報をリサーチした上でだ。
id:houyhnhm 遅刻の神みたいな人がいるけど、それは非コミュからかけ離れてるしねえ。/仕事上の信頼はなんか無責任に仕事投げられるサインっぽいので、いい加減になろうと思う今日この頃です。
オレは遅刻の紙なんか真っ先に付き合い切りたいと思うがな。
無責任っていうのは、まず本当に無責任なのかどうか確かめる必要がある。
君の伸びしろを期待して仕事をふってるのかもしれない。
早期の転職をおすすめする。
id:uwananiwosuru 全然できてない人にも友達はいるわけで それはどういうことなのか非コミュには全くわかんにゃい
それは本当の友達なのか確認するべきだな。
金やなんらかのメリットに群がってるだけなのかもしれないし、
単なる腐れ縁だけなのかもしれない。
朱に交わればなんとやら、と言うしな。
id:Nihonjin これらのことを「思い入れなしに」実行できることがポイントだろう。マリオでクリボーを踏み潰す感じで。あんまり考えすぎるとできなくなる。相手のこころを読み込みすぎるから。
仰るとおりだが、それは最終的な理想型だ。
これをやってこなかったヤツは、どうしても最初は意識しないとできない。
ただ、これをやりだすと、相手から「ありがとう」と言ってもらえることも増えるし
メールはちゃんと返ってくるし、あまつさえ誕生日プレゼントがもらえちゃったりするのだ。
それぐらいになると、意識せずにも自然に出来るようになってると思うぞ。
id:mamezou36 生活 素直にとても参考になる。18歳ぐらいの時に読んでいれば人生も変わっていただろう。
こういうことは年齢の問題じゃないぞ。
今やらなければ、これからも変わらないままだ。
1)でも言ったように、過ぎた時間は取り戻せないんだぞ。
今そんなことを考える暇があったら、この10をどう自分の生活に取り込むか考えたほうがメリットあるんじゃないのか?
id:ToQoz えっと... 期限守らないとかはうざいけど. 半分くらいはよく分からないな. なんか持ってこないと価値を見いだせないような訪問は受けるなよとかゴニョゴニョ
なんで迎えるほうの話してるんだ? 訪問するときの話だぞ?
手土産なんか気にせず来て欲しい時は「手ぶらで気楽においでよ♪」と軽く言っておくもんだ。
これを増田に書いて何がしたい? 2011/07/14
知り合いに増田を使ってプロモーション打てないかっていうヤツがいるんだけど、
オレはまったくそんなことには使えないと思っていて、でも、増田の情報波及力って
どういう感じなのかな? と思って釣ってみた。
トラバのつきかた、はてブの伸び方、それと連動するTwitter上での動き。
どれも興味深かったぜ。
あとまあ、人を釣る以上、真っ当な記事は書いておきたい、という思いもある。
今も常識だと思うがね?
自分の親にこれ見せてみろ。なんて言う?
君と同じ意見なら、さもしい生まれなんだな。
自分の境遇を不運だと思ったほうが良いぞ。
好きに生きろよ。まあ他人をうまく利用するためには安い費用だと思うし、有効な投資方法だと思うよ。他人をうまく利用するためには、他人の信用を得ないといけない。
非コミュで生きたいのなら、そうしたらいい。
ただ、ここに書いてあるのは信頼の得方だ。信用の話じゃない。信用は金で買える。
ここでも金を使う方法を書いてはいるが、金の額で動く話じゃない。
基本的な対人スキルが、信頼を底支えするのだ。
あと、利用するという考えは卑屈だからやめたほうがいい。
id:toma-stk これらの事を出来ない人が非コミュなら、不自然にやってる人はキョロ充で、自然にやってる人がリア充のような気がする。
キョロ充って何だ? チョコボールが満足食えてる状態のことか?
最初はみんな不自然だ。
でも、失敗を恐れず場数を踏んだやつだけが自然にやってのけるんだよ。
俺相手の場合は7〜10はやらなくていいよ。
今後は、そういう意思表示って重要になってくるとオレも思っている。
オレの場合、男女合わせてたぶん10人ぐらいは毎年誕生日プレゼントのやりとりしてるんだが、
その半分ぐらいは男だ。4〜5人、ってところか。
軽い感じならさっきもいったようにAmazonギフトカードとかiTunesカードとかで済ますが、
長い付き合いのやつとか、いつも仕事手伝ってくれてる人には腕時計とかちょっとしたバッグとか
id:ktasaka 営業の人がやるといいんじゃないかと思う10項目。
何度も言っているが、これは公私関係なくのテクニックだぞ。
別にプライベートの知人友人に送ってはいけない類のものでもない。
前半5項目はプライベートでも必修科目だ。
遊びに行くのでも、無意味に遅刻してくるヤツは評価下げられるぞ。
id:godfrey 増田, 生活, ネタ これら全て、ラブプラスにおいては実践している。そんな自分に隙は無かった。
オレは全く逆だった。
この違いは一体なんなんだろうな!
id:atawi 人類が残念, 同調圧力 よく読まなかったせいで、最初リストが「こんなに上辺を取り繕うから非コミュなんだよ」って指摘なのかと思った。息苦しい、俺ダンゴムシでいいわ。
残念なのは君の脳ミソだ。人間どうあがいても、ダンゴムシにダウングレードは出来ない。
現代の仙人になることをおすすめする。
ドコモの電波がギリギリ入るところでマイクロ水力発電と狩猟採集生活をしてみてはどうだろうか?
21世紀仙人のあり方として、素敵だと思うぞ。
id:matogawa183 書いている事は正しいと思う。マナーだよね。/でも、「非コミュ」の定義がずれてる気がする/アスペルガー的な非コミュに対してどう考えているのか知りたい。「非コミュ」が悩んでいるのはそっちだと思う。
非コミュの定義は既に述べたとおり、お偉い先生にしてもらおう。
それらしい人物がいた記憶がないので、なんとも言えないな。
すまない。
id:sktnkmwy これらを常識として行い、それに対してウザがられるのが真の非コミュです。例→「プレゼント?うっざー」「ちまちまメール送ってくんじゃねーよ」
それは演出が下手なだけだ。
オレがあげた10を無計画になぞっても意味ないだけだぞ。
相手や機会の背景に合わせて、贈答品の額やメールにタイミングも見極めが必要だ。
そういうことも、折を見て触れていこうとは思っている
もちろんだ。
逆に金がなくても手間暇をかければ誠意を見せられる工夫はいくらでもある。
それすら怠ると、誠意を見せるきっかけがゼロになる、ということだな。
id:komurasakihokori 非コミュのほうが楽です・・・ / とても気持ち悪い。特にブコメへの返信。
増田ではよくあることだ。気にするな
id:washi-mizok 盛り上がってんな
想像以上の釣果で驚いている!
id:gohan_gohan それは非コミュとかそういう問題じゃなくね?一般常識だろ
オレの周囲では、一般常識欠けているヤツに限って、非コミュを自称し、自虐している。
id:dekillcaner 「ちょっとした知人」とか「特にお世話になった相手」が分からないのが非コミュ。非コミュが実践しようとすると、その程度の関係の人にそこまでしなくていいよ!とか、その人にはもっとちゃんとしないと!ってなる
然るべき教育、躾の経験が無かった人はそうかもしれないな。
周囲にそういうことに長けている人に色々聞くのがいいだろう。
特に女性はそういうの敏感だから、ある程度社会経験積んだ女性の知り合い作っておくと心強いぞ。
大学生でこのあたりが出来ているとはすごいな!
がんばってくれ!
id:asitanoyamasita カーチャンは裕福めな縁戚から高価な土産や祭日の贈り物を受け取るたび、隠れて「ハァ、またこんな高価な…またお返し考えなくちゃ。もうイヤんなる」とよく嘆いてたなぁ。物品贈答関連だけはマジで別問題。
仰るとおりだ。
だが、君の指摘する問題は非コミュから相当上位次元の問題であるから、ここでは問題にしない。
ご母堂はお気の毒だったと思う。元増田が心を痛めていたと伝えてくれ!
id:guldeen lifehack, anond, literacy, society, communication 仰るとおり。この程度のことを面倒臭がると(特に賀状・暑中見舞い。1回50円で済むのだから)、それこそ親類縁者からも見放される。
id:anigoka 1億総非コミュ時代, 無能が偉そうに一言→ 個人・世代間のコモンセンスが崩壊した断絶社会でこんなベタなメソッドが社会スキルとして成立すると思ってる増田の暢気さが羨ましい そーゆー311以前のセカイはゴミお節と一緒に円環に導かれたと何度言えば(ry
君の所属するコミュニティが断絶しているだけではないのか?
少なくとも311が関係しているとは思えないな。関東以北ではそうなのか?
まあ、たゆんたゆんしているおっぱいに好んで寄ってくる人間も少ないだろうがな
id:Solven 人間関係を築く相手がいない段階を非コミュと呼ぶんだと思ってたし、私は今それを目指しているから、私は現代の仙人志願者だったのだ
id:saurel 増田 お中元とお歳暮は誰も得しない自己満の押し付けだかんな。俺はあんなの寄越す人は逆に信頼しねーぞ。
心配しなくていい。そういう君も、周囲からは多分信頼されていないと思うぞ。よかったな!
id:morimori_68 ふむ コミュニケーション技能よりもコミュニケーションしようとする意志に着目するほうがうまくいくと思う。
最初はそこから書こうかとも思ったんだが、自己啓発臭くなるのでやめておいた。
今でも十分自己啓発だがな!
id:SHA-320 コミュニケーション, 仕事, 生活 常識やマナーという前提で、使わなくてもいいような間柄になれるのがコミュ強者なんじゃないの。
親しき中にも礼儀有り、という言葉を親から教えてもらわなかったのか?
さもしい生まれだな。
そういう常識やマナーがなくても成立してる間柄は、単なる腐れ縁だ。
夜中のファミレスで夜通しマンガ読んだりくだらない話してるだけの人間がいるだろう?
あいいうのだ。コミュ出来ているように見えて、ああいうのに信頼関係は無いと思うぞ。
id:iroika 社会, 生活 一度誰かに無条件に世話し
http://anond.hatelabo.jp/20110710011849
>恩恵を得てきたこと
おかみ崇拝根性に染まってる様相は、まさにガラパゴス。
(20年は、生まれたばかりの赤ん坊がさまざまな試練を経て成人に達するまでの期間。為念)
ちなみに、私は地元水道局に対してすごい技術力と評価しているが(むしろ尊敬という表現が近い)
大事故をおこしたらそれとは別。
とりたてて怒りもしない。事実、人為的ミスはゼロにできないのだし、見つけ次第対処、今後を考え改善するしかない。
続きです。
僕は柴田大輔さんの映画にはまっているわけですが、周りの人はなかなか理解してくれません。。。トホホ・・・
まあ、地味で個性的なので当然かもしれませんが、このブログでは、柴田大輔論を含め、気軽に日記でも書いていこうと思っています。
最近は、暑い日が続いていますが、何とか耐えている今日この頃です。
おそらく監督も炎天下の中、撮影に走り回っているのでは?と思っていますが、早く新作が見てみたいものです。
DVDの予約も入れないといけないし、なんだかバタバタしていますが、柴田監督の作品を見るのを楽しみにしているのです。
もっともCMが先だったので、映画だけでなく、広告作品やCMも結構見ていますよ。お気に入りだらけなんです^^
さて、いっちょ行きますか!
http://cinema-j.com/houga/?taxonomy=post_tag&term=%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94
主役の大統領暗殺犯を追う二人の刑事――すぐキレる血の気の多い早川刑事に宮川大輔、美人にめっぽう弱い番場刑事にケンドーコバヤシ!・・・
・バカバカしいことを大真面目に!『さらば愛しの大統領』柴田大輔監督&世界のナベアツインタビュー
http://cinetri.jp/interview/saraba_interview/
監督は「3でアホになる」という衝撃のギャグを世に送り出し、放送作家としても活躍する世界のナベアツと、NOVAウサギやジョージアなどのCMを手掛けてきたクリエイター柴田大輔・・・
・世界のナベアツが長編映画監督デビュー! 大阪府が独立国家を宣言!? の疑問
http://aromacan.blog118.fc2.com/blog-entry-2108.html
ナベアツは「柴田大輔監督と共に、邦画史上『最もポップコーンとコーラに合う映画』を完成させることが出来ました。更には、・・・
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=10597
CM界で常に新しいものを贈り出す柴田大輔が世界のナベアツとタッグを組み、「これは映画なのか!?」と、これまでの映画体験を覆すほどの、とことん「笑い」を追求したオリジナル作品を作り上げた。・・・
http://blog.goo.ne.jp/tanmen_daisuki
フォトジャーナリストの柴田大輔さんは、2007年にエクアドルに暮らすアワ民族を中心としたコロンビア難民グループと出会い、彼らと交流を深めながら、難民としての困難な状況だけでなく・・・
柴田大輔(かずさDNA研究所・室長)の公演にて・・・21世紀はバイオテクノロジーの時代であると云われている。
医学の分野では、ヒトのゲノム塩基配列の解読が進められており、全体の概略が2000年6月に発表された。
・柴田大輔のページ
活動を休止したケツダンポトフが名前だけを変えて戻ってきた。ダダ漏れじゃなくて、今度はライブブというらしい。
ライブブ
サイトを開くなり、そらのさんの顔写真が現れて思いきり呆れてしまった。運営は株式会社ソラノート。本当に何も変わっていない。
「ライブブ」。ライブの「ブ」とアーカイブの「ブ」を重ねて、「ライブブ」。誰にでも親しみやすいネーミングを、ということで、「ライブブ」は誕生しました。
様々な番組を配信し、ユーザー皆様のツッコミ=twitterのつぶやきを織り交ぜながら、これまでにないインタラクティブな面白さを体感できる「ライブ」。
「ライブ」から抽出して、より面白おかしく楽しめるように編集した動画に加えて、出演者とユーザーとのやりとりをビビッドに収録した臨場感あるレポートと様々な角度からの情報をキュレーションして、ひとまとめにしてお送りする「アーカイブ」。
それっぽく見えるカタカナを適当に並べてみました、なずさんなサイト説明。「これまでにないインタラクティブな面白さ」なんて言葉が21世紀が10年も過ぎてからも読めるとは思わなかった。あー、その言葉ウィンドウズ95が発売するころに流行ったよね? 15年くらい前によく見たわー。
もちろん、提供する番組内容が素晴らしかったら言うことはない。でも、見たところ、これじゃ小規模のマイナー放送局とどう違うの? 「これまでにない」面白さがどこにあるわけ? Gyao辺りで何年も前からやっている「インターネット番組」とどう違うんだろう?
あるいは「ツッコミ」が新機軸なのかもしれない。「インタラクティブな双方向コミュニケーションがなんたら」ってやつ。だとしても、ニコ生公式配信とどう違うの? という疑問が湧いてくる。「おんなじものだ」と言うかもしれない。というか、言うしかないよね、この状況では。なんだかダダ漏れに「可能性」を感じて応援していた人たちが可哀想だ。
株式会社ソラノートはマスコットキャラとしてかわいい女の子を矢面に立てて、頑張る女の子が大好きな層をひっかけるだけひっかけて、問題が起きたら責任はマスコットにぜんぶおっかぶせたわけだ(現状、汚名はすべて彼女が背負う形になっている)。
そらのさんには強く「退職」をオススメする。きみを利用するだけ利用して、すぐに切ろうとし、ほとぼりが冷めたらまた利用する。また何か問題が起きたら、またきみに責任を被せて(辞めさせるなりさせて)、何食わぬ顔で経営を続けていくつもりだろう。これはもちろん憶測だ。しかし、私だけが思いつく突飛な発想ではないと思う。
それにしても、ウェブで騒がれる「可能性」って何でこんなに頓挫するのかね。ダダ漏れっていったいなんだったんだろう。私は最近、そんなことばかり考えている。