はてなキーワード: アコースティックギターとは
3回使った
すごいうるさい
中にお惣菜を入れて、設定を済ませてあたためスイッチを押すと、
レンジがアコースティックギターをジャジャ〜ン…(たぶん和音)と鳴らし、続けてカッコッカッコ…(スネアドラムのフチを叩く音?)と演奏が始まるのだ
ところで従来の電子レンジのあたため完了サインと言えば「チン!」だとか「ピーッピーッ」というイメージだが、
バルミューダはまたしてもボロロン…とアコギをワンフレーズ鳴らして知らせる
取り出さず放っておくと何度もボロロン…と鳴らして知らせてくる
ディスプレイには「あたため完了」のような文言ではなく「ENJOY」と表示される
部屋の外からジャジャ〜ンと鳴ると、中学生の頃バンドの真似事をやっていた時、楽器屋で茶髪の兄ちゃんのギター試し弾きを聞きながらCDを眺めていたのを思い出す
私は中国向けに、原材料の木材を販売する仕事をしています。初心者向けアコースティックギターですから、使用している木材はスプルース材(カナダ産)です。
①何故日本で作られなくなったのか?
・楽器向け木材を製造する業者がいなくなった。カナダから輸入する木材の塊(長さ4000㎜幅800㎜厚600㎜とか)を、乾燥し、細かく裁断してギター用材の長さ3尺(909㎜)以下にする必要があるが、
90年代後半以降の不況な日本において、機械化不能の寸法を製造するザ人海戦術する業者はいなくなった。(3万のギターの材料販売で黒字化しなくなった)
・最終販売単価が変わらない。完成品の単価は、この30年続く不況で変わなかった。これは後述しますが、スプルース一つとっても木材価格はこの30年で2倍~3倍に価格が上昇している。
スプルース材は日本では長らく建築材料世界において桧の代用品でしたが、今年の相場でいうと下手したら価格が逆転してしまっている。
発注元が要求する何十年も不変な販売単価にコミットするために、カナダ産スプルースでも品質が更に低い材料を使用するようになる(そもそもカナダ産スプルースはアラスカ産に比べ質が低い)
品質が低く木筋はねじれている上に、立木の時点や太平洋横断時にブルー(カビ)が入るので、漂白剤の海に漬けて何とかする。やたら白い/ケミカル臭いのはそういった材を使っている場合がある。
日本でコストが合っていた頃は、その辺りの品質管理は適切だった(今では材料/人件費で不可能だが)木の塊からギター用材を製造するための人件費と人的余裕が中国にある限り、中国製造はやめられない。
30年日本がインフレなし、給料が上がらない間、先進国も途上国も年率数パーセントの上昇を続け、日本の購買力、販売力が落ちたのは事実です。90年前半における世界の中の日本の立ち位置は、
米国に次ぐ木材の購買力(米50、日40%ぐらい)があり、原産国のカナダや米国の人間は客扱いしてくれますし、単価交渉も用意でした。30年後のカナダ産材シェア率は(米50、中30、日10%)です。米国の景気良いので、日本に売る木材ありませんと真顔で言われます。
商社マンやブローカーがアジア、北米で暴れていた時代はもはや過去の物で、30年前の武勇伝で時が止まった高齢の業界人がゴロゴロ転がっている。楽器も、日本では販売価格を変えられないので、中身の質が低く、人件費が安い所に変わっていく。
蛇足ですが、日本は数千年前から木材を主要な材料として使用している歴史があります。しかしその利用用途は建築資材(や家具)に向いており、西洋楽器製造には厳しい品ぞろえの市場です。
日本における植生は、杉や桧が多く、広葉樹は(建築に)使いにくいという理由で戦後皆伐してしまいました。高級アコースティックギターに使用される木材は南米原産の木が多いですが、それらは旧スペイン領又は旧ポルトガル領で、当然の権利のように欧州のみ優先して供給されます。「どうにかしろ」と一度酒場でラテンギター職人に言われましたが、この文化の違いはどうしようもないと感じています。
どこにも吐き出せなかったから初めて書き込む。
共働きで所得は十分にあり、コロナ禍においても生活の不安はない。日々穏やかに過ごし、変化は少ないが疑いなく幸せだ。
最近は在宅ワークが増えたため、オンラインで弾き語りをするようになった。アコースティックギター等の定番ではなく、やや珍しい楽器。そんな楽器に興味を持つひとは少数だが、徐々に定着する人が増えてきた。
楽器を一通り楽しんだ後に残ろうとする視聴者は、俺に何かを見出してくれている。
最初に声を褒めてくれ(イケボなどが若い子に人気なわけだ。声だけで盛り上がる文化を俺は知らなかった)、次に弾き語りの内容に共感してくれる。
当初は同性が多かったが、やりたいようにやっていたら、いつの間にか異性だらけになっていた。俺自身の理解も、男性が聴くには臭いが、女性ウケはしそうだと思っていた。
俺はどの所属組織でも、散発的な創作活動でも、自分自身が満足する程度にもてはやされてきた。ただし、バンド活動のような継続した、自分を曝け出した自己表現でちやほやされる事に免疫ができていない。今回初めてこれに遭遇して、開催する度に強い自己肯定感に戸惑いを覚えている。
ここからが問題なのだが、その興奮も消化できない中、尊敬していた一人の視聴者から好意を向けられるようになった。
知的な姿しか知らなかったが、控えめな、でも確かなセックスアピールを見たとき、正直興奮した。忘れていた青春時代を思い出した。
もう少し現実的な落としどころとして、プラトニックラブな関係を多数と築きたい。しかしセックスは挨拶程度にしか考えていないため、結局セックスしてしまうのだが。
以上の思考は免罪符にはならないが、問題を起こしやすい状況が生まれてしまっている。
彼女はほぼ確実にいつか僕への関心を失うだろうが、今を大切にしたい。
身体が2つ欲しいよ。
冷静に見ればよくある破滅パターンの入口だろうが、なるほど入りやすくできている。
同じような悩みを抱えた人がどのように健全に乗り越えたのか、あるいは大団円を迎えれたか、教えてくれないか。
多分、そう遠くないうちに俺はとても辛くなるんだ。頼む。
ゼミが一緒になってから初めて喋ったけど、3年生になるまで何度もこいつの話は聞いたことがあった
奇人だと
気を付けろと
講義室に深夜現れては歌っているだとか、こいつが使ったパソコンは何故か次使うときに電源がつかないだとか、挙げ句の果てにはユーレイの彼女がいるとか、なんかよくわからん噂に纏われている奴だった
「キミ、そんだけ背ぇあったら海まで見えそうやな」
ゼミの顔合わせの日だった
初対面の俺に名乗るでもなくいきなり
別に腹が立ったりはしないけど
「……海まではさすがに見えへんよ、見えるとしたら灯台やな」
「灯台まで見えたら海まで見えるやろ! 灯台まで見えるんはもう視力やん! どんなボケやねん!」
ボケたつもりはなかったが
それで少し興味を持たれてしまったのだった
「もしかしてホンマモンの天然さんなん? ちょっと珍しいくらいやな……ま、ええわ。今度ボクのこと肩車してや、たぶんそん時は中国まで見えるで!」
と、にやにやしながら部屋を出て行った
175センチはあるであろうこの男、どこまで本意かもわからなかったが、どうやら嘘でもなさそうだった
・
2度目の邂逅は図書室だった
「ボクも今終わらせてん、奇遇やね! あ、見せてはあげへんよ! 出来が良すぎて見せたのすぐバレるからな!」
本当にめちゃくちゃ口数の多い奴だ
いらんわあ、といなした
「俺、いったんプロット作りたい派やねん。使う時はほんまに書き始める時」
「天才肌みたいなこと言うやん!」
「ボク用事あるからこれ出したら帰るわ。会えて嬉しかったあ、ほなね」
いきなり肩に乗った体重が離れていったので、思わずあいつの方を向いてしまった
にこにこしながら手を振る姿は、昨日見たドラマのヒロインにそっくりだった
こんなに唇の赤い他人がいるのだなあと思った
姉の化粧を見慣れているから、それが地肌の色なんだとすぐにわかった
プロットが終わり図書室のパソコンを使おうとすると、電源がつかなかった
冷静に、冷静になってみたら、ご丁寧に電源コードが抜かれているだけだった
案外噂なんてそんなもんだと思った
・
喋り口調と真逆の単調な文調
時間は午前0時
「四角公園て……遠……」
断る理由もなかった
なんだか行かなければいけないような気がした
ファミリーマートで奴のお望みのものと、いかそうめんを買って、少し涼しくなった道を歩いた
アコースティックギターを持っていた
脇にはレモンサワーの缶を置いていた
「案外早かったな。及第点や!」
ありがとう、と、300円渡された
べつにいらなかったけれど、もらうもんやで、と言われたので、200円を頂戴した
と、ギターの弦を弾いて言われた
下瞼が直線なのだと言う
自分の顔などまじまじと観察したことはなかったので、なるほど、と思った
同時に、そんな自分でも見ないような自分の顔を見た他人がいたことが、むずがゆいような、こそばゆいような気持ちだった
大抵の人は俺の顔を見るために、少し首を痛くしなければならないからだった
「ボク協調性ないねん、やからたまに家の近くの……ここの公園来て、一人でバンドしてるんよ」
「でもボク忘れてたんよね、ギター弾いてたら両手塞がるから、パーカッションできひんやん! ってこと。楽器を足蹴にはできひんし、しゃーないからかかとでリズムとってる」
「根アカやろ、逆に」
逆にってなんやねん、とツッコミを入れようとしたが、それはギターの音色にかき消された
デタラメに聴こえたが、ビールがほどよく回ってきた俺にはとても心地よかった
歌はド下手だったから、すぐにやめさせたけれど
「替え歌するなら歌手の名前までいじれや。著作権どうなっとんねん」
「こんなええ空気なら許してくれるって!」
いかそうめんがなくなるちょうどそのとき、いきなり奴は立ち上がった
「さて、肩車してボクを送れ!」
「肩車?」
図書室での会話を覚えていたのだ
そんなことより、そのギターケースと、タンバリン(それ以外にもごちゃごちゃ入ってるようだが)が入ったトートバッグはどうするんだ
「それはボクがもっとく! キミの荷物も持ったるから、肩車してや!」
「それ結局全部俺が持ってることにならんか?」
が、あいつは乗ってこなかった
「ビールでほっぺた赤くなるなんて可愛いとこあるやん。やっと見下ろせたわキミのこと」
「……見下した、の間違いとちがうか」
「合うてるわ! 見下ろしてんの!」
俺のほっぺたよりお前の唇の方が赤いわ
つっこむ気分ではなかった
肩に乗った重みはそれはもう人1人分を容易に越えていた
「行き先は?」
「出てまず右! ボクんちでええやろ、泊まってき。あ、明日なんもない? デートとかやったらなんもないと見なすで」
「デートやったら嬉しいねんけどな……土曜夜の居酒屋は忙しいねん」
「ならボクんちやな」
192センチが170センチ越えを肩車する様子を見る者はなぜかいなかった
時間も遅いし、なおのこと
ホテルカリフォルニア後半のツインギターを聞いていると、何か物悲しく、切なくなる。思いを馳せるのは、2人のギタリストのこと。
2月のある日から突然、毎晩のように、頭の中を「since nineteen sixty nine 」というフレーズが流れるようになった。原因はわからないが、たぶん病気じゃない。グレンフライ氏の霊が関係しているのかもしれない。それまでイーグルスのことは何も知らなかった。
そしてここ3ヶ月、ほぼ毎日ホテルカリフォルニアを聞いている。
リードを務めるならギターでもヴォーカルでも奔放さが特徴のジョーウォルシュ。イーグルスに加わる前から別のバンドやソロでも活動していた典型的なロックギタリストで、いくつかのヒット曲や、独特のパフォーマンスもあいまって、そこそこ知られていたらしい。しかし、
ことホテカリに関して言えば、ドンフェルダーというもう一人のギタリストと一緒に語られることが多い。その2人による、曲後半のツインリードの掛け合いがあまりに素晴らしかったからだ。ドンフェルダーはホテカリの作曲者の一人で、ジョーウォルシュが加入したことを受けて、ツインリードの曲を考えたそうな。彼の演奏はとても緻密、ジョーウォルシュとは対照的だ。
初めてホテルカリフォルニアをちゃんと聴いたのが ’77年Washington, D.C.のライブ映像で、一瞬で2人の演奏の虜になってしまった。
ドンフェルダーは ’75年ぐらいからジョーウォルシュのソロコンサートに参加するようになり、実は、あの素晴らしいデュエットは、その頃から2人で築いてきたものであることを、その後知った。
ジョーウォルシュ作「Turn to stone」というハードロックな曲がある。レコードにも3つバージョンが収録されていて、わずか4分のものから8分のものまで、ライブを合わせると無限にアレンジがある。ドンフェルダーとジョイントしてほどなく、後半はほとんどツインリードのための曲となってしまう。ホテカリ同様、歌が終わった後半、ドンフェルダーのリードギターに始まり、徐々に2人の掛け合いに流れ、最後はジョーウォルシュのリードで終わる。
2人の掛け合い、その様子はまるで、タンチョウ鶴の求愛ダンスだ。高音でハモり、その同じリフを交互に鳴らしあう。いくつかのライブでどれとして同じ演奏はない。そのときの気分次第という感じだ。
楽器や歌でハモったり掛け合いをするときの感覚は、体験した人には分かると思うけど、恋をしたのに似たような高揚感や一体感があると思う。
だからホテカリのあのリードギターの掛け合いは、2人にとって、きっと忘れがたい記憶のはずだ。
その2人のデュエットを確認できたのは ’95年のライブ映像が最後だ。映像なしだと ’00年が最後。そこでも彼らのハモりは美しかった。わけあって、ドンフェルダーは ’01年にイーグルスを脱退(解雇された)し、その後はソロで活動している。ジョーウォルシュのほうは今もイーグルスに在籍しているが、相手役はドンフェルダーに代わってバックミュージシャンであるスチュワートスミスになった。
スチュワートはイーグルスのメンバーではないというスタンスを頑なに守るかのように、ひたすら目立たぬように演奏している。だけど、ドンフェルダーの代わりのリードだから、多くの曲でジョーウォルシュより目立つ部分を弾くわけで。ホテカリでもイントロと同時に一番最初にスポットライトを浴びるのはスチュワートだ。それでもいつもメンバーとは少し距離を置いて、ギター職人に徹している。
そういうこともあってか、ジョーウォルシュもスチュワートとどう連携していいか、いつも悩ましそうに見える。そしてドンフェルダーとの演奏のような一体感を感じているようにはあまり見えない。かたや、
ドンフェルダーは、ずっとソロ活動をしている。いい感じにロマンスグレー(って死語?)になり、ステージではいつも神父のような笑みを浮かべて演奏している。イーグルスのライブでは1曲も彼のヴォーカルを見たことはないし、しゃべるのも見たことがない。のに、歌ってる。歌えるじゃん。彼は、
ライブやTV番組でホテカリを演奏しているが、ある番組ではアコースティックギター(フォークギター)で一人演奏していた。ジョーウォルシュのパートも一人2役で。あの最後のハモりも一人で弾けちゃうんだなぁ、彼は。エレキやクラシックではなくフォークギターでは難しいはずの、色んな技を次々繰り出すのを見て、観衆もそのたびにヤンヤヤンヤとなるのだけれど、ジョーウォルシュと2人でハモっていたはずの最後の部分、悲しい響きに感じるのは僕だけか?
’75年から’77年にかけての2人のデュエットを見たことがあれば、、、
微笑みながら、ドンフェルダーはどんな気持ちで弾いているんだろう? 昔、相方と弾いていた日々を思い出しながら? それともイーグルスを脱退するに至ってしまったことへの後悔? 僕には知るべくもないけれど、あの物悲しい旋律がなんとも彼の心情を表しているようにしか思えない。
http://amazonasinsample.azurewebsites.net/
日米amazonの価格差を抽出しているサイトなんだけど・・・
Amazon というのはとても市場的にできていて、需要と供給がそのまま価格になってますよね。需要が高く、供給が低ければ高価になるし、逆に需要が低くて供給が多ければ、自然に値段は下がるでしょ。なので、眺めていると、どんなものに価格差があるのかがわかって、わりと面白いんです。
たとえば・・・
日本の電車の模型、おもちゃはわりとアメリカで高く売れる。またアメリカのおもちゃは日本で高く売れる。
●B000BVRPN8 Nゲージ 10-253 101系中央線快速 (10両) 特別企画品 日:21800円 米:27800.4円
中央線の模型がアメリカで売れるの?ってかんじ。日本のおもちゃって精巧にできているからだろうかね?アメリカのおもちゃに比べるとマニアが喜ぶのだろうか・・・。自分は鉄道に興味が無いので価値がまったくわからんのだが。
●4777012751 鉄道車輌ガイドVol.9 国鉄時代のEF64 0 (NEKO MOOK 1775 RM MODELS ARCHIVE) 日:2571円 米:9633.6円
アメリカでこんなものが需要があることに驚き。日本の鉄道が好きなアメリカ人がいるってことかな。
日本人にとってはなんだこのゴミってかんじだけど、そういうアメリカ人にとってはインテリアにはいいかも。
●B001DNLV88 高感度★トラッカーII 金属探知器プロキット Bounty Hunter社【並行輸入】日:28900円 米:16680円
金属探知機って何に使うの?アメリカでは安いってことは日本より需要があるんだと思うんだけど・・・。
庭に地雷でも埋まってるのかしら?日本でも需要あるのかしら。埋蔵金でも探すの?
●B00CN3R17M バービー エルベ・レジェ Herve Leger by Max Azria Barbie Doll 日:25800円 米:14397.6円
顔がすごいブサイクなバービー人形なんだけど、日本でも需要があるってことだよね。25800円も出して・・・。最近ミニマリストっていう貧乏用語が流行った国とは思えないんですけど。誰が買うの?
●B001NQZHZS ラーニングカーブ きかんしゃトーマス 木製レールシリーズ トーマス と トビー [並行輸入品] 日:12291円 米:2398.8円
きかんしゃトーマスに12000円も出す人がいる、というのが信じられん。機関車トーマスだよ?
●B00VQ7YD9U Cort コルト EARTH70OP Dreadnought アコースティックギター 日:57800円 米 29250円
アメリカのギターも日本で高く売れるみたいだね。日本で買えばいいだろうにわざわざ輸入して買う人がいるのも
私には何が日米のギター間で何が違うのかこれもさっぱりわかりませーん。
こういう、Amazonで価格の比較をして日米でどんな理由があって価格が高い低いなどの
そういうWebサイト作ってみようかな。
2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人は否が応でも7年後の日本を想像せざるを得なかったわけだが、日本の未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。
今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカルの高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクトの表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。
満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城。ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現の演奏が始まる。
アコーディオン、バイオリン(一曲目のみ)、アコースティックギター、ウッドベースの4人組からなる表現はceroと関わりの深いバンドだ。ギターの古川は高城と高校の頃からの知人であり、その後もceroと表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城は舞台袖で涙を流していたそうだ。
さて、表現の演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞をメンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようである。スキャットやハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器の演奏も素晴らしく、アンプラグドな楽器のアンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroがコンテンポラリーでエキゾチックなロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。
ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。
いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロはスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアのテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。
盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城はceroと表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。
いつの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコートを羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫び、フロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。
二度目のMCはサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroのメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットやスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスやタンバリンを担当したあだち麗三郎、表現での演奏とは変わってパーカッションの古川麦、ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。
ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルートの音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城は一人二役でセリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞とVJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。
新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生のつぶやきや、ceroのメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。
再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブの表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールがきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバムの表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。
短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスから始まり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。
最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭、最後の盛り上がりを演出した。
しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城と橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後の最後に演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。
実は、最後のMCにおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本の音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京の風景、そして変わりゆく日本の音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代の目撃者となったのかもしれない。
あ、まず前提として、
はたして貴女を幸福にするかどうか、それはまた別問題だけれど。
したがって、釣り師たる女たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場です。
では、YMO大好き男に「どこの曲が好き?」と訊ねられたとき、
あとは「ライディーン」、
そして(実はYMOの曲だと気づいてないけど)「コズミックサーフィン」が大好きな、
貴女は彼の目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言いましょう、
これこそまさに必殺の答えです。
そこでYMO大好き男が、えへへ、とやにさがったならば、
貴女は、ひそかに、散開ライブ風の「ト・キ・オ!」とか「ライディーン!」とかを
ひそかに練習しておきましょう。これで成功まちがいなしです。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆるYMO好きの男の
落とし方をお伝えしましょう。
もしも貴女がそう答えたならば、
かれの貴女への恋心は、
20%増量になるでしょう。
暗闇の中に光が差し込むような音がするし、
ダイナミックレンジは狭いながらも、そこがまた
いち早く実現していて、なおかつ、
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
蒼井優似のフォークロア系OLと、玉もあれば石も混じっている、そんなYMO大好き男たちが、
この世界で唯一(いいえ、サンディー&ザ・サンセッツの「イーティン・プレジャー」、
セニョール・ココナッツの「プレイズYMO」と並んで唯三)遭遇しうるアルバムです。
●
では、参考までに、危険な回答を挙げておきましょう。
「『君に、胸キュン。』が好き♪ カラオケに行くと3回は歌うの。」
なるほど『君に、胸キュン。』(作詞:松本隆/作曲:YMO)は、人気の曲、
テクノ歌謡としては平凡ながら、ま、無難にまとめたアレンジではあるものの、
しかし、「オリコンで1位をとるぞ!」とかなんとか無茶な目標を吹聴し、
結局、松田聖子の「天国のキッス」(作詞:松本隆/作曲:細野晴臣)に
また、もしも貴女が「ライディーンが大好き♪ あたし大好きなバージョンが7つもあるよ♪」
と答えたとしても、同様の効果をもたらすでしょう、
なぜって、ライディーンは、1980年の発表当時にはテクノポップでは屈指の名曲だったものの、
しかし1993年の再生ライブでは、いやはやなんともな「イントロだけ」の演奏しかしなくなり、
いまや、あのトイ・ピアノのメロディーでは、往年の魅力に遥かに及びません。
「わたし、ファーストアルバムの「シムーン」が好き、ランチタイムにも聞くけど、
最高に好きなのはディナーの後に聞くこと♪
と、答えたとしたらどうでしょう?
しかし、貴女の答えを聞いて、YMO大好き男はきっとおもうでしょう、
(なんだよ、スノッブな女だな、面倒くさそう)って。
マイケル・ジャクソンに愛されてカバーもされた曲で、
貴女がその名前を挙げても必ずしも、あなたが「イモヲタ宣言」をしているとは受け取られないでしょう。
しかし、たとえば、ファーストアルバムの日本版に入っているのに米国版では消えてしまった名曲「アクロバット」にせよ、
ライブ演奏しただけでなくテクノポリスのヒントにもなったらしいピンクレディーの「ウォンテッド」にせよ、
メンバーの三人がアコースティックギターだけで歌ったキングストン・トリオの「グリーン・バック・ダラー」にせよ、
ミュージックフェアに出演した際に一回だけ披露したジャズの名曲「恋人よ我に返れ」にせよ、
女優でモデルの小池珠緒に提供したヨーロピアンな雰囲気の「鏡の中の十月」にせよ、
原曲レイプどころか原曲の居場所も分からなくなった「東風 The ORB remix」にせよ、
ましてや貴女が、「ザ・クラップヘッズの『黄金のクラップヘッズ』が大好き♪
わたし、スネークマン・ショーのアルバムも全部、聞いちゃった♪」
と答えたならば、どうでしょう?
これはかなり博打な答え方で、
なるほど、ザ・クラップヘッズは、実はあのプラスチックスとYMOのメンバーの共演ゆえ、
あなたがそう答えた瞬間、YMO大好き男がいきなり超笑顔になって、
肛門をビローンと弛緩させる可能性もあるにはありますが、
しかし、逆に、(なんだよ、この女、イモヲタかよ)とおもわれて、どん引きされる可能性もまた大です、
なぜって、必ずしもYMO大好き男がYMO大好き女を好きになるとは、限らないですから。
男たちは、女を導き高みへ引き上げてあげることが大好きゆえ、
そこにはもはや、男が貴女を調教する余地がまったく残されていません、
したがって貴女のその答えは、
調教大好き、もといYMO大好き男の貴女への夢を潰してしまうことに他なりません。
ま、ざっとそんな感じです、貴女の目には男たちはバカでスケベで鈍感に見えるでしょうが、
しかし、ああ見せて、男は男で繊細で、傷つきやすく、女に夢を持っています、
貴女の答え方ひとつで、男の貴女への夢は大きくふくらみもすれば、
一瞬で、しぼんでしまいもするでしょう。
●
では、スキットを繰り返しましょう。
そして、その瞬間、YMO大好き男の目がらんらんと輝いたなら、
貴女はこう重ねましょう、
新木場のワールド・ハピネス、素敵なライブって噂を聞いたから。
その日もし時間があったら、わたしをワールド・ハピネスへ連れてって♪」
これでもう完璧です。
そうなったらこっちのもの、
ライブの日には、テクノカットをばっちり決めて、テクノバッジをつけて、
人民服風のスキーウエアか、レプリカのYMOシャツを着てゆきましょう。
では、釣り師としての貴女(幸宏さんかよ!)の、愛の幸運と幸福をお祈りします!
★
便乗してみた。
元フォーマットを作った人はすごい。
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002457/dtlrvwlst/3464106/