東京の秋葉原という同じ場所で、コミュニケーションヘの過剰適応の同じ沸点から、一方は身体性を破壊し、人間を「削除」する方へ、他方は身体性を回復し、生を励まし合う方へ分岐していくできごとがあった。一方は二〇〇八年六月八日秋葉原の路上で起こった二五歳の若者による無差別殺傷事件であり、他方は○五年から秋葉原の専用劇場に拠って活動を開始したAKB48である。
若者は一九八二年青森市に生まれた。教育熱心で上昇志向の強い両親の期待に応えて成績優秀な「いい子」に成長した。しかし高校時代から成績が下降し、同級生が多く四年制大学に進学するなかで波は短大で自動車整備工の訓練を受けた。卒業後は派遣社員として職を転々とした。自分が「派遣切り」にあうという思い込みで工場づとめをやめ、「勝ち組はみんな死んでしまえ。そしたら、日本には俺しか残らないか。あはは」といった荒涼とした書き込みをされて、唯一の居場所を失った感覚も犯行へと彼の背中を押した。
AKB48は、ネットを通して人気が広がり、テレビでブレークしたが、更にその先に、ファンと共につくる身体性を伴う共同体が、当初から目指されていた。プロデューサー秋元康のデザインに沿って、歌も踊りも人並ていど、可愛さもほどほどの普通の女の子が一所懸命練習して成長していく姿がファンの目近に可視化されたから、ファンは感動して見守りながら俺もがんばるという一緒意識が生まれた。ファンの身体性を伴う参加感覚は、新曲を歌うメンバーを選出する「総選挙」で投票したり、選出のための「じゃんけん大会」の場に居合わせた力、全国で聞かれた「マラソン握手会」にかけつけることで高められた。「会いに行けるアイドル」の身体性を伴う自己提示と、ファンの側の身体性を伴う参加とが協働して、身内感覚にあふれるローカルな共同体が構築されたと言える。