そんなくだらねーことで警察呼んでたら
警官が何人いてもたりねぇわアホ
めんどくせーから勘弁してくれ
って言うヤツは
税金を沢山払いたいのか?バカなのか?どっちだよ
新日鉄住金、無法国家・韓国に苦悩 賠償金支払いなら“みかじめ料”と同じ
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130819/dms1308191539007-n1.htm
これについて、何か日韓請求権協定で韓国政府と決着が着いているから
支払い判決が出るのはおかしいとか、トンチンカンなこと言っている奴が多いな
あくまで今回の原告と韓国人と被告の日本政府の関係をみて判決を下す。
日韓請求権協定うんぬんを考慮して、請求を棄却したらそれこそ司法として問題がある。
働きかけることのみである。
■反論1 政治家も45歳以上が多い について
政治家は投票で選ばれてる。国民の意思だから、それで悪くなるならしょうがない。民主主義のリスクを受け入れるべき。
また、”一部を除いて”と書いたように、官僚組織も各組織のリーダー、指導者は45歳以上のベテランに任せてよい。
■反論2 官僚はサポートだから、頭の硬さは問題ない について
では、なぜ「あの総理は財務省の言いなりだ」という話が出てくるのか。また、予算の引っ張り合いや無駄な消費が起きるのはなぜか。
■反論3 民間企業でも について
最初の日記で触れているように、早期退職の官僚には、退職金をたんまりあげてかまわない。共済年金なども継続で加入できるようにしてよい。
65歳までに、毎月20万円以上の給料をもらっているのと同じくらいの生活は保障すべきだ。それ以上は自分で仕事を探してもらおう。
国のために働き、国のために早期退職してもらうのだから当然だ。
「やらされてる」と思っててやりがいなんぞ生まれると思うかバカ
当初は「素材=世の中のどんなモノに対しても影響力がある!かっけぇ!」くらいに思ってた。
でも実際やらされてることは製品がどんな風にして作られるのかもよくわかってないままとりあえずの物流業務。
で届けてるものといえばどこでどんな風に使われてるかもよくわかんない。
何これ。やりがいとかどこにあんだ?このままこの会社で40年働くのか?
ただただ日々の業務をただこなしている感がすげー悲しい。
これ、下に行くほど擁護者が減る。
単純にルールでNGじゃない、正統でないっていっても、それには程度問題がある。
真っ向勝負するか、疲弊させるか、なんてのが正統かどうかって話にならないのと同じく、
この件に関しては、かなり千葉君が嫌いな人間でも認めざるを得ない。
だってあれ、甲子園のあの舞台であのカットが連続で出来るのって、職人以外の何者でもない。
メンタルまで含めて超高難度だよ。
正直言って、とても現実のこととは思えない。
つまりはアレは投手が勝負をした結果明確に「負けた」ってこと。
まあ、ささやき戦術もアレなわけで……
これはルール上NGだから、ほんとに盗んでたんなら凄いけどアウトって人が多いと思うよ。
それが高校野球として非正統で、それが高校野球に相応しくないなら、ルールを改定してNGにすべき
それ以外の「なんかギリギリをねらってんなー」ってのは、技術も含めて賞賛の対象になり得る
だってさー、球なげたのを棒きれに当てて飛ばすってのをルールで複雑にして勝負事にしてるんだぜ?
なるほどそんなやり方もあるのか。あざっす。
あと「液晶サイズから選ぶ」から適当なのをクリックするとピンポイントでサイズを入力できる欄が現れるのにも気付いた。わかりにくいわ!
っていう、わけの分からん記事が某ガジェットなんちゃらに載ってたんだけど、
本人的にはこうして取り上げられるのは不本意かもしれないが、分断されていた世界に相互理解を促す親善大使として、ミカサさんにはこれからもブログの更新を続けていただきたい。そしてそれ以上に、彼女のこれからの人生に光明が差すことを願う。
(田中 元)
本人的にはこんな所で取り上げられるのは不本意かもしれないが、田中さんには今後くだらない記事を発散するのは一切辞めていただきたい。
俺には無理だった
まず、配信する側なんて絶対無理。
恥ずかしいやらキモち悪いやら怖いやら、負の感情しか産まれない
閲覧する側もすぐに無理になってしまった
適当に上っ面の事ばっかり書いてたら
むなしくてアホらしくなっちゃった。
あちこちで適当な事を書き込める方が気楽でいいや
これがオッサンになるってことなのかなぁ
実際官僚なんて事務次官まで上り詰める途中でどんどん辞めていってるだろ。
45超えでどれくらい同期が残ってるかしらんが。
てか、
官僚は実行部隊なんだから本来そんな指摘は当てはまらないんだよ。政治家があまりに馬鹿すぎて官僚にまともな指示すらだせないから余計なこともしだすわけで。
てか、そんなことは官僚だけじゃなくて、世の中ほとんどの組織で言えることだと思うがな。流石に45は早すぎるが、50超えくらいからは給料に見合った仕事はしてない。功労だけでお金もらってるにすぎない。(功労っても単に長く努めたってだけ。)
400超えたのは何円か前に一回あっただけ最近は100超えるのも少ない
自分の凝り固まった常識やこだわりをもとに、意見を聞き入れないってこともよくある。
そういう人が増えるのは、組織として硬直し、保守的、排他的になる。
政治家のリーダーシップを邪魔しないためにも、組織のフットワークは軽いほうがよい。
一部をのぞいて、45歳くらいで退職してもらったほうがよいと思う。
家の近くのローソンに可愛いって言うんじゃないけど笑顔がやけに明るい店員がいるんだ。
1年前ぐらいから 会釈→挨拶→二言、三言の世間話と匍匐前進してたつもりだった。
そろそろメアドでも渡してみようかと思ってたら、この前の日曜に行ったときに左手薬指に指輪してた。
見間違いかなと思ってみたりしながら、今日まで悶々と過ごしていたけど、仕事が早く片づいたから、会社帰りに寄ってみたんだ。
やっぱり、指輪、してた。
なんでか分からんけど反射的にコンドーム持ってレジへ。
いつも通りの笑顔でレジ打って袋詰め。
「ありがとうございました」と彼の明るい声に送られて店を出る。
出入り口のゴミ箱にポンタカードちぎって捨てた。
街灯で明るい駐車場だけど車のドアにキーを差し込むのにすげー苦労した。
今、使うあての全く無いコンドーム眺めながら一人で飲んでる。
50過ぎのおっさんが一体何やってるんだろう。
誰か俺を思いっきり罵倒してくれないか。
慰められたら死にたくなりそうだから。
アヤシゲな話に騙されない為にも、何が擬似科学で何がそうじゃないかを見分ける能力を身につけるのは
重要な事だと思うのだが、擬似科学を扱ったサイトを見てみても、そういった事を書いたのは少ないし、
あったとしても「科学リテラシをつける」みたいな感じの「そんなのできたら苦労しないよ」ってなのが多い。
そこで私がいつも使ってる、とても簡単な擬似科学判別方法を紹介する。
といってもかなり荒っぽいものだから、後述するようにうまく当てはまらない場合もあるけど、
擬似科学を疑う最初のステップとしては非常によい方法だと自負している。
その方法は、「これまでの研究をくつがえした」と言ったら、とりあえず眉に唾をつけるというものだ。
で、なぜこの方法がうまくいくか。それはそもそも科学がどういうものかを考えてみればわかる。
科学、とくに物理学の素晴らしさは、物理学のいろんな分野が膨大な現象を説明し、数百年もの間に膨大な工業製品に応用されているにも関わらず、
定説となった科学理論はどれも、世界中で行われた膨大な数の実験と、膨大な整合性確認という強烈な淘汰で勝ち抜いたものだ。
だからこそこうした驚嘆すべき整合性があり、その整合性こそが科学の根本的価値の一つである。
であるのだから、「これまでの研究をくつがえす」などという事は基本的に起こらない。
だって過去の理論がくつがえったのだとしたら、それってそれを実証した膨大な実験が全て実験ミスだったって事でしょ?
そんな事ありえるはずがないのだ。
…こんな事を書くと、「相対性理論はそれまでの理論をくつがえしたじゃん」って指摘が入りそうだけど、これは認識が間違っている。
(本論とは関係ないので興味の無い人は「話を戻そう」の行まで飛ばしてください。)
これはちょっと説明を要する。まず相対性理論以前の理論ってのは、物体が「常識的なスピード」で動いているケースを扱ったものだ。
ここで「常識的」ってのがどの程度なのかは略すが、時速1000キロくらいでも何ら問題ない。
それに対し、相対性理論ってのはさらにずっと速く秒速30万キロ(=光の速度)程度のものを扱った理論だ。
ってなわけで相対性理論はそれまでの理論と適応範囲が違うので、決して前者が後者を「くつがえした」わけではないし、
過去の実験も全て物体が常識的なスピードで動いているケースのものなので、尋常でない速度を扱った相対性理論とは矛盾しない。
(相対性理論が示したのは、それまでの理論が適応できる範囲には近似の点から見て限界があるという事。)
むしろ相対性理論が作られた時求められたのは、それまでの理論や過去の実験結果との整合性だ。
前にも言ったように、整合性が取れてなければ、過去の成果が全て実験ミスだったという無茶な結論になるからだ。
…話を戻そう。
ってなわけで、科学の理論は基本的にはくつがえされないし、「これまでの理論をくつがえした」と称するものは大抵単なる大嘘だ。
だから前述の方法は大抵の場合、擬似科学のよい判断基準となる。
しかしこの判断基準も絶対ではなく、うまく擬似科学を判別できないケースもある。
最後にそれを指摘して本稿を終わろうと思う。
この場合はまだ科学の側が準備不足なので、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。
しかしこうしたケースではそもそも正しい理論がなんなのか誰も知らない状態なのだから、
いずれにせよ眉に唾つけてかからねばならない事には変わりが無い。
もう一つのケースは何らかの理由で実験がしづらかったりデータがとりづらかったりする分野の理論の場合。
(例えば医学では倫理的理由で実験ができない場合があるし、深海の奥底のように人類が到達できなくてデータが取れない場合。)
前述のように科学の信頼性は実験とそれを支えるデータにより担保されているので、
こうしたケースで完璧な信頼性を保証するのは難しく、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。
しかしこうしたケースであっても前述の擬似科学判定法はある程度よい基準になる。
なぜなら、科学の進歩は普通の人が考えるよりもずっと遅く、10年かかってやっと一歩進むか進まないか、
残念ながらテレビを見ていると自称・科学者達が「これまでの理論がくつがした」と称して
怪しげな自説を言っているのを頻繁に見かけるが、
科学の進歩が数十年単位である事を考えれば、こうした自説の大半は間違いなのだ。
だから「これまでの理論がくつがした」ものにはいずれにせよ眉に唾をつけ、
はじめて新説をちょっと真面目に調べてみる、というくらいの距離の取りかたでも十分では無いかと思うのだ。
追記:
いうまでもない事だが、本稿がいいたいのは、「「これまでの理論がくつがした」といったら大抵は擬似科学」というものであり、
「「これまでの理論がくつがした」と言わなかったものは擬似科学ではない」というものではないので、その点は注意。
さらなる追記:
本稿はあくまで「科学にあまり詳しくない人が努力せずに疑似科学を見分ける」という視点で書かれているので
論を簡単にする為細かいところで色々とごまかしたのだが、その辺を的確に指摘してくれた方(http://anond.hatelabo.jp/20130821065224)がいるので
興味のある方はそちらも参照ください。また同じ方の指摘により、誤解されそうな部分を微修正した。指摘してくれた方、感謝。