はてなキーワード: シカゴ学派とは
東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠先生、ご活躍だが、82年生まれと聞いて驚いた。明菜がデビューした年の生まれではないか。
1989年を知らない人は、たぶんロシア人の持っている恐怖やメンタリティ、なぜプーチンを支持するのかが理解できないのではないかと思う。小泉先生はもちろん専門家だから知識として知らないと言うことはないだろうけども、私たち日本人にとってさえ昭和天皇崩御から始まったあの一年、そして続く数年は、息つく間もないような激動だった。
ロシア(ソ連)がマールボロカントリーなどと揶揄されていた時期だ。マールボロと言う煙草の銘柄があるのだが、そのキャッチコピーが「Come to Marlboro Country」と言うものだった。そのキャッチコピーがロシアの実態を指す言葉として用いられていたのだ。ルーヴルがゴミ同然になって、煙草のマールボロが通貨のようになっていたから。マールボロ2箱でモスクワでは最上等の売春婦が抱けるぜなんて話があった頃である。
ソ連が崩壊して、エリツィン政権になって、ちょうどあの頃はマネタリズムの最盛期だったから、シカゴ学派の経済政策(ハゲタカ資本主義)とか一番やってはいけない時期に一番やってはいけない国でやってしまったこともあって、平均寿命が五十代くらいまで急落した、そう言う世界を、今の若者が言う「物分かりが悪い、無知な高齢者たち」は生きたのである。
ボクシングのチャンピオンが、道端のチンピラ相手に舐めてかかったら喧嘩慣れしてる上にボクサー対策完璧だったチンピラにボコボコにされたという話。
リングで公式戦のルールだったら負けはなかっただろう。社会科学の論文を書いてお互いの論考を否定するという勝負だったなら。
しかし自分からエゴサしてストリートファイト挑んでおいて「Twitterは時間の無駄なのでもう呟きません」と敗北宣言するのはいかがなものか。
査読付き論文を軽視するような日本の(一部)社会学者とは違い、あの高名なシカゴ学派の一員でありおそらく世界トップレベルの社会学者でもこうなってしまうとは……
日本の社会学の現状を憂うある社会学者の方が仰っていたように、もう社会学者はネットでは金輪際発言せずに論文や著書だけ書いていた方が良いのでは?
シカゴ学派いっぱいいるじゃん
みたいなことをシカゴ学派の総帥のミルトン・フリードマンが書いてた気がする。
黒人が出した金だろうが価値の変わらん金銭取引の方が差別は起きにくいだろう、
金銭ではなく「信頼」のようなものに基づく取引になれば、コネを持たない者、特に被差別者は取引に参加できなくなる、
被差別者や少数派の当事者・擁護者の中に「商業主義や市場経済は差別を助長する」と主張する者がいるのは奇妙なことだ、とのこと。
https://anond.hatelabo.jp/20180706031659
この増田は素直にペットショップで金を出して猫ちゃんを買えばいいと思う。
増田の外見・言動がどんな不審者でも揉み手で「可愛い子選びたい放題ですよ!」と接客してくれるはずだから。
愛護団体のオバハンたちは金銭を取らない代わりに、承認欲求・支配欲求の充足という対価を得るために、増田から時間・気力・基地外に頭を下げることで失う尊厳という貴重な資源を支払わせている。
この世にはフリーランチもフリーキャットも無くて、結局なんらかのコストは支払わないといけないのだね。
金のために動物を虐待的な環境で飼育する業者と、自己実現のために他の人間の人生の一部を奪いに来るオバハン、同じ社会悪なら、猫を飼うという自分の目的に役立つ方を選べば良い。
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? を紹介します。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている証拠もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
”博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。 ←誤り、追記にて訂正しています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701 ←論文
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0
※Protect Actでは児童ポルノがパソコンで作られたCG、あるいは、人の写真をデジタル加工したものであると判明した場合でも違法となる。
実際には存在しない児童ポルノを嘘をついて提供とするといったときでさえ違法とする法律です。
――初はてな初増田ですので、読みにくい個所、変なところがあればご指摘お願いします。
この駄訳がこんなにも読まれているとは。少し戸惑っています。
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? の要旨、コメントを抄訳しました。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている?証拠※もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0
(2012.12/19 17時頃、ブクマコメントへの返信などを末尾に追記致しました)
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/19/112633
↑こちらのエントリを拝見しまして、なるほど現場の危機感はリアルに伝わってくるなと感じる半面、「そこはカール・マルクス先生が150年前に通過した場所ですよ」と思わずにいられなかったので、ここで簡単に解説してみようと思います。
まず、「どうして商品の値段が下がるのか?」ですが、これは資本主義社会において工業化が進めば不可避の現象である、とマルクス先生は言います。
理屈としては単純で、かつては作るのが難しかった製品でも、大量生産が可能になればそれだけで安価で提供されるようになりますし、やがて生産技術が陳腐化して他社も似たような製品を作り始めれば、さらに価格は下がっていくわけです。これは恐らく、多くの方が直感的に理解できると思いますし、今の日本ですと家電業界が、正にこの値下げ競争に世界レベルで直面し、息も絶え絶えになっているわけです。
マルクス先生が偉かったのは、ここまでで話を終えず、「じゃあ工場で働く労働者はどうなるのよ?」という問いを立てたところです。
先生は、普通の労働者を、「自らの労働力を〝商品〟として市場に提供しているのだ」と考えます。これは工場労働者に限らずホワイトカラーでも同じですが、
「自らの体力・時間を勤め先に〝切り売り〟して、対価として賃金を得ている」
と考えれば理解しやすいでしょう。
で、「資本主義社会においては、商品の価格は下がっていくのが当然だ」ということは既に触れた通りですが、これは「労働力」という〝商品〟についても同じ現象が起こります。要するに、放っておくと(←ここが重要)、労働者の賃金や労働条件も下がっていきます。分かりやすく言えば、「本当は嫌なんだけど、低い時給でも我慢して働かなくちゃ」という状態です。実際に日本でも、「サービス残業」「ワーキングプア」という形で、賃金の低落傾向の長期化は頭の痛い問題であり続けています(※以下に注釈)。
さて、これで話が済めばいいのですが、ここで問題になるのは、「労働者もまた人間である」ということです。
人間が人間らしく生きるためには、家に帰って飯を食って寝るだけでは不十分です。例えば旨い酒を呑むとかエロゲを楽しむとか嫁さん子供を連れて遊びに行くとか、それぞれのやり方で活力を取り戻すことが必要になります。しかし、賃金が際限なく下がっていくと、こういった「労働力の再生産」に充てられるお金も減らさざるを得ない。こうなると人心が荒んでいきますし、資本家との経済格差も広がる一方ですから、「放っておくと暴力革命の危険も出てきますよ」とマルクス先生は指摘しました。
まあ、ここから一気に飛躍して「どうせ暴力革命が不可避なら自分たちでやってやるぜ、共産主義ばんざい」等と言い出した人々がいたのも事実ですし、私としても「それはどうなのよ」と思います。が、だからといって何もしないと、「失う物の無い人」が暴発してえらい事態が起こることも、我々は既に経験しています。秋葉原の加藤さんとか電車の人身事故とか、頻発すると困ったことになりますね。
ではどうするか?ですが、有効な方策は、ある程度はっきりしています。
一つは、あくまで経済成長を追求することです。そのためには基幹産業へのテコ入れが必要になります。しかし、ここで日本特有の「急速な少子高齢化」という問題に直面します。産業を拡大させようにも、労働人口が減っていくのですから、どうにもなりません。しかも高齢化が進みますから、将来的には医療・介護部門に労働力を割かねばならなくなるのですが。これらの部門は当然ながら高成長は望めません。
もっとも、この解決策は簡単で、「積極的に移民を導入する」という手があります。OECDなんかからも、しきりに焚きつけられています。しかし、日本では移民導入政策がスムーズに進んでこなかったのは皆様もご存じの通り。特に安倍氏に代表される自民党の路線では、「日本を取り戻す」のだそうですから、政策としての食い合わせが悪い。そもそも戦時中に朝鮮・中国から連れてきた労働者に対し、戦後しかるべき対応を怠ったため今なお続く禍根を招いている、という件を蒸し返される可能性もあります。
他には、北欧型の社会民主主義という路線もありそうです。但し、「社会民主主義」というのは、語弊を恐れず言えば「ソフトな社会主義」です。「働かざる者食うべからず」というスローガンは有名ですが、主婦だろうが老人だろうが働ける人はみんな労働力市場に出てもらう、税金もガッツリ納めて頂く、その代わり「働いてくれるなら」各種の社会保障でしっかり面倒は見るよ、と。何だかかなり厳しそうな世の中ですが、しかし北欧などではこの路線でまずまず上手くやっているわけで、政策として真面目に検討する余地は十分にあるのでは、と私は思います。
但し、こうした路線を代表してくれるかも、と淡く期待していた民主党がドジョウ野郎の「純化路線」とやらでさっくり御破算と相成りましたので、当分は巻き返しも難しいでしょうね。
(※)なお、ここまでで説明した「商品価格・労働賃金の低落傾向」を「デフレ」と称する方々も散見されます。繰り返しになりますが、この低落傾向は資本主義社会なら不可避の事態であり、国全体の財政がどうとかいう話とは本質的には無関係です。「世の中全体としてはインフレだし商品価格・賃金も見かけ上は上がっているが、相対的には伸びてない」という事態も十分に起こり得るわけです(というか、マルクスが生きていた頃のヨーロッパはそんな感じでした)。ですので、この文章では「デフレ」という単語はなるべく使用を避けました。
率直に言えば、お腹の緩さは薬でマシになったらしいけどおつむの緩さがマシになったか今ひとつ信用ならない安倍ちゃんの「リフレ政策」とやらに私が全く期待していない理由も、ここにあります。そもそも、十数年にわたって量的緩和をやっても現状程度の成果しか得られていないのに、「逐次投入だからダメだった」と今更になって宣える神経が分かりません。景気が上向かなかったのは、「新たな産業セクターの確立に失敗した」ことや「賃金水準が上向かないので内需が活発になってこない」ことも理由としては大きいはずで、ここを放置したままでは、せいぜい一時的な景気テコ入れに終わるのではという危惧もあります。
(以下、12/19追記)
ちなみに「ハードな社会主義」がどんなものかというと、例えばソヴィエト連邦の場合、「働かざる者食うべからず」と同時に「失業者は存在しない」という大前提がありましたので、労働が可能な状態なら「働かない」という選択は許されず、検挙の対象となりました。それでも労働を忌避するなら、刑務所かラーゲリ(=強制労働キャンプ)か精神病院に送り込まれるわけです。なお現在では、ラーゲリでの強制労働があったからこそ、特に戦後復興期のソ連経済は維持できたのだという見解が主流です。
労働力を「大量生産する」という言語感覚は私には理解できかねますが、別に労働者の総数が増えなくても、例えば労働者それぞれの技量が平準化すれば〝商品〟としての価値は下落します。例えば、昔はWord・Excelを使えたり英語が喋れたりできれば給料に色を付けてもらえたものですが、今ではそうでもありませんね。それは「誰でも使えて当たり前」になったから、即ち技術が陳腐化したからです。
当然ながら、移民の導入etc.で労働者が大量供給されるようになれば、やはり賃金は下がります。
id:humidさん
過分なお褒めを頂き光栄ですっ!
実は仕事で小説を書いてたんですけど編集者とケンカして切られちゃいまして(・ω<)
いい人紹介して下さいよー(`・ω・´)ノ ヨロシクー
いやいや、私の妄想などではなく、社会政策としては既に実例があります。例えば「あくまで経済成長路線」の代表は米国ですし、それを踏まえてこそ「とにかく規制緩和」のシカゴ学派などが登場したわけでしょう?
だいたい、「ぼくのかんがえたしゃかいかいかく」というのは、「原始共産制に基づいた太陽光・無農薬コミューンを形成して云々」みたいなヤマギシ会も裸足で逃げ出すようなことを宣ってる方にこそ相応しいと愚考致しますが。
いくら初めての増田だからって、「命がけの跳躍」とか大事なキーワードを省いちゃったのはダメダメですね……
やっぱりセンパイからしたら、大月書店版なんかじゃ物足りないですよね? この際だから、センパイみたいな凄くできる人に、原書の講読を手取り足取りお願いできればなー、なんて……(チラッチラッ
id:raituさん
さはさりながら、生産管理技術そのものも、いずれ陳腐化は避けられません。おおもとのブログエントリにあった「効率化はもう限界」という叫びは、謙虚に受け止めねばならないでしょう。
21世紀になれば単純労働は全部ロボットにお任せ、人間様は時々ボタン押すだけでラクラクウマー、そんなふうに考えてた時期が俺にもありました……
それはさておき、実際には「新たな機械を開発・導入するよりも、労働者を使い倒す方がコスト面で勝るので機械化のインセンティブが働かない」職場というのも珍しくありません。
また、仮に単純労働をどんどん機械化していったとしても、その後に残るのは接客や介護など「機械化できない」仕事であり、それは人間が引き受けざるを得ません。「労働力も〝商品〟である」という前提は変わりませんから、いずれ労働賃金の低落化に直面することは避けられないのです。この点においては今の所、「移民労働力の活用」あるいは「高負担・高福祉社会の実現」以外に、有効な方策は描かれていないように思われます。
トルコ人ってのはどうでもいいが、経済学にあまり詳しくないのだろうと想像する。なので自分の詳しい分野の事を考えて見てくれ。その中でも派閥ごとの抗争ってないか?ある派閥の中では偉い人なんだが、まさにそのためにほかの派閥においては悪口いわれまくり、みたいな事。経済学も人間のやっている事なので、いくつかの派閥がある。クルーグマンはそのなかでもはっきりとリベラルを宣言するケインジアンであって、経済学内の学派としての保守派(たとえばシカゴ学派とか)とは対立的な関係にある。その女の子がそういった学派で教育されているのなら、その女の子はクルーグマンの何がまちがっているのかわかってもいないままクルーグマンみたいなケインジアンは見下さなければならないという行動パターンを身につけてしまっている、という事がありうるよ。
勿論これは想像にしか過ぎないが、なんであれ経済学界最高ポジションにいる経済学者の判断の基準がマスターの言動というのは、ちょっとないだろう。