はてなキーワード: 役回りとは
若干話題が古いけど、こういう対談がある。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html
ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。
>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
◆
個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題は自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。
ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポートの役回りを演じさせられる。物語のラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。
そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。
古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。
自分の問題は自分で解決できるのだという確信、主体性を持つこと。
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)
◆
そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
だからそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。
男性社会の最高神である「ヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
確かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。
だけど、すべての男性がヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
だから多様性の時代になってるわけだし、弱いものに底上げが必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性」だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
◆
男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。
まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。
より多くの美しい女を取得することを自己価値のバロメータとして、他者と比べあい、自分をいじめるみたいな悪癖がある。
女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解の範疇を超えてくる。
そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの、文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。
そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然別のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。
そもそも自尊心や自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。
やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ。
◆
「Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪やジェンダーの話題はとにかくネットで炎上しやすい。
そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸と彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。
「すべての男性が性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。
なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?
もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。
そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャルの価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。
男社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。
男社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。
脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性の意識の問題なのだと思う。
「ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。
クリストフみたいなキャラクターを否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者も尊重すること。
旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやかな自分自身の中に自尊心を見出すこと。
そのへんが大事なんだと思う。
ツイッターの観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。
男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷の解放だって女性の社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)
マイケル・キンメルatTEDWomen 2015
そう感じるのは自分だけなんだろうか。
人間、得した!と思うことより損したと思うことの方がよく覚えてるとは言われるが。食べ物の恨みは怖いって言葉があるけど、食べ物の恩義は忘れないみたいなのはあまり聞いたことがない。自分のものを食べられたら損だと思って覚え続けるけど、もらってももらったなぁとしか覚えないんだろう。そういうもんだ。
いや、余程命を助けられたとかなら別かな。それは話が違ってくるか。
損な役回りばかりだなって感じる。まあ被害妄想9割なんだろうけど。損を感じたことがない人っているのかな、いたらどんな感じなのかな。すごい金持ちなんだろうか、そうでなくとも運と親に溺愛されたような人なのかな。
いきなり変わるけど、また創作云々の話だ。友人の創作レベルがみんな上がりすぎてついていけない。みんな絵の人だから文のわたしとは比べ方が違うんだろうけど、みんな、すごい。
もう嫉妬とかも消えかけた気がする。すっぱり手を引いたらどうでもよくなった。
とはいえまだまだ未練はある。それは捨てきれない。けどいつか自分の中で昇華して消えるものだろうな、なんてこじつけてる。書きたいのか書きたくないのか、やめたいのかやめたくないのかどっちつかずなままだ。やめたくはない、けど、書けそうにはない。ずっとうだうだ悩んでる。
新しいアイシャドウが欲しいな。化粧品、色々なくなりかけてきてるから買いに行きたい。髪も切りたい。
クサい台詞だけど、今日は幸せでしたって一日の終わり方をしたい。そりゃそういう日もあっただろうし、子供の頃なんかそんな今日が幸せかなんて考えてもなかったけど。できれば毎日、そう思いたいもんだ。そう上手くは行かないけど。
世の中の人間には「幹事体質」を持つ人と持たない人がいる。「幹事体質」は私の造語だが、読んで字のごとく「幹事」になりやすい性質のことである。
ONE PIECEの「覇王色の覇気」みたいなもので、幹事体質の人は子供の頃からずっと「幹事」とカテゴライズされる立場になり続ける運命にある。この説明を聞いて、陽キャと陰キャとか、リア充と非リア充とか、優等生と劣等生のようなスクールカースト上の二項対立を思い出す人がいるかもしれないが、そうではない。実際、オタク的なコミュニティにもヤンキー的なコミュニティにも、幹事体質の人は存在し、そのコミュニティの中での幹事的な役回りをしている。
幹事体質の人が集団の中で持つことになる役割は、人生の段階に置いてさまざまな形をとる。学級委員、部活の部長、サークルの幹事長、飲み会の幹事、町内会の役員……。あらゆる集団は幹事体質を必要としていると言っても過言ではない。幹事体質の人間は、時に集団の中心で皆をひっぱるリーダーのようであり、時に集団の中心から離れて面倒事を引き受ける雑用係のようである。
幹事体質に必要なスキルは特にない。皆の前に立つのが得意な人、人の話を聞くのに抵抗がない人、隅々までものごとを考え尽くすことができる人、豊かな文化的物質的資源を持つ人、それぞれが自らのスキルを活かして幹事の職を全うするので、個人の性格やスキルは「幹事体質」とほとんど関係ないと言っていいだろう。
ここまで聞いてピンとこない人はごめんなさい。きっと私の文章が稚拙であるか、周りの「幹事」たちに気づかない人生を送ってきたのだと思う。
こういう文章を書いていることからも察せられるように、私自身もさまざまな幹事をつとめてきたんだけどね。だからなんだって話なんですが。最近色々うまくいかないので文章書いてみたくなったんですよ
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。
そういう範囲や基準が存在するところでそういうものが存在しているという定義自体がそれそのものをなしてるのは
バカにバカといったほうがバカという論調と同じでクズがいるとすれば人をクズよばわりするという人のクズがいるわけで
自分がクズになってまでもクズを認定してほかのクズではない人たちを救う担当が必要になる
爪の先から壊死していく病になったとき壊死したとしても腕であるとしてあくまで平等に扱うのも大事だろうけど
あえて腕が病であろうがなかろうが腕を切り落とすという事実は一つなわけであえて腕を切り落とすという理不尽を
行ってまでも守るべきは人としての平等性ではなく偏向的ではあっても人という自覚を保つべきかという判断をだれがするのか
そもそもすべきなのかというところで
「クズはいないみんな大事」と宣言するということはその役割をだれも担わないクズがもしいたとしたらみんなの責任なので
みんなで死のうというのが建前の完全平等
素行の悪い人を自分の気分だけでドヤして社会の安寧を願うが実際の素行はただのうるさいおっさんという役回りとか
クズをわざわざつるしあげてくるクズがいなくなれば実際にいまクズだと各個人が感じているそれらは善良であると
いわざるをえなくなるしすべての犯罪や差別は愛の下にあると言っても過言ではなくなる
だれかが嫌われ役を実際にはせざるをえないわけで
大前提としては組織の方針としてはクズも容認するということだろう
世の中が「これ以上は見過ごせない」というムードになる前に「狩り」を終えなければ「利益」以上のペナルティを課される可能性が高くなる。株と同じで世間の注目を集める前に手を出し、注目が集まってきたらピークの前に高値で売り抜けて次に行かないといけない。
周りを見て「あいつら得してそうだな」と思った頃にはもう遅いんだ。勝者と敗者を分けるのは加害の有無じゃない、その嗅覚と、リスクがわからないうちに飛び込んでしまえる度胸なんだよ。それがないのに「アイツラのほうが得だ」と思ってから加害者になれば「得していたアイツラ」がやっていた分のヘイトまで全部引き受けるという一番損をする役回りになる可能性が高い。
ダス! イスト! デア! トロプフェン! デス! アルラウネ!
アイネ! クライネ! ナハト! フランケンシュタイン!
イッヒ! リーベ! ナツィオナル! ソシアリスティッシェあわわわわわ! この辺で。
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“幻想芸術集団 Les Miroirs(レ・ミロワール)” という豪快な源氏名を名乗っているが、つまりは都内の小劇団だ。
んーむ、どういうことなんだろ、また芝居を観に来てしまった。
これまでの人生で演劇なんて片手の指にあまるくらいしか行ったことないのに。
ひょんなことから、とある小劇団の芝居に行ったのが先月。
劇場でダバっと大量のフライヤー(チラシ)を渡されるので、眺めているうちに妙に気になって今回はこの劇団の演目『アルラウネの滴り -改訂版-』を観に行ってきた。
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観劇後の印象がなかなか良くて、それで妙に語りたくなったので記録の意味でレビューを残しておくことにする。
当方、舞台観劇はズブの素人なので、マニアから見たら噴飯モノの印象がバンバン飛び出すことと思われるが、そこはヌルく見逃してほしい。
あと、上演も終わっていることだし、ネタバレ上等で書くので、そこは4649!
それでは、行ってみよー!
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■全体として
先入観が無かったといえばウソになるわけで。
幻想芸術集団という大迎なプレフィックス。
おフランス語の劇団名でミロワール(鏡たち)というのは、つまりキャスト達のことだろう。
豪奢な近世ヨーロッパ風衣装。
中央には男装の麗人。
「これはきっと、『ベルばら』風にお嬢様たちがキラッキラにやりたいことだけをやりたおした豪華絢爛、欧州絵巻だろうな」と。
それで、「どれ、どれだけ背中とオシリが痒くなるか、いっちょ見てやろう」くらいの気持ちで足を運んだのだが。
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これが。
開始10分で背筋を伸ばして、
脳を総動員して、
つまりは本気でストーリーを追いかけることになった。
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近世ドイツを舞台にしたバリバリに骨太なサスペンス/スリラーになってる。
そりゃそうだよな。
単なるキラキラ少女漫画ワールドだけで、旗揚げから10年以上も劇団が存続できるワケないもんな。
幻想的な要素は “アルラウネ(マンドラゴラ)の美女を集めた娼館” というキー・ガジェット一点のみ。
あとは細部まできっちりと整合したダークなクライムストーリーで。
(このへん、『スリーピー・ホロウ』(ティム・バートン)に通じるものがあるな。
あれも超現実はデュラハン(首無し騎士)の一点だけで、あとはストレートな推理モノだった)
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そして、今さらながら。
自分がなんで演劇を面白いと感じるか、分かった。
右から左から、見ても見ても、どこまで見ても情報量が尽きることがない。
これはフレームで切り取られた映画にはない楽しみであって。
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この舞台にしても。
ブリンケン伯爵が実に俗物らしくロゼマリー嬢を相手に大笑しているときに、うしろでフローラが嫌悪感をまる出しにしていたり。
カスパルが客前で気取った口上を並べているときに、後ろでオリヴィアとペトラがクスクス笑っていたり。
ふとカスパルが来歴をほのめかすときに、バックでアルマがアラベスクをキメていたり。
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どこに視線を固定しても、漏れる情報がある。
これが脳にすごい負担がかかる。
決して不快ではない負担が。
これが自分的な芝居の楽しみだと、劇場を出るときに気がついた。
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作劇について、もうちょっと書くと。
衣装がキラッキラなのは舞台が娼家だからであって、ここを誤解していた。
実際の登場人物はというと、全員が第三身分。
それも、ドラマにしやすい貧民でもなければブルジョアでもなく、中間層の知識人というのがニクい。
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そしてデカダンス。
スパイス程度の頽廃なんてもんじゃない。超頽廃。超デカダンス。
なにせ純愛がまったく出てこない。
娼館。
仮面夫婦。
父を求めて得られなかった少年は長じて若いツバメ(愛人)となる。
例外はアルマとカスパルの気持ちが通じるところ、それにヘタレ青年が主人公に想いを寄せるところだが、どちらも一方通行に近い。
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さらに設定考証がすげぇ。
神聖ローマ帝国時代のバイエルンの片隅にある架空の歓楽街、というか売春窟を中心に時代と風俗をガチガチに作り込んである。
おそらく、俺の気が付かないところもガチガチだろう。
唯一、気になったのは
「あれ、ドイツ語圏ならネーデルランドじゃなくてニーダーランドじゃね?」
ってところくらいで、これも観客のアタマへの入りやすさを選択した結果だろう。
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うん。正直に言うと、作り込みすぎじゃね? っていうところもあった。
具体的に言うと、ダイアログが文語中心で、若干だけど苦しい。
当方、語彙力にはそこそこ自信があるオッサンだが、それでも、
「じい(侍医)」とか、
「せんていこう(選帝侯)」とか、
会話をトレースして理解するのにアタマを総動員する必要があった。
かと言ってなぁ。
そこを「侍医」→「お付きの医者」とか、「選帝侯」→「偉大なる領主さま」とか言いかえるとテイストがどんどんボヤけるしなぁ。
時代のフレーバーとして、いたしかたなしか。
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ほかにも上に書いた「若いツバメ」とか、娼館ではロウソクがタイムチャージに使われていたりとか。
ともかく文学的で含みのある表現を多用していて、ターゲット年齢が高いか、あるいはマニアックな層か、ともあれコレくらいのレベルが普通なのかな?
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あと、要求水準の高い批判をすると。
“階級社会の不条理に対する怒り” というのを冒頭に打ち出した割には、通底するというほど通底していない。
21世紀の今から見て付け足した感じ。
フレーム全体の仇役としてエーヴェルス先生を立てて、カール殿下の誅殺を5分のエピローグとしてサラっと流したので余計にそんな感じがする。
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もう1つ細かいことを言うと、カスパルとエーヴェルス先生がクライマックスに対峙するまでハチあわせしないのは、苦しくないか?
それを言うのはヤボというものか。
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ま、ともかく。
全体として、チケット代以上に大いに楽しみ、没入し、満足した。
見て損はなかった。
ほかの演目については保証しかねるけど、再演のときには是非とも足を運んでみてください。(繰り返すけど、俺は関係者じゃないよ)
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以下は、キャストと演出について
※普段は「役者は顔じゃない」というのがポリシーなんだけど、ここまでビジュアルにこだわった劇団と演目に対しては、しゃーない、キャストのビジュアルについても言及させてもらいます。あしからずぅ。
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■男優3人
劇団と演目を全体として俯瞰すれば。
耽美で退廃的なテイスト。
きらびやかな衣装と意匠。
おそらく女性中心の運営で女性中心の企画立案で女性中心のキャスティングをしている集団だと推察するけど。
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自分にウソはつけない。正直に言う。
観劇後の印象は男優三人組が大部分かっさらって行った。
全員が客演。
おそらく、3人が3人とも、キャスティング担当者が選びに選んで一本釣りで連れてきたのだろう、と、思う。
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エーヴェルス先生の狂気、
フランツの怯懦と勇気、
ブリンケン伯爵の俗物さ。
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多分それは、つまりこういうことだろう。
女性陣、主人公2トップをふくめ、大部分のキャラクターは何らかの葛藤や二面性を抱えていて、心理に微妙な綾があるのに対して、男性陣3人は完全にバイプレイヤーとしてストーリーの進行装置以上のキャラクターが割り振られていない。
あとはそれを渾身のパワーで演じれば良いだけで、結果としてものすごい強烈でシンプルな印象をこっちに叩きつけてくることになる。
これが観劇初心者の俺みたいな人種にはビンビン来るのよ。
ある意味、三者三様にヨゴレで良い役をもらってるとも言えるわけで。
こればっかりは、しょうがない。
こういう観客もいるということで、ひとつ。
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■高山タツヤ(エーヴェルス先生)
いやしかし、悪役ってオイシイよな。
自分的には今回の演目でこの人がNo.1。
最初はシャーロック・ホームズ的な近代合理精神の尖兵として事件に切り込んでいくのかと思いきや。
途中からどんどんマッドサイエンティストの素顔が出てきて、終盤すべての黒幕という正体が明らかになって、最後はムスカ大佐みたいに天誅がくだる。
宣伝スチルでは “生に倦み疲れた貴族” みたいな立ち位置かなーと思っていたら、もっとパワフルだった。
理性的で狂人、策謀家で紳士、もうテンコ盛り。
唯一の難としては、演技とキャラクター作りが設定より若干、若く感じた。
そのせいでカスパルとの対比が弱い。
しかし、それにしても、実験体のときにカスパル13歳、エーヴェルス24歳。
最後に対峙した時点でカスパル31歳、エーヴェルス42歳か。
これまた描写の難しい年齢差を持ってきたな、とは思う。
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■谷英樹(フランツ)
普段は剣戟主体のアクション俳優さんらしい。もったいない(と言ったら失礼か)。
ねぇねぇ、性格俳優やりましょーよ。
できますって絶対。実際できてたし。
高い鼻筋、シュッとした輪郭ともあいまって、ヨーロッパのダメダメ青年を完全に演じきっていた。
迷い、失敗し、バカにされ、それでもフローラへの思い一徹。
というか、この劇中、唯一の未熟者役で、これは配役としてよいポジション。
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■杉山洋介(ブリンケン伯爵)
たぶん、この人はただの色ボケ爺ぃじゃないよ。
宮廷の権謀術数、
複雑な典礼プロトコルの知悉、
家門の切り盛り。
そういったシンドイ大事や雑事を乗り越えて、やっとこさトレッフェン通りで馴染みの嬢を片手に思いっきりハジけているところに腹上死。
涙を禁じえません。
そういう想像が働くところが、杉山氏のキャラクター作りのなせる技かと。
いや、たんなる家門だよりのアーパー伯爵っていう設定かもしれないけどさ。
ともかく、そんな感じがした。
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ストーリーも半ばを過ぎたところで、ハタと気がついた。
「カスパル、フローラが客から評価をもぎとってくるフォワードだとしたら、オリヴィア、ペトラ役のこの2人が失点を防ぐディフェンダーなのね」
アルラウネだけじゃない、葬儀の席のゴシップ婦人、伯爵家の侍女と、早着替えをしながら、縦横無尽に八面六臂。
よほどの高能力者じゃないと、こうはいかない。
逆に言えば。
ストーリーのスケールに比してジャスト10人という少数精鋭のセッションで。
もしもこの2人が「私たちモブよ、モブよ、モブなのよ~」と手を抜いたり段取りが悪かったりしたら?
それこそ目も当てられないほど悲惨なことになるのは想像できる。
.
この芝居を観た人がいたら聞きたいのだが。
ストーリー展開のつなぎが悪かったところがあったか?
会話のリズムと展開がギクシャクしたところがあったか?
状況の説明が足りないと感じたところがあったか?
少なくとも、俺にとっては無かった。
これ全部、彼女たちの仕事であって。
.
こうも言える。
「観客を40人と仮定して、80個の目玉とその批評眼の猛攻を、2時間近くの上演中、ゼロ失点でしのぎきった」と。
しかも、それだけじゃない。
「それじゃ、ここはカスパルを見ていよう」と視線を切ったままにしておくと、いつの間にか “弱気なオリヴィア” と “地味に辛辣なペトラ” がシャドーストライカーとしてヌッっと認知の前景に割り込んでくるから油断がならない。
専属キャストがスポットを浴びて歌い踊る後ろで、 “舞台成立請負人” として劇団を渡り歩くって、ックーッ! シビれるっすねぇ(想像のしすぎか)。
特にオリヴィア役の武川さんはホームチーム無しのフリーランサー。
次にどこで会えるかもわからないという、この西部劇カウボーイ感。
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■マリコ(伯爵夫人クロリス)
夫に先立たれ、あとは家門を守る化石となりつつある中、若いツバメとともにふと訪れた春。
でも心の底では彼が自分を利用しているだけと気がついていて、寂しさがつのる人生の晩秋。
っていうメロドラマ的挿入話を、たった1人でゴリゴリ成立させてしまった。
オフショットを見たら、周囲に負けず劣らずの美人さんなのに、哀切よろめき婦人にサクッと変身するあたり、地味にスゴいよ、この人。
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■中村ナツ子(ロゼマリー)
加東大介(『用心棒』)といい、中村梅雀(『八代将軍吉宗』)といい、馬鹿キャラってオイシイよな。
と、思いつつ、可愛い子チャンで馬鹿キャラってのは失敗例が山ほどあるワケで。
美人馬鹿キャラ、厳密に言うと “短慮と衝動、それに浅知恵で状況を悪化させるキャラ” っていうのは、全世界のホラー/パニック映画ファンが怒りまくってることからも分かるとおり劇薬であって、書くのも演るのも本当に難しくて大変で。
(フィクションで最近の成功例だと、『デスノート』の弥海砂とか。自分の中では『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のネルシルタとか)
その中でも彼女ロゼマリーの配役と演技は大成功と言っていい。
シナリオ、人物造形、演技の巧みさ、3つが合体して、ストーリーを停滞どころかグイグイ展開させる存在として実に効いている。
アルラウネたちが、それぞれどこか華美な中にもダークさを感じさせる装いの中、ひとり明るい髪色でキャるるンッとしたバービー人形のような出で立ちも良い。
彼女を舞台で見るのは実はこれが初めてではなくて、かなりの美形なことは知っていたけど、作りようによっては、なんというか、 “こういう美人” にもなるのか、と今さら驚く。
(彼女の第一印象については、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
の中村ナツ子の項を参照のこと)
というあたりで。
最後に。
あー、業務連絡、業務連絡。中村さん、編集者やってみる気はありませんか? 原稿ライティングができてAdobe製品が使える最強のマルチ編集者になれますよ。その気になったら、いつでも当方に声をかけてください。
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■麻生ウラ(アルマ)
うー、うーうーうー。モゴモゴ、わかった、言う。
えー、強烈な声優声なのは、演出上の要請か、それともそれ以外の発声メソッドを持っていないのか。前者だと信じたい。
さて。
最古参のアルラウネ、そしてカスパルの右腕として気持ちを交わし、動き、嘆き、そして踊る。
ちょうどキャプテン・ハーロックにおけるミーメみたいな立ち位置。
キレイどころ揃いのキャストの中でもアタマ1つ抜けているビジュアルとダンスを買われての登板か。
(「ビジュアル充実で演技とダンスが良いなら文句ねーだろ」という方は、この項の2行目を参照のこと)
休眠状態の彼女のポーズを見て、開場のときに舞台においてあったオブジェの意味がやっとわかった。
それにしても。
とんでもなく整ったマスク。
スレンダーで柔軟な身体は恐ろしく妖艶に動く。
世を忍ぶ仮の姿はバンドヴォーカル兼ヨガ・インストラクターとのこと。
ドュフフフフ、オジサンに勤務先教えてくれないかなぁ。
(この6行、後でカット)
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■乃々雅ゆう(フローラ)
アイライナー(と、おそらくカラコン)を差し引いても深い情熱的な眼、意志の強そうな頬からおとがいのライン。
なんというか、豪華欧州絵巻を演るために生まれてきたような。
実際、ブルボン王朝の末席にいて、ベラスケスが肖像を描いてそうだ。
その意味では、この劇団の申し子みたいな雰囲気。
立ち上げからのメンバーかと思った。
そのくらいピッタリの所属先を見つけたと言えるんじゃなかろうか。
宣材写真を見たときはもっと毒のある雰囲気で、「ふむ、このヒトが超々々毒婦をやったら面白そうだ」と思って劇場に行ったんだけど。
なんというか、キャラクターもご本人も想像より瑞々しい感じの人だった。
“運命と戦うヒロイン” という、もう本人の雰囲気そのままの役回りを手堅く好演。
娼館の女主人のときはもっと毒々しくても良かった気がする。
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■朝霞ルイ(カスパル)
どんなに声のトーンを落としても客席まで声が届いていたのは彼女だけだった。
ベテランの風格。
打ち棄てられた実験体児がどこでどうやって成長すれば、こんな艶やかでピカレスクなトリックスターに育つのか、そこを見てみたかった気もするが、そこを書いたらタダでさえ2時間ちかくある上演時間がさらに伸びるので、いたしかたなし。
この俳優さん、眉頭にいい感じに険が出ていて、男装の麗人からリアル美丈夫への過渡期にある感じがする。
男役としては、これからが一番いい時期なんじゃなかろうか。
カスパルがどんな人物かというと。
ん。
待てよ……整理すると!
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1)娼館の影のNo.1として女主人をウラからあやつり、朗々と艶やかな口上を述べるトリックスターで、
2)火災その他のカタストロフから巧みにサバイバルし、言葉巧みに未亡人の情夫におさまる冷徹ピカレスクで、
3)非人道的な実験の結果として対アルラウネ耐性を有する厨二病キャラで、
4)それでいて不幸な幼少期から、どこかはりつめた脆さを感じさせ、
(それは例えて言うならば、ラインハルト・V・ローエングラム的な)
5)そして、こころ疲れた時には情を交わす女アルマが影に寄り添い。
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なんてこったい! 男装女子の演りたいこと、全部入りじゃねーか!
どうなってるんだ朝霞さん! アナタの配役が一番オイシイよ!
観劇前はフローラとカスパルが互いのカウンターパートをつとめるセッティングかと思ったら、終わってみれば伯爵から先生からアルラウネ達からフローラから、もうもう全員が彼との関係性を軸に話が展開するという、まさにザ・主人公・オブ・ザ・主人公!
しかし考えてみれば、そのぶん舞台上でも舞台裏でも負荷は並大抵では無かったはずで、本当にご苦労さまでした。
良かったっす。
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■a-m.Lully
あの役がオイシイ、この役がオイシイ、と書いていて気が付いたが、
全者全様にオイシイ役ばかり。
調べたら当然のごとく、当て書き脚本だった。
この辺が座付き作家、というか作家が率いる劇団の最っ高のアドバンテージだよなぁ。
と、同時に。
「このストーリー、映像化してもイケるんじゃね?
というか、ヨーロッパあたりに売り込んでもいいんじゃね?」
と思ったのだが。
脚本、キャスト、演出のケミストリー(化学反応)による名演と脚本単体のポテンシャルの見分けがつくほど、俺は観劇に強いわけではないので、この印象は保留しておく。
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■大道具・セット
背景と大道具がすごい。なんてったって “何もない” んだから。
物理的に必要な長椅子が脇においてあるだけ。
これ、大英断だと思う。
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メインの舞台となるのは近世ヨーロッパの娼館で。
自分がイメージできるのは『ジェヴォーダンの獣』(クリストフ・ガンズ)くらいだけど、あれを雰囲気だけでも匂わせるには1千万円あっても足りない。
その後の場面展開を考えたら、そこはバッサリ切り落として、そのかわり衣装と装飾品にガッツリとリソース(金と時間と手間)をかける。
少なくとも自分はそう思った。
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で、板の上には何もない代わりに、ステージ背面全体を三分割して並んだ3つのセル(部屋)。
ライティング次第で中のキャストを浮かび上がらせて、複数のストーリーラインを同時に進行できる空間なんだけど、これが実に効いてる。
回想、視点の移動、娼館の部屋それぞれ。もう大活躍。
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白眉はエーヴェルス先生が娼館に潜入するシーン。
ライティングを目まぐるしく切り替えて、それこそ『ミッション・インポッシブル』か『オーシャンズ11』かっていう高速カットバックを実現している。
(いや実際、照明さんは胃に穴が空いたんじゃなかろうか?)
実を言うとアタマのスミでは「それをやりたいなら映画でやったら?」と思わないでも無かったけど、映像作品と舞台の良いとこ取りをした意図は買うし、実際、効果的だった。
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と、同時に。
こうも思った。
「ああ、そういうことか。エイゼンシュテイン以降の変革は舞台にも及んで、自分はいま変革後の作品を見てるのね」と。
MTV以降、ライブコンサートに巨大モニターが導入されて各種フレーミングが可能になったように、舞台も律儀に単一フレーム(場の一致)なんて守ってる場合じゃないよね。
.
■最後に、気がついたこと、気になったことをまとめて
・会場の音響が悪すぎ!
卓かアンプが、どこかでバチバチに歪んでる。
せっかく古典派の交響曲でストイックなまでにかためた選曲が台無し。
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・キャパ、狭すぎ!
ねえねえ、次はもっと大きい小屋でやりましょーよ。
大丈夫。大丈夫だって。
連日満員でエクストラシート用意するくらいなんだから。
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・ハッキリとした開演ベルが欲しかったところ。
カスパルがおもむろに登場してアルラウネのオブジェを撤去して暗転ってのは、演出としてどうかと思った
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・プログラムの誤植。
コーヒー愛飲の習慣のところ、 “嫌遠” は “嫌厭” の間違い。
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・余談だけど、今回の上演『改訂版』の前の上演回をみんな『祈念』と呼んでいる。
理由を調べようと思ったけど、まーいーか。
.
・キャスティングの軽重に関係なく、みんな多かれ少なかれセリフが飛んだり、噛んだりしていた。
最終日の最終回、疲労のピーク。
ステージハイっていったって、限度があるわね。
その中でもディフェンダー2人(武川、小川)は、自分が見る限り
挙動とセリフに一切のミスがなかったことを記録しておく。
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……んー、こんな感じか。
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ともかく、まとめとして言うならば。
幻想芸術集団レ・ミロワールの『アルラウネの滴り -改訂版-』良かったっす。
何か原作の人気ヒロインの一人である軽井沢女史をアニメではモブキャラにし、また彼氏持ちにするという改変を行った上に
今回のプール回はその軽井沢がメイン回で期待されてたのに蓋を開けてみるとその役割は全部特に人気のないヒロイン堀北に役回り全部持って行かれたという。
その上前回盗撮魔でレイプ魔の事を散々けちょんけちょんに貶して警察に引き渡しておいて、次の回つまり最新話では綾小路のクラスメートでトラブルメーカーの
須藤含む三馬鹿があれだけ事件起こして退学騒ぎにまで発展したのを忘れてバレれば即逮捕即退学のチキチキレースな女子更衣室盗撮をやってのけて、これはギャグですという触れが
実に寒かった。構成が下手過ぎてどうしようもない。
岸誠二とごちうさ監督、そして風夏では原作超改変をやらかして炎上したばかりの朱白あおいがこの改変をやらかしたのだとするとその意図がよく分からないというのは分かる。
ちなみに本編では原作でほぼモブと化す堀北をメインに様々な場面で大活躍させているけど、これって中の人贔屓なのかと勘繰ってしまう。
そういえば以前うどんの国で恋と嘘の柴Pがお気に入りの愛人を優遇したとかで炎上騒ぎになってたけど、あれと同じ事が本アニメの担当プロデューサーによって依怙贔屓するよう指示があったとか、そういう話が出て来てもおかしくない。
そんな歪な改変が現在進行形で実しやかにやられてる事に至極違和感を覚える。
誰かこの問題を究明して欲しい。
このままでは円盤売れないよ。
https://anond.hatelabo.jp/20170820185129
https://anond.hatelabo.jp/20170820201300
元増田やで。
なんか応答ほしそうなので返しとくわ。
全然違うよ。
批判するならエアじゃなくて本編読んでからにしろよとは思うけど、とりあえず言っておくと、JKハルが批判(悪口って意味じゃないぞ)しているのは、男性女性に関わらず双方向であるはずのコミュニケーションを取ろうとせず一方的に何かをおしつけてくるやつだよ。
キヨリという女キャラがいるけど、こいつは登場当初、ハルがコミュニケーションとろうとしても話をきかず突っ走るのでけっこうめんどくさがられたりしていた。
オタクキャラである千葉がめんどくさがられてるのもハルの話を聞かず自分の世界に入り込むところとか、周囲に認められたいと思っているにも関わらずチートに頼りっきりで努力しようとしないところだよ(ハルはチートの力を使わず神ファイブを狙っているのに!)
上記のような観点からするとだいたいあの世界に出てくる男キャラは批判されてしかるべきやつらだから(違うのも一部いるし、そいつらは批判の対象にならない)ってだけ。
>スクールカースト最底辺のオタクってだけでその千葉っていう奴もゴミみたいな人格に設定する
>侮蔑して楽しむためだけの設定だよねそれ?
最後まで読めばわかるけど、千葉には作者なりの愛情が注がれてる。もちろん小説だから役回りってのがあって、千葉はけっこうきっつい立ち回りだけど、ただ侮辱するためにああいう設定がなされているわけではない。これも読めばわかる。
これも違うね。
俺の感想まともに読んだのかな? って思うけど、これはクソみたいな男をいっぱいだしてそれを倒して溜飲をさげるような小説じゃないんだわ。あくまで行き過ぎた男尊女卑という女にとってキツイ世界で、肉体をはりながらそれでもサバイブしていく根性の座った女の子が主人公の物語で、ある種の人間賛歌なの。
たしかに【相手を人間とも思わない身勝手さ】が批判されてはいるが、そういう世界を前提にどう立ち向かうかの話なの。
これでわかってもらえるかな?
http://japanese.engadget.com/2017/08/04/mixi-hatena/
http://b.hatena.ne.jp/entry/japanese.engadget.com/2017/08/04/mixi-hatena/
はてブについては、炎上体質のわりにはてな民の辛辣な言葉を受け止めたがる編集長がいちいち凹むという問題があり、というのは40%ぐらい冗談ですが、外したところに別のボタンを試せたらと思っていますw
「津田啓夢氏は UPQ 擁護記事で炎上したからはてブボタンを外そうとする」て意見は少し短絡的で、↑のように今年頭から AOL 鷹木創氏にかわり編集長をして tweet 引用にも出ている ACCN a.k.a 矢崎飛鳥氏がはてブ的な気質を気持ち悪く思っているのはそれこそ 60% は本当なんでしょうね。
※はてブからのアクセスが低いのもあるだろうけど( https://twitter.com/boobyn/status/893356421353533440 )
https://twitter.com/ACCN/status/857174043413409792
ACCN @EngadgetJP
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津田さんの記事に対し、いろんな意見があると思います。編集部内でもいろいろありましたから。ただ、いちいち汚ない言葉を使う必要はないと思います。品位云々以前に、病んでると思う
twitter.com/ACCN/status/863408578056474624
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はてブのコメントが荒れるのはまぁいつものこととして。どんな意見を書き込むのも自由だと思いますが、わざわざ汚いコトバで書き込む人は匿名であろうとホント恥晒しでしかないですし、はてブの品位を損ねているから、はてなさんはちゃんとフィルタリングとかで対処したほうがいいと思いますよそろそろ
twitter.com/ACCN/status/893314471719870465
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凹んでないよ!w でも、コトバの汚い人がはてブに多いのは事実。そういうの見ない人生を送っていただきたいと願っています。|アンケート実施中:mixi配信必要ですか? はてブボタン必要ですか?
https://togetter.com/li/332698 週刊アスキーの人に本の面白さを決めるのはお前じゃないと言われちゃった - Togetterまとめ
その他
twitter.com/ACCN/status/489495031741702144
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ストーカーな人と、まめーに発言や表現チェックして炎上起こそうとする人は同類ね。実態は自分自身が構ってちゃんであり、双方に思うのは、その果てしなきパワーをどうか平和利用できないものか
http://getnews.jp/archives/609275
●お詫びと訂正:初出時、一部iPad touchと記した箇所がありましたが、正しくはもちろん、iPod touchですよ、わざわざご指摘くださいました方ありがとうございます、ホント、お暇ですね。なお、間違えたのはヒロのほうで、ASUKAこと私ACCNは一度もこのようなミスをしたことはございません。しかし相方の不祥事はパートナーが徹底して頭を下げる風潮ですから、ここにお詫びして訂正いたします。どうもたいへん失礼いたしました。
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アテクシも会社にムリヤリ謝らされたことありますが、勝手に群がって来た人たちに「この度は不快な思いをさせて」とかやっぱおかしいやろ、どう考えても。というわけで数年越しなりますが撤回します。「極上のエンターテイメントをありがとう」さぁお言い
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不倫、失言、撤回、謝罪… 日本てホント、low level なディスカッションで世論が形成されてますね。当事者よりメディアに引く。ほかに重要なこといくらでもあるように思える。たとえば次のXperiaのSoCは何かとか。というわけで、MWC取材でバルセロナまで行ってまいります
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炎上に対し、「お騒がせしました」と謝罪するのはどう考えてもおかしい。勝手に騒いでいるのだから(私も以前、謝らせられましたが後日、撤回しました)。「お楽しみいただけましたか?」 「ホントお暇ですね」が正解。
https://twitter.com/ACCN/status/817355657695236097
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2017年より、Engadget 日本版スタッフの一員となりました。複雑な経緯がありましたが、ひとつお約束できるのは、私自身のデジタル・ガジェットやIT業界に対する想いと姿勢、表現に対し、その信念は「何も変わらない」ということです。
編集長という重たい役回りですが、やれると信じてます。理由は、得意分野だからです。業界の移りゆく様を最前線で見続け、紙とウェブ双方に全力でアウトプットしてきました。頼もしい仲間と共にEngadgetを最強のテック系メディアにすべく、全身全霊を注いで取り組んでまいります。
ASCIIでは波に乗れたり飲まれたりの20年でしたが、実にいい旅でした。すべてが今日の私の礎となっております。支えてくれた方々と応援してくださった皆さまに、感謝申し上げます。
以上です。
親が離婚して片親で、父親と多少接点はあったものの残念だったり頼りない感じの人物だと認識していたせいか、
父性のモデルになる人物を見つけられておらず、自分がイメージできる大人像が割と歪んでしまっている。
さらに無意識にかなりオカン的な挙動を自分の目指すしっかりした大人像として設定・志向してしまっていたようだ。
世話を焼きたいというか、先日妻の兄夫婦が来訪した際に、妻と二人に話してもらっている間に洗い物をして、テーブルを拭いてもらうための布巾を渡して、
自分が作った具の沢山入った味噌汁を人数分の器によそっている瞬間に、ちょっと不自然なくらいの幸福感を感じたことで自覚した。
何と言うか、無自覚ながらあこがれていた生活に足を踏み入れた的な。
そしてこれは、布巾を渡して手伝ってもらう部分を含め、基本的には自分の母親の挙動のトレースっぽい。
そういえば職場で不摂生している同僚を見ると、ちゃんとしたご飯を作ったり身の回りの世話を焼いたりしたくなって毎回ウズウズしている。
まるでそれが自分の役目だと刷り込まれているようなわきあがる使命感を感じる。仕事にはそんな情熱は欠片ほどもわいてこないというのに。
かといって本格的にオネエや主夫になりたいわけでもないと思うし、バリバリ主夫ができるほど家事力が高いわけでもないと思う。
というか妻の家事力と母親志向がかなり強いので、家族の形を維持するならバランス的にはやっぱり外で稼いでくるなどの、
いわゆる父的なポジションが今後も自分の主な役回りになるだろうし、妻が私に無意識に求めている役割もそっちだと思われる。
さて、自分の中に正解モデルをもってなさそうだと気付けたということは、何らかの方法で新しくモデルデータを吸収することもできそうではあるが、
今のところそのロールにあまり魅力や興味を感じてなさそうな俺に、果たして父親的な役割はうまくこなせるのか。
要は「こんなオトンになりたい!」と憧れる対象を見つけられればいいんだと思うのだが……。
俺でも無理なく憧れられそうな、いい感じのオトン像が描かれたおすすめのフィクションとかないでしょうか?
ちなみに、今の自分が「こういう人いいよね」と漠然と憧れているラインはどの辺かなー?とちょっと考えてみたが、
思い浮かんだのが「Fateのエミヤさん」「きのう何食べた?の筧さん」「暁のヨナのユンくん」という、見事なまでの胃袋支える系オカン属性持ち男性キャラばかりでクラクラしてきた。
私の夢には実家の家族、友だち、二次元キャラクター、知らない人がよく出てくるが、旦那が出てこない。ほとんど出て来たことがない。
恋人期間合わせると三年以上べったり大好きで、浮気心が目覚めたこともないのに出て来ない。常に隣にいるから、わざわざ夢でまで見ようとしないのかもしれない。
代わりに私は、二次元キャラクターや知らない人と恋をしたりしなかったりして、よく性行為をしている。
(こういう書き方をしているのは、恋愛関係にない相手とも性行為をしているからだ)
夢の中の私には、旦那(恋人時代含)がいる場合といない場合がある。
旦那がいない私が誰かと性行為をしてしまうのは、数歩譲って、まあ、理解できる。旦那も恋人もいないなら、自由に恋愛していい身分なのだ。性行為だって、誰を裏切っているわけでもないから問題ない。相手には恋人がいたりいなかったり知らなかったりと様々だが、私には関係ない問題だ(そもそも夢だし)。
問題は、旦那がいる私が誰かと性行為をしている夢も、やたらと見ることだ。
その時の私は、「助けて旦那! やめて!」と性暴力の被害者になっているわけではなく、「旦那にバレなきゃいいなあ」と考えていて、罪悪感も特になく、性行為を行っている。言い訳のしようがない不倫だ。
この間は、旦那が横で熟睡するのを見ながら二次元キャラクターに乳を揉まれ舐められている、という状況の夢を見た。起きないといいなと思いながら、好き勝手乳を揉ませていた。珍しく夢に旦那が出てきたのにこんな役回り! 起きてからとても驚いた。
どうしてこんな夢を見るのか。
いろいろと考えて行き着いたのは、
「処女時代に想像していた性行為と、実際の性行為の印象があまりにもかけ離れていたから」
だった。
かれこれ10年以上前から、わたしはオタクで腐女子だ。女性向け男性向け問わず、同性愛も異性愛も夢(キャラクター×自分)も嗜んできて、中学時代からこっそり成人指定作品も読んでいた。
処女時代の私にとって、性行為の印象はそういった作品が全てだった。大抵の作品で、抱かれる側はひたすら気持ちよさそうで、快楽に身を震わせながら絶頂していた。無理矢理系ですら「悔しいでも感じちゃう」だった。抱く側も相手をあらゆる手段で感じさせようとしていた。何度も出しても元気だった。口、手、足、前の穴、後ろの穴、あらゆる部位を利用していた。それが性行為の普通だと思いながら、わたしは成長した。
しかし、実際の性行為をしてみたら、幻想はすごい勢いで打ち砕かれた。最初は痛いばっかりだったし、回数を重ねても理性が壊れるような快楽を感じることはなかった。なによりそう簡単に絶頂できなかった。気持ちいいけどそこまでではない! 相手も一度出したら元気がなくなるタイプで、こちらとしては消化不良で終わることばかりだった。ちなみに足や後ろの穴を使うようなこともなかった。興味すらないと言われた。私の考えってアブノーマルなのか! と唖然とした。
経験人数は二人(元彼と旦那)と少なめだが、どちらとの性行為でも、想像していたような「めっちゃくちゃ気持ちよくておかしくなる!」みたいな性行為はできなかった。
だからと言って、他の相手と性行為をしようと考えたことはない。旦那が大好きで、裏切りなんて考えられないからだ。日常生活に不満も感じていない。性行為も、気持ちよくないわけじゃないし大切にされているのがよくわかるから満足している。
……満足はしているけど、おかしくなる程気持ちよくなりたい気持ちは、消えることなく残っているんだろうなー。
だから、せめて夢の中だけでもと、立場も相手も問わず性行為にふけってしまうんだろうなー。
正直、旦那に罪悪感は一切抱いていない。現実の私は一切不倫していないし、自分の意思で夢を見ているわけではないから止めようがない。
騒がれるのが嫌だからと、ベビーカーに乗っている息子にお菓子を持たせ、
そのお菓子を道端にばらまかれても、仕方が無いよ行こう、とさっさと行ってしまう。
外食時に子供がテーブルを汚しても、それが店員の仕事だからそのままでいいよ行こう、とそのまま出て行こうとする。
私はこの人に何でも従ってはいけない。促されると疑問に思いながらも従ってしまうのはやめる。私は私の意志で行動しなくちゃ。
疲れてダウンしていると、育児も家事も何も言わずにこなしてくれてすごく助かっているし、
彼との結婚が間違いだったとは思わないけれど、
どうしても上記のことが忘れられなくて、
不意に頭をよぎって、
私はそういうときたとえ自分がばら撒いたものじゃなくても黙々と片付けてくれるような、
損な役回りを引き受けてしまうような人をいいなぁと思うのに、この人が違うのはどうしてなんだろうと思う。
盲目になってたのかな、いや、恋愛時代のキャピキャピさでは、落ち着いたころに見えてくる彼の気質がまだ見えなかったんだろう。
最近はベビーカーに乗っているときにむやみにお菓子を持たせないし(夫にはよくないことだと教えた)、、
平たく言えば今は地獄の中にいる状態。ITで言えばいわゆるデスマーチ。
事務所のパワープレイを笑顔で受け止め、配信会社の優柔不断をなんとか懐柔。
配信会社も、会社によって性格が全然違うのは、ちょっと興味深いかな。
共通しているのはどっちもテレビ的マナーは悪い意味で通用しないこと。
そうすると、掃き溜めのような制作会社の我々にすべての圧力がかかってくるわけで。
それを受け止めるのはまぁ、それなりに辛い役回りです。
比較的大きめのプロジェクトの立ち上げ、レギュラーの更新、新規の提案。
これを全部並行してやっていくと体力はもちろん、どちらかといえば精神が削られていくなぁ。
元ブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ9W51BZJ9WUOHB00M.html
このトピの続き http://anond.hatelabo.jp/20161002133912
前提として、消防団って主語にしてるけど、消防団の運営状態は地域地域でさっぱり空気が違っていたり、方法が違ってい
ちな所属1桁年の末端平団員からの視点なのでそちらもお察しで。
公設消防はいわゆる普通の消防署。中の人は正規の公務員で、フルタイムで待機やら訓練やら整備やら書類仕事やらしてはる。
自治体ごとに持っている場合もあるし、地方部だと財政厳しいから複数の自治体が集まって防災組合を作っている場合もある。
常設なので119すれば10~15分ぐらいで現着できるプロ集団。
消防団は自治体ごとにある地域防災組織で、身分としては特別公務員かそんな感じだったはず。
警官・消防署員・自衛官など非常時緊急招集かかる人は入れない(はず)。
あと副業禁止ががっちりしてる企業勤めの人も入れない(厳密には副業になる)。
組織としては地域ごとに呼称は異なるものの、大ざっぱには自治体ごとに「団」があって、その下の校区単位ぐらいで
棲み分けとしては、公設消防は災害に即応可能な常備プロ組織。但し数に限度があるし維持コストもそれなりに必要。
消防団は、地域ごとにある程度組織だった活動ができる土着組織で維持コストは比較的小さい。但し練度は低い。
普段、そこここで起きてる一般火災では、十中八九公設消防が先に来て消火しているので、消防団はその消火補助とか
鎮火後に再出火しないかの監視とかの役回りになることがほとんど。
消防団の存在が効いてくるのは、地震や水害、山火事、火山噴火といった広域災害。
東日本の地震の後では、広島の土砂崩れやら鬼怒川の決壊やら熊本の地震やら岩手・北海道の水害やら。
公設消防では数の都合でカバー仕切れない部分を補うのが消防団。
こういう広域災害の際に、ご近所一件ずつ回って要救助者の有無を確認して公設消防に伝えたり、自分らでいける分に
はその場で救助したりするのが消防団。
ここらは普段のご近所の様子を知ってる土着組織のほうが向いてるわけ(←都会派からはここが気持ち悪いと言われるが仕方がない)
。
で、問題があると消防団を廃止しろって話が出るんだけど、廃止したらしたで、ここらの広域災害への対応が
弱体化(100救えていたところが1になるぐらい)するか、完全に対応する体制にするための高コストを税金で支払うかになる。
有事には地域の人間でやれば~と言う案もあるだろうけど、指揮系統が最初からできてる組織とそうじゃない集団
とでは情報の伝達速度と行動速度に雲泥の差があることはビジネスSE業が多そうなはてな民だとご存じかと思う。
なので、残念ながらそう簡単には潰せないのよね。
消防団員は特別公務員なので、その自治体から年額おいくらで団員報酬が出ることになっている(これが今話題のお金)。
その一方で機材の整備・運営は各集落・自治会に委ねられているので、ポンプやらホースやらの機材整備の費用は自治会
持ちになる(厳密には、自治会所有の機材を自治体組織の消防団が運用している形になる)。
団員の権限で使えるお金は、自治体からは運営委託費という名目で部(自治会単位)に出る年額2~3万程度で、ポンプや
その他に、訓練の移動時に車出してもらうお礼やら、機材洗浄の水道代、ちょっとした消耗品、訓練や待機の際の一服の
缶コーヒーや軽食やらの支出があるので、完全にその部の長の持ち出しになる。
自治会で予算積んであればいいけれど、そんな余裕無いところが多いだろうし、自治会長のお宅に毎度毎度一々お願いし
にいって決済とって会計担当のお宅にいって現金引き出してもらって……とお互い大変に手間という問題もある。
なので、消防団(部)の権限で使える資金として、先の団員報酬を部でプールしておいて、そこらの支出や団員研修費に
充てましょうやとなってる地域が件の上越市だったんじゃなかろうかと思うんですよね。うちもそうなので。
なんで今回トラブったかというと、入ってもらうときにそこらの説明を通していなかったか、内部でケンカになったか
でしょうなぁと。
こういう体制で回してるところは、委任状を書いて団員報酬の取り扱いを委任してるはずなんだけどね。
ここらのお金の動きを知るまえに委任状に印鑑押してて、訴えた本人気付いてないとかもありそう。
ぶっちゃけると、出動や大会後の慰労会、慰安旅行やらを全て無くして、警戒待機時の食事や缶コーヒーとかも全部団員
個々人の自腹で持ち込みってことにすれば、経費は浮きますよ?
ただ、このご時世、地域のためとか言われても、お疲れ~の缶コーヒーも出せないような組織に入って+α仕事やってら
んねーですよ。ってのが正直なところで、そんなところに誰が入るんだって問題もあるんすよね。。
id:hyogo2009 消防団の活動費用は本来個人の報酬になるはずのお金から捻出しているのが現状。個人渡しだと火災出動せず訓練不参加の幽霊団員がもうかるだけ。活動費用の自腹負担が増えて皆不幸になる。
こちらのブコメであるように、名簿に載ってるだけの幽霊団員が丸儲けという問題もあるし。
なるべく、現場に出てくる人にリターンがあるようにしようとすると、部で集約しておいてって方法は割と有効かなと。
(他に賢い手があるなら教えてね)
id:h20p 本人に直接払ってないのが悪い。だいたい、どうして昔の不便だったときにできたやり方を、現代に適応させないんだろうね。アフィリエイトだって、簡単に振り込まれるのにね。
id:karatte 最後にこのオチww→“6月の協議会では委員から、各団員の口座への振り込みを求める意見が出ていた。しかし、市はこの日の協議会で「消防団の希望」を理由に受領委任払いを続ける方針を表明した”
id:tsekine “「消防団の希望」を理由に受領委任払いを続ける方針を表明” 闇が深い…
id:nakex1 横領として立件すべきだと思うのだけど。というか現代において個別に支払えない事情などないでしょ。
id:shironeko_t "市はこの日の協議会で「消防団の希望」を理由に受領委任払いを続ける方針を表明した"着服している団体の希望を叶えてどうするんだ
id:atama_ii 幽霊団員もそこそこいると思われるので、参加手当とかあってもいいのでは。でも、夜警とか見回りの食事はケチらないでほしいのです。ありがたいし。ただし慰安旅行はクソだ。ピンクコンパニオン代はアカン。
出動手当は出る(らしい)。おねーちゃんは正直勘弁願いたいが、そーいうのが好きな人種が多いのもまた事実で、上手いことつき合っていかにゃならん現実。
ITシステムとか導入しようのない零細手工業な環境なんですよね。
そしてこの後に「そんな地方田舎に住んでるのが悪い。とっとと都会に移住せよ」って話があるだろうけど、都市部って
そうだな、大学生活初めの3年間は色んなトラブルはあったし、いっぱい苦しんだことはあったけど、
まぁトータルで見たら自分でも納得のできる道のりを歩んできたとは思う。
何の努力もしてないとは言わないが、やっぱりそれでも足りないものは足りなくて。
自分の持ってる才能って何だろうって色々考えてみたし、一応持って生まれた見た目でも勝負はしてみたけど
お話にはならなかった。ショックは受けたけど、それはそれなりに吸収できるような状況にはあったかな、って思う。
でも、大学4年生から今までの4年間を考えてみると、それはもう暗鬱たる結果というか、
多分全てが自業自得、自分の蒔いた種が今芽吹いて一斉に俺を攻撃してるんだと思うんだけど。
研究では何も成果が出ず、それも相まってどんどん堕落してしまった。
後輩にはきちんとしろと怒られるし、きっと今でも許されてはいないのだろう。
正式な学会には1度も行っていない。B4の後輩が学会に出ているのを尻目に見ていて悔しくないわけがないが、
そういう事もあるよな、と思いながら続けるしかなかった。続けられていたのか?
就活に関しては自己分析が出来ていなかった。結果、ほとんどの企業に落ちて、
一応推薦を出していた今の会社に受かる。試験を全部受けさせてもらえるという推薦なのでかなりギリギリの橋を渡っていたように思うが、
結局渡ったところで"渡らせてもらった"感が強くなってしまって、すっきりした終わり方というわけにはいかなかった。
でもそこをけってもう1年やるっていう決心も出来なかった。不安だった。就活以上に、研究をこれ以上続けたくなかった。
3年間ゴミのような試料を作り続けてきたために、時間を無駄にすることになってしまうのがどうしてもいやだった。
未だに自己分析がよくわかんない。やりたいことってなんだろう。
会社に入って何がしたいかもよくわかんない。何をしているのかも一応は説明できるけど正直詳細まで言えるかっつったら怪しい。
多分本当はやりたい事なんてなくて、ただただ生きていたいだけなんだと思う。生きてるだけで儲けもんだって言う言葉もあるけど本当にその通りで、
ただただ生きているだけの事をまず肯定してもらいたい。そんな事、肯定してくれる人なんて昔の祖父母くらいしかいないんだけどな。
豆腐メンタルだと人は言う。
まずやってみなきゃわかんないだろって声は多い、確かに俺もそう思うしどうやったってそうすることでしか抜けられない
でもガソリン欲しいもの 心奮い立つようなガソリンが欲しいんだって ああ生きててよかった、次の目標に向かって頑張ろう、
よーし次は○○目指してみるか とか思いたい
ガソリンの供給が無い状態でそういう精神状態まで持って行かなくちゃいけないのか?
タフでストイックでなくちゃいけないのか?みんな本当にそうなの?本当に?ねえ強すぎない?
何だよ豆腐メンタルって 言う側は放言しときゃいいよな別に俺の内心なんて推し量る必要もないだろうから
勝手にマウント取ってボコボコにしとけばいいし、そういう役回りかもしれねぇな
なんだ「まだ仕事辞めてないの?」って オメーラ冗談のつもりかもしんねーけど俺以外にその言葉使ったことあんのか?
安易に社会性が無い事を示唆して悦に入ってんじゃねーぞ殺すぞマジで
あと確かに今の会社はブラックかもしれないっていう話はまことしやかにささやかれてはいるが、
人の働くところにたいしてオメーラからブラックブラックいってんじゃねえ殺すぞ
働く意欲を入社前に挫くんじゃない
あんなに安堵した事は今までないってくらい安堵してようやく得た仕事先で、収入先で、
もしかしたらまた俺が心機一転できるようなところになるかもしれない組織
そんなところを簡単にやめると思うのか?とりあえずはやってみるだろ一応さぁ
俺は自分勝手だと人は言う 他人に対する思いやりが無いと人は言う
今までを思い返してみると、トラブルの元は確かにそういう所だった。的を射ている。
本当に人の事を思いやる気持ちさえあれば、きっと色んなトラブルが回避出来て今頃上手くいっているのかもしれない。
正直、人の気持ちを推しはかるのはとても苦手だ。自分なりに気を遣う事はある。
ただ、それはあくまで自分なりだからわからない事も多い。言われて初めて気づく事も多いし、それで以前の彼女は別れた。
他人の指摘を受け入れる気持ちが無いという指摘がある。そんなことはない・・・と思ったが、
上でいう仕事関連の冗談やら、人への思いやりが無いというところに非常にショックを受け、色々考えて傷ついたフリ?をしているあたり、
本当なのかもしれない。多分本当なんだ。
だったらどうすればいいんだ。25になって社会性も無い状態で。人への思いやりが無いから仕事でも失敗すんのかな。
するんだろうな。でも親父はそろそろ定年だし、"社会人だから"自分の事は自分でしないといけない。
何をすればいいんだ。誰か教えてくれよ。ワガママか。ワガママなのか。ワガママしか言ってねーのか俺は。
俺への指摘をするなら本当にそこも含めて教えてくれよ。わかんないよ。何すればいいんだよ。
よくわかんねーやグチャグチャだ。死ぬという言葉は軽々しく使うべきではないが、
元々無かった思考能力が度重なるブラックアウトでどんどん低下している今、すべてをリセットするという意味で一考してしまっている自分が嫌だ。
家計を圧迫しながらも続けたサークル2つが俺に残してくれたものはなんだったのか?
楽しい思い出と、その裏に潜む強烈な劣等感と嫉妬と、それと自分でぶち壊していった人間関係。
7年間で、一体俺はいくつの物を生み出して壊して、自分を血まみれにしていったのかはわかんないけど
とりあえず今そのすべてをなげうってどこかに行ってしまいたい
唯一歌だけは上手いって言われたけど、それだって、それだってさ。
結局今何も残ってない。
前に進むのってどうやるんだ。
何すればいいんだ。
ひょっとして何事にもやる気が起きないのを人から肯定されてないからっていう言い訳でごまかそうとしてるのかな
そうしたら俺の本当の気持ちってなに?よくわかんない
すげぇ落ち込んでるけどこの気持ちも誤魔化しなの?全部いいわけなの
じゃあ俺の本当の気持ちってなんなの
何がしたいの
どこに行きたいの
誰と生きたいの
自分で考えるってどうやるんだ
同期が、周りがまぶしすぎる
でもきっと俺よりつらい体験をしてたり、考える事をしてるからきっと俺より精神的に立派で、
じゃあ勝てないや
勝てないからってあきらめるのかって言われたら諦めないけど、諦めないなら諦めないだけのスタミナをつけなきゃ
でも結局周りにクソ迷惑かけて生きてきたのは周りからの証言でも確かでさ
こういうことをしゃべることも迷惑に繋がると考えるともう誰にもしゃべれねーよ
どうすればいいのかなー全部もみくちゃにして忘れてしまえばいいのかな
あーでも忘れたらまた思いやりを忘れてしまう
思いやりを忘れないようにしたら今度はこの悩みが芋づる式で出てきてしまう
結局精神性としては何にも変わってないんだろう
子供のころからずーっとこうだ いつからこうだったかはわからないけど、
多分おちゃらけて隠す事が少し上手くなっていただけで元の人間性は最悪なんだなと改めて感じる
セックスは俺にとって救いだったのかもしれない
一晩とはいえ、体を許す事は圧倒的な優越感と達成感を俺に与えてくれたような気がする。
だからこそそこに価値を見出してしまったが、結局その過程で人をたくさん傷つけてしまっている。
酒も絡んでの話ではあるが、抑圧された本来の人間性が出ちゃっているんだから世話無いね。
もし俺が今後の人生でまた優越感を見出すためのツールとしてセックスを用いるようになるんだとしたら、
もうセックスはしないほうが身のためなのかもしれない。
でも死んだ方が身のためなのか?俺が死んだ事で悲しむ人がいるかどうかはさておき、
死んで迷惑がかかるってのはほんとなのか?
誰に迷惑がかかるんだ?親か?周りの人はむしろ迷惑がかからなくなるだろ
あーでもあれか、無駄に罪悪感とか抱かせちゃうもんな、確かにダメだ
きっと爺ちゃん婆ちゃんも悲しむしなぁ
*観に行った当日に書いたものです。極力他人の感想等を見ない・聞かない努力をしています。
*とはいうものの記憶は薄れてしまっているので、読まれる方の混乱を防ぐためWikipediaなどのによりあらすじ・登場人物名確認を行った上で投稿されたものです。
*自省的なものです。レビューは他のかたの記事をお当たりください。
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映画を見なくて久しい友達が、ハリーポッターくらいしかまともな(?)映画を見たことのない僕に「観に行かへんか」と誘われ数々の選択肢から導かれて「聲の形」を観に行くことになった。
コミック未読の身としては、予告編の限りでは「普通によさそう」だと思い前向きだったが、相方はヒューマンドラマ的すぎて醒めてしまうのではないか、と消極的。結局後々の話題性(新学期の話のネタ)を考慮した結果がこれだったんですが。
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昼過ぎ集合、東宝の某劇場で別の映画を観るも機材のトラブルでサイレントに。7割は観たけど全額返金で謎のオトク感をかみしめ、軽食をとり松竹にうつる。
スクリーンにつく。若い人が多い印象。ぼくらみたいに男だけで来てる集団もかなり多かったような・・・
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主人公・石田が責任を負う形にはなるが、西宮に対するいやがらせは根本的には植野(黒髪の女子)から始まったように描写されている。
そもそもこの「いやがらせ」から「いじめ」への変遷で最も大きなものは、攻撃人数の増加・攻撃者の集団化だと思う。
集団化とは、ときに思わぬ人を巻き込むこと。川井(クリーム色の髪の女子)は集団化の被害者であり西宮への加害者である。
また、極端な描写とはいえ、教師の配慮の無さも事態をエスカレートさせている印象があった。
加害者追及(石田が全責任を負う)の場面は自分の小学生時代の記憶がフラッシュバックした・・・(加害者ではなかった分とても不愉快な記憶)
どれもこれも、人の未熟さゆえの出来事であり、高校生になった今、未だ未熟でありながらも、子どもたちはあの時の集団性を見返すのです。
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なんといっても、主要人物全員が橋の上で集まるシーンがこの作品の中核をなしていると思う。
広義的ないじめ加害者・観測者はすべてあの人物中にカテゴライズできる、と言っても過言ではないかもしれない。
そしてその一人ひとりに対し「主要な」いじめ加害者・石田が吐き捨てる言葉は的確であり、「こんなやつおるよなあ」と感心したくらい。
永束のキャラ性は決して浮きすぎず、むしろ重くなりがちな展開を緩和してくれてありがたい。
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途中に入れようとしたけど入れられない書きたかったところ。
すぐ「ごめんなさい」と伝える傾向にある西宮に対し、怒りを爆発させる植野の心情。
いじめは攻撃のある場にいるだけで参加しているようなものだ、と思う(陳腐ですが)。これを自覚できずただ流されるままの人間にはなりたくない。
たとえ偽善者と言われようと、嫌悪感を抱いたら行動は起こすほうがいい(身の上のためにも)。
島田(金髪男子・遊園地のバイト)はともかく、広瀬はWikipediaみるまで覚えてなかったんですが、なぜ彼らが石田の命を救ったのか。
・永束の扱い
記憶が正しければ劇場においてはいわゆる「正義の味方」役にとどまっていたはず(Wikipediaに載っているようなバックグラウンドは描写されていない)。ただこの一面だけであっても、実に典型的で現実的ないじめの観測者になっている。
・美也子(将也の母)の人物像
綺麗事を並べているわけでもないが、将也をはじめとした多くの人物に一言で影響を与えるとてもいい役をしている。画面にいるだけで安心する(?)。
劇場では厳格で冷たい人物であるように事故前まで描かれていた。館内で配られたSpecialBookでバックグラウンドが補完されている(ことにあとで気づいた)。
・そして、結弦
・石田・西宮が立ち寄った現代美術的モニュメント群は一体・・・?
はじめは金沢美術館あたりかなあと思ったんですが、舞台である岐阜の大垣市は結構名古屋寄り・・・今度調べなければ。
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全体的な感想としては、久々に映画を観るからか、とても楽しめましたし、精神的収穫もありました。
これが「日本映画の典型的なお涙頂戴」とは違う感慨であってほしい・・・
とりあえず自分の思ってたことはかけたので、他の人のレビューを見ていって補完していきたい所存。
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以下オタク雑感。
アニメをみてたのはほんの一時期だったので全話見て知ってるのは俺妹のあやせたんくらいなのですが(すでにうまい)、某動画サイトで異能バトルなる作品での名演が残されています。5分間しゃべりっぱなし・・・
あれはあれで暇潰しにはなるのだが、30分程度の娯楽でしかない。
下らないYoutuberと対して変わらないだろう。
今回の喧嘩は、虚勢をはって引くに引けなくなったknzzが漢にフルボッコされるだけの
話で、それ以上でもそれ以下でもない。
田代まさしなんてどうでもいいから、漢はもっと裏側で抗争を仕組む役回りになって
一皮向けてもらわないとつまらない。
Abemaとか金を持ったスケベな連中とギリギリを攻めてくれよ。
もっと、嘘か本当か分からないようなドギツイエンターテイメントを見せてもらわないと
ファンとしては退屈なんだよ。
もっと若手のYZERRとか担ぎ出して、ネタでしかない般若とか全くもってパッとしないAnarchy
を焚きつけるような全面戦争を見せてくれよ。