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はてなキーワード: 役回りとは

2018-07-09

それまでネトウヨ全開だった中年アニメーターツイッター垢に

「◯◯は亡くなりました。享年41」とか書き込む家族役回りにはなりたくねえなあ

どういう心境だこれ

2018-07-05

団塊ジュニア40代未婚女

搾取子、フリーター、都合のいい女、ブラック社畜飼い殺し派遣を経て

最近やっと正社員になれました。

人間的に信頼できる男性もできました。

私はただ運が良かった。

40代にして生まれてはじめてまともなボーナスをいただけて

それはもうありがたいし嬉しいのだけど

ボーナスもなく働いてきた今までなんだったのだろうと、悔しく虚しい気持ちにもなります

私はもう子供も望めない年齢なので、彼に結婚提案する勇気はありません。

男性はまだ望みがあるし、相手のご両親にも申し訳ない。

このまま流れに身を任せたらきっと私は、兄弟の中でもそういう役回りなので

両親の介護を引き受けて、時間お金気持ちの余裕も失って彼とも別れ

いつか介護が終わったら、私自身は誰にも介護される事なく世の中を憎みながら一人で死ぬでしょう。

老後の為に貯金したいけど、いくらあっても安心できるとは思えませんし

ここから貯金すごく頑張っても、もし自立できない状態長生きしてしまったら…

安楽死はやく合法化してくれないかな。

そしたら貯金はほどほどにして、今楽しめる事にお金を使いたい。少しくらい経済を回す貢献したい。

展望のない人生、いくつまで生きてしまうのか見えないのが何よりも怖い。

2018-07-04

午後7時28分になってようやくたどり着いた自宅

昼間の熱を蓄えた不愉快な風が吹き出て吐き気がする

こういう日は自分の青さに嫌になる

両親の離婚家族の不仲、人との別れ、正当とは思えない評価

求めるものはことごとく指をすり抜ける

わかっている、これよりも辛い事など世には溢れ返っている

この手の書き込みには甘えだと反応が来る

わかっている

わかっているのだ

それでも何かのせいにしたくて仕方ない

自分の何かのせいだとは思わない

容姿学業コミュニケーション、大抵は人並みかそれ以上の評価を勝ち取ってきた

手前味噌としても、低い評価ばかりではなかった

それでも、得な役回りは一度も回ってこない

ただ、友人と大切な人に降りかかる厄災を振り払いたいと思ってる生きてきただけのはずだった

彼らにありがとうと言われるだけで嬉しくて鳥肌が立った

今となってはそんな人たちも周りからいなくなった

残されたのは口先だけの称賛を受けるだけの、何も持っていない男だ

何が、良くなかったのか

どうすれば愛されたのか

俺にはわからない

2018-06-29

危険を警告するという損な役回り

社内のセキュリティ担当とか。この設定は危ないとか言って回るわけだけど。

年中そんな事言って煙たがられてると「たまには本当に何か起これ」という考えが脳裏をよぎって良くない。

もちろん起きたら他人事ではないので困るのだが、起きなくても正直面白くなくて苦しい。

サッカー日本代表決勝進出とその手段について

どこの国の代表がやったとしてもボロカス非難される事をやった日本代表

土壇場での監督解任とか、ナショナリズムと結びつけるとか、いろんな理由が混じってるけど、あの行為はどこの国がやったとしてもボロカス非難される事だった。

西野監督選手もそれは分かった上でやったことだ。

それだけ

どんなに無様でも「形に残る結果」が必要な状況に自らを追い込んだ日本サッカー協会日本代表

じゃあ何でそこまでやったかというと、これに尽きる。

博打が当たったからよかったものの、下手すれば消極的施策のせいで負けた上に形に残る結果もない、という日本サッカー協会の死につながる事態も起こりえるほどの大博打だったので、とりあえず博打に勝っておめでとう、で良いのでは?

今後まともな代表監督受け手は居るのか?

今回の博打の結果はよかったものの、土壇場の代表監督解任は尾を引く問題だ。

その前例を作り、そして結果も残したとなると、今後も何かあれば監督側に瑕疵あるかないかにかかわらず監督が切られる土壌が出来たわけで、わざわざこのような損な役回りを実績のある外国人監督が引き受けるのか?という問題は依然として残ったままだ。

お祭りの後が怖いなぁ、というのは東京オリンピックにも似た図式な気がする。

私たちはどうしたらよかったのか…

anond:20180629051631

どうすることが正解かは正直わかりません。

ただ、私だったらどうするか、何をしているかなら書けます

前提として、反論元の記事の方が、理屈の通じにくいタイプであることは私もなんとなく感じます

理屈よりも、口調のやさしさなんかを理解を示す優先度の上位に持ってくるタイプなのではと推測しています

なので、反論記事は実のところ元記事の方に宛てていません。

それよりも、元記事を読んだ事情の知らない方に、反論記事とセットで理解してもらえればと思っています

では、私を「ネットリンチ親玉」のように見てしまう人には何をするかというと、何もしません。

その代わり、私の周りにそのような人が居れば、なるべく寄り添うようにします。

例え私の文章を悪意をもって捉えたとしても、周りの人間理解して諭してくれれば、

自分の考えが浅かったことくらいには気づいてもらえるはずです。


今回の事件でも、私はID付では低能先生には何もしませんでした。言及すらほとんどしてません。

ほとんど言及していないのですが、はてなブックマークの芸風で言及しているので、

当然のように殺害予告はされている立ち位置に居ます

ですが、匿名ダイアリーの中では寄り添うようにしていました(暇な時だけですが)

相手罵倒しあって楽しみたいなら、私もそれに付き合います

無茶苦茶ではありますが、特定話題で論戦がしたいなら、私も付き合います

恐らく「ガス抜き」と言ってもらえたメンバーの一人には数えられていると思います

間違いは間違いとして発信し、寄り添える部分は寄り添える

一人が、誰かのすべてをまかなうのではなく、部分的に寄り添えるところを寄り添う。

批判をする役回りと、寄り添う役回りは別の人がすればいい。という考えです。

ただし、私はそういった無駄話が好きなので、匿名ダイアリーで寄り添えただけです。

大事なことは、「お互いが楽しいこと」です。

でも、それでは今回の事件が防げない。


今回の件は、私もまた「失敗した」状態なんです。

からこれから、同じようなことが目の前で起こらないようにするにはどうしたらいいのかを

考え続けないといけないと思っています

無敵の人を生むのは孤独です。

孤独というものは、単に一人でいるだけならさほど感じないものです。

逆に、人の輪の中に居ても、人とつながれないと実感したとき孤独を感じます

まり自分にあった場所に居られれば、孤独は感じません。

誰もが会話をせず、黙々と作業だけする職場に居れば孤独を感じない人もいます

人と話すと主張を優先して縁を切ってしまうのなら、カウンセリングに行くのも手です。

カウンセラーさんとなら繋がっていられるというだけで孤独がまぎれる人もいます

でも結局「変わろうとしない人に何をしても変えられない」ということです。

なので、「変わろうという気持ちになってもらうのを寄り添って待つ」が、

今後も変わらない私の方針になるのではないかと思います

※ちなみに、元の文章は実は勢いに任せた殴り書きで30分もかかっていないのですが………心苦しいです

反論というのは熱量があるうちでないと勢いがでないので、あえて殴り書いています

2018-06-07

どれだけ取り繕っても、ローズだけを批判するのは人種差別しかないだろ。確かにおいしい役回りだったかというとそうじゃないけど、最後ジェダイは軒並みカス無能だったのだから、全員批判しないとおかしい。(最後ジェダイ好き派の意見

2018-06-04

GMの小言

PLもGM参加者のはずなのにGMだけ無駄に心労が増えるのは何故?

何故連絡をしないのか何故報告をしないのか何故相談をしないのか。

これは確かに遊びではあるし仕事ではないよ。

からって社会常識をないがしろにてる奴を注意する人間が悪になるのか?

時間を守る、一言事前に相談する え?たったこれだけでしょ?

GMに対する返信、連絡は参加意思だと思っている

から返信がめんどくさいならそもそもTRPGをするなという話

だってそうでしょ?これはコミュニケーションあってのゲームなんだから

GMやったこと無い人を見下すわけでもPL専が悪いと言ってるわけではないけど

上手に出来る気がしないかGMはしないって言うならもっとGMの事を考えて行動したら?

そりゃやりたくないよねこんな無駄に心労と時間がかかる役回り

自分他人のことを考えられないし、だんまりしとけばいいと思ってるんだから

でもね、私はTRPGが好きだからGMをやるんだよ

おんなじ好きなはずなのにね おかしいね

2018-05-30

anond:20180530100008

理屈なしに設定を起こす設定厨とそれを諌める設定警察の間で設定自体合理性擁護するという役回りの設定弁護人って存在がいることも忘れちゃいけないよ。

例えばガンダムにしても「宇宙で2足歩行人型とか意味わからん無駄だろ?」みたいなのに対して「AMBACシステムというものがあり、腕や脚を推進器替わりに動かすことによって安定した姿勢制御可能とし、なおかつ近接戦闘有効三次元機動が行えるようになってる」みたいな弁護をするぜ?

2018-05-25

anond:20180524231941

加害者というのは「加害者」という損な役回りにさせられてしまたかわいそうな犠牲者すなわち被害者なんだよ

被害者ふぜいが加害者という被害者配慮もせず危害を加えていく加害者になっているという被害者になっていることを棚に上げ

加害者になっていることを被害者であることの権利と言い張って根拠なく加害者を責め立てるのはただ加害者被害者であることを証明するだけではないのか

2018-05-19

anond:20180519015352

感受性はあまり関係ないというか、どちらかというと低い。

キャラクターイレギュラー情動言動に対する許容度が低いのは、人間の複雑さに対する想像力が乏しいせいで寛容性を失っているってことだから

あい人達は、道徳規範規則性・一貫性に対してものすごく(それこそアスペ並に)執着する融通のきかない考え方に何らかの理由で陥ってる状態だと思われる。

ものすごくゲスだったり浅慮だったりする言動をするキャラがいて、物語中で空気を悪くしたりして、そういうのに対して苛立つ人が多いんだよね。

でもそういうキャラは、そういうキャラになるだけの人生を送ってきていて、そういう役回りの人が必要から存在させられているんだ、と想像してあげるのが一般的な受け止め方だったはずだ。

あとシリアス展開とか、あと共感性羞恥が働くようなアチャーな場面とかを異様に忌避する人たちもいるけど、彼らは何事も起きない萌え日常系アニメみたいなもの制作思想に心の受容体が変形しきってしまっているんだと思う。

ふつう物語では衝突や失敗を経て人間的成長を描くことは避けられないし。

2018-05-11

anond:20180511153347

自治会から青年団からってやることは、祭りの準備や、道の草刈り、溝の掃除ぐらいで、別にこれぐらいなら40代ぐらいの人たちで十分できるから参加してもらわなくても結構だし、その時用事があるならそっち優先でもOKっていうのもある。

問題消防団だな。あれは入っている限り必ず役回りがあるし、顔だしとけばいいってもんじゃいから。

2018-04-25

オタク男性だけ」っていう話について汲み取るべき部分

多分皆色々思うところはあるだろし

結論から言うと彼(ちょこっと調べたけど"彼"でいいよね?)の

女性オタクとは認めない」

っていう立場は俺は基本的には取らない。


ただ、彼の気持ちについて一定程度汲み取るべき部分はあるのかなとは思う。

要するに彼のいいたいことは

オタク苛烈差別されていた1990年代女性オタクオタクであることを隠して事実上男性オタク差別に加担していた」

と言いたいんでしょ?


当時を振り返る時によく女性オタク

女性オタク社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」

って文脈で語る人がちょくちょくいる。

でもこの"言い回し"は社会的な批判を受ける役回り男性に肩代わりしてもらって自分は影に隠れて利益享受してたようにみえるんだよね。


いじめを見て見ぬ振りをした人は共犯者です。」っていう言葉がある。

その前提を踏まえた上で例の"言い回し"をする人について考えると

オタク差別共犯者でありながら、現在自分ポジション男性オタクより更に弱者に置こうとする卑怯な人」

っていうあまり褒められない行為をする人に見える。

当時学生だった人が友達グループの中で「クラスの中の気持ちわるいと言われてる男性オタク」の話になってやむを得ず、特定の人の悪口・陰口に付き合わざるをえなかった人はいるはず。


もちろん俺個人としては、そもそもあの時代でも女性かつオタクと名乗っていた人はいたと思うし、そもそも実際に差別行為主体となっていたのはオタクではないんだから身内で争うのも馬鹿馬鹿しい。

それに、一部の人が隠れていたからと言って全ての女性オタク全体に適用するのは範囲を広げすぎだと思う。

社会全体としては女性は隠れて男性オタクと名乗っていた傾向にあったとしても、局所的には逆パターンもありえた。

まり女性オタクオタクと周りからまれていた状況で男性オタクが鳴りを潜めていたパターンは極普通に存在するだろう。


なので上記文脈を踏まえると俺は

女性オタクになりえない」

という主張はしないし、ちょっと理屈でいってもありえないかなとは思う。


ただ

女性オタク社会からの抑圧が激しかったので男性のようにオタクと名乗ることは出来ない人が多かった」

という"言い回し"をする人(女性というわけではなく)に関して若干もやもやした感情を抱くことは俺もあるかなとは思う。


まぁ被差別層におけるあるある話っぽいけどね(笑

どこにいっても蔑ろにされる

とAさんから相談を受けた。

いわく、今の職場に勤め始めて数ヶ月、きちんと確認せぬままAさんのせいにされたり、嫌な役回り押し付けられたりするとのことが何度もあり、ストレスが溜まるとのこと。

マネージャーの指示は朝令暮改、お局の当たりも厳しく、なんで私(Aさん)はいつもこんな目に遭うのだろうと。

そういう風に接しやすキャラクターなんだろうかと。

その場では、「大変だね、みんな自分を守るので精一杯で大変だね」、「そんな言動取られたら参ってしまうね」、「皆が苦手なこと嫌なことをお願いするんだったら、アフターケアはして欲しいよね」などの言葉をかけた。

が、聞くと前職・前々職でも同様のことがあったようで。環境が異なるにも関わらず再現性高く問題発生しているのは、Aさん自身に何か問題があるのではと思ってしまった次第。

もちろん、いじめセクハラと同じでそういう接し方をしてくる方が悪い、というのは大前提

本音を言うと、

・周りの言動に何かアクションを起こしたか

・本当に自分けがそういう言動を取られているか

環境共通因子はないか

・周りのせいにしているのはあなたではないか

など言いたい気持ちに駆られるんだけど、さすがにねぇ。

おそらくAさんはまた職場休みがちになるだろうし、きっと長続きしないだろう。

他責思考の闇は暗く深い。

オタク差別批判することを、やめることにします。

 趣旨は上の通り。

 自分オタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。

 ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。

 オタク差別批判とか、ただの害悪しかない。もうやめたほうがいい。

やはりオタク差別なんて(言うほど)なかったんじゃないのか。

 

 差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。

 つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである日本人ヘイトだの専用車両男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃん物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。

 今まで自分存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである

 そう視点を変えた方が、いろんなもの整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。

 でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴から足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子彼女からだったりした。

 もちろんきっかけがオタクから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。

 「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないか批判対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。

 なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタクから流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。

 わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。

 いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。

 

 そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティニュースを通したもの

オタへの偏見を植え付けたのは誰?

 それで思い出すのだけど、俺の中高時代あんまりオタクがいいとか悪いとかい意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。

 じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。

 だってバラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間学校にいるんだから見るわけがない。

 金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。

 テキストサイト一世を風靡していたころ、オタクオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画感想サイトや、漫画ゲームをメインで扱う日記サイトでの話である

 何を言っているかからない人もいるかもしれない。例えば、ラブひないちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイホイッスルミスフルテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんもの(ry そういう話である。この範囲結構広くて、らんま1/2H2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。

 もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈実例を挙げるの風評被害しかないので避ける。俺の好きな作家作品も混じるし。

 テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品スレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。

 そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージ自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分オタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。

 ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑ものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。

 これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。

 ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画リドミで上位常連大手サイトオタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化そもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画インターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。

 本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。

加害者としてのオタク行方不明すぎる

 これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。

 オタク差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。

 それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別行使する側の「集団」として機能してませんか、と。

 腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。

 趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記尊重)。ゴルフ車など老害趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。

 そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。

 それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分批判対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである

 逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解思想共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。

 つまりオタク文化加害者としての側面を見ないふりするか、オタク勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。

 C.R.A.C.野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイート応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまたからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか野間氏の真意など知らないけれど。

 

 そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子フェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタク差別している、という文脈批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。

 そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。

 10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言すべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。

 当時はオタク個人ニュースが全盛期。そういったサイト管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログ擁護していた。

 あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやり邪推してしまう。

 今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分関係ないところでの言論の自由に興味がないかしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。

 そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。

 オタク差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。

 反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別煽り偏見煽り強者に諂い(自分たち以外の)弱者嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。

 あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベットフリー東トルキスタン

 残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベット東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか


 こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうであるメディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。

 もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。

 そういう意味でも、失敗した責任を感じる。

2018-03-23

宇宙人として僕達ができること

地球外には全然生命体が見つからないそうだ。

我々と同じかそれ以上の知的生命体ならなおさらだ

でもそんな高度な生命体がまだやってきてないところを見ると、どうやら人間が滅びるまではニヤミスすらしなさそうですよね。

だって宇宙って広いじゃん。最小単位が億年とかだからね、気分的に。

これって超ラッキーだよね。

だって全く同時期に宇宙人が近所にいたら速攻侵略にされちゃうでしょ。

今もう超ラッキーなんですよ。

宇宙人権イタダキですよ。

宇宙人権っていうのは「宇宙人だーにげろー!」って言われる役回りの人たちになれるってことよ。

侵略者側、即ちコンピュータウイルスを送り込まれシールドを無力化される側!

我々はいつもそうやって宇宙人権を他人に取られる事ばかり考えてるけど、我ら地球人の方こそその権利を獲得する可能性が99割なんだよ。

そうなるともう探しに行くしか無いよね。宇宙人を。

SFみたいな単位宇宙を移動して、はいつけました僕らみたいな宇宙人。

こんにちわ地球から来ました。」つって。

その頃の我が文明レベル終末時計が3日分くらい過ぎてますからホンヤクコンニャクなんて朝飯前。

そしてまず、

「なんで我々の言葉分かるの!?」って驚かせるよね。

次はテレパシー

「(こいつ、脳内に直接・・・!?)」

を我々地球人がするなんて感慨深いよ。

・・・でもなんか違うんだよなあ。

だってそんなのただの宇宙人じゃん。

ぶっちゃけ宇宙人ならホンヤクコンニャクだろうがテレパシーだろうが出来て何ら不思議じゃないよ。

もっとこう、想像もつかないようなド肝を抜いてやるのが宇宙人権を持つ民族矜持しょうが

例えばこの前なんか俺会社社長に連れられてすんごい高いお寿司を食べに行ったんですよ。

1食5マンくらいするとこよ。飯に5万て。一人前で。ビックリ🤭。

くら寿司で1200円も食べたら大満足の人ですよ私は。

でもね、正直世界が変わるほどうまいと思えなかった。

「あっうま!うんまいなー」ぐらい。

週明けになったら忘れてる程度の感動しかなかったの。

でもねでもね、5万の寿司社長に、「めちゃええとこ連れてったるよし!おいで!」

って連れてかれたところっすよ。

そして俺の中で始まる「いかにわざとらしくなく最大級の賛辞を言い連ねるか大会」。

宇宙人に来襲される側も同じよ?

下手な高度文明シミュレート済み。

「なっなんだこいつら!?(まあ宇宙人っしょ)」

「信じられない!(でも実は○○(小説マンガ)でこの展開見たことあるんだよなあ)」

「我々は滅亡する・・・B級映画みたいなセリフ・・・死にたい・・・)」

という冷めた感情テレパシーで読み取れるわけだ。悲しい。

そんなのイヤでしょ。賛辞大会なんて起きないくらいの本当にうまい寿司食わせてやりたいでしょ。

から我々が宇宙人として誇れるような振る舞いを議論することは宇宙人権獲得の日を迎えるまでにやっておかなければならないのである

分かる?

2018-03-18

anond:20180318125354

それは容姿に対するコメントなのかしゃべりに対するコメントなのかが重要な気がする。最初DAIGOが売れはじめたときは「顔は良いけど、発言がアホ過ぎるからしゃべるな!」と思ったのを思い出した。

ただ、彼が今なお皆が期待するようなお馬鹿発言をし続けているのを見ると、「自分がどんな役回りを求められているか」をよく理解しているサービス精神にあふれた人なのかも知れないと思う。

2018-03-15

anond:20180315163353

それはわかるけど、自分観測範囲でも和製ドラマでも、そういう役回り(配り係)って女の人だよね

そんでそれを受け取る男性とかは、別の人との会話を全く途切れさせるでもなく当たり前のことのように振る舞ってるっていうとか

2018-03-11

ヒロイズムを誰もが理解できるわけじゃない

俺は子供の頃、ヒロイズムなんて知らなかったから、アンパンマンを見てもウルトラマンを見ても、ディズニー王子様やそのほか諸々を見ても、「男は汚れ仕事を背負い、女は何もしないで幸せになるもの」と刷り込まれて育った。

「男がヒーローで主役で女が『良くて』サポートなのは男性中心的」と言う見方があることを知ったのはいつだったかからないが、まあその頃にはヒーローものアニメとかは見なくなってたと思う。

『良くて』にカギカッコをつけたのは、「何もしないで『トロフィーのように』結婚するよりは、サポート役であっても役回りがある方がマシだ」と言う見方も俺にとっては直感的じゃなくて、後からそう言う見方があるもの知ったから。

ある物語形式が男女の性役割表現しているとしても、どっちが中心的であるとか、ましてどっちが『良い』とか『軽んじられている』なんて注釈なしで語るのは飛躍だからやめて欲しいし、少なくとも飛躍であることに自覚的であって欲しい。

https://anond.hatelabo.jp/20180309162913

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。

男が女装して戦闘兵器子育てのために逃げ出した乳牛を運び政治は女がやる∀ガンダムから何年経ってこんなこと言ってんのいやマジで

1979年機動戦士ガンダムですらすでのこういう舞台装置なんかとっくに回避しているし、1983年Zガンダムでは女の名前を持った主人公男性役割を求める社会的圧力翻弄されていたけどなんで30年も後のしょうもない外画だけ観てこういう事言うの?

アホなの?

2018-03-10

anond:20180309162913

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。

これとは直接関係ないけどさ、割と真面目に思うんだよ

なんで男が無理して命を投げ出してまで、強者の役を目指さなければならないのか

答えは簡単、そうしないと女にありつけないからだ

女の運命を変えて、それこそ生まれ変わらせるほどの力がないと、男に価値なんかないの

逆に言えばね、女のサポート役で女体にありつけるんなら、男は地の果てまでもサポートするってw

それが成り立たないのは男の都合じゃない

ただあっちが、自分を生まれ変わらせてくれる王子ヒーローにはしょうがいから体を提供するけど、

絶対必要なわけでもないサポート役には出し惜しみするってだけのことだ

フェミというのはいつもいつもそういうのを「男の呪い」ってだけで片付けて、

さも自分たちは一切関係ありませんみたいなツラしてるけど、それ男や男社会だけのせいじゃないか

女側の要請という面も間違いなくあって、むしろ男に呪いをかけているのは女ではないのか? とすら思うけど

まあでもぜってー認めやしないんだよなあ

https://anond.hatelabo.jp/20180310172114

シェイプオブウォーターを見て、「女の役回りはいっつもこう。異形にも無償の愛を注がなくてはならない」とか文句垂れてる女を思い出した

結局どうやっても文句付けられるんだよな あんなの絶対役回り逆だったら今の数倍その手のおフェミ発狂してそうだし

anond:20180309162913

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。

ほんとこういうロマン好き。意識の高い女性から「こんなのもう古いよ!」「火にくべちゃおうよ!」って言われるのつらい。意識低くてごめん。

2018-03-09

男たちは呪われているのか-「アナ雪」のクリストフに見る脱ヒーロー

若干話題が古いけど、こういう対談がある。

アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html

ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。

この対談、女の自分から見ると「???」なところが多くて、

>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデル攻撃しないといけないのかと」

というくだりには被害妄想めいたものを感じてしまった。

クリストフ王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独変人だけど、仕事家族を大切にしている。

そこらの王子モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま人間らしく描かれていると思う。

ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。

そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性心理っていったい何なんだろう???

個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。

そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)

そんな感じで「脱プリンセスありのままわたし運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーローありのままのおれ」運動全然進まないように見える。

こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、

あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。

日本では特にその傾向が強いのではないかと思う。

からそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。

男性社会最高神であるヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。

ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。

かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。

だけど、すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀アナログすぎる。

から多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

ヒーローにならなくていいし、「ありのままのおれ」でいい。

多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会解体が、今世界的なムーブメントになっている。

ただここからがやっかいで、男女関係や性の問題だ。

男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。

まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。

より多くの美しい女を取得することを自己価値バロメータとして、他者と比べあい自分いじめるみたいな悪癖がある。

女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解範疇を超えてくる。

そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。

そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。

そもそも自尊心自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。

やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。

そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャル価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。

社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。

社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。

脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性意識問題なのだと思う。

ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。

クリストフみたいなキャラクター否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者尊重すること。

旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやか自分自身の中に自尊心を見出すこと。

そのへんが大事なんだと思う。

ツイッター観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。

男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷解放だって女性社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)

そういう引き算がこれから時代大事なんだろうな。

呪いをひもとく面白プレゼン動画

マイケル・キンメルatTEDWomen 2015

なぜジェンダー平等が皆のためになるか―男性を含めて

https://ted.com/talks/michael_kimmel_why_gender_equality_is_good_for_everyone_men_included?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=tedspread

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