はてなキーワード: 役回りとは
この作品が全く不人気なのは十中八九主人公ヒイロが雑魚なせいだろう。
特に双星の陰陽師にもいるが、小さな獣キャラが邪魔であったり空気であったりにも拘らず
実は重要キャラなんじゃないかと思わせておいて完全に置物であるのが問題である。
そして主人公ヒイロは序盤で重要な役を担ってて1話で青年になった時も思わせぶりな態度や身のこなしで
あれから随分色々な所が成長して強くなったんだろうな。松岡君がCVだし期待しとこう。
そう思ったら実は全然弱くてとてつもなくつまらないアニメだと判断してしまった事だろう。
正直従者のおっさん(ギルー)が主人公でも何ら違和感がない程ヒイロに何ら魅力を感じない辺りが問題で
更にドラゴンの口からやってきた謎の少女サラートが今の所どんな役回りかもわからない。置物2である事。
可愛くてキャラが立ってるのはヒロイン中敵のシャリシャルーちゃんだけだという事にも注目したい。
というわけで本作のヒロインは全くといっていいほど空気であり、ヒイロの傲岸不遜な態度はゴクドーくんを彷彿させる懐かしいキャラクター振りにも拘らず
全く役に立たない上に全く魅力的でないし置物の癖に出しゃばって、主にギルーに助けられるのがパターン化してるため、
こんなにも出来損ないなヒイロを笑ってみられる程人間が出来てるとは思ってないと視聴を切る人が続出したのも頷ける。
全く面白くないアニメを視聴し続ける俺かっけえ!と思いたい人だけ見続けるのが良いだろう。
無論俺は見続けるぜ!
人の評価で人が死ぬという事態がどれだけ恐ろしいことかを知った方がいい。
巷でたまに人事評価に使われている360度評価ってやつは、あれは闇だ。恐ろしい制度だ。
結局、人格なんていくらでも否定しようと思えば否定できるんだよ、
究極的な話、単にそいつが人気かそうでないか、それだけなんだから。
360°評価だとか、人間性がどうとか社会性がどうとかいう論議の恐ろしさは、元来労働者でしかない存在の評価をアイドルや声優と同じ土俵にまで上げてしまうことを意味する。
そういう不安定な職業につきたくないから、安定したサラリーマンを選んだはずなのに、労働によって何らかの経済的価値を還元しているはずなのに、
どういうわけか結局アイドルや声優と同じような人気度の評価でそいつの経済価値が決まるという恐ろしい現象を生む。
はっきり言うが、人に好かれるために生きる人生ってのはクソだ。
『不必要な人間なんていない』なんて言葉は戯言に聞こえるかもしれないが、実は経済の仕組みを考えると『不必要な人間はいない』ことをわりと簡単に立証できる。
学問的に言っても、やはり『いなくていい存在なんてのは〝いない〟』のだ。人は死ぬまで何かを消費し、生き続け、存在し続けるだけで何らかの貢献をしている。
経済を支える根本的な思想は『人がそこにいて何かを消費し続けること』だ。消費を続けることには勇気がいる。信用が必要だ。
この消費によって回転が続くことこそ、経済の発展と社会の発展だ。それが個人の生存を容易にする。そのシステムの回転を信じて活動する人間の総数の和が多ければ多いほど、その社会の経済は強くなる。
日本円がリスクヘッジに選ばれる理由は、相互信頼システムが機能していたからだ。戦争を経験した世代が持つ共通認識がそれを可能にした。大きなストーリーが社会にあったから、だからシステムが上手に機能していた。
原理原則にそって考えれば、巷で言われているような『老害』だの『不必要な人材』だのという存在はほとんどいない。認知症を抱えたご老体ですら、施設に入って何らかの消費活動をしている以上は、経済活動に携わる重要なひとつの構成要素だ。
そのご老体という資本が生み出す年金によって福祉施設は収益を得ている。
死ぬまで誰かの役に立つことが出来る。いなくていい、要らない存在なんてない。それが本来の経済のシステムだ。
循環することが本質なのだから、その媒介として存在しつづけることと、経済活動を続けることこそがその人の価値である。
ロード・オブ・ザ・リングでガンダルフがゴラムに言及したときに使った言葉は注目に値する。
〝『善か悪かはともかく、ゴラムにはまだ役割があるとな。そのときが来れば、ビルボの憐れみが多くのものの運命を決することになるかもしれん』〟
いつその理由が明かされるかは不明だが、ひとまずそっとしておいた方がいい。
アダムが述べた〝見えざる手〟は、いちいち評価を見える化しなくとも、水面下で勝手に進んでく。
だが経済原理そのものが消費を前提にしている以上は、ひとまず参加者全員が構成員であり、敗者もまたひとつの役回りでしかないことを肝に銘じるべきだ。
世界にストーリーが必要とされているのはそこに信用システムが機能するからであり、本質的には経済もひとつの宗教でしかないのだから、ある思想やストーリーの元で弱者、あるいは低評価であるからと言って絶望すべきではない。
今後評価経済にさらされた個人は、現代においてはもはや単なる労働者というひとつのジャンルとしてではなく、一個人として全方位からの評価にさらされる激烈な世界へと突入することになるのかもしれない。
そのときでも希望を失うわけではない理由として、経済原理にさらされた労働者の状態を簡単に説明している有名な宗教の聖典の言葉を引き合いに出すことがふさわしいと考える。
『あらゆる面で圧迫されながらも
動きが取れないほど締めつけられているわけではなく
困惑させられながらも
逃れ道が全くないわけではなく
迫害されながらも
見捨てられているわけではなく
倒されながらも
滅ぼされているわけではありません』
つまりほどよく生きて、ほどよく消費して、なにもかも思い通りになるわけではないが、何もかも思い通りにならないわけでもなく
惰性で生きていけるほどに楽ではないが、死ぬほど辛いということもない世界で生き続けるのだ。
そして最終的に物事は収まるところへと収まるということを知りながら、
ちなみに、本作で一番株を上げたキャラはにこだろう。
彼女は出番こそ決して多くなかったものの、登場するたび印象的なセリフや立ち回りを披露し、それを中の人であるそらまる氏が完璧に演じきっていて素晴らしかった。
特に5話の「アイドルっていうのは~」というセリフ、12話の「あんた、それ本気で言ってるの?」から始まって激昂するシーン、いずれも本作屈指の名場面である。
結果として、気難しいところもあるけどそれ以上に可愛いところもいっぱいあって、実は1年生組と一番仲が良くて(面倒見の良さを想像させる)、そしてアイドルに対する強い想いが芯にあってと、これでファンが増えないわけがない。
アニメ以前2010~2012年の矢澤にこがどれだけ可愛くて個性と魅力を両立させていて強く期待を背負ったキャラだったかを知っているとなかなか上記のようには思いがたい。むしろアニメ化の被害者という印象の方が強い。
これが曲者で「印象的」と曖昧な言い方で誤魔化してはいるが、印象的なだけならアニメ前のにこも十分に印象的なセリフばかり残している。むしろアニメ前のキャラクターの方が印象的かつアイドルらしく可愛いセリフや立ち回りが多い。
アニメ前の設定を馬鹿にする新参系や流され系のファン(実質アンチ)もアニメ前の矢澤にこについては「キャラのクセが強い」、「キャラがキツイ」とよく言っている。クセが強い、キツイというのは個性の強烈さの言い換えとも言える。つまりアニメ前の方が印象的なキャラであることを認めているようなものでもある。
アニメ前や原案作成者の公野櫻子系作品の矢澤にこは常に理想のアイドルになろうとしていた存在だった。キャラ作りではなかった。キャラ作りだとしてもプライベートでもその作ったキャラのまま振る舞うキャラクターだった。
その姿勢はアイドル活動に疎い他のメンバーからも尊敬され、一目置かれている描写も多々あった。そのにこのキャラクター性には(公野媒体のギャグ度が弱い)海未ですら翻弄される描写もある。
アニメ版の矢澤にこは花陽と絵里以外には基本的にいつも馬鹿にされている。意識だけ高い振りするウザい奴という扱いのクズである。
一方でアニメ版も印象的なキャラではあったが、良い意味で印象的だったのは最終話付近で穂乃果に檄を飛ばす所くらいであり、寒い天丼ギャグ扱いのために花田十輝が拵えた改悪キャラクターとしての役回りが中心である。
それでも、最終話付近は穂乃果をはじめとした周囲のメンバーが腑抜けていたのと対照的にアイドル活動への熱意と執念を見せるセリフや行動で株は上がっていたのは確かである。
ただ、アニメ以前と比べたら少なくとも株は上がっていない。アニメ1期直後に新規投票者が増えたことで人気投票の度合が増した総選挙の順位も下位を低迷し、最後にようやく自己最低タイの5位に滑り込んだ形であったことからも、1期終盤の展開もあまりカバーする効果がなかったことが明らかになった。
その他、各種ネット媒体での評判を見てもアニメ以降、矢澤にこ=クズ、馬鹿、無能といった印象ばかりが定着してしまい、矢澤にこはアニメで最も株を下げたキャラクターであるというのは当時を多少知る人なら分かるはずであるし、それを認める書き込みや同情の風潮も1期から2期の途中までは他のキャラよりは多く存在していた。
実際にアニメ以後、矢澤にこといえばクズというような扱いのネタ系のスレッドや書き込みが増えて定着していった。
また、そこにアニメ制作側の悪意に近いものが存在していることも、その後の2期で海外ドラマglee盗作問題が浮上した際、glee元ネタ回の損な役回りをことごとく矢澤にこに当てていた所からうかがえる。2期4話や6話は脚本プロットもgleeの元ネタ回に近いが、2期4話の元ネタではにこに当たるキャラは最終的に同情を買うキャラでマイナスイメージは無いストーリーになっているが、ラブライブ2期4話ではフォローがなくただの痛い奴という扱いのまま、メンバーのご厚意で許されたようなギャグキャラ的扱いの流れで終わってしまう。最後のソロライブすらライブシーンはなく終了。6話でも元ネタ同様の憎まれ口を言わせる役をわざわざにこに当ててしまっている。
ただ1シーンならそういうシーンとして認められるだろうが、元からいちいち頭や性格の悪い発言をさせる役をことごとく矢澤にこに当ててきた上でまた駄目押しのようにそのようなセリフを与えたことで呆れたファンも少なくなかったようであり、そこでは既に盲目信者の割合が増えていた当時のラブライバーでも流石に疑問を抱いた者が多かった。それが後のglee盗作疑惑の発覚にもつながったかもしれない。
しかし、この記事の筆者に限らず2期以降はまともなファンが見限って消えた影響もあるのか、ラブライブファンの中心は感覚と思考が麻痺したファンばかりになってしまったようである。
2期途中まではアニメ制作の矢澤にこの扱いを特に問題視したり、かつてのファンに同情したりするファンが結構いたのだが、段々とそういうファンがいなくなり、たまに内容に踏み込んだ批判をする人が現れても、「アニメの被害者は目に見えて出番が少なく映像付きセンター曲もない海未と花陽だ」とか、むしろ「出番は多いが変な行動ばかり描かれた穂乃果が被害者」だとか、
基本的には即時的で短絡的な感情からの物言いをするファンが多く、1期から2期途中まで比較的多かったアニメ化の被害者の代表格が矢澤にこという意見は殆ど見当たらなくなってしまった。
もしかすると、アニメラブライブにおける矢澤にこの描写の問題点を指摘しようとする際、どうしても「アニメラブライブのキャラクター描写や脚本がgleeの盗作ネタがあり、その影響でキャラクター改変を受け、損な設定や役回りを与えられたのが矢澤にこ」
という事実にぶつかってしまい、彼らがなんだかんだいっても大好きなアニメラブライブという作品の根本部分を痛烈に批判・否定しなければならなくなるから避けているのでは、と邪推してみたくなるほどである。
ラブライバーは騒動が段々と大きくなるにつれて当初は問題視していたファンも割と存在していたのにパクライブことglee盗作疑惑の件には頑なに口を閉ざし、批判者を雑に馬鹿にして精神的安定を図るのみで、その問題についてはまともに語ろうとしない所からも本能的に避けるようになった節がある。
スクフェスを制作しているKlabがgleeでスクフェスみたいなゲームを作ったから円満解決とか考えるアホらしい解釈もあるようだが、そういう簡単な問題ではない。仮に盗作が許されたとしてもそれでOKという表面的な話ではないのだが、やはり作品の内容については愛しておらず、ラブライバーをやっている自分の地位だけが大事と噂されるラブライバーという人種はその地位さえ守られたら安堵できてしまうものなのだろうか。
1期の後は、この記事の筆者も実力を懐疑的に見ている花田十輝氏によるキャラクター大改悪により、
人気はあるようだが、大半はチビロリ黒髪ツインテールという記号としての見た目と声優で見ているのが大半であることは、彼らに好きな所を聞くと2期以降の話が殆ど出て来ないことから明らかである。
実際は上に述べた見た目や声優のことだけが好きな理由であり、1期で少しだけ見せた良い所を拠り所に、好きな所を聞かれたらそれを答えておくという状態だろう。
それはそういうものとしていいとは思うが、それで出来上がった人気を根拠に、人気が出たのだからキャラクター改変は成功や正解というのは通らない。
そんな記号や声優という要素さえあればいいならアニメ以前のまま変更する必要は皆無だった。作品内人気の面では今以上に定評があった。
徳井青空は大半が新人若手で構成されていたラブライブ!の中でも早い段階でキャラクターに適応した演技を見せていた。
ニコ生内で、自分で考えてキャラクターのセリフを演じるコーナーでも他の声優より抜きん出て台詞考案と演技が上手かったし、アニメ以前の矢澤にこのキャラクターをよく理解していた。
それもあって作品としては黎明期であった当時の矢澤にこの人気と評価は高く、作品の今後を背負う大きな存在として期待されていただけに勿体なく残念である。
電撃ラブライブ!3学期の花田十輝氏もこの記事の筆者と同様にアニメのそらまるの演技を評価しつつ、徳井青空のおかげであの改変したキャラ設定がものになったみたいなことを言っていたが、徳井青空の演技力を過小評価している。アニメ版矢澤にこを見てアニメ版ミルキィホームズのネロの延長線上でああいうキャラ付けにされたような印象を感じた人は当時多かったと思うが、徳井青空はもっと他の演技もできる声優だと自ら矢澤にこを演じて証明していたのに何故あんな薄く浅いキャラクターに改悪してしまったのか、とても悲しいし悔しい。
ラブライブ!のアニメシリーズというのは結局の所、京極尚彦氏と花田十輝氏のストーリーやキャラクター描写を行う上での無能さを知らしめるための作品でしかなかったし、その最大の被害者は矢澤にこだった。
働きたくないとか楽して生きたいとか言ってる奴の気持ちが全く分からん
http://kopelani.hatenablog.jp/entry/2016/03/13/043942
俺の実家は私塾やってて、近所の子供たちの溜まり場みたいにもなってたから、
一通りのハードとコントローラーと人気ソフトは取り揃えてあったんだけど、
俺はそれらを全部自分で試して、どれ一つとして面白いと感じられなかった
ハマる奴が出てくるのはまあ理解できたけど、心がワクワクするような感じが一切ない
結局どのゲームも、「あなたはこういう役回りです。今はこんな状況です。だからこれをやりなさい」
ゲーム内世界がどれだけ広がろうが、究極的にはこれの繰り返しなんだよね
それがそもそも楽しいと思えないんだよ
でも出来ることは、つまらないままとりあえず生きるか死ぬかだけ
楽しもうと思わなきゃ楽しめない
俺にとってはその時点ですでにクソつまんねえんだわ
バカなんじゃないかと思う。
なのに自分は確実に正しくて、自分の悪いところは認めず、弱さを隠すために愚痴ばかり。
なのに周りの愚痴ばかり。
先輩にきついこと言われた。
こんな深夜まで残って、太ってまで頑張ってるのに。
はー、みんなに冷たくされてる。
……さっさと辞めろよ。吐いてる暇あるなら。
本当に目的持ってやってるやつからしたら不満顔で横で一晩中いられても
あまえてんじゃねーよって思うんだよ。
その職場に夢や目標あるなら、周りの人に必要とされる人間になれよ。
遅くまで残るのが偉いわけ?パフォーマンス悪すぎる。
自分でうごけよ。考えうる全ての方法を考えろよ。夢や目標ならさ。
何が求められているか、自分がどんな役回りを期待されているのか考えろよ。
パフォーマンスが出ていたら周りも何も言わないんだよ。
会社なんだよ。会社の上司や先輩の作ってきたものが会社を支えてるんだよ。
敬意がないんだよ。尊敬できなくても納得できないならコミュニケーションとれよ。
下っ端の仕事はそれも含むんだよ。それもモノを作る仕事なんだよ。
不満顔で悟ってもらえるのをまつって年齢いくつ?27?どんだけ甘やかされてきたんだよ。
で、Twitterにかいて、友達に大丈夫〜って言ってもらって逃げてろ。
男性が仕事で、女性より上の立場でないと認められない男性は、永遠に女性の精神年齢に負け続ける。
その上、時間が経てば立つほど女性と男性の精神年齢は格差が開いていく。それは追いつけない程の差になる。
精神年齢が違いすぎると対当な会話は出来ない。どちらかが保護者のような役回りに回ってしまう。IQ以上に精神年齢は致命的。
いくら、高度な専門技能を披露しても、言動に幼稚さがあると、女性から馬鹿にされてしまう。
現在、20歳で、40歳の男性と会話が合う女性がいたとしたら、これからその女性は、50歳、60歳と会話があうようになる。
しかし、それはもう男女の関係ではなく、父と娘の様な関係であり、恋愛関係には成りえない。
とよく返されるけど、
これってすごい残酷だよね。
不細工は美男美女の引き立て役として生きてきて、それで辛くて、
「こういう辛さはもう自分の代で終わりにしよう。自分のように不細工に生まれて苦しむ姿を間近で見るなんて嫌だ」
と諭されてもね…。
相対的なものだという、理論はわかるけどそれをやりたいか?って言われたらやりたくないよね。
奴隷がいなければ社会が回らないのは事実だけど、我が子が奴隷となるのがわかっていて「産もう」とはなかなかならんだろうに。
嫌な役回りは誰かがやらなきゃいけないし、社会全体で見たらとても必要なものだけど、自分や自分の身内がそれをやるのは誰だって嫌なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20151114203911
http://anond.hatelabo.jp/20151115051501
何かを批判していないとプライドを保てない人々というのは、もう脳がそのように出来てしまっている。
だから、本人は改めた気になっていても、その性分はなかなか直らない。元増田も、私も含め。
自分の発言が、非建設的で悪意的見方にすぎる事を自覚できていたとしてもだ。
すばらしい物の見方をしていて魅力を何倍にもして伝えてくる人を目の当たりにすれば、彼らも一度はそれを賞賛する。
でも、次には文句を言い出すのだ。一度欠点だと認識したものは、どう繕っても欠点としか見れないのだろう。
私は2chのアニメスレに、何度か優れた考察をするブログのURLを貼った事がある。すると毎回そういう流れになる。
「でも○○のパクリだから台無しだ」「こんなガバガバ脚本なのが悔やまれる」と。
もはや、ネットはネガティブな思考回路を増幅・拡散するための装置になっている。
とはいえ彼らも最初からアンチなわけじゃなく、むしろファンで熱心に見続けている者が多いとは思う。
しかし、作品を受け入れて楽しんで見ようという姿勢になれないから、監督や脚本を責め立て、自分の理想を延々と垂れ流す。
ひとつは、神経質すぎる、理想主義すぎる者の声が目立つ仕組みだからだろう。
そういう人格になる理由は様々だが、ことアニメに関しては「キャラクター性至上主義」を煽る文化に一因があると思える。
魅力的なキャラが何より大事だから、特定キャラをsageるような役回りが許せない。シリアスな展開を容認できない。
また、「キャラが脚本に踊らされてる」みたいなトンチンカンな発想になってしまって、ストーリーを受け入れることができない。
もちろん、アニメ化以前からキャラクターが確立している作品もあって、一理ある場合もある。
だがアニメ化にあたって、物語性の薄い日常系にするならともかく、ドラマを描くなら多少のキャラ改変はポジティブに捉えるべきだ。
なぜなら、既存のキャラに囚われてキャラに自走させていたら、一本のドラマになるようイベントを発生させていくのは難しいからだ。
なので、「常識的にこんな事になるはずないだろ」とキャラの浅慮や落ち度を批判するのも的外れになる。
常識的に起きないようなイベントが重なった世界線がドラマになるのだ。
限られた時間枠のなか、絵で表現するアニメというのは、作るにも観るにも高度にクリエイティブな行為だ。
大事なことほど明確に描かれず、テーマ上不要なシーンは大胆にカットし、必要なシーンは大げさに描くケレン味が評価される芸術だ。
だから、観る側にも、脳内補完をしてやるための想像力と頭の回転が求められる。
だが最近は、漫画ですらうまく読めない若者が出てきたという話も聞く。
そういう状況では、このアニメ的な作法を飲み込めず、説明不足・置いてけぼり・駆け足すぎと感じ憤る人も出るだろう。
そういう人にとっては、アニメを違和感なく観れている人というのは好意的に見すぎの「信者」であり、愚か者にすら見える。
だが前述のように、アニメというのは構造的に、ある程度は好意的に汲み取ってやることが求められるものだ。
アラを探すような鑑定姿勢で見ていると、好意的に見ていればケレン味として消化できる些細なハッタリにも躓いてしまう。
すると「破綻している」という印象に囚われ、世界観にも没入できず、もう「楽しむために観る」という本来の姿勢には戻れなくなる。
その状態に陥ると、感動的な場面も素直に感動できなくなるばかりか、ちりばめられた演出も見落としがちになるだろう。
作品を楽しめている人とそうでない人の差は、感動できるような美点を「見出している数」の差だ。
アニメというのも芸術の一つであり、芸術というのは、言語化できないような抽象的なところから意味を見出すからすばらしいのだ。
また、ネットでは、批判できる人間が「通」であり賢いかのように見えてしまう。
その上、「好きだからこそ許せない」と批判されると共感を呼びやすい。
それが実際はトンデモな批判でも、通っぽさが伝わるとROMのにわか層には説得力をもって伝わるのだ。
ネット世代はとくに、こうしたネガティブ思考に誘う罠にハマりやすい環境に生きている。
この手の重箱の隅批判が公益を生むこともある政治や行政への批判あたりならまだマシだ。
が、アニメ漫画なんていうのは、趣味で自分が楽しむためのもの。
こりゃダメだと思ったら「自分には合わなかった」と去ればいいだけの分野のはずだ。
それなのにネガティブ発言をする人が繋がりあい、存在感を発揮する状況は、いかにも不健全だ。
こういうネガ・dis思考はtwitterやLINEやまとめサイトのような所からどんどん伝播していく。
軽いキャラdis風だったり、「また○○(脚本家の蔑称)か」みたいな受け入れやすい形で。
もっと作品やクリエーターへの敬意があって然るはずだが、そういう感覚を持てるのは「古き良きオタク」気質の人。
大量のアニメを消化していくイナゴのようなアニメファンは、下手に知識を得ても、斜に構えたような感じになりがちだ。
結局なにが言いたいかというと、そういう通ぶって批判する人をなじりたい訳ではない。
むしろ、そういう人が目立つのは時代の必然と考えたいという話。
目の前に広がる不快な現状をみて、
その中心にいる「人」を責めて鬱憤を晴らすダサいおっさんが元増田なら、
「ネット社会」という環境を憂えて俯瞰した気になっているダサいおっさんが私だ。
どんな形であれアニメ批判に関わると、こういう泥沼にハマって闇に堕ちていく。
そこだけ見ても、「良さだけを語れる」オトナの神々しさが感じられると思う。
ネットでは、増田でくらいは、そういうドロドロした感情を出してもいいと思って今書いているが、
でもリアルやSNSみたいなところでは、なるたけ「良さだけを語れる」「馬鹿に構わない」人間でありたい。
つい、「ここは良いけどここはダメだよな」みたいな両論併記的・中立的・評論的な物言いをしたくなる時も、
それは大体抑えたほうがいいと肝に銘じよう。趣味についての話なら。
しかし、完全にそういう人間になるには、そもそもネット上の素行についても
「わざわざ下卑た場所を覗きに行かない」「そしてそこでマウントしない」を身に着けている必要があるのだろう。
一度泥沼の味を覚えた身としては、それは難しいように思える。
なにしろ、そんな場所を見に行くことを忘れるような社交的なリアルの付き合いがないのだから。
ああオトナになるのは本当に難しい。
・響け!ユーフォニアムの2期が決まってうれしいです、とても面白い作品でしたね
・素晴らしい点を上げるとキリがないのですが、私はとりわけこの作品の描く「空気」が好きでした、作品のテーマの一つでもあると思います
・特に2話の葵ちゃん「みんな~問題のない方向へ~まとまっていく」というセリフ、8話の麗奈「特別になりたい」というセリフ、この2つが重要なシーンではないでしょうか
・この空気に着目した上で10話、香織先輩が再オーディションを希望するシーンを見ると、とても感動します
・久美子の心の成長も見所の一つです、でも久美子って少し流されやすいような気もします
・劇場版、そして2期、本当に楽しみです
と大体このような感じ
もしまだご覧になったことがないという方は、本当にオススメの作品です、ぜひぜひこの機会にご視聴ください
ところで、響け!ユーフォニアムってどこが面白いの?と問われたら、視聴済みの皆さんは何と答えますか
作画の綺麗さや演出の巧みさ、声優さんの演技の上手さなど色々なものが思い浮かびます
答えは一つではないと思いますが、私には響け!ユーフォニアムのココが好きだ!という点がずばり一つあります
それは、今まで深夜アニメーションという媒体では余り描かれることのなかった部活や学校という空間の空気
引いては集団の中で発生する同調圧力的な側面について描き、それをしっかりとエンターテイメントとして見ていて楽しい物に昇華しているという点です
少し話は変わりますが
おそらく一度は聞いたことがある、どんな物語か程度なら知っているという方も多いと思います
ストーリーの説明は省きますが、絵本の中でスイミーはたくさんの仲間達と一緒に大きな魚のふりをして泳ぎ、マグロを追い払いますよね
あのスイミーが案じた作戦、これはおとぎの世界の話だけではありません、現実の世界でも類似の例を見つけることが出来ます
例えば、チョウチョウウオという魚です
沖縄方言ではカーサと呼ばれ、その意味は葉っぱ、名の通りほのかな橙黄色に色付いた木の葉のような魚です
一匹でも十分に綺麗なこのチョウチョウウオですが、海の中で生活する時は大きな群れを作ることが知られています
チョウチョウウオはそれほど大きくない魚ですので、単体ではすぐに捕食者に狙われてしまいます
ですからまとまって大きな集団を作ることによって、捕食されることを回避しているわけですね
このようにして魚が群れを作るメカニズム、そこにあるシステムを群知能といいます
群知能は魚の群れを説明するための用語というだけではありません、他にも自然界の様々な場面で見ることのできる普遍的な概念です
ところでこのチョウチョウウオの群れですが、全体としては同じ方向を向いていても
中を細かく見てみるとそれぞれの個体や個々の集まりでは別の方向を向いていたりすることに気付きます
スイミーは全員が一丸となって戦うお話でしたが、現実世界のチョウチョウウオでは少し違うわけですね
外から全体を俯瞰して眺めるとみんなが同じ方向を目指しているように見えても、それぞれにはぞれぞれの想いがある
大きいものでは会社組織、小さい単位なら家族や友人関係かもしれません
そして多くの人が人生において最初にそれを経験する場所、それが学校であり、とりわけ部活動なのではないでしょうか
一概に部活動といっても様々あります、体育会系ならサッカーや野球、文化部なら美術などが有名ですよね
そしてもう一つメジャーなものの中に冗談めいて体育会系だとも文化部だとも言われる部活があります
そう吹奏楽部です
それが体育会系といわれる所以なのかもしれませんが、一つ他と決定的に違う点があります
それは圧倒的な力量を持った選手が一人や二人いたとしても、それが集団にとって即大きなアドバンテージとはならない、という点です
吹奏楽という競技においては、群れのレベルは全体の平均ではなく最も弱い個体の能力度合いによって決まるからです
これは積極的に底辺の能力を押上げようという助け合いの精神、教え合いの動機ともなり得ますが
いざという時には、底辺を全体のために容赦なく切り捨てるという残酷な選択を強いる結果にも繋がります
吹奏楽ほど、群れというものを意識する部活は他にはないかもしれません
そしてそこには、必ずしも絵本で描かれるスイミーのようなやさしさも海で群れをなすチョウチョウウオのような美しさも、あるとは限りません
それが京都アニメーション制作の「響け! ユーフォニアム」です
吹奏楽が舞台であるといっても、1話や序盤では多くの時間がキャラクター紹介、人物の関係性やこれからの展開をほのめかす場面に割かれます
彼女が高校生となって吹奏楽部に入部し、新しい学園生活、新しい友達や上級生と馴染んでいく過程を描いています
そんな序盤のキャラクターのやり取り、シーンの一つにこんなものがあります
久美子の幼なじみであり部活の先輩でもある葵ちゃん、彼女と久美子の会話です
久美子「でも今日みたいに聞かれたら、全国大会目指すっていう方に手挙げるでしょ」
葵「そりゃあ…ねえ」
久美子「だからややこしくなるんだよ、大人はずるいよ」
葵「それ言ったらどっちにも手を挙げなかった誰かさんが、一番ずるいんじゃない?」
久美子「それは……そうだけど……」
葵「きっと、そうするしかないんだよ。みんな何となく本音を見せないようにしながら、一番問題のない方向を探ってまとまっていく、学校も吹部も、先生も生徒も」
久美子「どうして……?」
葵「そうしないとぶつかっちゃうからだよ、ぶつかってみんな傷ついちゃう」
――――「響け! ユーフォニアム」第2話
この言葉は学校という世界しか知らなかった高校生の頃に立ち戻って考えてみれば、いっそう共感のできる言葉だと思います
そして、学生の時のみならず、社会人となってからもこの「空気」を読めという感覚は常についてまわるものです
集団、群れがあればそこには空気があります、そうして出来上がった集団の流れ、空気に逆らうことはとても難しいものです
特に思春期の女の子にとって集団から抜け落ちたり弾かれたりすることは、死ぬほどに辛いことだと思います
2話の終盤、このシーンはさらっと流れます、その為とりわけ重要ではないシーンのように思われるかもしれません
しかし、深夜アニメにとって大事だと言われる1~3話において、2分以上の長尺を取り久美子との二人きりの会話を描いているのは、このカット以外にはないんですね
音楽に通奏低音という言葉があります、本来はバロック音楽における用語ですが、転じて「常に底流としてある、考えや主張のたとえ」というような意味も持ちます
吹奏楽でいうならば久美子や友人である緑輝や葉月がいる低音パートですね
彼女たちの低音が吹部の演奏を支えてるように、葵ちゃんのこの言葉は響け!ユーフォニアムという作品における通奏低音となっています
続く話数、これ以降の3~6話ではある意味で葵ちゃんの言っていた通り、一つにまとまり
一致団結してサンライズフェスティバルという地域のイベントに向けて頑張る吹部の様子が描かれます
しかし、当の葵ちゃんは今までとは違う、空気の変わってしまった吹部についていけず退部を決意します
顧問の滝先生が赴任して来なければ、部のやり方が変わらなければ、葵ちゃんも最後まで部活動を続けたかもしれません
ただ去年の出来事を経験した葵ちゃんにとって今の空気はどうしても受け入れることの出来ないものだったのです
退部後の葵ちゃんと部長の晴香がファミレスで二人、話し合うシーンがあります
葵ちゃんは自分はそこまで吹部が好きではなかったと言った後、部長に対し晴香はどう?と問いかけます
部長は即答することが出来ません
今までの吹部とは違う、全国大会出場という大きな目標を掲げ、部員一丸となって全国という高みに向けて邁進する北宇治高校吹奏楽部
ですが、一人ひとりが見ている方向は必ずしも一致していません、全体では同じ方向を向いているように見えても個々人の想いはそれぞれなのです
ここまでが7話でした
そして続く8話、とても印象的な回ですね
この第8話終盤、麗奈と久美子の密会シーンは中盤のクライマックスです、その内容を憶えている人も多いでしょう
麗奈と久美子、二人以外は誰もいない小高い丘の上、眼下には楽しげなお祭りの光、麗奈はまっすぐと久美子を見据えて言います
麗奈「ねえ、お祭りの日に山に登るなんて馬鹿なこと、他の人はしないよね」
久美子「うん、まあ……」
麗奈「久美子なら分かってくれると思って。私、興味のない人と無理に仲良くなろうと思わない。誰かと同じで安心するなんて、馬鹿げてる。
当たり前にできあがってる人の流れに抵抗したいの、全部は難しいけど。でも分かるでしょ?そういう、意味不明な気持ち」
久美子「麗奈……」
麗奈「私、特別になりたいの。他の奴らとおなじになりたくない」
――――「響け! ユーフォニアム」第8話
特に未だ少年少女時の万能感から脱却しきれていないモラトリアム期の高校生ならば、それは多くの人が抱いた「本音」かもしれません
「特別になりたい」
しかし、多くの高校生はその本音を隠します、他者とぶつからないよう、ぶつかって傷つかないよう、波風を立てず皆と同じように日々を過ごします、それが「普通」なのです
麗奈は違います、久美子にはっきりと言います、特別になりたいと、他の人に流されたくないと
葵ちゃんのセリフと対になるこの言葉、少し甘酸っぱく子供っぽい麗奈のこの告白は、久美子の心を大きくざわつかせました
そして続く9話、ここからやっと吉川優子ことデカリボンちゃんと吹部のマドンナ中世古香織先輩にスポットライトがあたっていきます
去年までの熱意のなさが嘘のようにやる気を出し、ここまで大きなゴタゴタもなく順調に進んできた北宇治高校吹奏楽部
あとは大会に向けて全力で頑張っていくだけという感じですが、その前に一つ課題を乗り越えなればなりません
オーディションです
滝先生が事前に発表していたこの実力制メンバー選抜は、ことの成り行き次第では少々問題が起きそうな雰囲気です
さてオーディション、視聴者としてはポニテ先輩のことも気になりますが、吹部として重要なのは麗奈と香織先輩、どちらがソロを吹くのかという点です
部員の殆どは、麗奈が優れたトランペット奏者だということは知っていても、上級生であり、部内屈指の実力と人望を兼ね備えた香織先輩がまさか負けるとは思っていません
しかし当事者である香織先輩の認識は少し違っています、麗奈の実力を認め、負ける可能性を十分に考慮しているようです
さあ、結果はどうなるのか?と言うと……
この結果は当然ながら驚きを持って迎えられます、中には滝先生の選考に内心疑問を呈した部員や不満を抱いた部員もいたでしょう
しかし、個々人の想いとは関係なくこの時の部内の空気はオーディションの結果を受け入れるものでした、空気が異を唱えることを許さなかったのです
集団の空気に逆らうというのはとても難しいことです、もしもこのまま何事も無く事が運べば、大した波乱などなく一致団結して大会まで進んでいたかもしれません
ここで爆弾を落とすのがデカリボンちゃんです、オーディションから少したった頃、滝先生に対し部員が見守る中、こう言い放ちます
リボン「高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」
滝先生「それを尋ねて、どうするんですか?」
リボン「噂になってるんです、オーディションのとき、先生がひいきしたんじゃないかって、答えてください」
――――「響け! ユーフォニアム」第10話
この出来事から急速に部内の空気は変化していきます、元々個々人の中ではオーディション結果に対しくすぶっていた所もあります
0から1に突然変わったというような変化ではありません、空気を意図的に誘導しようとするそんな人物がいたわけでもありません
それどころか自分たちが一体どこに向かっているのか、それさえ誰にも分からぬまま漠然と悪い方向へ流れが変わっていく、そんな様子が丁寧に描かれています
滝先生は音楽の知識こそ豊富ですが、教員としての指導経験はまだ浅く、この事態に戸惑い苛つきます
見かねた部長が、このままではいけない、そう覚悟を決めなんとか解決しようと動き出した頃、丁度時を同じくして滝先生は一つの解決策を見出します
滝先生「今日は最初にお知らせがあります。来週ホールを借りて練習する事はみなさんに伝えてますよね。
そこで時間を取って希望者には再オーディションを行いたいと考えています。
前回のオーディションの結果に不満がありもう一度やり直して欲しい人はここで挙手してください。
来週全員の前で演奏し、全員の挙手によって合格を決定します。全員で聞いて決定する。これなら異論はないでしょう。いいですね?」
――――「響け! ユーフォニアム」第10話
この言葉に対し、香織先輩は一歩を踏み出すように立ち上がり、高く手を掲げ、まっすぐと滝先生を見つめて言います
香織先輩という人物についてはこれまでも何度か描かれています
葵ちゃんが退部し、部長がめげてしまった時にはおみやげを持参して励ましました
ポニテ先輩は、葵ちゃんと部長に加え香織先輩だけが、去年の部内のゴタゴタに対して真摯に解決しようと頑張っていたと言います
公園で二人きり、デカリボンちゃんから本人や父との縁故を理由に滝先生が麗奈を贔屓した可能性を告げられた時も噂を止めるようお願いするだけです
これらのことから伺えるのは香織先輩のやさしさであり、部に対する想いです
部長と共に、損な役回りを引き受けてでも部内の空気を良い方向へ持って行きたいという、そんな心配りです
その香織先輩が、今まで吹部内の空気をなによりも優先してきた、そんな香織先輩が、初めて自分の想いに素直に寄り添って決意表明したのがこの場面なのだと思います
もしかしたら吹部の嫌な空気、それを払拭するためにあえて希望した、もしくは香織先輩を推す部内の空気にのせられる形で希望しただけという穿った見方もできるかもしれません
しかし、友人を心配そうに見つめる部長の眼差しや驚きを持って香織先輩に視線を集める部員達の表情からそうではないことが見て取れます
香織先輩はこのとき空気に反発したのでも迎合したのでも、そして沈黙したのでもありません、ただ自分の確かな意志を表明したのです
まっすぐに滝先生を見つめ、自分の想いを吐露する香織先輩のその姿は麗奈が久美子にした特別になりたいという告白に重なります
さあ再オーディションです
まずは香織先輩が、吹き始める前こそ緊張の面持ちでしたがいざ吹き始めると特にミスもなく、普段通りの演奏を客席に座る部員たちの前で披露します
二人の演奏が終わり、よりふさわしいと思う方へ拍手するよう言われますが殆どの部員はどちらにも拍手することが出来ません
そんな空気の中、滝先生は香織先輩に問います、あなたがソロを吹きますかと
香織先輩は麗奈こそが、自分ではなく麗奈こそがソロを吹くべきだと、そう言い
それを聞いたデカリボンちゃんは泣いてしまいます、大粒の涙を流しながら、わんわんと声を上げて
一度目のオーディションの時ではなく、二人の演奏が終わった時でもなく、滝先生が麗奈を選んだ時でもありません
デカリボンちゃんは香織先輩が負けたことが、選ばれなかったことが、技量的に麗奈に劣っていたことが悔しかったのではありません
人を気遣い、自分よりも他人を思いやり、誰よりも優しい先輩、その先輩がたった一度、自分のために、自分だけのために
北宇治高校吹奏楽部の中世古香織としてではなく、一人のトランペット奏者として初めて挑んだ、ぶつかって傷付くことを恐れずに挑戦した
その特別なものへの憧れが、それが叶えらなかった事が、デカリボンちゃんは何よりも悔しいのです
悔しくて仕方がなかった、だから泣いたのです
もしもその悔しさだけだったなら、こんなにも大粒の涙を流すことはなかったでしょう
なぜならば、デカリボンちゃんはおそらく再オーディションが決まったその日から、自分がこの日再オーディションの当日、誰よりも悔しい思いをするという事は分かっていたからです
http://anond.hatelabo.jp/20151114054047 へ続き Permalink | 記事への反応(3) | 19:37
夜のヤッターマン
ドロンジョー達が主人公で深夜アニメとか、子供向けから解き放たれたセクシーなドロンジョー様を堪能しまくれるやん、めっちゃ楽しみー
↓
峰不二子という女
わお!画面おしゃれー今度こそ深夜枠を存分に活用したエロい不二子の活躍を見れる!
↓
何で銭形に惚れてるホモのオンステージになってるねん、いらんわ
きゃールパンのテレビシリーズしてくれるの嬉しい!ルパン一味の活躍が見れるだけで嬉しいけど、せっかくやから深夜らしい不二子のエロスを!
↓
オリジナル女が活躍しても嬉しくないわ、つか役回りが不二子とかぶってね?
http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/66fda06802e29f013e26f5d41f769b01
実験物理学を専攻している修士課程の学生の目から見て、考えたことを書いてみる。
日本国内における物質科学や物理学系の論文数が、先進諸国の傾向に反し減少傾向にある要因として、
冒頭に引用したブログの著者は、「大学の研究従事者数および研究時間が海外諸国に比べて少なく、かつ減少していること」と、
「財務的には大学への基盤的な公的研究資金の減少の影響が大きいこと」の二点を挙げている。
これは確かにその通りだが、特に物質科学・工学分野が苦境に立たされている理由は他にもある。
端的に言うとそれは、物理学系の研究室において、実験技術に特化し、もっぱら実験作業とその指導をおこなうテクニシャンが、
多くの場合不在だからである。修士課程の学生は、試料作製・測定系の立ち上げ・および測定と解析・
ディスカッション・学会や会議での発表・論文執筆を一通り経験するのが望ましいとされている。
研究において、そうしたすべてはどれひとつとして欠かすことができない大切なものであるし、なにより修士課程の目的は、
(少なくとも日本においては)研究成果を一つでも多く挙げることよりも、広汎な技術を身につけることにあるのだから、
それ自体に目くじらを立てる必要はない。問題は、しばしば博士課程の学生や教員でさえ、オールラウンダーとして、
ひとつの研究におけるすべてのフェーズを担当することが求められるために、研究活動における分業体制がいっさい確立していないことにある。
旧帝大などの研究型大学でさえ例外ではない。ひょっとしたら、これを美徳だと考えている研究室もあるかもしれない。
これは、学部生と修士課程の学生に対する教育指導に歩調を合わせて研究を遂行していく、国内大学の慣習とも深く関わっていると考えられる。
このことは決して悪いことではないのだが、研究成果を挙げる上では恐ろしく効率が悪い。
一ヶ月で解約する気満々な乞食どもに、そこまで無名ってわけでもないんだけどかといってタイトルだけで一般に通じるほど有名作ってわけでもない微妙な立ち位置のイカれたメンバーを紹介するぜっ!
このリストを制覇すれば君も明日から立派なヴィレバン村民!!!
ちなみに「白黒映画とかだるくてみれない〜」というこらえ性のないミレニアム生まれのボーイズ&ガールズのために、「2000年以降に作られた比較的短い作品」を中心にチョイスしたぞい
・『イニシエーション・ラブ』のラスト三分にガッカリしたハードミステリファンのみんな! 待たせたな!
本場アメリカから、結末を自分で推理する系の濃厚ミステリ映画様の御登場だ! クソ眠たい演出の群像劇だが、あなたの推理力を試すにはもってこいの本格推理映画やでえ!
・ゾンビ映画が童貞とコミュ障の占有物だった時代は終わったっ!!!
ラスト三分で童貞とコミュ障を全否定する甘々ラブロマンスゾンビ映画のニュージュネション、ここに見参!
・え? ウォン・カーウァイを見たことがない?
それでサブカル名乗るとか恥ずかしくない?
恥ずかしいのは観ているこっちだ! 台湾の岩井俊二、ザ・脳みそ溶けちゃいそうな恋愛映画の王がエントリーだああ!
・ジェームズ・マカヴォイ、いや、プロフェッサーXっっ!! ユーがどうしてスコットランドなんかにっっ!????
原作と違って体内の寄生虫が語り出したりはしないが、どちゃぐそわけわからんキチガイ成分は充分に受け継いでいるっ!!
・きたああああああ!!!! 2014年度アカデミー賞主演男優賞受賞!!! 人類の至宝!!!!
痩せたマリオみたいなおっさんランキング堂々のナンバーワンかつオンリーワン!!
ぼくたちわたしたちの!!!!おれたちの!!!! マ、、シューーーーーーーーーーーーー!!!!!
マーーーーコノヒーーーーーーーーーーだああああ!!!!!!!!!!
内容はピュアな少年が怪しい犯罪者じみたおっさんと出会って一夏の甘酸っぱい成長を遂げる系のヒューマン・ドラマです。
「主演がマーク・ウォルバーグ? あの『トランスフォーマー』の?」
それがどうしたっ!!!!
大味クソ大作のプレイヤー二人が奇跡の出会いを果たし、じわじわと追い詰められてみんな死ぬ系戦争実話映画の逸品を作り出したっっっ!!!
『野火』とは違った意味では「こんな死に方だけはしたくない in USA(現場はアフガン)」のオンパレードだっっ!!おしっこちびれ!!!
・西部劇なんて彫りが深くて汗臭いヤンキーどものフェスティバルでしょ?蘇民祭でしょ?ないわー
とお考えのウィンプでナードなペドフィリアのジャパニーズおたくどもよっっ!!!
お待たせしました!!!主人公は三つ編みのちんちくりんな女の子だよっっ!!!
正直そんなかわいくはないが、彼女がよくわからんおっさん二匹と一緒に卑劣で理不尽な悪党どもに復讐しにいってひどい目に会うぞっ!!観るしかないだろっ!!
・ドリームワークスって『シュレック』以外なんかアニメ作ってるの?とお思いのみなさんっ!!
毎回正義のヒーローにぶちのめされる役回りだった悪の科学者メガマインドが、ひょんな偶然からヒーローを殺してしまう!!
街を手中に収めたはいいもののヒーローの不在で自分の存在意義を見失ったメガマインドは、人生のハリを取り戻すべく自前で新しいヒーローをつくりだそうと決心したっっ!! しかし、それは開けてはならぬパンドラの箱だったのだ!!!
今やディズニーやピクサーがひっしこいて作ってる「悪役にも実は事情が」系映画の先駆であり、名作だぞっっ!!!!!!
・へい、冴えないおっさんども!!!!??? 世を恨んでるぅううううう??????
映画館の迷惑カップル、朝よく近所をランニングしてる健康マニア、クソみたいなオーディション番組やリアリティ番組……
そんなくだらねー世の中のすべてをぶち殺したいかあああああああ!!!!?????
今から一緒に、これから強引系かわいい女子と、殴りに行こうかああああああ!!!!!!!
・殺戮マシンとして育てられた少女暗殺者!!! でもファンタジー!!!!!
アート系映画の美名のもとにはどんな欲望も不問であり、問答無用だっ!!!
「どこでこいつパソコンの操作を習ったんだ?」とか考えるなっ!!
・ミステリ不毛の地、スペインからやってきた最強の刺客!!!!!
まさかのとんでもトリックには宮部みゆきもびっくりだっっ!!!!
でもよく出来てるぞっ!!!!!!普通に面白いミステリ映画だぞ!!!!
・今イギリスで一番注目されている(マジで)(いやマジで)新鋭バイオレンス映画監督、ベン・ウィートリーのデビュー作だっ!!
殺し屋二人組の話だが、いきなり彼らの家庭問題からはじまったりそもそもなんでターゲットを殺してるかよくわかんないぞっ!不条理だぞっ!!!
しかしその雰囲気は唯一無二っ!!!ベン・ウィートリー、ベン・ウィートリーはこれからビッグになる監督なんで今のうちにちぇっけらうっっ!!
・ウルトラホワイト企業で働いている増田の皆様におかれましてはご縁の無い話かもしれませんが、
世の中にはブラック企業、ブラック上司というものが存在しておりまして、
そのブラック企業の名は、LAPD――ロサンゼルス市警察の麻薬取締課っっっ!!!!!
・おい、おまえ、ボンクラ映画ばかり選んでるんじゃねえ!!もっとヴィレバンでモテそうなサブカル映画を寄越せっ!
とお嘆きの皆様にオススメ!!! 2014年度ハートフルシャレオツフランスアートムービーナンバーワンもnetflixに入ってるぜっ!!!
蕩けそうなくらいにオシャレだっっ!!でもそれが様になるのがフランス人なんですねえ〜〜〜〜
夢を持ってるつもりの君、自分は努力してるつもりの君をある日、トム・クルーズが訪ねてきてこう言う!!!
「ほんとはそんな夢、叶えるつもりなんてないんだろっ!!!」
飛び交う弾丸、決まりまくりのショットっ!!! ほんとうにカッコイイ銃撃アクションを見たければマイケル・マンを、『コラテラル』を観ろっっ!!!
ググってみたが無かったのでここに書いておく。
巡ヶ丘高校におけるゾンビ禍発生日時:おそらく5月か6月の、午後4時ごろ
・同じ高三だが、くるみは無免で安全運転への懸念を口にされているが、りーさんは特に無免という説明もなくまた普通に運転を代わっている。
・りーさんは誕生日が早く免許取得済なのかもしれない。免許取得に必要な時間を考えると、4月ではないと考えられる。
・また雨が多く電力が不足しがちという表現を早い回でしていたので、既に梅雨の時期かも知れない。よって5~6月。
・教室の破壊された時計が4時過ぎを指していたので、時計の破壊が行われたのが4時頃で、学校がゾンビ禍に見舞われたのがその頃かと思われる。
・放課後に、ショッピングモールに立ち寄ったみきと圭がゾンビ禍に遭遇している事からも、発生時刻は授業終了からそれなりの時間が過ぎたタイミングかと思われる。モールが襲われたのは高校が襲われた後だったのかも知れない。
・めぐねえの覚書では、
「屋上へは園芸部が決まった時間のみ立ち入りが許されているが特に取り締まりなどはしておらず生徒の自由な出入は黙認されている」
「自分が屋上に入ってきた時ゆきとりーさんと他の女生徒一名が居たが、怒られると思ったのかその一名は立ち去った」
とある。
・ゆきとりーさんが放課後に屋上に居て、めぐねえが屋上にやってきても逃げなかったのはもともと園芸部だったからだと思われる。
・ゾンビ禍発生後に、園芸部の手伝いなどと言い訳をして屋上菜園を手入れし、(兼部してるとでも言えばいいのに)園芸部だった事をわざわざ言わないのは、ゆきが自身が園芸部所属という過去を思い出し、そして芋づる式に襲撃の恐怖の記憶をまとめて思い出してしまい、また心を壊す事を懸念しているからと思われる。
・同様に、めぐねえも元々は園芸部の顧問だったものと思われる。ゾンビ禍発生前に、放課後に屋上に来ていた理由も部活動監督のためか。
・三巻巻末の地図で見ると屋上への侵入路は中央階段のみで、くるみはゾンビ禍発生時に階下に居り、屋上ドア封鎖前に飛び込んできたらしい。
・くるみの先輩が学校にいた理由は卒業したばかりの母校に顔を出しにきたのだろうと思われる。
・屋上に居た理由は、屋上への逃走に成功したくるみを追いかけてきて、他生存者達がドアを塞いで締め出すのに間に合わなかった、あたりだろうか。
・食料の不足にやむなく行われたものだが、学校行事を踏襲する部の方針からすると、遠足もまた通常の日程に近く行われた可能性が高い。
・当初は四人、やがて三人になった生存者達が、ゾンビ禍発生から、各学年に4クラスを有する高校の購買部で売られている保存食料を食い尽くすまでのタイミングを考えると、一ヶ月くらい後か。
・この一ヶ月の間に、高校ではめぐねえがゾンビ化し、モールでは圭が出て行ったものと思われる。
・米、カレー、うどん、お好み焼き、野菜、ビタミン剤など、栄養確保に苦労している様子が窺え、備蓄に余裕はない様子。購買にはうどんはもうないとの旨の発言をしていたが、学食から持ってきたと思しき食材も多く、そちらも漁り尽くしたのだろう。地図で見ると購買と学食は斜向かい。
・みき救出後にも「このところ雨が多く電力不足」という旨の発言をしている。しかし外は既に晴れているので、梅雨明けあたりか。
体育祭:9月か10月あたり
・ただ、みき救出後すぐに体育祭の提案がなされているものの、体育祭開催告知ポスターの表記をみると、月数が二桁になっている。
・月数は二桁である事こそ確認できるものの、日付は適当に塗りつぶされており、これは既に正確な日付がわからなくなっている可能性もある。
・しかし電力は確保され、避難訓練の際にりーさんがスマホを使用してもいるので、正確な日時がわからないという可能性は低い。
・ではなぜ日付を丸く不明瞭に塗りつぶしたのかは不明。ポスターを書いたゆきあたりが日付を正確に把握していない、などの理由かもしれない。
学園祭および卒アル製作およびラジオ放送、そして避難訓練:10月か11月ごろ
・学園祭とラジオ放送の準備にそれなりの時間をかけ、その後行われたものと思われる。
・めぐねえからの攻撃で発症したくるみは避難区画にあった実験薬で一命を取り留めたが、筋張ったような痕が左腕と首筋と左頬辺りに薄く残っている。これを隠す為か、復帰後は左頬に常に広い絆創膏を貼り、長袖を着ている事が多いが、寒い時期に差しかかっているせいもあるかも。
・ヘリのパイロットは酸素マスクをつけていたが服は普通の搭乗員のもので防護服には見えない。加えて、回収されたゆきたちの手紙は袋入りのまま扱われていたが、このパイロットは手袋こそしているものの手紙の現物を直で持っている。何らかの理由で感染し、薬の投与も間に合わずゾンビ化したか。
卒業式:11月か12月あたりか
・食料は数か月分の備蓄をB2で発見しているし、また学校行事スケジュールに従えば卒業式は三月なのだが、みきの眼帯が取れていない。
・避難訓練後から眼帯をしているみきだが、傷が治っていないうちに卒業式を迎えたと思われる。
・卒業式前の清掃中、ゆきは教室でゾンビを倒している。一巻一話の描写の踏襲といい、皆の前で笑っていようと決めたはずのゆきがみーくんの前で初めて号泣している点といい、ゆきは妄想の世界から離れ既に現実に戻ってきていると思われる。その事を当事者であるみーくんは察しているようだが、他の二名の前で告白しないのは、妄想に囚われていようが現実を直視していようが結局は自分の役回りは笑うことであって何も変わらないと思っているせいかもしれない。生徒達を明るく元気付けていためぐねえの役割を代わりに担っているつもりかも。
・また、めぐねえ撃破後にめぐねえの墓を皆と拝んで以来、ゆきとめぐねえが一緒にいる描写もない。
こんなところか。異論は認める。
大学を卒業して、片田舎の地元で就職して実家に戻り、早7年になるけど
最近、村の役回りが次から次へ当たるようになって閉口している。
それだけでも心身疲れきってるのに、
あのなあ、若くてそこそこやれそうだからって何でもやらせようとしてるだろ。
俺は知っている。
村の役回りを引き受けたらどうなるか。
登山とか温泉とかグラウンドゴルフとか、休日をジジババとともに付き合わされ、
あってもなくてもいいような自治会活動と村内権力闘争に忙殺され、
たいしてやりたくない事をこれでもかと押し付けられて、
若者が夢を見失い、自立心を削がれ、疲弊し、婚期を逃すことを。
村にはそういう30代〜50代の独身男性がかなりの割合でいて、
そういう人達はたいがい、色々な村の役を任されて
半分人生を諦めたような顔で日々を送っていることを。
自分はあんな風になりたくない。
長男だからとか、他に任せられる人がいないとか、若者だからとか、
昔からの村のしきたりと空気で有無を言わさず社会参画させられている。
やりたくない事を一切切り捨てて、
自分と、愛する妻や子ども、友だちや仲間のためだけに生きてる。
そういうのに強烈な憧れを覚える。
ハズレくじだわ。
誰かがしなきゃいけないからたまたま自分がやってるだけの役割に
魅力も興味もへったくれもない。
田舎で自立できないまま年を取っていく。
「ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか?
いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。
え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。
例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。
この場合は相手がツッコミ待ちだからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw
だから間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そんなんじゃねえよツッコミってモンはよ、ってね。これツッコミじゃなくてガチダメ出しなw
もひとつ例をあげようか。んーそうだな・・・例えば「人すくな!」。こういうツッコミってどうなんだ?誰にでも言えるよな?見れば誰でも分かる違和感を口にする意味ってなんだ?代弁とか?おもに代弁だな。
でもタイミングが難しい。速すぎても遅すぎてもだめ。特に遅すぎないのが大事。遅れて「人すくな!」と言うと「見りゃわかるわ」と言われるのがオチ。これではツッコミのつもりがボケになっちまうw
みんなが「人少ないな」と思いかける瞬間に「すくな!」と代弁するから賛同される。
なぜ俺はこんな話をしたのか?ちょっと考えれば分かる分析を披露するため?いやそうじゃなく、ツッコミは単なる違和感の訴えなんかじゃないってこと。それが言いたかった。
違和感を訴えるだけなら、どのタイミングで「人すくな!」と言ってもよいはずだ。訴えるだけなら簡単なもんだ。そうじゃないって。ツッコミは鋭くないといけない。
鋭いツッコミとは、人々の違和感をスッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙なタイミングで違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。
もう分かっただろう。ツッコミは間違いの訂正でも違和感の訴えでもない。ツッコミは違和感からの解放。人々のモヤモヤをスッキリさせるから「人心掌握」できるのだ。だから人生の必須スキルなのだ。
みんなそのことを多かれ少なかれ分かってるから「ツッコミスキル鍛えたい!」と思ってる。でも間違いの訂正や違和感の訴えを頑張ってもダメなんだ。それではツッコミスキルが鍛えられない。
ここまで読んだ読者にはもう分かっただろう。ツッコミスキルを鍛えるには、違和感に着目すればいい。常日頃感じた「違和感をメモする」ことから始めてみては。
ただーし、文句を言うのではない。違和感の解決が目的だ。文句ばかり言ってたら違和感が強まるだけ。これはつまらないお笑い芸人になる罠である。
ツッコミスキル鍛えるつもりが文句スキルを鍛えてたなんて笑えない。笑えないし笑わせることもできない。これは文句たれるだけのつまらん人間から脱却するチャンスでもある。
じゃあ違和感はどうやって解決すればいいのか?秀逸なツッコミはどんな具合に違和感を解決していたか思い出してみよう。
フットボールアワー後藤のツッコミ集botをここに置いておきますね。 https://twitter.com/gotosmart_bot 好みが合わない場合は各自用意するように。
秀逸なツッコミというのは例外なく「的確すぎるwww」と笑いたくなるだろう。ただ違和感を表明するのではなく的確に表現するから「たしかにwww」と笑いたくなる。
しかも、ごく当然のことを的確に言いながらも斬新さがあるでしょ?つまり、みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける。だから「たしかに!」と感動され賛同される。これが鋭いツッコミってやつ。
言い換えると、あやふやな説明しか与えない既存の認知をくつがえし、そしてスッキリした枠組みを与えることで、人々の違和感を解決する。それが鋭いツッコミ。
言われてみると当たり前だけどこれがツッコミスキルを鍛えるために重要なんよ。
ここでFAQに答えると、「世の不条理を的確に表現するだけなら批評家でもできるじゃん。でも笑えないこと多いじゃん。」そう思った?
笑える批評もあるよ。映画や音楽の評論家に多い印象があるな。批評が笑えないことが多いのは、抽象的な不条理は「みんなの違和感」として共有するのが難しいから、
視点の斬新さは必ずしも必要ないから、的確さといってもインパクトある的確さにすると暴論になりがちだから、だな。
もひとつ。「詩はユニークで的確な表現を使うけど、だからって笑えるわけじゃない。笑いなんて理屈で説明できないんだよ。」そう思った?
これはそもそも違和感がたりない。詩は美を表現するものだ。違和感が表現されることもあるが、そればかりでは美しくならない。そういうことだ。
大事なことなので2回言います。「みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける」。これが面白いツッコミよ。
となれば、ツッコミスキルの鍛え方はもう完全に分かっただろう。
まず違和感をメモする。メモする時は文句にならないように。これはもう言った。普段から「おや?」と引っかかる物事にアンテナを拡げておくのがいいな。
次に、違和感を的確に表現する練習。これも愚痴にはならないように。表現に斬新さは必要ない。ここまで読んだ君なら、表現を奇抜にするだけじゃ無意味だって分かるだろ?
斬新さが必要なのは視点だ。単に表現が斬新なだけで視点がありきたりなままでは、違和感は解決されない。ありきたりな視点で解決できるならみんな違和感にモヤモヤしてない。
さて、1つの違和感に対して的確な表現を模索してると、突然頭がピカッと光ることがある。新しい視点のひらめきだ。
この回路を鍛えるために練習するのよ。1日に何十回もピカッとするようになったら人生(QOL)も変わる。
最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。
むしろ些細なことのほうがいい。エロ画像集めてると後で見たらあんまエロくないのに保存しちゃうことがあるだろ?興奮してると些細なエロでもエロく感じる。
それと同じで日頃から些細な新しさでも積極的に興奮していこう。派手な新しさの中に本当の新しさは少ない。些細な新しさの中にこそ可能性がある。
だから新しさの感度を高めていくのだ君達。ただし、フェイスブック式の機械的な「いいね!」にはならんように。それでは逆に感性が鈍くなる。
ちゃんと新しいと感じることが大事。ほんのわずかでも新しいと感じてるのを確認してからメモする。
.
いやあ、みんなありがとう。以下返信。
まず「なるほど」「こういう能力が欲しい」ってコメントしてくれた人達。ありがとう。
本エントリをツッコミ待ちと解釈した人達、ツッコミ入れた人達。バレちった?w皮肉じゃなく本心なら半分正解。なかなか鋭い。
>「秀逸なツッコミ」は「秀逸」だと気付かれないツッコミです。ツッコまれた人だけが「あ、なんか話しやすい」と思えるのが理想です。目立ちたがりのツッコミは存在がうるそうなる。
確かにそういうものかも。気付かれないほうが気付かせることができる。そう思うんだ。人にツッコむときは気をつけたい。
なるほど。そういう役割もあるね。いろいろ考えてみる。桂枝雀にも興味もったよ。ありがとう。
> 要は、何か違和感のある空気となった時、違和感へ触れることがタブーな雰囲気になる前に即ツッコミをいれてフラットな雰囲気に戻す事ができる能力=ツッコミ力ということでしょうか。
あぁ、場のみんなが違和感に触れやすくする役割もあるのか。他に、触れやすくても言葉にしにくい違和感を代弁して解放させる役割もある。両方ツッコミだけど想定してたのは後者。
> 例えツッコミが復活してきたのって、流れとしてはツッコミのボケ化だと思う。ボケはほんとセンスでやる行為だから真似できない、でもツッコミは例え上手くすりゃ形は真似できる。しかし本当はそっからが大切なんだ
面白い見解だね。ボケ的センスを加えたツッコミ。高圧的に間違いを訂正するツッコミから、ボケて違和感を解放してあげるツッコミへ。
> ツッコミキャラの自負持ってる奴はたいがいクソだと思うけどね
> ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。
いやそれは本当にそう思う。「鋭いツッコミ」ってある意味鋭くないものだよな。
> フリスビーをどこに投げても取ってくれるのがツッコミなのであって、違和感だの非常識だのは関係ないな・・と思ってるのでツッコミを鍛えたいなんて思ってなくて、だから関東の人の会話はフリスビーが飛び交ってる。
なるほど。確かに相槌に近いところがある。どんな暴投でも拾ってくれる相槌。拾う気があればスキルなんて鍛える必要ないとも言える。違和感というよりもっと広く「興味」でどうだろう。
> 笑いの話でいうと、司会者気取りでつまらん無茶振りをしてくるやつが不快。ボケをやりたがる人って少ないよね。
たしかにね。ツッコミが暴力装置になっててボケは損な役回り。だからツッコミの再定義が必要。また、意図せぬボケをしても関西風に「おいしい」と思えるかどうか。
> 日常生活で「面白いツッコミしよう」って思ってる人は、99%がスベッてる。自分の周りの『面白い人』を思い浮かべてみれば、無理に面白いこと言おうとしてないでしょ
うん。身体に染みついてないとな。ツッコミは笑いの道具である前に認識様式でないと。本読む時ツッコミ入れながら理解するけど、そのとき無理してるか?って話。
> 長いよ!自称Sですと同じニオイがする
> ツッコミは多分普段からのキャラの方が重要だと思うけどな。いじられる要素持ってたら言葉に何も説得力を持たないから。
そう。世間ではツッコミキャラ=いじり役になってる。それに目指す価値があるかってことだと思う。
> ツッコミスキルで一番重要なのは、望まれないツッコミはしないということではなかろうか。
批判的ツッコミは危ないね。人々の否定感情を代弁する批判的ツッコミも誰かを傷つけうる。
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補足。
ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感からの解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。
例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解や表現を与えないといけない。
だから、常識や固定観念でしか考えられないでいると、なかなか違和感を解決できないことが多い。違和感を解決できないから、文句を周りにブーブー垂れる。
また、違和感だけでなくその背後にある問題もなかなか解決できない。常識にとらわれて理解が不足し視野が狭くなってるからな。
そう考えると、文句ばっかり言うのは、SOS信号を出してるともみなせる。視野の広い人による愛あるツッコミ待ちってこと。
世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。
とある戦で撃ち負けた武闘派野良猫おれにゃん、敵の将軍にニンゲンの顔の皮を無理やり被せられ顔の皮膚と一体化してしまった。剥がそうにも剥がせず、しばらくはニンゲンのフリをして生きていた。ニンゲン界では猫の言葉が理解できる「猫好き芸人」という役回りでたいへん重宝されていた。
数年後、ようやくニンゲンの生活が慣れきたときにニンゲンの皮が腐って剥がれ落ちてきた。
崩れ落ちるニンゲンの顔の中から白黒のハチワレにゃんこ様の顔がでてきてこんにちはこんにちは!!あの懐かしきmixiのはまちちゃん事件ばりの挨拶したかと思うと次の瞬間、ガンダムに出てくるマザコン仮面の名前じゃない猫の威嚇声を放った。そして不器用に四本足で走りだし(途中で何度かすっ転びながら)、山奥へ消えていった…。
その数年の後、おれにゃんがニンゲンの頃に友人付き合いをしていた円山さん(愛称えんさん)が、通いつめてたSMクラブの女王様の指令のもと、南へ向かう途中の山の中で一匹の大きな猫に遭遇した。山に人喰いをする大猫が現れるという噂を聞いていた円山さんは猫を退治しようと剣を抜く、にらみ合いが続いた暫時、大猫はいきなり茂みに隠れてしまった。するとどこからか「危ないところだった、危ないところだった」と人の声が聴こえきた。
極度のビビり症の円山さんはパニクってパンツの中に少量、漏らしてしまったが女王様の指令にあった「常に大人おむつを装着すること」を守っていたために事なきを得る。安心しきっておむつがパンパンになってずり落ちてくるほど出しきって(どれだけ我慢をしていたのか、円山さんのマゾっぷりが垣間見れる)、一息ついたときに「危ないところだった」の声に心あたりがあるのを思い出した。
…あの声は一緒に女王様にロウソクぜめをされたおれにゃんの声ではないか?おれにゃんは女王様のロウソクを受けながらなぜか『危ない、危ない』と歓喜の声をあげていた…
円山さんは茂み向かい「その声は友人のおれにゃんではないか?」と叫んだ。
つづかない
(といっても小説ではなく漫画家•イラストレーター系絵仕事の方の)になってた。
(女の子の絵ですごく上手い)
(しかし漫画を見せてもらうとめっっちゃ下手 さっきの表紙が嘘みたいに人体もパースもめちゃくちゃ…)
なんかこの画力の辻褄があわないところがいかにも夢なんだけど、
しかし長年小さい頃から絵描いてて画力を磨きそのポストを憧れ、今でも本当は作家として独立したいと熱望しつつも
それになれず(とてもじゃないがこれだけでは食べれない)
腰掛けでゲーム会社のデザイナー社員をずっとやってる自分はまあ激しく嫉妬した。
弟は自分より後にポッと出で絵描き始めたにも関わらず商業作家として多少なりとも成功し仕事もらってその道を歩み始めている。
だってその証拠にラノベの表紙なんてそうそう貰える仕事じゃないじゃん。漫画の方はひでー画力だったけど…
弟はだんだん私の嫉妬を察知して、多分仕事がしにくいから母に遠ざけるようなんか相談してた。
が、私は嫉妬の炎が収まらず 事あるごとに、まあ前述の漫画の酷い絵とか、
とにかく弟の作品の粗探しをして酷くこき下ろした。こんな絵で商業なの?とかまあなんか色々醜いただの八つ当たり。
弟はある時私の悪口に我慢できなくなったのかいつものように嫌味を言ったら
いきなり肩を掴まれて何か言いたそうな目で鋭く睨みながら、
でもどこか哀しそうで涙を滲ませそうな目で震えながら私を見つめた。
私はハッとしてそれ以上何も言えなくなった。
そこで夢は突然終了。
起きてもあの目が印象的で忘れられない。
なかなかうまくいかない自分の方のプライドを保とうとしてる面が現実と繋がってて刺さる。醜い。
夢の中の弟=多分現実で先に芽が出て抜きん出て行った作家さんたちのような。
先にめっちゃ大手になって商業で沢山声かかって作家として成功してった人 2人程周りにいる。
自分も多少ファン着くようになってきたけど彼女達程には到底及ばない。
あぁ、売れたいなぁ。出る杭になりたい。
色々やってるけど本当に運やチャンスを掴むのは難しい・・・
多くの注目を集めるカリスマ性はなくて、
よくて脇役位のキャラなのかなぁ、
そういう運命とか星回りの元に生まれたかな〜…なんてつい言い訳してしまう。
人気を集める人ってのはやっぱいる。某A●Bの選挙に例えるなら
皆順位上げるために日々ライブしたりファン交流したりするけど1位ってのは一人しかなれない。
もし頑張りまくって2〜5位まで上り詰めたとしても
なかなか1位にはなれない状態がずっと続くとしたら?やっぱ悩むよね。
1位だけが全てじゃないとか、自分はそこの役回りではなくここのポジなんだ、
ここで頑張る星回りなんだ、って自分のポジに理由つけて自分に納得させるしかない。
そんなような気がしてる最近。
ああー売れたい…売れたいなあ。もっとがんばろ。