はてなキーワード: 植野とは
日本で同性結婚が認められていない現状が違憲であるかどうか争った裁判はまだない。
ただし、憲法24条1項に「両性の合意」「夫婦」という文言があることから、憲法学者の君塚正臣は、同性結婚は憲法の想定されたものではなく憲法問題と認められずに棄却されると推測している[3]。
自身が同性愛者であることを公表している市民活動家の明智カイトは、司法関係者の間に「憲法を改正しなければ、同性婚は法的に成立しない」という意見があると述べている[4]。一般社団法人平和政策研究所によると、憲法は「結婚が男女間で行われることを前提」とし「同性婚を認めていない」とする解釈が「現在の憲法学界の主流派解釈」であるという[5]。過去には青森県で憲法24条の規定を理由に同性婚の届出が却下されたこともあった[6][7]。法学者の植野妙実子は憲法24条を根拠に同性婚違憲論を唱え[8]、憲法学者の八木秀次も憲法の規定は「同性婚を排除している」と主張し[9]、弁護士の藤本尚道も「明確に『両性の合意のみ』と規定されていますから、『同性婚』は想定されていないというのが素直な憲法解釈でしょう」と述べている[10]。法学者の辻村みよ子は憲法24条の規定が「『超現代家族』への展開にブレーキをかけうる」として同性婚合法化の障壁になっているとの見解を示している[11]。
一方で、憲法学者の木村草太は、憲法24条1項は「異性婚」が両性の合意のみに基づいて成立することを示しているにすぎず、同性婚を禁止した条文ではないと説明している[12]。弁護士の濵門俊也は、憲法24条で規定されている「婚姻」には同性婚が含まれず、憲法は同性婚について何も言及していないため、同性婚の法制化は憲法上禁じられていないと考察している[13]。また、憲法第14条を根拠に同性婚を認めるべきだという見解も存在する[14]。セクシュアル・マイノリティの問題に取り組む弁護士・行政書士・司法書士・税理士・社会保険労務士などで構成するLGBT支援法律家ネットワークは、2015年12月、「『憲法24条1項は同性婚を否定していない』というのが憲法の趣旨や制定過程を踏まえた正しい解釈です。したがって、日本で同性婚制度をもうけたとしても、憲法24条1項に違反することにはなりません。日本国憲法が同性婚制度を禁止するものではないということは、憲法学者、民法学者からも有力に唱えられているところです」とする意見書を公表した[15]。
AAA 植野(高校生になっても反省してないド屑 エロいのでエロマンガでひどい目にあってほしい)
AA+石田(高校生になっても感情的になって友達に酷いことを言うゴミクズ 小学校時代のいじめの凶悪さは言うまでもない 金を返したり今かわいいかどうかもわからない女のために手話を覚えるなど評価できる行動もある)
AA 川井(八方美人なので糞ムカつくけどいじめに関しては直接手を下したわけではない)
A 島田(元友達を高校生になってもいじめ続ける陰湿さ 人命救助はして当然なので加点にはならない)
Aー 教師(いい歳した大人なのに子供たちの凶悪ないじめを黙認)
ーーサイコパスの壁ーー
D うんこ頭(なぜこんないいやつに石田のような友達しかいないのか理解に苦しむ 空気読めないところはあるかもしれないがマジで良い奴)
「友達はいるけどしんねりうるさがられてる」とかになるだろあの性格
それを言ったら将也みたいなのいじめるとか無理なんだけどね
佐原さん強い子!
作者のファンタジー出過ぎでは?
自己否定的な言葉吐くから印象操作されるけどあいつ1人だけ別の漫画みたいに全てを成功してるじゃん
自分のしらんとこで友達が勝手に飛び降りたからってなんで自己否定モードになるんだ無理ありすぎ
川井は、こいつだけは好きになれない。
うすっぺらかった
うすっぺらかった2号
って作者も言いたそーだけどさー
親友だったものを自殺するまで長期間しつこくいじめてなんとなく仲直りとか許されるとかいいの?
そういう雑さが結果としてただのアンフェアさやアンモラルさになってて飲み込みにくい箇所は至るとこにあった
勢い余って告白しちゃう西宮かわいいよおおお!!!結絃の何気ない「石田彼女つれてたぜ」って嘘ずっと気にしてたんだね!!!そんで植野のこと彼女だと勘違いしたんだよね!!!「やっぱり普通にしゃべれる女の子がいいのかなぁ」なんて悩んでたりしたのかな!!!かわいいな!!!!
自殺するレベルに自分嫌いな人間がライバル押しのけて告白とかできるかなあ?
自分が何もしないでいるうちに、将也と西宮が手話で会話する仲になっているのを知った時の泣き笑いたまらないよお!!!完・全・敗・北!!!って感じだよね!!!笑いながら泣くしかないよね!!!成人式に婚約指輪もらったフリまでして将也の気を引きたいのに、まったく裏のない笑顔で祝福されちゃうのもかわいいよ!!!!
好かれるようなこと一切やってないのに「私は選ばれない」とか言ってて
エントリすらしてないのに「採用通知は来ない」って言ってる感じ
でも一番好きなのは竹内先生と将也が再会するところ!大人にとって自分の間違いを認めるのは、難しいこと!!!ハズレを引いた、自分の責任ではなかった、それでも自分は反省している善良な人間、そう思って、それで終わりにしたいよね!!手話をマスターして、それで償いになったって思いこみたいよね!!!そこにかつての教え子がやってきて、過去の罪をまるっと認めて、そして向き合ってる姿を見せられたら、そりゃ認めるしかないよね!!!
自分と同じように手話覚えてるのを「立派」っつってるだけじゃね?
「フランスに音楽修行にいく」ってなんや? つかその情報必要あった?
遊園地でも祭りでもたこ焼き屋として出てくるのは不自然&意味不明すぎた
そこが最高に疑問だった
そういうのコミュニケーションていわないだろ
結局石田をいじめてたやつらへの報いがなかったのが個人的にすっきりしない
結局当事者にならないと身にしみないっていうことをつきつけられた感じもする
特集記事で「掘り下げられてないことがたくさんある」ってインタビュアーが聞いてた(例えば小学校のとき石田母が西宮母に謝罪にいったときにひきちぎられたと思われる出血描写)けど、モブ含めてもっと引き延ばそうと思えば引き伸ばせたんだよな
映画もやっているし、知っている人は多いと思うが意外に読んでいない人がいる。
なんでも、集団いじめをテーマにしてる漫画と聞いて、重いと思ってしまうらしい。
なんてことだ!!こんな面白い漫画を読まないなんてもったいない!!!
というわけで、ネタバレを極力避けつつ、読んでみようかなと思わせるレビューを書くことにした。
この漫画は、一言で言ってしまえば、障碍者と前科者が社会に居場所を見つけるまでに直面する、人と人が分かり合うことの難しさ、尊さを描いた物語である。
硝子は聴覚に障害のある少女で、障害ゆえスムーズなクラス運営を妨害してしまう彼女は、転校を繰り返すがどこに行っても疎まれいじめらる。
将也の学校でも同じように疎まれ、将也を中心にいじめられるようになる。
将也のいじめは後にクラスで問題になり、逆に彼がクラスの集団いじめの標的になる。
このようにして、自分の犯した罪の重さを知った将也は、高校生になって硝子に謝りに行く。
将也が過去の罪を償うべく、硝子やその周囲で奔走することで物語が動いていく。
それを重く感じる人もいるだろうが、むしろ子供のころいじめられがちだった人こそ、この漫画を読むべきだと思う。
いじめや障害といった要素は主題ではなく、この漫画の本当のテーマは人と人が分かり合うこと、「聲(こえ)の形」なのだから。
手話は声を目に見える形で伝えてくれる。
しかし、それだけでなく、この漫画には本当に様々な「聲の形」が描かれている。
気を付けなければ見落としてしまうような、表情、しぐさ、間、すべてが「聲の形」である。
だから読み込むことで、「この人はこういう時、こんな顔をする」というのが分かってくる。
声が伝わってくるようになる。
誰が何を伝えきれず、見落とし、どうすれ違って、最後にどう和解するかが分かってくる。
優しいというのは、人の持つ人格を、その人はそういう人なんだと受け入れることである。
好き嫌いは別として。
強いというのは、人に向けた好意は、必ず好意と伝わると信じることである。
好意を返してくれるかに関わらず。
彼らが小学生の頃、誰も優しくもなければ強くもなかった。
本当なら、優しさや強さを教える立場の教師達も、それができなかった。
皆が傷ついた。
高校生になり大人になりつつある彼らは、やはり不器用に傷つけあいながらも、本当の優しさと強さを手に入れていく。
人は不幸にも、人生のどこかで人を信じないことを覚えてしまう。
人と真剣に向き合っても損をするだけ、表面上だけ合わせてやり過ごすことを覚えてしまう。
自分も人を信じて、向き合ってみようか?
また裏切られるのかもしれないけれど。
でも、その時が来るまでは優しさにあふれた世界を信じてみよう。
それが、自分を良い方向に連れて行ってくれる。
これは、そんな気分にさせてくれる物語。
さあ、読もう。
ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!西宮!西宮!西宮!天使!天使!天使!かわいいよ西宮!西宮かわいいよ!!!!!1話目の隙を見て逃げ出そうとしてる唇とがらせた顔がかわいいよおおおお!!!!母親が投げ捨てた筆談ノート取ろうとして、勢い余って川に落ちるときの絶望の表情がかわいいいよおおおおお!!!!いじめられてにへらっとしてる表情がかわいいよおおおおおお!!!!!!!進路をどうするか聞かれて、うんうん頷きながらどや顔してるのかわいいよおおおおお!!!!!!!!!ショーちゃんのおててをしゃぶしゃぶしたいよおおおおお!!!!!ショーちゃんの感情表現の手段、大事な大事なお指をなめ回したいよおおおお!!!!!そしたら舌ったらずな声で「い、いあ……」とか言ってくれるのかなあ!!!!!泣きそうな顔で「りゃ、りゃえて……」とか言うのかなあ!!!!!涎でぬめぬめでろでろになったおてて、これも聲の形だよね!ショーちゃん!!!!!
そしたらいいタイミングで通りかかった将也にぶん殴られるのかな!!!!「西宮ッ!!!大丈夫か!?」とか言いながらさりげなく肩とかに手を置いてなぐさめてあげたりするのかな!!!そして次の日に「昨日は殴っちゃってごめんな。お前はお前なりに考えがあったのかもしれないのにな」なんてメールを送ってきてくれたりするのかな!!!!!ごめんね!!!!世の中にはそんなに深く考えこまなくてもいい事があるんだよ!!!!!!
でもやっぱり植野が一番かわいい!!!鬼のような形相で西宮の髪ひっぱる姿がかわいいよ!!!!ちょっとした小動物なら心臓発作で殺せそうな顔面で永束君罵ってるところかわいすぎるよおおお!!!!!罵って!!!もっと罵って!!!!そして恐怖のあまり失禁したい!!!!失禁する姿を底冷えするような冷たい蔑みの目で見られたいよおおお!!!!!!!そのくせ一途に将也を想ってる所がかわいすぎるよおおお!!!!走る時の「したたたたた」って効果音がかわいすぎるよおおおお!!!!!走れ!君はどこまでも行ける!!!!
永束君ぼっちなの納得いかなくね!?オタク友達それなりにできるでしょ!こういうタイプ!佐原さん強い子!川井は、こいつだけは好きになれない。真柴君ほんと蚊帳の外!ザ傍観者視点!
島田ってもう将也と仲直りしてるよね!?あとはきっかけだけだよね!?遊園地で再会した時の「ふっ」って笑顔、1話目で母親と将也がじゃれてるの見て笑ってる顔と同じじゃん!なんかもう、途中から引っ込みがつかなくなってたの気にしてたんだよね!「ずっと気にしてたけど、なーんだ、楽しそうにやってるじゃん」って顔だよね!あれ!
勢い余って告白しちゃう西宮かわいいよおおお!!!結絃の何気ない「石田彼女つれてたぜ」って嘘ずっと気にしてたんだね!!!そんで植野のこと彼女だと勘違いしたんだよね!!!「やっぱり普通にしゃべれる女の子がいいのかなぁ」なんて悩んでたりしたのかな!!!かわいいな!!!!
西宮と再会するとこの植野も最高にかわいいよね!!!!西宮の補聴器取って「ぶん投げて遊ぶ?」って言ったとこ、すごいグロテスクだったよ!!!子供の残酷さって本当に怖いね!!!!トンボの羽をむしって遊ぶのと同列に、西宮のこと見てたってことだよね!!!怖すぎるよ!!!!だけどそれが幼心というもの!!それに気づかせてくれてありがとう!!!!人に共感する能力って、年を重ねながら学習する能力なんだね!!!
自分が何もしないでいるうちに、将也と西宮が手話で会話する仲になっているのを知った時の泣き笑いたまらないよお!!!完・全・敗・北!!!って感じだよね!!!笑いながら泣くしかないよね!!!成人式に婚約指輪もらったフリまでして将也の気を引きたいのに、まったく裏のない笑顔で祝福されちゃうのもかわいいよ!!!!
植野、容赦なく人の事ぶん殴るくせにいい子だよね!!!人に敵意や悪意を見せるより、曖昧に笑顔で流しちゃうのが楽だし傷つかないし、大人の対応だよね!!!だけどあえて、そうしないのは、心の底で人の善性を信じているからだよね!!!嫌いな奴だから、社会から抹殺してやろうとか、陥れようなんて考えないって、信じているんだね!!!
佐原、芯が強い子だよね!!!植野が西宮殴りまくってる時の罵り合いのさなかで「友達だよ!」って叫べるのすごいよ!!!植野と西宮母、拳で語り合いすぎでしょ!?平手打ちもコミュニケーション!これも聲の形!!!男前!!!!好きすぎる!!!!
でも一番好きなのは竹内先生と将也が再会するところ!大人にとって自分の間違いを認めるのは、難しいこと!!!ハズレを引いた、自分の責任ではなかった、それでも自分は反省している善良な人間、そう思って、それで終わりにしたいよね!!手話をマスターして、それで償いになったって思いこみたいよね!!!そこにかつての教え子がやってきて、過去の罪をまるっと認めて、そして向き合ってる姿を見せられたら、そりゃ認めるしかないよね!!!かつての教え子に、逆に教えられる!最後に「立派になったじゃないか」って言うところ、将也達は廊下に出てるんだから、慌てて職員室の入り口まで追いかけてきて言ってるんだよな!!!最高すぎる!!!!
最高と言えば成人式の同窓会に西宮と手をつないで入っていく将也ほんといいよね!!!かつて取れなかった手を取って歩いていく姿!!!最後に度胸試しした橋で西宮と会うようになる展開も最高だし!!学園祭の見開きで顔から×取れるシーンも最高だし!!小学生のころの度胸試しとか広瀬のなにげない一言を後々生かすのも最高すぎるし!!!永束君の映画酷評してる審査員、お前もチャップリンみたいな髭生やしてね!?!?!?島田バイトばっかりして、もしかして留学資金自分で貯めてるし!!!西宮視線でみんなが変な声でしゃべる世界の回想も最高の感涙だし!!!そっか、西宮が生きてる世界って、こういう風に見えてるんだって、感涙だし!!!将也が目覚めてから橋で奇跡的に再開する時に、じっと将也の顔を見る西宮かわいすぎるし!!!将也と西宮がいつも二人して同じこと考えてるの最高だし!!!将也と植野は似てるようで似てないし!!!もしかしたらもしかして、西宮と将也の物語が、植野次第で将也と植野の物語になってたかもしれないのも最高の最高の最高だし!!!!!とにかく最高な漫画だった!!!
AAA 植野(高校生になっても反省してないド屑 エロいのでエロマンガでひどい目にあってほしい)
AA+石田(高校生になっても感情的になって友達に酷いことを言うゴミクズ 小学校時代のいじめの凶悪さは言うまでもない 金を返したり今かわいいかどうかもわからない女のために手話を覚えるなど評価できる行動もある)
AA 川井(八方美人なので糞ムカつくけどいじめに関しては直接手を下したわけではない)
A 島田(元友達を高校生になってもいじめ続ける陰湿さ 人命救助はして当然なので加点にはならない)
Aー 教師(いい歳した大人なのに子供たちの凶悪ないじめを黙認)
ーーサイコパスの壁ーー
BB+ 島田じゃないほうのデブ(友達を裏切るのは論外だが島田ほど積極的にいじめていたわけではないように思える)
BB 西宮(全体を通して概ね被害者の立場であるが、自殺の件は擁護できない)西宮母(結果論だが娘の為を思うなら西宮を適切な学校に入れるべきだったのでは?石田母のピアスを引きちぎったり再会した主人公を突然殴るバイオレンスさはなかなか) 石田のチャリを盗んだやつ(借りパクは立派な窃盗である。高校生にもなって校内で恐喝。チクられる可能性は頭になかったのだろうか)
B 真柴(よく知りもしない小学生のときのいざこざに感情的になる屑 もっと友達を信じよう)結弦(姉を思っての行動とはいえ主人公を1週間の自宅謹慎に追い込む屑 その後謝罪も無し かわいいので許す)
ーークズの壁ーー
CC 佐原(概ね聖人のような振る舞いだがすぐ逃げるのは玉に瑕)
C 石田母(全体を通して完全な被害者である このような母親からなぜ石田のようなクズが生まれたのか 悪いことといえば金を燃やしたくらいだが事故なのでノーカウント)
D うんこ頭(なぜこんないいやつに石田のような友達しかいないのか理解に苦しむ 空気読めないところはあるかもしれないがマジで良い奴)
*観に行った当日に書いたものです。極力他人の感想等を見ない・聞かない努力をしています。
*とはいうものの記憶は薄れてしまっているので、読まれる方の混乱を防ぐためWikipediaなどのによりあらすじ・登場人物名確認を行った上で投稿されたものです。
*自省的なものです。レビューは他のかたの記事をお当たりください。
-----------------------------------------------------------------
-----------------------------------------------------------------
映画を見なくて久しい友達が、ハリーポッターくらいしかまともな(?)映画を見たことのない僕に「観に行かへんか」と誘われ数々の選択肢から導かれて「聲の形」を観に行くことになった。
コミック未読の身としては、予告編の限りでは「普通によさそう」だと思い前向きだったが、相方はヒューマンドラマ的すぎて醒めてしまうのではないか、と消極的。結局後々の話題性(新学期の話のネタ)を考慮した結果がこれだったんですが。
-----------------------------------------------------------------
昼過ぎ集合、東宝の某劇場で別の映画を観るも機材のトラブルでサイレントに。7割は観たけど全額返金で謎のオトク感をかみしめ、軽食をとり松竹にうつる。
スクリーンにつく。若い人が多い印象。ぼくらみたいに男だけで来てる集団もかなり多かったような・・・
-----------------------------------------------------------------
-----------------------------------------------------------------
-----------------------------------------------------------------
主人公・石田が責任を負う形にはなるが、西宮に対するいやがらせは根本的には植野(黒髪の女子)から始まったように描写されている。
そもそもこの「いやがらせ」から「いじめ」への変遷で最も大きなものは、攻撃人数の増加・攻撃者の集団化だと思う。
集団化とは、ときに思わぬ人を巻き込むこと。川井(クリーム色の髪の女子)は集団化の被害者であり西宮への加害者である。
また、極端な描写とはいえ、教師の配慮の無さも事態をエスカレートさせている印象があった。
加害者追及(石田が全責任を負う)の場面は自分の小学生時代の記憶がフラッシュバックした・・・(加害者ではなかった分とても不愉快な記憶)
どれもこれも、人の未熟さゆえの出来事であり、高校生になった今、未だ未熟でありながらも、子どもたちはあの時の集団性を見返すのです。
-----------------------------------------------------------------
なんといっても、主要人物全員が橋の上で集まるシーンがこの作品の中核をなしていると思う。
広義的ないじめ加害者・観測者はすべてあの人物中にカテゴライズできる、と言っても過言ではないかもしれない。
そしてその一人ひとりに対し「主要な」いじめ加害者・石田が吐き捨てる言葉は的確であり、「こんなやつおるよなあ」と感心したくらい。
永束のキャラ性は決して浮きすぎず、むしろ重くなりがちな展開を緩和してくれてありがたい。
-----------------------------------------------------------------
途中に入れようとしたけど入れられない書きたかったところ。
すぐ「ごめんなさい」と伝える傾向にある西宮に対し、怒りを爆発させる植野の心情。
いじめは攻撃のある場にいるだけで参加しているようなものだ、と思う(陳腐ですが)。これを自覚できずただ流されるままの人間にはなりたくない。
たとえ偽善者と言われようと、嫌悪感を抱いたら行動は起こすほうがいい(身の上のためにも)。
島田(金髪男子・遊園地のバイト)はともかく、広瀬はWikipediaみるまで覚えてなかったんですが、なぜ彼らが石田の命を救ったのか。
・永束の扱い
記憶が正しければ劇場においてはいわゆる「正義の味方」役にとどまっていたはず(Wikipediaに載っているようなバックグラウンドは描写されていない)。ただこの一面だけであっても、実に典型的で現実的ないじめの観測者になっている。
・美也子(将也の母)の人物像
綺麗事を並べているわけでもないが、将也をはじめとした多くの人物に一言で影響を与えるとてもいい役をしている。画面にいるだけで安心する(?)。
劇場では厳格で冷たい人物であるように事故前まで描かれていた。館内で配られたSpecialBookでバックグラウンドが補完されている(ことにあとで気づいた)。
・そして、結弦
・石田・西宮が立ち寄った現代美術的モニュメント群は一体・・・?
はじめは金沢美術館あたりかなあと思ったんですが、舞台である岐阜の大垣市は結構名古屋寄り・・・今度調べなければ。
---------------------------------------------------------------------
全体的な感想としては、久々に映画を観るからか、とても楽しめましたし、精神的収穫もありました。
これが「日本映画の典型的なお涙頂戴」とは違う感慨であってほしい・・・
とりあえず自分の思ってたことはかけたので、他の人のレビューを見ていって補完していきたい所存。
---------------------------------------------------------------------
以下オタク雑感。
アニメをみてたのはほんの一時期だったので全話見て知ってるのは俺妹のあやせたんくらいなのですが(すでにうまい)、某動画サイトで異能バトルなる作品での名演が残されています。5分間しゃべりっぱなし・・・
いじめの様子を目の当たりにして、僕は劇場に来たことを後悔した。
原作である漫画は全巻読んでいて、事の結末まで全て把握しているはずだった。
それでも、イラストだけでなく映像という形で視聴する事で、これが初めて観る作品であるかのような衝撃と胸が締め付けられるような感覚を得た。
いじめを招いてしまった当事者のみんなも、いじめに対し悪気は無かったのだと思う。
けれども、将也を中心とするいじめは次第にエスカレートし、植野はそれを一緒に楽しみ、佐原は辛くなり途中で逃げ出し、川井は見てみぬふりをした。
(川井の台詞は後の将也に対するいじめの決定的な理由を作った。)
高価な補聴器の紛失と故障がきっかけとなり、硝子は転校し硝子へのいじめは収まった。
ただ、いじめの矛先は将也に切り替わっただけで、硝子へのいじめが明るみになった事が、いじめそのものを無くす方法にはなっていなかった。
将也と硝子の自殺未遂に共通していた未遂の発端は、2人の弱さにもあったと思う。
作中、周りの生徒の将也に対する誹謗中傷の台詞は、将也自身の声が当てられていたが、卑屈で自意識過剰になった将也のメンタルが反映されていたと思う。
また、自分へのいじめは見て見ぬふりが出来たものの、想い人が嫌な目に遭っている事に、ついに耐えきれなかった硝子。
小学生の当時から生きやすいように、自分にとって都合の悪い部分から目を逸していたものの、それを直視せざる得ない状況になって限界を迎えてしまった。
決して2人だけが悪いという話ではない。
かと言って、誰が悪いというわけでもない。
コミュニケーションのぎこちなさが、微妙な噛み合わなさが、作中の登場人物が置かれたいびつな状態を作り上げてしまったと感じる。
ただ、2人に関わった人達が硝子の未遂と将也の転落事故をきっかけに少しづつ変化し、将也の通う高校の学祭を迎える事となる。
そこで、ついに将也の雨空のような視界が晴れやかとなった。「×」が付いていた周りの人達の顔から「×」が全て剥がれたのが、将也自身の心境に変化が生まれた証拠だろう。
硝子についても、植野に対して手話で「バーカ」と言い返していた。人に対し言いたいことをきちんと言えるような人に変化したのかもしれない。
物語終盤は、2人の未遂を乗り越えて成長した人たちの様子が描かれていたが、同時に視聴者である僕達の変化も期待されているのかもしれないと感じた。
この作品におけるいじめは、身体障害を持つ硝子の身にのみ起きたものではなく、健常者である将也の身にも起きた。
聴覚障害という硝子の身体障害がきっかけではあったものの、それが無いと起こり得ない話だとは感じられなかった。
作品の中で植野は「西宮が最初からいなければ良かった」と硝子に対して直接言ったが、後にその植野自身が手話を覚えたという事実だけで、硝子のネガティブな気持ちはだいぶ軽くなっていたと思う。
聴覚障害者、ひいては身体障害者が持つ障害という名のちょっとした壁を、たったそれだけをきちんと考慮し、周りの人が受け入れ取っ払おうと努力する事が出来れば良い話なのかもしれないと感じた。
それは身体障害者だけではなく、他の極一般的な人たちに対する差異の理解にも通ずるものだと思う。
万人がそういった感覚を持つことが出来れば、いじめは無くせると思う。
そういった理解を助けになったこの作品を視聴することが出来たことは良いと思えた。
もう当初の後悔は無い。
みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想。
・くっついた
新海誠は、恋愛映画は最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。
・人以外の絵が綺麗
彗星とか。ご神体の盆地の外縁からの景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。
上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方は保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。
・手の動き
・主題歌
前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議。
実態に即しているかは不明だがリアリティを感じた。各人物の無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートがあんまりにも面白かったので、特別な事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存の作品を教えて欲しい。
各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。
・ゴジラが怖い
今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路や家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程で作品のリアリティのレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。
石原さとみは別に悪くない。通勤中東京メトロの看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。
・OP
冒頭は石田がカレンダーでカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田と島田と島田じゃないやつの関係性をモンタージュで表現しながら右から左にジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。
・永束
一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使。
・結絃
みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧な仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス。
・取捨選択
この映画は石田が主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者は恋愛ジャンルを標榜していないが、映画はさらにその手の描写をオミットしている。例えば植野の石田に対する感情は原作と変わりないのだが露骨な表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマにフォーカスすることに成功していると思う。恋愛はコミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態にしか過ぎないので。石田や西宮の行動についても、原作では読者が意図を解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプの映画。川井は描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間の映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。
・鯉
パンを食べさせ過ぎて怒られそう。
映画観てないけど。
聲の形面白かったけどけど、なんかろくな感想書いてるやついねーなクソと思ったら、
本にまでなってるなぞ解き聲の形ってサイトに全部書いてあった。
でもなー。
そこで長大に考察してる因果応報っていうよりは、まさに声の形についてずっと描いた物語に見えたよ。
声って目に見えないし形がないものだけど。
形があるなら、目で見てはっきりと伝わるものになるかと思えば、そんなこともなく。
逆に、耳や言葉に不自由のない、健常者だって、ろくに気持ちなんて分かりあってないよねって、あからさまになるという。
植野が硝子と再会してつっかかって、将也と硝子の間に割って入れない関係ができてるって悟って泣き笑いするシーンが、まさにそれだよな。
耳が不自由だと、大勢の健常者とはコミュニケーションをとりずらくなって壁ができるけど。
手話ができる二人と、できない植野の間に、逆に壁ができてしまう。
声の形について、考えさせられるシーンだ。
耳が聞こえないとコミュニケーションに不自由して気持ちが伝えられない、ハブられる、迷惑をかける。
そんなの言葉が普通に使える人も、大差ないじゃんよって話だよな。
子供ならではの残酷さと間違いを、大人になりかけの高校生がずっと引きずって、本音も言えず、本音を言い合えば皆楽になるのに言えず。
そういう傷を負いながら、生きていくって。
面白かったなぁ。
硝子と将也が手話で会話するのを見て、
「ほら やっぱり立派になったじゃないか」
というシーンで唯一泣いた。
そして、他人事として眺める分には、最高に感動できるセリフでも、物語の当事者たちには、わだかまりを払拭するには十分じゃないという展開に最高に泣いた。
声の無力さよ。
しかし我々は声にたよって、無様に、お互いに怯えながらコミュニケーションをとっていくしかないのだった。
ほんと面白れぇな!
ヤマンバ、イベサー、ガングロ…ギャル・ギャル男はどこに消えたのか?
http://ddnavi.com/news/221113/a/
去年の記事だけど、わりとまともに書かれてる。
読モらの活躍などによって一般層にまで渋谷のギャル文化が流行したこと、そしてギャルファッションが産業化したことによって間口が広がり、先鋭的な部分や不良性が薄まり、ギャルファッションは普通の人のものになりました。ギャル文化はエッジィなものではなくなってしまったのです。
カラコンやつけまみたいなギャル固有の文化もいつの間にか、清楚系ビッチの中に溶け込んでいるしね。
従来の渋谷のギャルの正当な後継者には「ネオギャル」という存在があります。彼女たちはヤンキーのように地元志向ではなく、性格はアグレッシブ、経済的に余裕のある家庭出身の人が多いですね。そして文化や経済のグローバル化を非常に意識していて、ファッション面では髪の毛がプラチナのように明るく、肌は色白です。代表的なのはモデルの植野有砂さんや、串戸ユリアさんなどです。
また水商売系のギャルの一部も「ネオギャル」に含まれます。彼女たちの中には、そこで得た資金をもとに海外留学を目指す子もいますし、従来からいたような自分の店や会社を経営したいと思っている野心家の子たちもいます。彼女たちも渋谷ギャルたちの後継者といえるでしょう。
読切版の突き放した投げやりな感じはそれ自体がエンタメとして面白かった。
割とリアルでもありそうな感じしたし。
でも連載版は・・・一気にファンタジー感が増して、悪い意味で正視できないレベルに成り下がってしまった。
少年漫画雑誌で連載するにあたってのマンガチックな表現は仕方なかったとしても、だ。
全体的に冗長だったし。
読み切りとくらべて何が一番ダメだったかっていうと、わざとだと思うけど、ろう者の心理描写を描かなかったところ。
読切版だとそれがうまいことダシになってたけど、さすがに連載版で情景描写とか周りの人間だけで全部を回すのは無理があった。
あえて描かないという作者の選択は、正面切って描くことから逃げたっていうこともできる。
別にメッセージ性強くしろってわけじゃないけど、結局大事な勝負からは逃げたままで終わったという印象。
人間ドラマとしても、キャラ・ストーリーともに作り物感が出過ぎてていまいち入り込めない。
何かと絶賛する意見しか聞かないけど、そこまで「描き切った」感とか「読みきった」感は、最後まで感じられなかった。
とりあえずこれ褒めときゃ無難だろう的な意図がかなり大きくて、ランキングにこれが出てるだけでげんなりする。
まーぶっちゃけ、こんだけ大衆に受け入れられてるのに抵抗があるっつう中二病的なツッパリがまったくないわけでもないと思う。
でも、そこまで言うほど面白いか・・・?と疑問を持った感情だけは純粋なものだと胸を張って言える。
合う合わないなんてあって当然だしね。