はてなキーワード: 部活とは
私は第二次性徴があらわれるのが遅かった。
とりあえず生理のようなものがだいたい毎月くるようになったのが高校の半ばごろだった。産婦人科では、子宮が未成熟であると言われた。
そういう訳だから体の発育はものすごく悪く、ガリガリで背ばかり伸びていった(身長は最終的に163cmで止まったが、22歳まで伸び続けた)。もちろん胸などない。なぜか毛は生えた。。理不尽。。
周りには、小学生の頃から生理が来てムチムチの女の子であふれていた。うらやましかった。そういう子は早くに身長が止まって、性に貪欲で早くから彼氏をつくり、部活はバレーボールをしていた。何か法則があるのだろうか。
田舎だから、胸がぺったんこで体型が小学校低学年と変わらないことを同級生や姉に散々揶揄され、当時は死ぬほど悩んだ。親もフォローしてくれなかったな。。修学旅行や宿泊研修では、生理だと嘘をついて絶対に部屋についてるお風呂に入った。このような強いコンプレックスを持つ原因は、育った環境が強く関係していると思う。やはり田舎は糞。
どうして自分には皆のような体の変化が訪れないのだろうと思った。何か悪いことをして、自分だけに罰が与えられているような気持ちだった。
子供の頃から、身長以外の変化があまりないまま来てしまったため、それをうらやましがられることがある。人はないものねだりなのかもしれない。しかし、私は女の子らしい体が喉から手が出るほど欲しかったし、今でも欲しい。自分の力でどうにかなるものではないので、理不尽だと今でも思う。
大人になるにつれて、自分の体型についてだいぶ諦めがつくようになった。でも精神の調子が悪いときに、背が低くてムチムチした乳の大きい女の子や女の人を見ると暗い気持ちになることがある。
できないっていうか、行動が全部遅い。
応用が効かない。
そもそも指示待ち。
時間内に終わらせる気もない。
会話のキャッチボールが続かない。
注意したら目に見えて動揺。
萎縮して余計に仕事にならない。
日毎に嫌いになってる。
仕事の流れが大抵、
→「まだです」って言う(急かされてんの気づけや)
→痺れ切らした指示者がちょっと注意
みたいな感じ。
具体的なエピソード書くと
指摘したらまるで大罪を犯したような謝り方するし
余計に周りをシャットアウトして
これ以上ないくらい優しく教えてた。
仕事覚えてもらわないと困るし。
「ここまでわかった?うん、そうそう!
やったねー!じゃあ次はこうしてね」とか、
「今の、ここは良かったけど、こっちは
もっとこうしてみるのはどう?」みたいな。
どんなにイラついても
言い方を変え、説明を工夫して
キツくならない注意の仕方をしてた。
優しく丁寧に。
一応うまくいってた。
そしたら、
私が他の人から優しく教えてもらってる時
って思うようになった。
私、覚え遅くない?
早くメモ取れよって思われてるかも
そんな初歩的なこと理解できてないの?とか
話長い、まとめて喋れって思われてない?
それ前も言ったけど、
思われてるんじゃない・・・?
職場の人みんな優しくて、
今までこんなの思ったことなかったのに。
しんどい。
どうしたらいいんだろう。
元エンジニア。男社会で働くかっこいい女……なんてリベラルな追い風もなく、珍奇な奴として変人に混じって働いてた。入院した先で会った研修医の男の子に一目惚れして結婚、結婚後も2人目までは頑張って勤めてたけど、旦那方のお家に昔から勤めてらしたお手伝いさんが亡くなって、三人目の育児もきつくなったので辞めた。それから四人目を生んでずっと専業主婦として生きてきた。今はその末息子がやっと就職したおばあさんよりのおばさん。
子育ては、やり出したらのめり込む気質だったから、ともかくとことん付き合おうって決めて育てた。長男妊娠中に読んだ、エジソンの母親の話にすごく感銘を受けてたのと、その頃ちょっと流行ってた教育研究者の影響ね。
子供のためなら海でも山でもコンクールでも海外でも連れてって、付き添って、送り出して、一緒に勉強した。
まさに自慢の作品たち!って感じなのよ
仕事を辞めて心血注ぎ込んで大事に育てたものだから、子供の成長が自分のキャリアみたいなとこあるのよ
子供なんて勝手に育つものだから手柄にしちゃうのも図々しいけど
立派に育ってくれて
長男長女は生徒会長を務めるし、部活や習い事も結果を出して官僚、医者、大企業×2と親としては自慢したくなるようなところに勤めてくれて
いやーやりきりました!って感じなの
だが、なんだか何も残らなかったなーと虚しい
言っちゃ恥ずかしいが、子育てって頑張ったら子供はエジソンになるんだと思ってた
どっちも東大行って
みたいな
医者って、世の中に山ほどいるし
あっ普通じゃん、って
就活だって勉強だって並々ならぬ努力してたのも知ってるし、すごいんだなってのは自分もわかる
けど、なんだろう
子供らは普通に幸せそうにしてくれていて、母親としては嬉しい限りなんだけど
普通に優しくて、普通にいい仕事について、普通に生きてくれてるけど
元が良くて、頑張っても
普通の人(特上)になるだけだった
子供に習い事させたり学費を出したりしてると、家計は普通に庶民。毎年海外旅行に〜なんて無理だし、一生堅実にコツコツ生きてローンを返そう、みたいな。せいぜい学校が私立になるぐらい。
スーパー経営者になって毎年海外旅行に行って欲しいわけじゃない。そうなってもきっと今とおんなじ気持ちだろう。
子育てって、普通に育って御の字だということを育てきってから知った。問題ばかりの子供だったら、今の姿にすごく感激するのかもしれないが、幸い特に問題児という子はいなかった。
自分の夢に向かって努力するのは相応の夢が見れたんだけど、なんだかなあ。
わたしが期待しすぎなのだけど、ほんと、こんなもんかーって拍子抜け感が半端ない。
というか何を期待して育てたんだろう……。
何になってもきっとこんなものだったんだろうな。
子育て、楽しかったけど残るものはないな。「お盆は車で帰省します🚗」とか長男のお嫁さんからLINEきてるから、またフツーの若夫婦がフツーに孫連れてフツーにやってきて
魔法使い、革命家、とんでも発明家…とかだったら楽しそうなのに。
歳のせいなのかな。サラリーマンも退職後、人生が虚しくなるっていうし。子育てを通して自己実現、とかわたしには無理だったわ。子育てで実現するのは子供の人生であって、わたしの人生ではなかった。こんなことなら、花道の先生にでもなりゃよかった。
再就職目指せるぐらい若かったらなーと思いつつ、Pythonを勉強してるけど昔ほど楽しくない。
この先も大したことなさそう。人生見通したっちゃって飽き飽きする。若いうちに世界一周とか、もっと素敵なことしてればよかった。この歳で、アフターコロナじゃ無理だわ。
平凡を望む性質でもないのに、平凡に生きて、平凡なハイスコアで、でもやりたいゲームじゃなかったから全然満足できない。
時代的に子供産んだけど、そんなに望んでなかったのよね。旦那大好きだけど、医者じゃなかったらなあ。
人生普通なのってつまらないのね。子供がいるうちは何かとバタバタしてて気付かなかった。子供の成長だけがギャンブルだったわ。あとは犯罪でも犯さないことを祈りながら消化するだけ。
部活も運動部の比率は男のほうが多くて、女は楽ちんな部活ばっかしだし、
トレーニングと言ったら男はビッグスリーをやるのに対し、女は一日一分だけ簡単トレーニングとかそんなのばっかりだし、
会社で女性が出世できないのは根強い差別のせいかもしれないが、差別と関係なく志ざせば誰でもなれるはずの起業家にも女性は少ないし、
ヒール履いてたら気を使ってやらないといけないし、
男は歩くときは車道側、エスカレーターは下側、ドアは開けてやるとかしないと行けないし、
仰向けにさあワタシを気持ちよくしなさいという構えを取るだけで、一緒にセックスを作り上げようという心意気が感じられないし、
男が手マンする前にはちゃんと爪を切ってつやつやに磨くのに対し、女はネイルとか言ってチンチンに危険な真似するし、
潮吹いたら、気にしないでいいよと言って、あとでシーツ洗うのも男だし(俺の家だから)、
女子が逝くまでひたすら射精を我慢しないといけないのも男だし、
ホント勘弁してよね
どんな業種業態でもそうだが
イカれた組織でイカれた仕事をイカれた方法で回す能力は全くの別物だからな
こんな今どきヘタすりゃそこらの部活やってる女子高生でさえ当たり前にわかってることさえわからないほど酷い人生だったといわれたらごめんなさいとしか言えないが
・舞台は現代で、日常的なものがいいです。友情とか青春とかミステリーとか。
×魔法とか異世界とかは好みではありません。宇宙とかよりも身近なテーマがいいです。
・ハッピーエンドがいいです。ハッピーの定義は人それぞれだと思いますが、増田さんの感性でいいです。
×主要キャラが死ぬことで得られる感動は要りません。浮気とかそういう要素も好きではありません。
・女子高生が主人公もしくはヒロイン。若い人たちが出てくる話がいいです。部活、通学、アルバイトなど。
×登場人物の大半が社会人で、その中に女子高生が一人いるみたいな感じではなくて。
・新しめの本がいいです。作者は有名じゃなくてもいいです。文庫本だとベター。短編集でも可。
×作品内にスマホも出て来ない時代の小説ではなく。「今」を感じたいです。
高校2年生のある秋の日の放課後、夏休みに国際交流をした生徒による報告会が開かれていた。
私はそれまで、ヨーロッパの国々に何カ国か、そして2週間ほどサンフランシスコの初心者向けの英語教室に通っていたことはあったが、国際交流には参加したことがなかった。勉強をしなければならないとか、部活の予定があるとかの言い訳を考え、どこかで参加してみたいと思いながらも、なんとなく避けていたからだ。そうした思いがあったから、どんな形でもいいから国際交流に関わりたいと思い、同級生の報告会を見に行った。その他にも自分の高校に留学してきたアフリカやアジアからの生徒の発表会なども見に行き、ついに翌年の春、ヨーロッパのある国との国際交流に参加することが決まったが、あの厄災のせいでそれも叶わぬ夢となった。
中学2年生の時に、ろくに英語も話せないのに2週間もアメリカにホームステイをしたのが考えられないほど、高校生の私は臆病になってしまっていたのだろうか。高校生もまだ若いとはいえ、中学生の無知で、無責任な身軽さ、そして活力は素晴らしいものだと改めて思う。
中学で同じ部活だったっていうのもあってまあまあ親しかった。同じ高校に入ることになって超ラッキー!と思ったのもつかの間、2人とも帰宅部になるわクラスは違うわで接点がゼロになり、話すこともまれになった。
すると思春期特有(?)の拗れた自意識みたいなのが絡んできてがぜんコミュニケーションが取れなくなってくる。視界に入るだけで心臓が良くも悪くもバクバクし、話しかけるなんて夢のまた夢みたいな感じになった。
同じ中学だから最寄駅も同じ、田舎だから電車は2両、帰宅部だから帰るタイミングはおおむね同じ。となると普通に帰ると結構高い確率で近接することになる。もともとは交流があったんだから完全に無視するのは人間として異常だ。でも俺的に彼女はもはや気安く話しかけられる対象ではなくなってしまっている。
どうするか?
授業が終わるなり早歩きで学校を出て、駅まで走るようになった。まあ体力ないから走るつっても休み休みなんだが、それでも電車を一本ぶんくらい早くすることは可能だった。時刻表をみて、普通に帰ったらこれだというのを確認して、その一本前に乗れるように走る。
今思うとマジで何やってんだ、バカか?という感じがするんだが、まあ拗らせた非モテの考えることはよくわからない。
どうでもいいけどひとつ思い出がある。冬のある日、いつものように走って帰ってる途中、ちょうど休憩として歩いてるところで通行人のオバちゃんに話しかけられた。「今日は寒いねえ」俺はわりと走ってきたところだったので身体が暖まっていて全然寒くなかった。「そ…そうですね」イヤ寒くないっスなんて答えるのもヘンだと思ったから話を合わせたが、つかなくていいウソをついている、なんで今その話を振ってくるんだ、間が悪すぎる、いや別にいいんだけど…と世間話にしてはたくさんのことを考えさせられた。クソみたいなエピソードだな。
偶然他校に行ったほかの吹奏楽部の同期なんかと出くわしたときは、駅でしばらく立ち話をすることが多かった。そうすると俺も彼女も同じ駅を通るんでほぼ確実にふたりとも輪に加わることになる。そうすると昔に戻ったみたいに(というか気まずくなったっていうのが俺の妄想だったんだと思うが)普通に話せる。ある時は俺が言ったくだらないダジャレに彼女がすごい反応してツッコミとしてベシベシ叩いてきて、「実は俺のこと好きなのでは?!」と思った。ある時は制服の体育服の話になって、俺が「ウチの高校の体育ズボンすげえブカブカなんだけど女子のやつはあんまりそう見えない、なんでだろう」というようなことを言ったら彼女が「そもそも男女でデザイン違うよ」つってスカートをたくし上げて下に履いた体育ズボンを見せてきて、周りにたしなめられていた。
仲べつに悪くなってなかったんだろうな。そうでもねえのかな。ああ……
でも青春時代の淡い思い出性が高くていいと思う。というかヘタに彼女とよく話す関係になってたらうっかり告白なんかして本格的に気まずくなってたんじゃないかと思う。走ってまで避けてたからこそ俺は暴走せずにすみ、致命的なふるまいに出ないで済んだのかもしれない。
私には血の繋がった弟が二人いるが、こちらとも絶縁している。
親の仕打ちを少しだけ具体的に書くと
●教育格差
私に対し親は「公立の学校以外駄目」と言い、指定した高校・大学を受験させられた。
当然浪人も不可。しかも「文学部は食えないからダメ」と学部も指定。
その弟は付属の大学に進学したが『遠いから』という理由で仮面浪人。
さらに大学院に進学(文系の私立の)し、すべて親がお金を出す。
私だけ親に暴力を振るわれていた。
弟が窃盗事件を起こした時でさえ親は「駄目だからね」と口頭注意のみで終了。
「なぜ私だけ殴るの?」と聞くと親は
「弟を殴ると倍になって返ってくるから怖い。女のあんたは二人がかりで殴れば言うこと聞くし」
とのこと
●私には「耐えろ」、弟には「可哀相」
小学生の時ブラスバンドに入ったけど、担当の教師はいわゆるスパルタ。
また小突いたり罵ったりとパワハラオンパレードでやめる子が続出。
私も「やめたい」と親に言ったけど、親は「やめたら家に入れない」と私を叱り飛ばした。
(ちなみにその担当教師は他の親の訴えで担当を降ろされ、のちに処分も受けています)
一方、弟はサッカー部に入り、高いスパイクやウエアを購入したけど二か月で退部。
親は「運動部は可哀相だな」とあっさり退部届に判を押した。
●都合が悪くなると「あなたは女の子。弟は男の子だから仕方ない」という
その反面、私が部活などで帰りが遅くなっても迎えに来てくれることはなかった。
急に雨に降られて私が「駅まで迎えに来て」と電話した時
親は「知らない。ずぶぬれで帰ってこい」と冷たく言うだけ。
なのに弟のことは毎日迎えに行っていた。
私が断ると「かわいい弟ちゃんが誰かに襲われたら困る。弟ちゃんが雨に濡れたら可哀相でしょ」とのたまった。
「私が襲われてもいいのか」と聞くと「あんたは自分でなんとかしな。ブタみたいだから大丈夫、襲う人いない」と笑った。
まだありますが、このくらいで分かっていただけると嬉しいです。
こんなことがあり、社会人になってから絶縁し、一切会っていませんでした。
絶縁する際、私の親は「あんたなんてもう娘じゃない」と言ったので、こちらも安心して(?)絶縁していました。
上気のことを伝え「絶縁してるから会わない」と言ったら
「もう許してやれ」と返ってきました。
許すなんてとんでもない。
暴力を受けて転んでしまったことがあり、そこがケロイドになって残っています。
「許す」なんて考えられない。
命を絶とうと思った時踏みとどまったのは
「あんな親のことをいつか見返してやる」「いつか(合法的な方法で)仕返ししてやる」と思ったから。
今でも心の中で
「ほら、あんたたちにブタと罵られて私はこんなにちゃんとした大人になった。納税も勤労もしてる」
とほくそ笑んでいる。
「いのちの電話」やお坊さんや各種の相談員に悩みを打ち明けたこともある。
親身になって相談に乗ってくれているのは分かるし、そう答えるのがセオリーなんだろうけど
私は彼らの回答を飲み込めない。
伴侶の親もいい人で、私は彼らを本当の親だと思っている。
でも、それはそれ、これはこれ。
多分、親を怨む気持ちがなくなったらあっさり命を手放すと思う。
親を怨む気持ちが、私の生きるパワーになっている。
今願うのは一刻も早く親が死んでくれること。
弟とも話したくない。
あんな人たちと血が繋がっていることが嫌なので、一刻も早くこの世から消えて欲しい。
こうして文字に起こしたらかなりすっきりした。
実家に帰ってきて親のいない茶の間で水ようかんを食べていたら、この家でこんなにしずかな時間を過ごすのは久しぶりだと気づいた。
それは両親が旅行(といっても彼らも私も都民なので県をまたいだ移動をするのは悩ましく、近場のホテルをとって普段よりすこし贅沢みたいなことをしている)で不在にしているのはもちろん、私が人との同棲・結婚・離婚を経てひさびさにひとりになったからというのもある。
10代後半から20代前半にかけては、親の不在期間はそのまま、好きな男の子を家にこっそり連れ込むためのタイミングだった。
いま、ひどいときには収入が5ケタになるような弱小フリーランスの私とはちがい、両親は当時から地に足のついた仕事をしており、なおかつ良くも悪くもバブル世代的な人たちだった。10年ほど前、実家の駐車スペースには黒くでかいベンツと流線形の銀色の外車が並んで置かれていて、家族である私から見てもそれらは笑ってしまうほど「金持ちの象徴」然としていたので、落書きやいたずらの被害によく遭った。
カイジの第一話がそんなシーンで始まるよと人から聞かされて笑ったのは大人になってからだったが、ベンツという車は本当によくエンブレムを折られる被害に遭う。
私は両親の車に対して特に思い入れがなく、そういったことがあったと両親が警察に相談しているのを見るたびに、ひどいな、お母さんを困らせないでよ、とかるく憤ったくらいだった。
というか正直にいえば、自分はまっとうに企業に就職できる気もしないし、両親のような裕福で明るい人たちには一生かかってもなれないのだという予感が10代のときにはすでにあったから、どちらかといえば感情移入してしまうのはベンツのマークを折ることでしかストレスを解消できない人たちのほうだったような気もする。いずれにせよ、両親には申し訳ないけれど、免許証も持っていない自分には、その被害はあまり関係ないできごとだと思っていた。
が、ちがった。私がある日高校から帰ってくると、玄関には見覚えのないスニーカーと業者の人のものらしきカバンがあり、母がニコニコと「うちの前に防犯カメラつけるからね」と言った。
そうかそれで車の被害が防げるならいいよな、私も部活帰りの夜道が怖いと思ったことあったしな、と考えながら洗面所に向かい、はっとする。
あさって、彼氏をこっそりうちに呼ぶつもりだったじゃないか! どうしよう!
両親は2日後に旅行にいく予定で、私はそのあいだ留守番をすると約束していた。「夜は駐車場のライトつけといてね、夜のあいだだけカメラの録画しとくから、なにかあったら再生できるようになってるからね」と母に言われ、一瞬で血の気が引いた。
その日の晩、母が夕食の買いもので家を開けた瞬間から、私は業者が置いていった防犯カメラの説明書を鬼のような速さで読んだ。
くもんで速読やっててよかった、生まれて初めて役に立った、お母さんありがとうと母につよく感謝した。
もちろんうしろめたくもあったが、思春期、初めて心から好きな彼氏ができたばかりの私にはどうしても千載一遇のチャンスを逃したくない気持ちのほうが大きかった。私は2日後のためにポトフとコーンスープのレシピを必死で覚え、産毛処理かみそりをソニープラザで買い、メガネからコンタクトに変えたばかりだった。
説明書を読みこむと、この防犯カメラは3つの角度から射程内を映せるということがわかった。1階がまるまる駐車スペースになっており、玄関が階段を上がった2階部分にある構造の私の実家の場合は、①駐車スペースの真正面、②駐車スペース右脇の私道、③駐車スペース左脇の公道〜家の階段 がその3つにあたる。
実際にカメラのボタンをカチカチといじってみると、たしかにその3か所がよく見える。リアルタイムで家の前を通る人たちの顔立ちや背丈もはっきりわかった。もし夜中にこっそりベンツのエンブレムを折りにくる不届き者がいたり、私が彼氏と浮かれながら家の階段を上がったりしたらすぐにわかるだろう。クソッ!
母はたぶん買いものから20分ほどで帰ってきてしまうし、父も仕事が早く終わったらいつ帰ってくるかわからない。焦りと、操作をもし間違えて業者に連絡が行ってしまったりしたらどうしようという不安のなかで泣きそうになりながら、私は必死で防犯カメラの死角を探した。
家の正面は鮮明に映ってしまうからぜったいに通れない。家の裏にある公園の柵を越えて敷地内に入ればカメラに映らなそうだ。でも、夜中に公園の柵を男の子とふたりで越えているのをもし近所の人に見られたらどうなる?
うちは商店街の中ほどにあるから、東京にしては近所付き合いがさかんだ。公園の管理者さんの顔も、そのさらに奥の住宅に住んでいる家族の顔ももちろん知っているしなんなら毎週回覧板を回しにいっている。見られたらおしまいだ。クソッ!
父が帰ってくるまでの15分ほどで、私は持たせてもらったばかりのガラケーで防犯カメラの画面の写真を撮りまくり、背景に映っている観葉植物やアパートの窓の高さを彼氏の身長に頭のなかで換算し、カメラからは見えない範囲を必死に予測した。
彼氏は素直な人だったから、私が事情を説明し、「申し訳ないけど、近所の人に見られてしまうから駅からは別行動でお願いします。うちの裏についたらこの公園の脇を抜けて、奥の家の窓から見えないように、ものすごく低くしゃがみながらこのルートを猛ダッシュしてほしい。階段は這うように上って、ドアを開ける際には音を立てないでほしい」とめちゃくちゃなことを言っても「うん、おけ」とうなずいてくれた。
2日後の晩、防犯カメラの画面をにらみながら彼氏を待っていた5分間以上に長い時間を私はいまだに知らない。夏がはじまる前のすずしい日だったのに汗だくの彼氏が玄関のドアを開け、「さっきアリが靴んなか入った」と笑いながら倒れ込んだときの気持ちをきのうのことのように思い出す。彼氏がコンビニで買ってきてくれたロールケーキは潰れ、ビニール袋が破けて中身が出ていた。
けっきょく旅行のあいだ両親のベンツはまったく無事で、帰ってきた両親は別にいちども防犯カメラを見返したりなんてしなかった。
けれど、彼氏を連れ込んだのはあっさりばれた。旅行から帰ってきた翌日、母が食器棚を開けて「あんたひとりだったのにお皿はぜんぶ2枚ずつ使ったのね?」と言ったのだ。使い終わった皿の位置! 私はそのとき自分のことを本当にばかだと思った。
さっき、誰もいない実家でひとりぶんの食事を適当につくろうと食器棚を開け、その前面に並んでいるのが湯呑みやひとまわり小さいサイズの茶碗ばかりに変わっているのを見たときに、急に昔のことを思い出してこれを書いた。
家の前のライトを消しておけば防犯カメラにはなにも映らないと気づいたのはハタチを越えてからで、でも結婚していたここ数年はそんなふうに人を家に入れる必要もなく、いま防犯カメラは防犯カメラとしての役割だけを担ってくれている。家の車もいつの間にか音の小さい国産車に変わっていた。この10年、一瞬だった。
物心ついた時から絵を描いていて自由帳が何冊あっても足りなかった。だが中学校に入ると複数の小学校出身者が集まるようになって、自分よりも絵が上手な人が周りに急に増えた。
恥ずかしくなって筆を折った。
もう20年以上前。小学生の私は絵が大好きで、いっちょまえに自分専用のデスクトップPC、photoshop5.5、ペンタブ、スキャナ、プリンタを買い与えてもらっていた。パソコンだって一家に一台あるかないかの時代、ど田舎の小学生にはありえない環境スペックが揃っていた。
個人HP全盛期時代にhtmlタグを覚えてホームページを開設し、インターネット上で好きなアニメやゲームのキャラを描き散らかして「オタク」を満喫していた。顔の見えない人たちとイラストを褒めあったり送りあったりした。ほとんどが年上のお姉様方だったと思うが、小学生の自分に嫌な顔せず優しく接してくれる人ばかりだった。私はインターネットの世界に夢中になった。
しかし中学校に入ると上述の通りアッサリ打ちのめされ、更に勉強や部活にも追われて自然とフェードアウトしてしまった。気づいたらオタクもやめていた。
再び筆をとったのは、30歳もとうに越えた今年のゴールデンウィークだった。
昨年末にとあるアニメを人から勧められ、雷に打たれたような衝撃を受けたのがきっかけだった。生きる意味を突きつけてくる理屈っぽくて真面目なアニメだった。作画も綺麗で、魅力的なキャラクタも多かった。
だが何を描いたらいいのか一切思い浮かばないから、アニメのスクショをとってひたすら模写をした。
そこからは怒涛の勢いだった。模写を仕上げていくたびに描きたいものが浮かぶようになった。今では描くのが追いつかず、利き手があと1000本は欲しい。twitterアカウントを開設して地道に投稿を続けたら、嬉しいことに評価してくださる人も現れた。楽しさの倍ぐらいうまく描けない辛さもあって、会社が休みの日に、仕事より辛い思いをして描いたこともたくさんある。それでも熱に浮かされたように描き続けている。
コロナ禍による自宅待機やテレワークも、私を大きく動かした。いい歳してアニメイラストに狂ってしまった私だが、もう絵を描かない人生を想像することはできない。痛くて上等だ。ここまでの何もかもが、たった3ヶ月弱の出来事である。
17年で信じられないほど時代は変わっていた。竜宮城から帰ってきた人のような気分だった。photoshopではなくクリスタというお絵描きソフトがメジャになっていた。液タブやiPadすら通り越して、スマホに指で絵を描いている学生さんには度肝を抜かれた。
先日はフォロワーさんと絵を描きながら初めておしゃべりをした。いわゆる「作業通話アプリ」の存在も初耳だった。話して、聞いて、自分より若い人にたくさん教わって背中を押してもらった。今は制限された色だけで絵を描くことに挑戦している(俗に言うカラパレ)。
オタクだった小学校の頃も、今も、教わるばかりな自分に苦笑しながら、今日も私は推しを描き続ける。
——
2020.07.28 思った以上の反応に驚いています。ありがとうございます。リアルの友人に見せることにしたので、一部加筆・修正をしました。
Twitterの広告で何度も何度も違う作者の同じ内容の漫画で「ニキビに悩む学生が知り合いに勧められて皮膚科にかかって治ってハッピー!ニキビは皮膚科へ!」っていうのをみて急に思い出した奴のこと。
高校一年生の始めのころ、斜め前の席だった大人しそうな女の子で、同じ中学の奴ともつるまず一人で弁当食ってたの覚えてる。途中からは同じ部活の男女と食べてることもあったから友達がいない訳では無かったと思うけど、詳しいことは知らない。喋ったことも無かったし。
その子、いつからだったのかわからないけど、気がついたら顔中にニキビたくさんできて、どんどん悪化して、最後の方は頬もただれて真っ赤にしてた。
そのうち学校に来なくなって、しばらくしてから「皮膚移植することになって休学することになったから」と担任に言われて寄せ書きを書くことになった。仲良しクラスって訳でもなく、荒れてるクラスでもなく、って感じだったからみんな無難に「早く良くなると良いな」とか「元気になって早く学校に戻ってね」とか、まぁ当たり障りのないこと書いたと思う。
結局その年は復学しなくて、二年三年になれば一年の途中で休学した奴のことなんか普通に忘れてたんだけど、卒業式の時に一年の時の同じクラスの奴からメール回ってきて、「あいつあの後一年遅れて復学したけどすぐ退学しちゃって先月自殺したらしいよ」ってのを知って、へぇ…そんなことになってたんだ…と思った。治らなかったのか、一年下のクラスに馴染めなかったのか…こんな田舎でも自殺する高校生とかそんなこともあるんだな〜くらいで特に悲しいとかもなかったしすぐ忘れた。
今Twitterで「まーた広告漫画かよ」って思ったら急に思い出した。べつに後悔とか懺悔とかなんらかの示唆とか何も無いんだけど、早く皮膚科行くのは大事だけど、皮膚科行ったら人生元通りかっていったらそうとは限らんのかな…と思ったから書いた。それだけ。
https://www.htb.co.jp/news/archives_8233.html
「空沼岳から札幌岳にむけて登山中」とあるので、空沼岳から札幌岳への縦走ルートのどこかと思われる。
https://yamap.com/maps/305/trails
筆者は空沼岳・札幌岳ともに登ったことはないが、どちらも単体では簡単な部類の山に見える(北海道の山は本州より難易度高めに見積もった方がいいが)。
しかしこの縦走ルートは距離も長く(コースタイム3時間程度)途中にいくつか危険ポイントもある。あまり使う人の多くないルートだろう。
今年は新型コロナの影響で例年より人出が大幅に少なく、この手のマイナールートはしばらく誰も通っていない可能性を念頭に置く必要がある。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4036904.html
こちらの記事には「登山道がササに覆われていたため日没までに下山できず、救助を呼んだ」とある。
ワンゲル部の生徒・教師に怪我人は出ていないため、他に理由はないと思われる。
登山道を覆っている藪をかきわけながら進むことを登山用語で「藪漕ぎ」と言うが、大変に時間もかかるし疲れもする作業である。
今回は笹が縦走ルートにびっしり生えており、ワンゲル部のグループより前に藪漕ぎをしてくれた登山者もいないという状況だったのではないか。
本件はヘリタク(ヘリをタクシー代わりに使うこと)案件であるが、学校の部活という事情があるためタクシーやむなしだったと思う。
本州の山ならビバークするところだが、羆がいる北海道の山で夜を明かすのは筆者もやりたくない。
函館で遭難したまま見つからない高校生が羆に食われたのではないかと噂されているだけになおさらだ。
ただし、札幌岳縦走をさっさと諦めていれば自力で下山できたろうし、そもそも計画に無理があった。
顧問の教師は猛省してほしい。生徒に責任はもちろんないが、勇気を持って撤退を提言してほしかった(言ったのかもしれないが)。
突然ですがみなさん「自分の容姿」ってどれくらい気にしてますか?
①とても気にする
②まあまあ気にする
③ふつうに気にする
④あまり気にしてない
⑤ほとんど気にしてない
⑥全然気にしてない
⑦全然気にしていないわけではないが気にしているわけでもない(よくわからない)
等々、個々人のレベルで色々だと思うのですが、
私は上記①~⑦で言うと②、まーそこそこ気にしてますね、女だしね。ってことでアラサー女子一般的な「作りこみ」は多少行っている。
具体的に言うと年齢を意識した派手ではないが堅実なメイク、流行をそこそこ意識した年相応に見えるレベル(金額的にも)の服装、美容院は少なくとも2ヶ月に1回、ネイルはこまめに塗り替える(金に余裕があればサロンに行く)、体型維持(筆者は標準体重である)、美容脱毛、(見た目由来の)健康を意識・・・などなど。
それらは⑥あたりの容姿を気にしていない(し特に何もしない)人からすれば「へ~色々やってて大変だね~」レベルかもしれないし、③~①の人からすれば「そんなのみんな当たり前にやってることじゃん?」程度かもしれない。
しかし中学・高校とエスカレーター式の女子高かつ当時運動部なのも相俟って容姿にまったく気を使わないがゆえにゴリラだった私は、(まあ当時は当時で楽だったし楽しかったが)、男女共学の大学に進学して周囲の同年代の女子と比較して自分のあまりのあまりぶりに慄き、二十歳そこそこからようやく「自分の容姿」というものに気を使い始め、髪を伸ばしてみたり露出を増やして筋肉質の体を無理やりスタイルが良いように見せてみたり(痛い)ファッション雑誌を読んだり服やメイクを研究したりして粛々とゴリラ→女化をはかった。当初こそ自他共に「女のコスプレ」感が強かったと思うが、幸いそれが功を奏して(?)大学では初めて彼氏が出来たり友人にも恵まれて楽しく過ごすことができた。前置きが長くなったが、そんな私は今でも「自分という人間に女という皮を被せて生きている感」があるのである。自分磨きは楽しいが元の顔が平凡(というかうっすら不細工だとさえ思う)なのでいくら磨いたところで程度はとっくにしれている。「女であることの皮」がルーチンと化した毎日、もちろんメイクやネイルや美容諸々がダルくなる日もある。多々ある。しかし、大学進学時の「女がいる!!!」感の衝撃とゴリラである自分への劣等感を思い出すと、もうあの頃の自分には戻れないし絶対に戻りたくないのである。以上が主に自分が(おそらく人よりも)容姿を気にする理由だ。
私は人から自分がどう見られているかが気になる。かつて自分はゴリラだったという自負があるので、きちんと女に見えているのかが気になる。女性の目からも男性の目からも、である。
ここでやっとタイトルに触れるが、自分の容姿が人にどう見られているかが気になるということをネットやなんかで打ち明けると、「誰もあなたのことなんか見てませんよw」という自意識過剰ですよ的な指摘が飛んでくるのだが、大抵それを言ってくるのは男性である。
そこでふと思った。道行く男性は道行く女性が容姿ジャッジされるのと同じ位の頻度で、容姿ジャッジされているのだろうか?と。ちなみに私の高校時代のゴリラエピソードを挙げると、私はスカートの下ジャージの制服姿(自分でも女子中学生かよと思うがw)で一人で電車に乗っていると、近くにいた男子高校生の群れから「女ゴリラw」と言われたことがある。一瞬空耳かと思い声がした方向をチラっと見ると、男子高校生の群れが私の顔を見てニヤついていた。その時はかなり落ち込んだが、高校時代はポジティブ女ばかりに囲まれて謎に自分もポジティブだった私は、学校行って部活して飯食って寝る、を何度か繰り返したらそのことはいつのまにか忘れていた。そして昨今よく耳にする「容姿ジャッジ」という言葉から記憶をたぐった次第である。
私が思うに、あまりに奇抜な格好や見た目をしているのではない限り、男は他人の男の容姿など特に見ていない、そして女は元々、道行く男を(意識的にも無意識的にも)特に見ていない。イケメンとか不細工とか以前に、道を歩いてる赤の他人の男の容姿になんて別に興味がないのである。私は男よりも同性に対しての「美人!」や「スタイルいい!」のほうが多いくらいだ。(ちなみにそれは好意的な時しか発動しない)もちろんすれ違う女の容姿ジャッジばかりしている男ばかりなわけがないだろうし、逆に男に対して日常的に?容姿ジャッジしている女だっているとは思うが。
男→男 どうでもいい
女→男 どうでもいい
の式が成り立つならば、男性による「誰もあなたのことなんて見てませんよw」というセリフは、奇しくも自分が男側だから誰にも気にされないのだ(気にされにくい)ということを証明してしまっているのでないだろうか。
そこで私は「あえて(心の中で)道行く男性の容姿ジャッジをしてみる日」というのを作ってみた。
心身ともにゆとりがある日、主に通勤時に不特定多数の男性の中でぱっと視界に入った男性の「見た目」を0.5秒くらいでジャッジするのである。(もちろん決してジロジロ見たりはしない。即断即決、一度見たら振り返らない。)
結果を先に言うと「世の中の男ってほとんど不細工じゃねーかwww」でした。
0.5秒でも判断できるほど洗練されたイケメンなんてほとんどいない。皆無と言っていい。
同時に己の精神の醜さが知れましたね。「(ぶっさwww)」「(ハゲとるやないかww)」「(・・・(冷静になって)この人この姿でよく外に出れるな・・・)(自分だったら出れない・・・)」とかね。暴言のオンパレードですよ。特に中年男性。日本の業が凝縮されたかのような顔面群。
もちろん、あえて容姿ジャッジしようとしなければしないですよこんなこと。どうでもいいですから。そして別にそんなことをしても面白可笑しいわけではないので(やってる時はw飛ばしてますがw)、1回やって、二度とやってません。
でも最中、マイナスジャッジを付けた男性で、この人がもしこの姿で女バージョンだったら「許されない」んだろうなあ・・・なんて思ってしまったのでした。
あと、ほとんどの女が日常的に男の容姿ジャッジをするようになったら、男の全体的な容姿レベルって上がるのかなあ・・・とか思ったり。主観なので主語デカで行きますが、(都内です)「なんでその格好で外出た!?w」級の男ってたまにいますよね・・・奇抜という意味ではなく、衛生的な意味で。それに比べると女はほとんどが身奇麗にしてる気がします。
この文章は「容姿ジャッジをやめよう」という主旨で書いているわけでも「容姿ジャッジをしよう」と言いたいわけでもありません。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 100 | 15754 | 157.5 | 44 |
01 | 57 | 7055 | 123.8 | 41 |
02 | 64 | 9498 | 148.4 | 49 |
03 | 50 | 7029 | 140.6 | 44 |
04 | 26 | 8815 | 339.0 | 88.5 |
05 | 24 | 13916 | 579.8 | 41 |
06 | 42 | 6370 | 151.7 | 66.5 |
07 | 99 | 6681 | 67.5 | 35 |
08 | 88 | 18266 | 207.6 | 46.5 |
09 | 101 | 13028 | 129.0 | 48 |
10 | 86 | 11323 | 131.7 | 29.5 |
11 | 132 | 15525 | 117.6 | 46.5 |
12 | 143 | 18532 | 129.6 | 44 |
13 | 90 | 9707 | 107.9 | 39.5 |
14 | 150 | 11293 | 75.3 | 43 |
15 | 147 | 15960 | 108.6 | 52 |
16 | 188 | 21677 | 115.3 | 34 |
17 | 173 | 27998 | 161.8 | 48 |
18 | 186 | 23585 | 126.8 | 43 |
19 | 146 | 18786 | 128.7 | 37.5 |
20 | 191 | 15167 | 79.4 | 32 |
21 | 118 | 29478 | 249.8 | 41 |
22 | 155 | 19404 | 125.2 | 32 |
23 | 145 | 30812 | 212.5 | 34 |
1日 | 2701 | 375659 | 139.1 | 41 |
嘱託殺人(13), ゴーストオブツシマ(4), ALS(6), 積極的安楽死(5), 再定義(4), ゃよ(6), ヤマンバギャル(3), ハイネケン(5), 開会(5), 快楽殺人(6), エビス(4), 安楽死(70), ビール(36), Mac(13), 安楽(13), レジ袋(11), 味覚(8), 意志(17), 一人称(6), 連休(12), 時代遅れ(7), スポーツ(28), 表記(10), 親族(8), 患者(37), 派手(8), 部活(9), 字(20), 殺人(19), watch(14), 医師(18), 腐女子(23), まずい(12), 気軽(11), 高齢者(12)
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親友という、なんだか幼稚で滑稽なワードにまつわる、ここ数日起こった話をする。
長文だからな、読まんでいいよ。
私:大学3年生のオタク。酒が1等好き。最近のお気に入りは氷結の超冷感レモン。うまい。
書き出してて思ったがまあつまらん女だな。
日々積み重なるストレスを酒で発散しているのだが、今はコロナで呑みにも行けないので、最近流行りのオンライン飲み会…というかなんというかを高頻度でやっている。
おとといの話だ。まあいつものように友人と2人でビデオ通話を繋げて酒をかっくらっていた。この友人をAとする。
Aはまあなんというか、ひとに好かれる質だ。
特に美人なわけでもないがとにかく聞き上手であり、たまに鋭いツッコミを入れるような。猫を被るのが上手くて、ONOFFのスイッチの切り替えが早い。そういう女だ。交友関係は浅く広く。
私とAとの関係性は9年ほど遡り、中学入学時。名前順に並んだ席が近かったので、私から話しかけ(たらしい、私には記憶が無いがAはそう言っていた)、そこから仲良くなったような仲である。
友人というよりかは悪友であり、高校生の時分は学校をサボってAの家で遊んだりしていた。
彼女と遠いところへ遊びに行ったことは無い。お互い喋るのが好きなので、サイゼやマック、通話等で延々身のない話をするのが常だ。
おとといもいつものように駄弁っていたのだが、Aがいきなり黙り込んだ。どうしたのかと聞くと、彼女は
と、ぽつぽつと就職関連の話をし始めた。結構真面目に話をした。
中身はプライバシーの問題があるから言わないというかまあ関係なくて、いつの間にか彼女の中で私は親友という枠に入っていたのである。
別に良い。それだけ信頼してもらえているのだろう。素直に嬉しかった。
私はAのことが普通に好きであるし、私はAとは別に親友と呼べる友人を持ってはいるが、親友は1人につき1人でなくてはならないなどという話はないはずだ。私は2人目の親友を手に入れた。とても嬉しい話だ。
だが私は、その後衝撃でビールをこぼすことになる。
何に衝撃を受けたかを話す前に、もう1人の友人を交えた長い昔話をしておこうと思う。このもう1人の友人をBとする。
中学入学時のAと私は、特に示し合わせることも無く、新聞部に入った。というか新聞部に体験で入って、あ〜!きみ!みたいな。そこから仲が急に良くなっていった関係だ。
新聞部は特に人数も多くはなく、先輩たちは5人ぐらいいたほど。
で、そこには、もう1人同級生が居たのである。彼女がB。彼女もクラスメイトであった。
Bは綺麗で細くて、すてきなひとだ。しかしまあ、他人とコミュニケーションを取るのが苦手なタイプであり、人見知りがすごい。
私とAは物怖じしない上に誰にでも話しかける不審者であるので、彼女にも話しかけた。
部の中で3人しかいない1年生、かつ全員がクラスメイトとくればそれはもう仲良くなるしか道はない。
そうして、まあまあ楽しく部活を過ごしていた。
私は本当に誰にでも話しかけるので、入学時に大量の人間に声をかけた結果、特にとても仲良くなった子がクラスにひとりいた。彼女はAでもBでも無く他の子であり、今では私の親友と呼べる友人である。なんならCと置いておこう。
ただBは先述の通りあまり人に話しかける質ではない。仲良くしているAと2人で居た。Aはまあ、他にも喋る友達を作ってはいたが。
中学生女子なんてものは、基本的に2人で行動するのが主流であり、互いを特別視する。そうでなければ、1人を崇拝して取り巻く形をとる。そうやってクラスの中での安寧を図るわけだ。
Aは特にそういったことを考えてはいなかったようだが、Bからはその気をとても感じた。
下校時など、3人でいる際に、BはよくAに耳打ちで何かを伝えたり、メモを渡したりしていた。流石に少し、疎外感を感じていた。
とはいえ私はそれで怯む女ではないし、何より私はバカであった。その2人と仲良くなれなかろうが仲良くしているCがいる上、そもそもその疎外感に対して寂しくなることもなかったのである。バカなので。
進級した。
その頃私はある漫画にハマり、なりたてのオタク、引いては腐女子によくある雑食っぷりを発揮していた。多分人生でいちばん楽しかった時期であろう。
AとBはその頃、ある地下バンドにハマっていた。
彼女らはよくライブにも行ったようだし、遠征もしていた。2人ともその話をよくしていた。
またこれがよくある話なのだが、AとBにはそれぞれ想い人が居た。彼らのことを便宜上A1、B1と呼ぶが、A1とB1も仲が良い2人だった。そして、彼らはテニス部に所属していたのである。
新聞部には私1人が残ったが、初めて出来た後輩に浮かれ、特に気にすることもなかった。
記憶が定かではないが、耳打ちやメモ等はこの頃は既に無くなっていたように思う。部活が変わったのもあるのかもしれないが。
と、ここまででわかったと思うが、AとBはとても仲が良かった(ように、少なくとも私には見えていた)のだ。
高校は全員別のところに進学したが、家が近いのでよく出くわしていた。
近況報告を聞いていた限りAとBはその間も仲が良かったようだし、高1の途中でバンドを追うのを辞めたらしい後も、ディズニーや原宿等に行った話をよく聞いていたし、3人で近場のカフェなど行って喋ったこともある。
ここで誤解のないように言っておくが、私は別にBと仲が悪い訳では無い。むしろ良い。
Bと2人きりでカラオケに行った回数は中学3年間で両の指以上だし、高校の通学路が被っていたので会った際にはよく話をしていた。今もよくお茶している。
で、だ。
私は中学の頃からBがAのことを『親友』と称するのをよく聞いていた。
そうかそうか仲がいいんだなと思っていたのはここにも起因しており、実際Bと会った時は、彼女はその綺麗な顔で楽しそうにAと行ったディズニーの話をしていたし、私はそういったBをにこにこ眺めながら顔が良〜〜〜友人で良かったマジ感謝感激雨スパチャ〜〜〜〜〜〜〜などと思っていた。(ちゃんと話も聞いていた)
だから、AとBは親友と呼べる仲なのだと私は思い込んでいたのである。
現軸に話を戻そう。
Aの相談にひと通り付き合った後のことだ。
難しい話を酒の回った頭ながら必死に色々考えて、なんとか彼女ががんばる!と意気込んだ時。
私に話すぐらいなのだから、まあBにはとっくに話しているものだろうと。親友というのはそういうものだと私は思っていたし、そもそも酔った私の意見だけを参考にしてもらうわけにもいかない。他の、まともな人間の意見も必要であろうと。
そのため、Bはなんて言ってた?と聞いたのである。
そうすると、画面に写ったAはきょとんとした顔を浮かべ、
「え?なんでB?」
と言う。
いや、私に話すぐらいだから他の、例えばBとかには話してるかなって。
そう返したところ、Aは
「Bにはこんな話してないよ、こんな話出来るほど仲良くないし。〇〇(私)と、あと親と教授にしか話してない」
と言ってのけたのである。
衝撃にも程があった。なんなら食べてたさきいかを落とした。
そしてそれに続けて、
「Bには言わないでね」
と念押しされてしまった。
さきいかを落とした焦りと、Aが言った言葉の衝撃で金麦もこぼした。今も私のクッションからはほんのり芳醇な麦の香りがする。早く洗わねば。雨続きだったので洗えていないのだ。
こぼしたものへの応急処置を施す私をAは馬鹿だなあと盛大に笑っていた。
私はそれに文句を言い、またダラダラとつまらないことを喋って、通話を切った。
これはどういうことなのだろうか。
私のことを親友と呼んであの話をしたAは、Aを親友と呼ぶBにはあの話をしていないらしい。
Aは、Bを親友だとは思っていないのか。
私は頭を抱えてしまった。余った金麦を煽りしばらく考え込んだがどうにもならず、仕方ないので寝た。
まあ次の日は容赦なく来る。忘れているはずもなく、もやもやとしていた。
その日の晩はCと通話する予定があり、私は昨晩の話を掻い摘んでした。勿論相談の中身は伏せたが。
するとCは、
と言い始めた。
CはそもそもBのことはあまり好意的に見てはいなかったらしい。発端は例の耳打ちやメモの話だそうだ。
中1の青かった私とCは交換日記なんてものをしており、私はそこに苦言を書いていたらしい。
申し訳ないが全く中身の記憶がないので真偽は確かめようもないが。
その時点で、中1のCは自分の親友に対して何をすると憤慨したらしい。私はこの話を聞いた時嬉しくてハチャメチャに照れたので今ここに書いて自慢しているが、Cは「あんたが特に何も考えてないの知ってるから今なら何も心配しないけど」と冷たかった。
結局色々言っていたが、私に理解出来たのはBが依存気質であることぐらいだ。
彼女がAに張り付いて他の子からウザがられていたのを私はミリも興味が無くて知らなかったし、Cが「あんた今でもBのこと構ってあげてるの偉いと思うよ」と言われたのは正直驚いた。私にとってBは、普通の友人にカウントされているからだ。
これをAかBかが見ているかは知らないし、まあ多分見ていないだろうと思う。
だからまあ、一応Bに言っておくが、
あなたが親友だと言っている人間はあなたのことを親友だと思っていないみたいだよ。あなたが彼女を親友だと言っても、彼女があなたを親友だと言った事が一度でもあるだろうか。あると思い込んでいるならどうしようもないけど。
というか、親友とかいうワードを言いふらして自慢げにするのを、そろそろやめた方がいいと思う。あなたがどうしても幼稚に見えてしまうから。
あなたが彼女に依存する限り、彼女はあなた以外の人間と関わることが出来なくなってしまう。そしてそれのせいで、あなたは他の人から嫌われている。
そろそろ、独り立ちしてはいかがだろうか。
2週間後ぐらいに、Bと話す予定がある。面と向かって言えるだろうか、というか言わなきゃならないんだろうか。
Aにもこの話をすべきなのだろうか。
私は今日、エレベータを待っていると、奥の部屋に人影があるのを見つけた。昼も過ぎてとっくに閉鎖されたビジネスホテルの朝食会場。ビルの陰となって、日の差し込まない薄暗い空間には、整然と並んだテーブルと椅子たち、コップ、皿、カトラリー。その隅の席に、女性の影があった。
その人は、じっと動かずになにか書いている姿勢に見えた。いや、こんな時間にあんな場所に人がいるだろうか......。見つめ続けても、その影は動くことがなかった。
「なんだ、私の見間違い......」
私は目的だったコンビニへ行き、またホテルへ戻り、エレベータを待っていた。ふと、先ほどの人の影があるのか確認したら、その影はなくなっていた。
私は、この間、こんな夢を見た。
雑踏に紛れる、近年新しく進出したコンビニ。年々、出店の勢力を上げていた。私の街にも当然そのコンビニはあった。ある日から、そのコンビニは、今までに見たことのない暗い極彩色と不明の言語でデザインされたのぼりを飾った。その違和感に宗教じみたものを感じた。なにか強いメッセージを感じるものの、私には何も読み取ることはできなかった。
いつの間にか、そのコンビニの外装や商品もそのデザインに変わっていった。私は、そのコンビニが平然と街に馴染んでいくのが受け入れられなかった。
そのような夢であった。
私は、小さい頃、サーカスや劇が嫌いだったことを思い出した。そんなふうに、芋づる式に自分の不快が思い出されて、こうして文章に書くことにしたのだった。
サーカスは暗くテントで覆われ内密に行われる。広くぽっかりとした空間を丸く観客が取り囲んでいる。暗いテントの中で、中心がライトで照らされている。調教された熊や犬が芸をする。人間たちも張り付いた笑顔で曲芸を披露する。観客たちはそれを見て拍手する。
小さな頃の私には、これの何が楽しいのかわからなかった。嫌な感じがする、けれど、拍手しなければならない。楽しいフリをして拍手した。
劇の不快について。
学校の体育館で、いつものステージが劇場に変わり、見させられる劇。年上の大人たちが、何かを演じている。独特の演劇口調と衣装を纏って、役になりきっている。確かに、物語に没頭はできた。その役の人物を好きになってしまうことさえあったくらいに。
しかし、終わってしばらく経つと、とても虚しい気持ちになってしまうのだった。映画やアニメを見たのときには感じない虚しさがあるのだった。
演劇には特有の陰湿さを感じていた。湿っぽいような、なにか滞っているような。劇が喜劇的であればあるほど、その落差を感じた。
小さい頃、両親が休日に朝から連れて行ってくれたディズニーランド。
一通りアトラクションを楽しんだ後に、人々の帰路を意識し始めた焦燥感をじわり感じながら、陽の沈みかけた園内でパレードを待つ。
そのうちに電飾で彩られた巨大な装置と、それに乗ったキャラクターたちが現れる。大音量で音楽となにかセリフが聞こえる。
また、大勢の人たちが拍手をしている。私もそれに合わせて拍手をする。もしかしたら、拍手をする大多数は、私のように周りに合わせて拍手をしているだけなのではないか。大音量で煌びやかなパレードを見ながら、その音や景色が頭の中で遠ざかっていく。
その画は西洋の宗教画の並びにあった。一連の草原、道、淡い色の空。そんな印象をかき消すかのように、白に近い水色と鮮烈な赤で彩られた円い曼陀羅か魔法陣のような物体。ぽっかりとした空間にそれが浮かんでいる。
どんな絵だったのか、よく覚えていないのだが、その独特の色彩が頭から離れないのだ。
中学生の頃、部活帰りの夜に、誰もいない真っ暗な田んぼ道を自転車を押しながら、ふとそのイメージが思い出されてしまって、動けなくなってしまった。
あの色彩は、人間の神経と血管を想起させるのか。それとも、自然界での毒を想像させるのか。この画はずっと私の頭の中にあるというのに、作品名を忘れてしまったため、その作品の存在さえもはやわからなくなってしまった。
母の一周忌が来た。
幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、
見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。
『私ってだあれ?』
…誰?確かに誰なんだ?
それ以降、どうしても使わなければならない時以降、
一人称としての「私」は使わなくなった。
一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内にこだまするからだ。
ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。
母にミロを飲まされていたのを思い出す。
小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。
父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたころから母方の祖父と暮らしていた)
それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。
母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。
恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。
それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。
怒鳴るしかしなかったのだろうか。
母については、他人の愚痴を言っているか、怒鳴られているかの記憶しかない。
しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。
こうはなりたくないな、しか思っていなかった。
そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、
母が笑うようになった。
話は戻るが、
私が小学生の頃から、聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。
私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。
ある時から、本当に来なくなった。
黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。
父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。
そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。
笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。
座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。
笑う、泣く、ツイッターのbotのように出てくる支離滅裂な言葉、
だからできるだけ家にいないようにしよう
友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。
陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。
運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。
ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲームは難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。
気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。
そして、聴く音楽で自分のメンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。
これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。
そうやって私が我が家からの現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。
いつの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。
デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って
「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。
「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。
目の前にいるのに。
その時、珍しく母は笑顔だった。
その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、
昨年ようやく亡くなった。
死因は若年性アルツハイマー型認知症、病歴20年。
病歴を見たとき、人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。
母の一周忌が来た。
今までいろいろな物事を諦めたような気がする。
結婚なんてできる気がしない。
母と同じような結末を迎える気がしてならない。
この先どうやって生きていくべきか分からない。
でもまだ生きていたいから生きている。
ただそれだけ。
言い方はよくないが、母が亡くなったことで
一人称としての私は、取り戻し始めている。
それなら優生思想って感じでもないじゃん
もちろんカウンセリングと何重もの意思確認をしたうえで、直前にやっぱやめるつったらやめられるようにもしてさ
つか、「なにか嫌なことがあるから死にたがってるに違いない」ってのが浅いんだよな
おれはあらゆる努力が嫌いで、努力を放棄することがすごく好きなんだよ 努力っていうのは勉強とかスキルアップみたいなザ・努力的なやつから毎日の歯磨きとか掃除とかゴミ出しみたいな細かいやつまですべてを指す つまり、「やると何かが改善するけどやらなくていいならやりたくないこと」くらいの意味合いだ
努力からは逃げられない 仕事だって努力だし、生活の大半は努力だし、趣味をやる中にすら努力がある おれはもう疲れたぜ
学生時代は帰宅部だったんだけど、ほかのやつらがみんな部活で居残るなかさっさと教室を出て帰途につくときすげえ楽しかったし嬉しかったんだよ おれはなんの努力もしないで帰れる!と思ってさ
自殺とか安楽死のことを思うとき、まず第一に頭に浮かぶのがあの解放感・楽しさなんだよ ほかのやつらが頑張っていい大学出て必死に就活してキャリアアップして家族持って(持たんでもいいが)稼いで…ってのをやってるのを尻目におれはスッと死んでそれで終わり もうなんの努力もせんでいい 働かなくていい 介護しなくていい 病気しなくていい 健康に気を使わなくていい なにも考えなくていい 最高じゃない
これだって「なにか嫌なことがあるから死にたい」の範疇なのかもしれないけど、この「なにか」は排せねえよ 人類はまだそこまで来てない
人生そのものが嫌だって人間はいるんだよ おれは本当に人生が嫌だけど、迷惑かけずに死ぬ方法がわかんないから嫌々生きてる
30万払ったら毒を処方してくれて、施設内で服薬して死んだら死体は処理してくれますって施設があったら迷わず行くよ
おれみてえな人間はさ 苦役を強制され続けてんだよ 殺してくれよ
なにが優生思想はダメだよ いいじゃねえか優生思想 優秀なみなさんだけで生きたらいいじゃん
弱者を殺したくないって良心の呵責におれみたいなのを巻き込まないでくれよ 殺せるだろ?殺そうと思えば 金なら頑張って払うから殺してくれよ
嫌なんだよ人生 万人にとって生きることは地獄だ!なんて言わねえよ でもおれには向いてないの 辞めたいんだ
辞めさせてくれよお なんなんだよ
妻は文章にも天真爛漫で能天気な性格がそのまんま表れててすごいなあ。
(小学生みたい、とか猫かな、とかコメントに書かれてるけど、リアルな妻もそのままで頷くばかり)
たくさんのコメントを読んでて、思うことがあったので妻に便乗して書いてみようと思います。
「本当に働かなければならないのか?」と「2人の関係の多様性」について。
まず妻は僕の良い面ばかり書いてくれているけれど、実際他の人から見ても良い夫かと言うと微妙だと思います。
幼少期から何か突き詰め続けていくようなことが得意だったので、自然と勉強に熱中して東大に入れたけど、まぁコミュ障なので、
周りに興味を持ったり、人との関係を自分から作りに行ったりとかはすごく苦手で、能力の出来不出来が激しいので(勉強も含む)、
普通に合わせろと言われるとやや生きづらい、そんなタイプです。
仕事や勉強に特化した人間で、薄い人間関係は得意だけど心の壁が高いので、恋愛は苦手で、
学生時代はずっと彼女がおらず「生涯このままなんじゃないだろうか…」と孤独感に怯えながら、毎日過ごしてました。
勉強が人並み以上にできる反面、自分にとって「心を開いて好きな人と過ごす」というのが、途方も無く難しいことだったんです。
一方、妻は気さくで話しやすく、人の懐に入るのが上手いタイプなので、関係を深める苦労が大分軽減されてすごく助かってきて、
甘えん坊でかまってちゃんで、そんなところも自分には嬉しいです(たまにうるさいけど笑)。
コメントで「専業主婦」について今時どうなの?とか、その幸せはずっと続くのか?とか、フェミが~とかありました。
また、夫が収入を妻の家事を提供してる、と見られるのも分かるなぁ、と思うけれど
そういったステレオタイプな推測と我が家の実態は少しずれがあります。
本当にずぼらで部屋が汚くても全然気にしないので、家事はあんまり重要ではないです。
僕にとって、孤独感を感じずに家で素のままで安心していられることがなにより大切で、
賑やかで明るくて、能天気で天真爛漫な妻のおかげで、結婚してから寂しさを感じたことは一度もなくて幸せです。
妻は「働かなければならない」(と思っているタイプ)のに、実際自分はそんなに働けなくてダメな奴だっていう気持ちが大きいみたいです。
僕は「人は働くべき」な思想が嫌いなので、それは違うよとよく言ってます。
そんな僕といることで、妻も働かなくても、そのままの自分でいるだけで肯定してもらえるから嬉しいみたいです。
妻は、世間体や親族の目から「ちゃんと働かなければならない」という強迫観念や罪悪感を感じるそうです。
でも、本当にそうでしょうか。働くことをって、僕にとっては、歯磨きと同じなんですね。
磨かないと歯がボロボロになっちゃうからめんどくさいけど仕方なく毎日磨く。労働なんてその程度の意味しかないと思うんですね。
勿論、皆が働かなくなってしまったら、世の中や経済は成り立たない。
もし、労働に歯磨き以上の意味を感じているとすれば、世の中にとって都合が良いように刷り込みを受けた結果の産物でしかない、と僕には感じられます。
「労働」を「成長」に置き換えても一緒です。成長の努力なんて、部活の筋トレと一緒でしょ?好きな人が勝手にやればいいんですよ。僕にとってはスマブラのトレーニングモードでのコンボ練習ですね。
この僕の感覚は普通の人とは違って新しい、って妻には言われるんですが、普通の人の感覚っていうのがさっぱり分からないです。
妻が変わっているのか、自分が変わっているのか、両方なのか、どれなんだろう?
そんなこんなで我が家は妻は僕の持つ孤独感を、僕は妻の持つ労働強迫観念を解消してる、っていうwin-win関係になっている、というのが実態だと思います。
我が家は専業主婦家庭だけど、フェミニズムとも考えは矛盾しないと思っています。
男が専業主夫で良いと思うし、共働きだって当然いいし、結婚しなくてもいいし、なんだっていいのにね、と話してました。
二人の関係は「win-winで公平とお互いを思える関係」ならなんでもいいんじゃない?という思想です。
勿論、働けたり、家事ができたりした方が選択肢は増えますが、それ以外が他人から後ろ指を指されるべきではないと思う。
多様な価値観を受け入れれば、多様な幸せがあるのにな~、世の中そうなればいいのにな~。
「生産性のないものは時間の無駄だ」とか「生産性のない人は存在価値がない」みたいな価値観も恐ろしくないですか?
「音楽は役に立たない。 役に立たないから素晴らしい。 役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国)」
僕の一番好きな言葉です。昨今のニュースもありますが、生産性や成長を強要する世の中の空気が変わっていくと良いのにな。
こんな性格の上、そもそも普段周りに女性の友達が皆無なので、現実的ではないですね。
仮に誰か良い人が現れたとしても、今の安心できる幸せな生活が壊れるリスクと
新しい関係を築く不確実性を天秤にかけて、浮気をする行動を自分は選択しないと思います。
性欲は普通にありますが、勢いで行動するタイプではないので、ありえないですね。
仮に、その天秤が逆に傾くようなら、すでに夫婦関係が壊れているということで別の問題だし。
【小遣い3万円のコメントについて】
これも2人の公平感で決めています。
妻としては遊ぶには足りないだろうけど、働けばいいだけだし、それは本人の気持ちで選べばいいだけだと思ってて、
僕としては、子供もできるかもしれないから、貯金をしておきたい気持ちもあるし。
子供ができたら、僕の家事のできなすぎは家族で困るかもしれないので妻に習って練習中。子供はできてもできなくてもどっちでもいいと思ってる。
ちなみに妻は自分で言うほどそんなポンコツじゃないです、性格はアホっぽいけど(笑)
話し合いは対等にできるし、メリット、デメリットを分かったうえでいつも行動してて、
生活能力も高いと思うし、料理がうまくてすげー!と思ってます。
最後に本当に余談ですが、夫婦といえば、福満しげゆきさんの漫画のファンでして、非常に面白いので「僕の妻シリーズ」など増田のみなさんにもぜひ読んでみてほしいです!
我々は体育の授業や学校での強制的な部活で脳筋教育を叩き込まれている。
などと称し、教育だの練習だのとお題目をつけては、苦しい思いをして体を動かすこと(必ずしも効果のある訓練とは限らない)を強いる。
それになんの疑問を持たない、効率的な練習法など思いもつかずただでかい声を出して汗をかいてればいいと思ってる従順な頭カラッポの脳筋者だけが学校でも尊ばれ、会社でも出世していく。
そういう価値観の中で、筋力を必要としないe-sportsがスポーツとして認知されるわけがない。
だからモータースポーツはスポーツニュース等でも扱いが小さいし(ドライバーはコックピットで奮闘してるわけだが脳筋にはそういう想像力がない)、将棋や囲碁がスポーツと呼ばれることも日本ではまず無い。
本来、スポーツとは「競争するもの」を呼ぶらしい。チェスやカードゲームもスポーツに分類されるという。
しかし、日本でスポーツという言葉は「肉体比べ」「どれだけ歯を食いしばって汗をかいているか」ぐらいの意味しか持ってないのだから、肉体的要素の極めて低いe-sportsがスポーツとして認められないのは当然なのである。
どうぶつの森が好きだ。
楽しかった。
任天堂はおい森の後も街森やとび森、HHAをヒットさせ、成功を収めていた。
一方の私はおい森一辺倒だった。
街森は買ってもらったけれど操作が覚束なくて結局おい森に回帰した。
とび森は欲しかったけれど3DS本体を持っていなかったことや、部活が忙しくてゲームをしなくなったことなどが重なり縁がなかった。
ポケ森だ。
リリースの数年前から流れていた「どうぶつの森のアプリが出るらしい」という噂の段階で楽しみにしていた。
2017年秋、満を持してリリースされたポケ森に私はのめり込んだ。
久しぶりに会う住人に感動した。
初めて目にする住人もいたがすぐに好きになった。
最初は順調だった。
しかしそう長くは続かなかった。
それから約2年が経った2020年2月、私は再びポケ森をインストールする。
癒やしがほしかった。
2019年秋におい森の頃からの推しが追加されたことも再始動の後押しとなった。
楽しかった。
リリース当時よりも良い仕組みになっていた。
宅配システムのおかげでパシリ感やめんどくささが軽減されていた。
イベントに参加したり、どうぶつに要求される家具を作ったりするのに充足感を覚えた。
おい森とは明らかに違うゲームだけど、スマホアプリという形式上仕方ないと割り切っていた。
ポケ森を再び始めて3ヶ月が経った頃のことだ。
新しいイベントが発表された。
3日間で30万ベルを稼ぐことを求められる。
後から検索してみたところ定期的に開催されているイベントらしい。
ポケ森に失望した。
美術品の贋作も「お金が無駄になる」という点ではそうかもしれない。
私にとってそれらと「がっぽりベルチャレンジ」の何が違うのか。
ローンを払うにはお金が必要だし、株はお金を増やす要素ではあるけれど直接的に「お金を集めろ」とは言われない。
それに最悪無視すればいい。
ローンを返済しない人はほとんどいないと思うけど、別に1番小さい家のままでいてもいいのだ。
株だって利用しなくていい。
がっぽりベルチャレンジは、その期間にポケ森で遊ぶと自動でエントリーされる。
「お金を集めろ」
でも息苦しいことだってある。
https://open.spotify.com/track/7bUApPtxqpGvu1HTLse4dM?si=Xb5S6noGSxyYvR0NcHmcJg
匿名でしか書けないことだが、私は小さい頃からR-18作品を見たり書いたりしてきた。
我が家には子どもが自由に使用していいパソコンがあり、私は時間があればネットサーフィンを楽しんでいた。母も父も特に使い方などを教えはしなかった。ネットリテラシーに欠けまくった私は検索して出てきた記事にあるリンクに片っ端から飛んでいた。そうすると怪しいエロサイトに辿り着いたりする。その衝撃的な内容に驚く間もなく、身体が疼いて興奮してしまった。性に目覚めたての小学生(この頃9歳〜10歳である)の執念は凄まじく、夏休みには一日15時間くらいひたすら二次系のエロ画像まとめサイトを延々巡っていたこともある。自慰をすることもなく(膣が勝手に収縮する感覚はあった)、ただ興奮しながら見るだけだ。もっとマシな夏休みの使い道があっただろうに…。
エロを見ることに対する罪悪感はまるでなかったが、いけないことだとは分かっていた。コンビニに置いてあるエロ本に近づいた時、「子どもは見ちゃダメよ」と側にいた母から言われたし、何よりサイトが「18歳以上ですか?」と警告してくる。それでもバレなきゃいいだろうと開き直っていた。
そして私は12歳の時に色々あって腐女子になった。ひたすらパソコンでカップリングを検索し、残されていた個人サイト(全盛期は過ぎ去っていた)をたくさん巡った。そこでも平気で所謂「裏」「背後注意」と表記されている作品を当然のように見ていた。何度「18歳以上ですか?」と聞かれてもyesと入力し続けた。
やがてpixivの存在を知った。ユーザー登録しなければ見られない作品が多かったので、悩んだ末にアカウントを作成することにした。
そこで私は年齢が20歳になるように誕生日を登録した。こうしなければR-18作品を見られないことを知っていたからだった。初めてそこで罪悪感と薄暗い後ろめたさが生まれた。
ROM専でいれば良かったものを、私には制作意欲が生まれてしまった。推しカプの作品を作りたくなったのである。絵で作りたいものを表現するのは難しかったので、先ず文章を書くことにした。pixivの作品投稿のページに直でチマチマと1000文字〜3000文字?の小説を書き込んだ。タイピングが遅すぎて半日くらいかかった覚えがある。とにかく無事に嗜好を詰め込んだ作品は完成し、その日中に投稿した。
12歳のクソガキが書いたその小説は思っていたより評価された。運が良かったとしか言いようがない。書いた推しカプは旬ジャンルで波に乗っており、私はそこに女体化と妊娠要素を乗っけていた。(人を選ぶ要素のある作品は一定のニーズにより評価されやすい気がする)ブクマは最終的に300程頂いたと思う。ありがたい話である。
勿論文章は下手くそ極まりなかった。めちゃくちゃ改行するしポエムのような心理描写が並べられているだけの小説だった。語彙もなく背景描写もなく、今でも内容を思い出す度恥ずかしくなる。今あのクオリティーで出せば3ブクマとつかないだろう。
あの頭の悪い文章たちをちゃんと読者は成人済の書いたものだと信じていたのだろうか?未だに誰かにはバレていたんじゃないかと思っている。
それでも作品を評価されたことが嬉しかったし、もっと書きたいと意欲的になった。時間が有り余っていた私はどんどん書いた。三日おきに投稿していた時もあった。ちゃんねる風にも手を出したり新しくはまったジャンルの小説も書き始めた。
好き勝手書いた作品に点数もブクマもコメントも頂けて、二次創作は順調に幸せだった。
しかし成人を騙れど中身は思春期真っ盛りの子どもである。イタイ時期が私にもあった。(これは現在進行形かもしれない)特にキャプションにそのテンションは如実に現れていた。腐女子特有のキャラ語りの気持ち悪い文章だとか、中学生イキリオタのノリだとか、ひたすらポエムを並べたりだとか…その辺だ。ここにも到底書けない。恥ずかしい限りである。
ちなみに当時の名前は“キルリマ”と読ませる当て字だった。好きな厨二臭い漢字を入れて下されば幸いである。
自分を何故か居酒屋の娘だと設定し、フォロワーとメッセージ上で交流したこともある。本当にチョイスの意味がわからない。高校の頃の苦手科目を聞かれて焦ったこともある。中学一年生には何も分からなかった。
結局最初に作ったアカウントは、「あ、やり直したいな」というある日の思いつきで消去した。使用歴は半年ほどである。
そしてすぐに作り直したアカウントは今日まで続いている。そこからは比較的真面目に書き始めた。依然性癖は変わらなかったが、文章はちょっとだけマシになった。
そして新アカウントでとうとうエロを書いてしまった。ギリギリ中学一年生だった。しかも内容は強姦である。馬鹿じゃないのと思う。その時にエロを書くのは難しいと知った。キャラに喘がせながら喋らせるのは難しいし(『ぁ』とか『、』などの適切な量が未だに分からない」の性器の比喩表現も一歩間違えたらギャグになる。あと単純に文章力が低いので艶やかな文体に出来ないのだ。出来上がったのはただの拙い成人向け小説であり、エロい文章ではなかった。
それでもこりずにいくつか書いた。挿入なしのプレイものばっかり書いた。意味がわからない。しかしネタに走ったわけではなく、大真面目に書いていた。
中学校三年間で書き上げて、今でも削除せずに支部に残してある小説は40程ある。評価数はブレブレでブクマだけで言っても1桁から4桁までまちまちだ。正直字書きとしてのレベルが分からないが、凡才だったことには変わりない。私の作品は「特殊属性(女体化、妊娠、過去捏造シリアス、嫌われ、ちゃんねる系)」がついていないと評価されない傾向にある。純粋な文章力はたかが知れていた。
最古の小説は6年前のものだ。それを怖いもの見たさで読み返しては勝手にダメージを食らっている。
高校に上がってから部活で忙しくなり、小説は書けなくなった。支部のアカウントはROM垢と化した。Twitterにも成人向けと騙ったROM専アカウントがあり、私は日々両方で二次創作を漁るだけになった。
途中うっかりnmmnにハマり、検索避けが備わった件のサイトでいくつか軽い小説を書いた。そこでも年齢を偽った。18歳以上じゃないとフォローできない方が多かっただけでなく、単純にエロを書いてしまったからでもある。内容は複数人ものだったと思う。未だにまともなセックスを書いたことがない。
そして今年の春に18歳を迎えた。4月1日になった瞬間に今まで我慢していた成人向け同人誌と目一杯買った。エロ同人もAVも買った。購入だけは18歳まで出来なかった。(だからどうしたということではあるが)
ここまで長々と自分の創作記録を書いてきたが、実は自分のしたことに今は全く罪悪感を持てていない。後ろめたさは確かにあるが、皆やってるんじゃないかと思い込んでいるのだ。
ちゃんと18歳まで一つのエロを見ることもなく過ごした人を心から尊敬する。とびっきりの自制心をもって制御できる方だと思う。いや、単に私の心が弱すぎるのか。それとも性欲が強いのか。
一つ思うことは、上に書いた支部のアカウントが特定されないか、ということである。別に晒されても燃えても仕方のないアカウントだが、上の情報だけで特定できたらすごいな〜と思う。