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2020-08-12

友達と長続きしない

中1のときにできたイツメンクラス替えをしたらほとんど関わらなくなってしまったし、2年のイツメンは私以外の2人は同じ部活なので、放課後も昼休みも土日も切磋琢磨してるその友情には勝てず放課後の遊びもほとんど誘われなかった。一緒にいれる学校行事とかでは二人と間を感じた。

中学3年生でできた趣味が合って本当に仲良くなれたと思った友達卒業後も連絡を取り合う程仲良くなれたと思ったが、私から連絡をしなければ何もないことに気づいた。

高校はあまり気の合う子がいなくてとりあえず学校生活送る上での友達はできたけど、もちろん放課後に遊ぶとかはなかった

一度でいいから私といえば〇〇ちゃん、〇〇ちゃんと言えば私、と周りから言われるような、何かあれば1番に私を誘ってくれるような、本当の友達が1人くらいはほしかったなぁ

うたた寝してる男の子の首を噛みたい

うたた寝してる男の子の首を噛みたい。

何するんだよってうっとおしがられながらも

自らに向けられる愛情困惑する顔を見たい。

叶わぬ夢。

中学生の頃、じゃれ合っている同級生男子を遠巻きに見ていた。自分はそういうものに何も興味はないと思っていた。私はもっと高邁で、奇抜で、愉快で、進歩的なことを考える人間だと思っていた。

高校生のころになると私は(主観的認識としては)原因不明寂寥感に苛まれていた。このままではまずいと思った私は、世間に対する警戒を緩め、私の世界ポップカルチャーやら何やらが流入してくるのを受け入れた。そのころ、私はようやく、抽象観念的な理想は、自分が具体的他人とどう付き合っていきたいかということとあまり関係がないことに段々と気がついていった。

そして、私が友情という観念に仮託していた自分感情は、大人の友人関係では叶えられないものであることを知った。むしろ、私が欲しているのは、愛、しかも痴なる愛であることを悟った。

私を慕う部活の後輩がいた。そして、彼の声には甘えるような響きがあり、回りくどい冗談には愛着が示されていた。時がたつにつれ、彼の声に私は痺れるようになった。私のそんな気持ちは伝えてしまたかったが、うまくいかなかった。そうならないように、彼が会話の雰囲気操作しているような気がした。私の胸は焦がれた。

私は自分目的を達するためにもっとも良いと思った遠方の大学入学した。私には野望があまりに多かった。一方で、私の心は干からびているようだった。自己肯定感あふれる鬱病患者のような奇妙な状態に陥った。私の自己実現欲求は空転し、私は留年した。

大学生になっても、課外講義をとると、キラキラした笑顔で川の水をかけあっている一年生の男子がいた。とても眩しく見えた。留年生の私だが、そんな彼にも普通にしかけることができたし、彼は自然に仲間のように接してくれた。でも、私は関わろうとするのを辞めた。「友情」に素直に満ち足りる彼らは、最初から別世界存在のように思えたからだ。私が人間で、彼らが天使であるかのような。

そういうことがあったせいからか、親密な感情を全く想起させないが、冗談や興味深い話はするというような「好ましい」人間関係が、これまで以上に、勝手に構築されるようになっていった。相手は居心地が良さそうにしていた。私もまあ居心地は良かった。でも、それを破壊したくて仕方がなかった。私は飢えのために闘わなければならなかった。不道徳で、実りの無い戦いを。

今、私はそれから何年も経って、いろいろなできごとを起こしていったし、巻き込まれていった。しかし、未だにこんな文章を書いているほどに、何も進歩がない。

anond:20200812005318

部活遠征の時とか便利やったで

うちの顧問派手なTシャツ着てると煩かったがクラスTならなんでもオッケーや

文化祭の準備にも合宿にも使えるし

パジャマにもなる

まあ中途半端に安いと生地がボロくてダメやな

anond:20200812004943

いや部活練習着とかならわかるよ

っていうかふつうだろ

anond:20200812004702

部活で最終学年の時に作った記憶がある

あれはたぶん部活費使ってた

子供の進路

中3の息子がいる。

進路って親子で探して決めるものなのかと驚愕してる。リストアップって子供仕事じゃないのか?って聞いたら、親子で探せと言われた。

私は行きたい高校情報なんて自分で調べてた(制服かわいいとか、繁華街に近いとか不純だったけど)し、中3の夏休みといえば理想現実絶望したりもしてた。

息子は志望校をどうやって決めたらいいかからないらしい。同じスポーツ小学校からずっとやっていて、一応高校でもやるらしい。以上!みたいな感じ。

から時間以内で通えて部活をやってる学校から公立私立をいくつか選ぶだけなのに!分からないって何が分からないのか。

2020-08-11

どらやきを半分こしよう。

いとことの会話は平和だ。

お互い一人っ子だったこともあいまり喧嘩することなく仲良く遊んできた。

どら焼きが残り一個だったとき、半分こしよーと二人で割っておいしいねぇとにこにこしながら食べていた。四人兄弟で育った母は小学生幼稚園生なのに平和すぎて驚いたと言っていた。

いとことの体格差がひどかった。

四歳差であるはずなのに同じ120パジャマを着ていたことをおぼえてる。今じゃ40cmも違う。

どれだけ大きくても 、四歳下。中身は幼稚園生なのでまだまだ甘えたの時期

ねぇね!抱っこして!といいながら自分よりデカイいとこがにっこにこしながら飛んできたのを覚えてる。骨折れるかと思った。

「知ってるか!きりんの鳴き声きっりーーんって言うんだぜ!」と変なことを教えたこともあった。

少しビビりで後ろをついてきたり、横並びで遊んだかわいいかわいい弟だった。

全力で遊んで山に繰り出して農作業する私とは反対に室内で遊ぶことを好み構造がどうなってるかわからない折り紙をきっちりしっかりと折っていた。山で遊ぶときは私が教え、折り紙で遊ぶときはいとこが教えてくれた。

ふたり揃ってわりと有名な頭のいいところに進学したが、部活にだけ明け暮れてた私は専門学校に転がり落ちてしまった。それを悔やむわけでは全くないが祖母がうちの孫はふたり揃ってすごいんだぞーと言わなくなったことだけが少し悲しい。叩き上げで平社員からトップにおどりでた人の話ばかりするのが悲しい。残念だったなと同情して励ましてくれるのが悲しい。残念だとは思っていないのに悲しい。悲しいというか単純にメンタルがごりっごりに削れる。

いとこは進学先よく知らないこともあいまって私の卒業時には独学とは思えないほど達筆な字で祝いの書を書いてくれた。私と違って頭も良くて手先が器用でものすごく芸達者なのだ。きっと優しいから知っていたとしても祝ってくれただろう。

お礼に誕生日ガラスペンで書いたお手紙をおくったら喜んでくれた。いとこのように字が綺麗なわけではないけど便箋三枚びっしりこころを込めて書いたから許してもらおう。

母方の親戚同士が不仲になるのもみてきた。その不仲に巻き込まれることもあった。すごく辛かった。だから、でき損ないなねぇねでも不仲になることなくにこにこしながら半分こしてくれたらうれしい。

もうすぐ私は20になる。大人になる。

それでもきっと来年も「じゃーねー!ばいばーい!またあそぼうね!!」と十何年も続けた別れの挨拶をして大きく手をふりながら実家をあとにするのだ。

2020-08-10

リアルクソデカ感情の話

人に興味ないよねとよく言われることが多かった。確かに人の名前は覚えられないし、学生の頃話題になりがちな誰と誰が付き合っているだとか全くわからなかったし興味もわかなかった。

あるときふと気づく。確かに私は人のことをあまり覚えられない。でも大切にする人は大切にしていると最近気付いた。人に興味のない人の言い訳テンプレートのようなものだけど、これが事実ほとんどの人に興味はなく、興味の大きさがクソデカ感情しかない人間だったらしい。

そんな私の3つのリアルクソデカ感情とその相手について話そうと思う。

無意識クソデカ感情

同じクラス不思議女の子がいた。

不思議というか破天荒というか突拍子もない行動をするというか、世間的には問題児しかないような彼女。なにか問題起こしてもまぁ彼女ならしかたないよねという風潮まであった。タバコを吸うとかそういう問題ではなく、体育祭日傘をさしていたり、人間が入れないはずの小さいロッカーから飛び出てきたり、入学式うそう他クラスまで殴り込みにいき、名前なんていうの?って聞いて回るような変人しかも一回みたひとの顔と名前絶対に忘れないという変人オブ変人だった。

そんな変人で、すらりとしていて、いつも飄々としていた彼女が美しいとしいと思ったのだ。恋愛的な意味ではなく、なんといえばいいのかわからないけど、毎日彼女がかわいくて仕方がなく、「おはよう今日かわいいね○○さん」と挨拶のように言っていた。かわいいね、好きだよと毎日言っていた。女の子同士のじゃれあいのような感じではなく、かといって恋愛的に好きなわけでもないのに、私はほぼ真顔で毎日伝えていた。私自身それがクソデカ感情だとよくわかっていなかったかである彼女ほどではないが、彼女に限らず、女の子がかわいくなったら、なにも考えず本心で「かわいくなったね」とか「美人になったね」と真顔で言っていたし、男の子にもまた「なんかかっこよくなったな」ということもあった。そのときは大抵ドン引きされるか「でっしょーーやっぱり私超美人からさーーww」と茶化されることばかりだった。それが当たり前だとは思う。

引かれてもおかしくないような挨拶毎日していたけれど、何故か彼女はいつも普通の顔をして「おはよ」といっていた。

学校卒業して一年後あったときに流石にクソデカ感情抑えようと以前の挨拶をしなかったら、「もう私のこと好きじゃないの?」ときょとんとした顔で聞かれた。流石に沸いた。何故かわからないけど彼女は私のクソデカ感情を、こいつはそういうもんだと思って受け止めてくれていたのだ。ありがたい。

気づいたらクソデカ感情

部活動で私とふたりセットにされる男の子がいた。ふたりとも他の部員より積極的活動していたからか、この学年だとこのふたりだよねといわれるようなセット。

彼は意図も言わず理解できないような無理難題を急に言い出して、私に押し付ける。不思議なことにそのどれもが成功し、私に押し付け無理難題は確実に意味のあるものだった。

最初は彼のことが恋愛的に好きだったのかもしれないけれど気づいたら、恋愛なんてなにもなく、崇拝していた。彼のやることな絶対成功する。彼の思い描いた思想を叶えることが楽しくて楽しくてしかたなかった。相棒のように頼り、頼られることがなにより嬉しかった(振り回されてばかりだったわけではなく、こちからもかなり頼っていた)。部活動死ぬことはないと言えど、不思議なことに彼のためなら死んでいいなと本気で思っていた。

ここにきてやっと、もしかしてちょっといかとしれない?と思うようになったこと、またもともと恋愛的に好きだった疑惑あいまり、クソデカ感情をぶつけるのは流石にアカンなと思うことができたらしい。しかし隠せないのがクソデカ感情というもので、疲れているとき無理難題を言われると、「君のいうことは必ずいい方向に向かうし私は君のためならなんだってやりますよ」とか言ってしまっていた。何度か言ってしまたことがあり、スルーされたり苦い顔をされたした。本当に申し訳なかったと思う。

カンと一発クソデカ感情

遠い昔「クラス部活も一緒なわけでもないし仲良いけど、二番目なんだよなー」とある女の子に言われた。他意はなかったのだろう。放課後とか休み時間によく遊びはするけれど、お互いの家に言ったこともないし、クラス部活も違う。クラス部活も同じ子とより仲良くなるのは当たり前だ。

いや、わかるけどわざわざいうかね?一番になりたいというより、どれだけ仲良くなっても私は二番目という認識が離れなかった。

私は特に怪我をしているわけではないが階段が苦手で降りるのも上るのも無意識なら上れるけれど意識するとよたついてしまう。母親には階段の上から「落ちても助けんからねーw」とよく言われていた。当たり前だ。幼稚園児や小学生ならまだしも高校生相手なら私じゃなくて下敷きになった母が大怪我する可能性がある。人が上からふってきて怪我したくないものリスク避けるのは大事

ある日疲れから死ぬほど段差に弱い日があって、「おまえほんと今日ヤバイよ気を付けるどころの騒ぎじゃない」と周囲に言われていた。そんな日でも階段を使わなければならないときはあるもので、彼女と一緒に下の階へ向かおうとしていた。

「おまえ絶対落ちるなよーww」といいながら彼女は私の前にでた。前と言うことは私の下。

「え、前いくん?落ちたら危ないよ?」

「目の前で落ちたら気分悪いじゃん」

恋におちたようにクソデカ感情爆誕の瞬間である

彼女は当たり前かのごとく少し前にでて後ろを振り返りつつ私をみて「大丈夫かー」と声をかけつつ降りてくれたのだ。もう二番目といわれたのは何年も前だけれど、二番目でも良いか彼女になにかあったら絶対に守ろう。彼女心配してくれたその言葉だけで生きていける気がした。

これ以来彼女階段を上るときも下るときもいつも私の落ちる側にいて声をかけてくれる。その度に彼女になにか嫌なことを言うやつがいたら、胸ぐらつかんで殴りにいこうと決心するのだ。

彼女はおそらくクソデカ感情が苦手なのでなるべく出さないようにしている。やっと自分がクソデカ感情持ちだと気付いたのだ。ただ、やっぱり隠しきれないのがクソデカ感情であり、彼女へのクソデカ感情を出すとガン無視される。ごめん。以前手紙かいたらラブレターになってしまったのは本当にごめん。


以上3つが私のクソデカ感情である

クソデカ感情を向けてしまっている方々には申し訳ない。

かにもあと2,3人ほどクソデカ感情を向けている方もいるが、あまりにも長くなってしまうので割愛する。

クソデカ感情をぶつけられて気持ちのいいものではないと思う。私は嬉しいが、苦手な人だっていっぱいいる。流石に私もあったことのない人にクソデカ感情向けられてぶつけられるのは怖い。クソデカ感情が生まれしまうのはもう仕方がない。なるべく出さず、クソデカ感情が苦手な人に無意識にぶつけないようにしなければならない。相手不快な思いをさせてしまったら駄目だ。

あとクソデカ感情以外の人たちにもっと興味をもつようにしなければならない。興味の触れ幅が0か100しかないのはいろいろと不便。あと大変申し訳ないのが彼氏がいたときですら、クソデカ感情のほうが限界突破してしまっているという状態(今は彼氏いない)。勿論彼氏のことはちゃんと大好きになるし大好きだから付き合った訳なのだけれど、その思いがクソデカ感情に勝てない。相手申し訳ないし、失礼だからちゃんと向き合わなきゃいけない。

私の人生はまだまだ続く。

クソデカ感情によって人を不快にさせないように。拗らせて犯罪を犯さないように。明日我が身だと自覚をもってクソデカ感情との向き合いかたを考えつつ生きていかねばならない。

人達人生も続く。

なにか困ったことがあるかもしれない。私が相談にのってよいと君が思うのならば私がいくらでも話を聞こう。愛する人を見つけるかもしれない。直接教えてくれたとしても風の噂で聞いたとしても私は全力で祝福しよう。直接教えてくれたのならば心からのおめでとうを沢山伝えよう。風の噂で聞いたのなら祝福の意味を込めてひとりぼっちティーパーティをしよう。

愛すべき友人達に幸あらんことを願ってこの文章を終わろう

30歳 童貞が出来上がるまで

別に苦しみでも何でもないけど。


タイトル通り30歳童貞 別に珍しくもない。

もちろん交際経験は無し。デートとかそういう交際カウントされそうな事は一切なし。

何もせずに、普通に過ごしたら童貞になっていた。誕生日に「メラ!」とか言ったけど、何もなかった。29歳364日の童貞と30歳0日の童貞は何も変わりが無かった。

中学は少しいじめられて、半年くらい引きこもってたけど、何となく卒業できた。

高校はそれなりにちゃんと行って、そこそこ勉強した。いわゆる陽キャ運動部の人とかは高校くらいで彼女が出来るのかもしれない。

でも自分部活には入ってなかったし、陰キャよろしくアニメゲーム読書で忙しかった。友達もそんな感じだったから、これが普通だと思ってたし、今も多分、それが普通だと思ってる。

勉強はそこそこしたので、そこそこの大学(A大学としておく)に入ることができた。大学田舎にあったので「A大学生の娯楽はセックス」なんて言われてたけど、そんな話はなかったし、周りにも聞かなかった。学部工学部だったから、それが原因なのかもしれない。教育学部の人はそういう話をそこそこ聞くと言っていたような気がする。

大学ではサークルに入っていた。しか運動系。でもサークルには陰キャっぽい人が多かったし先輩も後輩も工学部の人が僕の代には多くて、学部あんまり雰囲気が変わらなかった。おかげで大変快適に過ごすことができた。それでもサークル内で「××と□□が付き合ってる」みたいな話は少しはあったけど、その内情まではさすがに流れてこなかった。

バイトスーパーで働いていたので、おばさんお姉さんと仲良くなることはあった。ちょっと古びたスーパーだったからなのか同年代の人はほとんどいなかった。一緒に働くほとんどの人が二回りくらい離れてるので、親戚の子供みたいな扱いで、色々持ち帰らせてもらったり、いろいろと良くしてもらって非常に助かった。

そんなこんなで、大学では引き続きアニメゲーム読書サークルバイトと忙しく過ごしていた。

工学部だったし、就活はそこそこちゃんとしたら、そこそこの会社に入ることができた。勤めてる会社IT系の2次請けで、あんまりガツガツした雰囲気ではないけど、仕事出来る奴、技術が高い奴が偉いみたいな雰囲気だ。酒、車、腕時計!みたいな嫌な雰囲気全然なくて、大変快適に過ごすことができている。

たまに社内の内情に詳しい人から「○○さんが結婚したんだって」という話は流れてきて、そういえばそのくらいの歳なんだよなぁと感じる。実際、同期では結婚してる人も少なくない。普通ならここで焦ったりするのかもしれないけど、今までそういう事がなくても良い環境にいたせいで、全然実感が湧かない。親も大して言ってこないし。


最初に書いたけど、普通に過ごしてたら普通にこうなったって感じだ。年齢的には急いだほうが良いのかもしれないけど、必要と感じないものに躍起になるつもりは起きない。PS4で満足してるのに、xbox買う必要があるだろうか?って感じだ。

anond:20200809024637

中学後半は部活キャプテンと県の強化指定選手に選ばれて、生徒会長もして成績は塾のえらい人に関西で有数の進学校受験を進められるぐらいだった。

その進学校部活特待生受験進学を許されず偏差値70越え公立校に進んで以来、留年しそうになるぐらい無気力人間になった。

2020-08-08

アルバイト退職した。

大学進学を機に上京し、勉強部活の傍ら、生活趣味に遣うお金のために様々なアルバイトをしていたが、どれも長続きしなかった。

一昨年のこの頃は飲食店に勤めていたが、ある日バイト中に社員に手を上げられ、そのまま店を辞めてしまった。

勢いでアルバイトを辞めてしまったが、働かないと生活が苦しくなる。

飲食以外でアルバイトを探していたところ、隣町の小さな本屋求人を見つけた。

時給は低かったものの、仕事が暇そうだったのととても雰囲気がよかった事もあり、そのまま応募した。

無事に採用され、先輩からレジ周りの仕事から教えてもらうことになったのだが、その先輩は高校生だった。

名前、似てますね。」

「私もそう思いました。」

私の名前増田、先輩の名前曽田だったので同じことを考えていたが、先に言われてしまった。

これが曽田さんとの初めての会話だった。

曽田さんは私より年下なのにとてもしっかりしていて、明るくて芯のある人だった。

キャラクターで例を挙げるなら夜は短し歩けよ乙女黒髪乙女が近いかもしれない。

シフト曜日固定なので、毎週曽田さんと同じ時間バイトに入っていた。

その頃私は大学から課される大量の実験レポート忙殺され、心身ともに疲れ切っていたが、

曽田さんのしゃきっとした態度を見るだけで疲れなど忘れ、私はだんだん曽田さんを好きになっていた。

私と曽田さんは、アルバイト数人でご飯を食べたり遊んだりする仲ではあったが、

私が二人で食事に行こうと曽田さんを誘っても、曽田さんは決してその誘いに乗ることはなかった。

食事の誘いには乗らなかったが、曽田さんに勧められた飲食店ご飯を食べた感想を伝えると、

「どうして私を誘ってくれなかったんですか」と言われることもあり、私はカンチガイしていた。

募る思いだけが日に日に増していった。

曽田さんは高校卒業して近隣の大学に進学したため、去年の四月以降も曽田さんとのシフトは続いていた。

そんな関係が続くうちにアルバイトを始めてから一年が過ぎた。

一年、いい区切りだと思った。

私は曽田さんに告白した。

今まではバイト終わりに「お腹空いたね、ご飯行かない?」と食事に誘っては断られてを繰り返していたため、

曽田さんは私に気は無いんだろうなとは薄々気付いていた。

食事は断られるが、仲は良かったので今の関係のままでもいいかなと考えもしたが、

どうしても諦めきれず、関係が壊れることも覚悟してその日は「君のことが好きだから、今度一緒に食事しませんか。」と気合を込めて誘った。

好きな人いるから、行けません。」

むなしくもまた、断られた。

曽田さんは幼馴染の浪人生が好きということと、勉強邪魔をしないため、浪人生活が終わるまでは告白しないと決め、

もどかしい思いをしていることを私に教えてくれた。

完全敗北を喫した私は、しばらくの間は曽田さんとぎくしゃくしていた。

曽田さんを諦められない気持ちもあったが、曽田さんは曽田さんでバイト中に好きな人の話を私にしてくるため、

さすがにこれ以上曽田さんのことを追いかけていても曽田さんの迷惑になるなと思い、身を引くことにした。

去年の暮に、私も私で別の人から告白され、付き合うことにした。

曽田さんへの思いを吹っ切るためだったのかもしれない。

そんな気持ちで付き合い始めたのは恋人に失礼だったなと今は反省している

曽田さんとは相変わらず同じシフトだったが、その頃には曽田さんともだいぶ打ち解けていた。

「私、振られちゃいました。」

曽田さんが私にそう告げたのは今年の三月だった。

曽田さんはそれから幼馴染の話をしなくなり、私と私の恋人の話を聞くことが多くなった。

私と恋人との関係は順調だったが、曽田さんのことを吹っ切れたかというとそうでもなかった。

告白する前より仲が良くなったかもしれない。

この頃から曽田さんはバイト後にバイク帰宅する私を見送ってくれるようになり、

増田さんが恋人と別れたら後ろに私を乗せてくださいね。」なんて言われたりもした。

バイト後に曽田さんが私を食事に誘うこともあったが、断っていた。

曽田さんを吹っ切れなかったが、恋人に対して失礼な事をしたくなかった。

新型コロナ蔓延し始め、世間でも騒がれ始めた頃、本屋も一時休業することになった。

「お互い元気なままで再会しような。」

休業前の最後バイト曽田さんとそんなやり取りをした後に「次に会うときバイト後にラーメン食べに行きましょう。」と約束した。

バイト後のラーメンとはいえ恋人以外の異性と二人で食事に行くことは恋人申し訳なかったため、恋人にはちゃんと報告した。

休業が明け、久しぶりに会った曽田さんとバイト後にラーメンを食べているとき、月日の流れを感じた。

曽田さんと二人で食事をしたのはそれが最初最後だった。

「八月で閉店します。」

一時休業が明けて少し経った頃、店長にそう告げられた。

経営不振だそうだ。

曽田さんとの関係が終わる。

その日はあまり眠れなかった。

恋人との関係も続いているが、曽田さんと会えなくなることを考えるととても辛かった。

恋人と別れて曽田さんにもう一度告白することを考える自分もいたが、

恋人に対してなんて酷いことをしようとしているのだろうという思いの方が強かった。

最後バイトでは「振られた後もずっと曽田さんのことが好きだった、今までありがとう。」なんて伝えようかなと考えていた。

そして先日、本屋も閉店し、曽田さんとの最後バイトを終えた。

退職手続きを済ませ、本が無くなった本屋簡単打ち上げをした。

その日は徒歩だったので、曽田さんと並んで帰っていた。

とくにこれといった話はしなかったが、曽田さんに別れ際に「増田さんの恋人よろしく言っておいて下さい」と言われた。

その言葉を受けて何も言えなくなってしまい、別れた後は放心状態帰宅した。

全部見透かされていた。

曽田さんは私の好意に気付いており、曽田さんも少しは私のことが好きだったのかもしれない。

私と私の恋人関係のためにも、私に「曽田さんが好きだ。」と言わせなかったのかな、なんて考えたりもする。

どこまでが合っているのかは分からない。


これから曽田さんと会う機会もなくなり、曽田さんへの思いは日に日に小さくなっていくんだろうけど、

曽田さんの気持ちを汲むためにも恋人のためにもそれが最良なのかなと考えている。

2020-08-07

🧏‍♂️部活動大会参加者質問があります

大会で優勝することってそんなに価値のあることなん? 

素人としては「たか部活大会ぞ?」と冷めた目で見てしまうのだけど、素人が知らないだけで、何か他の価値(将来など)と繋がっていたりするの? 

会社を無断欠席していつまでバレないかやってみる

新卒でこの会社入社して、正社員として働き早三年が経った。

しょぼいと思われるかもしれないが、

自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。

なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。

中学生ときバスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方から練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。

私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。

そのときのことは、正直昔すぎてあまりよく覚えていない。

単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。

ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。

今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしま出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。

それ以前もちらほらと、小学校読書クラブや、公民館児童クラブ友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。

それより象徴的なエピソードは、大学受験ときのものだろう。

私は県外の国公立大が志望で、地元私立大学も併願していた。

二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大学の前期試験に挑んだ。

父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。

そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。

だけどそれはおかしい、と同時に思う。

結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学合格し、結局実家を離れることになったのだから

前期試験あの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?

自信はあった。

試験範囲勉強計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。

今でも思う、あの日あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。

第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。

もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。

就職先も今の会社ではなかったかもしれない。

そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。

前期試験の日、私は試験会場の前までたどり着いた。

しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。

受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。

大学の正門前最後横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。

駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。

それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。

駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。

県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日からまり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。

好きなアーティストライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。

少しだけ後悔している。

きっと母親ホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから

私はやってしまった。

ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。

感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。

同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。

受験発表の日、ネットで番号がないのを先生確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。

月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。

結局、受験していても受かっていたかどうかはわからない。

長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。

それくらいしかあんなことをした理由は考えられない。

思い当たることがあるとすればあと一つだけ。

学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。

いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。

短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。

大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。

さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。

その最後の週だった。

作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。

いわゆる機械の非常停止ボタンだ。

大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。

他の停止ボタンと違って、プラスチックカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。

この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンス必要になり、その間はラインを停止させることになる。

一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。

そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。

これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。

班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。

からストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。

それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。

私はそれを班長そばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。

そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。

もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。

プラスチックカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。

班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。

その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。

その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。

私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。

流石に外までは追いかけてこなかった。

そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。

掛かってきた電話も全て無視して逃げた。

いわゆる「飛び」だった。

最低最悪なことをしてしまった。

その事件の後、私は罪悪感と共に、大きな不安に襲われていた。

それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。

理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。

ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。

怖かった。

とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。

実際は、適性検査タイミング不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのとき自分にはそれが奇跡に思えた。

そうして入社したのが今の会社だ。

入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。

こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。

何よりこの会社に入るとき、心に決めていたことがあった。

自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。

きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。

何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。

そして今年の四月で、見事それを達成した。

ああ治ったんだ、と私は思った。

私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。

その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってから毎日が楽しかった。

そうだ、毎日が楽しかった。

今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。

それなのに、私はまたやってしまった。

はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。

会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。

私は時間になっても、家の机に座ったままだった。

一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。

会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。

申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。

11時を過ぎて、まずい、と思った。

遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。

私は静かに時計の針が回るのを見ていた。

父親就職祝いに買ってくれた時計だ。

それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。

ほんの数時間前までは。

私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだ気づき始めていた。

怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているもの台無しにしてしまう癖。

治っていなかったのだ。

三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。

ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。

この病気は一生治らない。

発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。

たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。

ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか

ああ怖い。

恐ろしい。

いっそ死にたい

会社からはまだ連絡が来ない。

上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。

明日からお盆休みから休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。

しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。

私が「そういう人間」だということに変わりはない。

私は

私は……

2020-08-05

修学旅行必要性

修学旅行必要性を感じない娘の話がツイッターでバズってるので、私の経験を少し。

(ちなみにこの話自体は、「何も修学旅行を楽しみにしている人たちを下に見なくても…」と思った。)

もう15年近く前になるが、私は周りの友達と群れないことをかっこいいと思っている、超絶生意気中学生だった。

そして、元ツイ主の子供と同じように、大勢で泊まる練習をする意味を感じないと親に主張し、修学旅行拒否しようとした。

母は、それを頭ごなしに否定することなくこんな感じのことを言った。(※私が受け取ったメッセージの意訳で、当然細部は異なります。)

「その考えも間違っていないけど、お母さんは、生い立ちや考え方が全く違う人たちと、意見をすり合わせる練習だと思う。将来どんな仕事をしても、嫌な意見をそれとなく回避したり、自分意見をすんなり通したりする場面は出てくる。ゴリ押しだけでは周りも不快にするし、楽しく仕事ができない。私はこれがしたいです!で通用する大物アーティストだっているけどね。」

から、親に甘えられない場所で、旅行の行き先を決めたり、見学中に迷ったり意見割れたりするのも、意味があることだと。

私は、それでもわざわざそんなことを練習するために2泊3日無駄にするのが嫌だと返した。大人になってから仕事をするとき自分の苦労なんか知らないしどうでもいいし、ディズニーランドけが楽しみだったから、我慢しても1泊だと思った。

そこで母に提案されたのが、旅行メモ帳に「楽しいと思ったこと」「つまらないと思ったこと」を書くことだった。

そして、「楽しいと思ったこと」が、「つまらないと思ったこと」を我慢してまで得たいと思わなければ1泊で帰ってきていいと言った。

今思えば、そんなことは無理なのだが、母は私が修学旅行を楽しんでくるという確信があったのだろう。確かにその通りになった。

「つまらない」もたくさん書いた。Aちゃん歯磨きが雑で歯磨き粉が飛んできたとか、Bくんが新幹線で吐いたとか、国会議事堂まらなかったとか。

でも、「楽しい」の方がもっと多かった。楽しいと思ったら直後に書き留めていたので、夕食のマズいコロッケ押し付け合いの話まで書かれていた。

私は、つまらないこともたくさんあるけど、楽しいことのために我慢することを選んで2泊3日を終えた。

たった一度の旅行経験けが社会人になった現在意見のすり合わせの土台になっているとは思わない。旅行以外にも、部活や、習い事や、受験勉強など、色々なことを経てこその今だと思う。

上司への愚痴Twitterに書いたり、命令してくる先輩への愚痴Twitterに書いたりしながら、現実では自分意見も主張しつつ相手意見も取り入れた妥協点を仕事に反映させている。

修学旅行に行く必要はないかもしれないけれど、私はあの時自分の主張通りに修学旅行を不参加にしていたら、その後の部活での話し合いや、学校生活での色んな揉め事を、全て同じように切り捨ててしまったんじゃないかと思う。

切り捨てることが悪いとは思わないけど、切り捨てた場合自分不利益に納得できるような人間でもないから、切り捨てない生き方したことは私にとっては正解だったと思う。

大好きな仕事を大嫌いな人間たちとこなす人生だってあるわけだからね。

元ツイ主の娘がどんな人かは知らないし、あの短いツイート人格を断定することもできないけど、修学旅行意味を付け加えるのは自分自身であって、そういう機会を与えてもらえる機会というのは人生で意外と少ないということは伝えたい。

anond:20200804134429

お前は「部活の後輩だから」という理由で後輩全員と飯食いに行くような奴だったのか、と

なんでたかが同じ会社人間という弱い繋がりでプライベートでも付き合えると思うのか

大学1年生

精神を病んでる人が増えてるらしく不穏らしい

そりゃそうだよね、突然増える課題についてけるわけないしうちの大学オンライン授業って言ってもリアルタイムよりも課題提出型の方が多そうだし。教授の顔もわかんない、聞ける友達もいない、寝てようが内職しようがなんだろうがとりあえず出席はしたっていう最低限のところも実感が湧かないだろうし。

・2年

不正が横行してるらしい。全く同一の内容のものが多数提出されてるとかなんとか……そして提出者をよく見ると同じ部活だとか……不思議だねー、なんでだろうねー

・3年

ここが一番いい。ある程度慣れてきてるしね。ゆとりも余裕も多分ある。

・4年

あっぱらぱー😜

高校数学を学びたい中1向けオススメ書籍求む

夏休みですね。

お久しぶりです。

以前、文系な母が、理系脳な息子の要求に応えられないので、

“高IQだという自覚がある方(男性)で、

小中で、親にこういう事して欲しかった(して欲しくなかった)、などあれば教えてほしいです。”

https://anond.hatelabo.jp/20170515072109

とお尋ねした派生で、

オススメ書籍情報をお願いし一度購入報告もしていましたが、あの質問から3年。

https://anond.hatelabo.jp/20170726094325

中学生になり、コロナ休校期間は彼にとっては楽しい時間学校行けなくてもなんら影響ないっていうね…友達に会いたい、とか思わない)で、自学が進み、

中学生範囲はもういいので、高校数学勉強したい」

と言っています

しかし、

以前も書いたように、文系の母はわからん

参考にその後の息子

・順調に(?)プログラミング大好きのまま成長し、某国コンテスト小学生部門に応募したら入賞はした

・ある言語コミュニティに入り、バグを見つけては報告している(最初の報告メールだけ書き方で相談を受けたので把握した。後は自分でやっている)

部活で「好きなものプレゼン」というお題で「公式」を選んで僕の好きな数学公式解説するという発表していた…

今のところ、息子的にはそこそこご近所に幸いにして高専があるので、そちらに進もうと思っている様子です。

読書感想文に使えそうな、

短い夏休みが終わって、朝読書が再開したら持参できそうな、何かコレいいよ!をオススメいただけると嬉しいです。

2020-08-04

理系大学院までほとんど女の子と話したことないやつってどうやって結婚してるの?

理系大学院までほとんど女の子と話したことないやつ」というのは俺のことなんだけど、

そういう人はある程度いると思う(思いたい)。

中高男子校で、部活野郎ばっかで、大学にはかろうじて数人の同期女子がいるが、ほとんど話さない。

ここからうまいことやれば女性うまいこと関係結んでうまいこと愛し合って結婚できるの?

誰か教えてくれ。。。

カンゴームのこと

中高一貫女子校ってちょっと独特の空気があるんだよね。

なんていうか、まず校内に異性がいないから、

基本的にみんな、普段性別の事を忘れてる。

恋愛話はほとんどないし、仮にあっても、

「あの先生ちょっと素敵」とか言ってキャッキャしてたり、

特別仲がいい友達同士」みたいにお互いをちょっと特別と思いあう関係を作って、やや過剰にいちゃいちゃしてみたりとかそんな程度。

いろんな意味で、性別をあまり感じない、不思議空間

それでも、やっぱりみんな年頃になると

ちょっと恋愛とか性別かに興味がわいてくるからなのか、

中学後半~高校前半とかあたりになると、そんな集団の中でも、「特に女の子っぽい扱いの子」「特に男の子っぽい扱いの子」が出てくる。

後者は例えば体育会系部活に入ってて、高身長ショートカットの子とか。

そういう子には、ファンの子とかついたりして、バレンタインチョコもらったりして、ちょっとした宝塚スター状態

そんな風な、とあるボーイッシュで格好いい女の子を好きになって、憧れたり、恋焦がれる気持ちを抱いたとして。

その気持ちを、ごっこではなくて本当に好きなんだと強く思い込んでみたり、あるいは、本当に好きだったりして。毎晩考えて。

みんな高校も後半になると他校の男子とかと交流をし始めても、まだ好きだったりして。

周りから「もー、まだそんなこと言ってるんー」とか言われながらも「だって好きなんだもん!」と言い張ってみたり。

女の子同士だから、声高に「好き!」と叫ぶことを許される空気に甘えて、公言しつづけたりして。

で、そんな風に高校生活を過ごした後に、みんな卒業して、それぞれバラバラ就職・進学していって。

みんな新しい場所でいろんな人間関係を築いたり、もうちょっと踏み込んだ恋愛をしたりしている中で、しばらくたってもまだ、その子が好きだっていう思いを、ああ好きだったなー、かっこいいなーってまだ持ち続けて。

あの頃みたいには会えないけど、それでも誰かを好きな気持ちを持ち続けてるのはうれしいな、と思ってみたりして。

それで数か月くらいしたある日、同窓会をすることになって。

久々にその子に会える!と思って、わくわくしながら会いに行ったら、なんか、めちゃくちゃ普通女の子になってるの。

当時、部活のために短く揃えていたぱさぱさのベリーショートも、今はもうふわっとしたボブになってて。普通女の子の服着てて。

あの頃のこととかなかったみたいに、学校の男友達の話とか、恋愛の噂話をかを楽しそうにしてて。

の子は全く悪くないんだけど、「あ、もう変わっちゃったんだな」って。あの頃のあの子はいないんだって

そして、なんか、高校の頃のあの子に今でも恋焦がれた気持ちをまだ持ち続けてる私だけが

いつまでも高校から成長できてないやつみたいな感じがして、幼稚というか、傲慢というか、

自分に対する嫌悪までが出てきて、気持ちがついていかない…………………………

……………………………というのに非常に近い気分で、9巻以降のカンゴームの事を思ってます

2020-08-02

コロナ夏休み可哀想だな

学校部活も奪われて。自粛なんやで多分恋愛機会損失すごいんだろうな。

俺が17歳ときなんか夏休み三木道三聴きながら愛のあるセックスに精出したりできてたから、青春満喫したしコロナになったとしてももう思い残すことな死ねるもんな

今、部活大会やってるけど

今回のコロナ騒ぎでまた止まるかなと思ったら

全然普通に続けてんのな。

学校からクラスター発生したりしてるし、現状はほんとに感染拡大待ったなしだな。

2020-08-01

[]

高校部活

足をちょっとひねったか線審してた

試合は同格の相手と互角の戦いしててめっちゃみんながんばってる

でも自分はぼけっと線審

ぼーっとしてたらそれがばれてOBキムタクにどやされた

「おれなんかなあ、朝から翌日の13時まで24時間以上撮影があったこともあるんだぞ。ちょっとお前あとでおれんとここい」

はああああああああああ????????

やなやつやなやつやなやつ

2020-07-31

野球部って

なんか優遇されてるよな

大会なくて可哀想とか

他の体育会系でも一緒なんじゃないの?文化系だって

高校時代タバコ、酒で袋叩きですぐに大会出れなくなる部活なのに

卒業してプロになると

契約金とか年棒とか大金かせげるでーってエゲツないのに

なんでこんなに優遇されるんやろ

たかだか全国大会出るようになっただけで

関係ないOBにまで寄付金よこせとか

おかしくね?

ハゲ坊主のくせに

2020-07-30

帰属意識が持てない

表題のとおりなんだけど

学生の頃から属してる組織がどうなろうが割とどうでも良い感じなんだよね

文化祭とか部活とかで自覚なさすぎって言われることもあったから、平均と比べてもそういうのがないほうなんだと思う

社会人になって何年か働いてるうちに意識も変わってくるのかもと思ってたけど、残念ながらなにも変わってない気がする

とりあえず、我々は〜とか、うちの会社は〜とか、そういう言葉を発するのがなんか物凄く恥ずかしいしできれば発したくない

あと、下っ端に主体性みたいなの求めるのは迷惑からやめて欲しいし、ずっと下っ端が良いのに真面目に働いてるというだけで引き上げていこうとするのもやめて欲しい

こういう意識みたいなのってせめて平均くらい(?)になれたりしないのかな

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