はてなキーワード: エゴ丸出しとは
おれはこの本が好きなんだよな〜読ませたいんたよな〜みたいなの、親に散々やられて嫌な気持ちになったので自分がそちら側に回りたくない。
ブックサンタを何度かやってれば知ってると思うけど、幼児〜低学年向けの本は余るほどあるが、高学年になるにつれて減っている。
なので私は本を自分で選ばず単純に金を贈っている。
そうすると足りない年齢の本を自動でブックサンタ側が選んでくれる。
本が足りなくてもらえない子が一人でも減る可能性がある。
また、クラファンで寄付を行うとしおりかステッカーももらえたりする。かわいい。
「国家や社会の存続ガー」とか「お前の年金や介護ガー」とか、いちいち押し付けがましい輩だ
だってそんな利他的な動機でガキこさえる女なんか今時いねえわけじゃん
まして介護士なんかにならなくて済むように、あるいはこんな国にしがみついてたらそのうち破滅だからって、せっせとガキに教育仕込んでるわけでしょ
それで言ったら無償化やら補助やらで文系博士がいくら増えたって意味ないし、とっとと社会に出てもらった方がいいぐらいだ
俺は医師会や旅行業界みたいに、子持ちが子持ちのエゴ丸出しでいったい何が悪いんだとは思うが
結婚しない選択をする人も多いけど今からでも子供が欲しい人は間に合ううちに誰の目も気にせず行動してほしい。子供の素晴らしさを実感してほしい。自分の中で勝手に一生独身だと決めつたり諦めないで。出会いの機会を友人知人にお願いしたり飛び込んでチャレンジ出来る世の中になればいい。条件なんて決めず流れに任せられるような、資金の足りない人には社会全体で分けられるように子供達を守ろうよ。子供達を育てる人たちを守ろうよ。
こういう、エゴ丸出しの自己中野郎の癖に全方位に気を遣ってる風の綺麗事を並べておけば許されると思ってる感じの奴って思考回路どうなってるのか理解しがたい。
犬飼ってる人間だが、たしかに犬猫を飼う人間は狂ってると自分でも思う。なんにもならないんだし、完全にエゴ丸出しで気持ちわるいことこの上ない。
ただ、同様の理由で子をもうけるのも狂ってると思う。子はこの世に生まれるのを望んでいないかもしれないし、自分の人生が狂うかもしれない。場合によっては単に性欲が制御できなかった証としての存在にしかすぎないかもしれない。そんな一瞬の気の迷いの産物のくせに金もかかる上に人生が大きく予測不可能なものになってしまう。
そうすると結婚だって狂ってる。全くの他人となんで一生過ごさないといけないんだ?男女ともわがままになっててハードルが高い割にうまくいかなくなったら苦痛でしかない。かといって離婚騒ぎになったら時間と金を大きく損してしまう。
正気を保って子を設けず結婚もせず、特に動物を愛でるわけでもない。そんな生活を送ろう
そうすると世間はなんていう?
「あいつはどこか狂ってる。なんのために生きているんだ?」
イヌとかネコとか鳥を愛すべきと感じ、むやみに殺傷するのはかわいそうだと思うのは当たり前だよ。もちろん自分もそう。
でも法律で定める必要ある?なんの権利で他人が個人と動物との関わり方に口出せるの?
そもそも愛護動物とかいう概念からして人間のエゴ丸出しで腹立たしいけど、「動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに~」って条文からして説教臭すぎる。何様なんだ?
何よりネコが可哀想だし、そのうちエスカレートして他の犯罪にも手を出すかもしれないって怖いよ。
でもそれだけでしょ。
そのネコが他の誰かの所有物でないのなら、具体的にだれかの権利が侵害されたわけではない。
アカデミー賞でオスカー俳優のウィル・スミスがコメディアンの司会クリス・ロックを平手打ちし、賛否が挙がっている。
賛否の境界線として、日本人と米国人という大きな分水嶺がみられる。どういうことかと言うと、
日本では、「人」としてどうなのかという点でウィル・スミスが賞賛され、米国では「プロフェッショナル」(社会人)としてどうなのかという点でウィル・スミスが批判されている。
むろん全員ではないにせよ、マジョリティの意見がそのように違っている。では一体何が両国の人々の着眼と賛否を分けているのか。
私の仮説はこうだ。
日本では会社や公において、個性を出さないことが基本的な美徳とされている。
反対に米国では、個性を主張することが基本的な美徳とされている。
この前提の違いゆえに、日本でウィル・スミスの振る舞いは、「普通」は我慢するべきところ、ちゃんと人として家族である妻のために怒る振る舞いをして偉い!という評価になっている。
反対に、米国では「普通」は個人として主張するだろうが、それをプロフェッショナルであることを忘れたかのように、そのままエゴ丸出しでふるまってオスカーの舞台をぶち壊してけしからん!という評価になっている。
おそらく日本人の常識からすると、何か公の場で理不尽なことなどを言われても笑顔でその場を取り繕うということは、多くの人が当たり前に経験していることなのではないだろうか。
反対に米国の常識からすると、主張するべきは主張する文化なので、それをオスカーという公の大舞台の場で暴力という最悪の表現で返すという<我慢できなかった>未熟な奴だという評価になってしまうのだろう。
それぞれの文化の背景にある「普通」からの距離感が、つまり日本では公の場において普通ではない振る舞い<あえて>した人物として賞賛され、米国では普通の振る舞いを<おさえられずに>した人物として批判されているのではないだろうか。
この増田の「未婚女性が精子バンクを利用して出産するのにも支援すべき」という意見に対して、自分が強い嫌悪感を抱く理由を考えてみたところ、表題の結論になった。
https://anond.hatelabo.jp/20210417214850
「普通」の夫婦の間に生まれた子や、恋人の間にできたが事情があって結婚に至らず未婚の母から生まれた子は、(建前だとしても)「愛し合った男女の結晶」と呼べる。
しかし女が一人で精子を買って生んだ子となると、これは完全に「一人の女のエゴの結晶」となってしまう。愛という建前も無い剥き出しのエゴの結果生まれた生命を見せつけられる不快感がある。
男が同じこと(卵子バンクと代理母を利用して自分の子供を生ませる)をするのを想像すれば、そのエゴイストぶりが更に分かりやすい。(どっかの社長の息子が東南アジアでこの方法で何人も子供作ってたっけ)
もちろん反出生主義者にかかれば、「子供はすべて親のエゴのために同意も無く生まれる」と子供を持つこと全てを否定されてしまうのだけど。
そこまでいかない自分には、男女の愛の結果ある種の「授かり物」として子を得ることは「正しく」、最初から一人の人間の願望を叶える手段として子を持つことは「誤り」に見える。
小児性愛のことで思ったこと、どうしても喚き散らしたかったこと
件のラブドールの漫画と件のお方のツイートを見た時、愛でる対象ができて良かったねと思った
センシティブ設定とか最後の一文の書き方が悪かったのはなんとなくわかる
でも、そこから何故かオタク界隈からも魔女狩りを彷彿とさせる文章がいっぱい出てきてすごくモヤモヤした
いや、手を出したら犯罪になるのはわかる、でも件の方や小児性愛者は手を出してはいけないと自制している方が殆どだと思っている
でも、いつ現れるかも解らない小児性愛者に怯える前に子の周りにいる男の人に注意を向けるべきだと思う
加害者の男の子は私の小学校の時の元クラスメイトだったから凄く驚いた
高1の時、別の友人が手をだされそうになった
身近なことはたった2件のことしか知らないけれど、これだけは言える
女体であれば、どんなに幼くとも、どんなにお年を召されていても性的興奮を抑えられない人がいる
という子供に害になりそうなわかりやすい文字だけに怯えても子供を守れるとは思えない
といういつの時代にもどこの国にも何故かある老若男女人種国籍問わず人権を踏みにじる醜悪な犯罪行為を怖がって欲しいと思う
人を見る目を養いたいものです
話は変わりますが、
みたいなつぶやきを見た後に
それぞれ別人のつぶやきだったけども、自分含む人間はエゴ丸出しの面倒臭い種族だなと改めて思いました。
高校生の時
電車を降りた帰路でワンボックスに横付けされて並走しながら運転手に話しかけられたのは流石に怖かった
夜だったし、ドライブしよーぜとか言われた気がするけどとにかく早く家に帰りたくて仕方がなかった
後から何で知ったかは忘れたけど恐らく同じワンボックスに中学の先輩(女)が乗って市街地に遊びに行ったっぽかった
多分運転手も先輩に話しかけた時と同じノリで話しかけてきたんだろうけどマジで勘弁だ
ってか先輩何してくれてるんだと思った
アニメイトで買い物をしていたらやたら目の合うおっさんがいるなと思いつつ会計して外出たらそのおっさんに話しかけられた
最初は顔見てなくて無視したけど頻度が多いから道聞きにきた人だと思って横見て滅茶苦茶後悔した
空返事しながらうわーやっちまったーって思った
諦めが早くて助かった
やたら目の合う人がいたら気をつけて撒くようになった
あと徒歩移動中とかゲーセン行く時必ず片耳にイヤホンをつけるようになった
巨大家電量販店の入り口でそんなこと言われてもと困ったからごめんなさいした
あの人は何がしたかったのだろうか...未だ疑問
n年前
知らない女の人に話しかけられた
一旦持ち帰りもさせてくれなかったからバックれた
パンフに載ってた名前を検索したら集団糸吉女昏式を推奨する系のあれだった
危ない...
終わり
元エンジニア。男社会で働くかっこいい女……なんてリベラルな追い風もなく、珍奇な奴として変人に混じって働いてた。入院した先で会った研修医の男の子に一目惚れして結婚、結婚後も2人目までは頑張って勤めてたけど、旦那方のお家に昔から勤めてらしたお手伝いさんが亡くなって、三人目の育児もきつくなったので辞めた。それから四人目を生んでずっと専業主婦として生きてきた。今はその末息子がやっと就職したおばあさんよりのおばさん。
子育ては、やり出したらのめり込む気質だったから、ともかくとことん付き合おうって決めて育てた。長男妊娠中に読んだ、エジソンの母親の話にすごく感銘を受けてたのと、その頃ちょっと流行ってた教育研究者の影響ね。
子供のためなら海でも山でもコンクールでも海外でも連れてって、付き添って、送り出して、一緒に勉強した。
まさに自慢の作品たち!って感じなのよ
仕事を辞めて心血注ぎ込んで大事に育てたものだから、子供の成長が自分のキャリアみたいなとこあるのよ
子供なんて勝手に育つものだから手柄にしちゃうのも図々しいけど
立派に育ってくれて
長男長女は生徒会長を務めるし、部活や習い事も結果を出して官僚、医者、大企業×2と親としては自慢したくなるようなところに勤めてくれて
いやーやりきりました!って感じなの
だが、なんだか何も残らなかったなーと虚しい
言っちゃ恥ずかしいが、子育てって頑張ったら子供はエジソンになるんだと思ってた
どっちも東大行って
みたいな
医者って、世の中に山ほどいるし
あっ普通じゃん、って
就活だって勉強だって並々ならぬ努力してたのも知ってるし、すごいんだなってのは自分もわかる
けど、なんだろう
子供らは普通に幸せそうにしてくれていて、母親としては嬉しい限りなんだけど
普通に優しくて、普通にいい仕事について、普通に生きてくれてるけど
元が良くて、頑張っても
普通の人(特上)になるだけだった
子供に習い事させたり学費を出したりしてると、家計は普通に庶民。毎年海外旅行に〜なんて無理だし、一生堅実にコツコツ生きてローンを返そう、みたいな。せいぜい学校が私立になるぐらい。
スーパー経営者になって毎年海外旅行に行って欲しいわけじゃない。そうなってもきっと今とおんなじ気持ちだろう。
子育てって、普通に育って御の字だということを育てきってから知った。問題ばかりの子供だったら、今の姿にすごく感激するのかもしれないが、幸い特に問題児という子はいなかった。
自分の夢に向かって努力するのは相応の夢が見れたんだけど、なんだかなあ。
わたしが期待しすぎなのだけど、ほんと、こんなもんかーって拍子抜け感が半端ない。
というか何を期待して育てたんだろう……。
何になってもきっとこんなものだったんだろうな。
子育て、楽しかったけど残るものはないな。「お盆は車で帰省します🚗」とか長男のお嫁さんからLINEきてるから、またフツーの若夫婦がフツーに孫連れてフツーにやってきて
魔法使い、革命家、とんでも発明家…とかだったら楽しそうなのに。
歳のせいなのかな。サラリーマンも退職後、人生が虚しくなるっていうし。子育てを通して自己実現、とかわたしには無理だったわ。子育てで実現するのは子供の人生であって、わたしの人生ではなかった。こんなことなら、花道の先生にでもなりゃよかった。
再就職目指せるぐらい若かったらなーと思いつつ、Pythonを勉強してるけど昔ほど楽しくない。
この先も大したことなさそう。人生見通したっちゃって飽き飽きする。若いうちに世界一周とか、もっと素敵なことしてればよかった。この歳で、アフターコロナじゃ無理だわ。
平凡を望む性質でもないのに、平凡に生きて、平凡なハイスコアで、でもやりたいゲームじゃなかったから全然満足できない。
時代的に子供産んだけど、そんなに望んでなかったのよね。旦那大好きだけど、医者じゃなかったらなあ。
人生普通なのってつまらないのね。子供がいるうちは何かとバタバタしてて気付かなかった。子供の成長だけがギャンブルだったわ。あとは犯罪でも犯さないことを祈りながら消化するだけ。
元増田だけどさ、
なんで営業してるんだって、そりゃ円滑な決済機能を維持し、融資相談をするお客様のためだよ
そういうお客さんのためなら、私だって感染リスクが上がるのは承知の上で働くよ
銀行ってそういうものなんだから、それくらいは受け入れて精一杯頑張っているんだってば
いま、腹立たしいのは不要不急で来る手続きだって言ってるじゃん
うちの店、3月末から能動的なセールス活動はトップの判断で一切やってないんだよ
投信とか保険とかの販売みたいな、収益を生むようなセールスは一切やってないの
従業員がリスクを背負ってでも、収益を生まないのに光熱費をかけてでも、
それでも緊急事態宣言下の都心でわざわざ店を開けているのはマジで金融機関としての社会的な責任のためが大きいのに
不要不急じゃないのに、エゴ丸出しでフラフラやって来て、こっちに感染リスクを振りまいていく客がムカつくの
うちの銀行、顧客経由でガチでコロナに感染した支店勤務の行員が出てるんだよ
今の時期に銀行に来る妥当な理由があるお客さんから感染してしまうならしょうがないと思えるけど、
自分勝手で考えなしな客のせいで感染させられたら、と思うと本当に嫌なの
ついでに言うと、ネットバンキングで出来る手続きは、今飛躍的に増えているよ
窓口に来る客の手続きの大部分は、ATMかネットバンキングかテレビ電話設置無人ブースで出来るのばっかりなんだ
当行ホームページにネットでも出来ます、と明記してあるのに全然見ないで対人窓口来ちゃうんだよね
窓口に来た人に
「これはネットバンキングでも出来ますよ。スマホをお持ちでしたら今この場で操作方法をご案内しますが」と言っても、
「あー、そうなんですか。でもせっかく来たので窓口でやってください」
とか簡単に言う客ばっか。意地でも窓口でやりたがる。
・わざわざ教えてくれてありがとうございます。どうか健やかにお過ごしください
・自分が好きなコンテンツのために、勇気を持って人に嫌いだとお伝えするんですね。エゴ丸出しで非常に良いことだと
・これはレスバトルなんですか?
これをレスバ(いかに汚い言葉を使わずオブラートに包んで相手を煽りつつ、自分はノーダメージですよアピールするレスバ)と言わずなんと言おうなのだけど、そういう感覚が他人とズレてるので、平気で不快な発言をしてしまうのだろう。
というか以前chokudai氏が物腰柔らかめなので、青木氏は挑発的なツイートをする役割みたいな誰かのツイートを見たので(うろ覚え)、それが社の戦略かどうかしらんけど、ZOZO田端みたいな人だと思って諦めるしか。
https://twitter.com/akensho/status/1243555060484673536
「自分が好きなコンテンツのために、勇気を持って人に嫌いだとお伝えするんですね。エゴ丸出しで非常に良いことだと🙆」
数年来のユーザーが色んな思いを抱えながらも意見を伝えてくれたのに、エゴ丸出しだのと言ってのける副社長がいる会社、それがAtCoder社という認識で良いのかな?
ユーザを嫌味ったらしく煽れるくらいプロダクトに自信があるのは大変結構で素晴らしいことだ
ただ、就活・検定のような公共性高くて非対称性の強いビジネスに手を出すなら「ウチが嫌ならヨソに行け」の精神で運営するのは違うよね?
昨今はアルバイト採用するのも大変だから、自分に対して恩義を感じている君の弱さにつけ込んで、いいように扱っているだけ。
アルバイト先できちんと仕事ができるようになったのも、日商簿記の3級2級受かったのも、全部君が頑張ったからだ。
頑張ったから環境が変わって、励ましてくれる人たちが集まってきたんだよ。
ある程度仕事ができるまでに時間もかかったし、苦労もした。中には「今かよ…」っていうタイミングの悪い時期に申し出た者もいた。
でも、全員、希望の日付で快く送り出したよ。
やりたいことを見つけて、次のステップに進みたい人間を引き止めるのはよくないことだ。
人が辞めると困るけど、それは一時的なんだよ。
やめて困る人って、ほとんどいない。
大げさに言えば、自分が死んだとしても世界は回り続けるのと同じで、直後は不便な思いをするけれど、そんなものは一瞬なんだよ。