2020-07-24

私は今日エレベータを待っていると、奥の部屋に人影があるのを見つけた。昼も過ぎてとっくに閉鎖されたビジネスホテル朝食会場。ビルの陰となって、日の差し込まない薄暗い空間には、整然と並んだテーブル椅子たち、コップ、皿、カトラリー。その隅の席に、女性の影があった。

その人は、じっと動かずになにか書いている姿勢に見えた。いや、こんな時間あん場所に人がいるだろうか......。見つめ続けても、その影は動くことがなかった。

「なんだ、私の見間違い......」

荷物が積まれているのを私が、人の影に見間違えたのだろう。

私は目的だったコンビニへ行き、またホテルへ戻り、エレベータを待っていた。ふと、先ほどの人の影があるのか確認したら、その影はなくなっていた。


私は、この間、こんな夢を見た。

雑踏に紛れる、近年新しく進出したコンビニ。年々、出店の勢力を上げていた。私の街にも当然そのコンビニはあった。ある日から、そのコンビニは、今までに見たことのない暗い極彩色不明言語デザインされたのぼりを飾った。その違和感宗教じみたものを感じた。なにか強いメッセージを感じるものの、私には何も読み取ることはできなかった。

つの間にか、そのコンビニの外装や商品もそのデザインに変わっていった。私は、そのコンビニが平然と街に馴染んでいくのが受け入れられなかった。

そのような夢であった。


私は、小さい頃、サーカスや劇が嫌いだったことを思い出した。そんなふうに、芋づる式に自分不快が思い出されて、こうして文章に書くことにしたのだった。

サーカスは暗くテントで覆われ内密に行われる。広くぽっかりとした空間を丸く観客が取り囲んでいる。暗いテントの中で、中心がライトで照らされている。調教された熊や犬が芸をする。人間たちも張り付いた笑顔曲芸披露する。観客たちはそれを見て拍手する。

さな頃の私には、これの何が楽しいのかわからなかった。嫌な感じがする、けれど、拍手しなければならない。楽しいフリをして拍手した。


劇の不快について。

学校体育館で、いつものステージ劇場に変わり、見させられる劇。年上の大人たちが、何かを演じている。独特の演劇口調と衣装を纏って、役になりきっている。確かに物語に没頭はできた。その役の人物を好きになってしまうことさえあったくらいに。

しかし、終わってしばらく経つと、とても虚しい気持ちになってしまうのだった。映画アニメを見たのときには感じない虚しさがあるのだった。

演劇には特有陰湿さを感じていた。湿っぽいような、なにか滞っているような。劇が喜劇的であればあるほど、その落差を感じた。


ディズニーランドパレード

小さい頃、両親が休日に朝から連れて行ってくれたディズニーランド

一通りアトラクションを楽しんだ後に、人々の帰路を意識し始めた焦燥感をじわり感じながら、陽の沈みかけた園内でパレードを待つ。

そのうちに電飾で彩られた巨大な装置と、それに乗ったキャラクターたちが現れる。大音量音楽となにかセリフが聞こえる。

また、大勢の人たちが拍手をしている。私もそれに合わせて拍手をする。もしかしたら、拍手をする大多数は、私のように周りに合わせて拍手をしているだけなのではないか大音量で煌びやかなパレードを見ながら、その音や景色が頭の中で遠ざかっていく。


中学生の頃、ある宗教画を見た。

その画は西洋宗教画の並びにあった。一連の草原、道、淡い色の空。そんな印象をかき消すかのように、白に近い水色と鮮烈な赤で彩られた円い曼陀羅魔法陣のような物体。ぽっかりとした空間にそれが浮かんでいる。

どんな絵だったのか、よく覚えていないのだが、その独特の色彩が頭から離れないのだ。

中学生の頃、部活帰りの夜に、誰もいない真っ暗な田んぼ道を自転車を押しながら、ふとそのイメージが思い出されてしまって、動けなくなってしまった。

あの色彩は、人間の神経と血管を想起させるのか。それとも、自然界での毒を想像させるのか。この画はずっと私の頭の中にあるというのに、作品名を忘れてしまったため、その作品存在さえもはやわからなくなってしまった。

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