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2022-06-15

anond:20220614191347

ブリー(ていうかDELISH KITCHEN)ってどっかで聞いたことあるなーと思ってたけど、あれか、社長が元G社の幹部クラスまで行ったけどやめて起業したやつか。

2006年前後KDDI提携する直前)にG社に入社した、派閥争いをしてた2人のうちの片割れで、争いに破れて起業してその後どうなったんだろう?と思ってたら順調に行ってたんだな。

(ちなみに争いに勝った方の人もちょっとから脚気味の模様)

2022-05-15

久々の白米美味すぎる

ここ3年ほどずっと玄米圧力鍋で食ってきたが久々に食ったろと思い白米買って炊いた。

うま!白米うま!

ちゃうまい!ハンバーグによく合う!

冷凍したやつチンしてもうま!

これは脚気にもなりますわ。

銀シャリとか別名つけちゃう気も分かる。

煉獄さんが食ってたのも白米だったんだろうね。

悲しいなあ。

2022-03-27

なぜ、味噌汁赤味噌を使わず白味噌を使うのか

味噌といえば赤味噌だ。

大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんもの味噌だ。

日本において味噌起源中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。

しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。

それが白味噌だ。

酷い物だと大豆を全く使っていない白味噌もある。

白味噌の登場により、従来の味噌赤味噌もしくは豆味噌不名誉な再命名レトロニム)を受けることになった。

味噌白味噌よりも赤味噌の方が旨い。

勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。

すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。

米や麦はたんぱく質含有量大豆に劣るから味噌醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。

から大豆使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌赤味噌に比べて旨くないのだ。

赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。

明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。

凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。

江戸時代徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆武力で押さえ続けてきただけのことだ。

そうした時代においては、食糧生産生産効率カロリー効率観点から米や麦の生産に注力していただろう。

それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆使用を削減しようと白味噌発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。

高価な大豆使用を削減して米や麦で味噌醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌料理適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断努力があったことは想像に堪えない。

そうした先人の努力現在食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。

から白味噌の事を悪く言うつもりはない。

白味噌存在のものはもちろんとして、白味噌発明した人も醸造してきた人にも罪はない。

しかし、今では大豆安価で大量に海外から輸入できるのだ。

製造コストにおいても赤味噌白味噌とで大きく差が出る訳でもない。

事実赤味噌価格白味噌に比べて特段高価なわけでもない。

江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキュー八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省であるGHQ占領前は宮内省だった。]

ちなみに八丁味噌とは伝統ある豆味噌商標だ。

八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である

しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。

しかも、農林水産省地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。

こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌一般に話を戻す。

今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。

おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なもの金山寺味噌がある。

しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本食文化において汎用的なありかたといえよう。

やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌赤味噌であるべきだ。

単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。

主食である米飯甘味には、赤味噌もつ大豆の旨味が合う。

米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。

米は最上主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。

しかし、米だけを食べて人間は生きてはいけない。

かつて白米ばかりを食べていた江戸町人江戸わずらいに罹ったという。

江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である

カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれ社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。

似たような例は海外にもあり、19世紀アイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧ジャガイモ依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気蔓延していたという。

ちなみにジャガイモ原産地南米ペルーだという。

では、ジャガイモ主食とする南アメリカ大陸でも脚気蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。

摂取カロリーのみを目的として食糧ジャガイモ依存した近世北欧は、さながら白米の生産流通を高度化して脚気患者蔓延させた江戸時代日本に近しいものがあったのだろう。

ちなみに、野菜穀物栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミン摂取している。

イヌイット伝統的な発酵食品キビヤックがあることは有名だ。

アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤック悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。

南米イヌイットの例から伝統ある食文化には食糧生産カロリー摂取効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。

日本においては、まさしくそれは赤味噌であると断言できる。

もちろん、食糧生産効率性向上によって生まれ白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。

それにしても、白味噌白味噌文化否定するつもりはないが、白味噌味噌汁は白米の飯に合わないだろう。

米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスライスを組み合わせたライス定食ではないか

そのような脚気精神産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。

米は甘く、大豆は旨い。

米はカロリー摂取に優れ、大豆たんぱく質ビタミンなどの栄養に優れる。

米と大豆はどちらも日本食生活に欠かせない食品である

双方の象徴米飯と赤だしの味噌汁だ。

そこに、白だし味噌汁が入り込む余地はない。

味噌汁よ、赤味噌であれ。

2022-01-24

anond:20220124184231

江戸時代戦前くらいまでは少量のおかずで白米を死ぬほど食べる食生活だったっぽいからな。だから脚気とか言ってたわけで。

米の消費量が減り続けています!とか言って日本文化危機みたいに煽る人がいるけど、そんな時代と比べたら激減して当然だろっていう。

2021-12-19

anond:20211219032827

脚気もただのビタミン剤があれば治るのにね

から偽物の病気だと明治時代トリップしたら言ってやる

2021-09-27

anond:20210927164907

それは知ってるが...

食べられるなら非常食になる。それだけだと脚気になる

2021-07-11

日本天皇51~100代

51.平城天皇(806~809)

 官司の統廃合、観察使の派遣など行政の立て直しに取り組んだ。藤原薬子を寵愛したが、譲位薬子の変が起きたため、出家した。

52.嵯峨天皇(809~823

 薬子の変鎮圧弘仁格式新撰姓氏録編纂した。三筆の一人にも数えられる文化人

53.淳和天皇(823~833

 経国集令義解、秘府略を編纂させた。

54.仁明天皇33~850)

 在位中に令義解施行され、日本後紀が完成した他、承和の変が起き藤原氏繁栄の基礎となった。医学書道和歌など初学に精通した知識人

55.文徳天皇(850~858)

 続日本後紀編纂を開始した。病弱であったため、政治の実権は藤原良房がが握った。

56.清和天皇(858~876)

 幼くして即位したため、良房が実権を握り、元服後も握り続けた。在位中に貞観格式編集された。

57.陽成天皇(876~884)

 乳母子を殺す、宮中で密かに馬を飼うなどの奇行が多く、藤原基経譲位させられた。

58.光孝天皇(884~887)

 55歳という高齢即位し、基経に「実質的関白として政治を任せた。

59.宇多天皇(887~897)

 阿衡の変により、藤原氏を疎み、菅原道真を重用した。在位中に多くの歌人が輩出され、遣唐使廃止された。

60.醍醐天皇(897~930)

 藤原時平讒言を信じ、道真を左遷した。在位中に古今和歌集勅撰、三代実録、延喜格式編纂が行われ、その治世は村上天皇と共に延喜・天暦の治と称された。

61.朱雀天皇(930~946

 在位中は天災が多発し、平将門藤原純友が乱を起こすなど、多難な時を過ごした。

62.村上天皇946~967)

 乾元大宝鋳造し、天徳歌合、後撰和歌集などを編纂させた。

63.冷泉天皇(967~969)

 病弱であったため、藤原実頼関白として実権を握った。安和の変の後は、摂政関白が常置されることとなった。

64.円融天皇(969~984)

 藤原氏政権争いに翻弄され、出家文化人として風流生活を送った。

65.花山天皇(984~986

 女御の死を悼んだところを、藤原兼家に計られて出家した。

66.一条天皇(9861011)

 在位中藤原道長が実権を握り、紫式部清少納言和泉式部などの文化人活躍した。

67.三条天皇1011~16)

 藤原道長に絶えず退位を迫られ、眼病、脚気理由に退いた。

68.後一条天皇1016〜36)

 道長の孫。在位中は道長・頼通が実権を握り、藤原氏の全盛期を迎えた。

69.後朱雀天皇1036~45)

 在位中は頼通が関白として実権を握った

70.後冷泉天皇1045~1068)

 在位中に平等院鳳凰堂が建立され、前九年の役が起きた。

71.後三条天皇1068~72)

 藤原氏を疎んじ、新政を行った。記録所を設け、成功、重任を禁じ、宣旨枡を定めた

72.白川天皇1072~86

 在位中に富士山噴火後三年の役が起きた。譲位後、院生を行った。

73.堀河天皇1086~1107)

 在位中は院生が行われたが、藤原師通の補佐により自らも政治に関与し末代の聖王と称された。

74.鳥羽天皇(1107〜23

 譲位後、崇徳~後白河の3代に及ぶ院政を行った。崇徳院を無視して、後白河天皇即位させたことが保元の乱の原因となった。

75.崇徳天皇(1123~41)

 鳥羽上皇冷遇され、譲位させられた挙げ句、息子の即位も阻まれた。これを不満とし、保元の乱を起こすも敗れ、讃岐に流された。死後怨霊として恐れられた。歌人としても名高い。

76.近衛天皇(1141~55)

 17歳で亡くなったため、崇徳院、藤原忠実・頼長親子に呪われたのではないかと噂された。

77.後白河天皇(1155~58)

 保元の乱崇徳院を破った後、譲位院政を行った。平治の乱治承・寿永の乱鎌倉幕府成立などの激動の時代の中、権謀術数を巡らせ朝廷権力を維持した。

78.二条天皇(1158~1165)

 崇徳の子差し置いて、皇子になったため、保元の乱が起きた。即位後は後白河院院政抵抗するも病気のため叶わなかった。

79.六条天皇(1165-68)

 自身への敵対勢力擁立されることを恐れた後白河院によって、わずか4年で譲位させられた。

80.高倉天皇(1168-80)

 清盛と後白河院対立に苦しめられ、譲位した。

81.安徳天皇(1180~1185)

 壇ノ浦の戦いで入水した。日本史上最も短命な天皇で、わずか7歳で崩御した。

82.後鳥羽天皇(1183~98)

 譲位後、土御門~仲恭の3代にも及ぶ院生を行う。承久の乱に敗れ隠岐に流された。

83.土御門天皇(1198〜1210

 父である後鳥院とは不和承久の乱にも加わらなかったが、自ら望んで土佐に流された。

84.順徳天皇(1210~1221)

 承久の乱に参加するために譲位し、佐渡に流された。

85.仲恭天皇(1221)

 父順徳が倒幕を企てたため、即位後78日間で廃位された。

86.後堀河天皇(1221~1232)

 わず10歳で即位したため、天皇になったことのない守貞親王後高倉院として異例の院政を行った。

87.四条天皇(1232~1242)

 滑石を用いたいたずらが原因で転倒し崩御した。

88.後嵯峨天皇(1242~1246)

 譲位後、2代にわたる院政を行った。死に際して、帝位継承者決定を幕府に委ねるとしたため、南北朝問題の原因となった。

89.後深草天皇(1246-1260)

 持明院統いわゆる北朝の祖。

90.亀山天皇(1260~74)

 大覚寺統いわゆる南朝の祖。父後嵯峨院に愛され、兄後深草院差し置いて子の後宇多天皇即位させたため、南北朝問題の原因となった。譲位後南禅院を建立

91.後宇多天皇(1274~1287)

 大覚寺統。在位中に元寇があった。譲位後、持明院統伏見天皇即位させるが、続いて持明院統後伏見天皇即位には反対したため、両統送立が始まった。院政を行うが、後醍醐天皇対立し、政治から身を引いた。好学の天皇として知られる

92.伏見天皇(1287-1298)

 玉葉和歌集勅撰させた。

93.後伏見天皇(1298~1301)

 譲位後、院生を行う。元弘の乱後、東国へ逃れるも捕らえられ出家した。

94.後二条天皇(1301~08)

 大覚寺統持明院統から2代続いて天皇が出たことに後宇多院が抗議したため、幕府の計らいで即位。両統送立が始まった。

95.花園天皇(1308~1318)

 大覚寺統教養人で風雅和歌集勅撰させた。

96.(南1)後醍醐天皇(1318~1339)

 鎌倉幕府打倒に貢献した後、建武新政を行う。足利尊氏に敗れ吉野に逃れ南北朝時代が始まる。

97.(南2)後村上天皇(1339〜1368)

 高師直に攻められ賀名生に逃れる。一度京都を奪還するもすぐに北朝に奪われた。その後も京都回復を狙い、各地を転戦するも果たせなかった。

98.(南3)長慶天皇(1368~1383)

 和歌を愛し、五十番歌合、五百番歌合などを催した。

99.(南4)後亀山天皇(1383~1392

 足利義満の誘いの応じて、南北朝和解を実現。しかし、義満の死後冷遇され、和平の条件であった両統送立も果たされなかった。

北1.光厳天皇(1331~1333)

 後醍醐天皇の失脚を受けて即位したが、鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐廃位光厳即位否定された。

北2.光明天皇(1336~1348)

 足利尊氏擁立により即位譲位後、観応の擾乱によって南朝に捕らえられるが後に解放された。

北3.崇光天皇(1348~1351)

 譲位後、観応の擾乱で捕らえられた。琵琶を愛した。

北4.後光厳天皇( 1352~1371)

 後村上天皇の一統が破れると、足利市擁護され即位した。南朝攻撃に遭い、美濃近江などに逃れたこともあった。

北5.後円融天皇(1371~1382)

 足利義満擁立されて即位譲位後、院政を行った

100.(北6)後小松天皇(382~1412)

 後亀山天皇から神器を受け、南北朝合一が成された。

2021-05-24

新型コロナワクチン接種の受付業務をしているんだが

65歳以上……

思ったより普通認知症の方が間違って二重予約したり、耳が遠い方に説明するのがしんどい時もあるが。寂しさからなのか無理やり電話を引き延ばそうとするかたもたまにいらっしゃるが。想像より普通特に75歳以上の方はむしろ穏やか。ありがたい。でも接種券は忘れないでくれ。長生きしてくれよジジババ共。

64歳以下……

現時点ではまだ予約が始まっていないのだが、上記の娘か息子が電話をかけてくる。地獄マジで地獄。もちろん良い人もいるが、今日俺が電話で受け取ったやつはとにかく地獄

「どうしてこんなに回線が混んでいるのか」→ネット予約しろ

「優先的に接種させろ」→規定に沿ってたらできるけど沿ってないとダメに決まってんだろ

「どうして職員が廃棄分を打つのか?」→キャンセル分捨てろってのか

「だとしてもキャンセル分をすぐ別の予約に回せばいいだろ」→使用期限あるし、むしろワクチン打ってないやつが受付とか補助とかするけどええんか?

「会場狭すぎんだろ」→おまえら時間守らねえで早く来るからだよ。あと送迎の人は中まで入るな

車椅子通れない。狭い」→原則付添一人で後は職員に事前通達って言ってんのに3人も抱えてくるな

「予約時間がわからない」→何故当日に言う!?

「接種券忘れたくらいなんだ」→二度打ちミスしてもええか?

「どうして時間希望が通らないんだ」→そういうクレームいっぱい来たからなくなりましたー。こっちで勝手に決めます

「他の市町村では…」→引っ越せ

「諸外国では…」→引っ越せ

職員が冷たい」→お前以外には超優しいよ

マジでこれ。こんなんばっか。個人情報にひっかかる内容ではもっとある。

百歩譲って、親が大事から過敏になっているのはわかる。わかるけどこっちももういっぱいいっぱい。

頼むからHP見て広報読んでハガキ熟読して困ったらすぐ連絡して。

これから64歳以下の接種が始まる。

超高時給で雇った派遣さんは速攻でバイバイしてしまった。そらそうよ

つられて非正規職員の人もバイバイ。今すぐ正職にするって話を持ちかけられたらしいけど、それが懸命な判断だと思うよ。

そんで今は何も知らずに入ってきた派遣さんと一緒にてんやわんや。ほんまにごめん。

窓口なので現場やらかしも謎の問い合わせの引き継ぎもぜーんぶここ。馬鹿じゃねえの

自分も良い年。

こんな大人にはなりたくないと思いながらこんな大人になるんだろうなと確信してしまう。

いっそコロナで死んでくれないか死にたいなって思いながらする仕事すごい病む

オリンピックほんまにすんの?俺も元スポーツ選手から気持ちはわかるけどもうしんどいよー

たぶん明日辞表出す

有給全部使って「宗教活動に専念します」って言って強引に辞める。逃げる

もうだめ

ほんとだめ

ふぁっきんコロナ

追記

退職でけた(副長ごめんね)

できたついでに今日のクソ市民

「それしか言えないのか!」→お前が同じ質問するからじゃ

「謝れば済むとおもってんだろ」→でも謝らないと引かねえじゃん

検討中って言えばいいと思ってんの?」→実際検討中だしお前昨日も同じ質問してきたな?

市民をなんだと思ってるんだ」→税収源

「なんでそんなに段取り悪いんだよ」→少なくとも今はスムーズに言ってます回線の混み具合はクレームをわざわざ予約ダイヤルに回してくるお前

「やる気あんのか」→お前のせいで今無くなった

「この税金泥棒!!」→残業で発生するお賃金は税収っすね〜。あ〜こんなクソクレーム無ければ残業いらんのになー

全国の真面目な辞めたい職員は「このままだと接種当日にクレームしてきた人がきたら何するか自分でも分かりません」て言おうね

普段から仕事きちんとしてればこれで即受理されるよ

ついでに身体か心を壊したフレンズ労災おろしてもらおうね

僕はワクチン受付始まって窓口受付になってから定時どころか休日ない上に出社と同時に腹痛&下痢RTAで常に微脱水状態になったおかげで随分スリムになりました

このご時世に脚気寸前て逆にすごくない?お医者さんもびっくりだよ

さーみんなこんな大人になりたくないね

なる前に死んじゃおうね

寝たいもー寝たいイライラして寝れん

コロナ死ね

2021-05-17

anond:20210517095755

当時なんも分からなかったんならただの後知恵だけど、白米食問題なのは分かってたことだよ

脚気という病気自体は急に流行ったものではなくて、昔からあった。江戸時代にも雑穀を食べて治すことは知られていた

単に森鴎外権威主義病原菌にこだわっただけだし、何より「こうしたらこうなるし、もう一回やってもそうなる」事実無視する態度は間違っている

anond:20210516225443

たとえば森鴎外脚気

森鴎外ドイツ留学して医学を学び、軍医トップまで昇進した

陸軍では脚気流行していて、当時の医学では脚気の原因は分からなかったんだけど、経験的には白米ばっかり食べてると罹る病気で、麦飯が有効なことが知られていた

でも森鴎外ドイツ無駄細菌知識とか仕込んできたものから「そんな民間療法は駄目。脚気伝染病」と言い張った

しか無駄権力があるせいで兵食に麦飯を導入しないことを決定できた

そのせいで、日露戦争では脚気による死者が大量に出た

権威にすがって再現性のある知見を無視する態度は科学リテラシーがあるとは言えないよねえ

2021-01-15

anond:20210115163905

江戸時代以前な。

明治になって兵隊に白米くわせたらみんなビタミン不足になって、脚気の原因がわかったという話。

白米のほうが安くなった昭和以後は貧乏人=脚気となり逆転となったのは面白い

なおウィキペディアみただけ

anond:20210115162239

米食えずに玄米雑穀食べてた貧乏人の方が脚気になりにくかったんだぞ

豆知識

anond:20210115161008

せやな

先進国途上国食糧を買い占めることで途上国人間食糧を買えずに苦しむ事態は見過ごせんな。

やはり日本人国産品だけ食べてそれが出来る金のない貧乏人は昔のように脚気でとっとと死んでもらわないとな。

2020-11-16

脚気になってよかったこ

みんなに「かっけー」って言ってもらえたこ

2020-09-09

日露戦争きっかけで拡がった食物

ホテントリをさかのぼって読んでたら肉じゃが舞鶴発祥説は嘘やいう話しがあった。日露戦争とき東郷に出したシチュー起源いう話しな。それが嘘やとしたら日露戦争きっかけの食物無いのとちがうか。それ以外の食物エピは森鴎外が白米ばかり食わせて脚気蔓延したいうのしか知らん。基本的戦争いうんは他所の国の食物文化が入ってくるきっかけや思てたか日露で無いはずは無い思うんやけど。逆に日本のんロシアで拡がったいう話しも知らんし。

2020-07-31

なろうの病人とか

愚痴です。

  

主人公病人と関わった時点で完治することがほぼ確定しているため、

何の感動も湧かなくなり、さっさと病人の話は終わってくれと思ってしまう。

というのも主人公が「エリクサー」なんてものを所有していることがあり、

これを使えば一瞬で病気が治ってしまうのである医者顔面真っ青である

奇跡のメスで命を紡ぐ、岬に住まう天才外科医存在意義を保てず岬から

身投げしてもおかしくないのではないだろうか。

本間先生ゲラ母親謝罪しつつ

  

病人家族は、完治したこと歓喜主人公にお礼を告げるが、支払えるものが無い

ということだが、ここで主人公は、その笑顔を見れただけで十分ですとか、ではこちらの

お店で食事でもいただけないでしょうかとか宿泊をお願いしたりとか、そんな程度の

見返りしか要求しない事が多い。

このようなことが起こるたびに「ふざけるナァ!」とマイスター主人公ばりに筆者は

不快気持ちになる。

  

エリクサーなんて貴重な物を軽々しく使うので、命も軽々しく感じてしまう。

病人の娘「お母さんが治った!治ったよ!うわーんお母さーん!」

母を訪ねて三千里で感動の母子の再会を何億倍も薄めたような感動がそこに待っている。

  

エリクサーだけでなく、とんでもない回復魔法を扱えることも多い。

するとどうだろう。なんと部位欠損が治るのだ。つまり失われた四肢や眼球やらも再生する。

エリクサーでも同様の事例がある

なんだそれは。人間の体がピッコロ大魔王みたいに再生するわけがないだろう。

栃木県民ですら「(ありえ)ないんだなそれが」とツッコミを入れたくなるだろう。

  

今回は随分とネタに走った愚痴だがエリクサーと超回復魔法の話を見るたびに筆者はツッコミ

入れる癖がついているかである。この話が出ると相当イライラしてしまうようになったしまった。

まりご都合主義過ぎて「不思議な事が起こった」で解決してしまう某ライダーを思い出す。

※ちなみに某ライダーは実際にいきなり血清を作りだした。

  

筆者は今ではこの病人が出てくる話を「病人回」と呼んでいる。

病人回はストーリーに大きな影響を大して残さないため読み飛ばしてもいいのではないかと思うが

何か重大な話が書かれているかもしれないと思いきっちり読み、そして読み終わった後に作品感想を見に行く。

感想「感動しました。良かったですねぇ○○ちゃん。私も涙が止まりませんでした」

  

この感想深読みしてしまい、笑いすぎて涙が止まらないのか?などと思うようになるくらいには

ひねくれてしまった筆者がいる。なろう作品を読み過ぎて心が歪んでしまったのは承知している。

しか病人回を読み続けると、どうせ治ってしまい、しかもあっさりと治るので茶番に感じてしまう。

主人公凄さを強調したいのだろうが、これまで苦しんできた病人はなんだったんだと思う。

チートが狡いなどと言うつもりはないし、エリクサーを手にした主人公は確かに凄いんだろうと思うが

たまには病人が死んでくれないものかと思うようになってしまった。

  

病気については大抵「不治の病」の一言で終わるものばかり。主人公医者ではないので特に何の病気なのか

よく分かっていない事が多い。何の病気なのかと、いつも気になってくる。

稀に「脚気」などの病名が出てくる時があるが、これについては食事を気を付けるように指示して解決する

こともある。しかし、癌などはほぼ出てこない。

天才外科医「無理だ。もう治らん(現実主義)」

なろうの主人公大丈夫だ。俺が絶対になんとかしてやる(絶対なんとかするマン)」

きっとなろうの主人公は癌でもなんとかしてしまうんだろうと思うと、やはり命が軽く見えてしまう。

  

唐突だが、筆者はドクターキリコが好きである

「生きもの死ぬときには自然死ぬもんだ。それを人間けが

という台詞などがとても重い物に感じるからだ。

しかしなろうの世界では、モンスターと戦うなどして命のやり取りをしているにも関わらず、なんだか命の

やり取りをしているように見えず、病気に関しても上記までの通りあっさり治ってしまうので

どうにも感情が揺さぶられなくなってしまった。

からこそ、いつかなろうでも人が死ぬような病人回を見てみたいものだ。

  

最後に、漫画になるが筆者のおすすめは「動物のお医者さんである

是非読んでいただきたい。

  

貴族編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200706225819

王族編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200707102749

奴隷編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200707174539

竜編   :ttps://anond.hatelabo.jp/20200708062743

商人編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200708131233

馬編   :ttps://anond.hatelabo.jp/20200708203845

獣人編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200709092800

エルフ編 :ttps://anond.hatelabo.jp/20200709173538

勇者編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200710134123

ドワーフ編:ttps://anond.hatelabo.jp/20200710201957

神編   :ttps://anond.hatelabo.jp/20200711222724

悪役令嬢編:ttps://anond.hatelabo.jp/20200730063046

猪編   :ttps://anond.hatelabo.jp/20200730172612

2020-07-24

母の一周忌を迎え、私を取り戻す。

母の一周忌が来た。


一人称としての「私」は、母に奪われたものだった。

幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、

見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。

『私ってだあれ?』

…誰?確かに誰なんだ?


それ以降、どうしても使わなければならない時以降、

一人称としての「私」は使わなくなった。

一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内こだまするからだ。


ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。

母にミロを飲まされていたのを思い出す。

小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。

父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたこから母方の祖父暮らしていた)

それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。

母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。

恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。

それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。

怒鳴るしかしなかったのだろうか。

しかも、祖父料理がとてもうまかった。


母については、他人愚痴を言っているか、怒鳴られているか記憶しかない。

しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。

こうはなりたくないな、しか思っていなかった。


そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、

私が中学生になった頃から母の様子がおかしくなってきた。


母が笑うようになった。


正直、何に笑っているかからない。


話は戻るが、

私が小学生の頃から聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。

私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。

父と祖父が、黒服女性が来るたびに何度も何度も追い返した。

ある時から、本当に来なくなった。


黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。

父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。

そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。


笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。

座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。

笑う、泣く、ツイッターbotのように出てくる支離滅裂言葉


こんなのずっと見てたらこっちがおかしくなる

一人暮らし金銭的にできない

からできるだけ家にいないようにしよう


中学陸上部を始めた頃だった。

友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。

インドア派なのに帰りが遅くなる矛盾人生が始まった。

陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。

運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。

ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲーム難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。

気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。

そして、聴く音楽自分メンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。

これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。


そうやって私が我が家から現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。

つの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。


デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って

「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。

「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。


目の前にいるのに。

大学生になって、もう陸上は辞めてしまっているのに。


その時、珍しく母は笑顔だった。


その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、

昨年ようやく亡くなった。


申し訳ないが、「ようやく」という気持ちのほうが強かった。

死因は若年性アルツハイマー認知症、病歴20年。

病歴を見たとき人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。

妹なんて、元気だった母の記憶が無いレベルだ。


母の一周忌が来た。

これから取り戻せるものがあるのかどうか正直わからない。

今までいろいろな物事を諦めたような気がする。


結婚なんてできる気がしない。

母と同じような結末を迎える気がしてならない。

祖母も脳縮症で40代に亡くなっているからだ。

母も40代からボケ始めている。

そもそも、今更相手がいない。


この先どうやって生きていくべきか分からない。

でもまだ生きていたいから生きている。

ただそれだけ。


言い方はよくないが、母が亡くなったことで

一人称としての私は、取り戻し始めている。

そこから先をこれから見つけていかねばいけない。

2020-06-28

anond:20200627150343

日本で「野菜を食え」と言われるようになったのは昭和初期の軍人脚気予防が発端。よって菜食押しは全員ネトウヨ

ベジタリアンはそうでない人と比べてガン罹患率が高く平均寿命が短いという調査結果もある

それでも野菜を食えというのは非常に悪質な同調圧力と言わざるを得ないね

2020-05-18

机に肘ついて手に顎乗せてるときに肘が机から落ちそうになってグキッ

ってなって脚気の要領で肘と顔が上に跳ねる現象名前募集しま

2020-05-09

教えて偉い人

コロナ関係TVみてふと思ったんだけど、例えば脚気ジェネリック薬があるとして、医師独自理論でその薬をコロナ患者に使ったとすると、それは違法になるのかな?

ここで出した脚気はまったく関係ないけどさ、そもそも「この薬は何々に使えます」とか決まってんの?

2019-10-29

anond:20191028220615

なんで餓死しようとしてんの?ガチャ厨などの宗教上の理由か?異性に振られての摂食障害か?便秘

まあ理由はなんでもいいが餓死すんなよ。

昼の学食定食で1食500円は出せ。

残しそうならご飯からへらせ。

そのかわりおやつプロテインバー

一品コストかけたくないなら自作ゆで卵1~2個+塩、または豆腐半丁でよい)追加。

野菜はできるだけ残さない。特に生野菜か生果物ビタミンCを取らないと大航海時代船乗りがなった病気である脚気になる。

ビタミンBも必要なのでビタミン剤、チョコラBBでいいから一日に1粒以上飲む。

玄米やビタバァレー入ご飯でも多少はビタミンBがとれるが今のおまえの胃腸にはたぶんどちらも無理。

手抜きしたいときプロテインシェイクで1食はとれ。(ビタミン配合プロテインだとチョコラいらないかも。ザバスとかがそう)

単にめんどくさいなら三食COMPを飲み続けろ。

 

どれもやれないならやっぱり摂食障害あたりの疑いで大学の保健センターいけ。

2019-09-29

anond:20190929211520

江戸わずらい(脚気)なんてのがあったりお遍路巡りしてたりやし

サイコパス村長藩士がいなくて寒村でもなきゃ戸籍ゆるゆるやし

のんびりとしたゆるゆるの暮らししてたみたいやで

江戸時代の日本人は働かないって外国人に記されたりするくらいだしな

江戸庶民暮らしはひどかったは明治政府プロパガンダらしいぞ

まぁ寒村や基地な外藩士村長のいるところでは一部そのまま事実だったのだろうけど

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