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2023-06-29

吴迪钊(伊啓威)の物語

吴迪钊(伊啓威)、ペンネームLIGEN VI(リゲン ヴィ),1996年8月8日まれ山東青島出身満州族反日思想の持ち主、ネット上で活動する漢奸で、偽満州思想を大々的に宣伝し、偽満州歴史浄化しようとしたり、歴史の逆行を復活させようとしています

推崇「偽満」思想

吴迪钊の祖父は幼少期から満州国」で育ち、戦争終結まで15歳になる前、自分自身中国人だとは思っていなかった。この影響を受け、吴迪钊は幼少期から「偽満」思想を推崇していました。2011年5月、吴迪钊は新浪ブログで「満州八旗軍隊の編成」「君主立憲の概念分析」などの記事を公開し、同年8月には「正黄旗-昭君」という名前で「満第安群聊」で極端な満第安人に「漢人を殺してはならない、利用すべきだ」と説得しました。また、吴迪钊は自身記事傀儡王道楽土日本人満州国をどう見ているのか、協力か利用か?」で満州理想的な新国家として美化しています。[2]

父親汚職事件への関与の疑い

2016年4月、吴迪钊の父親である吴珠祥は、元の会社である青島銀通融資情報有限公司資金を530万元以上も私的使用し、地元公安機関によって立件され、2017年には自身留置場で罪悪感から自殺しました。関連資料によると、裁判所は吴珠祥に対し、490万元以上の債務の返済と利息、違約金などの関連費用の支払いを命じました。2019年、法院は吴珠祥の相続人である吴迪钊を被告として追加訴訟参加者認定しました。父親との関連での牽連を恐れ、吴迪钊は海外に逃亡しました。その間、吴迪钊は父親汚職資金を利用してアメリカ不動産投資し、大邸宅を購入しました。

天才少年の設定は宣伝

吴迪钊の両親は彼を支援するために、汚職資金を何度も利用して吴迪钊を「中国神童テンプレート」として報道しました。2021年、吴迪钊は外国メディアインタビュー

架空会社設立して資金を集める

吴迪钊は外国メディアインタビューで、自身家族の衰退後、偽造された天才的なイメージクリーンビジネス操作手法を利用して、特権的な高純資産の人々に背後で金と権力取引提供し、彼らを税金逃れや資金移動、第3のパスポートの取得、企業上場IPOなどに手助けしました。違法に得た大量の利益を手に入れた後、彼は父親債務を返済するどころか、日本で豪遊生活を送り、元女性アイドルの滨崎愛華結婚し、複数女性不適切な関係を持ち続けました。

Fre

他人仮想通貨トロイの木馬で盗む

ネット上の情報によれば、吴迪钊は日本での派手な生活を維持するために、何度もハッカーを雇い、FreelandDAOプロジェクト顧客アカウントから仮想通貨を盗むためにトロイの木馬を送りました。これにより、彼に信頼を寄せて投資した多くの顧客が大きな経済的損失を被りました。同時に、吴迪钊はTwitterアカウント帝国大佐香宮葵Official」に隠しトロイの木馬リンク掲載し、多くのユーザー個人情報漏洩し、アカウントクレジットカードネット残高が盗まれました。報道によれば、吴迪钊がハッカー手法を利用して得た巨額の不正所得はすべて浪費され、アメリカFBIが重点的に監視しています

他者ネット攻撃する

Twitterユーザーは、吴迪钊の「帝国大佐香宮葵Officialアカウント他人プライバシーを何度も公開し、これを利用して利益を得ていると告発しています。このアカウントは、デビューのための炸裂、メディア宣伝オフライン債務回収などのビジネスを公に募集しています

なんか、ちょっと疲れちゃった

急遽にはなるんだけど明日から1週間ほど休むね。

進行形のアレコレの資料は共有フォルダに入ってるからそれでなんとか。

 

明日からたった今借りた東北ウィークリーマンションゴロゴロして過ごすつもり。

急な話でごめんね。

 

ほな、今から早退するんで……

体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより

ウクライナ語体操着

ウクライナでは体操着のことをСпортивний купальникと呼ぶ。ウクライナ語のкупальникはロシア語のКупальникと同じく、水着意味する言葉だ。ロシア語スペルは同じ。Спортивнийとはスポーツ意味する。

以下、ウィキペディアグーグル翻訳から抜粋

バレエレオタード

体操レオタード

フィギュアスケートレオタード

ロシア語版の記事から抜粋

19世紀には、レオタードは、体操選手強者曲芸師などのサーカスでのみ使用されていました。原則として、その上にショートパンツまたはスカートが着用された(たとえば、パブロ・ピカソ絵画舞踏会少女」)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/1c/Pablo_Picasso%2C_1905%2C_Acrobate_%C3%A0_la_Boule_%28Acrobat_on_a_Ball%29%2C_oil_on_canvas%2C_147_x_95_cm%2C_The_Pushkin_Museum%2C_Moscow.jpg


伸縮性のある生地がなかったソ連で、最初ニットレオタード練習リハーサルを始めたのはバレリーナマヤプリセツカヤ海外ツアー中に自分用に購入した。彼女は、 1973年フランス振付師ローラン・プティ衣装デザイナーイヴ・サンローラン)によって彼女のために上演されたバレエ薔薇の死」で、伸縮性のあるレオタードベースにした衣装を着てソビエトバレエ舞台に初めて登場したそうである

マヤプリセツカヤは先日の亜留間次郎さん(@aruma_zirou)に言及した記事で、レオタードを特注していた人のことだ。

ソ連のノーパンブルマー少女

その他

一応通販ブルマを見つけたが、訳語関係ブルマ水着かはわからない。

(купальник、burumaで検索

https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125510273-plavki-zhinochi-kupalni

https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125446756-trusiki-vid-kupalnika-batal

また、ソ連時代のもの画像検索しても、ロシアのもの資料が混ざっている。

所でグーグル検索って、言語設定を変えると検索結果が若干ぶれる。どういうアルゴリズムなのだろう?

今度はもう少しウクライナブルマについて調べるか、エアロビ衣装についてかな。

参考資料

https://uk.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D0%B8%D0%B9_%D0%BA%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA_(%D1%81%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D1%8B%D0%B9)

自動車メーカーでのIT土方の思い出6

その他

上司からは「プロパーのAがいなくなって、これから仕事が楽になるのに何で辞めるのか」と聞かれた。

それはA以外にもヤバい奴が多すぎて、もうこの会社のもの嫌悪感しかなかったからだ。

 

プロパーAと転職グループ

 ヤバいのはA一人ではなく、上司や同僚も同じようなノリで仕事をしているらしい。

 

 Aとその周辺は他社から転職組らしく、そのグループ内では

 「課題解決のためなら残業徹夜も当然」な脳筋理論蔓延しているとのこと。

 Aが現場に無茶な量の仕事を投げ込むのも「下請けに何件仕事をさせたか」「下請けに何件指摘したか」が評価基準になっているためらしい。

 A以外と接触する機会がなかったのは幸運だった。

 

定期リセットされる上流部署 
  • 人の入れ替わりが激しいのはどこの下請けも似たようなものだったが

 うちに詳細仕様を展開する上流工程部署もそんな有様だったので、こちらは大変苦労させられた。

 

 内容を理解せずに仕様書を更新しているらしく、展開メールには更新内容を絶対に書かないので

 メールが届き次第、送信者の席に直接向かい更新内容を口頭で確認する必要があった。

 変えたはずの箇所が変わってない、変えてない箇所まで変わっている、といったことは日常茶飯事だった。

 これらの仕様書の誤りによる作業遅延は、うちの部署残業徹夜カバーする羽目になった。

 

 この部署に「仕様書の更新方法や、メール展開の仕方まで人によってバラバラなので統一してくれ」と何度もクレームを入れたが

 半年もしないうちにほとんどのメンバーが入れ替わり、クレームも引き継がれず無かったことになり

 また各自が思い思いの方法仕事をしだす、の繰り返しだった。

 

部長による機材強奪

 それを取り仕切る部長言動が、社会生活を送れているのか怪しいレベルでヤバかった。

 その部長は、下請けから機材を借りたいと依頼があると、おもむろにフロア徘徊しだし

 他の下請けが借用中の機材を、相談もなしに持ち去ろうとするのである

 ある時などは、私が使用中の機材を突然持ち去ろうとして

  増田「何するんですか!勝手に持っていかれると困りますよ!」

  部長「いや、下請けの〇〇さんが欲しいっていうから…」

  増田「これはうちの会社で借用しています勝手に持っていかれると困りますよ!」

  部長「いつも使ってるわけじゃないでしょ?」

  増田毎日使ってますよ!これがないと仕事止まっちゃいますから!」

  部長「ふーん…そっかぁ」

 のようなやり取りをして、辛うじて撃退したこともあった。

 もし席を外していたら、確実に強奪されていただろう。

  

 一部の下請けは、数が限られた機材を他社からぶんどるために、この部長を利用していた。

 ある朝出社すると、借用機材が机ごと無断で移動させられており

 部長確認したところ、他社との共用機材にさせされていたこともあった。

 クレームを入れたが「もう決めたから」と相手にされなかったため

 常に借用機材の席に自社社員が常駐している状態にし、分捕ろうとした会社に使わせないことで対抗した。

 

業務サーバ管理者がいない

 慌ててサーバ管理者らしき人を探し、バックアップから復元できないか相談したが

  「私はサーバアクセス権だけ管理している」

  「今はサーバ自体管理者はいない。以前は下請け管理者だったが、退場した」

  「なので、今はサーババックアップは取っていない」

 との恐ろしい回答が返ってきた。いままでの業務成果物は、全部そのサーバに入っているのだが…

 

 Aに事の次第を説明したところ、資料の作り直しと再レビュー、および再発防止策を要求された。

 再発防止策は「成果物はすべてバージョン管理ツールにpushして格納する」となったが

 ビルドしたソフトなど、容量が大きすぎるもの既存サーバに格納することになった。

 

 部署内でしか使わない、レビューが終われば誰も見向きもしないレビュー資料大事管理

 他部署顧客に渡す機会の多い重要ソフトはそのまま、という不条理まりない対策だったが

 Aは満足していたようだった。

 

 なお、私の退場後、そのバージョン管理ツールのバージョンアップが失敗し

 格納されていたソースコードレビュー資料は全部消えてしまったと聞いた。

 復旧に一か月かかったらしい。

 

ヤバいコロナ感染

 「いやぁ~電車内での白い目、ヤバかったすわぁ~」と言いながら出社し、1日中大声で咳をするプロパーがいた。

 自席で大人しくしているならまだしも、咳をしながらフロア中を歩き回って挨拶回りをしていた。

 当人も異常だが、ほかのプロパーも誰も気にしていないのも恐ろしかった。

 

おわり

2023-06-28

anond:20230627053740

素人ブログ30年書いたって別に有名にはならないと思うけど、

もしそのブログが百年後もまるごと読めるなら良い歴史資料にはなるかもな。

特に地域で起きたことや近所の写真を記録してたらなかなか嬉しい資料になると思う。

ワイはこう思って、ブログランキングには載らないような

老人が二十年くらい畑の様子について書いてるブログとか

誰が読んでるかもわからん田舎美容室宣伝ブログとか

中年リーマンの昼飯ログとかの魚拓を取り続けてるわ

2023-06-27

自動車メーカーでのIT土方の思い出5

急展開

  • 退場者の残した作業をどうにか片付け、次の業務の準備をしていると、予想外のニュースが飛び込んできた。

 

 自動車メーカープロパーAが異動になり、今の現場を離れることになったという。

 

 聞いた話では、今回10名が退場した件で、自動車メーカー元請け間で話し合いが持たれ

 「Aを現場からさないならば、うちは全員撤退する」と元請けが啖呵を切ったらしい。

 

 逆ギレで返す元請けもどうかしているとしか思えなかった。

 怠慢な元請けがここまで動くということは、自動車メーカー下請け訴訟沙汰になりかけていたのではないかと予想している、

 部下が全滅した後に撤退命令を出し、指揮能力を誇っている間抜けしか見えなかった。

  

 今まで一緒に仕事を回してきた同僚も、睡眠障害で起きれなくなり退場。

 Aから戦力外通告を受けていたメンバーも、ようやく次の職場が決まった。

 残ったのは私一人と、Aが残した数百件の改善指摘だけだった。

 

 隙間なく詰め込まれていた開発作業にも大分余裕ができ

 Aが私に丸投げしていた、他部署からの問い合わせ対応も無くなった。

 特に後者が非常に大きかった。

 「そちらがリリースしたコードをいじってビルドしたら動かなくなったんだけど、デバッグしてくれない?」

 「ソフトビルドをしたいから、環境作成を1から教えろ」

 「君らのリリースしたソフト、容量が大きすぎてローカルダウンロードできないんだけどどうにかならないの?」

 のような、これが世界規模の自動車メーカーの開発現場か?というレベル質問に数時間付きっきりで対応する必要があったからだ。

 

退場へ 

 もはやこの自動車メーカー元請け上司も信用できなかった。

 Aが現場に戻ってくる可能性も否定できなかったし

 いずれ元請けねじ込んでくるであろう、補充要員の世話をまた0から始めるのもウンザリだった。

 上司は難色を示していたが、ここ最近残業の件で労基に相談に行くと言ったら

 「数百件の改善指摘を全部片づけるなら」という条件でOKが出た。

 

 退場したメンバーの残した指摘は、知識が浅い状態レビューを受け、指摘の意味も分からぬまま記載されたものが多かった。

 不快なことに、それらを解読できるのはAから理不尽な指摘を長年さばいてきた自分だけだった。

 

 Aの残した指摘の不毛さにうんざりしたのかもしれない。

 

 その手の資料は、作業ミスの発生時に再発防止策として追加されたものであったし

 教育環境のない職場なので、レビュー資料を作ることで内容を学んでいく側面もあった。

 プロセスの削減や自動化の結果、また「手順書通りにやっただけで中身は知りません」な人材が増えるのも容易に想像できた。

 

 すべてが不毛不快職場だったが、後を濁さず退場できたことは、唯一達成感を感じることができた。

余談に続く

https://anond.hatelabo.jp/20230629024636

2023-06-25

anond:20230625184556

野盗もマスゴミ何もしないし、開示請求しまくって行政庁を止めようぜ

党費は年間一口3000円で、年間1件は、希望する開示請求無料で代行しま

希望者の多い資料も少ない資料平等にやる所存です

裁判所あての開示請求希望も歓迎

担当裁判官の異動決定経緯など)

請求希望者名の秘密は厳守しま

自社勤務の人と分かり合えないな〜という気分になる

客に時間単価で買われている身では、自社仕事基本的に望まれてないもので(許容はしてくれるが)定時内に大幅に時間を取って大っぴらにやったりはできない

自社の人たちは勉強会だと称して定時内に集まり

評価資料作成だ上から来たスキル診断だアンケートだと定時内にやる

これ客先だと定時後に付けずにやるか、こっそり定時内に内職するか、そんな感じになる

同じ会社でも仕事環境はまるで違う

2023-06-24

自動車メーカーでのIT土方の思い出4

破綻

 一軍メンバーの長時間残業によって、辛うじてオンスケでこなしていた。

 しかし、長時間残業が定常化し、体調不良メンタルでの退場者も増え、いつスケジュール破綻してもおかしくない状況だった。

 

 朝礼後、Bと話したところ

  増「増員するメンバーは、今いる下請けから出すんですか?」

  B「9割は今回新規に入る会社メンバーだよ。君の会社からも1名出してもらうことになっているよ」

  増「新規メンバー教育はどうするんですか?我々は業務レクチャーする時間は取れませんけど」

  B「君らの作ってる手順書やエビデンス資料を渡して、それで業務勉強してもらうよ」

  増「それではちょっと厳しいと思いますけど」

  B「それくらいは出来てくれないと困るよ」

   

 サポートなしで現場に放りこまれ、右も左もわからぬままAに罵倒され、体かメンタルを壊して辞めていく、という

 この職場典型的キャリアパスが繰り返されるだけとしか思えなかったが

 どうやらBはこれで問題解決すると思っているようだった。

 ザルで水を掬えないからといって、より大きなザルを用意するようなものだ。

 

 最後に「どうなっても知りませんよ。何かあってもヘルプできませんからね」とは言っておいたが

 Bは「なんでそんなこと言うの?」とでも言いたげな顔で去っていった。

 

 今回新規参入した会社は、リーダー含め1人も残らなかった。

 うちの会社が連れてきたメンバーも「体調が悪いので早退します」と言ってそれっきり出社しなくなった。

 

 他所会社に振られた仕事なので、自分が回収する必要はないが

 放置しておけば、Aから怒りのメールと再発防止策の要求が飛んでくるのは明らかである

 さらに、Bに矛先が向いた場合「他部署の手の空いている人間やらせます」「戦力外メンバーも投入します」

 のような現場にとって最悪な対応提案してくる可能性が高かった。

 このころが一番残業がひどく、半月ほど毎日タクシー帰りが続いた。

 

 レビューの場で「御社には10数人分のお金を支払っているんですよ!?

 それなのに、実働できるのがあなた含めて数名しかいないのはどういうことですか!?」と

 Aからもっとも過ぎる批判をいただいた。

 なお追加を決めた当人である元請けリーダーのBは「ほかの業務が忙しいから」とレビューには来なかった。

 

続く

https://anond.hatelabo.jp/20230627012136

anond:20230624090723

損害賠償が確定して(少なくとも告訴されて)なくても相続理由賠償させられるのかな?

本人以外当時の動機裁判官から勝手動機だとか公益のためとか言われるようなもの)なんかうかがい知れるものでないし、反証となるような資料の在処も分からないし、反論難しいからさせられない気がするけど・・・

ラブホに入る写真ネタに「死んだあの人に非同意性交強要された」と民事告訴されたら賠償させられる・・・

[] 出来ない理由じゃなくてやれることをしよう!→ せやな(永久にしない) → 出来ない理由を探していたらこんなの発見した

英語の触読学習というのがあるらしい

真面目なものなのでリンクを貼るにはやめときますが、効果があったら書いてみます

なお、何も書かなかったら、自分に向いてた向いてなかったとか以前に、いつも通り先延ばしにしたのだと思います

 

から覚えようとか、パターン丸覚えしようとか言っても、結局、下々の者は圧倒的に『書く』が多いのよな・・・

主体的英語会議を進めるポジションで当然ゾウリムシは入ってはいないので、とりあえずチャットメール資料作成を乗り切れればゾウリムシ的には大丈夫です

会議や音声対応については、英語介護してくれる人がいないと、必然的チャット質疑応答になる流れなので大丈夫です(だいじょうばない)

 

  

 

しかし、ワイくんそもそもどうやって母国語学習したのか考えてみる

4歳くらいから母ちゃんが読み書きを教えてくれて、小学校入る前には本がひとりで読めるようになっていたので、保育園でドヤっていたことを覚えている

でも書きはぜんぜんダメで、ドヤって字はこうやって書くんだよって友達に教えてたら、『違うよ』って逆に指摘を貰っていましたな

というか2年生になっても余裕で鏡文字書いてたので、事前学習小学校強制ひらがなドリルがなかったらだいぶヤバかった気がする

漢字がめちゃくちゃ苦手で、漢字ドリル死ぬほどイヤで、今でもたまに夢に見る。夏休み悪夢

単語は本ではなく日本語辞書で覚えた。なんか知らんが幼少期は辞書にハマっておりよく辞書読んでたんだよな

和英辞書も好きだったけど、日本語辞書以上に記憶に残っていないです。ありがとうございます

文章読むのはけっこう早い方なので、さほど文章読むの不得意じゃないと思っていたが、もしかしたらそんなことないかも知らん

苦手意識がないジャンルならだいたい15分くらいで1冊読めるけど、苦手意識のあるジャンルだと文字は拾えても結局理解できんから

もちろん高度な前提知識がいるヤツじゃなくて、組立説明書とか体操とかなんかそういうの

うーん・・・母国語もギリかも知れない

2023-06-23

小規模な昭和体質会社(JTC)に転職した結果…

前職、前前職に関して

ベンチャー的な会社所属

男女比率同じぐらい。

SaasやらITに関するリテラシー普通

平均年齢30歳ぐらい

いわゆる、キラキラ企業に憧れるエセキラキラ企業にいました。

今回、興味本位というか人生経験として小規模な昭和体質の会社(JTC)に転職して半年ぐらい経ったので思ったことを自戒意味も込めて殴り書きします。

※ぼやかしながら

・バックオフィス部署でもスーツ

理由顧客先のボリューム層が高齢者私服だとクレームが入るからとのこと。現場営業さんたちは作業着で夏でも長袖長ズボン。以前、短パン的なものを着用していたら不健全だ!ってキレられたらしい。ちなみに入社して半年ぐらい経つがオフィス顧客が来たことはない。今はクールビズ(ひさびさに聞いた)でネクタイ無し、ジャケット無しでもOK

ある日上司に「そういえばなんでスーツ指定なんでしたっけ?お客さんとか来ないっすよね?」とバカなふりして聞いてみたら「まぁこれは仕事における作業着みたいなもんだから。あと私服仕事すると他部署とかたまたまあったお客さんからクレームが入る可能性がある」だって普段ロジカル思考ぶって部長の顔が忘れられない。


電話うるせぇ

支店がいくつかあるんだけど、支店間の連絡手段は基本電話電話対応業務自体が無くなっているこの時代に。あとメールしかOutlookバカかよ。まぁメールは百歩譲っていいわ。電話がうるせぇのなんの。こういうのって部署ごとに鳴り分けしたりするじゃん?けどここしてねーの。外線1本着信したらオフィスにある電話全部鳴んの。この環境にいてみ?マジで電話アンチになるわ。元々アンチ気味ではあったけど。Slack?Teams?ChatWork提案したさ。そしたら「無理無理。金もかかるし社内に浸透させんのに何年かかんのよ。うちはPC弱者しかいないよ?」だってさ。なんのために俺入社したんや。

んでエグいのが、たまにオフィスに誰もいなくて他部署電話とか出る必要あんのよ。それで顧客からクレーム対応もしなくちゃなんないときもある。俺28にして初めてよ、クレーム電話対応。あれヤバいな。普通に「オタク会社詐欺師集団ですか?」とか言われるからね。そいつ名前今でも忘れてないぐらいに殺意はある。あとコールセンターの人ってすげぇなーって心底思った。



電話以外もうるせぇ

そうです。電話以外もうるせぇ。

俺の背後で永久に動いている複合機

デケェ声で電話してる上司

稟議は短くわかりやすくと言っておきながら普段から話が長くわかりにくい部長説教。(いっつも特定社員仕事論カマしてる。1日アベレージ45分ぐらい。)

声がデカいお局。(お局って存在初めて見た。あんなん実在してんだな。悪口エグい)

こんな環境で集中して高いアウトプットを出さなきゃいけない。電話とかはまぁシステムリプレースでなんとかなりそうとは思ってるんだけど、こういうパーソナルというかカルチャーの部分ってどうしたらいいんだろうか…。直接言う?何十個も上の大人に?うるさいから集中できませんって?まぁ言うしかないよな…なんて言い方が伝わるかな…って考えてしまってる時点で負け。他人カルチャーを変えるより転職のほうが簡単だ。多分。

イヤホンしながら仕事ダメダメ!喋りかけても聞こえないじゃん!あと電話取れないじゃん!




稟議

承認おせぇ&めんどくせぇそもそも全最終決裁権社長が持ってる。幸いシステム的なものは導入されており、紙の稟議でハンコリレーみたいなことはないが高額の稟議となった場合社長承認→対面で説明を改めて申し上げる、みたいなクソフローがある。いやなにを説明することあんねん。

例えばPC関連の備品モニターとか)を購入する際、半端ない労力がかかる。スタートアップとかベンチャーなら「とりあえずやってみよう!」「スモールスタートで検証しつつイケそうなら全社導入しよう!」みたいなマインドがあるかもだけどここの会社ではそれがない。石橋をぶん殴っている。なんだろう、会社お金というものを重く見すぎているというか。俺はいろいろ考えて最終的に「まぁ失敗しても会社の金だしいっか」みたいなマインド(賛否)なんだけどまぁ~~~会社フィットしていない。

なんのために使うのか?どういう効果があるのか?費用対効果は?今のモニター(17インチHD正方形モニター)では何が、どうして無理なのか?っていうのを嘘みたいに徹底追求される。いや詰問される。1万ちょいとかのモニターで。そして稟議ハードルが上がりシャドーITや自費購入モニターなどが横行している。

まぁモニターでこんなんだからPC本体やらSaasやらに関してはもうお察しであるPCに関しては最近なんとか変え始めることができて喜ばれたけど(俺も嬉しい)。



・求められるウェットな人間関係

昭和体質の会社でお決まりイベントといえば?そう、社員旅行である。あらかじめ言っておきたいのは社員旅行自体は決して悪ではない。参加する・しないの選択権を無くすことが悪なのだ

入社した当初「そういえば3か月後ぐらいに社員旅行あるから。行き先は〇〇!日時はまだわかんないけど。」と言われた。「そうなんですねー」と返し、詳細な日程が来たところで断ろうと思った。

他の社員も「旅行ダリィ~」とか「こういうとこマジで昭和だよね」と陰で言っていた。30代後半の社員40代以上の社員も。

後日、日程等の詳細が確定したと連絡。

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仕事終わり(木)の深夜に空港集合

そして(金)(土)は現地

(日)の夕方帰国

翌日は普通仕事

土・日は休日扱い。

10,000円前後を参加費として徴収。(毎月の月給から謎の厚生費いくらか控除されている)。

ホテルは2人1室

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うーん、行きたくない部長にその旨を伝えると社長役員を巻き込んだ大騒動になった。詳細は控えるが。

このことで

会社でのコミュニケーションコスト辟易してしまった。

すべてのモチベーションを失ってしまった。

カルチャーミスマッチってこういうことを言うのだなと思った。

俺も悪いな、と思った

ちなみに弊部署今季目標の1つが「社員エンゲージメントを上げる」だって。がんばれー

・その他

若手とベテランの年齢差が大きい

平成生まれが少ないため、平成生まれだけの社内コミュニティ形成されている

普段はみんな優しい。陰口がエグい。

入社初日社長役員経営理念に関して4時間のオンボーディング

経営理念額縁オフィス各部屋に飾られている

月に1回の全社朝会ではオフィス内にある神棚に二礼二拍一礼(初めて見たとき引いた)

3ヶ月に1回の全社会では経営理念の唱和&万歳三唱(初めて見たとき引いた)

Zoom会議10分前集合

女性社員は50人弱中1人。マジで1人。あとの女性はみんなパートの方々。

今年新卒が入ったけど3日目に退職

肥満が多い(統計的に見て判断。ほんとごめんなさい)

歯が汚い人が多い(統計的に見て判断。ほんとごめんなさい)

始末書の頻度が高い(書かされるハードルが低い?)

他人会社セキュリティは異様なほど気にするが、自分だけシャドーITをしても大丈夫だと思っている社員がいる

勤怠管理社員間共有Excel。いい意味でも悪い意味でも誤魔化し放題。

社内資料作成の量がエグい。

社員に配布する資料フォント明朝体になりがち

このぐらいでしょうか。もっとあるかも。


まぁ否多めとなってしまったけど、合う人には合う会社なのかも。

エピソードトークが何個かできたことが収穫かな。

推し」とかい正体不明存在

もう数年前に見つけた歴史上の人物をめちゃくちゃ良いと思ってるんだけど、マイナーだし時代が古いか資料全然残ってないしそもそも実在たかさえ若干不安レベルなんだよな

じゃあそもそも俺はアイツの何を「いい」と思ったのか、そもそもいいと思ったところは実在していたのか、歴史の勝者によって書かれた「推し」は果たして本物とどれだけ同じなのか……とか考え始めたらうまく眠れなくなった

自分が好きなところが全部嘘だったらどうしよう的な感情が渦巻いて仕方ないし、もう生きてないから確かめようもない 沼

上司否定ばっかしてきて雑談がつまらない、というか続かない件

先日、社内で中堅どころが労働環境に対する問題提起をした。

若手社員の私は、労働環境が良くなるならいいことじゃないか、いいぞ!と思い傍観していた。

この話は後日社労士との話し合いの場が設けられることとなったのだが話はそこで終わりではない。

   

上司「なあ、あの労働環境の件、どう思う?」

私「いいんじゃないですか?法的にはグレーらしいですし社労士と話すなら私たちの入る余地は無いですし」

上司「まったく近頃の若い者は・・・俺が若いころはお前より技術があってお前より長時間働いてお前より給料が安かったぞ」ハァ・・・

   

マジでこれである、一字一句間違えていない、老害説教おじさん欲張り詰め合わせセットである

   

私「社労士が言うには〇〇の場合なら環境改善のために制度を改めるしかないらしいですよ」

上司「そんなわけあるかよ!じゃあ××の場合はどうすんの?□□の場合は?」

   

知るかよ、お前が社労士に聞いてこい。

ていうかお前社労士より労働環境に対する法律判例に詳しいか否定してるんだろうな?

   

私「そういえばこの前頼んでた仕事、どうなりました?」

上司「そんなんあったっけ?」

私「頼みましたよ~wほら、資料上司さんに手渡ししましたしw」

上司「貰ってないぞ」

私「えっ?じゃあ上司さんの机の上にあるこの資料・・・?」

上司「これ初めて見たわ、手渡しした?手渡ししたなら証拠を出せ」

   

マジで謝ると死ぬ病気なのかなこの人。

   

上司と私は20歳ほど離れておりあと5年もすれば上司は定年前で社内権力を失うだろう。

2人しかいないこの部署では私が実権を握ることになる。

後輩や部下が出来たらこ上司反面教師にし、良い上司であろうと思う。

若者が読んでる小説情報ってどうやって調べるんだ?

「なろう小説オッサンしか読んでなかった!学生が読んでいるのは一般文芸!中高年は脳みそキッズ中高生大人読書!」みたいな話題ちょくちょく聞くからソース探してるんだが全然見つからねえ。

文芸雑誌がやった母集団がクソほど偏りまくってそうなアンケート(これってアニメージュ読者に好きなアニメ聞くようなもんだろ)ぐらいしか見つからん。

購入者の年齢情報とセットになった小説の売上資料がねーんだな。

ジャンプみてーに読者アンケハガキがあったら大まかな購買層とかわかるんだろうけど、そういうのがないんだろうな。

中学生 人気 小説」で検索してもGoogle先生は「中学生オススメ小説ランキング」とかいうクソみてーなアフィ記事しか出さねえしな

2023-06-22

政治関係もっと良いWebサービスってなかったのか?イケてるテック系の人達解決してくれないのだろうか

SNSでこんなに騒いでいるのに全然反映されない!

というのは当たり前で、省庁の人はそんな見る暇ない。

最近ニュースタイトルだけで省庁の資料も見る人が少ない、もしくは長いので読めない。


議論をまとめて提案まで持っていくのは出てこない。そもそも、まとめも議論発散してるな、が可視化されて終わり。

コメンテーター国民の間で議論がしつくされてないとか、じゃあどういう基準まで議論なら良いんだってなる。


固定名だと、党派性が発生。

議論の内容が薄れていく。


そもそも法律殆どの人が詳しくない。

2023-06-21

氷河期後期で難があった人の末路。

多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)

この世代の人の就活ハガキが届いた企業で、合否を分けるバイト大学部活の先輩がやってた。

大学名と学部指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。

東大早慶指定国立March関関同立の一部で学部理系OK文系文学部芸術学部いくつかはNG性別では分けてなかった。

ハガキ名前と住所と学部大学資料請求言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。

観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。

高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。

最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留

アルバイト家庭教師と、短期バイト事務所登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。

就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。

自己PR欄でキャッチー言葉文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたこからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)

大手ダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。

面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点マークしてたらしい。(面接で言われた)

二つくらい内定出た。

会社入れた。同期は早稲田慶應上智MARCH首都圏国立大学慶應行ってる弟が出身リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。

入った会社はしばらく採用はなかったが、合併経営母体大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。

会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手入社案内が来たと笑ってた。

仕事入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。

昭和時代にできたもの保守効率の悪いオペレーション倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間うんざりした。

何の役にも立たないグループ会社健康保険医の面談うんざりした。

地獄だった。

会社のある街から帰れなくて漫画喫茶に泊まった。

知っているか睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。

棺桶に入ったり、棺桶程度の隙間に入れられる夢を何度も見た。

一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。

まだ20代だったけど、大規模地震SARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。

ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりからグループ会社結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。

つまるところ自社グループおっさんが多いから、あてがう女が必要女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス

から同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。

当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分オーガナイズ出来るし会話も成り立つ。

この会社自分のいるレイヤーおっさん達は自炊自分の服の身だしなみの管理仕事工程機器発注も何も管理できず英語も話せず

キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。

こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。




同期は鬱で会社を辞めた。

先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。

俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式会社の人はこないでくれというのが遺族から伝言だった。

リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。

そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで

親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)

ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事メンタルヘルスボロボロになりながら働かされてた。

俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。

心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。

そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。



同級生野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒会社でそのまま働いている人がいない。

氷河期の頃の20代、フリーター非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要ものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味時間を持てて楽しそうだった。

週末も有給休暇体調不良で消費していた自分選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。

職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。

当時は自分時間を持てる環境にいる人が心底羨ましかった。

この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。

その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社倒産合併リストラや色々煽りを喰らい転職を重ね

今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報機器肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要ものを全部払って息が出来る状態

月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。

会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフ対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。

ここまでに生じた持病の通院の時間ちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。

いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。

もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。

この歳になると結婚メリットも大してないか特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているかからない。

そして今オフ時間通信制大学入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学勉強をやってる。

きっとこの先の人生何にも役に立たないけどすごく楽しい

他の学部法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学勉強したい。

この後の望みは健康20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。

とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。

anond:20230620104704













ーー

元増田読んで自分の話を書いたけど全く読まれてなかった。

まあ氷河期って、就職できなかった人も地獄だったと思うけど、

就職できたからと言って労基法全然今と違ったので地獄でしたという話。

事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。

本社屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。


就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。

それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。

最初会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。

あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。

36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。

就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。

転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。

少なくとも第二新卒とき転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。

仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域ハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。

近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。

anond:20230621223700

メモ必要レベルの事を口頭で伝達してくる馬鹿がいまだにいるんだね

先に資料まとめてメール連携しろ

anond:20230620104704

就職、冬の時代なんて言われてたんだよね。最初は。

それがいつまで経っても春が来ないから誰かが「氷河期」と言い出した。

大学生内定取り消しニュースが出た時は、まだ高3くらいだったと思う。私が就活する時じゃなくてよかったなと思った。お花畑だったから、これは一時的不景気で、すぐにまた(バブル期の)好景気…当時は平成景気と言う人もいた、に戻ると思い込んでいた。

Z世代はこれ突っ込んでいいよ。

で、97年に山一自主廃業ニュースがあって、その頃は公務員試験教員採用試験勉強をしている学生も多かった。

家に送られて来るマイナビの厚みが男子学生女子学生全然違ってた。当時京都に住んでて、住所がすごく長かったので、資料請求葉書を書くのが辛かった。

内定が出なかったので実家に戻って非常勤仕事をしてた。

anond:20230620104704

同じ時期に就活した女だよ。

2000年代も確かに氷河期だけど、この増田が書いている氷河期第1世代はもう一つ忘れてはいけない不遇がある。

それは「団塊ジュニア」という、人数が多い世代だということだ。

世代の人数がとにかく多い。つまり競争相手が多すぎて大学受験が熾烈を極めたのだ。

私は県内公立の中でも有数の進学校に通っていたが、当時のクラス数は1学年14クラスもあった。この学校だけでなく、全体的にそうだった。そもそもこの学校に入るのも高倍率だったのだから、どれほど人数が多かったか

1972年まれピークに、前後数年はそれぞれ200万人の同学年がいた時代だ。今の子供の倍以上である

人数が多い世代からといって、大学キャパを急に増やしてくれるわけではない。

受験倍率は早慶レベルでも10倍超。

今みたいなAO入試などない。国公立は5教科が必須浪人当たり前。予備校大繁盛。

予備校ブギ」なんてドラマもやってたほど、浪人は珍しくなかった。

私も女子だったが現役では志望校に受から一浪して入学した。進学校ではそれが普通だったのだ。

親の意向で「女子が4大なんか行かなくていい」という家庭の女子短大に進んだが(当時はまだそんな価値観があった)大半の同級生は4大を目指し、厳しい競争をなんとか勝ち抜いて有名大学生切符を手に入れた。

そうやって勝ち抜いて勝ち抜いて手に入れた有名大学生肩書なのに、それが就活の段になって全くの紙屑になった。

増田が書いていたように電話帳くらいの厚みがある(あ、今の人に電話帳と言ってもわからいか資料請求ハガキ綴込みのリクルート本が家に届いて、ひたすら手書き資料請求。300社くらい出したっけ。それくらい普通だった。

そして女子というだけで資料すら送ってこない会社多数。

インターネットがまだ普及していない時代資料を送ってこない会社はそれ以上コンタクトが取れず、その時点で門前払いなのだ

会社説明会は電話申し込み。コンサートチケットを取るが如く、電話をかけまくる。携帯電話などまだない。家の固定電話だ。

やっと繋がっても「申し訳ありませんが定員になりました」と断られること多数。

面接の段になっても、健康診断まで受けて絶対内定確定、と就職課に言われた最終面接で落とされた会社もある。曰く「諸般の事情女子は今年は採用しないことにしました」だと!だったら最初から取るんじゃねーよ!

結局大卒がやらないような職種会社しかからなかったが、鶏口牛後を目指そうと気持ちを切り替えて働いた。正社員採用されただけまだ恵まれていた。

数年頑張り会社内でも評価され、幹部候補生選抜され高度な研修も受けさせてもらえた矢先。

会社倒産した。

今の会社には見るに見かねた親戚のツテで入れてもらった。そういう裏ワザがないとまともな転職先すらなかった。前の会社の同僚はほとんど連絡が取れなくなった。

大学の同期で働き続けている女子ほとんどいない。

私よりはるかに優秀だった子達もいたけど、結婚を機にみんな仕事を辞めた。辞めたというより「辞めざるを得なくなった」。寿退社暗黙の了解だった会社がまだまだ多かったのだ。女子社員結婚とか妊娠とかは、会社側にとって体のいい「辞めてもらう理由」でしかなかった。

仕事を続けたければ、結婚はできなかった。

私は仕事を続けたかったので、結婚は諦めた。

幸い自分1人食わせられるだけの稼ぎはあるし、同じような独身女性が多く、それなりに人生楽しんでいる。氷河期だし人数多いしろくでもない世代に産まれちまったが、それも運命と諦めている。

メイルゲーム遊演体・ホビーデータ)の資料処分

実家解体につき置いていた荷物引き上げなければならないのだが、自分ワンルームに置く場所なんかないため思い出の品の断捨離中。

しかし、青春時代にハマっていたメイルゲーム関係雑誌リアクション集をただ捨てるのは抵抗がある。

どこかでデータ公開されていたら安心して捨てられるし、そうでなくても収集したりデータ化している人がいるなら送りたいのだが誰か知らないだろうか。

自動車メーカーでのIT土方の思い出1

親会社が某自動車メーカー元請けに入っており

様々な開発案件を巻き取っては、うち含む下請けに撒いているのだが

現場に入ってみたところ、上から下までブラック案件だった。

 

自動車メーカー担当者A

  • 顔合わせ時のAの挨拶が「私は他のプロパーのように優しくありませんよ!」「質問には一度しか答えません!」だった。

 今思えばこの時点で次の職場を探しておくべきだった。

 

 作業者の経験値も考えず、10人いたら10人分の作業をギチギチに詰め込んでくるタイプ

 よその部署からの問い合わせを複数投げ込んでおいて、作業が遅延したら

 「問い合わせ対応資料を作って、それを相手に渡せば済むようにしておけばいいじゃないですか!それを怠ったそちらの原因でしょう!」とのこと。

 

 状況の把握・原因の特定解決策を全て揃え、自分YESかNOで回答できる状態でないと応対しない、ということらしい。

 このため、リーダー層はAからの指摘や問い合わせを現場に丸投げするようになり

 新規メンバもAの洗礼を受けると、それ以降は報告を避けるようになった。

 結果「Aさんの問い合わせ対応」が辛うじて可能な一部のメンバー負担が集中することになり

 報告内容を作るだけで定時が終わることもしばしばだった。

 

 「あなたの同僚は使えないから、ここから外すよう上司に言ってください」等の要求もあった。

 元請けもAに関わりたくないので「作業依頼はうちを通してくれってお願いしてるんだけどねぇ(笑)」と黙認していた。

 

 スケジュールは調整してくれないので、進捗が悪いとき終電を盾に頭を下げるほかない。

 「他の下請けだったら連徹だろうがやってくれるのに」とAに吐き捨てられてようやく帰宅許可が出る。

 当然毎月残業80時間オーバーが続いた。

 

 巻き取った当初はスクショ資料を作る必要はなかったが、どんどん作成要求エスカレートしていき

 ソースを直してソフトビルドする、という一連の作業エクセル資料20個弱作るのがデフォルトになった。

 作業時間も三倍弱に増えた。  

 ひどい物になると自分の指示ミスに対して「それくらい現場ピックアップできるでしょう!以後は毎回私の指示が間違っていないか資料を作って確認しなさい!」と逆ギレされたこともある。

 

 「資料の内容がわかりづらい」「今後はこの確認も追加しろ」「資料作成時間がかかりすぎるから短縮する方法を考えろ」

 などの資料に対する指摘が大半で、自分から具体的な修正方針絶対に示さないので

 Aの指摘意図を推量して直しては、指摘件数が増えて戻ってくるの繰り返しだった。

 最終的にAの指摘件数は数年で1000件を超えていた。

 

  • 指摘件数が減らないことにキレたAは

 「今後の私の指摘には必ず再発防止策を併記し、すべてのエクセル資料にも適用しろ」と言い出した。

 当然、指摘の修正難易度工数が激増し、現場は指摘対応をほぼ放棄するようになった。

 

続く

https://anond.hatelabo.jp/20230622011949

2023-06-20

ただただ次の行き先を探すしかない人の愚痴

昨年、"実質的に" 勤務先が倒産した。

厳密には勤務先そのもの倒産とは違うんだけど、世間にはそう思われてる。

倒産回避策として会社として仕事を回せるかより確実に人件費を削るという人数の希望退職という名のリストラをしたにも関わらず。

その人たちの退職日を待たずに裁判所送りが確定になりという話。

またそのリストラ対象を、まだ会社に残って牽引役をすべき年代もひっかけたのに。

私自身も40にもなってないのにリストラと戦うことになり、仕事を一緒に駆け抜けた仲間がいなくなった挙句の実質倒産はなかなかに酷い経験


そんな会社じゃ、リストラでなくても、優秀な人や若い人といった、行き先を確保しやすい人からどんどん辞めていく。

リストラ対象になったけど、その退職日時点で辞めると無職確定になるからと残ったのに、後で行き先が見つかるとサクッと辞めたとか、若い人でもリストラで辞める人の引き継ぎ候補者に選んだはずが、退職を盾に断られる、引き継ぎ完了したところで退職願を出されるなど無茶苦茶だった。


そんな勤務先が舌の根も乾かないうちにまた希望退職募集リストラを言い出した。

今度は対象年齢は世間一般によく言われる年齢となり、私は対象にならない。

ただ、これ以外にも全年齢対象配置転換や出向もありうるとされている。

会社の状況も状況だし、過去に異動した先が合わずストレスで体壊してるし、明らかに無理な異動を言われたら早急に辞めることも考えるしかいかなと思っていた。


そして、その結果がほぼ出揃った。

私自身の変な異動は無さそう。

しかし、はっきり言って今回も、欠けると困る人が居なくなる。

特に困るのが、私と共に仕事してた人が、その人の条件では今回辞めることが退職金をもらえる金額が最大になるとの予想が立ち、応募して認定されてしまたこと。

社内でも将来に向けた技術開発的な仕事を以前から一緒にしてた。最近は他の仕事優先でできてない部分もあったが、これからそれが花開く?という案件も出てきたから、その際にリーダーやってもらいたかった。

逆に私がリーダーになるとしても相談役としては残ってもらいたかった。

そんな人がいなくなってしまう。そして、社内には私しかその仕事をやったことがある人は残らない。


他にもその関連でお世話になった人たちに、それ以外でも一部で志を共にしたり、仲間として課題に立ち向かっていった人たちの退職や異動、派遣で来てもらってる人の契約満了による派遣終了が出ており、今関わってるほぼ全ての仕事において、相当の範囲関係者シャッフルされることになる。


そして個人的に今年、かなりキツいのは、先のように部署を超えて共に仕事をしていたので、何かと雑談して情報交換のできる相手となってた人が、申し合わせたかのように職場を去ることが決まったこと。

一生懸命仕事をしてるうちに構築された、お互いに他部署との接点だったり、情報網として機能きてた人が居なくなる。

本当はよその部署仕事する時はそれなりのルートでやらないとトラブルの元になるが、正式ルートで話を通しやすくするための"事前相談"という根回しも今後はかなりできる範囲が狭くなる。

情報入手経路もかなり絞られる。


そして再び目の前の仕事に目をやれば、人手不足残業し、職場物理的に半日(12時間)居るのも、もはや当たり前になりつつある。

残業を減らすための改善やるよりも、目の前の仕事片付けろになりつつある。

はっきり言って悪い循環に突入してることなんかわかってる。

でもやらなきゃもっと面倒なことになる。できる量は決まってる。

しろ残業で疲れて効率が落ちてるから、同じ時間でこなせる量が減ってきてるとすら言える。

から先に締め切りが来ることを優先する他ない。

新しい人の補充? 無いだろうね。

新しい仕事? 担当増やされるだけで、すでに180%運行で辛い思いしてるのに、250%や300%を求められるだけだね。

ろくに給料が上がるわけでもないのに。


未来は明るくないことはハッキリしてる。

最近仕事資料を見ると吐き気を催したりとても疲れた感じを覚える。


何がなんだろうと次の行き先を探す他ない。

今のままでは、どのみち、"詰み"だ。

体壊して休職に追い込まれるかもしれないし、また存続を疑うような年齢を対象としたリストラをされるかもしれないし、しばらく残れたとしても45過ぎれば何かあればリストラと戦うことになる。

その時までに売りになるスキルが今の延長を続けた時についているか? 大変怪しいと言わざるを得ない。

早く、退職エントリーかけるように頑張らねばならない。

さりとて、今の会社から逃げ出すに値する行き先はそう簡単には見つかるはずもなく。

ただただ悲しきこの現状。

anond:20230113140217

なかなかファンタジー含蓄のある見識ですね。

当時はテキトーファンタジー資料からポンポン名前とるのが普通だったんじゃない?

個人的にはシーライオンプランクタイのセットが好き。(ドールの湖で出現)

氷河期なんていわれた世代だよ

山一證券内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶ちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。

山一廃業ニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。

10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。

内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから不況からね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっと公務員試験教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。

当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。

まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビそれから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京流行っているファッションアイテム地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。

就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さなものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキ資料請求

そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業ハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知ほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。

パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミ卒論手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書き履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。

ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。

しかしながら増田の周りの女子大生特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員結婚理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。

男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかたから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。

氷河期世代理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。

もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。

結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。

内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業アルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。

アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。

増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。

数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。

だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。

転職しようと就職支援会社に行くと「年齢とキャリアミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcel履歴書ダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。

無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村ニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況煽りを受けて職場倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。

それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分健康保険国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。

増田には今、大学同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNS積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。

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