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はてなキーワード: 入院とは

2023-12-12

弱しゃあっ!男性の特徴

親父が毒親呪縛から少しだけ開放された

親父は毒親に育てられ、兄と大きく差をつけて扱われた弟だった

親父の父(以下父)は有名企業役員で裕福な家庭であり、その中で親父の兄(以下兄)は家父長制的な考えから優遇され、高価なものを買い与えられ、暴力行為不法行為咎められず、可愛がられて育てられたようだ

一方、親父(以下弟)は学用品バイトしないと揃わず、兄に暴力を振るわれても助けてもらえず、親父の母(以下母)から直接「[兄]は好きだがお前は嫌い」と言われたそうだ

推測だが、いつも差をつけられて不貞腐れている弟より、何でも思い通りにしてもらえて親に反抗する理由のない兄のほうが可愛く思えたのではないかと思う

兄は当然のごとく性格破綻し、成人後は無駄プライドの高いニートとなって実家寄生

近場に一人暮らしして、金が無くなった時だけ無心しに来る状態

弟の方は子供時代経験から親の愛情に飢えており、なんとか愛してもらおうと成人してから甲斐甲斐しく父母へ奉仕するようになった

出かける際の送迎

実家に通って掃除

別荘や墓の手入れ

入院時は手続きをやり毎日まれものを届ける

このようなことを無償で、かかった金は自腹でやっていた

結婚したら妻にも奉仕を手伝わせた

子供(私)ができたら、子供祖父母に嫌われそうなことをするたび神経質に叱った

大きくなるにつれて子供にも奉仕を手伝わせるようになった

それが長く続いたあと、定年した父が兄への援助を止めて、困窮した兄が父の貯金勝手に持ち出すという事件が起きた

父母は年金があるものの、稼ぎの割に老後の貯蓄がほとんど残っておらず、使い潰されたら困るため弟に助けを求めた

そして弟は裁判で取り返すことにしたのだが、持ち出された金品を調べる過程で長いこと父母に嘘をつかれていたと気がついた

父母は兄への援助を弟に話しておらず、むしろ兄はもう自立していると嘘を言っていた

弟も援助には気がついていたが、まさか生活全てを賄うほどだと思っていなかった

また、父母は過去借金して別荘なども売り払うほど困窮した時期があり、その理由を弟には「株の失敗」と説明して返済を手伝わせたが、実際は兄が散財して作った借金を肩代わりしていた

父母は極めて利己的で自分の見栄や利益を優先し平気で嘘をつく人たちなので、都合のいい奴隷が愛想を尽かして離れないよう欺いていたのである

それでも弟は、生活が脅かされている今なら父母が兄を嫌いになって自分が愛されると思って張り切った

残った貯蓄の持ち出しを防ぐため兄を実家へ入れないよう言い、裁判するにあたって兄と連絡も取らないよう頼んだ

ところが裁判の準備を進めていた年末に兄が実家へ来ていたと判明した

裁判計画を中止して欲しい兄がなんとかなあなあにするため年末挨拶にかこつけて訪問し、兄が可愛くて仕方ない父母は出前寿司を取って歓待

みんなで酒盛りして弟の悪口を言い合ってたそうだ

挨拶に来ていた父の部下だった人が密告してくれた

結局のところ父母が弟にして欲しかたことは金銭援助であり、兄との裁判などしたくないが、すでに老齢で介助が必要になってきており金銭的にも不安な状況で奴隷が逃げると困るから止めることもできなかったということらしい

ここまできてついに弟こと親父は自分が愛されることなど一生ないと気がついた

見栄っ張りの親父が私に「愛されたくて頑張ってたんだと思う」「無理だって分かった」と消沈しながら急に自分語りを始めたから相当なショックだったのだろう

子供の頃から奉仕理由に気がついてたし、祖父母性格的に兄より弟が上になることは絶対ないと知ってた』とはさすがに言えなかった

奴隷奉仕ライフワークなので続けるようだが、自腹をやめて経費請求するつもりだそうだ

2023-12-10

妊活から出産退院ぐらいについて書いてみる

妊活してた時のこと

精子検査受けたら、精子の量は多いが、活動的精子めっちゃ少ないって結果が出て、後輩から「質より量のタイプなんすね」って言われた笑。

仕事大変すぎてストレスフルな生活してたが、仕事辞めた途端に妊娠した。自分の中ではストレスが原因で不妊だったんじゃないかなと思ってる。(まぁ原因は結局よくわからんが)

・僕は子ども妊娠したら産めばいいし、妊娠しなかったらしょうがないってスタンスではあった。が、妻とはスタンスの違いでもめた。

・当時、不妊治療自由診療だったから、結構治療費が高くて躊躇はした面はある。保険が効くようになったのはいいことだと思った。不妊治療をやってる有名なクリニック(東京木場にある木場クリニックってとこ)に過渡期の時に行ったら保険適用診療を凄い推されて、不信感が出た。あと「時間ないよ」ってめっちゃ脅されたし、金儲けしたいだけやんけ!って普通に思ったよね。

・結局タイミング法で自然妊娠たから、不妊治療はしなかった。初めて病院行ってから1年くらいで妊娠したんだったと思う。

・僕が長風呂をしていると「お風呂長すぎ、お湯って精子に悪いんだよ」って風呂突撃された時は、妻…まじかよ…ってなった。ちなみに長風呂精子に悪いか確認は出来てないっぽい。迷信だと僕は思ってる(お風呂トイレけがひとり時間満喫できる唯一の場所だったのに剥奪された時は悲しかった。)

退職前の有給消化期間に妊娠発覚して、育休取ってから辞めればよかったなぁと思ったけど、まぁたぶん仕事辞めてなかったら妊娠してなかったと思う。

妊娠中の時のこと

・妻はつわり結構重かったぽい。1日2回くらいは吐いてた。

妊娠2ヶ月目くらいかつわり始まってたのだが、安定期に入ってないから、周りには言えないしって困ってた。安定期入るまで周りに報告しないって慣習、あれもう古くね?

・なので、妊娠中は家事基本的に全部僕がやるって決まりにした。

・あと妊娠期間+出産後1ヶ月は、妻に月9万円を支給するって制度にした。金額代理母出産費用ベースに算出した。

代理母出産報酬って200万~400万くらいらしいから、まぁいったん200万で考えると月20万になる。で、家事は全部僕がやるってことにしたから、家事代行サービスの料金考えて、結果差し引き月10万円になった感じ。あと、たまにマッサージもやるってのも組み込んで、1万くらいは値引き交渉して月9万になった。(今思うと、払いすぎたんじゃないか?って思ってる)

・重度のつわりだったから、妻は仕事を休業して、傷病手当をもらう感じにしてた。産婦人科診療証とかが必要になるらしい。

妊娠中の内、7ヶ月間くらい僕がDIYで泊まり込みで団地のリノベしてて、1週間の内で4日くらい家を空けることが多かったんだが、食べ物は作り置き、掃除洗濯は帰ってきた時に纏めてやる、とかで対応したが、妊娠中で一人の時間が多いと大変だったろうと思うし、妻に感謝

エコー写真は2か月くらいはシルエットがわかるからちょっと楽しいけど、4カ月くらいになったら何が何だかわからんから、貰ってもいらないねってなった。

・7か月目くらいで男の子って発覚した。

お腹がかなり大きくなった頃は、腰?が辛くなったらしく、骨盤支持ベルト買ってた。

・寝る時は、完全な仰向けはキツイらしくて、人を駄目にするソファを使って座りながら寝てた。

名前は、1か月前くらいから考え始めて、最初に1時間くらいブレストで30個くらい候補出して、生まれる1週間前までに個々人で必要であれば追加して、1週間前に第一候補を決定して、生まれる当日までに異論があれば言い合うって事にした。結論で言うと、最初いいねってなった名前になった。

名前の画数とかは調べもしなかった。画数は複数名前候補があった時に使うって話をしたが、結局同率一位は出なかったので、使わなかった。

・画数は流派があるらしく、流派によって吉になったり凶になったりするらしい。意味ないじゃんwww

破水から出産退院のこと

破水おしるしか、見分けつかなかった。文字情報だけだとわからん

・かと言って、動画にできるかというと、微妙かもしれない。(BANとかされそうだし)

破水ってもっとバシャーってなるものだと思ってたわ。パンツに染み出来たレベルでも破水になるのね。結局破水だった。

・5/25が出産日だったんだけど、5/28電気工事士筆記試験日で、ひとり時間が増えてちょうど良かった。妻が入院してると自分時間が増えるから束の間の楽しみだった。

藤沢大庭吉田クリニックってところで出産したのだけど、無痛分娩の予定だったのだけど、麻酔担当の人が休みになる木曜日麻酔が行えない。

水曜日破水たから、麻酔促進剤を入れて、麻酔もしたのだけど、生まれる気配がないから、無痛分娩は諦めなきゃいけなくなった。ただ、麻酔は打ってるから無痛分娩費用の15万円は支払う必要があった。結局、普通分娩で産んだから15万円無駄になった。

・そして麻酔のために背中に針入れて、そこから麻酔剤を入れるらしいんだけど、麻酔は無理ってなった後も針は背中に入れたままにされて、出産後まで放置されたらしい。

・で、結果「脳脊髄液漏出症」って奴になって、妻が2週間くらいは激しい頭痛に苦しまされてた。

麻酔担当の人に、無痛分娩はしない方針となった後も針は入れっぱなしにするのが普通なのか?って聞いたら、それが普通だって言われた。にわかには信じがたいが…。不信感でた。

・で、頭痛が酷いため、処方された薬が「安息香酸ナトリウムカフェイン所謂アンナカってやつ)」なんだけど、保険適用外って言われた。一応入院中にも母乳をあげてるの状態なんだけどカフェインを処方することについて、ちょっとした説明ぐらいはして欲しかった。後からカフェイン…だと…?って薬局で気づいたのだけど、後々吉田クリニックに確認して授乳しても問題ない旨、説明はしてもらった。

薬局処方箋を貰いに行くと、まずアンナカは処方する基準が厳しいのか門前払いを2件くらい食らった後、3件目は引き下がるわけにはいけないって思い、色々事情説明すると、処方してもらえることになったが、薬剤師の方すら、「医療過誤かもしれないのに保険適用外?」「授乳についての注意点とか聞いてないのか?」とか色々不信感もあるっぽくて、一応吉田クリニックに電話して、諸々確認はしてもらった。ただ、あんまり納得できる回答はなかったっぽい。

保険適用外については確認したら、ワタワタし始めたが、まぁ入院期間は吉田クリニックにずっといなきゃいけないのは、妻だし、入院期間もあと3日間くらいあるし、騒ぎ立てるのも良くないってことで、追及はしなかった。

・なんていうか、あれだわ。出産に関して保険適用外なのが、諸悪の根源だと思う。制度変えてほしいなぁ。切実に願ってる。

2023-12-09

anond:20231209232758

夏目漱石が胃病で入院中に温熱療法で腹部に乗せられたコンニャクをつい食べてしまったの、あれも依存性だったのかな🤔

anond:20231209224233

田代まさしを思い出せ。

一度、依存症になった者は死ぬまで治らない。

お前はもう過食症自分意思で止めることはできない。

どうせ入院したところで、看護師の目を盗んで買い食いするタイプだ。

あきらめろ。

2023-12-08

難病患者ライフプラン

私は難病患者ですが、マッチングアプリ恋人を見つけました。結婚も考えてくれています

避けては通れない結婚出産話題で、わたしが思うことを書きます

まず前提として、SLE患者だけでなく難病患者恋愛はかなり難しいものだと言えます

わたし自身マッチングアプリ使用している際に、病気であることを告げるとフェードアウトする男性ほとんどでした。

中には、「一緒に支える」と言ってくださる方もいらっしゃいましたが、それでもほんの少数派なのは確かです。

からといって、それが結婚を諦める理由にはなりません。

実際問題、介助者がいない状態での難病患者の1人暮らしは、不安が付きまといます

体調を崩した場合も、家のことや入院する場合手続き等、すべて自分でおこなわなくてはいけません。

両親もいつまでも元気ではありません。そんな時、近くで支えてくれる誰かがいるのといないのでは、全く心の持ちようが違うと思います

わたしは幾度と入院退院を繰り返して、1人で生きていくことの大変さを思い知りました。

人は、1人では生きていけない。

から結婚するためにマッチングアプリ使用し、恋人を見つけたのです。

もちろん、結婚がすべてではありませんし、1人で生きていけるほどの強い方がいるのも理解しています

ここではあえて「結婚したいけどどうせできない」と諦めている方にお伝えしたくて書いています

寝たきりの方でも、全盲の方でも、結婚している方はいらっしゃいます

SLE患者でも、結婚している方はたくさんいらっしゃいます

から難病からといって、結婚できないわけではないと思うのです。

諦めずに自分に合う恋人を探し続けることで、人生の伴侶がきっと現れると思います

anond:20231208075820

うそう!統合失調症って自分世界を動かしてるって思っちゃうんだよね

俺の場合は、全宇宙の神が俺の中に入ってきて、空を飛ぶことによって神の力をみんなに示せば平和世界になるって思っちゃった

からあらゆる荷物を投げ捨て、最後に俺は窓から飛んだ!

幸い2階だったので打撲で済んだけど、通報されて入院になった(精神のね)

大事

6年同棲しとった女が十数年ぶりに夢に出てきた

追記

ブクマですげー怒られててこわい。

もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。

あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。 

【再追記

なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw

どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミック最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨなっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国台湾アート市場に凄い可能性を感じてるんで。

特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展企画開催したり画集出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。

【再々追記

いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。

ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがいか

でも中学ときからたびたび女のイジメグループターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団絶対現実存在するとだけは強く言っておきたい。

 

hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想華僑的な 増田 男女

俺の家系一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本一般家庭とはたしかに違うかもね。

take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春

そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画全然わからん喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。

moeshine 元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が

俺が中退してすぐ後にmixi元彼女日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョ彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいか幸せだと思うよ。

mirakukira 韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ

こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。

あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。

 

 

 

 

ので色々思い出したので独り言

 

大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。

 

マジで

「なにこれ?」

と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパート暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。

俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら

気持ち悪い」

とか言って一蹴される始末。

 

それ以来、女の

気持ち悪い」

発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草ホントマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎感情的ストレス耐性低い奴ホント無理。

 

俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザ後遺症気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。

その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初ガリガリ小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないか心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆どさないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。

付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。

 

ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。

 

で、その件以降同学年の女子殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。

 

「これ夫婦みたいやね」

 

って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。

ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。

 

でも、休日意味もなく近所の住宅街公園徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯写真撮りながら通りかかった喫茶店飲食店写真披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアック洋楽アルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間立ち読みしたり。

ある年にいとこがクリスマス新年彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。

 

家事一般は、いとこが同居中に2回喘息入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗い苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。

その後コーヒーメーカー炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。

んで年明けてからリサイクルショップナショナルの古いレンジビクターテレビデオとメーカー不明コタツ買って、ナショナルレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。

 

長いようで短い6年間、あのときはほんとに楽しかったな。

 

 

忘れもしない、草なぎ剛泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。

 

んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNS確認出来る。

 

一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。

後悔してもしょうがないけど。

2023-12-07

anond:20231205084658

「俺の大学アルコールテストあったんですけど、急性なりやすいって診断出て~」

将来パワハラありそうな就職が想定される法政大学はあったよ

大勢の前で急性アルコール中毒になりやすい体質だって宣言して、飲まされて本当にぶっ倒れたら、自己責任にはそうそうされないから。

追記

ごめんうちの大学特殊(死亡者出して大学が超神経質化)みたい

https://www.j-cast.com/2011/08/09103806.html?p=all

http://peernet.i.hosei.ac.jp/lstation/news/b4staff_1011/

一回運ばれたことあって、その時に検査で知ったんですけど とかいえばいいんじゃないかな

道で吐きまくって、友達善意救急車呼んで、よくわからんまま一泊入院記憶なし)とかは、寝て起きるだけで作り話としても簡単だし

かんぽ地味に役立ったわ

うつ精神科に2ケ月入院

大部屋

20マンくらいかかったけど、ほぼ全額かんぽでかえってきた

入ってくれてた親には感謝しかない

個人的に入ってた(新卒入社時に銀行口座と一緒に抱き合わせで入らされた)医療保険アフラックゆるさねえ

役に立たねえから今回の入院なんかより5年以上前にやめちゃってたんだよな

かけすてだったから10万以上無駄にしたのにくらべたら まじでよかったわ

あとでけえ病院入院大をATMみたいなやつで支払えて、かつ、クレカ払いできたからマジ神だったわ

病院クレカ払いできるってやばすぎるだろ

そこらの近場の個人病院とかだと絶対無理だわ

2023-12-06

妹のクリスマスプレゼントはいつも自分よりも高いものだった

きれいな洋服と、なぜそれを選んだかよくわからない児童文学

そんな感じ。

とはいえ無料で育ててもらっておいて文句を言う筋合いじゃない、と思っているので、そのこと自体文句を言う気は無かった。

ただ、クリスマスプレゼントのすぐ後にもらうお年玉自分の方が少し多くなるのが、どうにも納得いかなかった。

 

クリスマスプレゼントは親からしかもらわないが、お年玉はいろいろな親戚からもらう。

皆、自分に妹よりも多くの額をくれる。

にもかかわらず両親だけが増田に妹よりも少ない金額をあげている、ということをどこかで誰かに知られたら体裁が悪い、と、両親はそう思ったのではないだろうか。

から世間体を考えて、仕方なく増田により多いお年玉をくれたのではないか

結局のところ、増田を育てていること自体世間体のためなのではないのか。

安いプレゼントと多いお年玉をもらうたびに、そう思ってきた。

お年玉プレゼントと同じように妹の十分の一であれば、自分は妹の十分の一は愛されているんだな、と思えたかもしれないのに、

少し多いお年玉をもらうたびに、この額は自分以外の人のために支払われているのではないか、と感じた。

 

楽しくないことは自然に忘れられる質なので、そんなことがあったのもすっかり忘れていたのだけど、がんで入院した親の看病で病院に泊まった夜、突然そんな子供の頃のことを思い出した。

anond:20231206213544

アメリカのように入院したら至れり尽くせりだけど退院して請求額で青ざめるって方が効くかも

こんな署名あった

Change.org



東京都人権部は、歴史的事実を扱う作品への検閲を、二度と繰り返さないでください。在日コリアンへの差別という重大な問題を起こしたこと謝罪し、公開を中止した作品の上映を行ってください!

10,192人が東京都によるレイシズム検閲に 反対する有志一同さんのキャンペーン賛同しました。目標賛同数15,000を一緒に目指しましょう!

ワンクリック賛同

2022年8月30日から11月30日まで、東京都指定管理施設である東京都人権プラザ公益財団法人東京都人権啓発センター)の主催事業として、アーティスト飯山由貴の企画展あなたの本当の家を探しにいく」が開催されています

同展では、附帯事業として、飯山映像作品《In-Mates》(2021年制作)の上映が予定されていました。しかし、作品内で扱われる関東大震災時の朝鮮人等の虐殺事件歴史的事実とすることへの懸念などを理由として、東京都総務局人権職員たちにより、上映が禁止されました。

《In-Mates》は、国際交流基金主催展覧会に際して制作された映像作品です。戦前期の精神病院入院していた朝鮮人患者らの診療記録からラッパー詩人のFUNIによる詩とパフォーマンスを通して、彼らの心の葛藤を表します。朝鮮人患者たちにとって、当時の東京がどのような場所であったのかを観客に想像してもらうため、作中では関東大震災時の朝鮮人等の虐殺事件が扱われます

《In-Mates》の上映を懸念する旨を記した人権職員メールには、《In-Mates》作中で歴史学者が「日本人朝鮮人を殺したのは事実」と発言しているシーンに対して、「関東大震災での朝鮮人虐殺について、インタビュー内で「日本人朝鮮人を殺したのは事実」と言っています。これに対して都ではこの歴史認識について言及をしていません」と書かれていました。

また、小池百合子都知事が、毎年9月1日に東京都墨田区都立横網町公園で開かれている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文の送付を、今年も送らなかったという内容の朝日新聞記事を参照したうえで、「都知事がこうした立場をとっているにも関わらず、朝鮮人虐殺を「事実」と発言する動画使用する事に懸念があります」とも明記されていました。くわえて他にも、在日コリアン在日韓国人在日朝鮮人)の権利毀損する内容が記されていました。

これは明らかに都知事への忖度であり、東京都人権部による《In-Mates》上映禁止判断は、都政による在日コリアン在日韓国人在日朝鮮人)へのレイシズム民族差別に他なりません。「人権尊重される社会を実現する」ことを掲げているはずの東京都人権部による差別検閲は、決してあってはならないことです。

二度とこのようなことが繰り返されないよう、強く抗議するとともに、以下の内容を要望します。

小池百合子都知事は、これまでの自らの行動が行政職員による偏見差別行為の煽動となっていることを自覚し、本事件が発生するに至った経緯をあらためて調査し、公に説明してください。また、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文の送付を再開してください。

東京都総務局人権職員らは、憲法第21条2項に定められた検閲禁止とともに、15条に規定された「全体の奉仕者であることに真摯に向き合い、都知事への忖度による《In-Mates》への検閲が、歴史修正在日コリアンへの差別正当化であると認め、差別扇動しうる行いを謝罪してください。

また、東京都人権啓発センター主催事業の展示や附帯事業に対し、企画主旨や展示作品の内容、作家性、作品関係する共同体を最大限尊重することを約束してください。東京都人権啓発センター専門職員が有する人権教育の啓発と普及における専門性尊重し、これを歪めるような越権行為を二度と行わないことを約束してください。

加えて、当初予定されていた、《In-Mates》の上映と出演者によるトークイベントを改めて実施することを求めます

みなさんの賛同の声を東京都総務局人権部および小池百合子都知事に届けます。また、東京都議会に請願陳情を行う計画です。この署名請願陳情の後押しともなります。多くの方にご賛同いただきますよう、お願い申し上げます

2023-12-05

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-12-04

ねこの歯よ

明日ネコチャンのデンタルケア

麻酔治療ってことがまず怖いし、12時間絶食になるから、夜中や朝方にごはん催促されても我慢させなきゃいけないマジで辛い

麻酔中の誤嚥防止のために耐えるしかない って頭でわかっててもまぁにゃーにゃー懸命に鳴かれたら辛いもんは辛い

歯石取りなら明日のうちに帰れるけど、抜歯なら一日入院らしい

明日の今頃、ネコチャンが家にいないかもと思うと本当に寂しくてしんどい

依存自覚はばっちりある

ネコチャン好きすぎるがゆえ

新幹線距離実家にも全然帰ってないし、なるべく家空けたくなくて誘い断ってたら友だちも減った

でもネコチャンが元気でいてくれるならその他すべてが些末だと心底思う

ネコチャンよ

ネコチャンの歯よ

適切な治療を施され、ネコチャンの健康を増進したまえ

2023-12-03

虚無

 自分パワハラをされていたと常に言っていたが別にしたことではなかったのかもしれない。乗り越えられなかっただけだ。

世の中にはもっとつらい思いをして働いている人もいるし、自分が受けたもの世間から見たら大したことではない。

労働内容も過重労働と言われるほどのものではないがサービス残業は当たり前の人を道具としてしか見ない会社絶望をしてしまっただけだ。

トラック誘導ミスして自分がぶつけたことにされた時、朝礼でその日行ってもいないのにトイレを流すこともできないのかと笑われた時

印刷したものデータと同じかどうかを確認する追い出し仕事をさせられた時、納期に間に合わせるための残業無駄呼ばわりしているのを聞いた時、

議事録をつける仕事パソコンを与えられず仕事もできないのかと怒られた時、何度も自分の昼飯だけわざと注文されていない時、耳元で用事もないのに大声を出されたりする程度だ。

数えればたくさんあるがこれくらいのことは社会に出ているならたくさんあるのだろう。

 中でも一番自分が辛かったことは退職届を出した後、3時間くらい常務にお前はできるやつだと思っているからまだ頑張れないか?と言われていた時だと思う。

自分は本当は期待されていてそれに応えられない情けない奴じゃないのかと帰り道の公園で何時間も泣いた。人生最悪の日だ。

普通に考えたら人手不足になるからなのだが、当時はそのようなことを考えることは出来なかった。

こういったことが段々エスカレートしていったのは、自分工場長残業代や有休をなかったことにしていることに対して上司に怒ってしまたからだと思うが、

これは社会人として間違っていても人間として間違っていたとは思わない。

しかし、触れなければいいのに変に正義感が強いせいで関わってしまい日々苦しんでいるので悪意に敏感なことは人生マイナスだと思う。

それから最終出勤まで食堂で飯を食べれなくなり近くの川で泣きながら弁当を食べるようになった。

会社を辞めるころには体重20キロ近く痩せ40キロになっていた。親は泣いていた。

最終日に営業部長に最後菓子折りを持って行ったが目の前で捨てられた。しかし、ここにはもう来なくていいんだと

ボーナスマイナスになって支給された作業服を駅に捨ててこれから明るい未来を描き出すぞと帰宅した。

 

しかし、実際は会社を辞めてからも楽にはなれず、就活も失敗し失業保険も貰わず引き籠ってしまった。

精神が弱ってるのに就活で出歩いていたら肺炎入院したりもした。

そこから数年は友人が心配して連れ出してくれる時だけが自分の心に色がついていて他の時の記憶感情の思い出が一切ない。

自分は何もできないやつということだけが残った。

 

自分は7年無職をしているがその間就職活動はまばらでありながらもしていた。

働きたいと常に思っているが、またパワハラされないか非常に恐れている。

合格するための企業研究面接練習などは常に行っている。

しかし、面接までたどり着くとこの求人票の内容は嘘なんじゃないか、またパワハラされるのではないか不安になり

ブラック企業ではありませんよね?という最悪の質問をしてしまう。これでは受かるはずもない。

そうすると不安になり、就職活動ができなくなる。このループだ。

精神科に行って治療をするべきなのは明白だが、自分は健常者だと思っているプライドが許さない。

そうすると時間が経ち、後戻りできない社会不適合者の誕生する。

まずはアルバイト派遣で働けというのもその通りだ。しかし、自分出遅れいるから早くまともな会社で働いて仕事の中でスキルアップをしたいと考えていた。

内向的社会不適合者は飲食倉庫業で働けというのも定説だろう。だが、回転率の高い職場では人間扱いされないんじゃないかと一歩が踏み出せない。

当たり前だが働いている人は偉い。自分は最下層の無職のくせに選り好みしかしないカスだ。

2年の経理と毛の生えた簿記知識だけでは雇ってくれる会社などない。

毎日求人を見ても将来ブラック企業の輪から逃れられないんじゃないか絶望している。

自分は周回遅れだからその分給料は低くてかまわない。

年下の上司だって不満はない。しかし、人間扱いはしてほしい。

ただそれだけのことが難しい。自分能力不足だと思ってしまう。

朝起きるとブラック企業で働かされる夢を見て考えてしまう。

動画配信なども心の底から楽しめず、ゲームをやろうとも思えない。

布団に入れば過去自分の情けなさに泣いてしまうし、食欲不振で胃になにも入っていないのに嘔吐のモーションが出てしまう。

落選封筒が届いたときに親が悲しそうな顔をするのは耐えられない。

死んだら悲しんでくれるだろうと思うと自殺もできない。

またブラック企業に入ったら自分が耐えられない。

自分言い訳で逃げるだけの卑怯者だ。

 

自分性格は、いわゆる真面目で責任感が強くプライドだけは高いタイプだ。

他責思考になれれば楽だと思うが自分自責思考になってしまう。

逃げる度胸もないか自分が行き詰ってからしか気づけない。

自分他人に優しいのは、自分に優しくしてほしいだけの自己満足しかない。

表面上は人には優しく真面目だから、こんなにいい人なのにと言われるが一番社会通用しないタイプである

男に大事なのは中途半端能力より根拠のない自信や細かいことを気にしない勢い、失敗を恐れない強さだと思う。

自分は男社会必要とされる気持ちがが欠落しており、よくできた弱者男性だなと泣きたくなる。

これを持たないで一度レールを外れてしまったら、もはや復帰不可能空虚に生きるか死ぬしかないと考えてしまう。

ひろゆきみたいに生活保護臆面もなく取ればいいって考えられたり、迷惑youtuberのようにインモラル行為で注目度を集めてアピールする度胸もない。

内向的プライドが高い真面目だけが取り柄の男らしさの欠片もない精神病のアラサー男に現代日本は辛すぎる。

全て逃げてきた自分が悪いから逃げ場もない。

ただ希望が欲しい。

2023-12-02

anond:20231202120817

マクドナルドが、募金とか寄付で長期入院の子供の家族が泊まれ施設を作ってますってやつやってるけどああいうやつ。

増田が興味なくて見てないだけだろうけど、企業社会貢献PRから実はサイトとかでめっちゃ見かけるよ。

2023-12-01

次回の検診で「まだ逆児っすね~」ってなったら帝王切開になってしまうんじゃ。腹かっさばくことが嫌なんじゃなくて、「せっかく産むんだから、どれだけ痛くてすごいのか味わってやるぜグヘヘ」って楽しみにしていたのに、それが出来なくなることが嫌なんじゃ。本当に「鼻からスイカ」なのか知りたいんじゃ。あと帝王切開になったら出産予定日より早く取り上げることになるから、色々と予定が狂うんじゃ。

胎動が変わったら直ってるかもよ~」って話だが、蹴られてるのか頭で押されてるのか分からんのじゃ。

外部から腹で色々やって直すやつもあると前回の検診で紹介されたが、逆児が直る率が半分くらいなんじゃ。ゲームにおける命中率70%で外しまくっているから、50%成功率は信用ならんのじゃ。しか入院必要だし金かかるしでやめたんじゃ。もう中身がひっくり返るか腹を切るかの二択だけなんじゃ。

あびゃ~

ま、なるようになるか。

妊娠したくない

もう二度と妊娠なんてしたくない。

もし妊娠してたら堕胎したい。

もう二度と子供産みたくない。

子宮全摘したい。

今すぐ閉経して。


でもパートナーがもう一人欲しがっている。

嫌だもう妊娠したくないなんであんなハンデ抱えたまま10ヶ月近く過ごさなきゃいけないのか意味わからん

やっと妊娠前の体重まで減ったのにここからまた体重増やせ食えって何だよ。今までの努力無駄じゃねぇかよ。

なんで自分の気に入ったデザインの服が着れなくなってマタニティウェア着なきゃいけないんだよ。

また妊婦になって明らかに見た目弱者になって頭のおかしい輩に突き飛ばされたり邪険にされるリスクを好きじゃなきゃ受け入れるわけないだろ。

産婦人科行って何時間も待たされて診察受ける時間もったいない

こちとら仕事してんだよ。有給減るじゃねーか。

暇な老人の暇つぶしでわざわざ病院行ってんじゃないんだよ。

無痛分娩選ぼうと思ったら都内ですら病院限られてるしそういうところはだいたい混んでる。

わざわざ役所に行って母子手帳貰いに行くのも面倒くさい。


つわりとか始まったらそれこそ地獄の始まり

妊娠糖尿病検査引っかかったらそこであなた楽しい楽しいマタニティライフ()さようなら

産後しばらくまで楽しみの一つのスイーツが食べられなくなる。最悪。

食事ごとに針刺して血糖値測って一喜一憂改善しないと入院中に6回も分食される。ブロイラーかよ。

無論血圧も上がりすぎてたら注意される。


さらコンボで切迫早産の診断されたら正産期まで病院で寝たきり点滴さされっぱなしでまるで足枷ついた囚人です。

その時点で職場には急遽産休。時期によってはろくに引き継ぎできないまま休むから職場に相当迷惑掛ける。これも最悪。

妊婦様呼ばわりされる一因よね。


勿論酒は飲めない。カフェイン制限される。生肉生魚食べれない。

重いものが持てない。子供がぐずっても抱っこできない。下の子はまだ甘えたがりなのに。


無痛分娩選択しても出産日大量に出血したりアクシデント起きたら速攻で緊急帝王切開になる。

帝王切開って本当きつい。術後の傷痕がずっと痛む。

自然分娩より帝切が楽だとほざく奴。今すぐ麻酔無しで割腹しろ


まれてくる子供も当然ガチャあり。

健常児が生まれれば良いけど知的とか発達だったらそこで自分人生も終了。

はい来世に期待できるかな。できません。


産後自分トイレも行くことすらできない状態母子同室だったら親が瀕死

子供が生まれてるのに母親が死にかけてる。

乳房は固く張ってクソ痛いのに新生児授乳が下手くそからなかなか飲んでくれない。

睡眠? そんなものありませんよ。我が子が可愛いなら睡眠いりませんよね?んなわけあるかボケ


少なくとも新生児の期間は3時間おきに授乳はいこれだと産後なかなか回復しませんね。

人類睡眠大事だと言いつつ睡眠できませんよ?御高説のたまうなら育児代われや。


第一ならいざしらず上に小さい子複数いたらあーもうめちゃくちゃだよ。

一人っ子にするのは可哀想から兄弟作ってあげたいのはわかるけど二人いたら十分でしょ。

三人以上いらない。

いらない。

いらない。

いらない。

からまれない子なんて不憫から頼むからこの世に生まれないでくれ。



まだ月のものが来ないから頭おかしくなっている。

パートナーには妊娠したくないって再三話しているけど説得できなかった。

こんなことなら隠れて避妊すればよかった。


科学はとっとと人口子宮の開発を急いでほしい。

2023-11-30

祖母施設に入ることになった。

大人になってから祖母と過ごした日々が楽しかたことを振り返りたくて書く。

はいい歳の孫だ。母方の祖母ふたり暮らしをしている。

事の詳細は省くが親がいわゆる毒親だった。色々あって20代の頃に実家を売って、祖母暮らし始めた。

世間的に見るとふしぎな組み合わせだけれど、人生の窮屈さを取り返すみたいに私たち幸せだった。

実家にいた頃は、ふたりともパスタばかり食べていた。お腹が膨らむしとにかく安い。冷凍白身魚フライもよく食べてた。

引っ越しからは、スモークサーモンを買ったり、少しだけ贅沢をした晩酌おつまみふたりで食べた。

いからと買いづらかった葉野菜も、果物だって好きな時に買った。初めてシャインマスカットを食べた時は感動したし、後日ふたりが同じタイミングで買ってきて二房のシャインマスカットが家にあることもあった。貴族食卓か…?と笑った話は、鉄板エピソードトークになった。

また祖母は味覚も胃袋もけっこう若い。私が嫌な事があった!と帰ってからくだを巻いてる日、可哀想に…ピザをとろうか?と言い出した日もあった。自分が食べたいだけだろうと笑ってしまった。歳のわりには随分食べた。

年金暮らし老人と薄給OLふたり生活だったけれど、今までの人生で味わったことがない豊かさがあった。

ひどい暮らしの時もいつもなんとかなると笑っていたけれど、ふたり暮らし始めてから祖母さらに穏やかだった。

私の話を誰にでもしてしまうのは恥ずかしかった。でも、きっとこの暮らし幸せでたまらなかったんだと今は思う。

身体にガタがきて、去年からたくさん入院してる祖母。筋力も内臓も何もかもが弱ってるのに、ポジティブさはそのままに今周囲にいる人達からも愛されている祖母

本当は私の時間いくら削ってもいいから、もう一度だけふたり、家での時間を過ごしたかった。でもそれは祖母にとっても不安で望ましくないことだ。介護だけでなく持病へのフォローは孫だけだと心許ないからだ。何より本人が自分のために孫が疲弊するのは見たくないと言っていた。

入院してる間に祖母が帰ってきたらと買ったマグカップもまだ直接見せられてない。ル・クルーゼの鍋がかわいいけど使うには重いね…と話した事があったから、マグカップを買った。

祖母が冬に着たらかわいいと買った刺繍つきのニットも、今年はたぶん着られずに終わる。

甘い飲み物が好きだから入院している間に無印の秋限定パンプキンラテも買ってあった。退院した時の楽しみにしておこうと思ってた。

たぶんもう少ししたら、このふたり人生ボーナスタイムを懐かしめる日が来るんだと思う。

帰ってこられない可能性の方が高いことも覚悟していた。でも割り切れなくて今はまだ寂しくて無念だ。本人には言えないけど。

祖母はどこででも愛される力のある人だ。ただ忍耐力がありすぎるせいで、我慢をしすぎてしまう。

からせめて、その我慢が短く済むような施設に縁があるようにと祈っている。

そして願わくば、このボーナスタイムと同じかそれ以上に幸せを感じられますように。私も祖母心配をかけない程度に、お気楽に生きられる人間になるからね。

anond:20231129185247

反対咬合なら保険適用されるから入院費用込みで70万くらいで矯正治療できるよ。口腔外科での手術があって大掛かりだけど、歯の悩みが多い人ほど矯正人生に与える効果は大きいから勧めたい。

2023-11-29

anond:20231129155341

30代後半です。昨年子宮筋腫が炎症を起こして40℃超えの高熱が出て入院抗生剤投与しても熱がなかなか下がらず、ズルズル3週間入院する羽目になりました。

2ヶ月後に再入院して子宮全摘。今に至ります

私の場合、再発のリスクがあることと再発した際にまた同じように炎症を起こす可能性があると言われ、全摘に踏み切りました。

炎症はごく稀な症例らしいですが、ご参考までに。

主治医にもよく聞いて、ご自分の体を一番に考えた選択をなさってくださいね

anond:20231129155341

40代後半で子宮全摘した。卵巣は残した。

自分には全摘した肉親や友人が複数いて、話を聞くと全員「取って良かった。もっと早く取れば良かった」と言う。

もちろん自分も「取って良かった」派だ。

しかし友人の中には「子宮を取ったら女じゃ無くなる気がする」と言って、ひどい出血多量で入院し、医者いくら手術を勧められても閉経するまで我慢してるのもいる。

がんじゃ無い場合子宮にどんな価値観を持っているかが手術の決め手かもね。

自分の手術の決定打になったのは友人の母上が65才過ぎても閉経してないと聞いたことだ。

増田と同様、自分10年くらい我慢すれば良いかなと考えてた。その前提が覆されて絶望した。絶望した勢いで手術した。

実は60代になった今でも排卵痛がある。

毎月では無いが、もし子宮があったら突然くるかもしれない出血に備える必要があったのかもと思うとぞっとする。

術後にホルモンバランス崩れてどうのこうのは無かったが、更年期障害には女性ホルモン補充療法があるので、なんとかなるだろうと楽観視してた。

手術のリスク若いほうが少ないだろうと判断した。

子宮存在するだけで手間も金もかかるし、色々辛い臓器だった。だから無くなってせいせいしたよ。

でもこれは、毎月のもの意味があるなんて考えたことも無い性格からじゃないかな。

anond:20231129143300

親戚に頼めないと、就職時の身元保証人も入院時の保証人も部屋借りるとき保証人もいなくて詰みかねない

保証人制度死んで欲しい

身寄りなし高齢者最期

療養型病棟というところでは身寄りなしの高齢者がそれなりに入院していて、誰にも見舞われず死んでいく。

同じ寝たきりでも、子供や孫がいる場合最期にはそういう人達が迎えに来て、それなりの葬儀社に引き取られていく。

生活保護+身寄りなしの場合はどうか。

市の委託先の専門の業者が来る。

はいどうも〜〜と現れて、霊安室に寝かされた遺体引越し荷物みたいに抱えて、寝台付きの特注軽ワゴン車に乗せて、病院を後にする。

私物衣服肌着、靴、タオル。あと歯ブラシとかの日用品。だからだいたいは置いていく。

たまにタンスの奥から若い時の写真とか出てくるけど、それを見ると心臓ギュッと掴まれたような気分になる。それを紙袋に入れて遺体に添える。わずかばかりの荷物と共にこの世に別れを告げる。

病院なので死亡退院事務処理が終わればそこで終わり。

(これが高齢者施設なら、施設法要したり何かしらをするのかもしれない)

こればっかりは、目の当たりにしないとわかんない感覚だと思うけど、それを見てしまうと、どうしようもないほどの孤独感が襲ってくる。

本能的に怖くなる。

自分を知っている人に、誰ひとり見送られずにこの世を去るというのは、こういうことなのかと。

実際に臨終を目の当たりにするのと、想像とはまったく違う。仕事でたくさんの人を看取ったが、目の前で起こる人の死というのは強烈なメッセージ性がある。

人間本能的に孤独に怯えるのだと思った。

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