はてなキーワード: 寺田とは
人気ボカロPであるNeruの楽曲「い〜やい〜やい〜や」のミュージックビデオがin the blue shirtの「Cluster A」に似ていると話題になったことに端を発する騒動の一連の流れ(11/21までの状況)
11/10 Neru、新曲「い〜やい〜やい〜や」をYouTube、ニコニコ動画に投稿(動画制作は寺田てら氏が担当)
https://www.youtube.com/watch?v=y8-6QPEes1k
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32246515
↓
投稿から数日後、ミュージックビデオがin the blue shirtの「Cluster A」に似ているという指摘が出始める
(色使い、演出、クラップのシーン、腕をぐるぐる回して踊るシーン、おばけ…etc)
https://www.youtube.com/watch?v=ytq5pGcM77w
↓
in the blue shirtことアリムラ氏の耳にもこの話が届く
アリムラ氏、Neruと寺田てら両氏に対し「リファレンスとして『Cluster A』を用いた事実はあるか」と問い合わせる
↓
Neru、寺田てら「お送りいただいた映像は初めて拝見いたしました。」
そのせいもあってかこの話が更に広まり、(主にニコニコ動画の)コメント欄が荒れ始める
↓
ニコニコ動画内で「in the blue shirt」「Cluster A」といった文言が含まれるコメントが消える
「Neruが自分達に都合の悪いコメントを消しているのでは」という疑惑まで浮上し、更にコメント欄が荒れる
(※誹謗中傷ではない、ただ類似性を指摘したコメントまでもが削除されている。「運営が消している」という声もあり)
(「Cluster A」のアニメーションを制作したかずお氏も11/15に私見をツイート)
http://arimuri.hatenablog.com/entry/2017/11/16/120604
https://twitter.com/kazuo/status/930848531186774016
↓
Neru、寺田てら両名は現在(11/21)まで本件に関して何も言及せず (両者ともtwitterは通常通り更新している)
一方、アリムラ「『Cluster A』に意見がある人はメールかDMで対応するから直接連絡してください」
また、Neruは2016年に発表した「脱法ロック」のミュージックビデオ(動画制作はりゅうせー氏)においても「AC部の作品に酷似している」とパクリ疑惑が浮上。
しかしその際も疑惑に対する言及は一切無し、ニコニコ動画内の指摘コメント封殺と今回と同様の対応をとっている。その他に楽曲、歌詞でも度々パクリ疑惑が浮上している人物でもある。
https://www.youtube.com/watch?v=u5mHVUwDf_0
AC部制作のgroup_inou「THERAPY」(2010年10月13日公開)
https://www.youtube.com/watch?v=ACEBZ-KmuQo
おまけ
Neru擁護派「Neruさんの新曲in the blue shirtsのCluster AにMVクソ似てるからパクリだって言ってる人達いるけどNeruさんこの前Cluster Aの動画ツイートしてたし寺田さんにこんな感じでお願いしたいって見本的な感じで見せたんじゃないかと思った。そしたら必然的に似るだろうしパクリというよりオマージュじゃね?」
https://twitter.com/seiran____/status/931790159665799168
この他にも「Neruが今年の夏頃に『Cluster A』の動画をツイートしていた」という声あり。具体的な証拠(スクショ等)は今のところなし。
・件
https://twitter.com/Arimuri/status/930498867472113664
・詳細
人気ボカロPのNeru、新曲「い〜やい〜やい〜や」YouTubeおよびニコニコに投稿
↓
ニコニコのコメント中心に、MVがin the blue shirtの「cluster A」に似てると指摘される
↓
アリムラ、Neruに問い合わせる
↓
Neru、「その映像ははじめてみた」と返答
アリムラ、「悪魔の証明だけどね」「これは覚悟ある批評だが、ダサいアニメーション」とツイート
↓
Neru、以前にも代表作「脱法ロック」にgroup_inouのMV(AC部作)パクリ疑惑浮上
↓
やめよう、パクり
寺々 てらでら
寺の下 てらのした
寺ノ下 てらのした
寺一 てらいち
寺下 てらした
寺世 てらよ
寺中 てらなか
寺主 じしゅ
寺久 てらく
寺久保 てらくぼ
寺井 てらい
寺井和 てらいわ
寺倉 てらくら
寺側 てらがわ、てらそば
寺僧 じそう
寺元 てらもと
寺光 てらみつ
寺内 てらうち
寺分 てらぶん
寺前 てらまえ
寺務 じむ
寺十 じつなし
寺升 てらます
寺南 てらみなみ
寺原 てらはら、てらばる
寺口 てらぐち
寺台 てらだい
寺号 じごう
寺司 てらじ
寺園 てらその
寺地 てらち
寺地町 てらぢちょう
寺坂 てらさか
寺坪 てらつぼ
寺垣 てらがき
寺垣内 てらがいと
寺埜 てらの
寺域 じいき
寺埼 てらさき
寺堀 てらぼり
寺堂 てらどう
寺塚 てらつか
寺塩 てらしお
寺境 じけい
寺奥 てらおく
寺子 てらこ
寺子屋 てらこや
寺宝 じほう
寺家 じけ
寺家村 じけむら
寺家町 じけちょう
寺寺 てらでら
寺小屋 てらこや
寺小路 てらこうじ
寺尻 てらじり
寺尾 てらお
寺尾中 てらおなか
寺尾台 てらおだい
寺居 てらい
寺屋 てらや
寺屋敷 てらやしき
寺山 てらやま
寺岡 てらおか
寺岬 てらさき
寺峰 てらみね
寺島町 てらじまちょう
寺崎 てらさき
寺嵜 てらざき
寺嶋 てらしま
寺嶌 てらしま
寺川 てらかわ
寺師 てらし
寺平 てらたいら
寺広 てらひろ
寺床 てらとこ
寺庭 てらにわ
寺廣 てらひろ
寺延 てらのべ、てらのぶ
寺廻 てらまわり
寺後 てらうしろ
寺志 てらし
寺戸 てらと
寺戸町 てらどちょう
寺所 てらどこ
寺敷 てらしき
寺方 てらかた
寺木 てらき
寺本 てらもと
寺村 てらむら
寺杣 てらそま
寺東 てらひがし
寺林 てらばやし
寺柿 てらがき
寺栖 てらす
寺根 てらね
寺格 じかく
寺横 てらよこ
寺次 てらじ
寺永 てらなが
寺江 てらえ
寺池 てらいけ
寺池台 てらいけだい
寺池町 てらいけちょう
寺沢 てらさわ
寺河内 てらがわうち
寺河戸 てらかわど
寺治 てらじ
寺沼 てらぬま
寺泉 てらいずみ
寺洞 てらぼら
寺津 てらづ
寺浦 てらうら
寺添 てらぞえ
寺澤 てらさわ
寺濱 てらはま
寺瀬 てらせ
寺片 てらがた
寺生 てらお
寺田 てらだ
寺田縄 てらだなわ
寺田谷 てらだや
寺町 てらまち
寺畑 てらはた
寺畠 てらばたけ
寺矢 てらや
寺石 てらいし
寺社 じしゃ
寺神 てらかど
寺神戸 てらかど
寺端 てらばた
寺竹 てらだけ
寺籠 てらかご
寺縣 てらあがた
寺義 てらぎ
寺背 てらせ
寺脇 てらわき
寺脇町 てらわきちょう
寺腰 てらこし
寺臺 てらだい
寺舘 てらたち
寺薗 てらその
寺藤 てらふじ
寺裏 てらうら
寺西 てらにし
寺見 てらみ
寺観 じかん
寺谷 てらたに、てらや
寺賀 てらが
寺越 てらこし
寺跡 てらあと
寺農 てらのう
寺辺 てらべ
寺辻 てらつじ
寺迫 てらさこ
寺道 てらみち
寺邊 てらべ
寺邑 てらむら
寺部 てらべ
寺里 てらさと
寺野 てらの
寺野下 てらのした
寺門 じもん、てらかど
寺阪 てらさか
寺院 じいん
寺館 てらたち
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/
ぶっちゃけ、何が問題がいまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。
日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である。
そして、その天皇家の血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である。
ここで本質的に重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。
なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。
そして、その基本的なルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。
これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性を宮家に迎え入れない、ということ。
そして、その歴史の上にはじめて、現在の民主的な国民国家の象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在を国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。
日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。
蘇我・藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。
これは、現代日本の法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族が皇族以外と結婚した場合、皇室から離脱すると規定している(女性皇族が結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範の改正が必要になる)。
ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすのはいいことじゃん」と思う人も多かろう。
一見すれば、昨今の男女同権思想の立場からも、賛同の声が聞かれると思う。
だが、これは現代、日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。
これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスクを説明したい。
ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。
ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。
井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬)の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。
そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。
ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。
直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。
しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。
そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。
さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。
筋から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。
しかし、もう一方の政虎は現当主の嫡子である。井伊の民にとっては「自分たちの象徴」「井伊のアイデンティティ」である直虎の一人息子が政虎なのだ。
これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ。
井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。
自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちのアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である。
政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野の物語を受け継いだ人間である。
もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。
もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。
虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野のストーリー」あるいは「井伊のストーリー(小野編)」に変わってしまう、ということだ。
※日本では馴染みがないが、イギリスやフランスの王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子が王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。
しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件の黒幕という噂もある。
であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。
さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。
その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地を意味するだけのものとなってしまった……。
つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたからなのだ。
皇室の女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである。
認めるか、認めないかの判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。
女性宮家=民間男性から生まれた子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。
あまつさえ、女性宮家が迎え入れた民間男性が外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領、中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ。
その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。
いざその瞬間、女性宮家が婚約者を発表したときに、過去・現在・未来全ての日本人が絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。
少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇」である。
天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。
総務省 情報通信政策研究所の本体はどういった人がいるか分からないけど、委嘱している研究員の顔ぶれはこんな感じ。
http://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/advisors.html
平成27年度 情報通信政策研究所 特別研究員(五十音順、平成28年1月29日現在) ●特別上級研究員 【法学系】 青木 淳一(慶應義塾大学法学部准教授) 専門:行政法、政府規制産業法 石井 夏生利(筑波大学大学院図書館情報メディア研究科准教授) 専門:プライバシー権・個人情報保護法、情報法 佐々木 秀智(明治大学法学部教授) 専門:英米法、情報メディア法 新保 史生(慶應義塾大学総合政策学部教授) 専門:憲法、情報法 杉原 周治(愛知県立大学外国語学部准教授) 専門:憲法、ドイツ法、メディア法 曽我部 真裕(京都大学大学院法学研究科教授) 専門:憲法、メディア法 寺田 麻佑(国際基督教大学教養学部准教授) 専門:行政法、情報通信法 東條 吉純(立教大学法学部教授) 専門:経済法 西土 彰一郎(成城大学法学部教授) 専門:憲法、マスメディア法 西村 暢史(中央大学法学部准教授) 専門:競争法、競争政策 林 秀弥(名古屋大学大学院法学研究科教授) 専門:経済法、独占禁止法と競争政策 平野 晋(中央大学総合政策学部教授) 専門:不法行為法、契約法、アメリカ法 若林 亜理砂(駒澤大学大学院法曹養成研究科教授) 専門:経済法 【経済系】 依田 高典(京都大学大学院経済学研究科教授) 専門: 応用経済学 春日 教測(甲南大学経済学部教授) 専門:産業組織論、経済政策 高口 鉄平(静岡大学大学院情報学研究科准教授) 専門:情報通信経済学、産業分析 佐々木 勉(ポリシー・リサーチ・ユニット株式会社主任研究員) 専門:情報通信経済学 宍倉 学(長崎大学経済学部准教授) 専門:公共経済学、産業組織論 実積 寿也(九州大学大学院経済学研究院教授) 専門:通信経済学、公共経済学、産業政策学 竹村 敏彦(佐賀大学経済学部准教授) 専門:応用経済学 田中 辰雄(慶應義塾大学経済学部准教授) 専門:情報通信産業の実証分析 手塚 広一郎(日本大学経済学部教授) 専門:産業組織論、公益事業論、交通経済学 徳原 悟(拓殖大学国際学部教授) 専門:開発経済学 中村 彰宏(横浜市立大学学術院人文社会科学系列教授) 専門:産業組織論、計量経済学 森脇 祥太(大阪市立大学大学院経済学研究科教授) 専門:ミクロ計量経済学 【人文・学際系】 秋吉 美都(専修大学人間科学部教授) 専門:情報行動のミクロデータ分析、社会統計 内山 隆(青山学院大学総合文化政策学部教授) 専門:メディアとエンターテイメントの経営戦略と経済政策 岡田 仁志(国立情報学研究所准教授) 専門:電子商取引論、電子通貨論、地域情報政策論 北村 智(東京経済大学コミュニケーション学部准教授) 専門:メディア・コミュニケーション論、情報行動論 小泉 力一(尚美学園大学芸術情報学部教授) 専門:教育工学、情報教育 小舘 亮之(津田塾大学学芸学部教授) 専門:メディア情報サービス、マルチメディア情報通信工学 土屋 大洋(慶應義塾大学大学院政策メディア研究科教授) 専門:国際関係論、情報社会論、公共政策論 橋元 良明(東京大学大学院情報学環教授) 専門:コミュニケーション論、社会心理学 ●特別主任研究員 【法学系】 生貝 直人(東京大学大学院情報学環特任講師) 専門:情報政策(知財、プライバシー、表現規制等) 早川 雄一郎(京都大学大学院法学研究科特定助教) 専門:経済法、競争政策 【経済系】 橋本 悟(帝京大学経済学部専任講師) 専門:公益事業、公共経済学、ミクロ経済学、産業組織論 山本 渉(電気通信大学情報理工学部講師) 専門:応用統計学 【人文・学際系】 河井 大介(東京大学大学院情報学環助教) 専門:情報行動論 齋藤 長行(お茶の水女子大学非常勤講師) 専門:メディア政策、行動経済学、教育工学 吉見 憲二(佛教大学社会学部現代社会学科講師) 専門:情報コミュニケーション、情報通信経済学 ●特別フェロー 工藤 郁子(慶應義塾大学SFC研究所上席所員) 専門:情報法 田中 康裕(専修大学社会知性開発研究センター客員研究員) 専門:国際情報通信学、社会情報学 堀川 裕介(東京大学大学院学際情報学府博士課程) 専門:社会情報学(メディア利用と心理)
なんというかさ・・・寺田心みたいに大人の理想としての子供像に押し込められてる子役タレントって見ていて気持ち悪い。
いや・・・子供は悪くないんだと思うのよ。そりゃ注目されて大人にも褒められるんだったら辛くてもあんな理想化された子供をやるよ。
悪いのはあれを重宝している大人とあれを見て可愛いって言ってる大人、おまえらだよ。周りにいる子供がクソガキにしか見えなくて、自分に都合のいい子供をタレントに押し付けて可愛がってんだろ??
それで子役が心の病気になったらお前らは加害者だ。大人になっても引きずる傷を与えたっていう意味で、児童ポルノを見てオナニーしてる連中と変わらねーよ。 つーか悪いことをしてるっていう気が無い分タチが悪い
10歳の時に「将来の夢はアダルトビデオのカメラマン」と言った内山信二の時代は凄い健全だと思う。「お前それ分かって言ってんのか?」っていう自由さ、大人びたことを言いたいイタさが本当の子供らしさだろ!
(前提としてあれは演じてると思っている。だって綻びが見えないもん。)
要約:「文化芸術懇話会」設立趣意書にある「政策芸術」は国策芸術を意味するのではなく、政策を芸術作品との類比のもとで捉えることを意味する。後者の問題性に目が向けられるためにも、前者のような誤解が本記事で少しでも訂正されることを望む。
産経新聞が2015年6月25日に伝えたところでは、自民党の有志が立ち上げ、同日に第1回会合が行われた党内勉強会「文化芸術懇話会」の設立趣意書は、会の目的として「心を打つ『政策芸術』を立案し、実行する知恵と力を習得すること」を掲げていた。
◇安倍首相支持の勉強会「文化芸術懇話会」が発足 - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/150625/plt1506250043-n1.html
「政策芸術」という耳慣れない言葉について、この段階ではそれ以上の情報はなかったものの、多くの人がこれを「政策によって推進される芸術」さらには「プロパガンダ芸術」を意味するものと受け止めた。
第1回の会合で、講師を務めた作家・百田尚樹氏だけでなく、出席した自民党議員からもメディア統制を提案する発言があったと伝えられたことから、このように理解されるのも無理からぬところがあった。
◇自民党:安保法案で報道批判続出…改憲派の勉強会 - 毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20150626k0000m010122000c.html
ところが、翌26日の衆議院平和安全法制特別委員会で、民主党の寺田学議員がこれらの発言について追及した際、加藤勝信官房副長官から、改めて「文化芸術懇話会」の趣旨について説明する場面があった。下に引用するように、これは上述のような理解とは異なるものである。
(加藤官房副長官の発言)「文化芸術懇話会、これは政治家に求められる教養と想像力を得るため、芸術家と共通する創作手法と成果の普遍性を追及(原文ママ――引用者注)し、世界の中で輝ける日本を創造し、デザインする上で必要不可欠であり、心打つ政策技術(「心を打つ政策芸術」の誤りか――引用者注)を立案し、実行する知恵と力を習得することを目的として開催されたものでありまして(後略)」
◇【安保審議詳報(1)】百田氏「沖縄2紙潰せ」発言で紛糾 民主・寺田氏「由々しき発言だ。党総裁として処分すべき」 - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/150626/plt1506260020-n1.html
つまり、設立趣意書にあった「政策芸術」とは、政策そのものを芸術作品になぞらえる考え方を示していたのだ。
これは政策の国民の心理に訴える面を強化しようという動きであり、注意して見ていく必要があるだろう。(追記:「プロパガンダ」という言葉を使って言い直せば、「政策芸術」とは、手法レベルで芸術を利用しながら、政策の実行過程そのものをプロパガンダとして機能させる動きだといえるだろう。そうした動きの一部として、政策を具体的に表現するために普通の意味での芸術作品が利用されることも大いにありうる(そうなれば「プロパガンダ芸術」だ)。「政策芸術」=プロパガンダ芸術という理解は起こりうる現象の一部を捉えていた。しかし、「政策芸術」はそのような狭義の芸術作品の利用よりも幅広く、〈芸術作品〉のように政策を立案・実行する現象の総体を指しうる概念だと考える。このように広くとった場合、「芸術家と共通する創作手法と成果の普遍性」の政策への転用は、表面的には芸術が関係しているとは思えないような、見えにくい形で行われることもあるだろう。)
さらに、いまのところはっきり表明されているわけではないが、政策に〈美〉の観念が持ち込まれるとすれば、より一層警戒されるべきだろう。〈美しい〉政策を打ち出すことと、〈美しい〉国家をデザインするという発想は親和的である。(そうした〈美しい〉政策は、現在誤解に基づいて警戒されているように統制的な芸術政策という形をとることも考えられるが、対象は必ずしも文化・芸術に限られない。その点では、単なる国策芸術の推進よりもたちが悪いかもしれない。)
「政策芸術」=政策によって推進される芸術という誤解は、時間の経過とともに少しずつ訂正されつつあるものの、まだまだ残っているようだ。こうした状況では、上述のような問題性に目が向けられづらくなる。本記事は簡単なまとめにすぎないが、誤解の訂正に少しでも役立てばいいと思う。
私は福一原子力災害の賠償業務に携わっている。本エントリーでは賠償業務の概要と実態について書きたい。
被災した個人・法人へ『請求書冊子』が東電から送付される。被災者はその請求書冊子に必要事項を記入し、領収書や決算書を添付して東電に送り返す。
請求書冊子の返送先は大手町の東電オフィスになっているが、実際に書類が届くのは東京ビッグサイト近くに建つ『有明セントラルタワー』だ。
請求書冊子は有明セントラルタワーに届くと、開封・書類の仕分け・裁断・スキャニングされる。電子データ化するのだ。書籍の自炊を想像してもらえれば当たらずといえども遠からずといったところか。
審査業務は有明と門前仲町のヤマタネビルで行われている。専用ネットワークを通じてサーバーにアクセスし、電子化された書類をパソコンの画面で見ながら審査を行う。
審査が終わり、東電の責任者が判をつけば被災者にカネが振り込まれる。
以上が賠償の大まかな流れだ。
表向きは東電が賠償処理をやっていることになっているが、実態は異なる。
まず賠償業務は『トッパン・フォームズ(以下、TF)』という凸版印刷の関連会社に丸投げされる。ちなみに東電は『随意契約』でTFに仕事を任せている。どれだけのカネ(出どころは税金と電気料金だ)がTFに流れているかは分からない。
さらにTFはJ-SCubeとアデコとヒューマントラストとヒューマンリソシアに業務を投げている。除染作業が二次、三次に投げられるのとそっくりだ。
電子データ化済みの書類は寺田倉庫が管理する保管場所へ日通が運んでいる。システムの構築・管理はテプコシステムズと日立システムズだ。
賠償業務に関わるこれらもろもろの会社を東電では『協力会社』と呼んでいる。
賠償業務の末端で働く私でさえ、これだけの会社が関わっていることを知っているのだ。きっと、震災特需でうまい汁を吸っている企業はもっとあるだろう。
もうあまり仕事はない。震災から3年以上経っているのだから当然だ。むしろ今も賠償業務が続いていることに驚くべきだ。
実際に請求冊子に手を触れる・目を通す人間だけでも数千人規模(間接業務を含めるともっといる) しかし、大半はすることがなく遊んでいる。
工程ごとによって忙しい『曜日』は異なるのだが、最も忙しい日でも1日3~4時間程度しか働いていない。1~2時間しか手を動かさない日も多い。
どの工程も拘束時間は1日9時間で、その分の給与は支払われているのだが、暇でぼぉっとしている時間の方がずっと多い。
時給1000~1500円で働くバイトも、東電・協力会社の正社員も暇を持て余して雑談、私語で時間を潰している。
ちなみに有明セントラルタワーでは24時間体制で賠償業務をやっている。仕事がないのに『夜勤』で深夜に働いている者が多数いるのだ。
仕事を『増やす』ため、TFは意味不明な組織改変、請求書処理手順の変更を繰り返している。東電も請求書のフォーマットをころころ変え、そのたびに人・組織・システムが変わる。煩雑な作業が増えることはあっても、減ることはない。
賠償業務が長引けば長引くほどTFを始めとする企業は儲かるし、東電は賠償責任を果たしている『ポーズ』ができる。国民のカネでWin-Winの共生関係を築いているのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
SFをもっと楽しむための科学ノンフィクションはこれだ! http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20140417/1397744529 を受けて10冊選んでみました。
「『現実とはなにか』という認識が変わっていく」ような本はありません。
ヨーロッパにおける完全言語を求める歴史を扱った『完全言語の探求』と多くのプログラミング言語設計者へのインタビューをまとめた『言語設計者たちが考えること』は、あまり読者が重なっていない気がしますが、円城塔をきっかけにして両方読んでみるのもいいのではないでしょうか。
「つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)の冒頭で語られるエピソードが『完全言語の探求』から引いたものであることは単行本収録時に追加された注で明示されていますし、「道化師の蝶」に出てくる無活用ラテン語についても『探求』で触れられています。
一方『言語設計者たちが考えること』については、読書メーターで「小説を書く人も読むと良い」(2010年12月10日)とコメントしていて、『本の雑誌』の連載でも取り上げています(2011年11月「言葉を作る人たち」)。また『本の雑誌』の連載では『言語設計者たち』以外にも時々プログラミング言語や言語処理についての本が取り上げられています。
最近連載のはじまった「プロローグ」(『文學界』掲載)も今のところ、より望ましい文字の扱いや処理についての話をしているので、いささか強引な解釈ですが『完全言語の探求』『言語設計者たちが考えること』と繋がっている小説です。
ロシア語作家として出発しアメリカ亡命後に英語作家に転身したナボコフは、自分自身の書いた文章を別の言語に翻訳する「自己翻訳」を相当数おこなっていますが、それを主題とした評論書です。
円城塔本人も語っていますが、「道化師の蝶」ではナボコフがモチーフとして使われています。友幸友幸が「希代の多言語作家」であることもナボコフへの参照のひとつでしょう(若島正は『乱視読者の新冒険』のなかでナボコフを「稀代の多言語作家」と形容しています)。その希代の多言語作家の「わたし」とそれを翻訳する「わたし」が重なるようで重ならない「道化師の蝶」の筋立てにも、同じ作品について作者と翻訳者の両方の役割を演じたナボコフの影が見出せます。また「道化師の蝶」の姉妹編といえる「松ノ枝の記」での、相互翻訳・相互創作する2人の作家という設定も「自己翻訳」の変奏と見ることができるでしょう。こうした創作と翻訳の交錯する2編を再読する上でも、この評論書が良い補助線になるのでは。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2011年4月28日)。
最初期に書かれた『Self-Reference ENGINE』や「オブ・ザ・ベースボール」「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」(『虚構機関』収録)などに顕著ですが、円城塔の小説には、掌編の積み重ね(積み重ならず?)によって全体の物語が作られるという構造がよく現れます。これは辞典を順番に読んでいく感覚とちょっと似ているかもしれません。『数学入門辞典』を読んでいると、たとえあまり数学に詳しくなくても、円城塔の小説に対してしばしば言われる「よく分からないけど面白い」という感覚を味わえると思います。ただし、円城塔の小説に出てくる数学用語がこの辞書に出てくるなどと期待してはいけません。
「一家に一冊」だそうです。 https://twitter.com/rikoushonotana/status/402707462370758656/photo/1
円城塔の小説には数学者やそれに準ずる人が多く登場しますが、『史談』は数学者を語った本として真っ先に名前のあがる定番の名著です。著者は類体論を確立したことあるいは解析概論の著者として知られる高木貞治。かの谷山豊はこの本を読んで数学者を志したそうです。
数学部分については河田敬義『ガウスの楕円関数論 高木貞治先生著"近世数学史談"より』という講義録があるくらいには難しいので適当に飛ばしましょう。
『考える人』2009年夏号 特集「日本の科学者100人100冊」で円城塔が選んでいたのが高木貞治とこの本でした。
ムーンシャイン現象は、『超弦領域』収録の「ムーンシャイン」の題材で、他に「ガーベジコレクション」(『後藤さんのこと』収録)にも単語だけですがモンスター群とコンウェイが出てきます(コンウェイは「烏有此譚」の注にも言及あり)。作品内に数学的ホラ話といった雰囲気がしばしばあらわれる円城塔にとって「怪物的戯言(モンスタラス・ムーンシャイン)」はいかにもな題材かもしれません。
ムーンシャインを扱った一般向けの本というとたぶん最初に『シンメトリーとモンスター』が挙がるのですが翻訳が読みにくいし『シンメトリーの地図帳』にはあまり説明がなかった気がするので、この『群論』を挙げます。
数学の専門書ですが、第4章「有限単純群の分類/Monsterとmoonshine」は読み物風の書き方になっています。ただし詳しい説明なしでどんどん話が進んでいくところも多く、きちんと理解するのは無理です(無理でした)。
第4章を書いている原田耕一郎はモンスター群の誕生にも関わりが深い人で、多くの文章でモンスターとムーンシャインについて触れているので、雑誌などを探せば難度的にもっと易しい文章が見つかるかもしれません。
円城塔の小説には「オブ・ザ・ベースボール」のように確率についての言及もよく見られます。『数学セミナー』『数学のたのしみ』『科学』等で高橋陽一郎が書いた確率論についての諸入門解説記事、は探すのが面倒だと思われるので、もっと入手しやすいこの本を。
確率微分方程式で有名な伊藤清のエッセイ集です。「確率」より「数学者」の項に置くのがふさわしい本ですが確率の本として挙げます。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2010年10月24日)。
やはり専門が力学系ということもあり、力学系関連もしばしば登場します。
本のタイトルを見て「力学系と力学は違う」と指摘されそうですが、副題は「カオスと安定性をめぐる人物史」。力学系の歴史に関する本です。実のところどんな内容だったか覚えていないのですが、「いわゆるこの方程式に関するそれらの性質について」(単行本未収録)で引用文献に挙がっているから大丈夫でしょう。
『Nova 1』収録の「Beaver Weaver」をはじめ、ロジック(数学基礎論)関連も円城塔の小説に頻出する素材です。
とりわけ計算可能性、ランダム性、busy beaver、コルモゴロフ複雑性……とあげてみると、まずはチャイティンの諸作が思い浮かびますが、あれはむやみに勧めていいタイプの本なのかちょっと疑問なので避けます。読書メーターでは、最近出た『ダーウィンを数学で証明する』に対して「 チャイティンのチャイティンによるチャイティンのためのいつものチャイティン」(2014年3月20日)とコメントしています。
これという本が思い浮かばなかったので、いくらかためらいながらもこの本を挙げました。『メタマジック・ゲーム』か、あるいはヒネリも何もなく『ゲーデル・エッシャー・バッハ』でよかったのかもしれません。ただ『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だけを読んでもほぼまちがいなく不完全性定理は理解できないということはもっと周知されるべきじゃないかと思います。
円城塔はこの本について「すごかった。(但し、かなりハード。)」(2011年3月27日)とコメントし、『本の雑誌』でも取り上げています(2012年10月「ゲーデルさんごめんなさい」)。
初心者向きの本ではありませんが、不完全性定理について一席ぶつ前に読んでおくといいでしょう。
『天体力学のパイオニアたち』が上下巻なので、以上で10冊になります。
別にノンフィクションを読まなくてもフィクションを楽しむことはできますが、ノンフィクションを読むことによって得られるフィクションの楽しみというのもまた楽しいんじゃないでしょうか。
追記: 小谷元子編『数学者が読んでいる本ってどんな本』に寄稿している13人のうちのひとりが円城塔なので、そちらも参照してみるとよいと思います。リストに挙げられている約50冊の本のうち半分くらいがノンフィクションです。上に挙げた本とかぶっていたのは『数学入門辞典』『天体力学のパイオニアたち』『ゲーデルの定理 利用と誤用の不完全ガイド』でした。また、はてブのコメントで言及のあったイエイツ『記憶術』もリストに入ってました。
ダイエット王国、はっきり言って、肯定のしようがない糞曲だろ。
なんであれを褒める人がいるの?
シングル曲としてはフックに欠ける曲が多くて、二曲の合わせ技で一本を狙ってる。
その中でもベリ℃の曲は本当に終わってる。
ダイエット王国は糞曲だが、ここ一、二年で明るいシングル曲がいくつか出てるなら
まだ受け入れることができたかもしれないが、最近ずっと暗い曲しか出てない。
そんな流れの中でのダイエット王国だから。もう目の前が真っ暗になった。
ベリヲタたちは、寺田がベリに糞曲を回している事実を認めるのが怖くて、
自分自身をも騙している。それで糞曲を無理やり褒めてる。
でもそれじゃ事態は変わらないんだよ。
「まともな曲を書け」だと身も蓋も無いが、「次は明るい曲を書いてください!」
ぐらい言おうぜ。
元ネタ:http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002457/dtlrvwlst/3464106/
あ、まず前提として、
貴男がヅカ大好き女を夢中にさせることが、
はたして貴男を幸福にするかどうか、それはまた別問題だけれど。
したがって、釣り師たる男たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場です。
貴男は、どう答えれば理想的でしょう?
あとはバウホール公演、そして(遠征をするほどではないけれど)全国ツアーをたまに見に行く、
貴男は彼女の目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言いましょう、
「ぼくが、一緒に観に行ってあげる」
これこそまさに必殺の答えです。
そこでヅカ大好き女が、えへへ、とやにさがったならば、
貴男は、ひそかに、その公演のパンフレットあたりを
ひそかに熟読しておきましょう。これで成功まちがいなしです。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆるヅカオタの女の
落とし方をお伝えしましょう。
「ぼくは、小池修一郎が好き。
彼の一本物よく観に行くよ、大体いつも外れないし、
一幕のラストとか、大好き♪」
もしも貴男がそう答えたならば、
彼女の貴男への恋心は、
20%増量になるでしょう。
なぜって、小池修一郎の作品は、
使われる曲も名曲で、
チケットは取りにくいながらも、そこがまた
客席が満杯である熱気をかもしだしていて。
質高くタカラヅカナイズしていて、なおかつ、
あの「エリザベート」を売りこんだ功績もあって。
したがって小池修一郎作品こそは、
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
そのへんの一般人と、玉もあれば石も混じっている、そんなヅカオタ女たちが、
この世界で唯一(いいえ、系列の東宝と並んで唯二)遭遇しうる場所です。
●
では、参考までに、危険な回答を挙げておきましょう。
貴男がこう答えたとしましょう、
しかし、「通常版と特別出演版で台本がなんと2種類!」とかなんとか無意味な自慢を吹聴し、
ふつうの宝塚についての謬見を撒き散らした罪がありますから、ヅカ大好き女にとっては天敵なんです。
また、もしも貴男が「石田昌也が大好き♪ ぼく石田昌也作品は、よく観に行くよ♪」
と答えたとしても、同様の効果をもたらしうるでしょう、
しかし「傭兵ピエール」の問題発言など、いやはやなんともな台詞をジェンヌに言わせることも多く、
最高に好きなのは「めぐり合いは再び」。ちえねねも、星組もすっごくいいよね。」
と、答えたとしたらどうでしょう?
なるほど、貴男の趣味は高く、
たしかに小柳奈穂子作品は、ストーリーが Romanic であるのみならず、
全体的に最高にヅカらしいんですけれど、
しかし、貴男の答えを聞いて、ヅカ大好き女はきっとおもうでしょう、
(なんだよ、少女漫画が好きな男だな、軟弱そう)って。
なぜならば、原田諒は、「ロバート・キャパ 魂の記録」「華やかなりし日々」で第20回読売演劇大賞優秀演出家賞や2012年ミュージカル・ベストテン演出家賞をとり、
貴男がその名前を挙げても必ずしも、あなたがヅカオタ宣言をしているとは受け取られないでしょう。
しかし、たとえば、宝塚が誇る「すみれの花咲く頃」の訳詞で知られる白井鐵造にせよ、
斬新でありながらすばらしい作風の高木史朗にせよ、
ましてや貴男が、「宝塚三巨匠の一人の内海重典が大好き♪ ぼく、もうほとんど全種類、観ちゃった♪」
と答えたならば、どうでしょう?
これはかなり博打な答え方で、
なるほど、内海重典は、40年以上の長きにわたり宝塚歌劇に携わってきたの名演出家ゆえ、
あなたがそう答えた瞬間、ヅカ大好き女がいきなり超笑顔になって、
しかし、逆に、(なんだよ、この男、ヅカオタかよ)とおもわれて、どん引きされる可能性もまた大です、
なぜって、必ずしもヅカ大好き女がヅカ大好き男を好きになるとは、限らないですから。
ヅカオタたちは、周囲の一般人を導き高みへ引き上げてあげることが大好きゆえ、
もしも貴男が、「内海重典の作品が大好き♪」なんて言ってしまうと、
そこにはもはや、彼女が貴男をヅカ教育する余地がまったく残されていません、
したがって貴男のその答えは、
ま、ざっとそんな感じです、貴男の目には女たちはバカでファナティックに見えるでしょうが、
しかし、ああ見せて、女は女で繊細で、傷つきやすく、男に夢を持っています、
貴男の答え方ひとつで、女の貴男への夢は大きくふくらみもすれば、
一瞬で、しぼんでしまいもするでしょう。
●
では、スキットを繰り返しましょう。
「ぼくは、小池修一郎が好き。
彼の一本物よく観に行くよ、大体いつも外れないし、
一幕のラストとか、大好き♪」
そして、その瞬間、ヅカ大好き女の目がらんらんと輝いたなら、
貴男はこう重ねましょう、
「それからね、いま、ぼくが行ってみたい公演は、
バウホールでやってる若手の公演、将来の宝塚を担う人材って話を聞いたから。
これでもう完璧です。
そうなったらこっちのもの、
デートの日には、ジーンズやスニーカーはなるべくさけて、オペラグラスを持って、
声優ファンがジブリは声優を使わないから駄目だと叩いているのをよく見る。
これは間違いだ、だって声優好きじゃない人からの同意を得にくい。
ジブリは声優を使わないジブリらしい雰囲気を既に確立してしまっている。
寺田のムスカ、糸井のお父さん、キムタクのハウル、加藤のジーナ、美輪のモロや魔女、菅原の窯爺、夏木の湯婆婆、我修院のカルシファーやカエル、森繁の乙事主、西村の甲六、山口のリサ、所のポニョパパetc
どれも味のある声で作品と役の雰囲気づくりに大きく貢献しており、声優のくせのないしゃべり方はジブリ風にあっている。
大体普段萌えアニメで媚びた処女膜声を出しているアイドル声優が、ジブリに起用されたら今の役者などよりよほどクオリティの高いジブリらしい作品になる!と思っているのは声優ファンくらいだろう。
そもそも処女膜から声出て居ないなどと普段から声優が売っているのは処女膜、処女膜アピールのない声優は屑以下の存在価値しかない3流アイドルみたいな言動をしているのに、何で声優の技術を持ち上げたがるのか理解できない。
◆4世◆
◎鳩山由紀夫(曽祖父;鳩山和夫;衆院議長、祖父;鳩山一郎・総理/ 父;鳩山威一郎・外務大臣/弟;鳩山邦雄・衆/当選6回/北海道9区)
◆3世◆
◎佐藤謙一郎(祖父;金光康夫・厚生大臣・拓務大臣/父;佐藤一郎・ 経済企画庁長官/伯父;金光義郎・衆/当選5回/ 比例区南関東(神奈川1区落選))
◎松本龍(祖父;松本治一郎・参院副議長/父;松本英一・参/当選5回/ 福岡1区)
◎玄葉光一郎(祖父;町長/岳父;佐藤栄佐久・県知事/当選4回/福島3区)
◎鮫島宗明(祖父;永井柳太郎・逓信大臣・鉄道大臣/叔父;永井道雄・ 文部大臣/当選3回/比例区東京(東京10区落選))
◎松野頼久(祖父;松野鶴平・参院議長/父;松野頼三・防衛庁長官・農林 水産大臣/当選2回/熊本1区)
◎山花郁夫(祖父;山花秀雄・衆/父;山花貞夫・国務大臣・社会党委員長/当選2回/東京22区)
◎小宮山泰子(祖父;小宮山常吉・参/父;小宮山重四郎・郵政大臣/当選1回/埼玉7区)
◎近藤洋介(祖父;野原正勝・労働大臣/父;近藤鉄雄・労働大臣/当選1回/比例区東北(山形2区落選))
◎寺田学(祖父;寺田栄四郎・県議/父;寺田典城・県知事/当選1回 秋田1区)
◎菅直人(祖父:菅實 郡会議員 / 伯母&義母:町議会議長)
◆2世◆
◎小沢一郎◎羽田孜◎石井一◎佐藤観樹◎鹿野道彦◎中井洽◎玉置一弥◎横路孝弘
◎川端達夫◎赤松広隆◎岡田克也◎小平忠正◎古賀一成◎佐々木秀典◎田中慶秋
◎堀込征雄◎西村眞悟◎安住淳◎石田勝之◎一川保夫◎奥田建◎近藤昭一◎中山義活
◎松崎公昭◎渡辺周◎大出彰◎大島敦◎佐藤公次◎楢崎欣弥◎松本剛明◎水島広子
◎樋高剛◎泉健太◎岡島一正◎奥村展三◎梶原康弘◎岸本健◎楠田大蔵◎下条みつ
◆1世代とび2世◆
◎川内博史(祖父;山田弥一・衆/当選3回/比例区九州 (鹿児島1区落選))
◎鎌田さゆり(祖父;和賀平象・式玉村議・小牛田町議・柴田町議/当選2回/宮城2区)
◎黄川田徹(祖父;黄川田源吉・市議会議長/当選2回/岩手3区)
◎小宮山洋子(祖父;青木一男・大蔵大臣/当選2回/東京6区)
我が党 の世襲議員(詳細版)
石井廣治─石井一―石井健一郎(一の甥)・石井登志郎(一の長男)・石井秀武(親類)
一川保正─一川保夫
大出俊─大出彰
岡島正之─岡島一正
鹿野彦吉─鹿野道彦
玉置一徳─玉置一弥
簡単に言うとそれは言葉を用いるからに他ならない。「ある場合にはAでありほかの場合にはAでない」という何ら実質的に矛盾の起きていない状況においても、「ある場合」と「ほかの場合」の違いを言語で記述できない(単なる個人の日本語能力の問題とは限らない)と言語上は「AかつAではない」という矛盾した命題が導かれてしまう。他のケースに、1つの言葉が複数の意味を持ちうるため「AかつAではない」という矛盾が生じることもある。この複数の意味が人々に共有されているならば良いが
微妙なニュアンスの違いが共有されていなかったりすると、実際は矛盾していなくとも矛盾としか思えないという状況に陥るのである。
「お前前と言ってること違うじゃねーか」「言ってることコロコロ変わってるぞ」というツッコミを入れる前にそこの点検は二重三重に行っておいたほうが実のためだ。澤口さんという人がいるんだけど、その人が寺田さんって頭いいよねって言ったのに、なぜか佐山さんが「T田さん頭よくないよーナイナイ」みたいな話をしてて、面白い話題で盛り上がるんだなと思いながらボクは横で拝聴していたのだが、そこにT田さんが忘れ物を取りに戻ってきて。それを見たS山さんが忘れものする人間が賢いわけないよと。ここで「賢い」の定義の違いがおわかりだと思う。S口さんとS山さんは両方イニシャルがSだが、賢いの定義がフタリの間で異なっている。だから片方は賢いと言い張りもう片方は賢くないと言い張る事態が起きる。
この種の茶番劇は人々の間で見解や定義のことなるデリケートな議論において頻繁に起きる現象であるが、しかしそもそも言葉を用いている限りいとも簡単にはまり込んでしまう可能性に晒された罠であると言えよう。
おそらく同一の言葉ならば同一のものを指しているはずだという予測あるいは気の緩みがあるのだろう。そこを逆手にとって定義をずらして相手を言い負かす輩もいる。定義ずらしは詭弁術や煽りの常套手段である。「T田さん頭いいよね」に対して「忘れ物するヤシが頭いいとかないわーw」と煽るような形の煽りはインターネットではしばしば散見される。まあ定義を明示せずに語るほうも場合によっちゃ幾分かの責任はあるが、定義の明示にはキリがないから少しでも明示を怠ったところにいとも簡単に煽りの入る余地が出来てしまうのはあまり公正とは言えまい。