はてなキーワード: 森繁とは
見たんだよ、昨日ね。
テレビ草創期に生きた、存命の人物をネタにしたバラエティで、描こうとしてるものはまさに「テレビの世界」だ。
なんだよ、くっそおもしろかったわ。
なんだよ、あれ。
すげーわ。
地の黒柳徹子としての感情表現、つまりドラマに必要な演技もこなすし、この企画が要求するメタな面白さみたいなとこも、きっちりやりやがる。
しかも美しい。本当に美しい。横顔なんてマジで神々しいんだよ。
その誕生のころを組み替えたネタでしか、楽しませられないのか?
出演者、裏方これだけを集められるのはやはり、テレビというかNHKがまだ死んでないことの証左ではあるかもしれない。
森繁も渥美清も永六輔もみんな死んだ。徹子も長くない。テレビ持ってない人の方が多くなるのもそんなに先じゃないかも。
まだ初回だが、この番組の出来が良ければ良いほど、臨終のテレビへのはなむけ的な雰囲気になりそう。
ブコメの人へ
声優ファンがジブリは声優を使わないから駄目だと叩いているのをよく見る。
これは間違いだ、だって声優好きじゃない人からの同意を得にくい。
ジブリは声優を使わないジブリらしい雰囲気を既に確立してしまっている。
寺田のムスカ、糸井のお父さん、キムタクのハウル、加藤のジーナ、美輪のモロや魔女、菅原の窯爺、夏木の湯婆婆、我修院のカルシファーやカエル、森繁の乙事主、西村の甲六、山口のリサ、所のポニョパパetc
どれも味のある声で作品と役の雰囲気づくりに大きく貢献しており、声優のくせのないしゃべり方はジブリ風にあっている。
大体普段萌えアニメで媚びた処女膜声を出しているアイドル声優が、ジブリに起用されたら今の役者などよりよほどクオリティの高いジブリらしい作品になる!と思っているのは声優ファンくらいだろう。
そもそも処女膜から声出て居ないなどと普段から声優が売っているのは処女膜、処女膜アピールのない声優は屑以下の存在価値しかない3流アイドルみたいな言動をしているのに、何で声優の技術を持ち上げたがるのか理解できない。
肉がお好きで、卒寿を超えてもステーキとフォアグラを一度に頼んでいたという。脚本家の倉本聰さんが「存在そのものがすでに演技」と惜しむ森繁久弥さん、96歳。後輩のために弔辞を読む役回りを退き、いよいよ聞く番となった▼人も芸も軽妙だった。TBSの生放送ドラマ「七人の孫」で、お手伝いさん役の新人女優をいたく気に入った森繁さん、放送当日、急坂のラーメン屋台という妙な場面を注文する。台本なしの本番。屋台の丸いすに座ったご隠居は、即興で横のお手伝いにすり寄った▼新人がうぶに押しのける。屋台は坂をずり始め、2人は抱き合って倒れ込んだ。このわるさ、配役を任された久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが『今さらながら大遺言書』(新潮社)で明かしている。相手は後の樹木希林さんだ▼女性を愛し、映画でも尻や胸によく手が伸びた。パシッとやられて退散する流れがおちゃめで、いやらしさはない。座談の色話には軽(かろ)みが漂い、エロというより、小さな字で助平と書きたいおかしみがあった▼大阪人のサービス精神に、大御所の威厳がいい案配で重なる。銀幕の盛りはチョビひげ、晩年は白いあごひげの相を大衆の記憶に刻んだ。お座敷でのドジョウすくいと文化勲章。どちらもはまる自在の人だった▼勝新太郎さんや芦田伸介さんら、仲間に先立たれる思いを「朝寝坊でロケバスに乗り遅れた私だけがまごまごしている」と記している。「生きているやつはみんな哀れなんだ」と。久世さんも、最愛の妻子も待つ次の現場に向かって、悠然とバスに消えた。
6/25 マイケル・ジャクソン(歌手) ※享年50、他殺