はてなキーワード: 民間出身とは
https://anond.hatelabo.jp/20240914204854
もうね、めーーちゃくちゃわかる。とにかく情報や社会情勢に対するキャッチアップが全然追いついてない。Teamsが導入されてるのを知らない(Teamsを知らないんじゃなく、Teamsが導入済なのにそのことを知らない)管理職とかザラ。電子決済システムが揃ってるのに回覧は印刷必須とか当たり前。
あと、とにかく本当に責任を取らない。仕事とは責任を負うことだという感覚があった民間出身者からすると驚愕。ほとんどの場合クビにならないのに何をビビってるんだよっていう。はっきり言って民間知らないやつらの感覚アホだよ。
ただ、一応民間で働いてた人間からすると、民間と行政の仕事の性質の違い上、そうなってしまう理由はわからなくもないところがあって、その辺のことを少し書いてみようと思う。
一番はこれ。あんまり知られてないけど、行政って一挙手一投足が法令に縛られてる。だから、決められたルールを破るのは極論「法を破る」ことなんだよ。会社の規則を破るのとはワケが違う。個人的には適度な副業くらい許してくれよと思ってるんだが副業やる時点で懲戒くらうからね。
副業規定(職務専念義務)に関しては自分も実害を被った。前職の関係で講演とかを頼まれたので相談したらNGくらったのよ。「申請すればいいんでしょ?」と思ってたけど、普通に通らなかったのでびっくりした。具体的な話は差し控えるけど、官公庁も一枚岩じゃなくて、ある部署ではOKなことが別の部署ではNGってことが割とある。で、講演とか、あと文筆業とかは一般論としては副業に当たらない扱い(継続性のない依頼は報酬にあたらない)筈だったんだけど、自分の部署では「金銭が発生するなら全部副業」っていうローカルルールがあった(。なので無報酬で受けることにしたよ。死ね。はよ転属したい。
でまあ、民間感覚なら「これくらいOKでは?」というのがマジで通用しない。なぜなら法令で縛られてるから。これは公務員が何を言っても変わらないんだよ。公務員は法を守る側であって、法を変えるために働いてるわけじゃないから。そういうのは政治家の役割……ということになってる。法で規定されている以上、それを破るわけにはいかない。
公務員になってびっくりした事の一つが「決裁の多さ」。たとえば、行政では何かものを買うときに、「最低でも入札or相見積もりをしないと買えない(例外あり)」「ものを買う場合は原則後払い(請求書払いによる銀行振込のみ)=結構な数のネット販売が使えない」「注文時と支払い時の2回決裁をとる必要がある」というゴミみたいなルールがある。びっくりするでしょ。で、しかも購入前に申請した金額と、実際の購入時の金額が1円でも違ってたら決裁とりなおしなのよ。しかもこれ「安くなった場合でも申請を取り消して再申請」しなきゃいけない。申請内容の修正とかでなく、申請の取り消し&再申請。これだけでもゴミだと思う。
が、これはもう、税金を扱ってる以上どうしようもないんだと思ってる。税金を扱う以上、その扱い方には細心の注意を払う必要がある。だからガッチガチに縛る。非効率でも縛る。これはもう、非効率であること=無駄な行動を取らせることが不正の防止のためにあると考えざるをえない。
とはいえ、100万200万とかの金額のズレとかならともかく10円20円とかで決裁取り直すのクソだとは思う。そのために15分くらいかけて決裁とりなおすの、人件費考えると税金無駄遣いしてるじゃんねっていう。
ここで問題です。たとえば9-17時が勤務時間として、打刻の記録上8時45分出社・17時15分退社だとします。公務員は何分残業したことになるでしょうか。こたえは0分です。なぜなら公務員は命令なしに残業をする(=税金を使う)権限がないから!馬鹿みたいでしょ?でも公務員は税金で飯食ってるからそうなるんだよ。
こんな構造だと必然的に発生するのが「工数」の考え方が民間と違うということ。民間だと労働時間を削れるような仕事の効率化は、人件費削減につながるので是とされる。でも公務員はそうならないんですよね。なぜなら残業は原則「存在しない」ものになってるし、仕事の効率化自体はそもそも予算の削減にならないんですよ。「○○を導入して年100万円支払うことで人件費200万円が浮く。100万円の削減!」という考え方がない。これは、「税金である以上、何にいくら使うかを事前に決定しないといけない」という行政の仕組みとしては当たり前に導かれる話なんだよ。
「自縄自縛の保全管理ごっこ」というのは、もうそのとおりなんだけど、これを解決する方法は多分ない。行政における無駄なルールは「無駄を課すことで不正を防止する」という理解をせざるをえない。それをなんとかしたかったら法律を変えるしかないが、多分まああと20年は変わらないでしょう。政治家も興味ないだろうしそんなことには。助けてくれ。
予め伝えておくが、身バレ防止に、多少だがフェイクを織り交ぜた内容になっている。
そして、そのフェイクも他の医療機関(国立と名の付くどこか)での実際の出来事を複数織り交ぜている。
だが、伝えたい実情に偽りはない。
高度な医療を担う国の機関で、エンジニアと組織がこれほど腐っていては、将来性もへったくれもないと思うんだ。
だが、公的な組織がシステム構築・運用するとどうなるか、多少でも公にし、何かを考えるきっかけ・ヒントになってほしい。
ちなみに、次の仕事は、ある大手の企業で新システムの導入支援をすることになった。
私としてはそちらの仕事のほうが面白いし、自分の能力・経験にとってプラスになる。
民間出身者ではなく博士後期課程とか、某大学研究室出身者を無理やりねじ込む事例はよく見る。
専門職も含めて管理職側に実務経験がないか少なすぎるせいで、「なんでこの要員に単純作業ばっかりやらせてるの?」という仕事配分が、頻繁に起こる。
IT技術職なのに技術的な実務経験ゼロだから、スキルを持った人間に何ができるのかが、全然理解できていないらしい。
作業能率で評価されることもないから、表立って問題にもならない。
変えようと思えば、相当一生懸命、提案しないと話は聞き入れられない。だが、大体、そこで疲弊する。
何のために大学院卒を雇っているのか…。
勉強のできる人は多い反面、勉強の知識しかないから、他にも急を要する事はあるというのに、重箱の隅ばかり細かくつつくから、部下も、ベンダーも、委託業者もやる気をなくす。
ある時、システム部門トップがあからさまに、こう言い放ったことがある。
公表されていないが、実は当病院では、電子カルテ更新プロジェクトが失敗するに至った。
本番リプレース時期は予定より大幅遅延し、リプレース当日はシステムが使用不可能になる事態さえ発生し、未だに実装されていない機能が多数存在する。
しかし、受入テストもろくすっぽやらず納品した事例もあり、あながち、ベンダー側の問題が全部とまでは言えないと私は思っている。
ベンダー側が保守費用の範囲で何でもしてくれる、と考えてもいたのだろう。
医療情報学会の有力者もいるから、「自分達に嫌われると大変なことになるぞ」という意識もあるらしい。
ちなみに、電子カルテ更新プロジェクトは実質は失敗だったにも関わらず、医療情報系の某雑誌では「成功」だとか「問題は何もなかった」と強調され、当事者が成果アピールしていた。
研究に仕える人間が事実を捻じ曲げ隠してしまうものなのかと、残念だった。
これ以来、成果報告を見聞きしても疑うようになった。
民間人材登用は少なく、医療情報学会、特定大学の出身者がコネで採用されているのが実態(6NCの一部は特にこの傾向がある)。
実務を担うはずの職種のキャリア採用に現場経験ゼロの院卒を無理やりねじ込む人事が普通に起こるので、ヒラのエンジニア、非常勤職員・委託業者の負担が増加する。
仕事ができなかろうが、能力があろうがなかろうが、暇だろうが、係長に昇進する事態はなぜ起こるのか?
厚生労働省から転籍で来たある職員(役職は室長)がいたが、会議中は普通に居眠りし、仕事といえば申請書類を整理しているだけで、一日中、何もせずにPCに向かっていた。
人事ローテーションで別の国立と名の付く病院に移動したが、そこでも室長らしい。
でも、同じなんだなと関心してはいるので、同じ匿名のますだと思っても全然いい気はする。
民間企業でもあるかもしれないが、デジタル庁を創設すほど意気込みがあるなら、公的機関から率先して変わってほしい。
こんなに質の低い技術力で医療とICTの何のコラボレーションができるのだろう。
でも、COCOAやHERSYSはこうなってほしくない。
もし、同じだとしたら、最悪だ。
◎はじめに※必読
① これから後ダラダラとまとまりなく続く話は隙自語のチラシの裏も裏のクソもクソみたいなものなので、本当に暇な人以外は読まない方がいい。
② この話の中で先日賞を受賞したとある小説家の方を取り上げるが、これを書いている増田はその方のことが嫌いなわけではない。今回賞を受賞した本はまだ読めていないが、デビュー作は読んでいる。とても面白かった。オススメ。
あくまで『〇〇出身』という表記についての増田が持ったくだらない感情を吐き出したいだけです。以上、よろしくお願いします。
◎今回書こうと思った事の発端
今朝L〇NEを開いて飛び込んで来た地元の新聞社のトークの見出しの文字が『〇〇出身の小説家、賞を受賞』だった。
記事を確認する。確かに〇〇出身。しかし、〇〇出身とは言っても育った場所は他の場所のようだ。→別に〇〇出身を大きく取り上げる必要はなくないか?
1 その土地・身分などの生まれであること。その学校・団体などから出ていること。「九州の出身」「民間出身の閣僚」「出身校」
2 官に挙げ用いられること。出世すること。
「名利を志し―を宗として」〈沙石集・一〇〉
コトバンクより。今回の場合は1の方。辞書を引いたりもしたが、大体こんな感じ。見出しに間違いはない。
小説家のプロフィールからしても〇〇で生まれたのも間違いはない。
◎じゃあなんでもやっとしたんだ?ここからは増田感情の話なので本当に読まなくていい。
これは確実に増田のコンプレックスが起因している。多分調べれば増田が上げている小説家もその出身地も分かると思うが、増田はその〇〇に近い半島の出身。(近いとは言っても険しい山に隔てられた陸の孤島ともいえる、なので田舎の人間の言う距離が近い、だと捉えてほしい)
まず隣!県!!育ちは隣県だってわかってるのか?
記事を書いてるような県庁所在地(じゃないかもしれないが)の人間にとっては隣県(明確な場所はわからないが〇〇や半島と比べたら確実に都会)と県庁所在地にたいして違いはないのかもしれないが、増田からすれば違いは大有り。隣県なら半島のように新幹線の通る駅にたどり着くまで二時間半なんてことはまずないだろう。
いかにもその小説家が出身地で育ったような書き方をしないでほしい。
絶対に、ほらやっぱりこの土地は素晴らしいじゃないか!みたいなのがよく調べも記事を読みもしないで言うのが出る。出てしまう。恥ずかしすぎる。
これは明確な情報かはわからないが、その小説家は中高一貫の出身だという。
仮に小学校の間は〇〇で過ごしていたとしても、都会の中高一貫がどんなものなのか増田にはわからないが、近隣にある過疎化と少子化の進む地域の中で人員削減の為につくってみた公立の小中学校で合体してみて一貫教育です!や、エスカレーター式でその大学へと大半が進むニッコマのニの方の学校や前総理夫人の出身校と同じ母体の女子校とは、まず違うだろう。
動物園のような小中高が地方にはあるし、それが当然で大学名なんてたいして問題にもならなくて地元のどこの高校を出たかだけが重要視されているような世界が外にも同じように広がっているとでも思っていると、その小説家もそうだと思ってしまうのだろうか。恥ずかしいを通り越して悲しい。(Twitterを見ていたら多分記事も読まずにそう言っている人がいたので余計悲しくなってきた)
◎結論、何が言いたいの?
その見出しさあ、なんか恥ずかしいのよ。ってだけの話(それなのにめちゃくちゃ長くお気持ち書いちゃったな……)
田舎者の地元愛の塊みたいなのをその見出しに感じたからだと思われる。そして所詮自分もその田舎者の一部ということを願書の住所を書いていたら改めて感じて悲しかったのかもしれない。
以上、自意識過剰の増田が地方と都会の差を勝手に見出しから感じて恥ずかしがったり悲しがったり妬んだりしただけの話。受験生なのに何必死になってこんなの書いちゃったんだろうね?
*~~はじめに※必読
① これから後ダラダラとまとまりなく続く話は隙自語のチラシの裏も裏のクソもクソみたいなものなので、本当に暇な人以外は読まない方がいい。
② この話の中で先日賞を受賞したとある小説家の方を取り上げるが、これを書いている増田はその方のことが嫌いなわけではない。今回賞を受賞した本はまだ読めていないが、デビュー作は読んでいる。とても面白かった。オススメ。
あくまで『〇〇出身』という表記についての増田が持ったくだらない感情を吐き出したいだけです。以上、よろしくお願いします。
**~~今回書こうと思った事の発端
今朝L〇NEを開いて飛び込んで来た地元の新聞社のトークの見出しの文字が『〇〇出身の小説家、賞を受賞』だった。
記事を確認する。確かに〇〇出身。しかし、〇〇出身とは言っても育った場所は他の場所のようだ。→別に〇〇出身を大きく取り上げる必要はなくないか?
1 その土地・身分などの生まれであること。その学校・団体などから出ていること。「九州の出身」「民間出身の閣僚」「出身校」
2 官に挙げ用いられること。出世すること。
「名利を志し―を宗として」〈沙石集・一〇〉
コトバンクより。今回の場合は1の方。辞書を引いたりもしたが、大体こんな感じ。見出しに間違いはない。
小説家のプロフィールからしても〇〇で生まれたのも間違いはない。
**~~じゃあなんでもやっとしたんだ?ここからは増田感情の話なので本当に読まなくていい。
これは確実に増田のコンプレックスが起因している。多分調べれば増田が上げている小説家もその出身地も分かると思うが、増田はその〇〇に近い半島の出身。(近いとは言っても険しい山に隔てられた陸の孤島ともいえる、なので田舎の人間の言う距離が近い、だと捉えてほしい)
まず隣!県!!育ちは隣県だってわかってるのか?
記事を書いてるような県庁所在地(じゃないかもしれないが)の人間にとっては隣県(明確な場所はわからないが〇〇や半島と比べたら確実に都会)と県庁所在地にたいして違いはないのかもしれないが、増田からすれば違いは大有り。隣県なら半島のように新幹線の通る駅にたどり着くまで二時間半なんてことはまずないだろう。
いかにもその小説家が出身地で育ったような書き方をしないでほしい。
絶対に、ほらやっぱりこの土地は素晴らしいじゃないか!みたいなのがよく調べも記事を読みもしないで言うのが出る。出てしまう。恥ずかしすぎる。
これは明確な情報かはわからないが、その小説家は中高一貫の出身だという。
仮に小学校の間は〇〇で過ごしていたとしても、都会の中高一貫がどんなものなのか増田にはわからないが、近隣にある過疎化と少子化の進む地域の中で人員削減の為につくってみた公立の小中学校で合体してみて一貫教育です!や、エスカレーター式でその大学へと大半が進むニッコマのニの方の学校や前総理夫人の出身校と同じ母体の女子校とは、まず違うだろう。
動物園のような小中高が地方にはあるし、それが当然で大学名なんてたいして問題にもならなくて地元のどこの高校を出たかだけが重要視されているような世界が外にも同じように広がっているとでも思っていると、その小説家もそうだと思ってしまうのだろうか。恥ずかしいを通り越して悲しい。(Twitterを見ていたら多分記事も読まずにそう言っている人がいたので余計悲しくなってきた)
ただ、田舎者の地元愛の塊みたいなのをその見出しに感じたからだと思われる。そして所詮自分もその田舎者の一部ということを願書の住所を書いていたら改めて感じて悲しかったのかもしれない。
以上、自意識過剰の増田が地方と都会の差を勝手に見出しから感じて恥ずかしがったり悲しがったり妬んだりしただけの話。受験生なのに何必死になってこんなの書いちゃったんだろうね?
最近のネットの一部では小室圭問題に端を発した秋篠宮家バッシングがひどくて、雅子さま愛子さまアゲが凄まじいんだよね。
一方で即位当日の笑顔を見ると、雅子さま自身は、吹っ切れて何かを乗り越えつつあるように見える。「潰そうとした」人たちはいたけれども、その程度では潰れなかった感じ。
思えば、美智子さまもそもそも初の民間出身って時点でいろんな人に潰されかけてて、皇太子妃時代の末期(昭和の終わりごろ)は、「あんなにお綺麗だったのに、なんか随分苦労したみたいな顔になっちゃったわねえ」なんて、ウチの母なんかはよく言ってた。
皇后になった直後もいろいろバッシングあったけど、それも落ち着くに従ってみるみる穏やかな顔になったんだよな。
ネットの誹謗中傷も含む色んなストレスにさらされて心のバランスを崩しながら、夫と精神科医のサポートに支えられながら自分を取り戻した皇后なんてはなはだ現代的ではあって、案外、ものすごく愛される皇后になるかもしれない。
なんか、「いろいろあったけど良い経験だったんじゃない?」みたいな話にまとめるのは本意ではないんだが。
・面倒な仕事はやらなくていい
公務員は数年で部署異動があるから、面倒そうだったりやりたくない仕事は知らん振りしておけばその内異動のお声が掛かる。面倒な仕事に関わらなくて済む
・年功序列
雑務は後輩がやるし、何もしなくても主任まではなれるから給料は年々上がり続ける
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上で書いたのは自分と同じ課にいる8年目の先輩のことです
二日酔いで帰るにしてもわざわざ口に出すな。それ面白いと思ってるのお前だけだぞ
上部機関からの訂正指摘2年間無視した挙句俺に押し付けようとしたよな。何故やらないのか問い正したら「関連する課に嫌な顔されたくなかったから」だと。は?それ理由になると思ってんのか?大体関連課だって上部機関からの指摘なら嫌でも協力せざるを得ないわ。やりたくなかっただけだろ
お前から引き継いだ仕事どれもこれも法に則ってないけどこれ大丈夫なの?お前に何のお咎めもないの納得できねえぞこれ 俺が毎晩毎日休日返上で日付変わるまで残業して一つずつ改善してる隣で欠伸しながらデッケェ伸びしてるけどお前特に何の仕事もしてないよな??
「俺子供できたら絶対公務員にさせるわ、何もしなくても給料上がるもんwwww」じゃねーよ
公務員の年功序列制度は廃止したほうがいいし異動は見直したほうが良いし、何よりもっと事業成績を気にしたほうが良い
公務員の世界を成績主義にしてうちのクソな先輩みたいな奴らを一掃してくれ
少なくともやらなきゃいけないことをやらない奴は公共の奉仕者として失格だろ
俺は民間出身で公務員になったけど、世間でよく言われる「公務員より民間の方が大変」という言葉がそんなに好きじゃなかった
公務員もめちゃめちゃ大変だよ
少なくともクソ先輩は民間だったらずっとヒラだもん
誰かこいつを懲戒免職にしてくれ
うちは多分増田さんの職場よりましだと思うけど、本当に役所の人事異動はアホかと思うことが多い。部署によっては、同じポストにずっと就いている人もいるけど、2年ぐらいで平気で総取っ替えするところもある。よく言えばゼネラリスト志向だけど、ベテラン養成とか専門的な業務の軽視につながっているようにしか見えない。
産休・育休の補充はタイミングによるよね。ちょうど人事異動の直後ぐらいのタイミングで産休に入るとか、異動を決める時期に既に妊娠していることが分かっていれば過員配置とかしてくれて産休に入っても困らないけど、タイミングが悪いと同僚がその人の仕事をひっかぶることになって悲惨だ。
とりあえず簡単に首を切られないことと、60歳まで雇ってもらえて退職金も出るというのが、民間出身者にはありがたく見えるんだろうな。確かにそうなんだけど、若い世代ほど退職金や年金が減っていくのは間違いないので、のほほんと構えていないで貯蓄しながら自分年金も用意しておくぐらいでないとダメだと思う。
入職当初は公務員は労働基準監督署がないから、不利な扱いをされたときの対策のために労働組合には入っておいたほうがいいだろうと思っていました。
入職後、1週間くらいした頃でしょうか。労働組合の説明会があるということで、他の新規採用職員と共に参加しました。
労働組合の存在意義については自分自身も共感出来るので、入るべきなのだろうと思っていたのですが、
・月会費が月給の1.5%(基本給20万円なら月3000円)
→職員のほとんどがこの保険に加入して、さらに共済組合の保険にも加入しています。本当に必要だと思って加入しているの?
・月5000円給与天引きで積立。その資金をもとに年利3.0%くらいでお金を貸すよ。お金は退職の時に返します。
組合活動って何のためにやっているんだっけ?という疑問が生まれました。
これで職場の労働環境が良くなりました、基本給が上がりましたという明確な例があればよかったものの、そういうことは全くなし。
そんな組合に月6000円近く使って、しかも月5000円預けて、果たしてメリットがあるのかと。
加入は見送ろうと思い、放置してたら組合からのしつこい勧誘。うんざりでした。
1度詳しく話がしたいと言われて、そこできっぱり断ろうとしたんですが、説得材料が
・飲み会参加すると補助が出るから、会費を取り返そうと思って沢山飲めばいいんじゃない?
・他の自治体の人達と関わる機会も多いから今後の仕事のためにもなるよ。
・今の労働環境があるのは組合があったからだから、協力しようって気持ちはないの?(結局明確な実績の説明はなし)
・今まで加入率100%だったのに。
結局組合としての存在意義はないと思ったので、キッパリとお断りしました。第一、自分で払った組合費で飲んで何が楽しいの?
そもそも組合加入率100%というのが信用できないのです。内部の労働環境を変えたいときに、全員組合員だった場合、自由な発言は出来るでしょうか。
仮に上司の判断で残業代が払われなかった時に、組合に言ったら、対応してもらえるのか、疑問ですし、それが上司に伝わらないかというのも内部組織ゆえ信用できないので。
実際に、仕事ができない職員、仕事中に関係のないことばかりしている職員がいるのに、対応する気配がなかったり、という話も聞きますし、労働組合があってもサービス残業は当たり前に存在しています。組合の幹部が残業代の過少申請をしていたこともありました。結局組合に属していたからといって何も守ってもらえる保証はないのです。むしろ面倒なイベントに召集されるだけ。そんな組合に存在意義があるのでしょうか。組合費だけで130~140万、保険の加入も考えると合計260~280万のお金を組合につぎ込むことになります。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/
ぶっちゃけ、何が問題がいまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。
日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である。
そして、その天皇家の血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である。
ここで本質的に重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。
なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。
そして、その基本的なルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。
これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性を宮家に迎え入れない、ということ。
そして、その歴史の上にはじめて、現在の民主的な国民国家の象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在を国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。
日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。
蘇我・藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。
これは、現代日本の法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族が皇族以外と結婚した場合、皇室から離脱すると規定している(女性皇族が結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範の改正が必要になる)。
ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすのはいいことじゃん」と思う人も多かろう。
一見すれば、昨今の男女同権思想の立場からも、賛同の声が聞かれると思う。
だが、これは現代、日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。
これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスクを説明したい。
ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。
ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。
井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬)の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。
そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。
ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。
直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。
しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。
そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。
さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。
筋から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。
しかし、もう一方の政虎は現当主の嫡子である。井伊の民にとっては「自分たちの象徴」「井伊のアイデンティティ」である直虎の一人息子が政虎なのだ。
これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ。
井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。
自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちのアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である。
政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野の物語を受け継いだ人間である。
もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。
もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。
虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野のストーリー」あるいは「井伊のストーリー(小野編)」に変わってしまう、ということだ。
※日本では馴染みがないが、イギリスやフランスの王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子が王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。
しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件の黒幕という噂もある。
であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。
さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。
その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地を意味するだけのものとなってしまった……。
つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたからなのだ。
皇室の女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである。
認めるか、認めないかの判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。
女性宮家=民間男性から生まれた子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。
あまつさえ、女性宮家が迎え入れた民間男性が外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領、中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ。
その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。
いざその瞬間、女性宮家が婚約者を発表したときに、過去・現在・未来全ての日本人が絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。
少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇」である。
天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。