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はてなキーワード: 尊崇の念とは

2024-05-09

anond:20240509131705

当方30そこそこの人間だが正常な反応だと思う

30くらいまでまともな環境で過ごして、まともな人間と付き合ってきたら

歳を重ねた人に対する尊崇の念くらいは培われて当然のように思う

巨人の肩じゃないけど、やっぱり先人たちのお陰で今の平和暮らし享受できるわけで


現代だと核家族化が進みすぎて

幼少の頃から年上の人や、年上の人が敬われている場面に出会うことが少ないのも一因か


別に某国のように老人、ホームレス薬物中毒者、その他弱者は凍え死ねばいい

というような完全な自由資本主義社会標榜して突き進むのならいいけれど

個人的には資源に乏しい日本でそういう感覚がまん延するのは得策ではないように思う


もちろん、中には生来から性格の悪い人間も、年齢問わず刑務所に行く人間がいることからもいるだろうけどごく一部で

ただ、高齢化認知症など社会の仕組みが追いついていない部分における

大多数の老人が直面する問題については、ネット民の言うことは真に受けないほうがいいよ

あいつらは、"社会"を経験していないから。狭い世界妄想に取り憑かれているだけ。

2023-06-08

anond:20230607231943

>自分人生なのに、本当に子孫繁栄のことを考えて子供をつくるかどうかの選択をするの?

生きることや生命に対して尊崇の念を抱いているので、子孫繁栄してより人類が発展していってほしいので子供作りたい。

自分人生からこそ、脈々と受け継がれてきた遺伝子バトンパスして自分生命の流れに参加していたいと思う。

2021-08-13

終戦記念日を前にして思う

コロナ対策と称して令和のインパール作戦を展開し、オリンピック開催と政権維持のために多数の国民感染、死に追いやった「A級戦犯」は安倍晋三元総理菅義偉首相だと思っているだが、もし仮にコロナで亡くなった自分の身内と戦犯二人が同じ神社に祀られることになったら、純粋気持ちでその神社を訪れ「すべての御霊」に対し「尊崇の念を表し」「哀悼の誠を捧げる」事ができるだろうか?

西村康稔新型コロナウイルス感染対策担当大臣靖国を参拝、というニュースを目にしてふと考えてみた。

2017-05-26

女性宮家の何がやばいか、大河ドラマ『直虎』をベースに考えてみる

民進党女性宮家の創設を進めようとしている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/

ぶっちゃけ、何が問題いまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。

日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である

そして、その天皇家血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である

ここで本質的重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。

なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。

皇室日本において、約2000年続いてきた伝統である

そして、その基本的ルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。

これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性宮家に迎え入れない、ということ。

我々日本人は、このルールを千年以上守り抜いてきた。

そして、その歴史の上にはじめて、現在民主的国民国家象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。

日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。

蘇我藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。

これは、現代日本法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族皇族以外と結婚した場合皇室から離脱すると規定している(女性皇族結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範改正必要になる)。

ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすはいいことじゃん」と思う人も多かろう。

一見すれば、昨今の男女同権思想立場からも、賛同の声が聞かれると思う。

だが、これは現代日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。

これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスク説明したい。

ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。

・・・

ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。

井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。

そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。

ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。

直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。

しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。

そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。

さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。

から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。

しかし、もう一方の政虎は現当主嫡子である。井伊の民にとっては「自分たち象徴」「井伊のアイデンティティである直虎の一人息子が政虎なのだ

これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ

井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。

自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である

政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野物語を受け継いだ人間である

もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。

もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。

虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野ストーリー」あるいは「井伊のストーリー小野編)」に変わってしまう、ということだ。

日本では馴染みがないが、イギリスフランス王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。

しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件黒幕という噂もある。

であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。

さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。

その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地意味するだけのものとなってしまった……。

つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたかなのだ

・・・

皇室女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである

認めるか、認めないか判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。

女性宮家民間男性からまれ子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。

あまつさえ女性宮家が迎え入れた民間男性外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ

その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。

いざその瞬間、女性宮家婚約者を発表したときに、過去現在未来全ての日本人絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。

少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇である

その物語を「日本の象徴」と認めることは可能なのか?

私は、女性宮家の創設には断固反対である

天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。

自分たちにとって、神聖ものを、神聖なままに、尊び、敬う」という我々日本人の心の歴史が「万世一系なのだ

女性宮家の創設とは、過去あらゆる時点における日本人尊崇の念が無に帰す、不可逆の一手であることを知ってほしい。

2016-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20160224105722

そのイメージはどこで培ったんだ?

しかブッダは妻子は投げ出したけど国に戻ってるし、妻子ともども弟子にしてるし、彼の国は(ブッダが生きている間は)滅びてないし、そもそも特定宗教に傾倒したわけでもない。実際のところ仏教を創始したわけでもない。今の言葉でいえば、哲学者社会運動家心理カウンセラーみたいな存在だったんだよ。輪廻とか解脱といった言葉かい宗教的だけど、2500年前の世の中だから、そもそも多くの語彙が宗教的な響きがある時代だ。後世の人々が尊崇の念のあまりブッダ神格化して、後に宗教になっていったんだけどな。

日本によくいるよな。宗教危険みたいな考え方で、「(俺が考える危険な)宗教」らしきものを目の敵にして、実物を全く学ぼうとしない。学んだら信仰心が目覚めてしまうかも、とか怯えてんのかな。

ブッダ死ぬ前にこう言ってんだよ。死後、俺を頼りにするな(=神格化するな)。俺の教えを参考にして自分自身を頼りにして生きていけ、ってな。そもそも自分宗教団体主催してるという意識もなかったから、晩年は教団を離れて少数の弟子放浪の旅に出てる。実際、ブッダの死後に「ブッダも死んだし俺たちの好きなようにやってこうぜ」って考えた一派が後の北伝仏教、つまり日本仏教祖先にあたる集団だよ。彼らはオリジナルからどんどん離れていった。「菩薩」「般若心経「空」「禅」「隻手の声」といった仏教的な思想の多くは、北伝仏教勝手に主張し始めたものだ。

というわけで、世界三大宗教はいえ、オリジナルの頃からイエスムハンマドとはだいぶ趣が異なる教えだったんだよ。

ついでに言えば、よく誤解されてることだけど、ブッダ欲望否定したわけじゃないからな。欲望をなくしたいという考えをやめたんだ。そもそも、欲望をなくしたい、ということ自体が一つの欲望だろ? じゃあ、ブッダは何を語ったのか。もし気になるなら後は自分で調べな。

2014-01-01

朴槿恵大統領国立墓地を参拝、国を守るため命を落とした殉国先烈に尊崇の念

http://anago.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1388550570/

あれだけ靖国では他国の追悼に口出しするなって怒り狂ってたのに

自分達は平然と口出しするんだな

他人のふり見て我が振り直せって言葉を知らないのかね

 
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