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2024-04-09

anond:20240409022240

当時アメリカ合衆国カナダ等で問題となった日系移民排斥問題がある。外務次官幣原喜重郎人種差別撤廃提案により排日問題解決きっかけを作ろうとしていた[2]。

何をどう言ってもアメリカ内で有色人種が2級人類だったのは事実なので

朝鮮があ台湾があアジアの人々があとか言ってもアメリカ有色人種にとってはもっと酷かったってのは変わらない

からと言って日本が正しかったわけでもないけどね

政治を語るなら黒か白かの雑な考え方はやめた方がいいよ

政治に完全な黒も白もないか

2023-05-05

上司から非国民と言われた

何気なく好きな歴史人物の話になり幣原喜重郎若槻礼次郎名前を出したら、上司から非国民め!陸軍にいた俺のじいさんはノモンハンで立派に死んだんだぞ!」と激怒された。

若槻命令に従ってたらあんたのじいちゃん死なずに済んだんですけどね。

2022-05-10

anond:20220510215423

幣原喜重郎秘書って平野三郎だろ。

その平野文書を信じるなんて大丈夫か?

幣原はGHQ松本案を提出するほどの右翼だぞ。

それに対して平野左翼活動検挙歴がある。

幣原が死んだ直後に秘書平野が、実は幣原は左翼だったと語るなんて、死人に口無しとはいえひどすぎだろ。

どうして戦争放棄日本国憲法に盛り込んだのはアメリカだとみんな勘違いしているのか

第九条の発案者であり時の総理大臣幣原喜重郎のことを知らない日本人があまりにも多すぎる

彼がどのような考えで第九条を思いつくに至ったのか、それを議論せずにして憲法議論なんかできるはずがない

なぜ政治家も、評論家も、社会学者も、そして我々国民も、九条を作った当人言葉話題に挙げないのか

彼の考えのどこが悪くて、どこに不満があって、現代社会通用するのかしないのか、なぜ誰も語らない?

少しでも多くの人に、我々と同じ日本人が考案した第九条を、この埋もれてしまった歴史的憲法の成り立ちについて知ってほしい

以下、幣原喜重郎秘書が記した文章から引用

──────────────────────────────────────────────────

 ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。もし誰かが自発的武器を捨てるとしたら ー

 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手ピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿たことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である

 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。

 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである武装宣言正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。

 要するに世界は今一人の狂人必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。

 日本民族は幾世紀もの戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったかである。神でないばかりか、原子爆弾という武力悪魔である日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界宣言するのだ。それが歴史大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である

2018-04-06

anond:20180406134717

守る守らない以前にちゃん契約書は締結しろって佐藤なんちゃらさんがゆうてたぞ。

幣原喜重郎的にも「権利だけ主張してもあかんで、権利守るために努力せな」でFAや。

2017-08-06

「○○やったことない奴は○○を批判するな」を適用した場合,最も批判可能者が多い総理大臣安倍晋三…ではない

第1位 芦田均 13名

1948年3月10日就任から4月17日鈴木貫太郎死去)までの期間。内訳は

若槻礼次郎岡田啓介広田弘毅平沼騏一郎阿部信行
米内光政東條英機,小磯國昭,鈴木貫太郎東久邇宮稔彦王
幣原喜重郎吉田茂片山哲

一方で次代の吉田茂は,在任中に批判可能者が3名(東久邇宮稔彦王片山哲芦田均)にまで減少した。

これは歴代首相経験者が5名しかいなかった第4次伊藤内閣1900-1901)以来の低水準である

第2位 片山哲野田佳彦安倍晋三 12

片山芦田の1代前の首相

就任全期間(1947年5月24日1948年3月10日)にわたって,上記リストから自身を除いた12名が存命であった。

野田就任全期間(2011年9月2日2012年12月26日),安倍は2度目の就任期間(2012年12月26日~)が該当。

内訳は下記からそれぞれ自身を除いた12

中曽根康弘海部俊樹細川護熙羽田孜村山富市
森喜朗小泉純一郎安倍晋三福田康夫麻生太郎
鳩山由紀夫菅直人野田佳彦

なお臨時代理経験者を含めた場合野田安倍に対してはは青木幹雄が加わるが,芦田片山に対しても後藤文夫が加わるため変動はない。

第5位以降

批判可能11名:幣原喜重郎吉田茂菅直人

批判可能10名:東久邇宮稔彦王森喜朗鳩山由紀夫

絶対に今が最大だろうと思って調べ始めたが戦中・戦後の混乱期には及ばなかった。ガセ情報に気を付けよう。

日本で「存命の元首相」の人数が最大となったのはいつですか? - ... - Yahoo!知恵袋

日本の総理大臣、総理大臣経験者で存命中の人で最も多かった時は最高何人... - Yahoo!知恵袋

関係ないが名字が濁音から始まる総理経験者は臨時代理後藤文夫を除き存在しない。

2017-05-12

[]高橋洋一先生安倍総理憲法99条内閣法5条で縛られているか国会で答弁しない」←嘘

国会ウォッチャーです。

 https://www.j-cast.com/2017/05/11297639.html

 高橋洋一先生は、安倍さん応援団典型で、彼のどんな態度も肯定的解釈してしたり顔で解説されている方ですが、この記事の通りなら安倍さんは今まで一体何度憲法尊重義務を怠ったことになるんでしょうね。擁護の仕方が下手くそすぎますぜ。

平成18年本会議

福島みずほ議員戦後レジームからの脱却の意味を問われた際の答弁

憲法改正についてのお尋ねがありました。

現行の憲法は、日本占領されている時代に制定され、六十年近くを経て現在にそぐわないものとなっております。そのため、私は、私たち自身の手で二十一世紀にふさわしい日本未来の姿あるいは理想憲法として新しく書き上げていくことが必要であると考えています

平成18年予算委員会

舛添議員に、集団的自衛権憲法改正で認めるべきではないかと問われて

二十一世紀にふさわしい私は日本の国づくりを始める中において国の姿、形、理想を示すもの憲法であります。その憲法私たち自身の手で書いていくということが求められているのではないかということを総裁選を通じて申し上げてきました。自民党総裁としてこの憲法改正政治スケジュールにのせていきたいと、このように思っております。是非また自民党、また与党、また国会において更に議論を深め、また国民的な議論を行っていただきたいと、このように思います。その中では、まずは手続である国民投票法案がこの国会で成立をすることを期待をしています

これなんか、自民党総裁としての立場で述べたことをまんま喋ってるし、この後もえんえん持論を語られてますぜ。

平成25年予算委員会

篠原孝議員に、憲法審査会議論差し置いて、96条の改正連呼するのは、横道からアプローチでふさわしくないんじゃないかと指摘されて

まさに私はさまざまな課題に正面からぶつかっているつもりでございまして、憲法改正についても、では、なぜ九十六条かということであります

 九条憲法改正の要綱でありますが、憲法改正をするために今、三分の二の発議が必要でありまして、これは、衆議院参議院、それぞれであります。これはいわば極めて高いハードルだというふうに考えているわけでありますが、その後に国民投票に向かうわけであります

 これは、明治欽定憲法昭和憲法も両方とも国民投票は経ていないわけでありますし、国民投票と同時に、いわば衆議院解散を行って憲法改正ということを問うたわけではなくて、まさにGHQ占領下にあってこれはできたものでございます

 そこで、では、なぜ九十六条かといえば、三分の一をちょっと超える人たちが反対をすれば、たとえ国民の六割、七割が変えたいと思っていても、国民投票すらできないのはおかしいではないかという問題意識であります

平成26年本会議

松野頼久議員による、維新積極的改正を求めてるのに、与党積極的でないのが困る、との質問に対し

国民投票制度のあり方については、憲法改正に対する国民主権行使に関する、いわば憲法改正土俵とも言えるものであります

 私は、与党リーダーシップにより、各党各会派での議論を加速させ、国民責任ある提案がお示しできるよう、早期に結論を得てまいりたいと考えております

はい、あきらかに与党最大の党の総裁としてのリーダーシップ約束された答弁ですね。

平成26年予算委員会

同じく維新小沢鋭仁議員の、他国に比べて改正回数が少ないことを受けて、憲法改正必要性についての総理見解を聞かれて

法というのは、国の形、あるいは未来、そして理想を語るものであろう、このように思うわけであります

 私は、従来から憲法改正を主張してまいりましたが、その理由として三つ挙げてきたところでございます

 一つは、現行の憲法は、やはり、いろいろな議論がございますが、基本的占領軍の強い影響、同時に、原案については、事実上占領軍がつくったものであるということであります

 そして二つ目は、もう憲法が成立をしてから長い年月がたちました。時代にそぐわない条文もございますし、新たな、大切な価値観権利も出てきているわけであります

 そして三つ目は、やはり私たちの国の憲法私たち自身で書いていく、この精神こそ未来を切り開いていくんだろう、こう信じるからでございます

はい主語私ね、個人見解をはっきり述べられておりますな、占領軍が作ったから、という理由を述べることが憲法尊重義務をしっかり守られて、議会での発言が縛られている方のご発言ですね。勉強になる。

同じく小沢議員緊急事態条項必要性についての質問に対し

また、憲法改正に関する委員の御提案でございますが、ちなみに、自民党案においては、一昨年、谷垣当時の総裁のもとでつくられた自民党案によれば、第九章、一章を割きまして、自民党案の九十八条において、緊急事態宣言を行うという項目があります。そして、九十九条において、緊急事態宣言効果について書き込まれているわけでありまして、自民党としては、憲法改正した際には、しっかりと緊急事態について章を割くべきだという考えを持っているわけでございます

はい自民党としての見解開陳されてますね。さすが、党総裁としての立場政府総理としての立場を明確に分けられているお方は違いますな。

平成28年予算委員会

大串博志議員が、総理の対談集の中で、GHQによる押し付け憲法から変えなければならないというような発言をしていることを問いただしたことに対して

これは幣原喜重郎内閣でございましたが、ここでいわば憲法をつくるということになった。そこで、松本烝治氏が担当大臣になって、いわゆる甲案、乙案というものをつくったんです。それを、先ほど新聞名が挙がりましたが、毎日新聞スクープしたんですね。西山柳造という記者がこれをスクープしたわけでございます。それを見てGHQがこれは絶対に受け入れられないという中において、ホイットニー当時の准将がケーディス氏に、民政局の次長に指示をして、約八日間で二十五人の委員でつくったのは事実だろうと思います。そしてそれが草案になったところでございます

 そこで、私が大切にしているところは、やはり私たち憲法なんだから、この中においてもちろん、平和主義国民主権等々ありますよ、基本的人権、そうしたものは守っていかなければいけませんし、これは貫いていく必要があるんだろうと思います。それは私も今まで評価もしてきているわけでございます

 ただ、形成過程がそうであったという事実私たちはしっかりと直視をしなければいけない。歴史直視しろというのはそういうことなんですよ。そういうものもしっかりと直視しながら、そこで、では、私たち自身憲法なんだから私たち自身がしっかりと考えてみようじゃないかという精神を失ってはならない。

 指一本触れてはならないと考えることによって思考停止になる。思考停止というのは、これは悪い影響だと思いますよ。思考停止になってはならないんですよ。みんなでやはり考える。考えた末、このままでいこうということであれば、それはそれでいいわけですよ。考えることすらだめだ、天から降ってきたんだからこれはもう変えられないということにはならない。

この後でもいうんだけど、基本的には安倍さんは、与党とか維新に聞かれると自民党としての立場でもほいほい答えるんだけど、民進とか社民とかに聞かれると、「私は総理から個々の事には答弁しない、党としての案は自民党草案をみろ」って言って答弁拒否してたんだけど、今回自民党草案全然違うこといっちゃったからいつものセリフが言えなくて、自民党草案を見ろ、の代わりに読売新聞を読め、とこう言っちゃっただけなんだよね。それがどういう風にまずいのかも多分本当の意味では理解してないと思う。それに第一次とか第二次最初の頃のねじれが残ってたころだと、聞かれたら一応答えて、今ほど答弁拒否はしてなかったので、単に支持率が下がらないからゆるみきって、野党特に民主、民進をひたすらバカにする態度をあからさまにしてきてるだけだよね。

2016-07-05

まきおとganba sinnsaiって

YTのコメントかよ。幣原喜重郎の孫えらいな。

2012-11-20

我が党及び関連議員世襲一覧をメモしておきます

我が党議員世襲一覧

◆4世◆

鳩山由紀夫(曽祖父;鳩山和夫衆院議長、祖父;鳩山一郎総理/ 父;鳩山威一郎外務大臣/弟;鳩山邦雄・衆/当選6回/北海道9区)

◆3世◆

佐藤謙一郎(祖父;金光康夫・厚生大臣・拓務大臣/父;佐藤一郎・ 経済企画庁長官/伯父;金光義郎・衆/当選5回/ 比例区南関東神奈川1区落選))

松本龍(祖父;松本治一郎参院副議長/父;松本英一・参/当選5回/ 福岡1区)

玄葉光一郎(祖父;町長/岳父;佐藤栄佐久県知事当選4回/福島3区)

鮫島宗明(祖父;永井太郎逓信大臣鉄道大臣/叔父;永井道雄・ 文部大臣当選3回/比例区東京東京10区落選))

松野頼久(祖父;松野鶴平・参院議長/父;松野頼三防衛庁長官・農林 水産大臣当選2回/熊本1区

山花郁夫(祖父;山花秀雄・衆/父;山花貞夫国務大臣社会党委員長当選2回/東京22区

小宮山泰子(祖父;小宮山常吉・参/父;小宮山重四郎郵政大臣当選1回/埼玉7区)

近藤洋介(祖父;野原正勝労働大臣/父;近藤鉄雄・労働大臣当選1回/比例区東北山形2区落選))

寺田学(祖父;寺田栄四郎・県議/父;寺田典城・県知事当選1回 秋田1区)

菅直人(祖父:菅實 郡会議員 / 伯母&義母:町議会議長

◆2世◆

小沢一郎羽田孜石井一佐藤観樹鹿野道彦中井洽玉置一弥横路孝弘

川端達夫赤松広隆岡田克也小平忠正古賀一成佐々木秀典◎田中慶秋

◎堀込征雄◎西村眞悟安住淳石田勝之一川保夫奥田建近藤昭一中山義活

松崎公昭渡辺周◎大出彰◎大島敦◎佐藤公次◎楢崎欣弥◎松本剛明水島広子

樋高剛泉健太岡島一正奥村展三梶原康弘岸本健◎楠田大蔵下条みつ

中川治◎計屋圭宏◎松崎哲久和田隆志

◆1世代とび2世◆

大畠章宏(養祖父;大畠章・県議当選5回/茨城5区)

川内博史(祖父;山田弥一・衆/当選3回/比例区九州鹿児島1区落選))

鎌田さゆり(祖父;和賀平象・式玉村議・小牛田町議・柴田町議/当選2回/宮城2区)

黄川田徹(祖父;黄川田源吉・市議会議長当選2回/岩手3区)

小宮山洋子(祖父;青木一男・大蔵大臣当選2回/東京6区)

我が党 の世襲議員(詳細版)

赤松勇赤松広隆

石井廣治─石井一石井健一郎(一の甥)・石井登志郎(一の長男)・石井秀武(親類)

石田又七─石田勝之(孫息子)

石原幹市郎石原健太郎石原信市郎・石原洋三郎

一川保正─一川保夫

江田三郎江田五月

大石倫治─大石武一大石正光

大出俊─大出彰

岡島正之─岡島一正

美濃部貞亮─岡田克也(玄孫)

奥田敬和奥田建

小沢佐重喜小沢一郎

梶原清─梶原康弘

金子徳之介―金子恵美

鹿野彦吉─鹿野道彦

山田弥一─川内博史義理の孫息子)

神田大作─神田

加藤高明・木内重四郎・幣原喜重郎木内孝胤(重四郎の曾孫)

岸本光造─岸本黒岩秩子─黒岩宇洋

佐藤栄佐久玄葉光一郎(娘婿)

小平忠小平忠正

小宮山常吉─小宮山重四郎小宮山泰子

青木一男─小宮山洋子(孫娘)

近藤鉄雄─近藤洋介 佐々木秀世─佐々木秀典

佐藤守良佐藤公治

佐藤観次郎─佐藤観樹(辞職・民主党除籍)

金光庸夫─佐藤一郎・金光義邦─佐藤謙一郎

永井太郎永井道雄─鮫島宗明(道雄の甥)

下条正雄─下条康麿─下条進一郎─下条光康

田中角栄田中眞紀子(娘)・田中直紀(娘婿)

田名部政次郎─田名部匡省田名部匡代

玉置一徳─玉置一弥

津島源右衛門津島英治─津島恭一(英治の孫息子)

寺田典城(秋田県知事)─寺田

中井徳次郎─中井洽 楢崎弥之助楢崎欣弥

西岡竹次郎・西岡ハル─西岡武夫

羽田武嗣郎─羽田孜羽田雄一郎

鳩山和夫鳩山一郎鳩山秀夫─鳩山威一郎鳩山由紀夫

日野吉夫─日野市朗 堀込義雄─堀込征雄

前田正男前田武志正男の甥)

三木武夫田中覚─松崎哲久

野田太郎─松野鶴平─松野頼三松野頼久

松本治一郎松本英一松本龍

松本十郎松本剛明 水島裕水島広子

山岡賢次山岡達丸

山花秀雄山花貞夫山花郁夫

横路節雄─横路孝弘 渡辺朗─渡辺周

渡部又左エ門─渡部恒三佐藤雄平(恒三の甥)

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編( 渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

 
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