はてなキーワード: トップクラスとは
ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。
今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。
第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授・講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります。基本的に助教や研究員・博士課程の方が下の修士・学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事は研究だけではなく、各メディアの取材や研究室見学など多岐にわたります。自分が研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学者対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思います。さらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンやアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達は雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生は雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算の運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。
第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分の想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子とPCを発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要なものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生の方針で、リビングラボという生活空間と研究室が融合したような形態でラボを運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士の最初の一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生がとある巨大予算を獲得し、学生・スタッフを増員するとの方針でキャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間も10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)
このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教(自分の所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導の仕事が集中します。(本来、特任研究員は助教とは違い、学生の指導ではなく自分の研究に専念するという名目で雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分の研究は進みません。
第三に、教授・講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事を放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず、学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.
さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)
また、学内の期限(修論の題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生や事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないかと懸念しています。
オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授もゴーストオーサーの常連だからかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)
このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)
次に、研究室の主である教授の性格が合わず、人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います。上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます。
初めに、衝動的な発言や暴言が多く看過できないということがありました。衝動的気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言は学生や職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。
また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分の感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請で事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。
内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランドの言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談で教育したということなのでしょうか。
専門用語を拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波の電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス(電圧を電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味の言葉があります。この単語は力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論を研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間は簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。
3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究者コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体の問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。
そもそも、自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。
また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめしてしまったのも要因の一つです。元々内向的な性格なのもあって、自我・意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要な進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試も第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室の選択を毎日後悔しています。
それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?
第一に、自分の所属していた学科は、院試が卒論の研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分の研究および研究室への適性がいまいちわからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論の研究室と修論の研究室を別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。
第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがあります。サークルの飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生の記事はネット上で見たこともあり、先生の研究も科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室の内定を蹴り、他の研究室のポストに就くそうです。)
第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分の大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学のOBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部の勉強やサークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクをはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分の選択をよく考え直してほしいです。
ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置系ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境が自分にとっても良いとは限りません。トルストイは著作に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています。研究室も一つの小さなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。
かつてインターネットとは好事家たちが思い思いに好きな情報を書き込んで同士たちとつながる濃い場所だった。という風によく言われている。俺がそれが正しいのかどうかは知らない。しかし今のインターネットに古のインターネット老師たちが苛立つ気持ちはわかるし、なんなら俺がそのインターネット浪士たちを苛立たせている。というのも俺はあの悪名高い「いかがでしたかブログ」を書いて生計を得ている人間だからだ。
今回はお前たちにそのインターネットになぜいかがでしたかブログが生まれるのかを俺のような木っ端ライターの立場から解説するとしよう。
まず俺のような屑ライターはクラウドソーシングサイトで仕事を探しまくる。巷ではいかがでしたかブログは0.1円で量産されていると言われているがさすがに慣れてくるとそんな案件は受けない。最低限文字単価0.8~1円くらいの仕事は厳選する。ついでにいうが一部のプロクラウドワーカーならいざしらず、普通のライターが受けられるライティングの案件はその九割がいかがでしたかブログを書くことだと思ってくれ。クラウドソーシングサイトは世界最大のいかがでしたか工場なのだ。毎秒おびただしい数のいかがでしたかを世に解き放つことを使命としているかのようだ。
すると大抵テストライティングを頼まれるので仕様書を見る。大体のライターが出くわすのは、記事に盛り込む情報量に比して文字数が多すぎるという事態だ。当たり前だ。いかがでしたか工場が考えているのはいかに最低限の情報で文字数を盛ってSEO対策のよく出来た、Googleをだまくらかすための文章をサイトに載せるかということに過ぎない。そしてGoogleをだまくらかすためにはどうも、要約すれば数百文字で済むような情報を数千文字に引き伸ばす作業が必須らしいのだ。書いている俺だってなんでこんなに長く書かなきゃならんのだと疑問だが薄めて書いたほうがまあ金になる。すまない。
そもそもいい文章というのは基本的にきちんと短くまとめることが出来てこそだ。全員が谷崎潤一郎になる必要がどこにあるというのだ?そして当然のことながら大半のいかがでしたかブログの情報量というのはその文字数の数割もあればいいほうだ。もっと短くまとめることが出来る。しかしそれは許されない。Googleを騙すためには短文で効率的に切りの良いところで文章をまとめては行けないのだ。無駄に同じ単語を使いまわし、無駄に文字数をダラダラ稼ぐことでやっといかがでしたかブログとしての価値が生まれる。
とはいえ、俺たちいかがでしたかブログライターは残念ながら無から文章を生み出せるマジシャンではない。その文章の元になる文章をどこかから手に入れなければならない。どこから手に入れるのだろうか?アンサー、Wikipediaやら他のいかがでしたかブログからだ。はっきりいうがいかがでしたかブログに書いてあることで他のブログやWikiにもっと効率よくまとめられていない情報など存在しない。当たり前だ。いかがでしたかブログとは全てがソメイヨシノ(だっけ?)のようなクローンブログなのだ。しかし、コピペでは不味いので、コピペチェッカーを騙せるギリギリくらいには表現を変える。そうして言葉の順列組み合わせによってまた新たないかがでしたかブログが生まれるというわけだ。
もちろんいかがでしたかブログはそれだけで完成するわけではない。いかがでしたかブログのあの砂を噛むような文章に誰もが辟易したことがあるだろう。はっきりいうが、書いている俺だってもちろん辟易している。しかし、いかがでしたかブログを求めるクライアントがほしいのはライターの個性などではない、ということをまず理解してほしい。一風変わった視点、ちょっと凝った言い回し、ユニークな切り口、それら全てがいかがでしたかブログには必要ない。無駄な個性を付け足されてそれがリスクになったらどう責任を取るんだ?文章の表現はきっちりですます調で決められ誰も敵にしない当たり障りのない文章で誰かとはわからない群衆の憎悪を買う、そんな体に悪いファーストフードよりやばいものがいかがでしたかブログの正体なのだ。
しかしだからこそ文章を書いたことのない素人でも書くことが出来る。文章を見る目のない素人でもその出来が判断できる。いかがでしたかブログとは普通の文章とはカテゴリー自体が異なるものなのだ。そんなもので儲かるのかだって?もちろん儲かるわけがない。少なくともライターはそうだが、多分クライアントだって事情は変わらないだろう。きちんとしたクオリティの伴うコンテンツを送り出していないのだから、短期的にはアクセス数を誤魔化せても長期的には市場自体を衰退させていく。ライターもクライアントも薄給なのだから気合など入れるはずがない。そもそも、スキマ時間にお小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦に向上心を求めるのはお門違いだ。そんな文章でも騙されるバカだけを見込んだ薄利多売産業がいかがでしたかブログなのだ。
恐らくこれはゲーム業界においてソシャゲなどで起きていることとパラレルだと俺は見ている。これまでのゲームや文章の面白さとは常識の異なる、数と金を搾取するためだけのシステムと化した新たなる産業がソシャゲやいかがでしたかブログなのだ。お小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦による市場の価格破壊も絵描きの世界では起こりうると聞いたことがある。おそらく今の日本を蝕む文化的衰退の様々な業界における共通の現れ方なのだろう。そしてそこにおける勝利者とは常にごく一部の先駆者と強者だけであり、つまるところすでに金を持っているやつだ。そうでない多くの弱者はギリギリの状態でいつまでも続くわけではないとわかっていながら血を吐きながら続ける悲しいマラソンを走り続けている。
ではそんな仕事をして俺は後悔をしているのだろうか?なにせ全く儲からず商業倫理やら文筆家としての誇りはそこにはなにもない。悔いてしかるべきだというのが真っ当な人の声だろう。しかしあえていう。俺はいかがでしたかブログの執筆者であることを後悔していない。例え薄給すぎて飯すら食えなくなったとしてもそれは変わらない。
なにせこの業界は楽だ。何も考えず物書きとしての恥も未練もなく、適当にWikipediaの言い回しを変えるだけで金が入る。何より俺を鬱にしてくるような醜い上司はいない。たとえ今より生活が楽になったとしても、直接自分を縛るようにブラック企業などに奉仕したくはなかった。それで生計を得るポーズだけは取れるのだ。いかがでしたかブログのクライアントたちも、まあ仕様の注文はうるさいが別に嫌な上司ってわけじゃない。みんな大した仕事をしてないから後腐れがない。過労死よりは餓死のほうがまあマシだ。
幸いなことに多くのいかがでしたかブロガーたちは自分に対する嫌悪の眼差しに気付いてすらいない。愚かな大衆の嫉妬だとすら思っているのだろう。そういう鼻持ちならない意識高い系がいかがでしたかブログの最上位だから自省の眼差しも生まれようがないというのは皆も覚えておいてくれ。
昔は自分の個性を出した文章でエッセイだとかコラムだとかそういうのを目指していた時期があった気がする。いや、遡れば小説だって書こうと思っていた時期があるかもしれない。しかしそんなものはもうどうでもいい。俺は文章を書く人間の一つの死骸なのだ。あとはゾンビとして肉体の維持に集中するだけでいい。そうしてまたインターネットには腐臭が満ちていく。対策はGoogleやら拡張機能開発者やらが勝手にやってくれ。まだ野心なんてもんがあるならこの文章だって匿名で書いたりなんかしないが、俺には一応クライアントたちへの義理があるのだ。表立ってばかにするのは流石にまずい。そんな計算だけはうまくなった。
さあ、こんな時間だが次のいかがでしたかブログが貯まっている。どんどん数をこなさないと、もやしすら買えない。今回のブログはいかがでしたか、今後もこの情報は要チェックですね、いかがでしたか……
どうも予想より読まれて俺の屑のような承認欲求は適度に満たされたようなので、面白いと思ったコメントにレスポンスして更にこの記事を引き伸ばしてみる。
> とはいえ昨今のGoogleさんは端的に問いに答える記事を優遇していると思うんだけど。(個人の感想)
まさしくこの記事を書くに至った動機で、アルゴリズムの改善と対策ツールにより長期的には俺のような存在は滅びていくのだと思う。ただ、「いかがでしたか」という語尾だけで排除するのは今後は対策されるだろう。俺が見ている仕様書にもこういう書き方はするなという小手先だけの指示は結構ある。しかし、問題はそもそも全体の文章と発想そのものだから小手先でいかがでしたか感が改善されるわけではないので無駄に終わっている。
>マジレスするといかがでしたかブログはライターに発注するというより自前でマネタイズするものでは?という気もする。
そう思うんだけどどういうわけか二束三文で他人にそれを頼む輩が異常に多い。構成まで作成済みのクライアントも多いのだが、ここまで構成が出来てるなら自分で書けるだろう?と俺ですら思ってしまう。
どんな商品をどういう顧客にどういう構成でどういう雰囲気の文章で勧めるか大体すでに決まっていて俺たちはその間を数百文字ずつ埋めるだけでいいのだが、ここまで考えられたら絶対自分でやったほうが安いと思うのに人に頼む辺り彼らにも謎は多い。多分そこまで書いて本文を書く段で発狂しそうになったのだろう。
>発注元は稼げるの?
>そもそもあんなの発注するやつが誰なのかって話だと思うんだけど
一概には言えないがサイトの運営などをしている弱小IT企業が多いようだ。自分が依頼するブログのジャンルを全く知らない担当者というのもいる。稼げるかという点だが、まあ弱小ゾンビ企業が自分を維持する程度には稼げているのではないだろうか。逆に言えばそれ以上の稼ぎなど基本見込めるはずがないということだ。
申し訳ない。もちろん谷崎潤一郎は引き伸ばしとは無縁だが長い文章としてぱっと思い浮かんだのが彼だったのだ。
> 生計は得ないだろw
>俺がそれが正しいのかどうかは/
冒頭からインターネット老師がインターネット浪士にすり替わる誤字と低日本語力も俺自身じゃなきゃ見逃しちゃうね!まあ勢いで書いたものだから恥ずかしいがせっかくなのでこのままにしておこう。
>こんないかがでしたかワークを個人のブログでもアフィの為にやってる人らがいる事が凄いと思う。
>その単価でブログ記事書くくらいなら自分のブログで書いた方がいいし、さらにいうなら、この増田も自分のブログで書いた方がいいよ。
あれについてはブロガー界隈でそういうノウハウを教え合っている界隈もあるし、いかがでしたかライターのうち純粋無垢な人が独立支援と称されて情報商材めいたことをやらされてることもある。Youtubeの文字動画と同じだ。ていうかクラウドソーシングサイトには文字動画の台本執筆もたまに依頼されている。ぶっちゃけいかがでしたかブログよりは単価高くて楽だから助かる。巷で言われるネトウヨネトサヨ系の政治ネタは見かけたことがないが。
俺自身がこれをブログで書くかということについては一応俺も商売人なので名前を出して世話になっているクライアントが見ているかもしれない場所で「お前ら糞だぞ!」と告発するのははばかられるから容赦してほしい。noteで有料にすればとはちょっと思ったが多分それだと全く読まれなかったと思う。……と思ったが、よく考えてみたら別に正体を隠してブログを書けばバレやしないから平気なのか?これはいい知見を得た。そのうちいかがでしたかブロガーとしてブログを作ることにしよう。「バズったので宣伝させてもらいます」しぐさというやつだ。
これはうかつだった。確かに最近のソシャゲ、スマホゲーのトップクラスのクオリティは向上している。一方いかがでしたかブログは確かに、最上位層でも糞みたいな文章しか書いていない。ごめんなさい。
いかがでしたかってまとめ段階の冒頭で使うんで実は最後には入れないんすよ……
>いかがでしたかってクライアントの指示で書いてるの?自分でつけてるの?
自分でつけてるよ。なぜつけちゃうかはブログ書いたんでクリックする時間を後悔しないならどうぞ
http://an-fans.hatenablog.com/entry/2019/03/16/143528
>生活のリアルの前に人間の矜持が屈する。資本主義のもっとも悪しき側面を見た気がする。自分の書いてる無意味な駄文ブログもこれに比べるとマシだとむしろ勇気づけられる。低みに引っ張る引力スゲーなネット。
俺の記事を読んでこんなやつより俺のほうがマシだと自尊心を保ってくれる、俺を見下すことで日々を生きる糧が得られるのだとしたら書いている人間としてこれほど嬉しいことはない。まだ若い人たちはそう思えるだけ本当に未来があるのだと勇気を抱いてほしい。
アメリカほど常に「理解出来ないもの」と暮らしてる国もなかなかないと思うよ
だからあんなに主義主張が強く、日本からすると過激な思想を主張せざるを得ない
報道などで目立つ居丈高なリベラルにむかつく気持ちはわかるけど、実はアメリカは「下」の方のレベルこそ底抜けで(しかも別に悪い人間ばかりでもない)、それを批判する口調が自然と強くなるのも、致し方なく思える
そもそも成り立ちが移民の国で、伝統的にはそれぞれの自警意識が強く、近年では互いを尊重すべき、という思想が常にぶつかってる
貧富の差も何千倍とかがザラで、しかも世界でもトップクラスの差別主義者とリベラリストが一つの国で暮らしてるわけで
イラク戦争など、他国への侵攻や干渉を非難する人がいる一方で、いまだに大量破壊兵器があったと報じるニュース番組がある
アメリカは白人のものだと真面目に思ってる人、世界は神が作ったと信じてる人が、大統領選挙を左右するほどの規模でいる
アジア人やLGBTなどのマイノリティ文化を「尊重し」仲良く暮らす地域がある一方で、警察官が無抵抗の黒人を撃ち殺しても罪に問われない地域もある
そういう様々な人たち全員を相手にして穏当にスピーチをするなら「出来るだけ話し合って仲良くしようよ」って言うのが精一杯でもあり、下らなくてもそれをいい続けるのは大事なんじゃないか
デレマスに新アイドル二人が最初から声と曲を持ってやってきた、さらにカップリング前提とのこと。やはりと言うべきか界隈はまた炎上した。アイマスはとうに離れた身ではあるが熱が抜けた今だからこそわかることを書きたい。いつもの馬鹿馬鹿しいアイマス増田だ。
アイマスの中でもデレマスは欠陥品だ。売上・人口はトップクラスなので失敗とは言わないが現在あるアイドル物で声優がいないというのは同じ出所のsideMを除けばまずない。もっと言えば今あるソシャゲではフルボイスは珍しくもない。声優が一部にしかない場合でも最高レアのみであるとか初っぱなから区切りを付けるのが基本である。
対してデレマスは人気のあるキャラ、運営が使いたいキャラに声を与える。平等感を醸し出しながらやってきた結果、ちょうど声あり半分声なし半分になった現状で不信感が漏れだしているのが今のデレマス界隈だ。
長くしたくはないので結論を書くと「残りの声なしアイドルでは売れないから切り捨てたい」という運営が決断したってことだ。本当はやろうと思えば全員に声は付けられる。声優に兼任させれば良い、一人二役ならちょうど全員分になる。これがアイマスでなければできただろう。残念ながら声優とキャラが根強く結びついたアイマスにおいてそれは絶対あり得てはならないから。
度々見るデレマスの改善方法に「不人気を最初から切り捨てればよかった」とある。かなり残酷な意見だが正直運営はそれをしたかったができなかったと思う。
運営からすれば不人気キャラのPなんてぶっちゃけ数も少なければ人気のある、売上に貢献する時ではなく売上が見込めないタイミングでしか金を落とさない癖に文句はいうと言ったクレーマーに等しいものだ。切り捨てたいものではあるがそれを実行すると人気キャラのPに切り捨てを行うジャンルとして受け止められてしまい売上に影響が出る。だからできないのだ。
そんな運営が考えた答えが「新キャラ投入で口に出さずとも不人気に未来はないことを表す」だった。これなら確かに言わずとも実質切り捨てとして受け止めて貰えるし新規Pも狙える。完璧な動きと言えよう。
炎上はした。しかしこれはかつてのアイマス2の時とは違い確実に運営は予想していただろう。もう運営はわかっている。炎上しても必ず新キャラは受け入れられることを。そして今声ありキャラのPは安心して楽しんで欲しい(上田とか声あってもあまり出番ないキャラもいるけど)。今声なしキャラのPは考えて欲しい。
辛いぞ
眠れないので酒飲みながらダラダラ書く。
今年でもう65歳、大学卒業してから40年以上仕事に邁進し、同期ではトップクラスに出世した。
家庭のことは妻に全て任せ、仕事一筋でそれなり規模の会社の役員にまで上り詰めた。
今思えば、家事も育児も全て妻任せ、帰宅は12時を回るのがデフォルト、家族をかまったことなど殆どなかった。
私が悪いのは明白だと自分でもわかっている。
息子は妻のヒステリに晒され続けたせいか、攻撃的で、そのくせ暗く、人間関係を上手く築けず、高校も中退している。
今思えば、陸上でそれなりの結果を残し、性格も明るかった妹と比べてしまった自分が悪かったのだ。
大検を取ってそれなりの理学部に進学した時は、家族関係が一番マシだったときだ。妻も喜んでいた。
今息子は小説の印税で少し多い収入があるが、投資だの仮想通貨だのと馬鹿みたいなことで浪費してしまっている。
妻はうつ病で薬を飲み始めてから、攻撃的になり、私に家庭崩壊の責任を負わした。
娘は息子のことを嫌ってめったに家に寄り付かない。
どこで間違ってしまったんだろう。
NTTにいた頃には「あんまり福利厚生を手厚くすると調子に乗る」「権利を主張する前に義務を果たせ」といった呪詛を繰り返し耳にしていたので、Googleがそれとは全く別次元の戦いをしているという事に気づくのに時間が掛かった。
http://kumagi.hatenablog.com/entry/ikukyu
こんなこと聞いたことないし、さすがにこれはないんじゃないかなーと思ったので書いておく。
もちろん部署によっては呪詛を繰り返し耳にするかもしれないけれど、それは単に呪詛を唱えてる人が知識足らずなだけである。
まず、NTTの福利厚生は日本の一般的な大企業と同程度には充実している。
中の人も知らないことが多いけど、健康保険とかは凄まじく手厚い。
あと、昔は社宅を申請したらボロくて遠いところが割り当てられて一ヶ月もしたら放り出されたりしたけど
最近は借り上げマンションが割り当てられるようになってきて、下手すると新築マンションに月3万ぐらいで住める。
とはいえ、GAFA(GとAぐらいしか知らんけど)と比べたら見劣りするかもしれない。
それは手厚くすると調子にのるとかじゃなく、単純に原資が足りてないっていうだけだ。
研究所のトップクラスの天才研究者も、窓際で新聞読むしか能がないダメ社員でも平等に支給される。
だから食堂を無料にするには数万人レベルで食堂を無料にしないとダメだし
育休を手厚くすると不正利用しようとする輩が少なからず出てくる。
だからトップクラスの社員を確保するために福利厚生を充実させるってのは無理っていうだけだ。
お前ら採用の時にそれこそ呪詛のように「給与は高くない」って聞いてたのになぜ就職したの?としか思えん。
大半の優秀な学生は給与じゃなくてやりたい研究に没頭できる環境があるからだったり
大企業ならではのパワーを動かすためだったり、そういうので就職していて
大半のやめる理由は「思ってたんと違う」っていうだけであって
それは経営者側も十分に反省すべきだと思うけど、待遇をよくしろってのはなんか違うよ。
まぁ、給与を上げて欲しいのはそりゃそうだけど、そんなことしてもやめる奴はやめるよ。
自分が働いてるところは割と余裕があるほうだ
毎日1,2時間はネット見てられるしネットの制限はないから好きなページを見れる
新しい情報を仕入れたりライブラリやフレームワークを使ってみたりもできる
暇な時は1日することないが待機はしてないといけないので、いろいろ試せて使えるツールや技術も増える
だが、大手づとめの知人はかなり忙しいらしくネット見てる余裕はないし、そもそも許可されてるページが限られているらしい
そういうところに努めている人は新しい情報に疎くなる
就職前からの知り合いなのだが、昔はいろいろ自分で調べていて詳しい人だった
しかし今では、古い方法をいつまでもやってる人以外では当たり前になりつつあることでも知らなくて、話していて初めて聞いたと言われることが増えた
調べてる余裕がないらしい
本来業務中は仕事するべきだから、新しい情報を調べたり実際に使ってみるなどは業務時間外にすべきというのもわかる
しかし、終電まで仕事していて休日出勤もあるようなところでそれは厳しいだろう
それでも趣味=仕事な人なら、数少ない休みの日にそういったことをするかもしれないが、そこまでする人は少ないと思う
仕事になると、新しいものをあれもこれもやるというのは慣れるまで効率がよくないし、慣れたものを繰り返してるほうが効率がよいので慣れたものをやらせることが多いと思う
業界的に廃れるのは早いほうだから同じことだけでは 10 年も 20 年もやっていくのは難しいと思う
いつか新しいものに移らないといけなくなるが、情報をほとんど仕入れられていない期間が長いとその難易度も上がる
私自身、基本暇な会社だが、忙しいときは終電まで関係ない調べ物でネット見てる余裕ないときが1, 2ヶ月続いたりはする
その後、いつものように調べてみるといろいろ変わっていてブランクがあった分追いつくのが大変だった
それが何年も続くと、新しくその業界に入ってきた人とそこまで変わらないくらいの全然知らないところに来た気持ちになると思う
若いはじめての人ならいろいろ自分で調べる体力があったり楽しさもあってできる人が多いと思う
それに比べて、今までのが使えなくなる辛さもあるし、年齢を重ねて新しいのに適応するのに疲れてきてついていけなくなる人が増えてくる
そういう人が多い年齢が 35 歳くらいなんじゃないのかと思った
実際、私の会社だとそれくらいに余裕があるからか、 35 歳を普通に過ぎてるのに社内ではトップクラスに詳しい人がいる
同じこと繰り返してるだけじゃなく常に新しいもの調べたり試したりしてるようなタイプの人だし、経験年数の多さがそのまま力になってる感じで多少詳しい若い人では全然届かない
これは一つの理由なんじゃないかってだけで全員がそうではないかもしれない
だけど、仕事中に常に新しいものに適応していける程度に自由にできる時間を作るべきなんじゃないかと思う
技術についていけなくなれば、古い人やめさせて新しい人を入れればいいやって考えのブラックよりならともかく、長く続けてもらいたいならそういう時間を用意するだけで結構変わると思う
オンゲは典型的な盛者必衰というか、栄枯盛衰のあるコンテンツである。
そして最後は多くのアンチにdisられるようになり、さらに多くの元ユーザに忘れられ、めでたくサービス終了になる。
一方、艦これのような艦船美少女系ジャンルでこの世の春を謳歌しているのが、他ならぬアズールレーンなのは読者諸兄もご存知の通り。
なんというか、艦これが生み出した艦隊運営・育成システムを、今風のトレンドでアップデートした造りのゲームと言っていい。
それもあってか、たとえイベであってもそこまでせっつかれることなく、スキマ時間にポチポチやれるゲームバランスは見事である。
折しも艦これの仕様改悪についていけなくなったプレイヤーを取り込むのにも成功し、大人気になったのも頷ける。
アズレンで最高クラスの砲火力を持つ艦といえば、オールドレディことウォースパイトである。
で、このウォースパイトという艦だが、端的に言って脳筋枠である。
そのレア度(金レア)に恥じない、トップクラスの火力を持つ反面、スキルの命中精度が大いに微妙で、結果「強いけど敢えて彼女じゃなきゃいけない理由がない」というポジションに甘んじており、海域攻略においては基本使われない状態だった。
まあ演習ではそれなりに人気だったみたいだけど、別に演習番長と言えるほどではなかったり。
ちなみにこのクラスの高レア艦の改造第一弾がアズレンの那珂ちゃんポジサンディエゴで、彼女の改造実装はユーザの予想を良い意味で大きく裏切る、奇跡的な大成功だった。
何しろ対空トリガーハッピーだった彼女が、改造後は万能艦に大化けした強烈なアップデートだったので、「金レアでありながら不遇をかこっている艦の救済策」という観点からしても大きなインパクトがあったのだ。
そんな過去のいきさつもあり、ウォースパイトについても皆大いに期待したわけですよ。
しかし蓋を開けてみると…長所を伸ばしたといえば聞こえはいいが、ぶっちゃけ脳筋の筋力だけが強化された内容という。
おかげで、ユーザが集って情報交換できるページはwikiも5chも含め、各所で大荒れですよ。
しかも歴史が示す通り、オンゲは何がケチの付き始めになるかわからない怖さがある。
艦これだって元を辿れば重雷装巡洋艦の実装が、歯車の狂い始めるきっかけだったわけで。
しかし一世を風靡したオンゲの「その人気は昔の話」みたいになる流れは個人的に結構堪える。
でも残念なことに平成時代はそんな歴史の繰り返しだったわけで、そろそろ変わって欲しいところである。
まあアズレンに限って言えば、開発元の社長やってるあのおねーちゃんは、少なくとも艦これの腕組み無能デブよりは全然キレ者っぽいので、まだ大丈夫と信じたい。
よし、みんなこれだと悪いところしか出てこないので、俺がエホバ擁護するぞ。
エホバの証人は新興宗教の中でトップクラスのIT化が進んでる団体。
jw.org というドメインで公式サイトがあるが、とてもしっかりした作りなのが見て取れるはず。
多言語対応だけでなく、手話にも対応しているし、ブロードキャストとして動画配信もしている。そしてデザイン面においても、ブランディングが各地で揃っている。
昔の印象で「雑誌や本を配る」団体のような印象を持ちがちだけど、実は聖書や書籍などは全て電子化されてる。
信者の集まりなども基本的にはみんなタブレットを持ち寄ってそれを参照してやってる。信者向けにバルクでiPadを売るプログラムなんかもある。
また、例えば App Store で jw.org で検索するとわかるが、たくさんアプリが出てくる。
書籍などはもちろん、賛美歌なども全てアプリになってる。子供向けの教育アプリもある。
そもそも、基本的に信者からの任意の寄付だけで回している団体なので、物理的な書籍をなくすことで大幅にコストカットができるため、世界的に見てもだいぶ早い時期からIT化に踏み切った唯一といっていい団体なのだ。
タイトルの通り2018年に入社したNTTグループの某社を退職しました。
2019年1月中旬に正式退職したので、約9ヶ月間働いたことになります。
本記事では非常に主観的かつ局所的な話を書くつもりであり、一般性には欠けますのでご承知ください。
NTTグループの某SIer企業に2018年度の新入社員として入社しました。
前年度までは大学院に在籍しており、情報系の研究を行っていました。
入社してからの立ち位置としては一応システムエンジニアに分類されるはずですが、あまりシステムエンジニアらしい仕事は行いませんでした(これについては後述しています)。
2018年の4月に入社し、最初の2ヶ月間は新入社員研修を行っていました。
研修内容は大手企業あるあると言った感じで、挨拶練習や名刺渡し練習、ビジネス文章の書き方等を行いました。
周りは「研修が手厚くて良い」と言っていましたが、個人的には退屈なだけでした。
今振り返ってみると、この研修期間中が最もつらかった様に思います。
しかしながら研修自体は退屈であったものの流石に大手企業と言うべきか入社同期には優秀な方が多く、変な人間も少なかったため人間関係の面ではこれといった苦労はありませんでした。
6月になって研修期間が終わると正式に部署配属が行われました。
この時配属された部署に退職するまで在籍していたことになります。
部署自体の詳細についてはこのエントリでは伏せますが、元々配属を希望していた部署であったため、配属当初は安心した記憶があります。
何か1つこれが決め手になってといった明確な退職理由はありません。
インターネットで言われるようなSIer業界の悪評についても内定前から知っていて、実際に入ってみての感想としても「噂は真実だったんだな」くらいのものだったので特に入社したことに対する後悔もありません。
入社して詰まらない・つらい仕事であったら適当なところで辞めようと思っていましたし、その結果として詰まらない・つらい事象がいくつか重なったため退職するに至りました。
それらの事象を細かく挙げていくと切りがありませんが、そのうち幾つか分かりやすいもの(且つ社内機密や違法行為に当たらないもの)を以下に挙げます。
少なくとも自分が想像していたシステムエンジニアとしての業務は殆どありませんでした。
いわゆるSIerへの批判的な記事に挙げられるようなこと(Excelにスクリーンショットを貼り付ける作業、何に使われるのか分からない謎の資料作成、etc.)や、電話番等が主な業務でした。
新入社員に対して雑務を割り当てるというのはある種合理的な部分もあるとは思うので批判は控えますが、個人的には特に学ぶべきこともなく時間の無駄に感じました。
一方でExcelスクリーンショットに関しては批判するべき部分があります。
Excelスクショは「エビデンスを残す」という名目で行われることが多いと思いますが、システムが正しく動作したかを顧客に証明する目的であれば、結果ではなく検証をする方法を提供するべきではないかというのが私の意見です。
スクリーンショットなんてものはいくらでも改竄可能なもの(WebページなどであればDeveloper ConsoleでHTMLを書き換えれば良い)であり、普通に考えればエビデンスとしての効力はないと考えられます。
周りにはそれなりの年齢の方も多く、また社会インフラの構築を担うことの多い会社であるため、技術的な知識に造詣の深い方が多いと考えていたのですが、そのようなことはありませんでした。
大きな会社なのでそういった人も社内のどこかにはいるのかもしれませんが、少なくとも自分の周りでは観測できませんでした。
詳細は避けますが、技術的な知識に関してはその辺の情報系学部生の方が理解していると思います。
Linuxコマンドが分からない方向けにコマンドの打ち方をまとめた手順書(ターミナルエミュレータを立ち上げて、どこにユーザ名・パスワードを打ち込んで、どのボタンを押して...をスクリーンショット付きでExcelにまとめる)や殆ど問題を丸投げしている様な質問表等を作っていた時の心中は決して穏やかなものではありませんでした。
ファイル名の末尾に日付を付けるようなバージョン管理方法も噂では聞いていたものの本当に実在しているとは思っていませんでした。
また部署としては今後コンサルタントとなるような人材を増やしていきたいような雰囲気がありましたが、システムを殆ど理解していない人にコンサルが務まるのかはよく分かりません。
主に常用していた端末周りの環境についてです。
使用しているコンピュータのスペックがあまりにも低く(メモリ2G、ハードディスク50GB、32bitOS)、まともに作業ができるような環境ではありませんでした。
Excelを開いたり、酷い時はIMEの変換機能を使用した時にもコンピュータが固まっていました。
上で雑務が殆どと書きましたが稀に開発をすることもあり、そういった場合は特にスペックの低さによるストレスを感じていました。
私自身そこまで気合を入れて仕事をするような人間ではなく、むしろできることなら仕事せず遊んでいたい人間ですが、やるべき仕事がくだらない原因で阻害されるというのはそれはそれでストレスが溜まるものだなと思いました。
自分だけでなく周りの人達の環境でもそういったことは起こっていましたが、周りの人達はこの現象について好意的に感じている(コンピュータが固まるのを理由に仕事をしなくても済むため)ようでしたので、その辺りの温度差も退職の理由になっています。
計算すれば高スペックのコンピュータを導入するコストよりも、低スペックなコンピュータを使うことにより生じる人件費の無駄の方が大きいと分かるような気がしますが、あまり計算が得意な人がいないのだと思います。
昨今セキュリティが重要視され、セキュリティに関する施策に予算が付くようになったのは良い点だと思っています。
しかしながら、実施される施策が的外れなものと言わざるを得ないものばかりでした。
的外れならまだ良いですが、それはセキュリティリスクを高めるだけなのでは?と言った理解のない上の人間が思いつきで実施したとしか思えないものもあり大変疑問を感じました。
意味のない施策で業務環境が不便になるのも見てる分には面白いですが、その中で仕事がしていきたいとは思えませんでした。
パスワードの定期変更や、暗号化zipファイルをメールで送り続いてパスワードをメールで送る等のバッドノウハウが未だに存在していることも知りました。
またこれはSI業界全体に言えることだとも思いますが、RPAとかDX(Digital Transformation)とか10,20年前に言うならともかく、今更言っても時代錯誤感が強いです。
退職理由として不満点を挙げることになってしまいましたが、良い点もありました。
これは部署やプロジェクトに依る部分もあるみたいですが、少なくとも私の所属部署では早く帰ったからと言って咎められるようなことは殆どありませんでした。
最近は労働時間に関する制限がかなり厳しくなっているようで、残業が多い部署は上から注意されているようでした。
有給休暇についても申請して拒否されるようなことはなく、むしろ消化が推奨されていました。
休んだことにより後から文句を言われることもありませんでした。
上司や同僚から理不尽な扱いを受けるようなことは殆どありませんでした。
入社前のイメージがパワハラ・モラハラは当たり前といったものであったため、非常に驚かされた部分です。
また少なくとも自分の観測範囲では人種や国籍、性別による差別は行われていないように見えました。
色々ありすぎて私も全てを把握できていませんが、恐らく福利厚生に関しては国内企業ではトップクラスに充実していると思います。
少なくとも1年目の年収としては比較的高い方であったと思います。
業務内容の割に高いとも思いました。
私の場合は残業は殆どありませんでしたが、役職のない若手が残業をした場合残業手当が付くため(役職がつくと裁量労働制になる)、残業をした場合は更に貰えると思います。
もちろん残業手当は働いた分だけしっかり付くようでした。
ただどうやら年収の伸びはそこまで良くはなく、聞いた話では20~30年勤続し管理職になってやっと1000万程度らしいです。
ただ勤務中はかなりささくれ立った心境であったため、こうして比較的穏やかに振り返ることができて良かったなと思う次第です。
巷ではSIer崩壊説みたいなものもありますが、個人的にはSIerは今後も続いていくと考えています。
環境も改善していって数十年後に「あの時辞めなければ...」と後悔することになると面白いですね。
今後の身の振り方については決まっていて、ソフトウェアエンジニアとして転職をすることにしました。
具体的な企業名や待遇等について詳細を書くことができませんが、年収については前職であれば20~30年勤続し管理職になった場合と同程度になります。
けものフレンズ1期、あれは素晴らしい作品だったし、個人的に2010年代でもっとも楽しめた作品なので、続投してほしかったなと思ってた。
でも、ケムリクサはそれより面白いという予感というか、なにかとても引き込まれるものがある。ひょっとすると、2010年代などと言わず、今まで見た作品全ての中でも、トップクラスに気に入るんじゃないかという予感がする。
あの楽しみをもう一度!というのもいいけれど、私はこっちを見てみたい。たぶん、けものフレンズという枠組みじゃ難しい類の表現もできることだろうし。
一方のけものフレンズ2期の方も、まあ望んでいる程度の良い作品にはなりそうだし、やるべきことはやってるんじゃないかなと思う。こちらも、願わくはこのままのんびり世界観を拡張していってもらいたい。
https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=dragonballzbroly.htm
ドラゴンボール超 ブロリーはアメリカ時間で先週水曜日から日曜日までの間で約2100万ドルの興行収入を稼いだ。
現時点で全世界の興行収入が$86,927,575に到達している。
これは日本円に換算すると約95億2491万5175円である。
今年の邦画ではコードブルーが約92億、コナンが約91.8億+中国の興行収入20億でおおよそ110億円(現在の円ドル換算で約1億ドル)といわれている。
イベント上映のためアメリカではこれから先の上映館数は縮小するが
今週以降公開館数は少ないもののオーストラリアやヨーロッパなどでも公開予定である。
近所の産婦人科のブログに「作る場所(不妊治療をする病院)を増やしても産む場所がない」「産婦人科医は絶滅危惧種」というような内容が書かれていた。
歯医者はコンビニよりも数が多いって聞くけど科によって人気不人気があるのか。
(https://www.dr-10.com/lab/facts-and-reasons-for-shortage-of-obstetricians-and-gynecologists/)
>産婦人科は形成外科(美容手術なども含まれるため多い)に次いで2番目に訴訟が多いことがわかります。
ただ、日本は諸外国と比較してもトップクラスの安全性を誇ってるみたい。妊産婦の死亡率は1%未満。赤ちゃんの死亡率も1000人対比4人未満。
他の科のお医者さんと比べて激務らしい。
そんで激務であること自体が若手医師を産婦人科から遠ざけてる面もあるとのこと。
ふむむむむ…。
http://www.garbagenews.net/archives/2013192.html
>外科と産婦人科・小児科が減少している実態。ただし産婦人科については社会問題化したこともあり、持ち直しの機運が見られる。
医療施設従事医師数の年次推移、2006年が谷になっていて、以降はじわじわ持ち直してるみたい。
http://www.garbagenews.net/archives/2013191.html
精神科が増加傾向にあるのが興味深い。
>子供と深いかかわりのある診療科の小児科や産婦人科は、子供の数そのものや医師数同様、病院の診療科目としても減少の一途をたどっているのが分かる。特に産婦人科は他の診療科目よりも以前から漸減の動きを見せていたが、1990年代後半から減少が加速化、今世紀に入って減少スピードは穏やかになったものの、持ち直しの気配は無く、数は減り続けている。減少幅はこの40年近くで約5割、つまり半減しており、確実に少子化のスピードを上回っている。
>いわゆる「懐妊が分かった時点で出産の予約をしないと間に合わない」といった落語のような話が、世間一般の常識になる状況である。
割とこの状態になっている。2ヶ月目までに分娩予約しないとどこも受け入れてもらえませんよ、のようなことを言われるらしい。
にゃーん。
面白そうなので私も書いてみようか。東日本の公立学校卒→東大理Ⅰのケース。
・家庭環境
電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校の事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。
田舎町なので私立小中学校などというものはなく、受験は高校から。
小学校入学前からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。
両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。
・小学校
選択肢も何もなく近所の市立小学校へ入学。国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的な頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース。大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。
うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子はソフトボールかサッカー、女子はミニバスケットボールか合唱、しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。
自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。
運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道の同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。
・中学校
選択肢も(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋でゲームやって帰ってくる生活。
英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。
高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校が偏差値的な意味でトップ、私立はすべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。
受験はすべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。
・高校
進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風はリベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。
部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器は中学校のブラスバンド経験者が占めているため、素人は必然的に弦楽器担当。ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。
2年生で文系・理系のコース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義はスルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。
科目としては数学と化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初の力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。
中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学は最初は東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。
センター試験の自己採点は720点ぐらいで、足切りはクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケー、レベル。(理Ⅲは知らん)
2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式がちょっと特殊なので、トラディショナルな形式の京大工学部を受験することにした。大学受験も私立すべり止め無しの舐めプ。
初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰの合格ラインは2.5〜3問。残りの化学・物理・英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調で普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。
結果、現役で一発合格。
・その後
地方のお山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業、就職してエンジニアやってます。
北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。
だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。
成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由でからかわれることがあった。
当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。
成績はトップクラスで運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人を不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。
暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。
その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。
自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイトの大学生の先生に過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくまで学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。
学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望の公立高校に入学する。
世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来のぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。
今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生に挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年間世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。
といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。
学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。
友人に東大を受ける奴がいて、そいつが天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テストで理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶしに数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。
受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。
どこに自信があったのかは知らないが、センターは何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。
過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々と勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……
試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネットで合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPCで月姫をプレイしたことを良く覚えている。
勉強法自体は特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。
まぁ、北大程度の人間だから画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大や京大に行った人達に任せておきたい。
【その後】
入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。
冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。
といっても時期は既に秋、適当に一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。
適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいはしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。
ソーシャルゲームに課金し、声優を追いかけ、両親に「あんた結婚は」と追い立てられる普通のヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(
自慢じゃないが、俺はハンプシャーツリータスクというテストで世界上位2%の成績を獲得したことがある。
ハンプシャーツリータスクというのはケンブリッジ大学が提供してる知能テストだ。
カラクリを暴露してしまうと、ケンブリッジ大学は他にも数十種類のテストを公開していて、「色んなタスク用意するから、どれが自分に合うか見定めるといいよ!」という趣旨のテスト群の一つが、ハンプシャーツリータスクということだ。
全部やれば、だいたい誰でもどれか一つぐらいは、世界トップクラスの成績を取れるテストがある。
このテスト群の良いところは、人には向き不向きがあって、自分にも何かしらは秀でた能力があることが、わかることだ。
悪い所は、テストの結果をどう活かせばいいのか、さっぱりわからないところだ。何かしら優れていたところで、現実で活かせていないのなら意味がない。
まぁそれはおいといて、社会生活を営んでいると、どうも気になる事がある。大抵の人は、無意識に「自分の評価尺度」で他人の能力を判断しているということだ
俺で言えば、恐らくハンプシャーツリータスクの成績の低い群の人間を、無意識に無能と認識している。実際にテストをやってもらったわけじゃないのでわからないが、統計を取っても恐らく有意な結果が出るんじゃないかと思う。
ここで問題になるのは、社会生活を営む上で、している評価、受けている評価は正しいのか?ということだ。
まぁ、俺個人の他人への評価なら、大した影響力を持たないので、どうでもいいかもしれない。
だが、影響力のある人間が、これを理解していない可能性が高いのは由々しき問題だと俺は思う。