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2024-08-19

クルド問題で良くやり玉にあがる解体トラックの積載とヤード問題に就いてパート1

産経新聞が報じているクルド人ヤードで大騒ぎ問題に関して。因みに本稿では記事事件のものには触れない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240818-Q7DJ43L7IVGBVIXACY4JX5FRBY/

 

トラック制裁制限

産経記事では冒頭に「過積載の(解体業)トラック」の写真掲載されている。Xでもよく同じような写真が「クルド人解体屋の過積載トラック」として掲示され「何故か警察検挙しない!」と指弾されている。

これらは違法積載なのだろうか?

 

道交法は近年改正され、車両からのはみ出しの制限が緩和された。

後方については車両長の20%以下となった(はみ出しが後方だけの場合)。これはいすゞエルフ2t積みの場合全長が4.7mなのではみ出しの最大は940cmとなる。写真トラックはそんなにでっぱっていない。

 

側方については片方10%づつの両方で20%までが可能になった。

産経写真トラックは上の方が広い積み方がされている。一番上に畳が2枚並んであるのでこれを基準に幅を考えてみる。

畳は地方により寸法が違うが関東で使われる江戸間だと短辺は88cmだ。これが2枚で176㎝。真ん中に間隙があり、柱も一本挟まっている。また少し斜めになっている。それらを修正すると188cmくらいか

エルフの全幅は1.7mなので両側合わせて34㎝まではみ出し可能だ。幅は1.7+0.34=2040㎝まで積載okであるから全然余裕である違反ではない。

 

では高さは?というと、実は規制がないのだ。いくらでも積んでいい。

でも道交法では「道路運行する車両の最大寸法」が決まっていて、3.8mとなっている。だから荷台の高さに拘らずに全車3.8mまで積める。

しかし3.8mというのは観光バス屋根とか電車の2階建てグリーン車屋根の高さで、とんでもない高さだ。だからトラックでそこまで積むという事はあまり無い。で、写真トラックもそこまで積んでいない。見たところ3.2~3.4mくらいだ。

 

重量は?というのは測らないと判らない。でも間隙が多い廃材なので重量はそこまでいかない。2tくらいではないだろうか?因みに木造住宅の重さは30坪2階建程度で30t強といったところ。検索すると1600kg/㎡という数字が出てくるだろうが、これは家の積載荷重と耐雪荷重を合わせた重さで、自重は半分程度になる。また壁材のモルタル石膏ボード漆喰を合わせた重さだから木材だけだと大した事ないのだ。

 

となると、これは過積載でも何でも無い定積載なのだ

 

トラックの積み方

トラックに積む場合、まずはあおりの内側にコンパネなどで壁を造る。その中で安定するようにテトリスみたいにぴっちり積んで、時にTスピンなんかも駆使して動かないようにする。

コンパネ壁の上に来たら安定する大物を外側に積んで真ん中の方に小物を積んで行く。これもテトリスっぽいな。

いい所まで来たらロープを掛けて思い切り絞り完成。コンパネと大物が押さえになって荷崩れを防止する。

 

多分、Xとかで騒いでいる人らは平トラックの積み方知らないのだろう。なので解体屋のトラックを見たら全てで「過積載」と騒ぐ。しかも慎重に情報を流すという動機がない。

しかも後ろからではドライバーが何人かなんて判る由もない。クルド人かどうかなんて聞かないと判らない。更に言うと撮影場所がどこかとかどこナンバーかというのも確認しないしその動機もない。

警察はなぜ検挙しない!」ってそれは平トラックの定積載だからだ。アホやね。

 

ヤードの中が見えない問題

ヤードっていうのは物流基地屋根のない構内をいうのだが、特に自動車解体屋の車両置き場の事も指す。最近ではそこから建築業の資材置き場や金属スクラップ置き場なんかのことも指す。これは自動車解体屋のヤード誤用っぽい転用だ。

で、この自動車解体ヤードは簡易な壁で仕切られて中が見えない、中で盗難解体しているのではないか?と言われ、それもクルド人問題として語られる事がある。

 

だがこれは無体な論難だ。壁を建てるのは法規制に拠る。

昔の自動車解体屋はテキトーで、その辺に廃車を積み上げ、外して売り物にするエンジンやボディーパーツをその辺に積み上げていた。

だがこれだと廃油や廃冷却水がタレ流しになって土壌にしみ込んでしまう。廃冷却水は河川流れると魚毒性が高い。

そこで各条例でこういう規制が出来た。

・1.廃車置き場と作業場コンクリ打ちして排水路を作り、オイルトラップを設置せよ

・2.1が難しい場合作業場だけコンクリ打ち+排水路+オイルトラップとしてそこで全液体を抜いてから廃車置き場に置け

・十分な高さのある塀で囲って部外者が入れないようにせよ

 

最後の塀は子供が入り込んでかくれんぼをしてたら転落したり、車ごとプレス機に突っ込まれキックアスの悪役みたいな死に方するのを防ぐ為の規制だ。

増田学生時代、金がないかマイカーは買えなかったが整備の腕は幾分あるのでバイト先の友人に駆り出されて工具箱持参で解体屋にフォークリフト86の廃車を下ろしてもらいミッション自分たちで外したり、シルビアのノンスリップデフを外したりして金払って帰り、それらを交換したりしていた。日産のL型エンジンは重かったな。

でも今はそういうのは出来なくなっていて、勝手ヤードの中歩いたりさせてくれないしそもそもから見えないか在庫が判らない。つまらん。

こういう仕事は当然がっつり汚れて暖房冷房も無いところで働くから人気が無く、外国人従業員が多くなっている。

それで色の黒いガイジンヤバいとなって、「中が見えない=犯罪?」と連想ゲームになるのだが、法規制ぐらい知っておけという話である

 

事件地の推定

「本稿では記事事件のものには触れない」って書いがあれは嘘だ。やっぱ記事の中身に触れたくなったわ。というのも地理的条件説明したいから。

 

記事中に「(川口)市東北部とあるが、市の東北側には人家がまれ地域があるのだ。一つは旧見沼、もう一つが木曽呂という地区だ。

 

見沼

 

江戸時代まで川口から大宮にかけて見沼という巨大な沼があった。土木工事狂の三代家光になると、見沼の下の方に堤を造って、今の川口市~足立区開拓する事になった。その直接指示官は利根川東遷事業荒川西遷事業を為した治水土木界のチャックノリス、かの伊奈忠治である

そこで八町堤が築造され、見沼は巨大溜池となり、その南は広大な田圃となって幕府石高を上げ、財政情況改善したのである

ところで荒川はそれまで元荒川を流れていたので、上尾より下流入間川けが流れていた。しかしこの入間川下流は今の荒川と相当に違う所を流れていた。

指扇付近からは今の荒川の西を蛇行して流れ、中浦和駅武蔵浦和駅南浦和駅浦和シリーズスランプラリーしてるみたいな流路を取ってから浦和競馬場に踵を返して川口市を横切り今の外環道クロスして、川口オート→毛長川→八潮という風に流れていた。地方競馬からオートレースはしごかよ。

で当時綾瀬駅を流れていた利根川に合流して自由に氾濫し辺りをぐちゃぐちゃにしていた。オケラオヤジの大暴れみたいな奴である

この川も荒川西遷で廃川になったので広大な土地を開墾でき、その辺は川が無くなったから見沼の溜池で潤すって感じだ。

この川の痕跡戦後すぐの航空写真にはくっきりと写っている。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.841125&lng=139.699960&zoom=14&dataset=tokyo50&age=10&screen=2&scr1tile=k_ort_USA10&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

河川跡は出水やすいので田んぼとし、その横に形成された微高地自然堤防曽根)に集落を築いていたので川跡がくっきり残ったのだな。

 

享保の改革吉宗時代になると、見沼に泥が溜まって貯水力低下。そこで、見沼を全部干拓しちゃえという事になった。でもそのままじゃ水が足りないね。そこで見沼代用水という用水路を作るのだが、どこから取水してるというと羽生なのだ。見沼から60㎞以上あるのだ。

途中には当然沢山の川がある。そこでどうしたかというと、全部立体交差で通したのだ。江戸時代なのにちょっとイカれた工事だ。舎人ライナーに見沼代用親水公園って駅があるが、この代用水とは見沼の代わりの用水って意味なのだな。

それ以来、旧見沼は田んぼ地帯となっていて、地盤も悪いし土地が低いか都市化した後もそこに家を建てたり開発行為をしてはならないという規制が敷かれている。

武蔵野線東浦和東川口間、東武野田線大宮公園~大和田七里岩槻で突然住宅街が途切れて田園地帯や荒れ地が広がるのを見た事ないだろうか?あれが見沼なんである

 

で、八丁堤の下にあたる川口市の方は開発一切禁止というんじゃなくて調整地域という形になっている。これは一般都市計画建築物規制するやり方で、住宅工場などは建ててはならない。でも例外が設けられていて、学校病院特養ホームなんかはokなので、家は無くそういう建物ばかりが閑散に建つという風景になっている。

建物規制なので駐車場など建物がない用途では規制されない。すると、中古車屋(事務所は移動可能プレハブ)、解体ヤード建築資材置き場などは規制されないのでそれらが集まってしまい、景色としてはあまり良くない地域になっている。

 

パート2→https://anond.hatelabo.jp/20240819185125  

2024-07-20

ビバ!バルブロ酸ナトリウム徐放錠A200mg!

職場の同僚にされた些細なこと(皮肉言われたとか間違ってたのに謝りもしない)で怒りメータ100になって そいつの住所電話番号家族構成調べあげた挙句どうしてやろうか1週間考え続けてたんだけど、ふっと一瞬だけ正気に戻った隙に慌てて心療内科に駆け込んだ

犯罪者になる前に怒りを抑えられる薬ください!」

それでくれたのがバルブロ酸ナトリウム徐放錠A200mg。

飲んだらめちゃくちゃ落ち着いたっていうか、心の底にある感情が入ってる溜池コンクリで埋め立てられたみたいな感じで怒りがおさまった!

しかった!!本当に惜しかった!!

正気に戻らなかったらそのままお前の奥さん子どものことめちゃくちゃにするつもりだった!!

よかったなお前!!キ◯ガイにお前の子もの腹辺りをズタズタにされなくてさあ!!

お前が思ってるよりキ◯ガイは身近にいるんだよ!!!

そういうキ◯ガイが狙うのはお前じゃなくお前の大事ものだよ!!!

貰った薬が無くなっても私が継続して薬貰いに行ってくれる人間であることを祈ってろよ!!

お前が駅から10分ちょいのとこに買った一戸建てでよお!!!

聞いてんのかU!!!!!!!!

2024-04-26

奈良県メガソーラーあれこれ

公の場で政治の話はできんので半公共的な場所匿名であれこれ書き散らそうと思う。

目的

今まで奈良県政に興味がなかった県民紀伊半島住民、それ以外の人たちに、ぱっと「滑走路VSメガソーラー」の構図だけ見て「滑走路いらねえだろ」と言われている。一県民としてはバックボーンを知ってから滑走路とメガソーラー議論に参加してほしいと思った。

県政って突然計画が生えるものじゃなくて、ちゃん文脈があるからそこを理解してほしいし、広域防災拠点奈良県だけではなく紀伊半島すべてに影響する話なので関係ないと思ってる他府県民めっちゃ関係あるし、単純な構図で論争が起きてるわけではない。

※この日記は滑走路欲しい人が書くので中立風に書いてはいものの、まったく中立視点ではない場合があることに留意されたし。

【今までの流れ】

奈良南部地域普段から災害・水害が多い。

南海トラフが起きた時、救助や支援は深刻な被災が起こり得る和歌山人口の多い大阪が優先される。

奈良県はすぐに支援が受けられない(そもそも優先順位が低い)→災害時の広域応援部隊の重点受援県ではない(要するに、国が定めた基準の穴kでは奈良県全域が支援を最優先にしてもらえない地域

県内には自衛隊駐屯地がないため、災害発生時は京都支援要請災害派遣の流れ。つまり救助開始までの初動が遅く、対応が後手でしかできない。

・県南部民をはじめに奈良県防災拠点の設置および自衛隊の誘致を希望していた。

防災拠点に滑走路を置くのは自衛隊誘致をはかるため。

和歌山からも「南紀白浜空港だけでは南海トラフなどの大規模災害時の対応に間に合わない」と希望があり2000m級計画された。

地元住民計画同意し「防災拠点と滑走路ができる」認識土地を売却。

土地売却して計画始動タイミングで、県知事選の結果荒井から山下氏へ。

地元住民への十分な説明なく「メガソーラー案」が立ち上がり計画を強行する流れになる。

・何度か行われる説明会でも基本的に同じ説明のみ、「このプランが一番良い」と主張。

メガソーラーで発電、電力の売却や蓄電池の設置、水素ステーション建設プランを打ち立てる。

災害発生時はソーラーで発電して備蓄した電力を蓄電器に充填し、各地に配布する予定。

・滑走路は大型ヘリポートへ。

地元住民の反対や市議会での予算決議などで計画は一時保留の状態。←イマココ

【滑走路あれこれ】

・滑走路の大きさは大型輸送機(C-2のこと。能登でも活躍した。)の運用必要規定サイズ

・滑走路とは言うが、大型ヘリポートとしての機能も持つので実際は「航空機の離着陸用の土地」。

前例としてはのと里山空港。滑走路がひび割れている間はヘリポート、滑走路が直ってからはC-2の離発着使用

普段は使わないわけではなく、自衛隊UH-60Jなどの離発着場として提供するほか、民間機の誘致もし、南部活性化アクセスの悪さの解消を狙う。(ここもの里山空港とか南紀白浜空港と一緒)

建設したって使わないなら~論調はもうここ十年議論し尽くされ、使用用途は明確に決まっている。

平時であれば自衛隊民間機の離着陸、非常事態災害防災拠点

そもそも使わないでいられる方が幸福なのだ。ここがフルで稼働するときは、近畿全域で甚大な災害が起きた時である

メガソーラーあれこれ】

こちらの方が利があるという論法山下知事推している。

・一部県民特に南部民は「寝耳に水だよ!」「そんな計画だったら土地売らなかったよ!」「え?!安全ってマジで言ってる!?2023年6月2日の大雨でこの辺の太陽光発電システム地滑りを起こしたよ!?溜池決壊して激甚災害指定されましたが!!!???」「自衛隊マダー?」という感じ。

・ソーラー建設賛成派、作ってもいいけど滑走路もそのままでいいんじゃない?、反対派、そのほかグラデーションの皆さんがいる。

・先述の激甚災害指定されたことを含め、1020年で産廃になる可能性もメンテナンス必要性もあるけど、費用対効果は?

別にメガじゃなくてもいいのでは?(施設屋上ソーラーパネル配置とかでもいいのでは)

・五條って知ってますか?地図とかグーグルアース見たらわかりますけど「山」ですよ。送電どうするんですか?

メガソーラーの近くに水素ステーションも作る予定って水爆知らんのか?

水素ステーション安全だよ、そんなんだから後進国になっていくんだ!

・ソーラーせめて国産にしようぜ、なんで中国産やねん。

……と、保守派云々というより前例実態が明確でなく、過去の事例も踏まえて好感度マイナススタートメガソーラー。喧々諤々あるものの「へ~そっちのが利益あるなら多少計画から変わってもいいよね!」とは簡単にうなずけないのである

【補足情報

・広域防災拠点は救助要員の派遣救援物資の受け入れなどを担うところ。

奈良県内だけでなく、紀伊半島全域が対象なので、奈良県だけでなく、三重滋賀あたりでの大型の災害が発生した場合使用する拠点になる。

・国から支援を受けて作るものなので県の独断で作っていくものでもない。

・この計画自体県と国の合同で10年かけて計画されたもの

・前知事ハコモノ好きだったが県の借金は順調に減少していたし、必要予算中央から上手に助成を使ったりして作っていたので押しなべて無駄はいいがたい。

防災ハコモノ利権文句を言う人もいるが、それで金が流れて経済が活発化するのは県内企業

・ソーラー中国製が推されており、業者上海電力関係。つまり金の流れる先はおおむね奈良県の外。建設中は奈良県に金を落としても、継続して奈良に住み、働き、企業を立ち上げ、地域を活発に動かしていく人たちではない。

・今の奈良県借金は「ふるさと納税」が始まったことで他府県への納税が活発になっており、市町村納税額が低く赤字になっていることにも大いに関係することに留意されたし。

山下知事は「県が買った土地から何を作ろうと県の勝手」という論法

・↑の主張が一度でも通れば、「誰も住んでない場所お金になるから嬉しいでしょ」理論で核廃棄物原発建設されるかもしれない。

・↑これが飛躍した論理だと思うなら、県民とってもメガソーラー計画や県が買った土地から~という主張も飛躍した論理である

私見

ていうか滑走路ほしいよ~メガソーラー反対派増えてほしい~某党メガ賛同支持者SNSで声デカすぎてうぜ~~~~。

今まで伊丹とか関空とかまで高い金払って長時間移動して乗ってた飛行機県内にあるだけでどれだけ旅行に行きやすくなるか…。新幹線大阪京都まで出ないと乗れないから、とにかく交通費で遠方旅行とか、移動にかかる時間観光できる時間が少なくなってたの旅行好きとして悲しすぎる。車で行ける範囲制限があるし、車は都市部観光に向かないし…。

ヘリポート自体も悪くないとは思うけど、南海トラフ地震が起きた時、はたしてヘリだけで人員物資を集めて紀伊半島全域カバーできるのか?大型ヘリだけの場合東北から何往復必要になる?紀伊半島南部だけで90万人弱が被災するよ??

あとヘリポートにするならそれはそれでヘリポートの近くにメガソーラー作るの危ないだろ。ダウンウォッシュっていう強烈な地面にたたきつけるように吹き下ろす風を起こすから、その程度の風が何回も当たってたらパネル剥がれない?横風や上からの風に強くても地面に反射して下から回り込む強風も耐えられる?輸送数が増えたらその分、何度も吹き付けるよ?剥がれたパネルが人やヘリ、民家に落ちたり当たったりしたら危ないじゃん。メガソーラーが万が一火事起こしたら上昇気流発生して、そもそも離着陸できなくなるから防災拠点とかヘリポートとして使い物にならなくなるよ?災害時に物資を集めたり人が集まるところに漏電や火災リスクがあるものをわざわざ作るの?

防災に関する金はけちるべきじゃないし、物資集めて再分配して~が南紀白浜空港だけじゃパンクするから五条にぜひ作って欲しいってのは和歌山知事要請してたことだよ。令和元年の県議会議録に経緯が残ってる。八尾は小型の航空機しかまれいから大量の物資輸送できる航空機乗り入れられないし(小回りが利くって意味ではあるけどね。)、南紀白浜から奈良まで、八尾から奈良までの陸路絶対通れる保証もない。最悪のケースを想定して「陸路すべてが通行不可」になったとき、校庭や一般的ヘリポートしかとめられない、小型~中型のヘリ奈良県全域に必要物資を届けることはできるの?道路を作ったり、山を削ったりする技術を持つ地元土建屋仕事がなくなって技術のある人が県外に出たり、企業倒産したり、能登の時みたいに重機は社有してなくて外からレンタルする方式だったらどうやって道路を復旧したりがれき撤去したりするの?

災害が起きた時他県に頼るということは「自分たちの命を人任せにする」ことだ。よそに空港があるからそこでいいじゃん、まさかそんなこと起きないでしょ、なにかあったら大阪和歌山京都に頼ればいいじゃん、全員に袖にされるわけないでしょ。それって、自分の家に備蓄があることを知った隣人が「じゃあ何か起きたらあなたを頼ればいいわね!」って面の皮厚く言ってるのと変わらないってこと、分かってないよね。恥を知れ本当に。奈良県被災するとき和歌山大阪京都も大きな被災地になっている。なぜ彼らは自分たちのことで手いっぱいで、よそに人員を貸し出せないといってこないと思っている?今、ここで誰か助けに来てくれたら。そう思っても「現地に着くまで県境を越えるのでちょっと待っててくださいね」のこの時間がどれだけの命を奪う?土地勘もない、訓練もしていない他県で難しい判断を迫られる救助隊員だって大変だろう。

災害はその時だけじゃなくて起こる前・起こったとき・その後と継続的な支援必要なのに「起こったときしか対応できないししてもらえない。物資と人という、もっとわかりやすい「救い」を運んでくれるものを捨てるのは、そこに住む人、近畿に住む人の命を捨てるのと変わらないのではないか

山深い村とか集落が多いのに災害救助のプロ県内に常駐していないことを真剣危機的状況であることを自覚した上で、まだメガソーラーを求めるのか、考え直してほしいし、安易に賛成するべきでも、反対するべきでもないのだ。

奈良県メガソーラーあれこれ

公の場で政治の話はできんので半公共的な場所匿名であれこれ書き散らそうと思う。

目的

今まで奈良県政に興味がなかった県民紀伊半島住民、それ以外の人たちに、ぱっと「滑走路VSメガソーラー」の構図だけ見て「滑走路いらねえだろ」と言われている。一県民としてはバックボーンを知ってから滑走路とメガソーラー議論に参加してほしいと思った。

県政って突然計画が生えるものじゃなくて、ちゃん文脈があるからそこを理解してほしいし、広域防災拠点奈良県だけではなく紀伊半島すべてに影響する話なので関係ないと思ってる他府県民めっちゃ関係あるし、単純な構図で論争が起きてるわけではない。

※この日記は滑走路欲しい人が書くので中立風に書いてはいものの、まったく中立視点ではない場合があることに留意されたし。

【今までの流れ】

奈良南部地域普段から災害・水害が多い。

南海トラフが起きた時、救助や支援は深刻な被災が起こり得る和歌山人口の多い大阪が優先される。

奈良県はすぐに支援が受けられない(そもそも優先順位が低い)→災害時の広域応援部隊の重点受援県ではない(要するに、国が定めた基準の穴kでは奈良県全域が支援を最優先にしてもらえない地域

県内には自衛隊駐屯地がないため、災害発生時は京都支援要請災害派遣の流れ。つまり救助開始までの初動が遅く、対応が後手でしかできない。

・県南部民をはじめに奈良県防災拠点の設置および自衛隊の誘致を希望していた。

防災拠点に滑走路を置くのは自衛隊誘致をはかるため。

和歌山からも「南紀白浜空港だけでは南海トラフなどの大規模災害時の対応に間に合わない」と希望があり2000m級計画された。

地元住民計画同意し「防災拠点と滑走路ができる」認識土地を売却。

土地売却して計画始動タイミングで、県知事選の結果荒井から山下氏へ。

地元住民への十分な説明なく「メガソーラー案」が立ち上がり計画を強行する流れになる。

・何度か行われる説明会でも基本的に同じ説明のみ、「このプランが一番良い」と主張。

メガソーラーで発電、電力の売却や蓄電池の設置、水素ステーション建設プランを打ち立てる。

災害発生時はソーラーで発電して備蓄した電力を蓄電器に充填し、各地に配布する予定。

・滑走路は大型ヘリポートへ。

地元住民の反対や市議会での予算決議などで計画は一時保留の状態。←イマココ

【滑走路あれこれ】

・滑走路の大きさは大型輸送機(C-2のこと。能登でも活躍した。)の運用必要規定サイズ

・滑走路とは言うが、大型ヘリポートとしての機能も持つので実際は「航空機の離着陸用の土地」。

前例としてはのと里山空港。滑走路がひび割れている間はヘリポート、滑走路が直ってからはC-2の離発着使用

普段は使わないわけではなく、自衛隊UH-60Jなどの離発着場として提供するほか、民間機の誘致もし、南部活性化アクセスの悪さの解消を狙う。(ここもの里山空港とか南紀白浜空港と一緒)

建設したって使わないなら~論調はもうここ十年議論し尽くされ、使用用途は明確に決まっている。

平時であれば自衛隊民間機の離着陸、非常事態災害防災拠点

そもそも使わないでいられる方が幸福なのだ。ここがフルで稼働するときは、近畿全域で甚大な災害が起きた時である

メガソーラーあれこれ】

こちらの方が利があるという論法山下知事推している。

・一部県民特に南部民は「寝耳に水だよ!」「そんな計画だったら土地売らなかったよ!」「え?!安全ってマジで言ってる!?2023年6月2日の大雨でこの辺の太陽光発電システム地滑りを起こしたよ!?溜池決壊して激甚災害指定されましたが!!!???」「自衛隊マダー?」という感じ。

・ソーラー建設賛成派、作ってもいいけど滑走路もそのままでいいんじゃない?、反対派、そのほかグラデーションの皆さんがいる。

・先述の激甚災害指定されたことを含め、1020年で産廃になる可能性もメンテナンス必要性もあるけど、費用対効果は?

別にメガじゃなくてもいいのでは?(施設屋上ソーラーパネル配置とかでもいいのでは)

・五條って知ってますか?地図とかグーグルアース見たらわかりますけど「山」ですよ。送電どうするんですか?

メガソーラーの近くに水素ステーションも作る予定って水爆知らんのか?

水素ステーション安全だよ、そんなんだから後進国になっていくんだ!

・ソーラーせめて国産にしようぜ、なんで中国産やねん。

……と、保守派云々というより前例実態が明確でなく、過去の事例も踏まえて好感度マイナススタートメガソーラー。喧々諤々あるものの「へ~そっちのが利益あるなら多少計画から変わってもいいよね!」とは簡単にうなずけないのである

【補足情報

・広域防災拠点は救助要員の派遣救援物資の受け入れなどを担うところ。

奈良県内だけでなく、紀伊半島全域が対象なので、奈良県だけでなく、三重滋賀あたりでの大型の災害が発生した場合使用する拠点になる。

・国から支援を受けて作るものなので県の独断で作っていくものでもない。

・この計画自体県と国の合同で10年かけて計画されたもの

・前知事ハコモノ好きだったが県の借金は順調に減少していたし、必要予算中央から上手に助成を使ったりして作っていたので押しなべて無駄はいいがたい。

防災ハコモノ利権文句を言う人もいるが、それで金が流れて経済が活発化するのは県内企業

・ソーラー中国製が推されており、業者上海電力関係。つまり金の流れる先はおおむね奈良県の外。建設中は奈良県に金を落としても、継続して奈良に住み、働き、企業を立ち上げ、地域を活発に動かしていく人たちではない。

・今の奈良県借金は「ふるさと納税」が始まったことで他府県への納税が活発になっており、市町村納税額が低く赤字になっていることにも大いに関係することに留意されたし。

山下知事は「県が買った土地から何を作ろうと県の勝手」という論法

・↑の主張が一度でも通れば、「誰も住んでない場所お金になるから嬉しいでしょ」理論で核廃棄物原発建設されるかもしれない。

・↑これが飛躍した論理だと思うなら、県民とってもメガソーラー計画や県が買った土地から~という主張も飛躍した論理である

私見

ていうか滑走路ほしいよ~メガソーラー反対派増えてほしい~某党メガ賛同支持者SNSで声デカすぎてうぜ~~~~。

今まで伊丹とか関空とかまで高い金払って長時間移動して乗ってた飛行機県内にあるだけでどれだけ旅行に行きやすくなるか…。新幹線大阪京都まで出ないと乗れないから、とにかく交通費で遠方旅行とか、移動にかかる時間観光できる時間が少なくなってたの旅行好きとして悲しすぎる。車で行ける範囲制限があるし、車は都市部観光に向かないし…。

ヘリポート自体も悪くないとは思うけど、南海トラフ地震が起きた時、はたしてヘリだけで人員物資を集めて紀伊半島全域カバーできるのか?大型ヘリだけの場合東北から何往復必要になる?紀伊半島南部だけで90万人弱が被災するよ??

あとヘリポートにするならそれはそれでヘリポートの近くにメガソーラー作るの危ないだろ。ダウンウォッシュっていう強烈な地面にたたきつけるように吹き下ろす風を起こすから、その程度の風が何回も当たってたらパネル剥がれない?横風や上からの風に強くても地面に反射して下から回り込む強風も耐えられる?輸送数が増えたらその分、何度も吹き付けるよ?剥がれたパネルが人やヘリ、民家に落ちたり当たったりしたら危ないじゃん。メガソーラーが万が一火事起こしたら上昇気流発生して、そもそも離着陸できなくなるから防災拠点とかヘリポートとして使い物にならなくなるよ?災害時に物資を集めたり人が集まるところに漏電や火災リスクがあるものをわざわざ作るの?

防災に関する金はけちるべきじゃないし、物資集めて再分配して~が南紀白浜空港だけじゃパンクするから五条にぜひ作って欲しいってのは和歌山知事要請してたことだよ。令和元年の県議会議録に経緯が残ってる。八尾は小型の航空機しかまれいから大量の物資輸送できる航空機乗り入れられないし(小回りが利くって意味ではあるけどね。)、南紀白浜から奈良まで、八尾から奈良までの陸路絶対通れる保証もない。最悪のケースを想定して「陸路すべてが通行不可」になったとき、校庭や一般的ヘリポートしかとめられない、小型~中型のヘリ奈良県全域に必要物資を届けることはできるの?道路を作ったり、山を削ったりする技術を持つ地元土建屋仕事がなくなって技術のある人が県外に出たり、企業倒産したり、能登の時みたいに重機は社有してなくて外からレンタルする方式だったらどうやって道路を復旧したりがれき撤去したりするの?

災害が起きた時他県に頼るということは「自分たちの命を人任せにする」ことだ。よそに空港があるからそこでいいじゃん、まさかそんなこと起きないでしょ、なにかあったら大阪和歌山京都に頼ればいいじゃん、全員に袖にされるわけないでしょ。それって、自分の家に備蓄があることを知った隣人が「じゃあ何か起きたらあなたを頼ればいいわね!」って面の皮厚く言ってるのと変わらないってこと、分かってないよね。恥を知れ本当に。奈良県被災するとき和歌山大阪京都も大きな被災地になっている。なぜ彼らは自分たちのことで手いっぱいで、よそに人員を貸し出せないといってこないと思っている?今、ここで誰か助けに来てくれたら。そう思っても「現地に着くまで県境を越えるのでちょっと待っててくださいね」のこの時間がどれだけの命を奪う?土地勘もない、訓練もしていない他県で難しい判断を迫られる救助隊員だって大変だろう。

災害はその時だけじゃなくて起こる前・起こったとき・その後と継続的な支援必要なのに「起こったときしか対応できないししてもらえない。物資と人という、もっとわかりやすい「救い」を運んでくれるものを捨てるのは、そこに住む人、近畿に住む人の命を捨てるのと変わらないのではないか

山深い村とか集落が多いのに災害救助のプロ県内に常駐していないことを真剣危機的状況であることを自覚した上で、まだメガソーラーを求めるのか、考え直してほしいし、安易に賛成するべきでも、反対するべきでもないのだ。

2023-09-25

溜池無人書店って日販だったのか

日販だったら傘下に書店取り込んでるんだからセルフレジ会計速度だと雑誌をパッと買ってすぐ出る人」がなかなか足向かないの分かりそうなもんだけど

2023-04-10

anond:20230409204004

用水路って所有者とか管理者っていないのか?

私有地溜池に人が落ちたら管理不行き届きで賠償させられるぞ

2022-05-03

[]

ふいーいてきたー

自転車ブックオフゲオ漫画倉庫行脚~

えっといくついったん

マンガ倉庫

ゲオ店舗くらい?

ブックオフ店舗くらい?

おもてむきにアリバイで少し一般のうってるけど本体はえろうってるむかしながらの本屋3個

リサイクルショップ1個

トータル移動距離はたぶん30-40kmくらいか

連休中にやりたかったノルマ達成できてよかった

想定外だったのはブックオフとかの数だなー

マンガ倉庫ブックオフゲオをあわせて2,3こくらいと思ってたのにいざ出向いてマップアプリでみたらいっぱいあるんだもんなー

まあこれでせいせいしたわ

とちゅうでマックスバリュで割引になってた弁当をかってたべたらくそまずかった

惣菜いなり寿司をここまでまずくできるのか、と衝撃だった

けっこういくとちゅうに住宅街とか山方面をとおったら史跡とかよーわからん個人美術館とかあって、そっちメインでのんびりまわりたかったなと思ったりした

ただ自転車はやっぱきついなー

せめて原付きじゃないと史跡とかまわる体力までもたない

かったのはゲーム2つくらいだけど、知らない店、場所にいくのがメインだったしいいんだ

マンガ倉庫では今年初のツバメみれたし

溜池にはからだくろくてくちばしがオレンジの親子の水鳥がいて正体不明

ねこはみなかったな

工場っぽいのの横に犬がつながれてた

昔ながらの団地っぽいとこの裏に、めっちゃさびてくちはてたシーソーがあって、うおおおおおおお!めっちゃえもい!!!と興奮して写真とりまくった

2022-01-14

市川先輩のはなし

正月やったから今年は実家帰ったんやけどさ。

去年も一昨年もなんやかんや言って帰れんかったし俺その前の年も仕事あったから集まりさぼるわ言うて帰らんかったんな。せやから都合三年ぶりくらいになんのかな?三年前の盆以来かな。いやちゃうわ、じいちゃんが死んだで九月に一回帰ったんやった。いやでもじいちゃん葬式ほとんど斎場にいったみたいなもんやったし、何言うて俺じいちゃん霊柩車乗ったくらいしか覚えてへんわ。ばあちゃんときは家で死んだから寝ずの番とかしたけど、じいちゃん骨折してからずっと入院しとったし。

いやちゃうねん地元の話な。

地元えげつない田舎やねんけどさ、いやもうほんま今お前が想定したのの三倍くらい田舎なんやんか。ぼく人に地元のはなし言う時絶対言うねんけどトトロトトロおもいだして?あれ。あれの村の感じよ。マジで信号機とかもなんもないの。舗装はされとるけど、農道やでされてないと困るってだけよあれは。トラクタとかがぬかるんで足取られたら動けやんから

そんで帰ってさ。うちの実家割と適当から別にようあるほら、実家帰ると無限に食べもんでてくるとかそういうのもなくてさ、母ちゃん父ちゃんもあー帰ったんみたいな感じで、ゆきちゃん散歩してきて言うてきて。三年ぶりに帰った息子に犬の散歩てと思ったけどまぁ犬は可愛いから散歩いくやんか。ゆきちゃん。しばいぬかわいいで。年とって目ぇ悪いねんけど、家のまわりは散歩するから、まぁ久々やし戯れましょかねいうて。

そんでねぇ、トトロいうたけどウチん家はさつきとメイの家みたいぽつんと一軒家ではないからさ、集落の中にあんねやんか。で犬連れて歩いとると火の見櫓のとこの市川さんちの息子が帰ってきたわ言うてその辺のじーちゃんやのばーちゃんやのがえろう気楽に声をかけてくるんやんか。俺も慣れてるからまぁなんやはいはい言うて、あんたえらい髪の色なったなとかさんまいの坂の上のサキちゃんも帰ってきてんでとかまぁどうでもええこと教えてもろてさ。そう在宅ばっかになったからええやろおもて年末に髪ピンクにしててんさ俺。もう色ほぼ抜けてもてキンパやけどな。あとで染めたての写真見せたろ。

ああでそうさっきも言うたけどうち去年じいちゃん死んでんさ。ばあちゃんが死んだのも最近の話やったからまぁえらいことやったねみたいなことを言うてもらったんね。ほんまにねぇこの大変な時期に色々お世話になりましたぁいうて。ええなんもなんもみたいなさ。いやあれ田舎スイッチな。俺も田舎帰った瞬間そういう会話できるようになんねん。ふしぎやにあれマジ。田舎に育ったもののみ培われんねんてそういうやつ絶対

そんな感じでまぁじじばばとしばらく立ち話してんけどむっちゃ寒いし、いや風がまじでやばくて、今年うちのほう正月雪ちらついてていやもうあかんあかんこんなとこで立ち話しとったら死んでまうわ!なって、もう犬もほとんど帰りましょか?みたいな顔してたからさ、んじゃよいお年をー言うて帰ろとしたらさ、ばばの一人にあん散歩行くなら堤防のほうはいかんときなにって言い含められて、そんなん怖い話の導入みたいやん?なんでですか?言うて聞いたんけど、どうも狐が出るからっつってもうえげつないしかめっつらしてんさ。堤防さんまい向こうのかいからちょっといったとこにダムっていうかでかい溜池あんのよ。トトロでメイちゃんがおらんなった言うて竹でさらっとったみたいな。なんでもトトロかっちゅうかんじやけど、まぁほんまにああいうね。柵とか何もないの。子供落ちたら全部死にそうなんやけど、いまだになんもされんのよねあそこ。俺のときは登校班五人くらいやったからまぁわかるけど、今結構子供おるらしいしあぶなないんかな。しらんけど。舗装もされてないし、私有地やったりするんかな。わからへん。

で、そのへんの近くのはたが荒らされる言うて、罠かけたら狐がかかったんてさ。狐やで群れではないやろけど、それでも一匹だけかはわからんで近寄るなって。そういや姉ちゃんLINEで狐見物に行ったとか言うてたしああそれかぁっつって。いや娯楽がないのでね、なんや知らん動物がかかったぞ言うて人が集まるのよ田舎は。

そんでまぁ、きつねがおるから近寄るなて、日本昔ばなしか!言うて。完全に世界観がむかーしむかしー言うてるのよ。でもエキノコックスとかあるやん?なんの病気持っとるかもしらんし、その辺に糞だのなんだのあってゆきちゃんが変なんもろたら困るのはほんまに困るから、そのままばばの言うとおり堤防のほうは行かずに、さんまいの辻のとこで回って隣の集落とのさかいまで行って帰ろうとしてんさ。

うちの村と向こうの村の境ってすごい坂になってんのよ。昔は崖やったらしいに。こう、うちの集落ちょっと小高い丘みたいなってるのね。で、こう、もう無理やりコンクリで坂にしました!みたいな無茶な坂があんねんけど、そこの麓に一個畑があって。ちょうど…またこれもトトロやねんけど、あれの感じのぽつんと一軒屋みたいな家に住んどるじいさんだかがちっちゃいみかんの木とか、なんや野菜とか、じぶんちで食べるぶんだけ作っとるみたいなちっちゃい畑なんな。なんか最近お孫さんができたんかしらん、木の下に芝生みたいなん敷いてあってちょっとした遊び場になってるし、別にへんな畑とかではないよ。

ただ、あのーこれ田舎あるあるやねんけど、各畑に農機具とかをしまっとくちっちゃい小屋があったりすんのね。あと雨水ためとく古い風呂桶とか。まぁ風呂はええねんけど。で、農機具って言ってもクワとかシャベルとか、ふつうに盗まれたら困るし、あとほら、刈払機とかはチェーンソーとかおいてるとこもあるからあぶないんね。鍵掛けとかんとあかんやん。でその畑は廃車なったハイエースおいてたん。まぁ鍵もかかるし、休憩したいときには座席もあるしみたいなかんじなんかな。しらんけど。

でそのハイエースの影から、ばってなんか出てきたん。

さっき狐の話聞いたばっかやし、それでなくとも野犬とか怖いやん?ゆきちゃんはよぼよぼやし。俺が守らな!なって。あわててリード引っ張ってゆきちゃんだっこして、ただゆきちゃんボンレスハムみてぇなぱつんつんのしいぬから、めちゃ重いねん。しかも抱っこがきらいなんやん。もう、なに?全然だっこに協力的じゃないのね?手足がジャキーンなってでけぇ飛行機だいとんか?みたいな感じで、ひっくり返って転んでもてん。くそだせぇんやけどほんま。ずてーんいうて。重たー!いうて。

で慌てて起きたら、ハイエースの下から出てきたやつのほうもなんや急におるやつがバタバタしてずてーん転んでびびったんかしらんけど、ブシュッみたいな鳴き声して道の向こうの方逃げてくところやって、あーよかったーってなったんやけど、ビョインビョインて跳ねるみたいに逃げてくそれがさ、でも、どうみても狐じゃないんよ。

しっぽはひょろっとしてて、毛ぇもまばらで、目のところが真っ赤になってて。なんかぼつぼつがびっしり体中についとって、さぶいぼみたいなってて。なんか病気みたいな格好やったん。いやもーあれいややったー!ぼく無理やねんてああいうブワッてこまかいのなってるの。今思い出してもおぞけする。

でもそれよりウワッておもたんが、そのさ、訳わからんなんかのちょうどこの、みぞおちのあたり?ふとももの上へんやったかな?そのへんにさ、ふたつ、まるい輪っかがふたっつついとったん。そこだけ生き物の造形じゃないのよ。なんか急に人工物で、ナマモノぽくなくて、あれなんやったんやろって思いながらもうほんま怖かったしびびったしでもう速攻で家帰った。ゆきちゃん?いやもう俺がどたばたしてるあいだずっとなんですか?みたいな顔しとったわ。あほ犬やから。そこがええねんゆきちゃんは。チャームポイントやねん。あほとへちゃむくれとデブチャームポイントやねんゆきちゃんの。あと自分のしうんこをたべるところ。

ゆきちゃんうんこの話はええねん。

そんで帰ってさ。まぁ当然話するやん家族に。さかいとこの坂の下の畑にへんなんおってさめっちゃ怖かったわー!いうて。父ちゃんが皮膚病かかった狐かたぬきちゃうか言うて、寄り合いだのに連絡しとくわってなって。ゆきちゃんが退治してくれたんか?そんなわけないやんゆきちゃんはぼけっとしとったわ、わしが慌ててゆきちゃん抱えたらくっそ重いでひっくりかえってんぞ言うて。

その時はそんで終わって。まぁあれはえらい話やったねって感じやったんやけど。

年明けてから、俺がそろそろ帰ろかなくらいの時期におかん裁縫用のハサミのカバー作ってくれって言われて。あのー俺レザークラフトやるやん。フェイスブックみたらしくて、ずっと使ってたんがほころんでしもたかあんたこんなんつくれんかって言われて。道具も何も向こうやでじゃあそのハサミの採寸だけやっとこかって母ちゃんにハサミもってきてもらって色々触っとるうちにふと気づいたんやけどさ、あのへんなんについとった丸いやつ、こういうでかいハサミのハンドルそっくりやったなって。ブスって横っ腹にこういうハサミをぶっさしたらあんなんになるんちゃうかな、ておもて。

でも怖いか実家ではなんも言わずに戻ってきてしもた。

いややなぁ、なんかあれ、ほんまいややったぁ。

2021-05-25

和包丁という文化が無くなるかもしれんよという話

和包丁という文化が無くなるかもしれんよという話

日本包丁というのは切れ味が格段に良くて海外からわざわざ取り寄せる人が居るほどカルト的な人気がある。

コロナ前はかっぱ橋道具街にも外国人が沢山いて数万円もする包丁がよく売れていた。

だが実はこの高級和包丁の原料を作っている会社というのはほんの僅かなのだ。寡占市場なんである

その一番の鋼材供給である日立金属安来工場の先行きが不透明である

 

和包丁には作りが二つあって

1.刃物鋼を軟鉄でサンドイッチして鍛造する「霞」(割り込み包丁

2.全身が刃物鋼の「本焼き」(全鋼とも)

一般的に霞より本焼きの方が高くて玄人好みなのだが、どっちの包丁でも肝心の切れ味を左右する刃先は刃物鋼という特殊鋼で作られる。

この刃物鋼には炭素鋼の白紙炭素鋼にタングステン等を混ぜて切れ味を長持ちさせた青紙などがある。

だがこの白紙も青紙も作っているのは島根県日立金属安来工場一か所なんである

他に例えばステンレスの高級包丁などではV金10号なんていうステンレス刃物鋼を使い、これは武生特殊鋼という会社が作っている。こっちも独占市場だ。

でも和包丁と言ったらやはり鋼であって、この安来鋼と言われる刃物鋼はほぼ必ず日立金属安来工場製だ。

 

この日立金属最近売却され、日立グループから離脱した。

なんで製鉄部門を手放したかといえば日立グループの決済が悪化たからだ。

その一つの主な原因は英国での原発輸出失敗である

 

この原発輸出の失敗は非常に不思議な事で、例えば判りやすい方の東芝のウエスチングハウス買収では構造的に原発の新設が不可能と知られる所に巨額の投資をして失敗している。

アメリカ原発新設が不可能になったのは電力自由化スリーマイル島事故の為というのは有名である

電力自由化はペイできないリスクを抱え込む事を不可能にする。日本でも国策企業電源開発がなければ原発新設なんて出来なかった。

そこへスリマイル事故安全基準が上がったら国策ではなくて商売としての原発新設なんて不可能だ。更に福一である

こういう構造的な問題が知られているのに何故か東芝WHの決済書を読んでいけると考えた。WHはどういう魔法クリアしたのか?

蓋を開けると粉飾決済という魔法で、単に巨額資金負債を買った結果となった。でもこの結果はそりゃそうでしょというもんで不思議でも何でもない。

 

日立の方はそこまで酷くないが、それでも福一で格段に上がった安全基準の為に償却の目途が付かずにご破算となった。

だがなぜ甘い見通しのままで巨額資金を投じているのか?

要するに重用された経産省の傍流革新官僚が持ちかけた投資話なのであろう。官邸の数人で児戯のような「国策」を設計してみた結果だ。

人に金出させて失敗した仕手筋なんて刑務所にブチ込まれるのが経済事件常識だが、この革新官僚は未だ霞が関溜池にいる。

それにしてもバブル最中でもないのにこんな雑な投資話なんてそうそうない。どんな美味しい話をされたのか脅されたのか気になるところだ。

 

何れにしても日立金属は売却されてしまったが問題事業規模だ。

日本は製鉄大国だ。それ故製鉄の取引額は莫大で韓国世界一の造船を支え、アメリカ北部の製鉄業を壊滅させてラストベルトを作った。

刃物鋼は冶金や特殊鋼の一部門であってその特殊鋼の事業規模も製鉄全体から見たら非常に小さい。

まり製鉄大国であるが故に、刃物鋼の生産というのは町久場レベルの極小事業なんである

 

その為に地元では工場が整理されて閉鎖されるのではないかとの懸念が出ていて去年から商工会議所知事陳情したり県知事市長を交えた会議があったり、知事日立要望出したりしている。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC203NZ0Q1A520C2000000/

だが経済界では和包丁文化の取り替えきかない要だという事を理解する人は少ないようなのだ

 

一方、料理人は?といえばどうも経済紙を読む人は少ないようで騒いでいる人は見ない。

今日も「和包丁日本刀の流れをくむ文化で~」とかの言説に悦に入っているような人ばかりなんである。困ったもんだ。

因みに幕末まで刀鍛冶大名に雇われた存在で、包丁などは野鍛冶、村鍛冶の仕事だった。職分が違う。

また冶金技術戦後に鉄の流通が急拡大してから急激に伸びている。

戦前の製鉄は官需や軍需に過分に依存した歪な業界構造で、包丁など調理具はその官需軍需から離れた所にいた。

戦後軍港の転換で造船所が出来、製鉄需要に火をつけて造船、建築自動車などの大需要が発生してきたが、刃物鋼はやはりこの大市場の外部にいた。

経済人が唯一無比の高級和包丁原料製造者である事に気づかない原因でもある。

和包丁日本刀の流れをくむ世界に誇る文化」なんて程度の低い客向けの口上の筈なのに自分たちがその口上に酔ってしまい、業界構造を頭に入れずにその「世界に誇る文化」が危機に瀕しているのに気が付かない。

白紙包丁店頭から全て消えてからあたふたしても遅いのである

 

以上が今や文化とさえなっている和包丁を巡る今の状況である

因みに海外調理メーカーでも数万円ラインの高級品ではやはり安来工場刃物鋼を使っている。

それから「紙」っていうのは、ロール状に巻いた鉄板とか数十メートルもあるH鋼なんかと違って刃物鋼はコピー用紙とか新聞紙レベルの板として取引されるのでそう言われる。

和包丁が無くならない事を願うばかりだ。

2020-11-02

キャリアプラン

キャリア社員なんだけど、今回のプラン値引きについて本当に失望した。

そもそもキャリアを辞めた理由サービス提供の仕方に納得行かず辞めたんだが、アナログからデジタルに切り替わったあとに何を学んできたのかわからない。

あの頃、あまりにも高い携帯料金に不満が殺到していた。それを知っているのにあこぎな商売を続けてきた。散々な料金体系に積もり積もった不満。

今回、菅総理が安くすると大きな声をあげたと思ってみれば、サブブランドでの新プラン

どこまでユーザーバカにするのだろうか。

そしてそれに高評価もつ菅。お前もあっさり国民を裏切る。所詮こういう奴らなんだよね。

本当辞めてよかったよ。給料も安かったし、溜池まで通勤めんどくさいし。

2020-07-04

家を買った。

今年、家を買う。


20年前、こんなど田舎に住むなんて考えられないと思った、この土地に。

実家から車で一時間の、おじの家で遠くに聞こえる電車の音と少しの民家と、田んぼ田んぼ田んぼ、それと、いくつかの溜池


何もすることないじゃんと思っていたこ土地に、根を下ろすと決めたのだ。


思えば去年までは奨学金を払い終えたらもう一つの故郷海外へ帰るつもりだった。

私は日本日本の真裏の国のハーフで、育ちは日本だが、故郷言葉も話せるし、親の定年が目前となっており故郷へ帰ることを知っていたか自分もそちらへ行くか、という決断だった。しかし、故郷政府はとても頭がわるく、今回のコロナでの対応も目に余るものだった。ギャングたちによるコロナ伝播阻止や、脱獄囚たち。命の危機日本よりも何倍もあるその国で子供を生み、育てたいと思えなくなっていた。


幸いにも私は早々に生涯の伴侶にあい、いま苦楽をともにしている。私の気の変わりように快く「うん、いいよ」と頷いてくれた。


そこで、この決断が揺らがないうちに、決めたからには家を建てようとなり、一ヶ月ほどでホームメーカー契約をした。


幼い頃、おじの家に遊びに来るたびに何もないところだなと思っていたこ土地に、田んぼしかないと思っていたこ土地が、今はどうしようもなく好きだった。

パートナーは私の決めたところならどこでも良いらしかった。


この街大きく発展し、子供のいる世帯には手厚い待遇をしてくれるし、車さえあればとても住みよいし、学校もいっぱい増えていて、映画館もあって、外食や買い物に困らないすごいいい街になっていた。

前職がこの街にあったこから賃貸で3年住んだからこそここに落ち着きたいという強い気持ちができていた。パートナー電車通勤に1時間半もかかる。それでも構わないと言っている。


ここに、住もう。

故郷へ帰る親は大賛成だった。間違いなく、あなたの国はこっちだと、海外旅行が好きで、新しい家電が好きで、アニメ漫画が大好きで、災害ときちんと向き合うこの国があなたにはあってる。故郷世紀末みたいだけど、親は日本で老後を生きるすべ、金がないからと言った。

私は少し悲しくなって、お礼を言った。


ここを新しい故郷として、子供をもうけて、暮らしていこう。

幸運にもこの街にはすでに友人が何人かいるし、叔父もいる。怖いものはなかった。後悔もなく、早く家が建たないかなという楽しみだけある。


実家貧乏だった。外国人労働者待遇は非常に悪い。年も食ってきた。学生時代大学に行きたいといったら反対された。お金がないとのことで。

私の夢だった語学を学ぶ夢はそのとき潰えた。

仕方なく行った専門学校パートナー出会った。

あのときからすでに奨学金という借金を抱えていて、日本では家を建てられないと、諦めていた。子供の頃の貧困からずっとずっと諦めていた。


でも、買ったよ。買えたんだ。

パートナーと4回くらい転職したけど、やっといい会社出会ったんだ。

いい街に出会えたんだ。なんて、幸運なんだろう。


はやく家が建たないかなと毎日パートナーと話す、この時間さえも愛おしい。

2019-04-14

雑記

Twitterもも自由に書けない。だからとうとうこんな糞の溜池みたいなサイトに来てしまった。

2018-08-08

anond:20180808232654

何本欲しいんや?

ついでに言っとくと、ホースが増えても溜池が涸れたら元も子もないねんけどな

2018-07-11

家を建てる前に地の人間災害リスクを聞かないからこうなる

今回の水害で俺の故郷被災してるんだけど、車がダメになった・二階まで浸水したみたいな被害を受けてるのは軒並み新住民団地なのね。

あの辺りの土地10年毎とは言わないけど30-50年置きぐらいにこれぐらいの洪水が起こる。

戦後貧乏引揚者が住み着いたけど洪水で全部流されたという話は、地の人間ならみんな知ってる。

から地の人間は家を建てたりしないんだけど、同じ県内でも他の郡出身だと普通に知らなかったりする。

最近あの辺に家が建つようになった。何も知らないでバカだなあ」と毎年帰省するたびに地元家族や友人から聞かされた。

開発業者は小中学校に至近で子供の通学の負担が軽いのも売り文句にしてたそうな。知っててやってたなら悪辣だと思う。

俺も通ったその小中学校土地田舎でよくある地元土地持ちが寄付した物なんだけど、道徳教科書に載るような立派な人でもなかったので、家や畑に向かない水捌けの悪い土地寄付したのね。

前日に雨が降ったら翌日いっぱいはグラウンドぐちゃぐちゃで球技とかやってられないみたいな。

そんなわけで新住民団地はこれ書いてる今も水に浸かりっぱなし。溜池を潰した土地なんかも混じってるし、いつ水が引いて家が片付けられるかは神のみぞ知るって状況。

タイトルで「地の人間災害リスクを聞くべし」みたいなこと書いたけど、よく考えると普通に聞いても教えてくれんわ。

よその人間に知られたら宅地用に売れなくなるし、自分土地だけじゃなく、他人土地価値が下がる情報を広めるのもタブーね。

聞くとしたら地元にもうしがらみの無い俺みたいな人間だな。

まり知らない土地に家を建てる予定の人は、今回の被災者みたいな目に遭いたくなければ頑張って俺みたいな人間をみつけて情報収集して欲しい。

2018-06-19

長野県信州ブランドの謎

東京首都圏近畿地方大都市に住んでいる人間にとって、長野県という地域は大変人である

山や川の大自然に囲まれ観光資源の宝庫として、また軽井沢原村の別荘地のある場所として注目されやす場所だ。

また近年は、大都市に住んでいる人達移住希望地の上位が長野県になっているらしい。

この20年ほど、長野県は県を上げて「信州ブランド」の発信を行っていて、県外の人間長野県への好感度は非常に高い。

それ自体は良いのかもしれないが、実際に長野県に住んでみるというのは、結構過酷場所だと思う。

本屋で売っている長野県観光ガイドや、ターミナル駅に置いてある長野県の案内本を読んでみると、大自然に囲まれ長野県と言うPRがなされていて、それ自体は間違ってはいない。

実際の長野県は、山岳や丘陵地帯ばかりで、人間の住めるような平野盆地は限りなく少ない。長野盆地松本盆地飯田盆地の3か所を除けば、ほとんどが山ばかりである

おまけに、あまり知られていないが、長野県慢性的水不足がひどい地域である長野県西側には北アルプス中央アルプス南アルプスの3000メートル級の稜線が覆っているので、長野県内陸部に流れてくる雨雲はみんなこの山岳地帯に遮られて、雨がほとんど降らない。

逆に、長野県の周辺県は全て一年を通して大量の雨が降り、水に恵まれ場所だ。アルプス山脈西側岐阜県高山地方富山県立山地方は、雨が降り過ぎて逆に洪水対策ばかりやっていることで有名だし、静岡県全域も非常に雨が降る場所長野県内が痩せ川ばかりなのに対し、大井川安倍川は暴れ川として有名だよね。

中信南信はまだマシかもしれないが、上田市坂城町のある東信地方は、日本一雨の降らないエリアとなっていることはあまり知られていないのではないか

平野が少ないうえに、残った土地も痩せているので、作物は育たない。

長野県は「そば」の名産地として有名になっているらしいけど、なぜそばを作らざるを得ない環境なのかを考えてみるのも面白いだろう。

別荘地やリゾート地として有名な白樺湖は、元々は雨が少ない諏訪地方農業溜池として造られたのだ。

軽井沢も雨が降らず、浅間山から吹き下ろしてくる強い風で全く農業が出来ない痩せた土地であり、リゾート地として開発するしか使い道が無かった場所である

大量の雨が降ってコシヒカリなどの米を作ることが出来る新潟や、雨が多く御母衣ダムなどの電源開発地帯として有名な岐阜、滝のような流れの成願寺川や黒部川を有する富山県などの周辺県と比べると、ムリゲーみたいな場所長野県である

長野県が誇る奈川ダム高瀬ダムは利水用であり、それだけでも長野県と言う場所不毛台地であるかが分かるはず。

そんな不毛の地に「信州ブランド」を作り上げた功績は凄いと思うけど、あまり鵜呑みにするべきではないよね。

2017-11-07

道路案内標識 地名一覧

東京都基準地(ランク1)

東京

東京都重要地(ランク2)

浅草橋池袋上野五反田新宿渋谷品川巣鴨日本橋八王子

東京都主要地(ランク3)

赤羽青戸荻窪赤羽橋蒲田板橋飯田橋大森大原王子羽田日比谷東中野本郷馬込丸子橋三宅坂目白四谷目黒谷原六本木信濃町砂町千住瀬田高井戸辰巳高田馬場戸田橋、等々力成増半蔵門初台晴海亀戸上馬葛西亀有銀座言問橋高円寺桜田門大崎三軒茶屋新橋四ツ木西新井三ノ輪南砂芝公園市川橋、祝田橋、永代橋恵比寿大久保大手町御徒町駒形橋、駒沢、笹目橋、水道橋溜池豊洲秋川五日市あきる野青梅奥多摩、数馬、清瀬狛江小平立川高尾西東京多摩ニュータウン調布拝島橋、東村山檜原府中町田瑞穂三鷹福生



基準値ランク1)は都道府県毎にひとつ設置されているが、埼玉千葉神奈川には設置されていない。さいたま千葉重要地(ランク2)

埼玉県重要地(ランク2)

さいたま春日部川越熊谷秩父草加所沢東松山

千葉県重要地(ランク2)

柏、木更津千葉成田

神奈川県重要地(ランク2)

横浜川崎厚木小田原相模原横須賀

2017-11-04

anond:20161110001707

単純に「腕力不足」が原因なんだろうと思うんだが・・・

同じ条件で男女ともに同じことをやらせると、

❍農耕にしても腕力不足で田んぼや畑の畦作りや

水を引く水路作り、その水源の川の治水やら

木製の鍬で稲・麦が根を張れる程深く耕せるかなど。

❍身や財産を守るにしても、狼やら野犬、猪、狐や

あと同じ人(食料不足の為に他から奪う選択をした)

から自分家族、あと畑を荒らされない様に守る事。

❍防寒についても、服(毛皮)を得る方法には

弓矢の使用と数日〜一週間ほどずっと山中での

狩猟に耐える事と、家を作る為の木材の切り出し等。

・・・他にも金属の為に鉄鉱石採掘やら炉の制作

山を削って道を作る、溜池を作るなどやら色々と。

しろ同じ事やらせて競わせる方がキツイんじゃ?と

結論:農耕とか文明が悪いよー、麦と米が悪いよー

2017-05-19

増田 長盛(ました ながもり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名。豊臣政権五奉行の第三席。父母は不詳、弟に増田長俊、子に盛次、長勝、新兵衛。官位従五位下・右衛門少尉

目次 [非表示]

1 生涯

1.1 仕官以前

1.2 秀吉近臣時代

1.3 郡山城時代

1.4 秀吉没後、関ヶ原合戦での転身、以後

2 子孫

3 主な家臣

3.1 一門衆

3.2 重臣

3.3 その他

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典

5 関連項目

生涯[編集]

増田長盛邸址(愛知県稲沢市増田町

増田長盛屋敷跡(滋賀県長浜市朝日町

生地は2つの説があり、1つは尾張国中島郡増田村(現在愛知県稲沢市増田町)[注釈 1]だったという説、もう1つは近江国浅井郡益田郷(現在滋賀県長浜市益田町)[注釈 2]だったという説がある。上野国存在した増田氏との関係不明である

仕官以前[編集]

秀吉仕官する以前の経歴は明らかでないが、一向宗徒であったという説がある。永禄7年(1564年)側室との間に長男・長勝を儲けている。

秀吉近臣時代[編集]

天正元年(1573年)、28歳の長盛は、まだ織田信長の家臣であった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に召し出され[注釈 3]200石で仕えた[1]が、この時期に正室を迎えたと見え、天正8年(1580年)、嫡男・盛次が誕生している。盛次の誕生に際し、銘吉光九寸五分の短刀を与えたことが盛次討死後、乳母の口から語られて記録に残されている。

秀吉の麾下で中国攻めをはじめ多くの戦に従軍し、鳥取城攻めでは「陣中萬の物商の奉行」を命じられた。天正10年(1582年)には奏者に任じられ、上杉景勝との外交交渉などを担当した。同年の吉田兼見日記名前が登場している。

天正12年(1584年)3月小牧・長久手の戦いでは先陣を務めて兜首二つを取る功を上げ、この功績で2万石に加増され、翌天正13年(1585年)3月紀州攻めでは、大谷吉継と共に2,000の兵を率いて従軍根来衆津田監物、西谷延命院を斬った武功があったとされ(『根来寺焼討太田責細記』)、従五位下・右衛門尉に叙任されている。

天正18年(1590年)の小田原征伐においては里見義康担当の申次となり、安房国で差出検地の施行知行宛行状の発給を行っており[2][3]、後北条氏が滅亡すると、さら下野常陸安房大名に対する豊臣政権の取次となった[4]。この年、中村一氏駿河国駿府14万石に移封になったのを受け、近江国水口6万石を拝領している。

太閤検地では石田三成長束正家らと共に中心的な役割を担い、近江国美濃国越後国などの要地の検地奉行を務めた。普請積極的で、京都では鴨川に架かる三条大橋五条大橋改修工事にもあたり、三条大橋には今も長盛の名が刻まれる。伏見城の改修も分担した。

文禄元年(1592年)から文禄の役では、石田三成大谷吉継とともに朝鮮に渡って漢城駐留し、奉行として占領統治兵站に携わった他、碧蹄館の戦いや幸州山城の戦いにも参加している。

文禄4年(1595年、豊臣秀次秀吉の命で切腹する「秀次事件」が起きると、長束正家と共に秀吉との間に対立が生じた豊臣秀次の老臣を糾問するなどしている。文禄5年(1596年)にはサン=フェリペ号事件の処理で土佐に赴き、このとき対応秀吉によるキリスト教フランシスコ会)の弾圧日本二十六聖人殉教)の端緒を開いた。

郡山城時代[編集]

文禄4年(1595年)、豊臣秀長の後を継いだ豊臣秀保が没すると7月大和国郡山城20万石の所領を与えられる。高田一英・浅井井頼ら大和大納言家の旧臣の多くは長盛が召抱えた。長盛はまた郡山城に総堀をめぐらす大掛かりな普請を行った。東では秋篠川の流れを東に変えて水流を佐保川に落とし、西に多数の溜池を繋いで堀となすなどした。この普請のために大和から夫役徴発され、普請は翌文禄5年(1596年)に完成を見た。慶長元年(1596年)には紀伊国和泉国の蔵入地管理を委ねられている。秀吉晩年には五奉行となる。慶長2年(1597年)には再び安房国を訪れて、総検地を施行している[2][3]。

慶長の役では開戦後国内にいたが、慶長4年(1599年)に予定されていた大規模攻勢では福島正則石田三成とともに出征軍の大将となることが決定していた[5]。しかし、慶長3年(1598年)8月秀吉が没したためこの計画は実現しなかった。

秀吉没後、関ヶ原合戦での転身、以後[編集]

慶長3年(1598年)に秀吉が没すると、石田三成は反徳川家康立場を鮮明にし、長盛もこれに与して打倒家康の謀議に参加。慶長5年(1600年)には長束正家前田玄以など五奉行連判で家康悪事糾弾する弾劾書を示し、五大老毛利輝元宇喜多秀家擁立して挙兵西国大名西軍加担を要請する文書を送るなど精力的に活動した。

伏見城攻めには自ら参加し[注釈 4]、重臣・福原左衛門をして城内に籠る甲賀衆に寝返りを促し、落城に導いている(甲賀郡志)。大津城の戦いには一門の増田左衛門を陣代として軍勢派遣し、増田勢は大津城の湖水方面から城壁を越えて乗り込み攻撃した。同城の戦いではまた、家臣・中村金六が敵方勇士・浅見藤右衛門と組み打ちし功名をあげた。 しかし、一方で家康に三成の挙兵を内通し、また三成の資金援助要請も渋るなど対東軍への保身工作も講じている。9月15日に行われた関ヶ原の戦いには参加せず、毛利輝元とともに大坂城守備部隊として西の丸に兵3,000を率いて駐屯戦後9月25日出家して謝罪し、9月27日大坂城西の丸にて沙汰を申し渡され改易となる。その身柄は高野山に預けられた。

後に高野山を出て岩槻城主・高力清長預かりとなる。慶長19年(1614年)8月家康より召喚され大坂方への和睦の仲介を依頼されるもこれを断る。元和元年(1615年)、尾張藩主・徳川義直に仕えていた息子の増田盛次が長盛との相談の上で義直の了解を取り大坂夏の陣尾張家を出奔して豊臣氏に与したが、戦後この責任を問われ自害を命じられた。享年71。

三白眼であり豊臣家を滅ぼした元凶ではないかと後世に語り継がれている。安藤英男は、長盛が三成失脚後に100万石以上に相当する豊臣氏の蔵入地を一括管理していた点を指摘し、長盛が家康に通じずに蔵入地100万石がもたらす資金人員を豊臣家及び西軍のために振り向けたならば、関ヶ原の戦況も西軍有利に転じた可能性があったとして輝元とともに西軍敗戦の原因と分析している。

墓所埼玉県新座市の金鳳山平林寺。当初、騎西郡金重村にあった平林寺に葬られたが、松平信綱によって平林寺が移転された際、新座郡野火止に移った平林寺の境内に移された。明治年間、子孫が墓石を再度移転している。

2017-04-25

[] 全国菓子大博覧会

全国菓子大博覧会(ぜんこくかしだいはくらんかい)は日本地方博覧会ひとつで、和菓子を中心に、洋菓子スナック菓子等も

含めた日本最大の菓子業界の展示会である。全国菓子工業組合連合会(全菓連)などが主催している。

略称は全菓博(ぜんかはく)、菓子博

  

1911年明治44年)、東京府東京市赤坂区溜池町(現・東京都港区赤坂)で、第1回「帝国菓子飴大品評会」が行われたのが始まり

されている。第3回から第9回までは「全国菓子飴大品評会」、第10から全国菓子大博覧会」の名称使用している。

開催間隔は不定期であり、第二次世界大戦から戦後占領期にかけて13年余りの中断期もあった。

開催地は、日本国内および日本統治時代朝鮮で、各都市持ち回りとなっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E8%8F%93%E5%AD%90%E5%A4%A7%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

2011-06-13

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。

翌日。Aはどこにもいなくなっていた。

あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

2011-03-13

激甚被災地の一歩手前にて

被災時に必要なものは何か?時間が立つに連れ必要なものは変わってくる。筆者は岩手県で今回の地震に被災したが、時間場所によって変わってくるが、自身の経験を元にここにしるす。防災用品の準備や、被災地に救援物資を検討している方は、参考にしていただければありがたい

この文章は、被災二日目にiPadにて作成した電気回線が復旧しだい、どこかに上げるつもり。

備蓄しておくと良いもの

出来ればもちだしたいもの

インフラがとまるので、食料や衣料はもちろん、燃料や情報を得る手段も確保しておきたい。今回は電気がなくても暖をとれる反射式ストーブ、これはお湯もわかせる、ガスが止まっても使えるカセットコンロが非常に重宝している。

固定電話回線が生きていても停電していれば、最近の多機能なヤツはつかえないので、結局ケータイに頼ることになる。公衆電話最近中々ないので。予備の簡易充電器や電池、車載充電器、iPhoneFMトランスミッターが役に立った。

いざという時の移動手段やカーラジオカーナビTVでいざという時の情報取得手段になるので、車がある場合ガソリンも出来る限り入れておく。携行缶などで保存する場合は、安全な場所に保存する事。

災害時に一番役に立つメディアラジオ、次にインターネットとなり、最後TV新聞となる。ラジオは用意しておいた方が良い。ネット情報を得る場合デマや不確定な情報に注意する事。TwitterFacebookなどで自分から発信する場合も、不確定な情報は流さない事。ヤフー知恵袋2chなどは極力使わない。

当たり前だが、一番の被災地から離れていてもインフラが止まれば、店はまともな営業が出来なくなるし、道路も寸断されたり、信号機が止まったり、緊急車両優先などで渋滞する。

水は断水していなければ、早いうちに水を貯めておくこと。飲料用はペットボトルやヤカンに。トイレなどの水は風呂に貯めておくこと。

注意したいのは、ロウソクやコンロ、反射式ストーブを使う場合は余震に十分注意すること。当たり前だが、常にラジオはつけておいて揺れたり緊急地震速報がきたらすぐに消すこと。

ATMが使えなくなるので、現金を用意しておく。

余談だが大都市圏に住む人以外は、メインバンク地元地銀農協郵便局信用金庫にしておくといいかもしれない。窓口対応スムーズになる。

やってはいけないこと

地震に限らず、台風でも水辺に近づく人がいるが、こういう人が一番最初被害者になる。絶対に危険場所に近づいてはいけない。

当たり前だが、沿岸部では揺れたらすぐに逃げる。ビルの出来るかぎり高い階層か、高台に。

また、心配なのはわかるが特に災害のひどいところに行ってはならない。阪神大震災の時の様な野次馬は論外。自分が被災するだけでなく、救助活動の邪魔になるから

不要不急の外出は極力避ける。道路の寸断や信号機の停止で思わぬ事故にあうリスクが高くなる。

電話は極力しない、出来れば連絡はメールtwitterFacebook災害伝言板ラジオ伝言メッセージなどを使う。やむおえない電話場合も、極力通話は短くすること。

デマを流すのは論外だが意図せずにデマを信じてしまってもいけない。チェーンメールは無視し、拡散RTは慎重に行うとこ。デマは最悪の場合は人命に関わる。

ウソクや反射式ストーブを使う場合は、そばから離れる場合は火を消すこと。一瞬でもそばから離れる場合は絶対に火を消すこと。ロウソクは使わないに越したはないが、使う場合は周りに燃えやすいものをおかない。

よく何かあれば、千羽鶴を折って送ったり、古着等を送る、自分小説本を送る俳優などがいるが、これらは役に立たないばかりか、ゴミしかならない上に、輸送力の無駄遣いとなり、迷惑となる。地獄への道を善意で舗装しないように。

あればいいもの

命の危険がなくなり、食事もある程度とれる様になると、非常に退屈になる。死傷者が多数でた沿岸部の方々や、原発関連で不安福島県の方々には大変申し訳ないが、1次的な被害が少かった内陸部にいる自分は、二日目にはもう暇であるTVラジオ災害関係しか流れておらず、ブロードバンドは不通、携帯電話不安定な為、webも長い時間見る事が出来ない。気を紛らわす為にも、何か簡単な娯楽はあった方が良い。昼間は文庫本を読んで過ごしたが、いよいよ退屈になってきたので、この文章を書いている。

余談だが、そういう意味ではある意味テレビ東京スタンスは正しいとも言える。今回は岩手にいるので、テレビ東京が何を放送をしているのかは知らないけど。

お菓子ジュースは非常用の食料という意味もあるが、気を紛らわすという意味で娯楽に共通する。自分タバコは吸わないが、喫煙する方はタバコも用意しておくと良い。ただし、不測の事態に対応する為、飲酒は避けた方が良い。

モバイル関係やカメラ記録撮影や録音に使える。ただ、間違っても現在進行で危険なもの、炎上中の建物津波などを撮影してはいけない。そんなものを撮っている暇があったら逃げる事。

その他

人工透析酸素吸入、糖尿病などの慢性疾患、妊婦の方はかかりつけの医院がどうなっているのか確認しておく。かかりつけの医師が診察不能な場合は、保健所や近くの総合病院自治体の窓口などに相談すること。

スーパーガソリンスタンドはかなり混雑し行列となる。そういうところで並んでいるのを無視し割り込んだりすると無用なトラブルを引き起こす。実際、筆者が給油のためガソリンスタンド行列にならんだところ、何台かが無理やり割り込んでいたが、割り込んだ車両は全部店員によってつまみ出されていた。

水の節約トイレを我慢するために水を飲まないのは、血栓などのリスクをよぶので、水分はとること。

ある程度インフラが復旧してきても、交通物流の回復は更に時間がかかる。食料や燃料などは無駄いしないこと。また、電気や通信などのインフラも安定的提供には時間がかかるので、無駄いしないこと。

「何かしたい」と思って、古着千羽鶴自作小説を贈ったり、慌てて炊きだしボランティアに向かってはならない。邪魔になるだけだ。善意を形に変えたければ募金をするか献血をすれば良い。今回は災害の内容から献血はそれほど必要無さそうだが募金は最も有効な支援である。ただし、募金をする場合は信用できる組織・団体を介して行うこと。間違っても駅前の街頭募金などに小銭を入れてはならない。善意を装った詐欺や悪質な新興宗教などが関わっている可能性があるからだ。せっかくの善意被災者に届かない可能性がある。

特に注意しなければならないのは、国連ユニセフなどを騙った振り込め詐欺だ。国連ユニセフあなたの個人の電話メールアドレスに、募金を依頼することはない。絶対に相手にしないこと。

 
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