はてなキーワード: ライニングとは
みたいな人が存外多くて辟易する
グランシアターは各種割引が効かない
それはリクライニングする高級素材を使ったシートなどに価値を見出す人用の空間だ
そこに、シートを切り取った空間を設けて、車いすでどうぞとやっても価値がないんだよ
本末転倒だよね
それに乗り換えるくらいなら、シートに座るよ(実際そうしてた)
まるで、障碍者対応が出来てない設備を叩くかのようにドヤ顔で意見するんだが
お前らは議論のスタ-ト地点にも立ってないんだよ
自力での姿勢制御が難しい人にも、安全装置をガチガチにした過剰設備にして4DXを解放するべきか?
と言った話
個人的にグランシアタ―は、事前連絡とヘルパーの予約が必要で費用が掛かります(同行介助者がいれば免除)って言ってしまえと思うんだよ
くだんの車椅子の件は
「グランシアター」の話なんよ
グランシアターってのは、3000円取るけど、リクライニングできる高級シートでドリンク付きの鑑賞ができますよ
観客数も少ないですって奴なのね
グランシアターに身障者スペースを作れるほど、多分利用者はいない
そうした場合、その負担を従業員や施設はどこまで背負うべきだろうか?
同様に狭小な階段を経由する2階にある飲食店はマスターが車椅子を担ぎ上げるべきだろうか?
イオンシネマは普通に車椅子スペースがあって、最前列で見難いって人もいるだろうが
ただまぁ、これ逆差別にもなり得るやつよね、だってその場所には健常者は座れないのだもの
もちろん、必要な声ってのはあるだろう
はてさて、犠牲にするのは何であろう?
駅員が100kg超えの車椅子を担ぐこと?
飲食店や服飾店がデザイン重視で螺旋階段を設置するのは差別だろうか?
はてさて
割と仕事忙しくて平日帰るの23時とかなんですけど、仕事が忙しいとね、「失われたプライベート時間」を取り戻そうとして、睡眠削ってなんか趣味のことやっちゃうってあるじゃないですか。
僕の場合帰ってから「1時間だけゲームやっか…」なんですが、流石に23時に家帰ってくる生活が毎日続いてると、40代のボディはもうぐったりしてるわけですよ。
そうすると、ゲームやろうと椅子に座っても、欲だけはあるんだけど体が付いてこない感があって、ちょっとそのままだらーんとかしちゃうんですね。
ゲームを開始するまでの気合ゲージがまだ溜まってないというか。
で、気合ゲージ溜まるのをぼやーっと待っていると、やはり40代のわがままぐったりボディですから、眠気が凄いんです。もう凄い。
凄いというか、気付いたら寝てる。ほぼ気絶。
で気づいたら夜中3時とか。
イスはリクライニングはするんだけどやっぱ寝る用じゃないんで、首肩腰へのダメージも凄い。ほぼ首折れてる。折れてるは言いすぎだけどムチ打ちの「ム」くらいまでは行ってる。
で曲がったまま戻らなくなっている首を押さえ、中途半端な眠気のまま、ああゲームもうやってる場合じゃないや…とそこからようやく布団に入る。
いやーこれがホント良くない。
寝るんなら最初から布団で寝てた方が体もすっきりするはずなのに、むしろ首にダメージがあり、かつやりたかったゲームもできてない。
たまに、中途半端に寝たおかげで布団入ってから寝付けなくなってスマホ弄ってたら5時とかある。さすがに平日に5時はねえだろお前!と思う。思うんだが、そういう5時がある。当然翌日の眠気が地獄。
そしてこのありさまをカミさんに見られたら怒られる。(健康気遣って怒ってくれるのは有り難いことではあるのだが)
やめよう、イス寝落ち!
リクライニングを目いっぱい勢いよく倒してくる奴
助手席でうっかり寝ちゃった女性が、運転手の夫からかけられた言葉
自動車はドライバーひとりでも運行できる乗り物だし、運行にはドライバーひとりが全責任を負う。だから、助手席に乗せた人物が寝てるか起きてるかは本質的にどっちもいい。すべてはエチケットの問題だ。
エチケットはあくまでも相対的な行動規範で、当事者同士の関係性、信頼関係、礼儀、信条、さまざまな要素の相互作用で決定される。つまり助手席に乗った人は必ずこうするという一般解は導けないのだ。
上のまとめで夫が嫁に「運転してもらってるんだからさ~」とモラハラムーブを見せているが、これが夫婦でなかったとしたらどうだろう。
たとえば助手席のあなたは会社の若手ヒラ社員。運転は今日のゴルフコンペで初めて会った会社の専務。互いに家が近いことがわかったので帰り道は家まで送ってもらえることになった……みたいな場合、寝られますか? 寝ていいシチュエーションと思いますか?
それとか、サッカーの試合で負けてしまった息子を家まで連れ帰る道中、泣きながら眠ってしまった息子に「運転してやってるのに寝やがって」と腹を立てますか?
本当に本当に当たり前のことを言うが、「寝てもいいかな」と一声かけるだけで全然心証は違う。無理して起きているつもりであっても「もし寝ちゃったらごめんね」と言っておけばいい。
電車で前の席の人に黙ってリクライニングを下げられるとムッとするけど、「失礼します、下げていいですか?」と聞かれたら「どうぞどうぞ」ってなるでしょ? それと同じ。
もし後部座席にも同乗者がいて、その人は起きてても平気そうだったら代わってもらうという手もある。自分はいつも「少し寝たいから助手席代わって」と言って代わってもらっている。助手席に座る人はやっぱり起きていることが望ましいからだ。
ドライバーにとっては基本的には起きててもらえると助かる、という原則は覚えておいてほしい。
長距離をドライブして一日行動をともにしていたならば、自分が眠い時はドライバーもきっと眠いはずだ。
ドライバーはハンドルから手を離せないし、前方を注視していなければならない。そういう時にドリンクや食べ物を手渡してもらったり、スマホで調べ物をしたりしてもらえると助かるのだ。最近はカーコンピュータもタッチパネル式が増えてしまって、操作盤をちゃんと見ないと操作できなくなってしまった(エアコンとカーステレオは物理ボタンがいちばん)。そういうのをドライバーに代わって操作してもらうのも助かる。それに、運転席から見にくい死角を見てもらったりするのも助かる。
だが、運転手が何をしてもらえると助かるかなんて、運転経験がないとなかなかわからないだろう。
それも声をかければいい。「なんでも言ってね」と。
これは危ないから本当にやめてほしい。助手席の人が「アーッ!!」と絶叫したのでとっさに急停車したら「きょう、○○のチケットの発売日だった…」とか言い出してハラワタが煮えくり返ったことがある。短い「あっ」くらいでも困る。運転中のドライバーは安全確保・事故防止のアンテナをピンピンに立てている状態なので、危険シグナルにはものすごく敏感になっている。
・ベビーベッドはまじで一瞬でサイズアウトする。買うならデカいやつがいい。なんならレンタルか、ジモティで安くで譲ってもらうのがおすすめ。
・チャイルドシートもサイズアウトする。最初は新生児が乗れるやつならなんでもいいが、次に買うのは個人的にはスイングムーンがおすすめ。子供を乗せたあとにリクライニングできるから、子が寝ちゃってから倒すことができる。長距離移動の味方のチャイルドシート。
・バウンサーやハイローチェアは赤ちゃんによって好き嫌いがあったりする。
大人しくバウンサーにおさまってくれるのか、ハイローチェアのゆらゆらで落ち着いてくれるかは運。生まれてからどんな性格か分かってから買っても遅くはない。うちはなんだかんだ母親の膝の上で落ち着いてることが多く、あまり出番はなかったのですぐに譲った。
・だっこひも、スリング、ベビーラップといろいろあるが、とりあえず縦抱きのだっこひも買っときゃOK。横抱きしかできない間はそんな重くないし、もう自力でいいと思う。だっこひもの付け方だけはしっかり確認したほうがいい。付け方ミスると危ないし、腰や肩にくる。
・首がすわってきて、だっこひもから降りたがったり、またすぐだっこして欲しがったりが多くなって抱っこ紐の付け外しが面倒になってきてたらヒップシートおすすめ。ただ、手が塞がるのでママパパどっちかだけ+赤ちゃん の組み合わせの外出が多いならベビーカーかバギーを買うといい。とにかく折り畳みが楽で、軽いやつがおすすめ。重いやつは持っていくのが億劫になる。
・おむつの処理は食パン袋がおすすめ。臭わない。おむつポッドとか買わなくていい。おむつポッドは処理するのがだるくなる。使用済みのおむつはパン袋にいれて普通に捨てるのを毎回したほうが精神衛生上よい。
ここまで書いてみたけど、ある程度都会に住んでるならだいたいのものはジモティで譲ってもらえる。
気になるけど高くて手が出ないな…ていうものがあったらジモティで探して、ドライブがてらパートナーと一緒に取りに行くのがおすすめ。
気分も紛れるし、私は産むまでつわりがあったからずっとマックのポテト食べながらドライブするのが楽しかった。
中古があんまり気にならないなら、ジモティをフル活用すれば総額20万ぐらいのものが2万くらいで揃ったりする。
今3歳だけど、ベビー時代に譲ってもらったものやお祝いでもらったものはもうほぼ家にない。そのぐらいベビー用品は儚い。どの程度お金かけるかは自己満足で決めたらいいと思う。おすすめを聞いてたのに、ちょっと話ずれちゃってごめんね。
ローファーを買ったのよ、3万程の奴をね。
足を測ってもらってキツいぐらいのジャストフィットの物を購入したのよ。
だから靴ずれしないと思ってたんだけどさ、足に馴染ませるために6時間ほど歩いたら踵が痛くてさ「あー、靴ずれしたなー」って思って、家帰ってローファー脱いだら足出血してんの。ライニングに500円玉サイズの血痕がくっきり染み込んでんのよ。もうショックで卒倒しそうになっちゃった。左足血まみれだし、右足でけえ水ぶくれになってるし。
近所の靴修理屋に駆け込んで「血痕ついたんですけど、これ落ちますか?」って聞いてみたら綺麗には落とせないって言われて泣いちゃった。
その店では血痕綺麗に落とすの無理なのか、ライニングについた血痕を落とすのは地球上の技術では無理なのか、どっちなんだろう。
バスが急坂でブレーキが効かなくなって横転事故を起こした件で、個人でバスを所有する変態さんが検証動画を出しているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1959853
前提の知識が全然共有されてないのが気になった。なので説明を書く事にするよ。
まず元記事のバス個人所有氏は2速で下ってるんだが、バスやトラックというのは2速で発進する。1速は急勾配での坂道発進とかの緊急用で普通は使わないのだ。
乗用車のオートマだと「PRND21」とレンジが分かれていて、2、1レンジではギアが固定される。峠の下りでは2速で下ると思う。1速に入れるって事は余り無いと思われる。その1速に入れてると思ってくれていい。普段じゃそんな運転する機会はないと思う。
動画では2速で下って回転数がレッドーゾーンに入って警報が鳴っているが、これはデモンストレーションでやっている事で、普通のバストラックではこういう運転はしない。
バストラックは大体100万キロ走って廃車になるのだが、そのディーゼルエンジンも精々オーバーホール一回程度でその距離を走り切る。乗用車と比べると非常に頑丈なエンジンなのだ。
だが頑丈に作ってあるために作動部が重い。その為にオーバーレブ(回転数数オーバー)に大変弱いのだ。ガソリン乗用車のつもりでシフトアップを引っ張る走り方をしていると壊れてしまうのだな。
だから彼の道路での実際の走り方は3速でリターダー動作(後述)か2速でオーバーレブしない速度って事になる。
アクセルもブレーキも踏まず、エンジンブレーキだけで抑速する。また、バストラには排気ブレーキとリターダーというエンブレの強力版が付いており、そのスイッチがハンドル左手にある。車種によるがウインカーレバーを向こうに押すタイプと、ウインカーと別に短いレバーが生えているのがある。動画でカチカチ言ってるやつだ。
これのスイッチを入れたり切ったりして速度を調節する。
ヘアピンではぐっと速度を落とす必要があるのでそこだけで足ブレーキを踏む。ブレーキ「ずっと踏みっぱなし」は絶対にNGだ。というかそんな運転するのはちょっと考えられない。
ブレーキを踏みっぱなしにして加熱させるとブレーキが効かなくなるが、その原因は2つある。
ブレーキライニング(押し付けられる摩擦材)が熱で滑りやすくなる事。「段々効かなくなる」のが特徴。
フェードが起きると独特の匂いがする。東武東上線とか伊勢崎線の古い電車で駅に着いた時に床下とホームの隙間から香ばしい匂いががした事ないだろうか?実はこれがフェードの匂いなんですな。MT車でクラッチを滑らした時とかも同じ匂いがするよ。
電車のブレーキはどれも同じ構造なのに東武の旧型車だけがあの匂いするんですな、不思議である。
あの匂いがしても東武電車は普通に走れるが、車だともうダメ。冷えると効きは幾分戻るがシューが変質してしまっているので交換か灼けた表面を削らないと効きは元に戻らない。
ブレーキ油が沸騰して水泡が出来る事。「突然、全く効かなくなる」という恐ろしい特徴がある。
ブレーキペダルの踏力の伝達には分子量の高いアルコールなどの液体を使っている。液体は圧縮できないからそのまま力が伝わるが、これが沸騰して水泡が出来てしまうと体積が千倍にもなり、また気体は圧縮できるから踏力が気体の圧縮に使われてブレーキを押す力にならない。
この両者は相反するものじゃなくて連続して起こる事もある。フェードが起きるとブレーキが効きにくくなるのでより強く踏まないとならない。そうすると発生する熱量が増えてそれでヴェーパーロックが起きてしまう。
で、増田の見立てだとこの事故の原因はヴェーパーロックだ。その理由には更にバスの構造を知ってもらう必要がある。
バスのサイドブレーキは、乗用車のように手でギギギと絞り上げるようなものではなくて、運転席の小さいレバーを倒すと全力で掛かるようになっている。
元々、バストラもハンドル式だったが、掛かる場所が違った。サイドブレーキはミッションについていたのだ。
昔のバスが終点に着くと、「ユッサユッサ」と揺れていたのを覚えているだろうか?これは車輪ではなくてミッション軸にサイドブレーキが掛かっていたからで、そこと車輪の間にあるシャフトやデファレンシャルギアの隙間、自在ジョイントのたわみのせいでユッサユッサしてたのだ。
だがこれはジャッキアップすた時などにデファレンシャルギアのせいでサイドブレーキが掛かっていない状態になり危ない。また急勾配で確実に止まっていられる事が車両法で定めらると、手で絞り上げる式では確実性と力が足りない。
なので、ブレーキのバネを普段は高圧空気で抑えておき、空気を抜くと強力なバネが全力でブレーキシューを押し付けるという方式に変更された。
画像を見たら一目瞭然だが、https://www.tbk-jp.com/products/brake_01.php
さて、変態バス氏の動画を見返して欲しいが、4:40頃から事故車両のブレーキ痕が続いている。
これはサイドブレーキが作用して後タイヤがロックしたって事である。
サイドと足ブレーキはシューが共用だ。もしフェードが原因だったらロックできないのではないか?
だとすると消去法でヴェーパーロックという事になる。
バスのブレーキ構造は、前がディスク、後ろがドラムというのが一般的だ。
見てもらうと一目瞭然だが、google:image:バスドラムブレーキ バスディスクブレーキ
ドラムというのは熱がこもりやすいがシューの摺動部とピストンの距離がある上に接触部が狭いところがあるので熱が伝わりにくく、ヴェーパーロックは起こりにい。
一方、ディスク式は摺動部とピストンが近い上に接触面積も大きいので熱が伝わりやすい。故にこっちの方がヴェーパーロックはし易いのだ。
だから後輪ドラムのフェードは大したことが無く、故にサイドブレーキは効いたが前輪のヴェーパーロックが来て全く減速できなくなったと考えるものである。
サイドブレーキが効いても減速できなかった理由は、一つは荷重の問題。下りでは車体がつんのめっているから荷重は前に移動する。だから後輪はロックしてスリップするがグリップ力が足りず減速できない。
この荷重移動を利用したのがドリフト走行なのね。ブレーキで前に荷重が移動している時にハンドルを切ると普段より舵が効く。前輪を中心に車がスピンしようとするからそこでサイドブレーキを引くと後輪が滑りだすってわけだね。
もう一つはホイールパークブレーキのせい。レバー倒すと後輪に全力でブレーキが掛かるので走行中ならいきなりロックする。スリップ状態はタイヤの摩擦力が低くなるから減速力が足りないって事になる。
よく出てくる排気ブレーキとは何かだが、エンジンブレーキを強力にする仕組みだ。
エンジンは2回転する間にピストンが2往復して1サイクルとなるが、爆発(燃焼)工程の前に空気を圧縮せねばならない。ディーゼルでは断熱圧縮で熱くなった所に経由を噴霧して燃焼させる。この圧縮には力が居るのでエネルギーロスだ。
圧縮の後に燃焼がなければロスだけが存在する事になる。エンブレはこの圧縮のロスを抑速に使っている。
排気ブレーキはここで更に排気管を塞いでしまうのだ。エンジンは圧縮ロスで虐められているのに更にペッと吐き出した息まで塞がれてしまう。とんだ意地悪だ。苦しいようやってられないよう、って事で更に速度が落ちてしまう。
排気ブレーキの作動中は「ドドドド」とエンジン音が野太くなって、解除時には「プシュ!」というのが特徴だ。
リターダーにはオイル式などもあって、これはオイルの抵抗でエネルギーロスをさせようというもの。木の板でかき混ぜる草津温泉の湯もみは水の抵抗があって結構大変、汗が出ちゃう。これと同じ仕組みだから湯もみブレーキと覚えてもらって差支えない。
でも日本のバスで一般的なのは、圧縮解放式ってやつで、これはエンブレの超々強力版である。
エンブレは圧縮ロスを利用するものだが、ピストンで圧縮された空気はその後どうなる?燃料が無くて燃焼されなくても、圧縮された空気はバネみたいにピストンを押し戻すのだ。
そこで圧縮解放式では意地悪して圧縮しきったところで排気バルブをちょっと開いてしまうのだ。すると圧縮空気は逃げてしまう。
更にまたすぐに閉じてしまう。すると今度は1気圧の所からピストンを引いていく事になるので真空ポンプの負荷が出来る。これで超強力なエンブレが出来るという訳だ。
新宿区の牛込柳町の交差点は急坂の底にあり、自転車で通る時に坂の上から一気に下りその勢いで向こう側の坂を上りたくなる。が、この交差点には信号があるのでそれをさせず停止状態からエッチラオッチラ上る羽目になる。
故に圧縮解放リターダーは柳町信号ブレーキと覚えてもらって差支えない。
圧縮開放式は空気が圧縮されたところでバルブを開くので動作中は「ンババババ」と結構派手な音がする。
因みにVTECみたいな可変複数カムによって実現されている。バストラもハイテクなのだ。
ある。
ブレーキ液には高分子アルコールを使うが、これは水を吸う。すると沸点が下がる。ブレーキは水が掛かる足回りにあって、そのピストンにはゴムのパッキンで水を防ぎ、ブレーキ液が漏出するのを防いでいる。
しかし窓をカッパギで拭いた時、水は残らないがなんかしっとりしているよね?あれが蓄積して水を吸い、200度以上ある沸点が150度くらいまで下がってしまう。この為に車検の度にブレーキ液は交換するのである。
因みにレースではもっと沸点が高いシリコン系が使われるが、これは親水性が無いので混入した水が水のままで存在してしまう。するとピストンが100度になると容易に沸騰してヴェーパーロックを起こし危険である。だから公道での使用は禁止されている。レースカーはレースごと、雨が降ったら走行ごとにブレーキ液を入れ換える。ブレーキ液にアルコール系を使うのはこのせいだ。
だからもしも車検(1年)ごとにブレーキ液を交換していなかったら沸点が下がりヴェーパーロックはし易くなる。この辺は国交省の調査を待つしか無いと思う。
また、少しではあるが、高山に上がって気圧が下がると沸点も下がる。
最後になるが、大型2種免許は他の免許取得後3年経たないと受験資格が無い。プロ中のプロのドライバーで、フェードしたりヴェーパーロックさせたりする運転というのはちょっと考えにくいんだよね。急坂であれば排気やリターダーのオンオフだけで慎重に下り足ブレーキには頼らないものなのだ。だから増田もちょっと腑に落ちない事故なのだ。
もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
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当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
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北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
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新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
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東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
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ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。