はてなキーワード: 武満徹とは
これは切実な話なので聞いてほしいです。
音大卒じゃない人が音大卒には負けない!が過去に流行いたしました。
東大、京大、一橋大、お茶の水大、同志社大、大阪市立大、島根大、埼玉大、九大、阪大、大阪教育大生の作る「現代音楽」が世に出ました。(全部当てた人は相当のマニアだ!)
私は、「音楽をやる奴は金をむしっている」と過去に差別され、国公立単願を余儀なくされた元音大生でした。
ひどい差別でした。
私はいつも気になりました。
事実は違いました。
どちらがすごいかと言われると難しいところですが、明らかなレヴェルの差は感じられることはありませんでした。
今は2021年です。
もう現代音楽は、はるかに手の届かないところまで駒を進めており、修博一貫課程に進まないとガウデアムスは絶望的と言われています。
こうなってしまった今、音大生は馬鹿の塊と言われることが、なくなりました。
高学歴ですら反知性主義なのです。これが日本の一番よくないところです。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 94 | 14816 | 157.6 | 56.5 |
01 | 65 | 13123 | 201.9 | 48 |
02 | 30 | 8338 | 277.9 | 46 |
03 | 23 | 3546 | 154.2 | 75 |
04 | 25 | 1817 | 72.7 | 24 |
05 | 14 | 1800 | 128.6 | 46.5 |
06 | 24 | 7395 | 308.1 | 48 |
07 | 56 | 4847 | 86.6 | 52.5 |
08 | 91 | 11769 | 129.3 | 42 |
09 | 134 | 15147 | 113.0 | 48 |
10 | 225 | 19160 | 85.2 | 35 |
11 | 141 | 13058 | 92.6 | 50 |
12 | 137 | 15663 | 114.3 | 37 |
13 | 130 | 12390 | 95.3 | 42 |
14 | 138 | 16715 | 121.1 | 42 |
15 | 135 | 10776 | 79.8 | 38 |
16 | 149 | 13152 | 88.3 | 51 |
17 | 160 | 15579 | 97.4 | 38 |
18 | 116 | 16050 | 138.4 | 35 |
19 | 110 | 14136 | 128.5 | 37.5 |
20 | 176 | 18251 | 103.7 | 42.5 |
21 | 128 | 13662 | 106.7 | 36 |
22 | 77 | 9040 | 117.4 | 42 |
23 | 107 | 17736 | 165.8 | 46 |
1日 | 2485 | 287966 | 115.9 | 42 |
交響曲(5), 組曲(5), ヴィヴァルディ(5), ブラームス(6), ピアノ協奏曲(5), 古典派(4), ピアノ曲(4), ハイドン(4), マーラー(5), ラフマニノフ(5), 交響(6), ワーグナー(6), 序曲(3), 清田(3), 武満徹(3), メシアン(3), ピアノソナタ(3), パッヘルベル(3), ガイ(21), 方言(17), カー(13), 会長(14), 古典(9), 森(26), ワニ(9), 寄生(8), ジョーク(7), ホモソーシャル(7), ロック(12), 五輪(11), 聴い(16), 百合(11), 役員(7), 治安(10), 事務(10), 地震(7), ✋(7), 曲(26), 軽い(12), 音楽(23), オリンピック(14), モデル(13), 父親(20), 完成(10), 発信(10), 専業主婦(9), 洗濯(9)
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適当に追加しとくね。1950年以降に無視できなくなった作曲家たち。
マンゾーニ
アンザーギ
ドナトーニ
マデルナ
ペンニーシ
トンニ
グァッチェロ(お父さんのほうだよ)
ゲオルク・カッツァー
シュテッフェン・シュライエルマッヒャー
W・リーム
アイネム
ミュライユ
オアナ
バラケ
デュティユ
ゲゼック
クルターグ
カレル・フサ
ファーニホウ
フィニッシー
バートウィッスル
スロニムスキー
デニソフ
シニートケ
ウストヴォリスカヤ
ハチャトリアン
タン・ドゥン
チェン・イ
カン・ス・キ
チン・ウン・スク
グラス (交響曲を量産する前)
ライク
シャローネク
ハンブレーウス
ペッタション
フイヴァールツ
トン・デ・レウ
アントワーヌ・ボイガー
グエン・ツェン・ダオ
トマ・シマク
ロナルド・スチーブンソン
P・M・ディヴィス
ロベルト・シエラ
カリージョ
ジョシー・デ・オリベイラ
トラブロス
スパッソフ
サイグン
エック
カマルゴ・グアルニエリ
ミルコ・ケレメン
日本の貧しい1980年代、首都圏はバブル経済だったのかもしれないが、地方と田舎は酒たばこパチンコソープがにぎわっていただけだった。
前衛文化が日常になったのは武満徹が癌患者になった1990年ごろの話である。
前衛のメッカ・ドイツのダルムシュタットが燃えていたのが1960年なので、日本人は30年遅れで消化している計算になる。
オタク文化が日常に行きわたり、抵抗すら消えたのは2010年代である。
2010年代になると、もう文系では食えないといわれるようになり、世間は理系をもてはやすようになった。
しかし、オタク文化が燃えていたのは1980年代で間違いがない。
2020年の日本、日本の音楽大学の教員勢も国際コンクール組が主流となり、学生たちの人権は大いに向上したと思われる。しかし、目に見えないところで、少しづつ知的水準の劣化は進んでいる。
まだNHK-AM第1でアルフレド・デ・アンジェリスのタンゴが放送されていた当時、日本は極貧国家だった。小平邦彦さんは「日本の大学生の質が劣化した」と喝破していた。けれども、彼の世代は大学に行けるのが7%で、喝破当時14%なのだから当たり前である。小平さんはそんな統計データにも気が付かなかったのだが、自分が正しく自分以外はすべて間違いだと錯覚している日本人は珍しくない。今でも日本の田舎と地方は、自分が正しい人たちでいっぱいだ。
その極貧国家で高卒で国際コンクールのグランプリの取得に成功した人物が、武満徹さんであった。彼がグランプリを取得したことで、現代音楽に学歴は関係ないと錯覚する人物が多く出たのだが、そのおかげで注目してくれるスポンサーが大量に見つかったのだから、結果的には好都合であった。ミルトン・バビットさんはピッチクラスセット理論を開発していたが、そんなことに気が付く日本人は今とは比べ物にならないほど少なく、日本人の娯楽は酒と風俗とパチンコとたばこしかなかった。「低学歴で何が悪い!」が、通ったのである。ピッチクラスセット理論といっても、ここにいる増田の何人に通じるだろうか?
そんな日本も新幹線授業や新数学のおかげで教育熱が盛り上がり、教育ママゴンなる単語が出現した日本ではピアノブームが起きたが、相変わらず日本勢は国際コンクールで敗北の日々であった。園田高弘さんは1980年のルービンシュタイン国際ピアノコンクールの審査員席で、怒られたらしい。日本勢は何をやっているのかと。もう少しましに弾けと。それはそのはずで、ピアノをやらせている親はお金のある中卒か高卒なので、教養の質はいきなり向上できないのである。金は持っていても、無教養だよねえ日本人ってという言葉が40年前のヨーロッパではよく飛んだ。
その当時の日本ではピアノブームはあっても作曲ブームなんてものは全く存在しなかったので、作曲専攻は大いに肩身が狭かったと思われる。当時作曲科の受験は和声法、対位法、フーガ、ソナタを18歳で全部完クリしなければならず、そのためのレッスン費用もバカ高くなる。この間世間を騒がせた道央増田には想像もできない世界であるが、それでも片道5時間でレッスンを受けた人物も大勢いたのである。片道5時間程の悲劇ではない普通の家から作曲家としてダッラピッコラ国際作曲賞に輝いたのが西村朗さんであり、片道5時間レッスンを拒否して自称独学の作曲家になったのが、ルトスワフスキ国際作曲賞の江村哲二さんである。独学といっても、彼は各種国際マスタークラスに参加しているので、厳密には違う。
ルトスワフスキ国際作曲賞の江村さんの受賞作とダッラピッコラ国際作曲賞の西村さんの受賞作を、お聴きの増田はいるだろうか?おそらくいないはずだ。日本の知的水準の劣化はもうこの時に始まっていた。劣化が始まると、始めた人物が急に偉そうな態度をとるようになり、それが多数決になった瞬間に文化は崩壊する。
現代音楽の様変わりが始まったのは日本に関する限り1990年代で間違いがないが、二極化が進行していた。東京藝術大学を出ても調性音楽しか書けない連中から、高校と大学を飛ばしてヨーロッパ在住10年組になってまで国際コンクールのタイトル奪取を心掛ける者とに、分化が始まっていた。なぜこのような分化が始まったのかはわかっていないが、1980年代のフリードリヒ・ホンメルさん時代のダルムシュタット講習会がもうジェイムズ・ディロンさんやクリス・デンクさんやリチャード・バーレットさんやカイヤ・サーリアホさんやアレッサンドロ・メルキオーレさんを擁するレヴェルであったため、日本人の知的水準では理解できないところにまで遠くなってしまったのが大きかったのではないだろうか。
長髪のディロンおじさんがクラーニヒシュタイナー音楽賞を獲った曲ってなんだったっけ?Parjanya-Vataだよね。これを弾けるアジア人のチェリストは2020年の現在、まだ存在していない。もう40年前のチェロ独奏曲だが、もう日本人では弾けないだろう。40年前の音楽すら消化できないのが、日本のチェロ業界である。
2000年代に入ると、日本は現代音楽の報道をほとんどしなくなり、藤倉大さんや望月京さんのようなヨーロッパ在住10年組の応援だけはNHKとTBSでやる、いびつな国家になった。武満徹さんがもしも生きていたら、このような偏向報道に異を唱えたであろうが、もう遅かった。日本人はいくら知的水準が劣化しようが、自分の頭だけが大事で、他はもうどうでもよいのだ。私は「それは仕方がない」という立場に立つことはできない。日本人が今のロシア人のように、すべての領域で国際コンクールを制覇する程の教育の底力があるのであれば私は折れるが、今の日本人はガチで勝負して来いといわれると一発で刎ねられるのだ。
そのガチ勝負の典型例が今年のブゾーニ国際の予備審査とロシアのNew Classics国際の譜面審査ではないだろうか。私の想定の範囲内だったが、日本人は全員落ちた。これに危機感を持てないようでは、どこの分野でも日本人は早晩通用しなくなるだろう。そして、2030年代は、落ちる人も通る人も、すべてが中国勢にとってかわるのである。
落ちてもいいという増田もいるだろう。しかし、落ちてもいいが多数派になったとき、日本の知的水準は1960年代に逆戻りし、だれが何をやってもうまくいかないという未来が待っているはずである。まだ日本はヨーロッパ在住10年組でかろうじて最先端についていけているが、10年後はこれができなくなるはずである。今の日本の大学生はMusik-Konzepteも読まないし、Perspectives of New Musicも読めない。鬼滅の刃は読めるらしいが、いったん劣化した知性は、元に戻ることがないのである。道央増田のような人材を放置し続けた結果が、日本の今の現代音楽である。東京が腐ると地方も腐り、田舎も腐る。
問:下の文章は、動画共有サイトのコメントです。文章を読み、以下の問に答えなさい。
素晴らしい演奏です。関谷先生らしく、実に無理が無く音楽的です。三善先生は、先日亡くなられました。先生の音楽は、武満徹さんや、黛敏郎さんと並んで、東洋の日本を代表する音楽であると思います。三善先生の、この「五つの童画」は。こんなものじゃ無いと思います。最近はコンクールで、若年層に歌われる機会が多いせいもあり、安全運転、ミスを発見されない配慮ばかりが目立ちます。ピアノの田中希代子の演奏のような、身を削る厳しさと、共通の様式にあると思っています。
設問1:筆者の主張に当てはまるものを下記より選びなさい。
ア:楽曲のポテンシャルを引き出せていないが、素晴らしい演奏である。
イ:楽曲のポテンシャルを引き出せていないので、素晴らしい演奏とは言えない。
ウ:楽曲のポテンシャルを引き出せているので、素晴らしい演奏である。
エ:素晴らしい演奏であり、楽曲のポテンシャルを引き出せているが、楽曲のポテンシャルはまだある。
設問2:筆者の主張に当てはまるものを下記より選びなさい。
ア:この楽曲を取り上げる若年層の演奏は、田中希代子の演奏のような、身を削る厳しさと共通の様式にある。
ライゾマあたりの演出で海外で人気がある人間に、全面的に演出を任せればいい。
https://www.youtube.com/watch?v=z64HCi2rQkE
こういうテイストの音楽使えばみんなそれを日本的なるものとして認識してくれるだろ。
もしくは武満徹とか。
ていうかさ、久石譲とかそんなガラカパゴス作曲家なんかどうでもいいから、どうせだったら有名な人間使おうぜ。
日本的なるものってさ、結局は大阪のようなごっちゃごちゃカオス、アジア!みたいな感じの方向か、
京都っぽい無味乾燥の暗い、神社!寺!って感じの二択しかないんだからさ。
教科書の表紙は、子供の描いた絵だったけど、すごく綺麗で幻想的だった。どこかの誰かが描いた絵、こんな絵を描ける子が信じられないような子がいるんだなと思った。
色々な曲が載っていたけど、全てを習う訳じゃなかった。色んなやってみよう、のコーナーもあった。でもだいたいそういうのは飛ばして、先生の選んだことをやった。選んだ基準は分からない。
唱歌はまずCDでお手本を聴いた。お手本は子供の歌声なのに、やっぱり信じられないほど上手で綺麗な声だった。スピーカーの向こうは別世界で、とても美しい世界が広がっているのを想像した。たまに、野暮ったい歌声の時もあって、今思えば古い録音だったのかなと思うけど、がっかりした。
自分が聴いてみたいと思う曲の一つに、武満徹のノーベンバーステップス、という曲があった。授業で流すことはなかった。
きょう、NHKで武満徹の合唱曲を聴いて、あの頃のスピーカーの向こうの別世界のこととか、会うことのなかった信じられない子供たちの事を思い出した。もしかしてあの頃の子供達は今日歌っていた人だったのかもしれない。
武満徹がベタ褒めしたと言われるマジカルパワーマコの曲、何回聴いても反認識という認識にまみれた感じですごい残念。。武満徹のCDBoxも聴いてみたがそこまで良いとは思えず。。
やっぱり言ってることとやってることがなんとも噛み合わないが音楽なのか。
雑誌などで「ここはこういうつもりでやっています」っていう作曲者の意図を聞けることもあるけど、いざ曲の前ではそれがどうしたってぐらいにどうでもいい部分であることが多いし。
逆にもし自分の大好きな曲をつくるアーティストに「これはどういうときにつくったんですか?」と訊いたとしても、絶対意外なことが聞けるだろうし、なんとなくとか感覚的な答えが返ってきたりすると思う。
『「作曲者の在り方」が曲の良し悪し。「作曲者が何をしているか」はそれに関係ない。』
という自分の中でのいつも結論に落ち着く。
ただ、武満徹の言葉から在り方を想像していたのに、一番大事な曲でずっこけるとは。。
口はアテにもヒントにもすんなということなのか笑。
http://anond.hatelabo.jp/20130323124047
中二病、高二病、大二病、社二病を乗り越えて患うのが35病だと思う。30代後半から徐々に発症する。
若者のだったつもりがいつのまにかおっさんおばさんの仲間入り。こんな症状が出たら罹患を疑うべき。
正直、頭が禿げるとか加齢臭がするとか脂肪が増えるとか肌が荒れるとか、そういうのは年齢とともにやってくるものなのでしかたがないことだと思う。
でもこういう「会社や店で横柄な態度のおっさん」が年寄りになると、最終的に菅直人や石原慎太郎や田中真紀子みたいなジジイやババアが出来上がるのだと思う。
若いころ「武満徹を殺せ」なんてビラを巻いていた坂本龍一も、今ではすっかり説教クソジジイになっている。
35病の厄介なところは、中二病などと違って年齢を重ねれば重ねるほど悪化していくところだ。
最近は女性だけでなく男性向けにもアンチエイジングが流行っているそうだけど、年をとりたくなければまずは見苦しいおっさんおばさん言動と行動をやめるべきだ。
かく言う俺も今年で34だ。街で見苦しいおっさんおばさんを見かけると「俺もそのうちああなるのか」と非常に憂鬱になる。
「それ年齢関係なくて、そういう奴は若くてもそんなだ」というご意見を頂いている。確かに石原慎太郎も坂本龍一も富野由悠季も若い頃から尊大な嫌なやつだったと思う。
でもこの人ら、年齢を重ねるごとに尊大さが悪化して説教クソジジイになったじゃないですか。これって年齢とは決して無関係とは思えないんですね。人生経験がかえってマイナスに働くというか、成長ではなく老化していくというか。
この文章からにじみ出ていると思うけど、俺も子供の頃から世の中を斜めに見る嫌な子供だった。それが嫌な若者になり嫌な大人になった。このままいけばきっと嫌なジジイになるのだと思う。三島由紀夫が45歳であんな死に方をしたのは、そういうジジイになるのが嫌だったからだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130330190713
35病のサンプルとしてリンクしておく
おおもとの発端はこれ
https://twitter.com/sokohjo1/status/278806015833694210
JASRACが雅楽の公演に突っかかるのはおかしい!がおかしいたった一つの理由。
http://d.hatena.ne.jp/sophizm/20121213/1355376996
@sophizmの日記というまとめを読んで、わかりやすい部分とちょっとピントずれしている
指摘について個人的な説明と補足
についてはおおむね同意。なおJASRACが管理信託されている曲を公演上利用したかの申請をしろという話
ちなみにコンサートをホールでやる場合や500~1000人規模のライブをやる場合はJASRACの確認とか現状の
査察みたいなものが入っているみたい。自分も500人向けのコンサートを有料で行った場合申請した。
ただしJASRACの信託曲に関しては使用料を規定通り払い、信託曲でないものは払わないというような選択は
できない。ステレオタイプの申請書に、「入場料」「どの曲をカバーしたか」を記入をして、人数とチケット
この書き方は誤解を呼ぶ。
クラシック音楽というジャンルを示しているならば悪くない言い方だが、クラシック音楽は著作権切れてい
る。いわゆる純音楽であっても近現代の作曲家であれば著作権が切れていないだけ。
たとえば「スティーブ・ライヒ」(存命)や「カール・オルフ」(死後50年たってない)などはまだ50年
たってないので著作権は生きている。
http://music-bells.com/?mode=f12
雅楽も同じでジャンルとしての雅楽ならば著作権が生きているものもある。例としては吉松隆氏の現代雅楽
は作曲者も存命だ。また著作権とは別に隣接権や原盤権というのもある(JASRACはこの点に関して無関係)
http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/~data/Article/bunka2006.html
★吉松隆
http://matome.naver.jp/odai/2134793976655349501
そりゃそうだ武満徹氏は没後50年たっていない。
ちゃんと事務的に仕事をしているとは思うけど・・・ただ音楽の利権で食っている人としては、こんなお役所
仕事じゃだめだと思う。
■まとめ■
戦時加算とかあって、ややこしいとこもあるけど。作曲者の死後50年たっている曲はパブリックドメインに
なるよ。
でも、ジャンルとしてクラシック音楽でも雅楽でも作曲者が存命だったり若しくは死後50年以内のものには
著作権発生するよ。
えーと、個条書きにする。
ここまで予め出しておいた方がいい個人的な情報。以下本文。
誰一人として異議を唱えない定義も欲しいし、それは違うだろ、と一番ツッコミが入る定義も欲しい。エレキギターと電子ヴァイオリンはソロだろうと協奏曲だろうとこんなの使ったら吹奏楽じゃねえ!って発狂する人もいるだろうからね。吹奏楽という意味自体はどちらかというとだんだん拡大解釈されてきたように思う。それでも「オケはオケでしょ?」な人がいる。じゃあそこの「潜在的に考えられる境目はどこよ、ヴァイオリン使ったらオケなのかい」って話になる。つまり、「そこまでこだわるんなら、はっきりした定義を持ってきて、納得させて欲しい」ということでもある
これを求めているのであとの二つはいいや。というか上が解決すれば下も解決する。
あえて俺様ルールを持ち出すとすれば、
全部音楽だ!文句あるか!もっと爆発しようぜ!!
ということになる
けっこう話題になったサブカル系ブログで音楽何が好き?と聞かれたら
くるりと答えておけば安牌みたいな話があって、あるあるネタとして受け取ったんだけど
自分なりにそのあるある感の仕組みを考えてみてちょっとこれはいかんなと思った
あまり音楽を知らない人とサブカル系音楽好きの中間地点より少しサブカル寄りサブカルの入り口あたりにくるりがいることじゃないかな
それを他人に説明する煩わしさとそれによって得られる成果の期待度の高さ
そしてサブカル好きの自分のセンスに対するプライドとそれに対する対外評価を計りにかけて
彼女たちの最小公倍数兼最大公約数、妥協点兼試金石として丁度いいところにいるくるりの名前を出すんだと思う
それがわかるからこそ、そのあたりしか聴いてない人のことを
ミーハーサブカルやヴィレバン厨と言って揶揄する人もたくさんいるわけで
でもそれはそれを揶揄してるもっとマニアックな音楽を聴く人や聞かれる側のアーティストにも当たり前のようにあるわけで
いわば音楽におけるセンス競争にアーティストもリスナーも驚くほど様式的な形で参加してしまっている
たとえば2chの音楽スレでよくあげられがちな面々ビートルズやフーから始まりミッシェルゆら帝ナンバガ村八分toeガスターデルソル武満徹などなど
自分の嗜好と対外評価を計りにかけその中で一番センスがいいとされる
いわば無難なアーティストをこぞってあげた結果一里塚のようにぽつぽつと偏りが現れてくる
センスのよさ競争で外し要素は重要だがセンスの良い外しかたというものが漠然とあってそこからさらに外れたものは叩かれる
だんだんコツをつかむとより危険牌に近い安牌がわかるようになるから安全にスタンドプレイもできるようになる
一見このバンドは○○だが、こういう視点から見ると○○で面白い式の
当然みんな単純に好きだから聴いてる部分がほとんどだろうからそれだけに
自分の中のそれをやっつけるべきかどうかは未だにわからないけど