はてなキーワード: 深謀遠慮とは
岸田文雄って少子化対策に関して担当大臣と異なる理解をしていたり、防衛費の増額について財源を決めずに投げっぱなしにしたり、能登震災発災当日に国交大臣にも防衛大臣にも偶然良いタイミングで東京にいた被災地知事にも会わずに執務室に10時間以上篭ってたり、裏金問題への対応でなんら根回しや調整をせずに意味不明な対応を繰り返した結果世論どころか党内からも見放されて総裁選不出馬に追い込まれていたりしていて、政策への理解度も達成させるだけの覚悟もなければ災害対応もできないし不祥事にも対応できない、端的に言って酷い政治家で、支持率の低さがそれを表している。
ファンの言動を追っていくと、岸田文雄のあらゆる行動が深謀遠慮の末に導き出された最善手に見えているらしい。
思慮が無く、能力も低い政治家の、めちゃくちゃな行動が熟慮の上で行われてるように見えていて、本当の敵は別(岸田文雄の場合安倍派だったりマスコミだったり)にいると思ってるっぽいのが齋藤元彦のファン層とよく似ている。
にも関わらず、岸井文雄のファンは齋藤元彦のファンをバカにしたり怖がったりしている。
なかなか笑える。
BNA ビー・エヌ・エー
ゾンビランドサガ 1期
アニメーションのクセは思ったほどなくて、OPラストだけ苦手だったけどOPのほかの部分は大好き。
「少し泣く」ってこの漫画だったのか!と、いいシーンなのに笑ってしまってカナシス。
私は老人・師匠キャラの同窓会展開が好きなので、3人が会する場面が一番好きかも。ポセイドンも悪イメージずっと付かなかったね。まあずっと高校の質が下がってると繰り返し言われ続けてて同情票集まったし。デビル拾う器量が質の低下から来るものかもってのも物悲しい話です…。デビル、よかったよ。こっちも短期間でえらいことになってます。
アニメもキャラも話も面白かったけど、根本的にこの手のお話って苦手なんですよね。この作品ってもの凄い才能があるけどそこそこ卓球が上手いでとどまっていた二人(それも親友!)が本気で努力したら超短期間で最強になるってお話じゃないっすか。年一大会・高校生ってそういう短期間にしなきゃいけないんだけど、それでもやりすぎだよなぁと思っちゃってキャラ愛の障害になる。似た作品ですきなのがはねバド!。あれもピンポンみたいにほぼ急に主人公最強になるから、作品は好きだけど主人公はそんなに…みたいな玉に瑕な評価に落ち着いちゃうのだ。キャラならやはりドラゴンも捨てがたいがオババの息子が一番になるか?
あとOPのような高まった後の二人が喋ったり入場するシーン欲しかった。
今石と吉成曜のネームバリューだけで見ちゃう作品。しかも色彩がいいよね!
んー…。面白かったよ。
アニメーションはグリグリ動くよりはメリハリと嘘で躍動感重視な感じ。トリガーみてんなぁーって気分。ちゃんと見た作品ないけど。
人並の能力プラスアルファで獣の能力といった人の上位互換みたいな獣人が居て太古からひっそり共存してたけど人口の差か現代でもめっちゃ被差別側に追いやられている、なんか変な世界。
そんな獣人のユートピアといわれる特区が舞台なんだけど…、ユートピアの理由は「獣人しか居ないから」。
…うーん…。それ、ユートピアじゃなくて隔離なんじゃね?人と獣人がちゃんと共存してこそユートピアじゃね?文明の発達で生存圏が入り混じったけど、動物園は動物だけだよって。言葉を選んで自然保護区と言い換えてもいいけどそれユートピアかなぁ。
都市も獣人ならではの構造にはなってなくて、ほぼ普通の人間用都市。ビースターズやズートピアの後に見るとガッカリするよね。そもそも獣人の姿になるのは威嚇に等しいと、みんな普段は人の姿で過ごしているから最初の祭りのとき以外、「獣人の街」感は皆無。
ユートピアの負の面も描きたいからか、話は基本、街の暗部ばっかり。ギャングに貧民、窃盗、賭博に宗教。先述の要素もあり良いところがほとんど描かれないから、美点が人(がいないから)に差別されないしかない。(ネットも規制されてるし)
よって獣人にとって大切な街、守るべき街みたいな根本のスタンスを共有できなくて、価値を感じない。人界の差別…もそこそこひどいんだけど、今も相当数獣人も暮らしてるわけだし…そっちでみんなでガンバったほうがよくない?とポリコレが進んだ現代視点で見ると思っちゃう。結局、人が居ない舞台設定にしたいだけの雑な設定に感じられて、獣人アニメとしてはそうとうガッカリだった。(さらにいうとほぼ主人公の人間視点・異文化の来訪者視点が欲しかったからだけの両種が居る設定に感じられた。世界は獣人オンリーでいいよ別に。)
話は結構好きだったよ。男女探偵バディものっぽい雰囲気でよかったし、「俺は間違わない」のカウンターにグッときたし。そういえば終盤のラスボスへのセリフは「すべての獣人は俺が守る」って感じの初期セリフを被せてくれたら皮肉にもなってなおよかったなぁ。これならなおよかった点は主人公のラストもかな。あえて街に留まる選択をしたわけだけど、ラストにSNSの誕生日おめでとう投稿にいいねするとか(中盤迷って押さなかった)、人間界に存在を知らせる感じで終われば、なお選んでここで暮らす感が出たと思う。唐突に獣人化して引きこもって密航して…って背景があるから、どうしても失踪した人の家族や友人目線を考えるとね…。こっちにきた親友のナズナだけが人間界の繋がりじゃないんだからなぁ。(私の獣人街の価値が低すぎて描写が無い家族の方が大事に感じてしまう)
あとこれも微マイナスなんだけど、本編内容にED曲が絡むんだけど、こういうパターンて曲がハマらないと話にも減点しちゃうのよね。曲が好きになれたら加点だけど。二人のあのキャラであの披露場面であの曲調を好きだったり選ぶのは微妙、かな。曲単体で嫌いってほどでないし。毎回ED見てたし。
話のオススメは野球回です。ゲストキャラの声優の演技のおかげで一番好き。絵は繰り返し多めだけど、聞いてるだけで楽しい。
1話15分で脱落。
ごめん、自分はこのキャラデザの目と口から感情を読み取ることができなかった。ずっと人形が喋ってるみたいで驚くぐらい感情がノらなかった……。
どちゃくそ面白かった。いや萌えアニメっぽいし期待値ゼロで見たんだけど、まさかこんな作品だったとは。
OP時点で3Dに驚いた。そして作中でもクオリティそのままですごい、本当にすごい3Dアクションを見せられて、本当にテレビシリーズでこれ見ていいの!?と不安になったぐらい。大満足。こういうアニメーションが見たかったんだよ。日常パートは、最初の干支言えない天丼やまたアキバかよみたいなのをグッとガマンしてもらえれば。そういうのはすぐ消えて、ハイテンポで止まらないスピード感のたたみかけで脳をやられた(デスデスだけは最後までガマンしてくれ)。やっぱ1、2話はこういう強いつかみが大事だよなと痛感した。メタネタ好きですし。中盤は流石に多少落ち着いて進行したけど、総集編すら楽しく見れた構成はよかったし、どうみても捨てキャラに見えた犬猿(猪)に作中で言及したときはコイツぁ信頼できるぜと思いました。
減点なところもあるんすよ。男人間やソルラル設定とか形骸化してるなーとか、人間界に集まってる部分ほぼ要らないなーとかの単純な人間非介入ほんわか干支争奪バトル話でよくない?だとか、ドラたんは覚悟してたけどピヨたん回ほぼ蚊帳の外の将棋回じゃん!(泣)とか。
にゃ~たんの「記憶喪失によるキャラ探し」も最初だけで、ほぼチュウたんのための逆算だよな。とか。
でも2Dの会話劇と3Dのアクション両方で高得点だされたら満点超えるよね。
モ~たんもそんな好きなキャラじゃなかったのに終盤の短い尺でめちゃくちゃキャラが深まる話ぶっこんだりで大幅加点に転じました。
あとはにゃ~たんの記憶喪失がねぇ。元々、飄々かつ深謀遠慮っぽい性格みたいだったから、フジリューの太公望と伏義みたいな記憶喪失後のふざけたキャラ込みの二面性があればよかったよねぇ。せめて衣装チェンジが欲しかった。昔の巫女風な服みたいな。デタッチドスリーブだけでも追加してくれれば…!
音楽もOPのイントロ、ED大好き。ソルラルチャージバンクもよかったにゃす。(EDのようにちょっとでもいいから毎回変化があると心のゴローさんが喜ぶんだよね)
聞いてね。
半分?12話ぐらいで脱落。
いい点。女の子が可愛い。褐色ワンピ可愛い。魔法ハッカー少女ロジカルかわいい。突然現れるランドセル少女で視聴決定(しかし以後出ない)。敵のエロさは…私、エロはわりとどうでもいい。
悪い点。ロボが活躍しない。
序盤はよかったんですよ。合体バンクがケレン味あって満足度ド高いし(毎回ロケット飛ばすの!?)。説明無し専門用語のラッシュも嫌いじゃないし。しかしいかんせんメインロボが出ない…そもそも設定がかなり迂遠…。
…Uターンしたら成功!と地方の人口維持みたいな目標設定なの。謎。宇宙人が敵じゃねーのかよ(宇宙人だけど)。
で、初期は唐突に手順2から始まって人類は監視して迎撃するんだけど(ファーストコンタクトは主人公の父親のロケット特攻で撃退できる弱さ)、以後はなぜかチャージ装置と小型ロボットが一体になって、手順1を戦いながらチャージするようになる。なので地上で制限時間までに敵を倒せ!に変わる。
主人公も巨大ロボのコアの小型ロボで戦うからかなりスケールダウンするわね。しかもチャージできちゃったら地上で戦ってた主人公は宇宙に行くのに間に合わないから…。実質地上戦が運命の分かれ道。一応2号ロボとかでカバーな話にはなるんだけど…。
毎回ガオガイガーがガイガーで戦って時間がかかったらファイナルフュージョンもせず敗北。みたいな。それって見たいか?
それを敵が敵幹部の覚醒のためにまず5回繰り返すことが確定する。5回は多いて…。しかも一人一話かと思ってたら一話で収まらなかったりで…ギブアップです。
地球に来たら即敗北の敵に一応、世界各国で防衛網は敷いてるものの…
日本の
種子島の
アースエンジンは地球製なの!?動力源は主人公が偶然手に入れた銃でしょ!?主人公が撃つまで動力源無しの置物だったの!?ヒロインの銃は撃たなかったんでしょ!?なんでそんなもんつくってんだよ!?
しかも弱いしさぁ!ガンガン格闘するような機体でもないですって!?
…うん、ダイガードでも見るかぁ。
しかも序盤にいい年した男女の恋愛駆け引きのやりとりを敵・味方2組でやるという謎采配。脚本がなにを考えているのかまったくわからない。
主人公も「久しぶりにあった友人にブーメランみせたろ!」っちゅう、17歳の高2にしてはちょ~と幼すぎるキャラで、全員中学生設定でよかったよ。無知ヒロインも魔法少女も中学生が適正だって。エヴァと交換しよ?
ED曲はめちゃくちゃいいんで。聞いて。後半変わるらしいしここで切ったのは正解か。
またボンズかぁ……………………。
これも色使いが気になった作品。
完走したけど、正直、視聴赤点を0.001点上回った作品。毎回「打ち切るか…」と思いながら見てた。
魔法・妖怪・超能力・ロボなどなどなど、常人を上回る力をもったものを超人と総称した戦後昭和な世界で、今と数年後の未来の場面を平行しつつオムニバスで毎話いろんな超人の話をする。
ボンズ作品なので、OP最後のような主人公の活躍を期待してはいけない。
超人になったからには・超人の力でなにをなすか。そんなテーマと向き合った各話の出来は、正直、よい。けっこうよい。基本は思想のぶつかり合いなので真面目にみてないとかなりわからなかったりするけど、様々なジャンルの超人が活躍するエピソードは面白くできていると思う。だから、余裕で視聴できる。
そんな各話横の出来はいいのだが、それらを貫く縦の物語、「超人課」に関してはうーむ…。やや停滞感が強い。エピソードと変化が弱い。
主人公は超人保護の意識が高く、(一応)普通の人間ポジション。
なのだが、熱血漢はわかるものの、それにしても口調が強い。結構強硬派な言動に感じる。
それでいて超人保護の実績・活躍はというと、それほどは芳しくない。あんまり上手くいかない。
頭脳・知識にしても親や上司世代が勝っているし、駆るロボは同僚の未来人が作ってあげたもの。腕の謎の力は解放したら家族同然の人に封印してもらわなくちゃならず、それら抜きでも普段の行動からかなり人を頼り(使い)気味。
環境に無自覚に甘えていて態度は強気、みたいに写ってしまう部分が多少ある。なんと表現すればよいやら。
適切ではないかもしれないが「THE末っ子」みたいな?ちょっと高慢にも見える態度のでかさだけど彼の地盤ってほぼ志だけで頼りにできるキャラじゃあない。
結局、終始主人公を好きになれなかったという話さね。
主人公が超人課を抜ける未来についてもビジュアル変化が薄いからぼんやりしてるとどっちの話?と偶になったり。一応敵対してるけど各キャラそこそこ普通に喋ったりと絶対的決別じゃなさそうだったりでフックなりえなかった。分割2クール前提のせいか1期範囲でいい感じにまとまるわけでもなく、あぁ、飛び出したけど結局仲間集めで頼り先作ってんなと覚めた感じになっちゃった。
魔法少女やアースちゃん好き。ジャガーさん好き。笑美さんすき。全体を通してやりたいことも多分わかる。各超人のお話も面白い。なーのーに、赤点ギリギリ。超低空飛行。なんだろうかあえて言えば、「全体を通してやりたいことも多分わかる。しかし面白くはなさそう」かな。興味の部分への刺激が低い作品だった。
色彩についても特徴的ではあるが昭和モチーフのせいか薄暗い世界が続くので強い魅力にもならなかったみたい。
曲は…特に無し。EDだけ笑美さんの動きのためだけに毎話見た。
宮野真守だけでおつりが来る!!!!!!(宮野真守と三石琴乃の鳴き真似だけで満腹じゃい!!)
だからこんなパンチを1話から繰り出してくれると見ちゃうんだよね。
非常に面白かったです。
ゾンビ要素・アイドル要素、はぁ、特に加点もないけど、キャラとシナリオがよければよいのだ。
いや主人公のさくらちゃんよかったですね。方言よかったですね。初期のどやんす流されなんとか牽引する姿にグッときて好きになりましたね。最終回は思わず泣いちゃいましたね。受験に落ちた後の悟りさくらちゃんが一番好きです。
アイドルアニメは別に好きじゃないけど、彼女がもろもろ頑張るのを見るアニメとして視聴しました。もちろん主人公を活かす他のキャラの味付けも(ゆうぎりさん以外)よかったからです。(ゆうぎりさん以外)
…全体的によかったら特に書くこともなくなる。
たえちゃんもよかったね。会話中とかダンス中とか、絵が退屈・予想の範疇になりそうなときはたえちゃん見とけばとりあえず普通と違う動きが見れるので退屈しないですね。あれでいて練習もよく頑張ってたりほんわかしますね。
ヤンキーがリーダーになるのはびっくりしたけど、驚くほど邪魔にならずテンポを阻害せず進行したし、リリィは明るく不穏不満分子集団のいいアクセントだったしアイドル二人は普通にアイドルものしてたし。じゅんこのほうがやや好き。
曲。OP。SEが入るOPは問答無用で勝利なんすよ。「んみゃく」これ聞いて。さいつよ。しかもSE増えるとかたまんねぇ。それぞれのキャラが協調性なく好き勝手に歌ってる感じでよき。
作中のライブや曲は…マジメに見てないので特に無いかな。CMソングが一番好き。最初にライブで3Dになったときはそういうアイドルアニメをメタったネタかと笑ったんだけど、後からも普通にアイドルして3Dしててそこはごめんなさいしないといけない。
就任してそこまで経っていない頃だっただろうか、副市長人事の同意を議会から得られず、さらに議員提案により副市長の定数を減らす条例が可決成立したことがあった。当時のニュースを見ていたときは、議会の封じ込めを図る姿勢はどうなんだろうと思ったものだ。しかし、その後、今度は氏側が議員定数を半減させる条例を提出した。それっぽいことを並べていたが、まあ報復である。
当然否決されるわけだが、議会への条例提出には、例規審査と呼ばれる体裁、法的整合性などの確認作業があり、付随して議案としての説明文の作成、資料の印刷、マスメディアへの提供も行われる。子供の喧嘩のような仕返しに付き合わされる職員としてはたまったものではない。
氏の支持者には、彼を論理的で是々非々な人間と評する者もいるが、このくだりを見る限り、その評には疑問符がつく。なるほど、深謀遠慮、否決されることありきで耳目を集めることが目的かもしれない。しかし、その個人のパフォーマンスために職員のリソースを空転させないで欲しい。職員は議会で可決されるために議案を作りたい。
日本の地方自治は議員も首長も直接選挙で選ばれるところに特徴がある。いわゆる二元代表制と呼ばれるものである。議員も首長もある方面からの民意の反映で、原則として議会の議決を経なければ予算も作れないし、条例の制定改廃もできない。だからこそ、氏の対議会の苛烈ともいえるパフォーマンスは目に余るものがあった。
氏はどこか二元代表制を首長と議会の対立構造と考えているフシがあるが、それは少し誤解がある。個人商店の議員に対して、多数の職員を動員し、多くの情報にアクセスできる首長とでは、そのリソースは段違い。法的なところでも、再議、後述の専決処分など、権限は首長が強い。日本の二元代表制の実態は首長優位で、対立構造とするにははなから不均衡だ。
自分の優位が約束されている中で、対等な勝負という体で、多様な民意をすり合わせもせず言い負かすことに終止する。なにかにつけて二元代表制を強調するのならば、最低限の体裁くらいは整えてくれないものか。
議会と首長の対立自体はあろうとも、必要以上に煽ると通る議案も通らなくなってしまう。氏本人がそうであるように、人はしょうもない意地の張り合いで不合理な行いをする生き物なのだから。
氏は無印良品を巡っては企業の言い分を丸呑みして時間がないと専決処分を行い、こども園を巡っては既に議会で否決された予算をやはり時間がないと退任直前に専決処分した。専決処分(地方自治法179条の方を指す。)は、本来経なければならない議決を経ずに条例の制定改廃、予算措置などを行うものだ。その二元代表制を否定するような特性上、専決処分を行う要件(緊急性など)は厳格に解されているところであり、企業の都合や、否決された予算を押し通すのに行うものではない。というか、要件を満たしていないから違法という指摘もされ得る。
そもそも、氏は二元代表制を大事にしていたのではなかったのか。それをないがしろにする専決処分の濫用は言行不一致であり、また、行政として遵守すべき手続の軽視だ。
特に無印良品に関しては、普通に臨時会を開いて議案にすれば可決された余地もあっただろうに、何故無理矢理やろうとしたのか。
自治体は、好意的な印象を持ってくれる人に対してもそうでない人に対しても分け隔てなくサービスを提供する。法令は当然として、その制度の趣旨を考慮し、手段が適当か勘案して業務を行う。
水戸黄門や半沢直樹の舞台ではないし、スカッとジャパンの収録でもない。自己統制として「違法ではないが不当」という考え方も存在し、目的は手段を正当化しない。
敵味方の劇場型政治を繰り広げ、制度趣旨を軽視し、目的のためには手段を選ばない。その一連のパフォーマンスのスタッフとして職員が巻き込まれる点で、氏の姿勢は「ない」ものに映った。これは、相対する議会が有能だろうと無能だろうと変わらない。
また、基本的に時間も金も手間もかかる裁判について「気に入らなければ、違法と思うのならば訴えればいい」というスタンスは相手の足元を見てのものであり、「裁判で判断されない限り合法」と主張する打算が見え隠れする。そもそも訴えられる余地をなるべく減らし、瑕疵なく進めるのが行政の基本で、予防法務は民間でも知られた概念だと思うのだが。
そして本当に訴えられた場合、やはり苦労するのは職員の方である。
一方が他方を言い負かす構図は見ていて気持ちがよく、古い政治家に立ち向かい、手段を選ばず邁進する姿は魅力的に映るのだろう。
しかし、その言い負かされる対象が自分たちになる可能性や、手段を選ばないことを肯定した結果、止められず明後日の方向に暴走していく可能性は少し勘定に入れて欲しい。
政治や行政はそういった危険性を織り込んで面倒くさくなっているわけで、そこまでわかりやすいエンタメではないし、そうなってはいけない。
三匹の子豚を見るたびに思うんだけどさ
母親から突然追い出されて家を作ることになって、上の兄二人は自分たちがさっさと家を作り終えたから、のろまな一番下の弟を馬鹿にするけど、実は弟が一番丈夫な家を作ってて上の兄二人はオオカミに食べられる。三男は偉いっていうの
別に三男は深謀遠慮でレンガの家作ったわけでなく、たまたま手元にそれしかなかったから仕方なく作ったんだけど、狼が襲撃してくるという異常な状況下でたまたまベストプラクティスになっただけ、つまり運
家を作るっていうのに関して言えば別に一番下の弟の知恵もそこまで特別なことをしてるわけじゃないっていうところが
豚にしては賢いなってくらいで
なんで教訓話になってるかわかんないんだけど
ハプスブルク家の暴政に怒って得意の射撃術で悪徳役人射殺したウィリアムテルの方がよほど根性据わってるし
魔女の婆さんを策略で倒して金銀財宝かっぱらったヘンゼルとグレーテルの方が頭も度胸もあるし
鬼の本拠地にカチコミかけてバッタバッタと薙ぎ倒して金銀財宝ぶんどった桃太郎の方がよほどこれからの日本社会において教育と教訓になるよね
なんでそういう教育しないんだろうか
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)読了。
面白い。三条が理解できたことで、この時期の政権の本質についても理解が深まった。三条を「有徳の為政者」と位置づけ、最後にそれを「知の政治家」(瀧井一博の伊藤評)とつなげるのは見事だなあ。
「封建制社会/儒教道徳/徳治/属人的」→「近代社会/議会制原理/法治/属制的」。高貴な出自なのに革新志向、清廉無私の人柄、この二つの特徴を持った三条実美という人物が当該期の政権運営には必要だったということだ。
興味深いのは、手腕でなく徳で政府を治める太政官制(あるいはそのような政治文化)とその後に樹立された明治憲法体制を比較すれば、前者がより属人的、後者がより属制的といえるが、さらにその後の昭和戦前期と比較すれば初期の明治憲法体制も属人的要素に頼る所が大きかったことだ。伊藤らの意図は立憲制度の確立、つまり天皇や閣僚が入れ替わっても立憲政治の根幹が失われないよう制度化することにある。言い換えれば属人から属制への転換を図ることだ。(ちなみに、神棚に祀ることで天皇に政治勢力を接近させずまた天皇の権力を事実上制限したのが、まさに伊藤(井上伊東)の深謀遠慮というものだ。この賢察を思うにつけ、天皇機関説排撃とかバカジャネーノとしか言えん。天皇を機関にするのが憲法だろ!)。
しかしそれでも、憲法に明記されない微妙な問題、あるいは高度な政治的判断が求められる局面になると、個人のパーソナリティーや個人間の特別な関係がものを言うことが多い。要するに、当面の政敵でも共に維新回天の荒波を潜り抜けてきたという同志的な感覚とそれに基づく信頼・敬意・連帯感があり、最後の最後ではその琴線に訴えかけることで複雑な問題の調整が図られているように思える。制度に足りない部分を人情が補っている、草創期ならではの危うい立憲制。
そして明治の元勲が皆世を去ってしまうと、憲法は輝かしいけれど文字になり、制度は要塞になり、縦割り・現場無視・党利党略・悪い意味での官僚的態度等々が前面に出てしまい、それが政権運営の不安定さや政党政治の機能不全につながった……のではないか。日中戦争前後の政府・官僚・軍・政党を見ていて感じるのは、よく「彼は調整型の人物で…」というが、政治的調整とは調整役が何とかしてくれるということではなく、また調整役とは八方美人の意味であるはずがない。
三条は近代立憲政治にふさわしいリーダーではないが、ある時期には彼のような調整役が必要で、それは彼が出自や人徳という計画的に習得できるようなものではない要素を備えていたからで、そういう意味で代えのきかない存在だった(武器として装備しました、ではなく、元々そういう人だ(あるいはそのように見える)という点こそが重要)。その後の政府や現代の組織に於いて三条的人物が三条のような高い地位を占めるべきかと言われれば疑問だが、組織運営(特に責任者の周囲)に於いて三条的な役割が不要と成る事は決してない。三条に合理的積極的な存在意義を見出すという著者の意図は十分成功しているし、その存在意義はそのようなことをも示唆しているのではないか。
二期もヤオヨロズに任せる気満々やったんやで。
企業は利潤を追求するものなのでたつきの価値がわかってれば2をそれ以外に任せるのはあり得ないっつーか背任
わかってなかったんだよ
君がわかってなかったように
(君の素のわかってなさに触れたことで俺は何となくKADOKAWAの意思決定も理解出来てきた)
ただ吉崎含む初期メンバー的には
「いろんな人に任せてプロジェクトを広げたい」
「太く短くではなく細く長く続けたい」
という考えがあったんやろうし、
そんな穏当な考えじゃないのはその後の動き見れば明らかだ
そのせいで異常な突貫工事になって無事爆死
これが細く長く続けたいコンテンツのやることかよ
2はむしろじっくりつくって、たまたまでもたつきとかぶりそうなら自分が引いてずらすぐらいのはずだ
偶然でも放映時期が衝突したら絶対対決アングルにされちゃうんだからさ
けど実際には自分から無理して対決しに行って大敗して物笑いになったわけだ
長期的な深謀遠慮どころかたつきへの子供っぽい対抗心と悪意しか感じられない
『地域おこし協力隊』
これ自体はお金がもらえる制度で自治体の人集め用ツールという認識。
道具に善悪はないので、ワープアその他の議論は他においておく。
いくらなんでも「道具の使い方」がへたくそじゃね?という内容が多かったので
注意すべき案件をいくつかピックアップして紹介してみることにした。
ボッコボコ見つかるんだから、全部見直したら・・・・ぞっとするしかない。
介護現場も含めて人手不足なんて言わせんなや!と叫んでもいいよね。
■■■独立後の将来がない!
例◆猟師になって、害獣駆除をお願いします [高知県 香美市]
当初の条件はいいものの、3年後にはどうなっているかわからない案件。
地域おこし協力隊を使うことでコストカットできるくらいのつもりなのだろうか。
3年後、そのまま委託業者になってもらいますという口約束をしたところで
また同じく地域おこし協力隊制度で新任猟師を作成するパターンが目に見えているし
法定上限満額(約20万8千円)出してないあたり、予算があるから一応募集っていう雰囲気を感じる。
例◆老人の世話と情報発信(これが曲者)してね [山口県 長門市]
別に、高齢者向けのサービス拡充を問題視しているわけではない。
(注1:ものすごい費用と許可申請&利権の整理&多少の政治的コネが必要になるけども)
(注2:ちなみに介護職はまともに食えないので、そっちは選択肢から排除している。)
買い物が難しいけど老人ホームにも入れない人を助けるのは大事なんだけど
それって民間スーパーの宅配サービスとかでカバーすべきなんじゃね?というレベル。
はっきり言うと、老人相手の日用品転売では儲けが出ないから業者が現れないんだし
外部から人間を連れてきてやらせるより、地元でバイト雇ったほうがいいんじゃね?と思う。
次に、情報発信について。
観光や文化といったものをウリにしていると、冒頭文で言っている。
いろいろ強力に無駄足を踏まされる気しかしなければ、その感覚は正常だといえる。
ランサーズあたりで単発案件で発注したほうが、よほど手っ取り早い。
老人相手の雑用では勤務時間が埋まらないので、無理やり付け加えた感すらする。
ほんとに外部の人間を「連れてきて」までやらせることかな?と。
不動産関連については、自分で宅建の資格を取って不動産仲介業を開業しちゃえばいい。
任期後に空き家関連の業務を全部委託してもらうことで少しではあるがキャッシュポイントにもなるからオススメ。
でも、なんで地元の業者がやらないの・・・?という疑問がでないだろうか。
一応再確認しておくと、ここは「市」であり、業者もそれ相応にいる。
あとはご想像にお任せする。
教訓『目隠しで地雷原を歩かされてもいいが、大事なのは「やり切った後のご褒美」を確約しておくこと』
例◆何もないけど、とりあえず田舎で頑張って! [埼玉県 秩父市]
本当は、こういう地域こそ助けてあげたい。
四方八方、それなりに手を尽くして手詰まりな雰囲気がよく出てる。
距離的に田舎だけど、レジャーっぽい田舎じゃなくて住宅街的田舎だから
外部の人がわざわざそこに行く必要ってないんだよね・・・という地域である。
たい平さんが焦点でたまにプッシュする程度では、間に合わんのですね。
これのどこが悪いんだ?ということなんだけど
案件自体は「もうちょっと出せよ・・・」という報奨金の低さくらいしか突っこめない。
「これやり遂げるには、相当チカラいるよ?」ということなのだ。
このレベルって、イベント集客やマーケティング(マネタイズ含む)を専門で開業してる人間にも過酷な条件。
今まで先人がやりつくして焼け野原になったところを、アイデア一つで何とかしろって言われてるんだもの。
ビジネス的な言葉に直すと「商品の企画、開発、宣伝広告、販促、販売まで全部やれ」っていう内容。
それも中小企業の小さな1商品じゃなくて、エリア全部を、中の人間(利害や政治)関係も地雷を避けつつ。
わざわざ引き受けてくれると思っている田舎の役所的感覚のズレを修正しつつ
一見「なんとなくがんばれば」できそうに見えても
教訓
『神は乗り越えられる試練しか与えないが、
掴まれた藁は、たいてい沈む』
□□力があるならやってみればいい案件
例◇持ち込み規格大歓迎!面白そうなら金出すよ[岡山県 新見市]
もちろん、道具の使い方を心得ている募集もあるわけで
予算はあるけど、具体的にお願いしたい内容はないというのが正直なところかもしれない。
だからこそ、外部の人間を取り入れるという理念に非常にかなっている内容だ。
新見市はそれに独自予算を足して、最高460万円とうたっている。
自腹を切る覚悟があるだけでも、ある程度本気で暴れていいよという雰囲気がうかがえる。
事前に活動費の範囲が確認できる経験があるのは、大事な受け入れ態勢の一つ。
地方創生事業というのは、地域おこし協力隊として個人を扱うモノと
地方創生の専門家を雇用するための助成金として降りるものがある。
こういった自由度の高い案件については、フルタイムをつぎ込む個人として応募するのか
外部の専門家(や法人)として能力を売り込むのか、ワークスタイルで選ぶ余地があるのも面白い。
ただし、雇用関係の有無が文中で矛盾しているなど、細かい確認は必要に感じる。
ここまでべたぁっと泣きつかれると
いっそのこと、きよきよ・・・いや、清々しい。
職務内容を言い換えるとこんな感じ。
「広報やPRなど、新人向けの雑用をしながら定住に向けた準備をするのが業務です」
定住に向けた準備を業務内容に入れてくる当たり、本気でそれを目的にしてほしいのがわかる。
単なる会社であれば「職務を遂行する業務能力」を主に求められるのに対して
地域おこし協力隊はその遂行能力に加えて人間性とかも含めた「生きてるあなた自身のすべて」が求められる。
(だからこそ田舎の近すぎる距離感が余計に重圧になる人もいるわけで)
だからこそ仕事に対して最低限の賃金しか出さないけど時間はしっかり拘束するよ。
残った時間で自分の生活は何とかしてね、という自治体は人間としての協力隊員に少し厳しいんじゃないかな?
「街に人がいません。だから助けて!住んで!」と、素直に人として求められるのは
田舎暮らしを望んでいれば単純にうれしいことではないのだろうか・・・と自分は思う。
一個人として認めてくれるからこそ、お返しをしたい気持ちで頑張る。
これが地域おこしの活動の根幹であってほしいという、きれいごとが私は好きだ。
でもまぁ、何か仕事を作る能力がないと、割ときついかもしれないんだけども
最大3年間は実質月額26.5万円で雇用が確定しているので、
心おきなく雪下ろしや雪中介護などに精を出しつつ、飯のタネを探したらいい。
◇その他
例えば山間地域で「カヌーのインストラクターを」なんていう明確な職の募集については
独立後、それを軸にキャッシュポイントを作ってほしいという狙いが見て取れるし
高齢化で耕作放棄された農地や企業の後継者にっていう事業継承系も
活動内容がそのまま起業用の修行になので、若い人にはいいと思う。
任期後に定住するための資金、100万くらい見ておけば失敗も減るから。
とまぁ、見ていくと良しあしあるけど
・毎日記事の更新ボタンだけ押してTOPページに目立つように出てくる
・GoogleのSEOで●●町と入れると応募ページが自治体ページよりも上に出てくる
みたいなことになっているので気を付けたほうがいい。
自分の気持ちがいいペースを見つけて、そこでやっていけるようにする苦労は
ぜひ「脱都会」の一つの方法として、フラットな目線で見てみてほしいと思う。
以下タイトルを読んでもいただいてお分かりいただけるようにSTAR WARS EP8 最後のジェダイのネタバレ及び、この映画が好きな方には極めて不快な表現が含まれています。
それに関して問題ない方はこの長文にご付き合いください。
先週末、映画史上に残るカルトムービーSTAR WARSの続編、EP8を名乗る映画【最後のジェダイ】が公開された。
海外最大手の評価サイト、Rotten TomatoesでFresh(新鮮、この場合は面白い)であると保証されていること以外は何も事前知識を入れずに公開初日の夕方に見に行った自分を待っていたのはとんでもないものだった。
観客の予想を裏切ることを優先するあまりとっ散らかってカタルシスのないストーリー、銀河を巻き込んだ壮大な戦争のはずが敵味方がいつの間にか人類ばかりになってしまったことによる説得力のなさ、黒人には白人美女はふさわしくないとばかりに略奪愛を行うローズから滲み出る制作人の差別意識などはSTAR WARSの名を冠さない映画であっても「これってどうなの?」と思わざるを得ない点が多々あった。
特にフィンローズパートは30分近くかけて何一つ大勢に影響がなかったばかりか、結果的にとてつもない大失態となり何百人ものレジスタンスが犬死にし、あまつさえその本人達は自分の引き起こしたことなどすっかり忘れて英雄気分でいるという普通の映画なら考えられないことになっている。もしこのサブプロットが存在せず、映画が2時間で収まっていれば、すっかり前立腺が肥大しきっており必死に尿意に耐えていた自分のような人間の評価も今ほど辛辣なものでは無かったかもしれない。
そしてこれら以上にファン(旧三部作)を襲ったものはルークスカイウォーカーのキャラ崩壊を筆頭とした「これまでの物語はなんだったんだ」という絶望感では無いだろうか。
EP6にてルークスカイウォーカーは映画史上に残る悪役にして父親、ダースベイダーに僅かに残る善性を信じ敵の根拠地、新デススターに単身乗り込む。妹のレイアを暗黒面に誘惑するというベイダーの挑発に激高し右手を切り裂きベイダーを追い詰める、しかし自分と同じく機械の右腕を持つ父親に言葉に出来ない繋がりを感じたルークは暗黒面へ来いといざなう皇帝を前にしてライトセーバーを捨てこう言うのだ「Never. I'll never turn to the Dark Side. You have failed, Your Highness. I am a Jedi, like my father before me.」巨悪たる皇帝の前で身を守る武器を捨てて「あんたの負けだ」と勝利宣言をするのである。そして最終的に父親をかつてそうだったようにジェダイに帰還させるのだ。このことからSTAR WARSという映画は宇宙規模の戦争で正義が悪を倒すといったことやフォースがどうたらといったことがメインテーマなのではなく、結局最後まで諦めなかった一人の息子がとてつもない悪の道に沈んだ父親を助け出す、ただそれだけの物語なのだと解釈することも出来る。
しかし、最後のジェダイで明らかになったルークの過去はこれまでの物語を全て覆すものであった。親友と双子の妹の間に生まれたベン・ソロからとてつもない闇を感じ寝静まったところを襲い、返り討ちにあったということだ。
EP7、或いは8を見た方の中でベン・ソロことカイロレンからそこしれない深い闇を感じた方が一人でもいるのだろうか。闇落ちの理由は偉大な両親にコンプレックスを抱き、そして両親の仲が悪く仕事に逃げ構ってやらなかったことだったと思う。どこまでが偉大な親に含まれるかは置いておいて、このようなケースは現代日本でもゴマンといるだろう。
百歩譲ってそのようなきっかけでカイロレンが深い闇に沈んだとしても映画ではそのような描写は殆どされない。父親を殺したことに動揺して初めてセイバーを握ったレイに対決で敗れ、母親のいる艦橋にはミサイルを撃ち込めず、師匠を殺してやっと一皮剥けたと思ったらハックス将軍に「女がやった」と言い訳をかますヘタレっぷりである。
一つ擁護させていただくとカイロレン役のアダムドライバーは最高の演技をしていたと思う。しかしそれは今一悪に染まり切れない不安定な若造としての演技であって間違っても凶悪なヴィランとしてのそれではない。
繰り返すが、ルークはこの若者からかつて銀河を恐怖のどん底に陥れたダースベイダー以上の闇を感じ、闇討ちをしたと言うのだ。
ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。あまつさえそれで心に傷を負い、隠棲した?
この映画を見る前「もしルークが闇落ちしていたら怒っちゃうかもしれない」などと冗談を言っていたがそれを上回ると言っても過言ではないあんまりな展開だった。
ついに明らかになったレイアの潜在能力や「もう全部あれでいいじゃん」と思わせるワープ特攻、フォースを使ったSkype対話等々今までのファンから見たら目を疑うようなシーンが多く見られた今作であったが自分にとって最も許せないのはこの旧三部作のテーマを全て否定したルークの扱いであった。
このような脚本を渡されたマークハミルは心から気の毒だと思うし、それでも演じきった俳優としてのプライドは本当に凄いと思う。
漸く本題に入る。上記のこともあって自分は途中からこの映画を見ていてもう質の悪いパロディ映画を見ているような気がしてならなかった。
そこで今回登場するのが『シターイ・ウォーズ-SITAI WARS- 新たなる恥棒』というわけだ。
アイアンマンの『アーンイヤーンマン』に代表されるように有名な映画というのはこのようにおもしろおかしなタイトルでパロディAVになるものらしい。
シターイウォーズはこんなストーリーのようだ。
SF映画の金字塔、いやハリウッド映画の超名作といえるあの作品が遂にパロディとして登場!
劣勢の同盟軍は絶倫暗黒騎士ダース・スペルマーの軍門に下ってしまうのか、それとも救世主ルーク・スカイファッカーの力を借りて銀河に平和をもたらすのか…
ラストシーンのレイプ姫、ルーク、ハン・ダチによる3Pはポルノ史に残る名場面になること必至。
名脇役たちのパイオツーディーツー、センズリーピーオー、シコッテバッカといった面々もリアルに登場!
断っておくとどちらがマシかとタイトルに銘打っているのだからしっかりと見比べているんだろうと思われるかもしれないが自分はこのパロディAVは全く見ていない。申し訳ない。最後のジェダイの方も2回以上見るほど肝は据わっていない。
だがこの紹介文だけでも読み取れることはある。
両者ともにキャラクターが崩壊しているのは想像に難くない。旧三部作では絶対にやらなかったことのオンパレードなのは見なくても伝わってくる。文字通りこれまでのSTAR WARS感を粉々に砕いてくれるだろう。
そして片方しか見ていないのに言うのもなんではあるが最後のジェダイと新たなる恥棒のどちらがマシかと言われたら、自分は新たなる恥棒のほうが恐らくマシだと思う。
新たなる恥棒は最初にしっかりと【パロディ】と銘打っており厚顔無恥にもEP8などと壮大なサーガの続編を名乗っていない。
タイトルや登場人物の名も微妙に変え、これは本物ではないと誰にでもわかるようになっている。
間違ってもレンタルビデオ店の暖簾をくぐってSTAR WARSの続編見たさにこれを手に取る人はいない。
映画評論家町山智治氏は最後のジェダイについてざっとこのように評しているそうだ「これまでのSTAR WARSの定番を打ち破り脱却している素晴らしい作品、過去キャラの扱いが気に入らず怒るのはお門違い。」(直接は聞いておらず伝聞を記しているのでもし異なるところがあればご指摘いただきたい。良くないことで本当は直接聞くべきなのだが自分はそこまで心が強くない。)
このように評価している評論家は国内外問わずたくさんいるようだ。
そしてインターネット中に溢れるSTAR WARSファンの中には「STAR WARSの全てを愛するのが本当のファン、嫌ならば辞めればいい」と言う人も散見される。
評論家の方々に是非この新たなる恥棒もレビューしていただきたい。最後のジェダイをはるかに超える満足度だと思う。
STAR WARS関連のグッズは何でも集め、愛するという方々にもしこのパロディのタイトルが本当にSTAR WARSの名がついていたらやはり中身は関係なく神聖視するのか?と問いかけたい。
そして駄文の締めにこんなブログを見るはずがないとわかっていてもディズニーにお願いしたい。
4000億円もかけてSTAR WARSの権利を買い取ったのだからあなた方はSTAR WARSという世界でありとあらゆることをする権利がある。EP8を作り直してくれなんて馬鹿なことも言わない。
ただ、もう昔の登場人物を安らかな眠りから叩き起こし、屈辱を与えることはこれで最後にしてほしい。
とりとめのない長文に付き合っていただき本当にありがとうございました。