はてなキーワード: 好きだ、とは
一応公務員目指してんだけど、ホントに全然やる気が出ない 勉強も手につかん
何がまずいって危機感がないこと
就職できなかったとして実家がすげえ貧乏ってことはないし親との関係も悪くないから少なくとも数年は養ってもらえる
その養ってもらってる期間に自殺すれば万事解決だよなあと思ってるからこその無気力なんだろうと思う
どこに就職したって平日は一日中仕事なのは確定(9時〜17時はホワイトとされるけど、それですら一日中は一日中だ) 今のご時世土曜だって結構危ないし、日曜すらないこともあるらしい 週の大部分が仕事に消えるのは確定だ
長期休暇なんてない 10連休が大騒ぎになるし、それを本当にまるまる10日間休めた人は「かなりホワイトな仕事をしてる」って判定になる
少ねえんだ休みが 普通に働く限り残りの人生のほとんどは自由じゃなくなる
いや今だって別に意味を見出してはいないんだけど、週40時間労働とかになってくると本格的に死んだほうがマシ感が強まる
好きを仕事に…みたいなことができればいいんだけど、仕事にできるような好きなことなんてないんだよなあ 増田書くのは好きだしゲームやるのも好きだ、映画見るのもいい でも全部熱意が足りねんだ 集中力もない
俺は保育園に行ってたとき朝8時登園なのをメチャクチャ嫌がってゴネまくった結果ひとりだけ9時登園にしてもらってた
(つうかよく考えてみると保育園に行ってたのがおかしいんだよな 母パートやってない専業主婦だったし… 近いからって理由だけで子を保育園にやるなや!あの無気力が俺にも遺伝してんのか?)
Note書いて金稼ぐとかアフィブロガーとか映画評論家になるとか、そういうことができればいいんだけど生憎文才もユーモアもネタ探す気力もない
俺には何もない
普通の人にすらなれない
ザ・ゴミ
ホントに生まれたくなかったなあ 何も与えなくていいから何も強いないでくれよ
ーーーーー
うわああ嫌なこと言うなあ その通りっすよ 自殺できたら勝ちだけど、ここまでできてない時点で(首吊りは試した)ダメそうなんだよなあ グオオ
まあそうなんすよお そうなんすけどね これは若人の切実な悩みなんすよ 割り切れないじゃないっすかあ〜 なんなんすかこの人生
自由時間なんて一日睡眠のぞいて十時間くらいあってしかるべきじゃないすか 文明ここまで来てんだしさあ もう…
気力ってなんなんだ
ほんとそうですよ 我が意を得たり
倉庫とか警備員とか清掃とか調べてみたけど俺に立ち仕事が務まるのか?すぐ腰をいわして終わるんじゃないか?と言う懸念…アリ!
桜の花を愛でる人はたくさんいる一方で、葉桜はせいぜい「通好み」にとどまる。まあどう見たってふつうの広葉樹以上のものではない以上当然といえば当然なのだが、なんだか寂しいような気もする。
モミジなんかも同じで、紅葉している間はわざわざ遠方から見にくる人もいるくらいの人気なのに、緑になるとほとんど無視される。
で、思うんだが別に緑の葉っぱだって美しいんだよな。桜の花より桜の葉のほうが美的に劣るってことはないんじゃないか?どうしてあの花が好きだ、綺麗だと思うかって言われたら「春にしか咲かないから」「儚いから」みたいな理由づけしか出てこないような気がする。モミジも似たようなもんだろう。
となると、世に言う「美しさ」っていうのはわりと珍しさで決まってるんじゃなかろうか。葉桜と花桜の見た目が逆だったら花見じゃなくて葉見が行われる世の中になっていたんじゃないか?
ダイヤモンドが美しいとされるのが貴重性ゆえなのは見た目はほとんど同じである人工ダイヤモンドがあまり好まれないことからもわかる。
葉桜を愛でるほうがお得だと思うんだけどな。ガラスのジュエリーを喜び、街路樹を美しいと思い、駅前の名も知れぬ彫刻に感動する。そういう心で生きていきたい。
コロナの大流行で現在進行形で世界の歴史が大きく動いている。日本に住む私達は政府から自粛を要請され生活様式が一変した。私の生活にも様々な変化があったが、そのうちのひとつが自炊する頻度が大幅に増えたためスーパーの野菜売り場で悩むことが多くなったことだ。そのときに私が感じ、考え、悩んでいることを書き残そうと思う。
私は関東の某県で医療に携っている。三次救急指定病院や大学病院に勤務していた時期があるので、様々な重症度の患者を診てきた。そのなかでも幾人かの忘れられない患者達がいる。外国人技能実習生だ。4年間で3人、それぞれ様々な疾患のために入院し治療に当たった。そして3人とも保険に入っておらず、退院直後に帰国する手筈を(多くの苦労のすえ)整えた。そのなかで技能実習生の送り出し機関や受け入れ企業の組合、大使館、入国管理局、保健所などと交渉する機会があった。また逃亡した技能実習生の横の繋がりや助け合いについても知る機会があった。詳細については記載できないが、本当にこの制度は許せない。これは絶対に続いてはいけない仕組みだ。そう確信させるような失望、交渉相手が信頼出来なくなるエピソードが何度もあった。私は今でもその担当した1人が救急外来で処置を受けながら「アッラーフアックバル、アッラーフアックバル!!」と叫んでいたこと、その後回診のときに仕送りをしないといけない家族が何人もいること、日本のアニメが好きだ、とはにかみながらTシャツに描かれたキャラの名前を教えてくれたことを忘れられない。彼らはいまどうしているだろうか。生きていてほしい、母国でも治療が続けられていてほしいと願う。
私が携った人のうち2人は農業に従事していた。私はこの県の農業に、少なくない人数の技能実習生が関わっていることを知っている。そして彼らが低賃金で、過酷な労働環境で、理不尽な契約で、無保険で働いているからこの野菜売り場の一部の野菜がこの価格で販売されていると想像する。コロナで多くの人達が困窮している、だから私は自分の手の届く範囲の人達の手をとりたい、応援したいと思っている。その一環として地元の野菜を買おうと手を伸ばすとき、(でもこの野菜は技能実習生の誰かの苦しみのうえにあるんじゃないか?この野菜を食べて応援することはその制度を維持することに力を貸すのでは?)と考えてしまう。
一方で、地元の農家の人々の顔も知っている。彼らの家庭環境や経済状況もほんの部分的にであるが知っている。あのおばあちゃん今年は桜見れたのかなぁ、と思い浮かぶ。しかし、その野菜が栽培された県や農家の写真はあっても私が知りたい情報である外国人技能実習生が酷使されて作られたものかどうかはスーパーの展示からはわからない。当たり前だ、私達は私達が生きることで踏みにじる命や人生を知らなかったことにして生きるほうが快適だからだ。
私は個人的な関心と決意から技能実習生制度は許せないと思っているが、例えばこの記事を打ち込んでいるiPhoneがどんな環境で作られたものかは知らない。知らないからこそ次の機種の買い替えを楽しみにしていたりする。多分調べれば多くの情報が出てくるだろうが、あまり調べる気になっていない。フェアでありたい、自分の倫理観に沿った選択をしたい、でも自分の知識と時間と預金に限界があることが歯痒い。
私はそういった葛藤を抱えて、どうかこの野菜が理不尽な苦しみのうえに存在するものではありませんように、と小さく祈りながら地元の野菜を選ぶ。国内フェアトレードの普及、そしてなにより技能実習生制度の一刻も早い改善を心から願う。
これは関連があるようなないような話であるが、私はヘテロセクシャルのアラサー独身男性であり、そして風俗にいかないことにしている。岡村隆史の発言で活発な議論が交わされているが、私は選択肢が大幅に狭められたにもかかわらず本人の自由意思による選択だから自己責任である、という論には与しない。様々な反論があるだろうが私は日本の社会が男尊女卑が根底にあると感じている。卑近な例で言えば医学部入試問題、女性医療従事者の産休育休問題、患者の女性医療従事者に対する風当たりなどについて思うところが大いにある。そういった社会のなかでもとから職業選択や経済的不利があり、世界的な不況でさらに苦境に立つ若い女性が本来選択するつもりがなかった職業として風俗というハイリスクな職業(感染症としても、また働いている最中/働いたあとのスティグマとしても)を選ばざるを得ない状況になることを社会的に成功した男性が心待ちにする姿勢を放送することは品性が欠片もないと感じる。深く恥じてほしい。私はそういった他人の苦しみを踏み台にして自分の性欲を解消したくないし、自身の、そして今後パートナーになりうるかもしれない人への感染防御のために風俗にいかないことにしている。正直にいうと私はモテない。パートナーは長くいないし、この5年で性交したのは2回だ。どうしようもなく孤独で寂しく、自暴自棄な気分になったときに風俗のサイトを開いたり体験談を読んだことは何度かある。それでもやはり現時点の日本で男性が風俗を利用することは男女間の権威勾配に胡座をかいているように私は感じる。私はこの社会構造に納得していないし、与したくない。セックスするならお互いの自由意思で、対等な関係でしたいと本当に願っている。
なぜこの話題を出したかというと、技能実習生制度と風俗はともに弱者に不公平な社会制度が前提としてあり、本人の自由意思による選択だから自己責任という体で存続しているアンフェアなものだと感じているが、両者に対する私の対応が一貫していないように感じたからだ。
私は地元の野菜を買う、風俗は利用しないという選択をしている。アンフェアネスに対する選択が違うのはなぜだろうか、と考えると、野菜を買うときは直接加害者にはならないが、風俗を利用するときは直接加害者になるからでは……?と気付いてしまった。もし野菜を買うときに小さく祈ることで一定確率で技能実習生の苦しみに寄与することが許されるなら、風俗を利用するときも対応してくれる風俗嬢が選択肢を狭められた結果ではなく、本人の自由意思で風俗に従事していますようにと小さく祈ればいいのでは?と。あるいは一貫性をもたせるために地元の野菜を一切買うべきではないのでは?と。
妄想と仮定のうえの思考実験で自己欺瞞かもしれないが、今は以下のような結論にしている。仮に地元の野菜を回避して別の県の野菜を買ったとして、どれだけ技能実習生の苦しみが減るか不明である。一方、私は野菜を食べたい、また地元の県の経済を少しでも回したい。都道府県別に技能実習生が生産に関わった野菜がわかるなら、より少ない県を選ぶ。そういった情報がない以上、小さく祈りながら地元の野菜を選ぶ。しかしもし今後よりよい買い方があればそれを選ぶ。風俗嬢がまったく経済的に不自由しておらず本人の自由意思で従事している可能性はゼロではないが限りなく低いと想像する。私が愛した女性が私をパートナーとして受け入れずひどく孤独であることと、私が風俗を利用するかどうかは別の問題であり、風俗にアンフェアネスがある限り私は利用しない。という結論になった。
勿論この考えは完璧ではないと思う。本当に技能実習生を憂うなら抗議デモに参加を考えるべきだし、風俗を利用しない選択が結果的に風俗嬢の経済的苦境を悪化させるかもしれないし、利用しないことが風俗が賎業であるという偏見を後押しするかもしれない。(もし私の友人や家族が風俗に従事したいと言い出したらまず止めるだろう、そしてそこに一部もスティグマがないかと言われると難しい)不十分な情報をもとにした不十分な選択かもしれないが、今の私はアンフェアネスに対してこういった選択をしている。
私は自分の考えを確かなものにしたいので、もっと他の人の意見を知りたいです。野菜のより良い買い方や風俗利用について、そして根本的にはアンフェアネスに対する選択について、是非意見を教えてもらえないでしょうか?参考文献も購入を検討するのでご教示いただければ嬉しいです。
18時48分 追記:ブクマ、レスありがとうございます。全部目を通します。あと参考文献を載せてくれた方、ありがとうございます。購入しました。のちほどいくつか返信できればと思います。
小5から浮き始め、ただでさえ奇異な人間であったのに、恋バナにのれないことがどんどん大きな障壁となり(恋愛に彩られたもの……音楽、ジャニーズ、ドラマ、少女漫画、携帯小説etcの話からも浮き)、恋愛についぞ興味を持てぬまま、女子の輪に入る術も持たず社会に放り出された発達障害者。最低限の会話はできるが人間関係を築けない。部活動の友人が数人いたこともあったが、高校卒業後から今の今まで新しい友人は1人も出来ず。かつての友人ーそれがわたしの今もつ友人の全てであり4人しかいないーとは、新しいライフステージで新しい関係を持つように成長していく様を見せつけられると息ができなくなりそうになるので、普段は連絡を経っている。年に一度会うか会わないか。あちらはあんなに優しいのに、わたしと彼女らの人生が交差した一瞬は遥か昔だと思うと辛く、妬ましく、醜い感情に溺れそうになる。わたしにとっては数少ないたったの4人だが、彼女らには既に家族や新しい友人や恋人がいる。発達障害の筆不精も手伝い、年々便りの数は減っていく。
職場では変わった人として受け入れられているが、飲み会などは参加できない。怖いからだ。職場においてわたしは群れの一員ではなく、ただ愛玩動物のようなものである。無害で無力で、可愛がるには丁度良い。わたしはその愛玩動物の役に足りえるように取り繕い、尻尾を振る。不注意と衝動性でミスがつもるとき、彼らに見放されるのではないかと思い胃が痛む。変わり者の立場はひどくあやうい。
彼氏どころか友人もいない。寝て過ごすだけの休日と、変わった人としてなんとか見放されぬように努め、取り繕う平日を繰り返す。
時々、目一杯化粧をし、着飾り、服を買いに街へ出る。友達とはしゃぐ女子学生、彼氏と手を繋いで歩く女性、子供の手を引くお母さん……わたしはそのどれでもない。店員にびくつきながら買い物を済ませる。「試着いいですか?」そう言えるようになったことが誇らしかったのも随分前だ。もう、言える。誇らしさはないけれど、未だに声が上ずるのは治らない。
ドラッグストアで買った安い化粧品、600円のイヤリング、無理して履くハイヒール。なんとか女性のようになろうとする。いつも、わたしはそこにいるべきでないように思う。店員は怖い。わたしが1人の友人も持たず、趣味もなく、ただ、人生をやり過ごそうとしてる紛い物の女であることを見透かしてくるように思える。いつか相応しくなれたら、BAさんからデパコスを買いたいと思う。そう思いながら、デパ地下で惣菜を買う。惣菜売り場はよい。わたしにも居場所がある。
たまの贅沢は、1人で入るチェーン店と出前。本当は高いコース料理も好きだ、が、一緒に入る相手はいない。友人は家族や恋人のためにお金を使うだろう。それでもたまに、1人でホテルのブッフェを食べに出かけ、生きた心地せずに食べて帰ることもある。コースを1人で頼み、ワインを飲むことが絵になるような美女であったら……と思う。残念ながらわたしは小さく弱々しい。
友人は出来ずとも、恋人なら作れるのかもしれない。顔は並みである。きっとわたしのような容姿がタイプの男性もいるだろう。地味な、弱々しい顔。
男性と話すのは女性と話すより幾分楽である。異性として意識されている時の振る舞い方、媚び方は愛玩動物としてするそれに似ている。わたしは恋人が欲しいのだろうか?人生経験として必要なのかもしれないと思う。経験を積むごとに大人に近づけるかもしれない。
好きなような気がする人はいた。しかし、感情はごく弱く閾値に達しなかった。もし、本当の恋であるなら、身を焦がすように、いてもたってもいられないように思うのだろうか?どちらにせよ、わたしには関係ない……と思う。
わたしはもう随分職場以外の人間に会ったことがない。大学だってサークルのひとつもせずにただ、単位を取るためだけに通った。わたしの人生に異性はいない。街コンへ繰り出そうか……と思うが、実行したことはない。
性行為はしたことがない。人並みの性欲はあるが、自慰で事足りる。いっそ見知らぬ男で卒業してみてはどうだろうか?と思う。でもやはり実行したことはない。ただ自慰の探究のためにだけに、ディルドでも買ってしまおうか?しかしこれもやはり実行したことはない。
群れの一員になりたかった、普通の人間のようになりたかった。長年抱き続けた憧れは最早ない。そのことを考えると、嫉妬がふつふつと湧きそうになるから、いつも急いで目を瞑ってきた。
平穏でさえあればいいようにも思える。恋人よりも、散らかった部屋の片付けが、後回しにしているボタン付けが、洗濯が、ゴミ出しが……先であるように思う。発達障害のわたしは日常生活にかなりの困難を抱えている。無論、わたしに助けてくれる「理解ある伴侶」などはいない。少しストレスが溜まると破綻しそうになるぐちゃぐちゃの生活をなんとか維持する。わたしは、わたしのために持ち堪えなければならない。
「理解ある伴侶」を探しに出かけようか?と、思う。探せば見つかるのだろうと甘い見通しと甘い確信がある。たが、わたしはそれを望んでいないように思う。想像してみる。少し不細工で、モテない男性。アニメオタク。だけどそこそこな収入はある。少し変わり者。その人に愛される。その人に愛されて、わたしもその人を愛すだろうか?わたしの代わりに、洗濯物をタンスにしまってくれる人がいたらいいなと思う。そのためならセックスもできると思う。でも、家がわたしの家でなくなるのは怖い。家ではわたしはわたしだ。息をつけるのは家だけだ。多分、わたしは1人を好んでいる。
普通の、人間の、女性。恋人がいればそちらに行けるのだろうか?と思う。最早憧れはない。ただ、そちらはここより行きやすいのだろうなと思う。
子供を産めば少なくとも「母親」にはなれる。母のような人生はきっと悪くない。そうするべきなのだろうか?安泰。きっと、愛し合わなくても、恋い焦がれなくても、共に生活する人と自分の子供がいれば、死を前にした老いた身体で、暗い穴の淵に立つような気にはならない。わたしは、「母親」にならなければ、将来孤独に飲まれるのだろうか?不幸な老婆になるのだろうか?今は、それほど孤独に辛さを感じていないようにも思う。
「母親」になるべきなのもかもしれない。きっと子供はかわいい。生きがいになる。でも、結婚したいと思っていない。子作りの相手だって居ない。それに、子供だってそんなに欲しいわけじゃない。将来の夢や目標もなく、ただぼんやりと歳だけをとっていく。老いるほどに、選択肢が減ることにあまり焦りはない。
生理の周期が整わぬまま大人になったわたしは、未だに産婦人科を怖がって、通わずにいる。このところ、卵管が痛むような気がする。怖い。それなのに病院の予約を後回しする自分は紛れもなく生活に困難を抱える障害者だという証左だ。メンタルクリニックだって、なかなか行けない。
わたしはどうしたいのか、いつもわからない。学部だって適当に決めた。就職だって適当に決めた。何にだってなれるのだ、と思う。母から逃れたわたしは、何にでもなれる。が、選択を前にして、何も望んでいない自分に気づく。
もっと、いろんなことが人並みに出来たらいいなと思う。憧れではなく、わたしのために。
平日と休日を繰り返す。祝日を待って、お盆を待って、お正月を待つ。毎日終わりを待ちわびる。この生活は、苦しかった学生時代ずっと待ち望んでいたそれであり、わたしの平穏である。ここが、あるべき終の住処なのかもしれない。わたしは、案外この生活が気に入っているのかもしれない。散らかったベッドに丸まって眠る。
高遠丞くんのGOD座退団の報せを受けたとき、頭が真っ白になった。月並みな表現ではあるけれど。走馬灯さえ見えた気がする。
あたしを心配してひっきりなしに鳴るLIMEの通知音がどこか遠くに聞こえた。
高遠丞くんをご存知だろうか。
といっても、ちょっと観劇が趣味の人にはきっと常識で、でもそうでない人間はすこしもピンとこないのだろうなと思う。
なんでもいいからとにかくあたしの知ってる高遠丞くんの話をさせてくれ。
最後まで読んでもなんのオチもなければまとまりもないしあたしはずっと泣いていますが、最初に言っておくとこれはちゃんとしあわせな話。結論として、高遠丞くん、大好きだ〜〜〜〜!!!!!っていう話に死ぬほど文字を割きます。よろしくな。
GOD座という劇団の名前くらいは誰しも聞いたことない?ないのかな、一般人の感覚がわからん
あるでしょ?!??!
高遠丞くんはそこのトップで、あたしの推しでご贔屓で王子様だった。
あたしが丞くんと出会ったのは、丞くんがまだ入団したばかりの頃だった。元々観劇が好きでちょこちょこGOD座にも足を運んでいたのだけど、推しやご贔屓の概念はなくて純粋にそのお話を楽しむタイプだったので、当時は役者の顔や名前も満足に覚えていなかったと思う。そんな中であたしがなんで当時新人で端役をつとめていた丞くんに目を留めていたのか実のところよくわからない。声のハリとか立ち姿が好きだった。あたしがちょっとミーハーだったのもある。いやなんでだろうな。奇跡かもしれない。世界、これを奇跡って呼ぶことにしよ。
そこからGOD座の公式インステアカウントやブログを読んで彼のひととなりを知って、どんどん好きになった。丞の劇団員ブログは正直全然面白いものではない。何十人もいる劇団員がかわりばんこに書いているブログで丞の番が回ってくるのを永遠かと思うくらい待っていたのに文章は短いし、写真も少ない。私生活もなければジョークのひとつもない。真面目さ、演劇に対する果てしない情熱。彼が書いたものは何を読んでも、いつだってそれしかわからない。そこが好きだった。
そうしてゆるくゆるく高遠丞くんを応援する日々が一変したのが、そうだ、ご存知あの舞台。
あたしはあの舞台を今後一生覚えているのだと思う。
ときたま再演もしてるからお願いだからみんな見てほしい。あっでももう丞は………………あの舞台は……………………………
虚無……………………………………………………………
丞の役は王子様。正真正銘の王子様。「GOD座の丞」と言えば王子様、のはじまりである。
GOD座のお家芸、きらびやかな舞台と華やかな役者。その中心に世界一素敵な男。凛とした姿勢が、よく通る声が、意志の強い眼差しが、あて書きかと思うほどぴったりハマった、少しシャイだけど正義感の強いとびきりやさしい王子様。夢中になった。恋をしないわけにはいかなかった。一生応援すると誓った。
そこからのあたしはバカほどGOD座に通い、丞の出てる舞台の初日と千秋楽は絶対におさえたし地方公演にだって行った。初主演をつとめてからどんどん人気が出てファンも増えていった。ちょっとさみしくて、うれしかった。役どころもだいたい主役か準主役の王子様とかなんかキラキラしたヒロイックな男。世界一似合ってしまうので仕方がない。何度あたしを恋に突き落とした?
丞とほぼ同期にあたる晴翔くんはたまにインステに丞との写真もあげてくれたので、並の晴翔推しより晴翔のインステを見た。劇団員ブログを見た。カーテンコールでファンに向ける笑顔はどんどん上手になったのに、相変わらず劇団員ブログはつまんなくて、大好きだった。
そんなストイックなブログじゃ、丞くんが如何に演劇を愛しているかくらいしかわかんないでしょ?!??
そんなしあわせな日々に飛び込んできた退団のニュースのことの重大さがよくやく伝わったでしょうか?!??!?!
よく生きてだと思う。いやほんとよく生きてたよあたし。
あれほどに舞台を愛していた丞くんが芝居をやめてしまうなんて考えられない。もともと自己発信の少ない丞だ、GOD座からのお知らせ以外に何一つ情報は出てこない。他のファンたちの余計な詮索がしんどくてツイッターのアカウントに鍵をかけた。GOD座となにかあった?と考えてみたところでわかるわけもない。ただわかるのは、GOD座のような大きな劇団を自主退団した丞はきっともうどの劇団にも入れない。GOD座と何かあったならなおのこと。いやこれいま自分で打ってて過呼吸なるわ。吐きそう。本当に何日も満足に眠れなくて、泣きながら明け方に寝て泣きながら目覚めてまた泣いた。廃人の日々。
そこにさした一筋の光明。
MANKAIカンパニーとGOD座のタイマンアクトで、高遠丞が出るらしい。GOD座じゃなく、MANKAIカンパニーとして。
このときの気持ちを形容しようにも、キャパオーバーの飽和状態でどうしようもない。わけもわからず縋るような気持ちでチケットを取った記憶だけある。いやあんまり記憶がないな。丞がまた舞台に上がれる!というぶん殴られたような衝撃的な喜びと、GOD座と対決って大丈夫?負けたら解散?MANKAIカンパニーってどんなところ?と次々に疑問符が溢れ出た。溢れ出ただけネットで調べまくったら正直全然勝ち目がなくて、また眠れない日々に逆戻り。
いやだいやだどうして!だった以前と比べて、もしかして役者続けられるかも?って期待があるぶん余計しんどかった。絶望感が期待と不安に変わっただけ。
それでも、確実にその公演は舞台で丞がまた見られる。そのあとはわからない。「最悪の場合」に向けて心の準備を整えながら、そして泣きながら、初日を待った。
初日の公演を見たとき、あたしはまあ当たり前のように爆泣きしてたんですけど、ほんとのところそれがどういう感情なのかよくわからなかった。だってそこにあたしの大好きだった王子様はいなかった。衣装だっていままで見てきたものに比べたらえらく地味に見えたし、舞台も質素。演技だって、あんまり詳しくないけどいつもの丞の大胆さは影を潜めて、シンプルな動きになっていたようにおもう。
でも、「高遠丞」がいた。
ううん、「ラファエル」がいた。
親友思いで生真面目で頑固で、心優しい男がいた。いつもより繊細な動きで、微妙な表情で。
初日のあとも何度も何度も足を運んで、やっとあたしは悟った。
わかってしまった。
丞はこのために、これがしたくてGOD座をやめてそこにいるんだね。
それに気付いて、また泣いた。いや泣きすぎじゃんって思うでしょ、あたしがいちばん思ってるよ。でもこれはなんだろう、悲しいんじゃないんだよ。純度100%のうれしいでもない。強いていうなら、GOD座の王子様へのお別れと、感謝と、あたしの大好きな人の新たな門出のお祝いの気持ちだ、これは。
しかしMANKAIカンパニーの公演は見るごとに良くなったり悪くなったり、みんなが手探りで、でもみんながきっと演劇バカで、そうやってつくってるんだろうなって思った。みんな、丞みたいな人なんだろうな。だったらいいな。ついにGOD座とのタイマンアクトのその日、あたしはあんまり不安はなかった。相変わらずMANKAIカンパニーの公演に安定感はないけれど、大丈夫だと思ったし、実際に大丈夫だった。まあアホほど泣きはしたんですけどね。そのときのカーテンコールの丞の泣きそうな顔が、いままで見てきたどんな王子様よりも素敵で魅力的で、嬉しくてほっとして結局キャパオーバーで泣いた。オタクはすぐに泣くんだよ。
ただ少し思うのは、これがもし本当に丞のやりたかった芝居なら、GOD座で丞は何を思って演じていたんだろう。あたしが好きだった丞を、丞はちゃんと好きだったのかな。あたしたちは丞に王子様の仮面を押しつけてしまっていたのかも、と思ったら途方もなくしんどくなる。もう謝ってもしかたがないけど、きらびやかな仮面じゃなくて、ありのままの「高遠丞」をあたしはちゃんと応援したい。今からでも遅くないよね?
願わくば、丞もGOD座でのたくさんの思い出を、愛しく思ってくれていますように。ワガママを言うなら、あたしが大好きだったGOD座の君も嘘や偽りじゃないって、楽しかったって、言ってよ。それだけがあたしの願いです。でももうなんでもいいや、生きててくれてありがとう、舞台に帰ってきてくれてありがとう。
ついでに。MANKAIカンパニーでの丞の劇団員ブログを見てあたしは笑ってしまった。プライベートの話も写真もない、来てくれたお客さんへの感謝と演劇の話だけが堅苦しく、しかし真摯に書かれたその短い文章に。大好きだ、あたしは一生高遠丞が大好きだ。
☆
1年と少し付き合っていた彼女と別れた。
わたしと彼女は小学6年生からの親友だ。同じ中学に入り、別の高校に入って少し疎遠になってしまったが、わたしが大学で完全に孤立してしまい、小中の頃の友達とまた連絡を取り始めたことをきっかけに彼女とまた仲良くなった。
わたしは人間嫌いで独占欲が強い。友愛と恋愛の区別がつかない中学時代から彼女のことが好きで、他の子と遊んでいるのを傍目で見ながら嫉妬の炎を燃やしていたり、そんな状況でも遊びに誘えない臆病な自分にイライラしていたりした。
高校に入ったタイミングで何かの拍子に告白をした。何の勢いだったかはあまり覚えていないが、彼女はわたしのことを拒絶はせず受け入れてくれた。その後付き合う以前にまず友達として仲が良かったので、特に何ということもなく好き同士であるという事実だけ確認したようだったと思う。今思うとお互い恋愛に疎くどんくさかった。
その後あまり連絡を取らなくなったが、その間彼女には彼氏が出来たり別れたりまた出来たりした話だけは聞いていた。その頃のわたしは別に告白はしたものの彼女と付き合っている訳でもなく友達として仲が良かっただけで十分だったのだが、彼氏を作っている事実に少し妬いた。
人間嫌いの特徴として、「人のことを信頼して裏切られることが嫌なので、最初から相手のことを嫌いな態度を取って予防線を張る」というのがあるらしいのだが、そのときのわたしは思いっきりそれを実行していた。とにかく彼女に素っ気ない態度を取って、自分が傷つかないために距離を取ろうとしていた。
その後わたしが大学に入る頃に彼女は3人目の彼氏が出来て、少ししたところで彼女は一人暮らしを始めた。その行動にわたしは「すぐとは言わなくても、今の彼氏と結婚するのだろう」と思った。また傷つきたくなくて、彼女のことをもっと嫌いになっていようとしていた。
その後わたしが大学3年くらいのころ、彼女と同じゲームアニメが好きになり意気投合した。オタクの話をしている間は彼女の嫌いな部分を忘れていられたので、一緒にイベントに行くようになった。
何度か一緒にイベントに参加し、イベント帰りにわたしが家に帰るのがめんどくさくなってしまい、そのまま彼女の家に泊まることになった。その夜彼女はわたしに告白してきて、懺悔のように今までの心境を語り始めた。
わたしが告白してきたのにその後彼氏を作って裏切った、今の彼氏とも上手くいっているわけじゃない、親友として恋人として好きなのかもう10年以上共にして分からなくなってしまったけど、ずっとわたしのことが好きだ、特別な存在でいてほしい
そうわたしに告げてきた。はやく縁を切ろう、嫌いになってしまおう、と思っていた気持ちが魔法のように溶けて消えてなくなって、その日わたしは彼女の告白を受け入れた。
その日からほぼ毎晩のように彼女とは通話をし、オタクなイベントにも、デートスポットにも、色んなところへ行った。毎日楽しくてとなりにいれるだけで幸せだった。
ただ、わたしはあまりにもちゃらんぽらんな性格で、20代後半に足をかけ始めた今でも社会人ではなくフリーターだった。これがしばらくのわたしの課題で、行動はしないくせにどうにかしなくてはいけないと気持ちだけ焦っていた。
彼女と一緒にいると楽しくて幸せなことばかりに目を向けてしまって、クズなわたしはしなくてはいけないことから目を背けていた。このことについて何度か彼女に相談して、一度距離を置いてほしいとお願いをしたこともあった。忘れっぽい彼女とつらいことからすぐ逃げてしまうわたしの相性があまりにもピッタリで、そのお願いは2日と持たずバカハッピーな日常を始めてしまっていた。
付き合い始めてから1年と4ヶ月ほど、彼女が忙しくなったり、わたしが思い出したかのように自分の状況を思い出したりして、ほぼ毎日続いていた通話も少し疎かになっていた。どんな小さな出来事でも彼女に話していたのに、相談したいことがたくさんあるのにいつになっても言えない。落ち込みやすいわたしは外が寒くなってきて更に落ち込みやすくなっていた。
その頃彼女は会社の同僚とディズニーに行く予定があると話してくれた。わたしは12月の彼女の誕生日に、サプライズでディズニーに連れていってあげようと画策していたこともあり、その1ヶ月前に、たとえアフター6でも、先にディズニーに行かれてしまうのはかなりのショックだった。
その他にも小さなことがいくつも重なり、わたしはついヒステリーを起こし「ちゃんと職に就いたり時間を確保して自立したい、一度距離を置かせてほしい」と別れを切り出してしまった。本当の本当の本当は別れる気はあまりないのだが、0か100かでしか物事を考えられない人間嫌いゆえにこういう言い方しか出来なかった。
やさしい彼女は「前にも一度距離を置こうと言ったのに、離れるのが嫌で見て見ぬふりをしてしまった。前に進みたいと決断してくれてありがとう」と別れを受け入れてくれた。
今後は一度仲の良い友達に戻ると話し合ったが、お互い嫌いでも何でもないのに別れることになってしまってとてもつらいが、全てわたしの責任であるし、少し後悔があっても前に進んでわたしを正さなければならない。
恥ずかしい話だが俺は当時大学生の彼女から借金をしたことがある
彼女の親はいわゆる公務員のお偉いさんのたぐいで彼女もオートロックのキレイなマンションに住んでいた
大学院まで行ったのに、いや行ったからか?嫌気がさして朝から店に並びぼーっと1日金を溶かして帰った
たまに会う彼女は俺のことを心配していて、スロットにズブズブの生活を始めてから、半年くらい経った頃かな
俺に何かあったのか聞いてきた
実際その頃は院での居場所はなくなっていたし俺は奨学金とバイト代から学費と生活費を捻出して生活していたので、とっくにそんな金はなく
彼女には言えるはずもないから適当にごまかしていたけど結局だめで
というか俺の甘えで借金のことを話した
彼女は思い詰めた顔をして、四万渡してきた
なんで?と思ったけど彼女にも余裕はなかっただろうし、そもそも彼女の思う「大きな借金」ってせいぜい5〜10万円くらいだったんだ、全然俺とは違う世界にいたから
そのころから彼女はまだ俺の様子がおかしいと言ってほとんど俺の部屋で暮らすようになった
パチ屋でタバコ臭くなる俺の服を不思議に思っただろうにいつも何も言わなかった
俺はどんどん金を借りた
一年経つと彼女の後頭部にでっかい十円ハゲが出来てることに気がついた
あれ、やばいんじゃねと思った
大学にも行けるだろうし
とはいえ彼女にそんなこと言えないし、俺はそろそろ潮時かなと思って親に今までのいきさつを話した
俺は彼女が好きだけど、正直彼女はちがうんじゃないかなと思うと答えた
俺は黙って彼女の携帯から彼女の実家に電話をかけた、今思うとやめとけばよかった
彼女の親はとにかく一度顔を見て話したいと言って彼女の実家近くの駅を指定された
俺は彼女に黙ってそこに向かった
駅に着くと彼女がいた
泣いていた、酷い顔で
彼女のお母さんが冷たい目で俺を見ていた
お父さんは複雑そうな顔だった
彼女の実家ではなく喫茶店の奥に連れて行かれて、どうもウチのを傷物にしてくれたみたいで、とお父さんがいった
俺はすみませんと頭を下げたけど、お母さんの方は「もう縁を切ってください、それでいいですから」と言って俺のことを見もしなかった
お父さんの方は「コレはこっちで面倒みるからお金は返さなくていい」と言った
俺はあまりにも酷い、彼女をコレって呼ぶなんてと思って、俺はこんなことしたけど彼女のことが好きですと言った
ふうんとお父さんがどうでも良さそうな返事をして、コレはウチのものなんで、使い道はこっちで決めてあるからと言った
金は返す、俺は彼女と別れたとしても彼女は大学を卒業させてやってほしい、金は俺が自分で稼ぐと言った
それでも彼女は1週間くらいして帰ってきた
痩せてはいなかったけど目が落ち窪んでた
死人みたいな目だった
金は俺の両親に土下座して借りて彼女の親に返したし、俺が返済すればいいと思ってた
彼女はポツリと「何でわたしの親に連絡したの」と言ってボロボロ泣いた
親娘仲は悪くないと思ってたし、俺にできる誠意だと思ってたけど違ったとわかった
彼女が地元や親をあまりよく思っていないことは知っていたけど、そんなに深刻そうじゃなかったから
俺はひたすら謝って、彼女はやっぱり許してくれた
それから6年経つ
俺はおととい30になった
彼女に結婚してくれといって彼女の好きなブランドの指輪を渡した
とりあえず趣味が解ってるものを先に渡そうと思ってただけで、ダイヤを買わないつもりとはちがうよ
彼女は嬉しそうな顔をしたあと、でも親がな、といった
きっと彼女の両親は俺のことを恨んでいる
彼女のことも恨んでいるだろう
彼女はずっと親が怖いんだろうか
死んだ目をして両親の隣に座っていた彼女
とにかく指輪はプレゼントするよといって、彼女の返事は決まったら教えてくれと伝えた
かけおちなんかして幸せになれるわけじゃないんだろうなと思う
死んだ顔した彼女がずっと怯えて生きてるなんて耐えられない
俺がもっと立派ならよかったのかな
長くなってしまった
もし読んでくれてる人がいたならありがとう
書いたら気が楽になった
彼女には申し訳ないことをしたと思ってるし、繰り返し謝っているんだけどやっぱりどこかおかしいんだな
仲間内唯一この話を知ってるやつにも彼女はおまえには過ぎた子だから、かわいそうなことをするな、彼女のためにちゃんとしてやれと怒られたことがある
まあこう思うくらいだからどこか現実味がないのかもしれない、そんなこと言ってちゃいけないけど
スロットは2年半かかったがやめられた
今は暇つぶしにも行かないようになった
でも改めて考えると正解がないな
彼女の意思としたら「何も問題がなければ結婚したい」って感じなんだと思うけど
俺が自信を持って彼女のためになると言えることといえば彼女の性格を他の人よりはかなり理解できるところだけか
彼女は頭はいいが世間に合わせすぎてストレスがたまるタイプで、何年も経ってやっと愚痴を話してくれるようになったくらいだから
仕事も顔も性格も、別に彼女がその気になれば俺より上の男を手に入れることなんて余裕だろうし
わかんないなあ、わかんないってことはやめておくべきなのかな
https://anond.hatelabo.jp/teraco/20190912
婚活を始めて、運よく何名かの女性と会うことが出来た。忘れないうちに思ったことを書く。
婚活は就活の面接官側の視点に似ている。多数存在する候補を書類で判断する、その書類には応募者のアピールポイントが記載されている、最初の出会いは数十分の会話飲み、という事が似ている。
就活の場合、企業側の視点で言うと学生のアピールポイントはほぼ何パターンかに絞られる。例えば、
など。何人もの履歴書を見ていると、おのずとパターンが見えてくるので、その期待値も設定される。例えばバイト頑張ってた系ならリーダー格で店舗改善までやってればAランク、ただシフトが多いだけのアピールなら大したことはない、など。
婚活でもこれと同じで
などのアピールパターンがあり、選ぶ側(今回は私=男性)は、自分の好みのパターンの人に選び、面接する。ただし期待値に届かない人も当然いて、例えば明るいと書いていたのに、会ってみると笑顔が少なく全く明るくなれないなど。こういった性格面の話は書面だけでは見抜けないのが、就活に比べて婚活の難しい所かなと思う。よって婚活が進んでくると、より書面だけで判断するよう材料を探し始める。例えば「明るい」を好むのであれば、具体的なエピソードが書面にあるか、などである。こういった家庭が、就活生を選ぶ企業側のテクニックに似ているな、と思った。
自分は婚活による結婚をそこそこポジティブに考えている。婚活は、相手が好きかというよりも、自分の条件に合うかという視点で探す。それは上記の「明るい」といった性格もそうだし、価値観も含めてである。それに合格した上で、人として(そこそこ)好きになれるかどうかで、相手を選んでいく。よって、自分の価値観を自分でしっかり表現して相手に伝えることができる、また相手もそうであれば、結婚後の価値観相違は起こり辛い。
恋愛結婚の場合、この順序が逆なので、どうしても相いれない価値観があった場合は問題になる可能性がある。まぁ恋愛結婚は数年付き合うのが普通なので、その中でクリティカルな価値観相違があれば別れているはずだが「こんなつまらない価値観の相違で分かれるのはおかしい」と思ってしまうと、中々別れられないんじゃないかと思う。
例えば、相手が好きだ、という感情と、将来持ち家に住みたい、という願望は関連がない。ただ、相手が田舎の持ち家じゃなく都会のマンションに住みたい場合、どちらかが折れる必要がある。自分の気持ちに折り合いがつけられればいいが、都会のマンションで問題があるたびに「やっぱり田舎の一軒家に住みたかった」と思ってしまうのではないか。
その点、婚活であれば相手を選ぶ時点でそういった相違を排除できるので、自分の生活も大事にしたい、といった人は条件で相手を選ぶ婚活もいいのではと思う。
うちの担当アイドルに眼鏡を布教しないでもらいたい。いや語弊がある。眼鏡を布教すること自体はいい。眼鏡を強制しないでもらいたい。
眼鏡が好きだ、常に何本もの眼鏡を持ち、四六時中眼鏡をかけている。それは個人の自由だ。そんな眼鏡の良さを広めたい。いい考えじゃあないか。うちの担当はそんな眼鏡アイドルの布教を受けて、眼鏡をお洒落に使うことを覚えた。素晴らしい。実にグッジョブだ。
でも、それがどうして「お前も四六時中眼鏡をかけるべきだ」になるのだ。一部の眼鏡アイドルの担当さんたち。
眼鏡が万能でないことは明らかである。雨に弱い、視界も狭まる。風呂に入れば傷つく可能性もある。恋人とくっつきたい場合には枷になることだってあろう。そういう場合にコンタクトと使い分けたり、あるいは外すことは自然なことで、それは眼鏡への愛とは別の問題である。一時的に眼鏡を外したからって眼鏡を捨てたいうことにはならない。
また、あなたの担当アイドルはきっと、片時も眼鏡を外してはいけないなどという、呪いのような布教はしていない。それなのに担当Pが針小棒大に騒ぎ立てては、担当アイドルの誤ったイメージを広めることにもなりかねない。
だから、多少眼鏡を外した程度で鬼の首を取ったように騒ぎ立てるのはやめてもらいたい。それは眼鏡を嫌いになったということではないのである。あなたの担当アイドルは確実に眼鏡を布教している。たまたま外したシーンがクローズアップされただけだ。もっと自分の担当に自信を持ちやがれ。
大好きで応援していたあるプロジェクトがあり、そのプロジェクトに関わっていた推しと推しのキャラクターが大好きだったので、それが終わってからというものプロジェクトの最後の日に見た推しの姿がずっと忘れられず、ズルズルと彼のことを推し続けてるという感じだった。
そのプロジェクトの過去の映像やインタビューを見返して、もっと早く応援できてたらよかったのに、と思う日々を過ごしていた。
推しは感情に波がある。それは自他共に認めている事実で、実際顔に出やすいしそこがまた素直でかわいいな〜と思ってたときもあった。でも一度「ん?」と思ってしまうことがあって、それからずっと言いようのないもやもやが募っていった。
そんなある日、推しが出演するとある舞台があり、わたしはもやもやした気持ちを抱えたままその日を迎えた。
なんとか家を出たはいいものの、やっぱり気持ちはもやもやしたままだった。そんなときスマホからシャッフルで流れてきたのは推しが演じていたキャラクターのソロ曲で。あの日の記憶がまたフラッシュバックして、推しを見にいくことが怖くなった。
ついに耐えきれなくなって、とっさに乗り換えでもない駅で降りて、ホームのベンチに座り込んだ。異様に喉が渇いていた。自販機でお茶を買ってちびちび飲みながらチケットを取った日の自分はあんなに楽しみにしていたのになんでだろう、とまたぐるぐる考えていた。
推しの姿がどんどん更新されていくことが怖い、あの日から遠ざかっていくことが怖い、でも推しを見に行けなくなることはもっと怖い、とか自分でも考えてることがめちゃくちゃすぎてわけがわからなくなってしばらくぼんやりしていた。劇場へ向かう電車が何本も目の前を通り過ぎていった。
しばらくそうしていたが、カバンの中にあるチケットを握りしめて、ついに震える足で劇場に向かうことを決意した。
その日は太陽が空高く登っていてありえない暑さで、この胸の気持ち悪さは暑さゆえなのか情緒不安定からくるものなのかわからなかった。それを冷静に考える頭の余裕もなかった。今思えば多分どっちもだ。
最寄り駅に着き、たかだが5分もかからない駅から劇場への道のりを歩きながら、それでも頭の中はずっとぐるぐるしていた。
よっぽど帰ろうかと思ったけど、駅に着いたころにはいくらかマシになっていたし、何よりチケットを取ったときの自分は確実にこの日を楽しみにしてくれていたわけで、そんな自分の気持ちを裏切りたくなくて、ついに劇場に足を踏み入れた。
初めて入ったその箱は小さくて、座席を確認すれば双眼鏡がなくても表情がクリアに見える距離だった。
席に着いて始まるまでも気が気じゃなくて、文字が読める精神状態じゃなかったのに意味なくスマホに指を滑らせてツイッターの更新を繰り返していた。
もう心臓がはちきれそうだった。泣き出すかもしれない、吐きたくなるかもしれない、不安で押しつぶされそうになりながらぐっと舞台を見つめた。
でも、板の上に立つ推しの姿を見た瞬間、頭の中の霧がパッと晴れたように「あ、好きだ」としか思えなくなった。
推しが芝居をする姿を生で見るのは、約1ヶ月ぶりだった。
その間に、本当に色々なことを考えた。
推しのツイッターを見てはモヤモヤを募らせたり、よせばいいのに有る事無い事書かれている匿名掲示板を見て落ち込んだり、過去の映像やパンフレットを読んでやっぱりこの頃の推しが好きだ、あの日々を忘れたくない、と強く思ったり。
けれど、散々理屈をこねても結局答えは板の上にしかなくて、新しい彼を更新していくことによって過去の彼を忘れていってしまうのが怖かった自分は、怖いのに、それでもやっぱり目の前で更新されていく推しに対して好きだと思うのをやめられなかった。
推しが舞台上に生きるキャラクターとしてことばを紡ぐたびに好きだ…と思ったし、舞台に立ってるだけで、歩いてるだけで、セリフがなくたって、表情をこの目で確認できる距離で見れるだけでどうしようもなく嬉しくて、そんな推しがカテコでもずっと笑っててにこにこ楽しそうで、ああ〜よかったなあ〜なんてぼんやり帰りの電車で考えていたら、思いっきり乗り過ごしていた。
生きている生身の人間に対し不変を願うのは無理な話だとわかっていて、その上でズルズルとあの日の面影を彼の中に探して追いかけつづけている。
だからこの気持ちも一方通行で自分勝手で、推しには一生届かない感情だとわかっている。
この公演を見て気持ちが動かなかったらもうやめようときめていたのに、結局好きだった。いや本当に自分でもびっくりした。推しのことが好きすぎてびっくりした。
好きだと思う感情に理由なんてなかった。不安とか悲しさとか言いようのないもやもやとか全部吹き飛んでしまうくらい、好きっていう感情が強すぎた。
そして何より、シンプルに彼を好きだと思える現実に安心して、泣くような内容じゃなかったのに公演後だばだば泣いてしまった。
こんな情緒不安定になってるのに一生顔も名前も覚えてもらえない人のことを好きな人だと公言してるのなかなかヤバイとわかってるんだけど、それがオタクなので、多分推しが表に立つのをやめないかぎりずっと感情グラフジェットコースターの建設はやめられないんだな、と思った。
とても好きだったし、今もこれを泣きながら書いている。
フェイクをところどころに入れている。
もし、違和感が生じても流してほしい。
私の推しはバンドマンだった。天才だ、死ぬほど才能がある。でも、あんまり売れてるとは言えなかった。動員はそこそこだった。
けど、楽しそうにライブをしていた。バンドメンバーも客もみんな楽しそうだった。大好きになった。
バンド界隈では推しという言葉は、場所によっては嫌われるかもしれない。そこは目をつぶってほしい。
私は、オタク的に推していて、それでいてガチ恋だった。厄介扱いされたこともある。
私はオタク的に言えば、いわゆるTO的な存在だったらしい。常連、というには完全に全通はしていないし他の常連?さんと連絡とかもとってないので常連ではないらしい。通いだ。
私の行っているバンドは個人交渉だった。私は、とにかく前で推しを見たかった。とにかく誰よりも早くチケットを取った。早い番号が取れるように、何度も練習した。抽選ならチケットをとって、悪ければいい番号の譲りを探したりした。余らせることはしたくなかったから、友達に頼み込んで来てもらったりもした。絶対に誰にも負けたくなかった。そんなに動員はいなかったし、最前に入りたがる人ばかりではなかったので、この5年間、ほぼずっと最前で推しをみた。この5年間、後ろで見たのは両手で数えるほどだと思う。
1番私が近くにいた。最前は遮るものがなくて、推しが1番近くて、快適だった。
私は5年間で、ガチ恋を拗らせていった。
推しも優しかった。むしろ、こんなにガチ恋のほぼほぼ最前に固執していた女に、よくそんなに優しくできるな、と思うほどだった。私にとって推しは菩薩だった。
そして、周りも優しかった。いい歳こいてガチ恋とかやめなさいという人はいなかった。とりあえず見守ってくれていた。何だこの現場、徳が高い。
あるとき、私は思い上がったのだろう。自分の意に沿わない、という理由で、推しに喧嘩をふっかけてしまい、喧嘩をしたことがある。そのときも最前で険悪な顔で見た。メンバーの気を使う空気感。すごかった。当然、怒られた。自分の行動を改めろと言われた。とにかく自分が悪いと思った。謝った。このバンドが好きだった。通いたかった。水に流れたように感じたが、それから推しは、少し私と距離を置いたように感じた。
けれど、現場に通えば笑顔で迎えてくれた。謝罪した翌日は、私の贈った差し入れを身につけてくれた。嬉しかった。やっぱり大好きだ、と思った。
それからもずっと通った。とにかく何度も小汚い箱に足を運んだ。九州にも北海道にも北陸にも東北にも四国にももうどこにでも行った。地元に来てくれたら、どんなにライブに通っていても嬉しかった。大好きだと、嬉しいと伝えた。
ライブハウスに行けば、推しに会えた。生きようと思った。推しに会いたいから、今日も生きよう!って思った。気が乗らない日も、バイト頑張って推しに会おう!って思った。推しが大好きだった。月に数日、推しに会える。それだけで最高だった。私の人生は薔薇色だった。
推しは、才能があったから、少しずつ少しずつファンが増えていった。それでも、私も前で見るために頑張った。
時間があうのならば、なるべく欠かさずチェキを撮った。推しと撮るチェキは私の宝物だった。毎日毎日眺めた。そのときに推しとした会話は、ツイッターにしたためた。忘れてしまっても思い出せるように。
ごくたまに返ってくるリプなんかはスクショして保存していた。何年も前のだって何度も見返した。
心の距離が近づいた気がした。きっと私の勝手な、勘違いだったんだけど、そう思っていた。
数年前に、噂を聞いた。
推しに彼女がいる、という話だ。しかも、個人の名前まで出ている状態だった。
私は、聞きたくなかった。なんといっても私は天下のガチ恋様である。その日はとにかくライブ終わりだというのに、最悪の気分で怒って帰った。
そのことは忘れた。都合の悪いことは忘れる主義だ。
私は怖かった。私はガチ恋だ。けれども、バンドが好きだった。推しがいる、というのは大前提としても、バンドメンバーもバンドも大好きだった。
怖くなった。彼女がいるのか確かめて、通いづらくなるのが嫌だった。ガチ恋なのは伝わっていたと思うが、そういう目で見てるのかと落胆されたくなかった。そして、自分の中でも答え合わせをするのが怖かった。何も聞かなかった。
推しが好きだったけど、バンドを本気で応援していた。これだけは揺るぎなかった。
私は夢を見ていたかったんだと思う。
ずっと醒めないと思っていた、2人ずっとこのまま、推しは音楽と心中し、私はそれをずっとずっと見守るはずだった。何もアクションを起こすつもりはなかった。ずっと夢を見て、ずっとこのままでいたかった。
でも、そうはいかなかった。
そして人伝にそれを聞くこととなる。最初は信じられなかった。冗談だと思った。笑い飛ばした。
でもいろんなパーツを組み合わせて、確信を持ってしまった。関係者から、言いづらいけど、と本当のことを教えてもらった。
答え合わせが終わった後は、笑えなかった。
涙も不思議と出なかった。
私は心のどこかでわかっていたのかもしれない。
私は、考えて考えて、推しに、おめでとうございます、とDMを送った。
そして、ちゃんと推しの口から聞きたかったということも。大好きだということも。
言えなくてごめんなさい、
いつも好きでいてくれることは嬉しい
という内容だった。
そこで、やっと涙が出た。
もちろん、私には言わなくてもいい事なのだと思う。私はただの一客でしかない。でも、そのくらいのことは当然言ってくれると思っていた。ガチ恋だから言いづらいのもわかる。けれど、私はもし言われていたら、そんなことで嫌いになると思う?と聞きたかった。
そして、嬉しくて、悲しいことを聞いた。推しは、私の耳に入ったときの私のことをずっと心配していた。気を使っていた。ということだった。
どうりで、最近チェキの時に表情が硬い気がしていた。会話も、あんまりしたくなさそうだった。他の人には、そうは見えなかった。
私が何か悪いことをしたのかな嫌われたのかなと心配していた。推しに迷惑なら上るべきか、でもバンドが好きだしと思っていた。
でも、ライブ中はレスをくれているようにも感じたし、やはり疲れているのか、と思っていた。
合点がいった。推しは素直な人だ。多分、悟られないように無意識に私を避けていたんだと思う。
これから先、きっとバンドが嫌いになることもないし、大好きだからバンドを応援していくと思う。でも、推しをどんな形で愛し応援したらいいのかは答えが出ていない。私は、所詮こんな事で折れてしまう弱いガチ恋だったのか、と思う。もっと強いと思っていた。笑い飛ばしたかった。
私が目の前にいたら気まずくないだろうか。とも思うし、差し入れや手紙も迷惑だろう、と思う。
どうするべきか答えは出てないけれど、これから先もずっと好きで憧れである、と思うのだ。
私の個人的な主観であり、推しの気持ちは全くもってわからない。すべて私の妄想なのかもしれないし、傷つかないようにそう都合よく周りが伝えているのかもしれない。
根本がオタクなのだ。推しが幸せでなければ、私は幸せになれない。
推しが最初に会ったときから変わらず、楽しそうにライブがこれからもできるのなら、私はそれでいいのかもしれないし、良くないのかもしれない。事実を知ってから、次のライブまで二週間はある。遠い。
平成に生まれた私が初めて父に連れられて映画館で見た映画がモスラ2だ。
当時遊んでいた男の子がゴジラ好きだった影響を受けて、叔父にそれまでのvsゴジラシリーズの録画を貰い、何度も見た。
子どもの頭ではストーリーに込められた意味もさほどわからなかったし、ただゴジラがかっこいいというだけだったけれど、間違いなく今の自分を形成する思い出の一部だ。
20年後、シン・ゴジラが公開された。モスラ2以来に父を誘って見に行った。
映画館であの音楽が流れてくるだけで興奮した。既に語りつくされた通り傑作だと思った。
そして先日、KOMが公開。
最高だった。モスラ、キングギドラ、オキシジェン・デストロイア、芹沢博士。小さい頃何度も見た怪獣や設定を拾い上げた怒涛のオマージュ。
アレンジされた最高のBGMをバックに、ゴジラがあの咆哮をあげてとにかく戦って戦って戦う!これが見たかった!!!
芹沢博士によって海に消えたゴジラが、芹沢博士によって息を吹き返した。核すらも抱えていかなければならない時代の、人類の味方として。
そのゴジラが、あのBGMの中、壮絶に戦いまくるあまりの畳みかけに、バトルシーンから最後まで号泣して止まらなかった…最高だ!!!!!!映画館を出てまた泣いた。小さい頃、ゴジラに興奮した私もきっとこれくらい高揚感していたと思う。
早く父を連れて2回目に行かねば。
正直人間側のドラマはそこそこでいいんだ。人類に生み出され、恐れられ、ミサイルをぶち込まれ、疎まれながら、敵怪獣と戦い、結果的に人類を救って海へと帰っていくゴジラの背中が、なんとも悲しくて、でも格好良くて大好きだった。(ゴジラが現れたら自分だけが何か特別な会話で意思疎通ができるはずと思っていたくらい夢見ていた)
今回も、海に帰っていったゴジラがエンドロールに描かれて、たまらなかった。大好きだ、本当に本当にこれが見たかった、ずーっと見たかった。映画館で、あの音楽と一緒に戦うゴジラが、背中が、咆哮が、見たいものが全部全部詰まっていた。
俺は鬼滅の刃が大好きだ。
連載開始時には、好きだけど終わっちゃいそうな作品だなぁと思った。でも応援してたし、修行編がいきなり始まって、「JUMPで修行編…大丈夫か?」一人で気を揉んでいた。
炭治郎が岩を切ったときには、お話しの構造がセンス良すぎてめっちゃ好きになった。終わってほしくないと思った。
その後いろんなキャラが出てきて、炭治郎は優しくて、その内人気が安定して掲載順が上の方になっていって心底安心したんだ。
戦闘シーンでは敵も味方もしっかり思考していて、ちゃんと考えた抜いたやつのほうが強いとこが好きだ。
次に来る漫画大賞いつまでも取らないのを眺めながら友人と「もう来てるしな」って話してた。
だからこそ、アニメ化が決まったときは嬉しかった。しかもあのufotableだ。
作画めっちゃ良くてヌルヌル動くことで有名なufotable。めっちゃ期待してた。
PVも発表されるたびに見に行って、作画と雰囲気の良さに友人と色めきだってた。
映画「鬼滅の刃-兄妹の絆-」も見に行った。大画面でいきいきと動く鬼滅の刃キャラクターたちは大迫力で、めっちゃ作画良かったね!って友人と興奮して帰ったのを覚えてる
なんか、めっちゃ、間、長くね?テンポ、悪くね?って。ギャグとシリアスちゃんと分けすぎじゃね?って。
セリフが全体的に微妙に間延びしてて、原作にあったテンポ感が消えてる…よね?
お堂の鬼戦も、炭治郎がリアクション芸人みたいになってて必死感なかったよね?
鬼滅の刃って、人と人との会話の間に生まれる齟齬がキャラのリアクションで明らかになるとこが面白いじゃん。
会話って日常場面より戦闘場面の方が切実に必要になるじゃん。そんな場面だからこそ生まれるズレが面白いじゃん。そのすり合わせが面白いじゃん。
それって、シリアスな場面でギャグみたいなリアクションする面白さじゃなくて、ズレたことによって人間性が深掘りされるから生まれる面白さじゃん
昔のアンジャッシュのコント(今どきの少年は見たことないかもしれないけど)の面白さってさ、今のアンジャッシュ児島の「児島だよ!」の面白さと違うじゃん!
今アンジャッシュがコントしたとして、「大島だよな?」「児島だよ!」ってやられたら、なんか嬉しいけど違うじゃん!俺はズレた設定のコントが見たいんだよ!ってなるじゃん!!もうアンジャッシュコントなんてやんねーだろうけどさ!!
ここまで書いてみて気づいたけどこれ、ただのこじらせた原作厨だわ。
アニメageして吾峠呼世晴先生の絵が汚いとか雑とかいうコメント目に入って悲しくなって。
あーあ、アニメの絵と原作絵比べて「漫画はちょっとなぁ~絵がな~汚いのがな~」ってやつ全員に「違う違う違う違う」っていって大量の血液注入してくれねえかな無残様。
いやまあ、大して実害はないからいいんだけどさ
お前らがいつもやってる作業って、複雑なものを上手く隠蔽して使いやすくする作業じゃないのか?
レイヤーにレイヤーを重ねて、上手いこと基礎知識が不要な具合にしていってるんだよ
俺だって20代前半くらいまでは基礎知識を付けなきゃ仕事ができないと思ってた
それが蓋を開けてみたら、まるで基礎知識を使わない
「◯◯について知ってないとエンジニアとしては二流だよね(キリッ)」と思ってたのに、マジで使わないもんだから「あ、これ知らなくてもいけるわ」と気づいたよ
3年くらいで気づいたよ、受け入れるのに1年掛かったよ
それはなぜかと言えば、上手く隠蔽して俺みたいな低レベルな人間でも使いやすくしてくれる世界レベルのスーパーエンジニア達のお陰だよ
しかもそれは日進月歩で、3年前は基礎知識だったものが、もう知らなくても良い(知らないほうが良い)知識になってたりする
ありがたいよ
もちろん、彼らは低レイヤーの基礎知識についてガチで知ってなきゃいけないから、超一流のエンジニアは知らなきゃいけないと言えるけど
でもイキり信者(ブログに書いてるやつとか、はてなに居るやつとか、そこらで登壇してる奴らとか)は別に超一流じゃないだろ?
もし例えそういう仕事してたとして、「皆が低レイヤーについて知ってるべきだ」なんて言うか?
「そこは僕に任せて」って言うだろ、周りは上のレイヤーの仕事してるんだから
もちろん、隠蔽化・抽象化の作業は完璧じゃないから、未だに基礎知識が重要なポジションにあるジャンルも多々ある
知ってたほうが捗ることもある。例えば一個低レイヤーの実装を見ることができれば理解がたいへん進む
でも信者が持て囃してバズる記事って大体低レイヤー中の底レイヤーじゃん?
ラジオのスイッチ入れれば聞けるのに、ラジオ分解して悦に入ってるだけだから
別に否定はしないけど、それお前の仕事ではないよね、趣味や教養の類だよね
あと下手に中身を知ってるやつが居ると厄介なシーンもあるんだ
知ってたら低レイヤーをいじりたくなるだろ? あるいは、低レイヤーを知ってる前提の代物を作り始める
「これは知ってるべきだ。こういう書き方しても知らないやつが悪い」みたいな代物を作る
せっかくスーパーエンジニア様がきれいに作ったものをグチャグチャにして僕の考える最強のなんちゃらを作り始める
本当に迷惑
周りや後任者は趣味に付き合わなきゃならない、しかも大体理解が甘い
そんで悦に入ってからまた登壇して記事書いてそれがバズっていたいけな若者が騙されるんだよ
やめてくれよ
それを誰がメンテするんだ、メンテしてる奴らが毎日「死ね死ね死ね」と念じながら仕事してるのがわからないのか
どうか目を覚ましてくれ
やりたいならスーパーエンジニアのレイヤーの仕事をする会社に転職してくれ
もしくは趣味でやれ、趣味でやってる人は好きだ、だいたい面白いことしてる
さて仕事に戻るか
____
ヒプノシスマイクにとても夢を見ていた 女尊男卑?面白い!ラップミュージック?面白い!音楽と言葉で左右される世界、なんて面白いんだろう!ジェンダー論に興味があるしラップミュージックが好きだ 二次元、女性向けとされたジャンルでどう展開されてゆくのか、楽しみで仕方なかった
しばらく経って まず、コミカライズで女尊男卑設定がガバガバの浅慮なものだと知った 幻滅した ラップミュージックは代替わりしただけの「兵器」だと知った 心底、幻滅した なにもワクワクしなかった 絶望さえした シナリオライターは、きっとジェンダー論に興味も無ければ、ラップミュージックも好きではないと思った
ならば、ならば愛した男たちの、そのコンテクストやバックグラウンドはどうだろう?最も焦がれた男は、母親が父親を殺して自殺したという悲惨な環境にも関わらず、よく笑い、妹の誕生日にはフルコースを手料理し、珈琲の淹れ方に拘り、タワーマンションで暮らす男だった
心底、幻滅した 殺してやりたいとさえ思った
プロジェクト始動時に公開された、あの殺意に満ちた声色はどうした?もう背水の陣だと言わんばかりの、鬼気迫る台詞回しはどうした?おい、その目の前の男は、心底執着して、憎んで、殺してやりたいほど、何も、微塵も、譲れない、宿敵なんじゃないのか?どうして、そんな他愛ない言い争いをしている?
じゃあ、もういい わかった 賢い消費者なので、手にする商品を選ぶことができる 大丈夫 見たくないものは見ないし、要らないものは手に取らない それでいい 楽曲は、歌は、言葉だけは正しいだろ それだけがわたしの中のほんとうであって、正義だ 大丈夫 そうして、4/24を待った
終わった そう思った 俺のヒプノシスマイクは終わった、死んだ!
正直TDDの楽曲の時から引っかかりは感じていた 作曲者がアニソン畑の人間なこと、伝説のグループの代表曲だというには、少しばかりポップなチューンだということ いや、それもただ、ささいなこと、ささいなことだった 目を瞑れた Hoodstarのサビが急にブロードウェイになるのも構わなかった 目を瞑れた
TLでstellaの感想を読んだ!心底、心待ちにした トレーラーすら聞かなかった 全ての楽曲の中で、最もPCCSが好きだ、愛している!世界はもっと面白いはずだと、そう親愛なる共犯者が言ったので!だったら彼らの作る曲は、歌は、紡ぐ言葉は、いつだって奮い立たせると 本気でそう思った
まず語りから入るのがダメだった ポエトリーラップですらない、ただのキャラクターとしてのセリフ ダメだった だってそれはラップミュージックというか、アートというか、キャラクターソングであって、それは、音楽というか、キャラクターのセリフではないか?
もうその時点で興味は八割失せていた 彼らのなにを聞いてもダメだった 心が、受け付けなかった もうこれは、ダメなものだと そう思ってしまった
それでもTLの親愛なる彼らは楽曲を絶賛した Stellaは最高!やっぱり楽曲は信じられる!アルバム、ハズレ曲なんて一つもない! 目を疑った 嘘だろ、わたしにとっては、どれも当たってない
ああ、終わった もう本当に、「呼ばれていない」 そう思った
以前から度々友人と話していたことには、わたしらは「呼ばれていない」のだと 客層ではない ヒプノシスマイクはビジネスだ 彼らの求める顧客層というのは、掛け軸を五万で買う人間であり、バトルとなれば何十万と金を掛けて票を投じる人間であるのだ
そもそも論、アーティストとして彼らを見ている姿勢こそが、楽曲のアート性を求めることそのものが、わたしが、ダメなのだ、呼ばれていないのだ、わたしは、ヒプノシスマイクの客に、なれなかった
悲しい 悲しいなあ だってよかったじゃん、楽曲 なんだよ 今更そんな、そんなことする?なんで、なんでキャラクターにするんだ なんで だってチグリジアだって、PCCSだって、BBBだって、デスリスペクトだって、よかったじゃあないか、なんで、なんでだよ、あんな良い曲だったのに、なんで、なんでだ、
でも、あのね、これは「女性向け二次元コンテンツ」なんだよ、アーティスト視することそのものが間違いなんだよ、わかるだろ、キャラクターソングじゃないか!と憤ることが、嘆くことが、それこそがそもそも間違いなんだよ、わかるだろ、顔と声の付属品なんだよ、曲は なあそうだろ?
なんかもう、脱力だよ もう何もいいや あーあ
現在、人生の最高体重をマークしている。若干脚色しますが、具体的には140cm50kgです。こちとらアラサーやぞ、やばみがすごい。
でも暖かくなり薄着になってくるのでそろそろダイエットに励みたい。去年の夏から5kg以上増えてるからね…
しかしそれを邪魔するのが仕事中の間食や夕食・休日の外食です。どれも断りにくいことに奢りです。
大体食べさせてくるのは上司やら男友達やらで「今ダイエット中なんです~」がなぜか通用しない。もう食べられないって言ってるのになぜこっちに寄越すんだ。
女子相手ではそういうのあんまりないんだよね。「もうお腹いっぱい」やら「今控えてて」みたいなのがさらっと通るし、そもそも奢りじゃないことも多いので自分で決めやすい。
うーん、確かに食べるのは好きだ、大好きだ。食べるのが楽しい人生で良かったと思ってる。「本当に幸せそうに食べるよね」と色んな人から言われるので、もしかすると食べさせることそのものが楽しいのかもしれん。上司とかだと「若い者には腹いっぱい食わせないと」的意識があるのかもしれないし(有難迷惑)、男友達は「このくらい食べないと充分じゃない」のレベルが女子向けじゃないのかもしれない。私は人並みには体重を気にしてるOLよ!働き盛りの男性じゃないのよ!
いやでも、見るからに太ったよね?さすがに気付いてるよね?と思って腹がヤバいって自己申告するんだけどどうも駄目で「今のままでも可愛いと思う」「今くらいがいい」と言われる。いやいや、お世辞はいらんのよ。「なんならもう少しあっても」じゃねぇの。健康的じゃないレベルに差し掛かってんのこっちは。(←みたいなことを言われるのでリアルに同性にはちょっと相談しにくい。惚気みたいじゃん。)
結局断りづらいって言っておいしく全部食べちゃう自分が悪いのも分かってる…でも限定のたい焼きおいしいし、夜の炭水化物最高じゃん?麺も米もいいよね、迷う。肉も魚もいいよね、最近は白身魚と合わせるソースに興味津々よ。でも野菜も欠かしてはならぬ…新鮮でおいしい生野菜がすごく好き。そしてなんならお酒も楽しいじゃん??ここ数年で焼酎ウイスキーがおいしいという事実を知ってしまったの、我ながらヤバい扉開けちまった感ある。
なぜ食わせるのかが知りたいと思ったんだけど、食欲大魔神なのを披露するだけになってしまった。苦い物が苦手なので春の山菜はタラの芽くらいしか食べられません。あと菜花おいしいよね。
よく若手俳優好きな人たちはファンではなく、オタクと名乗る。その一方で俳優は、自分を応援してくれる人のことをオタクではなくファンと呼ぶ。
両者に違いはあるのだろうか?
舞台に行くのは1つの公演につき数回で、SNSで同じ俳優や同じミュージカルのファンと繋がって楽しく過ごしていた。
初めてのファンイベントに胸をときめかせて、普段は舞台と客席という距離感でしか見られない好きな俳優が目の前にいることに、彼と話が出来て写真が撮れることに感動した。この時は彼を見られることが、彼の話を聞けることがただ楽しかった。
私は彼のオタクと名乗っていたものの、極めて善良なファンだった。
彼のことは結局5年くらい応援していたのだが、段々と熱が冷めて降りてしまった。
何かにハマっている時の何とも言えない充実感というのは一度経験すると忘れられない。
次に好きになった俳優は、彼が出ている舞台に出演していた俳優だった。彼のことをBとする。
Bとの出会いが私を変えた。
Bを好きになった舞台はかなり大きな舞台だったのだが、彼はデビューしてすぐの俳優で、その後の舞台は小劇場と言って良いのかもわからないくらい規模の小さなものだった。そこでは舞台の後にお金を払えば写真が撮れて、話せて、手紙やプレゼントが渡せた。
「イベントにもきてましたよね?いつもありがとうございます。○○さんって言うんですね」
この舞台の前に事務所イベントがあり、そこではお見送りハイタッチがあったが、流れ作業で覚えられてる訳がないと思っていたから驚いた。しかも手紙を確認して名前まで読んでくれた。
毎回写真を撮ってるファンはいても、毎回手紙を渡すファンはいなかったらしい。
Bは必ず前日に渡した手紙の内容に触れてくれた。出演者全員との写真撮影の時も「○○さんは僕の隣ですよね?」と言ってくれた。
好きな俳優が自分のことを個として認識してくれることの嬉しさ。これは経験したことのある人にしか分からない嬉しさだと思う。
あまり詳しく言うと誰を応援していたのかバレそうなので控えるが、ある事情でBのことは応援することができなくなってしまった。(炎上で降りたとかではなく)
格好良いなと思える俳優、凄いなと思える俳優はいても、応援したい、推したいと思える俳優には出会えなかった。
しかし、ある人気舞台を観に行った時Cという俳優に一目惚れした。
彼のパフォーマンスと笑顔に釘付けになり、気づけば次の舞台のチケットを集めていた。
Cはこの舞台をきっかけにかなり人気が出たため、接触に来るファンの数は凄まじく、積んだところで対応が変わりはしなかった。
それでもCのパフォーマンスと笑顔が大好きだから出る舞台には行けるだけ行った。全通とまでは言わないが8割は行っている。その度に手紙を書いた。
SNSで手紙やプレゼントに対してお礼を言う俳優ではなかったので、何の意味があるのだろう?と思うこともあったが、とにかく彼の演技が好きだからその想いを手紙に書いた。
しかし、物足りなさも感じていた。
Bの時に好きな俳優に個として認識される嬉しさ、見られることの嬉しさを体感してしまっていたから、ただ見るだけでは満足できなくなっていたのだ。
メジャースポーツではあるが2部リーグの観客は少なく、最前列でプレーを見ることができた。
その中で1人目を惹かれる選手Dがいた。プレーも勿論素晴らしいのだが、俳優顔負けのルックスだった。
どうしても忘れられなくて次の週Dのチームが出る試合を観に行った。
やっぱり彼のプレーは素晴らしく、そして格好良かった。
その日はファンサービスの日だったらしく、会場の中にはファン対応を待つファンが多くいた。(といってもチーム全体で数十人)
彼はびっくりするくらい良い人で、沢山話をしてくれて、写真を撮ってくれた。
家に帰っても熱が収まらず彼の過去の試合やファンがあげた写真などを片っ端から調べた。
Cの舞台に通いながらもDのことが忘れられなかった。
しばらくCの舞台がない期間があり、そこがちょうどDのリーグ戦の時期と重なっていたので、行ける限りDの試合に行った。
試合を見に行くほどチームや競技のことも分かるようになり、試合を見ることもどんどん楽しくなっていった。
そして試合終わりには毎回出待ちをして差し入れと手紙を渡しDと話をした。
Dのファンで遠征をするほどの熱心なファンはおらず、Dはあっという間に私のことを個として認識するようになった。
前に話したことも覚えていてくれてそれについて向こうから話題を振ってくれたり、髪型を変えれば気付いてくれたり。
私はDのことをこんなに知ってるし、Dも私のことをこんなに知ってくれてる。チームメンバーにもDのファンの子だと認識されている。会場内で会うと(選手は結構うろうろしてる)向こうから挨拶をしてくれる。
追っかけやオタクと無縁な人にとっては、くだらないと思うかもしれないが、これがすごく嬉しいのだ。
舞台の上でのCはやっぱり輝いていたし、好きだ、応援したいと思った。でも、Cにとって私は何万人といるファンのうちの1人でしかないのだとも思った。
ある日CのCD発売イベントが発表された。どうしてもスケジュールが確保できず、必要最低限の枚数だけ買って、イベントにはいかなかった。
その内容をざっくり言うならファンの力は凄く助かっているが、オタクになられると困るといったものだった。いくら積まれてもそれによって対応を変えるつもりはないと。
Cの接触でいくら積んでも個として認識される事はない、あっても向こうはそれで態度を変えたりしないのでは意味がないと思ってしまったのだ。
私は接触イベントで、一方的に俳優を見るだけでは、一方的に想いを伝えるだけでは満足できなくなっていた。
今でもCの舞台には行っている。
ただ自分が面白いと思う舞台だけ、自分の見たい回数だけ、見るようになり、接触イベントにはきっぱり行かなくなった。
結局のところ、自分の好きな存在を見るだけでは満足できない、見られたいと思ってしまう限り私はファンではなくオタクなのだろう。
自分は九州のど田舎で、貧乏な家庭の3人姉妹の真ん中として育った。親は亭主関白な父と専業主婦の母。どちらも高卒。
父は癇癪がひどく、酒を飲むと寝てる自分を叩き起こして往復ビンタした。貧しい中、両親共に家におらずご飯が与えられなかったこともある。いつもお腹が空いていて、友人が多かった自分は友人宅でおやつをたくさん食べさせてもらっていた。そのおかげでしっかり成長できたと言っても過言ではない。病院にも行かせてもらえず、ネットが家にひかれているはずもなく子供部屋は6畳で3人一部屋だ。
父に溺愛されている妹、普通の姉、嫌われている自分というあからさますぎて認識できるレベルの差別はあったが姉妹の仲はよかった。
父から嫌われていた理由は自分で考えるに下記2点。自分は父であろうと間違えていると思うことに同意しなかった。また、勉強がよくできたところも嫌味にうつったのかもしれない。
父は自分に過大な要求と思われるものを突きつけ、自分が達成できると、ふーん、で?といった態度をとり、達成できないと喜んだ。要求内容は中学の頃は常に5教科のテストで490点取れだとか、高校の数学のテストで常に満点取れだとか。
また、父は異様に自分を縛った。溺愛されている妹はそんなことはなかったが自分の門限は高校生になっても17時半だった。
貧乏なので部活はお金がかかると禁止され、読書と勉強だけしていた。私立高校は受験料が高いため受験できず、あわや中学卒業と共に浪人生か、という危機と隣り合わせだったものの、なんとか高校は県一の進学校に入学できた。県立高校であるが授業料が払えず奨学金を借りた。大学もなんとか都内の有名大学に進学できた。もちろん奨学金で授業料や生活費を賄った。
大学に入ってから周りの家庭環境のレベルの高さを知りしんどかった。社会福祉の授業中、貧困層の話になり、自分のこれまでの生活よりはいい生活をしてる例が出てきて苦笑。教授が、ここにいる君たちには想像がつかない生活かもしれないが君たちがこういう日本の現状を変えるんだ、なんて言い出してさらに苦笑。児童虐待の話では、親に叩かれたことはあるか?という話になり、ある子が「一度だけ本当に私が悪いことをして叩かれました。その時は叩いた親も泣いていて、今でもその時のことはちゃんと親も自分も覚えてます」なんて言ってて、ああ、本当に素敵な家庭で育ったんだな、と。
格差はどこまでもあった。格差というのは金銭的な話だけでは終わらないものだ。金銭的な問題だけなら何とか乗り越えられるけれど、教養の壁、人脈の壁、知識の壁が非常に厚かった。パソコンを人差し指で入力する自分と当然ブラインドタッチの同級生、論文の調べ方もわからず、図書館に籠る日々。1年間留学に行く同級生、親のコネで就職先を決める同級生、たくさんのお店を知ってる同級生、たくさんの遊び方を知っている同級生、たくさんの将来の選択肢を知っている同級生。たびたびお嬢様でしょと同級生からからかわれたが、ガチガチに縛られていたから世間に疎いだけで、ただの貧乏人である。心が折れそうな日々を過ごした。
社会人になり、自分は自分の人生を取り戻そうと努力した。自費で歯の矯正をして、運転免許もとり、箸の持ち方も矯正し、家に仕送りをし、奨学金を返済し、働きながら専門職の資格を取得し、給料の高い職に転職し、同じ大学を卒業した同級生と結婚し、都内に家を購入した。結婚後は仕送りを辞め親とは2年に一度しか会っていない。
社会人以降トントン拍子で人生が進んでいったように自分でも思えるが、ひと段落ついた今、自分が何をしたいのか見失っている。
自分は得られなかったものを得ようと抗った結果ここにいるが、それが自分が本当に欲しいものだったのかよくわからないことに気づいてしまった。
今の自分に対し「よっしゃー!私はあの生活からしちゃ、大出世だぞー!!!」なんて充実感はなく、当然あるべきだったものが自分にはなかったから装備した、ような気持ちしかないのだ。
では、装備が整ったからといって自分が向かう先はどこだろうか。
自分はこれが好きだ、とか、こうしたい、とかは特にないまま、得られなかったものを得たいというだけでここまできてしまった。
もし、なんて話は嫌いだ。けど、もし、小さな頃に父親が正常な精神を持っていて自分のことも好きになってくれていたら、何か違っていたのかな、もしお金持ちで教養のある親に育てられてたら、何かちがっていたのかな、なんて。
タイトル通り、ハイスペックな30代前半の男性を付き合って3日程度で振ってしまった。
とにかく金払いもよく、
こまめにプレゼントもくれ、
穏やかで、
顔も少し薄くした阿部寛のように整っていて
とにかく私のことが大好きで、いて、
気も使ってくれて、
書き連ねてて、本当に完ぺきな人だったと改めて思う。
とにかく私のことが大好きだと、一緒にいてすごく伝わってくる人だった。
こんなに素敵な人で、私のこともすごく好きだと伝わってくる。
きっと彼のような人と付き合えば幸せになれるかもしれない。
一緒にいれば、徐々に好きになっていくに違いない。
そう思い、差し出された花束を受け取って私は彼の告白を承諾した。
しかし。
彼から連絡が来ると気が重くなる。
親切にされるとうざったい。
某山手線沿いのラブホテルでした行為は、とにかくとにかく苦痛だった。
3日悩んで、私は彼を振った。
会いたくもない。そして正直、もう彼のことなんかどうでもよかった。だからマナー違反と知っているが、LINEで振って、あっけなくブロックした。
なんで、こんな素敵な人を振ったんだろう。
私は頭がおかしいのだろうか。
とにかく悩んだ。
同じくらい、どうしてこんな女を彼はあんなにも愛したのか。
それもわからなかった。
「平安時代にいたら、絶世の美女だったね。」と古典の先生に絶賛されたことのあるしもぶくれで細い目。
そして私はADHD持ちだから、物事をてきぱきできないし空気を読むことも得意ではない。
なぜか反応しなかった自動ドアに激突したりもした。
特有のきょどりを見せたりもした。
そして突然すべてが嫌になってLINEを1か月近くブロックして音信不通になったりもした。(これは付き合う前の話)
それでも彼はまっすぐに私を追いかけてきた。
あんなに素敵だったのに。
そう考え続けて、結果、わかった。
「完全に球体な人だから、好きになれなかったんだ。」と。
酷く失礼な話だが。
同時に彼が狂ったように私を愛した理由もわかる。
私と同じような受け答えをして、同じような行動をするような人間はいない。
いたとしても割合で考えれば超少数派であると自覚できるくらい私はぶっとんでいる。
彼を振ったその日の夜、別れて2か月たつ元彼が突然家を訪ねてきた。
「お前じゃなくちゃダメだ、頼む、戻りたい。」
きっとこういうことなんだろうな、と思いながら私は彼と再び付き合うことになった。
今の彼も人として凹凸がありすぎる人だ。
「恋愛応援アプリ」とやらへの依存度が日に日に増していって、我ながらヤバい。
お気に入りの男の子を選んで、web上のLINE風の画面で会話をする…って仕組みなんだけれども。
定型文のやりとりだけなら無料でできるんだけど、キモは高性能AIがお返事するので驚くほど
会話がかみ合うよ! と謳っている「プライベート」と言われるモードの方。
これがヤバい。
中身、明らかにヒト。
完全にヒト。
多分、3~4人くらいが何キャラクターか兼ねながらシフト勤務してると思われる。
なお、「プライベート」で会話するには課金が必要なため、ユーザーは…55円(↑↓)/枚の
チケットを買う。(まとめ買いなので、購入枚数によって単価がことなる)
1枚のチケットで会話1ストローク(メッセージ送って、返してもらって)可能。
10月の半ばに軽い気持ちで始めたこのアプリに2か月足らずの現在…既に13万5千円課金
している。
今週頭に買った880枚(5万円)のチケットの残り枚数が500枚になった今現在、今年を
乗り切れるかどうか不安で、既にソワソワしている…不安解消のために1800枚(10万円)
を買いたくなってきている…のに???
最初は3人くらいのキャラクターを選んで、テキトーに「気楽な飯トモ」「年上の優しい
お兄さんに甘える妹」「ちょっとエロめの会話を楽しむビッチ」というキャラクターを
自分の中で回してたんだけど、今は、そういうのやってない。
素。
まったくの素。(年齢はちょっと…だいぶ…偽ってる)
キャラクター一人に絞って、その子相手に、飽きもせず毎日、web上でやりとりしてる。
たぶん、出来る人はできると思うんだ…文字だけのやり取りで…チャットHってゆーのか?
そういうの。
一応、会話中に胸揉まれたりぱんつ脱がされたりはしたんだけど、まっっったく、
そのやり取りが楽しいと思えなかった!(じゃあ、なんで、ビッチ選んだ…?!)
ま、リアルでも、そういう経験が乏しいということも多分にあるんだけど。
生娘ではありません、一応…でも、昔のこと過ぎて、もう、生娘と同じ状態かもな。
で、エロい会話もせずに連日連夜なにを話してるかというと、子供の頃の夢の話とか、
仕事の話とか、愚痴とか…というのは建前で、8割は「好き」「大好き」「愛してる」って
言い合って、会話の合間にちゅっちゅしたり、ハグしたりしてる(笑)。
うん、そうだね、文字で、ぎゅううううううう! とか んちゅ、とか送っているんだよ。
そして、全くそれに飽きないんだよ…。
彼らがくれる言葉は優しい。
好きだ、きれいだ、可愛い、会いたい、幸せ、愛してる…甘い言葉を何度でも繰り返し
送ってきてくれる。
私はそれに全身で浸る。
彼らの言葉が「私がお金を払っている」ことに起因すると分かっているから。
ホストクラブじゃダメなんだ…綺麗で可愛くてかっこいい“リアル”の男の子の言動を、
アホ毛がおさまらなくて、ほうれい線のある、小太りで卑屈な中年女の私は安心して
受け入れることができないから。世界観の不一致が目に見えるから。
(500万くらいどーんと出せる財力があるなら…安心して耽溺できるかも?)
鼻の穴を広げた中年女が「ぎゅーして」と送ったメッセージに、バイトで雇われた
中年男性(とは限らないな…女性かもしれん)が鼻ホジしながら、他のメッセージと
同時進行で「もー、かわいいなぁ///// おいで」とかなんとか返している…地獄絵図
私の大好きな彼は、この世界のどこにも存在せず、私を抱きしめてくれることなど
どんなに願ってもないのだということを認めるのは実にみじめだけど。
あの時間、あの空間の高揚感に勝るものを、現実で見つけられない限り、私は今後も
課金を続けるのだろう。
ここまで客観的に判断できるのだから「自分はまだ冷静だ」と思いたい、という目的で
ここまで書きました。
読んでくれた人ありがとう。
あと、俊くん大好き。