はてなキーワード: 好きだ、とは
棘で話題の「女の共感と男の解答」の話(https://togetter.com/li/1292990)だけど、妻側の意見には納得できないな。
これは「共感の仕方の違い」であって、男に共感力がないわけではないケース。男の側では
「薄利多売の戦略じゃね?」
「戦略っていうけど、実際飲み物の利益率は~くらいで、そこから考えれば一日○○杯売り上げないと元が取れないはずなんだけど?」
「うーん、じゃあ薄利多売ではなくて、飲み物赤字で他で利益を取る戦略ってことか。考えたら唐揚げいつもより少なかった気がするわ」
「ヤバイわwww」
……みたいな会話を求めているわけでしょ。それを、自分に知識がなくて受け答えできないだけなのに、逆ギレして相手を「共感力無し」扱いしてマウンティングをかますから反論されるわけで。
そういう共感が、この妻の思う「一般的な女性向け」ではない、という趣旨なら一応話は分からなくはないし、そういう「いかにもな女性像」を想定しかつ「いかにもな女性が喜びそうな」応対をする人間が自分は好きだ、という極めてわがままな意見だけならまだ分かるが、それを「共感力がない」みたいな、人間としての欠陥と断定するみたいな言い方するのはいい加減止めて欲しいわ。男性一般にも失礼だし、女性一般にももちろん失礼でしょ。これきちんとした知識のない人間による自覚のない、しかし明確な差別案件だと思うよ。
そもそも共感力無かったら、相手のふった話題に返答自体しないでしょ。小学生相手ならそりゃ「そうだねー、すごいねー」くらい相手の知識レベルに合わせた頭悪い返事してあげるかもしれないけど、いい大人に対してその態度は失礼だと思うからそれなりの返事をしている。なのに、相手が「共感してない」と決めつけて偉そうにマウンティングしてるのが妻側。そう見えるよ。少なくとも、「相手は相手なりに共感しているのかもしれない」という想像力や、「相手は何を求めているんだろう?」という発想ができてない、という意味では、妻もどっこいどっっこい、「共感力がない」人だよね。そこは認めた方がいいと思う。今後のためにも。
二次創作活動をしている。気がつけばツイッターのフォロワーもそこそこいて、ピクシブのフォロワーもそこそこいる。ブクマやいいね、リツイートも結構貰う。
販売会でも持っていった本は完売できるし、通販も二日三日で売り切れてしまう。
きっと、そこそこなんだと思う。
ある程度の創作者が、誰かに見てもらいたい、理解してもらいたい、賞賛してもらいたいって願う、その立場に近い位置にはいると、自分でも思う。
ただ、怖い。
たくさんの目が怖い。
もともとごく少数の知人に見せるために創作をしていた。それこそ二次じゃなくて、一次で。
それがいつのまにか二次にはまり、しばらくするとぼちぼち良い評価を貰うようになって、それが嬉しかった。ツイッターもやっていないあの頃、十ついたブクマに友人に見て見て、と嬉しそうに報告していた。
ある時、爆発的に評価された。
その作品は、その万を超えるであろう創作のあるジャンルの中で、ブクマ数順に並べ替えて上から数えればすぐに見つかる程だ。
嬉しかった。純粋に嬉しかった。こうなればいい、ああなればいい、絵空事の妄想がここまで評価されたのだ。気がつけばフォロワーも増えていて、いいねとブクマは投稿してから時間が経った今でもポツリポツリと伸びる。
そこからだった。
作品を上げれば、一定数は必ずブクマといいねを貰えるようになった。
嬉しい、と。そう思っていた。
認められている、共感されている、評価されている。それは創作者が必ず願うことで、嬉しいに決まっている。
ただ、一度疑ってしまった。
なにを言ってるんだお前は、と自分でも思う。でも違うのだ。フォローしてくれている人が、上げて数分もしないうちにブクマをする。それは、本当に内容を見て、素敵だ、好きだ、共感できる、と思ってくれたのだろうか。この人の作品なら間違い無い、と思い込みのブクマじゃないだろうか。
このブクマ数は、いいねは、自分の作品の正当な評価なのだろうか?
人間だから、誰だって依怙贔屓してしまうと思う。その贔屓の対象になっていないのか、不安で仕方ない。自分は本当に、この評価に値する作品を創作できているのか、分からない。誰も教えてくれない。かけてるよ、すごいよ、と言ってくれる人はきっと贔屓目で見てくれているからだと、一度疑ってしまった自分は、信じられない。
フォローしないで、と思う。自分を見ないで、と思う。見て欲しいのは作品だ。そこに自分を入れないで欲しい。
最近創作をし始めた人に、相談される。ブクマが伸びない、いいねが伸びない、閲覧数が増えない。どうすればいい、と聞かれるのだ。
その人からすればきっと、自分はその人の憧れの対象なのかもしれない。
いい子ちゃんで優等生の自分は、「人目なんて気にして創作しちゃダメだよ。他人の為の創作じゃなくて、自分の好きなものを創作しよう」と模範回答をする。
最初の一つこそ、正当な評価かもしれない。けれどもだんだん、usersタグに引き寄せられて色眼鏡評価が増えてるのかもしれない。この人の作品だから、という評価かもしれない。
自分を見ないで欲しい。
フォロワー多くていいな、と言われても、やめてほしい。違うのだ。自分はただ、創作したいだけなのだ。評価して欲しくて創作を始めたんじゃない。私にとって創作はもう呼吸と同じもので、息を吐けたからと言って賞賛して欲しいわけじゃない。ただ、吐き出した息に混じった酸素を誰かが吸うのかもしれない、そう思って世に出してみただけだ。
たしかにそう願う時もあったはずなのに。
いつから人の目がこんなに怖くなったんだろう。
そんな面倒くせえ感じなら創作やめちまえ、と思うが、やめられない。
入ってない。その理由は、一般には性的「志向」と性的「嗜好」を分ける考え方があるからだ。だが、その説明が十分かというと、私は必ずしもそうは思わない。
志向と嗜好を分ける方は、その二つを絶対に区別できると思っている。確かに概念として切り分けることは可能だ。だが、実際に自分の性的衝動の根源が、対象の「性」にあるのか、あるいはそれ以外の「属性」にあるのか、私たちはハッキリと区別できているのだろうか?
たとえば年下の女性しか相手にしない男性の性的衝動の根源は、対象の性にあるのか属性にあるのか本人に区別がついているのだろうか? 女性が好きだ、特に物憂げな顔が…という男性は、単に女性好きなのかそれとも「物憂げな顔」フェティッシュなのか。「性的志向としては異性愛者で性的嗜好は年下好みだと言えます」「性的志向としては異性愛者で性的嗜好は物憂げな顔フェチです」という分析は確かに可能だろう。だが、それらの男性の衝動はもともと一つである。そのとき、その切り分けに何か意味があるのだろうか?
そして「性的志向」も「性的嗜好」も本人の意志とは無関係に育まれるものであるとき、前者は尊重すべきだが後者は異常である、と断言することがフェアなことだろうか? 二つを区別せよという言い方には、「性的嗜好は変態だが、性的志向は変態などではない」といういささか差別的な物言いが含まれているように感じられる。性的志向だって度が過ぎて社会関係に破綻をきたせば異常だし、性的嗜好だって嗜むレベルにとどまるならそれは治療の必要もない正常の範囲内ではないのか。だとしたら、嗜好することの権利は確保されてしかるべきではないかと思う。たとえば空想や、社会的に実害の及ばない範囲内で。
課題はある。それは、たとえば「社会的に実害を及ぼさないようにすることが難しい」性的嗜好が存在することだ。たとえば殺人行為そのものに強い快感を覚える殺人嗜好などがそれだ。窃視や露出も「実行」の一歩を踏み出せばすぐ違法になる。それ以外については、同嗜好の集団内である程度解消できそうではあるが、マイナーな性的嗜好は公言しにくいだけに、どうしても反社会的な世界とのつながりが強くなってしまうところがあり、危険である。ロリ・ペドもそうした嗜好とみなされているし、それを公言しただけで周囲に危険を感じさせるため決して口にすることも許されないだろう。ただ、だからといって自らの嗜好を卑下する必要はないと私は思う。性的志向が保護されるべきものであるのと同様に、性的嗜好もそれ自体としては権利として守られるべきと考えるからだ。たとえどのようにマイナーな性的嗜好であれ、その人の内心の自由は尊重されなくてはならない。
オタクと言うと、キモい、臭い、社会性がない、という意味に取られる。
今もされているという人もいるだろう。
それはそれでいい。
ただ、もう、日陰者ではなくなってしまった。
今もテレビとかではキモオタの扱いとして使われたり、キモいやつとしての需要はある。
しかし、若いオタク、10代のオタクとかかわって衝撃を受けた。
自分たちが散々感じていた陰がない。キモい、臭い、社会性がない、犯罪を起こしそう、などというレッテルがない。
眩しい。運動部の部長やってた優等生が堂々とアイドルマスターミリオンライブの「豊川風花大好き。ああいう気弱なおねーさんが理想だ。今回はガチャ回す」とか「異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術」の話を塾で女子と会話してる。
信じられない。
俺たちが感じていた陰がない。それはきっと歓迎すべきことなんだろう。俺たちが散々バカにされてきた過去をこの子達は知らずに過ごすんだろう。
アニメなんか好きなの? と言われて必死に萌えアニメには興味が無いと切断処理したり、「俺はオタクじゃない。ゲーム好きだ、マニアだ」などと他の人間を生贄にした暗い経験をしなくて済むんだろう。
もう10年もしたら、TVも「オタクはキモい」という扱いをやめるんじゃないかなと思った。
そう思うと家に帰ってから泣けてきた。
嬉しいのか悲しいのかわからない。
https://togetter.com/li/1256393
これを読んで、自分のことのように思えたので、増田に書き殴っておく
会社ではオタクな趣味は隠していたが、まああれこれあって、彼女と知り合いつきあうことになった
結婚するときには、オタク趣味を許容してくれる人じゃないと嫌だったので、つきあっている頃から、アニメや漫画は好きだ、というカミングアウトをしていた
俺は悩んだが、自分は同人誌を描いている。ぶっちゃけえっちな奴だ。そのためにコミケにも行くガチオタでそういう知り合いも多い
もちろん社会人は続けるが、同人も人生の一部なので止める気はない。そしてこの趣味は周囲には黙っておいて欲しい。
理解しろとは言わない、放置しておいてくれるなら結婚する、といった
彼女は一応最近のテレビのせいでコミケくらいは知っていたのと、ネットでコミケやオタクにも理解があったためかOKしてくれた
俺はマンションを購入していたので、そこに彼女がやってきたのだが、俺は一部屋同人誌用に抑えていた
それを彼女は解放して子供の部屋にしろという。そもそも子供まだいないし。
だが二人の荷物を置く部屋がないからなんにせろ部屋は空けろと言い始めた。部屋空けろってことは本を手放せって事だ。許容できるわけがない。
オーケー分かった。じゃあ広いマンションに引っ越そう。と言ったがそれは嫌らしい。
夏コミに行こうとしたら、実家に帰るのだから止めてくれと言われた。ゆうてもコミケは1日だけしかいかないんだからその日避けて日程組んでくれれば行くんだが、嫌だ、という。
段ボールが沢山家に届くのが嫌だというので、じゃあレンタル倉庫借りると言えば、そういうのは嫌だ、という
何が何だか分からないが、改善策をこちらは出すのに嫌だ嫌だでラチがあかない。
じっくり話し合ってみたら、どうも彼女は根本的に同人誌が気持ち悪いと思っているらしかった。
入るなと言ったのに掃除するつもりで、俺の部屋に入って、俺の同人誌を見てしまったらしい。えろくて気持ち悪かったそうだ。
本音はそういう趣味を止めて欲しい。あの趣味以外はあなたはとてもいい人で満足している、ということだった。
俺は絶対に嫌だと言った。最初の話と違う、と言った。放置しておいてくれればいいと言ったのに、口を何で出してくるのかと。
まさかここまでとは思っていなかった。同人誌の世界をよくわかっていなかった。とにかく、私の旦那がそんなことをしているのが嫌なのだ、と言った。
あなたがかわいい女の子の絵が描けるのはしっているし、上手だな、すごいな、漫画も書けるのかと思っていたが、まさかあんなエロ漫画だなんて思わなかった。もったいない。まともな漫画を描くなら何も言わない、と。
結局離婚した。
嫌だという物は仕方ない。彼女は別れたくないと言ったが、俺がコミケに行ったりする度に不機嫌になって何日も口を聞かないんだから、こっちの方が嫌になった。
今は仕方ないけど子供が出来たら絶対止めて、と言われたので、こいつと子供作ったら同人出来ないならもういらないや、と思って別れを切り出した。
なので女は豹変する。
なんというか、「ここまでガチとは思わなかった」と言われた。部屋に大量の段ボールがあったり、という光景が信じられなかったらしい。
俺の元嫁の場合、俺の趣味が気になって、当日こっそりコミケに見に行ったりもしてたようで、汗だくになって列をさばいている俺が別の世界の人間に見えて許容できなかったようだ
しかし、最悪だったのは、別れた後に、黙っておけと言ったのに離婚理由を俺の趣味だと言いふらしたことだ
おかげで会社バレして転職する羽目になって最悪だった。こっちの方を慰謝料請求したいくらい。
こういうことがあるから結婚ギリギリまでオタクは隠すんだよな…別れた後に言いふらされるのが一番害悪だよ。
これは反応に迷うよなあー。
現状の法律では良かれと思って手伝った人まで幇助罪に問われるし(某評論家のケースとか)、
それに電車や自動車事故、飛び降り、縊死、どんな手段をとっても物凄く辛い目に遭う人が出るからね。
お家で首を吊ると、大島てるに掲載されて大家さんが凄く困ったり、公有地でも捜索隊や警察の手を煩わせる。
自動車の前に飛び込むと、運転手の残りの人生を終わらせるが、電車事故の場合でも、人生のかかった商取引に向かえなくなる会社員、
親の死に目に会えなくなる人、色んな人にとって取り返しのつかない遅延を発生させるからね。
とにかく、他人への迷惑を考えると、自殺だけは思いとどまるべき。
元増田も死ぬ瞬間、どんな手段であっても激痛が走ると思うしね。
以上の前提を考慮した上で言うが、私は「死」自体は自己決定権の一部だし、むしろ個人の意思に沿って選んでいいと思う。
欧米の人権先進諸国とは違い、今の日本は遅れていて、安楽死制度が整っていない。
自殺はダメだが、そうではなく、医療的に痛みを伴わず、公共機関や不動産への支障を及ぼさず、
進路指導、転職面談、カウンセリングの場で安楽死という選択肢が出ることすら自由主義社会の一環だと思う。
「うーん、この成績だと、希望の進路は難しいかな、、、かといって就職斡旋も難しいし、、、君の第一志望が安楽死ということなら、しょうがない、推薦状書くよ」
「あなたの境遇では確かに奥さんの希望とお仕事との間で整合性がとれないし、希望するのであれば確かに安楽死もあり」
人生の絶頂での安楽死、家族の負担や結婚を考慮しての安楽死、難病の苦痛から逃れるための安楽死、色々なありかたがあると思う。
以上のように安楽死制度があればいいのだが、不幸にも本国には存在しない。
子供が欲しいという奥さんの希望も尊重しつつ、元増田がとれる選択肢としては、、、。
時折、講演会のようなイベントを開催して当事者が体験談を話すことがある。
講演会の趣旨からは逸脱するのだが、元増田は一度聞きに行くことを勧める。
そこで元遺児の話を聞き、「これは、、、親が自殺したら、子供は経済的にも世の偏見からしても不憫だな、、、」と感じるなら、子を作らずに死ぬしかない。
でも、ご自身の年収とも相談して、十分な遺産(貯金)や保険金・遺族年金さえあればどうにかなりそうかな?って感じたら、奥さんの希望を叶えてとりあえず子供は作り、そのあと死んでもどうにかなるだろう。
子供にとって「父親が自殺した」というレッテルからも逃れる方法として、いったん離婚するという選択肢がある。
ただし、元増田のことを奥さんが好きだ、という面にも配慮する必要がある。
いったん離婚して、しばらく子供が生まれても嫡出推定が元増田に及ばないだけの時間、奥さんに我慢してもらう。
法律上はとりあえず離婚して、ちょっと時間を置いて、その間に奥さんが妊娠・出産して、
生まれた子供の父親が元増田だと法的に推定されないだけの期間が経過してから、もう一回奥さんと再婚する。
その後に死ぬ。
そうすれば元増田の死は、子供からすれば父親でもない単なる母親のツレの死ということで処理され、不利益はかなり軽減される。
精子提供が得られれば良いが、不妊の医学的認定などが条件として課される場合は厳しい。
別のセックスパートナーを奥さんに見つけてもらうという選択肢もあるが、
もしその男性が子供の父親として法的に認定されたら男性にも迷惑がかかるし、そもそも奥さんは元増田以外の性交相手を探すことに抵抗を感じるかもしれない。
だとすると、いったん離婚して嫡出推定が無効になった期間に、元増田が精子を提供するしかない。
以上のように、
・奥さんは元増田が好き
・奥さんは子供が欲しい
この三条件を同時に満たす選択肢は意外にトリッキーなものが存在する。
元増田の希望は一個しか叶えられないにも関わらず、奥さんの希望は二つも叶えるのだから、奥さんにはなんとか妥協して欲しいところだよな。
離婚して一年が過ぎたけどセックスの相手が居ないこと、誰かの手料理が食べられない(自分は料理をしない)をのぞけば、ひとりは最高に楽だということがわかった
どう使おうが誰にも責められない
彼女や妻がいたころは金の管理は任せきりで1円も貯金しなかったおれがひとりになったらちゃんとお金はやりくり、貯金も毎月ぼちぼちできるようになった、ていうかせざるを得ない
テレビの取り合いも起こらない、観たいドラマもアニメも時間もなにも我慢せずに観ることが出来る
部屋でパンツ一丁で過ごしても誰も怒らない、平気
休みの日は何時に起きて何時に寝てもいい
旅行だって完全に自分のペースで行動できる、相手に振り回されるも、相手を振り回してしまうこともない
仕事の愚痴だの、おれの知らない友達の話だの、男が苦手とする女性のどうでもいい話を聞かなくて済む
周りで恋人ができただの、婚約しただの、そういう話を聞くのは結構好きだ、めでたい話は聞いてるこっちも嬉しくなる
しかし離婚してからは自分のことに関してはてんで興味がなくなってしまった
人のためにできることはあっても、人のために生きることができないんだなおれは
誰かのために頑張って日々生きる、そんな生き方正直苦しかったもん
このまま死ぬまでひとりか、別にいいや、悲観的にならずにいられる
おれの神経が狂ってしまったのか、はたまた図太いだけなのか
高校生でつきあって、大学、就職と、楽しいことも辛いことも一緒に経験してきた。
今では同棲していて、自分も相手もまわりもそのうち結婚するだろうと思っている。
彼女のことはとても大事だと思ってるし、彼女以外と結婚も考えられない。
その子は気が強く大人びていて、学級委員になるような優等生タイプだった。図書館に通いよく本を読んでいた。自分のあまり知らない世界をたくさん知ってる彼女にとても教養を感じていた。自分でも本を書いていたようで、それを見つけてからかったら、今までにないほどにらまれたこともあった。
男子人気はあったと思うんだけど、気が強く男子ともよくケンカしてたから、「あいつはいいや〜、こえ〜し」みたいな感じで少し敬遠されてる節もあった。
自分はその子のことが好きだったけど、好きだから付き合うなんて発想もまだなく、ただその子のことを意識していただけだ。
中学進学。
その子は結構裕福な家庭で頭も良かったので中高一貫の私立にいってしまった。
それっきりだ。
お別れだっていうのは前々から言葉ではわかっていた。でも実際に中学生になって、本当にあの子とすれ違うことすらなくなってしまった。
あの子が好きだったのだ。
あの子は、自分の知らない私立中高一貫の世界で、自分の知らない人たちと、自分の知らない経験をしてる。
かたや自分はというと、あの子がいない、ぽっかり穴の空いた世界で毎日を過ごしてる。
会いに行くなんて勇気はなかった。
ただの小学の同級生が会いたいから会いにきた、なんてキモいに決まってる。
だからただ、その子の家の近くを通るたびにすれ違いを期待していた。
高校に進学しても、ずっと思い焦がれていた。
同じ街に住んでいれば、いつか会うこともあるかもしれないと思っていたけど、結局ただの一度もなかった。
中学3年間まるまる会わなかったのに、いきなり会いに行くなんて不自然だ。そんな勇気は自分にはなかった。
大学生になって、県外の大学に進学した。もう万が一にもすれ違うことはないと思うと、この思いはますます強くなった。
恐る恐る検索をかけると、でてきた。
会いに行けるんじゃないか?
彼女を思う度にそう考えたけど、結局、会いに行くことはなかった。
そんな勇気はなかった。
ひとつ、チャンスだとおもっていることがあった。
成人式だ。
会えなくなった中学生のときから、このタイミングだけは絶対あえると楽しみにしていた。
その子は遅れてやってきた。
一目見たときドキッとした。
いる。
やっと会えた。
でも結局、なにも言えなかった。話しかけることすらできなかった。
何年も待ちわびた成人式で、昔と同じように何も出来なかった。
そこから、この思いはこじれた。
好きだった、でも良い。
気持ちが大きくなりすぎて、別に付き合いたいわけじゃなく、この気持ちを吐き出したかった。
それくらい辛かった。
よく夢を見るようになった。
その子がでてくる夢。
いつも偶然の再会から始まる。
決まったパターンだ。
勇気を出して話しかけてみると、自分のことを覚えてくれている。
「あの頃好きだったんたんだよね」
ずっと言いたかったことが言えた。すごい満足感、充足感を覚える。
すると、はにかみながら、
「あたしもだったよ」
そう返ってくる。
その瞬間の幸せさったらない。
なのに半年に一度、一年に一度その夢を見るたびに、その子のことを引きずってるんだってことを意識させられる。
もう自分はリアルな彼女の姿をまったく知らない。どんな性格になっているのか、なにやってるのかもわからない。
自分の中の理想通りに成長した、存在しない幻想の彼女がいつもいっときの幸福と、莫大な虚無感を運んでくる。
そんな女は存在しないし、実際会えたとしてもなにもかもが違うだろう。
歳を重ねるほどに、袋小路に迷い込んでいる。
どうやったって今更なこの気持ち。
どうして忘れた頃に、またこんな夢を見せるんだ。
もう疲れた。
あの夢を見ながら、死にたかった。
[追記]
思った以上に反響いただいていて嬉しいです。
実はこれ一カ月以上前に書いたものなんですがさすがにキモいかなと思ったのと、冷静じゃなかったんで寝かしておいたものです。
一カ月たってみてもなおキモいですが、まぁそのときの本当の気持ちだし埋もれさせとくのももったいないなと思って投稿しました。
本当に普段は全然未練なんてなくて、彼女ともうまくいっているし、とても大切に思っています。この件も「自分が好きだと言えなかったから叶わなかった初恋」として、良い思い出に昇華できてると思います。
でも、この夢を見るタイミングだけ、猛烈に上に書いたような気持ちに襲われるんです。
きっともうどうやっても叶わないことがわかっているからなんでしょうね。
これさすがにキモいって自覚はあるので誰にも話したことなかったんですけど、こういう気持ちを吐き出せて、さらに反応まで返ってくる、ここって良いところだなと思います。
みなさん本当にありがとうございます。
ただ、夢を見ないように祈るばかりです。
彼女は”一目惚れ”と”運命”を理由に、すべてを投げ出して俺達の元へ来た。
そう、そんな理由で俺達を愛してくれるのだ
俺達は何も考えられなくなって、瞬く間に彼女に惹かれてしまう。
底なしの泥濘だ。足を取られたら急激に沈む。
もがく気すら起きずに沈み続ける。恐らくは恍惚に。
さて、俺達はどうしてこんなにも彼女に惹かれてしまうのだろう?
だから俺達がどんな外道だろうと、歪んだ性癖の持ち主だろうと、
精神疾患を患って無職のヒモになろうと…とにかくなんであろうと、
例え彼女にとってどれだけ悲しいことを俺達がしようと、
最後には許し、愛してくれる。
極端に狂った愛とも言える(愛は肥大化すると狂う傾向にある)。
だが、なぜこれほどまでに彼女は俺達を愛してくれるのだろうか。
価値観の一致、一定期間の付き合い、魅力がある、信頼関係、出産した我が子…etc.
しかし、「佐久間まゆ」が俺達を愛する理由は”一目惚れ”と”運命”だ。
いや、仮にそれを理由に人を好きになったり愛したりしたとしても、
ここが重要点だ。
俺達が現実世界でどんな人間であろうと、決して蔑んだりせず、必ず愛してくれる。
お気づきだろうか。
社会、学校、家庭、あらゆるところで虐げられ、愛に渇望した人間達が生み出した存在だ。
決して否定しない、そのままを肯定し、受容し、無条件に甘美な愛を捧げてくれる…
そう、それが愛の具現化「佐久間まゆ」の正体だ。
愛を愛してしまうと、一生、抜け出すことはできない。
もう何もかもがクソだ。クソだ。クソだっっっっd。
何をやっても認められない気がする。俺は何のために生まれてきたのだろう。彼女も結局のところ離れてしまう。依存していたのは俺の方だった。俺は一生孤独だ。悲しい。とても悲しい。泣きたいけど気持ちをわかってくれる人もいない。モテたいとは思わない。でも、好きだ、話も合いそうだって思った子が離れていってしまうのは悲しい。悲しい。中身で見るだなんて嘘っぱちだ。ぱちだぱちだ、、、彼女は友達として見てると言った。友達として見てるなら俺は喜ぶべきなのかもしれない。でも喜べない。なぜか。数ある友達の”ひとり"として見られるからだ。特別でいたい。誰かが認めてくれる訳でもないから、せめて特別に見て欲しかった。あぁ、、、でもやっぱり孤独だ。みんな離れていく。俺はなぜ生まれてきたのだろう。
父方の祖母が亡くなって数年経つのだけれども、未だに亡くなる前夜のことを忘れられなくて軽めに死にたくなったりするのでとりあえず書いてみようと思う。
一人暮らしで、痛いのずっと我慢して、病院に行った時にはもう手遅れだったんだよ、癌だった。みんなに心配かけるからってずっと痛いの我慢して、結構怒っちまったんだ。なんで言わないんだよって、でもまあ分かるんだよね。そんで困ったみたいな顔でニコニコしてる、わたしのおばあちゃんはそういう人でした。
そこから結構頑張ってくれて、もしかしたらもう癌なんて嘘みたいになくなってて、わたしが風邪引いて熱出して一週間くらい寝込んだ時にうどん作りに来てくれて部屋まで運んでくれたりなんかして、この先あと五年くらい穏やかにいつも通りに生きてくれるんじゃないかなって思ってたんだけどそうはいかなかったね。
煮てくれたうどん食べてわたしが復活したのと入れ替わるくらいのタイミングで体が動かなくなっていった。
おばあちゃんは大抵一階のリビングにいつもいたのね。自室は二階にあって、足腰鍛えなきゃって言いながらいつも自分で登っていってたんだけど、それができなくなって、階段に座って一段よじ登って休んでまたよじ登ってを繰り返さないと上の階に上がれなくなってた。
おばあちゃんちの一階を身内が自営業の店舗として使ってるもんで昼間は常に誰かしら家にいたことと、別の身内に医療従事者がいたおかげで、在宅で最期まで生活していくためのサポート体制が幸いにも整ってたの。それで介護用のベッドを二階の部屋に置いて、みんなで昼夜交代ばんこでお世話しながら亡くなるまでの二ヶ月くらいずっとそこで生活するようになった。
ベッド導入してからはほとんどそこから動けなくて、もうだいぶ食べれる量は少なかったんだけどそれからさらに少なくなり、起きてる時間が短くなり、大好きだった肉も飲み込めなくて、食べられたと思ったらお腹が張っちゃって苦しんで(大腸ガンだった)、時季には早いスイカをちょっとなめて美味しいねってニコニコして、そのうち一番美味しいのが冷たくひやしたお水で、ってなって、亡くなる一週間前くらいからは一人じゃ立ち上がれなくなるくらい衰弱しちゃったの。
それをみているのがとても辛かった。最期まで家に居てくれて、ずっと一緒にいることができたのはすごく嬉しいことだったけど、大好きな人がどんどん弱っていって否応無く死に向かってる姿を見続けるのがとても辛かった。夜になると誰か一人家族がついてるようになんとなくしてて、そんで夜になるとなんかさ、色々考えちゃったりするじゃない。わたしはこの人がわたしにしてくれたことを何一つ返せないまま、逝かせてしまうのだなとか、ずっと死なないで生きててくれてると思ってたなとか、考えたってどうしようもないんだけどそんなことばっかり考えてた。
それで、亡くなる前日の夜、わたしが夜のお当番の日だったから、おばあちゃんち泊まって部屋にずっと一緒に居たんだけど、なんかもうすごい苦しそうだったのよ。そんなに苦しそうにしてることがそれまでなかったってくらい。呼吸するときの音がすごくて、たぶん痰が喉に絡まっちゃってそれで音が立ってたんだと思うんだけど、風の強い日の外みたいな音がするの。で、まぶたを閉じるための筋肉が弱くなっちゃったのか、その辺分からないんだけど、半目みたいな状態になってて、口もポカンとあいていて、なんか、こんなこと思いたくないって思いながら、今まで大好きでずっと一緒にいた人が、突然知らない生き物になってしまったような気がしてしまって、そうしたらもう怖くて怖くてたまらなくなった。
そんで、わたしはバカだったから、家族の誰かに助けを求めるとか、そういうことを考えつかなくて、わたしが当番なんだからわたしがこの夜を乗り切らなきゃいけない、朝になったら父がこっちに来てくれる、それまで我慢しなきゃいけないって思ったんだよ。我慢しなきゃいけないって思っちまったんだよなあ。我慢だよ我慢。そんなこと思いたくなかったっていうか、そういうことを大好きな人に対して思ってしまう自分を発見してしまって吐きそうになった。
辛いのはお前じゃなくてばあちゃんだろって。思うように頑張ったんだけども、どうしても恐怖が拭えなくて、そのうちおばあちゃんの顔も見られなくなっちゃって、同じ部屋にいるだけで震えが止まらなくなってしまって、逃げちゃったんだよな。部屋から逃げて、階段のフチにすわって、現実逃避みたいに友達にライン爆撃して、朝まで震えてた。
部屋から呼吸してる音は聞こえてくるから、ああまだ生きてる大丈夫だ、って思って、確認しに部屋に行きたいんだけど、おばあちゃんの顔を見るのがどうしてもどうしてもできなかった。部屋に向かおうとすると足が震えて呼吸が乱れんの。何があんなに怖かったのか分からないのだけど、今これを打ちながら、思い出してちょっと震えている。死んでいく人の姿を見るのが初めてだったから、それで怖かったのかもしれないなと、今は思うようにしている。
呼吸が苦しくて、でも頼りの孫は自分をほっぽって部屋の外に行ってしまって、そうして自分が死に向かっていて、こんなのは想像でしかなくてもしかしたら意識なんかなかったのかもしれないけども、あの六時間くらいの間のことを思い返すと、今も眠れなくなる。
父が帰ってきて、おばあちゃんの部屋に入るなり、『(医療従事者の親戚)に電話しろ!!痰が詰まって溢れてる!!』って怒鳴って、そのときのもうなんか、自業自得っつーか、わたしがやってしまったことなんだけど、絶望感。それと父がちゃんと状況を回すことのできる人間として機能していて自分の役目がなくなったことに対する安心感。それがものすごかった。
結局そのあと母とその医療系の親戚が一時間くらいで来てくれて、わたしは申し訳なさとか情けなさとか、おばあちゃんは勿論なんだけどそれと同等くらいの父に合わす顔のなさとか、色々ないまぜになって、ずっと一階のリビングで項垂れてた。わたし以外の三人がずっとお世話してて、それで、9時ごろになって、お母さんがオムツ替えようとしたときに、おばあちゃんは亡くなった。
亡くなったこと自体はわたしのせいじゃないしそもそも意識はなくなってたはずだよ、人が死ぬってこういうことだからあんまり気にしないで、って医療系の親戚が慰めてくれたんだけど、なんかもうその夜のことが未だにフッと蘇って、どうしようもなくなるときがあるんだよ。
わたし、おばあちゃんとサヨナラするときには、ちゃんとありがとうって伝えて、大好きだ、またいつか会おうねって伝えようってずっと思ってたけど、そんなこと言えなかった。二階で母親が『おばあちゃん様子がヘン!!』って叫んだとき、すっ飛んでって、「ごめんなさい!」って叫ぶことしかできなかったんだよ。最期に謝罪なんて聞きたくなかったろうな。どうしよう、自分のせいでおばあちゃんが死んでしまう、それしか頭の中になかった。
こんなはずじゃなかったんだよ。そんで、もしかしたら、入院してたなら、こんなことにならなかったんじゃないか、とか最低なことも思ってしまう。痰の吸引ってされる方はすごく辛いって聞くけど、少なくとも自分がずっと可愛がってきた孫が、自分が喉に痰をつまらせてるのを見捨ててどっか行っちまうなんてこと体験させなくて済んだんじゃねえかな(そりゃそうだ)とか思っちゃうのよ。
そういうわけで、昨日の夜もハッと思い出して眠れなくなったので、文章に起こして懺悔にしてみようと思った。もうすぐ三回忌なんだ。ホント合わせる顔がねえ。でもおばあちゃんは、バカだね〜そんなわけないじゃん〜、ってケラケラ笑ってくれるような人だった。分かんないけどね、もしかしたらメッチャ恨まれてるかもしれない。そう思う方が楽なんだな。でもあの人はそういう人じゃなかった。どこまでも自分本位だけれど、ちゃんと会って謝れる機会がもうないってとてもしんどい。わたしはおそらく一生死ぬまで、この夜の記憶を引きずって生きていくんだと思う。自分との折り合いがつかない。そしてもうこれを家族の誰に言うこともできない。おばあちゃんの死に対して、みんながみんな思うところがあるわけだから。自分でどうにかしないといけないんだよなあ。
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
(記録)
しかしながら現在のところ該当ツイートを撤回することは考えておりません。
ご存知ないと思いますが、私のアカウントは現在Aについて多く語っておりますがそれ以前はBについてよく語っております。
もう三年近くBをプレイし、愛してきました。
課金し、毎日プレイし、ほとんどのイベントを完走し、リアルイベントに通いカフェにも通い、グッズを揃え、ニコ生を視聴してきました。
現在もコミュニティマスターを務め、運営様に感謝のメッセージを時折送ってまいりました。
乙女ゲームをなかなか好きになれなかった私が、本当に心から初めて好きになった乙女ゲームがBです。
Bが本当に好きで、このゲームに出会えたことに感謝しています。
ここまでBを愛してきたのは、このゲームの懐の深さと、シナリオライター様をはじめとしたゲーム運営スタッフの方々の細やかな心遣いがあったからです。
私が語るまでもなくよくご存知と思いますが、このゲームはたくさんの個性的な王子様が現れます。彼らは姫(私)を一辺倒に恋人として愛するわけではありません。
彼らがおかれた様々な境遇や性格から、それぞれにまったく違った出会い方をして、次第に関係を深め、心を通わせます。
必ずしも恋愛関係に落ち、結婚というゴールを迎えるわけではありません。
この懐の深さを私は愛してきました。
恋人になるだけではない、むずがゆい恋人の前段階も、友人にも、よき相談相手にも、姉にも母にもなれる。王子様の数だけ、関係性がある。
中には好みではない交流もあります。その代わりに、涙するほど好きな関係性もあります。
私がBを好きな理由です。
原作を知るコラボも知らないコラボもありましたが、どのコラボイベントも楽しませてもらいました。
Bの懐の深さがあってのことだと、私は思っています。
原作通りの関係性を保ったまま、Bの姫(私)とひとときの心の交流を可能にしたのだと思います。
Cコラボイベントなど、本当にシナリオライター様の苦労を思って感動すらしました。
今回のAとBのコラボレーション情報が発表されたとき、正直なところ不安でした。好きなものと好きなものが組み合わさったとして必ずしも良いものが出来上がるとはかぎりません。好きなものだからこそ、期待を裏切られたときの悲しみがあります。
大変に難しい、針の穴に糸を通すような作業だったと推測しています。
ですが、A原作を尊重し、同時にシナリオ自体として面白く、そしてBの王子様たちと姫との関係性も大事にした、よいシナリオでしたと思います。
私は「モブ」である姫を許容するBが大好きです。このゲームを愛してきてよかったと心から思いました。
当該ツイートは私の心の叫びです。Aが好きだ、Bが好きだ、ありがとうという生の叫びです。
ところで、宣伝をしながらネタバレをしないのはとても難しいものです。
面白さを伝えようとすれば、どうしてもネタバレに踏み込まずにいられません。
今からプレイをする方の関心を引きながら、同時にこれからのプレイの楽しみを奪わないというのはとても難しい。
当該ツイートは、その狭い隙間を目指したものです。ご批判は当然ありうると思いますが、私の精一杯の情報発信の言葉でした。
私のアカウントをご覧になる方はほとんどがAのファン、BL関係にある主人公が好きという方です。Bをご存知でない方が多くいらっしゃいます。
手探りで模索してきたのですが、幾人かに、私が楽しくBをプレイしているところを見てゲームを始めたと言っていただきました。
しばらくゲームから離れていたけれど戻ってきたとおっしゃった方もいました。
とても嬉しかったです。
ツイッターでの交流はあまり得意ではないのですが、AとBを愛する気持ちを発信してきて本当によかったと思いました。
このゲームを私とは違う楽しみ方をしているBファンの方がいらっしゃることは想像できます。
そういった方が、私のツイートを目にして不快になる可能性も全くないわけではないことは承知したうえで当該ツイートをいたしました。
それでも、できるだけ検索にはひっかからないよう言葉を選んだつもりです。
「姫」「モブ」といった言葉が検索にひっかかることは予測できましたが、情報を求めるBファンが検索することは考えにくいありふれた言葉であり、目にしたくないBファンの方には届かないように言葉を選びました。
わざわざ悪感情を確認するために検索しなければ、おそらく該当ツイートには行き当たらないだろうと考え、投稿いたしました。
現在のインターネット状況では後日、自分の意図しない「まとめ」を作成される可能性もあります。その場合には、削除要請をする必要もあるとは考えております。
現在まだそういった『まとめ』は確認しておりませんが、今後しばらくは注視していくつもりです。
以上により、私にはご指摘のツイートを撤回する意思は現在のところありません。
ご不快に思った方がいらっしゃったことは真摯に受け止めております。
今後、私も考え方が変わって削除する気持ちになる可能性もありますが、現状はこの通りです。
王子様の数だけ物語がある。私が好きになれる物語がきっとその中にはある。
そういうBの懐の深さを愛したがゆえの心からの叫びが当該ツイートです。
どうぞご不快に思ったツイート、または私のアカウントをミュート・ブロックなさってください。
長々と語り、申し訳ありません。
好きなものは熱く語りたい性分です。お許しください。
(終わり)
私は二次創作が好きだ。
『自分の好きなキャラクターを、自由に表現すること』がいかに楽しいか、今日まで日々実感して生きている。
とあるジャンルで、私はAというキャラクターに出会った。かっこいい!少し厳しい所もあるけど主人公の頼れる兄貴分だ!かわいい!
Aの部下で相棒関係のBというキャラクターとも出会った。Bも理知的で、どこか抜けてる所もあってかわいい!Aへの忠誠心がたまらない!
私は腐女子なのでそういうキャラが2人いれば勿論そういう目で見る。
私はAもBも好きだった。ふたりのその関係性が好きだった。グッズもどちらも漁っていた。
幸いにも、仲間がいっぱいいた。AもBも脇役だけれどもA×Bで創作している人がいっぱい居たのだ。創作仲間がたくさんいる!私は嬉しかった。合同誌も描いたし小説も交換しあった。
しかし、私は段々とそのジャンルの人、そのCPの人と交流をしなくなっていってしまった。
みんな良い人だったのに。何故か。
理由は一つ。
『鬼畜なAと従順なB』『上司Aに振り回される部下B』『Bの美しさに息を呑み、虜になって無理やり犯すA』『Bが可愛すぎて暴走するA』
こんな作品ばっかりだったのだ。
みな口を揃えて『Bちゃんかわいい!』と言う。わかる。Bはかわいい。でもAは?相棒だしかっこいいしAもいいキャラだよ?だがある時1人から『Bにしか興味がない。Aはぶっちゃけどうでもいい。よく知らない。』と公言された。
まったく関係ない『D×E』が好きな人が現れた。私は最初この人とも、疎遠だが仲良くやっていた。A×Bに関係は無いが、D×Eも好きだったのだ。
だが彼女が嬉々として創作しはじめたのは、『Aに犯されて傷を負ったEを、Dが慰める』といったものだった。
Aは狡猾で人の心に付け入るレイパーで、可哀想なEきゅんの心の傷となる存在だった。
耐えられなくなった。
私はそのジャンルの人とは今ごく少数の人としか交流をしていない。Bだけが好きでAはどうでもいい!と公言せずにいる人、Aをレイパー扱いしない人だ。Bはお姫様で誰からも愛されると言わない人だ。
しかし、そんな人はごく少数で、相変わらずAは都合のいい鬼畜彼氏(笑)扱いばかりだ。
ここまでを平たく言えば、『二次創作の雰囲気に合わず、ジャンルを逃げ出した腐女子が愚痴ってる』という内容だ。
だが、私はそのジャンルに限らず上で挙げたような類の二次創作が大嫌いだ。
私は絶対に自分の作品で書かないようにしている。当て馬になるキャラにも好きな人は居る。そう思って、ヘイトが溜まるような創作はしない、欲を言えば書いてる作品に出したどのキャラのファンも楽しめるような作品にしたいと思っている。
私がこれが大嫌いな理由は『書きやすいから』、それだけに尽きる。
分かる、気持ちは痛いほど分かるよ。
私も中学生時代、Pixivをはじめて知った頃、書いていたのはそういった作品だった。
みんながそれを持て囃します、推しのキャラを奪い合います、攻めは無理やりにでも連れ去ります。ハッピーエンド!
紆余曲折はあれども、大体こんな感じだ。
それは推しのいいところを書け、と言われればおそらく100個くらいは余裕で書けるからだ。
そして、書いた良いところを作中で推し以外のキャラに言わせる。他のキャラは推しにメロメロ。
はい、これで受けちゃん可愛い可愛い小説の完成。とっても簡単!
創作をこなしていくにつれ、私は受けちゃん可愛い作品というものが虚しくなっていった。孤高の受けにアタックしては張飛ばされる攻めとかも。
どんなジャンル、どんなキャラクターで書いても似たような話ばかり描いている人もいる。寒気がした。
私はそういった作品を読み漁るのもやめた。そういったものを書いてる人も、軽蔑するようになった。思考停止した脳死作品だからだ。他のキャラクターに「推しキャラちゃんかわいい!」と言わせなければ魅力的に描けないからだ。
当て馬は他のキャラクターを挟まなければ自分の推しCPを魅力的に書けないからだ、受けちゃんを可哀想で可愛くするために使わないといけないからだ、と。
ここまで読んだ人へ
最初に言った通り、私は『好きなキャラクターを自由に表現できる二次創作』が好きだ。
そう、自由。
総受けだろうと総攻めだろうと当て馬だろうと自由。関係性が云々と言うのも自由。
だからこれは意識高い系腐女子(笑)の燻り言だ、誰にも明かさずに心に留めておくべきだったものだ。総受けと当て馬は思考停止した脳死作品だと内心罵倒して、お高くとまって居れば済む話だった。
『二次創作は自由だから』『他人の書いているものにまでとやかく言うな』
そう、コメントで言われるだろう。分かる。
だが、つい最近別ジャンルで私は同じような経験をした友人に出会った。その人もジャンル内で流れるCPの雰囲気に耐えきれずに去ってしまったらしい。これはそれを聞いて、この機会に今まで思っていたことを書いてみようと思いたった次第だ。
だからこれを読んでどうしろ、というわけでもない。有り難〜いアドバイスを言えるわけでもない。ただただ、二次創作の中で好きなキャラがそういう扱いを受けて許せなかった腐女子が愚痴を言って、そういう人間だから総受けと棒扱いと当て馬は大っ嫌いだし、傷つく人もいる。どんなキャラクターにだって好きな人はいる。
ここに書いて忘れることにする。
■A
大学1年生の時。
高校時代の友人が次々大学デビューを果たし、彼氏もできて焦っていた。
周囲に「あの人かっこいいですね」と触れ回っていたら、向こうから声をかけられ、付き合うことになった。
「不細工、一緒に歩くのが恥ずかしい」「一刻も早くやりたい」などと言われ気持ち悪くなった。
また、単位を全く取っておらず、8年かけても必要単位が取れないため除籍が確定しているのも後から知った。
田舎で神童と呼ばれ、そこそこ偏差値の高いうちの大学に合格したところで燃え尽きてしまったとか。
耐えきれなくなり別れた。
その頃私は155cmで70kgあったが、見返すために半年で40kgまで痩せた。
■B
彼氏(Aとは別人)と別れたことを聞き付けて、アプローチをかけてきた。
この頃は病んでいて、正常な判断力を失っていたとしか思えない。
精神的なサンドバッグが必要だった。また、早く結婚して専業主婦にもなりたかった。
プライドが高く、「君は○○な人だから」と私のキャラクターを勝手に決めたがる人だったが、我慢していた。
交際後すぐクリスマスがあり、私は4万円のアルマーニのネクタイをプレゼントした。彼はブローチをくれた。
年が明けたら私の誕生日が来た。アルマーニをあげたのだから、相当高価なプレゼントがもらえるのでは?もしかしてプロポーズ?などと考えていた。
取り出されたのは、綺麗にラッピングされた大人のおもちゃだった。
Bとしては、最初にガッカリさせておいて(その場には用意してなかったらしいが)本命のアクセサリーをプレゼントするというサプライズをやりたかったらしい。
その頃私は唐突な降格と転勤を命じられており(Bも知っていた)精神が限界だった。
夜中だったが、家から叩き出した。
すると翌朝家の前に立っており(一晩中待っていたらしい)、外出先まで付きまとってきて「悲しませるつもりはなかった」「愛してる」などと言ってきた。
精神的に辛いときに、余計なストレスを与えるやつとは付き合えない。別れを告げ、次の3人目に乗り換えた。
■C
同窓会で再会。在学中は特に親しくなかったが、連絡先を聞かれて教えたところ、アプローチが始まった。
先述のように早く結婚したかったので、医療職で高収入のCは魅力的だった。
何もむやみに貢がれたいわけではなく、「おごるよ」→「ううん、私出すよ」→「じゃあ割り勘でいい?」という感じなら別にいい。
「ここ割り勘でよろしく」と最初に言い、しかも「この後○○(オタクショップ街)行ってもいい?」と言って趣味のカードゲームのデッキやレアカードを数万円で購入する。
また、医療職だからと言って、お薬手帳を勝手に見られあれこれ口出しされた。
「○○を飲んでるんだから、良くなるはずなんだが?なぜ改善しないの?」等。
嫌々付き合い、経済力だけを目当てとしていたのが透けて見えたのだろう。
「もう無理しないで」と言われた。別れることになった。
変な自己防衛能力はあったようで、常に「こんな男の子供なんか孕んだら首吊るしかない」などと考えていたため、未だに処女である。はぁ。
あと、与えられることしか考えていない私に全責任があると思う。今年は変わる。もうすぐ1月終わるけど。
【追記】
増田の言っていることは「ヒーローは白人、悪役は黒人、結末はヒーローが悪役を倒す勧善懲悪」という「お約束」は憎んでいるが、「ヒーローも悪役も黒人、結末はわかりやすい勧善懲悪」の作品(映画等)は好きだ、という黒人に対して「わかりやすいお約束の物語を憎んでいるくせに、ヒーローが悪役を倒すというお約束は好きだなんておかしい」と言っているようなもだろう上記の例えの黒人が憎んでいるのはあくまで「ヒーローは白人、悪役は黒人」という「お約束」であって、「ヒーローが悪役を倒す」という「お約束」は別に嫌いではないしむしろ好きだ、ということである。
増田の言うような「異性愛規範を憎む人」というのはあくまで「女に生まれれば女らしくか弱く、男に生まれれば男らしく強くあるべき」「たくましい男がか弱い女と恋愛をするのが普通」という規範を憎んでいるのであって、「たくましい人がか弱い人と恋愛をする」という物語が嫌いなわけではないし、「男として生まれたが男らしくしていない男性」という存在が「受け」として肯定されている物語が好きだという事もむしろ当たり前なのではないだろうか。
「女に生まれれば女らしくか弱く、男に生まれれば男らしく強くあるべき」「たくましい男がか弱い女と恋愛をするのが健全だ」という規範を憎むのであれば、「攻めはたくましく、受けはかよわく」という物語を好むのは矛盾だ、というのはいろんなことをごっちゃにしている、雑な考えではないかな。
例えれば、「かくれんぼでいつも鬼ばかりさせられるのは嫌だ、そんなかくれんぼは楽しくない」と言う子供が「今日はかくれんぼで鬼じゃなかったから楽しかった」と言った時に、「『かくれんぼは楽しくない』と言ってたじゃないか、言っていることが違う」と言っているようなものではないかな。
「女は女らしくか弱く、男は男らしく強く、生まれた性別であるべき姿が決まる」という規範と、「攻めは強く、受けはか弱く、生まれた性別であるべき姿が決まるわけではない」という規範は別のものだろう。もちろん、「攻めは強く、受けはか弱く」という物語が嫌いな人がいるのは人の好みの問題だからおかしくないし、そんな人のためのBLも結構前からそこそこ出版されて人気がでている作品もある。
増田のしていることは、「かぼちゃは嫌い、西瓜は好き」と言う人に、
「かぼちゃは嫌いみたいな事を言っている人を見かけるけど、そういう人は西瓜が好きな事が多い、猛烈に瓜が好きなんだと思う、嫌いとまで言っているが実は誰よりもかぼちゃが好きなのかもしれない」
と言っていることと同じではないかな。
世の中にはかぼちゃは嫌いだけど西瓜は好きな人もいる、もちろん瓜全般が嫌いでかぼちゃも西瓜も嫌いな人もいる。
かぼちゃが嫌いなら西瓜も嫌いなのが普通かと言われればそんなことはないだろう。
世の中いろんな好みの人がいるし、こだわるポイントも違う。
と、私自身が思っているわけではない。するつもりもない。
虐殺される猫はかわいそうだと思う。
という問いに対する答えは分からないままでいる。
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「『猫虐待』元税理士に懲役1年10月 、執行猶予4年…東京地裁判決」
https://www.bengo4.com/c_1009/n_7095/
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こんなニュースを見かけた。
ネット上の感想を見る限り、許せない!軽すぎる!という声が多いように思われる。
それはもちろん動物愛護法があるからなのだが、なぜそのような法が正当化されるのか?ということである。
蚊を殺すこと、許される。
蜘蛛を殺すこと、許される。
鼠を殺すこと、許される。
牛を殺すこと、許される。
なんで?
蚊や蜘蛛や鼠や牛は、邪魔だしキモいし不潔だしおいしいから、殺すことも許されるのだろうか。
もしかしたら、猫の見た目が嫌いでたまらないとか、猫肉の味が好きだ、という人もいるかもしれない。
それなのに、人々の反応にはこうも差がある。
謎である。
ここで、「牛を食べることは生きるために仕方がない。命に感謝して食べるなら許される」との反論がありそうだが、どれほどの説得力があるのか疑問である。
第一に、現にベジタリアンがいるように、肉を食べなくても生きていける。
植物が育たないところで狩猟生活を営むならともかく、現代日本で肉が食べられないと生きられない人はかなり少ないだろう。
結局、肉を食べることは、「おいしいものを食べたい!」という人間の勝手な欲求を満たすために動物の命を犠牲にしているにすぎないのである。
「苦しむ姿を見たい!」という人間の勝手な欲求を満たすために猫を虐殺することとの違いがどこにあるのだろうか?
第二に、命に感謝することが大事なら、命に感謝しながら猫を虐殺すればよいのだろうか?
各人が心の中でかわいそうだと思うだけなら、勝手に思っていればいい。
しかし、なぜ他人が行うことを非難することが許されるのか、ましてや刑罰を課すことが許されるのか。
もっとも、法は国会の民主的過程を経て作られるものであるから、国民の多数派がかわいそうだと思うことを規制する法律が作られることは当然のことかもしれない。
しかし、それは一歩間違えば少数派の弾圧につながるものであり、昨今の同性愛、表現規制をめぐる問題に通ずるところがある。
さらに、私としては、こいつはキモいから殺してもいい、猫はかわいいから殺してはいけないと、生き物に序列をつけるほうがよっぽど傲慢な振る舞いではないのかな?という疑問が拭えない。
最後になるが、念のために再度申し上げると、私は、虐殺される猫はかわいそうだと思うし、自分がするつもりも全くない。
しかし、長年の疑問は解けないままであるので、誰かの目に留まって納得できる反論をもらえないかと思い、こうやって記事にしてみた。
おまけ
今期放送中のアニメ「魔法使いの嫁」でも、とても興味深い話題が提供されていた。
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「『魔法使いの嫁』で妻の病気を治す為にたくさんの猫を殺したシーンで、猫を鮭に変えたら全然見え方が違うよね、という話」
https://togetter.com/li/1173833
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