大好きで応援していたあるプロジェクトがあり、そのプロジェクトに関わっていた推しと推しのキャラクターが大好きだったので、それが終わってからというものプロジェクトの最後の日に見た推しの姿がずっと忘れられず、ズルズルと彼のことを推し続けてるという感じだった。
そのプロジェクトの過去の映像やインタビューを見返して、もっと早く応援できてたらよかったのに、と思う日々を過ごしていた。
推しは感情に波がある。それは自他共に認めている事実で、実際顔に出やすいしそこがまた素直でかわいいな〜と思ってたときもあった。でも一度「ん?」と思ってしまうことがあって、それからずっと言いようのないもやもやが募っていった。
そんなある日、推しが出演するとある舞台があり、わたしはもやもやした気持ちを抱えたままその日を迎えた。
なんとか家を出たはいいものの、やっぱり気持ちはもやもやしたままだった。そんなときスマホからシャッフルで流れてきたのは推しが演じていたキャラクターのソロ曲で。あの日の記憶がまたフラッシュバックして、推しを見にいくことが怖くなった。
ついに耐えきれなくなって、とっさに乗り換えでもない駅で降りて、ホームのベンチに座り込んだ。異様に喉が渇いていた。自販機でお茶を買ってちびちび飲みながらチケットを取った日の自分はあんなに楽しみにしていたのになんでだろう、とまたぐるぐる考えていた。
推しの姿がどんどん更新されていくことが怖い、あの日から遠ざかっていくことが怖い、でも推しを見に行けなくなることはもっと怖い、とか自分でも考えてることがめちゃくちゃすぎてわけがわからなくなってしばらくぼんやりしていた。劇場へ向かう電車が何本も目の前を通り過ぎていった。
しばらくそうしていたが、カバンの中にあるチケットを握りしめて、ついに震える足で劇場に向かうことを決意した。
その日は太陽が空高く登っていてありえない暑さで、この胸の気持ち悪さは暑さゆえなのか情緒不安定からくるものなのかわからなかった。それを冷静に考える頭の余裕もなかった。今思えば多分どっちもだ。
最寄り駅に着き、たかだが5分もかからない駅から劇場への道のりを歩きながら、それでも頭の中はずっとぐるぐるしていた。
よっぽど帰ろうかと思ったけど、駅に着いたころにはいくらかマシになっていたし、何よりチケットを取ったときの自分は確実にこの日を楽しみにしてくれていたわけで、そんな自分の気持ちを裏切りたくなくて、ついに劇場に足を踏み入れた。
初めて入ったその箱は小さくて、座席を確認すれば双眼鏡がなくても表情がクリアに見える距離だった。
席に着いて始まるまでも気が気じゃなくて、文字が読める精神状態じゃなかったのに意味なくスマホに指を滑らせてツイッターの更新を繰り返していた。
もう心臓がはちきれそうだった。泣き出すかもしれない、吐きたくなるかもしれない、不安で押しつぶされそうになりながらぐっと舞台を見つめた。
でも、板の上に立つ推しの姿を見た瞬間、頭の中の霧がパッと晴れたように「あ、好きだ」としか思えなくなった。
推しが芝居をする姿を生で見るのは、約1ヶ月ぶりだった。
その間に、本当に色々なことを考えた。
推しのツイッターを見てはモヤモヤを募らせたり、よせばいいのに有る事無い事書かれている匿名掲示板を見て落ち込んだり、過去の映像やパンフレットを読んでやっぱりこの頃の推しが好きだ、あの日々を忘れたくない、と強く思ったり。
けれど、散々理屈をこねても結局答えは板の上にしかなくて、新しい彼を更新していくことによって過去の彼を忘れていってしまうのが怖かった自分は、怖いのに、それでもやっぱり目の前で更新されていく推しに対して好きだと思うのをやめられなかった。
推しが舞台上に生きるキャラクターとしてことばを紡ぐたびに好きだ…と思ったし、舞台に立ってるだけで、歩いてるだけで、セリフがなくたって、表情をこの目で確認できる距離で見れるだけでどうしようもなく嬉しくて、そんな推しがカテコでもずっと笑っててにこにこ楽しそうで、ああ〜よかったなあ〜なんてぼんやり帰りの電車で考えていたら、思いっきり乗り過ごしていた。
生きている生身の人間に対し不変を願うのは無理な話だとわかっていて、その上でズルズルとあの日の面影を彼の中に探して追いかけつづけている。
だからこの気持ちも一方通行で自分勝手で、推しには一生届かない感情だとわかっている。
この公演を見て気持ちが動かなかったらもうやめようときめていたのに、結局好きだった。いや本当に自分でもびっくりした。推しのことが好きすぎてびっくりした。
好きだと思う感情に理由なんてなかった。不安とか悲しさとか言いようのないもやもやとか全部吹き飛んでしまうくらい、好きっていう感情が強すぎた。
そして何より、シンプルに彼を好きだと思える現実に安心して、泣くような内容じゃなかったのに公演後だばだば泣いてしまった。
こんな情緒不安定になってるのに一生顔も名前も覚えてもらえない人のことを好きな人だと公言してるのなかなかヤバイとわかってるんだけど、それがオタクなので、多分推しが表に立つのをやめないかぎりずっと感情グラフジェットコースターの建設はやめられないんだな、と思った。
ドリフェス!
匿名掲示板にあることないこと書かれることと、こんなネガキャンを書くことに、何か違いがあるんですか?