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2019-02-22

anond:20190222180728

A(絵とタイトルと作者が認知されてそう)

ダ・ヴィンチモナリザ

ダ・ヴィンチ最後の晩餐

ムンク「叫び」

ピカソゲルニカ

B(絵とタイトルもしくは絵と作者のどっちかは認知されてそう)

ミケランジェロアダムの創造」「最後の審判

ラファエロアテネの学堂

ボッティチェリビーナスの誕生

フェルメール真珠の耳飾りの少女

ピカソ「泣く女」

ダリ記憶固執

ゴッホ「星月夜」

ゴッホ自画像」(ただし自画像同士の区別はつかない)

ゴッホひまわり」(ただしひまわり同士の区別はつかない)

ミレー「落ち穂拾い」

クリムト接吻

ミュシャ黄道十二宮

葛飾北斎神奈川沖浪裏」「凱風快晴」(タイトルは「富嶽三十六景」として認知

歌川広重東海道五十三次」(ただしそれぞれの区別はつかない)

菱川師宣見返り美人

東洲斎写楽三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」

C(絵は認知されてそう)

レンブラント夜警

ヴェラスケス「ラス・メニーナス

ドラクロワ民衆を導く自由の女神

ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレット

モネ日傘の女」

モネ「印象・日の出

マネオランピア

マネ「草上の昼食」

ドガ「踊りの花形

フラゴナール「ぶらんこ」

ゴヤ「裸のマハ」

ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」

エヴァレット・ミレーオフィーリア」

2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

2018-08-02

anond:20180801173600

そんなわけで、しりとり必勝法について考えてみたです

基本的な戦法は、「同じ文字で攻め続ける」です。始まる言葉が少なく、終わる言葉が多い「ル」攻めが基本ですが濁点が有効なら「ズ」の方が効果的です。

それで攻め続けるだけで、だいたいは勝てるはずです。

しかし、逆に自分が「ズ」攻めを食らったときのために「ズ」で始まる言葉を羅列しておくです。

マイナーと思われるものには()説明をつけておいたです。

そして取っておきの「ズ」で始まって「ズ」で終わる言葉

相手が中級以上のしりとリストならば「ズ」攻めを使ってくるかも知れません。「ズ」攻めを食らい続けて散々つぶした後に「ズ」返しをする戦法が最強です。

同様に「ル」攻めを食らったときのために「ル」返しが出来る言葉たちもあげておくです。

これであなたしりとり最強王者!!(・∀・)

2018-05-16

anond:20180516123546

20歳過ぎたら。

頬がこけてると細い人と誰もが認識する。

脱いだらルノワールな人もいるんだけど。

顔が丸くて頬がこけたりしない人は、

脱がないでもルノワール体型だと思われちゃう

そこまでじゃないんだよね。

2018-05-01

ゴッホルノワールの名画を棺桶に入れてほしい←は?成金死ね

名器と一緒に自爆←これこそ数寄者だな!

なぜなのか

2018-02-06

anond:20180206154722

カフェとかダイニングバーとかルノワールとか客層のいいところにいけよ

2018-01-15

anond:20180115114454

めっちゃ同意

本当に最初空間の使い方が豊かな店が多かったけど(ソファとか)10年くらい前から詰め込み始めて、周りの会話でうるさいはテーブルは小さいは椅子は座りにくいわで一切行く気がしない

本当に長時間仕事するならルノワール行くわ、お茶でてくるし、周囲のマルチの会話も面白い

2016-08-23

どっちが正しいかからなくなる

ルノアールvsルノワール

ダイアvsダイヤ

サイゼリアvsサイゼリヤ

・パッ!とさいでりあvsパッ!とさいぜりあ

2016-08-06

ルノワールってなんであんなにマルチの奴らばっかなの

というかなんでみんな引っかかるの?

これで億万長者ですよとか、なんでそんなのに引っかかるの?

引っかかる人の気持ちがわからない。

そんな日曜のルノワール

2016-01-17

空港ラウンジ利用とかよりも

ゴールドカードの特典に空港ラウンジ利用ってよくあるじゃないですか?

ぶっちゃけ、使わないじゃん。

時間潰すところくらいあるし、そもそも何時間も待つのって乗り換えの時だけだし。

ルノワール東横インあたりで特別室で2時間くらいくつろがせてくれる特典でもつけてくれないかな。

東京は座れる場所が少なすぎる。

空港テナント料のほうが、駅前ビルテナント料より高そうだし、やる気になれば出来んじゃねえの?

財源足んないなら、年会費20万くらいとってもいいよ。

喜んで払うから

2015-10-29

自称心理学に詳しいという人に食事に誘われて、ちょっとこじゃれたビストロに行った。大きくもなく、小さすぎもせず、壁にルノワールポスターとかは掛かっていなくて、生の切り花が活けてあるような店。

テーブルについて心理学の話を振ると、フロイトはさー、とか、ユングはさーとかいってきて、むかしの人たちの学説レクチャーをしてきた。

それはまあいいとしよう。

注文をすると、まず、小さなバスケットフランスパンが盛られて、運ばれてくる。これに岩塩エクストラバージンオリーブオイルをつけて食べてくださいと店員さんが言う。ためしにやってみると、本当においしい。大地の味がするというか、素材そのままの味がするというか、とにかく、うそのないおいしさ。

テーブルを挟んで座っている人は、俺、手相も見れるんだよねーとかいって、手を取ってまじまじと見つめてくる。これ、どこで読んだのかなーとおもいながら、まあ悪い気はしないので、されるがままにする。

問題は、その後だ。

すいませーん、バケットおかわりくださーい、と彼は手をあげて店員さんを呼ぶ。

は?

バケット?

ああ、この、パンを入れてあるカゴのことを、バケツだと思ったのだよね?

だって、このパンはバゲットだもの

店員さんはパンの入ったカゴをもってきてくれる。

彼と私はもう一切れづつとって、食べる。

このバケット、ほんとおいしいよねー

彼、ひょっとすると、バゲットのことを、バケットと思い込んでる?

心理学に詳しくて、学問ぽい雑学のあるところをアピールしてくるわりに?

そのままサラダからメインの料理にいって、好きなクランベリーのソルベがあったから、ちょっと頼みたいと思ったけど、今日はよした。

店を出て、彼が手をつなぎたがっているのを感じたけれど、何気ない風を装って、そのまま最寄りの駅まであるいて、じゃ、といって帰ってきた。

2015-07-09

ルノワールってすげぇよな

印象派大家ってだけじゃなくて、東京では喫茶店経営大成功してるんだもんな。

2014-11-17

浮世絵をみて1ヶ月くらい興奮が冷めなかったが、ようやく冷静になったので書き綴る

僕はアートというもの理解できない。

音楽に感動したことはない。

ロックバンド音楽のチカラを叫んでも、

音楽のチカラでパレスチナ問題を解決してみろ」と言い返してしまう。

絵も理解できない。

絵の解説を読んで、作品の背景に感動させられるだけで、絵からなにか伝わったかというと、ふーんっていう感じだ。

そんな自分だが、唐突だが浮世絵について語らせてもらう。

あれは凄い。

本当に凄い。

なにか伝わってくるとかそういうのじゃない。視覚イメージからね、殴りかかってくる。

きっかけはというと、摺りたてをみたわけだ。

美術館特別展で展示販売をやってて、本当に偶然だ。

浮世絵というのは、基本水彩で、そもそも水彩の鮮やかさというのはブラウン管液晶では今ひとつ再現できないというのと、そもそも日焼けに弱い染料なので、当時の色と全然違うわけ。

で、とにかく凄いんだけど、一ヶ月くらいなにが凄いのか、自分でも整理できなかった。

ようやく整理できたので、とにかく語りたい。

まず立体感。既に物理空間的に2次元じゃない。

浮世絵で立体感?むしろ平面的な絵だと思うが・・・

と、思ってたよ。僕も。

すごいの。ニンテンドー3DS裸眼立体視浮世絵から開発したんじゃね?ってくらいに。

ていうかね、もう物理的に立体的なの。

いろんな工夫があるんだけど、わかりやすいところから説明すると、そもそも紙が凹凸で立体的なわけ。

たとえば、このトンボの羽、スジスジがボコボコ盛り上がってたりするの。画面じゃぜんぜんわかんないけど。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hokusai120-f/

これも画面じゃぜんぜんわかんないんだけど、指で首筋を撫でた跡がさ、紙の凹凸で表現しちゃってるわけ。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/utamaro067/

もう艶かしくて艶かしくて。

構図での立体感

生でみないとわからないんだけど、ニンテンドー3DSのアレに近い印象がある。

平面的な絵がレイヤーされていて、レイヤー間に明確な前後関係があるような感じ。

露骨なので言うとこんなやつ

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160-f/

それから、こういうの

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige182/

子供の頃、校庭のフェンスの金網越しに風景をみてたら、とつぜん立体視になってビックリしたこととかってないかな?

あれだよあの感じ。

格子をみて、その向こうをみて、それを繰り返すと、うわぁぁぁ!ってなる。

自分がそこにいるような感覚

それから、この構図をわざと切ってるところ。

さっきの梅の絵のほうは、左側に立て札がちょっとだけ入っているけどほとんどフレームアウトしてて、遊女の部屋の絵は襖ちらっと見えてる。

このフレームアウトが、絵じゃなくて、まるでどこかから自分が覗きこんでるような錯覚に陥らせるんだな。

この感覚漫画に親しんでる日本人特有のものなのかもしれない。

漫画だと、こういう演出は暗黙のうちに物陰から覗きこんでるというお約束だろ?

不思議なことに、日頃浮世絵に親しんでいないせいか、生でみるまでこういうお約束がつたわってこなかったんだが、随所に漫画的な表現が伝わってくる。

”力みなぎる感じ"やら、”物陰から覗いている感じ”

物理的には間違っていてもイメージとしては正しい

浮世絵に影はないっていわれるけど、あるのもあるし、ないのもある。

浮世絵で影を使うのは、影があるから影を描いているんじゃなくて、影の効果必要から影が描かれる。

たとえばこんな感じ

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/kuniyoshi004/

明るい月夜を表すために、現実ではありえないほどくっきりと影がかかれてる。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige308/

同じく月に照らされた人影。月は高く登っているのに、影はのびている。

アニメ表現に似てる。

エヴァンゲリオン飛行機から発進したエヴァが地上についた時に、砂埃が進行方向ではなくて、後方にのびていたシーンがある。

あれと一緒。

物理的には間違っていてもイメージとしては正しい。それが浮世絵表現

写実的に書くなら、写真のように陰影の表現で塊を描くのが正しいけど、あえて輪郭線を使う。

イメージの中では、人物と風景の間には境界があるから輪郭線があるのがイメージとしては正しい。

逆に、意識の外のものについては、明らかに見えるはずであっても輪郭を描かずにシルエットだけにする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige024/

ヤバイ構図

絵というのは自分が感じたことだけで語るべきな気がするので

「当時の人は」という視点は間違ってるのかもしれない。

でも、考えてみる。

当時は当然テレビなんかなかった。

自分目線以外の構図って、みたことがなかったはずなんだ。

たとえば構図上から街並みを俯瞰するような構図というのは、見たことがなかったはずなのだ

で、なんでこんな構図がおもいつくのさ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai029/

http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html

ただ道が曲がりくねってるだけでこんなにもストーリー性がでてくるのかと。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige027/

わずもがな、世界で一番躍動感のある波。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai040/

浮世絵以前の絵って、西洋東洋もこんなに構図が豊かじゃなかった。

現代写真漫画映画の構図の元ネタが、だいたいがこの時代なんじゃないかっておもえるほど。

色彩感覚ヤバい

これについては、繰り返しになっちゃうけど、ほんと日本人派手好きすぎ。

画面のほとんどが赤と緑のグラデーションって、ヤバいでしょ。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160/

山頂が快晴裾野雷雨ビビッド過ぎ!

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/

これ、もはやルノワールじゃね?

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai_sakurafuji/

しかも安い!

よくリトグラフ20万とか50万とかするじゃん。

その点、浮世絵は超安い。

1万3000円とかで買える。

ただ、難点は、アクリル板越しでさえぜんぜん凄さが伝わらない。

生で、そのまま見ないと。

オススメは、額にいれないでそのまま壁に画鋲で刺すこったね。

紫外線ですぐ色褪せるけど。

もったいない

もう一回買えばいいのだ!

2014-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20140926150059

飲食店じゃなくて喫茶店だろ? 少なからず、都内のチェーン系(ルノワールもだよ)喫茶店で一人ワンオーダー強制になってるのは殆どねえな。

メイド喫茶とかクッソ単価が高いところはそうだけれど。

現実に誰かを待つ為に使用する用途の方が多いのだから、2人座ってても一人分のオーダーになることはよくあることじゃね。

先に来た人が注文するのは当然として、後から来た人は割と注文しないことが多いぜ。

2014-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20140804110745

単純に、値段の高い店は清潔感があったり設備が整っていたり、客層もまともな人ばっかだったりするって意味で「おしゃれなカフェ」を選ぶ意味は十分あるだろ。

近所のベローチェルノワール比べてみ? 自分お金持ってる前提ならどっち行きたいね

2014-08-03

海外女性の生乳画像ってなんで抜きたいと思わないのかな

日本人女性の生乳画像には、無性に興奮するというのに

白人女性の生乳画像にはエロさというよりもノスタルジーな邂逅に襲われて何とも言えない気持ちになる。

正に絵画を見てるような、ルノワールとかモネ全裸女性を見てるかのような錯覚に陥ってしまう。

恐らく日本人の方がお下劣さとか卑猥さとかで海外よりも先進的だからじゃないか、と思うようにしてる。

2014-03-15

努力の才能

成果を生むのが努力であるとすれば、努力を生むのは才能だ。

何もしない人間は、努力した人間にかなわないし、努力する凡人は努力する天才にはかなわない。

努力しない天才はいない。

好きになるための努力、というものはこの世界存在しない。

から、才能とは、『何かを好きになれる特性』の事を言う。

どのような教育課程も、ライフハックも、”好き”からくる情熱にかなうことは決してない。

いくらあなたコタツに足を突っ込んで頭に冷えピタを貼って、お母さんが作ってくれた土鍋うどんをすすりながら、睡眠時間平均4時間受験勉強を頑張ったとしても、

天才はそれをやすやす越えていく。

その人が天才かどうかを確かめるには、「勉強、どれくらい頑張った?」って聞いてみるといい。

死ぬ気で每日9時間がんばったとか、通学途中も歩いてる時も単語カードを手放さなかったとか、そういうのは凡夫である

勉強特に頑張ってないよ」

これこそが本物だ。

そして本物は、合格発表自分の番号が載っているのをみて、あなたが涙をこらえているその時に、『数学セミナー』を立ち読みしている。

実際にそういう奴はいた。

俺は聞いてみた。何やってんだよw

「いや面白いだってw 読む?今月のは初心者にもわかりやすいよ」

彼らは決して立ち止まることはない。

苦労が伴う努力は、自分との戦い、という側面を持つ。

脳の中で、「頑張る自分」と「休みたい自分」の二陣営に分かれて、激しい合戦が行われる。

天才は違う。あるのは「面白い対象」だけだ。



ここに努力の才能が全くない人間がいる。俺の彼女だ。

大学入学したときに知り合った俺の彼女は、「社会人には英語必要大学時代完璧マスターするんだ!」と息巻いていた。

まずはTOEIC600点を目指す、と俺に宣言した。

そして彼女は每日1時間、土日も休むことな英語勉強した。

彼女の部屋には、壁中に英単語を書いた付箋が貼り付けてあった。その中心に、習字で「Just Do It !!!!」と書かれていた(自分で書いたという。英語なのに割と達筆w)

だが、不思議なことに、どのような問題集を解いても、60%しか正答しなかった。

やり直すと、その時は解けるらしい。でも、後になって同じ問題を解き直すと、やっぱり60%しか解けないんだ。彼女は笑って言う。

彼女大学在籍時に、可能な限りTOEIC試験を受けた。

スコアはすべて450、±20の範囲に収まった。

俺達が所属していたテニスサークルは、”仲間で楽しく、わいわいやろう”がモットーの、いわゆるゆるふわリア充サークルだった。

そんななかで彼女は1人、ガチだった。

「せっかくテニスをはじめるんだから、とことんまでやる!」と飲み会の時に宣言し、見事に浮いていた彼女

毎朝7時にコートに立ち、壁打ちをする。運動神経ナッシングの俺は、眠い目をこすりながら、たまに彼女に付き合ってラリーをした(全くどうでもいいが、俺はサークルウキウキウハウハズッコンバッコンなバラ色リア充ライフ指向していた。ある意味でそれは叶ったが、もちろん誰にも言ってない)。

しかし、4年の時に彼女は、1年生の練習相手になっていた。

いじめられていたわけではない。

彼女試合しても、全く続かなかったからだ。

每日の朝練も虚しく、彼女は誰よりも弱かった。コンパに明け暮れていたリア充どもより弱かった。俺にさえ及ばなかった。

ゆっくり打てばラリーは続くが、少しでも強く打ち返すと、もう駄目だった。

体は追いついても、ボールは返ってこない。

「あっ」という短い悲鳴が響く。何度も。何度も。

やがてみんな、嫌になった。

無意識か、意識的にか、空気を感じ取った彼女は、自分からそのポジションをかってでた。

一年生たちと練習し、球拾いをする。

レギュラー組のこぼれ球を追いかけて、気が合う一年生に笑いかけている、そんな光景が俺の記憶に焼き付いている。

卒業した彼女は、就職した。

文系大学に通ってたくせに、

何を間違ったのか、就職先はWebプログラミングエキスパートが集う、ベンチャー企業だった。

(なぜ受かったか。たぶん、小柄でハムスターみたいな人懐っこさが人事にうけたんだと思っている)

まず、書店参考書を買いあさった。PHP入門書は、初心者向けの薄いものを買うように、俺が指示した。

そしてOJTを受けている間、睡眠時間を削ってプログラミング勉強した。

俺はフリーだったから、彼女の横で、付きっきりで彼女プログラムを書くのを見守った。

だが勉強は、捗らなかった。

何というか、打つのが遅い。重い。

PHPの文法は覚えている。プログラミングが遅いというわけではない。

そもそもタイピングが遅い。タッチタイプはできているのに。

うまく説明しづらいが、変数入力するたび、関数を書くたび、いちいち引っかかる。

コメントを書くのにも一瞬のタイムロスがある。

何かする度に、つまづくのがイライラした。

やがて、俺も忙しくなり、彼女ちょっと喧嘩してたのもあって、しばらく疎遠になっていた。

ようやく会えたのが、去年の冬。

新宿三丁目ルノワールで待ち合わせた。

赤いマフラーをまとった彼女の目には、くまができていた。

髪の毛が微妙にはねている。学生時代に貫徹で一限直前まで遊んで、シャワーも浴びずに一限に突っ込んだ時のようだった。

だがあの時のような気楽さを感じない。

目がうつろだ。

声がかすれている。

問いただすと、原因は激務だった。

激務につぐ激務。会社の営業が、破格の条件の仕事に巡りあったらしく、会社はかなり無理をしてそれを受けてしまったようだ。

エキスパート連中でさえ、火の車の中らしかった。

「でも、みんな『やりがいがある』って言ってるよ。目が燃えてるもん」

彼女はそう言った。そんな中でも彼女は相変わらずのようだ。

彼女労働時間は15時間をゆうに越えていた。

満員電車での通勤は眠れない。結局、睡眠時間は平均4時間を割っていた。

ルノワールの店員が、水を持ってきた。

彼女は手慣れた動作でコートのポケットから薬を出して、その水で流し込んだ。

問い詰めても詳しくは教えてくれなかったが、それで体の震えが止まるらしい。

俺は思った。限界だ。

「お前、向いてないんだよ。そう思わないのか」

つかさず彼女は反論する。

「何でそんなこと言うの? 向いているとか向いてないとか、別にどうだっていいし。努力して前に進むんじゃん。それが人間でしょ。」

「お前さ、そんな頑張っても、結局、給料大したこと無いんだろ?得られるもん何も無いじゃん。っていうか勉強とか、こんな状況でもまだやってんの?」

「当然でしょ。確かにリターンは少ないかもしれないけどさ…」

でもやらなくちゃ。諦めちゃだめだし。彼女はうわ言のようにそう呟いて、

「それに、部長が言うんだよ。『お客さんの笑顔を見るために、一緒に頑張ろう』って。だから私も頑張るよ…。私バカだけど、それでも足引っ張らないように、必死でやらなくちゃ」

俺を見据えてそう言った。口元だけで作った笑顔は、人間の表情に見えなかった。

俺は彼女をその場で強く抱きしめて、言った。

いいんだよ。お前はさ。バカのままで。

胸の中で、彼女が泣く。

2013-12-08

カフェにある人間模様

カフェ勉していると色んな人がいる。


資格勉強している人

期末試験勉強している高校生

仕事愚痴いっている人

女子会

パソコン仕事している人

結婚式感想いっている人

マクドナルド行くとDSやってるオタクとか、アホな高校生のどうでもいい

恋愛話だったりホームレスだったりでアレですが、

スタバとかドトールとか、ルノワールとか、その辺。

新宿ルノワールかいくと風俗嬢スカウトの勧誘が聞こえてくる。

人間が会話する場所、交わる場所居酒屋だと周りの音なんて聞こえないから、

意外とこのスペースを観察し続けると面白いかもしれない。

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